The Green Hills of Earth

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☆★CF-W2関連:「分解/HDD交換」 / 「キー清掃」★☆

2005年09月30日(金) 特別職の罪は… / 名演技をする人 / 聞き違い / 田舎へ

自衛隊の潜水艦隊で大麻所持をしている人が次々とつかまっています。

潜水艦という環境の中では、精神的な抑圧などもあるかと思います。でも、日本の潜水艦ってディーゼルでしょ。原潜のように何日ももぐりっぱなしという訳でも、息をするのも交代、屁をするのも許可が要るなんて状態があるわけでもないし、麻薬に逃げるいいわけには乏しいように思います。←たとえそれだけ厳しい環境にさらされていたとしても、麻薬に手を出すいいわけにはなりませんけれどね。

自衛隊は公務員で「人権もある」らしいですね。自衛隊の中での勤務中の犯罪ですから民間の裁判より自衛隊の隊内処分を優先させて民家より厳しい「銃殺刑」にするのが妥当だと思うのですが、日本の自衛隊は軍隊ではないので、犯罪があると自衛隊より警察の管轄になってしまうんですね。いつか、頭のおかしいやつが自衛隊に入って銃を盗み出して街中で無差別殺人を起こすなんて事件が起きたとしたら、その犯人の処罰ははやり民間と一緒になってしまうのでしょうか。一般の国民が扱うことのできないさまざまな兵器を取り扱う「特別職」国家公務員である自衛隊だからこそ、一般の人より犯罪面においても「特別職」としての処罰が望ましいのではないだろうかと思います。また、道路交通法などで同じ違反でも原動機つき自転車などの軽車両と普通乗用車、大型車ではその反則金の金額が違うように、一般人と特別職の人はその処罰にも差を設けるのが妥当ではないかと思うのです(議員や役人も差別する必要があると思います)が如何なものでしょう。


名演技をする人

今日の話は少し汚いです。そういう話が苦手な人などは見ないことをお勧めします。

昨日も漫画喫茶どまり。そろそろっていうか既に臭いを撒き散らしているような…
ま、周りは同じような人の集まりなので気にもしなくてすんでいますが、家に帰るときの列車の中などでは白い目で見られそうです。コンビニで体を拭く「ボディペーパー」なるものを買い込んで必死に拭いていますけれど、そんなに効果はないものですねぇ。やはり、これらの商品は「普段きちんとしている人」がちょっと汗をかいたときに使うもので、3日も風呂に入っていないぞなんて人を救ってはくれないのでした。
一応着替えは持っているので、今日は新しいパンツ。やっぱ、洗濯したてのパンツは履き心地がいいわ…

朝からバカな話になって申し訳ありません。
さて、昨日駅に向かう途中、道に倒れている人がいました。
まぁ終電間際の時間なので、酔っ払いが寝ているというのもありでしょうけれど、でも、なんていうかその男は「撃たれて倒れた」という感じがぴったりなんですよ。もし、何かの映画で「打たれて倒れるエキストラ」を募集していたら絶対に採用されること請け合いです。その手足の曲げ具合など微妙に決まっています。そしてそんなに長い間見ていたわけではないのですが身動きひとつしません。世間では車から発砲されたなんて事件があったりしますので、もしかしてついに「大都会の片隅で、会社員が撃たれて死亡。愉快犯の仕業か」なんて見出しが?と思った矢先にこの男はビクっと動いたのです。
最近テレビでよく見るレイザーラモンHGとか言う芸能人がいるのですが(どこにも「芸」があるようには見えませんが「ゲイ」の気はあるらしいですね)、この人が先週フジテレビの笑っていいともに出ていたとき、ある選択問題で「自分を信じて」と選択をした結果が外れたとき、土下座代わりに(凍った秋刀魚のように)床に全身をこすりつけるかのごとくうつぶせに一直線に寝て「ごめんなさい」と言っていたのをふと思い出しました。←ま、この謝り方自体は使い古されたネタではありますね。
とにかくそれまで「撃たれて倒れた人」=名エキストラだったのですが、ビクと動いたと思ったら急にうつぶせになり小刻みに震え始めました。ただでさえきれいとはいえない歩道の隅っこなんですが、そこでうつぶせになって顔を歩道に押し付けるってさらに汚い感じがしませんか。寄っている本人は気づかないかもしれないけど見てしまっている私には結構つらいものがこの時点でもあったんですよね。でも、さらに追い討ちをかけるようにこの人はけいれんを始め、どうしたのかと思ったら、その口から嘔吐物が川のように流れているんです。そう、食べたものが出てきているのではなく、呑んだものが出てきているという感じで、そうですねぇ「悠久の大河」というイメージでゆっくり大量にその口元から自分の胸元を経由してその脇のマンホールへ流れているんです。その間も全身はエイリアンが内臓を食い尽くしているかの如くにけいれんをしていますし、つい汚いから目を背けたいのですが見てしまう自分がいるんですよ。この人に注目してからここまでの間が多分5〜10秒位だったと思うのですが、とにかくそこにドラマを見ました。でも、こんなドラマは見たくありませんでしたけどね。

酒は呑むもので呑まれるものじゃない。こんなことはみんなわかっているんですよね。でも、こうやって呑まれる人が必ずいるってことは、わかっていても呑まれる訳ですから、どうか皆さん、こういう人から眼を背けず「明日はわが身」と注意する材料になさってくださいね。


聞き違い

虎ノ門の駅を利用した時「ドラえもんドラえもん、次はドラえもんです」と聞こえました。ええ、ただそれだけです。


田舎へ

この一週間は何日も会社に泊まりこむ人がいて、朝ドアを開けるとむっとする鼻を突くような甘いようなすえたような不思議なにおいに包まれていたのですが、さすがにまだ皆さん常識の線のこちら側にいたようで、今日はみんな早く帰りましょうという事になりました。
本当は土曜日とかも仕事をしたいのですが、盆に彼岸に墓参りをすっぽかしているので、そろそろ母親が怒って天から何か投げてよこしそうですので、これから墓参りに行ってこようと思います(今22:56) 夜を徹して車を運転して墓参りをして、父親に少しパソコンの操作を教えて帰ってこようかと。
実はいろいろ邪な思いもあったのですが、何よりもこの日の帰郷を決定付けたのは数日後に迫った車検でした。今私の車の走行距離が10万キロを少し割るくらいなんです。で、田舎を往復したら確実に車検までに10万キロを超えるでしょう。だったら超えてやろうじゃないの。と、端から見たらこれこそどうでも良いことにこだわって見るお茶目な性格のせいだったわけです。ま、趣味とは「はたから見て役に立たないこと、どうでも良いことに熱中する」ことなのでしょうね…って、これは趣味ではないと思うけど…

ま、兎に角行ってきますね。無事を祈っていてください(事故経験があるから…)

2005年09月29日(木) 車を一軒

BMWのチューナーとして有名なM社が、特別な内外装をオーダーメイドのように選べるシステムを日本で展開するようです。

asahi.comの記事によると

M社のウルリヒ・ブルンケ社長は「日本は手をかけた製品への関心が高く、自分だけの仕様の車に対する需要は強い」と話す。
と言うのですが、これを意訳すると「こんなものに湯水のように金をかける愚行をする日本人は良い鴨だ。せいぜい稼がせてもらおうじゃないの」といっているという事です。

勝手に結論付ければ、欧米からはウサギ小屋と呼ばれるような薄い壁と狭い部屋でプライバシーの少ない生活をしている人が、その抑圧の発散口として「一軒」の車を選択したという事なのでしょう。雨風をしのげて目的地に辿り着けたらそれでよい自動車に対し、あれもこれもと贅沢を望み、それでも飽き足らず、「カスタム」だと証して市販の高い部品やオーディオ装置などを買って取り付けて満足しているのですから、端から冷めた目で見ている人には「愚かな」行為にしか見えないんですよね。いや、私はそれを否定はしませんよ。家にかけるか、車にかけるか、それとも他の趣味に金をかけるか、はたまた貯金をするのかは全くもって個人の自由ですし、その趣味によって得られる満足感は純粋に自分のものですから他人がとやかく言うべきことではありませんからね。でも、信号待ちをするとどこからともなく響くベースの音、まぶしいネオン管の光。そして見ていて赤面したくなるような色と形…まぁ他人様の趣味ですから…うぷぷ なんて思っていてもおくびにも出しませんとも。

先にも書いたんですけれど、贅沢を言わなければ100万そこそこで手に入れられる自動車も、様々な条件を加味してどんどん値段が上がっていきます。そこには見栄もあるでしょうし所有欲もあるでしょう。「俺様の車はガイシャなんだから、軽自動車はどくべきだ」なんて本気で思っている人も居る始末ですからね。そして、その所有欲はより高い車を持っていると誇示したいと言うところに行くのか一千万円を超える車に乗る人もたくさんいらっしゃいます。私も有り余るお金を持っていたら多分乗ると思いますよ。ドイツ車の硬い乗り心地は私の好みですからねぇ。それを貧乏人の僻みと言われるかもしれませんが「移動するには贅沢すぎる」車って「一台、二台」と数えるより「一軒、二軒」と数えた方がふさわしい様に思いませんか。私は子供の頃から「大人になったら一生懸命働いて、「おっちゃん、車一軒ちょうだい」って買いに行くんだ」と夢見ていましたよ。でも、そういう車に乗るにふさわしい人は、一生懸命働かなくてもお金があるか、一生懸命働くのが好きな人なんだと判ってしまったので私はその夢を諦めましたけれどね。ええ、わたしは「いつかはジムニー」で良いんです。あ、これは卑下して言っているわけじゃないんですよ。(板バネの)ジムニーはその辺の車より魅力のあるすばらしい車なんですからね。

どなたか、これから車を買おうと思っている人がいらっしゃいましたら、どうか私の代わりに「おっちゃん。車一軒ちょうだい」と言って買って来てくださりはしませんか…レポート期待します。

三日間で睡眠3時間なのでちょっと壊れています。ごめんなさい

2005年09月28日(水) 地上デジタル放送とカーナビ / 頑固な勘違い

地上デジタル放送推進協会は、来年4月から携帯端末向けのデジタル放送を開始すると発表しました。

私は、普通のテレビ放送を全てデジタルに切り替えるメリットをユーザの立場として見た場合に見い出すことが出来ないで居ます。双方向の通信なんてあったら使うことはあるのかもしれませんがなくて困ることはありません。ひとつの画面にあれもこれも複数の情報を入れることだって、たまたま開いているところがもったいないから情報を詰め込んだだけで、逆に真剣に番組を見ているのにそんなのがあったら邪魔ですよね。ですからそれはあくまでも「おまけ」でしかないのです。翻ってメーカーの側に立てば、頭打ちになった買換え需要を強制的に喚起できますし、民生用テレビだけではなく放送局の方にも設備が売れるのですから、ものすごいお金が動くわけですよね。アナログなら多少障害があってノイズがのっても醜くなりはしても映っているのに、デジタルになるとある一定のところまではきれいに映ってはいても、そこから突然「全く映らなくなる」と言う状態になるわけで、電波が届くかどうか微妙なところに住んでいらっしゃる人には気苦労が増えるんじゃないかなぁと思うんですよね。
しかし、そんなデジタル放送ですが、唯一メリットがあるなぁと思うのは子の携帯端末でのテレビ放送受信の時です。たとえば車載テレビなんかはそのアンテナの性能の低さでダイバーシティアンテナなんていうものにしたとしても満足のいく画像は殆ど望めません。
しかし、ある程度の電波強度が見込める場所と限定すれば、今までのように車の振動によって画像が乱れたりノイズに悩まされたりすることなく、きれいな画像が安定して見られるという事になるわけです。先にも書きましたように、それは電波の弱い地域の切捨てになるかもしれませんが、それでも電波が届く範囲なら安定したノイズのない画像が見られると言うのはこういう環境ではメリットになりうると思える訳です。

アナログなら見られるけれどデジタルでは画像にならないと言うのはどの当たりの強度で、それに該当する地域がどれだけあるのか。これは実際に放送が始まってみなければ判りません。もしかしたら全然心配することはないのかもしれませんし、逆に「えー!こんな場所でも見られなくなったの?」と嘆くことになるかもしれません。まぁそれは実際に始まってみなければ判りませんので、とりあえずその可能性はあるという事を頭の隅に、今はその携帯端末向け放送が始まるのを期待してみてみたいと思っているのです。

一瞬、来年の春はこのデジタル波対応を謳ったカーナビがでてきて結構売れるカナとも思ったのですが、でも、一応法律上ではテレビ放送は走行中に見てはいけないんですね。なにか良くテレビ番組がモニタに映ったまま走っている車を見かけますけれど、あれはリアモニタだったり目の錯角だったりするんだろうなぁ…うん、私最近老眼が進んでいるみたいですからねぇ…兎に角、そんな法律が邪魔をしたら売上にも影響するのかもしれませんね。
私は、そろそろカーナビを買い換えても良いかなとは思うのですが、第一世代のものを買うと必ず損をした気分になるので、もう一年待ってみるのも手かなぁとも思っています。まぁのんびりと構えてじっくり選ぶのが良いですね。

今度こそ買うならPanasonicにした方が良いんだろうなぁ…Carrozzeriaって毎回3次元測位が優秀で高架の上を走っているのか下を走っているのか、斜路での進み具合なども考慮して間違えずに表示するなんて言っているけど、殆ど当たったためしがないんですよね。更に道路公団と組んでいるのか判りませんが、渋滞になるとやたらと首都高速に乗ったり降りたりを繰り返そうとするし(*1)、少しでも料金が高くなるように案内をしようとするし(*2)ねぇ…

*1 首都高へ乗り降りを繰り返そうとする
「時間優先」状態で検索をするとある意味仕方ないのかもしれませんが、首都高に乗っていて渋滞するとすぐに「降りて一般道へ」と案内をし、それに従うとちょっと横に走って別の首都高支線に乗ろうとしたり、ひとつの線でも降りてと案内をして一般道を走っていたらすぐに次のICからまた乗るようにと指示が出たりする。有料道路に乗るという事は認識しているのですが、それに乗るためには「お金が掛かる」と言う認識はないんですよね。まさしく機械の欠点ですね。財布からお金が飛んでいく痛みを全く理解していません。
*2 少しでも料金が高くなるよう案内する
例えば大宮方面からR17を走ってきて外環自動車道を経由して常磐自動車道に入りたい時、このカーナビは「浦和南」から高速に乗れと指示します。因みにPanasonicは戸田東ICからと指示をします。この違いはもし浦和南からのるとなるとそこから美女木JCまでの通行料として余計に\300を支払わなければならないのです。浦和南から戸田東までは一般道では5分〜10分(渋滞具合によりますが)の距離です。そんな時間の為に300円を支払えと? その他にも横浜の杉田へ行こうとしたらものすごい大回りをさせられて千数百円を余計に支払わされたこともありました。

2ch掲示板でカーナビの記事を見ると、概ね「案内が優秀なのはCarrozzeriaで文句あるまい」「Panasonicは絵はきれいだけど案内がイマイチ」と言う論調です。
でも、私は大いに文句があります。
Carrozzeriaのカーナビではものすごく幅の広い道路(初心者にレベルを合わせているのか)か獣道(舗装もしていない、角を曲がるのに数回切り返しが必要な、車同士がすれ違いも出来ないような道)を案内するか、はたまた一本の道をまっすぐ走るだけなのに、突然右折案内がでて、すぐに左折して、更に左折して、右折…一本道を突然折れて四角の三辺を遠回りさせただけと言ういかにも「バグ」が少なくとも初代のDVDカーナビから延々と直らずに残っているし、更には「見やすい案内」と言うのも大嘘で、道はまっすぐ(緩やかにカーブしている)なのに、地図上では曲がり角になっているらしく「左斜め前方です」と実際にそこは左斜めに入っていく道もあるのにそんな案内をして惑わしたり、その右折は立体交差の側道を行けば良いのか、それともこのままで良いのか、画面をどんなに眺めても全く判らない案内しかしていなかったりと兎に角不満はたくさんありすぎるんです。基本性能が悪すぎるんですね。実際、元となる地図の精度が悪いんじゃないのかと思っていたら、そんなに古くない昔、この地図を作っている会社がゼンリンに訴えられていましたね。
私はCarrozzeriaは「そこそこ道案内のようなことは出来る。でも、このカーナビは道案内をさせるより、周辺施設を探したり、デートコースを作らせたりするのが楽しいカーナビだ(私はコースを作らせると言うのは殆どやった事はありませんけれどね)」又は「全く知らない道を行くから、どんな無駄をしても、どんな時間がかかっても良いから兎に角最終的に目的地について居たら良いよ」というカーナビだと思うんです。
因みに先に書いた不満、Panasonicのカーナビでは全然気になりません。獣道に案内されることもなし、多少狭い(といっても余裕で車がすれ違える)道でも案内してくれるし、誰が見ても(たとえ緩やかに道はカーブしていても)まっすぐ直進できる道で「右です」とか言わないし、立体交差では事前にそこに乗るか側道に降りるか大きな図で示してくれますし判り易いですよ。でも、案内にしたがって走っている時に「ちょっとトイレに寄りたい」とか「コンビニに行きたい」「多少ルートを外れてもガソリンを入れてしまいたい」と言う案内にはめっぽう弱くて、そういうことをしていると「あぁCarrozzeriaは良かった」と思うんですよ。そう、Carrozzeriaが優れているのはそういう部分だけじゃないかと私は思いますよ。どちらもフラグシップのカーナビを使ってみた感想です。因みに一時期私は車を二台所有していたのですが、一台はCarrozzeriaのDVDナビ(フラグシップ)、一台はトヨタ純正のCDナビ。普通はDVDナビの勝ちだと思うでしょ。でも結果は、CDナビの圧勝でした。同じところから同じ目的地へのルートを探索させて、それででてくるルートのあまりの違いに唖然としたものでした。まぁそれは何年も前の話なんですけれど、でもDVDナビがHDDナビに変わったけど、その基本的な性能は殆ど変わっていない事を考えたら、この構図は今でも当てはまるんじゃないかなと私は思うのですよ。ですから、この次カーナビを買う時はどうしようかなぁと悩んでしますのです。ここまでCarrozzeriaをこき下ろしてまだ悩むのか?と思うかもしれませんが、バカな子ほどかわいいって言う気持ちなんですかねぇ…ま、その時期が来たらまた考えるって事で。今はカーナビを買おうとしている人に対して、これが1つの参考になればという事で書いた次第です。


頑固な勘違い

「指図書」…さて問題です。これはなんと読むでしょう。

「さしずしょ」が正解ですね。多分殆どの人はお分かりになったと思います。でも、私は数日にわたって勘違いしていたんですよ。最初に「図書」の組み合わせが強烈に目に飛び込んできてしまって「としょ」で組み合わせが決まってしまったんです。ですからこの文字列は「ゆび・としょ」となってしまったんですよ。何の意味? 判りませんって。ただ「としょ」はもう決まっているので、その先についている「指」に他の読み方か意味があるんだろうと思うしかないんですよ。ま、世の中にはさまざまな略称があるからね。これもその内の1つで一般的ではない特有の省略記号みたいなものなんだろう…そんな風に思っていたのですけれど気になっていたんですよ。そしたらさっき、ふと眺めてみたら突然「さしずしょ」と読めるじゃないですか。はぁ、頭が固かったんだぁ…納得しましたよ。他にも区切り方、読み方はあるのに「これしかない」と決めるのは本当危険。でも「ゆび・としょ」には大笑いでした。はぁ…

2005年09月27日(火) 漫画喫茶にて…

今日も漫画喫茶でお泊りでした。
いや、最終電車に間に合うつもりで帰ったんですけれど、ちょっと油断したらタッチの差で最終列車への接続列車に乗り遅れてしまったんです。

昔から、旅行といえば自家用車でと決めていたところがありまして、列車に乗ってのんびり景色を楽しみながら目的地に行って、旅館でおいしいものを食べつつ温泉に浸かるというのも楽しいのでしょうけれど、地方に行けば行くほど鉄道が網羅している地域は疎になりますし、その運行時間も限られてきます。また、それをカバーするバスなども時間通りに来なかったり、やはり本数が少なかったりして、まぁそういう旅行に慣れた人は、その中でもうまく時間を割り振って開いた時間を「暇な時間」「持て余す時間」ではなく有意義な時間に変えていくのでしょうけれど、私は自分で長時間、長距離を運転することが苦ではありませんし、思い立ったら好きにルートを変えることができて、さらに時間配分も自分の思ったとおりにできる自動車での移動が気に入っています。更に宿泊先が旅館やホテルだと、そこに「たどり着かなければならない」という制約ができて今いますので、それを嫌って自然とテント泊とか車中泊が多くなる訳で、車中泊もテント泊も寝心地の点ではどちらもそんなに良いものではないという点では同じですよね。そんな環境に慣れているものですから、私はこの漫画喫茶で一夜を過ごすというのはそんなに苦じゃないんです。ただ、先日も今回も隣にものすごいいびきの人が来てしまって、これだけは運不運というものがあるんでしょうね。前回はあまりのすごさにお店にお願いして場所を変えてもらいました(まだあいているところがあってよかった)。今回はなんと隣の席のいびきもうるさかったのですが、突然いすの支柱が折れるというトラブルに巻き込まれてしまい席を移らざるを得ませんでした。私の体重に折れてしまったという訳じゃないよなぁ…なんとなく後味が悪い事件でしたわい。

そういえば何年か前にも会社の椅子が折れた事があるんですよ。その時はお偉いさんが座っていて折れたので「びっくりした」で終わりでしたけれど、もし私が座っていたときに折れたとしたら、絶対に「体重が」とかそういう話に勝手に結びつけて盛り上がるんだろうなぁと容易に想像できるわけで、本当自分が据わっていなくて良かったと思ったことがありました。
確かに肥満というのは自分でそれなりにコントロールができるはずのものではあります。でも、だからといって「太っているのは自分をコントロールできない証拠」とか言う人には私は抵抗を覚えます。またそれを気軽に口に出す人の良識も疑います。タバコについてもそうですが、もともと吸ったこともない人、もともと太る体質ではない人など何の苦労もしていない人が、単に自分がその苦労をしていないだけなのに、たまたま自分のいる環境が「適合範囲」の中にいるだけで、そこから外れている人を「努力していない人」というのはいかがなものかと思うということです。私もその昔は「できれば苦労をせず50kg台を維持したい(意識して食べていないとすぐに40kg台になる)」と苦労したものです。「苦労せず70kgとかの体重になれる人がうらやましい」と思っていたものです。今は逆の意味でうらやましいですけれどね。そういう人の多くは努力なんてしていないんですよね。普通にしていて普通の体重でいるだけ。タバコを吸った事がないだけ。そんな感じの人が「努力も指定いない」なんてどの口で言うねん。って感じですよ。そう、私は私にそういう人に向かって「君は簡単にそういうことを言うけど、じゃあ、君もお酒をやめてみなよ。私は何の努力もせずに酒ならすぐにやめられるよ。明日から10年一滴も飲まなくても平気だよ。君もそうしてみる?」などといってみたりします。そういうとようやく彼らのなかの一握りの人は自分の言っていることが独りよがりだとわかってくれるみたいですね。
私は太っている人がなぜ太っているか、その理由にかかわらず、太っているということを正面切って揶揄するということは、身体に障害を持つ人にそれを揶揄することと同じくらい失礼なことだと思います。「はげ」という言葉についても同様です。
皆さんはどう思われます? 

2005年09月26日(月) デジカメ… / 国鳥 / 田尾監督

贅沢な話しだなぁとは思うのですが、もう趣味の域に近いことと諦めるしかないかなと達観していることのひとつに「コンパクトカメラの買い替え」があります。最近では去年の9月頃にCASIOのEX-S100とRicohのRXを買い、その一ヵ月後にはRXを下取りにしてPENTAXのOptioXを手に入れています。その一年前は最も買い替えを下年だったんじゃないかなぁ。兎に角PanasonicのFZ20やKonica-MinoltaのG400やNikonのE3700などあれこれカメラが入れ替わったように記憶していますから…
その頃も言い訳をしているのですけれど、私がコンパクトカメラに求める性能は様々です。それだけを聴くと一貫していないように思われるかもしれませんが、実は単純に「ポケットに入れられて/すばやく起動して/使いやすいこと」位のものなんですよ。でも、それをうまくバランスしたカメラがないのであれこれ買い換えてしまうのです。カタログではとてもすばらしい事を書いているのですが、大半は大嘘と言うことが身を持って確認できたと言う次第。

特に今は「きれいな画像を撮る」為にはNikonのD70があるので、コンパクトカメラはすばやく気軽に撮れたらよいという方向にシフトしていて構わないのです。でも最近は1cmを切る薄さを自慢するようなクレジットカードサイズのカメラが数社から出てきましたし、RicohのGRやpanasonic LX1のように28mmの単焦点レンズを搭載してスナップ写真を楽しく撮りましょうというコンセプトのカメラも登場してきました。

あれこれ買い換えて使ってみて思うことは、PanasonicとRicohって結構良いかもということでした。一時期のPanasonicのデジカメって本当ひどかったのですけれど、FZ20を出した頃からユーザインターフェースをすごく研究して、どのカメラより使い勝手が良いんじゃないかと思えるくらい使いやすくなったんです。先に紹介したLX1も単にシャッターを押すだけのカメラではなく、絞りやシャッタースピードを自由に変更して自分なりの写真作りが簡単にできます。ただ、マニュアルフォーカスは微妙なことができない感じですけれどね。でも、そのボタンの配置などはさすがに良く研究されているなぁと思いましたし、ライセンス生産とはいえLEICAの名前は伊達じゃないなぁと思えるその描写力は私自身FZ20を使ってみてびっくりしていますからねぇ。
また、Ricohも銀塩のコンパクトカメラで伝説を作ったメーカーではありますが、デジカメでも本当に奮闘しているんですよ。コンパクトを求める競争には参加していないのでちょっと野暮ったい厚め(とはいっても普通のコンパクトカメラサイズ)の筐体ではありますが、ズームレンズは他社の多くのレンズは広角側が35mm前後からなのに対してRicohは28mmからとなっていますし、近々デビューするR3に至っては28〜200mmのズームレンズを突っ込むと言うすごさです。更にマクロは本当に1cmまで近寄って撮影ができますし、マクロ撮影ではピントの合う範囲が極端に狭い(奥行きのあるものを撮ろうとすると、ピントの合っている距離の部分だけピントが鮮明で前後がぼけてしまう)のですが、このカメラは簡単な操作で画面の任意の場所にピントを合わせることができます。これはマクロ撮影ではかなり強力な武器になるんですよね。RXでその性能のすごさは十分に感じたのですが、残念ながらRXは逆光に極端に弱かったのです。太陽などに向かってカメラを向けるのはあまり良いことではないのですが、それでもそうされた時にどう写るかがカメラメーカーとしての腕の見せ所なのです。
良いメーカーのカメラは自然に写ります。(Panasonic FZ-20)

自然な逆光写真の例(panasonic FZ20)


悪いメーカーのカメラはスミアという光の線を作ってしまいます。(Konica-minolta Dimage G400)
スミアがでてしまう例(Konica-minolta Dimage G400)


そしてRicohはそれより悪く、ミルククラウンのような変な物を写してしまうのです。(Ricoh RX)
変な光のしみができる(Ricoh RX)


まともなカメラで太陽を取るとこんな感じなんですがね…(CASIO EX-S100)
逆光に対してまともなカメラの例(CASIO EX-S100)


ところがまともな写り方をするカメラは図体が大きかったり他のところで不満があったりしてどうしても帯に短し襷に長しというか一長一短と言うのか、満足ができなくて、結局一眼レフカメラを買ってしまうに至ったわけなんですけれどね。
でもD70を買った今でも常に持ち歩きやすいカメラを探すことはやめていません。

そして今注目しているのが、RicohのGXやGX8、R3などなんですよね。ただあの変な逆光での光が解決していなければ買う気にはなりませんけれどね。
それ以外にNikonやPanasonicにも注目するカメラはあるのですが、果たして本当に私はまた買うのか自分でも自分の衝動に注目しているところなんです。


国鳥

テレビで「日本の国鳥は?」と言うクイズがありました。
皆さんは分かりますか?

私は何の疑いもなく「朱鷺(トキ)」だと思っていたのですよ。だって学名が「にっぽにあ・にっぽん」ですよ。日本の国鳥じゃなくてどうするんですか。
そう思っていたのですが、残念ながら1947年に制定された最初から「雉(きじ)」なんだそうですね。はぁ…まぁ絶滅してしまった鳥を国鳥にしておくと言うのも変ですけれどねぇ…

これを見ていて、外国の人が日本に留学して来たとき「日本大学」より「東京大学」の方が格上(失礼)と知って「理解できない。なぜ? なぜ、国を代表する大学より一都市の大学が格上ですかぁ?」と悩むと言う話を思い出したのですが、その気持ちがとても理解できた気がします。


田尾監督

楽天は3年契約だった田尾監督を1年目で解任する方針を固め、昨日発表したそうです。シーズン中2度の11連敗や100敗に近い記録的な負け数を残したことなどが原因のようです。

でもねぇ、言い方は悪いかもしれませんが、只でさえBクラスだった近鉄の余り者とかよそでは通用しなくなった選手の寄せ集めと言うのが今年の楽天でしょ。シーズンが始まった頃にも書いたと思いますが、今年はその戦力で勝つことは殆ど無理だから、まずは長い目で見ることが大切なんじゃないですかねえ。100敗したってそんなのはこの選手層じゃ当たり前のことでしょう。今シーズンが終わればドラフトでまともな選手も引き抜けるし、トレードなりお金で面をひっぱたいて選手を補強することは可能な訳ですから、本当に数年かけて徐々に普通の弱小チームレベルにして行くしかないんじゃないのでしょうか。勝負はそれからですよね。私は田尾監督が名監督だったのかそれともくず監督だったのかは分かりません。でも、今年の楽天はどんな監督が来ても成績は似たようなものだったんじゃないかと言うことは言えるんじゃないかなと思います。それだけの悪い成績を残したことを誰かが責任を取らなければならないと言うことだったのでしょうけれど、果たしてそんな必要があったのでしょうか。「今年はまだ何も整っていない状況だったから、もう一年付き合ってください」と言うコメントで十分だったんじゃないかなぁ。なぜ最初から最下位が定位置だと分かりきっているこの戦力で制裁を下さなければならなかったのか良く分からないですねぇ。

上層部がこんな簡単に方針を覆したら、指導者たちは果たして安心して働けるのでしょうか。また良い信頼関係を築けるんでしょうかね。監督としてのレベルは不明ですが、解説者としての理論や、テレビなどで見える人柄、話し方などは良い監督になれるんじゃないかなと期待していた存在だけに今回の解任は残念に思います。

2005年09月25日(日) 旅行計画とGoogleMap

休日も健気に仕事をしている私ですが、気分転換に年末までに行う予定の旅行について考えてみました。

この旅行は今までにも何度か書きましたが、ANAカードのたまっているマイレージポイントが今年の年末で一部有効期限が切れてしまうので、捨てるより旅行に行こうと目論んでいるもので、沖縄だの北海道だのと単純な日帰りのほか、博多から天草に出て船で島原半島に渡って島原鉄道に乗って長崎へ行き帰って来るルートや、九州でうなぎを食べた後、飛行機で北海道に渡って海鮮丼でも食べて帰って来る贅沢ルートなども考えたのですが、前者はいくら飛行機代がただになるとしても、鉄道や船でかなりの出費が予想されることと、このルートでは天草か島原半島に渡った辺りで一泊せざるを得ないことでかなりの贅沢になります。後者はどうも博多でも熊本でもそこから北海道に直行する便がない様で、名古屋か東京で乗換えとなってしまうのです。そうなるとポイントが足りなくなってしまうと言うことになるので敢え無く断念です。旅行の計画とは難しいものですね。
そうなるとやはり博多で一泊して、次の日に門司から下関へ抜けてその辺りで観光をした後山口から飛行機で帰って来るとか、もっと単純に夜の福岡の屋台を楽しんで(私は久留米の屋台も好きなんですが)、そこで一泊して帰ってくるというのもありかな…

ここの辺りまで考えた時、あ、これは現実逃避ってやつじゃないの?と気付いて慌てて中断した次第。

それにしても、この計画を練るときにgoogle mapを利用したのですが、これは面白いですね。
結構詳細な地図が表示されるのも便利ですが、ボタンひとつで(縮尺に制限はありますが)衛星からの写真映像に切り替わるので、普通の地図では伝わらない地形が分かって雰囲気が感じられるのです。そう、普通の地図では単に町があるだけなのに、サテライトに切り替えたら、その街と街の間は山が隔てているんだなぁとか、そういうのが見えると面白いんですよ。ついつい今まで行ったことのある場所をあれこれ見てしまいました。初めて後へ旅行に行く時、ある程度雰囲気がわかって面白いんじゃないかなぁ。
蛇足ですが、私が結構お気に入りの場所に、兵庫県の豊岡市近郊の但馬空港から日本海方面を見た時の山並みと言うのがあるのですが、豊岡市は結構海に近いところにあると言うイメージでいたのに、日本海方面を見ると山が連なっていると言うのにびっくりしていたのですけれど、このサテライトマップを見ると、確かにそれだけ野山が連なっているのが分かってすごく納得できたりもしたんですよ。またここから鳥取へ向けてリアス式海岸が続くわけですけれど、人の住むところが本当に川に沿っているなぁとか普通の地図で見るより目に訴えてくるところがあって時間を忘れてみてしまいます。試してみたらはまると思いますよ。


2005年09月24日(土) ユーザインターフェース

私が初めてパソコンのキーボードのような入力機器に触れたのは、SILVER-REED 720という機械式の英文タイプライターでした。

英文タイプライタ SILVER-REED 720

今でも持っていると言う事実がいつも部屋の中が片付かない証拠なんでしょうねぇ…

当時は経済力からこの機械にしましたが、Olivetti(おりべってぃ)社のLettera(れってら)DLというタイプライタの美しさに惚れて「いつかはあれを買ってやる」と思っていたものですが、貧乏人には手の届かない値段でした。その内世の中の趨勢は電動タイプが主流となり、それからワープロやパソコンが普及を始めましたので英文しか打てない機械式タイプライタを買う意味がなくなり今に至っています。オークションなどを見ると先のLetteraDLは1,000円位で落札されているようですね。まぁそんなものでしょう。でも、今見てもそのデザインはとても美しいものです。やはりイタリアのデザインと言うのは秀逸だなぁと思いますねぇ。
私は仕事としてコンピュータのソフトウェア業界に進んだために、その機械式タイプライタの経験はそれなりに役立った訳ですが、困ったのは機械式タイプライタと電動式タイプライタの違いが大きかったという事ですね。Ascii配列かANSI配列かは多少記号の位置が違う程度なのでどちらにも対応することはそんなに困難ではありませんでしたが、なんと言っても電動タイプライタはキーを押せば電動でパンチされて文字が印字されるのに対して、機械式は自分の手の力でタイプバー(棒の先に文字版がついていて、それをインクリボンの上から紙にたたきつけて文字を印字する)をたたきつける必要があったのです。人差し指や中指や薬指は問題ないのですが、小指の担当する文字になると慣れない内は文字がまともに印字できないんですよ。かなり大きなストロークをそれなりの力で振り下ろすって言うのは小指には向いていない仕事なんですね。これもしばらく使っていると慣れてきて普通に打てるようになるのですが、それに慣れてから電動式タイプに移行すると何も打たないで待機している状態で「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」とか「;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;」なんて小指のホームポジションの文字が打たれてしまったり、人差し指を「r」に持っていった反動で「a」も打ってしまったりと、無駄な力が入ってしまうのを抑えるのがなかなか出来ないんですよ。その辺りの矯正をするのには結構な時間が掛かったように思います。でも、それに慣れてしまったら後は今までどおりですからとても楽ですね。

私はそういう経歴なのでタッチタイプができます。タッチタイプの基本はホームポジションに指を置いて、そこからそれぞれの指の担当する文字をそれぞれの指が打っていくというものです。慣れてしまえば目でキーを見たりする必要もないので、キーボードには見なくてもホームポジションがわかるように、左右人差し指があるべき場所の「F」と「G」は表面に突起がついていたり、別のキーと曲率の違う凹が採用されていて、触感でわかるようになっている訳ですね。ただのタイプライタだったら、またMS-DOSのようなCUI(CharacterUserInterface[きゃらくたゆーたいんたーふぇーす]:文字で命令を打ち込むことでコンピュータを動かす方法(意訳))ならまだしも、GUI(GraphicalUserInterface[ぐらふぃかるゆーざいんたーふぇーす]:アイコンなどでコンピュータを動かす方法(意訳))の世界ではマウスのような道具を使う必要があるので、どうしてもホームポジションから指を離さなければなりません。ノートパソコンでは、キーボードの下にマウス代わりのパッドをつけていることが多いですが、少なくとも私の周りには、それも「使い難い」とマウスを持ち歩く人が多いのに私はびっくりします。

(ノートパソコンを使っている)皆さんはどうでしょう。やはりマウスを使っていますか?
一部メーカーにはデザインなどを優先する余り、使い物にならない位置にパッドを配置してマウスを使った方が効率的だという場合もあるのですが、そういう特異なものは別として、わざわざマウスを用意してまで使った方が使い勝手は上がるのでしょうか。
私にとって一番優れているインターフェースは、IBMなどが採用しているトラックポイントだと思います。
トラックポイント

ドリフトと言う触っていないのに勝手にマウスポインタが動くような欠陥もありますが、ホームポジションから指を離さずにマウス操作が出来るのですからこれ以上優れたものはないと思うのですが、全体の比率から言って、ホームポジションにこだわる人が少ないという事なのか、これは人気のないインターフェースのようですね。この(私にとって)秀逸なインターフェースに比べ、マウスなどのような完全に手をキーボードから離さなければつかえないようなものは出来れば敬遠したいと言うのが本音です。デスクトップでの作業では何の疑問も持たずマウスを操作しているのに不思議なものだなぁと自分でも思うのですがね。


あぁ…なんとも尻切れトンボみたいなまとまりのない文章でごめんなさい。

2005年09月23日(金) また1人さびしくマンガ喫茶にて

今日もまた終電を乗り逃がしてしまいました。←祝日だったので平日より終電が早かった…

夏の暑い季節には自転車に乗ると大変だなぁと避けていたのですが、さて涼しい季節になったら雨模様ですね。まぁ、もう少し仕事が落ち着くまでは自転車に乗っている暇もないのでしょうけれど、休みの日は晴れて欲しい。けど、自分が仕事をしているのに「行楽日和」というのも癪…複雑な気持ちです。

マンガ喫茶でテレビをつけていたら、来期のF1の運転手契約でBARホンダは、来期の運転手として先に契約をしたフェラーリから移籍のバリチェロと、ウィリアムズに移籍するんじゃないかと思っていたバトンの残留を発表したようです。これによって佐藤琢磨のシートがなくなった事を告げていました。
ファンの人には申し訳ございませんが、私はこれは良い決断だと思いました。日本のメーカーだから日本人の運転手と契約すると言うのでは一流を目指すチームとはいえないでしょう。浪花節的に「同じ日本人だから」と個人が応援するのは勝手ですが、それをマスコミにされるのは辟易としています。スポーツである以上誰しもがより上位を目指す訳で、それは個人オーダーでもチームオーダーでも一緒です。その中で「日本人だから」と言う物差しがあるのは全く意味が違っている訳で、大した走りもしていないし他にもっと面白い競争を繰り広げている運転手が居るのに、「日本人だから」とただ走っているだけの姿が画面に映ったり、大した走りもしていないのに「佐藤」の名前が連呼される…なんと虚しい時間でしょうか。
佐藤琢磨の実力はこんなものじゃないと言う人もいらっしゃるようですが、私としては過去の成績、個人的な感情はどうでも良いですから、今そこにある仕事で実力を示して欲しいのです。バトンが表彰台を賭けて走っているとき、常に入賞圏外をだらだら走っているか、折角上位を走っていながら自ら潰れていくのが、運不運も含めて今の彼の実力という事です。「日本人だから」ではなく、「1人の運転手」として注目される実力を身につけて欲しいものだと思います。ですから私はホンダがより上位を目指すためには佐藤を放出して勝てる布陣を引いた事に拍手を送ると言うより、当然の事をしたんだなと思うと共に、そういう決断が出来るんだなと安心した次第です。佐藤はテストドライバで十分と思っていたのですが、佐藤はテストドライバとして残るつもりはないようで、まぁ今の実力で運転手として雇ってくれるチームがある事を祈りましょう。これで来期のF1も少しは楽しみになってきました。

ネットでニュースページを見るのが日課になっていますが、漠然としたイメージですが、人が殺されたりするニュースって「大阪」「神戸」と言うキーワードが多いようなイメージがあります。
今日もasahi.comの見出しを見ると「13歳、公園で腹刺される 68歳の男を逮捕 大阪」とか載っていますしね。単純にGoogleで「刺される」と「地名」をキーワードに検索をしてみると「大阪」が80,300件で「神戸」が26,500件、そして「東京」が139,000件と単純な比較では東京が圧倒的に多いのですけれど果たしてどうなんでしょうね。ただのイメージなんでしょうか。どの地域に犯罪者が多いという事はないと思うのです。基本的には人口に比例して犯罪数も増減するでしょうし、一極集中という事はないと思います。でも、なぜか(失礼ながら)大阪や神戸と言う見出しばかりが目立つのは、実はそれらの土地にあこがれているから目が行ってしまうのかなぁと思っても見たり…まとまりのない文章でごめんなさい。

2005年09月22日(木) 会社で仕事をするのが本当に効率的なのか…

朝顔は種を育て始め、ミニバラのFiestaも新しい芽を吹いて順次育ってきているというのに、そして、周囲は三連休を楽しもうとしているのに、私はどうも明日は間違いなく休日出勤、残りの二日間もどうなることやら。可能なら家でやりたいものです。

なんというかなぁ…今日は愚痴になってしまいますが、私は今の客先とは常駐契約を結んだつもりはありません。ですから、自分の仕事を持ち帰って、それを自分の好きな時間で仕上げることができるつもりでいたのです。そういう仕事を探してくれとお願いしていましたからね。ところがふたを開けてみるとあれこれ理由をつけては常駐を望まれ、更に、ほかの客からの電話も、こちらの仕事時間中なら出るなというに至ってはどこか間違っているんじゃないのかなと喉まででかかった声を抑えているんですよ。
先日、少しだけ話をする機会があって、常駐のつもりはないのですがと言ったのですけれど、自分たちの目の届くところにおいておきたいということで、こちらは理由があって常駐をお断りしたいのですが、そんな理由などお構いなしという感じでした。
今回、さまざまな事情が重なって、あるお客からスケジュールの遅れを取り戻すために、自分たちの会社に席を用意するからこっちに来てやってくれと言われたそうです。しかし、私には「常駐した方が効率がいいよ」と言っておきながら、「それでは効率が上がらないから」と固辞したそうです。まぁ、会社組織と個人では違いもあるといいたいのかもしれませんが、私から見たら目くそと鼻くそよりもっと近い親戚のように思うんですよねぇ。私ももうあきらめて何も言わないようにしていますが、朝夕の通勤時間に加え、今日みたいにやりたいことがあっても、あちらの方が全員帰るからという理由で仕事も中断され、それも帰るつもりならさっさとそう言えばいいのに、こちらの終電がなくなってから伝えにくるという「それっていじめですか?」的なことが重なると、「こんな非効率な仕事はもういや」と言ってしまいそうになります。これだけ残業が多いのに、多分に時間を超過した場合の金額設定はしていないということで私はただ働きをさせられている部分が多いのもあるので、余計にこんな環境はもう勘弁願いたいと思っている訳なんですよ。
ま、そうは言っても、そんな理由で仕事を辞める訳にもいきませんから我慢できるうちは我慢しますけれどね。

世の中にはさまざまな人がさまざまな思いをもって存在しています。
「仕事があるだけましじゃないか」という人もいます。けれど、私はそうは思いません。仕事なんて選り好みをしなければあるものです。私は自分のプライベートな時間を取れない仕事はやる価値を見出しません。そんな仕事はもう今までに十分やりすぎました。先週末に行った医者にも、治療途中で放り出してどうするつもりなんだ!と怒られました。医者にもいけない。体が痛んでいても我慢しなければならない。そして何より会社の机ばかり見て日が過ぎていく。そんな人生はもう本当に勘弁してほしいものですよ。私は、「仕事ばかりなら仕事をしていないほうがマシ」と思います。私にとって、人間の定義は、一日のうちに食う寝る以外にも楽しめる時間が取れる毎日をすごせる事だと思います。そして、その定義では今の私は人間ではありません。早く人間になりたいものです。

漫画喫茶の一室で勢いに任せて記す。


2005年09月21日(水) 損した気分

実際には損なんかしていないのに損をしてしまった気分。商売が下手だなぁと思う瞬間…

8月31日「opera」で「10周年記念で広告バナーのでないキーが無料配布されている」と言う話を書いたのですが、9月20日、ついに無料で広告なし版が手に入るようになったとoperaのプレスリリースで発表がありました。

そのこと自体はとても喜ばしいことでしょう。でも、先月末に一生懸命キーをとった人にはぬか喜びを与え、真面目にライセンス料を支払った人にも肩透かしを食らわした辺りどうも腑に落ちないというかすんなりと喜べない部分があります。まぁ、「3週間後からライセンス料を撤廃する予定です」と広報するわけにも行かないでしょうし、例え広報したとしても今度は「その広報をあと1週間、いや1日早くしてくれていたらライセンス料を支払わなくて済んだのに」と際限なく続く訳ですから、どこかで区切らないと駄目なんですよね。それは判るんですけれど、「ライセンス料が不要で広告を亡くすることが出来る!」と喜ばせておいて、すぐにみんなにそのチャンスをとなってしまっては、その時わくわくした分だけ損をした気持ちは大きいですよね。だったら10周年記念で「今後ライセンス料を撤廃」を発表すればよかったじゃないのと逆恨みにも似た思いが湧いてきます。人間て不思議だなぁとつくづく思います←それともそう思うのは私だけ?

2005年09月20日(火) 放置自転車など… / 肉 / プロ野球 / としりん / 6カ国協議

2003年5月15日に「不法駐輪への対処と言う雑記を書きました。
駅前に無法に駐輪する不届きものが後をたたない中、広島県の尾道市が放置自転車は警告なしに廃棄するという条例を作り実施をしたのです。多分にあるセクトからは「暴挙だ」と文句が上がるであろうこの強硬手段にでた尾道市に私は拍手を送りたいと書きましたし、どうかそれに追随する市町村があって欲しいと思いました。
残念ながらそれに続く市町村は現れていないようですが、尾道市がこの条例を撤去したと言う話も聞きません。最近の尾道市の実情はどうなんでしょうね。すごく興味のあるところなのですが、未だその手の記事は見つけられずに居ます。

そして、案の定と言うか「尾道 放置自転車対策」などで検索をすると「尾道市による「容赦なしの自転車撤去」を弾劾する」なんていうくだらない記事が検索に引っかかりました。
自転車は素晴らしい乗り物であるのに、その自転車を撤去するとはけしからんと言うらしいです。確かに東京などに住んでいれば歩くより遅い車の大渋滞に遭遇することもしばしばありますし、公害問題などの観点からも自転車などは注目をすべきものではあります。が、今の状況でそれだけを論じても何の意味もありません。まるで中学生か小学生の視野で短絡的にまず「自転車が素晴らしい」と言う異見ありきからこじつけた愚論です。リンクするに値しないページだと判断していますので興味がある人はどうぞ先の検索条件でご自分で検索なさってください。個人的にはそこまでしてみる価値を認めませんが、見るか見ないか、どんな意見に同調するかは個人の自由ですからね。
この人の理論で言えば、自転車は車などより有効だから放置自転車は我慢するべきだと言うことになるのでしょうか。そして、駅前に大量に放置された自転車によって車椅子を利用する人が通行できなくても、それは自転車が公害を抑制するのだから我慢するべきだということになるのでしょう。ある一面から見れば確か居に車利用から自転車利用にしたら良い面もあります。が、それは環境を整えてからの話でしょうね。そして駅前などの無法な放置自転車の問題を正当化する言い訳には到底なりえないことを冷静に判断すべきです。そして自転車の有効利用を正当化するためには法整備や環境整備がセットにならなければならないと言う事実も受け止めるべきです。

自転車置き場に止めている自転車をも勝手に撤去すると言うなら、それは暴挙以外の何者でもないでしょう。しかし、いくらやさしく警告しても「それは自分以外に適用されるもの」と効果のない放置自転車に対しては、いくら警告をしても、保管をしても税金が無駄になるだけです。私はここでもう一度「放置自転車の撤去」を全国(特に都市部)に広まって欲しいと強く願う次第です。東京およびその近隣の県で実施できたらものすごい効果が上がると思いますけれどね。これで効果が上がったら次は違法駐車の強制撤去に広げていったら良いと思います。自動車も有無を言わせず鉄くず屋行きなら本当に道路の渋滞も解消されるんじゃないでしょうかね。自転車にしろ自動車にしろ「自分だけは大丈夫」なんていう輩が排除されたら本当に住みやすい町になると思いますけれど如何なものでしょうね。



先日、ある肉の専門店に行ってきました。本来は肉の専門店なのですが、スーパーみたいな感じで様々な食料品も扱っていてなぜか24時間営業と言うコンセプトの良く分からないお店です。

さすがにお肉専門店というだけあって、豚の足だの豚のタンだのも売っていますし、フィレ肉やロース肉、ばら肉など全て部位単位(3〜5kg単位)の塊で売っていたりするのが圧巻です。ここに牛が一頭丸々ぶら下がっていたりしたら更に驚いたでしょうけれど、さすがにそこまではありませんでしたが…
兎に角、私は牛のステーキとは厚さが5cm〜10cm位あるものをじっくり炭火で焼いて作るのが一番おいしいと信じておりますので、多くの店でパックに入って売っている薄っぺらな「ステーキ肉」とやらは買う価値がないと思っているわけで、私のような天邪鬼にはこのお店のこのブロックごとの販売はとてもうれしいです。でも、そんな贅沢は年に何回もできることではないので、私は上客にはなれそうもありませんけれどね。

肉の部屋は異様に寒かった。その区画を抜けて普通の食料品の売り場に行ったのですが、大きな瓶に入った調味料などのラベルが「業務用」と書いてあり、まぁ確かに一般の家庭で使うには量が多すぎるとは思うのですが、その続きに「プロが使う」なんて定冠詞もついていて、それが「ホンマかいな?」と思わせる怪しい雰囲気を作っているのがおかしかったです。
どうもその店はオープンして間もないようだったのですが、その雰囲気から言うと次にこの付近を訪れた時にそのお店は果たして存在しているんだろうか…そう思わせるに十分な雰囲気だったのです。チャンスがあったら数ヵ月後にまた訪れてみたいと思います。


プロ野球

最初に、私は今までにも何度か書いてきた事ですが、もともと野球自体は好きでしたが、日本のプロ野球はあんまり好きじゃない=あまり詳しくないと言う事を改めて申し上げておきます。

昨年からパ・リーグに導入されたプレーオフ制度ですが、昨年は1位だったダイエーが2位の西武に負けて1位だったけど優勝できなかったと言う現象が起こりました。
して、今年も1位はダイエーで2位に今のところ4ゲーム差でロッテ。そして18ゲーム差で西武が3位につけています。このままでシーズンを終えたとすると、この3チームでのプレイオフと言うことになるんでしょうか。18ゲームも差をつけられたチームが終わってみたら優勝していたなんてことはありうるって言うことなんですかね。あるとしたらものすごく理不尽を感じますね。3位であってもある一定のゲーム差以内でなければプレーオフには進出できないと言うルールはないのでしょうか? いや、ないのであれば是非西武に優勝してほしいなぁと思うんですけれどね。ええ、別に西武のファンと言うわけではなくて、どうせならそういう理不尽なことが怒ったほうが面白いからと言うだけなんですけれどね。もしそういうことがあればさすがに来年はルールを改正してくるんじゃないでしょうかと言うこと。

先日テレビを見ていたら、広島の野村選手(?)が2000本安打を達成したとかそういう話をしていました。ファンの方には申し訳ないのですが、私はそのテレビを見て「野村って誰? どこの球団の人?」と思いました。いや、野村選手だけではなく、最近では(テレビで放映されるチャンスの多い)巨人の選手でさえ見覚え、聞き覚えのない選手が居るくらいですから、巨人戦でしか私の目に触れるチャンスのない他球団の選手に知らない選手が多くたって不思議はないのですけれどね。2000本安打を記録するって事はそれなりに立派な成績を残していると言う事なのですが、そんな選手さえ巨人戦を通してでなければ知る機会が少ないって変ですよね。こんなことがまかり通ってきたことがすごく不思議です。

更に野球をここまで捻じ曲げた立役者であろう妖怪老人ですが、春先の大学生への不正事件を追求されるのを嫌って巨人とは関係ないからねと言っていたのに、半年もしないでまた復帰しているんですよね。どうしてマスコミはそういう人を叩かないで迎合してしまうんでしょう。身内の事件は追及しないということなのかな…


としりん

今朝の通勤列車の中でのこと。
たまたま隣に立ったのは年のころは30台半ばの女性と見受けられました。身長は155cm位でちょっと化粧は厚めですが美人と言えるんじゃないかなという感じの女性。
その女性、最初はただ立っていたのですが、しばらくしてから突然バッグの中から勢い良く何かを取り出したんです。突然のアクションだったので、つい目がそれを追ってしまったのですが、その視線の先にあったのは今では全然珍しくない携帯電話だった訳ですけれど、手に持ったと同時にスライド式の携帯電話は広がり、さらにメールモードになっていたんでしょうね。私の目が見てしまったものは、受信メール一覧画面いっぱいに広がる「としりん」という文字でした。
いや、誰をなんと呼ぼうが、どう表現しようがそんなのは人様の勝手ではあるんですがね。でも、やっぱり誰が見るか判らないところで「としりん」はないんじゃないかなぁと思ってしまう訳ですよ。見ず知らずの私がこれだけ引くんですから、もしこれが自分の知り合いなどに見られたとしたら、その引き方は乗用車に跳ね飛ばされるくらいの勢いがつくのではないでしょうか。

携帯電話は完全に個人のものであって、それを覗き見る方が悪いという事は重々承知した上で、それでも完全に個人の秘密を守ることが出来るわけではなく、大衆の目の前で広げた時誰の目に何が見えるかわからないのも事実ですから、ちょっとその登録名には気をつけたほうが良いよなぁと思った次第なんですが、昨日つけていたテレビで、貧乏を自慢するような番組をやっていて、その中で「女性、医学生、元アイドル、バツイチ」などがキーワードの女性が出ていました。30歳と紹介されているのですが、なんとも異様なベビー服のようなものを着ている姿は私の目には奇異としか映りませんでした。一部女性の間では言葉が出てきませんが、人形のようなフリルフリフリの服を着るのが流行っているみたいですよね。映画にもなったようですし。でも、この女性の服装はそれとはちょっと違っているように思いました。ま、そのあたりは私の無知から来る誤解なのかもしれませんが、どちらにしてもちょっと私の許容範囲からは少しだけ外れていることには違いありません。でも、そんなのが若い世代では「格好良い」と受け入れられているのだとしたら、それはそれでありという事で、今回の「としりん」も「そんなの普通だよ」と言うのであれば、単に私の頭が古くて硬いだけなのでしょうね。
でも、私も相手が二十歳くらいの女性だったら「ふーん」で終わっていたと思うんですよ。それがもっと年のいった女性だったものですから…その女性の頭が柔軟だという事なのかなぁ。
そういうことも柔軟に受け入れて取り込める人ってある意味凄いなぁと思うのです。この件については「自分も柔軟に取り入れてみよう」とは思いませんが、そう思える土壌は作っておいた方が老化防止には役立つのかなぁ←老化防止なんて考えること自体が頭が古く凝り固まっている証拠だな。


6カ国協議

散々難航していた北朝鮮問題の6者協議は中国が提案した折衷案で、北朝鮮が核の廃棄に合意したと言う突然の展開があったという事です。
北朝鮮などにはわがままをすれば誰かが相手をしてくれると甘やかすとこれから先何をするかわからないので、どの国がどれだけの飴玉を用意したのか気になるところではありますが、とりあえず合意に達したという事は良かったのでしょうね。後はその合意をどのように確認するか、その辺りの問題が残りますね。東西冷戦自体の核削減などと一緒でICBMのように固定基地にあるものなら兎も角、移動台車に載せられたミサイルや潜水艦に搭載されたSLBMなどは確認のしようがなかっただけに、今回の北朝鮮の核廃棄をどう確認するのかとても興味があります。

今回の合意において、拉致問題の当事者たちは拉致問題が置き去りにされ忘れ去られるのではないかと心配をしているようです。確かにその心配もあるでしょうね。でも、冷たい事を言うようですが、世界の代表として話をしている時に、日本だけの問題を出すのは如何なものかなと言う気もあります。それが取り上げられて第一の議題になってくれるならそれはそれで良い事なのですが、今回の第一の目的は北朝鮮に核を廃棄させることであって、日本人拉致を解決することではないのですから。
ですから、私はなぜこの6カ国協議のコメントをいちいち拉致被害者の人たちに求めるのか理解できないのです。もしこの会議が拉致問題を主題としたものだったら彼らは当事者としてコメントを発するのもうなずけますが、今回の問題では全くの部外者ではないでしょうか。国として、世界を代表して折衝に当たっているわけですから、そこには自国のエゴだけを通すわけにはいかない事情も出てくるでしょう。その辺りをマスコミはなぜごちゃまぜにしてしまうのでしょう。「面白おかしく」ではなく、きちんとした報道をマスコミにはしていただきたいと思います。

また、実際に拉致をした国は北朝鮮でしょうけれど、中国や韓国と言う国も日本を敵視した教育を施している国としてもっと問題を大きく取り上げるべきなんじゃないでしょうかね。そういう国に援助だけして見返りは罵声という事をどこまで我慢するべきなのでしょう。

今回は(実際には以前からですが)そういうことを大きく考えさせられた協議だったんじゃないのかなと思うのですが如何なものでしょうね。

2005年09月19日(月) のだめとBGM / ビデオ

予想通り今日は一歩も家から出ず、のんびりぐーたら三昧です。そろそろ仕事もしないとなぁ…

のだめカンタービレ」最新刊まで読みきりました。まぁ宜しいんじゃないでしょうか。続刊が楽しみです。

BGMは「のだめ」にあわせてクラシックで…

BGMのLP

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
  • クラリネット協奏曲 イ長調 K.622(クラリネット:アルフレート・プリンツ) ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 カール・ベーム指揮

  • ファゴット協奏曲 変ロ短調 K.191(ファゴット:ディートマール・ツェーマン) ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 カール・ベーム指揮

  • フルート協奏曲 第1番 ト短調 K.313 (フルート:ヨハネス・ワルター) ドレスデン・シュターツカペレ ヘルベルト・ブロムシュテット指揮

  • オーボエ協奏曲 ハ短調 K.314 (オーボエ:クルト・マーン) ドレスデン・シュターツカペレ ヘルベルト・ブロムシュテット指揮


ドビュッシー
  • 交響曲"海" フランス国立管弦楽団及び合唱団 ジャン・マルティノン指揮

  • "夜想曲" フランス国立管弦楽団及び合唱団 ジャン・マルティノン指揮


ベートーヴェン
  • ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 Op.37 (ピアノ:ブラディーミル・アシュケナージ) シカゴ交響楽団 サー・ゲオルグ・ショルティ指揮

  • ピアノソナタ 第8番 ハ短調 Op.13"悲愴" (ピアノ:ブラディーミル・アシュケナージ) シカゴ交響楽団 サー・ゲオルグ・ショルティ指揮



こんな感じで流していました。しばらくレコードを掛けていなかったので、レコードプレイヤーがいぢけている感じがしましたが、ご機嫌をとりながら使っているうちに良い音を鳴らしてくれるようになりました。やはり日々相手をしていないと機械も拗ねるんですよねぇ。気をつけないと。
最近は仕事が忙しくて音楽もまともに聴いていませんでしたが、BGM的にきいてしまったとはいえ音楽はいいです。今日はジャズよりクラシックの気分なのでもう少しだけ聞いておこうかななんて考えているんですけれど…心の奥底では「仕事が待ってるぞー」と言う声も聞こえていて悩んでいます。
兎にも角にも、連休初日には行楽地に向かう人たちで高速道路は軒並み渋滞が続いたそうですが、私は殆ど家から出る事もなく惰眠をむさぼりながらのんびりすごすことが出来ました。多分今の私にとってこれが一番の幸せだったと思います。もし、来週の連休も休むことが出来たなら、今度は自転車に乗ってどこかに出かけてみようかなと思うのでした。


ビデオ

今から15年ほど前、SONYから発売されたCCD-V5000と言うビデオカメラがありました。
当時はTR-55などと言う「ハンディカム」が出始めた頃だったと思いますが、その時代に逆行するかのように肩載せ式の一体型Hi8ビデオカメラでした。天邪鬼な私はハンディタイプでは画像がぶれてつかえないと、この30数万円もするビデオカメラに手を出したのでした。が、何度か使ってみてそのレンズの性能の悪さ(今でこそCarlZeissと手を組んでいますが、当時は三流メーカーのレンズを使っていたのです)に辟易として使うことを辞めてしまいました。だって、魚眼レンズだの広角レンズを使っているわけでもないのに直線は曲がってしまうし、二線ボケもするし、解像度は悪すぎるし…本当ひどいものだったんですよ。デッキ部分の性能の良さを食いつぶして余りあるこのクソレンズのおかげで大金をドブに捨てた気分にさせられたものでした。←そんな経験があるので、一眼レフカメラでは他社レンズに絶対手を出さないと言う教訓を得たのが唯一の収穫だったでしょうかね。と言うか、それまでは一眼レフカメラでも他社レンズを持っていたのですが、全部捨ててNikonのレンズを買いなおした次第。やる時は徹底的に。
結局CCD-V5000は1年ほどしか使わなくて、それがトラウマ的になって去年までビデオカメラは手を出していなかったんです。もし子供でもいたらその辺の「お父さん」と一緒に運動会だのなんだので一生懸命場所取りをしたりしてビデオが大活躍をしていたかもしれませんけれど、残念なことに私には子供がいませんでしたので本当にそんなお父さんになっていたのかどうかを確かめる機会には恵まれませんでした。

しかし、去年のことだったと思いますが、突然オークションでビデオを買ってしまいました。このビデオ、私は「デジタルで兎に角安い奴」と言う条件で買ったんですけれど、実は
ちょっと曰くつきのビデオだったみたいですね。つまり赤外線ライトがついていて暗闇でも撮影が出来るんだけど、その赤外線ライトが昼間でも照射できて、これで水着を取ると透けて見えてしまうって事で問題になったビデオだった訳です。その問題がおきて以来昼間の赤外線ライト照射は出来なくなったのですが、私が買ったのはその規制前のタイプだったという事です。そういうことがオークションのタイトルにも書かれてはいたみたいですが「そんなのはどうでも良い。映れば良い」と思っていたので商品が届いてから調べてみてなっとくしたんです。そんなビデオカメラを持っているからと言っても、今時どこへ行ってもビデオカメラを持っていたら警戒されるでしょうし、私も海にビデオを持っていくなんて多分する機会はないでしょう。なんていうのか宝の持ち腐れなんでしょうかね。ま、デジタルだから良いでしょうという程度だったんです。で、私の使い道っていうのは、私が車でどこかに出かけるとき、車のダッシュボードの上にカメラをセットして景色を録画するとかそんな感じなんです。去年は京都の日本海側の道路をドライブする風景などを撮っていました。その後、豊岡の職員を乗せたバスが冠水で動けなくなったなんてことがありましたが、丁度その辺りの風景を撮っていたんですよ。

このビデオもまだそんなに活躍する場面はなくて、テープは5本くらいしか撮っていないのですが、折角「デジタル」なんだからどうにかパソコンに取り込めないものかなと考えていたのですが、私はその辺りの情報に全く疎いのでどうなるものか見当もつかなかったんです。でも、一応IEEE1394に対応するDV端子を備えているので、それを経由したらパソコンには取り込めるのかなとケーブルを買いに行ったのですが、30cmで1000円もするんですよ。信じられます? そんな訳でそんな高いケーブルはかわずに今まで過ごしてきたのですが、昨日「のだめ〜」を買った勢いでパソコンショップにも行って、その30cmのケーブルを買ってきました。そしてパソコンにつないでみたらいとも簡単に繋がってSONYのDVビデオデッキと認識されてしまいました。で、AdobeのPremiere elementsで取り込むか?って聴いてきたのでそれを選択したら「あっ」と言う間に取り込まれてしまいました。ハァ・・・こんな簡単なものなのね。今までPhotoshop elementsの方は良く使ってきましたが、動画編集ソフトのPremiereは一度使い方学習をやってみてすごい事が出来るもんだと感心したくらいで全然使っていなかったんですが、これからはいろいろ楽しめそうですね。兎に角切ったり貼ったり、伸ばしたり縮めたりが簡単に出来るソフトですから、編集のし甲斐もあると言うものです。←でも、編集せずそのままDVDに録画しなおしてお仕舞いって言う方に1000円賭けます。だれか相手になる人はいませんか?

2005年09月18日(日) だらだらと… / 野田さんとムネオオヤジ / NC8

昨日、ダラダラグータラした状態で書いたのですが、読み返してみたら誤字だらけ。ま、いつものことでごめんなさい。誤字を直すついでに少し書き直しました。(2005/09/19 11:13)



今日もぐーたらのんびり過ごしました。
まずは、昼まで惰眠。快調に惰眠! そう「!」が付くくらいしっかりと惰眠を貪りましたとも。と言いつつ、実は友達と朝方までカラオケに行っていたんですけれどね。朝日の昇る頃、空が「青は藍より出でて…の藍に染まり始める頃に帰宅して惰眠を貪り始めたのでした。

午後からは一ヶ月ほど前に壊しためがねの修理に30分ほど離れたスーパー(に入っているメガネ屋)に行ってきました。このめがねフレームがなくて軽くてとても気に入っているのですが、一般的なねじ止めではなくシリコン素材を溶着した部分に金属をまきつけて固定しているので取れてしまったら特定のお店でしか修理が出来ないのです。で、それがまた結構簡単に壊れてしまうんですよね。軽くてとても気に入っているのですが、この部分はちょっといただけませんね。まぁそんなこととは知らなかったのですけれど、まだ形があるからと一つ前の世代のめがねも捨てずに残してあったので助かったのですが、そちらは実はレンズのコーティングがはげていて、かなり目が疲れてしまうんです。ただでさえ最近は老眼が進んできたように実感しているのに、そんな目がしょぼしょぼ疲れるメガネを掛けていたので本当に辛かったんです。ですから、往復1時間を往復するだけの余裕が出来た今、躊躇なくめがねの修理に出向いた次第です。
ついでに少し買出しをして帰宅したのですが、食べ物を冷蔵庫にしまってすぐ、ついふらふらとまるで夢遊病者のように本屋に出かけ「のだめカンタービレ」を全巻買ってしまいました。その横には「鉄腕バーディ」もあったのですが、なぜか「のだめ…」に手が伸びていたんですよ。

のだめカンタービレ

ま、『鉄腕バーディ」は来月にでも全巻そろえてやりましょう。兎に角、帰ってきてからは「のだめ…」読んでいます。まだ3巻までしか読んでいないのですが、これから先マンネリ化しないか心配な内容です。でも、買ってしまったからには楽しみたいと思います。

そう、本を買いに行く途中で「今日は見事な満月だ」と思っていたのですが「中秋の名月」って時期なんですね。しっかり心に焼き付けさせてもらいました。今年は(仕事が忙しくて)6月から一気に9月半ばにワープしてしまいましたが、季節を感じさせる行事として思い出に残って良かった。そう、はるか昔22〜4歳くらいの間のどこかで
  1. 正月に友達が遊びに来た。
  2. まだ学生だった友人が「夏休みの読書感想文の宿題が残っている」と騒いでいた8月の末
  3. クリスマスイブだと言って、みんなが押しかけてきた
  4. 年末もみんなが押しかけてきた。
思い出がたったそれだけしかない年もあるんです。後はずっと仕事仕事仕事仕事仕事仕事仕事…それに比べればまだ今年はマシでしょう。そう思うことにします。


野田さんとムネオオヤジ

朝(嫌、昼なのかもしれない)寝ぼけ眼の中テレビをつけたら、自民党が郵政民営化に反対した野田聖子議員らを除名処分にするという話が話題になっていました。野田議員は郵政民営化には反対したけれど、自民党は愛しているんだとか…議員の行動としては立派だと思います。党の方針がどうあれ、自分の意見を貫くという事はね。ただ、今回の選挙は小泉首相が政治生命を掛けたというにとどまらず、やることはたかだか郵政の解体(民営化)であって、その中身はぼろぼろかもしれませんが、そこには長い目で見た本当の政治を行うための土壌を作ると言う大きな目的があった訳で、それを目先の事しか考えず強硬に反対したというその反逆行為は除名処分を以って当然と言うべきです。ところが岐阜県連には「もう許してあげてよ」という浅墓な意見を持つ人もいるようです。岐阜県の選挙基盤に住む人たちが「野田さんは自民党と言うイメージがあるので戻って欲しい」とか言うのはまぁ許せる無知ですが、地方の政治基盤である所の人物(幹部)がそのような認識であるという事は、本当に怖いものだなぁと思うのですよ。
北海道で当選したムネオ議員は「地元で仕事を欲しがっている人がいるから地元に仕事を引っ張ってくることのどこが悪いんですか?」と胸を張って言っているようです。田舎のバカオヤジそのものですね。それは国会議員の仕事でしょうか。もしそれがそうだとしたら、日本の政治家なんて本当必要ないですよ。国会議員が地元地域のことしか考えないなら誰が日本の国を考えるのでしょう。過疎地域など仕事がない事を憂える人たちの目の前に仕事をぶら下げてもってくるこのバカ議員はその地域の人には、先生は「偉大な人」、「ありがたい人」と映るのでしょうけれど、地元に仕事を持ってくることと国政をどうするかという事は同じレベルの話ではないでしょう。私にはムネオ式の選挙とは選挙で金をばら撒いているのと同じことなのではないかと思えてなりません。このような人物が議員になれるという事が日本の政治に関するレベルの低さを物語っているんだろうなと私は感じます。郵政の民営化の次には、どうか国会議員のレベルに達しない田舎のおっさんを一掃する掃除をして欲しいものです。

いや、もうそんなことに頭を悩ませるのは今日はやめ。野田さんなんて忘れて「野田めカンタービレ」に没頭させていただきます。


NC8

そうそう、今日はマンガを買って読んでいただけではなく、車の車検をディーラーに頼んできました。もともとの車両価格は250万くらいなんですが、5年で10万キロを走り、更に(自爆)事故を一度しているこの車は多分にもう査定価格は限りなく\0に近いと思われます。そんな車なのに車検は他の車と同じような料金が掛かるのが不条理です。車両査定価格に応じた割引制度…いや割り増し制度を導入すべきです。そう、見栄を張って高い車を乗り回す人からは容赦なく高い金を巻き上げるべきなのです。←僻み根性と云ふ。
前回の車検も買って3年目の初めての車検なのに、7万キロを走破していたので、かなりあちこちを点検したり交換したりしたものでかなりの値段になったのですが、それから2年、人並みの走行距離しか乗らなかったのに、今回の見積もりも18万とか言われてびっくりです。そこは多少交渉して、今すぐ交換しなくても問題のないもの(プラグなど)は様子を見て後の点検で交換することとして、更に値引きをお願いして16万。あとは2円を値引きしてくれとお願いして最終価格は159,998円でお願いすることにしました。16万というのと15万円台と言うのでは響きが大きく違いますからこの2円はとても大きいんですよね。

その後でメガネの修理に向かったのですが、ついでにマツダのディーラーで新型のロードスターを見てきました。残念ながら試乗車がなかったのでちょっと触ってきただけなのですが、NB8に乗っていたものとしての目で見ると、動かない状態では「NB8の勝ち」と思いました。
思ったことを書いてみると
  • ブリスターフェンダがわざとらしい…×
  • 車雑誌などに掲載されている写真ほど不細工じゃない…○
  • 運転席に座ると、ボンネットの位置が高く前が見難い…×
  • 屋根の開閉が一箇所になって楽になったというけど、絶対にNBの方が楽…×
  • ステアリングもダサすぎ。NBのNardiが良かった…×
  • 最近のマツダ車に共通するセンターコンソールの延期長デザインは最低。美的センス0…×
  • ドアにペットボトルなどを入れるポケットまでつけて見た目をスポイルしている。アホちゃう? スポーツカーはストイックな乗り物やねんぞ…×
  • そこここにプラスチックのチープさ丸出し。どうにかならないかね…×
  • シート間の風巻き込み防止用エアロボードなんていうものが中途半端な位置についているので、175cmの私でも幌の出し入れの邪魔になる。腕が引っかかる。どれくらいの身長の人をターゲットとしているのでしょう…×
  • トランクも容積が増えたとか言うけど、確かに少し底が深くなったかなって程度。あんまり変わらない…△
  • 更にトランクは開口部が上面だけに限られるようになって使いにくくなった…×
  • NBはエンジンルームが美しかった。でもNCはつまんねー…×
  • シートの位置がNBより下がったからというけど、NBでは自然とドアの上部にひじを乗せてアームレストになったけど、NCではドアの上面が上過ぎて無理。開放感もスポイルされている…×
思いついたことを課いただけでもこんなにあります。
今回は試乗をしていないので走りの面ではなんともいえません。ディーラーの人に言わせると「NA,NBに乗っていた人はNCの方が良いという」らしいですが、どうなんでしょうね。
NBの140馬力って「馬力がない」言う人もいたけど、私としては「安心して踏み込める」バランスの取れたパワーでしたし、四輪ダブルウィッシュボーンのサスペンションも車全体のバランスとあいまって運転のしやすさを形成していたと思います。でもNCになって馬力は60馬力ほどアップしました。更にトレッドも広くなって、後輪はマルチリンクさすになってしまいました。乗ってみないと判りませんけれど、「乗って楽しい車」と言う感じはかなりスポイルされてしまっているんじゃないかなぁと思います。高齢層の人をターゲットにしたというような話を聞きますが、それを裏付けているような装備だと思います。なんというのかなぁ、ロードスター以外のスポーツカーもどきとか、逆に本当のスポーツカーのレプリカみたいな車だったらサスペンションはどんなものでもいいんです。もどきならどうせもどきですから何でも良い訳ですし、レプリカならそれは勝つための手段という事でしょうから。でも、ロードスターはレースで一番を取るための車ではなく、また雰囲気を楽しむ車でもないのです。ロードスターは走ることを楽しむ車なんです。だからサスペンションはグニャグニャ動いて余計な事をするマルチリンクではなく、四輪ダブルウィッシュボーンであってほしいのです。私にとってはこの変更だけで如何に路面追従性があがっていたとしてもNCの魅力は半減しているんです。RX-7と言う車を作り続けたマツダと言う会社だけに、ロードスターもここだけはと言うこだわりを捨てて欲しくなかったなぁと少々残念に思います。

NC8は正直私にとって今のところは所有欲を掻き立てる車とは言いがたいようです。他の人はどう思ったでしょうか。興味あるところです。

2005年09月17日(土) のだめとバーディーとカレー / うへへへ な事

昨日宣言をした通り、今日は惰眠を貪っています。「貪る(むさぼる)」…なんと心地よい響きでしょう。本当今までの睡眠不足を取り戻しているぞ!と言う実感がありますよ。午前中は2ヶ月ぶりくらいに医者に行ってきました。何で途中で治療を放り投げるんだと起こられてしまいました。いや、本人としてはこれるものなら来たかったんですけれどね…ま、どう言っても手前勝手な言い訳にしかなりませんので謝るしかできませんでしたが、兎に角、直りかけていた事故の後遺症が結構悪化していると言うか、まぁ障害が残るようなものでもないでしょうけれど、筋肉が凝り固まっている状態だったそうです。でも、それは事故の後遺症なのか最近の仕事で座りっぱなしの体勢が悪いのかは「びみょー」なところです。

その帰りに、先日ちょっとクレームをつけたカレー屋さんに立ち寄りました。
カレーライスってカレールーがおいしいことはもちろん、ご飯がおいしくなければ魅力は半減してしまいますよね。ご飯とカレールー(とその具材)しかないシンプルな食べ物だからこそ「究極の」なんて能書きは要らないからそれぞれがきちんとしていないとおいしいものにならない。実はとても難しい食べ物なんだと思うのです。そしてこのお店、チェーン店ではありますが、まぁまぁおいしいカレーを食べさせてくれますし、何よりご飯を全自動の業務用炊飯器で炊いていないところが気に入っているのです。あの全自動炊飯器は季節や気温や湿度など一切お構いなく、重量で全てを判断してくれるので新米には殆どつかえません。使ったとしてもおいしいご飯が炊ける確率はとても低いものです。給水率の悪くなった古米や古古米のブレンドをおいしく炊き上げる能力は安定していると思うのですけれどね。兎に角、その手の機械を入れている店って言うのは「おいしい店」ではなく「薄利多売」の安かろうまずかろう早かろうのお店だと私の中では分類されている訳で、それはそれで存在する価値は十分にありますけれどね。
ところが残念なことに炊飯が人の判断に委ねられるっていう事は、それなりに失敗も増えるという事で、「プロなら失敗するな」と言いたいのですが「失敗するから人間なんだ」という方が正解ですよね。で、先日この店に行ったとき、ご飯は水を多く炊いたくせに炊飯時間が短いと言う最悪のご飯だったんです。まぁ米(の)国人である私としては、このようなご飯には我慢が出来ませんので、三口ほど試したところで「いつもはおいしくいただいていますが、今日のご飯はまずくてたべられません」と文句を言った訳ですよ。ええ、私はクレーマーではないと信じていますので、お店はプロとして自信を持って食べ物を出してきたでしょうから、それを食べられないと言うのは私の都合だと思います。ですからお金は払うけれど、その分文句は言うぞという事で文句を言ったんですが、あちらはお金を受け取りませんでした。そんな事があったので、今回は改めてそのお店に言ってきたと言うわけです。そして前回初めて頼んでみて殆ど味わえなかったメニューを今回も頼んでみたのです。今回はご飯はとてもおいしかった。でも、そのメニューはまずかった。大失敗です。いや、ホワイトペッパーを粒ごと入れるって言うのはいいんですけれどね、その味がカレーに全然あってないんですよ。ま、これは私の好みの問題ですけれどね。

そのカレーを食べている時、しばらく前からあちこちで名前を耳にするマンガを手にして見ました。

のだめカンタービレ」…「のだめってなに?」って事から全然まったくちっとも理解していなくて、単に「流行っているらしい」と言う噂とタイトルくらいしかわからなかったものなんですが、そのカレー屋さんにおいてあったので1巻を手にとってしまったんです。これまずいかもしれないなぁ…ついつい買ってしまいそうなほど面白いですね。13冊で5000円程度なら大人買いしちゃおうかなぁ…そんな誘惑に駆られています。

でも、「のだめ…」にお金を払うならさ…
鉄腕バーディー」を先に全巻そろえたいなぁと思うのですよ。この人(ゆうきまさみ)の絵好きです。でも、私にとってゆうきまさみって言ったら、やっぱり「究極超人あ〜る」なんですけれどね。

まぁそんなことを考えて居た訳ですが、帰宅したらもうそんなことは忘れてひたすら惰眠惰眠惰眠惰眠惰眠…はぁしあわせ!


うへへへ な事

些細なことなんですがね…

まぁ3ヶ月間を置いて医者に行った訳ですよ。
医者が言うには「痩せましたね」だそうです。絶対値を見ると絶望的な体重なんですがね。3ヶ月前の私より明らかに、見ただけでわかるくらいやせているそうですぜ。うへへへへ…(あ、「へ」が1個多い。ま、いっか)って言う気持ち判ってくれるでしょうか。
それにしてもン十年前、体重がどんなに暴飲暴食をしてもなにをしても50kg台すら維持できなかった頃は「どうやったら太ることが出来るんだろう」と悩んでいたものでしたが、あの頃の私に今の私を見せてやりたいものだなぁ…はっ!いかんいかん。今は「うへへ」なこと(はっ今度は「へ」が1個足りん)「だけ」を考えて過ごそう。

って事で3ヶ月前よりは痩せている事を実証されてご機嫌な報告でした。(ま、実際に3ヶ月前より5kg体重は落ちているんですけれどね)

2005年09月16日(金) 忙しかった…

今週は納期もあってとても忙しかったのです。
どれくらい忙しかったかって、三日くらい家に帰ることが出来ず、マンガ喫茶で仮眠だけして過ごしたという感じだったんです。人様の日記を拝見する時間もないし、自分の雑記すら書く余裕がありませんでした。
毎週この仕事が終わったら少しは楽になると思って、終わったらもっと高いハードルが待っていたのですが、そろそろそのハードルも高さが見えてきたようにも思います。いやそうでないと困ります。
それにしても、マンガ喫茶にお金を払っていきながらマンガ一冊読まず、パソコンにもテレビにも触らずただ眠るだけなんていうのは「贅沢」というのか「無駄」というのか、紙一重の違いかなぁなんて思いましたけれど、皆様におかれましてはどちらだと思うでしょうか。

兎に角、世間様では明日から三連休でしょう。私も少なくとも久し振りに二日は休むつもりで居ます。けれど、その内の一日は「惰眠を貪る」と言う快楽に浸る予定です。あと一日は医者に行ったり、家の片づけをしたりしなければならないでしょう。という事はあっという間に短い休日は終わってしまうという事なんですね。まぁ久し振りに仕事から丸々はなれることのできる時間がたっぷり出来るという事はいいことです。

書きたいことはあれこれあるのですが、今日は考えがまとまりません。とりあえず忙しかったという報告だけで失礼致します。

2005年09月13日(火) ROYCE

ROYCEで3000円以上買い物をすると抽選で1000名に「香りを楽しむ癒しの純ココアセット」というものが当たるそうです。
ロイズの新商品である「純ココア」に山椒/七味唐辛子/ゆず/ナツメグ/カエンペッパー/ジンジャー/シナモン/きな粉/黒すり胡麻/抹茶と言うスパイスと、まるで茶道のセットのようなココア用椀にさじに筅(ささら)に盆とスパイスケースのセットと言う内容です。

私にとってココアと言えばヴァンホーテンです。お湯で溶かすだけで飲めるなんて、そんなもんは本物じゃねーよ。ってなもんです。儀式を経て焦がさないように作ったホットチョコのおいしさはインスタントじゃあまねできないのはどの世界でも一緒でしょう。なんていいつつ、もう何年も本格的なものは飲んでいないなぁ…偶然ですが、先日無性にココアが飲みたいと思っていたんです。そしたらこんなニュースが飛び込んできたのです。それにしてもココアに山椒や唐辛子なんかを入れて飲むとおいしいんですかね。ちょっと興味あるところです。

それがあたるかもしれないと思ったからと言うわけではないのですが、ROYCEでちょっとチョコレートなどを頼んでみました。内地からROYCEなど北海道の店に物を頼む時に悩むのは
その送料の高さなんですよね。内地なら多少離れていても小さなものなら送料は1000円も掛からずに済むのですが、残念ながら鉄道か船か飛行機に乗せないと内地に辿り着けない北海道は送料が高い設定になっています。1300円くらいの送料を払うのに、買い物の値段は500円でしたとなったらものすごくもったいない感じですよね。だからといって欲しくもないもので値段を高くするのももったいない。ではどの辺りがバランスの取れた価格なんでしょう。まぁ日持ちするものかどうかによっても変わるでしょうけれど、私は北海道の店に物を頼む時は、本当に欲しいものの値段が送料の倍以上になった時と決めています。それに達していない場合は基本的にどんなに欲しいと思っても諦めます。それが運命だって思うようにします。つまり3000円位欲しいものがあったら1500円の送料を我慢しましょうって事。でも、この値段には何の根拠もありません。単なる感覚的な問題です。さぁ来るのが楽しみです。

2005年09月12日(月) 選挙後早速… / 中年と匂い

選挙から一夜明けで、もう選挙違反の検挙と言う話がちらほらと出ていますね。
中には秘書が他人の投票券をもって代わりに投票したのだけど、投票所に来た秘書は20台半ばで、券を預けた人は50台半ば。誰がどう見たってばれるって。というようなお粗末な選挙違反もあったようです。大体、そんな一票で大勢が変わるものでもないだろうし、ばれた時の事を考えると、リスクを犯す価値があるのか不思議な違反ですね。そう、意を決して引ったくりをしたら捕まってしまって、奪ったカバンの中には200円入りの財布があっただけで前科一犯…情けない犯罪と言う意味では同じレベルなんじゃないかなぁ。

自民党は先の採決で反対したり危険をした議員に対する処分をこれから決めていくのですが、今回の選挙で大勝した事もあり、次回の採決でも反対する人は少ないだろうと言う見通しでのんびりしたムードになっているみたいです。また、今度の採決でも反対を投じた人には除名や離党勧告をするけれど、賛成に転じたら軽い処分で済ますなんて言っています。確かに、そうやって甘い汁を用意するのも1つのやり方なのかもしれませんが、私はどうかと思います。郵政民営化という1つの大きな岐路において、彼らは浅墓な考えで誤った考えを選択した訳です。それだけでもう免許取消となってもおかしくはないようなものと思えば、ここで彼らを甘やかすのは果たしてどうなんだろう。私はどちらにとっても良いことのようには思えません。ちょっと暗いなら許してやれる失敗もあるけれど、一度の失敗で十分、もう戻る場所はないよと言う失敗もあるのではないでしょうか。大勝したから恩赦という意味合いなんでしょうかねぇ。

大敗した民主党が岡田代表の後継者選びに動き出したそうですが、適任がいるんでしょうかねぇ。
郵政は民営化するべきだと私はここで何度も書いてきました。民間がやって営業が成り立たないものは国がやる。けれど、民間の土台が出来たなら、速やかに民間に業務は委譲すべきです。国がなぜ民間と争って利益を上げる業務を行わなければならないのか、私には理解できません。国が行うべきことと民間が行うことの役割を考えたら、既に郵便事業は国営の役割を終えているのは明らかです。しかし、国鉄が悪あがきをしたように、今まで甘い汁を吸ってきた人たちが、これから民営になることの不安を抱えて反対をすることは十分に理解できます。が、それだからといって民営化を辞める理由にはなりません。国が率先して構造を改革していかなくては。少なくとも多くの国民がそういう意思を今回の選挙で示したことになります。
野党の仕事とはなんでしょう。今の野党を見ていると、野党の仕事とは「与党の提出する案に反対すること」ではないかと思われます。果たして今回の郵政民営化は野党としては反対しなければならない理由はどこにあったのでしょう。「民営化には賛成。しかし、その方法に異議がある」と言うやり方はなかったのでしょうか。「民営化に反対」という選択肢を撮ったために、野党は「闇雲に反対するしか脳のないアホ集団」→「安心して任せられない」と言うイメージをもたれたのではないでしょうか。少なくとも私はそういうイメージを持ちました。出来もしないようなマニフェストなんていうものをごちゃごちゃ書いて遊んでいるより、1つでも出来るところから解決をしていくと言う小泉首相とは全く正反対の口だけ集団と言うイメージもあります。自民党に任せていては将来が不安、自分たちが政権をとって正しい方向へ導く。そういいたいのであれば、時代に逆行する優勢民営化反対をなぜ表に打ち出したのか私は理解に苦しみます。バカの一つ覚えみたいに「与党のいう事には反対」ではなく、そろそろ「与党のいう事に賛成」という事態が起こっても良い頃なんじゃないのかなぁ。
兎に角、そんな程度の野党ですから、誰が党首になっても違いはないんじゃないですかね。今回の野党の郵政反対で失った信頼を取り戻すのはとても大変な事だと私は思いますけれど、多分、野党の人はもっと実感していることでしょうね。


中年と匂い

中年と言われる世代になってしばらく経ちますが…そういう立場になったなぁと思うこと。
汗に匂いが出やすくなった。
先日実家から枝豆が届きました。毎食丼に山盛り一杯枝豆を食べました。今、出てくる汗が枝豆の匂いです。
屁の匂い
まぁ、屁と言うものは臭いと相場が決まっているのですが、昨日友達と焼肉を食べたのです。そこで生にんにくを少し多めにタレに入れたんですけれどね、今出てくる屁は鼻が曲がりそうなくらいにんにくの匂いがします。
においが染み付きやすく染み出しやすいというのが中年の特徴なのかなぁ…

2005年09月11日(日) 今日のあれこれ

昨日は「さいこー」の夜を迎えるはずだったのですが、結果から言えば「オペラ座の怪人」は見ずに終わってしまいました。まぁ別の事でそれなりに幸せな時間を過ごしたのですけれどね。

選挙の結果が続々と入っています。
私はこのページで自分の考えをオープンに話していますので、「どこに投票したかは秘密だよ」というつもりはありません。郵政は民営化するべきです。その詳細な部分に何か問題があるとしても、こういう改革をする時にすべての人が幸せに終わるシナリオなんてあるはずがありません。どこかに線を引いたら、その線の向こう側の人は切り捨てられてしまいます。が、そのような痛みはあっても仕方がないと思います。

開票開始直後くらいに郵政民営化反対の亀井某がテレビで「今の郵政で出来ることを、なぜわざわざ民営化しなければならないのか」と言っていました。考え方が全く逆ですよね。つい先程、この亀井某が広島で頭角を決めたと速報がありましたが、この人は「国を憂えて」とか「国のため」の政治をしようというのではなく、「自分と自分を支えてくれる人のためにだけ利益をもたらそう」と言う政治家なんだなと改めて強く思いました。

それにしても、私自身は今回の選挙では1党しか選択肢がありませんでしたが、かなり多くの人も同じ結論に達したようですね。まぁ、郵政族が自分の票田を捨てきれずに議案に反対したこと程度で「自民党から造反者が出た。今がチャンス」なんて短絡的な考えで無責任なマニフェストを作って有頂天になっているような与党に期待できると思う方がどうかしていると思いましたけれどね。

それにしても、小泉首相が郵政民営化に反対した地域へ対抗する候補を送り込んだことについて「刺客」と言う言葉が使われてきましたが、元自民党の野中某、前述の亀井某などかなり多くの人が「しきゃく」と言っているのが気になりました。「しきゃく」も間違いではないようですが、私は「刺客」を「しかく」と読めない若い層が「しきゃく」と読んでしまうのかなぁと思っていただけに、「お前ら頭悪いんじゃない?」と思ってしまったのが正直なところ。でも、「しきゃく」って言う読み方は年代が関係ないんでしょうかねぇ。

2005年09月10日(土) 汚 / 今夜はさいこー(になる予定)

水曜から金曜まで64時間で睡眠時間が1時間とあとうつらうつらとした居眠りが10分くらいかなぁ…そんな状況で昨日の文章を書いたので、いつも以上にまとまりのない変な文章になってしまいました。あまりにも恥ずかしいのでかなり大幅に書き換えました。でも、完全に書き換えるのは自分の意に反することなので、母体である変な文章の大筋は残したので変な文章は別の意味でも変な文章になってしまいました。ま、徹夜明けって事で、笑って許してやってください。

昨日は帰宅したら、本当にあっという間に寝てしまいました。そんな訳でこれから、三日ぶりに風呂に入ってきます。汚!


今夜はさいこー(になる予定)

先日、amazon.comで注文したソフトが届いていました。
買ったのはこれ


オペラ座の怪人

でした。
発売されたばかりの今の時期には


オペラ座の怪人コレクターズエディション

なんてものもありますが、私は別に予告編だとか作っている最中の能書きや苦労話、さらには監督や役者の主張や素顔なんてものには全く興味がないんです。だって、そういう思いを込めて作ったのが作品であるわけですから、そこに込められなかった思いっていうのは無駄なものであるか、知らなくて良いものでしょう。そうでなければこの作品自体が思いを伝え切れなかった中途半端な駄作であると言うことを自らが語っていると言うものにしかならないはずですから。作っている側にどんな苦労があったとかは見る側には全く関係のない話ですし、どんな思いだったのかは作品で見せてくれたら十分です。そんな訳で、私にとってこのコレクターズ・エディションなるものは無駄なものの塊に見えるのです。ま、趣味の問題ってことにしておきましょ。

兎に角、この映画は映画館で見てすばらしいと思いました。もっと大画面で見たかった。家で再生すると迫力不足かなぁとは思います。音も、いつもの映画環境の安物のサラウンドアンプではなく、割り切って2chステレオをTANNOYに流して楽しもうかとか考えてしまいます。

The Phantom of the Opera (2004 Movie Soundtrack)

多分、このサウンドトラックも買っちゃうんだろうなぁ…あれこれ買っちゃおうと思うほどこの映画の出来が良かったという事だと思ってくださいな。

しかし、上で「コレクターズエディションは〜」と書いているのに、このサウンドトラック「コレクターズエディション」って書いてあるのが笑えます。

あ、そうそう、今回はamazonでもう1つ買い物したんです。

The Paul Simon Songbook


特に「Flowers Never Bend With The Rainfall」がお気に入り。ま、どれをとってもすばらしい曲なんですがね。なぜかこの曲は耳に残ってしまうんです。

兎に角今夜はそんなソフトに囲まれて雌伏の時間をすごす予定です。ま、その前後には仕事が待っているんですけれどね

2005年09月09日(金) 缶詰 / こうもりじゃなければ良いのですが…(9/10書き直し)

もしかして、今日は金曜日なのでしょうか…
覚悟はしていましたけれど、会社に二泊もするとは思いませんでした。それも、三日目の今日もこんな時間まで会社に居るなんて…

仕事に迫られて缶詰状態です。時々息抜きに皆様の日記は拝見することもありましたが、いつも拝見している数の1/10程度でしょうか。自分のページを更新する余裕なんて全然ありませんでした。来週もそんな状況が続くかもしれません。頭が痛いことです。

でも、二日も徹夜をすると本当に気持ちが高ぶりますね。でも、座っているだけで広げた資料が曲がりだしたり、踊りだしたり、パソコンがぐにゃぐにゃになったり…昔は二日くらい平気だったのに年を取ったっていう事なんでしょうね。はっ!そういえば、今までの私は「嫌味なくらい髪の毛が濃い」と言われていました。髪の量が多いのではなく、はげる兆候が全く見られないという事。ところが先日、ふと据わっている私の前に友達が来て「髪の毛薄くなったな」と言うではありませんか。そういえば、最近机の上に落ちる抜け毛の量が気になってはいたんですよ。大丈夫なんでしょうか。ま、禿げようが白くなろうが、私は自然体で行くつもりです。ええ、そのつもり…ドキドキ


こうもりじゃなければ良いのですが…

1994年に出産直後の長男を亡くした両親が医師らを相手取って8000万円もの損害賠償を求めた訴訟の判決がありました。この裁判で両親は「逆子だったので帝王切開を強く望んだのに医師に拒まれたため、結果として難産となって子供が死亡したのだ」と言うことのようです。「医師は両親に帝王切開か自然分娩かを良く説明し選ばせるべきだった」という事らしいです。
両親は「自己決定権」の権利を奪われたと主張し、東京高裁の医師側勝訴の判決を破棄して高裁に差し戻しを決めましたが、自己決定権云々ではなく、単に説明義務違反はあったと言うにとどめました。

私が言えるのは1つだけです。「バカにつける薬はない」という事。

あんたたちは、医師が患者や家族に説明をして、意見を聞いたとしても、死亡させた場合は「医師のくせに適切な判断をしなかった」と訴えるんじゃないの?

ジェット機に乗っている時、機長が何かの理由で死んでしまったとしたら、客はコ・パイロットなどを押しのけ自分で操縦をしたり、操縦なんてしなくて良いから「どうして機長が死んでしまったのか納得のいく説明をしろ」と騒ぐのは正しいでしょうか。そんな事はないでしょう。また、事後に「〜たら」「〜れば」で話をするのは野次馬の仕事ですし、そこで語られる「こうすべきだった」と言う話は、それの正当性自体が全く証明されていない希望論的なものでしかないのです。

このニュースの元になった長男が死んだと言う出産も、「逆子なら帝王切開すれば良い」というのは素人の私達が漠然と持っている知識(?)である訳で、医師はそのときの判断で帝王切開は危険だと思っていたのかもしれませんし、人の生き死にが掛かっている時に時間を割いて家族に「どちらを取りますか?」とのんびり説明している時間があったのか甚だ疑問です。また、説明をしたら「では妻の命だけでも助けて」なんて言われたとして、でも実は「奥さんのほうは助かる見込みが殆どないんだよなぁ。説明したのは奥さんは諦めて、子供を助けることに全力を尽くすからねって事なんだけど、聞いていてわかんないかなぁ」なんて思っているかもしれませんよね。人にはそれぞれ得意の分野があって、自分なりに得意なことを、全く興味のない人、知識のない人に伝える場合、「こんな簡単なこと」が意のままに伝わらないことにもどかしさを感じたり、全く誤解をされてしまう事があります。それでも、医師には世論の高まりから「説明をする義務」を後から背負い込んでしまいました。確かに今日初めてあったような腕の程も判らない医者に命を預けることになるのですから心配は心配でしょう。特に結果として家族を失うという事があった場合は落胆とともに、その意思が下手だったからじゃないのかとか疑問が湧くのも理解はできます。でも、「じゃあ、私が(触った事もない)ジェット機を運転する」とあなたは言えますか? できないでしょ。

今回のように「選択権を行使できなかった」と言う事で訴えると言うのは変な話ですね。どうして素人が「帝王切開すべきだった」とかそういう事を恥ずかしげもなくいえるのか、私はその面の皮をはいで厚さを測ってみたくなりますよ。
「医師に説明の義務がある」(患者及びその家族に)「選択権がある」というのは、その解釈が誠にもって中途半端だと思います。
医師はその仕事(命を預ると言う)の重要性から、自分の判断で仕事をすることが求められます。特に一刻を争う危急の時にはそれが重要なことです。そこに「報告の義務があった」というなら「命を救うことより説明をすることが重要、命は二の次である」と認めることになります。それが間違っていると言うのは明らかでしょう。「医師の説明」とは(危急の場合は)「報告」の意味合いなのだと取るのが正解なのではないでしょうか。そして、本人又は家族に相談なく最前の処置をした結果が、本人たちの意思とそぐわない事になっていたとしても、それに責任を求めるのはやはりおかしい話です。
任せるからには医者に本当に任せるべきです。そして任せたという事は、責任は自分も分担するという事なのです。そうやって安心して任せることができるよう、普段からかかりつけの信頼できる医者を確保しておくのが一番良い事だと思いますよ。

事後に「〜たら」「〜れば」で語ることが如何に愚かな事かなんて私がここで言うまでもなく明らかなことですよね。ところが素人で自分では何もできない阿呆が、自分のものになると思っていたものを「懸命の努力にもかかわらず」助けられなかったことのに、それを「奪われた」と曲解して、駄々をこねているうちに気が大きくなって神様にでもなったつもりのこの阿呆はどんどん調子に乗って訴えると言う暴挙に出ました。こういう事に鼻の穴を広げて得意がっているというのは本当に猿にも劣る愚劣で卑怯で幼稚な行為だと私は思います。そこまで言うなら、医者のところになど行かずに自分の手で自然分娩なりしたら良かったじゃないか。自分では出来ないと思ったから任せたんでしょう。だったらその責任はそこに任せた自分にもあるんだとわかるはずなんだけどねぇ。

本来なら、子供は助からなかったけれど、自分(の妻)だけでも助けてくれてどうもありがとうございました。と頭を下げて御礼をするものだろうに…

ま、こういう話が通用しないヤブ医者がいるという事も問題なんだけどねぇ…

2005年09月06日(火) 160万円 / 貯水率 / 三菱

歌手の忌野清志郎さんが新宿区内で160万円の自転車を盗まれたのだそうです。
ま、芸能人っていえばベンツとか、フランクミューラーみたいなバカ高い時計とか、宝石のように薄っぺらな本人の格をごまかしてくれるブランド物…いや、値段の高いものを好むようですから、自転車までこんなに値段を掛けるのね。なんて思っていたんですけれど、ふと考えたら、自転車で160万円って、確かに高いことは高いですけれど、別にそんなに凄い値段って訳でもないかなとも思えてきました。私が以前乗っていた自転車(MTB)もフレームはオーダーメイドでシマノのXTRを奢ったらかなりの値段になりましたし、私が未だひそかに狙っているPocketRocket+campagnoloのレコードフルセットだとそれだけで100万円を超えてしまうと思います。ですから買えないんですけれどね。自転車は自分の力で走るものですから、兎に角最後に行き着くところはオーダーメイドです。フレームのサイズをきちんと自分に合わせて作ったものと市販の出来合いのフレームでは、たとえ材質が同じでも走りやすさが全然違います。そしてオーダーメイドのフレームとなればどれくらいが相場なんでしょうね。私の場合は25万円位したと記憶していますけれどね。それでも安い方だと思います。材質や色にこだわれば、値段は天井知らずなんじゃないでしょうかね。
そうやって考えてみたら、160万円の自転車って、まぁ誰にでも変えるという値段ではありませんが、それが趣味なのであれば特別に目を引くような値段ではなかったのね。特にそれを飾っているのではなく実用にしていたのであれば、本人にとってはお手ごろなものだったのでしょう。それにしても「KIYSHIRO」って大きくペイントされているそうですから、そのままではどこにも売れないし、目立ちすぎるような気がします。盗んだ人はどうするつもりなんでしょうね。そこにちょっと興味があります。
あ、当然ながら、まともな形で出てくることを祈っています。


貯水率

台風14号の通過に伴って、それまで貯水率が2.3%と殆ど渇水の状態だった高知県の早明浦(さめうら)ダムは一気に貯水率が100%になったそうです。
早明浦ダムって何の為に作られたんでしょうね。
  • 用水確保
  • 発電
  • 治水
この辺りが目的のようですが、発電量はゴミみたいなもので、これは、このダムを作るために「発電『も』できる」と役所が住民をごまかすためにつけた「どうでも良いもの」と言う気がします。そして治水もねぇ…果たして困っていたところがそんなにあるんでしょうか。更に用水確保…「早明浦ダムの貯水率」が話題にならない年って最近ないような気がします。毎年、夏になると渇水に悩んでいるっていう事は、このダムって何の為に作られたのかわからないダムっていう事になりませんかね。つまり、役人が人気取りのため、地元に工事を誘致するため、どこかの建設業者から裏金をもらうために作られたダムって事なのでしょうか。確かに最近の日本の気象は、今までと違ってきているという気もします。しかし、確かに台風や局地的な大雨という現象がおきているのは確かですが、ダムなんかを作って地下水形を分断したり破壊したりせず、山の整備を計画的に行って保水力を確保すればこのような状況でも安心していられる土地ができているはずですがねぇ…

兎に角、ダム湖がたった一日でほぼ0%から100%になるって、雨が凄かったのか、ダムが情けないのかどっちなんだろうなぁ。凄く興味ある事だなぁと思った次第。何より、取水制限が取れたのは何よりですが、後は人災的被害が起きないことを祈っています。


三菱ふそう 60車種認可へ

三菱ふそうトラック・バスが昨年5月以降に「形式認証」を申請してた60車種について、国土交通省は新車販売を認める決定を下したそうです。

去年の5月からと言うと、通常よりはかなり長いようです。リコールなどの問題があった部分の対応について、資料の提出を求めるなど、通常以上に審査に時間を掛けた結果だという事ですが、私はどうも納得ができないですね。三菱がやったことは、「やります」といっておいて、裏ではやったことにして実は全然やっていなかった。そんな嘘を長い間突き通してきた訳で、その体質が問題になった事件だったのですから、今回は他の会社とは別個にもっと長い期間の実装実験を課すなどの机上の空論ではない、実際に目に見える形の成果をもって許可をするという方式で望んで欲しかったと思います。多くの人はもう、三菱自動車の恐怖を忘れているかもしれません。しかし、企業が率先してリコールを隠した結果、本人は全く意識せず人間爆弾となって特攻機に乗せられていたという自体が確かにそこにあったのです。企業が質の悪いテロリストだったのです。私はそういう観点から三菱自動車は解体して企業を潰すべきだと思っていましたし、今でもそう思います。それが責任の取り方なんじゃないかな。しかし、面の皮が厚く、そんなことはしないというのであれば、何十年とユーザーや役所をだまし続けてきたその報いとして、いや、恨みつらみではなく、単に失墜した信用の代わりとして、実際の態度でその信頼を取り戻せと思うという事です。なのになぜ、今回国土交通省は図面を見ただけで「信頼できる」と判断したのでしょうか。どうして、そういうところをきちんと検査しなければならないのではないでしょうか。結局は三菱関係のどこかから「早く許可してしまえ。今なら国民はこっちは見向きもしないぞ」という圧力でも加わったという事なんでしょうかね。

2005年09月05日(月) 色 / ぎうにう / 野党旗色悪し…

Lunatic' Photoや別館に載せている写真は、PanasonicのCF-W2で加工をしているのですが、先日デスクトップ機のCRTモニタで見てびっくりしてしまいました。いや、そうなって当然とわかっているべきだったのですが…色が変ですね。自分が思ったとおりの色になっていません。

昔は液晶は電源を切れば設定が変わってしまうって言われて、色が大切な意味を持つ仕事ではつかえないって断言されていたように思います。それでも時代と共にそういうことは解決したのかなと漠然と思いつつ、あまり深く考えずに軽くて薄い恩恵にあずかっていた訳ですけれど、兎に角、一度ガンマを調整してやらないとだめなのかなぁ…

それなりに微妙な色合いを一生懸命調整したものもあるだけに、あの苦労はなんだったんだろうとちょっとショックです。ま、今後はきれいに出せるように頑張ります。そんな理由でちょっとそちらのページの更新が滞っている次第です。←言い訳。


ぎうにう

アメリカのメジャーリーグで、ロッカールームの(選手用)牛乳1ガロンを1時間以内にのめるかどうかで500ドルの賭けをした事でバットボーイが6試合の出場停止を命じられたそうです。

この話、果たして話題になるかなと静観していたのですが、何箇所かで「ビールと違うから難しいのかな」と言う意見がありました。
1時間に約4リットルの水分を取るって結構難しいと思います。けど、そこで疑問に思ったのは、私も良く耳にする言葉「ビールなら入るけれど、水はねぇ…」と言う言葉でした。水は吸収されないけれど、ビールなどは吸収されるって言うけれど、ビールの中で何が吸収されるんだろう…多分にビールも水以外の様々なものが入って入るでしょうけれど、でもその大半は水だと思うんですよ。←すみません。全然調べていません。
で、単純計算をすると、アルコール分5%のビールだとしたら、100ccに対して5cc分アルコールがある。4リットルでは200ccのアルコールがあるという事で、4リットル飲んだら、ビールは水より200ccだけ吸収されて余分に入ると思ったらよいでしょうか。そんなに差は無い様に思います。実はこのニュースを見てから、この賭けに挑戦してみたいと思ってうずうずしているんですよ。普段、私は会社から帰ったら牛乳をビールジョッキに1〜2杯を一気飲みします。それ以外に麦茶もごくごくと飲み干します。多分帰ってから数分で1リットルは飲んでいると思います。ですからその位は問題なく飲めることは判りますが、それが4リットルとなるとかなり大変だろうなぁと想像もつきますから、だからこそ挑戦してみたいと思うわけですよ。でも、これに挑戦したらかなりお腹の調子を壊すことになるかもしれません。今は仕事が忙しい時期ですので、そんなことで体調を崩すなんて事は許されないんですよね。だから、うずうずしているんだけど我慢せざるを得ないのがもどかしいんです。こういうのはね旬があるんですよね。仕事が暇になるころにはとっくに旬は終わっているでしょ。ま、牛乳4本の代金約800円を節約したと思えば良いですかね。
誰か私の代わりに挑戦してみてほしいなぁ…


野党旗色悪し…

国民に真意を問う大事な総選挙…そんなタイトルがついている今回の総選挙ですが、浮動票と目される人たちがどれだけ選挙に行くかで様相も変わるようですけれど、今現在の様々な世論調査では自民党が圧倒的に有利と言うところが多いようですね。議席の過半数を取ると息巻いていた民主党をはじめ、殆どの党は現状の議席を確保できるかどうかが争点になりそうと言う感じみたいです。

テレビのインタビューで「選挙になんか行ったって、どうせ何も変わらない」と言う人が多いみたいです。でも、「個人の力では」どうせ何も変わらないと思って投票に行かない人が多くなればなるほど、組織票を頼みとする議員には有利になるように思います。
組織票をバックに当選した議員は、本当のあるべき姿がどうであれ、投票してくれた組織に都合が良くなるよう仕組みを作ろうとします。それが今の郵政族議員などの姿である訳です。組織の方は「絶対にこの人に投票してくること」と触れ回って当選させようとする準備ができているのに、それ以外の人は浮動票といわれる人たちが少しでも応援してくれることを待っているしかないのです。「何もしなければ何も換わりません」これは当然です。自分の一票で世界が変わるなんてそんな明らかな変化があるものではありません。逆に1/有権者と言う数字にしたら本当0に限りなく近い微々たる力に見えるものではありますが、それが積み重なれば大きな力になるという事を考えてほしいなぁと思う次第です。

2005年09月04日(日) 淘汰

今日は友人が来ました。
久し振りのことなので、外で飯を食べようかと言う話になり、先日オープンした焼肉屋にでも行こうかなんて話になったのですが、その途中に「ハワイ料理の店」と言うのがあったので、急遽そんな店に入ってみたんです。ハワイ料理ってどんなんだっけ?なんて話しながら、ま、多少でも毛色の変わったものが食べられるならそれでよかろうと思っていたんです。

見事、予想は覆されました。ええ、悪い方に。
これのどこがハワイ料理なの?って感じです。いや、私は国外には出たことがないので、これは本当のハワイ料理なのかどうかと断定はできないのですけれど…

  • その辺のスーパーで売っているタコスの皮(?)とソース、それにレタスをまぶしたご飯を「タコライス」って言うの?(それってハワイ料理?)
  • その辺の冷凍食品のハンバーグと半熟を超えた固めの目玉焼きをのせたご飯が「ロコモコ」っていうの? 
  • ハワイ料理って言うのに魚のしょうゆ漬けとかあるのは正解なの?
と何個もの「?」が並んでしまいます。
そして、「ロコモコ」って奴は業務用冷凍ハンバーグを解凍し、上に半熟目玉焼きの失敗作をのせ、ドミグラスソース(多分Heinz)を掛けただけ。タコライスは先にも書いたように、市販のタコスソースの缶詰などを掛けただけ。これって缶詰を開けることができるなら子供でも作ることができますよ。スパもSpamが入っているからハワイアンという事なんでしょうかね。
店を出るとき「ごちそうさま」とだけ言ってでてきた私に、友人は「二度と行かないって事か?」と言ってきました。さすがに判っていますね。そう、おいしかったなら「ごちそうさま。おいしかったです」と言いますし、何かがうまくいっていなかったけど、其れでも多分また来ると言うお店では「ごちそうさま。でも、これがおいしくなかった」とか「ごちそうさま。おいしかったけど、店員の態度は良くなかった」とたいていの場合私は話します。でも、いう価値のない店にはねぇ…

「店がハワイの雰囲気の無国籍料理店」と言われるなら多少無理はあると思いますが納得します。でも、「ハワイ料理の店」と言われた日には「違うような気がします」としか言えません。そして、大して仕事もしていない、ただ市販の具材を載せただけの料理の値段も750〜1200円と高くて、私の見立てではその半額程度が妥当と感じました。お客は何組か来ていましたけれど、果たしてその内の何組がリピーターになってくれるんでしょう。まぁ人の好みは様々ですから何組かはいらっしゃるとは思いますが、あの料理をあの値段で食べたいと思う人はなかなか現れないんじゃないかな。永遠に新しい客が入ってきてくれたらそれはそれで良いのですが、多分そんなことは不可能ですから、多分そんなに遠くないある日、突然貸し店舗になっていたという事になるんじゃないかなぁと思います。

ラーメン激戦区などといわれるような場所では、出入りも激しいのでしょうけれど、生き残っていくお店は、その値段、その味などどれをとっても、お客様が納得されるものが出るのではないでしょうか。私はその中で多分絶対に解消されない不満「行列をする」のが嫌でそういうお店には行きませんが、それさえ覚悟できる人なら、待っているのは「満足」である筈です。しかし、残念ながら私の住むような田舎ではそのような淘汰は非常に長い月日がかかってしまうのがもどかしいんです。出店してあっという間に雌雄決して駄目な店はすぐになくなる…それは経営者には厳しいでしょうけれど、客の立場からみれば、少し待てば確かなものを得られると言う意味では正解なのかもしれないと思います。入るべき店を読み違えて、ものめずらしさに負けて確実にうまい店の味を疎かにした罰として、その高いだけでおいしくもない、何の工夫もないゴミのようなものを食べそんなことを考えていたのでした。

2005年09月03日(土) 貝焼き

夜、車に乗って近くに出かけました。

途中、ちょっと不思議な垂れ幕を見つけたのです。車を運転しながらだったので、そんなに詳しくは見ていないのですが「ホタテの貝焼き」と書いてあったような。
お店は「華屋与兵衛」と言うファミリーレストランです。ホタテの貝焼きってなんか変じゃありません?ホタテは貝だから、貝焼きって当たり前のような気がしますよね。それって「豚の焼き豚」とか「魚の焼き魚」って言うのと同じくらい不自然なんじゃないのかと思って、今回のネタにしようと信号待ちの間にわざわざ携帯電話でそのメモをパソコン用メールアドレスにメールをしたんですよ。

でも、貝焼きって具材を貝の上に載せて煮たり焼いたり蒸したりする料理をさすみたいですね。ウニの貝焼きなんていうのが結構検索をしたら引っかかってきました。「豚の焼き豚」とは違って、「貝殻を鍋代わりにしてつくる料理」と言う意味での「貝焼き」だったんです。ひとつ利口になりました。

…調べている間に見た「ウニの貝焼き」食べたい…



2005年09月02日(金) 気分転換には…

最近仕事が忙しいんです…何と言っていいのかな…忙しいって言うより、勝手に一段落したかなと思ってカーブを曲がったら、実は更に高いハードルがあった。と言う感じでしょうか。見ていませんでしたけれど、日テレの24時間テレビで100kmマラソンに挑んだ人たちもこんな雰囲気を味わっているのでしょうかね。でも、マラソンをやる人たちは肉体的にはとても辛いし精神的にも辛いのですけれど、でも、彼らには「ゴールがわかっている」と言う強みがあるんだよなぁと思ってしまうんですよ。とっても辛い時に「あと何キロ」って分かるのはとても心強いんですよね。まぁ私たちの仕事も「納期まで後何日」と言うのは分かるんですが、果たして納期までに終わるのか、いや、どうやって終わらせたら良いのか、そのボリュームの大きさが見えてこない(いや、見えているけど大きすぎてゴールに辿り着ける気がしない)ので辛いのかもしれません。

隣の芝生は青く見えるものですし、元来、マラソンと比較できるものではないと分かっては居ます。当然ながらマラソンにはマラソンの苦しみがあるのもね。でも、つい、ふと、そんなことを思い浮かべてしまった訳です。

走った人たちは判を押したように「遠藤の応援が励みになった」と言います。あれは本音なのかそれともリップサービスなのかどっちなんでしょうね。
本当に苦しい時に応援してくれる人が居るうれしさって言うのは、判る気がします。穿った考え方をしても「リタイヤしちゃえ」と思う自分の気持ちを、「遠藤の人に見られたら格好悪い」と思う気持ちが抑制してくれると言うのもありでしょう。でも、それが走りきるエネルギーになるんでしょうか。自分のところに置き換えてみれば、自分の仕事をしている回りに様々な人がやってきて「がんばれ」「大丈夫よ。納期に間に合うわよ」「ほら しっかり」とか応援してくれるって事ですよね…ちょっと勘弁してほしいなぁ。愛情のある人から愛情のある応援なら素直に「おー!」と答えてがんばれますけれどね、実も知らぬ人からの応援なんて、この卑屈な時期にいくら受けたところで「何気楽なこと言ってんだよ。んじゃお前ら変わってみろよ」なんて毒づくのが関の山ですよね。まぁ、素晴らしい美女「だけ」が私を取り囲んでくれるなら、にやけつつ「お〜!」と音符つきで返事をしてしまうかもしれませんけれどね。ま、そんなことはありえないし…

兎に角そんな感じで煮詰まっている時、やはり癒してくれるのは近しい女性の応援だったりするのですが…まぁそれが望めない今は逃げるところは二つしかありません。
ひとつは写真。うまいか下手かが問題なのではなく、自分が納得して撮る事ができるか。自分のストレスが発散できるかどうかです。まぁ自己満足の写真はブログに貼り付けていますが、どこにも出かける暇がないので、庭に植えた花を撮っていますが、そろそろマンネリ化してきたなぁと思います。花の育つ速度、この夏は「速いものなんだな」とも実感しますが、やはり数日、数ヶ月、数年を要して育つものですから、毎日の変化は「育てる者」としては楽しみですが、毎日の変化を写真に記録すると言う意味では退屈な写真になってしまいますね。それと、構図を考えて撮影をするって結構時間が掛かるんですよね。朝、少しでも寝ていたい時間の一部を使って撮影をするのも結構大変です(あ、今日写真ページをサボった言い訳じゃないですよ)。
となると、時間がないときはもうひとつの癒し、音楽を聴くって事でしょうかね。
でも、仕事をしている時に音楽って聴いていると集中できないので、結局は休憩時間に聴くということになります。クラシックをのんびり聴くのも好きなのですが、今みたいにあせっている時には「ちんたらやってんじゃねーよ」と毒づきます。そんな中でやはり癒されるのはGarfunkelでした。そう、Simon & Garfunkelの片割れ。先日ミュージカルバトンが渡ってきた時に、答えのひとつとして入れた「Angel Clare(天使の歌声)」を聴いたらスーッと気持ちが落ち着いてきました。


「Angel Clare」

特にソロの1stアルバムであるこのアルバムはガーファンクルの魅力が一杯で、何千回聴いても飽きないですねぇ。

ついでに

「PinkFloyd」

PinkFloydもお勧め。写真は左が「the Darkside of the Moon(狂気)」で中が「Atom Hear Mother(原子心母)」右が「Wish You were here(炎(あなたがここにいてほしい))」だったかな。これらも聴いていると気持ちが取っても楽になるリラクゼーション効果抜群のアルバムです。

今日は家で仕事をしていますが、ちょっと合間にこんなのを(全部じゃないですよ)聴いてほ〜っとしていたところです。もし、興味がある人は聴いてみてくださいね。
(それにしても、Pinkfloydの「The Darkside of the Moon」は1973年発表以来570週間全米チャートにランクインし続けていた怪物アルバムです。私としてはプログレッシブロックの王道とはこれだと思うんですがねぇ…

映画評ではずっと活用をしているのですが、こちらでもと暫く前にamazon.comの申し込みをしていて申請は通っていたのですが、漸く使う機会に恵まれました。別に買うてくれと言うつもりは毛頭ありませんが、画像をクリックした先に視聴できる曲もありますし、気軽に楽しんでやってくださればつけた甲斐があったと言うものです。

さ、仕事に戻ります。

2005年09月01日(木) 気の滅入る話ですが

相変わらず、一日遅れの雑記更新…ま、帰ってくるのが日付の変わった後なので仕方ないんですが、今までは、帰宅してすぐ書いていたのに、今は帰宅したら仕事をするか、寝てしまうのでどうしても「ちょっと日付が変わっただけだかんね」と言うレベルではなく「思いっきり遅刻じゃん」と言うレベルになっていますが、まぁ、それはご愛嬌ね。しかし、そんな状況では無理して話題を探しているような状態なので、そんなだ分につき合わせるよりは思い切って書かないほうが正解なのかもしれないなぁと思いつつ今日も書く…

ただでさえ一日が仕事漬けみたいになっていてストレスがたまっているのに、自分の映画ブログでまた変なコメントが…
コメントの内容自体はまともです。エッチな宣伝とかそんなものではなく、私が書いたことへの批判と言う内容でしょう。でも、残念ながら、的外れな批判のように私は感じました。ストレスがたまって心に余裕もありません。更に「それがマナーって言うもんです」と書き捨てられているのも見て、「非常に迷惑をしています。〜それがマナーってもんでしょ」と切り替えしてしまいました。その人がこのコメントを見るかどうか分かりませんけれどね。
基本的にはどんな批評も受け入れます。かくなとは言い(え)ません。
けれど、自分の主張をしたいなら、私のところでコメントを書くのではなく、自分のところで展開して欲しいものです。私の事をどのようにこき下ろすのも自由です。でも、反論する気にさえならない文章を延々と読まされる身にもなって欲しいものです。ま、どこに何を書いても「自由」らしいんですけれどね。
先日も書いたし、そのコメントにもかいたのですけれど「読解力のない人の相手はとても疲れます」…まぁそうかいてしまうと自己中心的なのは重々承知しています。相手が理解できるようにきちんと表現をしていない自分も悪いでしょう。それは認めた上でかいてしまったのは余裕がないという事の表れなんでしょうねぇ…ちょっと自分をどうにかしないとなぁと思った次第です。

(09/02の)朝から滅入る話を書いてごめんなさい。

あ、本当読んでいて気が滅入ると思いますから、映画評の当該コメントは見ないことをお勧めします。


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