1日雑記

2001年11月30日(金) ねよう…

布団に入ってから日記を書いていないことに気づく。
とりあえず起きて書く。
なんて律儀なんだろう。
で、書いてることがコレなんだから、
何やってるんだろうなぁ…と思わず自問したくなるものだ。


今日は月が明るかった。綺麗で。
この光も太陽からのものなのだ、と。
すごい、改めてすごいと思う。
人という存在が、存在してきた月日の中で
火から始まり、現在にいたるまで。
多くの光を作り出し、現在も使われている。

いま、真っ暗な部屋の中で光っているディスプレイも
非常にまぶしい。部屋が明るいときはほとんど何も感じないが。
そんな光さえも。

その人間の進化の結論、いや、今現在は
地球を喰い物にして作り出している光。
そんな光は明るい、…が。
太陽は昼間を作るほど明るかった。
そう気づく。
どんなに、地球を傷つけて光を得たところで
太陽に比べればどれほどのものか。

増長しきったようにも思えるこの頃、
太陽のすごさを改めて…。



2001年11月29日(木) 直さないといけないけどね

部屋の掛け時計に引き続き目覚まし破損。
だが軽傷。

今朝、なぜか目がさめる。
7時くらい?
きっと。今日見た夢が悪いんだ。
よくは覚えていないけど。
んで、今日は9時まで寝てられる。
だが昨日、目覚ましをセットしたかどうか
不安になったので目覚ましをチェックに行った。
ちなみに半寝状態。
が、昨日ちゃんとセットしたことを思い出す。
あの状態で思い出したのはすごいと思う…。

ま、そのときにポロッ…っと。
目覚まし落下。
電池、電池カバー外れる。
気づくと秒針も。

電池を入れたが動いて見えない。
これは壊れたと思い、携帯の目覚ましをセットし再び床へ。

…考えてみれば時計の長針が動いて見えたら、
それこそ壊れてるんだけどね。
酔っ払いに念仏、
寝ぼけに理屈。
間抜けでした。



2001年11月28日(水) おおぉっ!

金曜日。
なぜか休講が二つ重なる。
体育はサボっても問題ないので一日休みになった(した)。
12月の話だけど。
やったっー!!
小躍りしてしまいそうになる。ダンスダンス♪
いえーぃ!!
…もしかして「いえーぃ」って死語かね?


ああ、もう今日は…
人の人生のありかたって「暇な時間をどう過ごすか」
じゃないかと思う。
そう痛感した僕は…僕はっ…

寝ます。30分ほど。
ぐぅ…ばいとぉ…?



2001年11月27日(火) いつもながら

寝てました。
今の今まで。
今は…午前1時過ぎかな?
…あした、例によってテストです。
熱力学。
どうにでもなれ。
このやろう…
徹夜ばんざーい



2001年11月26日(月) 渋くないように

予定では明日、柿をもいできます。
柿。
友人の家の。

んで、微妙なところでサルカニ合戦を思いだす。
…どんな話だったかな?
確か…おにぎりとたねを交換して…
猿がだまして柿を奪って…
カニに青柿投げつけて…
栗とうすと…ハチだっけ?
退治されて…。

サルとカニの合戦。
ずいぶん小規模な合戦だなぁ…とか。



2001年11月25日(日) 腰は痛くなるし

寝てしまった。
友達が帰ってから。
7,8時くらいだったろうか?
…しかもしっかりと12時前には目がさめる。
(晩御飯それからだったし)
夕方から夜にかけて寝るとどうしてもこの時間に起きてしまう。
なんつーか…常夜を生きる?
って違うね…。
とりあえず夜行性は間違いないでしょう。
明日もガッコ、ガッコ。



2001年11月24日(土) そめる

個人的には髪を染めるのは嫌いかな。
というか、好きじゃない。
痛む、痛まないは置いておいても。
なんつーか…安っぽい感じがするし。
大多数の人はね。
似合ってない…ってか…なんつーか…。
少なくともアイデンティティの確立には何も貢献してない。
奇抜な色をさせても似合わないしねぇ…。

だけど染めてみた。
なんとなく。
1年くらい前にも1回染めた。
初めて。
ほとんど色が落ちなかったが。
今回も落ちない。
だからもう少し落とそうかと思っているのだが。

正直、身近な人間が染めると
(初めて会ったときから染まってるのはともかくとして)
どうも違和感が…。
性格のところとかが変わってしまった気がするというのか…
いい気はしない。
考えが古いのか、いや、理解はしてるから
間隔が少し古いんだろう。
もしくは現在と言う時間を大切にしたいというか…
変化を望まない?そんな感じだろうか?

だが染めてみた。
なんとなく。
なんとなくなんですよ、本当に。
気が向いたから。
で、もう少し薄くする予定。
中途半端だから。



2001年11月23日(金) ふぅ…

いや、もう…早朝6時に起きて
5時20分ごろ帰宅。
20分くらいでまだ出かける。
これはバイトですが。
終わったのが1時半。
私は問いたい。
何故狂牛病、2件目が見つかったのに客足が衰えない!?
皆さんニュース見てますか!?
危機感足りなすぎ…とは言いませんが
(むしろ、こんなことで危機感を感じるのもどうかと…)
忙殺されるのはどうにかなりませんかね?
もう少し暇になってくれてもいいじゃないか…。
帰ってきたら2時だよ…。
一日中外にいた気がする…
計3時間は自転車で移動してたと思うし。



2001年11月22日(木) 本日は

なんとなくつけた「笑っていいとも!」で
間違い電話をかけてしまっていた。
どうやら番号が変わっていたのか…。
こういうとき生放送だとたいへんだなぁ…とか。

で、学校へ。
モノレール(僕は通学に使います)の中。
東京近辺なんですが。
Tシャツ1枚のお兄ちゃんが…
確かに今日はあったかかった。
むしろ暑いくらいだったかも。
でもTシャツ1枚はないだろう。
ほとんど冬なんだしさぁ…。

学校につくも、筆箱を忘れていた。
500円しかない財布の重さに名残をおしみつつ、
購買へ走る。
ちなみに最初から10分ほど遅刻してたわけで…
ふっ…
定刻の40分前には終わってたし。この講義。



2001年11月21日(水) すでに尻に火がついた気がしなくもないが。

今日は一人の先生を見捨てた
(と言うよりこの講義を有意義なものと見なくなった。)
いや、講義も面白いし、人間的にも好意に値する。
…が、いまいち…。
道徳教育の先生なんだけど。
どうも思考の点で共感できないところが…。
子供に対するあり方と言うか…。
確かに聞いて納得する点もあるんですけど。
全体的に、ね。

どーも年取ってくると考え方が…
つまりは「子供」俺にとって「大人」はすごかったんですよ。
先生に始まり親にいたるまで。
…事実尊敬に値する人は周りにいますよ?
でも大多数がそうだった過去に比べて
すべての大人をすごいと思えなくなったと言うか…
俺が大人になっただけなんだけどね。
もっともその反面、
自分に近い友達とかをすごいと思ったりとか。
考えの変化だね。

あ、一つ言っておくと、決して自分が深く考えてると
自惚れてるわけじゃない。
ただ、出足の方向が違うから共感できない、
そんな感じ。
議論したら(討論したら)相手を説き伏せる自信はないです。
説き伏せられる自身ならたっぷりですが。
ま、自分は自分。できるとこまでのんびりやります。



2001年11月20日(火) 手がかじかんで

そろそろ携帯変えないとなぁ…とか。
気づくと底のカバー(充電用)がなくなってるし。
もう一年以上使ってるし…いいよね?
なんか変なものもくっついてるし。
(ごみとか汚れじゃないですよ)
いや、バイト先の人たちが悪いんだけどね。
例によって電池と本体の間とか…。
はぁ…。

なんだかんだ言っても、休みはひまでも出不精で寝てばかり。
買い換える暇はない。
んにゃ、暇はあってもいかない。
グラフィックボードやら、弓やら…
買うべきものはあるんだけどね。
出不精です。困ったもんだ。



2001年11月19日(月) のんびり奉仕活動(ただ働き)

どんなに色んな事を考えても実行に移すだけの意思をもてない。
きっとこんな風に生きてきて、こんな風に生きていくんだろうな。
…人によって良し悪しは…いや、多分いいほうには考えられないかな。
俺自身は大して不満でもないんだが。今となっては。
人生達観してるわけじゃなし。
今も昔ものんびり生きる。
それが全部。
すべての価値観をなげうって、すべてにリセットがかけられても
結局ここにいるかもしれない。
人の中であわせながら生きることもあれ、でも無理はしない。
まわりも分かってくれている。それを。
だから今は幸せなんだろうと。

例えば森
例えば水
例えば火
例えば空
例えば地
例えば風
例えば光
例えば闇
例えば星

なんとなくそれをみていて退屈をしない。
そんな大きなものをみていることができる、今。
これも一つの望んだ形かな。
あくまで一つだけどね。
どこにいても変わることのない無い物ねだり。
どんな今でも変わることなかったであろう、
”もしも”への期待。
結局は同じ。
だから後悔はしていない。
そう言い聞かせる。

事実は…どうなんだろう



2001年11月18日(日) 帰宅すると朝刊ありました。

バイトの人とラーメン食べて、飲みにいって
カラオケいって、星をみて。
…星をみてるときにこれも一つの社会だなって。
高校のときの友達と遊んでるときも、また。
色んな社会を形成しつつ生きていくって。
…6時に帰宅はどうにかならんか…
学校あるし。
酒飲んで頭痛いわ…HELP ME。



2001年11月17日(土) 目で追って

視線の高さ。

幸いに、身長にはそれなりに恵まれてます。
人並…175くらいはあるんですが。
電車乗ってると、…まぁそれなりには高いほうかと。

で、歩く。
道を。
何処を見てるのかなぁ…と。
基本的には人の顔のあるあたりを見ることが多い気がする。
なんとなく足元とか、空とかも見るけど。

人の顔を見てる場合、俺の身長だと視線はやや下にいく、はず。
他の人はどうなのだろうと。

例えば小学校の頃、自分が何を見て生きてきたかな…?
思い出せないんだよね、自分の視界。
が、基本的には他人を認識するのには顔を見る必要があるわけで…
多分上を向いて歩いていたんだろうと。

でも上向いてると疲れるんだよね。
人は一番楽な姿勢をとりたがる。
たまに推理小説で壁に書かれた文字の高さから
その文字を書いた人物の背の高さ割り出すとか。
目線の位置に文字を書くというのが、無意識の中で起こるため。
…つまりは正面向いて歩いているんだろうか?

ときどきテレビで、視線の(焦点の)移動を
コンピュータでトレースしてることがある。
例えばボーリングでプロの視線は何処を見て
素人の視線は何処を見て、とか。
それで違いを探すやつ。
あーゆうのがないと、自分が何処みてるか定かじゃないんだよね…おれ。
見える範囲には同然高さが存在するけど…結構広いし。
何処見てるんだろ?俺。

まぁ…多分、対象物をその都度設定して
それぞれに視線が移動しれるんだろう。
せわしなく、ね。

何でこんなこと考えたか、って言うと一枚絵。
どの視点でものを見るか。
主題となるものと、背景の見え方の位置関係。
変な取り方してるとまとまらない。
つまりはモノをみるのに最良の視点とは何処なのか、って。

いや、絵は別にかまわないんだけど、
どうせなら最高の視点で物事を見ていきたくない?
身長はどうにもならないけどね。



2001年11月16日(金) 昨日の日記と対になる(意味はない)

僕にとって、もっともつらい行為を考える。
…ほとんど睡眠をとれないことなんじゃないだろうか?
本日は欲望のままに寝てないわけです。
おかげで学校は苦痛。
すごく眠いし。
…夜中は楽でしょう。
間違いなく。
先ほど仮眠を取ったので



2001年11月15日(木) そういえば

僕にとって、もっとも堕した行為を考える。
…好きなだけ睡眠をとることなんじゃないだろうか?
最近欲望のままに寝てるわけです。
おかげで学校は楽。
眠たくないし。
…明日はつらいでしょう。
間違いなく。
今日は夜更かしするつもりなので。



2001年11月14日(水) さて…

まじめに進路を悩んでいる今日この頃。
と、いうより今。
気づけば20歳。
いいかげん、進路を決めかねるのにも限界が近い。
…基本的にはやりたいことは…いや、就職したいところはある。
それには勉強が必要なのは当然として…。
問題は趣味の延長ではないということか。
…つまりは好きでやっていけるのか、ということ。
いや、嫌いじゃないし、多分あってる職なんだと思う。
もしも就職できたなら。
…ただ、別種として…趣味の延長として就職したい。
そんな願望がなくもない。
もっとも、それだけの勇気はないのだが。

大学生として、かなり自由に時間がつかえる一方
2年になってから、実はそこまで自由ではないことにも気づく。
…いや、自由には使っている。
問題は使い方。
自由であるが故に無駄に…いや、好きに使おうと思えば使える。
逆にいえばここでやらないと、もう後がない。
…何をやるにしても。

たとえば望んでいる就職口につこうと思えば
今から勉強をはじめるのには決して早くはない。
それは自由な時間を奪う
――望むことだから自由といえば自由なのかもしれないが――
ことになる。

俺は器用な人間じゃないから…
と、いうよりも意志の強い人間じゃないから
何かひとつのことに脅迫を持たないと(強迫観念を感じないと)
集中できない、持続できないと思うから。

退屈な講義の中で考えてみようかと思う。
俺自身はどうするべきなのか。

変に計算高く考えて、後で後悔しないように。
無鉄砲に行動して、後で後悔しないように。
…この時点で十分理屈っぽくて何かいやだが。

悩む時間はもうないんだろう。
あまりにも少なすぎる気もするが
今までの時間をこの事に割いてこなかった当然のつけ。

大学という予備期間――本来はそれではまずいのだが――
を利用して結論を出すという贅沢な行為ではあるのだが…
何をしていくのか、僕は。


正直なところ、何をしても後悔すると思う。
いや、所々で。
俺は気の多い人間だから。
やりたくなることはいくらでもある。
同時にすぐに飽きる感も。

その中で、得る、結論、早く………



2001年11月13日(火) ぬぅ…

給料日は目前だ。
ここで残り300円。
後二日。
それですべてが決まる。
しかし、残り二日、俺的には週の始めだ。
火曜日が休日だから。
しかも水曜は一番つらい。


そうそう、画期的な発明、と言うのが漫画とかで出てくることがある。
ほとんどはそれがテーマになるんだけど…
色々大変なんだよね。実際は。
今までのやり方を否定しちゃうと、
それに依存…ないしは生活の糧にしている人たちが一気に失業しちゃう。
…そういえば自動改札はどうなのだろう?
あれによって駅員はずいぶん削減されたんじゃないだろうか?
そんな気がしてならない。
…詳しく知らないが故に、そうでないことを願う。

そういえば自動改札は嫌いだ。
俺が近づくと閉まって、定期や切符を通すと開ける。
お金やそういったものに…何か人に…
媚びてるようなイメージがついてまわる。
…機能的を追及するとそうなるのだが。



2001年11月12日(月) こーるど

今日はやたらと寒かった。
…というより、寝不足で体が熱を作れなかった勢いだ。
講義中、寒い、眠いのダブルパンチ。
眠っても死なないと言うのはせめてもの救いか。
ベットってありがたい…
The・万年床。

今はE・クイーンのYの悲劇よんでます。
これがなかなか…。
しっかし、古本で買ったのだが…
なぜか本から甘いにおいが。
なんなんだろう?
相当古いのだが…。



2001年11月11日(日) あ、冷めてる…

この頃、めっきり寒くなっております。
どのくらい寒いかと言うと、コンビニで肉まん買って
自転車で30分ほど走っているとさめてしまうほど。
せっかく買ったのにほっかほかじゃないし、
ホクホクでもなくなってました。
ここまで来るとこれはある種の犯罪でしょう。
肉まんを買った動機は寒かったから。
…寒くて買って冷めたことに対していらだつのは何かちがうん?
問題は雨上がりの夜中の1時に
起伏に富んだ地形を自転車で疾走したことか?
坂道が多くて、分かりにくくて、おまけに道に迷った所為か?
いや、おかげで汗かきましたが。
肉まん美味しく感じられないじゃないか…。
寒いときには運動が一番だねっ!
…という結論に達し、
こんどは自転車で立ちこぎで風を切って走ってみました。
…寒いです。すばらしく。
風をきって爽快に走る=あったかくなる
この方程式が成り立つためには
相当の時間と、犠牲が必要なようだ。



2001年11月10日(土) なんとなく短いけど

人のうちから借りて書いてみる。
云々はともかくとしてパスワードを覚えておくと
どこからでもかけるというのは何とも便利。
問題はキーボードの配置が違う。
特にカーソル。というか方向キー。
いつも無意識に押してら非常に戸惑う。
うーん、新しいの買ったら、こんな感じになるのかなぁ?



2001年11月09日(金) なぜ、ちびたセッケンは泡立たないのだろう?

昨日風呂に入った際、セッケンを泡立ててみた。
泡立つ泡立つ、すごいすごい。
何年ぶりだろう?こんなに泡立ったのは。
で、まぁ…あわ立つセッケンで思い出すこと。
歯磨き粉とか食器類洗う洗剤。
歯磨き粉にも様々な種類の歯磨き粉があるわけで…
ちなみに歯磨き粉といいながら粉であったためしは記憶にないが。
そもそも由来を考えるとおそらく塩で…
と、それはともかく、歯磨き粉には2種類ある。
泡立つ歯磨き粉と、泡立たない歯磨き粉。
現在利用してるのは…立つほうかな?泡。
…中途半端なのが結構多くて。ってこれじゃ2種類にならないか。
どっちがすきかと聞かれればやっぱり中途半端なのがすきなんだけどさ。
泡立たないと歯全体に歯磨き粉が回った気がしないし、
泡立ちすぎると鬱陶しい。
ちなみに「私はこの歯磨き粉を使ってで歯が綺麗になりました」多分。
芸能人は歯が命のあれじゃないですけど。
…あの宣伝、最近見ないなぁ。

食器洗う洗剤も同じで
洗剤が多いと、かえって汚れが落ちないのは知ってるけど
泡立たないと洗剤で洗えてる気がしない。
…家では食器を洗うようなことしてないですけど。
いや、ほらバイトで。

以上のことから、泡立たないと洗剤がのびた気がしない
=セッケンが全体に行き届いた気がしない
そういう結論に達しました。
うーん…実際は泡立たなくてもセッケンは行き届いてるのかなぁ…?



2001年11月08日(木) 白状すれば書くことがないだけです

物事の本質を何一つ理解することなく生きていける今の社会

そんな社会に適応、順応している自分

そんな自分に満足できないなら

せめて何かを極めるために…

今生きることに充実感を覚えることと

本質的な何かに気づくことは違う

一生懸命になりすぎて

それゆえに目標を見失う事のないように

自分くらいは自分であれるように



2001年11月07日(水) 講義でやったので

かっこよくソクラテスの話でもしようかと思ったのだが…
疲れたので却下。
やることが多くて、いや、やりたいことが多くて…
大変じゃないけど時間がない。
時間があってもやらないけど、やりたいことがたくさん。
いざ時間があると、暇に使ってしまうものです。
ちなみに明日はゆっくり寝てられます。
家を3時10分に出れば学校に間に合うので。
…もうゆっくりってレベルじゃないか。
それにつけても、講義の時間と通学時間が同じというのはどうかと。
俺なんか近いほうだし、まだいいんだけどさ…。
教科書買わないと(いまさらだけど)単位やばそうだし…
探してみるかな、明日。



2001年11月06日(火) どりんく

ちょっと分からない意味の言葉があったんで、
辞書をひいていたんですけど…
ほら、その前後くらいの言葉が目に入るって良くあるでしょ?
んで、見つけた言葉が
ジンジャーエール
別に何気にすることなく飲んでいたんだけど
あれって生姜入りの炭酸飲料だったんだね。
あー、もう、気づかなかった。
…この場合、問題なのは俺なのか?
それとも飲んでもそれと気づかせない飲み物なのか?



2001年11月05日(月) 色々辞書ひいて

なんといいますか、ときどき映画の監督や
小説家などを評するのに
「キサイ」と表されることがある。
…いまカタカナ表記したのは「鬼才」と「奇才」
二つの変換があったからなのだが。
まぁ…世間一般、鬼才のほうかな?
どちらも卓越した能力みたいな意味合いなんですが。

何故天才ではないのか?
と言う疑問なんです。
人を誉めるにあたって、天才といったような言葉は
もはや陳腐ですらないんですよね。

俺のもつ天才、鬼才のイメージとしては
天才は完全無欠で鬼才は大半の部分において
何かが欠落しているが
ただ一つの点においては常人をはるかに凌駕している…みたいな。

まぁ…芸術家にたいする偏見から言うと
いろんな部分が欠落しているっていうか、どっか変わってるって言うか。
実際はそんなことも無いんだろうけど。

とりあえず、そういった面で天才よりも鬼才のほうが
一部分においては飛びぬけてる、というイメージがつきやすいのかなぁ?

あとは露語がかっこいい。いや、純粋に。

そして、天才そのものは天賦の才というイメージもつきやすいわけで…
「99%の努力と〜」は有名だけどね。
それでもイメージとして。
苦労によって創られたものを天賦の才で片付けるのは
もしかして失礼に値するのだろうか?



2001年11月04日(日) ん?

なんて言いますか…
うちのバイト先、社員よりもアルバイトのほうが社員っぽい。
やってる仕事が。
…社員が二人しかいないわけだから、ありそうな話ではあるけど。
それにしたって…というレベル。


そうそう、不思議の国のアリス。
作者は数学者でした。
昔、アリスの算数パズル…のような本があったのですが…
すべては数学に関係する話だった。今にして思えば。
昔はアリスと言う有名なものを利用した作品かと思ったのだが
実際は必然から出来たものだったのかなぁ?



2001年11月03日(土) こねた

どうにも、話の種にされるのは苦手だ。
親戚が来るとこうなるのだが…。


朝、起きる。
時計を見る。
…3時?
うーむ…さすがに…ねぇ?
1時くらいならオッケーなんだけど。


昨日渋谷にいった。
相変わらず人が多い。
ふと思う。
日本人の髪の色って何色なんでしょうね?



2001年11月02日(金) 帰り道

いや、例によってふと、ね。
この日記って毎日のように書いてるんだけど…
それって=毎日パソコンつけてる+毎日ネットやってるってこと。
この日記が始まったのが3月くらいだから…すごいよね。
こんだけ使えばこのパソコンもそろそろいいんでないかい?
10万円位のパソコン。
色々きつくなってきたしなぁ…。
新しいのほしいな…お金さえ…たくさんあれば。



2001年11月01日(木) 解釈

んー…人って愚かでしょうか?ってはなし。
いや、そんなに重い話じゃなくて。

つまり詩や短歌、抽象画とかいうものがどういう意味を持つのか、と。
例えば、何かを伝える手段として存在するなら
これほど愚かなものはなんだよ。
わざわざ制限つけたり、分かりにくくするんだもん。
だから愚かなのかなーっと。
短くしなくたって長々と書いたり、
写実画を書けば問題ないでしょ?

考え方変えればそうとばかりもいえないんだけどね。
何かを伝えるとき、直接的に伝えにくいときは
例をあげて説明することが良くある。
全体的なものを例から汲み取ってもらおうとるす方法。
もっとも、この方法の欠点は
個人により、感じ方が微妙に違うってことかな。

それに写真の存在により、写実画の存在意義は少し薄れてしまったから…。
それによって評価されるのは個人の能力であって
絵の場所、そのものではなくなってきてしまったのではないかと。

ちなみに写真自体も写実的、と言う面から言うと最近はね…。
フィルムに写っている物すべてを現像できてるわけではないと聞く。
ほんとかどうかは知らないが。
写っているものも現像の過程で消えてしまうとか。
そこに来てコンピュータを使うと、全部ほとんど再現できるとか。
だから写実的、と言う面から言うとね。

とりあえずは、では何故詩や、短歌や、抽象画があるのだろうね?
…詩や短歌に鍵って言えば
音(リズム)かな。
例えば、これは小学校くらいだったかなぁ?国語の教科書。
「ケルルンクックー、ケルルンクックー」
という詩の一節だったかな?
鳩の鳴き声。
文章(?)で書くと
「鳩がケルルンクックーと鳴いていた」
…リズムを考えると詩のほうがいいよね?
ここで鳩について書こうとすると、
電線の上で、とか何十羽が一編に、とか色々つけられるとは思うけど…
音によるイメージの拡張みたいなことができるんじゃないかと。
ただ、ないている、とか言われるよりも
泣き声のリズムを読者に与えたほうが、自分の中に作るイメージが
綺麗にできるんではないか、と。

短歌も同様。
表現や、伝えたいことの中に、リズムを組み込んで
全体的に受け入れやすくする。
だらだらと長すぎるのも良くないって言う観点から言うと、
短歌って言うのは極端だけど、短いよね。
当然表現できることも少なくなる。
そのせいもあり、先人たちは色々な単語を編み出したわけだけど。
もっとも、更にその所為で後世の人たちの解釈が
色々と分かれることになるんだけど。

抽象画はどうなんだろうね?
上で言ったみたいに例えの中から伝えたいことを見つけてもらう、
そういったニュアンスなのかね?
これについては分かりません。
文章なら、まだ直接的に伝わることがあるけど
抽象画でさっぱりなのは本当にさっぱり分からないし。
どう解釈したものかなぁ?


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