英語通訳の極道
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2003年05月28日(水) アメリカでは生で食べます

留学して何年か経った頃、バーニーと知り合った。

アメリカ人だが、英語に外国人訛がある。コミュニケーションには問題ない。発音がちょっと分かりにくい。自然なスピードを意識して早口でしゃべるのだが、勉強して習ったという印象を与える英語だった。

しかし、日本語は完璧でネイティブ並み。というか、ネイティブなのだ。

彼は、高知生まれの高知育ち。父親は宣教師で、両親は日本に20年以上住んだ。彼も日本人の子供達と遊び高知弁をしゃべって育った。

それでも、見かけが日本人っぽくないから子供の時はガイジン扱いされたと、ちょっと寂しそうな笑いを浮かべる。

アメリカンスクールで必死に英語を勉強した後、アメリカに「帰国」し、私がいた大学に入学してきた。

思慮深く、思いやりがあって信頼できる。同年代の日本人よりもずっと日本人的な奴だった。私と気が合ったのか、しょっちゅうアパートに遊びに来た。

彼の父親も努力家で、コツコツと日本語の勉強を続けた。ただ、大人になってから日本に渡ったので、さすがにバーニーほどには上手にならない。

毎週通っている日本語の教室で、ある日、日本とアメリカの文化の違いを表す例をあげなさいという課題が出た。

まじめな彼は一生懸命考えた末、短い文章を得意げに読み上げた。

ニッポンでは、



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を煮てタベマスガ、

アメリカでは、



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を生でタベマス。

ヒェー!どちらもおっかない国だ。


2003年05月25日(日) お口だけじゃイヤ


前回のコラムで書いたように、世間と比べて遅いのか早いのか分からないが、20代も中盤になって、思いがけず筆下ろしを済ませることになった。

最初は勝手が分からずとまどうことも多かったが、慣れると楽しくなり、ひと夏夢中になってそればかりしていた。

しかし、まだお口を使ったことはなかった。

興味がなかった訳ではない。10代の頃からこっそりと雑誌などを盗み読みしては興奮していた。ただ、相当高い技術を要求される行為であり、実際に自分がすることになるとは予期していなかった。

ところが、数年後思いがけずチャンスが訪れる。

さすがに初めての時は相当緊張した。それまでいっさい経験がない。訓練を受けたこともない。果たして、お客さんに喜んでもらえるだろうか?相手は日本から来た団体さんだった。

世の中には、筆だけしか使わない人もいれば、お口だけの人もいる。

どちらもそれなりの喜びがある。

初体験の順番も、普通は筆の方が先になることが多いが、どういうわけか、お口しかしたことがない人もいる。

大きな声では言えないが、



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である。

プロとして常に高いレベルを求めて、日夜修行に励んでいる。


2003年05月24日(土) はじめての翻訳

生まれて初めて翻訳をしてお金をもらったのは、アメリカに留学して一年後の夏休みだった、と以前このコラムで書いた。

お金をもらったどころか、実はこの時の翻訳で一年分の生活費を稼ぎ留学を継続できたのだから、一年間翻訳で食っていたと言っても過言ではない。

留学して半年も経った頃、アメリカの大学に残りたいと真剣に考え始めた。アメリカの大学は刺激的で、授業も面白かった。それに比べて、当時の日本の大学は、興味の涌かない授業と理不尽な制度。日本の教育制度には相当失望していた。

しかし、先立つものがない。日本でもらった奨学金は一年だけ。自己資金は限りなくゼロに近い。仕送りなどというものはもらったこともないし、経済的援助をしてくれる家族も知人もいない。ならば、自分で稼ぐしかない。

幸運なことに、学部長の推薦で授業料に相当する奨学金をもらうことができた。これは大きかった。何しろ、授業料は生活費よりも額が大きい。

さて、あと生活費をどうするか。あれこれ探している時に、ひょんなことから翻訳の仕事が転がり込んできた。

あるエージェントが大学に求人依頼をし、それが日本人学生会に来て、私に声がかかったのだ。

エアコンの取扱説明書の英訳で、2週間ほどの仕事という話だった。一年分の生活費を稼ぐには足りないかもしれないが、とりあえず何か仕事があるというのは前進だ。

エージェントに連れて行ってもらったのは、Carrier Corporationという全米最大の空調設備製造会社だった。話を聞くと、日本のさまざまなエアコン製造会社から製品を購入し、分解して分析しているらしい。その取説を英訳して欲しいということだった。

1980年代、アメリカでは日本の自動車が人気で、デトロイトは工場閉鎖とリストラが相次ぎ青息吐息の状態だった。日本車をハンマーで打ち壊す労働者たちの姿がニュースで繰り返し放送されていたのを覚えている人も多いだろう。自動車だけでなく、鉄鋼、家電、カメラ、精密機械など日本製品がアメリカ市場を席巻していた。

Carrierはそんな日本の経済進出が空調設備の分野にも及ぶのを恐れ、まず敵の商品を研究しようとしたのだ。

その彼らのために取説翻訳を担当する私は、アメリカ産業界の対日戦略の先鋒を担ぐことになったわけだ。

最初2週間といっていた仕事は、取説の数が増え、1ヶ月に延び、2ヶ月になり、最終的には夏休み一杯、3ヶ月近くサラリーマンのように車でオフィスに通って翻訳をする生活を続けることになった。

確かその時もらった時給は7ドル少しだったと記憶する。1981年当時の為替レートは1ドル=220〜240円。エージェントが会社から9ドル以上受け取り、3割ほどの手数料を引いて私の口座に振り込んだ。

この手数料のことは最初あまり気にしていなかったが、2週間という話が3ヶ月になってみると、大学に一本電話を入れて私を探し出しクライアントに連れて行っただけのエージェントが、ずっと3割の手数料を取っているのはちょっと高すぎるのではないかと思われた。

翻訳に明け暮れた夏休みが終わってみれば、銀行口座の残高が3500ドル近く増えていた。当時奨学金の手当が一ヶ月550ドルだったことを考えれば、これだけで一年間の生活を支えるのは相当厳しい。

しかし、知り合いにアパートを安く貸してもらい、スーパーマーケットでは肉コーナーを素通りして、ほとんどタダのようなハムの切れ端パックを買い、野菜はキャベツ炒めばかりという生活で月260ドルまで切りつめ、何とか一年間乗り切った。

さて、肝心の翻訳だが、取説はあらゆる会社のものが揃っていた。翻訳することになってはじめて気が付いたのは、取説の多くはあらためてじっくり読むと何を言いたいのか不明瞭な文章が多いということ。日本語で読んでいるときには気にもしなかったが、いざ英語に訳そうとすると意味が分からず頭を抱える。



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の取説。日本語の体裁をなしていない。家電専門メーカーはまだましだった。感心したのは、松下電器。ちゃんと英語の取説もついていた。

初めての翻訳で慣れない技術表現に苦労しながら、研究社の和英中辞典だけを頼りに翻訳を続けていたそんなある日、絶句したまま鉛筆を落としてしまった。

トラブルシューティングのページを訳している時だ。エアコンから聞こえてくるさまざまな「音」に対する対策が記述されている。

ザ、ザ、ザという音がしたら、‥‥をチェックしてください。
ザ、ザ、ザーという音がしたら、‥‥をチェックしてください。
ザザー、ザーという音がしたら、‥‥をチェックしてください。
‥‥

20年以上前の記憶は一語一句正確という訳ではないが、似たような擬音語が延々と続いていたことだけは今でもはっきりと覚えている。

一体これらの音を、英語でどう区別し説明すればいいのか?翻訳者の卵として初めて味わった絶望感だった。


2003年05月22日(木) 情報の共有と通訳者の協力関係


イラク戦争が始まったばかりの頃、"War in Iraq Glossary"というイラク戦争関連用語集を作成しウェブで公開していたが、これが思わぬところで活用されることになった。

数日前に発売された雑誌"CNN English Express"6月増刊号「イラク戦争スペシャル」。そこに掲載された軍事用語辞典作成の参考資料として使っていただいたのだ。

少しでも何かの役に立ちたいという思いで細々と徹夜を重ねてまとめた資料が、こういう形で幅広く利用されることは望外の喜びである。

専門用語集というのは、通訳者および翻訳者にとってなくてはならないものだ。基礎的な用語や表現は辞書・事典・専門用語辞典で調べがつくが、もっと詳細で最新の用語や言い回しは、通訳・翻訳者自ら情報を収集するしかない。

こういう用語集が、もしウェブなどの形で公開されていれば多くの人の役に立つだろうし、個々人が重複して労力をかける無駄もなくなるのだが、実際には公開されているものはあまり多くない。

一部有料のものは存在する。ある通訳養成学校では、時事用語を簡単にまとめた冊子を二千円くらいで販売していた。しかし、購読者数も限られているし、印刷・製本・在庫などの経費を考えると、一体どれだけの利益が出るのだろう?

専門の情報やノウハウに対して相応の対価を求めるのは当然だが、用語集などはコンピュータのOSのようなもので、お互いが無料で公開しあって、誰でもがアクセスできるデータベースを構築できれば、現場の通訳・翻訳者への貢献は計り知れない。

そうした意味で、放送通訳者の水野的氏が、ご自身のウェブサイトで多くのノウハウや文献情報に加え用語集を惜しげもなく公開されているのは、とても素晴らしい。

通訳者の多くは、仲間内での個人的な情報交換をのぞけば、情報の共有があまり得意でないようだ。翻訳者に比べて、コンピュータやネットワークを始めとした道具類を使いこなしている人が少ない。ほとんどの人はそういう情報化対応の遅れもあって、情報を共有したくてもどうしていいか分からないという状態なのだろう。

しかし、一部には意識的に情報を自分だけで独り占めしてしまう人たちもいるらしい。社内通訳やプロジェクト通訳として新規採用された通訳者から、社内には大量の知識・用語の蓄積があるはずなのに、古参通訳者が知らん顔をして何も教えてくれなかったという嘆きを何度も聞いた。

通訳の職場は能力主義。一般の会社員に比べると報酬格差が大きいのでそれなりの競争原理が働き、少しでも自分のポジションを上げようと努力するのは当然だ。

料理の世界でも、秘伝の味を教えない達人とそれを何とか盗み取ろうとする新人との凄まじい闘いというような話をテレビ番組で見たが、裏を返せば、腕一本で生きている職人にとっては、長年の血と汗と涙の結晶である技とノウハウは自分の存在そのものであり、簡単に他人に教えられるものではないということなのだろう。

しかし、通訳・翻訳の世界では、内輪の競争だけに汲々としている余裕などないのではないか。情報が日々刻々新しくなり、常にアウトプットの質向上を求められる厳しい現実がある。通訳・翻訳者全体が協力し合ってレベルアップを図り、全体の地位・評価を上げることの方が重要ではないだろうか。

他人の行動を変えることは簡単ではないが、私自身は情報をすべて公開・共有していきたいと考えている。全国の通訳者や翻訳者・語学学習者の役に立てるなら、イラク戦争の用語集だけではなくその他の分野についての用語も、役に立つノウハウも、あらゆる情報を共有していきたい。そうすれば、他の人たちも私の知らないことをいっぱい教えてくれるだろう。その結果、日本中で通訳・翻訳の質がさらに向上すれば、こんなに素晴らしいことはないではないか。

事ある毎に自分の無知さ加減を痛感し、習うべきことが増え続けて溺れそうになっている毎日。小さな競争に勝つために情報を独占しているヒマはない。



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危険性はいつもそこにある。


2003年05月19日(月) 通訳者にもデフレ不況の影が

先週は突然の出張通訳依頼が続き、3日連続で新幹線通勤状態となった。おまけに2日目の会議前夜には資料の翻訳も加わり、3日間で睡眠5時間という超過酷なスケジュール。

依頼された翻訳は、絵コンテのキャプションやナレーション、クリエイティブのコピーの英訳。こういう内容は単に情報として正確に訳すという以上に表現にひとひねり必要だ。日本語のコピーと同じインパクトを英語で再現しなくてはいけないので、一筋縄ではいかない。

こういう時、10何年もアメリカのテレビ文化に浸っていた経験が役に立つ。英語の雑誌や新聞、広告を大量に読んできた蓄積がものを言う。いろいろ遊んできたことが無駄にならない。

さて翻訳を始めたものの、前夜も3〜4時間しか寝ていないので、油断すればすぐに意識が落ちてしまう。結局徹夜で仕上げてメールで送ったが、今度は肝心の通訳が心配になる。

頭は起きていてくれるだろうか?ハイの状態が持続すればいいが、いったんテンションが下がってしまうと、思考回路がショートし、眠気のために舌がもつれてろくなことはない。栄養ドリンクを何本か流し込んで、ドクドクと音を立てている心臓に、止まらないでくれよとお願いしながら仕事に向かう。

さて、今回の通訳。1時間の会議一つしかない日があった。そんな短時間にもかかわらず、新幹線代まで払って依頼して下さるクライアントには非常に感謝するが、通訳にかかるコストを考えると申し訳ない気持ちになる時がある。

*    *    *

ここで、少し通訳料金のことを考えてみよう。

私はまだエージェントに登録していないので、仕事はすべて旧知のクライアントか、あるいは知り合いの紹介などを通して直で受けている。通訳料金は世間のエージェントに準じて設定している。

一般に通訳料金は、時間レートではなく、半日とか1日の単位で設定されることが多い。通訳に必要な作業は、実際の通訳に加え、事前準備や打ち合わせ、移動の時間なども考慮しなくてはならないので、30分や1時間といった細切れ単位で仕事を受けると、非常に効率が悪い。そこで、1時間だけの会議でも半日分のチャージとなる。

また、移動に片道1時間以上もかかるような遠方だと出張扱いになり、その場合、最低チャージとして一日分の通訳料金を請求するエージェントが多い。

私も最初はこの慣習に則って料金を設定していた。しかし、だんだんとこれでは続かないと思い始めた。

1時間だけの会議に呼ばれることもあるのだが、それに対して1日分の通訳料金を請求すると、時間給換算では驚くほど高額になる。加えてクライアント側は新幹線等の交通費も支払わなくてはならない。30分だけの会議だと、時間あたりの料金は一桁上がってしまう。

いくら自分はプロの通訳者ですと誇りを持っていても、ビジネス側の立場から考えると、コストが高すぎる。一国の将来を左右するような首脳会議ならいざ知らず、いくら重要でもビジネスの会議である。どの企業に行っても皆必死でコスト削減に取り組んでいる現在、厳しい経済状況に見合った料金体系を提示しないと、早晩上層部からコスト削減命令が出て、1時間程度の会議では通訳に呼んでもらえないだろう。私が企業幹部ならもっと安くやり繰りしようと考える。

ということで、しばらく前に通訳料金を改定して、出張でも半日料金を適用することにした。「半日」とは言っても、出張の場合は往復の移動に時間がかかるので、当日はその仕事以外はできない。つまり、実質的には通訳料金の大幅値下げをした訳だ。コスト意識がなければ、通訳者といえどもビジネスから弾かれてしまう。

実は世間ではさらに値下げ圧力は強いようだ。たとえば、今日のThe Japan Timesの



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というのがあった。

もちろん、通訳といってもいろんなレベルがある。国際会議やニュース通訳、大企業の経営会議で活躍するベテランから、多少語学が出来るがほとんど通訳訓練もなく、秘書的な仕事の一環として通訳・翻訳も行う語学要員まで。

後者なら、人材派遣で時給2000円前後という仕事はしばしば見かけるが、今日の広告では、「英語ネイティブレベル、通訳経験者、体力の要るお仕事、ハイ・スピードで的確な通訳」という高い条件を設定している。

現在の経済環境では、これがネイティブ並みの英語力を有する通訳者の相場ということになるのだろうか?少し安すぎるような気がするが‥‥。

伝え聞くところでは、相当実力のある通訳者でも、以前なら振り向きもしなかったようなレベルの仕事にたくさん応募しているという。

中国語の場合は、非常に日本語が堪能な中国人が増え、彼らがかなり低いレートでも仕事を受けるので、それに引きずられて日本人中国語通訳者のレートも下がる一方だという嘆きも聞いた。

ビジネスの現場で通訳者として生き残っていくためには、高度な通訳技術・チームプレイなど、ますます付加価値と柔軟性が求められる時代になってきたようだ。


2003年05月09日(金) 帰国子女のジレンマ

日本にはまだ英語礼賛とその裏返しである英語コンプレックスが根強く残っており、英語ができる人が何か特別「エライ」人のように誤解する風潮がある。

学者にでもなるつもりならともかく、英語は所詮道具としての言語に過ぎず、学問とか勉強とかことさら肩肘張って取り組む必要はない。英米の国に行けば、学もない乞食でも英語をしゃべっている。非常に流暢に早口で。

そうはいいながらも、グローバル化が進み、ビジネスからインターネット、エンターテインメントまで英語が幅を利かせる昨今、英語ができるとメリットが大きく、逆に英語ができないと不利益をこうむるのは確かだ。

英語崇拝の風潮の中で、「帰国子女」という言葉は憧れと羨望を秘めた甘美な響きを持つ。英語ができる。それもネイティブ並に。美しい発音、流暢な会話。

日本で生まれ育った根っからの国内産(ドメ)日本人の多くは、帰国子女というだけで、自分達よりもはるかに優秀で素晴らしい人種であるかのごとくに誤解している。

もちろん優れた人格と教養を持った帰国子女もたくさんいる。しかし、帰国子女を特徴付けているのは、言語・人格形成期のあるまとまった期間、日本以外の国で育ったというだけのことだ。

必然的にその国の言語・習慣を身につけるが、同時にその期間日本にいなかった訳だから、日本語・日本文化の吸収度はドメに劣るはずである。

したがって、平均的帰国子女というのは平均的ドメ日本人に比べて日本語運用能力も日本文化への適応度も低くなりやすい。そして、それで悩む帰国子女も多い。日本人としての自我を確信できない、日本語が思うように操れない。

さらに、あまり一般的には知られていないが、ほとんどネイティブであるはずの帰国子女にも、実は英語(あるいはその他の外国語)があまりできなくて悩んでいる人は少なくない。

できないといっても、生活にはまったく問題はない。ほとんど完全に自分の言語なのである。しかし、ビジネスや学問などの第一線で、高い教養を持ったネイティブと対等に伍していけるかというと疑問なのだ。

これは帰国子女だけの問題ではない。ネイティブであっても、自分の国の言葉を自由自在に操れるかというと怪しいものだ。

日本で中学生や高校生に作文を書かせると、論理が不明瞭で幼稚な文章しか書けない生徒はたくさんいる。彼らは日本語ネイティブである。しかし、日本語運用能力という点で、平均的高校生はまだ半人前なのだ。

外国企業が従業員のために日本語・日本社会を勉強するためのコースを設けたとして、日本の高校生を連れてきても講師は務まらないだろう。しっかりしたプロを雇わないと正しい日本語の話し方や文章の書き方は学べない。

ネイティブであるということと、知的・論理的に言語を運用できるということは、必ずしも一致しないのだ。

同じことが欧米人にも言えて、たとえネイティブでも英語運用能力が怪しい人はたくさんいる。

アメリカの大学で教えている時に驚いたのは、学生が提出するレポートの英語が間違いだらけだったこと。もちろん、彼らはネイティブの学生である。英語も自然である。しかし、ネイティブはネイティブなりの間違いをする。レポート採点時間の半分は英語の添削のために必要だった。

たとえネイティブであろうと、大学を卒業したくらいでは、文法・慣用・スタイルにおいて正しい英語を使っているとは言い切れない。よほど言語に強い学生でないと完全に信用できない。

帰国子女も例外ではない。ましてや、彼らの多くはほとんどネイティブであっても生まれながらのネイティブではない。

もう25年近く前、アメリカの大学で学ぶある帰国子女に出会った。日本に一時帰国していた彼と、元駐日大使エドウィン・ライシャワー氏の"The Japanese"という本について議論していたのだが、彼のある発言が引っかかった。

「ライシャワーは、単純労働を指して"menial job"と言っているが、"menial"なんて単語、アメリカじゃほとんど使わないよ。そんな知識人ぶった態度は好きじゃないな」

実際にはアメリカでは"menial"なんて単語はあたり前に使われている。彼の英語能力もその程度なのだ。

もちろん、こういうジレンマに真正面から立ち向かい、必死で勉強して、ついに日英両言語とも高い知的レベルに達した立派な帰国子女もいる。その努力は、外国に行ったことがなくても、日本で必死に研鑚して日英両言語とも高い運用能力を獲得した立派なドメ日本人にも通じる。

「英語」とか「帰国子女」にむやみにあこがれ崇拝する人たちは、真実を見落としているかもしれないというだけでなく、



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に冒されているかもしれない。

どこで生まれようと、どこで育とうと、与えられた環境を最大限生かしながら、足りないところを補うための努力を地道に続けた人だけが、真の国際人になると思うのだが。


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