1日雑記

2006年01月30日(月)


ちょっぴり疲れたよパトラッシュ。

研究室、周りの人間が次々に体調を崩している。
そろそろ私かもしれません。

いやな傾向なんですよね、なんか足が痛い。

論文の提出や発表で
キツイ(といっても学生レベルだけど)時期なので
体調崩すと終わらなくなりそうで怖い怖い。

それにしても疲れたって言ってると
際限なく愚痴が増えていって
なんか人間として負けた気がして仕方が無いわけで。
ちょっときつくなるとそんなことを思う……
そんなこの頃、学生残り2ヶ月です。



2006年01月29日(日)


HEROだったかな、映画やってたので見てみた。
なるほどな、と。
結構面白……とは言わないけど評価が高いのは頷けた。

ただ、漠然とズルイな、と感じもしたわけで。
ずいぶん解釈の幅が広い映画だと思うんですよ。
しかも入り口が浅い。
映画評論なんてまったくしないし
言うほど映画なんて見てないので直感ですけどね。

いまいち伝えたい事が明確に伝わらないというか
想像の場所だけ貸して後は好きにしてくれ、みたいな。

創作するのであればその作品は手のひらの上だけにしておきたい。
自身の理解を超えた解釈を私は怖いと思う。



ところで、つまらない事実でも今更ながら知ると結構驚く。
有名な話だったのかもしれないけど、私は知らなかった。



メルブラとデスクリムゾン、
両者を繋ぐ糸があるなんて
考えてもいなかった。



2006年01月25日(水)


物語の主人公って、結構特殊な人間である事が多いかな、と。
特別でもいいけど。

むしろ逆なんだけど、
ありきたりな人間が主人公の話というのは少ない。
当たり前といえば当たり前なんだけど
主人公だから特別なんじゃなくて
特別だから主人公になるんだよなぁ、と
そんなことを考えたり。

まぁ両者にどれほどの違いがあるのか知らないけど
私としては後者の考えなんです。

ものすごく普通な主人公はむしろ逆に奇抜さを狙ったものだろうし。
いや、そんなことないんじゃないかとちょっと思えるのは
「シンデレラ」が多いせいだろう。
人間的に特別でなくても
環境的に特別になる、とか。

これらの事が、何に影響するかといえば
何にも影響しないのだけど
なんとなく特別だから主人公だ、という考えは譲れない。

ちなみに私は人生における脇役でありたい。



2006年01月24日(火)


ふと、子供の頃聞いた話を思い出した。
あまりにもバカバカしい話なので
他の人に聞いて確かめた事が無いので
親とかにからかわれただけかもしれないが。

舌、丸められますか?

顔を正面にして舌を「∪」の形に曲げられるのは普通。
逆に「∩」の方向に曲げられる人は少ないと、そんな話。

親がだれか友人宅に招かれたときに
たまたま私も一緒に行っていて(当時小学校低学年かな?)
そこで聞かされた話なので
得意そうに曲げていた私をからかっただけかもしれない。

つまらない話なのでわざわざ誰かに確認した事もないし
むしろ、今さっきまで忘れていた話。
なんとなく舌をまげて鏡見てたら
そういう話を聞かされた事もあったなぁ、と思い出しただけです。

それじゃ、学校で誰かに聞いてみるかと思い立ち
「∩」に曲げて鏡を見ていると、舌が妙なものに見えてくる。
なんていうか、鈴口みたいに見えてくるわけで。

なんとなく卑猥なのでこんなくだらない話を
天下の往来で聞くのもなぁ、と。
ますます聞く必然性が薄れてくるわけで。

インターネット便利だけど
こんなしょーもない話載ってるんだろうか?
一応この後検索してみる予定。



2006年01月23日(月)


そういえばライブドアの堀江さんが逮捕されてた。
あまり人間的に興味ないので、個人的にはどうでもいいかなと。

ただテレビでテレビ局との電話インタビューやってたけど
テレビ局のほうがなんていうか嫌だった。
電話して話きいてる立場の人間が「はぁ」って何よ。
相槌にしてももう少しなにかあるでしょうに。


それにしても最近修士論文に追われています。
いつになったら落ち着くのやら。
……いや、期限あるから落ち着くところはわかってるんだけどね。



2006年01月22日(日)

私の家の近くに「パルテノン多摩」
とか言う名前の施設があります。
駅からまっすぐ歩いて見える場所にあるんですが
結構長い階段がデーンと構えています。
近い割りに行ったことが無かったので
雪見の散歩ついでに階段上ってみる事に。

階段のゴールは結構高い位置にあるので
下からだと上がどうなっているのかいまいち分からない。
そういう時って階段上ってるとわくわくするんですよね。

まぁそれはそれとして
行ってみるとかなりでかい公園がありました。
雪が降った後ということもあり
子供づれ、ペット連れの多いこと多いこと。
木々も結構あったし池もある。
かなりゆっくりとした時間の流れる場所だったので
ノンビリと散歩してみると雪だるまがいくつか目に付く。
なんとなく心地よくあるいていて、ふと。

たとえば、自然が多いって良く口にする。
今日行ったところだって、木があって水が流れてて。
でもそれは見せるために作為的に作られた空間だと
今更ながらに気づいたわけです。

山でもいいですが、人の多いところは歩けるようになってます。
地方に出かけて空気を吸ったりしても
それは見ることを前提に整備されたものです。
そういう時点で自然という言葉が壊れてる気がしたんですよね。
作為的なものである時点で、
それはもはや自然じゃないんじゃなかろうかと。

じゃ、生えたい放題に草が茂って
虫がそこらじゅうに飛び交っている中で
自然はいいな、と素直に思えるか。
答えはNOです。

公園にある雪だるまでもいいです。
東京ということもあって、時々汚れた雪だるまの多いこと。
土の汚れとか色々。
それに対して真っ白い雪だるま。
どっちが好きですか?
恐らく、真っ白い方と答える人が大半だとおもうのですよ。

でも、土や草を巻き込むほうがむしろ自然ですよね。
舗装された道と違って。
まぁ、公園の辺りにある土や草は
作られたものなのでこの限りでもないですし
雪の量によって雪だるまも変わってくるので
はっきりとは言えませんが。

自然だといってほほえましく思う一方で
良いと感じる自然そのものが不自然であるという事実に
気づいているようで気づかない振りしていて。
どっちが好きかと聞かれると
不自然の方が好きだというどうにもならないもどかしさ。

難しいです。



2006年01月20日(金)


論文追い込み時期なので珍しく忙しい。

ところで、目ヤニ。
これってなんなんでしょ?
涙が固まって出来ると思ってたけど
周りの人に聞いても賛同が得られない。
鼻水が固まると鼻くそになりそうなので
私はてっきり目ヤニって涙だと思ってたのですが。

他のものだとしても、目から涙以外の液体、出たことないし。

ちょっとだけ調べてみたけど答え得られず。
うーん、謎だ。



2006年01月19日(木)

人生最後の○○なんて言葉が最近頭をよぎる。
まぁ、学生生活最後を迎えようというところなので
色々なものが最後になるわけです。

階段上りながら、来年の部活勧誘の活気とか
そういうものは、存在しながら私の関与しないところで
行われているんだなぁ、と思うと少し寂しい。

しかし、学生生活を楽しもうというよりは
仕事を始めてからのことを考えることが多い。

ふと、人の話を聞いてみる。
特殊な人だったけど……。
年間で休日が60日未満。
14時間ぐらい、働きっぱなし。
昼休みというものもないみたい。
で、楽しいといえる人がいる。

そういうのに比べると
本当に楽な仕事なんだろうな、と思う。
残業とか、休日出勤とか
そのうち出てくるのかもしれないけれど
凄いところと比較してみればまだまだ甘い。

結局楽しいかどうかというのが
続けられるかどうかということに直結してくるわけだ。

今までやってきたことは大抵楽しいと感じる部分があった。
これから先は未知の世界。
もしも苦痛にしか感じなかったらきっと私は仕事を続けられない。


そういえば、先日何故か仕事をやめるヴィジョンが見えた。
私、何度も同じことを言われるとイラつくんですよ。
それが良い事であろうがなんだろうが。

恐らく、怒られるときに何度も同じ事を
グチグチという上司というのに当たる事があるだろう。
そういうとき、私は耐えられるだろうかと考えた。
……あまり自信が無い。
もしも辞める事があったら、きっとこういうケースだろうなと
漠然と頭をよぎったわけです。
怖い怖い。



2006年01月17日(火)

CD−Rの書き込み速度が12倍になりました!

……って、しょーもない話。
6年くらい前のマシンから
CD−Rドライブ引っこ抜いて
家のPCにつないで見たのだけど
これのRの書き込み速度が4倍。
DVD−Rより遅い。

今日、5000円で買ってきた。
内臓ドライブ。
DVDが読める!書き込める!Rの書き込み速度が48倍速!
……と、感動してみたのだが
いかんせん、ハードディスクの容量が
40+20GBという、近代の大容量には
及びも及ばないアンバランスさ。
内臓HDDを2つ付けて60GBしかないってやっぱり切ない。

次はバルクで中古のメモリでも買ってこようかと思う。
中古寄せ集めPCでもなんとなく性能上がると嬉しい。
ソフトウェアなんてほとんど何も入ってないけど。
ちなみにメインで使ってるpcは既に悲鳴を上げています。



2006年01月16日(月)


2、3日で文庫本を16冊ほどまめて読んだ。
結構きつかった。

買ってきてから眠くなるまで読んで
起きてから読んで
おなか減ったら休憩して
また読んで……。
平日に備えて寝るけどやっぱり夜更かしで。

日曜日、丸々文庫本でつぶれたわけだ。
ちなみに他にも色々買ってきてあるので
手を付けていない本がまだ10冊くらい。
こっちはノンビリ読んで行く予定。

それにしても日曜日を丸々つぶすには
10冊の文庫本が必要と考えると結構凄い。
たった10冊で一日つぶれると考えるか
一日で10冊も読めると考えるか。
一日つぶすには10冊も必要と考えるか。

少し話変わって、私漫画が好きです。
蔵書は多分漫画だけで500冊を超えている。
ある古本屋のカードだけで(2万で1枚埋まる、今15枚目)
28万円分ぐらいの金額は買い物してあるので相当だと思う。

そんな私は最近文庫を買うことが結構多い。

何が違うかといえば展開の速さが違う。
どっちも好きなのだが一冊でどんどん話が進む
文庫本はなかなか面白い。

一方漫画は何度も読み返すクセがあるのだが
文庫はあまりそういうことが無い。
時間がかかる分、漫画の方が手軽に読み返せる。

どっちも自分で書いて(描いて)みようと思った事はあるけれど
漫画の方が難しかった。

実は小説(文庫)の方はずるいかな、と思う事が。
読み手が勝手に場面を想像してくれる。
自分でもそう想像しているし。
経験にあわせて場面が浮かんでくるので
細かい動作は脳みそが勝手に補完してくれる。
ちょっとした動作のヒントは出てくるけれど
それ以外の読み手の自由度は高い。
逆に漫画はとても分かりやすくて入りやすいのだけど
絵柄が苦手だとそれはマイナス要素になるわけで。

結局どちらが良いとはいえないのだろうけれど。

1人暮らしをしたら本だけを並べた部屋を作りたい。
そんな無謀なことを考える日々。



2006年01月12日(木)

久しぶりに4年のときの研究室の人と会い
飲んできた。
一言で言うと苦手な人。

やっていることは凄いのだが……
色々考えた末、そういう生き方に
理解は出来るが共感はできない、
凄いと思うが真似たいとは思わない、
敵にはしたくないけど仲間にもしたくない。

要するに興味がないという事が判明。
興味がないのに周りを巻き込む性格というあたりが
苦手と結論付ける要因なのだろう、と。

で、その人に
俺は人を信用しないだろう、といわれた。
何をバカな事を――と思いながらも振り返ると、なるほどなと。

正確というわけじゃないけど
学校という範囲に限っては
そう見えるのが当然だという振る舞いをしていた。

少なくとも後輩はおろか、
同年代……というか教授も信用していない。
サークルやってたわけでもないので先輩らしき人間もいなかったし。

そういうと少し語弊があるのだが
自分でやらないと納得できない。
結果的に誰かの作業の後に、自分でもやってみる事が多いし、
誰かに任せたりということをしない。
人に押し付けるのに罪悪感があるから
というのがその理由だと思っていたが
思い返してみると確かに信用していないというのもあるかもしれない。
興味がなければまる投げするけど。

何でだろ、と考えてみたところ
信用にたる人間が学内にいないからだ。
そーいうと自分が凄い人間に思えるが
決してそういうわけじゃない。

単純にやってることが違うのと
たまたま自分の得意な分野で活動している事が多いから。
研究は一人だし、教授はまったく分からないことをやっているから
助言も貰えない。
時に出す口はつまらない内容だったりする。

結局在学中に誰かを信用する事は無いだろうな、と知る。
社会に出れば自分がいかに井の中の蛙であるかを
理解できるとおもうので、そうしたら人を信用出来ると思う。

私は鈍いので、表面に簡単にだまされる自信はある。
それはとりあえず良好な関係で
その人が凄い人ならきっと信用するだろう。
結果はしらないけど。



2006年01月09日(月)


友人と風呂に行く。

周りの人間を見ていると
自分のクセっ毛がめんどくさくて仕方がない。
水分を吸うと四方八方に跳ねる。
鉄腕アトムとかサリーちゃんのパパとかあんな感じ。
髪、比較的最近切ったので
そこまで酷くないはずなんだけど。

ちなみにドライヤーでクシを通しながら
乾かしても丸まります。
ボリューム出る分、余計はねるかもしれない。

家ではドライヤーの先にクシのつくタイプを使っているので
それでどうにかまっすぐ……にはならないが
髪のはねる方向がある程度制限できる。

が、ドライヤーとクシが別々だともうだめ。
何度通そうが跳ねる。
予想できていたのでハードジャルで無理やり押さえこもうとする。
……うまくいったためしがないんだけど。
ある程度経ってから見てみると
やっぱりというか、酷い状態で固まっている。

……スキンヘッドに資格ってあるのかな?



2006年01月08日(日)


古本屋なんぞに行ってきた。

最近は文庫なんかを見る機会も増えたので
ちょっと覗いてみる。

「7日土曜日 文庫全品200円!」
の文字がおどっていた。
今日は8日、日曜日。
……ちょっと泣きそうだった。

今日はハードカバーが全品500円だったそうだが
興味もないので無視。

が、とりあえず見てみると
普段の100円扱いの本で欲しいのが結構あったので
かれこれ8冊くらい買ってくる。
ほとんど105円(税込み)の本。
一冊だけ250円の本が。

シリーズ物で2,3巻が105円なのに
1だけ105円でなかったので仕方なく。

少し特殊なところでZの悲劇を買ってきた。
Xの悲劇とYの悲劇は既読。
数年前に読んだだけですが。

クイーンの熱烈なファンというわけでもないので
Yの悲劇の扱いは酷いもんです。
外付けHDDの下敷きになってます。
机に直接置くと振動でうるさいので。

それにしても明日は成人式。
私の時から4年かぁ。
……私のとき日記にミスター・マリックが来たとか
書いた気がするけど
そうすると日記4年くらい書いてるって事になるのかな?



2006年01月07日(土)


目つきが、少しアブナイ。

やっぱり年とともに、個人が顔に出てくるんですよね。
顔のつくりとかベースになるのは大げさには変わらないけど
やっぱりどこかその人の特徴が顔に出てくる。
目なんてその最たるものじゃないだろうか。

で、メガネしてるとあまり気づかないんですが
コンタクトとかにして、電車で窓に写る自分に気づくと
目つきが結構アブナイんですよね。
怖いというよりは気持ち悪いの類。

コンピュータの前に四六時中居たりする人に多い傾向の目。
まぁ実際そうなんので必然といえば必然なんですけど。

学会に行ったときに会った人。
開発関係の事やってる感じだったけど
やっぱり目が危なかった。
そういう感じ。

博愛主義の優しさたっぷりが信条だと思っているんですけどねぇ。
だから、目じりが垂れて優しい顔つきになるはずだったんだけど。
うーん不思議だ。



2006年01月05日(木)


好きなことを仕事にする、
という事についてちょっと話をしたので再度考えてみた。

まぁ、私も一番好きなことを仕事に……というのは
あまりよくないかなぁと考えていたわけですが。
改めて考えると何で良くないんだろう?

例えば
仕事が嫌になったら、好きなことが嫌いになってしまうかもしれない。

理由としてはもっともらしいけれど
嫌いになったら嫌いになったでそれまでだという気もする。
たとえ今一番好きでも時間と共に冷める事はあるし
嫌いになったら嫌いになった事に後悔もしないだろう。
というか、後悔できるならまだ好きなわけで。

仕事として考えたとき、やりたい、やりたくないに関わらず
その周辺のことについてもっとよく知らないといけない。
好きなこと周辺の事情を趣味としても義務としても
よく知るのは面白そうではある。


逆に考えてみる。
好きなことが何らかの事情で嫌いになったときに
仕事が嫌になるかもしれない。

これももっともらしいといえばもっともらしいけれど
仕事が嫌になる要素なんてそれこそ山のようにあるとおもう。
それに、仕事はやらなきゃならないもの。
好きでなくても仕事は続けるし
そうしないと食べていけない。
(例外は当然あるけれど)
なんにせよ働かなきゃならないわけだから
嫌いになったなんだと考える前に手を動かせば
お給料がもらえるわけで……。
後はイヤイヤ仕事しながら愚痴でもこぼしているのは
日本のサラリーマンとしては珍しくないかと。

いやいや、
好きだった分、反動でものすごい仕事が嫌になるんだ
……とも考えられるけど
趣味でしていたことをそれほど嫌いになるというのも珍しいかなと。


恋愛じゃないけど
嫌いになる事考えて前進できないってちょっと悔しいし。
ましてや、「嫌われる」じゃなくて「嫌いになる」だもんなぁ。



2006年01月03日(火)


まぁ、多くの人がそういうものを持っていると思うんだけど……
私にはいくつか、意識的に付けたクセがある。

習慣という言葉のほうが適切かとも思ったけれど
習慣というほど大層なものじゃないからクセでいいと思う。

例えば、腕時計は右腕に付けるとか
うがいをするときに手を筒状にして口の周りに付けるとか
そういうレベル。

どちらもたいした動機じゃない。

腕時計は昔は左手に付けてた。
いつだか忘れた。
……確か中学のときだったかなぁ。
穴のベルトタイプの時計だったのだが
左手だと上手く付けられないことに理不尽に感じて
それ以来腕時計を右手に付けるようにしていた。
いつの頃からか、無意識で腕時計は右手に付けている。

実はこれ、何のメリットもない。
というか、デメリットしかない。
利き手が右なので、文字を書くときなど
右手をよく動かす。
金属製の腕時計ということもあって、邪魔である。
そういうこともあって、机に座るときは腕時計を外している。
また、左手に付けるように戻そうと思えば戻るのだろうけれど
なんとなく一度習慣化したのでそのままにしている。

うがいをして吐き出すときに
口の周りに手で柵を作るのは
ペっとやったときに水が回りに跳ねないように。
こっちは多少意味がある。
多少というのは、吐き出すときはかなり顔を下にもっていくので
横に飛び散る危険は限りなく小さいということ。

こっちは何年か前に「ゆく年くる年」で
どこかのお寺のお坊さんだかがそういうことやってたから。
お坊さんは片手だったと思うけど……。
あぁ、こういう風に回りに飛び散らないようにできるんだって
感心して以来、やるようにしていた。
こっちもいつの間にか無意識。


無意識に行えるというのはそれはそれですごい事だが
やっぱり有害無益なクセなんて付けるべきじゃない。
悪い事したときに覚えられちゃうかもしれない。
「犯人は腕時計を右手に付けていました!」とか。
……いや、やらないけどね?

にもかかわらず辞めようと思えないのは何でだろう?
時々頑固といわれるが、もしかしたらそういうことなのかなぁ。

ふとしたときに「ゆく年くる年」でみたお坊さん達を思い出し
こんな事を書いてみた。

意識的に付けたクセはありますか?



2006年01月01日(日)

あけましておめでとうございます。

去年は色々嫌な事もあったので
今年はちょっと初詣に行ってみた。
お賽銭500円。

祖父母が健康でありますように、やら
知人が回復するように、やらお願いして帰路につく。
ふと思う。

……自分の事、お願いするの忘れてた。

今年から就職だというのに。
とても重要な年だというのに。

……まぁ、自分のことは自業自得、
因果応報だとおもっているので
他の何かに頼るつもりはないんですけどね。
と、言い訳しながら1月1日。
今年もがんばっていきましょう。


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