リュカの日記

2005年11月30日(水)

俺は、そういう子がそういう事と関わる事があるなんて考えられない、と思っていた。その一方で、俺はそういう子を欲にしていた。
そういう子を妄想したり。
世の中が最低に汚く、ありえない事が存在しないくらいに「なんでもあり」なものとして、の可能性を考える事もあったと思う。
そして、それは、そういう子でさえそういう目に合わされる可能性を示している。そして、俺は興奮していた。高揚していた。
何でも少年に関連付けて。世の中の汚さ自体に欲情したりもしてたと思う。
俺は満たせない事が欝だった。そして、そういう子と関われるかも、と考える事が癒しであり希望であった。
そんな子と関われる、という事自体が考えられない事だったので。
そういう少年との関わりの可能性自体が、とても大きなものだった。
欲を満たせる可能性がまるでなし。その可能性に繋がるような事そのものが希望であった。
そして、そういう子に関わるものなら、どんなものでも「良いモノ」だ、と。どんな地域だろうが、どんな時代だろうが、そういう子が居るなら良いモノだ、と。そういう子が、そういう目に合わされる可能性も含めて、自分にとっては良いモノだ、としてたと思う。
そういう子に関連出来るなんて、良いモノ意外にありえない、と。
そういう子がそういう目に合わされる可能性が希望であり、「よし」としていた。
結局、俺が「そういう子に関する事ならどんな事でも認められる」としていたのは、単なる欲が始まりだ。
今とは真逆のものを求めていた。
でも、それを求める事が「正しくない」という事は自覚していた。
そして、「そういう目に合わないでいてくれたら」と、「正しいもの」を求められるようになった瞬間、関われる事になった少年は、皆そういう目に合わされ始めた。
俺の意識が変わる前の出来事だろうが、俺からしたら、意識が変わって、それを「よし」と希望に出来た瞬間壊れ始めた。
と、授業中、そんな昔の意識を振り返って考えていた。
「よし」としていたものが正反対で、『正しいもの』を「よし」とし始めた価値観の中で、そういう少年を強く求める意識も同時に「よし」とされていたのだけれど、その「よしとする強く求める意識」の発祥は、『正しくない欲意識』から生まれたものなんだ、と。
混在というのか、正しくないものから生まれたものを、正しく思えるよう唱歌した、と言えるのか。
「正しくない意識」から生まれた、「そういう子に関する何もかもが良いものだ」とする価値観が、「そういう子はそういう目に合うべきじゃない」と意識を変化させる要素にもなったのだろうし。

何か、こんな事を考えていると言い訳臭くて反吐が出る。
読み返してみると、そう感じる。
自分の持ってた不謹慎な意識を、「その意識のおかげで」と正当化しているようにも見えてしまう。ショタコン特有の卑怯さに通ずる。

俺が世の中の最低さを否定したい反面、どこか高揚してしまうのは、その頃の欲がまだ、意識のどこかに根付いているからなんじゃ、とも考えられる。
今日は午前5時前に目が覚めた。
学校に行くまで、少しサイト編集しようと思う。

そんな事を考えるのも今更に感じる。
俺がそういう子を強く求める気持ちの根源に、強い欲があったのだ、なんて事はとうの前から自覚してたし。
その上で、自分のそういった意識に対しては、まだ甘えもあっただろうし。
「俺がそういう子を好きな理由、求める理由」など。

今日の授業は1〜4だったけど、俺が授業に参加したのは3時限目からだ。
サボり癖がついている。
学校に居る間も、思いつめるような感じで色々と考えていたけど、家に帰ってみると、あまり記憶に残ってない。いつものごとく、少年や少年に関する事を考えていた。思い出したらまた吐き出そうと思う。
教室でズルズル鼻をすする奴が多くて、何度も何度も邪魔された。
家畜小屋みたいだな、と感じた。
豚みたいにフゴフゴフゴフゴ鼻をかむ。
まあ、所詮人間なんて皆汚い人動物なんだし、それらが集まるような場所は、家畜小屋と変わらないのは道理だな。
俺自身も人間だけど。
豚小屋、牛小屋に不潔さを感じる人間は多いだろうに、何故人間が寿司詰め状態になっているような場所に好んで集まろうとするのだろう。
俺の感覚ですれば、人間は物質として考えてもやっぱり不潔で、好き好んで人ゴミの中に紛れ込みたい、なんて意識は毛頭ないが。
マガジンで「神to戦国生徒会」だけは、静かな環境で読みたいからと、それだけ読まないままにした。

俺のサイトで俺を批判してきた固定が居たので、今朝家を出る前に煽り返しておいたのだが、
家に帰って自分のサイトの掲示板を見てみると、またそいつがダラダラと詭弁を弄して自信満々な態度で批判して着ているのが目についた。
糞女うぜぇ。
そいつの矛盾や詭弁全部崩して徹底的に打ちのめしてやりたいが、第三者に「お願いします、止めてください」と止められたので、こっちが引いてやる事にする。このまま言い返したら、こっちが悪者にされてしまう。
収入目的サイトでもあるので、評判が落ちてしまうのは致命的だ。
言い返したいのに我慢しなきゃいけないので、かなりストレスを感じている。そいつのレスなんて、俺からしたら突っ込みどころが満載なのに、これじゃまるで俺が言い返せなくて引いたみたいで本意じゃないけど。
あ〜、、、腹立つ・・
こんな奴、本当なら俺に対して負け惜しみの捨て台詞だけ履いて二度と現れなくなるか、逆恨み粘着に化けるくらいしか出来ないのがオチなのに。
それもそれで、「糞が」とストレスを感じる結果になるのは同じだけど。

マガジンを読んだ。
椋鳥君めっちゃ可愛い・・・

やっぱり、理不尽な意見に引き下がって我慢するなんてのも嫌だから、討論専用板を設置して、そっちで言い返す事にする。



2005年11月29日(火)

午前4時半過ぎに目が覚めた。
寝覚めは良かったと思う。
寝起きからいやらしい事や現実が浮かんできた。
それに対して絶望感を感じずに、萌えるような感覚しか沸いてこない。
自分はそういう風になっていくのだろうか・・と、モヤモヤとしたストレスを感じる。

もしも、そういう目に合わされていない少年と知り合えたとして、やっぱり、「この子がもしそういう目に合わされたら、この子はそういう目に合わせた奴らや世の中を許し、全てを受け入れ、『よし』としてしまうのだろうか」と、疑わなくちゃならなくなるのだろうか。
そして、それなら、この子は自分が求める存在じゃない、とも。

サイト編集で広瀬香美を集めながら聴いていて、少し気分が高揚してきた。
好きな曲が多いのだ。

学校の始まる時間になっても、サイト編集から離れられない。
学校に居る間も、ずっとサイトの事ばかりが気になって、残りわずかな学校生活を味わい、感じる事すらできなくなってる。
病気だな・・

最近、自分の性癖の混濁が強くなってきたように思う。
昨日は、女が陵辱されてるような動画で欲求処理を行ったし。
ショタコン動画だけは絶対に落とさない事にしているので。
自分の性癖の中では、綺麗な少年が郡を抜いて強かったのに、何だかそれぞれの性癖の強弱が平坦になってきたように感じる。
そして、またそれぞれがが持つ欲求の度合いがとても薄い。
少年に対するこだわりだけは残ってる。
なんだか気楽だ。不謹慎だけど。
現在午後12時20分。
そろそろ学校に行かないと。

今日の授業は2と3だったけど、3時限目だけ受けてきた。
授業が終わり、図書館に行った。
「ハリー・ポッターとアズガバンの囚人」を観た。
学校から帰る途中、頭を金髪に染めた男の子を見かけた。
小学生くらいだと思う。
サラッサラで、デスノートのメロみたいな髪型をしていた。
本当に綺麗な存在に見えた。でも、衝撃が薄い。
以前なら、苦しみとも取れる感覚が心に食い込んできたものなのだが。
小柄で幼い中学生なのかもしれないけど、もう俺の年になると小柄な子なのか小学生なのかの判断がつかない。
学校に居る間、考えていた事があったけど、眠さで疲れているのでハショる。目が覚めてから、気が向いたら書くかもしれない。



2005年11月28日(月)

0時00分。

0時01分。

2時48分まであと2分。

2時47分。

2時48分。

2時49分。
3日前まで22歳、一昨日まで誕生日、が過ぎてしまった。

こんな事にこだわって神経質になる俺はおかしいのだろうか。
親からはおかしいと言われる。
でも、子供の頃から欠かすことなく、毎年決まって数えてた。
誕生日のみならず、旅行や田舎から帰ったあとや何かの行事が終わるごとに、秒単位で数えていた。今は誕生日とクリスマスくらいになっている。
でも、クリスマスなどは、俺一人が被る行事ではないので、数えない時もある。

メッセの子の弟を悪戯した同級生が居る。
メッセの子の姉貴が復讐とし、そいつを血まみれのボコボコにした上で、そいつが下半身剥き出しの状態の写真を何枚もカメラに収めてやったそうだ。
サイト編集をしながら、そんな事を思い出していた。
もしも、その写真を実名と住所を明記した上でネット上などにバラまいてやったらどうなるだろう。そして、そいつが自殺でもしたら。
メッセの子の弟は、それが原因で学校も自主退学した。
そして、悪戯した奴が自殺するとして。
世間的には「う〜む、どっちもどっちだ」とでもするのだろうか。
そうやって、いかにも人情的に秤にかけたかのような物言いで片付ける。
そんな簡単な一言で片付けてしまう事が、世間的には「心地好い事」なのだろう。
「お前らの道徳ってどうなっとんねん!」と、憎さを感じた。
バラまいてやればいいのに。そして、そいつが自殺でもすればいい。
それでも全然足りないくらいだ。

現在午前5時3分。
今日はいつもよりずっと静かだ。
こんなに静かなのは本当に久しぶりだ。
いつもいつも、俺の思考の起伏に合わせて邪魔されるのに。
憎しみ感情で少し苦しくはあるけど、物事をしっかり意識し、考えやすい。

そういうタイプの少年の中で、悪戯されない子は居ないのだろうか。
もしも、俺と同じように、そういう子が悪戯されない事を願う奴が居るとする。そいつは、まだ、そういう子がそういう目に合わされる現実を知らないとする。
俺はそいつに現実を教える。
すると、そいつは苦しむだろう。
俺は、「で、もしそういう目に合わされてない子が居たらどうするんだ?そしたら、結局てめえがその子を汚すんだろ!」と思うと思う。
そんな事を想像していて、衝動的に「殺してやる!」と叫んでいた。

曲を編集しながら、聴いている。
歌詞の中には希望に満ちたものも多いと思う。
何でそんなにぬるいんだろう、と。
どうでもいいような日常的な嫌気を主題にしたものも多かった。
俺が自分で自分を否定していて、他のショタコン野郎が「そこまで自分を否定しなくてもいい」みたいな事を言ってくる。
そいつは、ただ俺が自分を否定する事が、そいつ自身が否定される事に繋がるから制するだけだ。自分が否定されたくないだけなのに、さも思いやりを持っているかのような態度で俺を諭す。
俺は「てめえ自身の否定に繋がるから堕落しろというんだろ?」と責め立てる。図星だったようで、その後そいつは俺に粘着を繰り返す。
少年を陵辱した犯罪者が逮捕されたという記事が出る。
ショタコン野郎は、「少年愛者が逮捕されるなんて、これほどの不幸があっていいのか」みたいな事をほざく。
また、俺が俺の知ってる少年を陵辱した奴を否定すると、ショタコン野郎共は、そいつを否定する俺を否定しにかかる。
自分が言われている訳じゃなくても、自分にも俺の罵倒が当てはまる、という軽いばつの悪さを拭うためだけに、その子を悪戯した奴の肩を持ち、賞賛する。そんな糞下らない理由のために、その子が悪戯された事を「よし」とする。これでもかってくらいに最低だ。
ショタコン野郎共の言動には、いかなるものだろうが全て、
「全部が全部てめえ自身のためだろゴミが!」
という言葉が適用される。
胸糞悪くてしょうがない。
下衆で腐ったゴミしか居ない。

少し前、自分のサイトページを、他サイトの人気サイトをランキング形式でリンクできるページに変えた。
それぞれのリンクには、そのサイトの名前と、向こうのサイトから何人来たか、こちらのサイトから何人向こうに出て行ったか、が表示される。
そうやって表示されるリンクを、設置している。
それを見ていた。
うちのサイトからリンク先のサイトに出て行った数が表示されてる。
「あ、出て行ったんだ」と、不覚にも、何だかそれが可愛く感じて笑えてしまった。掲示板を主としたサイトではないので、客は殆ど喋らない。
全ての行動が無言である。言葉は繋がらず、何を意図しているのかも理解できず、思考が読めない。
無言で入って、無言で出て行き、その不気味さがツボにハマる。
そりゃ、リンクを設置してたら向こうの方に流れていくのは自然だろうけど、何となく可笑しかった。

学校へ行ってきた。
今日の授業は1から4だったけど、俺は3時限目の途中から参加した。
中間テストだったようで、1.2年が前半、3.4年が後半、と30分ごとに分けて試験を受けるらしい。
幸い、俺は4年なので、遅刻しても後半の最初からテストを受ける事が出来た。
4時限目は普通の授業だった。
「2001年宇宙の旅」という映画の後半を上映していた。
授業中、ストレスなのか欲求なのか、眠さの影響もあったのか、耐えられない感覚に襲われる。感覚的に苦しくて、枕を抱きしめ叫び出したい衝動が出たけど、限界を越えたら引いてくる事を知っているので、もっと強まれ、と念じていた。そのうち、映画を観ている最中、いつの間にか少し意識が飛んでしまったのだが、それでも時間にして1、2分くらいの間だろう。眠さのせいだったのかな。
授業が終わり、図書館に行った。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」の続きを観た。
面白かったと思う。
観ている途中で、映画の最初から今日観始めた部分までを観ていた時、俺はまだ22歳だったんだ、という事に気づく。
22歳最後の日から観始めたのだ。
この映画は、22歳から引き継いだものなのだ、
観終わったら、そうやって継続したものも終わってしまう、と考えた。
でも、閉館までに映画を最後まで観続けた。
「THE END」の文字が出る寸前、画面の後ろに図書館の館員?をしている学生が俺の後ろまで迫ってきていた。「もう閉館だから」と切り上げさせようとしたのだろう。その瞬間に「THE END」の文字が出て、それを目にしたその館員は、踏みとどまり、俺に声をかける事もなく去っていった。
映画が終わり、図書館を出て家に帰ってきた。
現在午後19時27分。
とても眠い。21時間半くらい起きている。
頭もずっとフラフラだ。
ちょっとしたら眠ろうと思う。



2005年11月27日(日)

午前0時00分ジャスト。
終了。

午前0時01分。

あとは2時48分か。
胸の中がモヤモヤして気持ち悪い。
さっき感じたストレスのせいだろうか。
どうせ考えても散らされる、と。

現在午前2時48分。
「昨日まで誕生日」が終わるのを、せっかくだからケーキの残りを食べながら越そうと思ったのだが、ギリギリで足を角にぶつけて痛がっていて、間に合わなかった。

現在午前2時49分。
明日か明後日くらいまでこだわるかもしれない。

悪童日記を書き写していて、「乞食の練習をする」という話があった。
小学校の時、俺も乞食ごっこみたいなのしたことあったな、と思い出す。
マンション付近の道端に、ダンボールを敷き詰め「金くれ金くれ」と。
本の内容とは関係ないけど、書き写しながらボーっと少し考えた。
ショタコン野郎は、本当に、下衆で卑怯で最低だ。
少年を騙す時、搾取するためのものだけじゃなく、決まって自分の体面も保てるような芝居も打つのだ。
俺からしたら、「こいつは自分の恥にならないよう、体面を保つために演技している」というのがバレバレだけど、少年自身はそんな臭い芝居にまで騙される。
メッセの子と話していても、そういう体面目的の芝居にまで騙されている事が伺える時が多々あった。
「あの人は、別に男の子が好きという訳じゃないんですよ」みたいな事を俺に言ってきた事もあった。
そういう時、その度に俺はその子に指摘する。
「そいつは、〜だと思われるのが恥だから、欲を満たした上で都合の良いイメージを植えつけるために〜だという演技をしてるだけなんだよ」と。
メッセの子じゃなくても、俺が以前メガビで仲良くしていた2つ下の男の子が襲われた時も、襲ったジジイは「あれ?男?」と言って見せたのだという話を聞かされた。それでもかまわず、悪戯を続けた、と。
自分がホモだと思われたくないから、その子が少年だと分かっていながら、あえてくっさい演技をして見せた阿呆だという事に何で皆気づかないのか。

外で暴走族が騒いでいる。
スクーターで11台。
煩くてしょうがない。事故れ。

考え事をしている時に限らず、俺が少年を浮かべて欲求処理しようとする時も、決まって何かに邪魔される。
親父の吐き出す汚物の音に邪魔される事も多いのだ。
何度も何度も。
そのうち、親父が汚物を吐き出す事に興奮するよう、嗜好が曲がってくるかもしれない。さっき本を読んでいて、親父が用を足している音が耳に入り、下腹部がうずくような高揚するような感覚が沸いた。
認めないけど。
それは、自分のわずかに残っているプライドが許さない。
でも、そうなるのかもしれない。
いつもいつも邪魔されるから、そうなる可能性は意識にあった。
意識にあるから曲がるのだろうか。
そうはなりたくない。

現在午前10時12分。
今日もまた、朝方までかけてずっとサイト編集に没頭していた。
誕生日の前後くらい休まないと勿体無いような気にもなるけど、つい気になってやってしまう。
自給をもらいたいくらい没頭してるな。
一度何かに縛られてしまうと、いつもそこから抜け出せなくなってしまう。

一昨日まで誕生日、3日前まで22歳。
昨日で言うなら、「昨日まで誕生日、一昨日まで22歳」
イベントが二日に一つずつある。
でも、24日で言うなら、「明日から誕生日、明日から23歳」
イベントが一日に二つに集約されてる。

「一生誰とも付き合う事が出来なかったらどうしよう」
そういう不安が強かった。恐怖でもあった。
あの子が現れ、その不安からも開放されたような気になった。
でも、現実が俺に対してそんな甘い条件を許すはずもなくて、結局その不安は継続だ。どうしようもないのか。
現在午後14時45分。
そろそろ眠ろう。
サイトで掲載している広告を見ると、1400円の契約が取れていた。
先月からのサイト収入を合わせると、3180円だ。
さっきまで、「悪童日記」の編集をしていた。
以前は真剣に読んでいたけど、今読み返すとギャグに見えてしまうのはどうしてだろう。

自分の通っている大学が、大学付属の小学校までが同じ建物の中に一緒になっている夢を見た。大学の授業がある時は、小学校は閉校している。
小学校の教室に行き、どの席で弁当を食べようか、と考えていた。
小学校は、俺が通っていた小学校に似ていた。
午後22時過ぎに目が覚めた。
それから1時間ほど、布団の中でボーっとしていた。
今日で連休も終わってしまう。毎週連休なのだけれど。
連休初日が誕生日で、それに繋がる連休も終わってしまうんだな、と。
連休前日の、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を観た日が、22歳最後の日で。

あと2分。

あと1分。



2005年11月26日(土)

現在午前0時00分。
誕生日も終わってしまった・・
それなりに、普段よりも良い一日だったかな、と思う。
でも、殆ど寝てた時間の方が多かったので、殆ど味わえていないと思う・・
勿体無すぎる。
ここまで遅くまで眠ってしまった誕生日なんて、生まれて初めてかもしれない。
あと2時間48分経つまで、まだ終わってないけど。

現在午前2時45分。
あと3分で終わってしまう・・

あと一分・・

2時48分ジャスト。

2時49分。

本当に、誕生日まであっと言う間だったな。
そして、あっと言う間に終わってしまった・・

大学の方で、クリスマスの飾りつけをまだ見かけていないのが気になるところだ。
去年は文化祭の日には、すでに飾ってあったように思うのだけれど。
そして、誕生日の日にクリスマスの飾り付けを見ながら、「俺の誕生日は、世間的な祭りの期待にかき消されてしまうような時期なんだ」と、感慨に浸ったりしていたのを覚えている。
単純に、今年は見落としていただけだろうか。

「明日は誕生日」「今日は誕生日」はあまり味わう事が出来なかったけど、「昨日が誕生日」はたくさん味わえると良いんだけどな。
と言っても、今日もどうせ昼夜逆転で潰れてしまうんだろうけど。

誕生日の前後に限って、昼夜逆転が激しいな・・

サイトの方で、「悪童日記」の転載を始めた。
漫画「MONSTER」のヨハンとアンナの元ネタも、多分この小説だろうと思う。
書き写しながら、読み返す。
「どれだけ無感になれるか」を追求したような内容で、以前はハマったのだけど、今の自分が求めるものとは正反対のものに感じる。
この主人公、「リュカとクラウス」の表現する感情はとてもうそ臭い。
それが「嘘だ」とするような描写はないけど、心にも無い感情を口先だけで演じているような描かれ方をしてると思う。
昔、それらに自分を重ねる事も多かった。
こういった内容に傾倒していく事で、他人の痛みを感じない事への正当化にはなりそうだけど。

午後20時過ぎに目が覚めた。
しばらく布団の中でボーっとしていた。
求めるなら、そういう目に合わされた子の方が軽薄さがなくて良いんじゃないか。それで、そういう目に合わされた少年に対して希望に出来たら自分にとっても嬉しいんじゃないか。
みたいな不謹慎な考えが浮かんできて、その考えに浸っているうち、さらに気持ちまで高揚してしまった。俺が関われた子は、そういう目に合わされた子しか居ないから。だから、その考えは自分にとっての「都合の良い価値観」に位置づけられる。また、本来信じていた希望に対して反するものでもあるけれど。
あの子が理解してくれようとしたのは、自分自身がそういう目に合わされているからだ。
でも、俺があの子に対して希望を感じる事が出来たのは、あの子がそういう目に合わされていない上で、深く自分を理解してくれようとしているのだ、と思い込んでいたからに他ならない、という事を俺は知識として知っている。
もう実感が薄れて、〜風に感じている、というものが殆ど消え去ってしまったように思う。
結局、何も求めてはいけないんだ・・と、自分自身に対して喜びを求める事を許せる条件なんて、何ひとつ残されないまま。

しばらく、そういう目に合わされてない年下の子を頭に浮かべ、そんな子の彼氏になれたらな、と妄想していた。
そんな子と付き合えたら夢みたいだろうな、と。
でも、もし付き合えたとしても、そのうち関わり続ける事が面倒に感じられたりするんだろうな。
「そんな事は絶対にない」と以前は信じていたけれど、そういう子の存在を喜びにしてはいけないんだ、と薄れさせてしまった経験から、今はそれを信じれない。薄れさせて、関わる事さえ惰性になって。
以前は夢に感じられて、今さっきもそういう子と付き合えたら夢みたいに感じる事は出来たけど、実際にそういう(無価値なものとし薄れさせた)経験から自分の中で惰性になったし、もしそういう子と関われるようになっても、もう絶対惰性にしてしまう。
そんな事を考え、感じたままを日記にまとめようとしていた。
「頭に浮かべ」まで書いたところで、親父が家に帰ってきた。
凄いタイミングだ。いつもの事だけど。
それから、親父が洗面所でジャバジャバやってる。
いつもはここでキレる。
でも、今日は静かにやり過ごし、意識を持ち直す事に集中しよう、と考えた。親父はトイレに入る。
いつもなら、それでも5分もすれば、向こうのリビングに去っていく。
今日は誕生日が終わってまだ24時間経ってない日だし、くだらないストレスを感じるだけで潰したくない。
早く去れ早く去れ。
全然去らない。
「もしかして、俺が自分の意識を諦めて、ジジイに反応するのを待っているのか?」とも思えてしまう。静かに去るのを待っているのに、あまりにも長すぎる。
意識を留めておこうにも、時間が長引くと散ってしまう。
「早く行けよ」と思いながらも、まだ意識を留めようと試みる。
「ボェ〜、ボェ〜、グヴォア〜〜〜〜〜!!」
ゲロを吐く音が聞こえてくる。
俺が、珍しく静かに雑音をやり過ごそうと試みた今日に限ってこれだ。
そのまま、親父のゲロは十数分止む事がなく、結局、俺の意識は散ってしまった。
もう駄目だ。こっちまで吐き気がしてきた。
「俺まで吐きそうやわ!」と言ったところで、数秒してゲロは止む。
結局、親父は俺の心を挫く事に成功した訳だ。いつものごとく。
どれだけ俺の意識をてめえの汚い存在で満たしたいんじゃ!と頭の中で叫び散らす。
それから数秒して、親父はリビングに去っていく。
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
ああああああああああああああああああああああ!!!!!!
あああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!
俺が発狂したように奇声を上げると、「なんや!!!!」と逆ギレだ。
糞が。
「そんなのわざとやってる訳じゃない」とかいつも逆ギレしてくるのだが、少なくともこいつらは俺が意識を散らされる事に対してどれだけ不快に感じているかは知ってる癖に、それでもおかまいなしに強行するのだ。これでもか!ってくらいに。
なのに「わざとじゃないのに怒るお前がおかしい」なんてほざく資格なんてねえだろうが!!!
綺麗な事を浮かべても、心に来るような絶望を浮かべても、結局いつも潰される。
『しばらく、そういう目に合わされてない年下の子を頭に浮かべ、』までは実感しながら書いたけど、それ以降の文章はジジイに意識を散らされ散らされ、30分以上経った後に改めて思い出しながら言葉だけで書いた文章なので、そういう子の存在を意識しているような事を書きながらも、全く気持ちは入っていない。
俺って本当呪われてるよな!運命とかに。
吐き気も治まらない・・
もう持ち直せない。感じたものから潰される。
だから、何も深く感じられない。
せっかく、珍しく「もしもそういう子と付き合えたらな」みたいな妄想に、強くのめり込めそうだったのに・・・・
そこから色々考えたい事もあったのに・・・・・・・
いつも、感じたものを吐き出し切れた気になれない。
何で俺ばっかりいつもこんな神がかり的タイミングで何もかも潰され邪魔されしなくちゃいけないの?望んだものさえ、手に入りそうになった瞬間奪われて。そんなのばっかだ。
大きな事から細かい事まで。
まるで、俺に限っては、どんな類の事だろうが、思い通りになる事自体が『悪徳』みたいな。たとえ少年が汚されない事を望んでも、俺が望むならそれは悪か。
だから天から見下ろす神様が、慈愛のため正義の心から阻むのだ、ってか?
神様からしたら、俺が絶望から救われる事は悪で、正義の心で中年野郎を使い少年を犯させ、俺が気持ちを和ませるなんて"最悪"から人々を守る。
これで秩序は保たれた。めでたしめでたし、いい話だな、ってか?

自己憐憫じゃないけど、悔しくて自然に涙が溢れてくる。

「昨日まで誕生日」が終わるまであと1分。



2005年11月25日(金)

なんか、24日の内容が連投された状態になり、25日になってから書いた日記が消えてしまっている。
こんな日に限って・・
何の呪いなんだ、と思う。
しょうがないから、さっき書いた内容を思い出しながら書き直す。
もう、殆ど覚えていないけど。
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現在0時00分。
法律上では23歳。
午前2時48分で、実質的にも23歳。

0時19分になり、久しぶりにメッセの子からメールが来た。
HAPPY BIRTHDAY!という着メロが添えつけられていた。
やっぱり覚えていてくれてたんだな、と思った。
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こんな内容の事を書いていたと思う。

PCでサイト編集をしながら、携帯の方でしばらくメッセの子とお喋りしていた。
現在2時22分。
23歳になったんだ、という実感がまるで無い。
誕生日なんだ、という実感も。
実際は、あと26分あるけれど。
さっき書いた日記が呪いによって消えてしまって、何だかすっかり興醒めだ。
こんなに日にちに対して神経質になっている今日に限って、こんな事になったけど、日々そういう運命とかから嫌がらせを受け続けている俺に限っては、別に珍しい事でも無いのかもしれないけど。
普通で言えば奇跡的な確率だけどな。
去年、誕生日当日にPCが直ったのは、次の年(今日)の分からツキを前借されたんだ、と考えれば良いのだろうか。

現在2時48分ジャスト!
もう完全に23歳だ。
多分、明日もカウントすると思う。
明後日も。

完全に23歳だ。
なんか信じられない・・
全然実感も何もなくて、自分の蚊帳の外の出来事のように感じられる。

現在2時57分。
さて、またサイト編集に取り掛かろうか。

一昨年の誕生日にあの子にもらったタイタニックのMIDIを聴きながら作業していた。誇らしさや希望、人生の転機を表現するような音楽だ。
そんな気持ちにさせてくれるような音楽なのに、ズンと何かが全身にかぶさるような、切ない気分になってきた。

現在午前6時48分。
ずっとサイト編集をしていた。
前からの続きで怖い話を40話編集し、200話揃ったのでまとめてUPした。
疲れたのでもう眠る。

結局、11時半頃まで眠れなかった。
楽しい夢を見た気がする。
午後19時45分になって目が覚めた。
寝起きからどうしようもない気分になった。
寝ている間も、タイタニックのMIDIはかけっぱなしにしていた。

息が詰まるような、モヤモヤムラムラしているような、たまらないような、締め付けられるような、高揚しているような、沈んでいるような、そんな訳の分からない感覚がずっと憑きまとっていて落ち着かない。

晩飯はすき焼き風鍋を食べた。
母親が朝家を出る前に弁当を作っていた。
俺は眠ってしまって食べていないのだが、今日中に食べろとの事。
でなければ腐ってしまう。
誕生日に出されたものなので食べなければ、と思うのだが、食べる気が沸いてこない。
晩飯を食べた後で、さらに朝に作られたものだし。
現在午後21時44分。
もう悪くなっているだろうけど、今日中に食べないとな。

この落ち着かない気持ちは、誕生日だというのに殆どの時間を眠って過ごし、目が覚めた後でもボーっとしていて、このまま何も味わえないなんて・・、という焦りが現れたものかもしれない。
現在午後22時15分。
とりあえず、今からGyaOで「らぶげ」でも観ながら、勿体無いので頑張って悪くなりかけた弁当を食べようと思う。
母親がケーキも作ってくれたみたいなので、それも今日中に食べないとな。

らぶげを観ながら弁当を食べた。
ご飯もパサパサになっていて、食べてて吐き気をもよおしてしまった。
せっかくの食べ物なのに、そんな風になってしまった事が悔やまれる。
これなら、今日寝る前に弁当だけでも食べておけばよかったな。
寝る前に、知り合いにサイトのデザインをやってもらえた。
今日は、両親以外じゃ、メッセの子、サイトデザインのその知り合い、メガビのさなえちん、サイトにアクセスしてきた客の合計4人に「おめでとう」と祝ってもらえた。
起きてないと勿体無いけど、頭がボーっと眠くなる。
現在午後23時00分。
まだ24時間前までは、もう二度と戻れない22歳。

あと1分で終わってしまう・・



2005年11月24日(木)

久しぶりに風呂に入った。
あ〜、ついに22歳最後の日が来てしまった・・
全然実感沸かない。
まぁ、来年になったら23歳を惜しむんだから、今は23歳になる事を拒み22歳を惜しんでも良いか。

ナイトメアというバンドの着うたを50曲追加した。
作業が終わり、何だか心地良いような気持ちになった。
良いな、この感覚。

朝方までかけて、またサイト編集に没頭していた。
歳を取らない病気にかかった人間、をテーマにした小説を編集していた。
22歳最後の日なのに、この昼夜逆転直したかったな。

昨日の祝日の名は「勤労感謝の日」だそうだ。
どうやってアクセスを伸ばし、広告を踏ませるかと、サイト更新がシュミレーションゲーム感覚になってきたような気がする。
タバコを買いに外に出てきた。
長い間外に出ていなかったのだが、知らない建物がいくつか建って、街の風景が変化していた。
コンビニでGANTZを立ち読みしてきたのだが、来週からが楽しみな展開になってきた。
現在午前9時21分。
授業が始まるのは午後14時50分からだ。
今から眠ろうと思うのだが、14時にセットした目覚まし時計を2つ置いておく事にした。
22歳、通常の大学生年齢最後の授業、ちゃんと受けられないと一生悔いが残るだろう。
なんか、今日は気楽だ。
こんなに気楽で良いのだろうかと意識に止めるが、俺もいい加減になってきたし、今日と明日くらいは気楽で良いか。とか思う。
4時間くらいしか眠れないけど、2時にちゃんと起きれるといいな。

午後14時頃に一度目が覚めたのだが、そのままウトウトして、いつの間にかまた眠ってしまったようだった。
午後15時半前に目が覚めた。
そこからグズグズしてしまって、結局学校に着いた頃には午後16時50分を過ぎていた。
最後の授業だったのに、結局出席する事は出来なかった・・
図書館で「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」の続きを観た。
次に、「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」を途中まで観た。
とても面白かったと思う。
閉館時間になり、図書館を出され、そのまま家に帰ってきた。
現在午後19時9分。
とても眠い。

何を信じて判断するか、がハッキリしている様を"しなやか"だと表現している文章を、ここ最近立て続けに2つ目にした。
「腑抜ける以前は、無様だけれどしなやかだった」と。
ああいう感覚をしなやかだ、と表現するのか。
自分の中で、心底「その選択以外ありえない」という事がハッキリしていて。
また、その感覚を取り戻したい。

眠さで頭がフラフラする。
22歳最後の日だなんて、全然実感が沸いて来ない。
眠りたい欲求の方が強くなる。
でも、生まれた時間である、25日の午前2時48分までは起きているつもりだ。
この歳でこんな風にカウントにこだわっているのは痛いのだろうか。
でも、たとえ気持ちが入らなくても、こうやってこだわっていないと気が済まない。
このあたりがアスペっぽいと自分でも感じるけど。

あと1分!



2005年11月23日(水)

22歳もあとわずかなのに、サイト編集の事ばかりが頭の中を占めてしまう。
他の事を考えられない。
厭だな。

GyaOで「スイート・ムーンライト」という映画を観た。
内容は、香港からやってきた中国人4人による、東京を舞台にした恋愛模様だ。そこそこ面白く観れたと思う。
観ている間、恋愛について自分に重ね合わせながら考えたりして、どうしようもない気持ちにもなったけど。
どうせ邪魔されるんだからと、映画を観終わってからは何かを考える気も沸いてこない。

サイトの方に、俺がネットで見つけたウェブ小説を掲載する事にした。
常日頃から俺が感じている怒りに共鳴するような、どぎつい指摘、精神描写を含むものを選んでいく。
指摘すると、指摘された奴らが「何を言っているのか分からない」とはぐらかす類の事を、ちゃんと「こいつらははぐらかすけど、実際こいつらはこうなんだ」と読者に感じさせるような内容だ。
その中のひとつに、「主人公が母親に性器を切り落とされる」という内容の話があった。
その展開になる以前の内容に、結構心に来る心理描写があったのだが、こんなに酷い残酷表現があるんじゃ載せる事に踏み切れない。
携帯サイトなんてアクセス数が半端じゃないのに、もしこれを読んだ奴のうちの誰かが、最低にも考えなしに、面白がって弱い立場にある少年に対して同じ事をしたらと考えると、やっぱり載せない方がいいかもしれない。

折を見て、「悪童日記」も掲載していこうかな。
これは、自分で本を見ながら打ち移す事になるから大変だけど。

3つくらい夢を見た。
午後18時半に目が覚めた。
寝起きからまた少年の事が浮かんだ。
そういう奴らはタイプの少年から蔑まれるべきなのに、ハァハァと卑しく興奮しているそういう奴らに、抵抗もできずに犠牲にされる尊い少年。
そして、信じられない事に実際にそういう奴らに舐められたり触られたりしているんだ、と。
そんな事が淡々と頭に浮かぶ。
例え思考だけとはいえ、以前なら言葉にするだけで苦痛が伴うような現実だ。
こういう現実を淡々と何の感情も込めずに喋る奴らを見る度怒りを覚え、それを語る際に苦痛を伴わないなんて信じられない。自分は絶対そうならない、と信じて疑う事もなかった。
なのに、今の自分はこういう言葉を淡々と頭に浮かべてしまう事の方が殆どだ。
どんどん自分が変わってく。

寝起きから色々とまとめようとしたのだが、周りの雑音は俺の思考の起伏に呼応しているようなタイミングで邪魔をする。
呼吸をさせない。
だから、納得いくまで何度でも、頭の中で同じ言葉を繰り返す。
何も伴う事がない、ただの言葉になっていく。
何かを意識の中でまとめよう、としてみても、それに伴う感慨を味わう事も出来なくなる。



2005年11月22日(火)

もう誕生日まであと3日か。
本当にあっと言う間だ・・
昨日夕方に起きてから、あまり何かを考える事をしなかった。
淡々とサイトの編集作業だけを続けていた。
ずっと頭に、マガジンに出てきた椋鳥君の姿が意識に浮かんで離れなかった。
萌えるというのとショックというのと。

考え事を始めるたびに、神がかり的なタイミングで邪魔される。
毎時間毎分、時間を問わず。
こっちが止めてくれと頼もうものなら、完全に心が挫けきるまで割り込み潰す。
邪魔される度に考えて、その起伏を考慮し秒単位でまた邪魔されて、ストレスで気分が悪くて吐き気がしてきた・・

あはははは
もう笑うしかねえ・・・

もういいや。

お前ら全部に負けました屈服します。

午後17時前に目が覚めた。
今日の授業は2時限目と3時限目だけだったけど、やっぱり寝過ごしてサボってしまった。昼夜逆転だ。
一応午前9時頃までは起きていたのだが、眠さが強く甘えが出てきて眠ってしまい、さらに13時台にも一度目が覚めたのだが、そのまま二度寝してしまった。
22歳という、本来での大学生の年齢としての学校生活も後わずかで、最後くらいちゃんとやりたいと思いながらも、自分に甘くなって眠ってしまった・・
最後の1週間だったのに・・
先週も殆ど学校に行っていなくて、今週も月・火と行っていない。
明日は祝日だし、もう木曜しか残っていない。
木曜は4時限目の精神保健学で、授業は1つしか無いけど・・
俺が授業を取っているのは月から木で、22歳が終わるまでの時間にこの月から木が含まれている、と安心していたのだが、自分で無駄にしてしまった。
それまでに、せっかく1週間ちょうどあったのに。
月から木の授業を受けて、金で22歳が終わるんだ、とキリが良かった。

昨日ジャンプを買って先週までのマガジンを読み終え、今日マガジンを買って昨日のジャンプを読み終えた。
出てくる少年キャラクターなどに萌えて、高揚するような気持ち、感覚になってしまう。
不謹慎だとか、そういう感覚が世に存在しているために現実に犠牲になってる子が〜、という強い意識や抵抗感が沸かなくなってしまっている。



2005年11月21日(月)

あの子が現れた時、この子は日常を感じさせてくれる存在だ、と感じた。
非日常的な現実に対する苦しみから、一息付かせてくれるような存在だ、と。
日常を感じさせてくれる日常的な価値観を持った少年。
それでいて、自分の中で特別視できるタイプに分類された年下の少年。
日常的な感覚から来る言葉に癒される。
そんな目にさえ合ってなければ完璧だったんだけどな。

ついでに「名探偵コナン」の曲も追加した。
コナンは本当に良い曲が多い。
聴いててノストラジックで切ない気持ちになってくる。
GARNET CROWとか大好きだったな。

ネットを始める以前と以後でも、やっぱり自分というものは違っている。
始める以前、俺は誰に対しても自分の内面を吐き出す事をしなかった。
自分にとっての自分とは、自分が周囲に認識させている人格が主となる。
それ以外の、内面に深く結びつくようなものは全て自分に対しても隠し事。
俺が自分はどんな人間かとイメージしても、ノーマルなそれ以外はありえない。「自分は何も後ろ暗い事を持たない、周りと同じ普通の人間なんだ」と、自分に対しても言い聞かせていたように思う。
ネットを始めてからは、色々ななところに内面を晒す。
自分に対する認識も、周囲が感じるそれとは違う。
以前、俺は周りから見た自分というものを認識してた。
人付き合いが殆どないので、主に家族に対してだけど。
今は、家族に対して、自分をどう印象付けているか、という意識がまるでない。ただ、自分がどういう人間なのか、を言わないだけで。
例えば、母親から見た俺というのは、ネットで吐き出す以前の姿の継続だ。
でも、俺自身の内面は、それ以前とはまるで違う。
家族に対する認識、というのも変わっていった。
というか、それ以前の自分が送ってきた人生、というものに対し、まるで実感を持てなくなった。知識としての記憶はあるけど、意識を持ってた実感というものが無くなった。
色々吐き出すようになってから、自分の意識の中に篭る事が増えたと思う。
周りの環境というものに、殆ど目を向けなくなった。
今、母親から見る自分というのはどうなんだろう。
吐き出す以前、自分の意識と、周りの認識、この二つにそれほど食い違いは無かったと思う。
でも、今はちぐはぐだ。
そんな事を考えていて、変な気持ちになってきた。
家族が生活している事さえ、物語の中の出来事のように感じてしまう。
今感じているこれは、後ろめたい感覚なのかな。
身近な存在として、まるで意識に留めていない。
周りの認識は変わらないのに、自分の意識だけが変わってしまった後ろめたさ。
それを知らせる事もないまま、ほったらかしだ。
この4年間、俺からしたら時間の流れも違ってしまって。
なのに、家族にとったら継続だ。

泣いて命乞いする少年を、笑いながら殺す奴らも居るんだろうな。
少年を悪戯するような奴らも、そういう奴らと同じ類だ。
殺す奴らも犯す奴らも、それに対して感じられる陰鬱さでは同じくらいか。
平気で尊厳を踏みにじる。
平和な日常で生活していたそういう子が、そんな奴らに巻き込まれ、助かりたいのにおかまいなしに陵辱された。

今日は午後16時20分頃に目が覚めた。
また寝坊でサボりになってしまった・・
22歳、最後の月曜の授業だったのに。

本当、後は歳を取ってくだけだな。

先週の水曜に買ったマガジンを、まだ半分も読んでいない。
少しだけマガジンを読んだ。
神to戦国生徒会の表紙が、1周年記念でカラーポスターになっていた。
椋鳥君が水着姿になっていたのが、なんか衝撃的だった・・
神to戦国生徒会を読んでる途中で、弟が帰ってきて、俺に話しかけてきた。
せっかく話にのめり込めていたのに、と邪魔された気持ちになった。
弟が言うには「さっき中間テストだったんだけど、カンニングがバレて今年の単位が全部白紙にされてしまった。留年確定だ」との事だった。
まだ親には話していないらしい。
俺に対して「学費は払わん」と言っている親なので、どう出るのか少し楽しみに感じてしまう。
弟も留年なので、どこか安心感も持ってしまう。
でも、弟は国立大学なので年間50万。
俺は私立なので年間100万。
50万ならなんとかなりそうな額にも感じるんだけどな。
まぁ、昔から俺に「弟だけ産めばよかったのにな」と思わせるくらい、兄弟差別が激しい両親なので、弟に対してまで「払わん」という事はまずないだろうが。
という事は、俺に対して「払わん」とする真っ当な理由も失う訳だ。
それで俺の留年分も親が払う、となればいいんだけどな。



2005年11月20日(日)

誕生日まで後5日か・・
こんな風に拒んだら、せっかくの誕生日に対して酷いような気もするけれど、
過ぎ去っていく自分の年齢にも惜しむ気持ちが出てしまう。

俺はメッセの子に対して、自分が何にどう悩んでいるのか、を殆ど出さない。
でも、あの子はメッセの子と同じように年下のそういうタイプの存在なのに、まだ性癖の事で悩んでいた頃から俺の事を知っていて、さらに何についてどう悩んでいたのかもリアルタイムで知っていて、それだけじゃなく好きにまでなってくれていた。
俺が相手の存在を知った時期、というのはあの子の方が遅いけど、向こうが俺を知った時期、というのはメッセの子よりも早いのだ。
その上で、これだけの違いを持っている。
自分にとっての拠り所にできる理解者、としてこれ以上ないくらいに最適だ。
でも、そういう目に合わされているので、自分の中で「よし」と感じて心を開く事さえままならない。
本当に、「それさえなければ・・」と無念で無念でしょうがない。

今日は午後17時半頃に目が覚めた。

今朝方寝る前、知り合いにサイトのデザインをやってもらった。
その後、その知り合いの周囲の環境などを聞かされた。
自分は暴走族をやっていて、友達が殺された事がある。とか。
自分の地元と大阪で抗争になって、何人か死んだ奴が居る。
女を送りに行くと言ったきり戻ってこなくて、実は自分たちがもめてる奴らに殺されていた。車で轢かれ、頭は潰れ、胴体は千切れかけていた。
その場に居合わせた女は失明し、後日自殺した、とか。
自分のチームが族関係の女を拉致ってボコボコにした上、集団でレイプした。その後太ももをシャープペンで刺したり、挙句の果てには一緒に来ていたヤクザが道路標識を持ち、女の頭目掛けてフルスイング。しかも縦に。道路標識が頭にザックリ刺さった。
一命は取り留めたものの、植物状態になったらしい。とか。
自分の父親は元ヤクザの直参で、父親の当時の兄弟分は今でも自分に良くしてくれるけど、実は今までに3人人を殺している。
一人目は殴り殺し、二人目はツルハシで頭を砕き、三人目は半殺しにした上で生き埋め。
俺が「殺された人間たちは、そこまでされるような事をした?」と質問すると、「ヤクザの世界では日常茶飯事なんじゃないですかね」と言われた。
そんな話をたくさん聞いた。
今さっきサイト編集をしながら、今朝聞いたそういう話が頭に浮かび、色々と関連付けられ少し陰鬱な気持ちになった。

辛くて辛くてたまらなかったから手放す結果になった思い入れを、また取り戻すなんて事が出来るのだろうか。
昔と違って、もうそういう子が当たり前のようにそういう目に合わされる、という現実を知っている。
もう、「綺麗な存在なんだ・・」と絶対視する事が出来るなんて思えない・・
しかも一度は手放したのに、自分の中でも「今更」となってしまっている部分も強くなる。
こんな滅茶苦茶な状態で、毎日毎日、自分自身に納得いかない。

サイトの方で「着うたでジャンプ系のアニメソングを増やしてほしい」というリクエストがあった。
とりあえず「るろうに剣心」の曲を集めてみる事にした。
収集曲を聴きながら、PCでるろうに剣心のアニメを集めていた頃の心情が、少し蘇ってくる感じになった。
俺は漫画やアニメの世界観というものに癒しを求める。
毒も少なく、人生が良いものに感じられそうになる事が多いからだ。
アニメを見ながら、本当は色んなものを「よし」とできたらいいんだけどな、と感じる事が多々あった。
明治時代の街並みや文化も新鮮で。
でも、現実にそういう子がそんな目に合わされてるのに、世の中や人生を「よし」と感じてしまうと、そういう少年に対して申し訳が立たなくなってしまうような気になって、抵抗していた。
申し訳が立つような条件を得られて、「よし」と和めるようになれたなら、どんなに気楽に生きられるだろう、と。



2005年11月19日(土)

2年ほど前にも訪れたけど、ここのブログに載せられているお勧め本が「悪童日記シリーズ」と「世界の果ての家」となっている事に、さっき気づいた。
本人は28.9歳くらいのオバサンらしいのだが、俺が好きな本をあげろと言われても「世界の果ての家」と「悪童日記」をあげるので、少し不思議な気持ちになった。
名前も「リュカ」
リュカと地雷(仮)
以前このサイトを訪れた時、TOPの曲がとても気に入ったので教えてもらった。その時は、ややこしくなりそうだったので「ファン太」の方の名前を名乗った。
でも、少年が粗野な同性愛者の男にボロクズのように扱われる映画を推奨しているので、そこが気に入らない。
以前このサイトを訪れた時は、あの子にあの話を聞かされた直後の傷心していた頃だった、という事を覚えている。
TOPの曲も変わっていない。

良い曲だな。

そういう目に合わされてしまった少年だから、その問題について話す相手としては適さない。
それとも、そういう目に合わされてしまった少年だからこそ、それについて語る相手として適すのか。
分からなくなってくる・・
何考えてるんだろう、と思う。

GyaOで「 私は『うつ依存症』の女」という映画があり、タイトルから興味が出たので観る事にした。
実話を再現した話らしい。
なんというか、観てて息が詰まってきた。
大学構内を歩きながら、苦痛で意識が朦朧としている場面など、自分も同じような事が多々あったので、当時のストレスを思い出す。
この主人公の持つ欝の原因が何なのか、はよく分からない。
しいて挙げるならば、母親から寄せられる過度の期待が重圧だったとか、そういった日常的なものらしい。
俺とは原因が違うから、そこまで共感できるようなものでもなかった。
その代わり、毒にもならずに済んだけど。
主人公は大学生でありながらも、アマチュアのライターだ。
大学に入学する少し前から、話は始まる。
自分の考えた事、感じた事、欝についてを頭の中に書いている。
ここらへんが、時期的にも日常的にも自分に重なる。
ラストあたりで、カウンセラーからの薬の投与で、欝が治まる。
主人公は「自分はめちゃくちゃな性格だけど、それが自分。今の自分は自分じゃない!こんなの薬で作られた人格よ!」と嘆く。
それまでずっと苦しんでたのに。
カウンセラーは「でも、その人格に慣れていかなくちゃ。それとも薬をやめる?」と問い返す。
主人公は答えず自分の手首を切ろうとするが、結局切らずに踏みとどまる。
これは個人的な脳内捕捉だが、欝が治まり手首を切るに値するほどの衝動がない、また薬を止めて苦しみがぶり返すのが恐ろしい、だから薬を止めるつもりもない、どうしようもない、というような心理状態だったのかな。
さらに、カウンセラーは「人格は変わってしまうように感じるかもしれないけど、この薬は一息つかせてくれるためのものなの」と説明を加える。
主人公は納得いかない様子だけど、それを受け入れ映画は終わる。
ここら辺も自分と重なる。
ただ、俺は自分が変わるのを受け入れないけど。
それでも、いつも楽な方へ楽な方へと逃げてしまう。
自分じゃなくなってしまう事への抵抗がありながらも、抗欝剤を離せない、この主人公と同じだな。
自分が偽者になってしまうような不安感。
それまでの自分の言葉も、全て嘘になってしまうのだろうか、という気持ち。
俺は自分以外の欝を抱えた人間を、それほど知らない。
苦しみが消えれば消えたで、皆共通してそうなるのかな。

以前は授業には集中できないけど、欝には集中できる。
むしろ欝に阻まれるから勉強できない、だったのに、
今は欝には集中できないけど、授業には集中できる、となっている。
ノートを取りながら欝を意識し、意識が散ってもノートだけは取れている、と。
もう、苦しみが薄くて、ちゃんと授業を聞いているのを拒む理由に出来なくなって、勿体無く無いようちゃんと大学生活を満喫するんだ、と言い訳しているだけかもしれない。
いや、やっぱり以前から普通に授業を楽しみたい、という気持ちもあったと思う。高校以前より、興味深い授業も多い訳だし。
ただ、他の事に意識を傾けたりする事が、知った現実に対して不謹慎に感じられたので抵抗が出て。
本当はちゃんとやりたかった部分も強かったように思う。

今週はキツく感じる事が多くて、水曜に買ったマガジンをまだ半分も読んでいない。いつもはその日のうちに読み終えるのだが。
読み始めてすぐ、厭な意識にさいなまれて放り出す、の繰り返しだった。

午後20時前に目が覚めた。
「現実にそういう子がされてる世の中なんだ・・」と意識され、寝起きから気分が沈んでモヤモヤする。

ずっと気分が沈み続けている。
現在午後21時49分。
両親も早めに眠った。
起きた時間や沈み具合の影響か、今の時刻が深夜のように感じられる。
ダルい。
もう何もしたくない。

7日ぶりくらいにメッセの子からメールが来た。
その子はボブ・サップの大ファンなのだが、自分の治療にかかっている先生が、業界では有名で、スポーツ選手の治療も受け持ったりするらしく、そのコネでボブ・サップから自分の名前入りサインを貰えた、と大喜びしていた。
それで、英語でお礼の手紙を書く事になった、と。
久しぶりにその子と色々おしゃべりしていた。



2005年11月18日(金)

MALICE MIZERのLe cielという曲を聴いていた。
まだ特別視していた少年が汚されてしまう事に、強い痛みを感じていた頃、少女に対する気持ちを歌った歌詞に、自分の少年に対する気持ちを重ねている事が多かった。
PVでは、戦争によって瓦礫になってしまった街を少女が裸足で彷徨っている。自分がすでに死んでしまっている事に気づいていない。
にこやかに微笑む。そんな痛々しい少女を、どう見守っていくのだろう。
嬉しそうに笑う少女の手を引いて、一緒に歩いて連れて行く。
そんな感じの映像だ。
酷い目に合わされた上での少年と接し、それに伴う痛々しさなどを重ねていた。
今は、あまりそういう気持ちも沸いてこない。

毎日毎日、息の詰まるような怠情を感じている。
自分の人生について何一つ納得していない。
それでいてダルい、と考えるのを放棄して、どんどん薄れさせていく。
「このままでいいのだろうか」という不安や不満。
何一つ納得できず、このまま納得できる条件なんて現れないままなのだろうか、という焦りとか。
自分の人生なんて、所詮こんなものなのだ、なんて風に諦めなきゃいけないのかな。
俺は楽な方楽な方へと逃げいてくような人間なので、結局何も考えないまま、時間だけが過ぎていく。
駄目人間丸出しだ。

以前は当たり前に感じていたような価値観を、今は殆ど持っていない、というのが厭だ。

GyaOを見に行くと、映画のホラーコーナーの場所で「ハンニバル伝説」というドキュメンタリーが配信されてた。
観る事にした。
実際に人を食べた3人の犯罪者たちについて語られていく。
取り上げられたのはアルバート・フィッシュ、アンドレイ・チカチロ、ジェフリー・ダーマー。
3人とも、少年を陵辱してその体を食べた奴らだ。
どれも醜いジジイなのに、対象にされているのは少年。
もっと怒りを感じても良いくらいなのに、軽い息切れが出るだけでなんだかとても薄かった。
以前なら、それについて語っている人間に対してまでも怒りを感じる程だったのに。
どういう感じで犯罪を犯したのかを聞いていて、不謹慎にも萌えるような高揚が出てきて、それがまたストレスだった。
生きたまま体を食いちぎられたりしたら、被害者は絶望したりするのかな、という意識が沸いた。
被害者の親族が、裁判で犯人に「お前を絶対許さない!」と叫んでいる場面があった。自分の大切な身内を殺され、怒りを抑えながら裁判を傍聴していたのだが、犯人を目の前にし続けているうち、怒りが爆発したのだそうだ。
俺がもし、その親族と同じ立場で、そういう少年を酷い目に合わせた奴を目の当たりにしたらどうだろう。
発狂するくらい叫びをあげて、怒りのあまり失神する事もあるかもしれない。そんな奴が平然と自分の目の前に座っているだなんて事が信じられない。
その叫んでいた親族は、自分の家族が一番酷い目に合わされている、と犯人から直接聞かされた。
別の場面で、チラっとだけジョン・ゲイシーについてふれていた。
死ぬほど醜く汚い容姿をした中年野郎なのに、こいつが対象にしているのは年齢にしては小柄で童顔の可愛らしい少年だ。
見聞きし過ぎて、そのありえなさも薄れてしまった状態だけど。
例えば、こいつの犠牲者の中で、特に一番酷い目に合わされた子が居るとする。
「何でこの子に限ってそこまで酷い目に合わせたんだ?」と聞いてみようものなら、「可愛いから」とか言うんだろうな。
そんな事を考えていた。
よりによって、そういう子だからこそ、そこまでの目に合わされるのか、という許せない気持ちも沸き上がる。
被害者は犯人の欲求により、陵辱され、殺され、最終的には食べられる。
という解説があり、自分にもそういう行為を行うような可能性があったし、今もあるのかもしれない、とプレッシャーのような厭なストレスを感じ続けた。今のように吐き出し口を得られずに、内面的な欲求だけがどんどん募っていっていたなら、どうなっていたか分からない、と重圧を感じる。
そういう少年であるにも関わらず、現実に信じられないほどの目に合わされている。

もっと色々感じている事も多かったのだが、まとめようとしているうちに、親父が起き出しうるさくなった。
何とか持ち直してまとめよう、という気持ちになったが、追い討ちをかけるようにさらに騒がしくし始める。
こっちの心が挫けてしまい、その瞬間に静かになった。
挫けてしまった後なので、もう意識は持ち直せない。
いつもこうだな。
大事なタイミングで邪魔をする。
何を感じてたんだっけ。
この日記の半分以上は、邪魔された後に「何を感じてたんだっけ」と、リアルタイムでの実感を奪われ、ただの補足だ。
うるさくしている期間にしても、正確にこちらの心を挫くタイミングを心得ている。

タイプの少年が出てくる夢を見た。
その少年は、自分の意思で女といやらしい行為にふける。
午後14時台に目が覚めた。
そのまま1時間以上、夢の余韻に浸り続けた。
本来気持ちが締め付けられるような内容なのに、気分も穏やかな感じで、そのまま自分の欲にしてしまった。
それからしばらく、そういう少年を浮かべて妄想していた。
どういう存在だっただろう、とか。
喜びになどするものか、と俺はその子が恋人になる事を拒絶した。

GyaOでアニメ「らぶげ」を観た。
その後、またサイト編集に取り掛かった。
着うたに浜崎あゆみのコーナーを設け、55曲設置した。
作業中、ずっと編集中の曲が流れているのだが、なんだか夢心地というか、意識が半分眠っているような状態になった。
眠っている間に見る夢を感じているような。
意識がボヤけてそんな状態に陥るのは、昨日あたりから部屋に暖房をつけ始めたから、というのもあると思うけど。
流れている浜崎の曲も、幻想的なイメージを受けるし。
何だか心地良かった気がする。

アクセスが増えたのはいいけど、煽り出てきてウザったい。
余計なストレスが沸いてくる。
こういう奴らが次にどんな風に煽ってくるのか、大体検討はついているので、それに対してどう返そう、とか考えていた。

俺が関わるタイプの少年全員がそういう目に合わされている、なんて明らかに異常だ。
少年相手の性犯罪というのは、ちまたに溢れているような恋人同士の〜という訳でもないのに(恋人同士だろうが、そういう子がそうなるなんて絶対に厭だけど)、そんなにありふれているものなのだろうか。
少なくとも、俺の中の常識じゃ「当たり前に存在しているようなものじゃない」、となっている。
実際、捕まれば何年も懲役を食らうような犯罪だ。
それなのに、何で知り合う子知り合う子全部が全部そういう目に合わされる?
捕まれば懲役だけど、非常に見つかりにくく、腐るほどありふれた犯罪だ、とでもいうのだろうか。
そういう犯罪を犯す奴らは、綺麗な少年に見合わない汚い奴らが殆どだ。
なのに、そいつら1人につき、何人もそういう少年が犠牲になった上でないと発覚しない。
そんなふざけた事があっていいのだろうか?全然割りに合ってない・・
不条理だ・・

不条理さに対して俺の中で力を持つのは、そういう子の価値観のみだ。
だけど、意見を求めようにも、全員同じ目に合わされていて、俺にとって拠れる少年が存在しない。
身近で親しいタイプの少年は存在したけど、今まで拠れると感じられたためしもない。
何故なら、そのタイプの少年は、俺が痛みを感じる出来事をそのまま被害として受けてるからだ。全部!

そういう目に合わずに存在してくれているだけでいいのに、何でそんな簡単な事も叶わないんだ・・



2005年11月17日(木)

コンビニにタバコを買いに行ってきた。
見た事もないゴリラ顔でゴツイ体格をした店員がレジをしていた。
新人だろうか。
それから家に帰って、しばらく知り合いのCGI設置の手伝いをしていた。
中々上手く設置できない。
どうすれば動くだろう、と考えているうち、さっきの店員が意識に浮かんだ。
こういう、どうでもよさそうな奴に限って、強い腕力を持っている。
比べて、そういう少年は凄く華奢だ。
こういう奴が、自分の生まれ持った力を使い、その綺麗な存在ではあるが華奢な少年に対し、力づくで手篭めにしたりするのだろうか。
そういう奴らは、「自分みたいな汚い生き物が、こんなに綺麗な存在に力を行使しても良い」とでも思っているのか。
でも、少年はそういう力に敵わない。
俺は力で無理やりといった類が許せない。
別に力に限らないけど。
力じゃなくても、弱みをネタに脅迫したり。
そういう子が汚い奴らに強要されるのが許せない。
そういう奴らが居るなんて、そういう子がそんな風に力で無理やりねじ伏せられたりするなんて信じられないくらいにありえない。
ありえないのに、何でそういう風になっているのか理解できない。
何でそんな事になるようになっていて、「しようとする奴が居ればそうなるだろう」、というだけじゃなく、実際にした奴が居て、そういう現実が既存してしまっている事が信じられない。
何で存在させてるんだ?理解できない。

また、どうしようもなく気分が沈む。
何でそれが辛いのか。
それが「自分が少年を想う事によって」、だとはもう思えない。
そういう子に同情して、という訳でも全然ないと思う。
ただ、ありえないくらいに厭なのだ。

元からそうだったのかな。
それを、周りが「少年を想ってる」という風に捉えるから、俺自身もそういう風に思い込んで。
あの子に、「それだけ人の事で悩めるのは」という風に言われた時、俺はそれは違うと感じた。
何でそれが厭なのか、は分からないけど。
ただ、この感覚は、そういう子に対して「可哀想だ」とか「幸せになってほしい」という気持ちじゃなく、もっと個人的なものである事は確かだと思う。

家族や親戚、帰国子女などと一緒に幽霊屋敷みたいな場所に居た。
そこに和田アキ子がやってきて、霊に心を操られ、包丁で割腹自殺を図ってしまった。ニュースの見出しにも「和田アキ子、割腹自殺により死亡」みたいな記事が出ていた。
俺の祖父も霊によって殺された。
別の場面。
俺はどこからか、指でつまめるくらいの豆粒程度の大きさの、小さなカエルを拾ってくる。
家に持ち帰る。
家、というのが、以前住んでいたマンションになっていた。
でかいバッタやカマキリを飼っている虫籠に、その小さなカエルを入れてみた。バッタやカマキリにカエルが食われたりするのだろうか。
数日し、虫籠を覗くと、バッタやカマキリが消えていた。
小さなカエルが、手のひら大に巨大化していた。
カエルの体の周りには、ぬるぬるとやたら体液らしきものがまとわっている。逆にバッタやカマキリを食ったようだ。
そして、カエルが冬眠を始めた。
誰かがそのカエルをサランラップで包み、俺に渡す。
「これをどこか、暖かい土の中に埋めなさい」と。
俺は、ベランダの鉢の中にカエルを埋める事にした。
地表に石が敷き詰められている鉢に埋めようと思った。
上に石が敷き詰められているのに、目が覚めた時、カエルは出てくる事が出来るだろうかと、少し面白く感じたのだ。
石が敷き詰められている鉢を掘り起こす。
すると、土の中には変わった生物の姿があった。
黄緑色で、尻尾が二本、姿はトカゲに似ているのだが、目はデメキンそっくりだ。大きさも手のひら大で、少し大きなトカゲくらい。
興味が、カエルからその奇妙な生物に移る。
それ以降、夢の中からそのカエルの姿は消えた。
その生物を捕まえる。
袋に入れても、口から鋭く尖った舌を物凄い勢いで発射して、すぐに袋を破ってしまう。
木製の虫籠に入れておく事にした。
その生物は言葉を話す。
「これは食べる?」と聞きながら、その生物に色々なフルーツなどを与えてみる。
「食べる」と言いながら、どれも1口かじるだけだ。
肉を与えてみても、「食べる」と言って一口かじるだけだった。
いつの間にか、俺は宇宙のどこかの星に居た。
その生物を手に持って。
その生物が、実は自分は宇宙生物だと言う。
「まずこっちの星に転送されて、そこから地球にワープ出来る」みたいな事を説明しながら、地図を見せる。
その地図に出てくる、別の無関係な星に見覚えがあった。
以前、別の夢でその星に行った事があるような気がした。
その生物に「この星はここから近い?」と質問すると、「凄く遠い」と返答された。地図だとすぐ隣に描かれているんだけどな。
その生物が「自分の星は平和主義な星だけど、今の法律が定められるまでは争いの耐えない無法地帯になっていた。その時代の争いを再現した映画などが、この星ではヒットしている」などといった事を語り出す。
別の場面。
俺に携帯サイトについて色々教えてくれる知り合いが、京都から神戸に来ていた。昨日CGIを手伝った知り合いでもある。
俺もその知り合いも、15.6歳くらいだという設定だった。
町を歩いていて、その知り合いがふと「この自転車は良いですよ。今じゃなかなか手に入らない。どうします?」と聞いてくるので、「じゃあパクろうか」と返答した。
その知り合いが「見張っててくれ」と言うので、俺は見張っている事にした。自転車屋の店員が、店の中から俺の方を見ながらどこかに電話をかけている。
「通報されたかもしれん」みたいな事を告げると、とりあえず逃げようという事になった。その直後にパトカーが1台やってきた。
バラバラに逃げた。
パトカーは俺の方を追ってきた。
遮断機が下りている踏切を潜り抜け、何とか逃げる事に成功した。
そんな感じの夢を見た。
何度か寝なおし、続きのようで違う夢をいくつか見たような気がする。
よく寝たな。
午後15時半くらいに目が覚めた。
今日の授業は4時限目だけだったのに、今日もサボりになってしまった。
1週間殆ど学校へ行ってないな。

自分の中でどうしようもない気持ちが薄れてしまって、そういう子の言葉が持つ力の必要性が無くなってしまう、なんて事になるのが絶対に厭だ。
そうなりつつあるんだろうけど・・・

また数時間、サイト編集に没頭していた。
なんだか、惰性だけで作業しているみたいな感じになってきた。
あと、TOPページ移転。
http://rknt.jp/s/LyCa/



2005年11月16日(水)

ストレスだ・・
ずっと胸の中がモヤモヤしている・・
どうにもならない気持ちに感じる。

22歳で居られる時間も、あと10日も無いんだな。
21歳の頃は22歳になるのを拒んだのに、今になると惜しくなる。
当然だけど。
歳を取りたくないのだから。

それとは別に、昨日からずっと厭な感覚が憑きまとう。
悲しいような苦しいような感覚だ。
バイトなどに没頭してても、味わいそうな感じだな。
何かの作業に集中してると、無意識に痛みに踏み込んでいくような感じになるのか。欝が意識されていく。
コーヒーをがぶ飲みしても、ずっと治まらないままだ。

新しく自分のサイトにDir en Greyの項目を追加した。
曲数は47。
別にビジュアル系音楽が好きだ、という訳では全然ないし、個人的には特に興味も無いのだが、
以前から気に入っているMALICE MIZERの項目を設置していると、サイトを訪れたMALICEファンに「その他にもV系を揃えてみた方が集客できますよ」と教えられ、とりあえずV系中心に揃えていく事に。

何か、心が痛みを感じているような状態がずっと続いている。
胸の奥が強く締め付けられている。
何に対して痛むのかがハッキリするほど強い意識は、もう持ち合わせていないのだが。全然大事に感じれていないし。
苦しみが引いたら引いたで、納得できずに気持ち悪くて厭になる。
板ばさみだな。

酷い目に合わされてきた子の力になろう、という考えを、自分の意識は否定している。
その存在は、自分にとっての糧にはならない、と結局利害でしか考えられていないのかもしれない。
それでも力になれない方が事がキツイから、と衝動的に助けに入りたくなるほどには、苦痛が全然足りていない。
「ありえない!」という強い気持ちも。
すでにそういう目に合わされた後で、少年自身が現在進行で汚されて、こうしている間もどんどん傷つけられてるような、切羽詰った状況に無いからだ、というのもあるのだろうか。
そんな切羽詰った状況なんて、目の当たりにはしたくないけど。

設定が江戸時代頃の夢を見た。
ある夫婦が居たのだが、夫が美人の愛人を作って浮気する。
それを知った妻は怒り狂って、夫の目玉をくり抜いて殺してしまう。
さらに、愛人が寝ている間に縄で縛って、夫の目玉を握らせておく。
目が覚めた愛人は驚愕する。
そこに妻が火を放ち、一命を取り留めたもののゾンビのような顔になってしまった愛人。
その時代のその地域では、火元が燃えた人間である場合に限り、鎮火してはいけないという風習がある。
死に絶える人間から広がった火に手を出せば、自分自身にも災いが降りかかる、という事なのか、それとも不吉なものを広めたがるような人間たちなのか、それは分からないのだが、とにかく家から火が立ち上っているのに、周りの住人は誰一人鎮火しようとはしなかった。
午後13時頃に目が覚めた。
夢を見ている間、何故かそれを怖いとは感じなかった。
おどろおどろしい夢を見たのに、なんだか寝覚めが凄く良い。
横になっているのが心地よくて、このままずっと眠っていたいような気分が続いた。
今日の授業は1時限目からなのだが、もう前半はサボりだな。

モヤモヤなのかムラムラなのか、またどうしようもないような感覚が憑きまとう。

4時限目の途中から授業を受けた。
人類と病気、だ。
ノートを取りながら、また「こんな事をしていていいのだろうか」という不安が沸いた。
授業が終わって図書館に行った。
木曜に観た「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の続きを観た。
大学祭があったり振り替え休日があったりサボったりで、もう前回見てからちょうど1週間にもなるのか。
最後まで観終わり、次に「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」を観た。
途中で閉館時間になったので、学校を後にした。
帰り道はイラついていた。
俺がタイプだと感じていた少年は、例外なく全員そういう目に合わされる。
もしも、またそういう子と知り合ったとしたらどうだろう。
どうせ今の状態じゃ、とその子を喜ぶ事はできないだろう。
以前と同じ感覚で喜べないと納得しない。
そしてしばらくの時が経ち、やがてその子の存在を喜べそうになったとする。その途端、絶対その子も同じ目に合わされる事だろう。
そんな連鎖を何度も何度もうんざりするほど繰り返していく。
そして、またタイプだと感じるような少年と関われる事になるとする。
もう、その相手の少年を、喜ぶことは出来ないだろう。
たとえそういう目に合わされていなかったとしても。
もう、最初の頃と同じ条件じゃ喜べない。
慣れや諦めが出てきたり、思い込みが薄れたりで、俺自身の感覚は以前と完全に別物だ。
本当、うまい事できてるよな〜。
絶対喜びにはできねーの。
糞が!

以前と同じ風に喜んだり、凄い存在に感じたり、痛みを感じて苦しんだりが出来なくなって、それを至らないと否定されたりするんだろうな。
何度も何度もうんざりするほど同じ絶望味わって、また同じ風に感じたりするなんて事出来るわけねーだろ!
以前だったら希望だった事を今得られたとして、それを昔と同じ感覚で嬉しく感じたりなんて人間技じゃねーんだよ糞が!
ああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!1

ほんともう泣き出したくなる・・

しばらくコーヒーを飲んだりしてボーっとしていた。
少し落ち着いてきた。
欲求処理で悲惨な場面を浮かべてみても、ただ欲を満たすための材料みたな無機質な意識を持つだけで、現実に存在しうる場面であるにも関わらず、痛みが伴わなくなっている。
以前は妄想する時、欲を満たすと同時に、それが現実に存在しうる、認めたくない、と苦痛を感じたりしていたものだが。
そんな事を考えていた。
苦痛を感じそうになる事自体が「面倒くさい」という意識に変わりつつあるような気がする。



2005年11月15日(火)

今日もまたサイト編集に没頭していた。
PIERROTというV系バンドの曲を60曲ほど追加した。
作業中、あまりものを考える事が出来なかった。
意識から外れた感じで。
午前3時半頃に一度タバコを買いに外に出た。
月がやけに高い位置で明るくて、午後20時くらいに見えてしまう。
俺が昨日起きたのも午後17時くらいだったので、目がさえていた事もあり、余計にそれくらいの時刻に感じられる。
なのに辺りは静寂だ。
そのギャップが少し新鮮に感じられた。

相変わらずショタコン共が検索ワードでこの日記に飛んでくる。
「童顔 チビ 幼い 顔晒し」
さっきはこんな項目から飛んできた糞が居た。
こいつらは卑しい目的を持ってこの日記に着たんだろうな。
本当、胸糞悪くて厭になる。
「ショタコン動画」とか「少年」とか、そんな感じの検索ワードで飛んでくる奴らも毎日だ。
いつもいつも、そういう腐ったゴミ共の存在を身近に感じる。
マジで死ねよ。

好きな対象と付き合える、というのは他の誰にとっても普通の事でも、俺にとっては大きな事だ。
大きな事は奪われる。
自分の中で、それが大きい状態じゃ、絶対手に入らなくなっている。
一番大きかった状態で、大きな存在に感じる感覚さえも奪われて。
この世の何もかもが不条理だ。
俺に対しては、とことんマイナスになるようにしか出来てないからな。
幸運、というのは誰でも当たり前に得られるものだ。
ただ、俺の場合だけはそうじゃない。
幸運を得られたと感じたところで、そこには落とし穴が待っている。
プラスになれたと感じた途端、プラマイ0どころか、どん底まで落とされる。
今までずっとそうだった。
何も実らないように仕組まれている。
得たいと感じる時には得られない。
要らなくなったらやってくる。

今まで生きてて、大きな喜びなんて得られたためしがあっただろうか。

子供の頃などを振り返ってみても、誕生日とかクリスマスとか、嬉しい日になるはずが、その日に限って普段以上に怒鳴られ殴られで厭な気持ちで終える事が殆どだったな。
俺の運命はそういう風に出来ている。
あの子と関わっていた時期も、「こんなに嬉しい事があっていいのだろうか。自分に限って、本当にこの機会が幸せのまま終われるなんて事があるのだろうか」と感じていたけど、事実その後どん底まで落とされた。
絶対こうなる。
普通に生きていたら、幸せと不幸は順当に訪れる。
幸せな出来事があったとして、次にはそれとは無関係な事象による不幸を受ける。だから、幸せは幸せとして慈しめる。
俺の場合、幸せな出来事だと思っていたものが、そのまま自分を不幸に導く。別々じゃなく、幸運に見えるものはそのまま苦しみへの伏線でしかない訳だ。
前世で善人でも殺したのかな。
自分の業が、関わる罪もないような子供を巻き添えにする、なんて理不尽な事があるのだろうか。
神やら何やらは、俺に対してザマーミロ的快感を得るなら手段を選らばずか。ただ力を持ってるってだけで、神=善なんて思い込んでる奴らはアホだな。死んだ後もどうせ地獄だ。
俺からしたら、善とされているものも、悪とされているものも、どっちも最低の糞にしか感じない。両者とも、俺にとって一番踏み入れてはいけないような重要な部分に、共通して当たり前のように踏み込んで来る。
何より最低なものを認めて置き去りにしていく。
例えて言うなら、過激派右翼と過激派左翼が対極した存在のようで、実は両方悪である、ってのと同じ事。
狭い範囲においての対極を、全てにおいての対極だと勘違いしてる奴多いよな。
善悪抜きで例えるなら、巨人と阪神は対極だ。
関東と関西は対極だ。
でも、野球球団、日本国内、という点じゃそれ以外の他の何より近い2つだ。
同じジャンルに収まっている。
仏教とキリスト教も、外から見たら同じ「宗教」
しょうもない方向に話がそれた。
全てに対して理不尽さを痛感している。
社会的な善も悪も宗教的な善も悪も、俺からしたら"最"悪だ。
最低な事実がはびこってるのを知りながら、穏やかそうな顔して微笑んでるんだろ。そして、周囲からは「徳の高い人間だ」と賞賛される。
不謹慎を増長させる。
「愚鈍であれ」ってか。
俺が辛かった事をぶちまけて、ヘラヘラヘラヘラ好々爺気取りで「悩まなくていいんじゃない」なんてほざく軽薄野郎が「感じの良い人」とされる世の中だもんな。そいつはそいつで、周囲からそう印象付けられる事を自覚し、自分の態度に自身満々な様子で軽薄に接してくるのが目に見えて、胸糞悪くてしょうがない。
それが人徳だとでも思ってんのか?死ねよ。
あざ笑ってんのと同じだよ。
美術の授業でも、よく仏画などを指して「優しく微笑んでいる。人間に対する愛を感じる」などといった解説がある。
普通の人間以上に世の中を知っていながら穏やかに微笑む。
下衆なものもひっくるめて慈しむ、なんて愛どころか最低だ。

今日は午後15時頃に目が覚めた。
授業は2.3だったので、目が覚めた時にはすでに授業は終わっていた。
なのでサボってしまった事になる。
今朝は少しテンパっていたみたいだ。
寝起きから息苦しいストレスを引き継いでいる。

息苦しい・・
コーヒーでも飲んで沈めるか。

知り合いのサイトのCGI設置などを手伝っていた。
今度その知り合いのサイトで、向こうのコンテンツとして俺のサイトのオカルトを展示してもらえる事になったので、一気に数万くらい入るかもしれない。
いつものごとく、作業中もずっと厭な感覚は付きまとっていたけど、その感覚を深く追求する事はしなかった。



2005年11月14日(月)

しばらく様子を見ていたら、ショタコン共を俺の板に誘導しようとしてる馬鹿が居る。
俺の事を知ってるつもりが、結局何も分かってないんだな、と。
掲示板で俺のレスを観ている奴らも、この日記を読んで他所に晒しにいく奴らも、結局「ショタコン」という表面的なものでしか判断できず、俺の言葉を理解できない低能ばかりだ。
これだけショタコン批判を繰り返していて、俺の文章も読んでいるはずなのに、ショタコンの俺が「ショタコンを嫌悪し憎んでいる」という事さえ理解できていないらしい。
いい歳こいて高尚ぶってる奴らも含めて全部。
心理分析者気取って色々批判している奴らや、少年愛者である自分を"私は精神的貴族である"的意識で捉え、高尚ぶって俺を"研究対象"扱いしているような痛い変態共など。
いつもいつも、そんなに俺の言葉って理解するのが困難だろうか、と感じる。
俺の言葉を理解できる人間は、100人に1人も居ないのだろうか。
そんな事を感じさせられる事が度々ある。

現在午前5時8分。
深夜から明け方にかけ、ずっとサイト編集を行っていた。
Janne Da Arcの曲を50曲ほど追加した。
さっき、久しぶりにメガビの子のレスを目にした事もあり、編集中ずっと以前受けた相談内容などが意識に纏わりついていた。
怒鳴られたり、たまに殴られ、そういう行為を強要される。
無理やり客を取らされる。
それが凄く怖いんだよ、と。
少し、相談を受けていた頃の痛い気持ちがぶり返していた・・

今日は午後17時半頃に目が覚めた。
かなり遅くまで眠ってしまっていた。
俺にとって、そういう子の存在って何なんだろうな、と感じた。
寝起きから少し、気分が重くなる。
土、日と大学祭だったので、金、月と振り替え休日だ。
金は元々授業を取っていない曜日なので、俺にとっては関係ないが。
今日も振り替え休日で休みなのだ。
「SAW2」の日本語字幕版が落ちていた。

寝起きから気分が重くて息苦しいけど、深く自分の意識に沈んでいく事が面倒で、すぐに打ち消してしまう・・
他のやる事が頭に浮かび、そっちをしなければ、という気になって。
ストレスは感じているのに、そのままおざなりにしてしまう。
寝起きで意識に浸りやすい状態である、今沈まないでいつ沈むんだ、という意識もあるのにほったらかしだ。

そうだな、そういう少年も寿命を全うし、一応最後まで生き残る。
最後までこの世に存在し続ける。
だからどうした。
そういう目に合わされた時点で、俺にとっては死んでいるのと同じだ。
そういう意味で、寿命の最後まで生き残ってくれる少年なんて存在しない。
そういう目に合わされても、生命としては生き残るんだな。タイプの子でも。
でも、俺には関係ない。

「SAW(ソウ)2」を観ていた。
ある部屋に集められた人間たちにはある共通点があり、それがこの部屋から生き残るヒントだ、という設定だ。
お互いの共通点は何なのか、を探ろうとするシーンがある。
目の前に居る人間が凶悪犯罪者だったり、ジグソウによるかつての被害者だったり。メディアで見聞きした事はあるが、実際には知りえないような人間が目の前に立っている。日常的にはありえない体験をした人間たちだ。
それが自分の目の前に。
もし、俺自身の目の前に、汚いジジイの被害に合わされたタイプの少年が居たらどうだろう。その少年を目にしたら。
姿を目にしただけでは、その少年がかつてそれほど凄惨な目に合わされたのだという事は判断できない。
でも、実際に目の前に立っている少年は、そういう体験を持っている。
発狂するに値するほどのショックを受けると思う。
事実に見合ったショックというものを考えるなら、俺は気が狂うほどの衝撃を受けるべきなのだ。そうであるべきだ、という事を俺は知ってる。
もしも、麻痺してそれほどの衝撃を受ける事が無かったとしても、それ程の事なんだ、という事は理解している。
理解した上で、目の前にはそういう少年。
自分はどれほどのストレスを受けるのだろう。
認めたくないのに、目の前に存在している。



2005年11月13日(日)

午前11時過ぎに目が覚めた。
寝起きから少年の事が意識され、少しモヤモヤイライラ、プレッシャーがかかるような気分だ。
大学祭が始まるのは午前11時かららしいけど、芸人たちが来るのが午後14時からだから、それまでに到着するようにすればいいか。
現在午前11時31分。

学校に到着した頃には、午後14時頃だった。
芸人が来るのは18時からで、14時からの催し物はラジオの収録だったらしい。ラジオの収録は、それが行われる教室に、すでに13時には入室していないといけなかったようで、俺はこれを観る事は出来なかった。
たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、フランクフルト等、今日は色々と食べて回った。
野外ステージでは和装部が着物の着付けを説明したり、学生がヒップホップのダンスを踊ったりしていた。
俺は演劇部を観に行った。
1日に2つの劇を催すのだが、すでに劇が1つ終わった後だったようで、1つしか観る事が出来なかった。あまり面白いと言えるような劇ではなかった。
演劇が終わった頃になると、時刻は大体午後16時半。
しばらく、野外ステージの近くのベンチでボーっとしていた。
すぐ側にポップコーンと綿飴を売っている店があり、もうそろそろ店じまいだから値段が「2つ合わせて100円」となっていた。
買う事にした。
金を払おうとしたら、「もう最後だからお金はいいよ。サービス」とか言われて、無料で貰えた。
午後17時半頃になり、空もだいぶ薄暗くなってきていた。
体育館に向かおうとした。
すると、学校の玄関前に管弦楽部が集まっていて「これからゲリラ演奏をします」と。
出店をやっていた学生たちのために、疲れを癒す音楽を奏でる、という事だった。俺は出店には参加していなかったけど、演奏が終わるまで聴いている事にした。
演奏が終わり、体育館に向かった。
芸人たちが現れるまでに、体育館では「女装コンテスト」というイベントをやっていたらしいのだが、俺は演劇部を観に行っていたので、こっちは観る事が出来なかった。少し観たかったな。
体育館はかなり人で込んでいた。
でも、席を取る事は出来た。
天津、中山功太、笑い飯が着て漫才やトークを始めた。
俺の前の席に8歳くらいの子供が2人居て、終始騒いだりバシバシ殴りあったりで、目障りでしょうがなかった。
内容が半分ほどしか入ってこない。
天津は「萌え」に関する漫才をしていた。
次に中山功太が観客の一人をステージに上げ、その観客をけなしまくる。
でも、その観客は俳優志望の専門学生とかで、一般人なのにボケまくり、中山功太が「自分は殆ど喋ってないけど、時間が来たので終わります」と言ってトークを辞め、次に笑い飯の出番になった。
笑い飯の漫才は、後半クスリとも来なかった。
笑い飯が一番ウケて居たのだが、個人的には中山功太が一番面白く感じた。
観客をステージに上げるまでに行っていたトークが、面白いというより興味深いような感じで。
3組の漫才が終わり、次にその3組が抽選箱を引き、中に入っている質問内容に対して一人ずつ答えていく。
「芸人の皆さんは、今までどんなバイトをやりましたか」とか。
その間も、ずっと子供が殴りあったり騒ぎあったりでウザったかった。
それらも終わり、大学祭は終了した。
時間は午後19時頃だ。
昨日は20時まであったんだけどな。
個人的には、昨日の方が大学祭らしさを感じる事が出来たと思う。
今日は、体育館に居た時間が短かったからかな。

数十年前まで、大衆的に綺麗な存在とされていたのは少女のみ。
今現在は、少年アイドルなど、少年も同じく綺麗な存在として捉えられつつあると思う。
また特殊な美少年など、少女的なヘアスタイルやファッションを好む少年も増えている。
昔は触れがたい存在とされていたのは美少女だけ、というイメージがある。
でも、今は少年もそうなのだ。
今日の大学祭で、漫画研究会のイラストなどでユニセックス的に美化して描かれた少年を見て、そんな事を感じていた。
触れがたい、綺麗な存在の特殊な存在。
せつないような、胸が締まるような感覚になる。
また、そういう子を思いっきり抱きしめて落ち着きたいような衝動が出る。
そうやって、この締まる感覚を鎮めたいような・・

母親に「ドラマでトリックがやるから」と勧められたので観た。
観ている間、気分を落ち着けようとずっと枕を抱きしめている。
少年に対する意識でモヤり、少年を意識し鎮めていく。
そのうち、少し意識がボヤけて狭錯していく。
デジャヴだ。
そういえば、1.2年前もトリックを見ながら枕を抱きしめ、こんな状態になったりしてたな。その時も母親に観るように勧められ。
1.2年前と言えば、まだ大学も2.3回生で、まだ学生生活にも先があった。
欝のキツイ時期だけど。

メガビの馴れ合いを見てみたら、嫌いな奴ら(ショタコン共)と嫌いな奴ら(ショタコンではない俺の粘着共)が煽り合ってる。
不謹慎ながらも、その構図に少し面白く感じてしまった。
薄汚いショタコン共が煽られてるのを観るのは少し気分が良いけど、以前関わってたメガビの子が中心的に煽られているので、何だかな、という感じだ。その子はショタコンの犠牲者なのに、ショタコン共と一緒くたにされて酷い言葉で煽られてしまっている。
それとは別に、一番に、犠牲者なのにショタコンを求めてしまっているのが厭になる。
薄汚いショタコン親父に無理やりゲイにされたのに、何で「ホモホモ」煽られてるんだろう・・



2005年11月12日(土)

ストレスで息が詰まる・・・

夢の中に「変」という漫画に出てくる、佐藤くんという可愛い少年キャラクターが出てきた。
その他にも、タイプの少年を狙うショタコン親父が出てきたりで、色々と厭な夢だったように思う。
そういう少年が、もし自分がされた事を人に話そうにも、悪戯した奴が自分が誰だか特定されないように、行きずりの少年を狙う、とかそんな話が出てきたと思う。
別の場面では、地元で震災からの復興のお祭りをしている、という場面があった。まだ完全に復興していなくて、瓦礫がそこら辺に散乱している。
商店街に出店が出ていて、そこで唐揚げを買って食べた。
午後13時過ぎに目が覚めた。
夢の中にタイプの少年や、少年キャラクターが出てきて、寝起きから陰鬱になった。元々こういう少年は俺にとっての希望そのものだったのに。
こういう子の存在を、俺の中で陰鬱なものに変えたのは、綺麗で特別な存在である少年ではなく、どうでもいいような汚くて卑しくてギトついた、卑怯で腐った下衆で最低の醜い醜いショタコン中年野郎共だと思うと、さらにどうしようもなく不条理を感じる。

今日は大学祭だ。夢の中でも祭りがあった。
学園祭と呼ぶのか、大学祭と呼ぶのか分からないが。

学校に到着した頃には、すでに午後16時前になっていた。
学生による出店が殆ど店じまいしていて、あまり食べる事は出来なかった。
夢に出てきたので、唐揚げを食べようと思ったのだが、無かった。去年はあったのだが。ホットドッグとフランクフルトを食べた。
だけど、時間は15時から16時半まで、となっていた。
13日の13時から、と思っていたのだが、12日のPM3時となっていた。
次に体育館に行った。
ビンゴ大会があるらしい。
途中から参加したので、7割がた番号を聞き逃している。
商品はPCの外付けDVDやらiPodやら豪華なものが揃っている。
でも、俺はこっちも手に入れる事は出来なかった。
ビンゴ大会が終わると、殆どの学生が帰っていった。
この時点で、時刻は大体17時くらいだろうか。
今年で最後かもしれないし、最後まで観ないと勿体無い気になって、俺は全部のイベントが終わるまで学校に残る事にした。
次に、「Cガールコンテスト」というイベントがあった。ミスコンみたいな。それが終わり、次に軽音楽部によるバンド演奏。
この2つはあまり盛り上がっていなくて、少しグダグダな感じがした。
イベントの合間合間に、色々と感慨に浸ったりしていた。
今年で最後なんだな、とか。
入学した最初の年、この体育館で「大学生活」という雰囲気を感じ取ったな、とか。
俺にとって、この大学は馴染み深いものになっただろうか。
俺が授業で体育館を使っていたのは1回生の頃だけだ。
4年も通い続けているのに、あまり馴染みの深い建物には感じられない。
欝ばかりに気が行って、建物や雰囲気、学校そのものに対して馴染み深さを感じ取る事が出来なかったんだ、と少し寂しい気持ちになった。
バンド演奏が終わり、次は○○キャンバスの吹奏楽部によるジャズ演奏だ。
うちの大学は、××大学○○キャンバス、という風に、同じ学校名を持ちながらも2つくらいに分かれている。分校というやつだろうか。
もう一つの分校の方からやってきた生徒たちが、吹奏楽でジャズ演奏を披露していた。
こっちはかなりの盛り上がりで、生徒たちから「アンコール」の叫びが出て、ラストにさらに1曲追加された。
このジャズ演奏が終了した時点で、時刻は午後20時を過ぎた。
ゾロゾロと他の生徒たちが帰っていくので、「もうこれで全部終わりなのだろうか」と思って、同じように出口に向かう。
もう一度体育館の方を振り返ると、真後ろに彫刻の先生が立っていた。
「こんにちは。久しぶりやね。来年、卒業制作頑張りや」みたいな事を言われた。俺に来年があるのだろうか。
母親は「来年の学費まで払わんから、今年で最後や」とか言っているけど。
そういえば、去年の大学祭でも、この先生もイベントを観に体育館に来ていて、声をかけられたな。俺の卒業制作は彫刻にしたので、もう俺の担任みたいな感じだ。
あるかどうかも分からないけど、「まだ来年もあるんだな」という気持ちになった。
家に帰りついた頃には、午後21時前になっていた。

自分の文章読み返していて、やっぱり凄く頭が悪くなったように感じる。
頭の中を整理したり、まとめて考えたりする事が出来なくなった。
麻痺麻痺麻痺、みたいな状態だ。
まとめられない。
常に意識が拡散していて、まともに考える事が出来なくなってる。
苦しむ事に麻痺し出したのと、何かによって意識を散らされるプレッシャーが今の状態を作り出したのだろうか、とか思う。
今の自分は、2.3年前の7割の知能も無いと思うな。
物事を感じ取る事さえ、まともに出来なくなってきている。
感受性も麻痺してる。
邪魔されるのがストレスだから、何かを感じたり考えたりする事から逃げたくなるのか。



2005年11月11日(金)

今日は午前10時半過ぎに目が覚めた。
寝起きからモヤモヤと嫌な気分だ。
自分自身がいやらしいゴミに感じられたり。
寝起きからの気分の悪さは、どうにもならないストレスと性的欲求が入り混じったような状態だろうか。何一つ、自分にとって納得できる状態は得られなかった。
自分がショタコンだからという事もあり、俺自身がそういう子に対して何を言っても、何をしても、自分がとてつもなく卑怯で汚く感じられる。
また、そういう自分をそういう子が嫌悪したりしない事が、その他のショタコン共まで関連付けて肯定されているような気持ちになって嫌気が射したり。
自分が良く思われる事に慣れていなかったから、というのもあっただろうけど、以前なら、それも新鮮な喜びとして捉える事が出来たと思う。
そういう子が関連付けて、自分以外のショタコン共まで含めて認める事に繋がる事を自覚しながらも、都合よく流して、そのまま喜びにしていただろう。
でも、その子自身がショタコンに汚された上で肯定しようとしていたのだ、という事を知った。
もう、都合よく流して喜ぶ事は出来なくなった。
されてない子に対してまでも、都合よく流して喜ぶ事は出来なくなった。
そういう子と嬉しく関わる事は出来なくなった。
仮にそういう子と付き合えそうな機会があっても、もうそれを夢とは感じられそうにない。

サイト編集に没頭し出したら、あまり何も考えられなくなってくるので、寝起きに浮かんだ事を今のうちに吐き出しておく。
厭な気分だ。
何一つ納得できる状態にない事を自覚している。
寝る前にWinnyを起動していたのだが、目が覚めた後でチェックしてみると「SAW(ソウ)2」が落ちていた。
後で観よう。

11月11日。
今日は幼馴染の誕生日だ。
「11月11日で11歳になる」と言っていたのを覚えている。
もう、その頃から見て倍の年月を俺は生きてきたんだな。
というか、11月11日〜っての、毎年日記に書いてる気がする。

何時間サイト編集していただろう。
怖い話を40話編集し、着うたを50曲くらいUPして。
気づいたら、もう午後21時過ぎ。
寝起きからずっと取り掛かっていた気がする。
明日、明後日と文化祭だ。
「SAW2」もまだ観ていない。

少し休憩して、まったり「SAW2」でも観ようかと思ったのだが、字幕が付いていなかったので、殆ど何を言っているのか分からない。
諦めて、字幕付きが出回るまで待つか。
少し残念だ。



2005年11月10日(木)

死ねよこいつ!とキレそうになる。
胸糞悪い。
ショタコンなんて有害な生物さっさと滅べよ。

久しぶりに"少年に対して"、軽く痛々しいようなやりきれない感覚が沸いてきた。締め付けられる。
悲惨な現実がある以上、それは感じ続けているべきだし、もっと強くなれと思う。
開放されないからこそ、恨む気持ちも強くなる。
許されざるべき奴らを恨む気持ちが弱くなる、なんて不謹慎もはなはだしいしな。自分で自分を認められない。
許せない事がある以上、俺は苦しんでるべきなんだ。
俺が苦しむのも最低な奴らが居るせいだ。それは事実だ。
なのに、何でこっちがどうでもいいような無難で軽薄で社会的な調和重視の風潮に合わせてやらなくちゃならない?
そいつらが悪いんだ、死ぬまで恨み続けてやる。
最低な奴らのために苦しみ続けるこの理不尽さを糧に、発狂するくらい恨みが強くなれたらいいんだけどな。
そういう子が下衆で最低な奴らのために犠牲になってる。
そんなやりきれないような不条理が存在している以上、それを許さない気持ちを維持し続けるのは当然だ。
その不条理さを存在させた奴らが屑なのに、何でこっちが引き下がって妥協してやらなくちゃならないんだ。
俺がそいつら憎むの否定するなら、存在させんじゃねえよ。
存在させた以上許さない。

言ってるそばから、また薄れてきたし。
どこかで、そんな理不尽な現実に対して諦め意識が強まっているのか。
最悪だな。

今日は午前9時過ぎ頃に目が覚めた。
少年に対していやらしい事が浮かんできて、しばらくそのままボーっとしていた。いつものごとく、いやらしくて救いのない妄想だけど。
恥じる気持ちが強くなり、ここ数年妄想内容や自分が何に興奮するのかを殆ど書かなくなっている。
性癖の方はだいぶソフトに変わってきていると思うが、その分いやらしい印象も増した気がする。

昨日あまり眠れなかったせいか、かなり眠い。
寝起きから今現在まで、ずっとサイト編集に取り組んでいた。
まだ途中だけど、4時間くらい没頭している。
現在午後13時21分。
サイト編集中も、ずっといやらしい事が浮かび続けてムズムズしたような落ち着かない状態が続いていた。
タイプの少年の乳首を触ったり舐めたりしたい、とかいう類の。
同時に、それが自分の妄想の中にしか存在しない出来事じゃなく、今まで耳にしてきたような話の中にも何度も出てきた、現実に存在する、存在してきた行為(しかも、タイプの少年に対してまで)なんだ、という意識があってどうしようもないストレスを感じる。

4時限目だけ「精神保健学」の授業があったので、後半だけ出席してきた。
少し前に、携帯を使った授業アンケートを受けたので、その報酬(パケット料金を使わせたので)として学校から50円の割引券を貰っていた。
それに合わせて、小銭が少しだけ余っていたので、生協でお菓子を買った。
「ハムレット」という映画をかいつまんで上映し、意識変容という症状の説明をしていた。
久しぶりに、お菓子を食べながら授業を受けた。
1.2回生の頃はよく食べながら受けていたけど、3回生あたりからバイトで溜めた金も底をつき、それ以来学校で間食する事自体無くなっていたのだ。
授業が終わり、眠かったしそのまま帰ろう、とも思ったけど、
図書館で「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を観る事にした。
面白かった。
途中で閉館時間になってしまって最後までは観れなかったけど、帰り道は高揚したようなワクワクした気分に浸っていた。
地元の駅に到着し、そのまま家を目指して歩いていると、ふと嫌な感覚が襲ってきた。ストレスなのか、憎いのか。
その場にかがみ込みたいような気分になった。
今はもう、感覚に連動するような強い意識がないから、何を吐き出せばいいのか分からない。ただ、嫌な感覚だけを味わい続ける。

今日でメッセの子から連絡が来なくなって一週間だな、とか思っていた。
眠くてたまらなかったけど、帰宅後そのままサイト編集に没頭していた。
メッセの子からメールが来た。
少し話した。
でも、俺は眠さで意識が朦朧としていて、相槌打つくらいで、まともに返信できなかった。



2005年11月09日(水)

今日は午前7時頃に目が覚めた。
寝覚めは良かった気がする。
そのままずっと横になっていたいような気分だった。
夢の中の世界が楽しかったのだろうか。

学校に行く前に少しだけサイト編集をするつもりが、途中で「椋鳥くん可愛いなぁ・・」という意識が浮かび、かなり気持ちが高揚してきた。
高揚しすぎて、その意識から離れられなくなった感じで、
結局、そのキャラクターを意識の中心に置いたまま、そのまま2時間ほどサイト編集に没頭し続けてしまった。
現在午前10時17分。
1時限目はもう無理だろうな。

2時限目の途中から出席した。
早起きしても、いつも1時限目だけはサボってしまう。
2時限目から4時限目まで、まともにノートを取って、頑張って授業を受けていた。頑張りすぎて、とても疲れた。
今日は、学校に居る間、殆ど考える事をしなかった。
あえて挙げるなら、「何も認める事が出来ないまま、認めてはいけないまま、人生を送っていくのって、凄く難しくて歯がゆいよな」くらいか。
今日の授業は、
1時限目は「西洋美術史」
2時限目は「日本美術史」
3時限目は「人間と食物」
4時限目は「人類と病気」
1時限目があるのは、月曜と水曜。
月曜は「イタリア語」だ。
このイタリア語と西洋美術史なんて、殆ど全然受けていない。

なんか、あまり突き詰めて考えられない。
サイト更新の事ばかりが頭に浮かんでしまっている。
数字稼ぎに没頭してる、という点じゃエタカのレベル上げにも通じているような気がする。サイトのアクセス数を増やそう増やそう、と。
こんなに堕落していていいのだろうか・・、と焦りが出てくる。
苦しまなきゃ納得できないはずなのに。
不安感だけが憑きまとう。

そうだな、俺はそういう目に合わされた男の子の存在を喜んじゃいけないんだ・・・・
実感として、改めて認識した。



2005年11月08日(火)

午前7時頃に目が覚めた。
昨日感じていた苦しさが、少しだけ後を引いているように感じられる。
しばらく、そのままベッドでボーっとしていた。
好きなタイプの男の子でさえ、悪戯される。
それに対して、慣れが出てきていないだろうか、と。
好きだった後輩を思い浮かべる。
俺は、こんな子が汚い奴らに陵辱される事に慣れたのだろうか。
よくも耐えられるものだよな。
こんな子がそういう目に合わされる事に慣れるだなんて、本当に考えられない事だった。何より耐えられない事だと、認識していたのに。

後輩の住んでいる近所に足を運ぶ用事などがある時、その子を目にする事もあるかもしれない、と期待を高める事も多かった。
俺にとっての夢そのものといった存在だった。
それなのに、そんな綺麗で可愛い存在が、汚く醜い中年親父なんかにされるという現実に、慣れていなかくちゃいけないのだろうか・・
受け入れなくちゃいけないのだろうか、認めなくちゃいけないのだろうか、許さなくちゃいけないのだろうか・・
悔しくてたまらない・・

そうやって、色々感じようとしている時に、また邪魔された。
「静かにしてくれ」と頼むと、ダンダンダン!とさらに五月蝿く騒がれた。
発狂しそうなくらいブチギレた。
「ぅあアあアぁああァあアアァアぁアアーーーーーー!!!!!!!!」と、しばらく奇声を張り続けた。
今日の授業は2時限からだけど、そのままサボった。
考えたかった。
でも、もうさっきと同じように感じる事は出来なかった。

何でそんな腐った奴らを許さなくちゃいけないんだ・・
やったもん勝ちみたいだな。
何で、そんな糞共に対して「終わった事だから」的に都合をつけてやらなくちゃならないのか・・
ふざけんな!
やってしまえば「過去」に出来るから勝ちなのか?
過去を恨む俺の方が悪いのか?
それに従わなくちゃならないのか?
それが社会的なのか?
死ねよマジで!

3時限目だけ出席してきた。
美学美術史特講だ。
スクリーンに色々な現代アートを映し出して解説していて、とても想像力が刺激される。
最近、この授業が気に入ってきたかもしれない。1回生の頃から受けてる授業だけど。欝に紛れて、面白さに気づけなかっただけかもしれないな。
もしくは、「面白く感じてはいけないんだ」と。
先週から「金沢21世紀美術館」という場所や、そこに展示してある作品を中心に解説している。少し行ってみたい気もするな。



2005年11月07日(月)

中1の少年が出てきた。
タイプ、とは言えないような感じの少年だ。
話してみると、「自分は小学校3年生の中頃から家出をしていて、現在まで一度も家に帰っていない」「公園で知り合ったオジサンと一緒に暮らしている」と言う。
俺は、「今のうちに自分の元の家に戻った方が良いよ」みたいな事を言ったと思う。本心ではどうでもよく思っていたのかもしれない。ただそうする事が一番無難なように感じられただけで。
何故か、俺もその家に訪れる事になった。
その少年の言う、オジサンに挨拶された。
この中年はショタコンだろうか、と考えた。
でも、その少年は俺にとってタイプではない。
以前の意識を持った上で、それもタイプの子にならともかく、今現在の自分はこのタイプではない少年に対して、心底「戻った方が一番いい」と感じているとは思えない。ただ言葉で浮かぶだけで、どうでもよかったんだと思う。
少なくとも、俺の無難な意識から来る言葉は、少年の「戻りたくない」という気持ちには負けていた。
少年は帰るつもりはなかったみたいだし、俺もそれ以上はあまり強く言う事もなく、その家を後にした。
今日は午前5時過ぎに目が覚めた。

コーヒーを淹れにリビングに行った。
親父がすでに起きていて、テレビからはCMでカーペンターズの曲が流れてきていた。
俺は昔から本を読んだり考え事をしようという時、周りの雑音に意識が行かない為に音楽をかける事が多かった。
17くらいの頃、よくカーペンターズのアルバムをCDで流していた。
テレビから流れてくるその曲を聴きながら、「もう6年近く経ったのか」と、自分が歳を取った事を実感した。
欝を意識し出した時期だし、あれだけ身近に感じられるのに、もう6年。
歳を取りたくない。

1時限目のイタリア語の途中から出席した。
2時限目は、ずっとジャンプを読んでいた。
3時限目はノートを取った。
4時限目はボーっとしていた。
学校に居る間は色々考えていた気がするけど、いざ帰宅してみると殆ど記憶に残っていない。こんなものなのだろうか。
苦しんでいる時に支えが居るのと居ないのとでは、全然違う。
激欝に苛まれていた頃からそう感じていた。
大事な人に支えられながらも苦しんでいる人間を、物語などでよく目にする。お前らそんなに苦しいか、俺には支えが居た試しなんて無かったぞ。
どんなに苦しみもがこうが、救いなんて全然無かった。
そんな事を考えていたような気がする。
ことごとく奪われてきたから。
でも、支えになり得そうな人間が居た事を知っている。
認める事の出来ない存在だけど。
だから、中途半端ながらもこんな感じに収まったのか。
完璧じゃないから、その半端さがストレスなのだが。
あの子からなら何かを得られると期待したのに、何も得る事は出来なかった。それさえなければ得られたものを、得られないなら苛み続けているしかないんだ、と。
どちらにしろ依存なんだな。
得られていたら続いていたもの、得られない事が分かった後でも途切れさせまいと、その存在を意識に置いてる。マイナスとして。
その存在を途切れさせないようにしているのだと思う。
得られていたはずのものだから、と。
そういう目に合ってない、じゃないと許せないのだ。

自分の板で下衆野郎のレスを目にし、またネチネチと嫌なストレスがかかって息苦しい。メッセの子を気遣うというより、個人感覚でストレスなのだ。
また、俺と同じくそいつを否定している名無しが居たが、そいつ自身もショタコン野郎だったりするのだろうか。
ショタコン野郎に特有の、「結果的に飛び下りさせたそいつは悪いけど、自分が少年に手を出す事は別物だ。自分を否定される筋合いはない」的ご都合主義で腐った信念持ってそうで胸糞悪い。
まだ、そいつら自身がショタコンかどうかも分からないので何も言わない。
分からないままでいるのが楽だけど。

また欝の感覚が沸いてきた。
感覚だけなので、あまり意味がないようにも思うが。
意識と連動してないと、思い入れてるとは感じない。
だから、納得出来る類じゃない。
締め付けられるような嫌な感覚が続いている。
例のごとく、コーヒーでもガブ飲みして沈めるか。
以前、欝に苛まれていた頃、自分自身を今より認めていたと思う。

ずっと気分が落ち着かない。
少しキツイ・・



2005年11月06日(日)

改装前の、父方の田舎の家にそっくりの場所に居た。
俺の30過ぎの従兄弟が大学生を続ける気なら、と話しかけてくる。
「新しく別の大学に入り直さなければならない。共学にこだわっていると、学費も高くなるので男子だけの大学に再入学するのが良いだろう」と。
別の時間。
家の床下に、逃亡犯であるデスノートのメロが隠れている。
床下から、メロがMALICE MIZERの「真夜中に交わした約束」を歌っているのが聞えて来る。これは現実に、PCで自分のサイトを開きながら眠ったためだと思うけど。
また別の時間。
家の中に若いヤクザが居る。
さっきメロが出てきたので、その仲間のマフィアなのかもしれない。
そのヤクザとは別に、組長みたいな奴も居た。
そのヤクザと組長みたいな奴が口論している。
矛先が俺に向いた。ヤクザから拳銃を奪って、弾が出なくなるまで組長を撃つ。組長が死ぬ間際に、ヤクザを撃つ。
メガビで相談を受けていた少年が現れて、「お兄さん!お兄さん!」とそのヤクザを慕って呼んでいる。別に、兄弟という訳ではなさそうだけど。
多分、そのヤクザはショタコン野郎だったんだろうな、と。
形見として欲しかったのか、俺に対して「銃は!」と叫ぶ。
ショタコンの被害者なのに、こんなショタコンヤクザを慕うんだな、と嫌な気分になりながら、もう弾は入っていないしという感じで、その子にヤクザから奪った銃を渡した。
午前1時50分頃に目が覚めた。

GyaOで「あかほり外道アワー らぶげ」というアニメがあって、神to戦国生徒会と同じ原作者なので観る事にした。
椋鳥くんのような可愛い少年は出てこなくて、ヒーロー物の美少女アニメという感じだったが、内容がアホっぽくて面白かったと思う。
このアニメは少女読者を対象にしたものなのか、美少女好きのオタクを対象にしたものなのか、どっちだろう。
萌えという単語が出てきたり、出てくる女がロリショタだったり、腐女子人気の関智一という声優がそのままの名前でキャラクターとしてレギュラー登場していたり。よく分からない。

一度失ったショックは、もう二度と取り戻せない、とか。
苦しんでいなかった時期もあるのに、今更・・となってしまいそうだ。

今の自分には、求めたい幸福自体が存在しない。
何だか薄くて。
欲求的にムズムズしたような気持ちになっても、精神的にはそこまで求めていない、というか。

家の中に居ても、全然心が休まらない。
お前ら、何をそんなに執拗なまでに慌ただしくしとんねん、って感じだ。
息が詰まる。

GyaOで「パイソン」という映画を観た。
微妙だった。
今日も、特に何をするでもなく、ダラダラとした過ごし方をしてしまった。
小遣い稼ぎのためのサイト編集作業も、「実になる事をした」という気分にはならない。金儲けも勉強も、自分自身に対する至らなさ意識をぬぐう助けにはならない。
今の自分にとって、一番大切なのは実感する事だと思う。
信じられるものがなくなって、何もかもがどうでもよく感じられたりするからだ。もっとも、いくら実感したところで「実感し足りない」という意識は憑くと思うが。
不謹慎な世の中において「どうでもいい」と思う事自体が、少し前の自分にとっては許されないような事だった。抵抗も強くて。
今は、どうでもよく感じる事に対しても、後ろめたさが殆ど無い。
無為に、淡白に日々を過ごす。
しばらく、この「どうでもいい意識」に染まって過ごしてみるのもどうだろう、とも考える。デフォルトに戻った感じで、改めて少年に対し強く感じるものも出てくるだろうか、と。
好きな子に絶対的な感情を持った上でないと、何事にも意味を見い出せないのかもしれない。もちろん、その好きな子は純潔で。
純潔さを信じられるような状況に無いけど。
ことごとく、だったのに今更どうやって妄信したり出来るだろう。



2005年11月05日(土)

今日は午前4時過ぎに目が覚めた。

最近極端に頭が悪くなったように感じる。
突き詰めて考える事が出来ない。
邪魔される事が多くて、深く深く突き詰めていく癖が抜けてしまった。
考えようとする瞬間を狙っての妨害が、最近特に酷かったし。
今さっきボーっとしていて、物事を関連付けて浮かべようとした時「以前なら、最初から結びついたものとして浮かんだはずなのに」という気になった。途中まで、関連付けられる事にさえ気づかなかったり。
こんな状態じゃ、何かを考えてみたところで、気づかず見過ごしてしまったりするんだろうな。

誕生日まで後1ヶ月か、と言っていた日から更に10日。
あっと言う間だ。
後20日で22歳も終わってしまう。

前ほど考えられないんだ、と思うとモヤモヤする。

自分は少し、アスペルガー症候群というやつも混じってるのかもしれない。
AS
以前もチラっと考えた事はあったけど。

今日も一日、ずっとサイト編集をしていた。
新しくデスノートのコンテンツを作っていたのだ。
作業に没頭し続けて、気がつけば外もすっかり暗くなってしまっている。
現在午後17時31分。
今現在、家には自分一人しか居ないのだという事に気づく。
どうりで静かだったはずだ。
家の中に自分以外誰も居ない、なんて珍しい。
ふと、数日前にサイトを編集している時に目にした「呪い系」の話を思い出した。
「この話を見聞きした者が、一人きりで居る時にやってくる」
確か、そんな感じだったと思う。
ゾクゥっと背筋が凍った。
恐ろしい・・・

メッセの子とあまり連絡が取れなくなって、自分の不謹慎な意識をせき止める防波堤、のようなものが無くなってしまったように感じる。
どんどん軽はずみになっていって、罪悪感もまるで薄い。
申し訳を立てる人間が傍に居ない。



2005年11月04日(金)

午前1時頃に目が覚めた。

昨日のサイトアクセスが1000を超えていた。
ギャオで「4thフロアー」という映画を観た。
ストレスを感じさせるような胸糞悪い映画だった。
息が詰まった。
メッセの子から返事が来たので、少し話した。
あまり物を考えたり、強く感じたりする事が無くなってきたので、日記で書くような事もあまり無くなってきたように思う。

テニプリの壇くん専用スレみたいなところを見つけて、モヤモヤとした気分になった。今までそのキャラ専用のスレは無かったのに。
1番か2番くらいに好きなキャラなので、少し嫌な気分になった。
同じくらいに好きなキャラの椋鳥くんスレも、同じく存在していない。
あったらあったで、気にはなるけど嫌な気分になりそうだ。
と、何か自分で書いてていかにもキモヲタっぽい。

ギャオで「プロセリアンドの魔物」という映画を途中まで観ていた。
主人公は大学生だ。
最近、大学を舞台にしたような物語を好むようになってきている。
少し前まで「大学生なんてもうオッサンだし、人生殆ど終わってる」というイメージだったのだが、もうすぐ終わってしまうんだというと惜しむ気持ちが強くなる。いつものごとく、振り返る類の感慨に浸る。
自由な時間、大学生活が終わるのが嫌だ。最後の学生時代でもあるし。
あの子もそんな目に合わされてなかったら、もっと楽しく過ごせたんじゃないか、と考えたり。
そういう目に合ってなかった場合の可能性を考え出すとキリが無いけど。
こういうような状況で、悩むだけの学生時代を送り続けてきたような気がする。時間は絶対戻せない。
だからといって、ただ嫌な事を紛れさすためだけに過ごす日々にも、意味なんて感じられない。
とにかく、学生時代が終わってしまうのが嫌だ。
古い表現らしいのだが、キャンパスライフというやつだろうか。
今現在はどういう風に表現するのか、俺は知らない。
映画を観ていて、色々大学生活について感じさせられる事が多かった。
日本の中学、高校とアメリカの中学、高校じゃ全然生活も違うのに、大学生くらいになると、日本も西洋も変わらないな。
大学生ってのは自由で気楽な過ごし方が出来るんだな、と少し憧れる。
自分も大学生なのにな。
全然楽しんでこなかったから、別のものに感じられる。



2005年11月03日(木)

午前2時半頃にメッセ音で起こされた。
もう一度寝ようと思ったけど、眠れなかった。
色々考えようと思ったけど、そこまで実感出来なかった。
今日は文化の日とかで祝日だそうだ。
だったら、昨日の4時限目も頑張って出てもよかったなと思う。
最近、サイトの事ばかり考えてしまっていると思う。
そうやって気を紛れさすものがあるのは、本来望むべく事だったし、一般的にもそうなのだろうけど、今はそう感じない。
薄れてしまう事への歯がゆさを感じさせる。
考える事から逃げ、他の何かに没頭してる、と。
じゃあするなって話だけど、何もしなくても結局考えられないのは変わらない。
昨日メッセの子にメールを送ったけど、返事は返ってこなかった。

静かな時間だったけど、どうせ考えさせてもらえないんだろうなとか思ってて、結局何も考えなかった。
現在午前6時8分。
邪魔されない時間なんてあるのだろうか。
考えようとしなかったせいか、今日は本当にずっと静かな感じだった。
もう、考える気もないのかもしれない。
思い入れが薄れて、自然に考えてる事も無くなった。
もっとも、自然に考える事があっても、散らされて終わりになってしまうんだろうけど。

ほらな。考えようとした途端、布団から起き騒がしく動き出した親父。
何かが俺を阻もうとしているのは明らかだ。

納得する事もなく、救われる事もなく、ずっとしこりが残ってる。
なのに、もう実感できない。
勝手に薄れて終わろうとしている。

俺は元々、好きな子がいつかは誰かとそういう関係になってしまったりするんじゃないか、という事を恐れていた。
その子の意思でそういう事になったとして、俺には何も言う資格なんて与えられない。
好きだった後輩たちも、いつかそうなってしまうんだろうか、と。
彼女が出来て、深くなってそのうちに。
あの子やメッセの子と関わるようになって、話を聞いて安心だった。
「この子たちはそういうものを求めるような人格じゃない」
でも、結局少年の心や価値観なんて関係ない。
その子自身がどういう意識を持っていようが、強制的に陵辱される。
どんなにそういうものを拒む人格だったとしても、必ず皆そうされる。
少年の持つ心自体、喜べるものじゃなくなった。
結局、関係ないんだし。

結局、人生や世の中に救いなんてものは存在しない。
ただ、自分の意識と関係なしに、薄れて実感出来なくなってくだけなんだ。
漫画や映画とかだったら、別の何かを通す事で、そういう過去のしこりに決着ついたり多いけど。
現実、少なくとも俺の人生じゃ、折り合いなんて付けれずに、ただ通り過ぎて行くだけなんだ。
救いは全部打ち破られて奪われた。ことごとく。

ここ一週間ほど、毎日サイト更新ばかりやっている。
1日に3〜6時間くらいかな。
思ったより集客できず、この一週間でまだ600円くらいしか入っていない。
更新を携帯でチェックするので、多分赤字だ。
始める前は「月に5万くらいなら軽いと思いますよ」と言われたのだが、「思ったより伸びませんでしたね」との事。
まあ、趣味の範囲で続けていくか。



2005年11月02日(水)

マクドでハンバーガーを作っていた。
俺はずっと昇格しなくて平(実際はCクルー)だったので、上司(社員)に愚痴愚痴と嫌味を言われた。
「自分たちはどんどん昇格していくのに、何故平止まりなんだ」と。
「一体何年平なんだ。自分たちはすでにありえないくらいの身分に昇格したのに」とか。
何年もの平生活のうち、社員たちは社長を超えてさらにどんどん昇格していく、みたいな感じだった。
実際は社長が一番上だろうけど、エタカでいうところの、レベルの上限無し、みたいな。
俺はハンバーガーを作り続けた。
作っている間に過労で倒れる。
数日後に起こされる。
俺が作ったハンバーガーを食べた社員が死んだとか。
気を失っている間に数日が経ち、鮮度を落としたハンバーガーを出来たてだと勘違いして食べたのか。
「まさか自分が最後に作ったハンバーガーが毒バーガーになるとはな」と。
そんな、アホみたいな夢を見た。
午前0時少し前に目が覚めた。
寝ている間もさっきの着うたを連続再生しっぱなしで、寝起きからせつないようなモヤモヤした気分になっていた。
でも、惹かれるものもあって、ずっと聴いていたいような気分にもなる。
キリがないから切り上げるけど。

寝起きからずっとサイト編集をやっていた。
広告会社から掲載許可が下りたので、それを全ページに貼り付けたり。
着うたを置いていたアップローダーにトロイが仕組まれて使えなくなってる、と知り合いが教えてきたので、新しく別のアップローダーをレンタルし、そちらに全て移したり。
今日聞いたのだが、その知り合いの運営しているサイトは「日本最大級の着うたサイト」として有名だそうだ。月間で100万アクセスとか。
着うたページの編集で、「シンデレラ・クリスマス」を聴いて、Kinkiの周りで踊っていたJr達を思い出した。
俺が高1くらいの時期だったろうか。
素肌に白いジャケット姿で、何でこんなに幼い子供達がこんなやらしい格好してるんだろうと、当時の自分が感じていた事を思い出した。
興奮して萌えるのと、そういう子たちが大衆の前に肌を晒しているんだという事に対するやりきれなさで、たまらない気持ちになっていた。
ショタコンの自分にとっては、ノーマルな男で言うところの「好きな女が大衆の面前で上半身裸で踊りまくってる」状態な訳だし。
それ以上か。やりきれなさも欲情も。

1時限目の途中から授業を受けた。
1時限目と2時限目の間は、ずっとマガジンを読んでいた。
3時限目は最初から机に突っ伏し眠ろうとした。
眠れなかった。
3時限目の後半から、昨日のような身体的にキツイ感覚になっていった。
胸の辺りから下腹部辺りが締められているような。
今現在メッセの子がそうであるように、ベッドの上に足を投げ出したまま、微動だにする事さえも許されない、そんなムズムズとした身体的なストレスにも似てると感じた。
別に欲求処理したいという訳でも、欝に沈んだという訳でもなさそうだけど。
精神的な欲求不満感覚が出たのだろうか。数年前まで頻繁に味わっていたような感覚にも思える。
少年に対して思い入れる事が出来なくなって、自己中にもそっちの苦しみを強く感じるようになったのか。
今現在、そういう子が酷い目に合わされる事に対するストレスなんて、以前の3〜5%くらいだろうし。
眠さもあってキツかった。
3時限目の授業が終わった後でも、そのまま机に突っ伏していたら、3時限目の授業の先生に「具合悪い?しんどいんやったら医務室行き」とか言われた。俺はキツくなった辺りから、今日は4時限目はサボろうと考えていた。
その3時限目の先生は、俺が受ける4時限目の授業の先生でもある。
4時限目の先生もそう言ってるし、ならいいか、という感じになった。
4時限目の授業が始まってしばらくしても、3時限目の教室でずっと机に突っ伏していた。
20分ほどそのままの状態が続いて、キリが無いので水筒のお茶を一杯だけ飲み、それから家に帰ってきた。
現在午後15時54分。
眠りたい。

そっちの苦しみが強くなるという事は、少年に対する気遣い感情が終わりを告げたようにも感じられて、何だか嫌だ。
以前の状態で、あの子がそういう目に合わされていなくて、救われたような気分になれても、同じようにこっちの苦しみがぶり返してきたりしたのだろうか。でも、あの子もそういう目に合ってた上でこの状態だし、それよりずっと最悪だ。納得してないのに何で終わるの?と。



2005年11月01日(火)

何か、幾何学的な法則を考えているような感じの夢を見た。
何かの条件を求めていたのか。多分、普段意識するような価値観には関係ない。
午前1時半頃に目が覚めた。
もう、今月で23歳か。
いつも寝起きはモヤモヤする。
無意識に色々な事に対する不快感がつのるのか。
とりあえず、コーヒーでも飲もう。

うすーい感じで色々な事を考えていて、だんだんイライラが募ってきた。
考えている内容もそうだし、考え出す度に意識を散らされるストレスもあり。息苦しい。

そうだな。
あの頃の自分にとっては、もしもそういう目に合われてなくて、タイプの子にあんなにまで想ってもらえる、となっていたら死んでも良いくらい嬉しい事だったに違いない。

今日の授業は2と3だった。
2時限目のデータベース論は、何故か俺の持ってる教科書と授業で使う教科書が違っているのでよく分からない。
調べて買い換えるのもおっくうなので、未だにそのまままともに授業を受けられないでいる。
3時限目の美学美術史特講では、スクリーンで色々な芸術風景を映し出していた。面白い形や構造の建物、屋外に設置しその「場」の自然と溶け込ませて作られた特殊な形。
どれを観てても、興味深くて面白くて清々しいような気持ちになる。
子供の頃の俺だったら、そういう形に惹かれてワクワクと楽しく感じ、それに触れたいと望む類のものだと思う。
でも、それを良い物だと思って良いのだろうか。
心を惹くような形や自然的な情景は、確かに見た目的には綺麗だったり和んだりするかもしれないけど、決して良い物ではありえない。
よく、穏やかな情景や自然的な物質を「優しい景色」という言葉で表現したりする。子供が慣れ親しむ身近な物だからかな。
でも、そういう子が酷い目に合わされている時、それらのものは何も助けになっていない。森も林も月も空も太陽も、ただ少年が陵辱されていく様を黙って傍観しているだけだ。
そういう子の視点からしたら、普段慣れ親しんでいる身近なものが、何も自分を助けてくれない、と返って脅威に感じたりするんじゃないのか。
少なくとも、過去に俺は自分が殺されると思った時は周りの物にも脅威を感じた。
それを、よりにもよってそういう少年が陵辱されようとしている時さえも助けないなんて許せない。
結局、何にも助けられずにされるがままだ。
そんなものを良い物だなんて思って良い訳がないじゃないか。
どんなに穏やかな情景だろうが、決してそれらが優しいだなんて事は在りはしない。そんな事を考えていた。
結局、俺はそれらを良い物として認める訳にはいかないのだ。
3時限目が終わり図書館に行った。
「ラストサムライ」を最後まで観た。
面白かった。やっぱり字幕の方が良いと思う。
家に帰ってきた。
学校に居る間、欲求なのかストレスなのか、耐えられないようなムズムズ感というかイライラ感というか、思いっきり枕を抱きしめ歯を食いしばりたいような衝動が続いた。
いつでも吐き出せる、欲求処理出来る、という安心?がないと重圧なのか。
現在午後18時1分。
午前1時半から起きている。
昨日よりはマシだけど、とても眠い。
ついでに。
家に帰ってきてからコーヒーの用意をし、いざ考えをまとめてみようとしたところ、その刹那に母親が買い物から帰ってきて騒がしくなった。
いつもこのタイミングだな。
100パーセントこのタイミングで散らされる事なんて、俺にとっては全然珍しい事じゃない。必ず、だから当たり前だけど。
昨日読んだデスノートで、テル(苗字は胸糞悪いので使いたくない)が相手の死を願い、そのうちの9人が死んだ。
それを「自分が願ったから死んだのだ」とするのは、一般的には「思い込み」でキチガイ判定が下るだろう。
もし、「こんな奴死ねば良い」と思った相手が必ず死んだとする。
それで100人死んだらどうだろう。
それでも、社会的には「思い込みの激しいキチガイ」
いくら必ずそうなるといっても、科学で証明されないからな。
1000人死んでも「思い込み」

またKinki Kidsの「ひとりぼっちのクリスマス」の着うたを聴いている。
Jrの声が本当に可愛い。
ずっと、そういう子は汚れのない存在なんだ、と感じ続けて居たかった。
本当に聖人みたいな声なのに。
今は、その綺麗な声を聴いても複雑な気持ちにしかなれない。


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リュカ

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