The Green Hills of Earth
実は9月1日の朝に書いています…
WebブラウザのOperaが10周年だそうで、兎にも角にもおめでとうございます。 私は、兎に角IE、OutLookと言うものを使いたくなかったので(というか、私が使い始めた当初はIEの占有率なんて一桁にも満たない状況だったんじゃないですかね)、当初から(その当時はMacユーザだったし)Netscapeを愛用してきたのですが、最近ブラウザは「FireFox」、メーラーは「ThunderBird」に乗り換えました。その間には「Sleipnir」や「opera」なども使ってみたのですが、使い安いか使い難いかの問題ではなく、単に私がNetscapeに慣れ親しんでいたため、違う操作方法のブラウザになれるのに時間を要したという意味で使い切れなかったんです。
IEは使いたくないと言いつつ、IEのエンジンを使わないと表現のできないページはかなり多いんですよね。これは問題になるべきなのですが、大企業のクレジット関連のページだとかもIEでなければ正しく表示されないなんてところもあります。本来ブラウザに依存するような機能はある意味「公共」の場にはつけるべきではないと思うのですが、「外見」を気にして本来の機能を軽視するのは仕方ないことなのかなと疑問を持ちます。 そんなこともあるので、「IEは削除してしまう」という事もできずにおいてあります。身近なところでは私がこの雑記を載せているエンピツもIEじゃないとプレビューが動作しないんですよね。困ったものです。で、Netscapeから乗り換えるにあたって、その辺りがクリアされている奴があると良いなと思って探ると、Operaはクリアしているのですが、残念ながらOperaは無料バージョンでは勝手に宣伝が入ってしまうんです。で、お金を払うとその広告が出ないバージョンにできる。まぁただで使わせてもらうなら広告くらい我慢しろとも思いますが、そういうのをしばらく使っていないので抵抗があったわけです。
で、Operaの10周年。その広告の入らない、本来なら有料版を10周年記念という事で、期間限定で無料ダウンロードができるようです(link)。 今はFireFoxに絞ったと決めたはずなんですけれど、ついつい私はダウンロードしてしまいました。果たしてこちらに乗り換えるかどうかはまだ分かりませんがね。 「Opera…好きだけど、広告があるのはいやだなぁ」と思っている人、いつまでかはわからないですが、広告なし版を手に入れるチャンスは今ですよ←終わっていたらごめんなさい。
2005年08月30日(火) |
野党に価値はあるのか… |
総選挙が始まりましたね。
各党ともマニフェストとか言うできもしない絵空事を提示して煙に巻こうと一生懸命になっているのがいとおかしと言う状況に見えます。 今回の選挙では野党が「自民党の限界が見えた」などと郵政民営化で意見を統一できなかった自民党を槍玉に挙げ、自分たちの政党が議席を伸ばすチャンスだと声高に叫んでいるようですが果たしてそうなんでしょうか。
8月8日「郵政民営化」11日「深く反省して路頭に迷いたまへ…」あたりでも書いたことですが、私は郵便事業は民営化するべきだと思います。国鉄が民営化するのに最後まで抵抗したのと一緒で、今まで仕事をしなくても首になる心配のない安定企業だったところが、突然明日にはリストラされるか分からない状況に陥るのですから大反対するのも無理はありませんよね。で、民営化するのは無理だとか、様々な難癖をつけて抵抗をしたのですけれど、結局は未だ潰れた会社はないでしょ。確かに赤字路線を切る必要があったので、その部分は第三セクタになったり路線バスに変わったりもしましたけれど、大体一日の乗降客が両手の指で数えられるようなところに線路を敷いたほうが間違っているのです。
郵便事業が民営化することにどんな不具合があるのでしょう。 郵便も同じに赤字になるところは切られるなんて言う人がいますが、そういう事をしたら他の民間業者が淘汰していくでしょ。あまりにもカバカバしい愚かな想像力のない公務員の考えそうな話だなぁと思う次第です。 それ以外にどんな弊害がありますかね。結局は今郵便業務についていて、民営化したらリストラされる心配をしている人と、郵政畑を歩いてきて、そこを票田としている人以外にいるんでしょうか。あ、後はありもしない戯言に惑わされて心配している人たちでしょうかね。
野党の人たちはかなりの票が自分たちに流れると思って強気の発言をしています。が、彼らの抱負とかマニフェストとか言う奴を聞いても、今までと同じで「どうやってそれを実現するの?」という「どうせ実現できない野党だからこそいえる夢物語」を語るか「自民党の揚げ足」を取るか「郵政問題なんてくだらないこと」と騒いでいるだけで、まともなことは何一つ言っていないような気がします。先にリンクしたところでも書いていますが、「あれもこれも実現したいことはある中で、手をつけられるところ、つけなければならないこと」として郵政問題を挙げたことは評価できる事だと思います。そこを票田としている議員がいて、癒着をして正しい判断ができない省庁と議員と国民の関係があるという事は、絶対に正しいことではないからです。それにメスを入れるというのは簡単なことではないです。だからこそそこに手をつけようとしていることに評価をしている訳です。ところが与党のやっている事だから反対をするという考えなしの野党の政策がこれを妨げているのだとしたら、野党の存在自体が私は悪だと思います。野党は「なぜ反対なのか」を明らかにすべきです。しかし、彼らは「これ以外にもやること、やらなければならないことは一杯ある」というだけです。やりたいこと、やらなければならないことはたくさんあるでしょうけれど、なぜその中の「これ」を今やることに反対をしなければならないのかの理由が全く明確ではありません。私は何度でも言いますが、基本的には「アンチ自民党」です。しかし、こと今回の一連の郵政問題に関して、今度の総選挙に関して言うなら、野党は「国民に真価を問う」といいながら、全くの無策で、今までどおりくだらない戯言を言って政治をもてあそんでいるとしか思えません。大阪や北海道では犯罪を犯した人たちがまた立候補をしてきているようです。あまりにも国民を舐めていますね。罪を犯した人でもやれるとかそんな問題ではなく、本人に人間としてのモラルがあるなら、立候補をするなんてできない事だと思います。人間の尊厳を捨てても取るだけの甘い汁がそこにはあるという事なのか、それとも、他に再就職できる場所がないから固執しているのかどちらなんでしょう。
あまり興味のない人が、マスコミが面白おかしく書きたてる「刺客」などの言葉のイメージに誘導され票が割れるかもしれません。でも、私が感じる限りでは、この選挙で野党が票を集める何らかの新しい魅力は全くなく、単に甘言を弄してこぼれたものを広いあさろうという浅ましさしか感じられません。これで野党が議席を伸ばしたら本当お笑いだなぁと思うのですけれど、果たしてどんな結果になるのでしょうね。
国土交通省が熊本県に計画している川辺川ダム建設問題で、同省が申請していた県収用委員会の審理が始まりました。が、同省は収用委員会から求められていた新利水計画を反映したダム変更計画を示せていないため、このまま審理が終結した場合、申請は却下されダム計画が頓挫する事になります。
乱暴な言い方をします。日本の地方に巣食う議員はハイエナです。北海道で懲りもせず新党を立ち上げて議員に戻ろうとしている推定犯罪者などが良い例です。あれは国会議員と少し大きめですが、地方議員などは、自分で仕事を決めて、その仕事を自分の関係する会社に請け負わせて金を搾り取る仕組みを牛耳っているのが多いのです。そしてその親玉である国会議員と、それに頼まれて、袖の下をもらって、無駄な工事を合法的にしてしまう省庁の役人が組んで、日本は無駄な利水工事、治水工事の天国になっていたんです。いや、なっているんです。 どうか興味のある人はダム年鑑と言う本を買ってみてください。この狭い日本でどれだけのダムが計画されているか。そしてその内何割が何の役にも立たない、単に雇用を生むためだけのダムなのか… 自然なんてあっても金にならない。そんなものは壊して金になる工事をしろ。それで災害が起こったらまた金になるから良い事ずくめだ。というのがそれらの人たちの考えです。議員にしてみれば、出稼ぎに行かないと生活費も稼げないような過疎の町に無駄な工事を持ってきて、それで「あなたたちが出稼ぎに行かなくても良いように、工事を引っ張ってきました」と言えばもう神様です。そんな理由で工事は行われます。そういう事が公になり始めたのが長良川河口堰工事の頃でした。結局、あの工事の悶着で、建設省は「川は建設省のもので、建設省が白といったら白なんだ。俺たちが世の中を動かしているんだから、俺たちが決めたことに反対するとはけしからん。絶対にプライドにかけても反対は潰す。意見が正しいかどうかなんて二の次だ!」と言う理論しか持っていない低脳集団だという事が暴露されてしまった訳ですよ。ええ、彼らの名誉のために言っておけば、水資源開発公団や建設省の役人の中にも何人かはまともな尊敬できる人がいます。でも、そういう人たちは出世街道からは外れているようで、結局常識のない人たちが出世していけるという不思議な世界のようです。
兎に角、役人や議員などが揃って虚栄心と自分の懐の為に工事を決めていくので、日本の自然環境はどんどん駄目になるし、山は保水力をなくし、川はあふれやすくなり、最近の災害の多くは人災といっても良いんじゃないかと思えるくらいです。 反対派の意見の声が大きくなってきたけれど、まだ何とか役所のプライドが勝って、無駄な工事は中止されないことが多かったんです。小さな工事では見直しなどが決まった例もありますが、この川辺川ダムはかなり大きな計画だっただけに、中止になることはとても大きな意味があります。特に、役所が最初は「農業用水の確保」の利水目的としてダム建設計画をでっち上げたのに、行政訴訟で「国の集めた同意数は必要数を満たしていない」と認められず、別の利水計画などをでっち上げようとしていたのですが、良い案が浮かばないまま今日に至ってしまったという事です。 この川辺川ダムの計画で、五木の子守唄の五木村や自然の残る優良河川が潰れる筈だっただけに、本当この計画が中止になれば自然愛護派は大きな一歩を踏み出したと言えるんじゃないでしょうかね。腐った役所のくだらないプライドで、自然が破壊されていくのは本当に許されるべきことではありません。省庁とは100年の計を念頭に置いて、景気に左右されず長い目で計画を立てて実践していくべきところです。しかし、彼らは目先の利益に踊らされ、全く日本の将来を憂えるという気概がありません。だとしたら省庁は存在意義がないのです。それこそ国土交通省も解体し民営化すれば良いのではないでしょうかと言いたくなります。
兎に角、くだらない虚栄心をプライドと履き違えた阿呆な役人どもが敗北を喫した記念すべき日となる事を祈っています。
私はどうもダム建設などの話になると理性が飛んでしまいます。 彼らの名誉のためにもう一度書いておきますが、本当の阿呆はそんなに多くありません…いや、阿呆じゃない人は少なくありません。阿呆の数は把握できませんから。一緒に仕事をして感心させられることが多かった人はかなりいました。でも、役所全体で見ると、それが集団のヒステリーなのか集団と支店のダイナミズムと言うものなのかは分かりませんが、兎にも角にも、個人ではすばらしい人が多いのに、役人と言う塊になるとどうしようもない理不尽な理屈がまかり通る土壌ができていたのを実感しています。
兎に角、「農民の分際でお上に逆らうとはけしからん。切り捨ててやる」といわんばかりの役所の態度に、今回の判決が一石を投じる結果になればと思います。もう結果はでているはずなのですが、怖くて見られません。ですからもしかして頓珍漢なことを書いてしまっているかもしれません。これを書き始めたのは昼頃で、今は23時。何度も書き直して、感情的な部分を削って削って削って…そんな苦労をした文章です。
これらの役人はちょっとでも災害があると「災害を防ぐため」とダムや堰を作りたがります。「そんな災害何年も起きていない」というと「何十年に一回の大災害を防止するため」と良い、何十年も起きていないといえば「何百年に一回の…」といいます。しかし、本当に必要なものは少ないのです。ダムをつくるより山を整備して山の保水力を持たせるべきなんです。無駄なダムを壊して、無駄な護岸壁を壊して地下に水が浸透するようにすべきなのです。無駄な工事をするから無駄な災害が増える。それを災害が起きたから工事をするとすり替えていることに気付いて欲しいものです。どうか、この狭い日本を少しでも住みやすくする為、役所の工事にはもっと興味を持って目を光らせて欲しい。そう願ってやみません。
結果を見られないと良いつつ見てしまいました。結局案は出ず「取り下げを勧告した」という事のようです。 これについて…国交省の宮田年耕・九州地方整備局長は「球磨川流域の治水上の必要性、緊急性から川辺川ダムは一日も早く完成させる必要がある。関係者と調整し最善の対応を検討したい」と、あくまでダム建設を続ける意向を示した。(毎日新聞より抜粋) と言う意見があったとかかれて居ますが、計画から39年経過して着工すらしていないダムのどこに「緊急性」や「必要性」があるというのでしょう。 こういう実情とそぐわない意見を恥とも思わず言い切れるその面の皮の厚さがないと勤まらない職業なんでしょうねぇ…本当大変な仕事だと思います。
2005年08月28日(日) |
似ている… / カーナビの修理が終わりました / デジカメのレンズ |
テレビのニュースで、サッカーの三浦知良が移籍後初ゴールをあげたって事を取り上げていました。まぁ、おめでとうございます。
んで、そのインタビューの三浦選手の目、(大変失礼で申し訳ないんですが)恐喝未遂で逮捕される前の萩原健一の目とそっくりに見えました。なんかすご〜く怖い目でした。 ファンの方には深くお詫びいたします。
今月の初めくらいから、車のカーナビ用モニタが壊れていたんです。収納式(エンジンを止めると格納されるタイプ)なのですが、エンジンを止めてしばらくして、モニタをしまう動作に入るとガリガリと音を立てて途中で止まってしまう。実は冬の頃にも手で軽くアシストしてやらないとモニタが起き上がってこないという現象があったので、そろそろ寿命なのかもとは思っていたのです。お盆の時期に修理を出すのも無駄なので、お盆があけてから修理に出していたのですが、モニタだけではなく、カーナビ本体も(3年の)保障期間が切れる前に整備してしまいましょうという事で出すことにしました。 その修理が終わったと連絡が入ったので取り付けてきました。交換した部品…- モニタの筐体下部(画面引き出し用レール一式)
- カーナビ本体の冷却ファン
- DVDドライブ
今時の機械部品はこまごました部品をちまちま変えるのではなく、アッセンブリ交換といって、大きな機能単位のブロックごと交換してしまう事も多いので、レール交換の部品が大きくてもびっくりするには値しません。けれど、冷却ファン異常とかDVDドライブ異常ってなに? このカーナビを買ったのは2003年10月25日。ほぼ2年って事ですが、その間に壊れちゃうもの? とりあえずは新品に換わったので良しとしますが、やはり車載の精密機械ってちょっと怖いなぁと思ってしまいました。
デジカメ専用設計レンズと言うものが増えてきました。フィルムカメラよりデジカメが主流になりつつある今、そういう事は仕方ないのかなと思ってはいるのですが、果たして買うのは正解か疑問です。
ものすごく乱暴な言い方をしたら「デジカメ専用設計レンズ」と言うのは三流レンズメーカーにとっては救世主でした。35mmフィルムサイズの規格(以下35mmと書きます)で出すレンズは、その周辺部(光の屈曲率が大きくなる部分)で画像がひずんだり、色むらが現れてしまい、三流の名前を欲しいままにしてきた訳ですけれど、一眼レフデジカメは素子のサイズがAPSサイズ(35mmの2/3)である以外は35mmと同一規格ですので、三流メーカーのレンズが苦手とする周辺部分は画像に影響がない事になる訳です。比較的性能を出せる中心部分だけで勝負ができるようになったおかげで、三流メーカーのレンズからも「名作」と言われるレンズが出てくるようになりました。←御幣がある書き方です。このままこの記事を鵜呑みにしないでください。これはあくまでも素人の人にもわかるイメージを書いているのだとご理解ください。
それはそれで市場が活性化するという意味では歓迎すべきことなのでしょうけれど、今、一眼レフデジカメのハイエンドの方では35mmサイズのCMOSが採用され始めています。 先にも書きましたように「デジカメ専用設計」のレンズは受光素子がAPSサイズの時に性能を発揮できるレンズです。もし、受光素子が35mmサイズになったとしたら、このレンズは使い物にならなくなるという事です。そしてデジカメ自体は何年かすれば買い換えていくものかもしれません。しかし、レンズ自体は長く使うものです。少なくとも私の家にあるレンズは20年を経過したものもあります。つまり、今だけを見て「デジカメ専用設計」のレンズを買うのは問題ないのですが、将来どうなるのかを考えた時、今「デジカメ専用設計」レンズを買うのはとても危険なことではないかと思えるのです。 既に「AF-S DX Zoom Nikkor ED 12〜24mm F4G」と言う専用設計レンズを所有していますし、次に欲しいと思うレンズは「AF-S DX Zoom Nikkor ED 17〜55mmF2.8G」と言うやはり専用設計のレンズです。 果たして今をとるべきか、それとも将来を考えるべきか、悩むところです…まぁ当面は如何に貧乏を脱出するかの方が深刻な問題ですが…
2005年08月27日(土) |
答えはいくつもあるでしょ…(2005/08/28 大幅に加筆修正しました) |
ネットの中では良く「ブログはどうあるべきか」「コメントやトラックバックの礼儀は?」なんて話が飛び交っていますね。
正直に言って、私はそんな話には「はぁ…」とため息しか出てきません。 京都の人なら豆腐しか食べない。大阪の人なら毎食たこ焼きとお好み焼き…そんなはずがないのと一緒で、人それぞれ考え方も違いますから「ブログに書いているから」「トラックバックをするから」というだけで1つの画一的な答えが得られるはずがないんですよ。 例えば、「トラックバックをする時は、自分の文中でもリンクをするべきだ」と言う意見を持つ人も居ます。でも、私はそうは思いません。私は自分のところでもページの頭に書いているように「リンクなどはご自由にどうぞ」としています。(ま、そう書いたのがブログなんて現れる前なので「今」に対応していないのは許してくださいね) で、私は自分が書いたことに人がどのような意見をもたれるのも自由だと思いますから、どうぞ勝手にどこででも紹介してくださいね。好きにリンクして結構ですし、意見を述べるのも自由ですよと思っています。ただ、今までに2回程怒った事があります。 一度は(多分)テキスト庵の常連さんのような方が、私の書いた「本来インターネットは一般の人が使うものじゃなかった。だから、素人だから知らなかったではすまない部分があることを知るべきだ」という旨の記事を見て、テキスト庵の掲示板で高いところから見下ろしているような感じで「えらそうで生意気」なんて書いていたのを見て腹を立てた(いかにも自分たちが基準で、あいつは分かっていないんだと言わんばかりだけど、そりゃあんたたちの勝手な基準でしょって思い。ま、雑記を書き始めたばかりの頃だったので、つい分かってもらおうと無駄な努力をしたんですよ。今なら無視するか、自分の雑記の中で切り捨ててお仕舞いにするでしょう。どうぞご自分の世界で悦に入ってくださいってね)のと、名前が出てこないけど、関西系の女性ジャズシンガーがあんまり好きじゃないって書いた文章をどこかの非常識な阿呆が、丸ごとその人のHPの掲示板にコピーされた時ですかね。「こんなことを書いている人が居ましたよ」とリンクでもしてくれたら何もいう事はないのですが、適当な名前で、何の説明もなく、単に文章の丸ごとコピーとご親切にも私のページのURLを貼り付けたのです。ファンの方は不愉快な思いをしたでしょうけれど、私もびっくりしました。このような事がまた起こったとしたら、一応説明はするとは思いますけれど、このような非常識な人が現れて欲しくはないですね。とめることはできませんけれど。
私は松田聖子が昔から大嫌いでした(いや、「です」ですね。現在進行形ですから)。音痴で自分の歌の出だしさえ分からないような音楽の才能のないタレント…それが最初の頃のイメージでしたし、年をとってからは歌はまともになったようですが、私の好みになることは全くありませんでした。でも、多くの人は松田聖子と言うと大ファンですと言っていた時代もあったわけですよね。好き嫌い、趣味の良し悪しなんてその人の主観です。それをどうして押し付けようとするのか、なぜ、人の好みが自分と違うからといって攻撃しようとするのか、なぜ、自分の趣味が全ての中心になるのか私にはそれが理解できません。
トラックバック…私もいくつかブログのページを持っていますし、人様のブログにトラックバックをすることもあれば、トラックバックを受けることもありますし、コメントを書くこともあります。でも、トラックバックをしたから文中にコメントを「書かなければ」とは思いませんし、そうされなかったからといって怒るつもりもないし、ましてや、自分がトラックバックやコメントをしたのに、お返しされないからと怒るつもりなんて端からありません。 トラックバックをすることにどんな意味があるかって、確かに「あなたの書いた事に対して、私はこう思いますよ」という事をその人の文章を見た人にも伝えて、あわよくば自分のところも見て欲しいという意思表示なんでしょうけれど、私の場合、映画評のブログでのトラックバックが多いのですが、映画評を求めてくる人は1つでも多くの人の意見を見たいと思っている人が多いように思われます。ですから、1つのブログに辿り着いたら、そこから多くのページに飛ぶことができるトラックバックがたくさんされていることはとても有効だと思っています。 私を例に取れば、自分の映画評のページで先日書いた記事では10個のブログにトラックバックさせてもらいました。闇雲にトラックバックをするのではなく、自分が映画タイトルをキーに検索して見つけたブログの記事を読んで良いと思ったものにトラックバックをするわけですけれど、トラックバックするときにコメントは殆ど書きません。10箇所の同じ映画を見た人に10種類のコメントを書くのは至難の業ですし、同じ感想を入れるのはそれこそ失礼だと思っていますし、何より、映画評ですから、自分の意見は自分のところで展開していると分かるでしょうからです。相手がそれを見て、認めてくれたらトラックバックをし返してくれることもあるでしょうし、少なくともトラックバックを削除することはないでしょう。どうしてもいいたいことがある場合、トラックバックだけではなくコメントを残しますし、逆にトラックバックしかしていなくてもコメントを返してくれる人も居ます。
このように、映画ブログでは、「トラックバックとは1つのカテゴリの意見に対する、意見の集合」と言う認識が成立しており、トラックバックをする度いちいちわざわざコメントまで残して行けなんて「愚かな」悪習は影も無い様に思われます。日記と映画評は違うという人も居りましょうが、私は同じだと思いますね。 Bさんが日記を書いた→AさんはBさんの書いた文章に意見を持った。→Aさんは自分の文章をBさんの文章にトラックバックをした。 でも、Aさんは「Bさんの日記を見ました」と書きたいのではなく、自分が考えた記事と良く似た(又は全く正反対の)意見を持つAさん及びその読者に、こんな考えを持つ人(自分)も居ると知って欲しいと思っただけ。そんな状況だってあるでしょ。 「コメントを残さないのは、人の家を土足で踏み荒らすようなもの」とか過激に敏感に反応されている人も居ますけれど、トラックバックをそのまま残すか削除するかは、トラックバックされた文章を書いた人(Bさん)に選択権がありますし、削除をしなくても、トラックバックされたAさんの文章へ飛ぶかどうかは、Bさん及びその文章を読んでいる人が自由に選択できることです。 Aさんは自分のページをその日記にトラックバックをして、自分のページへ飛ぶチャンスを作っただけで、来るかどうかについては全く強制力を持たず、その選択権は常にそこを見ている人たちが持っているのです。それこそさっきの例にたとえるなら、「ごめんくださーい」と入ってきたセールスマンに対して「そこは私の家の玄関です。誰の許しを得て入ってきたんですか。警察を呼びますよ。キーッ」ってヒステリーを起こしている状況なんじゃないですかね。迷惑なら削除をしてお引取り願えば良いだけです。また、このトラックバックをデパートなどでの実演販売に例えれば、文章を書いたBさんはデパートで実演販売(トラックバック)の可否を決める人。そこを読む人が観客である訳です。嫌なら許可しなければ良い。許可をしたなら、それを見るも、感心して商品を買うのも、そしてくだらないと立ち去るのも完全に観客の自由でしょう。 あまりにもヒステリックに自分の庭なんてテリトリを決めて、自分の決めた基準を人様も分かっているのが当然だという態度をとることの愚かさが理解できれば、これらの議論が如何に不毛で無駄でくだらない価値のない話か分かろうというものだと私は思います。
私は明らかにエッチページへのリンクとかそういう自分が見ていて不愉快なものは、自分が不愉快になりたくないので見つけ次第削除しています。それ以外はどんなものでも基本的に削除はしません。映画評の中でため息が出るくらいのものもありましたけれどね。意見は違うし、頓珍漢だと思っていましたが、其れでも価値のある意見をしてくるなら対応はします。それが「もう書き込まないで下さい」という事であってもね。また、自分が書くコメントに基本的にはURLを残しません。それは「匿名性」という事を武器にして好き勝手を言いたいというのではなく、そこにURLを書くことがある意味自分のページの宣伝行為になるのではないかと思えることが嫌だから、自分はこんなページを持っているという宣伝なしに、その場だけの自分と言うキャラクタで意見を書きたいと思うから、私は自分のコメントにURLを書かない事が多いのです。でも「URLを書かないのは卑怯だ」とまで言うセクトもあります。
どうやったらそこまで曲解できるの?と思う「読解力のない人」「曲解して難癖をつけるのが好きな人」「騒動屋」と思われるがいます。でも、それがどんなに頓珍漢な意見であれ、まともな話をしようとする痕跡があるなら、読解力がないと決め付け見下したらその人の負けだと思います。自分の説明のしかたが悪い部分もあるでしょうし、言葉だけで想像をしたらどこで横道にそれていくかなんて分かったものじゃありません。自分を基準に考えてしまうと、常に「読解力のない人」「意地悪な人」だらけになってしまうように思います。そりゃ神経もピリピリするだろうなぁと思ってしまうわけですよ。
ごちゃごちゃと長いこと書いてしまいましたが、自分が世界の中心だと思うことは危険です。自分の書いたことが正しく相手に伝わらないこともあるでしょうし、気に食わないことを意見としてもらうこともあるでしょう。でも、それは「あり」だと思うべきで、あって欲しくないことなら書かないのが正解だと私は思います。自分は好きなことを書くけれど、それについて自分の気に入らない意見は書かないでって言うのはわがまますぎますよね。 そして、トラックバックやコメントのやり方についても、まずは相手がどのような人なのか、そして自分が書きたいことの性質はどんななのかを考えれば、臨機応変に対応できるんじゃないでしょうかね。それが失敗だったとしても、次に生かせばいいんじゃない? なにか「たかだか」の話をどうしてこんな大げさに、いくつもの答えがある事をたった一つの答えしかないかのように騒いでいるのか、私には理解できないものです。
途中、ちょっと眠くなったのか寝ぼけた訳の分からない話がまぎれていたかもしれません。が、書き直すのは面倒なのでこのままにしておきます。わかる人が分かってくれたらいいです。それだけです。
2005年08月26日(金) |
運の向きは… / はてな |
まずは、運は平行線か下降線か、はたまた上昇を続けているのか…の報告。 今朝も、一昨日の美しいじょせいが隣に立ちました。今回は胸を押し付けられることはありませんでしたが、隣にいて密着した状態…運がいいのかなぁ。で、帰りは(断っておきますが、私は全くその気はありません)とても美しい男性の隣になりました。年のころは二十歳前後なんでしょうね。本当にバランスの取れた体型ときれいな頭(髪が短いので頭の形も良く分かる)、そして整った顔立ち。はぁ…最近の若い子は背が大きくなっただけじゃないのねぇとため息。運良く列車では座れて、並んでいる間も座っている時も隣同士だったのですけれど、女性に触れているのと同じでドキドキしちゃいました。男でドキドキするなんて初めての経験でした。これって運はどっちを向いているのでしょうね。ま、平行線ってことにしておきましょ。
はてなアンテナは利用していますし、そういえばその昔は「はてな」って方で質問に何度か答えてポイントをもらった気がします。が、それをどう利用していいか分からないので、いつの間にか遠ざかっていたんです。
今日、たまたまアクセス解析を見たら「はてな」から飛んできた人が数人いらっしゃったようです。何でそんなところから?と辿ってみたら、「CF-W2のHDを交換したいけど、情報を求む」って質問をしていた人が居て、その答えとして、私の所を紹介していただいたようです。 私が初めて分解に挑戦した時は、こういう事が大好きな人に手伝ってもらって(いや、正確に言えば殆どを任せて)分解したのですが、かなり時間をかけてインターネット上の情報を集めたのですけれど、結局手に入れたのはA4の用紙1/3程度の文字情報のみでした。そのどうにでも解釈できそうな文章を頼りにあれこれ試行錯誤したんですよ。成功するかどうかも分からなかったので、最初の分解の時は写真なんて撮る暇はありませんでした。後からほんの少しだけねじを外して「こんな感じよ」と紹介したに留まりました。それが去年の11月のことでした。そして今年の5月、CF-W2のHDがクラッシュしたため、2度目の分解をした時は、余裕を持って撮影しながら記事を書くことができました。余談ですが、実は3度目の分解がありました。慢心からいい加減に組み立ててしまったためちょっと不具合があり、分解して組みなおすことになったのですが、そこでも慢心して、自分でも「気をつけろ」と書いていたのに、CDの蓋やパワースイッチをはずしてしまうというトラブルに見舞われました。おかげ様で、それらを組み立てる自信もつきましたが、正直に言って今はCDの蓋は何回かに一回開き渋るようになりました。指で少し蓋を持ち上げるようにしてやると問題なく開くのですけれど、時々うまくラッチが開放されない時があるようです。ですから改めて申し上げますけれど、分解をされるときはくれぐれもスイッチ類を分解してしまわないように気をつけてくださいね。
兎に角、自分が苦労したところは写真に撮って説明を加えたつもりですから、参考になるだろうという自負はあります。そのために書いたんですからね。そして質問された人も満足されたようで嬉しい限りです。 一応、そのときの記事にリンクしておきますね。興味がある人はどうぞご照覧ください(link)。
最近は仕事のことで頭が一杯で(仕事に命をかけているわけではなく、意に反して思ったように仕事が捗らないため苦しい思いをしている)、台風が近づいてきているなんて全然知りませんでした。昨日は雨が降りそうな天気だったのですけれど「気合で雨を降らせない」と決め傘を持たずに出社。結局雨は殆ど降ることなく、私の気合勝ち。でも、今日は朝から雨が降っていたので傘を持って出社。いや、別に傘を持つことが嫌いなんじゃないんですよ。単に先週カバンを買い換えたのですが、大きなカバンを買うと資料を一杯入れてしまうので、B5ノートパソコンと小物がすれすれは居る大きさのカバンを買い求めたらPanasonic CF-W2及びACアダプタ/PENTAX OptioX(デジカメ)/歯ブラシセット/本に後はめがね拭きを一枚入れたところで殆どカバンの容積を使い果たしてしまって、店では「折りたたみ傘の入る余地が全く無いんですもの〜」っていう事に全く気付かなかったのです。大失敗。そんな訳で今までは雨が降るくらいなら槍が降るでしょうというくらい雨の確立が0%の時でも常に傘を持ち歩いていたのに、今は「雨は気合で止める」に宗旨替えをせざるをなくなった訳ですよ。ただそれだけなんです。だから今日のように朝からしっかり雨が降っていてくれるなら、折り畳み傘ではなく普通の傘を持ち歩けますから気合を入れる必要が無い分だけ楽なんです。
さて、最近は日々終電間際まで仕事って日が続いていたのですが、今日は台風が近づいているから早めに終わりましょうという事になって、19時過ぎには帰途に着きました。でも、帰る途中も今も、台風が近づいているという感じはあんまりしないんですよね。そして、私の家はまだそんなに古くない集合住宅ですし、その窓は防音サッシが入っていますので、並みの台風なら家に居る限りは「え?そんなの来ていた?」と言ってしまう位に外の状況は伝わってきません。って事は、大して台風らしい経験もしていないのに、台風のおかげで早く帰宅できたなんて本当に丸儲けをした気分ですね。それが凄く嬉しくて、ついついスキップをしてしまいそうになりました。早くに帰宅したのですが、結局ボケーっとしている間に時間は過ぎてしまいました。今23:55ですが、いつもだとまだ列車の中に居る時間かなぁ。 たまたまつけたテレビ、「どっちの料理ショー」をやっていました。ものすごく久し振りに見ました。一般視聴者が参加するようになってから、まともに見たのは初めてか2回目くらいだと思いますから。今日の対戦は「たこ焼き対焼きそば」私の中では「たこ焼き」の圧勝と言うイメージだったんです。でも、この番組、何でもかんでも「究極の食材」みたいな方向に持っていこうとするんですよね。たこ焼きや焼きそばなんて、その辺にある普通の素材を何の変哲も無い普通の道具で、その辺のおばちゃんが適当に焼いて作るのが一番うまい庶民的なも食べ物の代表でしょ。それをごちゃごちゃ能書きを垂れて作ったらうまいものもまずくなっちゃうわい。べらんめぇ。ってなものですよね。 私は最初は「たこ焼きが負けるはずがない」と思う位たこ焼き派でした。が、たこ焼きなのに「チーズ入り」だの「キムチ入り」を作ると紹介された時点でたこ焼きに何の魅力も感じなくなりました。確かに普通のたこ焼きで番組を持たせるのは辛いのかもしれません。でも、本場大阪のたこ焼きは「天かすが命」。その辺りをもっと掘り下げんかい!とか思うんですよね。結局、たこ焼きの事を殆ど知らない田舎もんの料理人が腕の無いところを奇抜さでごまかそうって言う、売れずにつぶれる店の典型的な道筋をたどっているだけじゃないんですかねぇと思えるやり方をしていたのが印象的でした。まぁ、どちらが勝ったかはここでは書きません。他の人がどう感じたかではなく、私は折角のたこ焼きをここまで魅力なしにできる、あの料理人(というのも嫌)の腕の無さに同情します。あ、それとこんな演出しかできない、プロデューサーの料理に対する才能の無さにもね。 兎に角それに脱力して、後はボーっとしていました。そんな風にできる時間があるのは本当に幸せです。さっき、庭を見たら朝顔が花をつけていました。明日の朝まで残っていて欲しいものです。
兎に角、今日は早く帰ることができたことで幸せ一杯。 そう、23日に通勤列車の中で女性に囲まれていて幸せと言う話を書きました。しばらく自宅で仕事、自動車でお出かけと言うパターンだったこともあって、列車でこういう幸せに遭遇する偶然に出会うことはとても久し振りでしたし、しばらくこんな幸運に出会うことは無かろうもんと思っていたのですが、実は昨日は更にグレードアップした女性が私に幸せをくれました。より私好みのスタイルの女性が私にくっついて来たのです。そして今朝は、更にグレードアップした、まるで私の理想がそこに抜け出してきたような女性が出迎えてくれ(?)更にはキャミソールの隙間から乳首がポロリのサービスつき…誓って言いますけれど、これは真実。そして、私は本当に女性の傍に行こうとは意識していないんですよ。これはもう宝くじを買うなら今しかないという幸運の時期なんじゃないでしょうかね。そんなおかげで徐々にではありますが仕事も悩んでいたことが分かったりして少しずつ動き始めたような気持ちだったんです。が、帰りの列車内は、周り中むさい男やオタクな男だらけ。乗ってくる女性もちょっと、その体型にその格好は無いでしょって人たちばかり…あ、運は使い果たしたんだな。と、ものすごく良く分かる幕切れを見せてもらったようです。はぁ、ま、いい夢見せてもらいました。
明日からは、もうこんな幸運は無いと覚悟はできました。ですから、今日は惰眠をむさぼる幸せをこれから楽しみたいと思います。台風様に感謝しつつおやすみなさい。
メガソフトのエディター「MIFES(マイフェス)」が発売20周年を迎えたのだそうです。
…こう書かれているのを読んでの反応は様々でしょうけれど、大別すると次の3つかな。 - 「何それ?」
- 「なつかしー!!」
- 「まだ売っていたの?」
マイフェスって言うのが何かはHPを見ていただくとして、私も当時は大変お世話になりました。C言語での開発などでは、そのテキストの整形などが大変役に立ちましたし、デバグでも一度にたくさんの窓を開くことができるので、なくてはならないエディターだったと思います。 そのマイフェスが発売20周年を記念して限定パックを出したのだそうです(link)。 Windows/Linux/PC-9800などの環境で動くマイフェスを1枚のCDに収めたのだそうで、今回は特別にWindowsのDOS窓で動くバージョンも同梱されるそうです。つい買ってみたい衝動にも駆られますが、値段が\39,900。先着何名様かには1万円ほど値引きするサービスもあるそうですが、それでもちょっと高いかなぁと躊躇してしまいます。大体買ったとしても、活躍する場が無いですしね。
某所の紹介文では「このマイフェスが最初に触ったエディタだった人は多かろう」と言う話を書いていました。が、残念ながら、私が最初に触ったエディターは多分「DynaStar」だったかなぁ。もしかしたら「WordStar」だったかもしれないけれど←知っている人は更に少ないだろうなぁ…
2005年08月23日(火) |
今日の天国のような地獄のこと / ニュースから(虫唾が走ること) |
一段落したと思ったのに、また終電間際の帰宅が続いています… 家と会社の往復なので、話題はあんまりないのですが、今日はなぜか行き帰りの列車の中できれいな女性に囲まれていました。私は車内では本を読んでいるので最初は全然気付かなかったのですが、何か気持ちいいなぁと思ったら、私の背中と腕に女性の胸が…これは自宅で仕事をしていたら経験できない天国(?)ですね。今は強がってこんな風に書いていますけれど、実際にその場では、どっちに逃げても女性にぶつかるというか余計に触ってしまいそうで、では動かないようにしようと意識すると余計動作が硬くなってしまって不自然になっていたような気がします。今更女性にちょっと触れるくらいで緊張するような年でもないのですけれど、やはりしばらく自宅で仕事をしていたのが祟って、免疫が薄れているのでしょうかね。嬉しいような地獄のような複雑な通勤時間でした。もう二度とこりごりと思う反面、また明日同じ状況になっても良いかな…不謹慎でごめんなさい。
ニュースからですが、昨年5月にイラクのバグダッド近郊を取材中に銃撃されて亡くなったジャーナリストの遺族が「海外旅行傷害保険の支払を『理由無く』拒まれた」として750万円の支払を保険会社に求めた裁判の判決があったそうで、東京地裁は「銃撃は反米武装勢力によるもので『武装反乱』によるものである」として請求を棄却しました。
遺族側は「軍隊などの指揮官にではなく、民間人に対する銃撃だから反乱ではない」と主張したらしいですが主張は通らなかったようです。そして判決が下った後は「銃撃版も特定できていないのに、反米勢力の仕業と判断するのはおかしい。フリーの貴社の仕事をやりにくくする判決だ」と言っていたそうです。
私の目で見たら、こんなことで保険金が下りるとしたら、保険会社は倒産しちゃうでしょうね。下りなくて当然でしょう。っていうか、この遺族の人って本当に常識のない人という以外になんと表現したら言いのでしょうね。治安が悪いところとしって、あえて取材に行っているのでしょう。それは今までにも何度も言ってきましたが自己責任です。他の人と同じような事をしている中で、確立の問題で自分に不幸の白羽の矢が当たったと言う時のために保険はあるのです。「フリーだ」「取材だ」とわざわざその囲いの中から飛び出しているのに、どうして囲いの中にいる人と同じ権利を要求するのでしょう。私にはその頭の構造が理解できません。都合が悪いと「フリーだから差別されている」とかそういう言い方をしますけれど、フリーだからとかではないでしょう。いや、どこかの企業に属しているなら会社の保障などがありますからフリーは確かに一番厳しい立場に立たされるかもしれません。しかし、企業に属さず一匹狼を気取っていたのは、それなりの役得があったからでしょ。自分で望んでそういう立場に居たのではないでしょうかね。自分の意思で取材に行って、自分の意志で危険な場所に居た訳で、フリーだから行かされた訳じゃないでしょう。様々な危険を承知の上で自分の意志で行ったのに、事故があったら他人のせいにするって言うのは、単に精神的に成熟できていないお子様なんですよね。亡くなった本人がどれだけの覚悟があったか分かりませんが、残された遺族がこうやって醜い愚かな騒ぎを起こしているところを見ていると、亡くなった人の価値まで下げているように思えてなりません。
治安の悪いところに言って、「民間人だから」って言うのは平和ボケした一番愚かでみっともない阿呆の台詞だと思います。アフリカでもアジアでも中東でも、その場に居る人たちは民間人だから攻撃されていなかったでしょうか。民間人であるかどうかにかかわらず、虐げられたり虐殺されたり、更には民族紛争の犠牲になったり、爾来の恐怖におびえているんです。それは兵隊だけではなく民間人も無差別な対象なんですよ。そういう人たちのことも考えず、平和な高い場所から下を見下ろして「民間人なのに打たれるのはおかしい」なんていうなら、平和な日本から外に出なければいいのです。こういう阿呆の言葉聞いているだけで虫唾が走ります。勘弁して欲しいものです。
2005年08月22日(月) |
テレホーダイから10年 |
10年前の今日、22日は「テレホーダイ」が始まった記念すべき日だったそうです。 それまでの課金の恐怖から23時を過ぎたら気ままにつなぎ放題…そんな開放感を夢見たあの日が懐かしいです。始まってしばらくしたら23時から25時くらいまでは通信が集中するためにものすごく遅くなってねー。私の住んでいる地域なんで、某アップル社の提供するプロバイダではファイルをダウンロードするのに6bpsなんて一桁台の数値が良く出ていたものでした。その遅さに、他の地域ではあるけれど「安定して速い」と伝え聞いたプロバイダに切り替えたら、アクセスポイントの電話番号が変わらない…良く調べてみたら、アップル社のプロバイダはそこの改選を間借りしていただけで、結局は何にも変わらないんだなんて事もありました。その間にもどんどん通信速度は上がり続けて、今ではうちですら(集合住宅タイプではありますが)100Mbpsなんてカタログ値が出る回線を使っています。私が仕事ではありますが、初めてモデムを使ったときは1200bpsでした。当時の最先端を行く業務をするためと称して4800bpsのモデムが登場した時は「おおぉぉぉぉ!」とうめき声とも悲鳴ともつかない「すげー」と言う声が上がったものでした。それに比べたら、その時も速くなったと思いましたけれどね、でも今と比べたらもう遅すぎて、あの頃が懐かしいとは思っても、あの頃に戻りたいとは思えないだろうなぁ。ウィルコムのPHSで「つなぎ放題定額だけど32kpbsだから遅いんだよなぁ」なんて言っていますけれど、32000bpsでしょ。当時は4800bpsとか桁が違うんですよ。
今しか知らない世代の人がある意味うらやましいという部分もあります。自分たちが苦労してきた事を全く知らずに、今の環境を当然のように享受していることって、私たち年寄りから見たら贅沢なことなんですけれど、彼らには当然のことなんですよね。ま、彼らが私たちの年代になった時は、その時に彼らの今のねんんれいの子供たちに同じような感想を持つのでしょうけれどね。確かに自分の時代と今の時代を比べたら、今がうらやましいと思うことは多々ありますけれど、それでも、私は私の生きてきた時代を否定はしたくないなぁ。夏になれば半ズボンとランニングシャツと言う定番の格好で、時にははだしで駆け回ったり、家の後の田んぼに入って長靴が抜けなくなってないて帰ってきたり、あちこちにあった空き地や廃屋の秘密基地をファミコンの思い出と交換する気にはなれないよなぁと思う訳です。ま、ファミコンも、その時代を過ごしてきた人には貴重な思い出だとは思いますけれど、私には少々新しすぎるってことで悪気は無いと受け止めてください。
まとまりのない話になってしまいましたが、つい、テレホーダイから10年なんて記事を見て懐かしくなったという事で、笑って許してやってくださいね。
この2ヶ月、仕事に追われてきましたが、今日はちょっと中休み。仕事を忘れて家でのんびりしました。夜になって近くのコンビニへ出かけ、銀行へ入金をしてきました。家を出てから、今日はF1をやる日だったのねと気付いて、折角そのために入っているスカパーでまたも見逃した事を知りましたが、地上波では今始まった時間。銀行は明日にして、今日はF1を見ようかなとも思いましたが、入金を終わらせてしまおうと思ったのが運の尽きでした。
コンビニの端末でお金を入れようとしたら一枚だけお札が戻ってきます。そして何度か試している内に「取り扱い中止」って出て止まってしまいました。仕方なくインターホンを取って話をすると「まずは本人か確認したいので名前を教えてください」というじゃありませんか。4月から個人情報保護法が実施されたんじゃなかったっけ?電話で個人情報を話せとは何のつもりだ!と腹が立ちました。で、そんなことは話しません。というと、今度は係りのものがそこにつくまで20分待ってくれと言うではありませんか。アホちゃうか。ってなもんですよね。銀行側はサービスを提供するのが仕事で、こちらはそれを利用しているだけです。トラブルは客のせいじゃない。なぜ、わたしが自分の時間を犠牲にしなければならないのでしょう。その一つ一つを取れば、とても小さなことですが、それがまとまって私の中のひとつの火山が爆発してしまったんです。「待ちません。そしてカードを銀行に送ってから郵送してもらうなんて冗談じゃない。連絡先を教えるから回収が終わったら届けてください。私は時間をこれ以上無駄に使いません」とだけ言って、自分の携帯電話の番号をメモしてもらってその場を去りました。
20分ほど経過してから回収が終わったと電話がありました。こちらに届けてくださいというと「個人情報をむやみに公開できないのでそれはできない」といいます。なんで?と聞くと回収をしたのは警備会社の人だからだというのですよ。そっか、そういうことを警備会社に任せているのか。じゃあ、配達は任せられないよなぁ(警備会社が信用できないのではなく、会社対会社の守備範囲があるからという意味)… しかし、さっきはあんな場所で個人情報をさらせと平気で言って居たのに、こういうところでは個人情報を楯にとって「それはできない」という…個人情報を保護するなら、徹底するべきです。自分たちが仕事をしない理由、面倒を客に押し付ける理由としてだけ利用するなら、それは「悪法」といわれても仕方が無いでしょう。 この企業、この系列母体がヤクザな会社だったら「ま、そんなもんだ」で終わりでしょうけれど、逆にこの業界のトップに君臨するような企業です。だからこそ、法律の扱い方は注意しなければならないのだと思います。まだ日本の企業には個人情報の扱いを軽んじていて、単に「法律で決まったから」と適当に対応しているような感じが見受けられます。「一杯だけだから」とビールを飲んで運転するような感覚なのでしょうね。
20年以上も前の話ですが、池袋の丸井で買い物をしようとした若者が居ました。その若者は自分のやりたいことのためにそれまでにも大きな買い物をいくつかしていたのです。そしてその日、丸井で欲しいものを見つけ、それを買い求めようとカードを差し出したところ、カードの照会をして帰ってきた店員は「お客様、この商品よりそちらの商品はいかがですか?」と言ってきたのです。勧められた商品は勿論その若者の欲しているものではありませんでした。たとえるなら15万円のDVDプレイヤが欲しいのに2万円のVHSビデオデッキにしませんかといわれたようなものです。「それはカードでは買えないという事ですか?」と聞くと「有体に言えばそうです」と答えます。「でも、支払いは滞ったりしていないし限度額も達していないのになぜ? どんな情報があるというんですか?」と聞くと、あろうことかその店員は「それは個人の情報なのでお教えするわけには行かないのです」というのです。「その個人とは私のことでしょう。なぜ、私の事をあなたが知りえて、私には教えられないというのですか?おかしいでしょ」と言っても話をはぐらかされ、結局若者は買い物ができずに終わってしまいました。それ以来その若者は一歩たりとも丸井に足を踏み入れていないのです。 その時代は、まだ個人情報は垂れ流しの時代で、今と比べるわけには行かないことは重々承知しています。が、個人の情報を横流しして買い物を制限する…これは見方を変えれば、最近ニュースをにぎわしている老人を狙った訪問販売と個人情報を悪用するという意味ではとても良く似ているんですよ。まぁそういうことが問題になったから、何十年という時を経て、漸く個人情報保護法ができたのだと思いますが、折角できたこの法律をまた企業が悪用する。これでは意味が無いと思いませんかねぇ。 業界のリーダーたる企業が率先して有効利用していかなかったら、この法律を誰が有効利用するのでしょうか。そういうことをしっかり考えて欲しいと思います>IYグループ殿 (ここに書いたことは事実であり、IYグループに対してはリーダーシップを取って率先して「客のための個人情報保護」を実施して欲しいと期待を込めて実名を書かせていただきました。また、丸井についてはそのあきれるばかりの話はまったくの事実ですので、誹謗中傷には当たらないと思っております。問題があればお知らせください)
昨日帰宅して嬉しかったこと。本当は昨日書きたかったのですが、感情的な垂れ流しになりそうだったので、一日置いてみました。
asahi.comの記事によると、日本テレビで放送されていた野球中継が例によって例のごとく間延びして21時までに終わらなかったのですが、日本放送は野球の中継を継続することなく、21時からはドラマを放送したとのこと。 その試合は、巨人ファンにとっては、その3連戦で巨人が最下位に落ちることを阻止する大切な1勝をあげた試合だったにもかかわらずです。
今まで何度も「ダラダラした試合しかしないプロ野球は見ていて腹が立つ」と公言してきました。ファンを魅了し夢を与えるのがプロであるべきなのに、ひずみの中で生じたゆがんだ人気の上に胡坐をかいて、金のことにうるさくファンをないがしろにする世界を当然と思う世界に甘んじてきたというのがプロ野球の構図でしょう。 巨人が低迷して巨人以外のチームが優勝争いをしているのに、テレビでは巨人のだらけた消化試合を放送していたり、有力な選手を全て金で買いあさって飼い殺したり…兎に角、野球に関してはひとつのチームに皆が依存するという商売として成り立つはずの無い構造を保ってきていました。まぁ、今そんなことをあれこれ言っても仕方ないのですが、そういう事が長続きするはずもないと私は思っていたのに、なぜか永きに渡って、そのありえない筈の環境は続いてきて「巨人は永久に不滅です」なんて大本営の放送みたいな戯言がまかり通った訳ですよね。しかし、漸く時代は私に追いついてきたのでしょう。兎にも角にも、そんなプロ野球を多くの人が見放し「メジャーリーグはみんな一生懸命やっていて面白い。それに比べて日本の野球は…」なんて今更ながらに言っています。でも、私はそれはまた違うと思うんですよね。私がプロ野球をも白く無くした戦犯を3人上げるとしたら次の通りです。 戦犯の銅メダルは元広島監督のコバ。大して強くも無いチームを優勝に導いたのはえらいかもしれません。しかしこの戦犯が、プロ野球のダラダラ化を方向付けたんですよ。ただでさえ長いプロ野球の試合時間。それを「負けない野球」だかなんだかしりませんが、終盤近くになると更にダラダラ時間を食いつぶして引き分けに持ち込み勝率を上げるという、勝ちには拘ったけど、ファンの気持ちは無視した野球を取り込んだ張本人です。銀メダルはカネノモウジャオチアイ。プロだから金に拘るとか抜かしていた阿呆です。プロだったら技術に拘れ。プロだったらファンを大切にしろ。そういう基本を一切飛ばして、金の亡者になる事の言い訳として「プロだから」を持ち出した張本人です。選手としては確かに立派な成績を残しましたし、今の中日を見れば指導者としても優れているのかもしれません。しかし、私が7年前「プロ野球が嫌いなわけ」を書いたのは、オチアイの「プロの選手なら内野ゴロで走るな」と言う愚かな発言がずっと腹に溜まっていたからでもあるのです。どんな人間であろうと、私はこの亡者の人間性には疑問を持ち続けます。そして金メダル…まぁ、いう必要も無いですよね。未だ世の中を戦前の時代と勘違いし、自分が世界を動かしていると思い込んでいる妖怪ナベツネです。野球に携わる経営者が結託してこのナベツネを追放していれば、野球はもっと早くから面白いものになりえていたのです。ナベツネが金の力で何をしたとしても1球団では試合ができない。どうして皆はそういうことに気がつかないのでしょうね。ナベツネは「巨人さえ潤えば、野球の人気は安泰だ」と信じてきていました。そういう強引さに他の経営者も負けて、ファンもそれに慣らされてそんな風潮ができていました。でも、そんなのが続くはず無いですよ。試合って言うのは実力が伯仲していてこそ面白いのですから。近年の巨人みたいに、ものすごく金はかけて、他のチームの4番を引っこ抜いてきて、それで優勝できないチームって言うのも面白いですけれど、それは滑稽とか哀れって言う意味での面白さですものね。兎に角、このモウロクジジイというか危険なほどに視野の狭い老人が居プロ野球を駄目にしているんです。実力伯仲の野球をしようとする全ての案に反対し、面白くなる芽を潰し続けているのです。
私は野球は嫌いじゃありません。ただ、ダラダラすること(プロ野球は3時間以上が普通。でも、高校野球は1時間半くらいで終わっちゃうんですよ)、そして懸命さが足りないこと。これがプロ野球をつまらなくして、私が野球を見たいと思わない要因なんです。 先日もイチローが海の向こうで普通のヒットを足で二塁打にしていました。あのプレイは日本のプロ野球ではありえないでしょうね。本来少しでも隙があったら進塁してやるという気持ちと、隙があったらアウトにしてやるというプロ同士の高い技術の駆け引きがプロの醍醐味のはずなんです。しかし、残念ながら日本のプロ野球界は、プロだから失敗しないだろうという馴れ合いの元、最初からヒットにしかならないだろう当たりでは二塁を見向きもしないし、ホームラン性の当たりは立ち止まって行方を見てるだけというお粗末なプレイがまかり通っているのです。 オチアイは「プロなら内野ゴロで走るな」といいました。プロだからエラーをしない。だから、内野ゴロを売ったら潔くアウトになれという事なのでしょうけれど、それは明らかに間違っています。これが機械同士の戦う試合ならその言葉もあたりかもしれません。しかし、プロ野球の選手(レギュラークラス)で失策が0と言う人がどれだけいるでしょうか。例えどれだけ技術の優れた選手でも人間であり、緊迫した場面になればあわててミスのひとつもする事もあるでしょう。プロだから潔くではなく、プロだからこそ石にかじりついてでも進塁に拘って欲しいのですよ。内野ゴロでも一生懸命走れば、そのタイミングによってはエラーになることだってあります。イチローがメジャーリーグでそれを実践しています。内野ゴロでもヒットにしてしまう。それは地味かもしれませんが、プロとプロの技術の勝負と言う感じが私にはします。そして、そのイチローが海外でも評価されていることを前にすると、オチアイのいう事は、単に練習嫌いでぼてぼてのお腹で走るのが苦手だったことの言い訳をしていただけのように思えてなりません。
話が長く盛大に変な方向にそれてしまいましたが、兎にも角にも、そんな戦犯たちのおかげで、変な土壌のできたプロ野球ですが、今は過渡期になっているのだと思います。もう巨人だけに頼る体質は壊して、ある意味サッカーを見習って地元ファンを大切にする地域対抗の地盤を作っていくチャンスなのではないでしょうか。そういう事も含めて、今回の野球中継切り捨ては野球界にとって良いカンフル剤になってくれる事を祈る次第です。
2005年08月19日(金) |
列車内ゲーマーの皆様へ |
私が若い頃といえばおもちゃはブリキ製だったり、自分の肥後ナイフで竹などを削って作るのが主流だったように思います。従いまして、今の若い人たちとは環境が全く違うのですけれど、私の目で見ても「いい年なのに」と言うネクタイを締めた人たちまでが、列車の中で漫画少年誌を読んでいたり、ゲーム機で遊んでいたりするのを見ると「お前たちまでもが?」とちょっと違和感を感じてしまいます。まぁ、相撲の場所前恒例のインタビューなどでも「趣味はゲーム」と明るく答える人が出てきた頃から、こういう時代がいつかは来るとは思っていましたけれどね。
で、別に人様の趣味についてどうこう言うつもりは当然ながらないんですよ。ゲームが好きという事に年齢制限があるとも思いませんしね。 ただ、結構混雑した列車の中でゲームをするのはいかがなものかなと昨日思ったんですよ。最近のゲーム機はきちんと音はヘッドフォンで出力できるようになっているので、音についてはあのスイッチを押すカタカタという音に神経質に反応するのでなければ我慢はできます。しかし、混雑した中で胸元にゲームを構えて興じているその腕の振動が、あなたに接している私の背中などに伝わってものすごく気持ち悪いんですよ。そう、ある意味痴漢をされているようなものです。一緒にするな!と怒りの声が聞こえそうですが、自分が望まない刺激を無理やり与えられるという意味では似ているという事にさせてくださいな。
後を振り返って黙って睨んでも、その彼は思い当たる節がないようで意に介しません。こちらもできるだけ我慢もしましたし、できるだけよけようともしましたけれど、先にも書きましたようにそれなりに混雑した列車の中でしたので、どうしても対峙しなければならなくなりました。一応声をかけてみましたが、ヘッドフォンを取る素振りもないし、無関心を装うとしてるようでしたので、残念ながらできるだけ穏やかに手でゲーム機を振り払うしかありませんでした。何度でも言いますが、列車の中でゲームをするなとも、いい年なんだからゲームをするななんて事も言いません。ただ、自分がやることが人の迷惑になっていないか、それだけを注意してやってください。ゲーム機をただ持っているだけなら全く問題はないのです。その指が激しく振動しているから不快なのです。どうかご理解して、注意していただけますようお願い致します。
2005年08月18日(木) |
その費用はどこに消えたのか |
16日に宮城県沖でおきた地震で、天井パネルが落下し26人の負傷者を出した仙台市のスポーツ施設を調査した結果、今までの地震の経験から設置するよう求められていた揺れ止めが取り付けられていなかったことを明らかにしました。
この「揺れ止め」は、ワイヤが長いと地震時に揺れが大きくなり破損を招くので、ワイヤー同士を斜めにつなぐことで揺れの振幅を短くするというもので、この施設の仕様書にはその「揺れ止め」の設置は盛り込まれており、設計会社も施工業者も「設置したはずだ」と答えているそうですが、実際の調査では「設置した痕跡は無い」のだそうです。 このスポーツ施設は民間資金を活用するPFI事業を利用して仙台市が建設した施設なのですが、このPFI事業と言うのは、乱暴に言ってしまえば役所などが行うべき公共事業をより効率よく運営できる民間に代行してもらうというもので、役所はその監督をする立場にある訳です。そんな中で、仙台市都市整備局は「触れ止めが実際に使われていたか確認していない。建築確認は計画の確認で実際に仕様通り工事が行われたか確認する義務はない」と答えているそうで、この都市整備局がこの施設を監督しているわけではなく、単にそのほか多くの建設物と同じレベルで「自分たちの仕事はここまでよ」と言う線引きを示したものだとは思うのですが、では「実際にできたものと仕様書(設計書)とを比べるのは誰の仕事なの?」と言う疑問は解決されませんね。 仕様には盛り込まれているにもかかわらず、その工事は行われていない。しかし、設計者も施工業者も「工事をした」と認識をしているので、当然その分の工事費は請求されているはず。こういう事を「手抜き工事」とか「空請求」とか言うのではないですかね。そのようなことが役所主導の施設建設で行われたというのは、橋梁工事の談合などと同様に由々しき問題なのではないかと思うのです。
例えばダムを例にとると、川をダムでせき止めるとダム湖ができます。しかし、単にせき止めただけでは、水は湖底から地下に浸透して溜まりません。そこでグラウティング工事と言う地盤改良を行ってそこがダム湖になるようにするのです。平たく言えばダム湖になる部分の地下にセメント(コンクリートになる前のセメントと水とAE剤を混ぜた段階wp「セメント」といえば良いのか「コンクリート」と言えば良いのか分かりません。ここでは便宜的にセメントと表記します)を流し込んで、多少は水が流れるけれど、多くの水が浸透し過ぎないようにするのです。このグラウティングは、まずボーリングを行って深い穴を掘って、そこに差し込んだパイプからセメントを圧入します。この時、水のような薄い濃度のセメントから始まって何段階かにわたって濃度を濃くしていくのですけれど、兎に角あのダム湖を作る面積に行う作業ですから、膨大な量のセメントが使われることは想像できるでしょう。この時、本来はセメントを指定された割合より少ししか使わなかったらどうなるでしょう。一箇所ではほんの少しのごまかしでも、それが全体ともなると何トンものごまかしとなり、その分だけ経費が浮くことになります。そしてそうやって建設されたものは見た目は立派でも本来の性能が発揮できなかったり、思いもかけなかったところで壊れてしまったりするのです。このようなごまかし・手抜き工事は大手の企業やその企業体(JV)が主体でやる場合もありますし、それらはしていないつもりでも、実際に作業を請け負っている会社がそういうことをしてしまう場合もあります。これは今まで(そしてこれからも)建設業界全体が常に抱えている問題なのです。←ダム建設業界だけの問題だというのではないですからね。
今回の「揺れ防止」は義務や規則ではなく、国土交通省が「つけることを求めている」だけでしかないという事ですけれど、少なくとも仕様書には記載されており、建設業者も「つけたはず」といっているのであれば、その程度の差こそあれ、きちんと問題を解決しなければ、結局は「お役所主体の仕事は、金儲けのためにある。ごまかし放題。」と思われてしまうでしょう。きちんと調査をして解決して欲しいと思います。
それにしても、この吊っていた天井材にアスベストが含まれていなくてよかったですね…
プリンストンテクノロジー株式会社はmac miniとデザインをあわせて、重ねておくと一体感のあるHDを開発し、販売を始めるそうです。(link)
いや、これについて特に意見がある訳ではないのですが、ニュースの写真を見てつい、128K Macを思い出してしまったんです。兄が買って、アメリカに転勤している間私が借り受けていたものですが、Macの下にデザインを合わせたHDだったかFDドライブを置いて場所をとらない工夫をしていたんです。時代は繰り返すっていう事なんでしょうか…
当時、仕事では、Cはホワイトスミスとカーニハンとどっちが主流になるんだよーなんていいながら仕事をしていて、家ではNECのPC-9801VX(なつかしー)を使って居たと思います。そのVXでも本体が40万円以上して、サンシャインの5階から飛び降りるつもりで買っていたのに、128k Macはセットで100万以上したんですよ。とてもじゃないけど手は出ませんでした。それから数年経過してやはり本体価格108万円のQuadra700が型落ちになったために半額以下になったところで漸く私はMacが買えたのです。しかし、Quadra(本体)は買えたけど、モニタを買う金が無くて、しばらくの間、本体を持っていると言う満足感で我慢し、結局は98を使っていたなんて余計なことまで思い出してしまいました。今考えたら笑い話にしかならないことですね。
Reiko Katoさんの晴れの日もあるで紹介されていた「四文字熟語Flash」に挑戦してみました。結果としては7面全部クリアはできました。が、途中一熟語と最後の面が結構苦しかった…でも、できてしまえばこっちのものですよね。うん、日本人ならできて当然だよ…ドキドキ
ある会社に行った時のこと、私は、今まで経験していない言語に触る機会に恵まれ、一番簡単そうなプログラムを1つ回してもらって作ってみることにしたのです。その言語はオブジェクト指向という部類に入るもので、既存のプログラムを知っているからといって決して取っ付きやすくなるものではありませんでした。まぁ、この辺りは説明すると小難しくなってしまうので、例えばラジオの技術に精通している人に、テレビがどうやって映像を送ることができるのかを教えようとしてもなかなか伝わらないというようなイメージを持ってください(本当はラジオに精通していればテレビ(映像)伝播も簡単に理解されるかもしれませんが、あくまでもイメージという事で)。
長年、ひとつの仕事をしていると、時代の流れとともに新しい技術なり手法なりが取り入れられてきますが、そこは長年の勘というか積み上げてきた経験から、新しいものもうまく取り入れて対応できるものです。しかし、今まで手書きだった資料作りが突然ワープロでやることになったりするなど、大きな変革の時期を迎えると、それに対応するのは大変と脱落する人も出てきますし、そこまでは行かなくても、その技術を覚えるのは結構大変だったりする訳ですよね。 この時の私もそう言ういう感じでした。自分がしたいことは分かっている。今までのプログラムでならそれをどう記述すれば良いかも分かっている。しかし、今回のこの言語ではどう書いたら良いのか、どこでどんな宣言をしたらいいのかが分からない。極端に言えば「1+1は?」と言うことを聞くにはどう書いたらいいのかが分からないという感じだったのです。 悩んでいると「分からないことがあったら分かる人に聞いてください」というので、正直にその旨を話したところ、その会社の生意気盛りな若者が「そんなことも分からないなんて、あなたはもしかしてプログラムができないんじゃないですか?」と言う訳ですよ。「いや、プログラムが分からないのではなくて、この言語の中ではこれをどのようにあらわすかが分からないから、迷っているだけで、1つ取っ掛かりがあれば分かることでしょう。その取っ掛かりが無いから悩んでいるのですよ」と言っても理解できない感じでした。
別のある時、別の会社の若者と車で出かけることになったのですが、その若者は「運転に自信がないのでできれば運転していただけませんか?」というのです。別に運転することは苦になりませんから私が運転をしたのですが、目的地について車を駐車場にバックで入れようとしたとき、つい、癖でギアをバックに入れる手が空振りをしてしまったのです。その車は普通乗用車なのでシフトレバーは運転席と助手席の間についているのですが、私が普段乗っている車はコラムシフトと言ってハンドルの付け根から生えているのです。ですからつい何ドルの奥に手を伸ばして虚しく空振りをしてしまった訳ですよ。それを見た、その若者は「何をしているんですか?」って笑いながら聞くのです。私が「自分の車はここにシフトレバーがついていてね」というと「そんな車ある訳無いじゃないですか」って言うんですね。まぁ、その若者の常識のレベルではそんな車は見たことが無いのかなと、それ以上は言いませんでしたがね。
先の話に戻りましょう。その生意気盛りの若者は、自分が分かっていることについて、相手が分からないという事に「常識」「非常識」と言う枠を当てはめ、自分の中での「非常識」なことには「信じられない。教える価値も無い」と決め付けていました。確かに質問したことはとても低レベルな話です。しかし、調べてみて分かったのですが、最初に渡された状態では、通常のやり方でやっても私がやりたかったことは隠されていて、その言語なりでの簡単な設定を知らなければ見つけられないものだったのです。その若者は「それを知っている事」も含めて『常識』と判断していたのです。 分かりやすく言ってみれば、自分の家に友達を呼んで、その友達が「トイレはどこ?」って聞くと「信じられない。あなたはトイレってなんだか知っているんですか?もしかして使ったこと無いんでしょ。トイレくらいどの家にもあるのが『常識』じゃないですか。そして、トイレなんてどの家にでもあるんだから、いちいち私が教えなくたって、場所くらい分かるのが『常識』でしょ。そんな事私は教えませんよ。自分で勝手に探したら良いでしょ」と言っているようなものなのです。ただ、本当にその例えのような状況だったら、そして本気で相手がそういうなら、それらしきドアを片っ端から開けていけばすぐに見つかるでしょうね。けれど今回の仕事の話は、その家が忍者屋敷のように隠し扉もたくさんあるし、迷路も完備、そしてその部屋の数が数百もある大豪邸という設定になっていて、見つけるのがとても大変だという設定になっているのが違いでしょうね。
自分は知っている事を相手が知らない。それを最初から「非常識だ」と決め付けることは教える立場として正しいことでしょうか。私にはそうは思えません。どんな低レベルなことでも、相手は分からないから質問をしている。そんなレベルの事を何度聞いても覚えずに同じような質問をしてくるとしたら、怒るのも仕方ないだろうと思います。しかし、初めての事をする時に、相手が何で悩んでいるのかを自分の器に当てはめて判断をするというのは全くもって愚かな行為です。私はこの若者については腹を立てたりはしません。経験不足で、自分が世界の中心にいると信じているような若造ですからね。ただ、その上司に対しては、その教育不足についてかなりきつく怒りましたけれどね。結局「聞いてください」と言っていたにもかかわらず、聞いても気分を害しただけで何の進展も得られず、その後自分で調べてその取っ掛かりを見つけたことを付け足しておきます。
常識とは、三省堂「大辞林 第二版」によれば (1)ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。 「―では考えられない奇行」「―に欠ける」 (2)「共通感覚」に同じ。 だそうです。しかし、その「人々」とは世界中のすべての人をさすものでも、日本国全部をさすものでもありません。もしかしたらそれは町内限定かもしれませんし、社内限定かも知れません。もっと狭くて友達数人限定と言うものも考えられます。自分で常識と言う枠を決めて、それ以外を「非常識で信じられない」と決め付ける心はとても危険です。私は「まず『常識』を疑え」と思いますし、「そんなの常識だろう」と言う人ほど視野の狭い人であろうと考え、接し方に注意をするようにしています。
自分にとっての常識が相手にとっても常識であると考えることは本当に危険です。話は、まず相手の立場に立ってしなければ理解されにくいものになるでしょう。言うのは簡単ですが実践することはとても難しいと思います。しかし、そういう気持ちを持つことと持たないことでは大きな開きができることも事実でしょう。どうか、ここを読んでくださっている方におかれましては、今一度自分の考え方を見つめなおしてみていただければ幸いです。
2005年08月14日(日) |
NHKの選択 / 魅力的(コア)な自転車 / トワイライトエクスプレス / 雨 |
NHKは「NHK歌謡コンサート」の入場申し込みを「受信料を支払っている人」に限定することに決めました。
これはとてもすばらしい選択だと思います。
今までは無作為に抽選を行って1500組3000人を招待していたのですが、視聴者から「受信料を支払っていない人が入場できるのはおかしい」と声が寄せられたことからこの制限をすることにしたそうです。 これは当然の事だと思います。「NHKはお金を支払うに値しない」と受信料の支払いを拒否しているのに、そのNHKの番組を見に行くというのはどうにも理屈の通らない話しですよね。NHKに価値を認めるならきちんと受信料を支払うべきです。それを拒否するなら、そこから享受できる権利も放棄すべきです。単純な話で、「平等」とかそんなレベルの話じゃない。これからもどんどんと差別化を図っていくべきだと思いますよ。今回の意見を寄せた人と、その決断を下したNHKに拍手を送りたいと思います。
先日ホームセンタに行った時、私はとんでもないものを見てしまいました。 それは電動アシストつき自転車なのですが、なんと2輪駆動なんですよ。普通は電動で後輪を駆動するのですけれど、その自転車は前輪にも動力を伝達しているのです。
確かオーストラリアの軍用オートバイに2輪駆動って言うのがあったと記憶しています。オートバイや自転車はハンドルが軸を基点に回転運動をしますので動力をチェーンで伝えようとするとその角度が変わる部分をどうクリアするかでかなり複雑な機構となり大きく重くなってしまって実用的ではなくなってしまうのですよね。elfのようなアライメントが変化しないウィッシュボーンサスペンションを持つ機構ならそこを通じて動力も伝達しやすいのですが、そうするとハンドルが切れないというデメリットもあり街のりはかなり難しくなってしまいます。しかし、今回の自転車は動力が「電気」なので前輪へは電線をつなぐだけで済んでしまうんです。そしてハブに埋め込んだモーターを駆動して前輪も駆動してやるという方式。この電動駆動方式に形状記憶合金などで路面温度が零下になったらスパイクが出てくるなんてタイヤをカブなどの実用バイクに装備したら無敵の実用車が出来上がるんじゃないでしょうか。実現させてほしいなぁ
通常の電動アシスト自転車で2輪駆動にするメリットがなんなのか私には良く分かりません。とんでもない悪路を走破するわけでもないでしょうし、劣悪な環境に放り出されるわけでもないでしょう。なぜ「2輪駆動にする必要があるの?」声を大にして問いたいです。しかし「総輪駆動自転車」…意味が無くても良いです。理屈なんて問題じゃなく衝動買いしたくなる魅力があります…ほ、ほ、欲しい! 衝動買いしてしまいたくなる自分が怖いです。誰か止めてください…
JR西日本に「トワイライトエクスプレス」と言う豪華な寝台特急があります。夕方大阪を出発し日本海側を北上して北海道に行くのですが、その最後尾車両についているA個室寝台(スイート)はとても豪華なことで有名なようで、切符発売と同時に売り切れるのが普通で、そのチケットは幻のチケットみたいな言われ方をしています。私は実際にはそれを手に入れようと努力したことはありませんが、話の流れで会社の社長とは「もしその切符が取れたなら、どんなに仕事が忙しい時でも有給休暇で休んで良い(取れるものなら取って見やがれ)」と言う約束が成立しているくらいです。
私は5年ほど前まで夏休みと言うと北海道に遊びに行っていました。人によっては「飛行機で行って、現地でレンタカーを借りれば良いのに」とか「フェリーでは節約して現地で贅沢をする」とか言いますが、私は「フェリーの中で贅沢をする」と決めていました。まず、利用するフェリーは新潟-小樽の新日本海フェリーです。これは出発時刻や到着時刻が私の理想であるという事もありましたが、なにより船が大きく安定していて、乗っていて楽しい事があげられます。新日本海フェリーが運休の時に苫小牧-大洗航路などを利用したことがありますが、なにより食事が嫌でした。牛丼屋さんの持ち帰り容器みたいな容器で牛丼やカレーなど数種類のメニューしか選べず、それで800円…私は新日本海フェリーでは常に特等や下手をするとスイートを取ってきました。旅費の半分が船賃だという事も珍しくありませんでした。価値観はそれぞれですが、まず、直前まで仕事をしていた疲れを癒したいこと、直前まで全く計画する余裕が無かったのでそこで落ち着いてルートを検討したいこともありましたが、何よりも「これから楽しみにしていた休みなんだ」と言う気分を盛り上げるための演出であり、食事も特等などで予約できる専用のコースを専用の部屋で食べる事を常にしていました。一食5000円のコースです。毎年変わらないメニューでバカらしいと思う人もいるでしょうけれど、それがある意味私にとっての儀式だったのです。それが何年か続いた時、「お客様、昨年もこの船にお乗りいただきましたよね?」って声をかけられたんです。そうやって覚えてくれる人がいるって凄く嬉しいことですよね。本当は毎年この旅行を続けたいのですが、今の住処を買ってから、ついつい資金不足で旅行が中断したままになっているのはとても残念なことです。
そんな私にとって、わざわざ大阪に行ってからほぼ一日をかけて北海道に行くというのは「おとこのろまん!」と言っても良いくらいあこがれる旅行の方法です。「北海道なんて飛行機に乗ったら数時間でしょ」なんて言う人にはこの楽しさがわからないでしょうね。いや、その人たちの価値観を否定するつもりはありませんが、私は「時間を金で買う」という事には全く逆の2つの意味があると思っています。仕事などでは「如何に早く」が重要でしょうけれど、遊びの時には「如何に時間をかけて」が楽しみであるという事です。しかし、所謂ブルートレインが次々と廃止されて行く事が今の日本人にそういう心の余裕が無いことをあらわしているんだろうなぁと極論付けてしまいます。そこにはブルートレインの料金の高さなども問題があったのかもしれません。また、絶対的な休日の少なさや連続休暇の取り難さが、このような「遊び」を衰退させる原因なのでしょう。とても残念なことですけれどね。
そんな中でJR西日本は魅力的なパッケージを作っていますよね。サンライズ出雲(瀬戸)などはとても魅力的な新造列車ですし(一昨年、岡山からの帰りにこの個室寝台を予約して楽しみにしていたのに、仕事が長引いてキャンセルしたのは今でも悔しさがこみ上げてきます)、このトワイライトエクスプレスも本当に旅の楽しさを堪能できる魅力的なパッケージになっていると思います。 そんなトワイライトエクスプレスを近畿日本ツーリストがツアー用に抑えて、品川-下関間を走らせるのだそうです。詳しくは分かりませんが、品川を出たら高崎線を通って日本海側に出て、大阪から瀬戸内海沿いを走って下関までを走るらしいです。 それはそれで楽しい旅行かもしれませんが、私は食指が動きません。金が無いからという理由を取っ払っても、やはりトワイライトエクスプレスに乗るなら「大阪-北海道だろう」と言う気持ちが強いからです。何か「人気が有る車両を使えばバカな客が集まるだろう」みたいな感じでこういう企画は嫌いだなぁ…他の人はどう思うんでしょうね。
折角の休みなのに、予報は雨が続いていますね。この時期は夕立があっても不思議じゃないので、今は雨が降っていなくても、いつ大雨が降るか分からないのが悲しいです。ずっと仕事で運動不足になっていて、休みになったら自転車に乗るぞと思っているのに、休みになったら雨。ちょっと悲しいですよね。でも、実際にはそんなに降っていないので乗ってくれば良いのに、乗らない自分にも腹が立ちますが…まぁこんな暑い日に自転車に乗るのもつらいでしょうから秋口になったらがんばることにしましょうかね。←ああ、言い訳っぽい
2005年08月13日(土) |
親不孝だけど墓参りの変わりに映画を見てきました |
早いもので、母が亡くなってから、二度目の盆を迎えました。仕事の忙しさから、今年は盆の帰省はパスさせてもらい家で仕事…こういう仕事は本当にいやですね。仕事が無いよりあった方がいいと良く言われますが、それも一理ですけれど、自分の時間が持てない程に仕事で埋められ、それに見合う報酬が無いというのも絶対におかしい話だと思う訳です。まぁ、そんな仕事をせざるを得ないのも自分の実力の無さと言われてしまえばその通りなんでしょうけれどね。何度かここで書いたことですけれど、私はずっとコンピュータソフトの開発を生業にしてきました。それは残業があって初めて一人前の給料がもらえる世界で生きてきたと言って過言ではないでしょう。残業が200時間なんて当たり前とか言う仕事も多かったですし、高校生の修学旅行のように「俺○時間しか寝ていないもんね」って言うのが自慢話になったり、実際に経験した嘘の様な話ですが「今、何月だっけ?」とマジに聞くような仕事をしてきました。そして極めつけは一日睡眠時間が1時間なんていうのがずっと続くような仕事で切れて、もう貧乏でもいいから残業はしたくないと思った訳です。しかし、結局こんな仕事をしてしまうのは職業柄仕方が無いのかもしれません。
お盆に墓参りもいけない親不孝者ですが、このままでは心がすさんでしまう(いや、既に相当すさんでいる)と思い、今日は思い切って映画を見てきました。今年の最初に「月に2本は映画を見る」と決めたのですが、前回映画館に行ったのは4月のことで、レンタルビデオで映画を借りたのは5月を最後に途絶えていたんです。この2ヶ月は本当に娯楽らしい娯楽はありませんでした。娯楽=寝る事…そんな生活でしたから。本当に嫌になりますよ。まぁ、少ない時間でも写真を少しでも撮れたのは救いだったかもしれません。
今どんな映画をやっているのかすら良く分からない状態だったのですが、インターネットで調べられるのは本当便利ですね。あれこれ予告などを見て「皇帝ペンギン」か「ロボッツ」が良いかなと思いました。この2本ならあれこれ小難しく考えなくても見ることができるだろうと思えたのです。現状の頭ではちょっとでも複雑なストーリーになると加熱してしまいそうでしたので、兎に角単純明快、映画を見る前から結末も起承転結も想像できるような映画が良いなという事で残ったのがこの映画。しかし残念ながら今年良く利用している家の近くの映画館ではどちらも上映していません。そこで家から列車で30分ほど離れた場所にある映画館に行くことにしたのですが、ここでは「皇帝ペンギン」は吹き替え版で、「ロボッツ」が字幕版という事でした。従って迷わず「ロボッツ」を選択しました。だって、「皇帝ペンギン」ってペンギンの親子の話でしょ。それが吹き替え版となれば、まず間違いなくお約束の甘ったれた気持ち悪い声が子供ペンギンにあてられるでしょ(あ、この映画のペンギンに台詞があるかどうかは知りませんけれど、どうなんでしょ)。ペンギンに台詞がなければ取り越し苦労なのですけれど、もしあるとしたら、その吹き替え版聞いただけで今の私は暴れてしまいそうです。ですから、吹き替え版を選ぶという危険は冒せなかったわけですよ。
まぁ詳しい話は、後で久し振りに「映画評」ページを更新しますのでそちらをご覧ください。兎に角楽しい映画でした。私が行った小さな映画館では観客は16人位だったんじゃないかなぁ…兎に角ガラガラでした。しかし、内容は本当に面白かったですし、様々なパロディが笑えました。ストーリーも本当起承転結すべてお見通しで裏切られることも無かったし、頭を使わずに楽しくリラックスさせることができました。 でも、この映画仕事が忙しくない時に見たとしても私としてはお気に入りになったと思います。DVDが出たら買ってもいいなぁ…
墓参りにも行かず映画に行くなんて親不孝でしょうか。でも、家できちんと手を合わせていますから、どうか許してくださいね>母上殿
2005年08月12日(金) |
あれこれ / スローガン / 理不尽だと思う |
今日から短いながらも盆休み…というのは建前で、単に仕事場が家に移って来ただけのような気がします。とは言いつつ、今日はちょっと都会の大きな本屋へ、仕事関係の資料を探しに行くつもりなので午前中はちょっとだけのんびり休ませてもらっています。のんびりできるって良いですね。
今の仕事で、本当久し振りに「仕事って内容より人間関係とか環境が大切だなぁ」と感じました。仕事は面白いんですが、環境や人との関係がどうもイマイチなんです。険悪ではありません。が、ほんの少しだけ微妙にずれている。うーん、列車に乗っているときにかすかに漏れ聞こえるヘッドフォンからの音の残骸とか、ゲーム機や携帯電話のキーをたたく音…うるさくはないんだけど「五月蝿い」…分かってくれるでしょうか。そんな感じです。このずれをどうやって改善して行ったら良いのかなというのが問題だと分かってはいるのですが、実はそういうのが一番苦手なもので頭を悩ませている次第。この盆休みはそんなことに煩わされることなくのびのびと仕事ができるのがとても嬉しいです。あ、愚痴になっちゃいましたね。ごめんなさい。
今は貧乏ですから贅沢は禁止。しかし、小金ができたらどんなことをしよう…ちょっと考えると、今の優先度ではまず、年末が期限のANAカードのマイレージを消化するのが最優先。飛行機に乗るためにはそこまでの交通費も要りますし、とんぼ返りするって言うのも悲しいのでやはり多少の金が要る。まずはその金が必要。何も切符に変えなくても、例えば食べ物にしたりANAの商品券にしたりと言う手もあるのですが、航空券に帰るのが一番お得感があるという事で、どうしてもそれに拘ってしまう(そして冷静に考えると手持ちのお金も消費するので、実は一番損をするコースをそれでも選んでしまう)自分の小市民ぶりが大好きです。その次辺りに自転車のまともな空気入れが欲しいとか、カメラのレンズが欲しいとか続くのでしょうけれど、じゃあいつ実現できるのかなと考えると、もしかして鬼が笑うかもしれない…虚しいのでもう考えるのはやめておきます。
前回、自宅のサーバーにD70などで撮った写真をノートパソコンから転送したのは5月だったのでしょうか。それ以来ノートパソコンに溜めっ放しで、気付いたら約5GB分の画像が貯まっていました(CASIO EXILIM S100で撮影したのが82枚、PENTAX OptioXが297枚、Nikon D70が1024枚)…ノートパソコンのHD自体はまだ余裕がありますが、転送するのも時間が掛かるだろうからやれる時にやっておこうとさっきコピーを始めたのですが、最初に表示されたメッセージでは「所要時間54分」だそうで、30分以上掛かってもまだ終わらない…ん?何かおかしいぞ と思って確認してみたら、LANケーブルを接続していたのにもかかわらず設定は無線LAN接続になっていました。あと少しで終わるのにわざわざコピーをやめて、無線LANを無効にして有線を試すことにしました(こういうところがおバカだなぁ)。 そしたらびっくり、有線LANにしたらサーバーが見えないじゃないですか。ウィルスバスターの設定を疑ったりあれこれ考えちゃいましたけれどね、結局先日IP電話のVoIPアダプタを設定する時にアダプタにケーブルをつなぎ買えたのを忘れていました。そちらにつないだら、VoIPアダプタは独自の世界を自分ひとりで作っているのでその周りは見えなくて当たり前なんですよね。ちょっとだけドキドキしましたが、まぁケーブルを本来のルータにつなぎ変えて解決。有線LANで実行してみたら「所要時間17分」だそうで、大体3倍位の速度差でしょうかね。納得できる速度差ですね。この速度差を考慮して有線ケーブルを張り巡らしたんですから、活躍してくれて嬉しい限りです。実際には10分も掛からずにコピーは終わってしまいました…30分も放置して気付かなかった自分をが悲しい…
社民党のスローガンを「「国民を見ずして、改革なし。」にするんだそうです。 じゃあ、社民党に存在価値ないじゃん。国民を見てくださいよ。 そのスローガンの相手は社民党にこそ相応しいんじゃないのかな。
六本木ヒルズの回転ドアで男児がドアに挟まれて死亡した事件での公判があり、男児の親が「危険を予測できたのに放置した罪は重い。ぜひ実刑判決を」と望み、検事はビルの責任者及び回転ドアの責任者に対してそれぞれ禁固刑などを求刑したという事らしいです。
ビル側もドアメーカー側も危険について承知してたと認めているという事で、このようなことになったみたいですけれど、私は1人実景を求刑する相手を忘れているんじゃないかと思っています。そう、その男児の親をです。都会の雑踏には回転ドアだけではなく、例えば自動車と言う明らかな危険以外にも雑踏の中の先を急いでいる人や自転車、あらゆるものが子供にとっては凶器になるでしょう。そんな中で手を離して子供から注意をそらして死に追いやった罪は何を持って償わせるべきなのでしょうか。それはドアメーカーやビルの責任者が責任を取ったからといって消えるものではないでしょう。親自身が「放置した罪は重い。実刑を」と言っているのですから、自分も実刑を受けて罪を償うべきだと私は思います。
この事故があった頃にも「親の責任だろう」と言う意見に対して「親が子供の一挙手一投足を管理するのは不可能」だと言うような意見が出ていました。なぜ、人を責める時は完璧を求めるのに自分の責任を持つべきところだけは「完璧なんて無理」と平然といえるのか私には分かりません。実際そこで子供がなくなってしまって感情的になって言うのは理解します。しかしそれは一時のヒステリーであるべきで、ヒステリーを起こしてストレスを発散したらそれ以降は論理的に考えるべきなんじゃないでしょうか。そうしたら「実刑判決を」なんて言葉は出てこられる筈がないんですよね。
今回の事故については、「男児が亡くなった」「他所でも似たような事故が起こっている」と言う事実から「君たちに罪はないのか?」と問われたら「ある」と答えざるを得ず、その口から「親も悪い」とは言えない状況と言う絶対に負けない(ずるい)戦争をしているという事に、この無責任な親は気付いているのでしょうか。この状況で本当は「ドアは良識ある大人の判断があれば事故は防げていた可能性が高い。しかし、無責任な親が子供をそんな(一目見て危険だと分かると後になって言っている)場所で手を離して放置し死に至らしめたことの責任を転嫁しようとしている」と言いたいのに、それを言ったらマスコミがまた面白おかしく騒ぎ立てるから言えないのですよね。ビルやドアの管理会社にも責任はあるでしょう。それは改善されなければなりません。しかし、自分の無責任さを棚に上げた親が偉そうに「あいつらが悪いから実刑を」と言うのならどうか親にも責任があるんだという事を、そして人に責任を求める時には同等の責任は自分にも掛かってくるという事をどうか理解させてあげて欲しいものです。
2005年08月11日(木) |
深く反省して路頭に迷いたまへ… |
郵政民営化に反対するものは公認しません。そう宣言をしているにもかかわらず反対をして、いざ自分の選挙区に対抗馬を立てられたら文句を言う…なんか変な人たちですね。
本来、一人一人が自分の選挙区や自分を選んでくれた人の代表である訳ですから、自分の信念があって反対したのであれば、党の決めたことに反対を表明するのは「勇気ある決断」で宜しかろうと思います。しかし、それはその党との別離を意味するのではないでしょうか。一人一人の議員は独立した議員であっても、それが寄り集まって党としての政策を作っていくのが政治であるわけですから、それこそどうでもいいような事で反対をするなら兎も角、党の、そして首相の政策の肝と言われる事に反対をしたのですから、それはつまりその党自身を否定したのと同じではないのでしょうか。だとすれば、公認しないのも当然ですし、その議員を公認しないのであれば、自民党にはならないその人に確実に勝てる人を送り込む事のどこに問題があるのでしょうか。
この方策で「その議員にはお世話になっている」などという人たちは、癒着して甘い汁を吸う体制にどっぷりと浸かっている人たちではないかなと思います。(言葉は悪いですが)人情に厚い田舎と、人情に薄くてドライな都会などと言う人もいますが、当選した議員が人情に厚いことは大切でしょうけれど、政治家を人情で選ぶのはいかがな物かと思います。そういえば後一期議員になったら国会議事堂に胸像が飾られるからどうか後一期当選させてくださいと選挙期間に土下座していた議員が関西方面にいらっしゃいましたね。そんなのが当選することがおかしいですよね。(結局当選したのか分からないのですが) そういう目で見れば論理的に行動をしているだけなのに、ニュースを見ていると野党党首や反対票を投じた自民党議員は、非理論的な感情論で批判を叫んでいます。本当にバカさ加減をさらしているだけにしか見えないんですが、そういう言葉にだまされる人もいるってことなんでしょうね。私は決して自民党萌えじゃないんですよ。どちらかと言えばアンチ自民党と言ってもいいくらいです。でも、今の野党の無策ぶりとバカぶりにはほとほと愛想が尽きています。くだらない事をごちゃごちゃ言っていないで、これぞ政治家って言うのを見せて欲しいものですね。 そして、反対票を投じた自民党だった議員の諸君、君達の無責任な行動がこれだけ国を混乱させ、マスコミだけが喜んでいるって状況なんですよ。自分がやったことの責任をしっかりかみ締めて、路頭に迷えば良かろうと思う次第です。
2005年08月10日(水) |
IP電話 / おっぱい星人 / 問題発言か? |
7月26日に「ミソがついたことはしない」と宣言したIP電話ですが(link)、消失したメールに書かれているであろう内容はプロバイダのユーザサポートページから見ることができたので個人情報を送るという事はしなくて済みましたし、どれだけ使うか分からないIP電話のためだけにVoIPアダプタを1万5千円も出して買うのがもったいと言う懸念も、NTTに電話で確認したところ月約400円でレンタルできるという事でしたのでそれを申し込んで解決。という事で、「ミソがついたけど、別の方法で再開」と言う苦しい言い訳を自分にしながら継続となりました。
そして、そのVoIPアダプタが昨日到着したので、早速取り付けをしたんですよ。結果は…微妙です。
まず、機械だけを送ってきてユーザに取り付けさせるのはいいのですが、ADSLでルーターを経由している場合、ルーターがない場合など取り付ける際に設定の仕方が4つに分かれます。自分のところがどれなのか、素人の人だと結構難しくないかなと心配になる感じでした。いや、人の心配をしている場合じゃありません。その分かりにくい説明を辿りながら、プロバイダの設定ガイドも参照しながら何とか設定はしたのですが、まず、最初はNTTのガイドどおりにして「完了」までたどり着いたのですが、これは絶対におかしいと思いました。だって、自分がプロバイダに申し込んで受け取ったIDやパスワードがどこにも登録されていないんですよ。そんなんで承認されるはずがないじゃないですか。そこでプロバイダのガイドを頼りにしてもう一度設定したら、そちらではIDやパスワードなどの設定の仕方がきちんと書いてありました。それを設定して完成。ためしに自分の携帯に電話をかけてみたらきちんとIP電話の番号が表示されたので一安心。IP電話って1人時間差腹話術ができるくらい話してから相手に届くまでの時間差があるんですね。結構びっくりしました。 そして、その後で友達の家に「ついたどー」と連絡を入れたら「え!? IP電話になっていないよ。だって、名前出たもん。」って言うじゃないですか。もう一度かけなおしても同じ。ためしに友人の携帯電話に掛けたらIP電話の番号が通知されました。
はにはに? 携帯電話にだけIP電話で通話できるの? 良く分かりませんが、その辺りで力が尽きて寝てしまったので疑問解決は後日。ま、家の電話って殆どこちらから掛けることはないですし、普段からそんなに通話料が掛かるものでもないですから、IP電話になろうとなっていなかろうとどっちでも良いんですけれどね。←ほんと、何の為につけたんだか自分でも良く分かっていません。ま、勢いってことですね。
私は健全なる成人男性として、自分がおっぱい星人であることを否定しません。ただし、以前にも書いたことですが、「おっぱい星人=巨乳好き」ではなく、私の場合「Aカップ萌え」…なんて宣言していますけれど、まぁ美しければ何カップでも可なんですけれどね。
いや、突然なんでこんなことを書くのかというと、ANAカードのマイレージが貯まっていて、年末までに使わなければ消えてしまうポイントがかなりありますので、「日帰りで函館へ行ってたらふく食べるツアー」「日帰りで福岡に行って柳川でうなぎを堪能するツアー」が候補だったのですが、もう1つ「15年前泣く泣く真夜中に通過した萩、津和野、秋吉台リベンジツアー」というのも候補になって、そのツアーをする場合は山口県の空港を利用することになりそうなんですよ。そんな訳で山口県について検索をして見つけたのがこれ(link)。 内容は極めて真面目なものなのですけれど「おっぱい都市宣言」…おっぱい星人の心をつかんで離さない響きではないですか。ついフラフラと行ってみたいと思った次第。もし、私の旅行先がこのツアーになったら、おっぱい星人がおっぱい宣言に引き寄せられたのだと思ってくださって結構です。
先日、高校野球で広島のチームから、広島に原爆が投下された日に黙祷をささげたいと提案したところ、高野連が「それは広島の問題だ」と切り捨てたと毎日新聞が報じて、謝罪訂正をするという事があったようです。
国交が正常化して30数年が経過し、その間に何十兆円もの援助を掠め取っていき、更に何度も天皇や首相が謝罪の言葉を述べているにも拘らず、都合が悪くなると「日本は謝罪していない」と持ち出したりする図体だけ大きな後進国や、その隣で同様の精神構造が身についている半島の発展途上国などが戦後60年も経って尚金を搾り取ろうと騒いでいるために、日本は悪い国なのではないかと思う人も多かろうと思います。しかし、日本は韓国のように都合の悪い本を焼く焚書をしたり、都合の悪い国を悪者と捻じ曲げて子供に教育をしたりする体制はありませんし、中国や北朝鮮のような社会主義という一部独裁者だけが贅沢をし、その贅沢を享受するために国民に情報を与えず、国民を平等に貧乏と死に追いやるような腐った社会構造もありません。とりあえず「小泉のバ〜カ」と言っても逮捕されませんし、韓国の俳優に熱を上げても逮捕されたりはしませんね。日本の政治家はバカで私利私欲に走る傾向にあって、自分たちの利益をむさぼるのに一生懸命ではあっても、思想を弾圧すると言う事にかけてはそれらの国に比べてはるかに危険度は低い国だと言えるでしょう。なぜはっきりと「たかりはいい加減にしろ」と言えないのか、「援助が欲しかったら言い方に気をつけろ」と言えないのか、その辺りが弱腰でイライラしてしまいます。日本が正しいとは言いません。が、日本はもっと自信を持って強く出ることが必要なのではないでしょうか。 私がそんな風に思う中で、平和ボケする老人が出てきても良いのではないかと能天気に考えていたのですが、実際には毎日新聞の勇み足だったようで、戦争という事について、原爆という事についてそう無責任な発言をすることはなかったようです。
いつか原爆を忘れてよい日が来るのか?と問われたら、私は「No」と答えるでしょう。原爆を投下した方が悪いのか、投下されることをした方が悪いのかが問題ではなく、原爆というものがどれだけの被害をもたらす物なのかを忘れてはいけないだろうという事です。(どっちが悪いのかという事については、単純に「戦争は勝った方が正義」ですから投下される事をした日本が悪かったのです。もし、日本がその後巻き返して戦争に勝利していたら、アメリカが悪くなっていたでしょうけれどね。ただ、そんなことは大事なことではないでしょう)
ただ、それを一生懸命やっている人、当事者の人には申し訳ないと思うのですが、戦後60年も経過して亡くなった人を「被爆者」として慰霊碑に入れる行事は本当に必要なのかはなはだ疑問だと思うのは事実です。 (そんなものと比べるなと言われそうですが)殺人事件でさえ10数年で時効を迎えるんですよ。被爆してから60年も生きながらえた人は「被爆して死亡した」のではなく「老衰」なり他の原因で亡くなったのではないでしょうか。その当時広島にいてその悲惨な光景を見てきた生き証人だったという事はわかります。しかし、「被爆が原因で亡くなった人」と「被爆地にいた人」の区別をしなければ、それは単なるお祭りになってしまうのではないかと思います。純粋に被爆で苦しんで亡くなった人が祭られるから慰霊碑の重みがあるのだと私は思うのですが…
結局、大方の予想通り郵政の民営化は反対多数で否決されてしまいましたね。
今回の件を受けて、マスコミは様々な人にインタビューをしているようです。そして、一般市民の中で反対をする人の意見を大雑把に分けると - 興味がない
- 今の郵便配達はとてもいい人で、近所の老人は皆感謝している
- 郵政の問題はもっと検討するべきだ
- 郵政の問題より検討すべきことはたくさんある。今は郵政どころじゃないはずだ
という事にまとまるようです。皆さんはいかがお考えでしょう。 この話の中で、まず最初の「興味がない」と次の「いい人だ」は論外とさせていただきます。もし民営化されるとその人は悪者になってしまうという危惧なのでしょうか。私のところに来る配達員は、つい最近までは宅配業者の方が圧倒的に愛想も良く、対応もすばやかったです。それに比べて郵便局の配達員の横柄な態度といったら…民営化という話が具体的になって漸く少しは笑顔が見られるようになりましたよ。別に民営になったらよい人が良い人じゃなくなるなんてことはありえないですね。問題として取り上げる価値もない話です。 3番目の「もっと検討を」については、そう思う人もいるかもしれませんが、もう十分考えつくされていることだと考えます。オウム真理教の浅原教祖をいつまで生かしておくつもりだっていうのと一緒です。やったこと、その罪の深さはわかっているのに、無駄な時間稼ぎをして延命を謀っているというのが実情でしょう。 その残りの1つは、郵政なんてどうでも良い。他に拉致問題とかもっと頭を悩ませるべきことがあるだろうという事らしいですが、果たして本当にそうでしょうか。どこの誰でも良いですが、それが友達であれ家族であれ赤の他人であれ、10人人が集まったらそこには10通りの意見ができるでしょう。これが100人になったら100通りです。しかしもっと集まったらみんなの意見をすべて聞いて回るわけにも行かないし、気の弱い人は発言できないし、気の強い人は強引に推し進めるので、じゃあ話のうまい人や強い意志を持っている人に代表して話し合ってもらおうって言うのが今の政治屋さんたちですよね。そのみんなを代表する、みなの期待を背負った人たちがみなそれぞれのプライオリティ(優先度)で問題を順位付けているとしたら、果たして「じゃあどれが一番最初に解決すべき問題でしょう」と聞いてまとまるでしょうか。私にはそうは思えません。また「この問題よりあの問題の方が大事なはずだ」と言う人は、本当に問題を整理できているのでしょうか。整理し切れなくて「あれもこれも」と考えて、物事の本質が見えなくなっているのではないでしょうか。- 問題とする項目が複数個ある。
- どれも解決されなければならない問題だ。
- それぞれの人にはそれぞれの考えで優先順位があるが統一はされていない。
というところで小泉首相が「これが一番」と決めた郵政問題を取り上げて解決をしようとして俎上に上げたのに「今はこれが問題じゃない」とほかの解決の目処が立っていないものの方が先だと言うのは的外れもいいところだと私は思います。順番は問題ではないでしょう。いくつかある問題の内、解決できるものから解決していくという姿勢が大切なのは明白です。それを「あっちの方が大切」と言う理由だけで潰すのは「愚かな行為」と言う以外になんと言えば良いのでしょうね。
郵政の問題と北朝鮮の問題どちらが大事なのか、又は他のどれと比べて何がどれだけ優先度が高いのか、私にはどうも理解できません。確かに北朝鮮の拉致問題も核開発問題も大きな事件ではありますし、中国や韓国との問題も大きなことでしょう。しかし、それは社会主義という矛盾した将来のない思想を維持するための間違ったアプローチが敵国「日本」を作り上げているという問題を長い時間をかけて解決していかなければならない訳で、それを解決するまで何十年私たちは税金を無駄に使っていかなければならないというのでしょうか。確かに国を挙げて対応をすべき問題です。しかし、私にはそれが郵政の問題より大事だとは到底思えません。どちらも解決する努力をして、解決できる時に解決をすべき問題であるという意味で同列だと思う次第です。
野党はなぜ民営化に反対だったのでしょうか。もし与党が「郵政の民営化は絶対にしない」と言っていたとしたら、野党は「郵政の民営化をするべきだ」と騒いでいたのではないでしょうか。マニフェストを作るんだとか、今度こそ政権をとるとか、議席を伸ばすとか言っているようですが、結局この野党と言うやくざの集団に政治的な倫理があるのか私は疑問を感じざるを得ません。
政治家にとって支持してくれる人、支持してくれる団体はとても大切なものです。その人たちのおかげで政治家だと言える訳ですからね。でも、それは諸刃の剣で、その人達の意に介さないことができなくなることも意味しています。 まったく見も知らない殺人犯を私たち野次馬は「あんなのはすぐに死刑にしてしまえ」といいます。しかし、その殺人犯の身内は「たとえ殺人犯であっても、私は身内の味方です」と言い切ります。どんなに悪いことをしたのかは分かっていても、それでも断ち切れないのが身内と言う絆であるという事ですね。同じように、選挙で支持をしてくれる側、支持する側がお互いを身内とみなしてしまうと、その間には悪いことを悪いといえなくなる絆ができてしまうのです。この絆が本来あるべき姿への道作りを邪魔する要因になっています。 ここ二日ほど、同じテーマで話をしてきました。その外側を包むものが何であれ(辛口批評だろうと政治だろうと)その根底で大切なのは、「無駄をそぎ落として、本質を見つめること」だという事をです。その視点で見て、今回、小泉首相を代表とする政権がその絆などのしがらみをすべて切り捨てて、本来あるべき日本を築いていこうと郵政の民営化を行おうとしたのに対し、多くの議員がしがらみの中でおぼれていて、本来の政治家としての職務を果たせていないという事が明らかになったといえるのではないでしょうか。小泉首相も私情で「反対した議員は公認しない」といっているのではなく、反対した議員は政治家として失格だと思ったからこそ切り捨てる大英断を下したのでしょう。 兎に角、今回の一件では、「新しい日本を作る」「政治家として正しい事をする」という気概がまるでなく、単に「自分を支持してくれる人の基盤を守る」とか「与党案に反対することが野党の使命」と理解している幼稚園児並の政治家しかいないという事が一層明るみに出た一幕だったのでしょうね。
郵政民営化法案の採決が今日の午後に迫りましたね。どうも、否決される可能性が高くなってきたという見方が強いようです。私は郵政民営化とは当然断行されるべきで、見苦しい悪あがきはやめて欲しいものだと思っています。
国が主導する事業とは、「国民にあまねく行き渡るサービスが必要なのにもかかわらず、民間に任せてはその実現が難しい(不可能な)もの」「そのコントロールを国が主導しなければならないもの」であるべきで、「利益を上げるためのもの」である必要は全くありません。
はるか昔、郵便事業は人のプライバシーを扱う事以外に、離島などの交通の便の悪いところまで配達をしなければならないという事が民間の事業として成立しない背景から国が行わなければならない事業であった訳です。しかし、宅配便の普及した今、日本国内で宅配便が届けられないけれど郵便だけが届けられるという場所はどこに存在するでしょう。 郵政3事業といわれる事業の残り2つ、郵貯と保険も民間企業がしのぎを削っている中、国がやる必要がどこにあるのでしょうか。ここだけは万一の時全財産を保障しますなどと民間と違う特徴があるのならまだしも、官が民の事業を妨害することの意味が分かりません。 赤字になるから民ではできない。だから仕方なく官がやる。それが官の仕事です。ですから官が主導する事業は赤字でいいのです。国鉄のように赤字になるのが当然なのに何の企業努力もせず胡坐をかいていた悪例があるので、そういうことはあってはならないという風潮が占めていますが、それは間違いだと思います。赤字になるのは仕方がない。しかしその中でも無駄はしないし、営業の努力はする。つまり今のJRの経営がなされていたなら国鉄は存続できていたはずなのです。 国鉄は自分の首を自分たちで絞めて民に移行しました。しかし、郵政事業は既にその存在意義を失っていると私は思います。今議員が反対をしているのは誰のためなのでしょうか。民営にされたら自分の選挙基盤、組織票がなくなることを恐れてのことでしょうか。
昨日の「想像」の話にもかぶりますが、今、小泉首相は感情や選挙基盤などという贅肉を捨てて日本のあるべき姿を考えた結果として「もう郵政が官営である必要はない。しかしそこにしがみついている議員が多い。だからこそ改革しなければならない」との結論に達したのではないかと思います。小泉首相については賛否両論あるとは思いますが、私が小泉首相を支持する理由は、他では失敗があっても、こうやってきちんと理論を組み立てて突き進んでいるところにあるのです。そして今、民営化に反対する議員の多くは郵政族などといわれる自分の出身基盤などしがらみに支配されている議員やその派閥議員ではないのでしょうか。
郵政は民営化されるべきです。議員の都合や一部の公務員の生活安定のために税金が無駄に使われ、更に官が民間企業の事業を圧迫するという異常事態が見直され、早くあるべき方向に流れ始めて欲しいと願ってやみません。
2005年08月07日(日) |
気の滅入る話 / 品川庄司 |
今回は気の滅入る話かも。そういうのが好きじゃない人はパスすることをお勧めします。
私は、自分の書く文章がどれだけ他の人に読まれているのか実はあんまり良く分かっていません。
最初は「読んで不快になるようなことは書かないようにしよう」と思っていたのですが、私の性格は粘度0の活火山(すぐに噴火するけど、後に残さない)という事らしく、結構簡単に爆発はするんですよ。ですから、爆発したことは書かないつもりだったのに、新聞やテレビなどを見ると爆発したいことがいくらでもある。我慢しているとストレスがたまるのでついつい書いてしまう。そんな感じで今日まで書いてきた訳で、毒のある文章は見たくない人にも、毒のある文章を見たい人にも中途半端なんじゃないかなぁと思ってしまいます。まぁ、ここではそれが私のスタイルになってしまっていますので、今更それを変えるという事をしようとは思いませんが、ずいぶん中途半端だなぁと反省する次第。
某所でコメントはどう書くべきかなんて議論が少し盛り上がっていたと思ってください。 Aさんが書いた文章にBさんがコメントをつけた。それを見たCさんがそのコメントに対して感情的な反論をした。それを見たDさんがそういうのは如何なものかと書いたらCさんがDさんに更に感情的な攻撃を仕掛け、たまたまCさんのページはその辛口批評が売りらしく、それなりの読者がいてDさんのページにあれこれ書き込みをしてしまいDさんは休止する羽目になってしまったという事にしておきましょう。 私はAさん、Cさんについては良く知りませんし、こう書いただけでこれは誰と誰のことって分かる人もいたりして、そこから面倒に巻き込まれるのも勘弁願いたいので、これは架空の話で実在の人物とは一切関係がございませんとお断りしておきます。いいですか、架空の話ですからね。 私はBさんとDさんの日記は読んでいます。しかし、Cさんという人のサイトは、以前たまたま少しだけ読んですぐに読むことをやめてしまいました。そして今回の話があったわけです。ええ、架空の話ですけれどね。 そこで、その問題の文章を読んで見たのですが、私は不快以外の感情を持てませんでした。辛口な文章っていうのには2種類あると思うのです。格好良く言えば、1つは感情や余計な贅肉をそぎ落として、事実のみを寄せ集めて核心を突くことによる辛口意見。もう1つは感情に左右されて垂れ流す辛口意見。何度でも書きますが想像の中の私はCさんの文章は殆ど2つか3つしか見ていませんから、これで全部を見たつもりになるのは大間違いだと分かっています。そしてかなり人気のあるサイトのようですから、人をひきつける何かがあるんでしょうという事も想像できます。しかし、私の個人的な意見としてはCさんの意見は後者の意見でしかないように思えたのです。たまたま読んだものがそうだったのかもしれませんがね。また、自分が書いたことに対する反論、意見などについても、相手が「Cさんは偉い。でも、自分の拙な意見も聞いていただけますか?」と言う話し方には耳を傾けても、「あなたの意見は違っているのでは?」と言う意見にはまず攻撃を仕掛けるという感じも見受けられ、その辺りも私としては受け入れられない部分であったわけです。ま、私の想像の中での話ですがね。
「コンピュータはデジタルだから答えはONかOFFしかない」「コンピュータのように割り切った答えなんか出せない」っていう事を聞いたことがあります。コンピュータと人間は違うといいたいようですが、コンピュータも人間も同じなんですよね。人の考えも突き詰めていけば最後の選択肢はデジタルの「はい(ON)かいいえ(OFF)」しかないんです。つまり「ジュースを飲みたい→買うか/買わないか」どちらかを選択するかって言うのと一緒です。多くのことをまとめてあれこれ考えているのでそんな「ON/OFF」で決められないって思うだけで、無駄なことをどんどん切り捨て、複数の選択肢があるときはそれを細分化して選べるところを選んでいくと、残った選択肢は(それがいくつ残っているにしても)「ONかOFFか」で選べることしか残っていないはずなんです。それ以外の答えがあるっていう事はまだその件については細分化できるし検討の余地があるっていう事なんです。そうして最後に残った選択肢も「はいかいいか」で決められるものにしかなり得ないのです。 先の辛口意見をする人で前者の人たちは、この辺りをきちんと整理されているのだと思います。まず感情を抜く、余計な話をそぎ落とす。残ったことを自分の倫理に照らし合わせてどこがおかしいのかを絞り込んでそれに意見をする。その人たちの意見には間違いもあるでしょう。けれど、そうしていることで意見に一貫性が生まれているのだと思います。だから読んでいても不快にならず痛快と感じることができるのではないかなと思います。自分はどっちなのか…できれば前者でありたいと思いますが、果たしてどうなんでしょう。まぁ、その辺りを決めるのは自分自身ではなく読んでくれている人たちですので、あえて自分で答えを書くことはしませんけどね。
「いんたあねっとを楽しくやりたい」というのは立派な1つの意見です。本来、誰にでも見られるものだから、そこに書く文章は責任を持つべきだと言うのが正論ですが、現状ではそういう事を意識していない人が気軽に入ってこられる環境ができてしまっているのですから、そこは文化が違うと割り切る必要があるのだと思います。自転車に子供を四人乗せて走るお母さんがいます。本当は道路交通法違反なのですが、免許を持っていないので取り締まることはできません。いや、取り締まることはできるでしょうけれど、罰則を適用できないでしょうという事です。ええ、私も中学生の頃に自転車でいわゆるネズミ捕りにつかまったことがありますよ。自転車(軽車両)の制限速度を30km/hオーバーしていたそうです。「逮捕されるんですか?」「罰金(正確には反則金)払うんですか?」なんて聞きましたが「捕まえたくても捕まえられないから注意してくれ」といわれました。でも「スピードメータついていないので注意できません」って言って終わりでした。兎に角、そういう風に、ある人には常識であることも、それが万人に通じるとは限りません。気に食わないからという事が「攻撃してよい」「排除するべきだ」には通じません。それは他でむしゃくしゃしたからホームレスを殴り殺したって言う事件と同列の愚劣な考えですし、相手が明らかに間違っていることを教えようとするにしても高飛車な態度で押し付けるのではなく、同じ立場のつもりで話をしなければ余計な軋轢を生むことになるでしょう。ケンカを仕掛けに行って相手が理解できないから「あいつはバカだ」と言うのって子供のケンカみたいですよね。読んでいても不愉快だって言うのはそういうことなんです。私は辛口意見を書く人ほど、人の意見を聞く耳を持たなければならないと思いますし、また人を批判する時はその言い方、書き方に十分注意しなければならないと思います。これは私の考えですから他の人と違っているとしても仕方ないと思います。参考になれば幸いですが、鼻を引っ掛けられても文句を言うつもりはございません。
そんな話をあれこれ「想像」していたのですが、先日、あるサイト様にコメントを書いたところ、どうも消されちゃったみたいです。 日記内に「羽毛布団を一年中使っている。夏はエアコンを18度、冬は30度にして」と言う話があったので、「羽毛布団は空気を断熱する布団だから、それはちょっと違うんじゃない?」って話を書いたんですよ。 削除されるような書き方をしたつもりはないのですが、どうもその人にはそれすら許されなかったようです。まぁ削除するもしないもサイト管理者様の気持ち次第ですから、それに文句を言うつもりはありません。ただ、私のお気に入りからそのサイトを削除しただけです。しかし、そんな「想像」をしているからこんなこともおきるのかなとか、そういうことってコメントに書くべきじゃないのかな。だとしたらどんな使い方をすべきなんだろうと考えてしまった次第。朝から暗い話でごめんなさい。
そう、昨日の品川宿、中ほどにステージが作られていて、私が見て回って一段落した時、そのステージに品川庄司が登場しました。私は芸能界音痴ですので、もしかしたら隣に有名な芸能人が居たこともあるのかもしれませんが、ほとんど経験がなかったんです。そんな訳で一度くらいこの人たちを生で見てやろうと思ってステージに行ったのですけれど、出てきた彼らのテンションは低すぎ…私は5分も持たずにステージから離れてしまいました。 暑かったからなんでしょうか、その辺りは分かりませんけれど、ちょっと残念だったなぁ。それともその後から面白くなったのかな。ちょっと気になるところでした。
2005年08月06日(土) |
道の駅「品川宿」とレトルトカレーと浴衣 |
先日、列車の中で「品川駅に一日だけの道の駅『品川宿』」と言うポスターを見ました。なんでも品川駅前のインターシティ前の広場に全国の道の駅が集まるのだそうです。北海道などに旅行をする時はかなり道の駅にお世話になっていますし、スタンプラリーなども参加していました。利用するのは北海道だけではなく、1000km近い距離でも一般道を箸っていったりすることも多い私としては、気軽に休憩ができたり、車中泊の友だったり兎に角便利に利用させてもらっています。そんな訳でこの催しもちょっと興味があり、わざわざ行ってきました。品川駅は2年ほど前までは乗換駅として利用していたのですが(もう2年も経つんですねぇ)、久し振りに行ったらやはりかなり変わっていましたね。そして覚えているつもりの店に行こうとしても全然たどり着けなかったりして自分の記憶力のなさにびっくりもしてきました。
北海道から九州まで各地の道の駅がそれぞれテントを張って、その店先で特産物などを売りさばいています。私は昼過ぎくらいに行ったのですが、中には人が1人とパンフレットを置いてあるだけで開店休業状態のところもありました。それは多分人気の店で早々に売り切れ状態だったんでしょうかね。(カニを扱っているところなどがそんな状況でしたから) 数十の道の駅が出店していたのですが、私が立ち寄ったことがあるのは北海道の北竜をはじめとして、東北の1つ、近畿の1つくらいでしたが、なんと言うか一堂に集まるとどこも似たり寄ったりになってしまうのは否めないんでしょうね。故郷創生とか言っていたエテ公がいましたが、十分な計画もなしに金だけばら撒いてもこんな結果にしかならないってことはその脳みそでは考えもつかなかったんでしょうね。ま、遠い昔の話ですけれどね。 「しょぼいなぁ」というのが最初の感想でしたが、良く良く考えてみると、多くの道の駅では建物の中で売るところもありますが、多くのところでは軒先のテントでもこんな風景を繰り広げています。ってことは雰囲気出ているってことですよね。
一通り見て回って、山形の玉コンとか食べたいって言う気持ちもありましたが、あれは山寺に登って帰ってくるときに食べるからうまいんです(←間違った偏見です)。だから食べない…正直に言えば貧乏だから贅沢は敵と我慢しました。と言う割には、大分の店からドンコなどの干しシイタケ、丹後の店からは黒豆茶、島根の店からは「しまねの和牛カレー」、新潟の店からは枝豆(茶豆)などを買いました。ええ、礼儀ですからたっぷり時間をかけて値切らせていただきましたよ。他の人がいなくなるのを見計らって、「おっちゃん。これ二つでいくらになる?」「これもってかえるの大変でしょ。処分していこうよ」兎に角公証をあれこれさせていただきました。残念ながら丹後の黒豆茶は試飲して交渉をしようとしていたら最後の一袋を狙う人が現れたので、交渉せずにあわててその一袋を定価で買ってしまったのが今でも心残りです。相手も「値切りもしないで買うなんて、なんて失礼な奴なんだ」位に思っているかもしれません。本当申し訳ないことをしました。
今日買った「しまねの和牛カレー」です。 画像の左下にも書いてあるように、箱の底には、このカレーに使われた牛の固体番号が明記されていて、牛の固体識別情報検索サービスというところでこの番号を入れれば、その牛の出生から解体まですべてが追跡できるようになっています。BSEが問題視されている昨今、このような配慮はとても嬉しいです。が、値段は600円と高めです。しかしカレー星人である私は、とりあえず食べてみることにしたのです。 帰宅してすぐに食べてみました。結論から言って100点満点中の40点かなぁ。 良い点- 中辛と言う選択は正しい
- カレーは独特のうまみを持っていておいしい。
- 牛の識別番号がついているのも親切で安心できる。(気休めとも言えるけど)
悪い点- 値段が高い。せめて500円に抑えるべき。(理想は398円位かな)
- 「和牛」カレーと言っているのに、肉は100円のレトルト並カレーに入っていない。全部溶かしたって言いたいのか?
- 野菜も小さくて中途半端。うまいんだけどね。
何よりも「和牛」とデカデカ書いてあるのに、その肉片がちびちびとしか入っていないのが残念でした。それに対応するように野菜も小さくて、なにか高いラーメンを頼んだのに具が何にもなくて面とスープだけが出てきたような気持ちになりました。このカレーは何度も言いますが、私の個人的な味覚としては「おいしい」です。ですから名前を広めて人気が出るまでは値段を500円に抑え、肉や野菜をもう少し大きく残るように工夫してくれたらもっと売れるんじゃないかと思います。おいしいのに戦略を間違えているんじゃないかなというのが正直な感想でした。
ちなみに、今日買った訳ではないですが、私のお気に入りのレトルトカレーを紹介しておきます。
これは兵庫北部のブランド牛である但馬牛を使ったというカレーです。但馬牛カレーと言うのはこれ以外にも香美町(以前の美方町)で作られている「但馬牛のビーフカレー」というものもあるようですが、私はそちらはまだ食べたことがないのです。こちらは昨年香美町(以前の香住町)の矢田川温泉に行った時(正確には大常時に丸山応挙の襖絵を見にいって、途中で立ち寄った矢田川温泉で)買ったこのカレーがとてもおいしかったのです。こちらは和田山の会社が製造元とのことで、2袋入って630円と先のカレーに比べたら半分の値段ですね。でも、そのカレーのうまみやバランスははるかに上を行っていると思います。どうか見習って欲しいものです。このカレーまた買いに行きたいなぁ…
帰り道、どこかでお祭りでもあるのか、列車の中で何人もの浴衣姿のお嬢さんを見ました。やはり浴衣姿ってかわいいですね。いい年のおっさんがそう言うと下衆ないやらしさをかもし出すかもしれませんが、そうしか言いようがないのでごめんなさい。いやらしい言い方ついでに言わせてもらえば、寸胴体型の人も、メリハリのある体型の人も、太めの人も、やせすぎの人も兎に角和服はとても柔軟に包み込んできれいに見せてくれますね。特に腰からお尻のラインって、これはどんな洋服より和服が美しく見せてくれると私は思っています。子供の頃から和服に囲まれて育ったようなところもあるので、和服を見るとほっとするというのもそう感じる理由なのかもしれません。でも、最近の若い子や奇をてらったデザイナーが和服を洋服と融合させようとしたり、ミニスカートのように着こなしたりするような動きもあるようですが、和服はそれで1つ完成された美しさがあるものですから、どうかそれを「今風」に着こなそうなどと思うのではなく、1つくらいは日本の良さを楽しもうと自分が歩み寄る努力をして欲しいなと思う次第です。クールビズなんて半そでの背広を着てきたり(古!)、変な格好をするより、浴衣で仕事って言うのが一番涼しくて良いんですけれどねぇ。エアコンをすべて停止して、打ち水とうちわで過ごす一日って言うのもあっていいんじゃないかなぁ…
2005年08月05日(金) |
痴漢と酔っ払い / 旗 / 高校野球 |
今日(既に昨日ですが)の帰り道は酔っ払いのてんこ盛りでした。 列車の通路で大の字に寝る(多分)女子大生、真っ赤な顔(酔っ払い)して座席に座って携帯電話をいじるのに熱中してミニスカートの足を大きく広げ向かいの席の人に大サービスしているお姉さん、携帯電話の着信音を大音量にして様々なパターンを鳴らし続ける若い社会人らしき兄ちゃん…そしてやはり、女性にさわりがたる輩が…私はたまたま乗り換えた列車で座ることができたのですが、私の前に25歳前後の女性が立っていたんですよ。他にも余裕を持って立てる場所はいくらでもあるのに、60歳くらいの、たぶん会社ではそれなりの役職についているんじゃないのかなと思われるようなおっさんがその女性のすぐ後に立ったんです。多分やるだろうなぁと思ってみていたら、案の定酔っ払っているからわざとじゃないよと言う感じで体をふらつかせながらあちこちを触っています。もし「やめてください」と女性が騒いでも「俺は何もしていないよ」としらばくれられるすれすれのところって感じでしょうか。その内車内が混み始めたら、更にふらふらしているんだからねと言う感じを滲ませて自分の顔を女性の顔の近くに持っていったり、体をふらつかせたフリをして自分の股間を女性のお尻辺りに押し付けていきます。女性の方が後を振り向いて睨む素振りをしても、そのおっさんは酔ったフリをして顔をあわせずふらふらしています。あまりにもひどいので「お座んなさい」と席を譲ったのですが、このおっさん、前が女性でなくむさいおっさんになったら途端にしゃっきりするんですよ。不思議ですよね。 私の目には「出るところ出るなら証言してあげるよ」と言ってもいいくらいの犯罪行為だったと思えるのですが、その女性が何も言わないので私には果たしてどうだったのか確信がありません。こういう不届きな、人間失格のケダモノをどうにかしないといけないのねと本当実感しました。っていうか、この場合は「痴漢」行為より、「酔っ払って理性をなくする」方が問題なんですよね。どちらも他人に迷惑をかけるという点では一緒ですが、痴漢になる人はごく一部ですが酔っ払いはかなり多くの人が簡単になる事ができますし、酔っ払って理性が飛んで痴漢になるという事もあるという点で、私は「痴漢撲滅」より「酔っ払い撲滅」=「嫌酒権運動」を広めるべきではないかと思うのですが如何なものでしょう←多くの人が酒を飲む状況では賛同を得られないだろうなぁ…
前にも書いた記憶はあるのですが…
サッカーの試合などで、大きな旗が観客席を飾ることがありますよね。何十人、何百人分の座席を覆うような大きな旗。これって楽しんでいるんでしょうか。自分もこの旗を広げている一員だという事で満足されるんでしょうか。 試合開始前から試合中、インターバル、試合後、どこをとっても私は見る見ないを他人に決められたくないと強く思います。誰かが点を取った「それっ」と旗を広げて、自分の視界は旗の布地だけになって歓声を上げている? その間に点が入ったら悔しくないですか?それこそ(古いけど)ドーハの悲劇なんていわれるような歴史的な1点が、その現場に居合わせたのに、旗の下に居たおかげで見逃したなんてことがあったら一生後悔すると思いませんか。
以前にも書いたネタかもしれませんが、知人にTDLの駐車場に行かないかと誘われたことがあります。TDLの駐車場?何するの?と聞くと、TDLの何周年かの記念で、駐車場に車を集めて絵文字などを作って航空写真を撮るのだそうです。それに参加しないかというお誘いだったのですが、私はそんなことのために貴重な休み時間をつぶされるのは絶対にいやと断りましたが、世の中にはこういう事に参加することで満足できる人も多いのねと改めて実感したのですが、この旗を広げる人もこういう行事に参加する人も「参加した」という事に満足できるタイプという事では同類の人なんでしょうかね。
兎に角、あの旗は「満足できる人」たちの間でやってくれるなら問題はないのですが、たまたま指定された席が、座った席がその勢力範囲内だったなんてことになったら迷惑千万じゃないかなぁと思います。タバコを持った手を大きく振り回しながら歩く人、オープンエアのイアフォンなのにも拘らず大音量で音楽を聴いて周りに迷惑をかけている人などと一緒で、自分たちは陶酔していて気付かないかもしれないけれど、周りの人は迷惑しているかもしれないなんて思うことがあるのかなぁ…
高知の某代表高校が、部内のいじめや喫煙が発覚して出場辞退となってしまいました。
うーん、今は甲子園大会って学校の知名度を広める広告塔と、選手のプロへのアピールの場と言う両者の利害が合致した場所って言う感じが否めないですね。だから、学校(特に私立)は勉強なんて一切できなくても、兎に角野球がうまければ入学させて選手にさせるという感じなのかな。高校生「らしく」って言うのは坊主頭であることでも、きびきびした態度であることでもなく、単に「文武両道」であるべきではないかと思うのです。夢はプロ野球選手だから野球しか知らないというのは「高校生」としては道を外れていますし、学校の広告塔というのも、生徒のあるべき姿から外れています。つまり道を踏み外したところで利害が一致している結果が今回のような事件に繋がっているんじゃないかなと私は思うんですよ。 ですから私は提案します。「最初の試合組み合わせを抽選する場で実力テストをするべきだ」と。実力テストで赤点を取った選手は出場禁止。一定のレベルの頭がなければ選手の価値はない。それ位にして初めて健全な、さわやかな高校野球が実現できるんじゃないでしょうか。如何でしょう。
2005年08月04日(木) |
トリビアとオークションのこと |
昨日は早く帰って、「くだらない」などといいつつ、やることがないのでボケーっとテレビを眺めていました。で、「トリビアの泉」では「今夜はもう一度見たい種SP珠玉の検証VTR一挙公開! 真夏の夜に満開乱れ咲き!! 最初で最後永久保存版」なんて長いタイトルで視聴者から寄せられた「これはトリビアになりませんか?」と言う実験を放送していました。長さ10mの輪ゴムは何メートル飛ぶかとか、くだらないけど笑える。けどくだらなくてむなしいそんな実験が繰り返されていました。が、「サスペンスドラマの犯人は、新聞の番組欄の何番目の俳優(女優)か」と言う実験、結果が何番目かではなく、1位が31%で2位、3位も25%前後…これじゃ決定力はないですよね。でも、私には全く何のことか分かりませんでしたが、多分有名なサスペンスドラマの主人公が勢ぞろいでもしたのでしょう、(多分)サスペンスドラマそのものの台詞で演技をしたにもかかわらず、結果が結局は曖昧なままだったためサスペンスドラマをほとんど見ることのない一視聴者としては「これじゃ分からなかろうもん」「これなにやっとーとや」と不満が募る結果になったとです。
オークションで、ちょこまかと小物を売ったり買ったりしているのですが、なんというんでしょうねぇ、私には理解できないことが二つあります。 1つは「最低落札金額」って言う奴です。 オークションは出品者が決めたスタート価格から値段を競って、一番高い値段をつけた人が落札をする訳ですが、スタート価格が高いと入札されにくいという事もあるようです。また、「この商品なら値段は上がるだろう」と安い値段を設定していて、結果、思った値段まで達せず「売りたくない」なんていう素人もいらっしゃるようですが、そういう時に、最低落札価格というものを設定するらしいのです。つまり「この商品は5万円以上じゃないと売らないけど、スターと価格は1円にしておく」と言う設定ができるんです。その商品が5万円くらいの価値があるのなら、1円で出てくれば注目はしますよね。でも、入れても「まだ最低落札価格に達しません」なんていわれてしまう訳ですよ。ひどい人になると5万円が希望落札価格で49900円が最低落札価格なのにスタート価格を1円に設定しているなんて言うのも見たことがあります。 注目も集めるかもしれませんが、私は腹が立つので基本的に最低落札価格を設定している商品には手を出しません。こういう設定ができる人は私とは相容れない性格だろうから信用できないと言う極論で挑んでいる訳です。
そしてもう1つの不思議は、入札のタイミングです。 素人はまだ終わりまで時間があるのに、自分が欲しいと見境なく商品の値段を吊り上げます。慣れてくると途中は監視のみにして値段の上昇を抑え、最後の数分が勝負となります。でも、出品者によっては、少しでも設けたいという気持ちか、それとも最後の数秒で高い値段を入れて掻っ攫っていくやり方が気に食わずに「自動延長」と言うオプションをつける人も居ます。最後の数分に入札があった場合、自動的に終了時間を延長して、他の人にも入札する時間を公平に与えますという機能で、私は私が欲しかったものを掻っ攫っていかれた苦い記憶がたくさんあるので、自分が出品するものにはこのオプションを必ずつけています。 素人さんならそんな機能があるなんて知らなかったというのは理解します。けれど評価が数百もあるような人が、その自動延長が設定してあるオークションで、終了の1分前を切った時に入札するってどうよ。いや、その時に見つけてあわてて入札してきたって言う人も居るでしょうけれど、そうじゃない人も結構居るんですよね。それともそれは自動応札のプログラムでもあって利用しているのでしょうか。そんな人が何人かいると、本当終わる時間が延びて仕方ないんですよね。自分が出品しているものでそれをやられると、いつまで経っても終わらずに本当嫌になってしまうことがあります。自分の経験では終了時間が1時間ずれ込んだことがあるんですよ。
「なんでそんな事ができるのか」私の頭では理解できないのですが、でも少なくとも最低落札価格って言う制度があってなくならないってことは、これを便利に思うセクトもあるということなんでしょ。誰かこれはこんな風に使うと便利なんだよって教えてくれませんかね。自分が理解できないからと否定するのは簡単なんですが、どうも納得がいかなくて、のどの奥に骨が引っかかった幹事で気持ち悪いのです。
2005年08月03日(水) |
小さな一歩 / 早く帰ったけど |
大阪市議会は正副議長に認められている議会交際費を全面公開すると発表しました。
今までは個人情報保護法の名の下に非公開としてきた方針を転換したようです。大阪市は今年度分から市長の交際費を全面公開に踏み切っていますが、一応これも小さな一歩といえるのでしょうね。しかし、議会交際費は500万円の予算だそうです。しかし、公務員が1000人居たとして、その1人が無駄な手当てを月に500円受け取り、500円交通費をごまかしたとしたら、それだけで1,000,000万円です。それが12ヶ月ですから12,000,000円。実際には公務員の数が1000人ですむ筈もないし、ごまかされている、又は一般企業では考えられない手当ての金額はこんなものではないと思われます。また、一般企業では考えられない基準で発注される工事、身内企業に流れる仕事などを考えれば、今回の全面公開などは氷山の一角と言うより日本海の中の水一滴程度の前進なのではないかと思われます。まぁ0(Zero:零)よりはましと言う程度でしょうか。
今回の決定を受け大阪市議会議長は「姿勢をチェックする市議会自らが未公開では市民が納得しない。公開は時代の流れ」と話しているそうですが、全くその通りだと思います。公的機関と取引をするという事は市民、国民の税金を使うという事です。その税金を使う仕事に携わるなら情報公開を原則とするべきです。公開できないような情報を持つ胡散臭い会社に税金を払うべきではないでしょう。そして、私は何度でも言いますが、議会のお偉いさんだけではなく、役所などで事務作業に携わる一人一人まで、手当てや残業代金、交通費と交際費などをすべて公開するべきです。公務員、お役人にもまともな人は数多く居ます。いや、そういうより一握りのまともじゃない人のイメージが全体を現してしまっているといっても良いくらいだと思います。交通費を多少多く申請するくらいは、別に公務員じゃなくて普通の会社員でもやっていることでしょう。そんなに公務員だけが悪いという事はあまりないのです。が、まともそうな人でも、常識知らずの人の中に育ったために非常識が常識と思い込んでいる部分があるのも確かだと思います。その辺りで不信を買っているのですから、公務員は公務に携わる(逆の意味での)特権として自分のプライバシーのすれすれまでを公開すべきです。まぁ実現は難しいのでしょうけれど、そうやって初めて公務員は信用されるようになるのではないでしょうか。
ずっと午前様が続いていたので、今日は無理やり仕事を放り投げて早くに帰宅しました。たまにはそういう日があってもいいんじゃないかな。しかし、ここしばらく深夜に帰宅することが続いたので、早く帰ってきても何をしていいか分かりません。テレビは見てもつまらないし、どうやって時間をつぶせばいいんだろう…
それにしても多くの人が帰宅する時間帯に帰るっていい感じです。「ああ人並み」って思っちゃいます。深夜の遊びつかれた学生さんや酔っ払いが一杯の列車で帰るのは本当悲しいのです。別にきれいなお姉さんが乗って居なかろうと、酔っ払いが殆ど居ない列車に乗るって、たったこれだけがとても幸せなことのように思えました。
2005年08月02日(火) |
役所もNHK方式を取り入れるべきでは? |
NHKは7月末時点での受信料支払い拒否・保留件数が117万件を超えたそうです。 昨年7月に発覚した制作費着服事件以降増加の一途を辿り、今年1月末時点では39.7万件、3月末で74.7万件、5月末で97万件と増え続けてきていたとのことです。
不払いの原因には、その事件も影響があるでしょうけれど、ニュース報道などで大々的に「支払いを拒否する人が増えた」などと取り上げられ、まじめに払うと不公平だと感じる人も多いでしょうし、拒否できるならしちゃえと思う人も多いでしょう。しかし、もともと支払いを自動引き落としにしている家庭でわざわざ自動引き落としをやめて支払いを拒否した人はそんなに多くはないと思います。つまり支払いを拒否した人の多くは、もともとNHKを殆ど見ない層なんじゃないかなと思うのです。その人たちはもともと不公平感を持っていたのに拒否するだけの勇気がなかった。でも、今回の一軒で拒否する大義名分ができたという事なのではないかと思います。
117万人の不払いは予算に対し、60億円から100億円の影響が出るそうで、NHKは秋の正規職員採用を見送るなど対応に迫られているようです。それは大変なことでしょうね。私は、NHKの存在意義はあると思います。短絡的に自分にとって面白い番組がないから存在価値がないと決め付けるのはNHKの存在意義をまったく理解していない愚かな考えだと思います。NHKは民放では予算の都合でできないものも価値があると思えば予算を度外視して作ることができる機関であるわけで、たとえば「シルクロード」のような番組や、自然を長期にわたって撮影した番組など「NHKだからこそできる番組」も多いのです。問題はNHKがその存在意義を忘れ、自分に権力があると勘違いしたバカなプロデューサーが私欲におぼれたり、お役所の特徴で金銭感覚が麻痺する人が続出し、更にそれをチェックできる機構がなかったと言うことにある訳で、それは人事の問題であって、NHK自体の存続意義にかかわるものではないと思うのです。 しかし、一度失った信用を取り戻すというより、一度支払わなくて良いとなった受信料を再度支払ってもらうためにはかなりの努力と言うか荒療治が必要だと思われます。なにより、一番は「不公平感」なのでしょう。それをどうにかしないと駄目だと思いますが、本当にテレビを持っていない人もいるのでしょうけれど、それはごく少数とみなして、私は受信料を集金するのではなく、税金として徴収してしまえば宜しかろうと思うのです。本来のNHKにはそうするべき価値はあるのですから。
逆に、役所や政治家などには集金制度を取り入れるべきではないでしょうか。 税金から報酬や給料をお支払いするのではなく、集金人がそれぞれの家へ集金に伺って「すみませんが、給料を集金に参りました。お支払いいただけますか」とかやってくれたらいいんですよ。今、お役所の給料を集金制にしたら、多分給料は半額以下になるんじゃないかなぁ。それが嫌だったらしっかり働け。そしてしっかり世の中を見据えてサービスに努めろ。その努力が給料に跳ね返ってくるんだ。彼らもそう実感できるでしょう。
これってかなり良いアイデアじゃないかなぁと思うんですが如何ですか。
2005年08月01日(月) |
ちょっと気になるニュース |
- 駐車中の冷房を外部電源で
- 日野自動車と東京電力は、トラックステーションに駐車するトラックの冷暖房を外部電源で賄う事により、アイドリングを減らす実験を始めるそうです。
長距離トラックにとってトラックは寝泊りもする場所な訳で、私も一時期自分の車で車中泊を良くやる羽目になっていましたが、冬は布団を増やすことで対応できますが、夏は自分で網と磁石などを使って網戸を作って車の窓を開けて寝たとしても、あまり大きく開けると盗難の心配もありますし、かと言って開口部が狭いと窓が開いていても空気が流れません。そんな理由でどうしても冷房を入れて眠らざるを得ないと言う状況を経験していて、とてもよく理解できるのです。 しかし、高速道路のSAやPAなどでトラックの駐車場所はここと指定されているのに普通乗用車の駐車スペースに来て駐車しているトラックも良く見かけます(その逆もあるので一概にトラックを責められるわけではありませんが)。そんなトラックのアイドリングの音は、普通乗用車で車中泊をする私たちにとってとても大きな障害でした。トラックはその大きさから、または慣れからアイドリングの音は気にならないのかもしれません。大型トラックはキャビンが独立したサスペンションで浮いていますから振動も伝わらないでしょう。でも、そのトラックに横付けされた普通乗用車は、そのアイドリングの音と振動で熟睡していても起こされてしまうくらいなんです。何度ドアをたたいて文句を言ってやろうと思ったことか…それら運転手は私が小心者だったってことに感謝するが良いです。
大義名分はその運転手が寝ている数時間のアイドリングをストップすることで無駄な燃料消費を防ぎ、それによって二酸化炭素や窒素酸化物の排出を抑えようと言う事なのですが、それも期待できるし、この方式が一般に広まればPA,SAなどでも静かな夜が期待できるという事になるのでしょう。どうか実験がうまくいって早く普及してくれることを祈っています。
- LPガスも国家備蓄に…
- 国家備蓄は石油に限られていたのですが、この度石川県の七尾市にLPガス(liquefied petroleum gas)の備蓄基地が完成し、稼動を始めるそうです。
なんというか、家庭用燃料としてプロパンガスを使っている家庭も多いのに、今まで備蓄がなかったって言うのはびっくりしました。1981年以降は民間業者に50日分の備蓄を義務付けているのだそうですが、こういう生活にかかわるものは民間任せではなく国家対応をするのがふさわしいのではないでしょうか。ちょっと対応が遅すぎるように感じます。
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