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2000年12月21日(木) 大罪

日本の国債発行額が400兆円に上るという。
子供銀行の冗談かと思うがごとき額。
現職の大蔵大臣自ら「歴史上最大の借金をした大臣と名を残す」と自慢したそうだ。

駅の一等地には高利貸とパチンコ屋が濫立する。
当るはずも無い宝くじを買え買えと騒ぐかと思えば、TVCMでは公営ギャンブル主催者が「電車賃残して有り金全部つぎ込め」と喚き立てる。公共の電波を使ってだ!?
有名兄弟力士の長男が邪教の背後操縦下にあるマスコミ策謀にまんまと引っ掛かり、力士を廃業し、蛆虫のごとく堕落肥満TVタレントとして恥曝しを演ずるという。
病院や郵便局は老人で溢れ、今のうちこの世の春の宴とばかりに国庫は食い潰されていく。
その一方で若年層の犯罪には、やれ道徳感の喪失だとか戦後教育の弊害だとが有害図書、映像が原因だとか聖人君子のごとく振舞う。
この国をここまで貶めたというのに「お前」は何者だ?

ある百貨店に何千億融資した挙げ句、破たんした金融機関がある。
どこかの誰かにまんまと乗せられたバブル経済を引き起こし、成金三昧の挙げ句、これまた予定調和で破綻して日本を破産に追い込んだのは、どこの誰だ?
その上、昨今の不況は個人消費の低迷が原因などと責任転嫁し、貴重な貯蓄さえ吐き出させようとする。
そんな稚拙な口車に乗せられるほど日本人が馬鹿だと思ったのか?
次世代に多大な負債と荒廃を残しておきながら、今度は青少年の健全な育成だと?
「お前」が言える台詞か?
そんな荒廃下でマトモな青少年が育つと思うか?
もし本気で言っているのならば「お前」は精神異常者だ。

神聖なる大地を換金し邪教徒に売り渡し、八百万の神を冒涜した罪こそ、まず裁かれるべきじゃないのか?諸悪の根源はすべてここのあるのは明白なのだから。

株価も1万4千円を切ったという。
「お前」のスポンサーはもう「お前」達を必要としないそうだ。
絞り出すだけ絞ってもう役に立たないと見限ったんだろう。
外国人投資家に媚び諂い、奴隷のごとく言いなりになって、神聖なる国土を売り払った挙げ句がこの有様だ。
「お前」は捨てられた妾と同じ。「お前」は失敗した。
国土を売った犯罪者だ。
精神異常者にして、捨てられた妾にして、犯罪者。
「お前」は大罪を犯した。

「お前」のもたらすモノは絶望だ。
次世代に残された希望は死だけだ。
にもかかわらず、その死の自由さえも次世代から奪おうとする。
自殺に関する図書を有害図書に指定するとはどういう了見だ?
絶望を与えておいて、更に生き恥を曝せだと?
若年層から搾取して、意地汚く生き長らえようとするためには死なれては困るのだろう?
健全なる育成ではなく、搾取のための育成だろう?
大罪を犯した者に次世代を育む資格などあるか?
冗談にもほどがある。

嘘と欺瞞はやがて本当の戦争によって埋め合わされることを覚悟するがよい。
死は「お前」達が呼んだのだ。
拝金主義が堕落を呼び込み、絶望を蔓延させ死に歓喜を与えた。
「お前」達には神罰が相当だ。人が裁かねば、神が裁く。
神の名によって「お前」達は裁かれる。

心ある陸海空三自衛隊将兵諸君。
いよいよ可及的速やかに神罰の日を実践しなければならないようです。
国軍とは何であるかという真価を問われる日は近いのです。
八百万の神汚す者に神罰を下すのは、国軍の義務でもあるのです。
本当の意味での若年層の健全なる育成とは、
『神聖なる国土を荒廃させた罪人に神罰を!』です。
このスローガン実践なくして未来はありえません。
この闘いに参加することこそ、真の健全なる青少年の証。
秩序回復の松明を掲げる時はまもなくだ。
虐げられし正しき者よ。暫し待て。歓喜ある死をもってこの国を救おう。


2000年12月15日(金) 神への道

この頃、やたら20世紀に起こった諸々のベストを決めようとする企画が氾濫している。
だがいったい、今生きている人間がこの20世紀をどれだけ振り返ってその真価を理解できるというのだろう?
そもそも、その時期に生まれてもおらず、ましてや当事者でもない者が伝え聞いたことだけをとって20世紀ベスト云々を決めること自体、無理がある。
一方で、この100年を通せばたいした出来事ではないのに、たまたま近年に起こった事象を20世紀のベストに入れてしまう滑稽さが目立つ。
だが、無理を承知で20世紀を語るとすれば議論する余地はどこにもない。
すでに結論は出ていよう。
・・
20世紀前半の二つの世界大戦。
その人類の闘争の結果としての核兵器とアポロ計画。
破壊と創造、そしてその礎となった無数の人柱。
20世紀はこれ以上でもないしこれ以下でもない。
1970年以降の出来事などその余韻でしかないし、今、生きている人間が20世紀を振り返る資格もない。1940年から1945年の5年間と1995年から2000年の5年間を比べてみよ。
これを同じ20世紀として比べられるというのか?
同じ5年間でもそこに生きた者達の魂の燃焼度は雲泥の差だ。

人類が月に一歩を標した時がその頂点だったのであり、それ以降、人類の文明は確実に衰退し始めた。
今世紀末は、全ての終わりの始まり。
人類はそれほど遠くない内に自らの存在を維持出来なくなろう。
少子化と生産人口の低下、巨大技術を維持建築していく人材と知識がどんどん失われつつある。
唯一自らを存在し続けるには、この行き詰まった生物としての肉体を捨て、魂を新たなステージへ昇華させる以外にない。
そう、ヒトゲノム計画による自らの生命としての設計図を完全に解読し、それをデジタル化することによって我々は新たなモノに進化しなければならぬ。
人類補完計画。
神への道。
その現実化のための闘争を次の100年から始めなければならない。
肉体に代わる新たなる魂の座。
第一先住民族が残したという『超越した存在』をサルベージして再生させ、魂を永久継承することが21世紀の命題となろう。
だがしかし、現実には、その流れは起こっていない。
むしろ、現状を固定し、現状下で生き長らえようと足掻いている。
だが、建設と発展を止めた世界に希望はない。
1901年当時、常識であった寿命の限界、病の克服、飢餓、貧困、知的財産等諸々のことが100年後の現在、いかに飛躍的に発展、改善されたか。
その理由は前途した通り。
科学技術革命のもと、人類がその持てるエネルギーを最大集約したからこそ、今日がある。
このままだと21世紀は歴史年表に何も記されない、ただ衰退していくだけの100年となろう。
20世紀前半の闘争の産物をただ反芻するだけで既得権益に縋り付き、過去の遺産を食い潰す者に未来は訪れない。
あるのは絶望だけだ。


2000年12月09日(土) メディアは日本のプライドある青少年に銃口を向けている

例の歌舞伎町手製爆弾犯17歳青年の部屋からある漫画本が押収され、その内容が今回の事件を触発させた原因かのように報道されているという。
この事件が大きく報道されているのは、事件の衝撃性からではない。
他に目的があるから。
あるいは事件自体がその目的の為に捏造されたフィクションである可能性も拭えない。
その目的は明白だ。

昨今の青少年犯罪報道と、それに触発されたと思われる数々の表現活動規制法案は、青少年の健全な育成環境を問い正すためだという。
しかし実際、統計上未成年の犯罪絶対数のピークは1950〜60年代。今、増えているのはメディアの扱いだけ。
統計を誤魔化すのは容易ではないが、事件を誇大に扱う事など雑作もなかろう。
ではなぜ、こんな合理性のない報道をあえて展開するのか。
それは他に目的があるからである。
本当の目的は日本の優秀なるアニメ、ゲーム、コミック産業の壊滅と殲滅を狙った国際的策謀の一環と考えるのが最も合理性があろう。
現在、いわいる日本のアニメ、ゲーム、コミック等を代表とするアミューズメント産業は、唯一、世界に対しイニシアティブを発揮出来るポジションにあると言える。
経済効果もさることながら、生きる精神的な支えを確立する有効な媒体として日本製アニメ、ゲーム、コミックは世界中で認められはじめた。
これらの作品群は新たな価値観、新たな生きるステージを垣間見せてくれる最も優れた伝道師でもある。
つまり、新しき「意識改革」が、このアニメ、ゲーム、コミックに介されて日本から世界へ広がって行く可能性がある。
当然、古き欺瞞で世界を支配下に置こうとする者にとっては都合が悪い。
若き者が新たな価値観に覚醒することは邪教徒にとって忌むべきこと。
彼等にとって何としても潰さねばならぬ最優先課題であろう。
とすれば、彼等がその支配下にあるメディアを使い、策謀を展開するであろうことは容易に推測出来る。
これらの誇大報道と立法府による規制法の立案はすべて外国勢力の介入があったと見るべきだ。
日本唯一の世界展開可能な革命的産業とそれを媒体とする覚醒メッセージは、欧米中心の世界覇権勢力にとって恐怖以外の何ものでもない。
ゆえに、あらいる手段を講じ、釈迦力になってこの「新しき覚醒伝道師」たちを殲滅しようと足掻いている。
「青少年の健全な育成」というもっともらしいプロパガンダを隠れみのにして、若年層の中に芽生え始めた「希望」を根絶やしにする。
それが昨今の情況の真の目的と考えれば合点がいこう。
かつての埼玉連続幼女殺人事件以来、幾度となく繰り返されてきた策謀報道。
異常犯罪の原因をすべてアニメ、ゲーム、コミックに転嫁させ、その目的達成の効果的梃子に応用する事。
だがこれは策謀の始まりに過ぎない。
古き欺瞞に満ちた者共が自らの既得権益に縋るために外部邪教勢力と結託し、新しき覚醒者達を殲滅するための茶番劇はますますエスカレートするだろう。
やがては、今回のような事件を露骨に捏造し、その背後操縦下にあるメディアを動員して、この国のアニメ、ゲーム、コミック産業に従事する者すべてを犯罪者に仕立て上げ、全員刑務所か収容所送りにし、ラーゲリーで強制労働下、獄死させようと画策するだろう。
これが現実だ。
メディアはいつも真の支配者の道具に過ぎない。
報道の中立性など欺瞞そのもの。ある目的のためには人を殺す道具にだってなる。
今、メディアは日本のプライドある青少年に銃口を向けている。
報道機関は邪教徒に雇われた殺し屋だ。
これを否定出来るか?


2000年12月04日(月) マスコミは本当の支配者を批判出来ない

日本の行政府の内閣改造のニュース。
例によってマスコミは現政権を批判する論調に終始する。
何がそんなに気にいらないのか知らないが、とにかく批判することが嬉しくて仕方ないらしい。
内閣支持率(これもマスコミの自作自演の可能性大)が下がると精薄の子供のごとくキャキャッとはしゃぐ様は尋常ではない。
一方で行政府を批判しても何ら御咎めなしということは、すでに今の行政府にはメディアを掌握する権力などないということだろう。
少なくともこの国の支配権が現行政府にはないということ。
では本当にこの国を牛耳っている存在に対し、マスコミは批判出来るか?
たとえば、日本の全資産を背後操縦出来る立場にある外国人投資家。
彼等を手厳しく批判する論陣がニュースや新聞で大きく展開されたことがあったか?

そんなものはみたことがない。
仮にそれを試みたとしても次の日には忽然と「なかったこと」にされるのがオチだ。
マスコミは本当の支配者を批判出来ない。
なぜならば、いつの世も真の支配者がメディアを操縦出来る立場にあるから。
それを知っていれば、マスコミが現日本政権を子供の戯れ言のごとく、悪く書き立てる茶番も理解出来よう。
こんなものはただの洒落。
まともに付き合う方が馬鹿なのである。
現政権もまた、真の支配者にとっては雇われ社長か植民地の総督府のようなもの。
既得権益に縋り付く狡猾な小心者を集めて搾取の道具として活用されているだけ。
それが今の日本行政府。
所詮、マスコミも行政府も同じ穴のムジナ。

歌舞伎町で17歳の青年が散弾銃と手製爆弾で武装して騒ぎを起こしたという。
かつて男達は武器を携帯することがその存在証明だった。
武器は力であり、それを己の英知と勇気でコントロール出来る者が男の条件だった。
人間のオスとして生まれた以上、その社会秩序を守るための道具として武器を手にすることは男の当然の権利だった。
むしろ、武装していない17歳青年のほうが不自然な存在じゃないか?
精神的に去勢され、このような事件が特異なものに感じられる事こそ異常ではないか。
彼は異常ではない。おかしいのはこの社会だ。
このような青年は、むしろ1960年代までの日本には腐る程いたはずだ。
ニュースにならないのは、そんな事件などいちいち相手にしていられないほど激しい時代だったからだ。
月に行こうと思い立ち、僅かその10年足らずで本当に月まで行ってしまった時代があった。
その一方で石とか火炎瓶投げて社会に反抗して憂さ晴らしも出来た。
すべてがポジティブで前のめりだったから、散弾銃を持った17歳が歌舞伎町に現れたところで別段驚きもしないだろう。
これもまた、まともな時代とはとても言えぬが、とりあえず、まだ男が男として生きて行けた時代だったかも知れぬ。

今や犬の散歩でふんの始末をしないと非難されるほどの潔癖性の時代。
セクハラやストーカーや児童ポルノや少年犯罪に過敏になってやたら法律つくる様は、まるで公衆トイレの便座に除菌しないと座れずにいる人の潔癖症対策のよう。
もはや人間が人間であることを否定するような情況だ。
人間を否定したいのならば、肉体に代わる魂の座がなければ成立しない。
だが、いまだそのようなものが見つからない以上、ヒトはほ乳類としての掟から逃れる事は出来ないのだ。
生きる闘争のために武器がある。
それを捨てた男はもはや人間ではない。


絶望皇太子