銀色の日記
モクジイク?モドル?ススム?


2008年03月28日(金) メッセージ

男の背中っていいものでしょうけど
ほとんど背中しか見ていないっていうのも
淋しいモンですよ

背中に向かって心の中で話しかけています

 このCMおもしろいよ?
 このニュースすごいね
 ニャンコがこんな面白いポーズしているよ

たまに声に出すんですけどね
返事の後にまた来る静けさがイヤなんです

なんてね、ちょっとかまって欲しいメッセージ送信


2008年03月23日(日) 想い出す日

ブログにも書きましたが

今日、3月23日は
13年前の1995年に沖太が亡くなった日。

そして、その3年後の1998年
沖ちゃんの三回忌の墓参に行って帰ってきたら
母から珍しく「すぐ来て」の電話
母が小脳出血で倒れた日です。
ちょうど10年前のことです。

あの日のことは本当に今でも忘れられません。
寒い集中治療室前の廊下で膝を抱え一人で過ごしたあの夜。

あの日からずっと、膝を抱えたまんまの気がします。
うなだれて膝を抱えてうずくまるワタシを
後ろから優しく包んでくれる
そんな日が来るのを待ち望んでいます。

なんだか色んなコトを考えてしまいそうになったので
衣装部屋の片づけをしました。
好きな音楽を聴きながら山積みになった服を畳みました。

なんとなく、褒めてもらって頭ナデナデして欲しかったワタシ(笑)
思惑は思惑どおりにはならないですね(汗)

ポストペットの文太からの手紙で
『過剰な期待は失望の母ですよ。』と言われたのを想い出しました。


2008年03月05日(水) 移ろいゆく季節

今日「銀色の猫鈴」の画像掲示板へのリンクをはずしました。
レスもせずにもうすぐ一年が来ていました。

2001年1月にサイトを開設してもう7年。
この日記とともに始まりました。

7年前の私は今とは全く違う"私"でした。
宝物の文太を亡くし、ただ生きているだけのようだった気がします。
3DKのマンションに住み、昼はデザインの仕事、夜はアルバイト。
母の世話をしに病院にも通っていました。
母の飼っていた猫を引き取る元気もなく、
誰も居ない家で私が来るのを待っていた小太郎とチビの世話に通っていました。
文太に悪い気がしてなかなか踏ん切りがつかなかったというのもあります。
このことは本当に今でも後悔しています。
早く引き取ってやればよかった。
 チビは今でも元気ですが、小太郎はようやく引き取ったその年の夏に
 天国に旅立ちました。
 小太郎と一緒にいられたのはたったの一ヶ月足らずでした。

もちろん7年前は相方とも知り合っていません。
「結婚」なんて夢の上にある絶望のようなものだと思っていました。
家族が何かというのも分かっていなかったと思います。
当然、友だちも少なく(これは今もですが)人との日常会話はネットでの文字のみ
今は無くなったのですが、地元のコミュニティサイトにはまっていました。
淋しさを紛らわすためでした。
そこに行けば、誰かが居る。
顔も知らない人たちにだからこそ、本音を言えていたような気がします。

側に誰も居ない訳じゃないのに、ただ淋しかった。
泣きながら一晩中車を走らせた日々もありました。
今思えば、何かを待っていたのかもしれません。
待っていた何かは、今でも分かりません。

幸せだったのかも。
安らぎだったのかも。
「もう頑張らなくていいよ」の言葉だったのかも。

自分の歩んできた時間が、正解だったか、それとも不正解なのか
そんなこと多分死ぬ時まで分からないものですよ。
きっと。

後悔していることは沢山あります。
これからもどんどん増えていくと思います。
後悔していることを許せる時が来たら、やっと心を溶かせられる日なのでしょうか。

「銀色の猫鈴」は閉めません。
これからも記録と記憶はネットの波の中で泳ぎ続けます。

画像掲示板を閉めるだけですが、
なんだかまた海の上に放り投げられたような気分になるのは変ですね。

現在ネット上で仕事をしているので、どうしても仕事のサイトを中心にしてしまいます。
放置しっぱなしのプライベートサイトは私のメモリアルサイトにしたいと思います。

遊びに来て頂いている皆さまのサイトにはまたフラリと立ち寄ります。
読み逃げして帰る時もあると思いますが。

画像掲示板以外の書き込みできるところはそのまま続けていきます。
日記とブログも時々書きます。

色々と言い訳しましたが、
省略すると「レスを書く時間と気力がない」と言うことです(^^;

本当にすみません。


銀猫 |MAILHomePage

My追加