1日雑記

2005年11月30日(水)


人生をレールにたとえることがしばしばある。

ふと思った。
レールは基本的に一本道である。
分岐点もあるが、レールと聞けば
まっすぐに続くあれを思い浮かべる。

運命なんて言葉もあるし
逆に運命という言葉を使って
道は決まりきっていないという人も居る。

私も別に運命とかそういうのはどうでもいいのだけど
過去を見ると1本の道しかない。
他の可能性なんてものを考えると
色々あるのかもしれないけれど
現実として一本である。

あの時、確率では50%だった。
もしもこういう結果でなければ――
と、そういうケースを思い浮かべようとしたとき
世の中に確率なんてものが本当に存在するのかと少し疑問に思う。

サイコロを振る。
1が出る確率は6分の1だ。
1が続けて出る可能性は36分の1。
理屈としては存在するのだが
実際、どの目がでるかは決まっている。

サイコロの持ち方、振り方、降る場所、気温、湿度……
いくつもの要素が複雑に絡み合い
予測は非常に難しいが、結果は必然である。

箱の中に入っている白と赤のボール。
見えないようにして手を突っ込んでとったとき
ボールが1つずつなら2分の1。
でも、手の入れ方や大きさや設置した瞬間から箱の大きさまで
様々な要素の結果。
手の入れ方にしたって経験などから無意識に決定されるだけであって
その人が起こす行動は決まっているといっていい。
ボールの色が赤白反転するわけでもないし――
いや、仮に反転するようなボールであっても
その反転速度や手の引き出し速度など
それらの要素をあわせれやっぱり必然である。

見えない、見えづらい決定事項を確率といってしまえばそれまでだが
何かを計算しろといわれたときに
「私には分かりませんから(解けませんから)
 答えは変動します」
なんて学校で答えたら先生に怒られる。
でもこれはサイコロに比べれば
ただ、複雑でないというだけであって
サイコロも単純な計算も決まった答えが存在しているわけだ。

物事は起こるべくして起こっているだけで
結局すべて決まった結果でしかないのかもしれないな、と
そんな風に考えると、この先ずっと道が決まっているというのも
あながち間違いじゃないのかもしれないなぁ。



2005年11月29日(火)

研究室の近くにトイレがある。
当然、利用頻度が高い。

しかし、これが結構くさい事がある。
どうにかならないものかと考えた挙句
私費で芳香剤(脱臭剤?)を薬局で購入。
オレサマ、アタマイイ。

設置後、1週間くらいでなくなる。
盗まれたか掃除のおばちゃんに処理された。
オレサマ、セツナイ。

やっぱりくさいので、100円ショップで芳香剤購入。
100円なら盗まれても痛くないだろう。
オレサマ、トテモアタマイイ。

2日目以降、脱臭効果もなければ芳香効果も見られない。
さすが安物。
オレサマ、トテモセツナイ。

やっぱりくさいので、対応を考える。
トイレに入っている間、息を止めればいいんじゃないか?
オレサマ、ハゲシクアタマイイ。

10秒後、息が苦しくなる。
トイレのドアを開けて外に出たとたん
息を荒くしている自分の姿を想像する。
……危険すぎる。
オレサマ、ハゲシクセツナイ……。

そういうわけでトイレに連日連敗中。
オレサマ、トイレキライ。



2005年11月27日(日)

先日書いた
二郎というラーメン屋に行った。
ラーメンという食べ物で死にそうになったのは初めてだった。

確かにインパクトがすごい。
でかいどんぶりに山盛りの野菜。
噂にたがわず、結構脂っこい。
……と、必ずしもいえるわけじゃないかもしれないけど
量を食べていくと微かな油がかなりきつい。
何度か気分が悪くなって本気で食べ切るのをあきらめかけた。
チャーシューが結構美味しいのだが
少しの脂身でも最後に残るとなかなか箸をつけられなくなる。
無料サービスで油増量というのがあるらしい。
絶対無理。

でも女性の人も何人かいた。
食べきれるのだろうか……?

隣の人、スープを追加していた。
確かに食べるのに時間がかかるので
スープが最後の方はなくなってくるのだが
私は追加する勇気がありません。
スープを残したラーメンはあれくらいかもしれない。

すごいお店があるもんですねぇ……。



2005年11月25日(金)

名前の話。

子供に可愛い名前をつける人が結構います。
心情的にはとてもよく分かるのだけど……。

インターネットでちょっと調べてみると
女の子の名前でも色々ある。
気になったのは「ひな」や「ひなた」だろうか。
語呂もいいし、可愛いのだが
年をとったときを考えるとどうなのだろう……と。

電車でのことを思い出してください。
本を開いている貴方。
メールが届いて携帯を開いた貴方。
後ろを振り返ると、オバサンが覗いています。

椅子にものすごい格好で幅を取っているオバサン。
ゴテゴテしたアクセサリをつけるオバサン。

そしてその人の名前は「ひな」です……と、言われると
うーん、とちょっと唸りたくなるわけで。


ちなみにお婆さんになってからの事を考えると
隣近所に「ひなた婆さん」と言われる可能性があるわけで
そうするととてもほのぼのして聞こえる不思議。

そういえば苺なんて漢字もいつからか
名前につけられるようになりましたが
この場合「苺婆さん」になるわけですね。
……なんか苺大福を想像した私。

でもスーパーのおばちゃんが苺さんだったら
やっぱり私はなんか嫌だ。



2005年11月24日(木)

一昨年の今頃、はまったゲームの続編が
3月に出るらしい。
最後の長期休みという事で
貴重な時間ではあるのだが是非やりたいと思うわけで……。
後になってその時間が無駄だったと思うのだろうか?

有意義な時間はなんだろうかと考えることで
有意義な時間が過ぎてしまうのは
とりあえず有意義ではなさそうなので
あまり考えることはせず行動にうつしたいけれど
休みだと何故か家でだらだらしている私。

あ、こんど友人誘ってラーメンでも食べに行くかなぁ。
桁外れに量が多くて油ギトギトな店があるらしい。
ちょっと怖いもの見たさで興味があるのです。

ただし、死して屍を拾うものなし。



2005年11月23日(水)

破顔という言葉がある。
笑った顔って感じの意味合いだが
うちのIMEだと一発で変換されない。

IMEが分からない人は「はがん」で変換させてみてください。
上手く出るかどうか。

そういう言葉はないのかと思い
破顔でグーグルで検索。
「破顔一笑」という四字熟語がでてくる。
もしかして破顔という単体の言葉はないのかと思い
辞書で調べてみると存在している。
ちなみに破顔一笑(はがんいっしょう)は一発で変換されました。

IMEはオバカという話を時々聞くけれど
確かに使いにくい事が多々ある。
けれどこれ以外というとATOKくらいしか知らないので……。
IMEに慣れるのは慣れているので
今更ほかのにするのもなぁ、と迷い中。
そもそも変えるお金がないし。

預金が残すところ5000円になりました。
いよいよもってデンジャラスゾーン。
それで車が欲しいとか言っている私、少し無謀かもしれない。



2005年11月22日(火)


小学校中学校高校と生きてきて
何人もの人間に出会ったけれど
相変わらず連絡をとっている人というのは少ない。

もう名前も覚えていないけど
卒業アルバムを見れば思い出すとか、そういう人もたくさん。

そういう人たちがどこかで生活しているんだろうなと考え
可能性ってすごいなぁ、と改めて思う。

アルバムの中の誰かはもしかしたら
もう死んでしまっているかもしれない。
であった人の数がすごいのだから
可能性としては低いものではない。

漠然と、このとき誰がどうしているのか
ただの興味本位だけど知りたいと思う事が。
少しだけ知っている人間の生活を感じると
改めて人はそれぞれに社会を持っているのだと感じ
不思議な気持ちになるわけで。


貴方は今どこにいるでしょうか。



2005年11月21日(月)


研究を似たテーマで一緒にやってきた人が
博士課程に行くかもしれない。

私はもういいや、という感じ。
ただ、もしもとるなら一度働きたい。
働いて目的を見つけてその上でもう一度勉強したい。

出世というのも、とても興味があるけれど
それよりも人に教えるという道に進んでみたいと考える。
可能性はいろいろ残されているのでまたノンビリ考えたい。

そういえば、院生になった後で外部の人に
もともと勉強は好きじゃなかったといったら少し驚かれた。
というか、今をもって勉強が好きだとはいえないと思う。

やりたくないことはやりたくない。
興味をもてたことがたまたま研究といわれる一分野だっただけで。
ただ、好きなだけじゃどうにもならない。
嫌いな事も知らないと何も出来ないし、
知ろうとしないと始まらない。



2005年11月20日(日)

ハウルの動く城を見てみた。
なんとなく全体的に声が浮いていたような。

しかし、毎度思うのだけど
開始と同時に『それが当たり前』の世界に
視聴者を引き込むというのは本当にすごいと思う。
宮崎氏の作品に限らず
ファンタジー的な話の場合ね。

作者として当然、矛盾しないように世界を構築しないといけない。
ロードオブザリングでもそうだけど。
その世界の説明をしなきゃいけないわけだけど
はじめにだらだら説明してたら面白くもなんともない。
話の中で徐々に世界の説明を
自然に刷り込ませなきゃいけないわけだけど
その世界前提で話をどんどん進めると
何故そうなるのかが見る方には分からない。

そういうバランスをとりながら
話を作るということがとてもすごい。

いつかそういうものを作ってみたいなぁ……と
思ったりしているうちは作れませんね。
思うなら、今作らないと。
結局経験積まなければいいものにならないのだから
思ってるだけじゃダメなんですよね。
最近そういうことにようやく気づいた。



2005年11月19日(土)

それは本能なのか。
あるいは理性なのか。
私は迷い続けていた。

……いやほら、指ヤケドしたりすると
耳たぶに指をやる人っているでしょ?
あれって無意識で本能的にやってるのか
理性としてやってるのかって話なんですけどね。

なにかのテレビ番組で
確かに耳たぶの裏のあたりは体の中でもかなり体温が低いらしいので
動作としては妥当みたいなんですけど。

私は少なくともそのテレビを見るまで
指を耳たぶに当てるという動作があるなんて事知らなかったし
知らなかったわけだから当然、やっていない。
でも確かに見ると、やっている人はいるんですよね。

耳たぶの裏の体温が低いからといって
やけどなどをしたときに効果があるほど低いとも思えないし
少なくとも私がヤケドしたときそれを知っていても
別にあてようとは思わない。
そうすると本能的にやっているのかと思いつつも
自分ではそんな動作したことがないので
やっぱり知った上で故意にやっているのかな、とも思う。

いったい分かってやっているのか
無意識にやっているのか、どっちなんでしょ。


そういえば2回も延期された試験をやってきました。
受験者30人くらいでしたけど
どうやらその中では最高得点とれたっぽいです。
まぁ、とりあえず教える側の人間としての
面子は保てたというところか。



2005年11月17日(木)

電車が来るまでの時間。
ちょっと間隔があったので本屋をのぞいてみる。

就職活動の本なんてものが結構出版されている。
業界研究とか。

私自身が就職活動をしていたときは
これらの本はほとんど読まなかったのだけど
折角なのでちょっと立ち読み。

私が就職する業界を紹介するページがあったので眺めてみると
「雇用平均年数は結構ながめ」とか
「平均年収は各企業あまりかわらない」とか
そういう内容のことが書かれていた。

隣のページに目を移すと
平均年収や平均年齢などが書かれている。
どれ、と思って上から見ていくと
就職先の会社情報が載っている。
おぉ、と感心しながら眺めているとあることに気づく。

「平均年収はあまり変わらない」という言葉。
なるほど、各企業結構似通っているなぁ、と。
似通っているんだけど……うん、一社だけ抜けて低い。
一番低いところと、その次に低いところ
その差およそ100万円。
そのほかは結構似通っているけれど。

うん、一番低いところが就職先だった。

……という、結構衝撃的(?)な事実が判明。
まぁ、幸せと年収は比例しないよね。
きっとしないさ。
でも何故か目にごみが。
泣いてなんかいない!

シクシク。



2005年11月16日(水)


心の所在はどこだろう、と
このように書くと妙にクサく聞こえるがそういう話ではなく。

人間の構造考えれば
心というのは脳みそだ。
考える機能は脳が司っているのだから。

ところが心というと、どうしても心臓を思い浮かべてしまう。

心臓とは「生きる」ということの中枢を担うイメージ。
脳とは「考える」ということの中枢を担うイメージ。
というならば、感情をはじめとした「心」の部分は
脳だと感じるのが自然の流れのはずなのに。

考えるという部位を持っているにもかかわらず
それ以外の部位で考えているかのような「それ」は
私の感覚からすると少々違和感が。
パソコンで言えばCPUで音を鳴らすとか
ファンで計算するとか
ハードディスクで冷却するとかそんなイメージ。

その原因はなんだろうかと考えてみた。

確かに、考えているのは脳なのだけど
実際に情緒的な何かがあったとき、脳ではなく胸が痛くなる。
どうやらそれは人類に普遍的なものであるらしく
胸を痛めるなんて言葉も一般的に使われる。

どうも考える部分で嫌なことがあっても
その部分で痛みを引き受けるわけではないようで。
ストレスあると、そういう嫌な事は頭で考えているのに
実際痛くなるのは胃だったりするわけで。
……でも心は胃にありますなんて、
あんまりいじらしくないから誰も言わないし。

どうにも、心や魂、あるいは個人を定義する何かが
不明瞭なまま、概念として皆知っているのが原因なのだろうか。

条件反射というような言葉もあるけれど
痛みという概念にしたって
痛いのはその部位だけど、痛いと認識してるのは脳なのだから
ずれているんですよね。

結局、それぞれのパーツを構成したあとで
何か1つのまとまりが意識として必要になるのでしょうか。
パーツを集めてパソコンというように
人が人と認識されるには、脳やら神経やら血やら肉やら
それらをまとめたなにかがないと認識できないと。
ただし、機能が多すぎて色々な方面から考えられてしまうから
色々な認識が存在してしまう。
それの1つを心と呼んでいる。
……違いそうだなぁ。
書いてて分からなくなってきたし。



2005年11月14日(月)


悪臭という概念を考える。

嫌なにおい、というのは確かに存在するのだけれど
その感じ方は人それぞれ。
食材に関して言えば
クサヤの匂いやチーズの匂い、鮒寿司の匂いと
良いと感じる人と、嫌だと感じる人で
真っ二つに割れるものもあります。

それらの違いが何なのか、と考えたわけです。

動機といえばくだらない話。
トイレでくさかったんです。

基本的に生き物は嫌なもの、
危険なものを回避する習性がありますよね。
だから排泄物を悪臭として――と、思ったんだけど
良く考えてみれば糞を食べる動物もいるし
中途半端な人工物より
体内で作られたものの方がまだ安全かもしれないと少し考え直し。

ただ、文化として人間は排泄物を嫌うわけで
だからそれに関わる匂いを嫌いなものとして
とらえているのではないかと考えてみたり。

いまいち、匂いの概念が分からないんですよ。



2005年11月13日(日)


改めて、夢がありますか?

と、漠然と考えてみるとあまりない。
現実見なきゃならない年頃ですから、と言い訳は結構簡単。

夢を叶えるだけのの努力してますか?
と、問われるとNoと答える。

上の2つの答えを合わせると
努力しない結果、手に入れたものが現実となる。
その時々で努力はしたつもりではあるが
一貫性を持った努力をしたという記憶もない。
得た現実、現状をよりよいものにしようとは思うが
それすらも結局現状を甘んじて受け入れているだけである。

ところがその過程、あるいは家庭の中で
幸せを感じ、これでも良いかと思うようになる。


これが私の事実かどうかはともかくとして
これを小さくしたものが私の就職活動だった気がする。

就職活動の開始する時期的なものはひとまずおいて置いて、
気持ちのうえではなかなか本腰が入らない。
エントリーや会社説明会を受ける事で自己満足している。
頑張ったからといいながら。
会社を選ぶ中で、自分の中で第一志望が正当化される。
まるで暗示であるかのようにその業種を受け
その中で第一志望と呼ばれるものが浮かび上がる。

「夢」である。

面接に進み、その時々を頑張ろうと思い、活動。
ダメだった場合、もっと早く就職活動すればよかったなどと後悔。
活動が遅かった、学歴が足りなかったという
「現実」を理由とし夢をあきらめた事を正当化する。
第一志望といいながらも
長年の夢というわけではない。
学生生活の中で見つけたごく短い期間の中で見つけた夢であり
学生生活の4年間、あるいはそれ以上をそのために費やすわけでもなく
それはつまり一貫性を持った努力をしたというわけでもない。

採用は見送らせていただきます、というような旨の
連絡を受けるたびに新しい会社を探そうとする。
志望動機などを考える中で、その会社の魅力を知ろうとし
また、洗脳するかのようにその会社を志望する。
ダメだったことは認識しつつも
第二志望でも、第三志望でも……と
それがダメなら少しでも興味のある会社を探す。
少しでもよりよい現状を得ようとする。

幸い、内定をもらえると
余裕のなかった就職活動中とは少し違った視点で会社を見る。
いいところ、悪いところに気づき
そうは思いながらも来年の4月が楽しみになる。
これはこれでいいかと思っている。


現実と夢、どれどれくらい距離があるのか見つめてみるが
夢そのものが曖昧だった気がしてならない。

これらが悪いかといえばそうとも思えず
単純に自分を取り巻く世間が狭かったというのが一因かと。
知らないことに興味を覚えないのは当然で
テレビを見ても所詮箱の中の出来事でしかない。

体感、実感して初めてそこに興味が生まれ夢となる。

受験でも就職でも転職でも
結局のところそういう情報が大量に入る期間ということなのだろう。
故に、その時が大きな分かれ道になる。

それ以外の時、私にとって
自分の未来は他人事。



2005年11月12日(土)

ホームページをシンプルかつ、デザイン的にしたいと思い
色々考えてみるもなかなか妙案が思い浮かばない。
ゴテゴテのHPは見た目綺麗でも、どこに何があるのか
分かりにくくて個人的にはあまり好きでない。

シンプルで、しかも機能的というのは結構難しい。
学校の友人などはデザインを好んでやっているので
なかなか日常のあり方を見ていると面白いのだが……。
でもあまり機能的ではない。

あまりこだわりがあるわけでも
デザインにセンスがあるわけでもないので
もっと簡単に決めてしまえばいいのだけれど。


さて、先日ヤフーニュースを見ていたら
東武鉄道の運転手の人が
子供を運転席に入れたとかで
解雇されるというニュースが。

経緯を見ていると、解雇はひどいんじゃないかなぁと
個人的には思ったりもしました。
その後、抗議が殺到しているというニュースも出てきて
私1人の感覚じゃないんだな、と認識。

鉄道事故に巻き込まれた人達にとってみれば
たとえそういうことであっても許しがたいのかもしれないけど……。
最近の鉄道事故のパッシングなどから
会社が過剰に反応しているんじゃないのかなぁと思わずにはいられない。

……解雇の原因となった子供は
一生その事を背負って生きていくのかな。
自分のせいで親が解雇された。

自分ひとりのことならある程度の事はかまわないんだけど
人に迷惑かけるのって嫌なんですよね。



2005年11月07日(月)


コンタクトレンズにして、電車で窓に映る自分の顔をふと見る。

「誰だこいつ」

というのは半分くらいの冗談。
実際のところは顔の形が完全に大人になっていたということに
改めて気づかされる。
ずいぶん頬がガッツリしてるなぁ、とか
顔の形がオジサンに近づいているなぁ、と。
やっぱりいつまでも若くないという
当たり前といえば当たり前のことを実感する。

遊びに行くときにしても、その目的地や
内容がずいぶんと変化してきている。
あの頃には戻れないんだなぁと思い
少し感傷に浸る。

そういうときにあせりと共に
何をすべきかと考えると
その時間を生きたと証明する何かを残そうとすること。
だらだらと一日何時間は○○をしようとか
それを行うことの意味について考えたりもするが
結局のところ大切なのは習慣なのだと気づく。

習慣というのはなかなかすごいもので
結構な労力を使うものでも
習慣化していると考える事もなく実行に移している。

もしかして仕事というものの境界は
習慣という言葉にあるんじゃないかと少し思う事が。
つくづく、人は慣れる生き物なのだと思う。

そうなると、私がすべき事は
習慣を身につけることなのかもしれない。
ちなみに筋トレは何度も習慣化を失敗している。



2005年11月05日(土)

とりあえず久しぶりにコンタクトレンズを作ってきました。
忘れないうちに書いておこう。
初診の代金含めて1DAY用、3ヶ月分で1万5千円。

安いところを探せばもっと安いのかもしれないけれど。
輸入の通信販売使えば4千円くらい違ってくるかも。
……まぁ初心者で小心者の私にはこれくらいしょうがないか。


ところで先日6、7年くらい共にあったものが死んでしまった。
……サボテンなんですけどね。
アズレウスって種類の。
3ヶ月くらい水上げなくても元気だったのが
最近しっかりと水あげたせいで腐ってしまった。
ひいきの引き倒しというか。

なんとなく部屋にずっとあったけれど
やっぱりなくなると少し寂しい。
ちなみにそれとは別の品種がまだあるけれど
アズレウスはかなり成長していたから。
鉢が小さいやつだったので植え替えもしなきゃいけなかったんだけど
横着してしなかったから元気がなかったのは事実。
ごめんね。


で、まったく違う事だけど漠然と考える。
過去と未来とどっちが大切なんだろう?
どっちかしか選べなかったらどっち選ぶかなぁ。



2005年11月04日(金)

さて、と……先日書いた内定辞退した会社からのメールが来た一件。
今日、電話をしてその旨を伝えました。

10時ごろ電話したんですけどね。
久しぶりに企業に対しての電話という事で
ちょっと緊張しながらコール。
メールが来たということ、こちらからメールを送ったという事
そういうことを伝えると
申し訳ありませんでした、との事。
以後このようなことがないようにいたします、と。

思ったより無難に終わってほっと胸をなでおろしました。
届いた郵便物が内定者用だった気がするし
そういうものの処分について気になったけど
何も言われなかったからいいのかな。
普通こういうのって社外秘とかなのかなと思ったけど。

まぁ、これにて一件落着。
安心してふとメールチェック。
……お、早速メールが届いてる。
電話口での謝罪だけじゃなくて
ちゃんとメールでも謝罪なのか。
やっぱりこういうところはしっかりしてるなーと思い開封。

……うん、どう見ても内定者用だ。

と、まぁ最後にオチがつきましたが
これで本当に終わりでしょう。
送信日時を見ると電話直後くらいになっているので
恐らく情報の伝達が間に合わなかっただけでしょうから。

これでもまだメールが来るようだったら
4月からお給料だけ貰っちゃおうか。



2005年11月02日(水)


さて、私は就職活動をしていて幸いにも何社か内々定を頂いた。
当然、そのうちのいくつかは辞退せざるを得なかったわけです。
とりあえず電話で辞退。
内定承諾書も送らず手元に。

7月ごろには就職活動を終え、既にそれから3,4ヶ月。
辞退した会社の事も忘れて、生活していたわけですが……。

辞退した企業から何故かメールが届く。
事後にも何かあるのかな、とメールを見てみるが
どうも内定者宛てっぽい。
なにかの間違いだろうと放置。
……まぁ忘れていたんですけど。

その数日後、冊子が届く。
中を見ると同封された紙が。
見てみてビックリ。
メールが届いた会社からのもので
またもや内定者と思われる事が書かれている。

これは流石に間違いだろうと
文面を何度もチェックしながらメールを人事に送る。

翌日、返信なし。
まぁ、忙しいし間違い直るならそれでいいかと思いながら翌々日。
メールが届く。
そしてそれはやはり内定者宛てのメールで
こちらから送ったメールへの返信ではない。

まぁ、フリーメールだし削除されたのかもしれない。
今日電話しようとおもって見事に忘れる。
で、帰宅後メールチェック。
……また内定者宛てのメールはいってるし。

なんか課題の提出みたいのがあるらしい。
期限を守れないのは社会人として――云々。
まぁ言っている事は正しいのだが
間違いに気づかず、送ったメールもチェックせず
(あるいは自動的に削除しておきながら)
こういうことを言われるとちょっと皮肉でも言いたくなる。
情報を統制できないのは会社としてどうなのよ。
仮にもIT産業の会社でしょうに、と。

まぁ東証が落ちるご時世、なんでもありなのかなぁ。



2005年11月01日(火)

幼い頃に旅行先でお弁当を食べた。
そこに入っていたのは小さなリンゴ。
確か母親にだったと思うがそれが「ヒメリンゴ」という事を聞く。

名前が名前なので、ずっと覚えていたのだが
ちょっと必要になって今日調べてみた。
最近調べ物をするにはネットばかり。

さて、困った。
お弁当に入っていたのだから食べたはず。
だが、ヒメリンゴそのものはあまり食さない。
というか盆栽だったりする。
食べられなくはないらしいけれど。

すると、アルプス乙女という品種を知る。
これもリンゴで、小さいリンゴらしい。
アルプス乙女で調べてみると
オトメリンゴなんて言葉が出てくる。
それならばと、オトメリンゴで調べてみると
ヒメリンゴが出てきたりする。

ヒメリンゴが品種改良されたものだとか
まるで別物のようにかかれていたりとか
同じものだとか
色々な情報が存在していてどれが正しいのか分からない。

伝言ゲームを思い出すと分かるように
情報は基本的に伝聞する事によって劣化する。
インターネットの情報は膨大なだけではなく
それらの劣化した情報も、最も原始的な情報も
同列に並べて置かれる。

それで情報などを学ぶときには
情報の信憑性を十分に指摘されて公開する様に言われるし
信頼できる情報を選べ、という事がよく言われるのだが……。

それにしても、私はろくな図鑑の1つも持っていないのだなぁと。
何を信用したらいいのやら。


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