ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

音楽馬鹿への道 その2 - 2004年08月31日(火)




はしめてのピアノ発表会の後、
幼稚園を卒園するくらいまでは素直に
ばーちゃんのレッスンを受けていたらしいが
(それも楽しそうだったらしい。)
小学校に入るとだんだんその様相が変わってきた。


そのへんになると大分覚えているが
やっぱり私も遊びたい盛り。


ただそうだなー、
私は今もそうなのだけど、友達をわんさか作って遊んで遊んで
といった性格ではなかった。

夏になればカブトムシやクワガタをじーっと観察して、
エサを奪い合って戦っているのを楽しんでたり(暗)

冬はヒヤシンスやチューリップの球根の水栽培をながめ
芽が日に日に伸びてくるさまを喜びながら見てる子だった。

あ、これはうんと小さい頃らしいのだけど
ひいじいちゃんと一緒に駅のベンチに座って
じーっと電車を見るのが好きで
「がたんがたーーん がたんがたーーん」って歌ってたらしい。



…いや暗いな。かわいい感じはするけど。



とはいえ、ずっと家にこもっているのは好きじゃなくて
何人かの仲の良い友達の家にいったり
特にドッジボールや野球(ゴムのカラーボールに空バット)をするのが好きだった。

下手だったけど。


だもんだから「ピアノ」より「遊び」だった。
普通そうだろう。

女の子はともかく、男でそうじゃないヤツなんていないんじゃないか?


で、ばーちゃんとよくケンカになった。


ばーちゃん曰く「この家の子はピアノを弾かなきゃいけないんだ!!」
ということだったが、
子供の私にとっては なんじゃ、そりゃ? である。

もっとも、今言われたら更にナットクできないな。


ウチのばーちゃんはすんごい細い人で
当時(あ、でもまだ60にもなってないか!?)から
トリガラのようだった。


なのに気性だけは激しく、
「この何時から何時はアンタの時間なのに、わからないのか!!」
と私をそのトリガラ腕で無理やりレッスン部屋にひきずっていった。


腕は抜けそう、足はつっぱりぱなし、お尻はヒリヒリ
全身痛かった…。


毎日レッスンしてたか、週3回くらいだったか忘れたが
なにしろ学校から帰ると
脱走できるか、捕まるか。

スリリングな毎日だった。



こんな具合で私はどんどんピアノが嫌いになっていった。



よくある状況っす。





...

松本へ - 2004年08月30日(月)



先日またまた行ってきました。


もちろん(?)今年もサイトウ・キネン・フェスティバルを聴くためです。
(とはいえ去年も一昨年も行けなかったので、3年ぶりか…)


今回聴けたのはオペラ公演の方。
アルバン・ベルクの「ヴォツェック」。


サイトウ・キネンのオペラ公演には、ほぼ20世紀に作られたオペラが上演されるので
普通だったら満員御礼なんて考えにくいのだけど
ここでは小澤さん人気、もう定着したフェスティバルの人気からか
今回も満員。



…で、どうだったかって?



いや、素晴らしかった…んだけど…
ん?


こういう書き方はイヤですね。



すんごいものを聴いた。素晴らしいものを聴けた。
という実感が、一日たった今、聴いている最中より強まってる、という変な感じなのだが
いや、上演自体はこの上なく立派だった。


うーん、少なくとも立派な音。
小澤さんの指揮するサイトウ・キネン・オーケストラがこの上なく緻密で、劇的で美しくて、その上恐ろしいほどの緊張感に満ちていて、
複雑を極め、倒錯した?音の群れが面白いくらいにきれいにさばかれていって、まさに「水をえた」魚状態。
こういう音楽になると小澤さんの指揮は冴えに冴える。

歌手も、特にヴォツェックを歌ったマティアス・ゲルネは艶やかな声といい、表現力といい抜群だし、マリーを歌ったソルヴェイグ・クリンゲンボルン(いかにも北欧の名だ!)も強く美しい声が実に良かった。


それから鬼才(といわれる)ペーター・ムスバッハの演出。


具象的なものの全くない真っ白に統一された舞台の中、
人も全員真っ白でオバQみたいな格好、
精神世界での心象風景、といった様子で全編一貫させた舞台。



この演出と演奏がとても一体感があって
そういう意味じゃ、全てが一貫した上演だったのだけど



要するに私は、ナマナマしさの欠如にとまどったわけです。


「ヴォツェック」をよく知っている人だったらわかってもらえると思うのだけど
あのオペラには「殺し」をはじめ、ナマナマしい感情があふれていて
具体的にそういったセリフだらけ。
ベルクの音楽も、同じ無調音楽を書いた師のシェーンベルクや盟友ウェーベルンと比べてもはるかにロマン的 … という以上にむせかえるような退廃的でナマナマしいはずなのにそれがあまりない舞台だったのだ。


いつもだったら、そういう在りようもあっていい、
新しい視点が与えられた舞台だ、
と考えることもする私だが
この台本のセリフや、ベルクの他の音楽を考えても
やっぱり何か食い足りなかった。


でも、矛盾するようだけど、上演そのものは最高に素晴らしいレベルだったのだ。
国際フェスティバルにふさわしい舞台。


それに「ヴォツェック」こそ(あとドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」)
が20世紀に書かれた最高のオペラ、
と多くの人が言うが、
まったくその通りだと、改めて強く感じさせられた。



しかし人が音楽を聴く、というのは簡単なようで難しい。
いや、本当は簡単なのだけどね。

私が多くを受け取りすぎて、(そうかな?)
色々考察しすぎるのだ、きっと。


他に聴いた方々はどう感じただろう?



私がサイトウ・キネン・フェスで一番感動した舞台、
作品の方向も演奏の水準も完全に一致して、圧倒的に素晴らしかったのは
プーランクの「ティレジアスの乳房」と「カルメル修道女の会話」の2つだと思っている。

あれはやっぱり小澤さん(とサイトウ・キネン・オーケストラ)向きだったから、ということだろうか?


あのプーランクの時は、
音そのもの「だけ」を磨けば磨くほど
作品そのものが光り輝く、といった感じだった。









...

音楽馬鹿への道 その1 - 2004年08月25日(水)




先日、とある人から
「みゅう太さんは小さい時から音楽馬鹿だったんですか?」
と質問された。


とても素朴な質問だったが
急に聞かれると答えに窮した。


う〜〜〜〜ん、そう考えると
私は決して小さい時からこんなでは(どんなじゃ?)なかった。


かと言ってやっぱ音楽は好きだった…(?)



転換点は高校2年の時だったのは確かなのだが
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん(><)




でもいい機会かも。

私も「私がいかに音楽馬鹿になったか。」というのを整理して思い返してみたいし、
そんなことを今日から少しずつ書いてみようと思います。


でも毎日書くのは大変だし、苦痛だし、
第一イッペンには思い出せない。


少しずつ、不定期で。




そもそも私のウチというのは
祖母も母もピアノの教師、という音楽的には甚だ恵まれた家庭で
小さい頃はおろか、母の胎内にいる時からピアノの音を聴いていた(筈)。


ピアノを習い始めたのは5歳から。

祖母のてほどきだった。


その頃のことはあまり覚えていないが
後で聞いた話によれば
かなり嬉々としてピアノをさわっていたそうだ。


名前はかなりの人が知っていると思うが
日本では(この「日本では」がかなり曲者である)未だに初心者の大半がこれから始めるドイツの「バイエル教則本」と、
あと思い出せないのだが、日本人の作った教則本を併用しながらレッスンがスタート。

弾くことにしても、楽譜を読むことにしても
飲み込みは早かったようだ。



そして早くも11月には発表会に出る。

曲は「五月に」という
ハ長調 … つまり白鍵だけで黒鍵がない、とても簡単な曲だ。


ソ・ミ・ド・レ〜、 ソ・ミ・ド・レ〜、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ファ …
みたいな感じの。(わかるでしょうか?)


先日「私はアガリ性で…」のようなことを書いたが、
私のうっすらとした記憶では
この時は舞台で弾く、ということがかなり嬉しくって
緊張どころか、気持ちよかった、ように思う。


ところでこれは子供ながら「暗譜」で弾いている。
楽譜は見ずに全部記憶して弾いている。


途中まで気持ちよく、調子よく弾いていたのに
最後の方でつっかかった。

思い出せなくなった。


で、私は何をしたか。



こともあろうに
「間違えちゃった〜!!」
と客席に向かって叫んだのだ。しかも照れながら。


もう一度弾きなおした。

ところがまた同じところでつっかかる。
叫ぶ。


「また間違えちゃった〜!!!」


会場騒然である。
舞台袖にいたお姉さんがたまらず楽譜を舞台に持ってきてくれ
無事、弾き終えた。


これは恥ずかしいことにレコードになって残っている。
モチロン私の叫び声とともに。


ウチの親たちは当時としてはすごい先進的だったなー、と思うのだが
まだカセットテープなどなく、オープンリール・テープしかない時代に
生徒たちの演奏を45回転のドーナツ・レコードに録音していたのだ。


考えてみると、私の緊張しいは
こんなあたりがトラウマになってるのかも。



こんな具合に私の音楽馬鹿への道のりが始まった。


先に書いたように不定期にこれを書いていこうと思っています。
お付き合いくださると嬉しいです。

そんなにドラマティックなことはおこらないと思うけど…




...

初めてのサファリパーク - 2004年08月23日(月)




オリンピックも盛り上がってるけど


高校野球! 甲子園!
マイハニーの出身である北海道勢が
初優勝。

私も驚きました。


でもマイハニー。
「なに?それはどこでやってるものなの? ふーん。へぇ〜。」って
甲子園なんて眼中にない様子。。。



ところで週末は初めてサファリパークに行ってきました。
「富士サファリパーク」。



私は免許は持ってるものの完全にペーパーで
車も持ってない。

実家にもない。

というワケで今まで遊びの活動範囲はごくごく限られていたのだが
マイハニーと結婚して彼女が車を持ってきてから
ググーンと広がった。


で、サファリパーク。



ただ東名高速の渋滞はある程度予想してたけど
サファリパークの中まで渋滞するとは思わなかった。(苦笑)


でも楽しかったですねー。
天気もよかったし。


猛獣から大型の草食動物まであんな近くで見れるなんて
やっぱ動物園とはワケが違う。



私が一番目をひいたのはライオンかな。

実家でネコを飼ってたせいか、猫科の動物はなんだか凛々しくみえる。


でもトラやチーターは暑さのせいか(夜行性のせい?)グーグー寝てて
車が近づくと頭をちょっとあげるくらいだったので(なめとんのか?)
どうとも思わなかったのだが
ライオンは、特にメスがのっしのっし歩いてて
時には車の前を悠然と横切ったり
パークのジャングルバスなる、30人くらい乗れる金網がはってあるバスに
エサをねだってじゃれてきたり
色々魅せてくれました。


いやいやカッコいい。 
顔つきといい、スタイルといい、大きさといい
百獣の王にふさわしい。


あとやっぱキリンかな。
(ライオン、キリンって私はお子様。。。)

でもキリンって子供の頃のイメージじゃ
恐竜くらいあったような気がするのだが(どんなじゃ?)
意外に小さかったな。


でもキレイだし、ゆったりしてるし、かわいいですね〜。
改めて感心。

ちょっと高いトコにエサがあれば、それはキリンさんの独壇場。
シカたちと一緒にエサを食べている様子を見て
「なるほどな〜、必要に応じて進化するわけなんだな〜。」とますます感心。


クマも可愛いといえば可愛いけど
なるほど近くで見ると、こりゃ戦ったらとても勝てないな。(当たり前だ)

猛獣なんだ、とナットク。



マイハニーも楽しんでました。
彼女が運転している関係上、
写真を撮るのは私の係だったのだけど
私の愛器の一眼レフではなく、慣れぬデジカメだったので
タイミングがあわないあわない。


怒られてばっかで、挙句変な写真ばっかで残念だったけど
富士山もよく見えたし、まあいいデートだったとするか(^^;)








...

山南総長のたそがれ - 2004年08月17日(火)




昨日書くのを忘れてしまったのですが

お盆休み中に10000ヒットを超えてました!!(^^)/


日記を書き始めてからおよそ1年半。
あっちゃこっちゃ話が飛ぶような
こんな独りよがりな文章に
延べ、とはいえ10000ものアクセスをいただいたこと、
本当に感謝です。

どうぞこれからもよろしくお願いしますね。




で、例によって話は飛ぶのですが(苦笑)

NHKの「新撰組」、いよいよ面白くなってきましたね。

芹沢鴨が死んだあたりから視聴率もグンとよくなったらしいけど
私に言わせれば最初から面白さは全く変わっていませんよ。
ざまあみろ、という感じっす。(← 何が?)


来週の放映でいよいよ山南敬介が切腹する。


私はこの「新撰組」が1月に始まって以来
私の好きな俳優、堺雅人さんが演じていることも手伝って
主役たちよりも、この山南さんが好きだった。
(あと永倉新八ね。)


誰よりも強く、熱いのに
それを秘めた冷静沈着さ。
そしてあの知性。

ああいう人でありたい、とよく思う。



ところでこないだ「坊っちゃん」につきまとう寂しさのことを書いて以来、
私にはどうしても最近の山南さんがオーバーラップしてならない。


山南さんも、近藤勇が江戸で道場をやっている時から
彼の人柄にひかれて集まった一人、
黒船来航以来混迷を極める日本をどうにかしたい、
と熱い情熱をもって集まった一人だったのに


今や「新撰組」が大きくなると
いつのまにか孤立した存在になった。


一人一人の個性が集まって組織が形成してきたハズなのに
「組織」が先にたって、「個」は主張しずらくなり
みんなが「組織」を維持するためのオキテにしばられビクビクして
武田歓柳斉(字あってるかな?)みたいな腰ぎんちゃく、
(八嶋さんがうまく演じてるよね。)とか
伊藤甲子太郎のような、実権をとってやろうと企む男も現れてきた。


人間関係が実に複雑に、難しくなってきた。


先週の放映で、山南さんの言動をとても丁寧に追っていたが
この黄昏に、私も身をつまされた。



私ごときを維新のまっただなかにあった山南さんと一緒にしてはいけないが
なんだかとっても気持ちがわかるというか。



私も就職したころは
みんな「いいアーティストといいコンサートを作りたい。」「お客さんがみんな笑顔でホールをでてくるようなコンサートが作りたい。」と考え
「ウチは一人一人みんな個性的で違った能力の持ち主なのだから、それぞれやりたいことを出し惜しみしないで、一生懸命やっていこう。」という職場の空気だった。

だから周囲の個性をむしろ楽しんで、お尻をおしてあげるような雰囲気があった。



今は違う。



足のひっぱりあい。
周囲が自分と違うことをイヤがり、違う人間は排斥され
社則にもない暗黙のルールのようなものが作られ
なんだか閉鎖的な「むら」のようになった。


新しい人間が入ってきても、
まっすぐな人間でも少々鈍い人間はすぐやめるハメになり
ズル賢い人間は残っていく。

大部分の人間が自分の保身に走るようになった。
会社もいかに儲けるか、だけを主体とした姿勢に走りつつある。



私はそれが不快でたまらない。

もちろん利益をあげてこその会社で
私もそこから給料をもらって生活をしている。


だから文句はいえない。いわない。



でも、さ。

私たちの扱っているのは「音楽」。
ナマ身の人間のから生まれる「音楽」。


もう少し考えないか?
電話の応対にしてももう少し明るく、誠意を持たないか?

人に対しての悪意ばかりがオフィスに増殖する。



それは見てるだけでも結構ツライのだ。




さて、今度の「新撰組」。


山南さんはそれでも
近藤さんや総司や源さんはもちろん
彼を苦々しく思う歳三からですら、根っこでは愛されていた。


だからなんだか余計にツライ。


でも山南さんは、
きっと切腹する時に未来に向けて何かを見せて、
聞かせてくれるにちがいないと思う。


三谷さんの脚本はきっと何かを用意しているし
堺さんも見事に演じてくれるに違いないと信じている。



私は見たい。その何かを。





...

お盆休みの北海道 - 2004年08月16日(月)



行って来ました北海道。



楽しかったです♪




4日ぶりにマイハニーと札幌駅で再会し、
早速市場へ。


海のにおいの中をぐるぐる歩きまわっていると
それ「タラバ美味いよ、毛ガニ最高、メロンも甘いよ!」
とおじさんおばさんのかけ声で試食の嵐。


これを皮切りに毎日食べ物、食べ物、また食べ物。


もう食べられなーい!!(><)


体からはみだしそうな状態。
まじ体重2〜3キロ増えたみたいだけど、すっかり満喫。

北海道の食べ物はホント最高。



マイハニー一族のお墓参りにも行き、
親戚一同に再会し
ジンギスカンを囲む。


彼女はとっても親戚が多く、
そして特に女性陣のパワーがものすごく、
また毒気(?)にあたってしまった。
でもすごく楽しいのですよね。



そして積丹半島の岬まで
私たち夫婦とマイハニーのお母さんとお姉ちゃんの4人でドライブ。


ここの海がいやー、エメラルド・ブルーの透明な海で
沖縄のような、
・・・いや沖縄とはまた違うな・・・こんな綺麗な海が北海道にあるとは知らなかった。
晴れ渡った青空の下、薄緑の草がそよぐ岬自体も素敵だし、
なんか感動。


またここでウニ丼を食べてしまいました。

子供の頃はウニなんて気持ち悪くて食べられなかったのに
いやいや海の育んだこの豊かな味ときたら。



今回は某H社のパッケージ・ツアーなみなハード・スケジュールになっちゃったけど、ホント楽しかった。
涼しかったしね。


小樽にもまた行った。
ここは私たちのデートの定番。


今年の北海道の夏は異常だ、と聞いてたけど
行ってみたら日に日に気温はさがり
最終日は秋のよう。




あ、そうそう
札幌で大学の友達一同と集まったんですよ。

というのは、
私は音大時代、ナゼカ北海道出身の友達が多かった。(たまたま)

で、札幌で中学校の教師をやっているS。
東京でフリーのピアノ伴奏をやっているNがたまたまこの時期里帰り(たまたま)。
私の親友でアメリカにいるO。
このO夫妻が私たち夫婦の出会いのきっかけになった人間なのだけど
このOの奥さんがまたたまたま北海道出身で、
2年ぶりの里帰りがまたまたこの時期に。(たまたま)

…と「たまたま「またまた」がいくつも重なって(笑)
みんなで札幌で会いました。


NとO夫妻なんて15年ぶりの再会。
みんな「こんなことになるなんてねぇ〜…」と
5時間喋りっぱなしであっという間。
こんなこともこの先あるんだろうか、ね。



それに「たまたま」の続き。


マイハニーはこの親友Oの奥さんと誕生日が同じ。

マイハニーの従姉妹で、私も仲良くしているんだけど
Oの奥さんの親友の女性が、ここに来た友人Nと誕生日が同じ。

そして、マイハニーの別の従姉妹のダンナさんと私の誕生日が同じ。


というのがすべてこの時判明して、みんなビックリ!





こうなるのはやっぱ運命だったんですかね(^^)




...

ひさびさの一人 - 2004年08月10日(火)




マイハニーが日曜から北海道の実家に帰っている。


あ!「実家に帰らせていただきます。」なんて事件が勃発したワケではありませんよ(汗)


結婚して、初めての里帰り。
お盆なのでね。


私も明日からおっかけて北海道に行くが
3日間一人になって「鬼の居ぬ間に…」なんて思っていたが(嘘)
寂しかった…


朝起きて横を見ると誰もいない…というのがこんなに寂しいものだとは思わなかった。

結婚するまではずっとそうだったのにね。



たった3ヶ月、されど3ヶ月。

いつのまにかすっかり夫婦になっているのだなあ、と嬉しいような。
面白い感慨。



ただ一昨日、昨日とひさびさにプールに行って
サブサブ泳ぎましたよ。


ひたすら泳いで、帰って昼寝、
という小学生のような生活。

こういう一人の時間も貴重かもな〜などと思いつつ
この気持ちよさで気を紛らわせてました。





というわけで明日から今週一杯北海道に行ってきます。


美味しいもの食べるぞ〜。

今むこうも随分暑いらしいけど、少しは涼しくなってくれよ。
北海道らしく。






...

ガマンできない親父 - 2004年08月06日(金)




ウチの親父が天然ボケで、
期せずして人を笑わすことばかりしてくれる、
という話は何度も書いたが、


つまるところ、彼はとっても「子供」ちゃん。


バカにしてるわけではなく(ちょっとはしてる?)
少年の心をもったまま大人になり
ついには定年を迎えてしまった、という
考えようによってはうらやましい人生。



ところで、今私も親父もドラマ「人間の証明」を夢中で見ているのだが
私は原作を知らないので、毎回必死に謎を追っている。



がしかーし、親父は違う。


第1話を見て、もうガマンができずに原作の小説を買って全部読んだそうだ。(><)


信じられん。
私には絶対できん。


そしてさらには、
私が実家に行くと
「あ、ところで『人間の証明』なんだけど、それはな〜」とバラそうとする。

私は「言ったらぶっ殺す!」とマジな抵抗をするが、
それでも口がムズムズしている。



それからこないだ終わったが
昼間に故・野沢尚さんの脚本、松嶋奈々子と竹之内豊が主演した「氷の世界」の2話までを見た段階で
もう最終話のビデオを借りにTSUTAYAにすっ飛んでいったそうだ。



もう、なんとも言えん…



母の話によれば
推理小説なんかもっての外で、(好きらしいのだが)
読み始めたら、ガマンできずに即最後の部分を読むそうだ。



うーむ。
父よ、やっぱり私は情けないぞ…



...

坊ちゃん - 2004年08月05日(木)




いや〜暑い。
少し涼しくなったかな?
と思いきやまた日差しがすごくなってきた。
あ〜あ、早く休みにならないかなぁ。



ところで今、10数年ぶりに夏目漱石の「坊ちゃん」を読んでいる。


なつかしい。。。
別に理由はないのだが、なぜか読みたくなったのだ。



しかしこうして読み直してみると
中学生の頃は「痛快!痛快!」と単純に楽しんでいただけだったが
今は「あれ? 妙にリアル。」と感じる。


なにがリアルかって
坊ちゃんが松山に中学校に赴任してからの、ある「きゅうくつ」さ。

職員室しかり、街の周りの人しかり。


儀礼的、表面的なものにしばられた
「村」的な閉鎖的な奇妙な社会。



まだ読みかけだが、もう結末は知っている。

皆さんも知っての通り、
坊ちゃんは仲間の山嵐とともに
教頭の赤シャツらの不条理をこらしめて終わるのだが
考えてみれば、彼らは学校をやめ、
赤シャツらは残る。


その後なにも変わりはしないじゃないか。



なんとも寂しく、やるせない気が残る。



私なんかも、今のこの職場環境で
いくら正論を主張しようとも
マイペースで信念を貫こうとしてみても
何も変わりはしないのか?



なんだか悲しい。



でもね、こうして書きながら思う。

勝てなくても、決して負けないようにしようと。








...

ひと安心です・・・ - 2004年08月02日(月)




先日の日記に書いたピアノの本番がやっと終わりました。

いや〜、開放感!!(^^)


上手くいった、とはいつもの如く言い難いし、
例のアガリ性はまったく期待を裏切らず発動してくれるし
大変だったのだけど、
いつもに比べれば、良いピアノが弾けたようだ。


音が込み入って早い部分でどうしても微妙にコントロールが効かなくなって
つっかかったり、全然違う音をひっかけてしまったり
そういうことは多かったのだが
後で録音を聴いてみたら、流れは悪くない。


「田園」ソナタらしい雰囲気はかなりでていたので
(あ、書きませんでしたが、弾いたのはベートーヴェンのソナタ第15番「田園」です。)
意外だった(?)がホッとした。


もっともマイハニーは聴きながら私以上に緊張したようで
「あーあ、つっかかりさえしなかったら結構良さげだったのにー!
これで満足したらダメだ。」
とダメ出しがありました。


しかしまったくもってゴモットモ。
肝に銘じます。




ところでまったく次元の違う話になるが
9月からN響の音楽監督に就任するウラディーミル・アシュケナージが、就任前の先月、
N響を率いてヨーロッパ公演をしたのだが、
昨日、「N響アワー」でそのライブがオンエアされた。

場所はベルギーはブルージュでのコンサート。


曲はショスタコーヴィチの交響曲第5番だったのだが
素晴らしく良かった。


N響は昨年、7年にわたって音楽監督を務めたシャルル・デュトワがその任を離れ、
私は彼の存在の大きさ、
彼の任期中のオーケストラの目覚しい飛躍ぶりをまざまざと体験していたので、
その後はどうなるだろうか?
と心配で仕方がない。


たとえ、アシュケナージという当代最高のピアニストであり音楽家であろうとも。


アシュケナージ演奏する音楽の素晴らしさは知っていながら、
今まで彼が率いてきた、ロイヤル・フィルとかフィルハーモニア管弦楽団とか
チェコ・フィルなんかを聴いてきて、
演奏そのもの、というより、
オーケストラを統率する技術、トレーニングする力などに
大丈夫だろうか? とどうしても不安がある。

せっかくここまで向上したN響の力が落ちはしないか?
と思ったりする。



私は学生時代からN響を聴いてきて、
彼らに日本の音楽界をひっぱる良い演奏で
これからも色々な音楽を聞かせてほしいですからね、

まあ、ファン心理である。



で、昨日のオンエア。

素晴らしかった!



これから付き合っていく両者の
初めてのヨーロッパ・ツアーであるとか
今のオーケストラの良い状態とか
色々な条件がいい緊張感を生んでいるのだろうけど

それにしても切実で熱い思いがこもっていて
それをしっかりとした音に形作っていく、それも決してナマなかたちでなく
という「演奏行為」の基本的で理想的なありようが
高い次元で行われていき
そのプロセスが結果的にショスタコーヴィチの精神の軌跡を、この上なくはっきりと
リアルに響かせていたと思う。


本当に感動的だった。
プロの技である。



こういう関係でコンサートが続いていければ
アシュケナージ&N響、期待できそうだ♪




私もね、たとえ緊張しいで、
一流の足元にも及ばない演奏しかできなくとも(当たり前だが)
そんな「演奏」の理想的なありようだけはいつも目指していようと思うのだ。





...




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