ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

ようやく - 2004年11月30日(火)




三谷幸喜さんの
「笑の大学」を観にいきました。


私は98年に舞台を観にいって(再演です)
大笑いしながら、深く、体の奥深くまで染み入る感動に襲われ
人間ってなんていいもんなんだろう、って
何度も何度もつぶやきながら家に帰りました。


大・大・大好きな作品です。


今回、映画を見て、
その時の気分がまざまざと甦ってきました。


まだ見てない人もいるでしょうから
細かい話はしませんが
スクリーンの中の役所広司さんと稲垣吾郎くんが
私の中で即、舞台で演じた西村雅彦さんと近藤芳正さんと同じに見えてきました。


絶対オススメですよ。




ところで実は先日から、最近行ったコンサート・・・
普通に素晴らしかった、という以上に新しい経験ができた
いくつかの感銘深いコンサートのこと・・・

フランク・ペーター・ツィンマーマンのヴァイオリン・リサイタル、
チェコ・フィルの「スターバト・マーテル」、
N響を指揮したファビオ・ルイージ、
ノリントンが指揮したシュトゥットガルト放送交響楽団
(世評高いベートーヴェン以上に、なんと新鮮なマーラー!!)


これらのことを書きたくて仕方がなかったのですが
ナゼか他の話題に遮られて?
ここまできてしまいました。



また機会があったら書きますね。




...

恐るべし、マイハニー - 2004年11月22日(月)




マイハニー・シリーズが続きます。




昨晩2人で「N響アワー」を見ていた。


昨日は世界最高、
というか史上最高のヴィオラ奏者、ユーリ・バシュメットの特集だった。


随分前の映像で、ブラームスのヴィオラ・ソナタを
故ルチアーノ・ベリオが編曲したオーケストラ版というのを
外山雄三さんが指揮していた。


「あっ、外山雄三さんだ。定期公演振ってるなんてなつかしいな〜」

と私がつぶやくと、台所に一瞬立っていたマイハニーが


「えっ!加山雄三が指揮してるの!?」

「んなワケないだろ〜。加山じゃなくて外山さ。」


「なんだ〜。しかも見かけはいかりや長介じゃん。」



おいおい。


そして今日の主役バシュメット登場。


「誰コレ?」

「これが現代の偉大なヴィオリスト、バシュメットさ。」


「えー、そうなの〜? なんかココリコの田中がコントやってるみたいにしか見えないな。」



…マイハニーにかかるとクラシックの大演奏家たちもこんなものである。(^^)





...

マイハニーの憂鬱 - 2004年11月19日(金)




マイハニーはしばらく前から週3回、
パートで事務仕事に出ているのだが
(甲斐性ナシのダンナでごめんよ…)

「週3回ってのがいいよね。一日行ったら翌日はすぐ休みだしさ。」
と言ったら

 
「え〜っ、むしろそれってイヤなんだよ(><) 
日・月、日・月の繰り返しって感じで、一日おきにマンデーブルーを迎えてるって感じだよ。
5日間なり6日間なり続けて行ったほうが気楽だよ。」
だそうだ。



そうかぁ…

なるほど…

それ、わからないでもないな。






...

ちょっと疑問 - 2004年11月18日(木)



ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートのことを
先日日記に書きましたが、
色んなサイト(音楽サイトだけでなく)をのぞいて見て、
このオーケストラがいかにこの国の音楽ファンに愛されているかを痛感しました。


なんとなくわかる気がします。
素晴らしく上手い、という以上に
あの「木」の質感たっぷりのヨーロッパ風サウンドは
アメリカのオーケストラのメタリックな機能美?
よりもきっと日本人好みですよね。
(こういう話はもっと考察してみたい欲求にかられますが、とりあえず。)


ところでそれらを読んでいて、
これは私のマニア心?、というか
「え?そうかな?」と思うことがいくつか。


みなさん、首席指揮者のマリス・ヤンソンスが「ロシア人」だと
書いてらっしゃって(そうでない人もいますが)
「ロシア人にしては」ベートーヴェンやブラームスにロシア臭がない、
とかチャイコフスキーはさすがだ、というような話になっているのを散見するのですが
彼はラトヴィア人なのです。

バルト三国のひとつラトヴィアは、
他の2つ、エストニア、リトアニアとともに
ロシア(ソ連)に長らく属していたことは確かですが
この3つの国はかなり独自の文化を持っています。

むしろその昔ハンザ同盟(なつかしい!世界史)の中にいたので
ドイツ的な色合いの方が濃いくらいで
首都のリガ(ヤンソンスの生まれ故郷)ではワーグナーが活躍していて
近年ではワーグナー音楽祭が始まったそうです。

ヤンソンスは、まだラトヴィアがソ連の中にいた時代に育ち、
音楽を勉強したとはいえ、れっきとしたラトヴィア人。

ヴァイオリンのギドン・クレーメルもチェロのミッシャ・マイスキーもリガ生まれなので、彼らについても同じことがいえます。
クレーメルにしてもヤンソンスにしても、その演奏の中に、
たとえばダヴィド・オイストラフやエフゲニ・スヴェトラーノフと同質の音楽性を感じることはむしろ難しいのではないですかね?



あと、もうひとつは
ヤンソンス/コンセルトヘボウの演奏したベートーヴェンが
ピリオド・アプローチによるものであった、と書いたものが
多かったこと。

ピリオド・アプローチというのは、一概に「こういうものです」
とは言えないのですが、
う〜〜ん、ごく簡単に言えば、
今の楽器のように弦楽器にビブラートをたくさんかけず、
すっきりと響かせ、それとともに句読点?もはっきりと、
フレーズをひとつひとつ明確にしていく、
ベートーヴェンならベートーヴェン、モーツァルトならモーツァルトの時代にこういう(言葉使いならぬ)「音使い」で演奏されていた、というやり方を現代に復活させたやり方。
(私はかなりおおざっぱに書いています。ただ現在、普通に聴かれる演奏というのが、音の扱いにしても、楽器の演奏法にしても長い時間、厚い伝統の中で作曲当時から相当変わってきてしまった、というのは確かです。文学において、現代文と古文が同じことを書いていても全然違う記述になる、というのに近いかな?)


現代のベートーヴェン演奏はこういうのがだんだん主流になりつつある、
というのは事実だけど
こないだのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏、そうだったかなぁ?
私にはそうは聴こえなかったのですが。
確かに早めのテンポでキビキビと、ギュッとしまってて
フレーズのひとつひとつをかなりはっきりと、絶対あいまいにならないように演奏していたのは確かですが。

一流の、そして曲のことを第1に真摯に考える演奏家であれば、
(特にヤンソンスのような真摯一徹な人なら尚更)
自然にそうした演奏になる、と思いますね。
「普通の」演奏をする人も、ピリオド・アプローチをとる人も結果、あまり変わらないところへ行き着くのではないでしょうか?
往年の名演奏家の演奏を聴くと、意外にそうしたものがありますよ。


ごめんなさい。なんとなく自分のもった疑問だけは書いておいた方がいいな、
と思って今日はこんな日記になりました。
決して嫌味を書いたり、アゲアシをとりたかったわけではありません。



色々な意見が伺いたいです。








...

雨の日は・・・ - 2004年11月15日(月)




私は昔、日記にも書いたように
雨は嫌いじゃない…
むしろ落ち着くから好きなくらいなのだが
この頃は雨が憎たらしい。


雨が降るとナゼこんなにまで交通機関が乱れるのか?
しかも月曜は。


少しくらいは私にもガマンできる。
雨が降れば乗降客が増えるから、多少は仕方ないさ。


でも最近は、まずバスが全然来ない。
路面が悪いだろうから多少ノロノロしてるのはわかる。
でも朝、3〜4分間隔で来るバスが8分待っても10分待っても
ぜ〜んぜん来ないってどういうことさ?
バス亭にはとぐろを巻くが如く長蛇の列。


で、さらに今朝はこんなこともあった。
途中の停留所で何人か降りた後、発車寸前、
後ろのオジサンが叫んだ。
「ちょっと、待って!」

子供が満員の中で降りられなくなっていたのだ。

ところが運転手は、全く聞こえず?
「発車シマ〜〜ス。」(あのバスの運ちゃん特有のつぶやくようなダミ声で)

さすがの私も「こりゃまずい」と思いとっさに
「子供が降りれなくなってるから、止めてくださーーい!!!」
と叫んだ。

なのに聞こえない。ブルルルル〜ンと走り出す。
「おいっ!止めてくれ!」と叫ぶがやはり止まらない。

私は聞こえない運転手にもアタマにくるが
(だって私は相当声を張ってるし、一応鍛えてある声だからあれで聞こえないハズがない。)
しかも前の方の客が誰一人、表情一つかえず何も言ってくれないのがやりきれない。
でもう一度
「すみませんが、前の方々、運転手に言ってくださいよ!!!」
かなり激昂してしまった。

したらやっと止まって子供は降りれた。

私はこんな些細なことで上気してしまって、ちょっと恥ずかしいな、
と思いながら周囲を見ると、相変わらず何事もなかったかのような表情のない顔、顔。


なんなんだろうね?


そして電車。
20分かかるところが、徐行、徐行で45分かかった。

何回か「前方の電車との距離がつまっているので一時停車しま〜す。」とか
「徐行運転しま〜す。」とかアナウンスがあるのだけど
何で?

そりゃ、バスと同じで乗降客が多めだろうけど、
何でこんなにまでダイヤが乱れるのか、理解できない。

事故があって、どこかで一台が長々止まっていて後がつまる、
というのならわかるけど
車の渋滞と違って、その時間帯に走っている台数は毎日同じなのだし、
ここまで乱れるって何で?


とにかく、今朝はやりたいことがあって
かなりいつもより早く家をでたのに
着いたのはいつもより遅かった。。。



いつもいつもこんなじゃ、月曜朝に雨が降ってたら
会社行くのやめたくなるよ。(><)





...

ハンス・ロット - 2004年11月12日(金)




昨日はコンセルトヘボウ管弦楽団とともに
私がこの秋楽しみにしていた(微妙に…という感じなのだが)
ハンス・ロットという知られざる作曲家の「交響曲第1番」の
日本初演を聴きに行った。


近代・現代の音楽を指揮・初演したら天下一品の
沼尻竜典(ぬまじりりゅうすけ)さん指揮の日本フィルの演奏。
サントリーホールである。


これは面白かった。

つい先日、この日本初演とタイアップ?するように
この曲のCDが発売され
それを2〜3回聴いてから行ったが、
やっぱり実演で聴く、というのははるかに多くのことを体験させてくれる。

沼尻さんと日本フィルの演奏が初演とは思えない水準で
実にわかりやすい、明快であったこともあるのだろうけど。
(「初演だな」と思わせるちょっとしたポカもあったけど。苦笑)


この曲は最近、音楽ファン、というより
マニア?の間でちょっとしたブームをよんでいるようで
音楽雑誌など見ると、あちこちで宣伝している。



このハンス・ロットという人、私はそういう宣伝を見るまで知らなかった…
と思っていたのだが、マーラーの評伝などを読むとよく出てきていた人なので、私が見過ごしていただけだ。

ロットはウィーン生まれ、
若き日のマーラーの、ウィーン音楽院時代の友人で
大変早熟で天才音楽家としての将来を嘱望されていた。
(ブルックナーにとても認められていた。)

しかし音楽院の卒業・作曲コンクールなどでも何の賞もとれなかったり、
全然楽壇から認められなかったりして
ついには発狂し、25歳で死ぬ、という悲劇的な人生を送った。


この交響曲はわずか20歳の時に書いた曲で
彼の生前、一度も演奏されなかったそうだ。



さて、その音楽。
まず誰が聴いても思うだろうことは
ワーグナーやブルックナーにそっくり。

特に第1、2楽章はそうである。
弦楽器の霧のようなトレモロ(ブルックナーの曲はいつもこうした開始の仕方をする。ベートーヴェンの「第9交響曲」の冒頭がそうだ。)で始まり
パイプ・オルガンの如く金管楽器のコラール風のメロディーが鳴り響く。

そして、ナゼかCDではわからず、実演で初めて気づいたのだが
第3楽章スケルツォのテーマがマーラーの第1交響曲のスケルツォのテーマと
ほとんど同じなのである。
しかしこのスケルツォ楽章のスタイルはほとんどブルックナー。
実に面白い。隣に座っていた男性は「ぷぷっ」と笑っていた。
私もその気持ち、わかる。(マニアック?)
その後の展開も、急にウィンナ・ワルツがでてきたり、と
すごいハチャメチャぶり。

第4楽章もマーラーの、そう第2交響曲のフィナーレの最初の部分とか
同じく第8交響曲の第2部前半のように、
静かな中、木管楽器や数少ない楽器たちがモノローグのように
断片的なメロディーを紡いでいく様子だ。



「ブルックナーとマーラーをつなぐ作曲家」
といったようなコピーが宣伝の中で書かれていたが
まさにその通りなのである。


それと聴いていて、このロットの音楽、
とても正直である。
彼がいかに繊細で傷つきやすく、悲愴的な感覚をもちあわせていたかが
まっすぐに、手ごたえあるかたちで伝わってくる。
(特に第2楽章)
若いせいか、またコンクールなどに出して認められたい、という意識のせいかフーガがこつ然と出現したり、冒頭のテーマがかなり綿密に全楽章にはりめぐらされて、最後に大々的にコラールとして再現されたり、

やりたいこと、伝えたいことはすべてつめこみました、という感じだが、
有名な作曲家の若書きの曲(たとえばメンデルスゾーンやブルックナーの第1交響曲とか)
に比べたら、ずっとしっかりした曲になっているのではないか?
と少なくとも私は思った。



ところでマーラーはこのロットの曲の譜面を
その後、音楽院の図書館で何度も借りていたそうである。

それなのに一度もこの曲を指揮していないというのは
(マーラーは当時の大指揮者でもある。今の小澤征爾さんと同じくウィーン国立オペラの総監督をしていた。その時代は黄金時代と言われている)
どういうことだったのだろう?
そしてこれほど似ている部分が多発する、というのは
どういうことなのだろう?

とちょっと我ながら嫌らしいが
邪推してみないではいられない。


それにしても面白い体験だった。


クラシック音楽というのは一種の考古学みたいなところがあって
こういう発見で今まで把握していた音楽史が
急に変わってきてしまう、というのはよくあるんだよな。









...

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団・来日! - 2004年11月09日(火)




私がこの秋、もっとも楽しみにしていた
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が来日公演を行った。


今秋の東京、クラシック音楽シーンはタイヘンだ。
サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル、
(あの)ゲルギエフ指揮ウィーン・フィル、
そしてマリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
のいわゆる「世界三大オーケストラ」が三つ巴で東京に集結しているのだ。

(もっとも「世界三大」がこの3つで良いのか?という論議もあるだろうけど。ベルリンとウィーンは誰も異論はないだろうし、コンセルトヘボウをここに入れるのに賛成のファンは反対をかなり上回るだろうと思う。「いや、それはシカゴ交響楽団じゃないか?」とか「ドレスデン・シュターツカペレだろう!」と言う人はいると思うが…)


私ももちろんベルリン・フィルに畏敬の念をもち
ウィーン・フィルにも限りない愛着があるが
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団というオーケストラが特に好きだ。

私が世界で一番好きなオーケストラは2つ。
このコンセルトヘボウ管弦楽団とドレスデン・シュターツカペレなのだ。


上記にあげるオーケストラたちは
技術的にももちろんこの上ないものをもち、
この上なく音楽的(息遣いが限りなく自然、ということ)で、
その上に、ちょっと聴けば、すぐどこのオーケストラだかわかる
他に2つとない独自の音を持っている。
とにかく質が高い。


私は特にコンセルトヘボウのまろやかで深い、
レンブラントの絵に見る光と影、たっぷりとした油絵の、
身近なものでいえばマイルドブレンドのカフェ・オレのような
要するに「ヨーロッパ」を体現しているような
あたたかい品格ある響きが好きなのだ。


今回、マリス・ヤンソンスという名実共に現代最高の指揮者を
首席指揮者に得て奏でたベートーヴェンとブラームス
(それぞれ第2交響曲だった。)は本当に素晴らしかった。


ベートーヴェンの第2交響曲なんて、
もしかすると聞き飽きるくらい聴いているし、
ことに最近のベートーヴェン演奏といえばピリオド(古)楽器による
テンポはこうじゃなきゃいけない、フレージングはこうじゃなきゃいけない、
はたまたベートーヴェンの生前の楽器の弾き方が今のものと違うから
こういう風に弾かなきゃいけないとか、(ヴィブラートをかけるな、とか)
そういう風潮・流行が全盛の中、
(もっとも私はこういう姿勢はしっかり考察した上で、尊重すべきだと思っている)
それを考えることがバカバカしくなるくらい真っ向勝負の演奏で、
確かな、そして今目の前に曲が誕生している瞬間に立ち会っている、
と錯覚するくらい素晴らしく生きたベートーヴェンだった。


剛速球をハートのど真ん中になげられた気分。しびれた…。


弦楽器の深く奥行きある響き、
時にデリケートに、時にホールを圧倒するパワーで。
(しかし決して音は割れない。耳をつんざくようなことはない。いつも均衡がとれていて響きはまろやかだ。)
木管楽器の艶やかな、そして驚くほどの息の長さ深さ。
そう、私は今回特にこの管楽器群の、一人一人のソロが弦楽器群と拮抗できるくらいはっきりとした、
そしてオーボエ、フルート、クラリネット、ファゴットが融けあいながらも
まったく違う特徴ある音色を主張するさまに改めて感銘を受けた。



本当に素晴らしいオーケストラ。
こういう無二の個性、そしてクォリティの限りない高さを
こういう世知辛く、セカセカした時代に保持できる、
大切にできる、ということがなんと羨ましいことか。



翌日のR.シュトラウス「英雄の生涯」もぜひ聴きたかったが
哀しいかな、ここは私の財政不足…。


残念っ!!





...

「劇画オバQ」 - 2004年11月04日(木)




昨日オンエアされた「トリビアの泉」で
私がつい「へぇ〜」ならぬ「ええーーっ!」と
思ってしまったのは、
“金の脳”と“マイ・フェバリット”を同時に獲得したあのネタ。



『オバケのQ太郎には劇画版がある』である。



いや、このネタ自体に驚いたのではなく、
これを出演者が誰一人知らず、
トリビアのネタになることに驚いた。



これ、「テメエたまたま知ってたからってそんな言い方するんじゃねェー!」
とか言われちゃうんですかね?


だって私の手許に思いっきり、単行本に収録されたそれがありますよ。。。


昨日も説明で言っていた、その発表当時の1973年ビッグコミックは
読んでなかったけど
私も20年くらい前に中央公論社(ナゼあの中公が!?)からでた
電話帳みたいな愛蔵本「藤子不二雄SF短編集」で初めて見て
ビックリした。


ちなみにこの藤子不二雄(Fの方。故藤本弘さんの方)のSF短編というのは
彼曰く「少し不思議 Sukoshi Fushigi」のSFだということだそうで
神秘的なものあり、風刺的なものあり、ブラックなものあり、切ないものありで、実に逸品揃い。


「劇画オバQ」はその中にあって、
今私が持っているのは小学館コミック文庫で数年前でたもの。

別に普通に刊行されたから、持っている人も多いはずだと思うよ〜。



話の細かい説明は、
この日記読んで「これから読んでみようかな〜」という人のために書かないが
(そんな人がいたらまじ嬉しい)
昨日の「トリビア」では中抜けな説明で、
実はもっともっと切ない、あれから15年後のリアルな「オバQ」なのだ。



みなさんもぜひ読んでみてください。
「オバQ」だけでなく、このSF短編集
最高にオススメです!!






...

妻の一言 - 2004年11月01日(月)




先日、マイハニーが言った。




















「こんなに稼ぎが少ないのに、ナンで贅肉はどんどん増えるワケ?」



















うわーーん(泣)ほっといてくれ〜〜(;;)!








そしてマイハニーは今日から働きに出たのであった・・・





...




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail Home