sasakiの日記
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一晩中雷はなり続け、何処か遠くに行ったのかと思ったら、僕の窓から見える北の空にどっしりと重みのある雲が南に流れて行く。 あれが今夜の番待ちの雷雲。 寒いよ。思うに任せないもんだということは知ってるけど、天気が、気に入らない。 昨日途中でやめた日記の続き。 読み返さないからどこまで書いたかわからなくなったけど、進めよう。
二年前の毛用(岩見沢の向こう美流渡方面)から札幌まで伴と走って以来、きつい坂を登ると見過ごすことが多いだろうと思われるりびあんが左手に。今年は夏草が力の限り伸び、日本文学若者編と言った感じで店がある。店といっても普段は営業していないという。 ライブをやる時だけ開けるらしい。 いろんな流儀で人が生き、いろんな流儀で人は付き合って、いろいろな知己を持ち、知らない人も何時の間にか中に入り、しばし音楽を広げる。 文字通り、床に布団を敷くように音楽を広げ、寝床のように敷き詰めて行く。 いろんな方法がある。 好きのものを選べばいいんだよ。 あとは、そこにその音楽がフィットするかどうかだけかなあ。 アンコールまでいれて終わったのが9時過ぎだった。 休憩をいれて3時間ちょっと、ロケットより長くやってしまった。 ロケットとやるとロケットが持ってる清潔感とこっちの幾分どろっとしたものとがハウリング起こすのじゃないかと、いつの心配はしている。 虫が外で鳴き、夜が窓の外で更けて行く隣近所住宅街というのはこれで中々メルヘンだった。 今、思ってることは、もう一度あの坂を力の限り駆け上がること。 宮崎駿の世界だね。 そうか、どこかと似てると思っていたのは神戸だ。 神戸暮らしたことないけど。
マグリットの石みたいな雲が人家の前に浮かんでる。 邪魔だから何処かに行きなさい。雷はもういらないから。
おわり
2013年08月27日(火) |
これが見事にきつい上り坂 |
去年、8月りびあんでロケットのライブがあった。 うちから行くと9条通りを右に曲がって石山通りに出て5キロくらいペダルを漕ぐと藻岩観光道路という青看板が出てくる、そこを右にくねっていくと観光道路入り口に出る、さらに右に曲がると山に登る。自転車を一所懸命漕いで登って行く。 夏の暑いさなか急勾配を登って行く。 一度自転車で登って見たいと思っていて、都合のいいことにその観光道路の途中でロケットがライブやってるというので登って行った。 トールに田畑さんを紹介してもらって、コーヒーをご馳走になる。 良かったらライブやりませんか?と言われ、一年後にやることになった。 今年の八月にりびあんでライブがあった。 前の日に田畑さんからメールがあり、明日は盛り上がりそうな気がしますと書いてあった。 ギター積んで車で藻岩観光道路を登っていくと結構な登り坂だった。 今年の僕の自転車生活ではこの坂は登れないというのが、運転席での感想だった。 一度だけの訪問だったのではっきりとは場所を特定でない、おおよその見当で登ってゆく。 今どこかで雷が落ちた、それも相当近所で。パラパラ、どっカーンと乾いたやつ。 近所で落ちるのはカラカラに乾いた雷。 窓開けて、蛍光灯つけてこれを打ってるるのだけど怖いから休憩。
桑原、桑原。
2013年08月21日(水) |
佐藤さんのリクエスト |
田川さんと岡田さんのライブ見に行って来た。 岡田さんとはヤマハ時代からの知り合いで随分長い付き合いになる。一度どういうライブをやってるのか見てみたいなと思ってたところ、今年の冬にひょんなことから札幌のライブが決まり、それではということで観に行ってきた。 田川律さんとは面識がなく、一応ニューミュージックマガジンという音楽雑誌を編集評論をやっていた方で、もういろいろな意味で大先輩、初対面苦手な身としては中々対面しづらいところ。 田川さん79歳、岡田さん58歳、どうして一緒にバンドやろうと思ったのは聞き損なったけど相当変な組み合わせだろう。 田川さんは古今亭志ん生みたいにふにゃふにゃで歌を歌っていく。このフニャフニャ感は長いこと音楽をやってきた人が最終的に辿りついたフニャフニャ感じゃなく、何か落語みたいなふにゃふにゃなのだ。二人とも元は大阪の人なんだけど、長いこと東京で暮らしていて江戸前になってるんだけど、ベースのところがどっしりとした大阪、好きな音楽も70年近辺、エリアも関西。 ふと、自分が若い時に大阪で暮らしていたら、どんな音楽を今選んで歌ってるんだろう?東京に残っていたらどの部分を歌ってるんだろう?と考えていた。 僕は北海道に帰ってきて、今の歌を歌ってる。 多分、この街にいなかったらどの曲もできていなかっただろうと大袈裟なことまで考えていた。人の気力や行動を年齢で推し量るのはあんまり意味がないということを、少し年齢を重ねないとわからないというのは少し悔しいんだけど、それでもまだ余地はある。魂がどこにあるのか今もってわからないけど、結局はそのわからないものに向かって歌うことくらいは義理でもやらなければいけないなあ、と思った。 田川さんと岡田さんのライブを見ていて、そういった雑念が頭を駆け巡る。
お盆も終わり、今日は何日だっけ? 切ない歌は切なくならず、オールドルンバになりそうだ。 どうして今の時代にルンバがはやらないんだろう? ルンバに魂感じたことないけど、それでも入れられるものならいれてみたい。
佐藤さんがもっと猫のことを書いてくれと言ってた。 スポ太郎の時は闘病日記みたいになってしまったからね。 松のことはそんなに書くことがない。 毎日ご飯があたり、トイレも人に綺麗にしてもらい、皿を洗ってもらい、退屈だといえば外に連れ出され、時々毛を梳いてもらい、骨が砕けそうなくらい抱きしめてやり、明日の不安も多分ないだろう毎日のだらけた暮らし、出来るだけ驚かさないようにとひっそりと息をし、何かの拍子に踏んづけないようにと気を使い、死んだらどこに埋めようかまで考えている。それでも日記に書くような波乱万丈の人生を松が望んでいるのなら、何処かに捨ててくる。 今、カリカリとご飯を食っている。 カリカリという音はとてもいい音だ。 さみしいといえば寂しい音なんだけど、元気だという消息が伝わってくる。
18:01分。 夏の終わる雲が出た。 残暑見舞い申し上げます。
2013年08月09日(金) |
400×28×2+600 |
曇天 どんてん ドンテン 曇り空 朝は寒くて窓を閉めた。 藻岩の登り口迄行って帰ってくる。しばらく、本当にしばらく藻岩登っていない。 それではと思い、どんな様子かと見に行っただけで、登らず帰ってきた。 冬用、夏用と買ったトレッキングシューズは少し泥をかぶってコンバースの脇に鎮座されたまま。かわいそうに。 僕の家から西友、おおい動物病院あたりまでは下り坂が続き自転車を出して豊平川に行くには快適なんだけど、帰り道が土壇場で登る坂が始まるか。贅沢を云うつもりはないけど、最初も最後も平べったい道を淡々と走りたい。それと、自転車が増えて、いろいろと自転車の交通法規が変わってから自転車が楽しくなくなってきたような気がする。以前、50ccに乗ってた時もヘルメットの着用とか変わってから、突然楽しくなくなった様に、ああせい、こうせいといわれると何かしたゲナリとするものがある。自転車人口が増えたからと文句を言ってる訳じゃない。人は均等に楽しく生きる権利はあるのだけれど、やっぱり増えてくると、もういいかと思うようになる。 山に戻ろうかな?
「もう、八月も10日になんなんとしているのだけど、我々はいつスタジオに入るのだろうか?借金の督促みたいで済まんけど、好い加減にしないと私も相当世間に顔向けできん状況になってきてるんだけど、どうよ?」 「じぇ、じぇ、じぇー、年を越すことはないと思います。あと少しでGoですから。」 じぇ、じぇ、とGoが怪しい。近所にじぇ、じぇを使うやつがいるとは思わなかった。 私も冬に重いCDを持って行商に行きたくないので、何とかよろしく頼むと海賊と呼ばれた男鐡造状態なのだった。 9月14日のセプテンバー バレンタインコンサートには持っていけない。 改めてCD発売イベントをきっちりとやらせてもらいます。
前回の日記では昔の日記を読んで日々反省をしていると書いた。 タイトルになってる分量位を平気で書いていた。 大体4時間くらいかけて書いていたような気がする。 そんなにこれに時間を使ってもいいのか?と云うくらい時間がかかった。今だって、そんなにサラサラと書いてるわけじゃないけど、それにしても以前はすごかった。 この文章がいつまでここに残っているのか知らないけど、もしなくなるとしたら自分の意思は関係あるんだろうか?とか、どうやって消去するんだろうかとか色々疑問、問題は残ると思うんだけど、とにかく前の分、そして今書いて積み重なってる分は今日も残っているから、まあ、残るんだろうな。 CDが出るのを機会に「koyoteとUFO」というブログを立ち上げようか?という話もあるんだけど、さて、どうなることか?
2002年1月18日の日記にspo太郎のことを書いている。
話は変わるけど、家の空振り猫はますます、空振りに拍車がかかってきている。この間も寝起きに首の後ろを掻こうとしていた。でもどう見ても首には届いていない、かといって空振りしていることに気付いてようにも見えず、其れなりにイッテる気配はある。気の毒なので側に寄って、そうっと指で首の後ろを掻いてやると実感があるらしく、そこはかとなく喜んで首を持ち上げる。そして掻いているらしい足を見ていると、こっちの指に動きがシンクロしていて、試しにと、高速で指を動かしてやると明らかに高速で空振りしている。ゆっくりに戻ると空振りのスピードも落ちる。呆けているようには金輪際見えないので安心はしているが、せめて気付けよな。後ろで忍んで笑っているやつが居ることくらいは。 いろんな人に見せたいなあ。
松はこれをやらない。
切ない唄を書いている。言葉は切ないんだけど、音符がそこにいかない。 まだ肝心なものが落ちて来てないんだろう。 もう次に行こう。
おわり
まだ、大学がロックアウトされたままで、いつ授業が始まるかわからなかった頃、毎日、大学の入り口にある掲示板の前で、授業の休講だけを確認するだけが日課だった。 ヒマを持て余す生活が続いていた。 今着ているそのダサい服装のまま、ほとんど変わることなく先生になるんだろうと思われる若者達で学内は賑わっている。 古い建物に澱んだ若い幽霊達。 辞めるなら早い方がいいに決まっている。問題は勇気だ。 筒井康隆とドストエフスキーのどっぷりはまっていた。 スラップスティックと生意気のど真ん中で僕は学生生活を送っていて、周りの人間が無神経に見えて適度に苛つき、どうにも生ぬるく感じる空気を何とか撹拌しようとゆったりと増長していく。
あんまり日記読み返さないから何を書いてるのか時々わからなくなる。 「雨風景・パート2」とタイトルになってる。 2002年1月28日となってるから日記始めてそれなりにはまって書いていた頃だと思う。 文章が残るのは相当きまり悪いし、恥ずかしい。 決まり悪く恥ずかしいものをなんでこんなに長いことを延々と、それも埒もないことを延々と書き続けるのだろうね? 2002年、8月までの分をコピーしてもらったものが今手元にあり、それを読んでいる。2センチ弱あるだろうか、厚さが。今回の引越しでも勝ち残った。 全部きちんとパソコンの中じゃなく、紙に印刷したものを積み上げたらどれだけの高さがあるんだろう? 偉いなあ。 毎週毎週、きちんとパソコンに向かって(今はほとんどiPadだけど)人生に役に立たないことを書き続ける。生きていくのにも多分そんなに役には立たないだろうことを。 最初の頃はこの日記の意味がよくわからなくて、たくさんの固有名詞や、個人の名前や、特定できる人達了解も取らないまま出してしまって、面白いことは相当面白いかなあ。個人情報保護とかくだらないと思うんだけど、 やっぱり、そういうことをきちんと区分けしないと迷惑がかかることがたくさんある、とわかってしまうとおいそれとはかけなくなるものだ。 厄介な時代になっている。 みんなが無駄に気を使って、その分だけ人が楽になったかと言うとそんなことはなく、人はますます傷つくみたいだ。
しばらく、自分の日記を読み返すことにしよう。 書きっぱなしのところがあったらきちんとオチをつけて、行きすぎだろうと思われるところがあったら、丁寧に謝って、あああ!そんなことする訳はない。 かっこいい文章の研究所でも作ろう。
札幌今日は30度行ったかもしれない。 カラスが林で騒いでいて、喫茶店のスピーカーからは知らないジャズボーカルが流れている。カラスがカアーカア、ボーカルがアイ シンクーーー オブーーーゆうう🎵 なんか言ってる。いい昼下がりだ。
僕はこれからストリングスがあるコンサートに行ってくる。 9月14日の6曲が候補決定する。
おわり
今日は一日中、「りんご追分」を歌って終了。 りんごのーー はなびいいらがあああああーーー かーーーぜええにいいいいーー ちいったーーーああよなあああーーーーん🎵 息継ぎで死にそうになるほど音を伸ばすと 幸せになる。
キーはEm エエエエエエーーーーッ、エエエエエエエエーーーーーーーーが難しい。
おわり
声が嗄れるほど歌うのもどうなんだろう?
おわり
sasaki
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