英語通訳の極道
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コーヒーの歴史について、ひとつ新しいことを学んだ。
* * * ローマ法王ヨハネ・パウロ二世がバチカン市内で列福式(beatification)を行ったと、4月27日付のThe New York Timesと4月28日付の読売新聞が報じている。
カトリック教徒ではない私のような者にはなじみが薄いが、「列福」とは、死者を福者の列に加えることを意味する。「福者」とは、大辞林によると「カトリック教会が生前の聖徳を認めて死者におくる敬称」。
ちなみに、福者は「聖人の前段階」(読売新聞)で、列聖(canonization)されると聖人(saint)になる。
「福者」と「聖人」の関係を、The New York Timesの記事はこう説明している。
Beatification is the last formal step before possible canonization and requires evidence of one miracle after the person's death. Evidence of a second miracle is required for sainthood. つまり、「福者」になるには奇跡がひとつ、「聖人」になるにはさらにもうひとつ必要らしい。
* * * さて、今回列福された6人のひとりが、マルコ・ダビアーノ(Marco d'Aviano)神父だ。
フランシスコ会(the Franciscans)から分派したカプチン会修道士(the Capuchins)のために巡回説教師(itinerant preacher)をしていた。
このダビアーノ神父。「1683年、ウィーンがオスマン帝国軍に包囲された際、反目しあっていた欧州キリスト教諸国の騎士たちを和解させ、欧州側に勝利をもたらしたキリスト教世界の功労者」なのだ。(読売新聞)
Those beatified Sunday included Marco d'Aviano, an itinerant preacher for the Capuchins, a branch of the Franciscan friars. Born in Aviano, northern Italy, in 1631, the preacher led Catholics and Protestants in prayer on the eve of the battle for Vienna, Austria, which was critical in stopping the advance of Turkish soldiers in Europe.
John Paul praised his ``courageous'' preaching and said the Capuchin was ``inspired by the circumstances to commit himself actively to defend freedom and the unity of Christian Europe. 広辞苑によると、「カプチン」という名称は「修道士が長く尖った頭巾(カプッチョ)をかぶることに由来」するらしい。
* * * さてここからは、語り伝えられている伝説(legend)だ。オスマン帝国軍は敗走後にコーヒー豆を残していった。それをダビアーノ神父が煮出して飲んだところ、苦すぎたのでクリームとミルクを加えて薄めた。それがカプチーノの原形になったという。
According to legend, cappuccino owes its name to the preacher's fame. After the Turks were defeated by the outnumbered Christians, they fled, leaving behind bags of coffee, according to the legend.
The Viennese decided the coffee was too strong and diluted it with cream and milk. The milky brown color of the frothy drink reminded some of the color of the preacher's robes, and thus the name cappuccino was coined. * * * カプチーノ誕生の背景には、イスラム教対キリスト教という宗教対立の歴史があった。
そんなことを考えながら、久しぶりにエスプレッソマシンを取り出して、一杯のカプチーノを味わった。
芳醇な香りがたちまち部屋を満たし、甘いミルクに包まれた深煎りコーヒーの味が口の中一杯に広がる。頭の中では、三百年以上前の歴史が現代にオーバーラップしてぐるぐる巡る。舌に残ったあと味は、
2003年04月25日(金) |
エメロンシャンプーがない |
「エメロン」というシャンプーはまだ売っているのだろうか?25年以上も昔「振り向かないで」のCMで一世を風靡した。
が妙に記憶に残っている。親友の恥ずかしい弱点をさらりと暴露してしまう。まるでニワトリが、傷ついた仲間を嘴でつつき殺すような恐さを感じた。
さて、エメロンシャンプー。私も使っていた。アメリカに行ったばかりのころ、このエメロンシャンプーがなくて困った。いや、そんなに大した問題ではないのだが、使い慣れて相性がよかった。
アメリカで現地のいろんなシャンプーを試してみたが、髪がガサついたりしてどうも気に入らない。アメリカには良いシャンプーがないと不満たらたらだった。
ところが、15年もいるとそれなりに自分に合う商品に出会うもので、日本に帰国してからは、今度はそのアメリカのシャンプーをわざわざ探して使っているありさまだ。
ことはシャンプーだけに限らない。日本に帰って来たばかりの頃は、本物のパンがない、ベーグルがない、道が狭い、物価が高い、日本人は愛想が悪い、何を考えているか分からない‥‥と、日本(人)に対する不満が募る。そして、アメリカの商品、アメリカの文化が手に入るところへわざわざ出かけて行っては、ホッとくつろぐ。そういう状態が何年か続く。
こういう経験を経て気がつくのだが、人は慣れ親しんだ環境から離れて生活すると、どうも今までと違うところ、足りないところにことさら注意が向くようだ。
外国に行くとやたら愛国者になって日本が恋しくなる一方、長年外国(特に欧米)に暮らして帰国すると、英国最高、アメリカ万歳みたいになる。そして、「ふにゃふにゃの日本人」なんて批判本を書いたりする。
時間が経ち、どちらの文化に対してもある程度距離を保って冷静に観察できるようになると、一方的な愛着や批判ではなく、それぞれの違いや共通点がもっと客観的に眺められ、より高い次元から、何を取って何を捨てるか判断できるようになるのだが、その段階に達するにはやはり数年単位の時間がかかるようだ。
だから、私は、外国に渡る人にもできれば最低数年滞在することを勧める。同じように、日本に戻ってからも数年は「リハビリ」として、批判ばかりではなく、日本を理解するための時間を取って欲しいと願う。そうしないと、どっちのシャンプーがいいかなんて瑣末な文化比較論に陥ってしまう。
2003年04月23日(水) |
留学しても英語ができない |
アメリカに留学中、多くの日本人に会った。
大抵は1年か2年の短期留学者だ。大学の交換留学生。企業からの派遣。アメリカ文化に触れたいという夢を追ってきた人。専門分野の勉強・研究に来た人など、さまざま。
留学の目的は異なっても、多くの人に共通しているのは、留学中に英語を上手くなりたいということ。そして、留学当初は誰しも希望に燃え勉強にいそしむ。
ところが、留学も終わりになると、みんな表情が冴えない。日本に帰るのが憂鬱になる。英語が怖くなるのだ。
アメリカに来て3ヶ月もすれば、誰でも英語でそれほど苦労なく生活できるようになる。ショッピングもできれば、授業もわかるようになるし、テレビも楽しめる。
しかし、それは「英語ができる」というレベルとは程遠いものだ。限られた状況で用事を足すための決まり表現とパターンに慣れ、日常生活に困らないというだけ。知的な会話を楽しんだり、説得力のあるビジネス文書をまとめたり、即興でプレゼンをすることとは程遠い。
ところが、そういう留学・海外滞在者が日本に戻ると、彼らを見る日本人の目が違う。日本にいる人たちは、アメリカに一年、いや数ヶ月でもいれば、誰もが「英語ペラペラ」になると無邪気に思い込んでいる。だから海外帰国組は、期待と羨望が入り混じったプレッシャーを感じることになる。それを考えると頭が痛いのだ。
外国からの客人があれば通訳を頼まれ、外国とのやりとりの翻訳を頼まれ、あるいは、何かにつけて、「これは英語ではなんていうんだ?」と質問を受ける。これらが全部プレッシャーになる。
こうした期待と現実のギャップに直面し、留学・海外滞在経験者の多くが、日本に戻ってから落ち込んでしまう。そして、その苦悩を他の人たちは分かってくれない。こうした悩みを何人もの留学経験者から聞いた。
これは、事実だ。アメリカに一年やそこら留学しても英語プロとして通用するレベルの語学力など到底身につかない。まったく足りない。アメリカで生活するに困らない程度の語学力はつく。ここを誤解してはならない。日本にいる多くの日本人は誤解しているし、留学する本人自身も期待が高すぎて、自己嫌悪に陥る。
私の知り合いで、アメリカに4年間留学して優秀な成績で大学を卒業した女性がいた。しかし、4年経ってからも、5〜6語の短文以外ほとんど文法的間違いのない正しい英語をしゃべれない。留学してきたばかりの彼女は、「せっかく留学したのに、英語だけ勉強するのはもったいから学位を取りたい」と言っていた。目標は素晴らしい。しかし、学位は取ったものの、英語はモノに出来ずに終わってしまった。
留学生だけではない。結婚してアメリカに10年以上住んでいても、とことんブロークン英語しかしゃべれない人も何人も知っている。彼らは全員、アメリカで生活するには困らないのだ。しかし、文法・語法的に不正確で、限られた表現範囲のコミュニケーションしかできない。特に、話す、書くといったアウトプットの質が悪い。
帰国を前にして落ち込んでいる日本人留学生に向かって、私はよく言ったものだ。
と。
アメリカにいる間は、「英語で」生活し勉強していた。その体験は貴重だ。しかし、日本に帰ると、自分の英語はまだ足りないと実感する。そこで初めて、目的をもって「英語を」勉強できる。
優秀な通訳や語学のプロになった人で、このように日本でがむしゃらに勉強しなおして一流になった人は多い。反対に、「私はダメだ」と簡単に諦めてしまい、せっかく留学したのに、帰国後たちまち語学力が衰退し、数年すれば英語を話すのも怖くなってしまう人もいる。
さて、留学経験者のあなたはどっち?
2003年04月20日(日) |
Suspense vs. surprise |
先日このコラムで、サスペンスが重要だという話をした。
サスペンス。英語では”suspense”。「つり下げる、宙に浮かせておく」という意味の動詞”suspend”の名詞形だ。
この"suspense"。映画監督のアルフレッド・ヒッチコックが、あるインタビューの中で非常におもしろい説明をしている。少し長くなるが、インタビューをしたフランソワ・トリュフォーの本から引用してみよう。(ハイライトはコラム作者による)
There is a distinct difference between 'suspense' and 'surprise,' and yet many pictures continually confuse the two. I'll explain what I mean.
We are now having a very innocent little chat. Let us suppose that there is a bomb underneath this table between us. Nothing happens, and then all of a sudden, 'Boom!' There is an explosion. The public is surprised, but prior to this surprise, it has seen an absolutely ordinary scene, of no special consequence. Now, let us take a suspense situation. The bomb is underneath the table, and the public knows it, probably because they have seen the anarchist place it there. The public is aware that the bomb is going to explode at one o'clock and there is a clock in the décor. The public can see that it is a quarter to one. In these conditions this same innocuous conversation becomes fascinating because the public is participating in the scene.
The audience is longing to warn the characters on the screen: 'You shouldn't be talking about such trivial matters. There's a bomb underneath you and it's about to explode!'
In the first case we have given the public fifteen seconds of surprise at the moment of the explosion. In the second case we have provided them with fifteen minutes of suspense. The conclusion is that whenever possible the public must be informed. Except when the surprise is a twist, that is, when the unexpected ending is, in itself, the highlight of the story.
-- Alfred Hitchcock as told to François Truffaut in his book, Hitchcock (1967)
“Surprise”と”suspense”の違いが、非常によく分かる。そして、この両者を多くの映画が混同しているが、実は使うべき場面が違う、という指摘は鋭い。
* * * “Surprise”と”suspense”を混同しているのは、映画だけではない。世の男たちもしばしば誤解している。
たとえば、彼女の誕生日にデートする。「どこに行きたい?映画?ディズニーランド?」なんて聞く男がいる。なんと無粋な!一見、女性の気持ちを尊重しているようだが、大きな間違い。だから、退屈だとバカにされる。彼女からすれば、この場面は”Surprise me.”だろが。
一方、カン違い男は、場違いなところで”surprise”しようとする。もちろん失敗する。いきなり攻めて、どうすんの?まだ準備も出来てないのに。相手も戸惑うばかりだろが。
触るかどうかじゃないんだよ。触られるかもしれないっていう、予感なんだよ。ドキドキさせるのは。そして、そこに到るまでの長い「じらし」の時間がたまらない。
あ、そこは‥‥え、もしかして?‥‥あ、来る‥‥ああ、このままいったら‥‥あ、ダメ、どうしよ〜う‥‥ っていうのがないと、そりゃだめでしょう。
はっ?なんか話が、まったく違う方向にそれてしまったようで‥‥失礼いたしました。
2003年04月18日(金) |
伸び悩む英語、落ちていく日本語 |
Continued from previous page.
だから、私はいつも日本人に忠告する。どんなに英語やその他の外国語が得意でも、絶対に日本語を錆びさせてはいけないと。
何度も言ってきたが、外国語はあくまで外国語。表面的には流暢な英語を話して、完全にマスターしたように見えても、100%ネイティブと肩を並べるのは、不可能ではないものの、至難の業だ。
日本語を磨きつづけておかないと、思いのままに操れる思考・表現の道具がなくなってしまう。
私は若い頃から英語を生活の道具、メシの種にしてきたが、もし今、英語か日本語、どちらかの言語しか使えないという選択を迫られれば、迷わず日本語をとる。
英語では、いくら頑張ってもネイティブのインテリに適わない。自分の心の中、思考の奥底を一番表現できる手段は、日本語をおいてない。
* * * さて、劣化した日本語という問題。
アメリカから帰国することになった私は、危機感を抱き、日本に戻ってすぐ漢和辞典と国語辞典の電子ブックを買った。そして、一日中、本を読んでは辞書を引いていた。今でも、電子辞書や紙媒体の辞書が家中あちこちに置いてあり、分からないことはすぐに引く。
こうした努力にもかかわらず、私の日本語は未だに満足できるレベルにない。多分一生地道に辞書を引き続けないと、自分の日本語は使い物にならないだろう。
* * * 実は最近、新たに困っていることがある。
帰国当初、英語を聞いたり話したりすることは非常に楽だった。ところが今は、「あれ、ほら、その」、得意分野ですら、英語の表現がすぐに出てこないことがある。そこまで出かかった単語を掴もうとして、一瞬立ち止まってしまう。
英語のニュースや映画を見ていて、集中していないと聞き逃すことがある。英語の新聞や雑誌を目の前にして、圧迫感を感じることがある。
日本にどっぷり浸かって、もうすぐ8年。
が大変になってきた。
2003年04月17日(木) |
ゆっくりと静かに壊れていく |
Continued from previous page.
アメリカへ渡って数年も経つと、だんだんと日本語への配慮がおろそかになる。
日本語を話しているときに、適切な表現がすぐ口から出てこなくなる。代名詞が増える。知らず知らずのうちに、不必要な間合いが文章の流れを乱す。
待てよ。この症状って‥‥よくよく振り返れば‥‥
* * * 外国語を学んでいる時、もがき苦しむ姿と同じではないか!
母国語であるはずの日本語が、知らない間に外国語になっていく‥‥
決定的だったのは、日本語の文章を見ていたある日のこと。突然、漢字が、意味の塊としての文字ではなく、まるで絵か図形のように見え始めた。ずっと使っていたはずの漢字なのに、何かおかしな線の組み合わせに見える。そして、その一つひとつが漢字として正しい形なのかどうか、直感的に即断できない。
私の頭の中で、文字のイメージが壊れていっている!
* * * 一方で、英語はどうか。
普段は不自由を感じていないものの、やはり第二言語だ。どこかスポッと抜けている知識や、イメージとして描けない抽象的な言葉も多い。自分の得意分野や専門分野、日常生活ならともかく、それ以外の知的な思考あるいは会話の途中で、たまに表現を探して立ち止まる自分がいる。
英語では、まだ完全にすべての思考を行えない。表現力もボキャブラリーもイメージも足りない。また、日本文化にかかわる部分では、とうてい英語で表現しきれないことも多い。
思考のための言語が揺れる。頭の中に存在する概念を言語化できない。歯がゆい。脳が欲求不満でぐらぐらと煮詰まる。イライラが募る。と同時に、恐怖を感じる。
失いつつある!
* * * 伸び悩む英語、落ちていく日本語。
外国に長く住んでいる人が陥る、一番怖い状況だ。
To be continued...
アメリカに留学したばかりの頃、毎日100回近くも辞書を引いていた。
英語ではない。国語辞典である。日本の友人達にも毎日何通と手紙を書いていた。
というのも、留学した先達の本などを読んで、帰国後日本語能力の低下に悩む姿を知っていたからだ。
英語も完璧でないのに、日本語まで怪しくなると、思考する言語がなくなる。思考は言語であり、言語能力が低ければ、思考レベルも自ずから低くなる。
それほど日本語には気をつけていたものの、アメリカ滞在も5年目にかかろうとする頃には、授業や研究で寝る時間もないくらい忙しくなった。日本語を読む暇も、国語辞典をを引く時間もない。日本へ手紙を書くのも年に一回、年賀状だけ。
いつ帰国するとも知れない。日本に帰るのかどうかさえ分からない。そんな状況下で、さすがに日本語に気を使っている余裕がなくなっていた。
ちょうどその頃、日本人の知り合いと話をしていて、妙な変化に気がついた。
自分の日本語に、
がやたらに増えている。言いたい単語がすぐに出てこない。
昔は自由自在に使いこなしたはずなのに、気の利いた表現が口から出てこない。まるで、中学生の会話のように単純な構文ばかり。自分の日本語がひどく原始的になっていることに気がついた。
そればかりではない。何か言いたいことがあるのだが、それを表現する言葉を探して、ほんの一瞬だが、微妙に間があく。
こ、これは?!
To be continued...
2003年04月13日(日) |
英語は絶対勉強するな? |
英語は絶対勉強するな!
っていう本がある。韓国でも日本でもベストセラーになった。たまたまこの本を書店で立ち読みして、非常に驚いた。何故って?
だって、あまりに当たり前のことが書かれていたから。
この本で処方されているようなことはほとんど、私もやった。自分と並べるのは畏れ多いが、いわゆる「英語名人」たちの多くもやったはずだ。何でそんなあたりまえの内容が、これほど売れたのか?
よく読んでみると、いくつかポイントが浮かび上がってくる。
まずタイトルがいい。ドキッと意表をつく。へっ?勉強しなくていいの?だけどペラペラ。
断言調で、読者に夢と安心感を与えてくれるのもいい。グルについて行こうという気にさせる。「絶対できる」「素質がなくてもネイティブ並になれる」
それと、具体的な方法と順序を示したのもいい。順序を間違えるとたちまち効果が消えてしまうという脅しも、予言者めいて効果的。ひたすら聞くだけ。ひたすら書き取り。ひたすら音読。ひたすらCobuild‥‥
そして、時間軸を明示したのもいい。「早くて半年、遅くて一年で英語を完全マスター」
最後に、先生と弟子とのストーリー風にした構成が、読みやすい。
こう書いたからといって、彼が提案している勉強法に、いい加減なところがあるわけではない。ほとんどすべてに共感できる。
ただ‥‥
巷の「英絶」読者の方々は、気がついているのかな。この著者が薦めている方法って、
だってことを。
たとえば、知らない単語をひたすら英英辞典(Cobuildを推奨)で引くというステップ。
説明文を書き写し、例文も書き写し、何度も声に出して読んで覚える。説明に知らない単語が出てくれば、それも引き、芋づる式に延々とこれを繰り返す。同じ項目でも、覚えるまで何度も繰り返す。「一冊分の辞書の解説文を書き出すつもりで」辞書を引けば‥‥もう語彙も文法も完璧!
って、そりゃそうだろう。いったいこのプロセスに、どれだけのエネルギーが必要かご存知か?
冷静に考えてみればいい。この大部の辞書には7万5千項目収録されている。それに例文もたくさん。仮に一項目あたり平均3つの例文があるとして、ぜんぶで30万近い説明文、例文がある訳だ。
そのひとつを引いて、書いて、声に出して読んで、もう一回読んで、さらにもう一回読んで、体に覚えこませるという一連の学習ステップに、一体どれだけの時間がかかるのか?
ちなみに、3分と仮定してみよう。すると、一時間で20コ。3時間で60コ。毎日3時間勉強するとして、一週間で420コ。休みなく勉強するとして、一ヶ月で、1800コ。一年で、2万コと少し。そして、15年でようやく30万コ完成!
はぁ〜。15年です、はい。毎日。3時間。
さらに、同じ単語を複数回復習する場合を考慮すると、この何倍かの時間がかかる可能性もある。
こんだけやれば、そりゃボキャブラリーも身につかないほうがおかしい。我々が高校生の頃は、研究社の英和中辞典の例文をぜんぶ覚えるというのが、伝説の勉強法として喧伝されていたが、結局それと同じことだ。
さすがに、「英絶」の著者も、Cobuildを隅から隅まで征服することは想定していないのかもしれないが、それでも、ひとつハッキリと結論できることがある。
ようするに、何をやるにしても、結局は、即効で身に付くものはないということ。たんまり、じっくりと時間をかけることなく、成功はない。英語も例外ではない。
それにしても、この本が世界で100万部以上も売れたことで、しまったと地団太を踏んでいる英語関係者は、少なくあるまい。この本がこんなに売れるなら、おれも私も一冊書いて、家の一軒でも建てておくんだったと。
しかし、2番煎じは所詮物真似。最初にやった彼は、エライ。やっぱ私は、いつまでも貧乏から脱出できないようで‥‥。
2003年04月06日(日) |
通訳者も使える「やさしいビジネス英語」 |
以前このコラムで、杉田敏氏のNHKラジオ講座「やさしいビジネス英語」を絶賛した。
忙しいビジネス人が、仕事で必要な英語習得を目指して、毎日15〜30分続けるのに最適な教材だと説明した。
しかし、さすがにプロの通訳者となると、この程度の内容はほぼ100%分かるはずで、新しい知識を得るための教材にはならない。
ところが、通訳の練習用にもこれが結構役に立つ。練習というよりウォームアップといったほうが良いかもしれない。
私は、以前ある会社で通訳者として働いている頃、MD録音した「やさビジ」を毎朝通勤電車の中で聞いていた。
いや、ただ聞いているだけではない。まだ目が覚めやらぬ頭と耳と口をほぐし、朝早くから始まる会議に備えるため、通訳のウォームアップをしていたのだ。
リテンション、リプロダクション、シャドーイング、同時通訳、日英・英日の切り替え、日本語・英語の発音練習、このすべての要素が20分間の放送で練習できた。
電車に乗っている時間もちょうど20分あまり。電車から降りてオフィスに向かう時には、頭は適度な緊張感でフル回転をはじめ、耳・口のスピード感も乗っている。一気に戦闘モードに入っていく準備ができた。
練習の具体的な方法は簡単だ。MDウォークマンを聞きながら、もちろんテキストは見ない。買う必要もない。まず、"Sentences"でリピート練習。一文を正確にリテンションして丁寧にリプロダクションすることで、脳に集中を強いる。次に、「聞き取りのポイント」の質問文をシャドーイングすることで、聞きながら話す感覚を思い出す。
そして、一回目のビニェットを同時通訳する。これが練習のヤマ場だ。以前は放送時間も20分で、最初に前日の復習ビニェットがあったので、多少余裕を持って同通のエンジンをかけることができたが、2002/03年度は15分に短縮され復習もなくなった。やや物足りなくて、残念だ。
聞いているだけだとやさしいビニェットの内容も、同時通訳すると結構スピードがある。固有名詞、数字などが続く時もあり、決してやさしくはない。
実際私は、ビジネス通訳者として十分な能力はと聞かれると、この「やさしいビジネス英語」のビニェットを初めて聞いて同通できること、というのを凡その指針としてきた。多少細かいところは落としながらも、この内容を正確に同通できれば、ビジネス現場で通訳する基本的スキルはできている。あとは、知識と経験の問題だ。
さて、そのビニェットの同通だが、非常に上手くいって今日は調子がいいと思うときもあれば、たまには、上手く日本語が出てこなくてボロボロ落とすこともある。そういう時は、ビニェットをもう一度巻き戻して、今後はシャドーイングをしながら音を聞くことに集中する。
同通の練習に問題がなければ、シャドーイングは飛ばして、説明を聞く。この時もただ黙って聞いていては練習にならない。日本語の説明も英語の説明もシャドーイングする。口の筋肉のウォームアップ、日本語と英語の切り替えの練習ができる。
2回目のビニェットも同通練習。ここでは、聞きやすい表現、流れるような訳出、正確な発音のための口の形に気をつける。
あとは、"Daily Exercises"を普通にやって、杉田さんお得意の"Quote...Unqoute"を聞いたあと深呼吸すると、戦闘準備万端だ。
さて、そのようにして毎朝通勤電車で周りの人に怪しまれながら、ぼそぼそ小声でウォームアップに使った「ビジネス英語(英会話)」だが、ここ一年ばかりは、電車の中ではなく、健康のためのウォーキングもかねて、歩きながら聞くことも多い。その時は1〜2時間、近くの河原沿いを歩きながら、数日分から一週間分を連続して聞く。これがまた集中力を持続する練習になる。
人間は、じっと座っているよりも少し体を動かしているほうが、脳の働きが活発になり、頭の回転もよくなればアイデアも浮かんでくる。歩きながらの練習に慣れると、外の空気も気持ちよくて、家でじっと座って聞く気にならない。
私は、ただ歩くだけではなく、走りながら聞くときもある。最大限の集中力を必要とする同通練習の時はさすがに無理だが、ビニェットや説明はジョギングしながらシャドーイングする。これがいい練習になる。
何故なら、実際のビジネスの現場では、雑音もあれば、音の反響がひどい部屋での通訳もある。音が聞き取れない電話・TV会議もあれば、何人もが発言して混乱することもある。理想的とは程遠い状況で通訳することが多い。走りながら、酸素が欠乏して集中力も途切れそうになりながらの練習は、悪環境でも頑張って、何とか集中力を維持して通訳をやり遂げるという「根性」を鍛えるのに役に立つ。あまりうれしい根性ではないが。
さて、これほど素晴らしい杉田敏氏の「やさしいビジネス英語(ビジネス英会話)」だが、先週限りで終了になった。明日(月曜日)からは、新しい講師による新しい講座が始まる。今後も、杉田氏が築かれた"legacy"が、受け継がれていくことを期待したい。
一方で私は、1999年以来の放送をすべてMDに録音してある。ここ一年以上はパソコンで録音し、デジタルデータとして保存してある。
ということで、しばらくは朝のウォーミングアップに困らない。また、いつか杉田敏氏が復活されるまでは、古い教材をもう一度味わって見るのも悪くない。
2003年04月04日(金) |
こんなもんですよ、通訳の現実は |
ちょうど家を出ようとするところだった。電話予約してある新幹線は一時間後。
二日間の仕事の予定。一日目は会議開始が早いので、前日ホテル泊。しかし、その夜は帰宅して、翌日また朝から新幹線で出かけるという手はずだった。ところが、運が良かったのか悪かったのか、家を出るときに受けた電話はクライアントから。
「スイマセン。一日目なんですが、午後5時からの会議もお願いできないでしょうか?」 「えーっと‥‥できない理由はないんですが。となると、明日も宿泊になりますね」 「よろしくお願いします」
さあ、それからが大変だ。宿泊などの変更をしなければならない。荷物を置いて、電話をつかむ。まず新幹線を最終に変更。これで一時間の時間稼ぎができる。睡眠時間は減るが仕方がない。
さて次は、ホテルを連泊に変更。ノートパソコンを立ち上げて、ホテルのWebサイトへ。変更機能がない。仕方なしに、2泊目を新規予約。よし、これでアシとネドコは確保した。
次にお泊りの準備だ。一泊だけなら、最小限の着替えだけをブリーフケースに詰め込んで、身軽に行くつもりだったが。二泊となると、荷物も増える。仕方ない、かばんを詰め替える。スーツもガーメントバッグに詰めて、Dockersに着替える。メールをチェックして新しく届いた資料をプリントアウトする。
ああ、オフクロにも電話しなくちゃ。駅からで良いか。テレビの録画は大丈夫か?MPEG1で毎日3GB以上予約してある。パソコンのHDD容量は‥‥ぎりぎりセーフ。
急がないと、あと10分しかない。電気・ガスをもう一度チェックして、かばんを抱えて外に出る。まずい、雨が降りそうな天気。傘は荷物になる。一瞬の判断。要らない。
この辺りは交通の便が良くない。5分ほど駅に向かって走ったところで、タクシーを見つける。へーイ!運が良い。
ようやく出張へ出発。ま、こんなことはめずらしくない。
さて、肝心の仕事のほうは?これが大変なことに。
翌朝8時半に打ち合わせ場所に行くと、PHSに担当者から電話が。 「スイマセン、空港で体調を崩し、行けなくなりました。別の者が資料を持って行きますので」
さあそれから、予期しないことの連続だ。11時からの会議が突然加わった。夜のディナーの通訳をお願いされた。翌日は、8時45分からの会議も出ることに。あれよあれよという間に、内容も知らない、資料もない会議が次々に増える。今回はほとんどが準備のできない実戦になりそう。
しかし、気心が知れたクライアントだ。できるだけのことはしたい。根性を決めて、バトルモードへ。細かい表現にこだわらず、メッセージを正しく伝えよう。会議の目的は?前回会議からの進捗・変更は?期待する結論は?予想される課題は?あなたが一番訴えたいメッセージは?矢継ぎ早に会議の背景知識を10分ほどで仕入れる。
ま、なんとかなるさ。Relax, man.
それにしても、長かった。一日目は、9時に始まり、午後6時まで次々と会議の連続。空き時間は打ち合わせ。椅子に座ると、猛烈に疲労と睡魔が襲ってくる。
しかし、まだディナーがある。そのあとは翌日の打ち合わせ。ところが、ディナーへの移動待ちのため別室で待機していると、PHSに電話が。
「スイマセン。声をかけるのを忘れてました。一人でタクシーに乗って来てください。場所は、どこそこ通りの何とかという店です」 「はーっ‥‥りょうか〜い」
ディナーの時には、疲労で意識も朦朧、頭がガンガンと鳴っている。店内の雑音で会話も良く聞き取れない。幸い、もう一人の通訳者が元気で、キャッキャ言いながら頑張ってくれたので助かった。ただ、多少シモネタ系の話題だけはこちらが訳す。さすがに若い女の子には可哀想。
盛り上がったディナーが終了したのは、夜の10時。ところが、これから翌日の打ち合わせがある。私は横で聞いて背景情報を得るだけなのだが。ふらつく足を引きずってオフィスに向かう。
さあ、それからだ。またいろいろ意見・議論が出て、なかなか終わらない。結局、他の人達を残して私一人がホテルに向かったのは、夜中の1時を過ぎていた。CNNでイラク戦争のニュースをチェックして、ベッドに入ったのが2時半。翌朝は、7時起きだ。
ま、こんなもんですよ。日常は。
が勝負なもんで‥‥
2003年04月01日(火) |
War in Iraq Glossary (PDIC形式追加) |
3月21日、22日、28日のコラムでもお知らせしましたように、イラク戦争開始以来、メディアを中心に関連用語を拾い集め、"War in Iraq Glossary"として公開しています。ほぼ毎日追加・更新を継続していますので、お役に立てれば自由にご利用ください。
そろそろ収録語数が200を超えましたので、新たにPDIC形式に変換したファイルも掲載することにしました。
(3) War in Iraq Glossary (PDIC file)を右クリックして保存。
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