ひぽこんコラム

2016年08月16日(火)

豊かな人生、というものの私は対極を生きているのだな、としみじみ思う。朝、フェイスブックなど覗いていると、今日はビーガン料理のケータリングをいただきました、とか、友人の〜〜氏が我が家を訪問してきて、みなでパーティーしましたとか。

 そんなこう、綺麗な、華々しさからかけ離れてるなぁ、自分。

 ただただ労働して疲れて寝る。

 それでも得られるのは生きるか死ぬかのギリギリのお金だけ。

 もう50才も過ぎてるのに!

 昨夜は頭の中が、もう死ね、もういいだろう、もう死ねと何度も言うから、楽に死ねる方法というサイトを色々見てしまった。

 楽に死ねるというサイトを作っておきながら、命の電話とか、そういうのをたくさん書いてあるんだなぁ、自殺サイトって。。。と思った。

 とりあえず結局、ラクなのはないと分かり、お相撲の漫画を読んで、しばらくじたばたして、気づいたら寝てた。

 3時間ぐらいはウトウトした。。。

 何かしら小さな希望があればなぁと望む。でも、今の社会で小さな希望なんて、それ自体が贅沢なのかも。

 希望も夢もないままに夢遊病のように働いて生きるしか、ほとんどの人には許されないのかもしれない。

 私のフェイスブックに登場するのは、ごくごく一部の恵まれた人だと思い込もう。

 追記:その後、たごちゃんとツイッターでこっそり話し合い、だましだまし、なんとか。。。ということで話がまとまった(?)。だましだまし、だ。何も希望なぞ欠片もないけど、だましだまし、で。

 

2016年08月09日(火)

 昨日は子供が学校に行かなくなっちゃってるお母さん、に会った。友達だ。

 普段私は一人だから、子供のことは分からない。

 だから自分の子供時代を思い出しながら話したけど、子ども時代のことを思い出すと、子供ながらに色々考えていて自我はちゃんとあったわけだから、親がああしてほしいこうしてほしいと思っても子供はその通りにはならないわけで、子育てって本当に大変だなぁと思った。

 私の貧乏悩みも大変だけど、子供の悩みも大変だなとつくづく思った。

 子どもを学校に行かせるために?

 親がもっと家を居心地悪くさせたらいいんじゃない?とか。

 親がいっそ病気にでもなったら自立するわよ、とか(なんて乱暴な!)。

 色々意見や助言はあるだろうけど、果たしてそれがその子どもにとって合うのかどうかなんて誰にも分からない。

 子どもはそれぞれが違うから。

 正解はない。

 それに、正解って一体何だろう?

 だいたい考えてみると、うちのオカンなぞ、子供時代、家が貧乏すぎたし、田舎すぎたし、戦争だったしで、小学校からほとんど学校に行ってなかった。それで中学卒業の年になって、日本橋に日本料理店に奉公に出されちゃった。

 しばらく働いていて、私が前に住んでいた冥界近所の永福町あたりにもよく来ていたらしい。

 でも、奉公先のおかみさんがいい人で「何か手に職をつけなさい」と熱海のマッサージ屋さんを紹介してくれて、そこに住み込みで入って、マッサージ学校に行かせてもらった。そこで学んで、視覚を取って、75過ぎた今もちょぼちょぼ働いている。マッサージ師で。

 昔の人はそうやって、小学校もろくに出てない、なんてのはけっこうザラで、珍しくもなかった。

 昔と今は違うのよ、というけど、大学出たって就職したって、リストラされて引きこもり、なう、な時代だ、今は。

 学校行けないなら行かなくてもいいと思う。

 ただ、せっかくの子ども時代。。。友達とワイワイ楽しく過ごした時間、その思い出、それを持てないのは切ないなぁと思う。

 ワイワイしなくても、誰か一人でも、たとえその相手が一生の友達にならなくても、その数年を共に過ごす、誰か一人がその子にいてくれたらいいなぁと願う。

 あと、その子が、学校にいるとだんだん息苦しくなってきちゃうと言ってると聞いて、ああ、私もそうだったし、今もそうだなと思うから、息苦しくなっても平気だよ、とその子にいつか機会があったら言ってあげたい。息苦しくなったら、その瞬間だけどこかに逃げて、またいつでも戻ってきていいんだよって言ってあげたい。

 息苦しくなることを恐れないで。息苦しくなることがあたりまえで、息苦しくなってる!!と宣言して、治ったら、ああ、治った!と宣言して。堂々と息苦しくなっていいんだと言ってあげたい。

 息苦しくて、みんなと合せるの苦手で、そんなんであたりまえで、それを堂々言って、堂々胸張って生きてほしい。

 だから、本当は私はその子に学校に行ってほしいなぁ。と願う。

 堂々としていいんだもん。自信を持って。

 その子が学校という場から逃げる必要なんてなくて、その子こそ、堂々と学校にいてほしいなぁと思う。

 そして息苦しくなっちゃう子がいるんだって知ることは、周りの子にとっても、すごくいいことなんだと思うけどな。

 私はずっと息苦しくなる!!と宣言しまくって生きて、今に至ってる。

 れい子さんのところで働いてるときもそうだったけど、今も店に行くと今日はどこどこが悪い、と宣言してから働いてるもん。

 堂々病人!

 堂々ダメダメ!

 その子には自信を持ってもらいたい。大丈夫だ。大丈夫。ぜったいに大丈夫。

 

2016年08月07日(日)

 さっき、急にオセンベがどうしても食べたくなり、近所のOKストアまでチャリを走らせてるとき、ふいに「バカは休まず言え」という言葉が浮かんだ。

 バカも休み休み言え。。。というのの逆。

 バカは休まず言わなくてはいけない。

 でも、ふと、さらに考えると、バカ言い続けてる男は面白がられるのに、バカ言い続けてる女は気味悪がられる。てか、痛い〜とか言われる。

 みうらじゅんが女だったら、どうだろう?

 あそこまで面白がってもらえるだろうか?

 なんか腑に落ちない気持ちになった。

 しかし、OKストアで買ってきた9枚入りの「うまい煎餅」というのは本当にうまくて、良かった。280円だ。

 人生で好きなものの順番を挙げろ、と言われたら、煎餅は間違いなくトップ5入り。

 相撲を見ながら、煎餅を食べ、けっこういい緑茶を飲んでいたら幸せかもしれない。ここはあまりケチらず、緑茶だけはちょっといいのを飲むのが大切だ。。。と言いながら、Amazonで300グラムも入ってて800円の緑茶を買ったところだけど。

 まだ詳細がわからないけど、杉並区で、久我山で、爆発事件が起こったみたいだ。あまりに身近で、どうしたもんだろうと思っている。

 

2016年08月06日(土)

ウツでウツでウツで、店でまた失敗しては怒られて、トイレで泣いたりしてて、んで、もう死にたくて、渋谷駅で飛び込もうと思ってた。もう限界だって思ってた。

 でも、今夜は辻仁成のライヴに行くことになってて、渋谷駅はものすごい人で人ごみに流されてそのままクアトロまでたどり着けた。

 そしたら、すんごい良かった。すんごい良かった。

 ビックリした。

 正直、辻仁成は音楽的素養みたいのでいったら、雑草だ。なんか、才能はあんまないかも。失礼ながら。

 その点ではこのあいだ見たパンチ・ブラザーズみたいのの真逆。パンチはもう天才で、スキいるところないというか。とにかく天才で完璧で、正直、私は、ああ、すごいねぇで終わってしまった。

 でも、辻仁成はあんまうまくない歌で、大声はりあげて、歌う。歌う。言葉の人だから、叫んだり、語ったり、色々する。

 ああ、この人、やっぱり作家だなぁと思った。一言一言、言葉にすごい力がある。

 それで即興なのか、死にたい人へって歌った。

 それがもう、泣いた泣いた。

 明日への希望を持つことは恥ずかしいことじゃない〜〜〜!って叫んで。

 号泣した。。。

 そうか。生きようと思う力があった。

 君は君だ。僕は僕。って、それぞれがそれぞれに生きろって歌った。

 いちいちがすごく染みた。

 ああ、私はこういう雑草の音楽が好きだと思った。ギターがギュんぎゅんうねって、キーボードの太った人が繰り出す音がはねてた。すごい元気で楽しげだった。ミュージシャンたちはすごい才能ある。

 辻さんはみんなに愛されてて、盛り立ててもらってる。

 いや、逆かな。辻さんのパワーに、ミュージシャンたちがすごい張り切ってた。

 だから、すごい音楽の力にあふれた、すごい、すばらしいライヴだった。

 ふと、斜め前にいたオジさんが、ものすごくいい笑顔でずっと笑顔で見てた。その笑顔に「いろんな人生がある」って書いてあるようで、また泣けた。

 オジさんの人生もきっといろんなことがあるけど、今この瞬間は笑顔なんだねって。

 辻さん、ありがとう。生きようと思わせてくれて。音楽を好きだってまた思わせてくれて。

 すごく助けられた。

 音楽があってよかった。

2016年08月02日(火) 毒蝮三太夫さま

今日は朝から近所の風呂屋へ!

 朝風呂っすか? 日に日に婆さん的になってますね?

 って、ちゃうわっ!

 近所の風呂屋に、なんと! TBSラジオ 毒蝮三太夫のミュージック・プレゼンツの中継があるというので、いそいそ行って来たのだ!

 蝮ちゃん!

 大好き!

 大好き!

 ここ数日、選挙の後遺症でめそめそ泣いてばかりいたので、気分を変えたい! と、朝、疲れてたけど、チャリでゴー!!

 で。着くと、まだ早かったのか、人が5〜6人しかいない。えっ? 大丈夫か、まむちゃん。。。。と思っていたら続々人が来て、どんどん狭い風呂屋(男湯の方)は人でぎっしり。

 椅子は少ししかなくて、その最前列はおねえさま方優先だったんだけど、早く来てた私は偶然隣になったおねえさま(85才)と仲良くなっていたので、そのまま最前列にチェックイン!

 そしてまむちゃん、登場〜〜〜〜!

 うひゃああああああああああああああああああ!

 うひゃああああああああああああああああああああああ!

 本当に目の前!

 すごいテンションで、とても80才とは思えない。

 ありゃ、うちの師匠と同じ年だわっ!

 色々な人をいじり倒し、罵倒しまくり、「くそばばあ」、「二度と来るな」と連呼。自称ジャズピアニストの男性には「やきとりやのおやじみたいな顔しやがって!」と叫んで一蹴。

 色々インタビューしまくりで、急になんと私には「夏休みどっか行くの?」っていう。えっ?とこういうとき何も気の効いたこと言えなくて「じ、実家です」「どこ?」「沼津です」なんてフツーに答えてしまった。

 が。まむちゃんが「沼津、いいとこだね〜〜〜。日本海だねええ」とボケてくれる。。。

 80才。常にボケまくり。常に罵倒しまくり。ものすごいハイテンションでウィークデー毎朝。

 こ、この人、すごすぎる。すごすぎるっ。

 最後の方はもう感動すぎて、見てるだけで涙目になりそう。

 しかも、番組終わってからも1時間ぐらい延々話してくれるんだよ!!

 毎回これ、やってるらしい。ただ、来て、はい、終わりじゃ、そんなのイヤだよって言うてた。。。。す、すごい!!!

 今日は都知事選の話や、障がい者施設のこと、長崎の原爆のことと、相変わらず社会派。

 私が仲良くなったおねえさまが西荻で空襲に遭ったということも話したり。このあたりも空襲あったんですよ、中島飛行機ってのがあったからねぇなどとおねえさまと語り合うまむちゃん。。。

 まむちゃんのすごいのは、いつも、戦争のことを、つい昨日のことのように話すことだ。常に忘れない。絶対に。

 まむちゃん、自分にも都知事になれとか話が何度もきてることを言ってた。でもヤダよ、オレは無理だよぉと言ってた。

 まむちゃんなら、100%当選だよ〜〜〜。もったいない〜〜〜と思って、よだれでそうになった私。。。。ええ、まむちゃん選対なら、もう、死ぬ気で応援しちゃうのに!

 あああ。今日は最高にいい日になった。まむちゃんに会ったから。そしてお風呂屋で仲良しになったおねえさまと、またここで(風呂)会いましょうね、と約束して帰ってきた。

 まむちゃん、ピンクが似合ってた。色気ある。80才でも。素敵すぎ。大好きすぎ。

 すぎ。すぎ。すぎ。

 


(こんな至近距離で1時間お話うかがいました)

2016年08月01日(月)

選挙が終わった。疲れた。

 今回は体調悪いから何もしないつもりが、選挙事務所に行って電話かけしたり、チラシをまた撒いたり。。。最後の晩には一人で600枚もチラシを近所の家家に汗みどろになって撒いたりした。

 また頑張ってしまった。。。

 野党は共闘!

 民主主義って何だ、これだ!

 シールズの安保法案反対の抗議行動で叫ばれたこの言葉。これが実現された(はずだった)選挙だった。

 野党は共闘は参院選から始まり、地方では鹿児島の知事が野党は共闘から誕生した。

 東京都だって、そうなれるはずだった。

 候補は突貫工事だっただけど、誰でもいいわけじゃなく、この人を、この人をと選んでいく中で、ずっと推薦されていたけど、ご本人が気持ちを決めるまで時間もかかった鳥越さんに最終的に決まって、最初はそりゃ政策もなくて、あわわ。。。。だったけど、「僕じゃジャーナリストだから人の声を聞く」という言葉通りに、支援者があげた声が本当に政策に1個ずつなっていった。こんな候補者は初めてだった。

 誰かが書いていたけど、

 シールズの抗議行動で叫ばれたコール

 言うこと聞かせる番だオレたちが!

 が、本当に実践されていた。

 私たちが望んだものが形になりつつあった。

 でも大方の都民〜〜〜石原を都知事に選び続けた都民、そして驚いたことに、あのときいっしょにコールしてたはずのリベラルの人たちまでもが「押し付けられた候補はイヤだ」とそっぽを向いてしまい。

 負けた。ぜんぜん、また、負けた。

 民主主義ってなんだ?

 民主主義って難しい。

 みんなが望んでたはずのことやってたはずなのに。

 それは押し付けられたものっていう。

 まるでそれ、憲法について言われるのに似てるかもな。それはおしつけられた憲法だからいらないって。。。

 違うのに。私たちが選んだ、私たちが望んだものなのに。

 どうしてリベラルは一つになれないんだろう?

 「次の選挙がある」って誰かが浮かれて書いていたけど、私にはもうない気がしてる。こんな今みたいに金銭的にも精神的にも追い詰められた状態であと4年、生きる自信はない。

 最近は体調がすごく悪くて、一応病院に行くつもりでいるけど、もしかしてこれのガンかもしれないなぁと漠然と思ってる。思ってるけど、昔みたいにぎゃあああああとならない。それで死ねるなら、それがいいと思う。

 アメリカの大統領選挙はサンダースの演説が素晴らしかった。ああいう政治家が欲しい。

 市民運動と政治の間に何か巨大な穴でもあいてるのか、日本?

 ツイッターにも書いたけど、チラシを家々にポスティングしてるとき、色々な一戸建てに家族の声や気配があり、ああ、私は何をしてるんだ? 何をしてきたんだろう?と絶望的な気持ちになった。50も過ぎてひとりぼっちで、人が外階段歩くだけで家が揺れるようなおんぼろアパートに住んで、お金も仕事もなくて、精神的にずたぼろで、安定剤ばかり飲んでて(結局止められないどころか、増えています)、本当に情けないと思った。

 でも、そう思ったからこそ、このチラシを全部撒ききろうと思った。がんばって1票でも増やそうと思った。もう、後はないからって。

 でも逆転勝利はなかった。

 心はみんなバラバラのまま。

 この選挙で終わるわけじゃないからぁと呑気にツイッターに書いてた人を私は恨む。恨むよ。私には終わりだと思うから。

 そして、いつまでもいつまでも、現状認識ができなくて、小池だろう〜〜なんていってる無恥な人たち、そして何より選挙に行かなかったとか言って笑ってる無責任このうえない人たちのこと、心から恨むよ。恨む。私は恨む。間違ってるとしても、恨む。心底、軽蔑する。

 
ひとつ前のコラムへ コラムもくじ つぎのコラムへ ひぽこんトップへ 和田にメール