sasakiの日記
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覚える作業の毎日が続いていて、数が多いと大変だ。鈴木、山木、佐々木がかたまって始めたのが28年前だということだから、ハンパじゃない年数。 もう、年のことはどうでも良くって、ただ、音楽のことだけで他はあんまり意識の中にはなくなって来ている。 昨日、サイモンとガーファンクルの昔のテレビドキュメントを見ていて、世の中はなんにも変わっていなくって、変わったと感じる自分がいて、自分の周りにただ上昇する気分があるかないかだけで、時間は記憶の積み重ねだけで出来ていて、ほんの少しの不自由感が満ち満ちているだけなのだ、と感じさせてくれる映像だった。歌のことを語っている所があり、「歌は歌なんだ」と言ってて、前後の脈絡を省くとどうということがないんだけど、面倒だから書かないけど腑に落ちた。 原発は 結局全部溶けていて、疑問は2ヶ月も経ってからはっきりした。 今にして思えばあの時こんな発表があったら、右往左往の大パニックになったことは間違いなく、なんだか混乱している。 もう誰も騒がない。漂流が始まってる。国が。 「傘がない」が流れれている。
もう5月も終わりだ。 藻岩山も円山も手稲山もすっかり緑満載になり自然は勝手に生きている。 明日から6月。みんなもまた元気に頑張ろう。
「果たして今日のツキはどんなもんでしょう?運勢占う意味でリーチかっけてみましょうか?はい、立直(リーチ)。」 「その立直、もう少し待ってもらえないかなあ?だめ?だめかあ?なら追っかけよう、立直」 「なんだよ!二人立直か?安全牌持ってないから、これれどうだ?」 「よく出すな、そんなところ?」 「わかんないねえ。よく考えてみたら、そんなに当たる確率は多くはないんだもんね?野球の打率より圧倒的に低いんだ。放銃する確率は。」 「いいから早く捨てろよ、つべこべ言わないで。」 「ローソ、とキューソって盲牌すると似てるよな?」 「どうだろ?似てないと思うんだけど。キュウピンどう?」 「セーフ。原発の一号機炉心溶けてたって新聞にさりげなく出てた、あれって、いいのかなあ?もう少し困ったことのように思えるんだけど。」 「困ったことなんだと思うんだけど、もうはや、慣れてしまったんじゃないか?」 「ローソとキューソは似てるよな?」 「 似てないって!あれ?なんか間違えて立直かけた?」 「キューソ、頭だと思ったらローソが混じってた。」 「あっ、チョンボ。やった、やった。」 「そうかも知れないし、そうでないかも知れない。途中誰か上がるかも知れないし、このままでいいんだ。」 「だめだと思う。そんなこと認められない。」 身のない話というのはこういうのを言うんだろうなあ? 昔、一緒に仕事をしていた人から電話があった。 定年を迎えるに当たって、いろいろ世話になった人に会いに行く旅をしたいので、もし時間があったら会おうと言うことで、こっちも気になっていたので喜んでと答える。長いことお互いに通信することがなく、携帯に宛名が記載されない着信はまず取らないんだけど。中々ありそうでない話なので楽しみだ。 午後、また、見ず知らずの電話が来る。 これも普段だったら取らない固定電話からのもので、受けると仕事の電話だった。育つものなのかどうなのかはまだわからない。
猫の鼻が桜吹雪に紛れて、沢山飛んでゆくという詩を書いた。 松茸(猫、三歳♂)の興奮したピンクの鼻を見ていて、これが今のこの、桜満開の季節に一緒に散らせたら面白いなあと思った次第。 それにしても松はますます立派なノラ猫然としてきた。 元々お里は由緒正しい野良猫だったんだろうなあ?と思わせる氏素性の悪さ、並びにガラの悪さで、すごくいい感じに育ってる。 それにしても、両手両足を持って蒲団の上に逆さまにして落としても、そのまま落ちてゆき、背中を床にぶつけても一向に恥じる様子もないし、まともに立ち上がる気配もない。 余程変わっている。
コーネル・デュプリーが死んだと夕刊に出てた。 68才。 ギタリストはなんだか早く死ぬ人が多いような気がする。 この間はポール・サイモンが70で新譜出したと書いたばかりで、年齢の北限という言葉が頭に浮かび、日本でいうと、68歳って何県辺りなんだろう?
4月 27日に田舎の固定電話が開通した。 これでもきっと精一杯早く工事して繋がったのだろう、けど、やっぱり通信がひと月半以上も不通というのは相当なストレスが現地には溜まる。 今もって地震津波から逃げた時の事が頻繁にフラッシュバックするという。 電話で何か言っても何の励ましにもなっていないのをつくづく感じるし、かと言って世の中の人がいうように、自分が今できる事はなんだろう ?の問いの中に答えらしいものが見えて来るようにも思われない。個人的にたどり着く事、例えばボランティア、個人、個人の集合、義援金、これからもこの形が主流で続いて行く。まだ、多分たくさんあるんだけど、それはそれぞれの人がそれぞれの関わりの中で考えてやって行くもので、粛々とやっていけばいい。 追分温泉の宗一さんが毎日新聞に載っていて、村と一緒に生きてきた温泉だから被災者の方々を何がなんでも支援すると言っていた。震災当時から避難所として開放していた。 満月の夜にこの温泉で好事家が集まって、ライブをやっていた少し前迄の山の中の温泉。石巻の仲間がつくったというカホーンを貰いっぱなしで、きちんとはお返しをしていない。
この震災の整理にひと段落ついて、もし、覚えていたら、是非この温泉に浸かりに行ってください。本当に山の中に忽然とある緑の匂いのする温泉なので。途 中、北上川の河口が見えるので、広さも堪能してください。
主のいない家の桃の花が今を盛りと咲いている。
新聞は生肉食中毒に移っていった。 原発もなんとなく落ち着いた感じになってるけど、果たして本当にそうなのか?2号機は一体どうなっているんだろう?ここが解決しないとどうしても落ち着けないんだけど。 始まりの時、やっぱり相当危なかった。今だってどうなのかはわからない。 なんだか落ち着いちゃっていいんだどうか?
今日は金曜日だっけ? 明日は7時からラジオ。 ラジコというのがパソコンにあって、北海道で電波が弱くてHBCが聞こえないというひとはこれを利用するとはっきりと聞こえる。手っ取り早い取得方法はHBCのホームページにいくとわかるので試してみて。本州の人も可能になるのかと思っていたら、そうはいかない。
携帯のEメールが少し前に開通した。携帯を変えた時は冗談だと思っていたんだけど、本気だったみたいで、かなり不自由した。
キングの新刊、「アンダー・ザ・ドーム 上・下」2段組で1360頁、書き込みが「IT」みたいに細々(こまごま)と、久しぶりにたまんない嬉しさなのです。上 下で5600円は高いといえば高いんだけど、部屋が狭くなるといえばなるんだけど、235ページ目の「気を狂わせ、盲目にし、精神を錯乱させられた者」の章までは久しぶりにキングらしい書きっぷり。この数年、キングはもう爺さんになってしまって体力勝負ができないんじゃないかと気が滅入ったいたんだけど良かった。今のところ「呪われた街」みたいなスタートで、行く方向はそう多くないという事だけが気がかり。でもまあ、いいか?というのもある。 東海林さだおさんはもう、73歳になっていた。ショージくん、えらいなあ。 とにかく出たら買ってしまう。 いつからかわかんないけど、出たら買ってしまう。 本屋さんに行くと僕と同じような人がたくさんいるみたいで、みんな、出たら買う。
それこそ、田舎で幼少期を過ごしていた時、寺が保育所みたいになっていて、時々預けられた。寺の本堂の鴨居の上におドロドロしい絵巻がかかっていた。地獄の様子を書いたもので、それがぐるりと貼り付けられていて、時々、坊さんが説明してくれるんだけど、その絵を本屋で見つけたので買った。 「地獄絵」。 そのまんまなんだけど、それを読んでいると、寺のプロモーションと苦渋をつ くづく思われる。 僕のファンタジー好きはきっとここから始まったことに思い至る。 地獄の一日はこの世の2000日だそうな。 これが八段あって、地獄行きになった人は毎日毎日ひどい目に遭う。 地獄のような日々を毎日送る。地獄なんだから仕方ないんだけど。 そこには、いろんな罪が書いてあって、そこを無事に通り過ぎる人はいないと思うんだけど、寺は容赦しない。僕らは間違いなくあそこに行かされる。 かなしいなあ。 もうなんだか、わしゃ知らん状態になってきてね?昔の人は大変だったなあといった素直な感想しかないよ、わしゃ。 地獄の本読んで、キング読んで。 もう少し平穏な本を読んだ方が身のためのような気がする。
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