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2001年01月29日(月) 真たるは虐げられし者の処に在り。偽たるは拝金に堕ちた者の処に在り

ふたりの女のこと

こんな記事が目に止まる。
某カルト教団尊師被告の長女が去る1/19都内のスーパーで万引きをしたとして警視庁に逮捕されたという。
その長女は食品約100点(約2万2000円相当)を同スーパーのポリ袋に入れて、代金を払わずに店を出ようとした。 店員が長女を見つけて問いただしたが、何も話さなかったため、警察に届け出た。署の調べにも、黙秘。長女は一人でスーパーに来ていたという。 

ホーリーネーム/ドウルガーと呼ばれるこの22歳の長女は、かつてこの教団の「姫君」として産まれ、高い位を冠し、志高く凛々しき乙女として自分の輝ける将来を信じて疑わなかったであろう。
だが、帰依する父たる「王」とその教団がありとあらゆる弾圧と差別に曝され、そのすべてを破壊され、奪われた時、彼女の未来は絶望という漆黒の闇に包まれた。
彼女は教団内のすべての地位を失い、その組織からも追放されたと伝えられている。
絶望の果てに打ち捨てられ、放浪の末、遂には精神の均衡を崩し、痩せ細る心身は崩壊寸前であったのだろう。もはや行動自体常軌を逸っしていたらしい。
逮捕時は身体は垢だらけで悪臭を放ち、ゴミ同然だったという。
だが唯一、彼女が捨てていないものがあった。
それは鉄のごとく固い意志とプライド。
逮捕時、彼女はこう言い放ったという。
「無礼者!私は木更津の女王だ」
教祖たる父母は刑務所に収監され、妹弟に裏切られ、誰も救いの手は差伸べず、自ら信じた世界は全て破壊、抹殺され、激烈に虐げられ、奪われ、周囲の全ての者、全てのメディアから悪魔狩りの対象にされ、全てを全否定されてもなお自らの信念を捨てようとはしなかった彼女。
真の淑女たらんとした叫びを誰が非難出来ようか。
彼女こそあるべき女性の模範に他ならぬ。
彼女の信じた信条の是非など問題ではない。カルト宗教だろうがスポーツだろうが政治だろうがアートだろうがその信じた世界に対する純然たる研ぎすまされた志と信念こそが重要なのだ。そして孤立無援で精神に異常をきたすまでも這いつくばってプライドを守らんとする姿。
これこそが真の美だ。
ジャンヌダルクの凛々しさであり、サイパン島玉砕時バンザイ岬から投身自殺した日本婦女子の忠義さが彼女の中にある。
世間はこれまでにも増して口汚く、彼女の事を罵り、袋叩きにするだろう。邪教徒たるメディアは狂喜乱舞して「悪魔の子は醜態を曝し、万引きするまでに堕ちた。汚い狂信者の娘は屠殺せよ!」と嗾けるであろう。
だが彼女を叩けば叩くほど彼女の凛々しさは大となり、伝説と化す。
虐げられ、虐げられ続ける故に彼女の存在意義がある。虐げられ続ける事が彼女の現世の運命であり業なのだ。
全否定されることが彼女が彼女であってよい理由なのだ。
そこに彼女の真理がある。
絶望に塗れ、ゴミのように扱われる事によって、彼女は始めて真理を語る資格を得た。
彼女は選ばれし存在となった。

虐げられし者の中にこそ、真たるモノが宿るのは世の常だ。
たとえ彼女がゴミのように扱われ、取調官から暴行強姦され、精神病院に放り込まれ、非業の死を遂げようともその正しさは揺るぎない確固たるものになろう。
その魂は、いと高き所に昇華するであろう。
誰からも救いの手を差し出される事なく、全てを失い、罵られながら死んでいく彼女のような女性だけが聖母の証をアマテラスから授かる事が出来る。
真たるは虐げられし者の処に在り。
・・
その対極としてのもう一人の女。
シドニーオリンピック女子マラソン優勝者。高橋尚子。
国家の名誉と栄光を賭け闘争し勝利した女性。
競技場のゴールをトップで駆抜けた瞬間、確かに彼女は国家の誇りある英雄であったかもしれぬ。
しかし、次の瞬間から、自分が邪教徒とその背後操縦下にあるメディアの恰好の標的にされると気付かなかったのか?
自己に対する警戒を怠った結果、かつて多くのアスリートが歩んだと同じく自滅への道へと堕ちたのである。
彼女がいかにして人間の屑として堕ちていったか。

彼女はマラソンで優勝した次の日より全てが薔薇色に染まった。
ありとあらいる人から祝福を受け、数々の栄光ある賞を授与される。彼女の発言、行動はメディアを通じ、肯定的に伝えられ、総理大臣さえ彼女に頭を下げる。TV、新聞は連日、彼女を英雄として報じた。
世界は彼女を中心に回り始めた。
欲しいものは誰かが用意してくれた。会いたい人は向こうから現れた。
いつしか彼女は自らの勝利を国家の名誉のためでなく、私利私欲を満たすための手段に出来るという錯覚に囚われはじめた。
だが彼女は自分が茶番の操り人形に過ぎない事に気が付かなかった。
これが国家の英雄を否定し、国民を堕落させるところにその存在意義を有する邪教徒とその配下にあるメディアの策謀であることにも知らずに。
あの栄光の日から半年弱。
いつしかブランド品に身を包み、TVタレントに囲まれはしゃぐ、豚のように肥太った彼女の姿があった。それはもうただの食肉素材だ。もはやマラソン選手の面影はない。醜い肉塊と化したその姿に自悔する事も出来ず、それが当たり前かのようにTVカメラの前でふんぞり返るしかないその傲慢な態度だけが、彼女を特徴付けていた。
そして彼女は「あっ」っと気付くのである。
自分が拝金麻薬ドラッグ中毒患者として改造されてしまったことに。
精神は堕落し、走るという聖なる闘争心は喪失していた。彼女は哀れな醜態を曝す事になった。
もはやマラソン復帰はおろか、満足な市民生活も送れまい。
拝金中毒患者はそのマネーというドラッグなしには生きる事が出来ず、もはや彼女は薄汚い三文タレントとして身を滅ぼすしかないことを悟るのである。
彼女は自らの堕落により、彼女の最も大切な「走る」という彼女自身の唯一の真理を失ったのである。
彼女はもうどこかの誰かの道具に過ぎぬ。
彼女の得たものはあのカルト教団の娘とは逆の虚構の富。
彼女の中身は全て偽物だ。
過去の栄光を武器にいくら着飾って美しく見せようとも中身は腐って腐臭に満ちている。
メディアが彼女を持ち上げれば持ち上げるほど腐敗は進行する。
偽たるは拝金に堕ちた者の処に在り。

邪教徒とその背後操縦下にあるメディアは真なるものを偽とし、偽たるものを真と欺く。
民はそれに惑わされ、真実を見失い、堕落し搾取されるのである。


2001年01月26日(金) セクハラ

セクハラ
性的嫌がらせを意味するこの言葉。
今やこの言葉ほどシャイで真面目なプライドある男性を差別弾圧する便利な言葉はない。
この言葉によってどれくらいの男性に無実の罪を負わせ、傷付け、社会的信用に泥を塗り、死に追いやったか。

そもそも婦女子が男性のアプローチに対して抗する理由など存在しない。
なぜなら元々人間の雌は生物学的に雄より強い生き物だからである。
出産時の生存率も寿命もすべて雌のほうが優っているのは科学的事実だ。
だから当然、婦女子は男性に対し慈悲深き寛容性で接する事が運命づけられている。それが前提にあってこそ正常な男女関係が成立するのだ。
アプローチしてくる男子に対し寛容性を持って対応することは理性的秩序を守る上の絶対条件でもある。
だからこそ男も婦女子に対し寛容性を発揮できるのだ。
ここにはじめて秩序ある対等な関係が生まれ、女は聖なる母となり、男は誇りある父になる権利を大地から与えられるのである。
婦女子の慈愛なくして契は成らぬ。
「性的いやがらせ」などというものは異常者の妄想に過ぎない。
ところがこの世界を汚れた拝金の世に作り替えようと画策する邪教徒共は、悪魔の囁きでもって婦女子達にパンドラの箱を開けさせ、あらいる厄の元をばらまいた。
「社会的地位における男女平等」などという欺瞞の種をばら蒔き、正しき秩序を根底から破壊し、婦女子から寛容性を奪ったのである。
寛容性のない婦女子はもはや人間ではない。
汚らわしい獣の雌。子宮のない売女だ。
淫猥な姿体で男を欺き、金銭の奴隷と成り果て、物欲と悪意と狡猾さのみで生きようとする悪魔に乗っ取られた化物。
そんな婦女子の仮面を冠った悪魔の使徒が好んで使う言葉がセクハラである。
効果的な肉欲を満たすために男性を選別し、理知的で正しき男性を犯罪者に仕立て、死に至らしめようとするための悪魔の呪文。
邪教徒はセクハラという印篭を濫用しやすくするため、社会システムを改造し数々の悪法を成立させ、正しき男性を窮地に追い込もうと恐るべき策謀を進行させた。
もはや、まともな男性は婦女子に話し掛ける事さえ出来ぬ。婦女子がその男性の社会的地位を失墜させようと思えば簡単だ。一言話し掛けてきたことをセクハラとして訴えればよい。
特にシャイで真面目な男性は女性にアプローチすることが即セクハラとなり、求愛、いや接点を持つ行為すべてが犯罪行為となる。
恋愛の機会は失われ、正しき者たちは結婚も子を設ける事も不可能となる。
絶望に追い込まれた男達の取るべき選択肢は堕落の末の死だ。
一方、汚れた婦女子達は狡猾で野蛮な雄の慰みものになることが幸せと勘違いし、獣と交配する単なる精液便所と化す。生まれた子は邪教徒の養子に奪われ、一生邪教の妾と奴隷として搾取され続けるだろう。
こうして聖なる慈愛溢れた母性は死滅し、野蛮な俗物が支配する汚れた世界が出現する。
これがセクハラという言葉の目指す世界だ。
邪教徒による大和民族抹殺計画の重要な手段のコンテンツがこのセクハラという言葉に秘められている。
セクハラという言葉を多用し、己の社会的地位を高めようとする婦女子には警戒せよ。
その女は悪魔に汚染された危険な存在だ。

セクハラという行為は存在しない。あるのは男を貶める悪意だけだ。
しかと心得よ。


2001年01月24日(水) パラサイトシングル

パラサイトシングル。
成人しても親元で暮す子供のことをそう呼ぶらしい。
今、日本、特に都市部で急増している生活様式だ。
この東京に住んでみるがよい。
東京に実家がある者にとって同じ東京で自立して生活するメリットとデメリット。
同じ生活水準で部屋を借りたら家賃だけで軽く10万は必要だ。
ただ住むだけで10万だ。その上、貧弱な賃貸住宅環境。生活費も莫大だ。
自立するメリットなどどこにもない。
このような情況下ではたしてパラサイトシングルを責められるか?
若年層の就労条件が厳しい反面、高齢者は潤沢な年金で潤っている。
いまや、経済的に余裕があるのは高齢者のほうだ。
かつて、自立した子供が親元に仕送りするという情況は完全に逆転した。

未来を築くはずの新世代が自立、自活することに相当の困難を要する社会とは一体なんだ?
そもそも自立する精神的意義さえも見つけることは出来ない。
結婚し、新たな新生活の場を築くなんてもはや大多数の独身男子にとってはお伽話。単に一人で高い家賃と生活費を稼ぐために酷い労働条件でこき使われるだけのために誰が自立するか。
未来への希望は閉ざされ行くべき場所も奪われてしまったのだ。
これは不幸以外の何ものでもない。
ところがこのような虐げられているパラサイトシングルから税金を取り立てようという画策がある。
曰く、パラサイトシングルは親元から搾取し、贅沢な生活を謳歌しているのだから不公平だ。だから課税せよと・・。
ふざけるな。
このような情況をつくりだしたのはどこの誰だ?
神聖なる土地に法外な値を付け、邪教に売り払うという大罪を犯した結果がこのような理不尽を生んだのは明らかだ。法外な土地価格が新世代の自活の地を奪ったのは火を見るより明らかな事実。更には婦女子を洗脳し、堕落させ、婚姻の機をプライドある男子から奪い、自立の精神的拠り所も奪ったではないか。
結果、新世代は自活の道を閉ざされ、結婚、出産という当然の人生を阻害されているのである。それが邪教徒の狙いであることもまた容易に推測されよう。
ただでさえ生きる事に行き詰まっている若年層に打撃を与え、搾取し、死に至らしめようとの目的が背後にあると考えるのが合理的だ。
パラサイトシングルは無実の罪を背負わされた小羊と同じ。
邪教徒の前に生け贄として差し出される運命なのだ。
希望は何処にもない。


2001年01月13日(土) ロボット

年始にかけて新聞等でロボットに類する考察記事を幾つかみかけた。
だがその考察する対象のロボットが鉄腕アトムであったりドラエモンであったりアイボであったりと古典的発想しか出来ぬものばかり目立つ。
曰く「ロボットの心は虚焦点であるから社会に無用の混乱を招く」だの、「ペットロボットの中に潜んでいるものは自分自身の心の内面の姿だから心を持つロボットは永遠に空想の世界に閉じ込めておくべき」などとどこかで使い古されたような台詞の羅列ばかり。
挙げ句「精々実用としては介護に役立つのではないか」などと愚にもつかないことをいう。
発想のステージが絶望的に低く、そもそもそんな者達にとってロボットなる存在は必要無いのだから語る事自体間違っているんだね。
人間の手伝いをして感情を持つロボット?
そんなもの誰が欲しがるか。
道具に感情が付帯したら使い物になるまい。
感情がないから簡単に放棄、取り替えが可能になるのだ。故に道具なのだ。疑似的に感情らしきものを付帯させた道具は悪趣味といえよう。「ポストペット」なるメールソフトもその類。醜悪ですらある。
そもそもロボットという名称自体、死語にすべきなのである。
今、求められている「それ」は従来の生活を補佐するものでも無ければ、愛玩動物の代わりでもなければ、何かの新しい道具でもない。
自分自身の魂の器。
限界にきたほ乳類としての肉体を捨て、魂の新たなるステージ、器こそが「それ」に求められている。
自分の分身ではなく、自分そのものが「それ」に成りうることを目指すところに意義があるのだ。
もはやそれをロボットとは呼称すまい。

ヒトゲノム計画を恐れる者は今の秩序が崩壊することを危惧する。
危惧する心配なんかない。
そんな秩序など壊れてしまうがよい。
あらいる有象無象の化物を造り出すがよかろう。その中から我々の求める「神」が出現するならば何を躊躇う。
すでにアメリカ合衆国はカルト教団を隠れ蓑にして人造人間製造に着手したという。
また、日本でも三宅島雄山の火口に浮上してきた『偉大なる存在』(コード名「黒き月」)の発掘と解析が進められているという。全島民退避の真の目的はその隠蔽にあるという噂だ。
三宅島雄山火口付近に『ガフの部屋』の入り口が発見されたのかもしれぬ。
「魂の座」獲得の聖なる儀。
自分達がやらなきゃ誰かがやるだけだ。

この鈍重な肉体を捨て、魂を新たなるステージへ。
人類補完計画!
その遂行こそが我々に求められている「それ」なのだ。この計画が実践されればもはや自分を補完する道具など一切必要無い。始まりもなければ終りも無い、永遠の子宮の中で永遠の安息を得られるのだ。
くだらぬロボットの詮索など止めてしまうのが賢明だ。
道具に頼る限り、人間としての限界はいつまでも引きずらねばならぬ。
人間を放棄すること。
これこそが究極の希望じゃないか。
それ以外はすべて絶望と悟るがよい。


絶望皇太子