ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

就活の子たち - 2005年03月31日(木)




最近コーヒーを飲んでいると
店にリクルートスーツらしき服装をした女の子が
どっか広告代理店のスタッフだろうか、
そういう人種と話し込んでいるのを見かける。


女の子は大抵背筋を伸ばして
たまに笑いながらも神妙な顔で話を聞き
メモをとっている。


そう「就活」だ!。
(我々の頃は就職活動をこんな風に略したりはしなかった…)



しかし、今の子は春休みにもうそんなことをするの?



いや、私はトンチンカンなことを書いているかもしれないのですが、
実は私自身、ちゃんとした就職活動をしたことがないのです。


ひとつ某音楽系出版社は受けましたが(最終で落ちた)
大学はなにしろ音大だから、
普通の会社からの募集はまずないし、
そういうトコに先輩もいないから訪問もしなかったし。


あとはフリーになるか先生になるか、
でフリーになってやるだけの気概はなかったから
教員採用試験を受けるのと、
私立の学校の募集を見つけては受けにいき
そして落ちまくった。



だから普通の企業、会社、事務所に
(こういう並べ方しかできないあたりが既に世間ズレしている気がする…)
自分を売り込みに行ったことがない。



考えてみると、もし私が何かの事情で今のオフィスを離れることになったら
さぞや苦労するだろうな。



コーヒー飲みながら、今のうち彼女たちの様子を観察しておこうか。(なんてね)





...

夫婦初カラオケ - 2005年03月28日(月)




今日は雨・・・


こういう暗く寒い日は気分も沈む。

雰囲気悪いオフィスに行きたくなくなること甚だしい。




ところで休日にマイハニーとカラオケに行きました。

夫婦で歌うのは初めてだし、
マイハニーの歌声を聴くのは初めて。


お互いに歌うレパートリーが全然違うのは当然として、
歌いっぷりもまるで違う。


私はいつも「マイクいるのか?」という声で
全力投球。熱唱系。


初めて聴くマイハニーの歌は
薬師丸ひろ子か斉藤由貴かといった感じで
“ヒョロー”(?)って声までマイペースに伸びていく。

かぼそ〜い感じの声。


声が薬師丸ひろ子な以上、来生たかおの曲が合うのは
しごく当然。



意外でしたね。

まあ、意外といいつつ、彼女の多面的な正確を考えると
納得もできたけど。



もうすぐ結婚1周年。

まだまだ発見が多いです。






...

優しいひとたち - 2005年03月25日(金)




ドラマ『優しい時間』終わりましたね。


静かな、いいドラマでしたね。



つい先日、『フィガロの結婚』のことを書いた時と同じ、
「謝ること」「許すこと」がここにもありました。



それが人間なんですよね。


私はそういう、人がいつまでも人らしく生きる姿を信じたいです。






...

2つのオペラ - 2005年03月23日(水)




小澤征爾さんがこの春から始めた
「東京オペラの森」。

そのメイン・プロであるR.シュトラウスのオペラ「エレクトラ」を観てきました。
(やっと書けた…)


既に主要新聞に批評が出ていますが、
なぜにいつも小澤さんが指揮するオペラはこうもたたかれるのか!?


飛び抜けた人というのは「アンチ」を作りやすいものだとは思うけど、
こうバカの一つ覚えみたいに「小澤の指揮するオペラはダメだ」
みたいなことを言っていれば官軍にでもなったつもりなのだろうか?
特に、準サイトウ・キネン・オーケストラといった感じの
腕利きの若いソリストたちを集めたオーケストラに批判が集中していた。
「オペラにしては平板だ。」とかね。


読売に書いていた三宅幸夫さんだけが
「小澤の指揮するオーケストラは瞬時たりとも緊張の糸がとぎれない。古代ギリシアの城門のような重量感・圧迫感がほしいところもあったが、小澤の意図は、むしろ作品の複雑な声部構造(注:いくつもの音・旋律が織りなしているさま)を透かし見せるところのあるのだろう。」
と書いていましたが、私もまったく同感。


小澤さんの指揮するこのオーケストラの素晴らしさ、
例えばショルティがウィーン・フィルを指揮するような激烈で官能が沸騰するような演奏とは大分様子が違っていたが(そういうのが普通このオペラのスタンダードと考えられている。世間では)、
三宅さんがいうように透明で、シュトラウス一流のオーケストレーションからなる音がしなやかに清冽になるさまは本当に壮観だった。


歌手についてはどの批評も絶賛を惜しんでいないが、
これも凄かった。

ワーグナーの「ニーベルングの指環」のブリュンヒルデを歌ったら当代随一のデボラ・ポラスキが歌うエレクトラと、
一世を風靡した“カルメン”歌手アグネス・バルツァが歌う母、クリテムネストラの1対1のやりとりは鳥肌なんてもんじゃなく、
正直そこに座って聴いているのが恐ろしくなるくらいだった。


ポラスキのエレクトラは、
復讐に燃え、ほとんど狂人と化している女、というよりは
気品を失わず神々しさすらある、
なるほどこの女はトロイア戦争の大将軍アガメムノン王の娘なのだな、
と思ってしまいましたね。


私はポラスキを今までブリュンヒルデでしか聴いたことがないからそう思うのでしょうかね?


バルツァのクリテムネストラはほとんど化け物。
どこまでが役なのかわからないくらい。



そしてロバート・カーセンの、闇の壁(穴の底?)でドラマを凝縮した演出。
これもギリシア悲劇の心理的面をよりクローズアップしてくれた、
という感じでとてもよかったと思う… んだが

でもこれ、絶対思った人いると思うのですが、
去年Bunkamuraで観た蜷川幸夫さんが演出して
大竹しのぶやジャニーズの岡田くんが演じた「エレクトラ」の演出にそっくり!


舞台セットといい、登場人物の黒一色のコスチュームといい、
エレクトラの心を表すようなダンサー(?)たちが20人くらい
後ろに絶えずいて動いている、ということといい。


これはどういうこと???



それはともかくオペラ「エレクトラ」。
どれをとっても世界水準の(こういう言い方をいちいちするのが恥ずかしい気がする)
素晴らしい公演でした。




ところでその数日後に行った
クリスチャン・アルミンク指揮新日本フィルの
ベートーヴェン「フィデリオ」ならぬ、
その完成版前のバージョンのオペラ「レオノーレ」。


これもなかなかよかったですけどね、
歌手も指揮もオーケストラも。

とはいえ、あの陣容で「エレクトラ」を観た後では
何を言っても…はぁ。

いや、演奏はホント良かったんですよ…それなりに。


ただ、「レオノーレ」をいかに改訂して「フィデリオ」になったか、
いかに「レオノーレ」が完成版にない魅力があるか、
(あの序曲「レオノーレ」第3番が序曲として使われる。)
2つの違いはなかなか面白かったけれど、
私としては(いかにベートーヴェン好きな私でも)
やっぱりベートーヴェンといえども不向きなジャンルがあったんだな、
オペラは不向きだったんだな、


と、ある種の退屈感とともに、こうした考えが変わる、ということはなかったです。





...

花粉? - 2005年03月16日(水)




「明日、エレクトラのこと書きます。」
なんて言って、全然時間がない。すみません!


今日は暖かいですね。

花粉が相当量飛んでいるみたいで
私には縁の無いことではあるが、
周りの同僚が「死む〜〜」とうめいている。


でもなんだか今日は私も
目がしみるような感じがするし、
鼻もなんとなくむずっぽいし、
大気がいつもと違うように感じるんだよな



え? 

これもしや…




イヤダ〜〜!!(><)



...

・・・どうにも - 2005年03月15日(火)




こんなこと全国ネットの日記に書くのはイヤだな、
と少なくとも私は思っているのですが、
どうも今年に入ってから体調が崩れ気味。


色々気を配ってみても、
何かしらオフィスで嫌なことがあったり、ダークな雰囲気だったり、
それが体調に影響するのか、
はたまた体調が悪いからダメージを受けやすいのか、
とにかく悪循環。



京都に行ってパーーッと気分転換だ!
と思ったけど、天候まで崩れ気味だったし…(><)


またここへきて季節の変わり目で情緒も不安定になってきた気がする。

特に朝がマズい。
えらい早く目が覚めて、悶々として急に何事にも自信がなくなったりする。

出勤すればテンションはガーッと上がるけど、
どうにも疲れ気味だ。


マイハニーには心配をかけたくないが、
もうとっくに心配してるな。



ふ〜。。。



まあ、時の流れにまかせよう。
神様は悪いようにはしないさ。




今日は先日行った、小澤征爾さんが指揮した「東京オペラの森」開幕の
R.シュトラウス『エレクトラ』のことを書こうと思ったのだけど、
また明日。



...

京都の旅 - 2005年03月11日(金)




もうそろそろ私の仕事も忙しくなるし、
音楽業界もバタバタしだす頃なので
ちょっと休暇をとってマイハニーと昨日まで京都に行ってきました。



私は京都大好き。


基本的に旅行好きな私で、
特に国内が好きでかなりあれこれ今まで一人旅をしてきましたが
数年前に初めて京都を訪れてから
すっかり京都は特別。


やっぱり別格ですね。
旅行といえば京都、
多くの人が四季折々に京都を訪れるのはよくわかる。


寺、神社、歴史の宝庫、自然、町並み…
どれをとっても「ああ、日本に生まれてよかったな」と思う。
気持ちが平安を取り戻す。



ところで今回行ったところは
初日… 三十三間堂、清水寺、三年坂、二年坂を通ってて高台寺、哲学の道を通って銀閣寺。
2日め… 壬生かいわい(新撰組のゆかりの地)、広隆寺、仁和寺、竜安寺、金閣寺
3日め… 祇園かいわい、ちょっと足を伸ばして奈良へ、また京都に戻り西本願寺

という感じで、
な〜んだえらい当たり前の、どこの旅行ガイドにも載ってるようなコースでないの、
と言われそうですが、
マイハニーが京都10年ぶりだし、2人で行くの初めてだし、
当たり前、といっても何度もいきたいような所ばかり。


すっかり満喫してきました。



個々の感想はさておき、
今回、私が新鮮だったのは
スバリ買い物。


一人旅だと、それも男の一人旅だと
どうしても「何かを見る」とか「何を食べる」という目的を果たすのに一生懸命で
ぶらぶら気の向くままにそのへんの店に入る、ということがない。


そのへん、マイハニーは典型的な「女性」。
(悪い意味で言ってるんじゃないよ。決して)



あちこちで「あ、あれいいな〜」「ちょっと待った」
と小さな店に入る。


お土産屋からお茶屋、和菓子屋、ちりめんの店、和紙の店、様々に。


そしてマイハニーは私が言うのも何ですが
とっても情の厚い女性なので、
私の両親や、自分の親、姉妹、職場の先輩、友達のために
「あの人は前、あんなものをくれたんだからな〜、お世話になってるしな〜」と
「この人にはどんなものがいいだろう?これが良いだろうか?」と
ある時は通りすがりの店にぶらっと入り、
またあるときは、和紙とか石鹸とかその筋では最高の店を探し、私にそこへ連れて行け、と命じる(?)。

そして選ぶ目は超真剣。
気に入るものがあるまで探し続ける。


おかげですっかり私も目が肥えました(?)。


でもそれが楽しかった。
こういう楽しみは一人旅じゃ味わえなかったし、
そして京都の人々、そこでものを作る人々の美意識、
街の古き良き伝統として脈々と流れる美意識をすっかり堪能しました。



しかし妥協なきマイハニーには、改めて驚かされた〜(@@)






...

バッハの平均律 - 2005年03月07日(月)




週末は寒かったですね〜(;;)

まだまだマフラーが首からはなせない今日この頃。


マフラーを巻いていると(巻き方のせいか?)
アゴの横の方の肉が上によっていき、
そして頬の下の方の肉も上がっていくので
ちょっと顔がむくんだように見える。


それをマイハニーに
「冬ごもり前のリスのようだ。」
と言われました(><)






話は全く変わりますが、
私はピアノに向かう時、
(もっとも昔のように毎日は弾けなくなりましたが)
必ずバッハの曲を一曲弾きます。

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」から何か一つを選んで。


これはバッハの「平均率クラヴィーア曲集」が音楽における旧約聖書、
ベートーヴェンの32曲のピアノソナタが新約聖書と呼ばれていることに関係して、
確かバックハウスだったと思いますが
「バッハの『平均律』を毎日のパンとせよ」ということを言っているのを聞いて、
私もそうすることにしたのです。



昨日NHKの「芸術劇場」で
現代の代表的名ピアニストで名指揮者ダニエル・バレンボイムが
そのことをやっぱり自分に課している、と言っているのを聞いてすごく嬉しかったです。

もちろん片や現代の最先端をいく大演奏家の言うことと私の言うことなんて
雲泥、月とスッポン、次元の違いすぎる話ですが
それでもやっぱりバッハを弾く、というのはそういうことだと思うのです。


彼も言っていましたが、技術的には
対位法的音楽 −混声合唱をピアノで弾く、と考えてください−を扱う時、いっぺんにいくつものメロディーを弾く時の指の独立性を養う、という点、

そしてバッハには人間の喜怒哀楽からはじまって
音楽のアルファからオメガまですべてがある。
すべてを包括した巨大で高くそびえたつ音楽をたくさん書きました。


それを毎日弾く、ってのはやっぱり
音楽をやる人間にとってはゴハンを食べるようなもの、
なのかな?


またそういう曲をグールドやグルダ、リヒテルのCDで聴く喜びは格別ですよ。








...

再読「オルフェウスの窓」 - 2005年03月02日(水)




池田理代子の書いていた少女漫画で
(少年マンガの場合は「マンガ」とカタカナなのに少女は「漫画」と漢字にした方がしっくりくるのは何故だろう?)
「オルフェウスの窓」という大傑作がありますが
多分女性の方の多くは、一度は読んだことがあるんじゃないでしょうか?


私は大学時代に偶然、愛蔵本として発売された、
電話帳みたいな全4巻を読むハメになったのですが、
それはもうのめり込みにのめり込み、
なんだか人生をそこで一回経験して終わらせてしまったみたいな
大きな感動にうちのめされました。


いや、これはすごい作品です。
スタイルこそコテコテの少女漫画だけど
しばらくしてそれに慣れた瞬間、
登場人物の一人一人が歴史のうねりの中で必死に生き、
人を愛していくさまを前に、自分もドラマの中にいつのまにか入ってしまいました。


何かを読んであんなに胸のつぶれる思いで大泣きしたのは
小説を含めても他にないんじゃないかな。



で、実はまた今読み直しているんです。
いえ、特に理由はありません。
ただなんとなく読みたくなって。



その中でひとつ改めて感心、というか驚いたのは
この池田理代子さん、音楽に対してどうしてこんなに深い洞察力をもっているのか??
ということ。

池田さんは皆さんもご存知の通り、何年か前
もう結構なお年なのに音楽大学で声楽を勉強したくらい
音楽が好きな人だけど、
「オルフェウスの窓」を書いていた頃はまだ30歳そこそこだった筈。


もちろん色々な本を読んだり、調査・勉強をして
それを裏づけに書いているのだろうけど
それにしても、そういう付け焼刃や、
ちょっと造詣が深い、という程度ではこんなことは書けないだろ!
というような表現が随所にでてくる。


例えば主人公の一人、イザークがウィーン音楽院で学んでいて
デビュー前に自分の音楽の進む方向はこれで正しいのか?と悩んでいる時に登場する
当時(この作品は19世紀末から20世紀初頭が舞台)のベートーヴェン弾きとしてドイツ最高のピアニスト、アルトゥール・シュナーベルと
まだその頃は新進だけど、その後20世紀きってのベートーヴェン弾きとして誰もが尊敬するウィルヘルム・バックハウスとの比較。


この漫画の中では、当時シュナーベルは啓示と霊感に満ちたベートーヴェンを聴かせるピアニストとして、専門家にも一般聴衆にも半ば神格化されている存在として描かれ、
バックハウスは「鍵盤上の獅子王」と呼ばれているものの、知性に訴える面はあるものの“ただの”技術がたつだけのピアニストだとされている。(その当時のウィーンでは)

そしてイザークの指導教授も「シュナーベルをバックハウスと比べるなんて愚にもつかぬことを。」と言う。

しかしイザークは「そんなバカな! バックハウスの弾くベートーヴェンこそ、あの力強いタッチがえぐりだす真実こそベートーヴェンじゃないのか?自分がおかしいのか?何故周りにはそれが聞こえないのか?」と悩み苦しむ。


このあたりのやりとり、まさに音楽史上で行われてきた問答で、
しかし後の世、現代に至ってバックハウスをそのように言うものは(まず)いない。
誰もがバックハウスを20世紀を代表するベートーヴェン弾きの一人と言い、
音大の先生は生徒に、ベートーヴェンを勉強する際「まずバックハウスを聴け」と言う。
(私ならグルダを聴け、というけどね。)


こうした音楽に対する思想の変化や、洞察の深さをしっかりとした裏づけとしてドラマを作っていくさまは本当に壮観だ。

この場面、私も音楽をやるものとして改めて考えさせられたし、
またイザークの思いに共鳴せずにはいられなかった。



ところでシュナーベルの名誉のために言っておきますが
シュナーベルもやはり20世紀きっての偉大なピアニストで
精神的集中の高さと高潔さ、演奏の流れのよさは絶品ですよ。







...

いい笑い、悪い笑い - 2005年03月01日(火)




たびたびこの日記に登場する
天然ボケ親父。


どうしてああ絶妙にボケられるのか、
まったく素晴らしい(?)


でもそれでまわりはみんな楽しく笑う。
まったく罪のない、心が思わずゆるんだ笑い。


こういう笑いをくれる親父は、人間としてとっても高級なのじゃないかな、
と思う。
実の息子が言うのもなんだが、本当にそう思う。




しかしオフィスや仕事関係の場での笑い。


「あいつがこないだこんな失敗をやらかしたんだぜ。」とか
人や物の悪口を言うことで成立する笑い。
シニカルで悪意ある、
心のベクトルがマイナスへ向かう笑い。


そういうものばっかりで
本当に気分が悪い。







...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home