英語通訳の極道
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2003年06月25日(水) 第5文型に要注意

マルクス兄弟という、1930〜40年代に活躍したアメリカのコメディー・グループをご存じだろうか?

彼らが出演したある映画(残念ながらタイトルは覚えていない)に、こんなシーンがあった。

Miss Dimple: "Call me a taxi."
Groucho Marx: "OK, you're a taxi."

このやり取りを聞いてすぐに笑えなかった人は、昔習った英文法の本を引っ張り出して、文型の復習をするとよいかも知れない。さらに、コメディー映画やテレビ番組でこういうジョークにたくさん触れると、英語感を養うのに役に立つ。

"Call"という動詞は、第4文型でも第5文型でも使われる。しかし、文型が異なると意味も異なる。

上の会話で最初の文は、どちらの文型と解釈するかによって意味が違ってくる。

第4文型:(私のために)タクシーを呼んで下さい
第5文型:私をタクシーと呼んで下さい

映画では、この違いを上手く使って勘違いを引き出し笑わせようとしたわけだ。

*    *    *

昔ある塾で受験生を教えた時、塾指定の教材に文型を答える問題が出てきた。



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この問題を当てられた学生は、「第5文型」と答えた。

う〜む。文法的に間違いとは言えないが‥‥。状況を想像するとちょっと怖い絵になってしまうかも知れない。こりゃ問題が悪いな。

*    *    *

ちなみに、学生がもっと混乱する文型がある。多分、教師の中にも混乱している人がいるだろう。

She will make him a good wife.

正しい英語だが、滅多に目にすることはない。面白いのは、ジーニアス英和辞典に掲載されている例文だ。

She will make him a good bride.

「彼女は彼のよいお嫁さんになるだろう」という日本語訳が添えられているが、この場合の「お嫁さん」は「妻」という意味だろう。

しかし、英語で"bride"というと、結婚式での花嫁、あるいは結婚前後の女性だけを指す。だから、"make him a good bride" という文章を見ると、<うむ?結婚後の妻としての彼女はどうなのかな?>と不安になってしまう。

日本的発想の例文だなと思って、インターネットで検索をかけてみると、案の定ヒットするのは日本人のサイトばかりだった。


2003年06月23日(月) 日本語の音と表記(1): ユダヤ人を好きとは?

アメリカにいた頃、ある韓国人の女の子と知り合った。共通言語は英語なのだが、アメリカに来て間もない彼女はまだ片言しか話せない。

趣味は何か、何が好きかという他愛もない話をしていると、彼女が子供っぽい表情でうれしそうに言う。

「アイ・ライク・ジュー」

「えっ?ジュー‥‥?ジュースが欲しいの?」
「ノー、ノー。ジュー」

「ジュー?ふむ‥‥。ユダヤ人?」
「ノー、ノー。ユーノー。ライオン。エリファント‥‥」

「オー!ズー!」
「イエ〜ス。ジュー!」

動物園をユダヤ人と間違われては大変だが、どうやら韓国人は/z/の発音が苦手なようである。ちゃんと聞き分けているのだが、自分で発音するのは難しいらしく、/z/を/zh/で置き換えている。

韓国語は音の響きが日本語とよく似ている。アメリカにいる時、街で韓国人が話していると、日本人と間違えて思わず振り返ったものだ。しかし、韓国語から/z/音が抜け落ちているというのは、新しい発見だった。

この韓国人女子学生の例が示すように、論理的には存在してもよいはずの音が、母語から欠落していると、その音に対する感度が磨かれず、発音できないだけでなく、しまいにはそういう音が存在するということすら意識しなくなってしまうことがある。


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2003年06月18日(水) 通訳現場にインターネットを

先日CNNのニュースを聞いていておやっと思った。カナダ沖で転覆した釣り船に乗っていた釣り人を、クルーズ船(cruise ship)が救助したという話をしている。

たまたまテレビで日本語音声をつけていたのだが、このくだりを「クルーズ船がカナダ沖で3人の男性を救助しました。『ロイヤルカリビアン号』がバンクーバーに向かって航海していたところ‥‥」と伝えている。

ロイヤルカリビアンといえば世界最大のクルーズ船運営会社(Royal Caribbean International)だ。それと同名の船があるのかという疑問が起こった。

英語音声を聞けば、

A cruise ship has come to the rescue of three men stranded in the frigid waters off of Canada. A Royal Caribbean cruise ship was sailing south toward Vancouver when it got a call for help. The Canadian Coast Guard asked the Radiance of the Seas to go to the rescue of the sinking fishing boat....
正しくは、ロイヤルカリビアン社の『レイディアンス・オブ・ザ・シーズ号』が救助に向かったのだ。

この通訳者は多分、クルーズ船業界には詳しくなかったのだろう。この船の名前が『ロイヤルカリビアン号』だと思い込んでしまったためか、"the Radiance of the Seas"を訳さなかった。

だからといって、この通訳者の揚げ足をとるつもりは全くない。私自身現場で通訳をしている時は、聞き間違いや知識不足からしょっちゅう誤訳をしているはずだし、放送通訳者達の巧みな訳出にはいつも感心させられ、お手本にしている。

百戦錬磨の通訳者とて知らないことがあるのは当然だし、音を聞き落とすこともある。常に100%正しい通訳をするのは不可能だ。舞台裏では、通訳者仲間でお互いの誤訳を披露しあって笑うのは、息抜きの楽しみの一つである。

しかし、今回の間違いはちょっと残念だった。何故なら、簡単に防げたはずだからだ。

自分の頭の中にある情報しか頼るものがない同時通訳や逐次通訳と違って、時差通訳や翻訳では多少なりとも調査をする時間的余裕がある。

もし、最初に"a Royal Caribbean cruise ship"を『ロイヤルカリビアン号』と誤解しても、そのあとに"the Radiance of the Seas"と来れば、あれ、待てよ、この二つの関係はどうなっているんだという疑問が当然生じるだろう。それをインターネットで検索すれば簡単に調べがつく。1〜2分で済む。

このニュースを担当した通訳者も、多分ここで述べたような疑問を持ったはずである。問題は、迅速な調査を可能にする手段が手元にあったかどうかだ。つまり、インターネットにアクセスできたかどうか。この点が怪しい。

通訳者は情報・通信機器を使いこなすという点で遅れていると以前書いたが、個々の通訳者だけではなく、通訳付き番組を提供している放送局など、通訳現場そのものの情報化もまだ十分ではないようだ。

だから、インターネットを使えばたった1〜2分で調べのつく問題も、目の前にアクセス手段がないために、分刻みで時間に追われている状況では、十分に調査できないことがある。

こうした状況は、通訳者を雇う側で簡単に解決できるはずである。すべての通訳者が常時インターネットにアクセスできる環境を提供すればよい。必要な投資は微々たるものだ。今やインターネットは通訳者・翻訳者にとって必要不可欠な道具。情報量と検索スピードの両方において、最も有用な情報源である。

迅速で正確な調査能力を要求されるのは、通訳だけではない。音声翻訳を字幕で提供する仕事も同じような状況にある。

もう6〜7年程前になるが、"Inside Edition"というアメリカのニュースマガジンが字幕翻訳付きで放送されていた。ある日、派手な格好をしたダイアナ・ロスを"drag queen"のようだと表現するくだりが出てきて、字幕では「麻薬の女王」となっている。どうやら"drag"と"drug"を取り違えているようだ。

当時まだ日本では、"drag queen"(女装して女っぽく振る舞うホモを指す)については一般的に知られていなかったので、翻訳者は"drag"と聞いてもピンとこなかったのかも知れない。

しかし、もし電子媒体の辞書が手元にあれば、"queen"をキーワードとして後方一致検索をかけ簡単に調べ出せたはずだし、インターネットで検索すればヒントになる例文が山ほど引っかかったはずだ。

テレビ画面では衣装もお化粧もケバケバしい“女性”達が笑みを振りまいて踊っている。番組の流れとしては、いきなり「麻薬の女王」が出てくるとしっくりいかない。疑問をすぐに調査できる環境があれば、こういう間違いは防げるはずだ。

インターネットを常時利用できる環境を提供するのは雇う側の責任だが、それが実現するまで、現場の各通訳・翻訳者は自前で情報武装する必要があるだろう。今なら、PHS回線網を使って常時インターネットに接続できるサービスが月数千円程度で手に入る。通信用PCカードを差し込んだ小型ノートパソコンを常時携帯すれば、心強いことこの上ない。

かつては頭と耳と口があれば見事な職人技を見せることができた通訳という仕事だが、今や情報機器を最大限活用できるかどうかで大きな違いが生まれる時代になった。この流れは今後ますます加速していくだろう。


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2003年06月12日(木) 【英語表現ファイル】 ナイター

野球の「ナイター」が和製英語であるというのは、今では多くの人が知っている。英語で正しくは"night game"だ。

英語の勉強に明け暮れていた25年近く前、"nighter"なんていう英語は存在しないと言われた。しかし、アメリカの大学に留学してみると、"nighter"が溢れている。

単独ではなく、"all-nighter[allnighter]"という組み合わせで、「徹夜すること、夜通しの活動(パーティー、勉強等)」を意味する。

大学生達は勉強に忙しくて、試験やレポート提出前にはしばしば徹夜する。週末には遊んで夜を明かすこともある。そういう時、「徹夜しちゃってさ」という意味で、"I pulled an all-nighter."というフレーズをよく使う。

"I stayed up all night."と同じ意味だが、もう少しくだけた口語表現。学生にはピッタリのスラングだ。動詞には"pull"を使うのがポイント。

私はアメリカに渡ってから、目にしたり耳にした面白い英語表現を集め出したのだが、"pull an all-nighter"はその登録第一号。1980年当時は、日本で出版されたどの辞典にも載っていなかった。最近ようやくリーダーズプラスが掲載するようになり、英語学習番組などでもたまに説明が入る。

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2003年06月09日(月) 猫のリス

アメリカに住んでいた一時期、猫を飼っていた。名前は「リス」。

ある夜パーティーの帰りに、生まれて間もないような野良猫が家までついて来て、居着いてしまったのだ。

猫としてのテーブルマナーを習う前に母猫と離れ離れになったのだろう、餌を与えると、後ろ足で立って、前足で食べ物を口まで運ぶ。その格好がりすにそっくりで愛嬌があったので、そのまま名前になった。

ある日、日本人が集まるピクニックがあり、せっかくなので「リス」も日向ぼっこに連れて行った。首輪に長いひもを付けて遊ばせておいたところ、大人にも子供にも大人気だ。

幼稚園児くらいの子供が、興味津々で近寄ってきた。

「『リス』って言うんだ」
名前を教えてあげると、
「りす?」
一瞬怪訝そうな顔をする。
「そう、『リス』」

しばらくすると母親に報告しに行った。
「おかあさん、あれね、りすなんだって」

すると、やさしそうなおかあさん、我が子を諭すように、
「あれは、猫よ」

男の子は疑問に思ったのか、また私のところに来て尋ねる。
「これ、りす?」
「うん、『リス』だよ」

「あのね、おかあさんがね、これは、猫だって、言うんだけど?」
「うん、猫だよ」

「りすじゃないの?」
「これは、猫の『リス』なんだ」

その子供、めまいでもしたのか、一瞬よろめいた。頭の回りに疑問符が飛び回っているのが目に見えるようだった。

さて、その『リス』という名前の猫。ルームメートのアメリカ人が呼ぶのを聞いていると、"Disu"と発音している。

"Risu"でもなく"Lisu"でもない。どうやら、日本人が発する日本語の「ら」行の音は、英語の/d/に近く聞こえるようだ。

そういえば、"Risu"では巻き舌が鼻につくし、"Lisu"では音がべったりとし過ぎている。もっと軽く弾けるように発音される「ら」行は、破裂音の/d/に近くても不思議ではない。

しかし、最初彼が私の猫を"Disu"と呼ぶのを聞いた時は、発音が間違っていると思った。そこで、



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と言ってやったら、アフリカ系アメリカ人のそのルームメート、口を開けたまま目をぱちくりさせ、めまいでもしたのか、しばらく言葉も出なかった。


2003年06月07日(土) Say It Ain't So!

アメリカ・メジャーリーグを代表するホームランバッター、サミー・ソーサ選手が、違法なコルク入りバットを試合中に使用したのが発覚し、アメリカのスポーツ界は大騒ぎになっている。

スポーツ番組放送局ESPNもこの事件を大きく報道した。(http://espn.go.com/, 6/3/03)

Say It Ain't So-sa!

One of baseball's greatest home-run hitters was ejected Tuesday -- for a corked bat. The Cubs' Sammy Sosa was tossed when umpires found the illegal cork in his shattered bat in the first inning of Chiago's 3-2 win against Tampa Bay.
この記事は共同通信が配信して、読売新聞と朝日新聞も掲載した。(http://www.asahi.com/sports/update/0604/077.html)
「うそだと言ってよ、ソーサ!」 米メディアにも衝撃

 米大リーグを代表する強打者、サミー・ソーサ(カブス)が違法のコルクバットを使用していた衝撃的な出来事に対し、米メディアも3日、敏感な反応を示している。スポーツ専門有線テレビ局のESPNはホームページで「うそだと言ってよ、ソーサ!」―の見出しを付けた。

 1919年のワールドシリーズでホワイトソックスの主力選手が八百長を演じ、8人が球界追放された“ブラックソックス・スキャンダル”。この時、追放選手に含まれた人気選手のシューレス・ジョー・ジャクソンに対し、少年ファンが口にしたとされている伝説的な言葉が「(八百長は)うそだと言ってよ、ジョー!」だ。
共同通信の記事が説明しているように、この記事の見出しは、有名なセリフ"Say it ain't so"(そうじゃないと言ってよ)をもじったものだ。

マイナー時代、足に合わない靴を脱いで裸足でプレーしたことから“シューレス・ジョー”のあだ名で親しまれたジョー・ジャクソンは、映画「フィールド・オブ・ドリームス」の題材にもなった名選手。イチローがメジャーにデビューするまでは、新人の最多安打記録保持者だった。

"Say it ain't so, Joe!"は、アメリカでメディアの見出しなどにもしばしば使われる常套句だ。ところが実際には、少年ファンはそんな気の利いた言葉を使っていないらしい。

原典が手に入らないので孫引きで申し訳ないが、webzine発行者のLamar Stonecypher氏の文章を引用する。(http://www.kudzumonthly.com/kudzu/jul01/index.html)
Now, let's go back to that grand jury hearing before the trial. On the second day of Shoeless Joe Jackson's testimony, as reported by the New York Times, a group of small boys were gathered at the courtroom entrance. One asked, "It isn't true, is it, Joe?" He responded, "Yes, boys, I'm afraid it is." By the time this report reached the west coast, it had become: "Say it ain't so, Joe!"

Sources:
Factual material about the 1919 White Sox scandal and all quotations used in this article were derived from an article entitled "Say it ain't so, Joe!" by Lewis Thompson and Charles Boswell in the June, 1960 issue of American Heritage.
確かに、"It isn't true, is it?"よりは"Say it ain't so!"の方が口調も良くインパクトも強い。しかし、このセリフはあくまでもジャーナリストが作り上げた虚構なのだ。

スポーツに限らず、ジャーナリスト達がよりドラマチックに発言やストーリーを作りかえて、それが伝説として語り継がれるということはしばしばある。

日本の野球界の例を挙げてみよう。

数々の伝説を作ったプロ野球史上最高の投手のひとり、江夏豊。1973年8月30日阪神対中日戦、延長10回自らのホームランで勝負を決め、ノーヒット・ノーランを達成した。

その時彼が言ったと伝えられているセリフが、「野球は1人でもできる」。今でも名言として残っている。しかし、実際には江夏はそんなことを言っていないらしい。

江夏自身が屋鋪要氏との対談で語った真実だ。(http://www.89yashiki.com/index.htm)
「野球は1人でもできる」という談話が残っているけど、あれはすべて嘘だよ。
あれは試合が終わってから、ある新聞記者が「おい、江夏、野球は一人でもできるんやな」 と言ったから「うん、そやな」と答えただけで。
それが自分が言った事になって残っているだけで、関西独特のイヤなとこやな。(笑)
決して相手は悪気はないと思うけどね。こっちも乗せられて、言っただけで。(笑)
俺は実際、思っていても口にはださんがな。
口には出さなくても「野球は一人でもできる」と思っていたというところが、いかにも江夏らしい。

伝説のセリフの多くは確かに虚構ではあるが、事実よりもはるかに的確に人物・状況を表現していることがある。だからこそ、いつまでも語り継がれるのだろう。


くだらんと思ったら、メールで一言「くだらん!」と送って下さい。^^;


2003年06月05日(木) 「ん」の正体

日本語に詳しい人にとっては釈迦に説法かも知れない。しかし、音声学に関してはまったく素人の私には、10年以上も前に初めて気付いた「ん」の正体は新鮮な驚きだった。

「ん」という文字。文頭に来ることはないが、れっきとした仮名文字だ。仮名は表音文字のはず。この「ん」、どう発音するかご存じだろうか?

簡単じゃないか、「ん」= /n/だろう。そういう答えがすぐに返ってくるかも知れない。ほらこうして発音できるじゃないかと、喉の奥から気張って音を出されるかも知れない。

実は、それは「ん」の発音の一つに過ぎない。

ちなみに、「歓待、歓待、歓待」と3回発音の練習をしてから、「かんたい」と言いかけて「かん」で止め、鏡の前で口の形を確認してみて欲しい。

次に、同じように「乾杯」を3回練習してから、「かんぱい」と発音するつもりで「かん」で止め、鏡の前で口の形を確認する。

今度は、「感慨」を同じように発音練習してから、「かんがい」と発音する途中の「かん」で止めて、口の状態を観察する。

3つとも同じように「かん」と発音したあとの「ん」だが、それぞれ口の形、舌の位置が違うことに気付くだろう。

「かんたい」の「ん」は舌先を歯の裏につけて/n/、「かんぱい」の「ん」は口を閉じて/m/、「かんがい」の「ん」は舌の奥を軟口蓋につけて/ng/と発音される。

このように、「ん」の発音は何通りもある。「ん」はひとつの発音を表す文字ではなく、撥音であることを示す符号なのだ。

もしまだ納得できなければ、まず「かんたい」の「かん」を発音してから素早く「ぱい」を付け加えて「かんぱい」と発音してみるとよい。「かん」と「ぱい」の間に微妙に一拍、不自然な間があくのが分かるだろう。間違った「ん」を使うとスムーズに発音できない。

「ん」をどう発音するかは、次に来る音によって決まる。ここで一般論を述べると、両唇音の/p/、/b/、/m/の前では/m/と発音され、軟口蓋音の/k/、/g/、/ng/の前では/ng/と発音される。それ以外は/n/と発音される。細かいことをいうとさらに分類できるが、ここでは深入りしない。

一見分かったつもりになっている日本語だが、ネイティブの我々でも中途半端にしか理解していないことは多い。それどころか、素人の素朴な疑問として、いくら考えても理に適わぬ側面も多々ある。

ところで、このコラムの最初に、「ん」は文頭には使われないと書いた。別に「ん」を文頭に使ってはいけないという規則がある訳ではない。日本語にはもともと「ん」がなかったらしい。その後中国語の影響で「ん」が使われるようになったが、漢語が入ってきた当初は、「ん」の音は無視されることが多かった。今後「ん」で始まる単語が日本語に定着しないとは限らない。

世界を見渡せば、/n/で始まる言葉を持つ言語は結構あるようだ。昔の教え子に"Ng"という名前のベトナム人学生がいた。最初の授業で出欠を確認している時、どう発音していいのか困って、まるで首を絞められたような情けない声を喉の奥から絞り出したのを覚えている。

そういえば、「ん」という名の居酒屋を見たことがある。また、ちょっと大げさな話をした時など、



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とピシャリとやられる。

日本語でも文頭の「ん」が広まるのは、それほど遠い将来のことではないかも知れない。


2003年06月02日(月) 不可抗力


ある翻訳者のコラムで気になることがあって、いろいろと調べてみた。

このコラムの展開は、ちょっと蘊蓄を語ったあと誤訳を指摘して締めくくるというパターンが多いのだが、面白い発見に出会うこともあり、私は毎週読んでいる。

最近のコラムで、2つ並んだ単語をバラバラに訳すのではなく、ワンセットとして解釈しなければならない組み合わせがいくつか紹介されていた。

その一つが、"inevitable accident"。作者の説明では、

何も考えないで「避けられない事故」と訳してしまうことが多い。もちろん、それでも意味は通じるが、これは法律用語で「不可抗力」のことだと辞書に載っている。
おやっと思った。たしかに"inevitable accident"も不可抗力の範疇に含まれるので、そう訳してもかまわないが、法律用語で「不可抗力」と言えば、すぐに思いつく単語は"inevitable accident"ではない。

辞書に載っているということで、手元にある辞書をいろいろめくってみた。研究社の和英中辞典ではたしかに、「不可抗力」の項で"inevitable accident"が出てくる。

リーダーズ・プラスには、"inevitable accident"の項目があるが、「 不可避の事故、不可避的偶発事故、災害;回避不能事故」と説明され、「不可抗力」という訳語はない。リーダーズ英和辞典およびジーニアス英和辞典には"inevitable accident"の項目がない。

そこで、専門用語辞典を調べることにした。英米法関係の用語を調べる時にもっとも信頼できる辞典は、田中英夫編集の「英米法辞典」(東京大学出版会)だ。この本は、アメリカで弁護士をしている友人や、日本の大学で法社会学を教えている友人から推薦された。この英米法辞典でも"inevitable accident"の訳語として「不可抗力」は当てられていない。

「不可抗力」を指す時、法律でよく使われる表現は、"acts of God"だ。地震や竜巻のような天災を指し、人間が原因のものは含まれない。

そのフランス語版ともいえる"force majeure"は、契約文書でよく使われる。"Acts of God"と同義に使われることもあるが、たいてい、戦争なども含めて予見または統制不可能な出来事を指し、広義の「不可抗力」を意味する。ラテン語では"vis major"というが、アメリカで実際に使用される契約書ではほとんど目にしない。

ある契約交渉に通訳として関わった時、アメリカの某有名大企業の契約書雛形が使われたが、その中に"force majeure clause"という条項があった。「不可抗力条項」と呼ばれる。

企業の契約書に詳しい在米弁護士の友人に尋ねたところ、"inevitable accident"という表現は曖昧なので契約書ではほとんど使われないと言う。

彼も薦めるFindLaw(http://www.findlaw.com/)というサイトは、アメリカの法律関係について調べる時とても役に立つのだが、そのCorporate Counsel Centerに契約書のサンプルがたくさん載っている。検索をかけたところ、"inevitable accident"という表現を含む契約書はふたつしかヒットしなかった。



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