The Green Hills of Earth

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☆★CF-W2関連:「分解/HDD交換」 / 「キー清掃」★☆

2006年01月31日(火) タイムカプセル / ヒューザーが自治体を提訴

私がプロバイダと契約をして所謂「いんたあねっと」に繋ぐようになってから、ほぼ10年位の歳月が経過しました。その当時からブックマークは形を変えつつも同じものを使い続けて来た訳です。見なくなったものは(言葉は悪いですが)自分で作った「ゴミ箱」フォルダなどに移動はしますが、ずっと保存していたんです。それを今日久し振りに眺めて、その何年も前のURLへ飛んでみました。8割方は「Not Found」とか「当サイトは閉鎖しました」なんて感じでなくなっていましたし、中にはそのプロバイダ自体がサービスを停止したという所もありました。はぁ〜、長い間放っておいたんだなぁと言う気持ちです。でも中にはその当時からまだ元気に続いているサイトもあり、自分も頑張らないとと思ったりしました。

タイムカプセルのような、昔の自分を思い出すブックマーク…古いものも削除をしないで奥津城に眠らせておくのも楽しいですね。


ヒューザーが自治体を提訴

耐震偽装問題で偽装したマンションを販売したヒューザーは、18の自治体を相手に「適正な建築確認を行わなかった」として合計百数十億円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。これに対し、偽装された川口のマンションの管理組合理事長は個人的見解として「悪あがき」とコメントしたそうです。

うーん、私はこの問題について何度か書いていますが、私はこれを正しい動きだと思っています。確かにどこが一番悪いかと言う問題は別にして、耐震偽装をしていたであろうマンションなどを販売したヒューザーにも責任はあります。しかし、2005年12月16日に「素朴な疑問(姉歯が悪い?)」でも書いたように、ヒューザーがどんなにあくどく儲けようと画策して手抜き工事の図面を姉歯に依頼して作らせたとしても、検査機関が機能していればそれが日の目を見る事はなかったと言う事なのです。検査完了後に別の設計図を作っていたと言う話もあるかと思いますが、このヒューザーの件に関しては、間引きをした設計図がチェックを素通りした上で、更に建築会社で間引きをされたと言うのが実態なので、私の個人的な見解としては、その検査機関及び、その検査機関を認定した自治体に責任があるだろうと言う事はとても理論的な話であって、その理事長さんの言う「悪あがき」とはどういうつもりなのか真意が分かりません。

民間検査機関というのが、結局はお役人の天下り先を作るための機関であり、検査をすると言う機能に欠けていた事が今回の事件で一番の問題となるべきなのです。ヒューザーはヒューザーでとるべき責任もあるでしょうけれど、今回のこの提訴は正しい判断の元に行われていると私は思います。果たして皆さんは如何お考えでしょうか。

2006年01月30日(月) 完了検査後の工事って… / 季節を感じる時 / 公園に住民登録は合法? / mixi / オーディオ

東横インの完了検査後工事は「E工事」と社内では呼ばれており、同社取締役は「このE工事は(ドアを直すなど)使い勝手を良くするための工事が殆どで、全てが法令違反の工事と言う意味ではない」としています。しかし、使い勝手を直す必要があるのであれば、それは完了検査前に直して検査を受けるべきであって、検査を受けた後にそのレイアウトなり設備を変えてしまうという事が良い事か悪い事かこの人達は判断が付いているのでしょうか。

こんな事に例えるのは関係者にとても失礼ですが、多分今一番タイムリーで判りやすいと思うので無理矢理アメリカ牛の輸入検査に例えてみると

「アメリカの検査機関で検査→合格したものが日本に送られ→日本の検査機関で全頭検査して合格→出荷」
これが本来のやり方ですが、今回のE工事とは
「〜日本の検査機関で全頭検査して合格→危険部位を合格した肉に混入→出荷」
としているようなものでしょう。
完了検査を受け合格したのだから、その後ちょっと検査を受けていないものを混ぜたって問題ない…ですか? 私は大問題だと思います。もし東横インの「完了検査後に改造」が大した問題ではないのであれば、完了検査はどこに存在意義があるのでしょう。こういう事を平気で言える人が取締役を務めるこの会社のモラルを疑わざるを得ませんね。


季節を感じる時

こういう話の時には写真でも掲載したらいいのでしょうけれど、まぁ今回は残念ながら写真はありません。
最近は朝の一定の時間に短時間ですが外に出る事が多いのです。
家の横にある公園の向こうに朝日が昇ってくるのですが、日を追う毎に同じ時間でも日が高く昇っている事が判ります。つい何日か前は真っ暗だったのに、今はかなり明るくなっていて朝日の写真を撮るんだったら多分1週間か2週間前が一番きれいな時期だったかななんて思ったりしています。まぁこんなのは普通に会社に通勤していれば嫌でも見ていなければならない季節の変化かもしれませんけれど、通勤と縁のない生活をしているとこういう事もついつい感動しちゃうんですね。

昨年の12月に植えた花壇と鉢とプランタの花ですが、つい先日まで殆ど変化に気付かなかったのですが、先日芽が出たと思ったら次々と芽が出てきて大きく育っていっています。
今は鉢に植えたクロッカスは15球中12球から芽が伸びていますし、先日はブルーチューリップのプランタからも芽が出てきました。多分、球根は順調に育つと思えるようになりました。後芽が出ていないのはチヨノドクサとテッポウユリとポピーだけ。チヨノドクサは果たしていつ芽が出るのが正しいのか理解していないので何とも言えませんが、正直に言って、花壇植えの最後に植えた球根だったので、思ったより狭いスペースに無理矢理植えたという事もあって果たして本当に芽を出してくれるのか心配しています。開花時期は4月位からだったと思いますのでそろそろ芽を出して欲しいんですよねぇ。テッポウユリは開花時期が夏から秋にかけてなのでまだまだゆっくり成長して欲しいものです。これはまだ心配しなくて良いでしょう。私が一番心配しているのは最後に残ったポピーなんです。何というか、もの凄く小さくて細かい種をプランタに蒔いたのですが、兎に角土の植に蒔いた「筈」ですが、蒔いた途端に種はどこにあるか判らなくなった位小さなもので、もしかして土をかけすぎたんじゃないか。もしかして土のかけ方が足りなくて種はみんな風に飛ばされてしまったんじゃないか。もしかして水の勢いが強すぎて種はみんな流されてしまったんじゃないか。そんな心配が続いています。1つでも芽が出てきた事を確認できれば安心できるんです。小心者には耐えがたいストレスが続いているんですよ。はやく安心させて欲しい気持ちで一杯です。でも、その成長をみると春に向かっているなぁと実感できます。


公園に住民登録は合法?

土曜日、テレビで
「浮浪者が公園を住居として住民票の転居届を申請したが、区が受理しなかった事を違法と訴えた件で、大阪地裁は「受理しないのは違法」という判決を下した」
と言うニュースを見てびっくりしてしまいました。それは、公園とい公共の場を不法に占拠して暮らす浮浪者の行動を認める事になるのではないのかと思ったからである訳です。この判決をもって浮浪者は公園を占拠するのが当然と勝ち鬨を揚げる事になるのでしょうか。そう言う心配をしたのですが、兎に角ニュースで読み上げられた内容は詳細が判りませんので、その記事はないかとあちこち探したつもりだったのですが、今日になってようやくその記事を見つける事ができ、詳細を読む事ができました。

結果としては、「そこを不法占拠する事の有効性と住民登録は別問題」という前置きで、「住所は生活の本拠を指し、占有権があるかどうかが問題ではない」と言う事から、区長の転居届不受理は違法という判断を下したものという事なんですね。
そういう事を書いているそばでテレビからは、当の公園から浮浪者のテントを撤去する作業が行われているけれど、けが人が出た事によって膠着状態になっていると言うニュースが流れています。そう、住民票をそこに移すのは合法ですが、不法占拠のテント住居はそこにある事自体が違法で、そこを占拠する事まで合法とされている訳ではないと言う事ですね。納得しました。

今日の撤去のニュースと総合して見ると、5月にその公園で「世界バラ会議」が開かれるため、会場となる公園に住む浮浪者に昨年10月から市の施設にはいる事を勧めて来たけれど浮浪者側は「不自由だから」と拒否し、その内野1人が「施設はいつ追い出されるか判らないから」と今回の裁判を起こしたのだそうです。ここに住民票を移す事ができれば不法占拠でも強制撤去はされないと考えたのでしょうかね。

ニュースの短い言葉からでは「なぜそんな判決を下すのか」と思いましたが、よくよくみれば論理的な判決であった訳ですね。もやもやがすっきりした気分です。

今回の撤去で、また「支援団体」と称する物事の道理をわきまえない自己満足集団が浮浪者のテント撤去反対を唱えて浮浪者と共に抵抗を続けているそうですが、こういう自己満足はいい加減にして欲しいものです。浮浪者にも人権があるとかその手の話は、公園を不法占拠する事とは別問題である事を肝に銘じ、闘うべき場所を取り違えることなく闘って欲しいものです。今のままでは、それら集団はただのヒステリーのマスターベーション集団としか私には見えません。


mixi

しなやかな猫の「 ミクシィユーザーが言うところの「変な人」とは?」を拝見しました。

実を言うと、私も去年ある人にお願いをしてmixiに登録した事があります。その人がそこで日記を書いているというので拝見したくなったのです。しかし、私が招待されユーザ登録を下直後に、その人はmixiの中で嫌がらせに会いmixiを退会してしまいました。取り残された私は…取り敢えず興味を持てそうな場所をあれこれ眺めてみましたし、自分のページも折角ある事ですからほんの少しそちらでも書いてみたりしたのですが、1ヶ月が過ぎようとした頃、mixi事務局から詳細な内容は忘れてしまいましたが「mixiは交流を目的とする場ですから、誰かの日記(?)をお気に入りに登録して交流してください。でなければ脱会させます」と言うメールが来たのです。そうは言われても、私を招待した人は既にいませんし、そんなにすぐお気に入りに入れられるような人が見つかる訳でもありません。いや、私がそのmixiの使い方を理解していなかっただけかもしれませんが、少なくとも私の理解した限りに置いて、mixiは私のいるべき所ではないと感じ、そのままにしてめでたく1ヶ月で脱会させられてしまったという次第です。

mixiに変な人はいない? 私には判りません。mixiという世界を1ヶ月それも時間の空いた時にちょろちょろと見ていただけですからね。でも、私の知る限りでは嫌がらせをする人、自分と意見の違う人を攻撃する人もいるようでしたし、なにより何を「変」というか判りませんが、自分の作り上げた世界に閉じこもって、その世界に共感してくれる人で世界を作り上げ、それ以外の人は異端者、敵とする人の多かったように思います。私の見ていた場所が特殊なのかもしれませんが、反対意見は全て悪で、常に「おてて繋いでお友達」でなければ気が済まないと言う異質の世界もあったように思います。もちろんmixi全てがそうだというのではありません。そう言う所もありましたと言う事です。
ですから、「mixi中に変な人はいない」と言われて「そんな事はないでしょ」と思わずつぶやいてしまいます。「変な人がいない」のではなく、「同じ考えをもった人がひとかたまりになって、異質の考えをする人を排除して安心感に浸っている」のがmixiと言われて反論できるのかな。私は自分の文章を自分の責任で書いています。自分の考えが正しいと思って牡蠣はしますが、当然間違っている事もあります。間違いを正してくれる意見、私とは違う考えに基づく意見などもしそう言うものを書いてくれる人がいれば私はそれを尊重したいと思います。mixiの中で仲間同士で寄り合っているところにそのような意見交換はあるのでしょうか。確かに私の書いている映画評の方には頭の足りない子供のような相手をするのもばからしい屁理屈を書いてくる阿呆もいました。そのような阿呆やスパムがないとしたら、それはそれで価値があるかもしれません。でも、私は自分の意見に対する反論がない世界より、スパムも含めていろいろな反論のある世界の方に自分の意見を書いていきたいと思います。

最後にもう一度、私は1ヶ月でmixiを追い出されましたし、その1ヶ月の間でも多分合計で4時間か5時間位しかmixiを覗いていないので、本当のmixiの魅力を判らないだけかもしれません。そんな短時間に覗いた中で、私が感じたmixiの世界について書いた事ですので、これがmixiの全てだ等とは間違っても思わないでください。あくまでも私の狭い視野で見た偏見の中でのmixiはこうだったと言う事です。mixiがどういうところかは各自で判断していただきたいと思います。


オーディオ

こちらでも何度か紹介していますが、私の家のオーディオシステムは、20数年前に憧れの的だったTANNOY(たんのい)のスピーカーArden(あーでん)を中心に、プリメインアンプ(LUXMAN L-500)とCD(LUXMAN D500X's)、レコードプレイヤ(LUXMAN PD-350+SAEC WE407/23)という構成で音楽を再生しているのです。最初はこのArdenにMarantzを使っていたりしましたが、徐々に自分の好きな音を求めてアップグレードしてきた次第です。
あと何年か後にはMcIntoshでも買ってやろうかと思っていたのですが、2001年に施工された電気用品安全法によってPSEマークが付いていない電気製品の製造・販売が今年の3月31日から規制され始めます。この規制は中古品販売にも掛かるため、(もちろん)PSEマークなど付いていない昔のオーディオ製品は販売ができなくなるとの事。果たして、本当に一斉に市場から中古品が姿を消してしまうんでしょうか。商売できなくなってスクラップにする位なら、どうか私に格安で(0を三つ位とった値段で)売ってくださいな…お金さえあれば真空管アンプを何台か確保しておきたいんだけどなぁ…

2006年01月29日(日) 救済試案 / 相撲 / 高齢者の犯罪増加

耐震偽装されたマンションを購入した人に対する公的支援の試案が提出され始めました。

支援できる資金にも限りがあると言う事から、本来そのマンションは「安くて広い」事が売り文句だった訳ですが、2割ほど広さを狭め、そうやってかき集めた面積で何戸か余分に作って一般に販売をすると言う手段で資金の不足分を賄うと言う案になっているようです。そしてそれでも足りない資金として、住民1人当たり2000万円の追加負担が必要なのだそうです。

「こんな手抜きマンションを買うなんて、だまされる方が悪い」…私も最初はそう思ったのですが、週刊アスキーに掲載されたそのマンションを買う所だったと言う人の手記で「うまく納得させられる材料があって手抜きだとは気付かなかった。広いのに安いと言う事にはきちんとした説得力のある理由があると信じてしまった」という話を読んで、確かに実際に手にとって調べられるものではないので、後からそれらしい話を付け足されたらそれを信じるしかないもんなぁと思うようになりました。しかし、それは国が税金を使って助ける事でもないし、どんな結末になるのかと注目はしているのですが、まだ試案の段階とはいえ、「広いから」と買ったマンションなのに、並のマンション程度の広さにされた上、更に2000万円上積みなんて言ったら本当人生真っ暗ですね。大体買った方から見たら「なんで追加負担が必要なんだよ!」ってなものですよね。入居してすぐ大地震が来て半倒壊してしまったみたいな状況なんですかね。でも、それなら天災と諦めもつくので違いは大きいのでしょうね。

それが良いのかどうか判りませんが、先日から臓器移植を必要とする子供のための募金という事でかなり短期間の間に1億近い募金が集まっていたように思います。これらマンションの住民達も同じように募金を募ってみたら効果はないものでしょうか。1人が100円、1000円という金額でもそれが数多く集まればかなりの金額になると思うんですがね。

果たしてどんな案で落ち着く事になるのでしょう…


相撲

子供の頃から相撲を見る事は好きでしたが、最近は仕事の忙しさも手伝って余り見る事が無くなりました。

朝乃若の断髪式にイチローが参加というニュースを見ました。同じ学校の先輩後輩なのだそうです。まぁその人にどのような交流関係があろうとそれは私の知るところ、興味の持つところではないのですが、朝乃若が「今後は若松親方として後輩を指導」というのにはびっくりしました。朝乃若ファンの方には申し訳ないのですが、朝乃若と言えば突っ張り相撲は元気でしたが、それほど強い訳でも無いと思いましたし、何よりその仕切りのパフォーマンスは楽しむ方もいらっしゃったようですが、私には不快以外の何物でもありませんでした。仕切りはお互いのタイミングが合えば直ぐに立ち会うべきもので、お互いのタイミングが合わないのをいつまでも続ける訳に行かないので、時間制限を決め「時間いっぱいです(おまえらいい加減にしろよ)」と行司から催促があるのですよ。それをその意味を取り違え、相手と目も合わさず自分のパフォーマンスをする姿は醜悪という以外何物でもないと私には思えていましたし、事実そのことで親方衆からもクレームがついてパフォーマンスができなくなってからは、それほど目立つ力士とは言えなかったように思います。そして、そのようなパフォーマンスをクレームが付くまで悪びれずやっていた力士に、親方を務めるだけの資質があるのでしょうかと疑問を感じざるを得ません。

力士という世界の中では、引退した時に「何が一番印象に残っているか?」と問われると「十両に上がった時」という答えが多くを占めるようです。十両になれば一人前、幕内に入れば雲の上の人となる訳で、その幕内で相撲を取っていた朝乃若も充分強い力士なのだと思います。しかし、私の思い違いなのかもしれませんが、その昔はもっと「うん、この人なら親方になって当然だな」という人が親方になっていたように感じます。でも、確かに悪く言えばお情けで横綱になって直ぐに引退した人とか、幕内でも下の方で長くとっていた人とかそう言う人も親方になっている事実もあると言えばあるんですね。しかし、最近の親方を見るとどうも小粒だなと言う感が否めません。相撲がまた楽しく見られる日が来るのでしょうかねぇ…


高齢者の犯罪増加

65歳以上の高齢者の犯罪が1991年から15年連続で増え続けているそうで、昨年はついに全検挙数の1割を超えるに至ったそうです。

私が2004年9月20日に書いた「なぜ死刑反対なのか」の補足として2004年9月21日に「死刑の抑止力」という雑文を書きました。その中で
「この労働意欲のない若者の成れの果てや、十分な貯金が出来ずに定年をしてしまった老人が生きていくためにはどうしたらいいでしょう。(中略)今現在もちょっと犯罪を犯して刑務所に入るという選択肢を選ぶ人がいるのです。(中略)ここで死刑が廃止になったとしたら、確実に一生を刑務所で過ごせるようにするためには殺人を犯すことだ。と言う事を考えるバカモノが出るのではないかと心配なのです。」
と言う話を書いた訳です。
さすがにまだ「死刑」は廃止されていませんので、気軽に人を殺して一生を安穏と刑務所で暮らすと言う人はまだ出ていないようですが、それでも冬の厳しい季節を暖かく三食付きの刑務所で過ごそうと考える人は確実に増えているという事のようです。

刑務所は老人ホームでも慈善施設でもありませんし、その安穏とした生活を得るためだけの為に被害を加えられた人の事を考えると、刑のあり方をもっと考えるべき所に来ているのではないかと思わざるを得ません。
増加傾向が15年も続いてから法務省はようやく重い腰を上げるようですが、また役に立ちもしない「有識者」など税金を無駄に使う人を集め、役にも立たないくだらない案をこねくり回して、結局税金を無駄遣いして何の効果も得られないと言う事で終わるのではないかと予想しますが、どうかその予想を裏切って欲しい気持ちで一杯です。

2006年01月28日(土) 権力を持つ事の責任について / 東急イン / NTTの詐欺のような勧誘広告 / 東急イン -その2 / それは強姦? / 占えなかったの?

長崎県の佐世保市で、勤務先の会社から現金を着服したと2000年4月に自首した女性を約4年間放置して事情聴取もせず放置していた事が判りました。昨年の11月に逮捕したのですが、既に一部の被害は7年を経過して時効が成立し立憲が不可能となりました。これに対して佐世保署の副署長は「しかるべき捜査はしていたはず。担当者が異動し実態が判らない」と話しているそうです。

前にも書いた事があるかもしれませんが、私は一度当て逃げにあった事があります。
狭い道路の片側にトラックが止まっていて、車一台がようやく通れるスペースが合ったのですが、そこを通過していたら前から軽のワンボックスがつっこんできたのです。こちらは逃げるスペースがなく壁に思い切り寄ったのですが、バックミラーに腕を引っかけられ傷めてしまいました。車は私が立ち上がるまで止まってみていたのですが、私が立ち上がると逃げていきました。私がナンバーと車種を警察に連絡したのですが警察では「調べたけど該当車両がなかった」とされました。しかし、暫く後に、その事故現場の直ぐ近くでその車が止まっているのを見かけました。それで改めて警察に連絡を取ると、「こちらは普通乗用車だと思っていた」などと苦しい言い訳をし、「実はその家は以前泥棒に入られて、ちょっと参っている人たちだから…」と暗に実はその人達だと判っていたけど、できればそのまま放っておいてやって欲しいという事を言ってきたのです。結局その跡取り調べもしたのですが、既に3ヶ月位経過しており、相手は記憶にないと逃げ回って、それでも一応ひき逃げとして起訴はしましたが、検察側の検事もとても変わった人で不愉快な思いをし、更にこの手の事件は被害者には非公開なのだそうで、その後その事件で加害者がどうなったのか被害者の私は知る事ができなかったのがとても悔やまれる事件でした。
また、あるお店は歩道にまで店の商品を広げています。本当はそう言う事をしてはいけないのですがね。しかし、これから一斉調査が始まるとかそんな情報が、警察に勤めている親戚から事前に電話であるのだそうで、その時は店先を片づけやり過ごすのだそうです。

この事件も、警察内部でそのような私欲が働いたのでしょうか。それとも、異動している内に担当者が曖昧になって誰も担当がいなくなったと言う事なのでしょうか。副所長は「捜査はしていたはず」と言っていますが、実際には誰も担当せず、放っておかれたというのが実態でしょ。「身内だからごまかそう」も「誰の担当か判らなくなって放っておかれた」もどちらも勘弁して欲しいものだと思います。この手の手抜きに対するチェック機構はできないものなのでしょうかね。

そう、先に書いた「変な検事」というのは、こちらに事故の状況などを聞いて、調書を書いているのですが、全部が終わった所で「私が読むから間違いがあれば指摘して」と言うのです。でも、その人の読む早さは私の聞き取りやすい早さではなかったのと、読んで耳に入れるより見て確認をしたいと思ったので、「見せてもらえないか」と言ったところ「あなたは失礼な人だ。私が折角読んであげているのに」と怒るのです。「文章を見もせずにサインはしません」と私も意地になって言いましたが、「あげている」と言う時点でこの人はどうも検事としては失格だなと思ってしまった次第。
それより何年か前に、私が使っている電話番号を以前使っていたであろう人が、今でもその番号を気のない男性に教えて、だまされた哀れな男性が私の所に電話を掛けてくると言う事が続き、それについてNTTと相談の上、警察に相談に行ったのですが、通された部屋で私の話を機構をする係員は新聞を読みながら「話は聞いているから、話しなさい」と言う態度だったのです。「おまえ、何様のつもりだ?」と吠えたのは言うまでもありませんが、その部屋を出て、下に行って「あいつは何様だ?」と問いただしていたら「話を聞いてあげるからもう一度部屋に来なさい」という連絡があったのには心底びっくりした次第。私が警察を信用していないのにはそのような背景があるのです。
警察は権力があります。人を逮捕したり(これは私たち一般の人にも逮捕権はあるのですけれどね)、職務質問をしたり、拳銃を持ったり…人様の安全を守るための公僕として市民に滅私奉公するための道具として権力がある訳です。
その権力を持ったから「自分は特別だ」と思う事は、その人はその職業に向いていない事を示してます。先にも書きましたように、本来の公僕は人の上に立つのではなく、人のために働く事を必要としているからです。それを勘違いして「俺は偉いんだ」「俺がその気になったらおまえを逮捕できるんだぞ」などと思うから軋轢が生まれるのです。

学校教育で体罰は厳禁とされていますが、果たして本当にそうでしょうか。私はここに何度も書いていますが、体罰は許されるべきだと思います。集団生活のルールを守ると言う事については学校で学ぶ事柄だと思いますが、子供の資質、子供の個人としてのしつけは親の問題であり、その親がしつけられなかった事に対して、他の子供へ迷惑が掛かるような事については体罰によって身をもって悪い事と知る事が教育には必要だからです。犬のしつけと一緒です。しかし、今の教職員に体罰を認めた場合、先の警察と一緒でその体罰という権力を正しく扱える先生もいれば、ヒステリーの発露として乱用してしまう先生もいるでしょう。聖職者と言う言葉が表すように、先生とはその子供達の将来を左右するだけの力を持つ存在であり、そこには私情を入れてヒステリーを起こすなどと言う贅沢は許されない職業なのです。その淘汰ができていないからこそ、体罰と言う権力を先生に開放しにくくなっているのではないかと思われます。

「権力を持つ事への責任」について各自がもっと考えるべきではないでしょうか。


東急イン

ビジネスホテルチェーンの「東急イン」で建てたホテルを市などが検査し終わった後に無断で改装工事を行い身障者用設備などを取り払って開業していた事が判明しました。

ホテルとして開業するためには、条例などで身障者のための設備を義務づけられているのですが、このホテルは横浜という地価の高い場所にあるため、身障者用の駐車場は普通の駐車場(多分立体駐車場)と一緒にできず、玄関の脇を専用スペースに充てざるを得なかったようです。それと実質問題として身障者が利用するのは年に数件という実態から、市が確認をした後で身障者用駐車場をつぶして明るい玄関を作り、身障者用の部屋もリネン室にするなどの改造をしてしまったそうで、それが条例違反になるのは分かっていて、「時速60キロ制限の道を68キロくらいで走っても違反になるんだ」と言う表現を使って説明をしたみたいです。そうか、市の条例に違反する事、身障者を無視する事は「そんな大したことのない違反」という認識なんだ…そう考えてしまいます。
確かに「経営者」としてみれば、年に数件しかない利用者のためにあけておかなければならないスペースなどは無駄でしょうし、その駐車場を開けておくのと、そのスペースを利用して明るく広いロビーができるのとでは印象が全く違ってくるのも事実ですね。でも、今この時代で身障者の事を全く無視して営業をしようと言うのは、少なくとも市の条例とも、国としての方向とも全くそぐわない、明らかに犯則である事を理解するべきではないのでしょうか。経営者は「10キロ未満の軽微な違反」と思っているようですが、私は30キロオーバーの免停に相当する違反だと思います。

また、この違法改築で名前を貸した1級建築士が「自分は名前を貸しただけ」と言い訳をしているようですが、実際に名前を貸してお金を貰っていただけなのかもしれませんが、名前貸しというのは横行しているけど悪質な違反行為であると言う事が判っているのでしょうか。今まで名前を貸すだけでお金を貰って言い思いをしてきたのですから、こういう状況になったら、その甘い汁を吸った分、きっちり責任をとって欲しいものですね。


NTTの詐欺のような勧誘広告

昨日、私の住む集合住宅のポストに一通の封筒が投げ入れられていました。
それはこの地域を担当するNTT東日本のBフレッツ販売PTと言うところからのお知らせのようで、「(私の住む集合住宅)居住者の皆様へ」と名指しで宛先が書かれており、「固定電話の基本料金がおやすくなる「ひかり電話」のご案内」というものでした。

安くなると言う図表の中で「現在フレッツ・ADSLをご利用の場合の月額基本料金」合計6,310円が「「ひかり電話」ご契約後の月額基本料金」合計4,725円に1,585円もお得になりますという案内でした。


この案内は先にも書きましたように私の住む集合住宅をターゲットに配られたものです。そしてNTTなら、この集合住宅がBフレッツマンションタイプを既に導入している事を知っているはずです。それなのに、もっとも客に訴求力を発揮する図表が「フレッツADSL(4,526円)からBフレッツマンションタイプ(3,728円)に変わる事で発生する差額798円を含めて「1,585円もお得です」と書くのは殆ど詐欺に近い広告なのではないかと思います。

NTT東日本のページを見ると「NTT東日本をかたったセールスにご注意下さい」という言葉が見受けられます。しかし、そのNTT東日本東日本がこういう図表に引っかかりやすい人をターゲットにした、実際には「一般加入電話(1,785円)からひかり電話(998円)」に変わるだけでその差額は787円にしかならないのに1585円もお得という詐欺まがいの広告を配っていることに問題はないのでしょうか。
他社(第2電電)が同じようなサービスを勧誘しているのは知っています。私の知っている中でも数人がそのサービスを契約したようですから。ここでも競争があるのは判りますが、だからといってこのようなごまかしの上で契約をもぎ取ろうとするその体質に疑問を感じざるを得ません。


東急イン -その2

あちこちのニュースを読み進めると「一級建築士の名前を勝手に使った」という見出しが結構あるのにびっくりしました。本文の中では「要請があり、許可をした」旨が書かれているにもかかわらずです。「自分も知らない間に名前を勝手に使われていた」と言うのと「自分は名前を貸しただけで、その名前を何の目的で使っていたか知らない」と言うのでは大きな隔たりがあります。そして今回は後者の話で、この建築士は名前を使わせる事で報酬を受け取っていたに違いないのです。免許を有するものとして、自分の名前が使われるのがどういうものなのかを知らずに名前を使うのを許可するというのは大問題です。自動車の免許を持っている人が、その免許を免許を持っていない人に貸し与えて運転させるようなもので、大事故に繋がりかねないのです。「この人がそんな大事故を起こすとは思えなかった」なんて事故の後で言い訳をしたって何の足しにもなりません。
東急インが条例を無視した違法な改築をした事は大問題です。それはそれで1つの事件として扱うべきですが、この名義貸しをした建築士の問題はまた東急インの事件とは別の問題として取り上げなければならないのではないでしょうか。実際、名義貸しはかなり多くの場所でごく普通に行われている悪習だと思います。このような悪習を根本から絶ちきり、その問題が起こる背景をただす事こそマスコミのあるべき姿だと思いますが、残念ながら、責任の所在を取り違えているのか、それとも東急インだけを叩こうとしているのか、どうも頓珍漢な見出しのニュースが多く嘆かわしく思います。果たしてマスコミは何をしたいのでしょう。また、マスコミは自社の報道をどのようにあるべきだと考えているのでしょうね。


それは強姦?

京大アメリカンフットボール部の元部員による強姦事件というものがニュースになっています。
ゲームで酒を一気飲みさせた上、正体の無くなったところで強姦をされたと言っているようですが、どうも話が見えません。被害者と称する女性は、自分が嘔吐した事も正気を取り戻してから気付く程泥酔して何がなんだか判らない状態だったと言う事ですが、だったらどうして強姦されたって判るんでしょ。
いい大人なんですから、酒を飲むのも合コンをするのも自分の意志でやった訳でしょ。そして私の知り合いでもいますけれど、酒を飲んだら気が大きくなってしまう人、服を脱ぐ人、周りのものを壊し始める人…酒癖は様々です。そう言うのが嫌だから私は酒を飲まないのですがね。兎に角、その年頃の男としては、何とか女性を口説こうとするのは当然の話でしょうし、男女を問わずセックスというものに興味を持つのも当然の年でしょう。まぁそれを酒の勢いに頼ってしまうとしたら「情けない」と言う事ですが、それで女性が酔って大らかになって合意したと言う可能性は充分ある話なんじゃないですかね。何をしたかも覚えていないのに、強姦されたとだけ覚えているなんて不自然すぎる話じゃないでしょうか。多分に正体無く酔っぱらって、朝起きたら服も着ていなくて、それだけで「強姦された」と騒いでいるように感じますが、果たして本当のところはどういうものなんでしょう。

以前話題になった早稲田のスーパーフリーとか言う集団は、それが目的で計画的に犯行を犯していた訳で、そう言うのは論外ですが、合コンをやった結果似ついての責任はお互いにあるんじゃないのかなと私は思うのですが如何なものでしょうね。


占えなかったの?

27日茨城県警日立署は、信用金庫から融資金3千万円をだまし取ったとして、東京都町田市在住の画家を逮捕したそうです。

この画家、占い師細木数子の弟だそうで、折角高名な占い師なんだから身内の不幸くらい占ってあげれば良かったのにと思いますがね。まぁそんな能力があればの話ですが…

2006年01月27日(金) ネタのある日ない日… / Lite

昨日は書いている内にあれこれ勝手に手が動き始めて、気付いたら「原稿用紙20枚以内に納めてください」なんてメッセージが表示されるほど書いてしまった訳ですが、果たしてそれだけの内容があったかというとどうなんでしょ。自分としてはそれなりに文章も考えたし、削るところは削ったんですけれど、表現のうまい人はもっともっと短く的確に表現をするんだろうなぁと思ってしまったり…兎にも角にもそれだけ長い文章を最後まで読んでいただいた方にはどうもありがとうございましたと改めてお礼を言わせていただきます。

漫画家の魔矢峰夫さんがパーティの席上で和田慎二さんに「アイデアが出なくて苦しんでいる」と話しかけられ「私は(パタリロを描いていて)アイデアに苦しんだ事がない。苦しむ人の気が知れない」と言われ殺意を抱いたなんて笑い話がありますが、私も別に毎日描かなければならないと言う事もないし、これでお金を貰っている訳でもないのですが、毎日某かを書く事を自分に課している訳で(そうしないとずっとさぼる事になりそうで…怠け者ですから)、そうすると昨日のように書く事がたくさんあって、勝手に手が動いてくれる日もありますが、逆に何をどう考えてもネタを思いつかない日もある訳で、その程度は違っても私は和田慎二さんの気持ちの方が判ります。コンスタントに思った事をまとめられるネタを見つける目とまとめる文章力があれば良いのですが、まぁそんなものを兼ね備えていたら、プロの物書きになっていますわね。素人はどこかに穴があっても愛嬌って事で…

余談ですが、私は和田慎二さんの作品の中で「クマさんの四季」が兎に角好きです。
Amazonから写真を引っ張ってこようかと思って検索をしたら見つからず、Googleで検索をしたら「復刊ドットコム」のページが引っかかりました。とっくに絶版になっていたんですね。「入手は大変困難」だそうで…うちには2冊ありますよ。ついでに言えば、これが連載された当時の別冊マーガレットも実家には保存されているはずです。ファンなら持っていて当然の1冊でしょ。←こういう発言が殺意を招く…


Lite

私はゲームは殆どしません。アーケードゲームが出回り始めた頃はそれなりにやったんですけれど、ゲームがどんどん複雑化していくに従って、単純頭の私にはついて行けなくなったと言う事と、ロールプレイングゲームというものに感情移入をするより、単純な作業の繰り返しに直ぐ飽きてしまうという事がゲームにのめり込めない原因なのでしょう。

ファミコンは結局自分で買う事は一度もありませんでした。プレイステーションはエアコンを買いに行ったら、今使っているハイビジョンテレビと炊飯器と4点セットで売りつけられたので仕方なく何種類かゲームを買ってやってみましたが、どれも殆どクリアすることなく埃をかぶってしまいましたし、PS2はDVDプレイヤとして活躍をしていました。今は専用の再生機を買ったのでPS2は紙袋に入れて押入に鎮座しています。
そんな私ですが、最近任天堂の
ニンテンドーDSに興味を持っています。ゲームというより「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」とかそんなソフトウェアに興味を持っているのですが…


その任天堂から「ニンテンドーDS Lite」が発売になると言う発表がありました。「Lite」と言うからには廉価版なのだろうと思って発表を見たら、詳細な仕様はまだ発表されていないのですが、20%軽量化・25%薄型化を果たした「上位機種」なんだそうです。言葉から受ける印象と実際の位置付けが違って「え?」と思ってしまうのも注目を浴びるための計算された演出なんでしょうか…

品薄状態が続いていると言われているニンテンドーDSですが、その内めでたい事があったら是非私も買ってみたいと思います。でも、その日はいつ?…

2006年01月26日(木) マウストーク / ノートパソコン / 小さな幸せ / ライブドアとのつながり…

最近は文字チャットだけではなく、音声やビデオチャットや「Skype」などのような一般電話へもかけられるようなソフトが出回るようになりました。私もSkypeやメッセンジャーを時々利用していますが、音声での通話は、呼び出しがあるとあわててヘッドセットをつけたりするのが億劫で、それが嫌でそれらのソフトを起動しないという本末転倒ともいえる処置をしてきました。

1月14日SONYから「マウストーク」というマウスが発売されました。(link)
このマウストーク、普段は普通のUSBマウスなのですが、Skypeの着信があるとLEDが光って知らせ、ボタン1つでマウスが開いてハンズフリーのスピーカとマイクに。そしてさらに開くと普通の携帯電話のようなフォルムになって手軽に会話ができるという優れものです。マウスのホイールは電話として使うときは音量調整と消音ボタンになるそうで、思わず衝動買いをしてしまいたくなりました。

私の周りのノートパソコンユーザは、なぜかノートパソコンに装備されているマウス代わりのパッドを使っている人はあまり居らず、外付けマウスをわざわざくっつけている人が多いのです。私にとってノートパソコンを選ぶ必要条件にそのパッドが使いやすいことというのもあります。これはかなり得点の高いチェック項目になっています。ですから、せっかくここにノートパソコンに装備されたパッドがあるのに、タッチタイプをするときわざわざ手をホームポジションから大きくずらすこともなくマウスを操作できるメリットを殺してまで、なぜ外付けマウスを好んで使うのだろうと不思議に思うのです。そんな私ですから、このマウストークを買ったとしても、普段使っているノートパソコンでは外付けマウスの出番がありません。それはそれでもったいないと思いますから、結局私は使うことはなさそうですが、Skypeの通信端末としてだけでも結構魅力的かなぁとも思えます。ポインティングデバイスは外付けマウスが好きでSkypeも良く利用されている方なら、このマウスかなり魅力があるのではないかと思いますが如何なものでしょう。


ノートパソコン

私の使っているノートパソコン(Panasonic CF-W2)ですが、昨日までの仙台出張にも持って行きました。新幹線に乗っている時間が長いなら、DVDでも持って行って映画でも見ていようと思ったのですが、仙台からでは1時間と少しですから映画を見るには少し短いようです。映画鑑賞を中断するのは嫌ですからその間は報告書を書くなどに充てることにしてパソコンを使っていました。新幹線に乗る前、20分ほど電波状態の悪いところで通信を含め使用し、その後新幹線の中で1時間と少し使用した所でバッテリが切れてしまいました。もともとこのCF-W2は公称7.5時間ですが、新品の頃で実質4時間程度バッテリが持っていたと記憶しています。mobilemeterでバッテリ情報を見ると今現在の消耗度は23%だそうで、家でも使っていますが仕事で外に持ち出す事の多い私としては、CPU等の性能よりこのバッテリー駆動時間がパソコンの価値を左右する重要な要素になっている事は否めません。2時間持たずにバッテリが切れてしまう現状ではちょっとまずいなぁと思ってしまいます。
Panasonicは新しいCF-W4を2月17日から発売するそうで、今までのCF-W4よりCPU性能とDVD-R/+Rの書き込み性能が向上したもののようです。今のこのシリーズは公称バッテリー駆動時間が8時間なのは私のW2と余り変わりませんが、バッテリの充電を工夫してバッテリ寿命を長くする事もできると言う事では魅力的なパソコンです。しかし、だからといって20数万円、パナソニックのサイトでHDを100GBに変えるなどしたら30万円を超えそうなパソコンをおいそれと買う訳にはいきません。かといってもう何年も使っている今のパソコンに、26,250円も支払って新しいバッテリを買うのもちょっと躊躇してしまいます。まぁ自分の経済状況を冷静に判断したらバッテリだけを買い換えるのが一番なんでしょうね。

つい先日、友達が約7年使ってきたデスクトップ機(Win98)から新しいパソコンに買い換えるという事で相談を受け、一緒に機種選びをしてみました。
今までは余り目を向けなかったメーカーにも目を通してみたのですが、結構今はおもしろいですね。結局、当然ですがその友人と私の着目する部分には多少の違いがあったので、友人の選んだ機種が私の選ぶベストとは言いませんが、それでもこの値段でこんなに凄い性能がと言うものが買えたのにびっくりしています。
私はノートパソコンを選ぶ条件としては
  • 長期補償
  • 高レスポンスの修理体制
を重視するのが良いと思っています。
私のように常にノートパソコンを持ち歩く人は当然ながら、家に据え置きしている人でも、ノートパソコンには液晶という修理にとてもお金のかかる部品を抱えています。またデスクトップ機より軽くてコンパクトという事で踏みつぶしたりコードを引っかけて落とすという危険もそれなりにある訳です。ですから様々な人災を含む災害への長期補償は付けておきたいところだと思います。
火災や水害、落雷、落下など人災、天災を問わず補償の対象となり、修理の費用積み重ねが購入金額になるまで補償(全損は新品と交換)するという所もありますし、保証期間中で資産価値を減価償却し、その月に応じた金額まで補償する(最後の月は全損しても5000円しか補償しないなんて事になるみたいです)けど、その分補償費用は安いよと言うところもありました。私は前者の「例え契約の最後の方になっても(多くの場合3年程度)全損となったら新品と交換してくれる」というサービスの方が安心できてお勧めです。ただし、こちらは購入後1日目でも、落として全損して新品に交換となったらそこでサービスは終了してしまうので、果たしてどちらが良いかはよく考え自分の好みはどちらなのか見極める必要があるとは思います。
いざ修理という時に持ち込んで修理に1週間かかり、その間代替機もありませんと言うのでは、その間がとても不便になります。ある企業は2万数千円程度で「3年間24時間電話サポート+翌営業日出張修理」なんてサービスを販売しています。あっちから人が来て修理してくれるのですから、余程の事がなければ直ぐに使える状態になるでしょう。これが引き取りだとどんなにはやくても3日は覚悟しなければなりませんから、もしもの事を考えるなら、最初に1回の2万数千円は出す価値が十分にあると思いませんか。

これ以外はその人の使い方によって、今時だからTVチューナーがついていなければ嫌だとか、HDレコーダにするから大容量のHDが欲しいとか、高画質の液晶がついていて欲しいとか、逆にそんな事は無用だから兎に角安く抑えたいんだとか、そこはBTO(Built to Order)のメリットを最大限に生かして、自分好みの選択をすれば良い訳です。
友人の選んだパソコンの基本性能の高さと値段、とてもコストパフォーマンスが良くてびっくりしました。私はつい漠然と「もし買い換えるなら次もパナソニックかな」と思っていたのですが、この値段をみると、友人の買ったメーカーでも良いかもしれないなぁと思わずにはいられませんでした。だって値段半分以下なんですよ。ちょっと考慮する価値はありますよね。まぁ値段がW4の半分以下だとしても、W2用新品バッテリ26,250円の約4倍の値段ですから今のところ買うならバッテリって事になってしまうんでしょうね。良いんだ。どうせW4なんか酸っぱいに決まっているもん。使い慣れたW2が一番良いに決まっているもん…


小さな幸せ

何を「小さい」と思うかは個人的な差があるので他人と比較はしませんが、兎に角、何十年か仕事を頑張ってきて、考えた末に…いや正直に言って友人から借りた一軒家の住み心地と家賃のアンバランスさから逃げ出すために、勢いで集合住宅を購入しました。今でもこんな中途半端な田舎に買って良かったのか悩んでいます。もっと郊外の自然の豊かな地域が良かったのではないかとも、もっと都心の仕事に便利なところが良かったのではと思う事も多々あります。
最近は自宅で仕事をしていましたので家にいるのが当たり前だったのですが、昨日までたった2泊3日でも出張に行って家を離れると、やっぱり家は良いなぁと感じます。
まず、なによりリビングが広い。他の部屋は物置のごとく汚くなっても、今はリビングだけは極力片づけようと努力しています。リビングは大体17畳ほどの広さでその真ん中当たりにソファを置いて奥をダイニング、手前をリビングと分けていますが、仕切がソファなので圧迫感はありません。手前のリビングにしている部分には床暖房が入っていて、隣の和室も繋がっています。そこで床暖房を付けてゴロンと横になると幸せを感じます。更に、最近の貧乏生活の中で何度か「手放してしまおうか」と思ったTANNOY(たんのい)のARDEN(あーでん)という25年くらい前のスピーカを中心に選んだオーディオ装置で音楽を掛けると更に幸せ感が増します。セリーヌ・ディオンや若かりし頃のアート・ガーファンクルなど最高です。まぁそれらの音が気持ちよくなるように音を作っているのですから当然と言えば当然ですが。

昔、「来るもの拒まず、去る者追わず」の優柔不断な性格の私をして唯一「二度と顔を見せるな!」と言わせた女性の(元)友達がいます。できちゃった結婚をして、相手の親と同居をしたけどあれこれあって直ぐに離婚。結局自分が頑張って働いて子供を育てるでもなく親に食べさせて貰っているのに、自分が貧乏なのは親のせいだと嘆いてばかりいた人でした。その女性に「あなたはずるい」と言われた事がありました。「なにが?」と聞くと「私は子供をどこかに連れて行ってやりたいと思っても、貧乏で二人で出かける旅費もない。車も持っていないからどこにも連れて行ってやれない。でもあなたは車も持っているし、好きなところにいけるし、こんな家も買ったし…不公平だ」と言うのです。「私は私なりに仕事をして得た金でこの生活を得ているだけだ。あんたが貧乏なのは仕事をしないからでしょ。定職にも就かずに遊んでいて、仕事をして給料を貰っている人と同じ生活を望む事が間違えているのではないの?」と言うと「私が仕事をしないのではなく、自分が就職をして給料を貰うと、今家族で住んでいる公団住宅の年収限度を超えるため出て行かなければならなくなるから」なのだそうです。私にはそれが立派な理由なのかどうか判りません。そうまでしてそこに住みたいなら納得しているのでしょうから人の生活をうらやむべきではありませんし、納得できないなら他の方法を模索するべきです。「どんな理由があろうと、自分がそう納得してその収入で生活をしているのだから、それと他の人を比べるべきではないよ」と諭しても「いや、絶対に不公平だ」と譲りません。そして彼女は「だから、あなたは私たち親子をどこかにタダで連れて行くべきだし、私たちにお金を還元するべきだ」という論理の展開を見せる事になるのです。
後日、何かのメディアで老後を東南アジアで過ごす事にした日本人夫婦の話を聞きました。あちらは物価が安いので、日本ではようやく生活していける程度の年金でもあちらの国では豪邸にお手伝いさんを付けて過ごす事ができるのだそうです。日本に未練がなければそんな生活も良いのかもしれません。でも、そうやってその国で生活に慣れた頃、その国の物価が上昇して生活がしにくくなったらその人達はどうやって生きるつもりなのかなとちょっと心配になりますが…兎に角、その人達はお手伝いさんを雇って家事は任せ、自分たちはしたい事だけをしてのんびり生活をしているのですが、家の食料品などが本当に直ぐになくなるので何が原因かを探ったら、家に通っているお手伝いさんが、その家にあるその家のために買った食料品を自分の家のために持ち帰ったり、気前よく他の人に分け与えたりしていたのだそうです。「なぜ、うちの食料を勝手に持ち出すのか」と咎めたら「困っている時はお互い様だろう。ここに食料があって、あそこに困っている人がいるから渡すのだ」と悪びれる事もなく返事が返ってきたそうです。
貧乏で困っているのはお互い様だから、金持ちの家に余っているものはどんどん貧乏人同士で分ける事自体何が悪いのかと言う事です。何となく納得してしまいそうですが、それでは「金持ち」の人はたまったものじゃありませんよね。それって「私はお金を持っていないけど、欲しかったんだもん」と化粧品などを万引きする人と似た似非理論武装なのかなと思いますが、それがその国の貧困層の生きる手段だとしたら一概に否定はできないのでしょうね。肯定も当然ながらできませんがね。
その話を聞いて、「ああ、あの女性もこの貧困層の住民と同じなんだ」と感じました。その人は「カネがなければ幸せになれない」「カネが無いから不幸なんだ」と言っていましたが、常にそう言う「金の力」で惨めな思いをしていたのだとしたらそう言う考え方にもなるのかなと思うとなおさら、その外国のお手伝いさんと同じという考え方がツボにはまりました。ファンの方には大変失礼ですがカンダウノという人にも同じ匂いを感じます。
兎に角、その女性が自分では何の努力もせず、人の生活をうらやむ事ばかりをしている姿を見ていて、私はそれを反面教師とする事ができたと思っています。人それぞれの価値観も違うのですから他の人と比べる事は意味がありませんよね。

先日ニュースで、今話題になっているホリエモンが一時期月給3千万だったなんて話がおもしろおかしく取り上げられていました。月給が3千万円…もし月給が手取り30万円のサラリーマンが突然そんな給料を貰う事になったとしたらどうでしょう。今までのペースで生活をしていたら、30万円位で事足りてしまいます。と言うかその金額でやりくりをしていたのですからね。という事は毎月2970万円が余ると言う事です。それを1年貯金すれば預金額は35千万円…もうそれだけで私たちが普通に暮らすなら、もう一生働かなくても食べるに困らない金額がたまってしまいます。そんなお金を貯めても意味がないのでじゃあ毎月100万くらいは貯金するにしても残りの2870万円は何かに使おうと考えて悩んでしまう訳です。フェラーリだのベンツだのマイバッハだのと幾ら高い車を買ったとしても、そんなのは一回払ってしまえば終わりですから大したものじゃありません。1億円の車だって4ヶ月もお金を貯めたら買えてしまうんです。車のような「安物」は買っても意味がありません。時計だってたかくても数千万円でしょ。そんなのじゃあ駄目ですよ。だったら高級な賃貸マンションで家賃の1000万円も払う事にしようとか、ブランドものでも買って少しでもお金を減らそうと努力を「しなければならなくなる」のかもしれません。
高級レストランとその辺の大衆食堂の値段が違うのは、どんな店で修業してきたシェフがいるかと言う事より、その店の狙う客層の財布に応じた材料を用意しているかどうかという事に掛かります。大衆食堂では如何に安い食品を効率よく無駄なく使うかに尽力しますが、高級レストランでは値段に糸目を付けない食材を買ってきて、その中の良いところだけを使って料理をするからこそ値段も高くなってしまうのです。はたして月何千万円ものお金を使わなければならなくなった人は大衆食堂に行くでしょうか。500円の定食を何回食べたって財布の中身は減ったようには感じません。何とか減らすためには一食が何万円もするような店で湯水のようにお金をばらまきながら食べなければならなくなるのです。

私は貧乏だと思っています。ひいひい言いながらようやくこの家を買いましたし、車も何とか維持していますが、それでも裕福ではありません。でも、先の女性から比べたら財布の中身も心の中身も裕福だと自信を持って言えます。六本木を住処とするような人たちは裕福でしょう(多分)。でも、心の中は裕福でしょうか。また、金持ちにあこがれる人、金が全てを解決すると思う人、そこにしか幸せを見つけられない人は、どこまで行ったらで幸せを感じられるのでしょうか
そうやって両極端を考えると、収入に応じた「分をわきまえた」生活って大切だなぁと思えるのです。貧乏なくせに高い外車に乗ったり、ブランドものの鞄を買ったりするなんて本当愚の骨頂と思えます。車に傷が付けられたって「あぁ、いいよ。そんなもの」と言えるものでなければ分不相応なのではないでしょうか。6畳一間で何十万円もするバッグだけを持っていても惨めなだけじゃないでしょうか。自分が一生懸命努力をした結果得た収入で無理なくその鞄なり車なり時計なりを買えるようになったから「自分もようやくこれを持てるようになった」と買うのが粋ってものじゃねぇのかなと私は思う訳ですよ。ま、他の人が別の価値観を持っていても否定はしませんけれどね。

私は今貧乏ですが、小さな小さな幸せを感じています。背伸びもしていないし、心に幸せを楽しむ余裕を持っています。そして、良い友達にも恵まれていますしね。悪い事はたくさんあります。不幸の元になる様々な心配事項がね。でも、どんなに貧乏になっても、どんなに不幸を感じる事があっても、多分今の環境にいる限り私は幸せを感じていられると思います。その心の持ち方を大切にしたいと思います。支離滅裂に感じられた人にはごめんなさい。


ライブドアとのつながり…

先ほどメールをチェックしたら、ライブドアから「週間ライブドアブログ通信」というものが届いていました。内容は事件で騒がせているけど通常の営業をしますから心配しないでという連絡なのですが、「なぜ私に?」とびっくりしました。なぜ私の所にメールが来たのかを知るため文面を読んでみました。私とライブドアは何のつながりもないと思っていたのですが、一本ミミズの髪の毛ほどの細い繋がりがあったようです。それは昔私がこの雑記を書いていたMEMORIZEの身売り先がライブドアだったらしい事です。MEMORIZEが無くなる時、問題がなければそのままライブドアに場所を移してくださいって感じだったようです。でも、実際には私はMEMORIZEが無くなる以前にMEMORIZEでの更新は辞めて今のエンピツに移ったので全く関係ないつもりでいたのです。
※本メールは、livedoor Blogでブログを作成されたお客様、
MEMORIZEからlivedoor Blogに移管されたお客様にお送りしています。
って…私はライブドアでブログを作ってもいないし、メモライズから移管もしていないんですがねぇ…退会せず何の手続きもしなかったら勝手に移管されちゃったんでしょうかね。今までにもライブドアからメールが来ていたならまだ判りますが、今までメールが来た事もないのに、こんな時だけメールが来るってある意味怖い思いをしています。

げげっ!登録しようとしたら「文章は原稿用紙20枚以内で」とエラーが表示されました。長文ごめんなさい。(編集して短くして収まりますようにと祈りつつ登録します)

2006年01月25日(水) 仙台でのおみやげは…

さて、仙台での最終日を迎えました。計算通りに行っていれば、今朝8時過ぎ位に「プログラム上で問題があるとすればここ」と言う場所を通過しているはずです。つまり客先に行ったら結果が待ちかまえているという事。問題なく動くように作りましたし、個別のテストでも問題なく動いています。心配する事はない筈なのですが、やはり心配です。小心者のつらいところですね。

結局、昨夜1時間半の散歩はしましたけれど、食事は客先の社員食堂とコンビニだけ。仙台に来たぞって言う気持ちは娯楽の面からは全くなかった。まぁ、仕事をしに来たのですから当然と言えば当然ですが。ある人から「仙台に行くならアベの笹カマを買ってきて」と頼まれました。正直な話、私はそれほど笹カマファンという訳ではありませんので、頼まれたら買っていく程度なんですが、ブランドを指定されたのは初めてでした。
アベの笹カマっておいしいんですかね。まぁ、名指しですからそれを買っていきたいと思います(駅で売っている事を祈ります)が、このメーカーは本当においしいのかな。自分の分も買って試してみる事にします。今までは牛タンを良く買って帰っていました。でも、このご時世ですからちょっと躊躇しちゃいますよね。果たして仙台のおみやげと言ったら何が良いのかな。とりあえず自分へのおみやげは、駅弁を数種類買って帰る位かな。
さ、今日も頑張って行ってきまっす!

2006年01月24日(火) 受験トラブル / (体は至って健康ですが)病気あれこれ…

私には遙か古の思い出となった大学受験ですが、今年は新兵器が登場して混乱したみたいですね。英語のヒアリングテストにICプレイヤが登場したのですが、各地で故障などが相次ぎ、再テストを行った会場、再テストを申請したけど却下された会場など様々なトラブルを招いたようです。

代々木ゼミナールなどが受験対策にと採用したのは松下製のICプレイヤーで、受験勉強用ですから何度でも繰り返し再生ができるみたいですが、実際の試験会場に提供されたのはSONY製らしいですね。ICプレイヤの写真を見ましたが、操作をできるだけシンプルにしようと言う魂胆からか「1.電源」「2.確認」「3.再生」という3つのボタンと音量調節つまみしかない単純な構成になっています。が、「2.確認」って何のボタンですかね。電源ボタンは押せば電源が入るのでしょう。再生ボタンも押せば再生が始まるのでしょう。でも、確認って?
個別にこんな機械を渡すのですから、少なくとも個人が自分のペースで何度でも聞きたいところを繰り返し聞く事ができるのかと思ったら、このICプレイヤは巻き戻しの機能が無く、一度聞いたらお終いというものです。だとしたらなぜ個別にこんな機械を持たせる必要があったのでしょうか。一台の機械からスピーカーを通して聞かせると「場所が悪くて聞き取れなかった」と言う人がいるからなんでしょうか。まぁ確かに自分の耳元で自分の好みの音量で流す事ができるなら、それはそれで良い訳は出来ませんもんね。でも、先にも書きましたように、この機械には「確認」という訳の分からないボタンがありますので、少なくとも私は操作を間違えそうです。また、イヤホンを耳に装着して再生をしたら音量が小さすぎてまたは、大きすぎて最初のところが聞き取れなかったなんて事は十分考えられますが、果たして、そう言う音声を調整する為の準備は考慮されていたのでしょうか。そう言うチェックをするのが「確認」ボタンなんですかね。

不具合を訴えた人は460人を超えたと聞きました。実際に保管場所と試験会場の温度差での結露による短絡などで機械が壊れたものもあった事でしょう。ソニー製となれば他社より初期ロットでの事故率が高くても、「ソニー玩具だからね」と頷いてしまう人は少なくないでしょう(頷かれたところで受験生は納得しないでしょうけれどね)。でも、本当の機械の不具合だった人はこの内の何人なんでしょう。そして何人が実際には操作方法を間違えて聞き取る準備をせずに再生を開始してしまって、何人が「判らないから機械のせいにしちゃえ」と言う人だったんでしょ。
試験センタ側はこの機械が壊れるとは思っても見なかったし、壊れたら再試験をすればいいやと言う感じでのほほんと構えていたみたいです。まぁ危機意識が欠落しているのはこの手の人たちのお約束です。危機意識のない管理者に、初期不良が当たり前の製造メーカー、不慣れな使用者…これでスムースに物事が進行したら奇跡だよってなものですね。被害を受けた受験生にとっては「良い迷惑」だったことと思います。
それにしても、このトラブル数はICプレイヤを採用しなかった場合と比べてどうなのでしょうか。どちらにしてもトラブルがあるなら、壊れる個体数が少ない方がトラブルも少なくなると思うんですけれどね。受験生の都合より、企業の都合で採用されているという感じが拭えません。それで人生を左右されるって悲しいですね。どうかここで悔しい思いをした人は、頑張って将来松下やソニーの社長になって「こんな理不尽な事は辞めさせてやる!」と言う事を目標に人生を頑張って欲しいと思います


(体は至って健康ですが)病気あれこれ…

客先は残業ができないので定時で仕事が終わり…ならまだ良いのですが、実際には定時より更に30分から1時間はやく、一段落ついた時点で作業を終えてホテルに帰っている状態です。仕事は結構きつかった(自分で自分の首を絞めた)けれど、順調に終わったと思います。明日の朝動作を確認して問題がなければ終わりとなるでしょう。

まだ暗くならない内にホテルに帰ってきてしまったので、今日は1時間半ばかり外を歩き回りました。健康のためと言えば格好が付くかもしれませんが、実際には優柔不断で気が弱い性格が災いして、店に入って食事をとるのはお金が勿体ない。でも、コンビニはまずいし結局店で食べるのと同じ位お金がかかる。どっちにしようと悩んであちこち歩き回って、コンビニに入っては商品を眺めて買わずに出てきて、店の前に行っては「こんな繁華街の店は高いだけでまずいに決まっている」とか「こんな寂れた場所にある店はまずいに決まっている」と拒み、1時間半健康のためにしっかり歩いてきただけで、結局はホテルの近くのコンビニでおにぎりを買って済ませてしまいました。

その歩いている途中で鞄屋さんを見かけました。
実は私は密かな鞄フェチです。ブランドマークが前面に押し出されたようなデザインは苦手ですので、そうではなくて美しいフォルムの鞄に目がないんですよ。そして、今使っている鞄の多くは「冬の北海道に列車旅行へ行き、立ち寄った帯広の鞄屋で…」とか、地方に行った時、衝動的に買う事が多いのです。
そして、私は実は密かなランドセルフェチ…別にランドセルを背負う小学生の女の子を…とかそんな趣味ではありませんし、自分が仕事にランドセルを背負って行こうと言うつもりも更々ありません。ただ、日本では当たり前のように「ランドセルは小学生のもの」と決めつけていますが、あのフォルムは侮りがたいんですよ。
で、今日見かけた鞄屋さん、オーダーメイドの鞄を作っているみたいなのですが、様々な材質の革を使った、様々な色のミニチュアのランドセルがたくさん置いてあったのです。とってもきれいで思わずうっとりと眺めてしまいました。その陳列されている窓の少し上には私を誘うように「クレジットカードが使えるよ」と言うお知らせシールが貼ってあります。思わずフラフラと入ってしまうところでした。2歩ほど前に出たところで我に返って、今は貧乏だから駄目と思いとどまる事ができた次第。実際、既に様々な鞄が押し入れ一杯に詰まっているんです。とても使い切れない量なんですよ。鞄フェチ…この病気どうにかしないとなぁ

更に私は良く言えば「多趣味。広く浅くいろいろな事を」という性格です。でも、有り体に言えば「何でも興味を示すけど長続きせず、飽きっぽくて直ぐに放り出す根性無し」という事になるのでしょうか。その性格のおかげで家には様々なものがあふれかえっています。が、殆ど役に立った事はないものばかりという感じです。
まぁ持って生まれた性格で、今更それをどうにかできるとは思いませんから、その性格をこき下ろして惨めになるのはやめておきますが、かなり昔からの趣味でお絵かきって言うのがある訳です。シャープのザウルスで書いた下手な絵を公開した事もありますが、時々無性に絵を描きたくなるんですよ。そんな訳でメインに使っているパソコンがMacのQuadra700だった時代にも、今もワコムのタブレットを買って持っているんです。しかし、エンピツで紙に書くのと違って思ったように線が引けないって直ぐにめげて使わなくなってしまう訳です。でも、何年かするとまた書きたくなってくるんですよ。本当どうにかならないものですかね。
で、最近またタブレットを持ち出して遊んでいるんですが、私の持っているのはA6サイズのワコムの一番安いヤツ。これだと描く面積が小さすぎて凄く使いにくいんだって事にようやく気付きました。でも、A4サイズのタブレットって約4万円もするんですよね。趣味で描くのにそんなお金はどこからも出せません。でも、写真加工(下手な写真の失敗を取り繕う)のもこのタブレット使い慣れると凄く便利で手放したくない…はぁ…で、無理矢理買ったとしても、買った事で満足して使わなくなるんだろうなぁ…これも貧乏人のくせに無駄遣いしたい(無駄遣いばかりするから金が貯まらない)病なんですよねぇ。それもかなり重傷のようです…

2006年01月23日(月) 仙台にて / ホテルにて / だからインターネットのニュースは…

はやて1号で移動中です。この新幹線、大宮の次は仙台って事であっという間に、本当、私が会社勤めをしていた時の通勤時間より短い時間で仙台に到着してしまう訳ですけれど、その1時間ちょっとの間に外の風景は激変しています。いまは一面真っ白な世界。いまの時刻は08:25。果たしてどの辺りなんでしょうね。以前使っていた3GじゃないVodafoneなら位置情報を手軽に見る事ができて「お、いまは福島県の二本松の辺りだ」とか判って重宝したものですが、いまのこの電話機でそのサービスが受けられるのかいまいち良く分かっていません。電話機でインターネットとか、着メロのダウンロードとか殆どしない私にとっては3Gの恩恵は殆ど受けていなくて、以前の電話機の方が遙かに便利だったように思います。(等と書いている内に仙台についてしまいました。早っ!)

さて、人身御供にされた感の強いライブドアですが、その資金調達の全容が次第に明らかにとかどうでも良いような事で無理矢理話題作りをしているように思いますが、それに応じて政界もはやく強度偽装の話題を世間が忘れてくれますようにと必死にこちらの問題に重点を置こうと努力をしています。選挙でホリエモンと争ったなんとかと言う自民党を追い出された世論を読めないか、郵政と癒着して身動きのとれない政治家(加藤某とか言ったような記憶が…)が、今回の事件で「カネに執着している人を政治の場に引きずり込もうとした自民党の責任は重い」なんて阿呆な事を言っているようです。物事を結果論でどうにかしようとしたら、何事も進まないと言うか何もできなくなってしまいます。結果論ではなく、全体の状況判断として「あなたは自民党にいりません」と事前に捨てる事こそが物事の大切な肝の部分なのです。こういうくだらない事を言う事しかできない人が政治家として国民を代表しているって言うのは本当に嘆かわしい事ですね。


ホテルにて

本来はタクシーで往復するのですが、こちらで営業を担当してくださっている方がわざわざ駅まで、ホテルまで送迎してくれます。タクシー代が浮いて助かります←こういう言い方が卑しいですねぇ。素直にありがとうございますと言いたいものです。

新幹線から眺める福島や宮城の風景は「一面の雪」でした。地面に降り積もった雪だけでは飽きたらず、雪が吹雪いている感じに空気がかすんでいました。まぁ200km/hを超えるスピードで走っていると全てがそんな風景に見えるのかもしれませんし、それは県境の山間部だからなのかもしれません。兎に角、新幹線で仙台についてそのまま駅構内のお店で時間調整と称してご飯を食べて、朝の雑記をアップした訳ですけれど、その時点ではまだ仙台の天気とか状況は全く把握していませんでした。お迎えが来て初めて外に出て、雪の少なさにびっくりでした。しかし、今日私は1足\480で買ったデッキシューズを履いてきたんですが、この靴だと簡単に滑って転んでしまいそうで怖いです。
仕事は順調に進みすぎて明日、明後日の予定も今日消化してしまいました。それでは儲けになりませんので、あれこれ口八丁手八丁を尽くして仕事をもぎ取りました。うまい人は私が今日終わってしまった仕事を三日に分けて完成させてのんびり楽をするのかもしれませんね。私は仕事は得たけど果たして明後日までに終われるのか一抹の不安を残しています。やはり商売が下手なんですねぇ。自分でもそう思います。まぁ、そういう風にして得た信用というものもありますので、それはそれで大事にしたいと思います。

さて、ホテルですが、チェックインの時に「500円出せばダブルかツインの広い部屋に変えられます」と言われました。このホテル、50周年記念という事で5,000円/泊と格安料金なので選んだので、わざわざお金を出して広い部屋にするのは勿体ないかとも思いましたが、実際私の体格だとシングルの部屋では少し窮屈なので、ここはほんの少しの贅沢と500円/泊で2泊分1,000円を支払う事にしました。ダブルベッドは快適ですし、部屋も広いので圧迫感がありません。これで部屋の大きさに応じて風呂も広ければもっと良いんですけれど、まぁお尻洗浄機能付きトイレだからよしとしましょう。

夕食を買い出しに外に出てみました。所々滑るところもありますが、一応気を付けていれば私の安物靴でも大丈夫なようです。コンビニでお弁当などを買いましたが、これなら普通にお店で安めのメニューを頼んだ方が良いかなぁ…なにかコンビニ弁当ってお金を払うのが勿体ないです。まぁ近くにお店もないし、ホテルの飯は高すぎるしですから文句を言わずに食べるのが吉と言う事でしょう。


だからインターネットのニュースは…

今、ホテルのテレビでアメリカンフットボールのNFCプレイオフ決勝「シーホークス対パンサーズ」を見ています。その傍らでパソコンからニュースのインデックスを見ていたら「スーパーボウルは…」と見出しが目に入ってしまいました。
一気に萎えちゃいますね。結果が分かってしまったら経過が楽しめないじゃないですか。まぁこんな時に無防備にニュースなんか見た自分が悪いとも言えますが、でも、ニュースの見出しはできるなら結果を知らせず、結果を知りたい人の興味をひくに止めて、結果は本文で知らせて欲しいものです。ニュースは即効性が命という面もありますが、少なくともRSSの見出しでは社会面だのスポーツ面だのと見出しを選択できないのですから、是非ともそう言う部分を考慮して欲しいと思う次第です。

2006年01月22日(日) 雪道を歩くこと / 蕾がいっぱい / これで良いのか? / 出張

首都圏に雪が降り、都内では68人が転倒して骨折するなどの怪我をしたそうです。また、新幹線が速度を抑えて走ったり、間引き運転をするなど交通機関にも影響が出たようです。

まぁ、基本的には殆ど雪の降る地域ではないので、年に数日ある降雪の日にパニック状態になるのは仕方のない話ですね。その何日かのために何億、何十億もの対策をとる方がバカげていますから。怪我をした人にはかわいそうですが、危機管理は自己責任って事で考えれば何も問題はないでしょう。
私も田舎に住んでいた頃は、「東京に雪が降った」というニュースを見る度「何であの人達は、あんな所で歩けないの?」と思ったものです。いまにして思えば、文京区の神楽坂あたりが映っていたのだと思いますが、兎に角坂道を上れない無様な姿がおもしろおかしく映し出されている訳ですよ。いまでもネット上を徘徊していると「東京に出張したら雪だった。みんな歩けないけど、私は雪国の人間だからさっさと歩いてきました」とかそんな書き込みを見つける事があります。言葉を悪く言えば、「それはあんたがその地方から出た事がない為の偏見だよ」と言う事に気付いていないのですね。北海道を始め雪国と言われる地方の人はこの季節否が応でも雪と対面した生活を余儀なくされます。当然、雪の上の歩き方もうまくなりますし、東京育の車の運転が好きな友人を私の田舎に連れて行ったら、積雪路を軽自動車に乗ったおばちゃんがこともなげにカウンターをあてて走っているのを見てびっくりしていましたが、そんな事は当然の風景なんですよね。そう言う意味では「自分は雪国の人間だからさっさと歩く事ができます」って言うのはあながち嘘じゃないんですけれど、でも、では東京の人間は雪の上を歩く事ができないかと言うと、それはそれでちょっと誤解があると言うか、東京に住む人の多くは地方出身者です。その半分位は雪国の出身でしょう。それでも、雪が降ったらまともに歩けないのはなぜか。それは簡単な事で、靴底が雪道に対応していないだけなんですね。雪が降る事を想定していないので、雪が積もった道ではつるつるに滑ってしまうんです。ですから、先のような発言をする人は、雪国から出てきたそのままの装備で東京の雪道を歩いて「東京の人は…」と言うのではなく、東京の人が履いているような靴を履いた上で、東京の人とは明らかに違うパフォーマンスを発揮して初めて「東京もんはよぉ」と言うべきなんじゃないかな。と思う訳ですよ。
何もこんなに行数を割いて力説するような(それも過去にも書いた事があるような記憶がそこはかとなく…)事じゃないと思うのですが、でも、先日のカニの話と同じく、「井の中の蛙大海を知らず」で意見を断定する人が多すぎるような気がして、どうもそれが引っかかっちゃうんですよね。
雪を殆ど見た事のない人、雪の中で生活をした事のない人と、冬と言えば雪と対面せざるを得ない人とでは当然ながら雪国の人の歩き方がうまいに決まっています。普通に歩くのとは微妙に違う緊張がありますからね。でも、同じ条件で試してもいない事で得意になるのとは違うでしょ…ああ、どうでも良い事に拘ってしまっているなぁ…まぁ、読み流してやってください。今日は外の風景に雪があって、お日様がポカポカ良い天気で大きなニュースもなくほんわか気分なのでこんな記事でごめんなさい。さ、花壇の手入れしてこようかなっと。


新芽がいっぱい

花壇の手入れをしようと庭に出ました。12月3日に来年の春を見越して、球根を植えたりしたのですが、兎にも角にも土中に埋めた球根ですから、水をやりはしても、直ぐに変化が現れる訳でもなく、暫く機械的に水まきだけをしてじっくり見ていなかったのです。

今日、じっくり花壇を見てみたら…芽がたくさん出ていますよ。
クロッカス

これはクロッカスの芽です。これ以外にも水仙の芽も出てきています。更にびっくりした事には、今年は鼻を突けなかったクリスマスローズですが、それも新芽が出てきています。花壇も生きているんですね。しみじみと実感しました。新芽達は近々「lunatic's photo」の方に掲載しようと思います。

今日は、パトリオットを1株ずつ、2鉢植えてみました。越冬するかと実験していたサフィニアは、さすがに何の傍観措置もしていなかったので見事枯れてしまいました。まぁそんなものでしょう。


これで良いのか?

ニュースを見ていたら、トリノオリンピックに派遣する選手団の話がありました。
選手113人に、役員(?)127人…ちょっとちょっと、選手より選手じゃない人たちが多いんですか。これって本当に必要な人たちなんでしょうか。それともオリンピックに名を借りた税金での観光旅行団なんでしょうか。ちょっと浮かれすぎじゃないの?と思った一瞬でした。


出張

明日から2泊3日で仙台へ出張。
スタッドレスタイヤが無事だったなら、多分この出張は今日の夕方当たりに自分の車で出発して、のんびり雪景色でも撮影しながらの旅をしていたでしょう。しかし、残念ながらスタッドレスタイヤをつぶしてしまって夏タイヤを履いている状況ですので、おとなしく新幹線で行ってきますわ。
ホテルはブロードバンド環境の整っている部屋を予約しましたので、家にいる時とほぼ変わらずに遊べそうですが、今回はちょっと別の仕事を持って行って二足のわらじを履くつもりなので、遊んでいる暇はあるのかなぁ…まぁ、出張楽しんできます。

2006年01月21日(土) アメリカ牛に危険部位混入 / 郵政勝訴は正しいのか / 外は雪

アメリカ産の牛肉、輸入が再開されて間もないのですが、早速「危険部位混入」が見つかり、農水省は安全が確認されるまで輸入の全面停止処置に踏み切りました。
これに対してアメリカの農務長官は「こちらのミス」と認め、検査態勢の見直しなどをはかるとコメントしましたが、食肉組合などは「ミスをしたのは1つの業者で、全体を禁輸にする必要はない」と反発しているようです。また、なぜ混入が起こったかと出荷した企業に問い合わせたところ(アメリカ国内では生後30ヶ月までの牛は安全とされており、その基準では今回引っかかった脊柱は危険部位と判断されて居らず)、「日本にも輸出できると取り違えた」とコメントしているようです。その昔オレンジの輸出でも、輸出する船にオレンジを載せてから防かび剤を散布して、「だって、船に載せる前に散布したら国内で問題になるじゃないか」と平気でコメントするような「自分の国さえ良ければ相手国などどうなっても良い」という姿勢の国ですから、私はアメリカの食品はアメリカ国内で食べるならそれなりに安全かもしれませんが、それが輸出された時点で「危なくて手を出せない」ものと判断しています。今回も、2年の禁輸期間をおいての輸入再開であったのですが、その輸出業者として指名された企業のこの意識の低さはなんと考えたらいいのでしょう。更に言えば、その食肉加工業者には政府から検査官が派遣されていたにもかかわらず、その検査官自体も「日本への輸出には背骨は取り去らなければならない」と言う事を認識していなかったと言うのですからね。結局は、「日本の都合なんて考えていられるか! アメリカではこの基準で通っているのだから、それで良いだろう」という如何にもおおらかないい加減さで対応されている訳です。
只でさえ不信感がみなぎっている状況で、このいい加減な対応というのは如何なものでしょう。まぁアメリカの属国と成り下がっている今の日本では、コイズミ日本州知事(?)が直ぐに形式上の謝罪を受け入れ輸入再開になるのでしょうけれど、輸入が再開されて1ヶ月のこの時点で既にアメリカは「生後20ヶ月ではなく30ヶ月にしろ」という養成をしてきています。つまり、アメリカ国内基準と一緒にしろと言っている訳ですが、そうなればまた更にアメリカ国内基準の肉が混入してくる可能性もある訳で、ここはどうかコイズミ州知事に頑張って貰ってどうか日本州の州民の安全を慮ってほしいと思う次第です。


郵政勝訴は正しいのか

日本郵政公社の「ゆうパック」をローソンなどで取り扱う問題で、ヤマト運輸は「公社と民間で価格競争をする事は不公平だ」と郵政公社のサービス提供停止を求め訴えていたのですが、この度東京地裁で判決があり、ヤマト運輸の敗訴となりました。その理由が「ヤマトは他民間業者よりも平均単価が高い状態にあるにもかかわらず利益を伸ばしており、「公社の活動が活動を困難にさせるおそれがあるとは言えない」ということだそうです。

これはおかしい。
問題の論点がずれています。問題は国民の税金で動いている郵政公社が民間の企業とシェア争いをする事の不当さという事です。民間企業は収益のバランスを考えながら、他社と競争をしながら、それこそ血のにじむ思いで今の地位に上り詰めたのです。そこに国の潤沢な資金を、何の危機感もなくばらまきながら、国が用意してくれた流通経路を利用しながら、なぜ民間企業と競争をしなければならないのでしょうか。郵政公社が民間と顧客を取り合うような商売をするなら、それは民間に任せて、郵政公社は解体すべきです。国がやるべき仕事ではありません。ここでは何度か書いていますが、国がやらなければならない事業とはなにかと言えば「民間では赤字となって商売として成立しないけれど必要なもの」を嫌々でも国が民間に成り代わってやる事でしょう。その昔、輸送の主流が鉄路だった時には、日本全国津々浦々に郵便を届けると言う事業は難事業だった訳で、それを民間にさせる事はできなかったので郵便局の存在価値はあったのです。しかし、既に民間が全国にその配達体制を整えた今、郵便事業が国営である必要なんて全くどこにもミミズの爪ほども意味がありません。
「利益を模索するのではなく、民では赤字となる仕事をこなす」と言う事を官の仕事としたら、民間からシェアを奪って利益を模索する必要がどこにあるのでしょう。逆に官の事業で利益を生み出さなければならない事業とはどんなものなのでしょう。なぜ、それを官の事業にしなければならないのでしょう。私にはとうてい理解できません。この判決を下した裁判長はその辺りをどう考えているのでしょうね。


外は雪

「明日は午後から雪でしょう。用事のある人は午前中の内に」なんて昨日の天気予報で入っていましたが、ものの見事に朝から雪です。なんと天気予報の当てにならない事よと嘆いても仕方ないですね。今日は食料品の買い出しでも行こうかと思っていたのですが、車は先日スタッドレスタイヤを壊してしまって夏タイヤを履いていますから走らせる気になりませんし、近いとはいえ、歩いて行くのも面倒なので、今日はあるものを食べて、家でのんびりしている事にします。心配なのは月曜から仙台に出張するのですが、果たして朝はきちんと列車が動いてくれるだろうかという点です。今日の雪の降り具合で心配の度合いも違ってくるのでしょうけれど、こちらは雪に弱いからなぁ…

雪がうっすらと積もった状態を夏タイヤで走るって私はとても怖いです。雪国の人だと、「まだスタッドレスにするには勿体ない」なんて思っている内に雪が降って、おそるおそる夏タイヤで帰ったなんて経験をお持ちの方も多いと思います。私もそう言う経験があって、夏タイヤが如何に簡単に滑るか、殆ど危険の無いように見えるうっすらと雪の積もった道がどれだけ簡単に車の制御を奪うかを身をもって経験しているので、夏タイヤを履いている車を雪が降っている時に運転するなんて事は恐ろしくてしないのですけれど、こちらでは多くの人が普通に運転しています。「雪でぬれるから」「寒いから」そんな理由なんでしょうけれど、本当1つ間違えたら大事故です。そう言えば先日暫く前にテレビでやっていましたが、一室に人を集めて、その部屋の外で煙りをだして火事を匂わせるのですが、その部屋に集まった人の内1人以外は実は示し合わせて、その煙を無視するようにしているのです。そうすると、残った事情を知らない1人はその煙に気付いて「火事?」と思いながらも、周りの人が平然としているので自分が騒ぐ事を潔しとせず黙って行動に出ないのだそうで、本当は、雪道を夏タイヤで走らせる事はとても危険きわまりない事です。1t〜2tもの鉄の塊が制御不能になってしまう可能性がある訳ですからね。でも、周りの人も走っているからと、もしかしてその人はスタッドレスタイヤを履いているかもしれないという可能性を無視して、危険も無視して「それならば自分も大丈夫」と走る人が多いという事なんでしょうね。まったく冗談じゃないですよ。まぁ雪国で育った経験もない人たちに雪の怖さを知れと言うのは無理があるとは思いますが、危機意識を持って欲しいものだなぁと思います。そして、事故を起こす時はあなた自身がどうなろうと私の知った事ではありません。車をつぶすでも、怪我をするでも勝手にしてください。自業自得というものですから。でも、どうか私にだけは迷惑を掛けないでくださいねと心から祈る次第です。

2006年01月20日(金) 久し振りの新宿 / コニカミノルタもカメラ・写真事業から撤退 / 電気ケトル / FireFox使いのエンピツユーザに朗報?

昨日、久し振りに新宿へ行ってきました。
丸ノ内線に乗り換えるため、東口からアルタ方面に向かい地下道に入った訳ですが、ヘタをするとここに来るのは10年ぶり位かもしれない、いやヘタをするともっとかな。昔は新宿に行くと言えば東口で、ここを通って紀伊国屋や伊勢丹、その裏のテアトル新宿などに通い詰めていたものです。また、この地下道にあったグリコア等を散策したのも懐かしい思い出ですね。しかし、いつの頃からか、新宿に行くとなれば西口のヨドバシカメラ、通勤では南口で小田急に乗り換えたり御苑方向へ出て行ったりで東口に出る事は珍しくなってはいたんです。それにしても本当懐かしかったです。

帰りに新宿で京王百貨店に立ち寄りました。駅弁大会を覗いてきたのですが、もう閉店間際の時間だったので活気はあるけれど「売れ残りを処分したい」光線も立ち上っている感じでちょっと異様な雰囲気でした。予讃線松山駅の「醤油めし」と函館本線森駅の「いかめし」を購入して食べました。名前からごてごて飾り立てる弁当の多い中「醤油めし」とあっさりした味付けの名前にひかれて買ってみたのですが、これは結構おいしかったです。「いかめし」はもう私にとっては定番です。兎に角機会がある毎に買っていますがあっさりしていて飽きが来ません。あと、友達がかった釧網本線摩周駅(旧弟子屈←こちらの方が風情あってすき)の「摩周の豚丼」も少しつまみ食いしましたが、こちらは確かに豚肉は柔らかくておいしかったけど「ふーん」って感じかなぁ。先日ちょっと話題にした北陸本線福井駅の「越前ちゅんちゅんかにめし」は既に販売を終え、「越前かにめし」に変わっていたようです。それもおいしそうだったのですが、目的としていたものではないのでパスしました。そんなに何個も食べられる訳じゃないですからね。
その後ヨドバシカメラに行って(お店に立ち寄ったのも何年ぶりだろ)、プリンタや電気ケトル、そしてデジカメを眺めて帰ってきました。初めてNikon D200を触ってみましたが、やはり良い感じですね。でも、多分買わない。D70を持っていなかったら飛びついていたかもしれませんが、私ごときの腕ではD70から乗り換えて明らかなメリットがあるとは思えませんから。確かに倍近い解像度は階調表現に優位かもしれませんが、まだ2年しか使っていないD70を捨てて買い換える程の魅力は感じませんでした…あんなぶどうは酸っぱいに違いないです。魅力なんかありません。フン!(←狐とぶどう式本音)


コニカミノルタがカメラから完全撤退

デジカメ部門の技術は業務提携してきたSONYに譲り、カメラ・写真事業から完全撤退するそうです。個人的には使った事はありませんでしたが、根強いマニアのいるメーカーだっただけに残念な事です。それにしてもSONYがαマウントを継承するんですか。まぁデジカメ業界でも踏ん張っているSONYですから有効利用してくれる事を祈りましょう。それにしても、今まではCONTAXブランド名で名を売っていたのですけれど、今度はCONTAXの名前が入ったαマウントレンズが出てくるんでしょうかね。そうなったらそれはそれでおもしろいんですが。


電気ケトル

昨日ヨドバシカメラに行ったのは2つ理由がありました。1つは仕事の都合上処理速度の速いプリンタが必要になるかもしれないと言う懸念から、レーザープリンタを下見することと、もう一つは電気ケトルを下見する事でした。

今まで家ではタイガーの電気ポット「とく子さん」を使ってきました。
「毎日使っているだけで、ポットが各家庭の給湯状況を覚えて、使う時間帯に湧かし、それ以外の時間は節電をする」という「とく子さんコース」がついていて、電気代がお得ってヤツです。それは便利そうですし、「どうせ常に保温しているなら大容量のものを買って盛大に使おう」と思って4リットルのサイズのものを買ったのです。が、実際に使ってみたら、仕事の都合で生活の時間帯は一定になりません。ですから、とく子さんコースをセットしていると、夜中の3時頃に突然お湯が沸き始めたり、こちらはご飯を食べたいのにお湯の温度はぬるま湯なんて事がある訳ですよ。そう、朝きちんと決まった時間に起きて、大体決まった時間にご飯を食べる家庭にはとても心強い節約コースなのでしょうけれど、不規則な生活を送る私にはとても無駄な機能であった訳です。私の知識が間違っているかもしれませんが、このコースを使えるなら、このポットは節約の中に電気を切って魔法瓶としての保温を織り交ぜ電気代の節約に励むのですが、このコースを使えなければ普通の電気ポットにしかなりません。そんな訳で、大容量のお湯を常に保温する「金食い虫」となってしまった訳で、残念ながらこれを放棄するという選択肢を選ばざるを得ませんでした。ポットは先日友人宅に貰われていきました。そこで、次のターゲットとして考えたのが「電気ケトル」。その辺の事は昨年の10月26日にも書いていますが、その中でラッセルホブスのポットが有力候補となってきたので、それがどんなものかを探りに行ったのです。

必要な分だけを短時間で湧かすというのはとても良い事のように思えます。思ったより小さくて邪魔にならない大きさも気に入りました。C3のA022と言うトースターを使っているのですが、デザインはとても良くマッチする気がします。飛びついて買ってしまおうと思ったのですが、消費電力1,250wっていうのは、それだけでブレーカーが落ちるほどではありませんが、コンセントを差し込む場所によっては、トースター等と合わせ技一本で落ちる可能性もある訳です。果たして大丈夫なのかと言う心配もあって、昨日は下見だけにとどめた次第。


FireFox使いのエンピツユーザに朗報?

既に使っていらっしゃる方も多いかもしれませんが…「IE-Tab」と言う便利なプラグインを見つけました。

それまで雑記を書いていたMEMORIZEに見切りを付け2004年4月にエンピツに引っ越してきたのですが、エンピツはIEのエンジンを利用しなければプレビューが表示されないなどの欠陥も抱えていて、まぁそれをも納得した上でお世話になるとお金を払ったのですが、当時はNetscape、現在はFireFoxをメインのブラウザとして使う身としては不便な場所を選んでしまったなぁと愚痴る事も多かったんです。
エンピツに限らず、大手企業のページでもIE以外のブラウザでは見られないと言うふざけたページは多く、まぁ元をたどればHTMLの機能を好き勝手に拡張したマイクロソフトの横暴が悪いんだと思いつつ、それでも現実問題として、本来ならプラットフォームの区別無く見られるはずなのに、ブラウザの違いごときで見られないページが存在するという情けない状況がある事を受け止めなければならず、本来IEはパソコンから削除してしまいたいところなのですが、残念ながらツールバーのかなり使いやすい場所に置いておき、FireFoxで表示されないページを見る必要がある時に起動しなければならないと言う無駄を我慢してきました。

ニュースによると欧州ではFireFoxのシェアが20%を超えたそうで、世界全体ではまだまだ10%を超えたところと言う事ですが、もう少し多くなってくれよと祈っていたところ、FireFoxのプラグインで「IE-Tab」というものがある事を知りました。IE自体を不要にするものではありませんが、FireFoxのタブでIEエンジンを使ってページを表示する機能を追加するプラグインです。
具体的に言えば、今まではFireFoxで編集モードに入り記事を書くことはできても、簡易プレビューをしても空白のページが表示されるだけでした。それが、この「IE-Tab」をインストールし、編集画面を「IE-Tabのオプション」の「サイトフィルタ」に登録するだけで、編集画面がIEエンジンを使って表示されるようになり、プレビューも普通にできるようになるのです。DELLのオンライン販売ページ等も同様にFireFoxで表示できるようになります。

「IEのエンジンを使わなければならない」と言う戯言自体が無くなった訳ではありませんが、それでもいちいちIEを起動しなければならないと言う煩わしさから解放されるだけでもかなり効果がある事と言えるでしょう。最終的には「IEエンジンがなければ」と言うページが駆逐される事を祈るばかりですが、現状ではこういうものがあってくれて良かったと素直に感謝です。

2006年01月19日(木) 女児が死亡したのは誰の責任なの?

「次世紀ファーム研究所」という得体の知れない自然食品農場(岐阜県恵那市)で、昨年7月中学1年生の女児が死亡しました。それに対し、女児の親が1億円の損害賠償を求める訴訟を起こしたそうです。

女児は小児糖尿病を患っていたそうで、病気の子供を持つ親としては、藁をもすがる思いだったのかもしれません。が、こんなうさんくさい会社を無条件に頼るっていうのは余りにも迂闊と言うか無責任でしょう。親は「自然療養や自然食品に頼る難病患者に対して、過度に依存させず、近代的な医療を受けさせる機会を損なわないようにすべきなのに、それを怠った」と主張をしていますが、「相手が自然の力で治癒できると言ったからインスリンを持たせなかった」というのは明らかにこの親の怠慢でしょう。
結局子供の死亡は親の責任と言えるんじゃないでしょうか。それなのに被害者のように泣き叫んで慰謝料を請求するって言うのは、私には理解できない行動に映ります。
確かに、テレビのインタビューに答える研究所所長の言動や研究成果自体にもかなり問題があることも事実ですけれど、しかし、その胡散臭い成果を検討し信じる事にしたのもこの親なのでしょうから、やはり私には「自業自得でしょ」としか思えないのですが如何なものなのでしょう。

2006年01月18日(水) 認可に3ヶ月も掛かるのはなぜ? / 行くとしたら… / カニ / ニュースの重要性は…

介護タクシーなどに力を入れている旭川のタクシー会社が、市内に住む65歳以上の高齢者を対象に乗車料金を半額にする申請を北海道陸運局に行いました。陸運局は「認可するかは未定で、審査には最低3ヶ月掛かる」と言っているそうです。

北国の冬となれば雪が外出を妨げます。北海道ともなれば、多くの場所で冬は凍結路となって更にご老人が外に出にくい環境を作る事でしょう。そう言う中で老人の足を確保する動きは福祉という面からも良い案だと思います。当然タクシー会社も営利企業ですからそれで勝算があると目論んだからこその申請でしょうし、お互いの利害は一致しているのであれば問題はないはずなのですが、陸運局は「認可には最低3ヶ月掛かる」としています。3ヶ月も掛かってしまっては「冬」のあらかたは終わってしまいます。
なぜ審査に3ヶ月も掛かるのでしょう。3ヶ月と言えばかなりの時間です。こんなに長い期間を掛けなければ決められない事なのでしょうか。もしかして、これが民間企業なら「○月×日に○■△について打ち合わせを行います。万難お繰り合わせの上参加願います」とやるところを、「○■△について打ち合わせを行います。ご都合は如何ですか」などと個別に確認をし、全員のスケジュールが開いている日に会議を開催するなんて効率の悪いやり方をとっているんじゃないですかね。はたまた、「これは儲けられる話だから、この企業においしい汁を吸わせるより、自分たちの関連企業を食い込ませられないか」とか「この申請で如何に金を巻き上げるからくりを作り上げるか」と言う事に知恵を絞る時間として3ヶ月が必要なのではないかと穿って考えたくなります。

兎にも角にも、こんな決定1つに3ヶ月も掛かるというのは、機能的に麻痺しているか、それとも審査をする人たちが「無能」かどちらか、あるいは両方だと思われますが如何でしょう。


行くとしたら…

ここしばらく貧乏生活を送っている私ですが、何とかビンボから脱出しようとあの手この手…いや「あの手」の「あ」くらいは手を打っているこの頃ですが、下手な鉄砲のくせに数を撃てるほどの弾をも買えず、老眼で照準も定まらずと書いていると惨めになってきそうなこの頃ではありますが、兎に角気持ちの上でだけは、今年は転機にするぞと思っている訳なのですが、取らぬ狸の皮算用と言うビンボ人に希望をもたらす(だけ)の想像を私もしてみました。ええ、「お金に余裕ができたら何をしよう」ってね。

今まで公私に渡って日本の多くの都道府県へ行ってきました。(link)
果たして、久し振りに旅行に行くとしたらどこが良いかねぇ…と考えるとあれこれ浮かんできます。
北海道
行くとしたら興部で牛乳を飲んで、斜里岳を飽きるほど写真に撮って、網走で泊まる(案1)
青森
十三湖の和歌山でしじみラーメン食べたい(案2)
下北半島行きたい(案3)
石川
久し振りに兼六園とか行ってみたいっす(案4)
福井
お気に入りの場所が何カ所もあるので…(案5)
京都
福知山の辺りに写真を撮りに…(案6)
岐阜
高山…気付いたらもう20年位行ってないかも。安房トンネル通った事無い。(案7)
郡上八幡…まだあの町並みは健在でしょうか(案8)
考え始めるとたくさんの候補地が出てきます。しかし、短期間での小旅行と考えると案2,3の青森、案8の郡上八幡、案4の福井、案5の京都は移動だけで終わってしまいそうです。北海道も行くならのんびり行きたいですしねぇ…そうなると石川(案4)高山(案7)辺りが有力なんでしょうか。車で中央高速から高山へ抜けて白川郷を経由して金沢へなだれ込むなんて言うのが良いのかもしれません←それって何日かかるんだよと自分でつっこんでおきます。まぁ、今時点では「行くとしたら」という想像を楽しむだけですからルートも適当ですけれど、いつか(近いうちに)実現できると良いなぁと願いつつ書き記しておく事にします。でも、実際に金を手にしたら行く場所は違ってくるんだろうなぁ…


カニ

唐突に「そう言えば新宿の京王百貨店で恒例の駅弁大会やっているなぁ」と思い、該当ページを参照してみました。今年は5種類のカニ弁当が対決をしているみたいですね。「カニはどれが一番うまいか」と言う話になると必ず出てくる「ズワイ」「タラバ」「毛ガニ」「花咲ガニ」が真っ向対決という感じです。

個人的な意見を言えば、カニの王様は「ずわい」と思っています。
「どの蟹が一番うまいか」なんて設問を時々見かけます。正直言って「陳腐だなぁ」としか思えません。どのカニだってうまいのに。いやそれ以前に味覚なんて人それぞれだし気分や季節、体調でも違ってくるんだから一概に言えないでしょ。知りたかったら自分で試せばいいじゃんと畳みかけて思ってしまう訳ですよ。ですから、私はあれこれ食べてみた結果としてカニの王様は「ずわい」と思っているのです。「いや、違う」という意見の人もいるでしょうけれど、それはその人の意見としては尊重しますよ。それだけの事ですからね。

そんな訳で私の場合は、このお弁当対決もタラバや花咲ガニの弁当とか小樽や根室の弁当ではなく、福井の「越前ちゅんちゅんかにめし」に一票と相成った次第。食べてみたいけど800食限定って事は早めに行かないと売り切れるだろうし、それのためだけに往復にかなりの金額を掛けていくのも何だしって事で、「旅行に行く」としたら、福井駅に行ってこれを買うって言うのもありかな?なんて考えてみました。でも、調べてみるとこの弁当、駅では期間限定で予約販売みたいですね。これは無理してでも新宿に買った方が良いのかも…


ニュースの重要性は…

テレビを付けていると、あっちでもこっちでも「ライブドア」と騒いでいます。曰く「ライブドア本社で粉飾決済があった」とか…
それが良い事かどうかは別として、多少の粉飾があるのはどの会社でもある事ですし、その企業が悪い方の意味でニュースになれば、株式売買の自動システムも事情を知らない個人投資屋も売りに殺到するのは当然の話で、東証が全銘柄の取引を停止したのも、別にライブドアが悪いからではなく、東証のシステムが負荷に耐えられない位もろかったというだけの話であって、私はこれのどこにそんなニュース性があるのか判りません。今はそれよりヒューザー、イーホームズという強度偽装建築に関する事件を追及する方が先決ではないかと思えます。
元々ヒューザーという会社がのさばるためにも、イーホームズという会社が幅をきかせるためにも建設関係の役人への献金・癒着は欠かせない訳で、またその売り上げの一部は、そのまま国会議員への上納金として流れていた事も間違いのない事でしょう。そうだからこそ、自民党は最初の証人喚問で全員が揃わないようにもしたし、証人への追求もいい加減だし、兎に角形だけ実行してうやむやにしてしまいたいと思っていたのに、どうもこれ位では終わりそうもないので、このままではまずいって事で、最近憎まれっ子役をやっているライブドアに矛先を向けるよう圧力を掛けたと言うのが今回の事件と言う事じゃないんですかね。
実際に裏でそう言う圧力があったのかどうか知る由もありません。しかし、超の付く一流の上場企業だって、ちょっとした間違いで重課税を課せられる事もありますし、ちんけな上場企業だったらその多くは多少粉飾位しているでしょ。今、このタイミングで事件にする必要がどこにあるのか、私にはとんと理解できないですよ。そして、たかが一企業の粉飾と強度不足建物が蔓延した背景、どちらが世間を騒がせるべきニュースなんでしょうか。私にはマスコミにもヒューザー関連のニュースをフェードアウトするよう圧力が掛かっているように思えてなりません。単に取り調べが遅々として進まないので間が持たないだけかもしれませんが…

2006年01月17日(火) 今日の体調… / 宮崎勤 / 人形買ってもらえずに

うーん、熱は下がったのですが、まだ立つと目が回ります。


宮崎勤

今日の午後、1988〜89年東京と埼玉にまたがった幼女連続殺人事件で誘拐・殺人の罪に問われている宮崎勤の上告審で、最高裁第3小法廷が判決を言い渡します。

世間を騒がせたこの事件、既に16年も前の事なんですね。その決着がここまで伸びてきたその理由がまたまた「被告の精神状態が耗弱状態にあった」というありきたりの三流弁護士どもの時間稼ぎ手段のせいと聞き、はらわたの煮えくりかえる思いです。全く当事者ではない私でさえ腹立たしいのですから、被害者の肉親などはどのような思いを抱えた16年だったのでしょうか。地下鉄サリン事件などの裁判でもそうですが、「被害者の事も考え、結審までの期間短縮を図る」と言っていた司法の場、その努力は本当に成されているのか甚だ疑問に思えます。「人1人の命が掛かっている」と言うかもしれません。しかしその「1人」は何人もの幼い命を弄んだのです。確かに現代の法は「目には目を」という法律ではありませんが、まともな精神を持つ「人」として考えたら、どうしたらその行為を正当化できるのでしょうか。このような事件は1ヶ月もあれば十分判決を出せると思います。そう、「離婚をするにあたって慰謝料は幾ら取る事ができるか」とか「遺産の分与」と言うような問題の方が余程難しい筈です。
犯人の人権、命の重さなどを尊ぶ事も必要ですが、余りにも露骨な時間稼ぎには巌とした態度でそれを拒否するなど、もっと被害者の立場を慮った裁判をやって欲しいものだと思います。今のままでは誰のための、誰を裁くための司法なのか見えません。


人形買ってもらえずに

埼玉県深谷市で火事がありました。火事の原因は放火で、その犯人はその家の27歳の息子(無職)で、その放火理由はというと「母親にフィギュア(人形)を買ってと言ったが断られたのでおもしろくなかったから」なのだそうです。

年齢間違っていませんかね。7歳じゃないですか?
無職で、フィギュアを買ってくれと母親にせがんで、断られたら放火? ちょっと信じられないって言うか、日本ってどうなっちゃうんだろうと心配になる事件です。でも、突き詰めて言っちゃえば、自宅全焼だけで類焼もしなかったなら、そんな子供を作った両親に自業自得だねと言ってお終いですかね。

2006年01月16日(月) ぶり返し…

風邪の話題ばかりで済みません。昨日の朝、「熱は下がりました」なんて書いて喜んでいたのですが、その直ぐ後から再び熱が出て39.5度とかそんな熱で一日苦しむ羽目に…

普段の私は暑がりで、真冬の今でもTシャツ一枚で布団も掛けずに寝ていても風邪も引かないし、暑いって騒いでいるようなものなんですが、さすがに風邪を引いている時は床暖房を付けた上に布団を敷いて羽毛布団をかぶっただけでは「寒い」と感じました(羽毛布団の下に毛布などを掛ける人がいますけれど、それでは羽毛布団の性能を発揮できません。羽毛布団の上に毛布などを掛ける事で保温力を補助してやるのが正解です)。羽毛布団の上に毛布を一枚掛けてもまだ寒い。その上にタオルケットを一枚掛けてようやく「暑い」になりましたよ。掲示板でkimuchimilkさんがアドバイスしてくれた通り、水を大量に飲んで汗をかいて熱が下がるよう祈っていました。一日経った今(16日08:30)時点では再び体温は37.5度まで下がってくれました。
しかし、風邪を引くと体力がないのが露呈しますね。咳をする度に腹筋が痛いです。風邪引きダイエットなんて事になるかもなぁ…

2006年01月15日(日) のだめ#14 / 熱は下がりました


のだめカンタービレ#14

昨日のことですが、風邪を引いている中買ってきてしまいました。こんなことをしているから熱が上がっちゃうのでしょうか…

本屋で平積みされていたところから一冊を選んでレジに持って行ったら、なにか普通より若干高い値段が…よくみてみたら「パリ編 キャラしおり5点&しおり収納ファイル付き」の限定版なんだそうです。その時はオークションにでも出すかなんて思ったかどうか定かではありませんが(風邪を引いているのでボーっとして余り考えられなかったと言う方が正しい)、兎にも角にも通常版に変えることなくその限定版を買って帰りました。

帰宅して漫画を堪能した後で改めて付録を眺めて思うのですが、こういう「限定」ってヤツは、最初のうちは「やった。ゲットした!」なんて思うんですけれど、その内邪魔になってしまうんですよねぇ…ま、そうなったらオークションにでも出しましょうかね。


熱は下がりました

これでもか!と言うくらい暖かい環境でたっぷり汗を流したおかげと信じていますが、何とか無事熱は平熱のレベルにまで下がりました。
熱は下がったのですが、ちょっと頭痛と鼻が…ま、それくらいで済んでラッキーと思うようにします。

2006年01月14日(土) 幸運の星 / どっちが悪徳なのか… / 風邪

最近蟹座の運勢は最高に良いそうです←そう言っているテレビの占いだけを信じるとすれば…

その言葉に後押しされるように、今週はあれもこれもやる事がうまくいきました。そしてこの週末、5年を掛けて計画をして、ようやくお世話になった人を私の家に招待すると言う計画が現実の物になろうとしているのです。これもその幸運の1つでしょう。ところが週半ばから鼻がグズグズ言い始めて、ついに昨日からは体温が平熱+1度という状態になり、鼻水と咳と痰という症状が出始めました。まぁこれはインフルエンザじゃないだろうというのがせめてもの救いですが。

私の幸運の星…確かに木曜辺りまでは満点の空のてっぺんに輝いていました。が、どうもこのそこから下降気味になっているのでしょうか。お願いですからもう少し、せめて月末まで踏ん張って欲しい。一番幸運を必要としている事がもう少し先にあるのですから…


どっちが悪徳なのか…

13日、最高裁第二小法廷は「グレーゾーン金利」と呼ばれる、高金利が例外的に有効とされる条件を狭める判決を下しました。

今までは明らかに強制された物以外は「有効」となっていたのですが、この判決により、「事実上強制されていた」と状況的に判断される場合も無効にできると言う事のようです。多くの貸金業者はこの「グレーゾーン金利」で貸し付けているのが現状で、今後の対応は大変そうです。
それにしても、これはなんのための規制なんでしょう。

自転車操業をしている会社の社長Aさんが資金確保に走り回っていたら、マチキンのお兄さんがやってきて「お金に困っている君にお金を貸してあげよう」と無理矢理契約書を作って判を押させた
と言うケースで、判子を強制的に押させられたと証明できないから「せめて違法な利息だけは支払わないぞ」と言うのなら納得できます。しかし、そんな事が多いのでしょうか?
自転車操業をしている会社の社長Aさんが、運転資金を捻出するため(不渡りを出さないため)お金を借りたいのだけれど、もうどこも貸してれるところがない。だから高金利と承知してお金を借りた。
と言うケースの方が圧倒的に多いのではないでしょうか。確かに違法な金利を掛けているのは事実だとしても、それを承知で「返しますから貸してくれ」と言ったのでということですよね。それなのに、いざ返す段になって「あれは違法な金利だから、そんなのは返す必要はない」と言う事であれば、どちらが「悪徳」なのか私には判断が付きません。いや、「借りた方が悪い」と思います。法律によって利息の範囲は決められているとしても、お互いの間で決めたルールがあるならそれは優先させられるべきでしょう。「そのルールが違法だ」と言うなら取引をしなければよいだけの話なんですからね。

今回の判決は前者の為の対応だと信じたいものです


風邪

小康状態を保っていたのですが、19時を過ぎて熱がついに上がり始めました。まだ37.6度ですが、平熱が35.5度の私には気の遠くなるような数値。多分このまま上がり続けるんだろうなぁ。明日大丈夫でしょうか…
兎に角、更に汗をかくように床暖房とエアコンの暖房を付けて、羽毛布団をかぶって寝ます。明日までに熱が下がる事を祈っていてくださいね。

2006年01月13日(金) ついにこの日が…Nikonがフィルムカメラから撤退 / ビンボで良かった

Nikonはフィルムカメラとマニュアルフォーカスレンズについて、ボディ2種(F6とFM10)、レンズ9種以外の生産を終了し、デジタルカメラに力を注ぐそうです。(link)

昨年の5月、名古屋に行く途中諏訪湖のほとりに住むプロカメラマンの友人宅に立ち寄りました。そこでしばしカメラ談義をしていたのですが、その中で「フィルムカメラの未来」と言う事も話していたのです。「画質の問題からプロはデジタルよりフィルムを選択するのでは?」というのは素人考えで、「プロこそ真っ先にデジタルにシフトしている」のが現状だということだとその時に言われたのです。欧米ではデジタルへのシフトが進み、日本が一番立ち後れているのではと言う話も。一昨年は欧州の代表的フィルムであるAGFAがフィルム製造から撤退なんてニュースもあり、いつかはフィルムカメラが無くなる時が来るのだろうと言う話も現実味を帯びてきてはいたのです。が、その最初の波がこんなに早くやってくるとは思ってもいませんでした。
個人的にはフルサイズCCD(またはC-MOS)で2000万画素クラスが登場した頃に、静かにバトンタッチが行われていくのかなと思っていたのです。そう言う意味で、このようなニュースはあと2年くらいは掛かるんじゃないのかなと勝手に思いこんでいたのですよ。いつかは来ると思ってはいましたが、やはりショックではありますね。

まぁ私のもっているフィルムカメラ(Nikon F801/ZENZA Bronika GS/LEICA IIIa)は今更売るつもりもないですし、いつかまたのんびりと北海道なりを旅行出来るような余裕ができた時には、それを持ってのんびり撮影旅行をしたいと思います。失敗のない仕上がりを求められるプロではなく、失敗したら「あはは」と笑って済ませられるアマチュアですからね。フィルムのできあがりにワクワクすることを楽しみたいと思います…でも、そう言いながら本当にフィルムカメラの出番が少なくなったと実感します。私にとってフィルムカメラは心の余裕を表すバロメーターなんだなぁ…


ビンボで良かった

フリーになったら儲かるはず…そんな思いがあってフリーランスになった訳ではありませんが、昨年の収支状況は本当に悪かった…まぁ、それは自分の怠け癖がなせる業なので、それをどうこう言うつもりはありませんが、兎にも角にも収支に合わせて特に昨年の後半からビンボをしています。ビンボはある意味惨めだなと思う部分もあります。今まで気軽にのどが渇いていたら買っていた清涼飲料なども我慢しなければならない事もありますし、ちょっとお出かけというのも「車で行くのが良いか、列車か、それとも自転車か?」などと考えるようになりましたし、余程の必要性を感じなければ無しで済ませるようになりました。友達から「温泉行こうぜ」と誘われても「貧乏だからいけません」と断る事も多くなりました。こんなに不自由をしていなかった頃は「D70が出たと言っては、多少考えはしましたが買ってしまいましたし、ボディを買ったらレンズも欲しいって直ぐにレンズも買ったり結構適当に買い物をしていたのですが、今は清涼飲料一本でさえしっかり考えてから買うようにしています。その生活をビンボ臭いと忌み嫌う人もいらっしゃるかもしれませんが、私は結構気に入っています。というか、こういう生活をしてみて初めて「今までいかに無駄な物を買ってきたか」「無駄な物に囲まれてきたか」を意識する事ができました。
ま、金回りが元に戻れば無駄遣いも多くなるかもしれませんが、できるなら今のこの気持ちを忘れずにいたいと思います。

2006年01月12日(木) 見切り発車? / vodafone / 携帯(電話)社会を実感

1月1日をもって、東京三菱銀行とUFJ銀行が合併し「三菱東京UFJ銀行」としてスタートしました。

予想通り、本来あってはならない「システム統合上の不具合」がいくつか出ているようで、昨日は海外投資家向け決済システムがトラブルを起こしたようです。
それぞれの銀行には独自の風習や呪文があり、合併したからと言ってそれまで簡単に統一出来るものではありません。ですから、それぞれの風習や呪文を残したまま、統合出来るところだけを統合すると言う事になるので、新たにシステムを構築するのももちろん大変ですが、既存の2つのシステムを統合するのは、新しいシステムを作る時には想定出来ないような思いもつかない障害が発生する事が多く、より大変な作業となるのです。ところが、この銀行の今回の合併では、障害に加えてテレビなどでも宣伝していますが

「行う処理によっては旧他行だったATMでは処理ができないものもある」(link)
のだそうで、「準備ができないままの見切り発車だった」と言われても仕方ないのではないでしょうか。バブルの時代に好き勝手をしたが為の負債を、血税を投じて救済しなければならないほどの重要企業として位置付けられる企業としては、余りにも無責任ではないかと憤りを感じます。


vodafone

2005年は、auが281万件増、DoCoMoが245万件増、ウィルコムが69万件増に比べ、Vodafoneが4.3万件減、Tu-Kaが47万件減という結果になったそうで、Vodafoneの純増数がマイナスになったのは1996年の調査開始以来初めての事なのだそうです。

Vodafoneの需要が減った理由として、海外仕様の電話機と操作方法を同一にした「世界共通仕様」の端末がふるわなかった事を挙げていますが、全くその通りだと思います。私がその当該端末を買った6月にもその不満を「vodafoneには泣かされます」で書いていますが、それ以外に
電話帳やメールの画面などが開いたままになっていると、メールが着信しても着信音もバイブレータも機能しない
という致命的な欠陥と言っても良いと思われる不具合があります。操作性が悪いのでメールを見た後、メール一覧の画面が残っていたり、間違えてボタンを押して何かのメニューが出ている事があるのですが、その時に大事なメールが届いたにもかかわらず、着信音が鳴らなかったため気付かずにいてビジネスチャンスを逃した事も数回あり、正直非常に迷惑をしているというのが実感です。私の買った902Tという端末は、その欠陥を認めるかのように販売期間も短くすぐに903Tに変わってしまいましたが、そちらではその欠陥が直っているのか私は確認をしていません。今言える事は「今は金がないから我慢している。しかし、金ができたら、すぐに変えてやる」ということですね。もうVodafone自体をやめるか3Gをやめるかは検討中です。縁があって長く付き合ってきたのに、こんなお粗末な端末を作ってユーザを減らすとは自業自得ともいえるのでしょうけれど本当悲しいことですね。


携帯(電話)社会を実感

今日は用事があって東京の六本木に行ってきました。六本木交差点? アマンド? 10年ぶりくらいに見ましたよ。昔はここも通勤道路だったんですがねぇ。本当田舎に引っ込むと要がなくなっちゃいますね。いや、私の場合東京に住んでいてもこの辺りで遊ぶ事なんか無かったかな。
ま、兎に角そんなところを尻目に客先に向かったのですが、ただでさえ不慣れな場所なのに、客先は幹線道路からちょっと入った所にあるんです。一応地図なんかも持って行きましたけれど、どの地図もあんまり詳しくない…って言うか、インターネットの地図では細かいところまで載っていないし、うちにある紙の地図は最新版でも10年前の物しかないんです。カーナビに頼りすぎている結果ですね。ただでさえ方向音痴なのに大丈夫かな?と不安を抱えつつ六本木の駅から地図を頼りに客先を探します。しかし、地図の通りに来た筈なのに、地図にはない道がたくさんあるような感じがします。約束の時間は刻々と近付いてくるのに全く場所が判りません。住所を確認したら番地が全然違うんです。もう間に合わないから先ずは客先に電話をして…そう思って初めて携帯電話を落としてしまった事に気付きました。慌てました。番地を追いつつ公衆電話を探しましたが、これだけ携帯電話が普及しているからなのか公衆電話って本当に少なくなりましたね。結局約束の時間から遅れる事10分。ようやく電話を掛けて、ついでに道順を聞いた次第。途中で判らなくなったらまたここへ戻ってこなければならなくなるかもしれませんから、必死になって聞きましたとも。一字一句を覚えるように努力しましたとも。私は駅を出たらすぐに裏道に入ったのですが、電話では幹線道路を歩いていくように言われました。そして目印のお店を見つけて角を曲がって少し歩くと見覚えのある道が…あれ、これはさっき歩いた道じゃないの?ってなものです。更に指示に従って歩き目印を見つけて曲がって更に指示通りに行くと…目的の建物は、私がさっき「住所が違う。先ずは公衆電話を!」と引き返した場所の正面にある建物でした。一気に脱力です。約束の時間から10分を過ぎるまで連絡を入れられなかったのも、その理由を言い訳のように話してしまうしかない状況も、できるならやってはいけない事です。遅刻しないように行っても、どうしても今回のような状況で遅れてしまう事もあるとすれば、攻めて約束の時間が過ぎる前に連絡を入れるべきですし、遅刻した言い訳を聞かせるなんて最低ですわね。改めて、今の世の中、携帯電話がないと不便になったなぁと実感した次第です。
これでビジネスチャンスを逸することになったとしたら、逃した魚はでかすぎます…

因みに携帯電話は家の目の前で落としていたようで、帰ってみたらすぐに見つかりました。

2006年01月11日(水) それはクセと一言で片づけられるの?

クセと言って片づけて良いのか微妙なところですが…

私は一時期コンタクトレンズを付けていた事があります。学生時代の列車通学で乗っていた戦前製造の古い客車(が田舎には普通に走っていたんです)で、当然エアコンなどもないので夏場窓を開けていたら、その塗料がはがれて私の目に飛び込んで危うく失明なんて事があってから、瞳孔の動きが鈍くなって急激な明るさの変化について行けなくなったものですから(おかげで日陰を好むようになって付いたあだ名が「ドラキュラ」でした)、学生時代も学校公認でサングラスをかけていたんですが、ついでに視力も0.01以下にまで落ちてしまったため、そのサングラスは分厚くて重くてバカ高いものになったのでした。←当時はプラスチックレンズなんて無かったか雲の上の値段だったのでしょう。
暫くしてサングラスは常時掛けなくても良くはなりましたが、それでも映画館から外に出る時、晴れた冬の日に雪が積もった戸外に出る時、夏の日陰から日向に出る時などは暫く目が開けられなくて不便だったものです。まぁそれもそんなものと思えば諦めもついたのですが、自動車を運転するようになるとそうとばかりは言っていられなくなりました。目が慣れる前にどこかにぶつかってしまってはいけませんからね。
日本の道路を運転するために、視力などが正常である事と言うのは何気なく「普通に必要な事」と思っていましたが、いざ、自分の目にそのような障害を持つと、日本の道路は障害を持つ人には全く気配りをしていないと言うか、全く理論に基づかない無神経な健常者のマスターベーション的設計でできあがっている事が判ります。例えば夜の東北自動車道の山間部を走ると、多くの場所では外灯もほとんど無い暗い道路が続くのですが、SAやPA、ICなどだけ突然煌々と外灯に照らされて目を痛めつけます。眩しさと闘いながら出入り口を探さなければならなくなるのです。それはトンネルの中でも一緒です。多分これらを設計した人は自分では運転をした事がないのでしょう。だから明るく目立った方がわかりやすいはずと言う理屈だけで物事を考え、それまで暗い中を走ってきてそれに慣れた目がこの照明に晒されたらどれだけ眩しいかを全く考えていないのでしょう。兎に角、そんな危険な場所があちこちにあるものですから、結局運転する時はサングラスを掛けた方が良い訳ですが、度付きサングラスを買うのは高いので、それならばコンタクトをした上で安い度なしのサングラスをしようと考えた訳です。
最初はハードコンタクトレンズに挑戦したのですが、どうしても目が受け付けてくれなかったのでどうしようと考えました。というのは、元来私が「超ウルトラスーパー怠け者デラックス」だという事もありますが、仕事の性質上、突然徹夜作業が降って湧いたりして睡眠時間を削られる事が多く、ソフトコンタクトの煮沸をする時間を毎日きちんと取る事はできないだろうと思っていたからなのです。そんな訳で暫く頓挫していたのですが、ある時、ボシュロムのシークェンスという一週間連続装用のソフトコンタクトレンズの存在を知って、それを付けてみたのです。24時間付けっぱなしで1週間過ごせるとなれば、それはそれで便利でしょ。試してみたら結構快適でした。冬場ラーメンを食べても目の前が曇らないなんて久し振りの快感でした。でも、このレンズ一年くらい使っていたらかなり目が疲れてしまうんです。結局医者と相談したら、私の場合、半年使ったら3ヶ月くらい休んだ方が良いと言われ、そんな中途半端ならと使うのをやめてしまいました。その後1日で使い捨てるソフトレンズを何度か買って運転する日だけ使うようにしていたのですが、最近は目の方も丈夫になってきたのと、その苦手な場面をさける工夫ができるようになったのでコンタクトはしなくなりました。

私は化粧には全く縁がありません。髪の毛すら洗ったら自然乾燥で整髪料や育毛剤など如何なるものも使用していません。体を洗うアレッポの石鹸と髪を洗うアジエンスのシャンプーとリンス、そして時々使うひげそり用フォーム以外体に付ける事は無いんですよ。まぁ、それ以外に何かを使っていたとしても標準的な化粧をする女性の手間には叶わないでしょうね。

コンタクトも化粧もどちらも私は普通にする人を尊敬します。
中にはソフトコンタクトを何日も煮沸せず使い続ける強者もいるという話を聞きますし、化粧だって多少落とさずにいたって多少肌は荒れるでしょうけれど、それが致命的な何かを引き起こすという事はないでしょうね。だから、そんなに神経質にならなくても良いのかもしれませんが、それでも傍観していると、宴会などで酔って足腰が立たなくなったような状態でもコンタクトをはずしたり、眠る前に化粧を落としたりとする人たちを垣間見る事があるので、「絶対これは私にはマネ出来ない」と尊敬してしまうのです。
それって「もうクセだから」って一言で済むほど習慣化しているものなのでしょうかね。そう言う事から逃げ回っている私には、多分一生理解できないことなので、それを実践している人の気持ち、どなたか教えていただけたら幸いです。

2006年01月10日(火) ぬくぬく天国(地獄) / 今年の目標 / 飯時に…

のだめカンタービレ」をご愛読の皆様やこたつを愛用されている方には常識かと思いますが、一度こたつの中に入ると「ぬくぬくぬくぬくぬくぬくぬくぬく…」と永遠のぬくぬく天国から抜け出る事が困難となります。

それは天国ですが、「料理をしなければならないのに、掃除をしなければならないのに、仕事に行かなければならないのに「ぬくぬく」から出たくない」地獄でもある訳で、天国と地獄が共存しているならばと、この集合住宅に引っ越してきた事を境に兄嫁から貰った立派な家具調こたつはオークションで売り払ってしまいました。ええ、ただでさえ意志の弱い軟弱物ですから、こたつなんかあるともう何もしないんですよ。ところが…うちのリビングには床暖房があるんですよ。床暖房は室温を極端に上げるような暖房器具ではないのですけれど、適度に室温を暖かくしてくれるし、座るとぬくぬくするし、そこに布団を掛けると櫓のないコタツになってしまうんですよ…はっまずい!!と思った時にはもう遅かったです。この数日、この布団から抜け出すのが億劫でねぇ。もうだらだらぬくぬくのんびり時間を無駄遣いしています。これは本当にまずいですね。でも、床暖房をオークションで売る訳にも行かないしなぁ。なんとか、この地獄から抜け出さないととは心の底で思うんですけれど、ここにいる分には地獄ではなくて天国なので抜け出す力が湧かないんですよねぇ…


今年の目標

私の場合、仕事をすると家に帰ったら寝るだけの時間があるか無いかで徹夜も続くぞみたいな仕事が多くなりますし、そんな仕事をしていたからと、今度は人間らしい時間を取り戻したいと思ってのんびりすると仕事を全くせずにだらだらとしてしまいます。普通に会社に行って仕事をしている人には極端なヤツだと思われるかもしれませんが、私もこんな極端はしたくないんですよ。多少残業があったって良いですけれど、毎月200時間を超える残業をするなんて勘弁して欲しいと思う訳です。
普通に毎日仕事をしていても、その中でプライベートの時間も持つ事ができるという仕事が
羨ましいです。ま、「羨ましい」なんて言っているだけでは改善されませんので、今年はそれを目標に改善していきたいと思います。

金があればD200欲しいし、久し振りに旅行も行きたいし…実現するためには金を稼がないとね。


飯時に…

遅い時間ですが夕ご飯を作って食べる事にしました。
料理を作っている段階で、観ていたチャンネルがドラマになりそうだったので、チャンネルを変えました。ご飯ができて食卓に持って行って、一口を口に運んだ途端、テレビに映されたのは、下剤を飲んだ時の便の色の移り変わりでした…ええ、その番組はテレビ朝日の「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 ガン経験者が緊急警告ガンの初期症状すべて見せますスペシャル!」だったようです。

なんてウンでしょ。一気に食欲が萎えました。ま、食べちゃいましたけれどね。メニューがカレーじゃなくて良かったですよ。

2006年01月09日(月) 10段 / 高校サッカー / 本当は?

柔道の総本山である講道館は、8日、3人を22年ぶりに最高位である10段への昇段させる事を発表したそうです。

今回昇段した3人の年齢はそれぞれ79歳、80歳、83歳で、それぞれが柔道界の重鎮だそうです。全柔連の事務局長は「柔道界の活性化に繋がる。選手にも指導者にも励みになる」とコメントしているそうですが、果たしてそうなんですかね。
私がひねくれていると言われたらそれ間ですが、今までにも何度か書いてきましたが、「神聖な道場」とよく言いますが、「神聖」って言うのは不浄の女性を排除した男だけの世界で初めて使われる言葉です。今時の社会通念がどうかという事には関係なく、遙か昔から続く伝統ですから、それはそう言うものなのです。そこに「女子」を入れた時点で「神聖」なんて言葉は陳腐化してしまっている訳です。実際、伝統がどうあれ女子柔道ができた事には反対をするものではありませんが、ともとがクラス分けなしの無差別でポイント性ではなくどちらかが勝つまでの真剣勝負だったのに、軟弱な点取り合戦にしてしまっておもしろみが全くないダンス競技に成り下がってしまったように思います。まぁ近年の柔道に魅力が無くなった、活性化が必要というのは良く分かりますよ。

ただでさえ昔に比べ(見るスポーツとして)魅力が無くなった柔道に、今回の昇段で活性が付くというのはどういう意味なのでしょう。柔道に携わらない、見るだけの野次馬としては、柔道の段位とは「年齢に関係なく実力で奪い取る力(格好良く言えば、心技体)の証明」だと思っていましたが、今回の昇段は、力の証明ではなく、事務的な貢献で功労賞的な意味合いとして与えられるものという訳です。それとも、この3人はその年齢にかかわらず、今でも現役で、例えば年末にお茶の間を賑わせたオガワやヨシダなども手玉に取る凄い強さをもっているのでしょうか。もしそうであれば、私が見た記事が悪いという事です。その強さから昇段したとは書いてはいませんでしたからね。そうだとしたらこの雑文はなんの意味もありません。まぁ、今はそうではなく私が参照した記事の通りだと言う前提で書きますけれどね。

実力で段位を勝ち取ったのであれば、それは一筋の光として、努力を続けた結果柔道の神様と認定されましたという素晴らしいニュースとも言えましょうが、柔道に関係なく事務レベルの功労賞で昇段なんて野次馬から見たらちゃんちゃらおかしくて、「また柔道界がくだらない事をしているね」としか思えないですよ。日本のスポーツ界が強くなれないのはこういうおままごとをやり続けているからなんですよね。先日の女子フィギュアもそうですが、まぁそちらは年齢制限もあった訳ですけれど、実力がある選手が台頭してきても、今まで育ててきた(力の劣る)選手がいるから、それを捨てられないと人情話を前面に出したり、今回のように今まで頑張ってきたから昇段させるなど、その浪花節は日本人的であって、多くの人が好む話ではありましょうが、スポーツという勝負の優劣が順位を決める場面では一番最低の選択方式だと言う事です。幼稚園児がお友達同士でおままごとをやっているのと一緒です。自分たちだけで世界を作っておててつないで仲良く遊んでいるけれど、一歩外から見たら全然世間に通用しない世界。そんな功労賞は段位とは別の所で敬意を表せばよいのではないのでしょうか。結局は、記事の通り(世間には呆れ果てられても)選手や指導者(だけ)にも明るいニュース」なんでしょうかね。
柔道に携わる人、柔道の大ファンの人には「何も知らないくせに」と怒られるかもしれませんが、柔道に携わらない野次馬の目からはこのように見えますよ。


高校サッカー

鹿児島実業対野洲…とっても素晴らしい試合でした。実際の技術力は差があると思いますが、でも、確実にJ1の下位チーム同士の試合を見ているより遙かに見応えがありました。これは「球蹴り」ではなく「サッカー」でした。
まぁ、言ってしまえば「低いレベルで実力が伯仲しているから凄く見えるんだ」と言う事になるのでしょうけれど、でも本当、最近の低年齢のサッカー技術の進歩は目を見張る物がありますね。これが何年か先のJ1を見応えのある物にしてくれる元になるかと思うとわくわくしてきます。最後の最後まで「手に汗握る」という表現がぴったりの緊迫した試合堪能しました。

ただ、途中でアナウンサが野洲の青木(だったかな)について、「他にはサッカーの腕を買われて推薦で入ってきた選手もいたが、青木は推薦枠に入らず普通に試験を受けて入った。」「エリートに見えますが、実は雑草の選手です」なんて話をしていました。それは普通に頑張った選手なんだよと言いたかったのかもしれませんが、とっても失礼な言い方だなと思いました。選手関係者から苦情が来たっておかしくないよ…


本当は?

昨日日本テレビの「 卍くりぃむVS 芸能人卍卍爆笑どっきり作戦卍仕掛けに金かけすぎて交通費が出ませんSP 」って番組を眺めていました。他の事をしている間テレビが付けっぱなしになっていた状態です。
ただ、一カ所だけ目が釘付けになってしまった部分があるのです。それは、「ペナルティ」のワッキーにいたずらを仕掛け、透明な湯船に素っ裸のワッキーを入れたまま町を練り歩いてワッキーをパニックに陥れ、その直後に一発ギャグをかませるかってヤツだったんですが、あれって本当に全裸で町を練り歩いた訳じゃないんでしょ? そんな事をできるほど日本の社会って裸に寛大じゃないですよね。うーん、本当のところはどうなっているのでしょうね。
正直、裸を晒すギャグって言うのは好きじゃないので、どちらかと言えば見ていて不快に思ったのですけれど、どうして(どうやって)この企画が放送できるのか、その実態を知りたい物だなとちょっとだけ興味を持った次第です。

2006年01月08日(日) 昨日の補足 / 運が良いのか悪いのか

昨日「トラックバック」についての話を書いたのですが、書き忘れていたものがあったので、こちらで追加しておきます。

正しいトラックバックとは何か…ベテランから超初心者までが同じ土俵にいるネットの世界です。ベテランにはベテランのポリシー、超初心者にはその人なりのポリシーがあって、それは相まみえないものと言う事が多いでしょう。
「厳密に言えば」初心者の考え方は間違えているのかもしれません。君たちは無知だから判らないんだよなんて言いたくなるのかもしれません。しかし、以前、htmlについて同じ事を書きましたが、厳密に言えば所謂「ほおむぺえじ」を自分で作った事がある人の多くは、その作成に某社作成ソフトを作った人、勉強のつもりで作った人などは、多くの文法的に間違えたページをアップロードして間違ったものを大量に流通させていた訳です。私自身、最初の頃は文法チェックを何度も通して文法エラーが無いようにとしばらくの間はやっていましたが、面倒になってチェックをやめてしまいましたので、今のほおむぺえじで合格点が出るか自信がありません。プロの目で見て「そんなのは間違えている。明らかにおかしい」という事も、大衆の要求の前にはねじ曲げられるのです。そんな事はビデオのシェア争いでベータがVHSごときに負けた事でも、ADSLがこれだけ普及してしまった事を見ても明らかです。プロの目から見たら「ありえへん」事だったでしょうからね。需要は無理をねじ曲げ、可能にしていくんです。どんな事でも需要があるところを供給して行くのが「発展」と言われるものになるのです。ですから、「本来ブログはどういう目的だったか」は歴史の上での認識としては必要かもしれませんが、「今(後)どうあるべきか」と言う事には余り重要な要素ではありません。そう言う意味で「正しい」トラックバックとはまだ答えが出ていないし、いろいろな意味を持つトラックバックがあって私は良いと思っています。ま、スパムは迷惑ではありますけれどね。


運が良いのか悪いのか

近年まれに見る貧乏生活を送っています。まぁフリーで仕事をしていて自分の稼ぎが悪かったのですから、それはある意味し勝たない事と諦めていますが…

その昔、上京したばかりの学生時代、何を思ったか私の住むボロアパートに泥棒が入ってなけなしの全財産を盗まれた事があります。仕送りが来るまでの1週間で生活費は100円。昭和初期の100円なら豪遊もできたでしょうけれど、残念ながらその時代ではタバコ1箱も買えませんでしたし、銭湯にすら行く事はできませんでした。兎にも角にも家にはおかずになるものもほとんど無く、あるのは米と調味料だけ。ご飯に醤油を掛けて、塩を掛けて、マヨネを掛けて食べました。食後にコーヒーを飲むのだからとコーヒーを掛けて食べた事も(これはまずくて食べられませんでしたが)ありましたし、半量のご飯をバターライスにして、それをおかずにご飯を食べた事も。最後の日まで使わずにとっておいた100円でボンカレーを買ってご飯を炊いてカレーの袋を開けたら、涙が止まらなかったんです。匂いで1杯、スプーンにちょっと付けて舐めて2杯。あっという間に3合の飯が無くなり、結局ボンカレー1袋で6合の飯を食べていた…ま、この話は何度か書いていますね。こんな1週間100円生活の経験が2度あるので、「人間どうにか生きる事はできる」という楽観的な考えを根強くもっています。だからと言うわけではないのですが、実際自分の食生活では極力外食はしない。そして自炊も基本的に出来合いのものはできるだけ使わず自分で作るようにして料理自体を楽しんでいます。が、本当、世の中困った時には神様が見ているというか、時々運を回してくれるんですよね。この年末年始は複数の友人が「臨時収入があったから」と結構豪華な飯をごちそうしてくれましたし、今日も複数の場所からお呼ばれされています。とてもありがたい事だと思います。けれどね、これを言ったら「贅沢もんの罰当たり」って判っているんですけれど…普段とごちそうのギャップが激しすぎます。昨夜のご飯はなんちゃってコロッケとキャベツの千切り、そしてなんちゃって白身魚のフリッター甘酢あんかけと豚汁もどき(豚肉の代わりにモツ)でした。こうやって書くと豪華そうですけれど、実際の食卓はそんなに豪華じゃないんですよ。なんたって「なんちゃって」「もどき」ですからね。それが、ごちそうとなると結構高そうなお店の高そうな料理がどんと出てきて「遠慮無く食べて」って感じですからね。そりゃもうおいしいです。けど、そのギャップがねぇ…そんなに高いものはいらないですから、その金額を私に食費としていただけたなら毎日の食生活が少しレベルアップするんですが…そう思ってしまう自分が浅ましい。
今日は回転していない寿司を思う存分食べる事にしています。夜は地方の酒蔵からおいしい酒を取り寄せたってお誘いがあるんです。あんまり飲めはしませんが、おいしい酒はなめているだけでも幸せですから楽しみですよね。浅ましい考えにとりつかれつつも、その場その場の快楽は堪能したいと思います。ええ、私根っからのキリギリスで、蟻さんにはなれそうもありません。

2006年01月07日(土) トラックバック…

Reiko Katoさんの「晴れの日もある」を経由して「トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか」という文章を拝見いたしました。その文章が何を言いたいのかは、そちらを読んで各自が判断をしていただければいいと思います。私は私なりに読んで、ちょっと抵抗を感じた部分について自分なりの考えをちょっとだけ展開してみます。

まず、私はこの文章で言う「4つの文化圏」のどれに該当するのか自分では判りません。どれにも当てはまらない気がします。私が今現在ブログで書いている主なものは「映画評」であって「雑文・日記」ではありません。ですから「1つの場所に映画評を見に来た人が効率よくより多くのページを参照出来る」手段としてトラックバックがあると認識していますから、基本的には自分が評を書いた映画と同じ映画評からトラックバックを受けたら基本的にはトラックバックを返します。でも、その内容はチェックしていて、内容が映画とは余り関係がないと思えばトラックバックを返したりはしません。また、こちらからトラックバックする時、備忘録として自分の文中に「トラックバックをさせていただいたブログ」としてリンクはしていますが、それはこの文化圏の話の中での文中リンクとは趣の異なるものでしょう。この雑記を書いている「エンピツ」にはトラックバックは実装されていませんが、文中でリンクする場合、基本的には相手様には無断でリンクをしています。自分の文責において、自分の意見を展開するために書く訳ですからリンク元にわざわざお伺いを立てる必要はないだろうと言うのが私の持論と言う事です。「それは違う」という意見もあるかもしれませんが、それはその人の意見であって私の意見ではないと言う事です。

今回のこの話の発端は、ライブドアが文中にトラックバック先の事について触れていないところからのトラックバックをはじく機能を実装したとかそんな話から、「文中リンクをしないトラックバックは失礼だ」セクトが「俺たちが正しかったんだ」と勝ち鬨の声を上げているという構図なのかなと思っています。でも、実際は単にスパムのトラックバックへの対応をしたと言うだけで「それが唯一正しいトラックバックの方法である」という訳じゃないんですよね。

日記を書いている方の多くは、トラックバックをする時には、文中にもそのことを書いておられるのかもしれません。私も雑記をわざわざブログで書く時は文中にそのトラックバック先をリンクして明記するようにはしています。でも、それが「唯一の正しいやり方」だとは思いません。例えば私が以前書いた「女性専用車両を考える」であれ「タバコについて」であれ、はたまた他のどの文章であれ、私は文中でリンクされていないからトラックバックはして欲しくないなどと一概に言うつもりはありません。というのは、トラックバックの先が明らかにスパム目的のサイトであれば即刻削除しますけれど、例えば相手先が女性専用列車について考察した文章であったなら、その文中に私のところが言及されているかいないかにかかわらずトラックバックしていただいた価値は十分にあると思うからです。

先のリンク先では関連文化圏という事に対して

「ちなみに、「言及リンク文化圏」では、一方がトラックバックを送信した時点で相互リンクが完成しているはずなので、トラックバック返しは「無意味なもの」として嫌われる。」
と書いています。意味が良く分からないのですが、多分に「この文化圏に所属する人は、相手にトラックバックすると同時に文中リンクをするから、その時点でどちらからもリンクができている」という事だと思われますが、先のように、自分の文章が文中にリンクされていなくともトラックバックされる価値のあるものは私はたくさんあると思っている訳で、そうであれば、この「相互リンクが完成しているはず」という前提も全然無意味な戯言になってしまうと思うのですよ。

結局はその文章で言うところの「言及リンク文化圏」というのは、常に1対1の対応のみを前提としていると言う意味でやはり不完全な自己満足的文化圏であるという事をきちんと理解しているべきだろうと思う次第です。

(1月8日「昨日の補足」へ)

2006年01月06日(金) 大画面テレビ / ほおむぺえじ

昨年の12月14日に「液晶テレビ」というお題で雑文を書きました。
2011年を目処にテレビ放送がデジタル放送に切り替わる事を理由として、またプラズマテレビや液晶テレビなどの薄型テレビへの買い換えを世の中では積極的に宣伝している訳ですが、私は貧乏だから買えないというのは癪なので、「薄型テレビの真髄は大画面にある」と言う事を書いた訳です。

私が提唱した「画面サイズ60インチが普及価格帯に」というのは夢なのかとも思います。60インチともなればテレビの横幅は150cm以上になります(参考:sharp LC-65GE1)。多分標準的な部屋の大きさと言えるであろう6畳間の短辺は1間半ですからかなりの部分を占める事になります。賢明な皆様はお気づきだったでしょうけれど、実は先の雑文を書いた時、私は計算違いをしていまして、6畳間の短辺を1間(180cm)と間違えていたんですよ。ですから、150cm幅のテレビは横幅一杯と思っていたのですが、実際には1間半(270cm)あるので短辺の半分を占めるに過ぎないのですね。まぁ計算間違いがあったとしても、高解像度のきれいな画像であるハイビジョンテレビが大きな画面で視野一杯に広がる様は壮観でしょう。ドラマであれコンサートであれ映画であれ、兎に角大画面から飛び込んでくる映像は迫力が違うんじゃないかと思う訳です。でも、それがどれだけ需要を喚起出来るかと問われたら、それは判らないと答えざるを得ません。私は魅力的に感じますが、果たして企業がどれだけ魅力的なのか、また、どれだけのユーザがそれの価値を認めるか…そんな訳で「なるようにしかならん。兎に角、ビンボだから買えません」と思っていたのですけれど、1月5日に松下電器は103インチのプラズマディスプレイを発表しました(link)。
横幅が2269mm、高さが1276mmという大きなもので、50インチ画面4つ分の大きさって言うんですから度肝を抜いちゃいますね。このサイズは今まではプロジェクタでしかお目にかかれなかったサイズですから、これが安価になっていくと映画ファンなら魅力的に映るでしょうねぇ。このサイズなら本当6畳間にもベストフィットです。でも、このサイズになると、発表はされていませんが、重量も消費電力も凄そうです。
どんどん大画面が量産化されて安価になっていってくださいよ。がんばれニッポンです。


ほおむぺえじ

ほおむぺえじって言うのは、中には全部のページの総称と勘違いされている方もいらっしゃると思いますし、実際にそんな使われ方が一般的かとも思いますが、トップページとも言いまして、まぁ表紙にあたるページの事である訳です。タッチタイプなどをする時に使うホームポジション(待機する時に指を載せておくキーの場所。左から「asdfjkl;」)と同じように、また野球で言うところのホームベースと同じように、帰るべき基本となる場所というような意味で宜しいかと思います。

私の場合ほおむぺえじ(めんどくさいので以下「HP」とします)は「neweb」と言う今はDIONに吸収されてしまった場所を使っています。去年後半の目標は「HPを整理する」だったのですが、結局全く触ることなく年が変わってしまいました。
それは、「めんどくさかった」というのもあるのですが、実は「接続する設定が判らなくなった」というのもあるんですよ。そう、この場所はブログやエンピツなどのページのように、更新するページに書き込めば終わりという訳ではなく、自分でページを作って、それをFTPソフトでアップロードして更新をすると言う昔ながらのページなんです。そんな訳でアップロードようにはフリーソフトの「FFFTP」を利用させていただいているのですが、最近は全然ページを更新していなかった事、HDがクラッシュした事などが重なって、その設定がどこかに行ってしまったんです。まぁ調べればすぐに判ると思うのでそんなに心配はしていないのですが、重い腰がなかなか上がらないというのが今の状況なんです。そんな訳でHPにリンクしていただいている皆様には暫く更新のされていないつまらないページが表示されている訳ですが、何卒ご容赦の程宜しくお願いいたします。

2006年01月05日(木) パンク / 涙

朝6時少し前、ちょっとした用事があって車で出かけようとしたのです。今、エンジンオイルは10w-30を入れているので、この辺りなら早朝の冷え込みでも神経質になる事は無いのですが、一応少しだけ気休めの暖機運転をして出かけます。ただ、いつもは駐車場から左に出るのに、今日は右に出たのが間違いだったのかな…駐車場は十分広いんです。十分広くとった通路と出入り口。その敷地を囲むのは低く積んだブロック。そんな状況なのに何を思ったか右後輪をそのブロックにぶつけてしまいました。それでも運が良ければ乗り上げるだけだったかもしれませんが、すぐに止めて確認をしてみたら、見事ホイルが歪んで「シューッ」と激しく空気の抜ける音がしていました。

はぁ〜っ…どうして余計な出費は貧乏の元に降りかかってくるのでしょう。もっと金持ちの車はいっぱいあるんだから、そっちに降りかかれよと逆恨みをしたくなります。でも、金持ちならこんな事でため息をつくほど悩まないだろうし、「病は気から」って訳ではないでしょうけれど、やはり、気の持ち方で不運を呼び寄せて居るのかもしれません。

まぁ、実は昨夜古本屋で探していた本を見つけて買ってしまったんですが、その「ラッキー(音符とはあと)」という分の埋め合わせなんだと思えばあきらめもつきますし、タイヤが切れたとか、ボディもガリガリこすって傷だらけにしたと言う何万円もかかる壊れ方ではなく、スタッドレスを付けるための鉄ホイルが駄目になっただけなので一本1500円位で買い換えられるって言うのは、十分貧乏人にふさわしいレベルの不運だったのかもしれません。これが、夏タイヤだったら同じホイルでもアルミホイルですからやはり何万か掛かっていたはずですしね。
不幸中の幸いでした。うん、そう思っておきましょう。でも、この「幸い」に見合う不運はもういりませんから…



「ホイルだけ壊れた」というのは淡い望みでした。その一本だけを夏タイヤに履き替えてカーショップへ行ったのですが、改めてみてみると、タイヤもざっくりとサイドウォールに切れ目が…敷地を示すために低く1段だけ積まれたブロックの角がタイヤを切り裂いてホイルを歪ませたのですね。タイヤのパンクというのは接地面でとがったものなどを踏み抜いた結果として起こります。その場合、その異物を引き抜いて、その代わりにゴムの塊を詰め込んで空気を入れると空気圧でそのゴムの塊が周りから締め付けられて抜けなくなるのですが、サイドウォールではその周りから締め付ける力が働かず修理はできないのが通常みたいです。いや、もし仮にできるとしても、今回のタイヤにできた大穴は例え接地面にできた穴だとしても修復は不能だった事でしょう。もう諦めです。
仕方がないのでタイヤを新しく一本だけ買おうとしたのですが、まず、このサイズのホイルが鉄もアルミも在庫が無くなっているのだそうです。ですからタイヤがあったとしても取り付けるホイルがありません。更に、タイヤも…このタイヤは一昨年に買ったばかりで、また1シーズンしか使っていないはずです。その最初のシーズンの最後に雪でスリップして事故。2シーズン目は父親孝行をしようとタイヤ交換したけれど、結局行く必要が無くなって、雪道を走らずにいてこの始末…そんな程度しか使っていない9分山のタイヤなんですが、もうミシュランからは新しいシリーズが出ていて、このシリーズのタイヤは売っていないのだそうです。全くパターン(や能書き)の違うタイヤを1本だけ付けるか、それが嫌なら新しいスタッドレスを4本買うかと言う選択肢しかないのですね。
家電製品なら生産を終了してから7年は補修部品を取っておかなければならないのですが、さすがにタイヤにはそんな規則はないようです。車重の軽い車ならパターンの違うタイヤを付けていても問題ないでしょうけれど、私の車はそれなりに重いですし、2輪駆動なのでパターンの違うタイヤを取り付ける事はスリップの原因にもなりかねません。かといって4本のタイヤを買い換えるだけの金も今はありません。結果、悲しい事ですが、今日は全てのタイヤを夏タイヤに履き替えました。今シーズンは雪が降ったら車に乗りません。来シーズン以降時期を見てタイヤを新調する事にします。ま、貧乏が悪いって事で。
それにしても私の車、買って5年が経過しましたが、今回初めての発見がありました。この車についてはタイヤ交換は近くのタイヤショップに任せていたので、今回初めて自分の手でジャッキをかませてタイヤ交換をしたのですけれど、ジャッキのかませ場所などを調べるために取扱説明書を開けてみたら、スペアタイヤの事が書いてあるのです。うちの車は標準装備でサイドスカートなどがついていたのでジャッキをかませる場所も隠れていたし、床下が見にくい構造になっているのです。最近はスペアタイヤを装備していない車もあると聞いていたのでうちの車もそうなんだと思っていました。でも、取扱説明書を見るとその床下にタイヤが吊られているらしいんです。頭を地面に付けるようにしてその場所を見て、初めて自分の車のスペアタイヤを見る事ができました。ちょっと嬉しい気分です。っていうか、今までそう言う事も知らずに乗ってきた自分がちょっと情けないなぁ。

更に、帰宅して気付いたのですが、私の家では電話機は親機+2台の子機というセットを使っています。が、その子機のうち1台は去年か一昨年多分電池の寿命だと思うのですが使えなくなってしまいました。まぁ無くても不便ではなかったのでそのままにしていたのですが、ついに2台目の子機も使えなくなってしまいました。新しい電話機を買うより安ければ電池を買うしかないですね…今ちょっと調べてみたら、電池は1個\1,300位みたいです。これなら電話機を買うより安く上がりますから、近々購入するようにしましょう。さぁ、次は何に支障が出るんでしょ。楽しみです←負け惜しみ

2006年01月04日(水) 取って食いはしないです / 誰に似てる? / 生命力

先日、私の雑記を読んでくれている人と話をする機会がありました。その話の中で「うちの掲示板、閑古鳥が鳴いているからなぁ」という話題にしてしまったのですが、その人曰く「書いてはいけない雰囲気がある(意訳)」のだそうです。

…うーんと唸ってしまいます。皆さんが私にもっているイメージがどんなものか判りませんが、少なくとも私は自分の事を「三枚目(←と書くのも美化しすぎ)で、常にオヤジギャグを言ってツッコマレルコトを期待している中年オヤジ」であると思っているのですが…まぁユーモアのセンスがなくてオヤジギャグになってしまうし、おもしろい文章を書く文才もないので堅苦しい事を書いてしまったり、掲示板に書いて貰ったとしても気の利いた返事も書けない…そんなんじゃやっぱり駄目じゃんという事ですわね。
なんか、こう書いていると、誰かにいじって貰って初めて何か出来るタイプ…芸人で言うなら「出川」タイプって事なんでしょうか…なんか自分で書いている事で涙が出るくらい悲しくなってきたぞ。

ま、そんなイメージも自分から出ているという事で真摯に受け止めなければなりませんが、「取って食いはしませんぞ」とは言わせてくださいね。思う事があれば気軽に書き込んでいただければ嬉しいです。←こうやって人に期待する事が「出川」タイプなんだなぁ。自分から自分のイメージを変えていかないとね。でも、オヤジギャグだらけの文章なんて読んでくれる人がいるのでしょうか?はにはに


誰に似てる?

昨日の箱根駅伝で亜細亜大学のアンカーを務めた選手、私はマギー司郎に似ていると思いました。しかし、藤井隆に似ていると言う意見もあり。確かにその雰囲気もありますね。

素人で遊んじゃいけないかもしれませんが、果たして皆さんはどう思われたでしょうか…


生命力

昨年は花壇やプランタで花を育てていました。その中でポットローズも2種類を育てていたのですが、仕事が忙しい間に虫がその葉をほとんど食い尽くしてしまい、合計6つの株についている葉っぱはたった4枚なんて自体に陥っていました。つまり葉っぱのない茎だけの株になってしまっていたのです。「これはもう枯れるのを待つしかない」というのが正直な気持ちでした。しかし、完全に枯れるまでは諦めず、本当は今の時期は茎を短く切って外で冬眠をさせる時期なのですが、12月になってから室内に入れていたんです。いや、正確に言えば咲きかけた蕾があったので、それを咲かせてから冬眠させようという気持ちの方が大きかったのですがね。そうしたら…
ポットローズ

いつの間にか葉っぱが生い茂っているのですよ。
右も左も判らずに育てたヤツなのでまっすぐに生えていきませんでしたし、ベテランの方から見たら目を覆うばかりかもしれませんが、誰に聞く訳でもなく、自分なりに半年育てた(半ば放任でしたが)かわいいヤツです。ようやく生きていると確信ができたので、今日にでも思い切って茎を切りつめて外に放り出して越冬させるつもり。そうそう、千尋の谷に突き落とすライオンの気持ちでね。

2006年01月03日(火) 心配… / D70 vs EOS N / 駅伝 / 格付けチェック

昨日出先から帰ってきて、パソコンでニュースの一覧を開いたら「岐阜・高山 国道41号線でバスと乗用車が衝突」なんて見出しが目に飛び込んできました。

つい先日、岐阜・高山から国道41号線を移動している人と電話で話したばかりでしたので、ニュースの詳細を読んでその人ではないと確認するまで「もしかして…」という気持ちがぬぐえませんでした。
そう言えば…その昔旅客機が墜落した時、カタカナで発表された乗客名簿の中に従姉妹の旦那さんの名前があり、心配して電話を掛けたら「旦那ではないが、ニュースが流れてから、こんなに知り合いが居たのかと思うくらい電話が掛かってきている」と笑っていた事を思い出しました。当事者じゃなかったから笑い事にしてしまえるのですが、掛ける方は断片的に得た少ない情報で相手を心配して不安になって掛ける訳です。今回は、ニュースの記事を読んだ段階で年齢も性別も全く違う人と判ったので、(当事者には申し訳ないですが)電話をするまでもなくすぐに安心する事ができましたが、それまでは「そんな可能性はほとんど無いだろう」と思いつつも「もしかして」と思う自分も居ました。心配していたなんて相手にばれたら「全然日時からして違うんだから、そんなはず無いでしょ」と笑われてしまいそうですが、心配するってそんなものですよね。

昨年、交通事故での死亡者数が半世紀ぶりに7000人を下回ったそうです。また、都道府県別で北海道がトップの座を愛知に譲って居るんですね。
勝手な想像ですが、北海道の事故というのは信号の少ない広い道路でスピードの出し過ぎや無理な追い越しが事故の主な原因で、今年1位になった愛知県や2位の埼玉県などは、北海道と比べると細かいごちゃごちゃした道路も多く、北海道のように高速で派手にぶつかる事故より狭い道での出会い頭の衝突や歩行者の巻き込み事故が多いのではないでしょうか。そんな事故の特徴から、北海道のような高速での車同士の衝突などにはエアバッグが効果的に人命を救ったけれど、車が歩行者を巻き込むような事故に対しては最近メーカーが対策を取り始めたばかりで、今はまだその効果が見込めず、事故数がそれほど減らなかったという事が順位の変動に繋がったのでしょうかね。でも、今年になって突然エアバッグの効果が出てくるというのは、ちょっと説得力がありません。北海道警が一生懸命事故撲滅キャンペーンと称して様々な対策をした事が効果的だったのかもしれません。そうだとしたら努力が実ったという事で喜ばしい事ですね。兎にも角にも事故での死亡者数は減って欲しいものと願ってやみません。


D70 vs EOS N

私が所有しているのはNikonのD70ですが、昨日CanonのEOS Nをさわる機会がありました。D70に慣れている私にはちょっと違和感がありましたけど、ボディはコンパクトですし、スイッチ類の操作感もいいです。ちょっと撮影もしてみましたが、フォーカスも早いし、画像もきれいですね。コンパクトカメラみたいにボディに添えた指がスイッチの上に重なって余計なボタンを押すなんてこともなく、きちんと親指が掛かるところに空間を確保している辺りは、まぁCanon程のメーカーなら当然と言えば当然ですが、さすがにカメラメーカーだねと感心しました。

ほんの10分ほどマニュアルもなしに触って、ほとんどカメラ任せに撮ってみただけなので、厳密な比較はできませんけれど、室内でストロボを炊かずISO1600で撮ってもノイズは少ないし、かなりきれいな派手な色で再現されるのが「映像エンジンDIGIC II」というヤツの威力なんでしょうかね。写したものをそのままプリントするならとても鮮やかに印刷されるんでしょうね。そんな風に感じました。確かに画像はきれいだと感じたけれど、でも、もし今私がまっさらな状態でデジタル一眼レフカメラを買うとしても、やはりNikonを選んだだろうと思います…というのは、やはり、私にとって自然な色合いに感じるのはNikonの方でCanonの方は鮮やかできれいだけど、ちょっと小心者の私には派手すぎるように感じるんです。肌色なども如何にも「造られた」という感じがしてしまうんです。そんな訳で、個人的な好みでNikonになってしまうと改めて思った次第です。でも、画質だけを見るならCanonの人気がある理由も十分納得しました。できれば今度は外に持ち出して、同じ条件で撮り比べてみたいと思いますが、それが実現するのはいつになることやら…


駅伝

実は今日、このことを書いては消してを2度繰り返しました。うまくまとまらないんだなぁ…
今日の箱根駅伝で、某大学の選手が脱水症状(?)を起こしふらふらになって走っていました。倒れそうになりながら襷を渡したそのシーンを、他はそっちのけで放送し、「襷を途切れさせてはいけません」と煽り、さらに「魂を受け渡しました」とか訳の分からない事を言う始末。
確かに視聴者がドラマを求めているとしたら、このシーンは要チェックでしょう。しかしねぇ、「これが駅伝でなければとっくにリタイヤしているでしょう」と言う状態で走っているのを美談にするのは正しい事なのでしょうか。
この選手はゴール後暫く点滴を受けた後、「脱水症状と思われるが念のため」と救急車で搬送されていきました。

プロ選手なら体調を考え棄権するのも仕事の内と考えられるでしょう。個人競技なら自分の責任で棄権もできるでしょう。でも駅伝は自分だけではなく、多くの関係者に迷惑が掛かると思うと棄権したくても棄権出来ない状況が作られます。それを「魂の受け渡し」などと精神論的な戯言で美談に仕上げる事が正しいのですかね。多分大事に至る前にストップを掛けられるよう選手の近くに監督を乗せた伴走車が走っているのでしょう。また、大学生と言えばもう大人なんですから自分の命をどう使うかは個人の判断に委ねるべきであるとも言えます。しかし、命をかける戦争ではないのですから、そして駄目な事は駄目と言えるプロフェッショナルではないのですから、アマチュアスポーツだからこそ、「伝統ある行事」「あこがれの行事」であるかもしれませんが、命の危険を掛けるような条件は思い切って取り除いてやる必要があるのではないかと思います。大事が起こってからでは遅いのではないですかねぇ…


格付けチェック

テレビ朝日の「芸能人格付けチェック」を見ています。
寿司の味などは視聴者には判りませんし、ギターの音色なども搬送できる周波数帯が限られるテレビでは、弦の響きが良く分かりません←言い訳?
そんな中で某映画監督が監督した映画と森三中のリーダーが監督した映画を当てるというのがありました。映画なんてそれぞれの好みもあるし、こんなので分かるものかな?と思っていたのですが、判る人には判るものなんですね。あれだけの中できちんと特徴を見分けてしっかり当てている人には正直感動しました。また、根拠なんか無いけどと良いながら当ててしまう人にも感動しました。
三流の私には、「どうせ監督だって三流やん!」と負け惜しみを言うしかありませんでした←ごめんなさい。

2006年01月02日(月) SATY / 寒かったのかな

2005年12月31日をもって、マイカルは東京地裁から会社更生手続きの終結決定を受けたと発表したそうです。予定の2012年より7年早く終えた事になります。

経営破綻時には1兆8千億円あった負債を債務免除などによって1兆6千億円を免除して貰った上での債務返済ですから、「7年早まった」と言われても「だったら、残りの分も返せよ」と思わないでもないのですが、まぁ、最初から2千億円を2012年までに返済すると言う計画を繰り延べたのですから、「ようやった」と素直に思うべきなんでしょうね。


寒かったのかな

日中はそんなに寒くはなかったのですが、午後7時頃に車で出かけようとしたら、車の窓が凍っていました。午後9時過ぎに帰宅したのですが、途中で何気なくブレーキを掛けたらABSが作動する感触がありました。スピードを出しすぎていた訳でもないので「もしかして路面が凍結している?」とちょっと慎重モードに。帰宅して路面を見たら、やはりしっかりと凍結状態でした。私の車はスタッドレスを履いているから問題なかったですけれど、夏タイヤを履いた車だと滑らないのか心配です。明日の朝はもしかして雪が降っているかもしれません。日本海側や九州、四国地方に大雪をもたらした12月でしたが、私の住む地域はその被害には無縁でした。でも、季節としていつ雪が降ってもおかしくはないんですよね。そろそろ帰省ラッシュも始まろうかと言う時期ですから、大事故、大渋滞に繋がらない事を祈るのみです。←もの凄〜く野次馬的でごめんなさい

2006年01月01日(日) 後味の悪い年末 / 出汁 / 映画

昨日の大晦日は、日中はバイトをして過ごしました。
バイトをするために登録をしてみた「mobaito.com」ですが、もう呆れ果てています。
昨日は数人が集合場所に集まって、スタッフが誘導しバイト先に行くという説明があったのですが、行ってみたらスタッフは居らず、こちらから事務所に電話を入れても曖昧な返事しか返ってこない。もし電話をせずスタッフが現れるのを待っていたら遅刻して客先に迷惑を掛ける事になっていたんでしょうね。
何回もここのお世話になった訳ではないですが、その都度「ん?」と思う事がありました。客先に迷惑を掛けないようにするためにはどうするべきかと言う事に対する認識が甘いのは会社として致命的でしょう。また、バイト要員に対する説明、指示が的確にできない体制が全社的に蔓延しているのであれば人材派遣会社としても最低と言わざるを得ません。そんな訳で新年も数日分バイト先を紹介してもらえるようお願いしていたのですが、もう全てキャンセルして縁を切る事にしました。

帰宅してテレビを付けたのですが、近年の年末はおもしろい番組が少ないですね。PRIDEだのK-1だのという格闘技が人気を博しているようですが、それって文化的にかなり衰退している証拠なんじゃないのかなと思います。確かに見ていてその戦いぶりはすごいと思います。けれど、まぁ理屈ですけれど文化って言うのは暴力を否定した上で成り立って居るんですよ。戦争とか喧嘩って勝ったものが正義でしょ。第三者が見たら「おまえの方が悪い」という人でも、その人の意見を聞かず二人(国)で戦って勝ってしまえば自分の意見が通っちゃうんです。でも、近代の文明国家というものはそのどちらも建前はそれを否定した上で成り立っているじゃないですか。戦争をしたとしても、昔なら相手を滅亡させるまで、皆殺しの戦争だったのに、今は「民間人を殺した」と大騒ぎするのが戦争ですし、町中で酔っぱらいの喧嘩があったと言っては警察が出て行くし、口で人を傷つける言葉を吐くのは罪にならないのに、それの報復として殴ったら罪になるのが文明社会です。だからこそ格闘技と言うところにはけ口があるのかも知れませんが、それが年末のゴールデンタイムにこれだけの時間枠をとって放送されるというのはどうなんでしょうね。その内人対ライオンなんて格闘が流行ったりするんですかね。ま、私もPRIDEを見ましたよ。見なきゃ良かったと思いましたけど。それにしても私は格闘技ファンじゃないので小川と吉田の間にどんな確執があったのか全然判りません。同じ柔道屋で、同じ大学で、どちらも強い。で、小川はプロのショーマンになって、吉田は格闘屋になったと言う事なんですかね。ただ強いだけでなくプロだからこそ「客に見せる」事をも意識するという小川と、格闘屋だから「自分の強さだけにこだわる」という吉田という対決だったんでしょうか。
私は細木数子という人が苦手です。本人を知っている訳じゃないんだけど、ファンの人には申し訳ない表現ですがゴキブリと一緒。本能的に駄目なんです。実際にどれだけ占い(?)が当たるかしりませんが、そんな海のものとも山のものともつかぬもので良くもあれだけ自信たっぷりにできるものだと感心はしていますが、ある時、すがる人がいるならああいう根拠のない自信も必要なのかと思いました。不安がって「当たらないかも知れないですけれどぉ」なんて言う占い師に占って欲しい人が居るはず無いですものね。また、いつブームが去るか判らない職業だからこそ人気がある時はたたみかけてと言うのもありなんだな。それもプロ根性なんだなというのが何となく理解できました。まぁそう理解出来たからと言ってもゴキブリはゴキブリのままなんですけれどね…同じように小川についても余り知識はないのだけれど、強いのにくだらない事をしているよなぁと思っていたのですが、それもプロのショーマンだからこそなのかなと思い始めていたのです。
そんな二人の試合、決着がついてそれで終われば「おもしろかった」で済んだのですけれど、そこからマイクパフォーマンス。それが二人の姿勢を明らかにしましたね。どちらも自分のスタイルを明確にしているという意味ではおもしろかった。けど、真剣勝負にプロレスの遊び(マイクパフォーマンス)をもってくるなよと興ざめ。ちょっと複雑でした。

紅白もその年歌って頑張った人、人気を博した人がその年最期に上がるお祭りの祭壇だったから楽しかったのに、近年は視聴率を稼ぐためなんでしょうけれど歌とは関係のない人があれこれ出てきたり、今年とは一切関係ない歌手が出てきたりして、その目的を失っているような感じがします。民放ではなくNHKなんだからと言う原点に返って欲しいと思います。結局紅白は2分くらいしか見なかった。いや、つまらなくて見られなかったと言うのが正解ですね。
そんな感じで何ともつまらない後味の悪い年末になってしまいました。そんな嫌な思いを正月早々からここに書くのもどうかと思ったんですが、まぁ勘弁してください。


出汁

昨日、雑煮の準備をしました。私はすちゃらか料理しかしないので、今まで「出汁をとる」と言うと、まぁ昆布は1時間くらい水に浸けてから弱火で沸騰寸前まで煮出して出汁をとりますが、鰹出汁については、沸騰したお湯に鰹節を突っ込んだ網を入れて振って出汁を絞り出すようにしてきたのです。しかし、昨日は火を止めた鍋に鰹節を入れ布巾で漉してみました。じっくり味がしみ出すのを待った事もあって、今までとは比べものにならないおいしい出汁ができました。ほんのちょっとの手間を惜しまないだけでこうも味が変わるんだなと実感。出汁は料理の基本ですから、これからもここだけは手抜きをしないようにしようと思いました。大晦日、最後の最後で小さな幸せを感じた時でした。


映画

昨年見た映画の中で気に入った映画についてランクを付けてみました。
luntic's 映画評」をご笑覧いただければ幸いです。


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