英語通訳の極道
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2003年03月31日(月) Shock and Awe

この小文は、Webコラム「風太郎ワールド」から転載されました。

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米英軍が苦戦している。少なくとも、当初予想された短期終結の可能性はほとんどなくなったようだ。

イラク軍の幹部や兵士はもとより、民兵も自爆テロリストも、米英の攻撃に「衝撃」を受けている様子はないし、「畏怖」を感じているようにも見えない。したたかに戦っている。米英軍の戦略は、"Shock and Awe"だったはずだが。

今やあまりにも有名になった、"Shock and Awe"。軍事戦略家のHarlan K. UllmanとJames P. Wadeが、1996に発表した論文、"Shock and Awe: Achieving Rapid Dominance"の中ではじめて使った用語だ。

決定的で圧倒的な軍事力を行使することにより、敵の戦意を喪失させるという理論を指すのだが、この日本語訳が少し引っかかった。

朝日新聞はじめ多くのメディアが「衝撃と恐怖」を使っている。毎日新聞は、「衝撃と畏怖」だ。

「恐怖」という日本語は、たとえば、敵の銃撃を受ける恐怖、殺人鬼に襲われる恐怖、車や飛行機が制御不能になった時の恐怖のように、死や危害が迫っている時の心の状態に対して用いられることが多いのではないだろうか?

だから、英語に訳す場合は、"fear"、"terror"、"horror"、"fright"等が思い浮かぶ。

一方、"awe"というのは、恐いという感情より、自分の理解を超えた事象、圧倒するような存在に対して、驚くとともに、ある種の畏敬の念というか感動を覚えることではないか?たとえば、巨大な空飛ぶ円盤とか、原始的な村で起こる皆既日蝕などの非日常的現象など。

ちなみに、Collins Cobuildでは次のように定義されている。
Awe is the feeling of respect and amazement that you have when you are faced with something wonderful and often rather frightening.
この意味の日本語としては、「恐怖」より「畏怖」のほうが適切ではないだろうか?

"Awe"作戦を単純に「恐怖」作戦と呼んでしまうと、この「圧倒的」とか「自分の理解を超えた」という語感が出てこない。

この点で、私は毎日新聞の日本語訳を支持したい。また、最新の日本語版ニューズウィークが「畏怖」を使っているのを見てホッとした。

もし私の理解が間違っていれば、ご指摘いただきたい。

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ところで、この"Shock and Awe"という理論。実は、過去の「成功体験」に基づいているというのをご存知だろうか?

Ullmanたちは、前述の論文の"Introduction to Rapid Dominance"という章で、こう述べている。
Theoretically, the magnitude of Shock and Awe Rapid Dominance seeks to impose (in extreme cases) is the non-nuclear equivalent of the impact that the atomic weapons dropped on Hiroshima and Nagasaki had on the Japanese. The Japanese were prepared for suicidal resistance until both nuclear bombs were used. The impact of those weapons was sufficient to transform both the mindset of the average Japanese citizen and the outlook of the leadership through this condition of Shock and Awe. The Japanese simply could not comprehend the destructive power carried by a single airplane. This incomprehension produced a state of awe. (ハイライトは筆者による)
広島・長崎への原爆投下の「衝撃」が、日本人に"awe"を与えた。だから、同じことをイラクでもやろうという発想。

いまだに、広島・長崎は成功体験として認識されているのだ。


2003年03月30日(日) ラジオ講座再び

まだ肩の力が抜けない。しかし、今しばし戦争の話題を離れて、英語に戻ろう。

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以前、私とラジオ講座のつき合いは、故松本亨氏が「英会話」講師を退かれた時に終わったと書いた。実は、例外がある。

旺文社の「百万人の英語」だ。魅力的な講師が何人もいた。ユニークだったのは、土曜日放送(だったと思う)。ゲスト講師と電話で英会話できるコーナーがあった。そのゲストのひとりが、


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ドキドキして聞いたものだ。

しかし、このラジオ講座も卒業。そして、もうラジオの英語講座を聞くことはないだろうと思っていた。その後25年くらいは。ところが‥‥

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長いアメリカ生活から日本に帰ってきて、ひょうんなことから通訳・翻訳など英語を使う仕事を始めると、ビジネスマンや企業経営者、そして学生・主婦などから、どうやって英語を勉強したらいいですか?という質問を受けるようになった。

英語教育市場には、「画期的な教材」、「驚異的な勉強法」が溢れている。何から始めればいいのか悩むのも無理はない。

私は何をやっても役に立たないものはないと考えている。あれこれ探し回るより、気に入ったものをとりあえず一生懸命やるのがいい。

それに、個人的な事情が異なるので、十把一からげに「万人にとってベストな英語勉強法」などを論じることはできない。

そうはいっても、より効果的、効率的な方法というのはある。すでに多くの大先輩方が、体験を通して習得したそういうノウハウを披露されているが、私も自分なりの経験則を少し述べてみよう。

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ここでは特に、ビジネス現場で英語が必要な人達のケースを考えてみたい。英語を使う目的は、日常の会話に加えて、会議・交渉・連絡などだ。

留学・海外駐在などで英語をマスターした人は対象外だが、そういう海外経験者でも、英語にはもうひとつ自信を持てないという人は多い。逆説的だが、英語は日本に戻ってからこそ勉強できる。

さて、ビジネスマン・ウーマンの多くは英語初心者ではない。学校でも習ったし、多少の心得はある。だが、自由に使えるレベルではない。

自分の専門内容なら何となく聞いて分かる。ただ、細かい点で誤解する可能性がある。読むほうは、時間をかけ辞書を引けば大丈夫。意味が伝わる程度の文章も書ける。一番困るのが、しゃべる技術のようだ。

実際、ビジネスの現場で通訳していると、英語を聞くのは何とかなるが、しゃべるのが不得手という人がかなり多い。だから、一対一のミーティングなどでは、日本人発言者の「口」としての通訳者の役割が非常に大きい。

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では、どういう英語勉強が、こうした忙しいビジネス人に適しているか?

ビジネスの最先端で活躍している人は、とにかく時間がない。睡眠時間さえ十分にとれない。毎日1時間の勉強なんて、とても無理かもしれない。

そういう人は、やたら大きな目標を掲げないほうがいい。とにかく、ちょっとしたこと、毎日続けられること、楽ではないが楽しんでできることから始めるのが良い。それが仕事に役に立つとさらに良い。

重要なのは、続けるクセをつけることで、そのためにも「楽しい」という要素は欠かせない。楽しくする「工夫」が要求される。

「短時間」というのもポイントだ。ダラダラしない。たとえば、通勤の20分だけと決めれば、20分しかしない。それ以上はしない。

英語の勉強を日常生活の一部として取り込む。「歯磨き」と同じように「ルーチン化」することだ。

通勤20分だけの勉強でも、チリも積もれば何とやらで、一年後には自分でもはっきりと進歩が感じられる。

さて、そういうビジネス人に適当な教材がないかと、探していると、親友がヒントをくれた。NHKラジオの「やさしいビジネス英語」っていうのがいいらしいよ。

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最初、私は半信半疑だった。単なる英会話じゃないのか。ビジネス人には内容的に物足りないのではないか。

ところが、試しに放送を聞いてみて、驚いた。

最高にいい!内容が非常に新しい。ビジネス現場が生き生きと再現されている。実際に使える表現が満載されている。講師の杉田敏氏に味がある。ネイティブパートナーの説明にもいちいちうなずく。

これしかない。これに決めた。故松本亨氏の「英会話」以来、久しぶりに感動するラジオ講座に出会った。

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ということで、ここ数年、忙しいビジネスマンに相談されると、まず「やさしいビジネス英語」(今期は「ビジネス英会話」とタイトル変更)を薦めてきた。

これを毎日聞く。タイマー録音しておくと、時間に縛られない。漫然と聞くだけではダメだ。声に出してリピートし、放送時間後には、何度も音読し、自然に口から出てくるまで練習する。ビニェットを覚える。

ポイントは、時間をかけない、そして集中すること。放送後10分あるいは15分という復習時間を決めると、それ以上はしない。たまに調子よくても、15分で打ち切る。

目標は「継続」。短時間で、楽しく、集中して。これを1年も2年も継続させる。まずは、この継続のクセをつけることが、成功の秘訣だ。

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さて、この「やさしいビジネス英語(ビジネス英会話)」。プロで通訳をしているレベルの人たちにとっては、ほとんど新しく習う内容はないだろう。しかし、実は、現役通訳者にとっても、非常に役に立つ使い方がある。これについては、また次回。


2003年03月28日(金) Unilateral

先日、ABCの報道番組"Nightline"で、"unilateral journalist"を紹介していた。この単語は、軍の保護を受けずに独力で取材するジャーナリストを指す。また、"unilateral"一語で名詞としても使われる。軍隊用語。

In the days since this war began, at least two journalists have been killed and two more are missing. All were "unilaterals" -- military jargon for reporters who are traveling on their own, not with the troops. (ABC News Nightline 3/25/03)
数日前、誤って米軍の攻撃を受け死亡した、英民放テレビ局ITNのリポーター、テリー・ロイド氏も「ユニラテラル」だった。軍による制約はないが、保護もないだけに、危険性が増す。

「ユニラテラル」とは反対に、軍の保護を受ける従軍ジャーナリストのことを、軍隊では"embed"と呼んでいる。アクセントは第一音節。
Embeds, who are always moving with the troops, work in a sort of military bubble. (ABC News Nightline 3/25/03)
"Embed"は動詞で使われることもある。たとえば、"unilateral"について言及している数少ないWebページのひとつ、3月24日のopenpolitics.comに、次のような記述がある。
London Times war correspondent Christina Lamb is called a "unilateral" journalist because she is not "embedded."
さて、この"unilateral"。まだ日本の新聞メディアなどでは、定訳のようなものを見かけないが、どう訳すのだろうか?

非従軍記者?独力取材記者?独立系ジャーナリスト?

あるいは、アメリカの単独行動主義("unilateralism")にひっかけて、「単独行動ジャーナリスト」とでも訳すか?

それにしても、他の人の言うことを聞かない現在のアメリカを連想させる、この単語。「軍に制約されずに取材したいジャーナリスト」を指す用語として、アメリカ軍が使っている。何とも皮肉っぽく聞こえてしまうのは、私の考え過ぎだろうか?

(下線はすべて筆者による)

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3月21日、22日のコラムでもお知らせしましたように、イラク戦争開始以来、メディアを中心に関連用語を拾い集め、"War in Iraq Glossary"として公開しています。ほぼ毎日追加・更新を継続していますので、お役に立てれば自由にご利用ください。新たに、注釈を省いて訳語だけを表示した簡略版も、htmlファイルとして掲載しています。

アクセス方法とパスワードは次の通りです。

「英語通訳の極道 Data Files」にアクセスし、指示に従って、ファイルを表示するかダウンロードする。

ユーザ名:gokudo


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イラク関連用語に関しては、放送通訳者の水野的氏が、ご自身のサイトで用語集を公開されています。(ここのページの3/26の記述参照)

現役トップクラスの放送通訳者がどのように用語を準備するか、非常に参考になりますので、ぜひご覧になることを薦めます。


2003年03月24日(月) いまの気分は…

だめだ。軽いコラムを書く気になれない。

ということで、アップするつもりだったコラムはたまっているが、とても、発表する気になれない。

9/11の後しばらく、アメリカのコメディアンやトークショーホスト達も、とても冗談を言ったり、ニューヨークや大統領をネタにする気になれなかったという。私が大好きな、常識破りのDavid Lettermanでさえ、ピリピリしていた。

私は、コメディアンではないんだけれど。コラムを書くときの気分は、大して違わない。

既に、多くの死傷者が出た。名もないイラクの市民にも。そして、名もない英米の兵士達にも。

非力な自分ではあるが、戦争反対の声を上げ続けることはできる。署名することはできる。こうして、自分の意見を発表することもできる。できることは続けていきたい。

きょうのアカデミー賞で、長編ドキュメンタリー賞を獲得したMichael Mooreのスピーチは、観衆から拍手とブーイングで迎えられた。

"We live in the time where we have fictitious election results that elect a fictitious president. ... We have a man sending us to war for fictitious reasons. We are against this war, Mr. Bush. Shame on you, Mr. Bush, shame on you."

アカデミー賞主演男優賞を獲得したAdrien Brodyのスピーチは、胸を打った。私もまったく同じ気持ちだ。

"Whether you believe in Allah or God, may he watch over you, and pray for a peaceful and swift resolution to this war."


2003年03月23日(日) 【英語表現ファイル】 Slow up

"Slow down"という表現がある。「スピードを落とす、遅くする」という意味だが、"slow up"もまったく同じ意味になる。

私は数年前まで、"slow up"という表現を使ったことがなかった。仕事で初めて聞いたとき、意味は分かるのだが、何か語感が変。

で、その表現を使ったアメリカ人に聞いてみた。

それって、"slow down"じゃないのか? "Slow"で"up"だと、スピードを上げて(up)、遅くする(slow)ようで、矛盾じゃないか。

すると、そのジャーナリスト、そんなこと考えたこともないという顔で、ちょっと肩をすぼめて、言われてみればそうかも知れないが、"down"でも"up"でもどっちでも良いという。

どっちも使えるということは分かったが、"down"と"up"じゃ、方向が逆だろう、という素朴な疑問は残る。これらの副詞はどういう意味を付け加えているのだろう?

ちなみに、逆の意味の「スピードを上げる」は、"speed up"。パターンに反するようだが、"speed down"という表現はない。

日本人を惑わせるのが、「スピードを落とす」という意味で使われる「スピードダウン」。これは和製英語だ。英語で正しくは"slow down"。

以前アメリカに住んでいる時は、"speed up vs. slow down"という単純な対比が頭に入っていて、英語を話すときに間違ったことはなかった。

ところが、日本に帰ってきて「スピードダウン」に遭遇して、ちょっと混乱し、今また"slow up"だ。

ああ、ややこしい。

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長年の間溜め込んだ、英語表現に関するファイルから、時々おもしろそうなトピックを紹介していきます。


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イラク戦争関連用語集 "War in Iraq Glossary"ですが、アルファベット順に並べ替えるとともに、内容をアップデートしました。

この用語集には、基本的に、出典が明らかな用語しか収録していません。自分が意味を知っていても、明記できる出典が見つからない項目は、削除するか空欄のままで置いてあります。

ソースはメディア(新聞、Web、テレビ)が中心ですが、少し辞書からも拾ってきました。

もし、間違いやご指摘、情報、リクエストがあれば、お知らせください。

アクセス、ダウンロードの仕方については、3月22日(土)のコラムを参照してください。サーバは自宅の古いマック上に構築してあり、たまに機嫌が悪い時もあります。もし上手くアクセスできない時は、また時間をおいてトライしてください。

現在、イラク報道の現場で通訳・翻訳されている方々で、訳語が見つからないのに調べる時間がないという場合は、メールでお知らせ願えれば、調査に協力いたします。


2003年03月22日(土) War in Iraq Glossary (htmlファイル追加)

「イラク戦争」に相当する英語はいくつかある。現在、アメリカ、イギリスなどのメディアで使われている主なものは、

War against Iraq
War on Iraq
War with Iraq
Iraq War
しかし、この戦争は、フセイン政権との戦い。イラク人民、あるいはイラクという国全体を敵にしている訳ではない。

というわけで、私が作成している「イラク戦争関連用語集」のタイトルを、
War in Iraq
に変更した。

さて、その用語集、一日に一、二度最新版にアップデートしている。特にバージョン番号はつけないが、日付で区別。同じ日付でも、マイナーアップデートはありうる。もし、間違い、有用な情報があれば、ご指摘ください。

現在のバージョンは、"War in Iraq Glossary 030322"

ファイル形式は、Excelに加え、ブラウザですぐ参照できるように、htmlもアップした。

利用するには、 (1) War in Iraq Glossary (html file)か、(2) War in Iraq Glossary (Excel file)をダブルクリックして閲覧,あるいは右クリックして保存。


2003年03月21日(金) War on Iraq Glossary

戦争が始まってしまった。

ニュースは、一日中「イラク攻撃」の生放送。テレビの前から離れられない。

ということで、日常的なコラムを書くかわりに、ニュースを追っている方々の後方支援になればと、イラク攻撃関係で、通訳・翻訳に役立ちそうな用語を拾い集めた。

主なソースは、メディア(新聞、Web、テレビ)。少し、辞書などでも補完した。

メディアで使われた表現ではあるが、必ずしも定訳というわけではない。また、時間的制約のため、収録はまだ数十項目。対訳が空欄のままのところもある。今後も、更新・改訂を続けていく予定。

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イラク攻撃関係用語集をサーバにアップしますので、もしお役に立てれば、ご自由にダウンロードしてください。

(1) War against Iraq Glossary (Excel file)をダブルクリックして閲覧、あるいは右クリックして保存。


2003年03月20日(木) ニオウ?


私は、トータルすると20年近く、教えることで食ってきた。

教師といっても、いつも別に本業があった。学生、研究者、翻訳・通訳者など、そのときどきで。だから、副業という意味合いが強い。

しかし、教師という職業は大好きで、職業人生の最後を飾るのは、これだと思っている。そして、教壇の上で、一発ジョークをかまして、ニヤッと笑い、その場に倒れこんで、この世からおさらばするというのが、理想の死に方だと思っている。

いずれにしても、そういう歴史を踏んできたからか、しゃべると「教師臭さ」があるのは否めない。

まさか学生に向かって、「オレさー、今日、もうやってらんねーんだよー」なんて投げやりな態度は見せられない。

「ヒトを導く」仕事をしていると、どうしても多少の説教臭さが出てくる。

でも‥‥好きじゃないんだよねー、そういうクササ、私は ^^;

ある時、例によって、神憑りにでもあったように、あれはこうで、ここはああで、ああするとこうなって、そして、そのとき私は‥‥

てな話をしていると、一緒にいた女友達が、私の話なんかまったく聞いてもいない様子で、突然思い出したように、

「いるんだよね、どこにでも」
ボソッともらした。

「嫌われるんだよね、若い女の子に」
「‥‥?」

「本人は自覚してないんだけど」
「お、オレ‥‥??」

「あ、あなたのことじゃないよ。心配しないで。ちょっと思い出しただけ」
「な、な、何を?」

うろたえる私に、彼女が言った。

会社でも、大学でも、飲み屋でも、



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のことよ。

はぁ〜、痛いとこついてるねぇ。
オヤジって、見抜かれてるんだねぇ。若い女の子に。

都合よく解釈すれば、私の女友達は、あなたにはそんなオヤジにはなって欲しくない、と言いたかったのかもしれない。が、この言葉は、今でも重く胸に残っている。

という訳で、もしこのコラムで私が、「臭く」なり過ぎていたら、ぜひご指摘いただきたい。

ニオイのしないオヤジを目指します、できる限り。はい。

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ところで、うれしいニュースがある。

先日、保証期間切れ直後に、液晶不良で修理に出したセイコーインスツルメンツの電子辞書、SR9200が戻ってきた。ちゃんと直ってる \(^o^)/

おまけに、何と、無料修理だった。

どういう事情で、無料にしてもらったのかは分からないが、これでセイコーの好感度が100ポイントくらいアップ。

メーカーのみなさん、ここですよ、ここ。大切なのは。顧客サービス。

ひとりのユーザが喜べば、こうしてWebでしゃべり、また10人の新しいユーザが生まれる。ところが、ちょっと手を抜いて評判を落とすと、100人の顧客を失う。

修理されてきたのはいいが、これからはもう少し注意して扱わなければならない。電子辞書は、剛性という点ではまだ、気軽にかばんに放り込んで持ち歩ける道具ではない。ノートパソコンと同じようなケアが必要だ。

*    *    *

そういえば、最近、同じくセイコーインスツルメンツからSR-T6500という電子辞書が発売された。

待望のCobuildと、リーダーズプラスが収録されている。英語学習者にはCobuildがありがたいし、現場の通訳者には、リーダーズプラスが重宝する。

外出のついでに、ヨドバシカメラでチェックしてきた。SR9200と同じような造りだが、さらに薄く軽くなっている。「決定」と「戻り」ボタンがメタリックになった。キーのクリック感は悪くないが、「入力漏れ」が生じる。つまり、カチッと打鍵音がしても入力されていない時がある。強めにキーを押さなくてはならない。私には、SR9200のキーボードのほうが使いやすい。

それと、液晶だが、店頭展示品は、縦縞状に表示欠落があった。私が修理に出したSR-9200と同じような不良。展示品は痛みやすいものだが、それでも、やはり液晶は弱点のようだ。

さて、買うかどうか。判断は難しい。ハードが改良されるのを待つか。しかし、ソフトは今すぐ役に立つ。定価48,000円というのが、決め手かな。

ところで、リーダーズには、電子ブック、CD-ROM、ソニーのデータウォークマン、そして、SR9200と、たった一つのコンテンツに10万円近い投資をしてきた。これって、同じコンテンツに何重にもお金を払っている訳で、何か納得できないと感じるのは、私だけか?


2003年03月19日(水) 私の「ラジオ英会話」勉強法

昨日、私の英語学習の原点が、故松本亨先生のNHK「ラジオ英会話」にあったという話をした。

ところで、このラジオ講座、無料で利用できる良質のプログラムがたくさん提供され、いまだに根強い人気がある。読者の皆さんにも、お気に入りのプログラムのひとつや二つ、実際に聞かれている人がいるかもしれないが、どういう使い方をされているだろうか?

余計なお世話かもしれないが、もし何かのお役に立てるなら、私の「ラジオ英会話」勉強法をお話しよう。

私は、最初ラジオ講座を聞き始めた頃、ちゃんとテキストを読んで予習をしていた。そして、放送を聞きながら、リピートしたり、会話練習をしたり。放送後は復習をして、すべてのスキットを繰り返し読んで暗記した。

しかし、そのうち予習をしなくなった。集中して、真剣度を増すためだ。

しばらくすると、復習もやめた。ただ、やめただけではない。15分だったか20分の放送終了時に、スキットすべての暗記ができていることを、自分に課したのだ。そうすると、さらに真剣に放送に集中する。

つまり、放送を聞いて、練習をして、暗記する、という一連の学習プロセスに「時間制限」を加えて、自分を追い込んだのだ。

それは無茶だろうと思われるかもしれないが、慣れると難しいことではない。人間の脳は、甘やかすとどんどん楽な方へ逃げる。鍛えれば、驚くほどの力を発揮する。

この「時間」ファクターは、集中力とスピードを養う上で、非常に重要である。

そのうち私は、放送中にテキストも見なくなった。会話練習部分では、自分のパートが分からなければ困るのだが、耳から一度か二度聞けば、すべてを覚えてしまった。

こうして、毎日の英会話の放送内容を、放送時間20分内に完璧に習得することができるまでに、自分の脳を鍛えた。これくらい、やる気を出せばだれでもできる。

この、


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勉強法。絶大な効果があった。その後、「繰り返し音読」とあわせ、私の語学勉強法の根幹をなすようになる。

実は、後年になって、この練習法が通訳訓練にも非常に役に立つ、ということを身をもって知るようになるのだが、これについて詳しくは、また機会を改めて。


2003年03月18日(火) 永遠の師

以前このコラムで、英語は日本で学んだ、と書いた。

まったくその通り。

私は、中学に入学して、"This is a boy."、"I am a pen."を習って以来、目にした英語は、ほとんどすべて声に出して読んで覚えた。

中学・高校の教科書、参考書、文法書、副読本、英文解釈、長文問題、またラジオ講座のテキストも雑誌も、手当たり次第、声に出して読んで覚えた。

特に珍しいことではない。それは、メシを食える程度まで英語を学んだ人の、ほとんどみんながやったことだと思う。

1970年代後半に著書や講演を通して大きな影響を受けた國弘正雄氏が、「只管朗読」という絶妙の命名をされたが、実はずっと以前から、繰り返し声に出して読むというのは、あらゆる英語学習者の基本だった。

*    *    *

英語を学ぶ上で、最も影響力が大きかったものは何かとよく問われるが、躊躇することなく、故松本亨のNHK「ラジオ英会話」をあげる。

私は、この松本亨氏の「ラジオ英会話」を中学二年生の一年間、休むことなく聞いた。家族旅行にもラジオとテキストを持って行った。それは一番大切な日課だった。松本氏の番組は逃したくなかった。面白かった。味があった。

英語の発音だけをとれば、もっとネイティブに近い人がいるかもしれない。しかし、松本氏は奥が深いのだ。教材も人間味に溢れ、グイグイ惹き込む。

なかでも秀逸は、「ナンシー・アンド・ジョージ」。宗教が違う若い男女の恋愛・葛藤を描いた名作だった。英語を勉強しているというより、二人がどうなるのかを知りたくて、毎日が楽しみだった。20分があっという間で、終わりはいつも興奮の余韻に包まれて、夢から覚める。

松本先生は、私を英語の世界へと導いてくれた、人生の師のようなものである。

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であった。

彼の番組は非常に人気があり、質問の往復葉書が、毎日何百と届いたらしい。彼は、そのひとつひとつに「手書きで」返事を書いた。私も、そういう手書きの返信葉書を、何枚か持っている。

たとえば、"dead"という単語は「死んだ」という意味じゃないのか?という中学生らしい内容の質問をしたとき、"in the dead of"や"dead end"はじめいくつかの例文を示して、分かりやすく説明していただいた。まだくっきりと記憶に残っている。

使用した「ラジオ英会話」のテキストは、渡米中保管場所がなくて、泣く泣く処分したが、手書きの葉書だけは、宝物として大切に保管してある。棺桶まで持っていくつもりだ。

中学2年の一年間真剣に聞いたラジオ英会話だが、しばらくして松本亨氏が退かれることになった。その後は、他の放送を聞いても、何だか物足りない、興味が涌かない。

これをもって、私もNHKのラジオ講座に別れを告げた。


2003年03月17日(月) ひと夏の経験

だれにでも、初めての時はある。

やはり、怖い。

どうしよう、あなたってダメねえ、って言われたら?
ようするに、下手すぎるのよ!って怒鳴られたら?

もし、もう会ってくれなかったら‥‥最悪。

しかし、進まなくてはならない。勇気をもって。

あなただけではない。
だれにでもある。初めてのとき。

それを超えてはじめて、あなたは大人になる。一人前になる。

だから、怖がらないで。
目を閉じて、歯を食いしばって。
飛び込んで行きなさい、その胸の中に。

私の、記念すべき、初めては、1981年。
アメリカに渡って一年が過ぎたばかりの、夏休みに起きた。

そう、ひと夏の経験。

それまで、考えもしなかった。



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をするなんて。恥ずかしくて、とても‥‥


2003年03月16日(日) サスペンス

通訳業界の大御所、水野的さんのサイトで、この雑文コラムを紹介していただいた。「ある通訳者の生活と意見」というコーナーである。持つべきものは大先輩。光栄です。

さて、その中で、筆者のことを、「若い通訳者」とご説明されている。ありがとうございます。

何を隠そう、この Taro Who? 、


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ことは間違いない。

ところで、実年令は‥‥

そんなことはどうでもいい。ここは、そういう話をするサイトではない。(キッパリ)

この人誰?誰なのよ?なんていう質問もしない。

知りた〜い、教えて〜って、気持ちは分かる。しかし、

詮索しない、考えすぎない。
世の中すべて、サスペンスが大切なのである。

サスペンス、そう、それこそ、このコラムのひとつの大きなテーマなのだ。
知らないことは、幸せなのである。

よろしいですか?
今これを読んでいる、あなた。詮索しない。
それはあなたと私との、暗黙の約束事ですよ。

絶対に破らないで下さい。
くれぐれも。忠告しておきます。
もし、万が一その約束を破った時は‥‥

一週間後にあなたの部屋のドアをノックする音がしても、決してドアを開けてはいけません。

って、いろいろ書いてることを辿っていけば、何となく浮かび上がってくるんだよネ‥‥

おお、こわ ^^;

◆◆◆


先日、「山の音 Redux」で、「文章を書くとき、著者などの人物を指すのに、敬称ってつけるんだっけ?」という質問をしたところ、早速、メールでアドバイスをいただいた。

結論としては、物故者は敬称なし、存命中の人には敬称をつける、というのが一般的なようだ。ただし、文章を書いている人と文中の著者とが、立場的にあまりにも離れていたり、物故者と存命者を並べて書くような場合は、全部に敬称をつけないことが多い、というご指摘だった。

Rさん、どうもありがとうございました。さすが、プロですね。

いや本当に、ネットの力には感謝。多くの知恵が結集されて、疑問の解決が早い。

◆◆◆


さて、今日のコラムだが、しばらく前に、一瞬だけ別の内容をアップした。しかし、読み返してみると、文章が未熟で、誤解を生みかねない。やはり、顔が見えない、人柄が分からないネットでの発言。意図せずに不快な思いを与えてはいけないということで、とりあえず削除した。よく推敲した上、後日あらためて同じトピックで掲載したいと思う。


2003年03月15日(土) 通訳エージェント

私は、通訳エージェントに登録していない。
もしかして、モグリ?

これには、経緯がある。

アメリカから戻ったばかりの頃、就職なども考えずいきなり帰ってきたので、食う手段を考えなくてはならない。じゃ、通訳をしようという、短絡的な思考で決めてしまったのだ。^^;

いや、それは冗談で。通訳・翻訳は25年以上前から興味があり、ニシヤマ先生、クニヒロ先生をはじめ、大先生方の本を読み、English Journalで、関連記事を読んでいました、はい。

とにかく、日本の事情がよく分からんから、知り合いに相談した。たまたま、大学時代の後輩で、通訳としてバリバリ仕事しているのが何人かいた。

「あのぉ、オレ通訳で食っていこうと思うんだわ。ついては、学校とか通って、ノートテーキングとか、ギョウカイの作法とか、勉強したほうがいいと思うんだけど、何かアドバイスしてくれない?」

すると、学生時代、鬼のようにシゴイた後輩曰く、
「先輩、学校なんか行く必要ないですよ。私も長いこと通いましたけど、学校で習うことって、仕事に必要なことの5分の一くらいしかないですよ」

「でも、いろいろ基礎を勉強したほうがいいんじゃない?ノートテーキングとか?」
「仕事をしているうちに分かってきますよ。学校に行っても、きっとつまらないと思う。まわりのレベルとか」

「大丈夫かな、オレ自信ないんだけど、ノートテーキングとか」
「確かに、学校でもいろいろ役に立つこと習うけど、自分でも勉強できますよ」

「そうかなあ、でも、ノートテーキング‥‥」
私は、ノートテーキングが苦手なのだ。^^;

「先輩だったら、エージェントに登録して、すぐ仕事したほうがいいんじゃないですか」
ということで、説得されて、行ったのだ、あるエージェントへ。

しばらく待たされて出てきたのは、少ししょぼくれた、営業マン風の中年男性。彼曰く、
「あなたは、通訳より、翻訳をしたほうがいいですよ」

「でも、どちかというと、通訳の方が性にあっていると思うんですが‥‥」
「翻訳にしなさい。その方がいい‥‥年齢をね、考えると」

ね、年齢?まだ、30代なんだけど?

「通訳は、若い人でも大変ですからね」

でも、わたしは、通訳をしたいの。しゃべるほうがいいの。外に出たいの。通訳の報酬が必要なの。

「どうです、翻訳のほうをされては?」
「はぁ‥‥」

ひとしきり世間話の後、男は出て行ってしまった。私の経歴も、職歴も、女性遍歴も(関係ないか ^^;)聞くことなく‥‥。彼が、私について知ったことは、アメリカから帰国したということと、私の年齢だけだった。

こうして、私は年齢だけで、そのエージェントに断られた格好になったわけだが、これって考えたら、おかしかないか?老人差別じゃないのか!

時間が経つにつれ、少しずつ怒りと悔しさがこみ上げてきた。

「クッ、クソォー、絶対にお前とこなんか、頼まれても登録してやらねえぞ」
人通りのないエージェントの建物の前で、私は、小声でそう叫んだ。

ということで、それ以来エージェントに登録したことがない。でも、幸いなことに、今まで仕事は次々とあった。運と、人との繋がりが良かったんだねえ。感謝。

今振り返れば、私にも非があったかも知れない。

何しろ、その日、



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というカッコで行ってしまったんだわ、登録をしに。^^;

社会常識が欠如してたのね、アメリカボケで。中年営業マンの対応も、今なら理解できないこともない。

でも最近そろそろ、エージェントを避けては通れなくなった。ビジネス会議や取材・イベントなどの通訳だけではなく、国際会議やメディア通訳など、トップクラスの通訳に挑戦しようと思ったら、エージェントから逃げているわけには行かない。

どうしよう、登録しに行って、またあのオヤジが出てきたら‥‥





2003年03月14日(金) プレヴェール


思い出して バルバラ

あの日ブレスト街は ひっきりなしの雨降りで

きみは走ってきた ほほ笑みながら

衝撃的な出会いだった。ジャック・プレヴェールにはじめて出会ったのが、小笠原豊樹訳の「バルバラ」だったのは、運命的というほかない。

高校時代、まだ文学青年の雰囲気に憬れて、甘ったるい詩や短歌などを書いては、ひっそりと机の奥に隠し溜めていた私は、駅前の本屋で偶然、創刊されたばかりの、やなせたかし氏編集の「詩とメルヘン」を手にした。

やなせ氏の詩とイラストは、ちょっとメルヘンチック過ぎる嫌いもあったが、当時、現実逃避願望が強く、小さな幸せが満ちた、ふわふわした想像の世界にどっぷり浸っていた私の心に、強く共鳴した。

また、怪しい輝きを放つ味戸ケイコ氏のイラストには、魂全体を魅了され、絵が下手であるにもかかわらず、鉛筆書きを丁寧に消しゴムで消してまぶしい光を演出する、という手法を真似して、文庫のカバーや授業中のノートに、下手なイラストばかり書いていた。

そんなメルヘンの世界に混じっていたのが、ジャック・プレヴェールの詩のいくつかだ。
わたしはわたし いつでもこんなよ
こういう出だしではじまる「わたしはわたし」には、まったく今まで知らなかった女性のタイプを、はじめて読んだ。
好きなものには ウィといい

先生には ノンという
「劣等性」には、自分を重ねた。中年夫婦の倦怠を描いた「朝の食事」にも、何故か人生の真実を嗅ぎ取って共感した。

プレヴェールの詩は、心の奥底にある何かを激しく揺さぶった。詩を読んでこれほど感動したのは初めてだった。

なかでも「バルバラ」は、読んだ途端、涙がこぼれ、まるで自分も戦争の悲劇の中に、呆然と立ち尽くしている錯覚さえ覚えた。

ジャック・プレヴェールとはいったい何者なんだろう?ぜひもっと読んでみたい。

それから、彼の詩集を探しあるいて、神戸から大阪まで阪神間の本屋を巡る旅が続いた。

まだ高校生の私はフランス語を知らなかった。勉強している余裕はない。日本人による翻訳を探した。

ところが、詩とメルヘンに掲載されていた小笠原豊樹氏の翻訳本は、どこにも見当たらない。

何軒かを回ってやっと嶋岡晨訳の「プレヴェール愛の詩集」を見つけた。表紙を開けるのももどかしく、「バルバラ」を探す。
思い出してごらん バルバラ

あの日 ブレストには雨がしきりに降っていた

おまえは微笑みながら歩いていた
「ごらん」?
「しきりに降っていた」?

感動が涌かなかった。同じ詩を読んでいるのに、小笠原豊樹訳を読んだ時に感じた衝撃が、まったくない。力強さが感じられない。

「これは、俺が探し求めていたプレヴェールではない」
また、本屋巡りをはじめた。

やっと、北川冬彦訳が見つかった。現代国語の授業でも名前を聞いたことがある、有名な詩人だ。期待に胸弾ませ、ページをめくる。
思い出しておくれよ バルバラ
「思い出して‥‥お、おくれよ?」
失望は隠せなかった。これも違う。俺のプレヴェールではない。

その後、どの本屋を回っても小笠原豊樹に出会わない。

そうこうしているうちに、大学へ入学。ほとんどの級友は第二外国語にドイツ語を選択する中、私はフランス語を選んだ。プレヴェールを、バルバラを、自分の力で読みたい、たったそれだけの理由で。

その後、フランス語でバルバラを読んだかって?

「優」しか出さないという伝説のフランス語教師、仏(ホトケ)のホンダの授業で、人類史上初めて、「不可」をもらう学生となってしまった。

そのホトケのホンダ先生。カッコよくて、ちょっとエッチ。

だって、



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なんて、変な冗談言うんだもん (*^_^*)

先生はニヤリと、したり顔。学生は、シーン。みんな引いていた‥‥。

そのホンダ先生、私を哀れんだのか、プレヴェールに関する自分の論文のリプリントと、イヴ・モンタン朗読の「枯葉」のテープをくれた。このテープは、今でも私の宝だ。

その後アメリカに留学した時、ニューヨークに行って真っ先にやったのが、フランス語専門の本屋で、プレヴェールの「パロール」という詩集を買うことだった。

喜び勇んで、朗読する。

アペル…トワァ…バーバラ

私の発音のあまりの素晴らしさに、そばにいた女友達が、腹を抱えてひっくり返って笑った。

後日談として、とても残念なことがある。長い留学中家族に預けておいた「詩とメルヘン」創刊号からの数冊。人生でもっとも大切な宝の一つが、消失し行方不明になってしまったのだ。

ああ、青春よ、甘くてべっとり、勘違いの連続だった、俺の青春よ

どこで迷子になってしまったの?

*     *     *


文中、小笠原豊樹氏、北川冬彦氏の翻訳は、手元に原本が存在しないため、記憶の中から引用したものです。もし、間違っていればご指摘ください。

また、小笠原豊樹訳の「プレヴェール詩集」、および「詩とメルヘン」の創刊号からの数冊をお持ちの方がいらっしゃれば、ぜひご連絡ください。一体、何十年捜し歩いていることか。


2003年03月13日(木) レールスターで行こう

昨日の夕方、携帯に電話が入った。知り合いの広告代理店だ。

「明日、突然プレゼン会議があるんですが、通訳、お願いできないでしょうか?」
「ちょっと待ってください、いまスケジュールをチェックしてみます」

あ、あいてる‥‥翌日なのに ^^;

「はい、大丈夫そうです」
「それでは、2時から3時の会議ですので、よろしくお願いします。資料などはまた、出来次第メールで送ります」

という訳で、突然の出張になった。

こういうのは、いつものことで、慣れたもんだ。

早速、新幹線を予約する。

便利なのが、JR西日本の電話予約センター。クレジットカードを使えば確実に抑えられる。(ただし、キャンセルや2回目以降の変更には手数料がかかるのでご注意を)

まず、Webで運行時刻と空席状況をチェック。西に向かう時は、できるだけレールスターに乗る。だって、普通の「ひかり」と同じ料金で、「ひかり」より早く、シートは全部2列のグリーン車仕様なんだもん。これ、と〜っても快適。でも、みんなよく知っているねえ。レールスターの禁煙席だけは、何日も前から満席になることが多い。

新幹線でも仕事をしなければならない状況では、オフィスシートを確保する。パソコンや資料を置ける広いテーブルと、電源コンセントが利用できる。モバイルビジネスマンの心強い味方。でも、ドアを開けてすぐの席なので、人通りが気になる。また、通路側だと、後ろの席からパソコン画面が丸見え。というわけで、オフィスシートはできるだけ窓側を。

実は、レールスターには、料金は同じで、変わった座席タイプがいくつもある。一度乗ってみたかったのは、4人でひとつのテーブルを挟むコンパートメント。以前一度、同僚通訳者4人が、時間調整して同じ新幹線に乗れそうだったので、喜んで予約を入れたのだが、仕事の予定が変わってキャンセルになってしまった。残念。「美女」3人に囲まれて楽しい宴会になるはずだったのに‥‥。いつかぜひ乗ってみたい。

話は戻って。余裕を持ってレールスターを予約できる時は、何号車の何番何席と、「いつもの私の」席を予約するのだが、さすがに、今日のあした。サイレンスカーに席が空いているだけでもラッキーだった。ま、この日は、お気に入りの駅弁、水了軒の「八角弁当」を食いながら、資料に目を通すだけなので、席はどこでもいいんだけど。

ちょっと気がかりだったのは、通訳の現場で重宝していた電子辞書、セイコーのSR9200(リーダーズ + COD + Roget's Thesaurus + 広辞苑 + 漢字源)が、数日前に故障してしまったこと。運悪く、保証期間が過ぎてすぐ、液晶の表示ができなくなってしまったのだ。多分、リード線の断線の可能性が高いのだが、昨日修理のため宅配で送った。電話で説明してくれた女性は、無料になるかもしれないし、販売店を通さず直接送ってもらえると安く修理できますよ、と言ってくれたのだが。定価4万3千5百円の貴重な道具。一年で引退してもらう訳にはいかない。

いずれにしても、今回は一時間の会議だけなので、電子辞書は必要ないでしょ。ほとんどセミ同通だから、引いてるヒマもないし。頭の中に詰まった情報で十分さ。

って、その頭の中が、ときどきスカスカなので、怖いんだよ〜 ^^;;

さて、件の会議。いつもは、代理店側のプレゼンを、クライアント側の外国人幹部に、英語で通訳するというのが多い。クライアント側の発言は、英語も日本語も向こうサイドの通訳者が担当する。ところがこの日は、会議が始まってもクライアント側の通訳が現れない。なんでだろ?仕方なしに、ひとりで始める。

説明、プレゼン、休む間もなくしゃべる幹部、早口のスタッフ。ときどき、アクセントが分かりにくいイギリスかアイルランド出身の外国人。そして、メインのプレゼンをするのが、ガーピー雑音が耳障りな、テレビ会議システムで参加している担当者。

これらの人たちが、同時にふたりも三人もしゃべる。はぁ〜。カンベンしてよ。発言者は通訳なんかほとんど待ってくれないから、いきおい、同通になる。英語、日本語、行ったり来たり。それも、マイクなし、ヘッドセットなし、大量の雑音あり、テレビ会議参加あり。カブる、カブる。結局その日の通訳は、



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になってしまった。

普通、こういう状況が予測できれば、そして、外国人(あるいは日本人)のグループがひとりないし二人の少人数なら、外国人の隣に座って、日英はウィスパリング、英日は逐次というパターンが一番混乱が少ない。もし、受発信機システム(パナガイド等)があれば、片方向あるいは両方向を同通でやる。

今回は、成り行き、時間的制約、代理店・クライアント間の遠慮などの要素が絡み合って、ちょっと恐れていたパターンになってしまった。ただ、ビジネスの現場じゃ、この程度の悪条件、ぜんぜん珍しくないんよね。

なんだかんだ言いながら、3時間しか寝ていない頭をフル回転させて、ようやく会議も終了。部屋を出る前に、外国人幹部が、ニコッとして、
"Thank you. Thank you."
それを聞いて、ホッとする。

代理店の人たちからも丁寧に感謝され、ちょっと恐縮。この人たちと一緒に仕事をするのは楽しい。戦略、クリエイティブ、メディア・ミックス。わくわくする。

会議が終了するなり、駅に直行。通勤ラッシュに巻き込まれる前に、ペットボトルの温かいカフェ・ラテと梅干のおにぎりを買って、新幹線に飛び乗った。

もちろん、これもレールスター ^^)


2003年03月12日(水) 山の音 Redux


以前、川端康成の「山の音」とサイデンステッカー氏の名訳について話をした。

*       *       *

閑話休題: ところで、文章を書くとき、著者などの人物を指すのに、敬称ってつけるんだっけ?「さん」だとか「氏」だとか?普通、著名な作家、著者、政治家などには敬称をつけていない気がするんだけど?「川端康成さん」ていうと、隣のおじさんみたいだし、「川端康成氏」っていうのも、なんか同時代の一般人みたいで違和感がある。やっぱ、有名人は、敬称なしで「川端康成」ってのが一番ぴったしくるんだけど‥‥。サイデンステッカー氏はどうなんだろう?どうも、呼び捨てにすると怒られそうな気がして ^^;。それに、違和感がない。まだ、ご存命だし。文章作法に詳しい人、教えて下さい。

*       *       *

さて、その「山の音」。小文を読んだ知り合いの翻訳者が、マーク・ピーターセン著「続日本人の英語」にあった日英比較を思い出した、と感想を書いてきたので、久しぶりにピーターセン氏の本を開けてみた。そこで、ビックリ。

なんと、マーク(なんで呼び捨てやねん ^^;)、「山の音」のサイデンステッカー訳を読んで感動し、それがきっかけで、日本文学を志したと書いているではないか。

すっかり忘れていた。というか、記憶に残っていなかった。彼の本はぜんぶ愛読したんだけど‥‥。そうだったのか。

実は、私が「山の音」を手に取ったのは、故仁平和夫氏の論文集を読んで、非常に面白かったからだ。不勉強な私は、それまでこんなに素晴らしい翻訳者の存在を知らなかった。たまたま、山岡洋一氏の「翻訳通信」(http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/index.html)サイトを訪れて出会ったのが、幸運だった。

仁平氏は、川端康成の日本語らしい日本語と、サイデンステッカー氏の定評ある英語訳を比較して、いろいろと考察を加えているのだが、これがとても説得力がある。

そこで、私も、「山の音」と"The Sound of the Mountain"を材料に、素晴らしい日本語と素晴らしい英訳の勉強をしようと思い立った次第。もし、テキストを日英ともデジタル入力して、対訳をExcelなどで表示すれば、非常に使いやすくなるんだが。グループの勉強会でも作ればともかく、ひとりではできない‥‥。

もし、まだ仁平氏の論文を読んだことがない人は、是非一読を。


↑今日は時間がないので、これでカンベンしてね ^^;(エンピツ投票ボタン)
いや、目から鱗が落ちます。

「翻訳通信」サイトには、この他にも、翻訳について興味深い内容がどっさり盛り込まれているので、翻訳の勉強をされている方は、是非一度覗かれることをお薦めする。ちなみに、私はこのサイトとは何の関係もない単なる通りすがりの者で、山岡洋一氏ともまったく面識がないことを、ひとこと断っておく。


2003年03月11日(火) 帰国オヤジ

ところで、このコラムを書いている、Taro Who?なる人物。一体何者なのか?

雑誌の一行紹介風に書けば、

Taro Who?:
日本生まれ。アメリカの大学で15年間学び、研究し、教壇に立ち、数年前日本に帰国。現在は、通訳・翻訳をはじめ、異文化コミュニケーターとして活躍。

最後の「活躍」というところがミソだ。誰でもかれでも一応「‥‥として活躍」していることになっている。

ただ、



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なんていう紹介は願い下げたいものだが‥‥

そういう背景から、英語やアメリカのことについて尋ねられることが多い。

長くアメリカにいたということで、「帰国子女ですね」と言われることがある。

*       *       *

うーむ、「子女」ではない。アメリカに渡ったのはもう20代になってからだ。言語的にも文化的にも、「子女」になるには遅すぎる。もうしっかり、日本人としての自分ができていた。

帰国「子女」は、12〜3才までの言語能力形成期に、日本以外の国でまとまった時間を過ごした人のことを指す。

しかし、「帰国」組には違いない。実際、多くの帰国子女よりも外国生活は長い。それも、アメリカ文化にどっぷりつかって生活していたという事実を考えると、限りなく帰国子女的要素はある。

そこで私は、独自ジャンルを創設し、自分のことを「帰国オヤジ」と称している。

*      *      *

短期間の旅行・滞在者では、帰国オヤジになれない。もっと深く異文化で根を張って生活する必要がある。

それでも、英語やアメリカ文化はあくまでも、第二言語であり第二文化である。まったくのドメ(国内産)でもなく、英語ネイティブに限りなく近い帰国子女とも違う。帰国オヤジとは、ちょうどその中間くらいの、やや物悲しい存在だ。

ある年齢の大人になってから外国で長く生活し、その後日本に戻って来た人たちは、程度の差こそあれ、私と同じような経験をしているだろう。

ただ、私は中学生の頃から英語が好きで、ラジオ・テレビやテープ、新聞・雑誌などで生の英語によく接していた。

だから、大人になってから外国語を習得した平均的な人たちよりも、少しばかり英語の「勘度」が磨かれていた。

そういう意味では、普通の海外駐在帰りのおじさんたちよりも、多少は自然な英語が身についている。

それでも、やはり帰国子女のようにネイティブ並みにはなりきれない。そういう悲哀も、「オヤジ」という言葉にはこめられている。

*      *      *

帰国オヤジはトンボだ。何でもかんでも複眼を通して見る。

なまじ外からの視点で日本を見る習慣があるので、日本や日本人を観察していて、落胆することも多い。

しかし、精神の根底にはどっしりと日本人の魂が座っている。日本を馬鹿にする外国人を前にすると、まるで明治生まれのサムライのごとく、日本を弁護している自分に気が付く。

どこに行っても気が抜けない。

一方、わが身のおかれた状況を振り返れば、日本では今だに、やれアメリカナイズされているだの、変な日本人だと言われて、落ち込むことも少なくない。

外国に住めば、肌の色が違う、文化が違う、価値感が違うということで、疎外感を感じる。

コウモリの心境がよく分かる。

この落差は、まだあまり日本を知らない若い帰国子女達よりも、二つの文化の狭間で苦悩を重ねてきた、帰国オヤジのほうが大きいだろう。

*      *       *

つまり、私は、どこに行ってもキガヌケズ、日本の心にいつまでもコダワリ、異文化に囲まれてクノウする、

「キ・コ・ク・オヤジ」なのである。


2003年03月10日(月) こそばゆい感覚

さて、前回、"Let's enjoy your life."という、変な広告看板の話をした。

私はこの看板を見た時、すぐに変だと感じた。何か、こう、わき腹が、首筋がこそばゆく感じたのだ。

何故なら、今までにそんな英語を、見たことも聞いたこともなかったから。

あなただって、どこか外国の街で



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なんて看板を読めば、思わず吹き出してしまうだろう。

そう、英語が(あるいは日本語が)「自然かどうか」という一瞬の判断は、こういう「感覚」で決まる。その表現(あるいは表現パターン)を聞いた、見た、「原体験」の積み重ねがあるかどうかで決まる。その表現が「文法的に正しいかどうか」というのはまた別問題だ。

もし、"Let's enjoy your life."という看板を見て、こそばゆく感じるどころか、正しいのか間違っているのか考え込んだとしたら、あなたはまだ、「人生は楽しく行こうぜ」という状況での英語を、十分に体得していないことになる。理屈じゃない。感覚の積み重ね。

英語を、使って身につけていれば、ある状況を述べる時、似たような状況で体験した表現が「自然と」口から出てくる。

こういう話をするとすぐに、あなたは外国にいたからだ、という反論が返ってきそうだが、英語らしい英語とは、特に外国に行かなくても、相当レベルまで日本で学べるものだ。私も日本で英語を学んだ。アメリカでは仕上げをしただけ。そして、すべて「実体験」しなくても、「疑似体験」も「原体験」として有効である。

"Let's enjoy your life."のような英語が氾濫する――ひと昔前に比べて現在はかなり改善されたと思うが――のは、日本人の多くが、英語の「ルール」を知識として「学び」、日本人の論理・感覚で英語を組み立てようとするからだ。

これは、予備校などの受験英語勉強法の典型である。「先行詞が人だったら、who。モノだったら、which。最上級や序数詞がつけば、that」なんて考えていたら、会話が進みませんがな。コンマ何秒の判断、いや、反射神経で出てこないと。

そのためには、文法は文法として理解したら、例文というか、実際に使われている文章に大量に、厖大に接して、じわじわと体に浸透させ、とことん覚えこませる必要がある。これについて詳しくは、また別の機会に。

なんだかんだ書いたけど、この話は、最近の私にとっても切実なのね。日本で漫然と生活していると、英語もどんどん変な影響を受けてきちゃって。そこら中に氾濫する怪しい英語が、堂々と「原体験」に入り込み、感覚を麻痺させ、見ても聞いてもおかしく感じなくなってくる。相当ヤバイ。まだ、修行が足らんわい。


2003年03月09日(日) 人生を楽しもう

数年前に長い海外生活から日本に帰ってきた時、良きにつけ悪しきにつけ、どこを見渡しても驚きの連続だった。

そのひとつが、街で見かける看板、掲示板、案内板の類に書かれた「変な」英語。帰国直後は、それまでとの違いがとりわけ目につくから、思わず吹き出してしまうこともしばしばだった。

変な外国語といえば、アメリカにいるとき、ちょっとした日本語ブームのようなものがあり、漢字をプリントしたTシャツを着ている人を、街で何人も見かけた。なかでも、ある女性が着ていたTシャツには、思わず振り返って、胸元をまじまじ‥‥



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デカデカとプリントされ、大きな胸を包んでいる。彼女に、意味を知っているのかと声をかけると、知らない、教えてと言う。ちょっと困って、「特別な女という意味だ」と答えると、満足して人込みの中に消えていった。

さて、日本で出会った変な英語たち。
たとえば、大阪の繁華街で見かけた大きな屋外広告。

"Let's enjoy your life."

なんで「私があなたといっしょに」、「あなたの」人生を楽しまなくちゃならないの?

多分「人生を楽しもう」と言いたいのだろうが、それなら、"Let's"なしで、"Enjoy your life"くらいにすればいいのに。

ちなみに、インターネットで"Let's enjoy your life"を検索してみるといい。ヒットするのは、おそらく日本人のサイトばかりだ。

なぜ、こういう英語がまかり通るのか?

それは‥‥


‥‥また次回。


2003年03月08日(土) 英語ネイティブって誰?

週刊STという英語学習者向けの新聞がある。その2月21日号に、ひとりの読者が興味深い質問を投稿していた。

井上一馬氏が書いたある英語学習書に、“It's regretful that you lied to her.”という文があるが、“regretful”ではなく“regrettable”を使うべきではないか、という内容。

これは至極的を射た質問で、読者の指摘通り“regrettable”が正しい。

両者の使用法の違いは、接尾辞“-able”と“-ful”の意味を考えればすぐに分かるはずだし、正しい英語にたくさん接していれば、“It is regretful that...”という文章には違和感を持つはずだ。しかし、実際は英語ネイティブでも混同して使うことがある。

ちなみに、

regrettable:causing regret
regretful:feeling or showing regret
(出典:Webster's English Usage)

こういう間違いは、英語学習書、特に日本人が書いたものにはしばしば見られる。しかし、専門家でも間違うことはあり、それ自体大騒ぎすることはない。問題は、次に続く質問内容の後半だ。

質問者が出版社に問い合わせると、数人のネイティブがチェックしているので英文は間違っていないと著者から回答があった、という返事が返ってきたらしい。

間違いを指摘されてもすぐに訂正しないどころか、「ネイティブが大丈夫と言っているから」という理由だけで自説を正当化する。

もしこれが事実なら、語学教育者、著者としては失格ではないだろうか。また、もしまだ本気で自分が正しいと信じているとしたら、こういう人から習う英語は、はなはだ怪しいと言わざるをえない。

英語ネイティブといっても、100%正しい英語を使っているとは限らない。それどころか、よほど高い教育を受けた人か、言語に対する造詣が深い人以外は、しばしば間違った英語を使う。日本人だって、平均的な高校生や大学生の日本語をお手本とはしないだろう。

井上一馬氏って、たまに書店でめくってみると、内容的にはおもしろい本も書いていたと思うのだが、、、。

(文中、太字はコラムニストによる)


2003年03月07日(金) 「おずれ」と「緒ずれ」と敬語の「お」


ほとんどの日本人英語翻訳者にとっては、英日翻訳より日英翻訳のほうがはるかに難しい。

その理由として、英語での表現能力が限られるという事情だけではなく、日本語特有の微妙な表現をどう英語に移し替えるか、という課題もある。

たまたま、ノーベル賞作家川端康成の「山の音」を読んでいて、この後者の問題を痛切に感じた。

川端作品の多くは、第一級の日本文学研究者であるサイデンステッカー氏によって英語に翻訳されており、日本人以外の多くの人は、原文の日本語ではなくサイデンステッカー訳を読んでいるはずだ。

彼の英語訳こそが世界における川端文学であり、それによって川端康成はノーベル賞を受賞したとも言える。

さて、その「山の音」の英語訳の一部を検討してみよう。

*    *    *
「山の音」
川端康成 著

「加代がね、帰る二三日前だったかな。わたしが散歩に出る時、下駄をはこうとして、水虫かなと言うとね、加代が、おずれでございますね、と言ったもんだから、いいことを言うと、わたしはえらく感心したんだよ。その前の散歩の時の鼻緒ずれだがね、鼻緒ずれずれ敬語のおをつけて、おずれと言った。気がきいて聞こえて、感心したんだよ。ところが、今気がついてみると、緒ずれと言ったんだね。敬語のおじゃなくて、鼻緒のおなんだね。なにも感心することはありゃしない。加代のアクセントが変なんだ。アクセントにだまされたんだ。今ふっとそれに気がついた。」と信吾は話して、
「敬語のほうのおずれを言ってみてくれないか。」
おずれ
緒ずれのほうは?」
おずれ
「そう。やっぱりわたしの考えているのが正しい。加代のアクセントが間違っている。」

(太字はコラムニストによる)

*    *    *

この文章を英訳するにあたっては、二つの点で苦労する。

第一に、「おずれ」という単語には、二つの同音異義語の解釈が可能だということ。どちらも擦り傷を意味するが、敬語「お」がついた「おずれ」と、鼻緒を意味する「緒ずれ」の二通り。

第二に、敬語の「お」が持つ響きをどう表現するか。

ここで、サイデンステッカー氏の英訳を見てみよう。

*    *    *

The Sound of the Mountain
Translated by Edward G. Seidensticker


“That Kayo – I think it must have been two or three days before she quit. When I went out for a walk I had a blister on my foot, and I said I thought I had picked up ringworm. ‘Footsore,’ she said, I liked that. It had a gentle, old-fashioned ring to it. I liked it very much. But now that I think about it I’m sure she said I had a boot sore. There was something wrong with the way she said it. Say ‘footsore.’”
Footsore.”
“And now say ‘boot sore.’”
Boot sore.”
“I thought so. Her accent was wrong.”

(太字はコラムニストによる)

*    *    *

サイデンステッカー訳では、「おずれ」と「緒ずれ」を“footsore”と“boot sore”という二つの単語で韻を踏ませ、上手く表現している。

しかし、敬語の「お」が醸し出す古風で上品な言葉選びのセンスは、どこにも見当たらない。これでは何故信吾が感心したのか、加代の気がきいていると思ったのか、まったく理解できない。こういう微妙な味わいこそ、川端康成の真骨頂だと思うのだが、さすがにここまで英訳に盛り込むのは至難の業なのだろう。

また細かいことだが、「水虫」を“ringworm”と訳している。“Ringworm”は、足にできる水虫というより「田虫」「白癬」を指すので、言葉から受けるイメージが微妙に違う。

さらに、あまりケチをつける気はないが、“boot sore”(ブーツによる靴擦れ)から連想するイメージは、下駄の鼻緒による擦り傷とは多少ずれているのでは。

ちなみに、サイデンステッカー氏は、信吾が(靴ではなく)下駄を履いていたという事実には、まったく触れていない。多分、“foot”と“boot”で原文の韻を伝えるとまず決め、それに則って、下駄という事実を削除し、表現が難しい敬語の部分を省略したのだろう。

さて、サイデンステッカー氏の名訳について、畏れ多くもいくつかの指摘をしたわけだが、


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2003年03月06日(木) 英語通訳の極道とは?

Taro Who? presents...


アッと驚く
パンツも落ちる

おら、おりゃ
読んだらんかい!見たらんかい!

通訳、翻訳、英語に異文化
縦横無尽にコケまくる

よっこらせ

みんなまとめて
めんどーみたろやないかい

まじめな評論集です (ーー;;)

  *  *  *

「英語通訳の極道」とは?

「英語通」が「訳」した「ゴクドウ」の意味ではない


その心は、エヘン、


英語通訳の道を極めることにあり

(て、そのまんまか‥‥ ^^;;)

  *  *  *

英語通訳者として、シコシコ日銭稼ぎに精を出し
たまに、単価何銭の翻訳の内職で口を糊する作者が

ことばと異文化の諸相、はたまた
通訳、翻訳にまつわる疑問、珍態、悲喜劇について

無節操な想像力にまかせて展開する
大ケッサク、創造的迷コラム

  *  *  *

ホントウは、と〜ってもまじめな評論と大胆な提案、
役に立つヒントがわんさとつまってます。
(その予定‥‥)

乞うご期待!

(こんなことに時間使ってたら、メ、メシが食えなくなる〜
‥‥マジな話ね)

  *  *  *

批判、間違い指摘、情報提供、叱咤激励、すべて大歓迎です


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