リュカの日記

2005年10月31日(月)

サイト編集でクリスマスソングを探していて、Kinki Kidsの「ひとりぼっちのクリスマス」を見つけた。
「シンデレラ・クリスマス」の方が有名だけど、ひとりぼっちの〜の方は俺が中3頃に買ったシングル「愛されるより愛したい」のカップリングになっていて、色々と思い入れ深くて好きな曲だ。
しんみりと来る。
曲の後半でJrも歌に参加してきて、綺麗な声を聞かせてくれる。
「ひとりぼっちの」とか言ってるけど、こんな可愛い声をした子たちが周りに居てくれているのに、彼女が居るよりずっと幸せな事なんじゃないか?と、歌詞を聴きながら感慨に浸っていた事を覚えている。
そういう男の子にとってもクリスマスは嬉しいんだろうな。
どういう過ごし方をするのだろう、と妄想に浸ったり。

結局、今日も徹夜でサイト編集に没頭してしまった。
最近そればかりだな。
今日の授業は1時限目からだ。
本当、最近全然考えてないな・・
メッセの子からもメールが来なくなってしまった。
返事が薄くて、嫌な気持ちにさせてしまったのかもしれない。
その子にとっては今が苦しい時なのに。
普通に返しているつもりでも、気持ちが薄いとやっぱり文章に出てしまうのだろうか。酷いな。

もう、絶望してない事に対する罪悪感も、あまり感じなくなってきている。
ただ、願った形にならなかった事への神経質なストレスというか、そんな感じなのかもしれない。
ちゃんと想う事が出来なくて、今まで接したそういう子を裏切っているような気持ちにしかなれない。
自分は全然懐かれたり好きになられたりするに値するような人間じゃないのに、と恥ずかしくなる。

徹夜明けのまま学校へ行った。
2時限目から受けた。
いつも月曜の1時限目「イタリア語」を受けれないで居る。
2時限目の間に寝ようと思ったけど眠れなかった。
昼休みになり、教室に学園祭の宣伝に2人の生徒がやって来た。
よく見ると、2人のうちの1人は俺が2回生の頃に体育の授業で知り合った一学年下の生徒だった。
「実際には俺の方がニ学年分上やねんけど」みたいな話をした事があるのを覚えている。
3時限目の授業では「地獄の黙示録」という映画をかいつまんで放映していた。眠さも限界だったので、3時限目が終わった後、4時限目を受けずに帰ってきた。午後15時過ぎに家に着いた。
最近はいつも図書館で映画を観てから帰るので、こんなに明るいうちに下校するのも久しぶりだ。
もう今も眠さで、全然頭が働かない。
少ししたら今日は寝よう。
学校に居る間に少し考えた事。
よく、「相手の喜びが自分の喜び」だという表現があって、それを喜びだと示す人間を「自分の喜びを求めない謙虚な人間」と捉える風潮があるけれど、俺はやっぱりそれは一番の喜びなんじゃないか、と考える。
相手が喜ぶ事が自分の喜びに出来る存在、が居るなんて素晴らしい事じゃないのか、と。
俺も、状況さえこんな感じじゃなかったら、そうなれていたのだと思う。
でも、俺はその相手の喜ぶ姿さえ、自分の喜びには出来なくなった。
状況のせいだと思う。以前の感覚なら、絶対喜びに出来たのに。
元々持ってた価値観は、相手の喜びを自分の喜びに出来るようなものなのに、それさえ許されなくなったこの状況。
あの子がそういう目に合わされてなくて、一緒に文化祭巡りとか出来たら楽しかったろうな、とも考えた。
眠気でボヤけてボヤけて、文章にまとまりがないかもしれない。



2005年10月30日(日)

知り合いと、色々サイトについて話したりしていた。
最近、タバコの量が増えてきて、1日に3箱近く吸ってしまう。
吸いすぎて気持ち悪くなるのだが、それでもまた吸ってしまって。
さっきからずっと、強い吐き気を感じている。

その知り合いが、サイトデザインを作ってくれる事になった。
なんか、時間は沢山あったのに、あまり考える事をせずにダラダラ過ごしてしまったな。
時間がある時何も考えずに過ごしたら、振り返ってばつの悪い気分になる事が多いと思う。

とりあえず、サイト編集は終わった。
少し疲れた。
携帯からは綺麗に見れるけど、PCからじゃかなり汚い。
「9割方が携帯ユーザーなので良いですよ」との事だけど。
DESTINY
サイトで稼ぐつもりだったけど、更新する度携帯の方でチェックするので、パケ代がヤバくなって逆に赤字になるかもしれない。

エタカの知り合いが出てきた。
俺とその知り合いと、あともう一人で、二人のうちどちらかの部屋で遊んでいた。その3人で遊んでいて、何故か途中で俺が悪者にされ、二人から執拗に責められる。
しばらくして、家に帰る事になった。
家とは、以前俺が住んでいたマンションだ。
エタカの知り合いも、俺の後ろをついて来る。
大きなカラスを見つけたので、俺がそれを縄跳びのような物で打つ。
何度も打っているうちに、カラスは大きく口を開いて叫びだす。
カラスの喉の奥から、薄っすらと人の顔のようなものが飛び出しているのが見えた。しばらくし、別のカラスが知り合いの方に襲い掛かってしがみ付く。知り合いは、俺の使った縄跳びなんてものじゃなく、サーカスの調教師が使うような本格的な鞭を持ち出しカラスを打つ。
カラスの口から、また人の顔のようなもの飛び出している。
今度は目に見えてハッキリと。
午後18時半頃に目が覚めた。
寝る前にマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」という着うたを聞いていた。その影響か、寝起きから少し楽しいような気分になった。
しばらくし、タバコを買いに外に出た。
その時も、まだ気分は続いていた。
同時に、この季節特有の寂しいようなやりきれないような気持ちも強くなる。以前なら、この季節にこういう楽しいような寂しいような気持ちに浸る事も多かったけど、今の自分の状況には相応しくないような気分に思えて抵抗が出た。何で絶望してないんだろう、と。
あれだけ悲惨な話を耳にして、こんな気分を味わっていて良い訳が無いのに。そういう気持ちになっていって、後ろめたいというか、自分自身を認められないような感覚になった。毎日だけど。
薄れて薄れて、面倒がって、どんどん苦しむ事を避けてしまう。

せつないような気持ちで憂鬱になる・・

そういう子に情を感じる事を禁じているような状態だからか。
そういう目に合わされてなければ、心底気遣ったり楽しんだり出来たんだろうな。

いくら情を持ちたくても、自然に情を持てるような状況に無いんだろうな。
エタカに入り、2時間ほど狩りをした。
頭を空っぽにして、のめり込む事が出来たと思う。
でも、いくらこんな感じで和んでも、全てに対し、納得できない意識を持ちながらじゃ何の意味も無いように感じる。納得できるような条件が欲しい。

サイトの更新など、集中するものがあるから、どんどん考えられなくなるのか。そうでなくても、考える事を避けてるような気もするが。
昔はそうやって紛れさすのを「よし」と望んでいたけれど、今はどうなんだろう。



2005年10月29日(土)

エタカを切り上げて、MALICEの着うた探しを開始した。
着メロ=着うただと思っていたので、着うたというものの存在を始めて知った。色々と好きな曲が出てくる。

MALICE MIZERは2度ボーカルが変わっていて、そのうちのGacktとKlahaのコーナーを作る事にした。
とりあえず、曲数の少ないKlaha Sideだけ完成。
その後、ギャオで「インシデント」というホラー映画を観始めた。
昨日の「パラノイド2004」よりはマシそうだ。
何だか、昨日から心が軽い。
不謹慎で薄っぺらな軽はずみ状態、とも言えるけど。
現在午前4時6分。少し眠くなってきた。
ほんとにかなり軽はずみだ。

これだけ色々なものに反発する気持ちが残っているのも、まだ心の方が大人になりきっていないみたいな感じなのだろうか。
めんどくさい、どうでもいい、と軽はずみに受け流すのが大人だと言う。
強く心にクルような、全てのものを遮断して。
不謹慎なれ、という事か。
そんな意識が良いものであるはずがない。
でも、自分の意思とは裏腹に、俺自身も今そういう風になりつつあるのだと思う。どんどん実感できなくなっていってしまう。
人間の精神構造上、歳を取っていく事で誰でもそうやって軽はずみになっていくようになっているのか。
そうなりたくない、なる訳に行かないという抵抗感情で毎日毎日モヤモヤしている。
精神がそうなっていった人間たちは、それを「良いもの」とする意識、風潮を押し広める。不謹慎である自分自身の肯定だ。
さらに、それを受け入れない人間に対し「そんな意識の持ち方じゃ、社会ではやっていけない」と批判する。
不謹慎で軽はずみな自分自身を肯定するため、それを失っていない人間を「悪いもの」とし疎むのだ。そういう意識を持つ人間に共通する、身勝手で卑怯な価値観としか言いようが無い。
また、それらの価値観は大衆的なものとして支持されているのが現状だ。
腐ってるよな。

今でも、不謹慎で軽はずみな奴らにとって都合の良い価値意識「大人的ものの考え方」に染まりたくないと思っている。染まらないに越した事は無い、とも。
そういう風潮を盾にして、最低な少年搾取を肯定する自分自身を弁護するような下衆で腐った中年親父もいたっけな。
それらを肯定する事について「お前のような感情的なバカと違い、自分は無機質な対応に徹している」などと、全く関連性の無いものを結びつけ、自分自身を社会においての模範的人間に見せかけようという逃げに走り、その無機質さに反発するような意見は聞き入れられる価値のない黙殺されるべきものだという雰囲気を作り出し、それを見抜かれていないと思い込んでる頭の悪い下衆で腐った中年親父。
こういった卑怯で下衆なショタコン野郎はご都合主義で遠まわし的な言い訳を好む。そして、こういう奴らは共通して、それがまかり通るものと思い込んでいるらしい。今まで指摘される事が無かったのか。
指摘されたらされたでヒステリーだろ。おめでてーな。
何がどう欺瞞なのか、を指摘する事が「大人気ない事」とされる腐った社会。まさにこういう下衆共を増長させるにうってつけだな。最低な事に。
まあ、自分がショタコンじゃなかったとしても、大人になりたくないという意識は強かったと思う。大人になるという事に、子供の頃からある種の恐怖感を持っていた。
漫画やドラマ、映画などのメディアを通して感じるものも、社会に出てからの人生には空虚さや疲れが漂っている。何も希望の持てない暗いものとしての描写が多い。社会に出たら、もう何も残っていないのだ、と。
〜の頃に戻りたい、〜の頃に戻りたいと振り返りながら過ごす事が多く、昔からあまり「今現在」というものを楽しむ事が出来なかった。
あと少しもしたら「大学時代に戻りたい」となるだろう事も明らかだ。
過去しか見ようとしないのも、自分自身の性格か。
外見的にも、大人というのは臭くて汚いというイメージしか持たなかった。
それは今現在でも同じだが。
俺も、今はもう見た目もオッサンみたいに感じられて、自分自身を気色悪く感じてしまう事も増えてきた。
シワが出てきてヒゲが濃くなり、身体的にも今じゃ人ニ、三倍くらい毛深いもんな。ほんとにオッサンみたいで気色悪い。
あと何年かしたら、うちの親父と同じで頭の禿げた熊男みたいになるのかな。
どっちにしろ、そうでなくてもタイプの子には釣り合えないから、と開き直れている部分もあるのだが。そういう子に手は出さないから関係ない、みたいな。
欲求過多、ヘビースモーカー、欝、遺伝、とそういうオッサン化を促進するような条件も多かったのか。
俺も、17くらいまでは見た目よりも若く見られる事が多かったんだけどな。
可愛い可愛い言われまくったりしたのだが。
同級生の男や女、バイト先の女子クルー、保護観察のオッサン、高校の生活指導の教師etcetc..
16くらいで年下の中学生たちに年下だと思われカツアゲされたり、タバコを吸ってて補導してきた警察官に「こまい顔して小学生だと思った」とか言われたり。
当時から心の中心をタイプの少年が占めていて、「何言ってんだか、どうせ俺なんてまがいものだろ」という皮肉った自嘲意識が強かったのだが、今思えばもっと慈しんでても良かったな。自分ではそう感じる事はなかったが、周囲からしてそういう存在に近かった時期もあったんだな、と。
もっとも、そういう子と同じくらいに小柄で全体的に成長が遅い、じゃないとタイプの子には釣り合えないけど。
自分はピーターパン症候群も強いのかもしれない。
24歳以上になるのは想像出来ない。
24歳という年齢は、子供の頃から「ギリギリ若い」と認識していた年齢だ。
その頃は身体的な変化などを何も知らなかった頃なので良い年齢に思えてたけど、今24歳と浮かべてみても汚いオッサン直前年齢、みたいな印象を受けるのでそれほど若くは感じない。
俺が特別汚らしいから、というのもあるのかな。
ピーターパン症候群的な昔からのそういう意識と、ショタコンとしての美醜感覚で、本当ますます歳を取るのが嫌になる・・・
22歳が終わるまで、もう1ヶ月も無いんだな・・
22歳も一生に1年間しかない時期なんだ。
ちょっとしたら、今の年齢が若く感じたりするんだろうな。
少しため息が出る。

19頃までは12歳という年齢に一番惹かれたけど、今は響き的にも15歳という年齢に一番惹かれる。16も17も若いけど。
今日は本当、心が軽くはずみっぱなしだ。
こんな程度で良いのだろうか。
何も知らなければ、これくらいが普通で良いのだろうけど。
そうじゃないし。

「インシデント」を観終わった。
結構ギャグっぽい映画だったと思う。面白かった。
現在午前11時21分。
一度眠ろうとしたのだが、結局ズルズルと起き続けてしまった。
少ししたら今日は寝よう。

午後19時前に目が覚めた。
メッセの子が浮かんできた。
ベッドの中で横になり、何でこんなにまでも大事に出来なく、想えなくなっていってしまうんだろう、と少し歯がゆい気持ちに浸っていた。
昔は、あんなに心底優しく接する事が出来たのに。
今はもう、中身が無くてスカスカみたいな接し方をしてしまう事が殆どだ。
いつ頃までは、慈しみを持って接する事が出来てただろう。
俺はあの子を受け入れたくなかった。
そういう目に合わされている、というショックも強くて。
そして、メッセの子に対しては「そういう目に合わされる前から知ってたから」と考えようとしてたけど、やっぱりメッセの子もあの子と同じ目に合わされた同じような条件だから、と感じるようになっていった。
あの子の事で、そういう目に合わされてるなら〜という価値観が完全に固まり、メッセの子にも思い入れられなくなってしまった。
寂しい気持ちになってくる・・
なのに、それでも思い入れが持てないのは変わらなくて・・・

少し締め付けられるような、悲しい気持ちが強くなる。
でも、ただそれだけだ。
結局、思い入れを持って大事にする事なんてもう出来ない・・

その子と直に接している時は、全然そんな風に感じなくて、惰性だけで「ダルい」と捉えてしまうけど。
一人になって考えていると、そうやって大事に出来ない悔しさや寂しさや申し訳なさが募っていって傷みたいに感じる。
そして、また接してる時は同じ風に惰性で流して。
学習しない。学習するつもりも無いのかもしれない。
毎回毎回、その繰り返しだ。

その子と話をする時も、適当な無難な事しか言えなくなった。
その子に対する、気持ちの入った自分の言葉、というものも持てなくなってしまった感じだ。



2005年10月28日(金)

今日は一日、ずっと気持ちが沈んでいた。
どうにもならないのは当然だけど、どうにもならないようにした奴らは許さない。一生憎み続けるてやる。
社会とか世の中とか人生とか運命とか、全てのものを憎んでいる。
ため息しか出ない。
出来る事なら殺してやりたい。
殺したところで、結局何も取り戻せない。
不条理だ。
何で綺麗な子が汚い汚物なんかに汚されなければならないんだ。
しかも、それを肯定するのが社会だろ。批判する方が悪として見なされる。
搾取する側の意見のみが、大衆的なものとして支持されているのが風潮だ。社会での発言力を持っているのが、エロジジイとかそういう奴らが殆どだから、社会的にもそういう風にされてるんだろ。腐ってんな。
社会は、搾取する側寄りの視点でものを見る。
そして、少年は泣き寝入りをさせられるという訳だ。
被害に合わされた子が、自分の辛さや怒りを訴えたところで、社会はそれを「ワガママ」と見なす。そして我慢させる。
そういう子を、どんどん謙虚な人格に追い込んでいく訳だ。
そして、それが当然と見なされる。驕慢にも。
搾取野郎を批判する人間に対してもまた然り。
本当に最低な社会。
汚い意識を肯定する汚い奴ら。

少し、欝が戻ったかな。

何かを考えるよりも、ただ沈み込んだ気持ちを感じ続ける。
近いとは思うけど、やっぱり欝の頃はこんな程度じゃなかったと思う。
認めたくなくて、信じたくなくて信じられなくて、それでたまらない気持ちになっていた。今は、どこか信じて皮肉っぽく受け止めてしまっているような感じだし、あの頃のたまらない感覚には程遠い。

「パラノイド2004」を観終わった。
何というか、出来の悪い映画だったと思う。
中身が無くて、雰囲気も無くて。
学生が作ったような感じの映画だ。
ストーリーとは関係ないけど、登場してくるキャラクター(被害者)には、それぞれシリーズ物ホラー映画の殺人鬼の名前が使われていた。
ジェイソン、フレッド(フレディ)、マイケル、ヘルレイザー、と。

俺の頭の中の思考が筒抜けになっていて、考えが深いところに入りそうになった瞬間、周りの家族が「これ以上耳にするのは不愉快だから」と、俺の思考を散らすような行動に出る。そんな意識が頭に浮かんだ。
まるで、目覚まし時計でも止めるかのような感覚で。
何様なんだ、と怒りがたぎる。

今日は午後17時頃に目が覚めた。
寝起きから色々といやらしい事が浮かんできて、モヤモヤするようなムラムラするような嫌な感じだ。絶対にあって欲しくない認めたくない事と、それに対して欲求を求める意識で、どうしようもない気分になる。

あの子がそういう目に合わされた、という意識が薄れて麻痺した感じで、別れなければならなかった、という無念が先に来るようになってしまっている。

携帯サイトを色々な検索エンジンに登録した。
知り合いから「やっぱり、着メロサイトじゃないと集客は難しい」と言われた。もしかしたら、着メロも置く事になるかもしれない。
着メロというか、着うたの落とし方と設置の仕方を教えてもらった。
とりあえず、MALICE MIZERやクリスマスソングなどを集めてみる。
その後、エタカにログインし、久しぶりに自分のキャラクターで狩りをした。割と、頭の中を空っぽにしてのめり込む事が出来たと思う。



2005年10月27日(木)

俺から見える人生には、大きく分けて、ゲームとかネットとか趣味や生活その他色々の「どうでもいい世界」と、価値観やら色々、少年の存在を含む、自分を縛る「絶対に認めたくない世界」の2つがあるのだと思う。
「どうでもいい世界」の方は、飽きたらすぐ身を引いても良いし、自分の中で縛られるようなルールも必要も何もないような事に関する世界。
優先しなければならないのが「絶対に認めたくない世界」
本当は元々「絶対に認めたくない世界」なんて定義じゃなかったと思うけど、そういうのを色々知った以上はそう定義する。
俺は常に「絶対に認めたくない世界」の方を意識していなくてはならない、という意識が強い。価値観的に。
あの子の事で考えてみる。
最初にあの子と知り合って、その「どうでもいい世界」の方で関わっていた。どうでもいいようなゲーム内でのもめ事や俺が風邪を引いた事についてや出席を取らない授業だから休んでも大丈夫だ、など、そんなに大きくない事に関してまでも俺を気遣ってくれていたけど。
本来、こういう子とは「どうでもいい世界」でのみ関われているのが理想的だ。というか、それが本当に普通の事なんだと思う。
でも、あの子は、絶対に認めたくないような目に合わされている。
「絶対に認めたくない世界」視点で俺が気遣ってあげなくちゃいけない存在なのに、「どうでもいい世界」の事で気遣わせてしまう自分自身が最低だ、という事になる。気遣われる以前に、そういう目に合わされてしまった子を前にして、「どうでもいい世界」にかまけてしまっている自分自身が最低になる。だから、そういう趣味とか色々、そういう世界視点では関われない。
また、俺は「絶対に認めたくない世界」の方でそういう子と関与する事がたまらなくストレスなので、それを自分で避けてしまう。避けてしまう俺自身が至らない、と言われてしまえばそれまでだけど。
そういうタイプの少年と「どうでもいい世界」の方で関われているのが、俺にとっての幸せだ。その子自身が「絶対に認めたくない世界」にまるで関わらない存在で。
なので、俺はあの子とは関われない。

俺にとってのあの子の存在は、絶対視していた存在の中に含まれる存在だ。そういうタイプの少年というカテゴリーに入った存在を、俺は信じて神聖視し希望にしてきた。
価値観全てに関わってくる。
なので、あの子がそういう目に合わされる、なんて事は「ただの失恋、一時的な傷」だけじゃ済まされない大きな事だ。
人生全部、価値観全て、生き方全てに関わってくる。
今まで大事にしてきたものが全部壊れて、全部が狂ってくるくらいに。
でも、あの子からしたら俺の存在は、ただたまたま恋愛感情を持った内のただの一人。だから「ただの一時的な失恋の一つ」で済むと思う。
「今までしてきた恋愛で一番好きになれました」と言ってくれたけど、別にその子の生まれ以って信じてきた価値観に何の影響も及ぼさない、たとえ考える事を辞めたところで自分の信じる生き方を裏切る事にさえなり得ない。
大なり小なり、俺の個人的な感覚で言うところの「どうでもいい内の一人」だろう。
受けるショックも感情だけで済む訳だ。
その子と俺の条件なんて、全然対等でも何でもない不公平なものに感じる。
あの子の俺に対する価値観。
感情が薄れても後ろめたさを持つ必要もなければ、常に意識してなければならない義務もなければ、感情を戻そうと躍起になる必要すら無い訳だ。
忘れたいと思えば、何の咎も感じずに忘れ去ってくれても構わない、そういう条件さえない訳だし。
でも、俺は自分の中で、そういう子に関してそういうルールを持っている。
知った以上は常に苦しんでいないと後ろめたい、みたいな。
一生絶望し続けてないと最低なんだ、とか。
でも、あの子はそういう存在なので、あの子自身はそういう意識に縛られる必要なんて欠片も無い。
関わらなくなってから2年近く経つけど、もう、とっくにどうでもよく思われたりしてるのかな。あの子には、どうでもよく思っても良い自由があるし。

なんか、今日吐き出した文章は、自分自身の意識とあまり大きな食い違いなく、普段意識されているものを文章に変換できたような気がする。
少しスッキリ。

GyaOで「ツールボックス・マーダー」というホラー映画を観ていた。
まだ途中だけど、中々に面白い。
殺人鬼は被害者を襲う。
この「襲う」という行為から連想されて、少し色々考えた。
タイプの男の子が可愛い格好をしていたら、凄く魅力を感じて心惹かれる。
でも、そういう可愛い格好をしていたりすると、変な奴に目をつけられて襲われたりするんだよな・・、と。
別に女がどんな格好をして出歩こうと珍しい事でも何でもないので、変質者からもスルーされたりしそうだけど。
可愛い男の子が魅力的な格好をしていたら、その特殊性から必ずといっていいほど襲われる。変質者からしたら、「こんな可愛い子珍しいのに、このままほうっておく手はないだろう。自分の手で汚してやる」とかなるんだろ。自己中にも。
そんな魅力的な格好をした子とデートがしたい、なんて妄想を昔から浮かべる事が多かったけど、襲われるなんて耐えられない。
そういう奴の視界に入って、そういう目で見られる事自体どうしようもなく嫌なのに・・
胸が締め付けられるような嫌な気持ちになってきた。

何か強い気持ちが込み上げてきそうになったまさにその瞬間、待ってましたとばかりに邪魔される。今また邪魔が入って阻まれた。
今まで静寂だったのに。ほんと、神がかり的なタイミングだな。
まるで「自分にはお前の思考を遮る権利を行使する権限があるのだ!」とでも言わんばかりに。そしてそのまま、こっちの気持ちなんておかまいなしにズカズカズカズカ踏みにじる。当たり前のようにガチャ!バターン!
俺が考え事始めたから部屋移動始めたんだよな?てめえはよ。
それがまたどうしようもなく腹が立つ。
あ〜、糞親父、、
今、そういう子が大好きでたまらないような気持ちが、また蘇ってきそうになったのに・・
もう、こういうので考え事するのが怖いんだよ!
どうせまた邪魔される、どうせまた邪魔される。
一度散らされてしまった感覚は、中々元には戻らない。
無意識に頼るしか無いんだよな。
そしてまた沸き上がって来る頃には、待ってましたと邪魔される。
延々ループループループ。
完全防音の部屋が欲しい。
子供の頃からの夢だった。
というか、夢以前に、普通に考え事に浸れるだけのごく当たり前の権利の主張、切実な願いだと思う。
人一倍神経質に生まれ育って、人一倍神がかり的タイミングで邪魔されて。
俺にはそんなものなんて最初から与えられてないのかな、と腹が立つ。
てな事を書いてる今は、すっごい静寂!
マジ何なんだろ・・
何か確信的な事に迫りそうになった瞬間、この静寂が打ち破られてしまうんだよ!奇跡的に!いつも!!
ありえねぇ・・
どうせこのまま映画を観ながら、そんな事も忘れて無意識的に浸れそうになっても、どうせまた邪魔が入ってしまうんだろうな。狙ったようなまさにその時その瞬間に。
現在午前3時20分。
さっき打ち破られたのは午前2時50分くらいか。
いつもジジイが起き出してくるのは午前5時少し前。
いわゆるジジイタイムですらないというのに。
こんな時間に邪魔されるなんて思わなかった。糞ジジイ。
あっ、ありえるのか。何せ強い気持ちが湧き上がってきた瞬間だもんな。
もう完全にお約束だ。
どんな時間だろうが邪魔しない手は無いもんな!糞神がよ。
まともに考える事が許されるのは、いいところで邪魔されて、それに対して怒りをたぎらせる場合のみ、か。

もう1時間以上ずっとずっと怒りっぱなしだ。
イライラが収まらず、他に何も感じず、考えられない。
その間、ずっと辺りは静寂だ。
深く意識にのめり込む、という条件にでもならなければ、あの神がかり的雑音条件は発動しない。
イライラしすぎて、本当に何も考えられない。せっかく静かなのに。
もっとも、考え出す事が出来たところで、どうせまたあのタイミングで邪魔が入る事は明らかだけど。
あ、あと30分ほどでジジイタイムだ。
こういう時に限って、それを忘れて考え込んだりしちゃうんだよな。
そして、タイミング的にかぶさる訳だ。
大雑把じゃなくて精確に。まさに神!

自分が何を望むのか。
それが見えてきそうになった瞬間邪魔されたのだ。
怒りがたぎって当然だ。
ただ、俺はそういう男の子自身に、「自分は絶対にそういう目には合わないから」、と安心させてもらいたかっただけだと思う。
そうだそうだ。
以前から、俺が一番に望んでいたのはそれだった。
それさえあれば最高なのに。
あの話を聞かされるまで、俺はあの子こそがそれを感じさせてくれる存在なんだ、と強く期待を拠せてた。

「ツールボックス・マーダー」を観終わった。
展開はありきたりだけど、最新のホラー映画で映像も綺麗だったし、その上で古めかしいアパートが舞台だったり、色々と新鮮で面白かった。
ホラー映画は古いものが殆どだ、という事もあるけど。
曲を含め、現代の映画はスクリームなどが公開されていた8.9年前の文化とそう大差ないように感じる。
でも、8.9年前と、さらにその8.9年前(現在からさかのぼって16〜18年前)じゃ曲も文化も全然違うように感じられる。何なんだろうな。
96年辺りじゃ、すでに俺自身の自我がハッキリするようになっていた時期だから、というのは関係ないか。
とにかく新鮮な感じで面白い映画だったと思う。
やっぱり、映画を観るなら普通の時間じゃなくて、深夜から朝方にかけてが一番だな。
その時間帯が一番映画を面白く感じるのは、人間の意識感覚みたいなものに関係があったりするのだろうか。「夜書く手紙は昼間読めない」なんて格言があるくらいだし。
映画の楽しい時間帯というのを、俺は感覚的に深夜番組にハマっていた中1頃から知っている。

以前あれだけ苦しかったのは、まだ心の底に望む希望があったから、安心して苦しみに浸っていられた、という部分もあったかもしれない。
望める希望が無くなった=もう後が無い。
だから、今は苦しむ以前に考える事から逃げてしまう、とか。

少し前、日本でも「フランスの片田舎で式を挙げる」なんて言葉が流行っていたな。
本人は周囲に対し「慎ましいのよ」的態度を示し、意図しているのはその慎ましさの裏に漂うお洒落さだ。
現地民のフランス人じゃ、「片田舎でひっそりとした式を挙げる」なんて質素で慎ましいものなんだろうが、わざわざ日本から大金かけて海外の田舎を目指す、なんて響きと反して慎ましさなんて欠片も無いよな。
ただその響きに酔いしれてるだけちゃうんかと。
痛いというか滑稽というか。所詮はどうでもいいような金持ちの道楽意識。
日本の田舎で式挙げろ、と。
なんか、いやらしさを感じるんだよな。
大衆向きでなく、仲間内でのホームページで「管理人」を名乗る奴らも痛すぎる。キャラ名でいいだろ、と。
例に出すなら、エタカギルドBloody Rose.の歌う犬みたいな奴。
殆ど顔見知りしか来ないような場所で、わざわざ名前が「管理人」
そんなに「これは自分が作ったものなんだ!」と示したいのか。
本当に痛々しく感じてしまう。
他によく居るのが、軽さが売りの天然ぶった好々爺気取りの糞ジジイ。
目にするだけで反吐が出る。何でもかんでも軽く流して一人で気持ちよくなってんじゃねーよ。それで真っ当、当たり障りないつもりかよ。
そんな自己満足意識で軽はずみに受け取られ、話してるこっちは内心ぶちギレそうになってくる。
眠りに就こうと横になってて、こんな事が浮かんできた。
下衆で腐ったショタコン野郎などのディープなものから、今挙げたような浅いものまで、心底人間が大嫌いだ。
「お前だって人間だろ?」なんて愚問だな。
ショタコン共に恨み持ってるショタコンの俺が、ショタコン共憎んじゃいけねーのかよ?っていうのと同じこと。
嫌っていけない訳が無い。本当に人間が大嫌いだ。

現在午前8時9分。
今日の授業は4時限目だけだけど、午後14時過ぎには家を出ないと間に合わない。そろそろ寝ないとまずいよな。

午後14時40分頃に目が覚めた。
少しモヤモヤする感じで息苦しい。
教室に入った頃には、授業も残り20分くらいだった。
精神保健学だ。
黒澤明の「赤ひげ」という映画を上映していたので、途中から観た。
内容は、子供の頃から性的虐待を受け続けた女が、心を病んでしまったという感じの時代劇だ。
授業が終わって図書館に行った。
「ラストサムライ」を観る事にした。
以前親父が借りてきたのを観たのだが、その時は日本語吹き替え版だった。
昔、あの子が観たいと言っていた映画でもある。
良い想い出とかじゃ全然ないけど、とりあえずちゃんとした字幕で観ようと思った。
1時間少しくらいで、閉館時間が来たので家に帰った。
本屋でヤングジャンプとヤングアニマルを立ち読みした。
帰り道や本屋に居る時、周りの人間たちにイライラするような感じが強くて、気分が悪くて嫌だった。
いちいち寄ってくんじゃねーよ、うざい、目障り、腐った生き物。
そんな意識で。
あの子が「よし」と認めるものなら、俺も「よし」と認められる。
なんて事には、全然ならないんだよな。もう。
だから、別にラストサムライの内容が、俺にとっての拠り所、という風にも全然なれない。
そういう事さえなければな。

図書館で映画を観ている時に考えた事。
タイプの男の子を慰み者にするような事を「よし」としているような、これ以上ないというくらいに最低に自己中な奴らの言葉に、何故耳を傾けなければならないのだろう。でも、そういった強制が社会なんだろ、と。
そいつらは、男の子をそういう目に合わせながらも、今も何事もないかのようにのうのうと生きている。
まるで、自分の生活にとって当たり前の事をしただけで、「自分は何か悪いことをしたのか?」といった態度で、何の咎を受けるいわれもないのだという意識を持って生きている。そして、そいつらはそうやって自分の人生が平安的に終わっていくのだ、という事を信じている。
不条理だ。
そういうタイプの男の子は、殆どの子がそういう目に合わされる。
でも、そういう子をそういう目に合わせた奴らは、俺のようにそういう子自身から好きになってもらえた訳じゃないんだろ。
安心したか?と自分に問いかけるみたいな感じになった。
そういう子自身から感情を持たれる事もなく、無理やりレイプみたいな感じで搾取にかかる奴らが殆どだ。
そんな事を考えた。
だから何?そんなの、俺にとっての安心なんて全然ならない。
喜びになんてなる訳無い。
何だこの妥協案的な考えは。
嫌になる・・
社会様、世の中様のために、こういう妥協を強いられる。
そんな構図が浮かんできた。
死ね。

気分が沈んでモヤモヤする。
少し辛い。

ギャオで「パラノイド2004」というホラー映画を観ていた。
途中で辛くなってきて、ベッドに横になってボーっとしていた。
男の子の事が浮かんで来るのが苦痛なのに、ボーっとした後、男の子の事を浮かべて欲求を処理した。自己矛盾してると思う。

知り合いにタグを直してもらって、今日から自分のサイトを公にする事になった。当面は、一日にタバコ3箱買えるくらいの収入が得られたら良いと思う。とりあえずこっちにも作ったサイトをUPしておく。
携帯サイト DESTINY



2005年10月26日(水)

しばらくまた、知り合いの垢でエタカにログインし狩りをしていた。
そして、その知り合いに裏切られたような感じになっていた事が判明したので、もうその知り合いのレベル上げを手伝うのは辞めにする。
これからエタカをする時は、また自分のキャラを育てて行こう。
というか、以前はGyaOでここまでスムーズに動画を観る事が出来なかった。
読み込みだけで30分くらいかかったり。
今日サイトに行ってみると、読み込みまでの待ち時間が殆ど0だ。
面白そうな映画がいくつかあるし、映画にしようかエタカにしようか少し迷う。
パソコンテレビ無料配信サイト GyaO

「コール」というサスペンスものの映画を観た。
「クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア」でレスタト役をしていた俳優が出演していた。こっちはまあまあ面白かったと思う。
また、心の内がモヤモヤと気持ち悪くなってきた。
ストレスかな。

どうせ、その知り合いにも影じゃボロクソ言われてきてたんだろうな。
結構ショックだった。

今日は午後16時半頃に目が覚めた。
結構遅起きだ。どちらにしろ今日は学校は休みだが。
見ていた夢の影響なのか、寝覚めから頭の中でマライア・キャリーのクリスマスソングが流れていた。それで少し和んだ感じだ。
以前耳にした、少年が〜される、という類の話が浮かんできた。
「ふーん」「へぇ」みたいな感じで、何だかどうでもよくなってしまったような気持ちで、そのまま受け流してしまった。

携帯サイトについて教えてくれる知り合いからメールが入り、お勧めの広告などを教えてもらった。
今日は色々な広告サイトに登録したり、結構面倒くさい事ばかりしていた。
いつものごとく、このままでいいのだろうか・・という不安が沸いて気分が沈んだ。
絶対認めたくないような事を目の当たりにして、それについて何も納得できてないままなんだ、と悲しいような不安な気持ちで一日を過ごした。
一体、自分は何をやっているんだろう・・、と。
色々なやりきれない事から目を逸らし、こんな作業にかまけていて、自分がどんどんぬるくなっていくような、そんな嫌な気持ちになった。



2005年10月25日(火)

一ヶ月前、「誕生日まであと二ヶ月か。あっと言う間なんだろうな」と思っていたけど、今日であと一ヶ月になってしまった。
本当にあっという間だ。

地元の大学で文化祭があるとかで、駅で紙を配っていた。
陣内智則などが来るらしく、暇だったら行ってみようか、と思っていた。
22日だ。もう過ぎてるな。
うちの文化祭は11月だ。笑い飯などが来るらしい。
去年はアメリカザリガニだったな。
俺の誕生日の11月25日には、学校の周りの柵にもライトが飾られ、ロビーにはツリーが立てられるようになる。季節を感じる。
去年は五時限目まで授業があって、時間にして午後18時。
その時間にはライトも消されて結構暗い。
薄暗いロビーに巨大なツリーが立てかけられているのを上から見下ろす、その静かで寂しい雰囲気が何となく好きだったな。

何でいつも、考え事をしようとすると邪魔されるのか。
タイミングを見計らったかのように、いつもいつも気を散らされる。
神様とかいっても、俺に対しては邪魔する事しか能がない疫病神みたいなものなんだな、と本気で思える。
運命とか神とかそういう力が働いているのだ、と。
何かの意思が働いているとしか思えない。
様をつけてやる気にすらならない。肥溜めの糞神がよ。
ただの偶然とは思えないくらいに毎日だ。
何だこれ。考えに踏み込む時の効果音のつもりなのか?と。
毎回毎回、ふっと深く考えに踏み込みそうになった瞬間反らされて、気持ち悪くてしょうがない。
考え事だけじゃなく、欲求処理の時もいつも同じタイミングで邪魔が入るな。こっちは自分でも恥じてる部分が強いので、あまり書く事は無いのだが。
何かにつけてとことんまで邪魔をして、破綻させるのが目的か、と。
俺を被害妄想だ、といって呆れて見せる奴が居るとする。というか殆どの奴がそうだろう。そいつらも俺と同じように、何かにつけて毎回毎回ありえないくらいに同じタイミングで邪魔が入るようになったらどうだろう。
それでも「被害妄想」と言えるのだろうか。何億分の1の確率だろ、こんなの。毎日毎日考え事をしようとする度邪魔が入って、その度事にイライラしながら息を殺して音が止むのを待っている。
で、止んだかと思う頃には「何考えてたんだっけ」だ。嫌になる。
神経質なものだから、形式だけで思い返すの繰り返しだ。
悩まなきゃいけない事は多いのに、それさえままならない感じで中途半端になってしまう。

エタカのヒューマンになって、草地の広場みたいなところで爆弾を投げたりして兵士を倒しまくる、という夢を見た。アウトポストも混じっている。
別の場面では、海沿いのマンションの最上階に住んでいたのだが、前日の雨のせいか水かさが増し、最上階の窓付近ギリギリまでが海のようになっている。そこへ菓子パン売りの船が来て、俺は自室の窓から直接パンを買った。
しばらくしてもう一度窓を覗いてみると、水かさが20メートルほど低くなっていた。
また別の場面では、ある部屋でキョンシーと戦っていた。
普通のキョンシーが50体、凶暴キョンシーが10体、ボスみたいなキョンシーが7体、と隊のようになっている。
チビクロキョンシーも出てきたのだが、チビクロが暴れている時、何故か他の全てのキョンシーは眠っている。
でも、俺が直接戦ったのは普通の姿をしたキョンシー1体だけだ。チビクロ以外、どれも同じような姿をしているので、どれがどの種類なのかの見分けはつかない。
倒しても倒しても起き上がるので、花火で顔を焼いてみたりと色々試した。
やっと起き上がらなくなったので、布団に寝かしてそのまま燃やす事にした。チラシに火をつけ、キョンシーの胴体の上に乗せるのだが、すぐに火が消えてしまう。
またチラシを燃やし、胴体に乗せ〜、を何度も何度も繰り返していた。
今日は午後15時頃に目が覚めた。
珍しく朝方親に起こされたのだが、昨日殆ど眠れなかったので、そのまま眠り続けてしまった。
今日の授業は2と3だった。
目が覚めた頃にはすでにどちらも終わっていた。
結局、今日も学校をサボってしまったという事になってしまった。

以前登録していたGyaOからお知らせメールが来た。
「キョンシーを無料配信」との事だった。
サイトに行ってみると、「来来!キョンシーズ」の1話だけ見れるようになっていた。これから週ごとに続きの話を配信していくらしい。
今朝、来来!キョンシーズの混じった夢を見たばかりなのに、偶然だな。
久しぶりに見てみる事にした。
BGMとか色々、懐かしい雰囲気を感じる事が出来たと思う。
見ているうちに、また少しどうしようもない気持ちになって、沈んでいった。

そのまま続けて、GyaOで「タイムライン」という映画を観た。
歴史学者のグループが14世紀のフランスにタイムスリップする、というストーリーだ。めちゃくちゃ面白い、という程でもなく微妙な感じだ。
観ている間も、色々世俗的な不安が浮かんでモヤモヤしていた。
明日は学校が推薦入試とかで、休校だ。
明日は学校が休みなので、気が向いたらもう一本くらい観てみるか。



2005年10月24日(月)

ゲームしててもずっと気分良かったと思う。
いつもこんな気持ちで居られたらいいのにな。
あの子が現れて、その話を知るまでの短い時間もこんな気持ちだったんだと思う。
別に、その時みたいな嬉しい事があった、という訳でもないのだが。
後輩の存在が、まだ自分の中で拠り所になってる部分もあるのかな、と思うと少し嬉しい。
普段なら、後輩について考えても「そういう目に合う」というのが意識されて、中々そうもなれないのだが。
そういう子がほんと可愛い・・

意味も無いのにワクワクと高揚していて、それを不快にも後ろめたくも感じない。
なんか、本当にこういうの久しぶりだ・・
自分にとって、やっぱりそういう子が唯一の希望なんだ、と思えると安心できる。この感覚を持ちながら、そういう目に合わされてないそういう子の言葉を聞くと、また絶対視できたりするだろうか。
凄く特別な存在。

メッセの子から昨日聞いた「骨が砕け散った」、というのが度々意識に浮かんできて、恐ろしくて手の力が入らなくなる。
切り離されたパーツは血がついていても痛みは感じなくなってるんだ、とか考えてしまって・・
砕け散ったという事は、骨が露出して路上に砕け散ってしまってるようなイメージが浮かんだり。俺は、大怪我らしい大怪我は、今までの人生で一度も負った事が無いと思う。
凄惨過ぎる。
しかも、それが自分よりもずっと年若くて幼いような少年が受けた痛みで。
どれだけ痛い事なんだろう。
意識を失っていなかったらショック死するくらいの痛みだろうか・・
可哀想と思うより、背筋が凍るというか血の気が引くというか、そういう風になってしまう。とても怖く感じてしまう。
血が凍る、というか。

今日は午前8時頃に、一度肺か胃がやたら痛んで目が覚めた。
そのまま二度寝してしまい、次に目が覚めたのは午後14時頃だった。
4時限目には間に合いそうだけど、もう今日はサボってしまう。
今年で最後かもしれないのにな、と。
俺は、最悪な事さえなければ、大学生活も楽しいものになってたかもしれないのにな、と感じる事が多かった。耐えられたかもしれないのに、とも。
俺は大学生活を辛いものに感じていたようだ。
大学生活なんて、本当ならかなり和んだものなはずなのに。
認めたくない事ばかり抱えながら、何かに取り組まなくてはならないから辛かったのか。
もうすぐ終わりかもしれないと思うと、もっと堪能しておけば良かったな、と惜しむ気持ちが強くなる。
寝起きからそんな事を考えていた。

俺は学校を辞めた後、また周りと同じように学生になりたいと思っていた。
そして、大学に入った。
入ったら入ったで、欝になる事が多くなり、今のこの時間を楽しんでいる余裕なんて無いんだ、と感じる風になってしまった。
よく知り合いや親戚から「大学楽しい?」と聞かれたのだが、今考えるとそれは本来大学は楽しいところだ、という意識が世間一般では強いからなのかもしれないな。
少し人生さかのぼってやり直したくなっくる。
そしたら、また認めたくない事ばかり意識されて同じ事になるのだろうか。
結局、今でも人生に対し何も納得出来てないままだし。
納得できる条件なんて存在しないし。
何か、納得できるきっかけがあるまで、何度も何度もさかのぼって人生やり直せたら良いんだけどな。

そういう子が綺麗で可愛くて畏れ多い存在なんだ、という意識や感覚や妄想に浸りやすくなったと思う。
またいつ浸れなく、そう感じられなくなるか分からないし。
浸れる時は浸っておくようにしようと思う。
素晴らしい存在や尊い存在に感じられて、羨望?感覚が蘇る。

また数時間、エタカに入って狩りをしていた。
このままでいいのだろうか・・と不安になった。



2005年10月23日(日)

俺は、メッセの子は1ヶ月ちょいくらいで退院するものだとばかり思っていた。でも、今日聞いてみたところ治療も含めて10ヶ月以上かかるとか。
それでも、元のように歩けるかどうかも分からない、と。
「一番酷かった大腿骨けい部なんて骨が砕け散ったんですよ」と、とても生々しく感じて、恐ろしくなってしまった。
その子自身も、自分が何故落ちたのか分からない。
記憶にさえないと言う。
そんな原因さえも分からないような状況で、一生傷のような酷い怪我まで負ってしまって・・

さっきやっと携帯サイトが一段落ついた。
疲れた。ぶっ通しの作業で3日くらいかかった。

また胸が締め付けられる。
気分が沈む。少しなりとも苦しみが実感できるのは良い傾向だと思う。
目の当たりにしてるのに苦しめないなんて最低だからな。
でも、それ以前に何も起きていない、でないと最悪だ。
苦しむ必要が無いくらい、そんな現実なんてあっちゃならない。
というか、それが当然であるべきなのに。
何故、認めたくない最悪な現実がこうまで存在しているのだろう。
こんなに腐った奴らばかり溢れてて・・
汚い奴の分際で綺麗な存在汚しやがって・・・


以前シーメールサイトで見つけた画像を、PCの中から久しぶりに見つけた。中学の頃に好きだった部活の後輩にそっくりでドキッとする。
数ヶ月前に見かけた、今現在のその後輩(と思われる。以前日記にも書いた黒髪に金メッシュの小柄な男の子)のイメージにもピッタリだ。本当にこんな感じだ。チラっと横顔を見た程度だけど。
というか、過去のその子じゃなくて今現在のその子のイメージにピッタリくる。その子はホルモン注射とかをしていないのに、本当にこういうイメージで、こんなに綺麗な存在が居るんだな、と浸ってしまう。凄く特殊な存在だ。肌の質感とか髪質とかも今現在のその子に全部そっくり。
とても可愛くて凄く惹かれる。
容姿だけで判断しても、男なのに女より全然魅力的に思う。
これが、とても自分より1歳下の成人男性とは思えない。
因みに、この画像の人はバンコク人らしい。
驚くくらいに瓜二つだ・・
何時間でも眺めていられそうな気がする。

キョンシー映画とゾンビ映画をレンタルしている夢を見た。
キョンシー映画の方は「幽幻道士」と「幽幻道士2」の間の話という事で、仮面を付けたキョンシーが大量に出てくる。どれも実は人間だった、という話だった。ゾンビ映画の方は少し気持ち悪い感じだった。
ごく稀に夢の中にゾンビ映画が出てくるのだが、その続編という設定だった。夢の中に出てくるゾンビ映画のシリーズは現実には存在しない作品だ。以前見た別の夢の中にも出てきていた。
今日は午後14時前に目が覚めた。

またしばらく、今朝画像を張ったこの日記を眺めてボーっとしていた。
本当に恵まれた容姿というか、こういう子は自分自身が宝石みたいな感じなのに、他の何かを求める必要なんてあるのだろうか、と思う。
眺めながら、好きだった後輩と過ごせていたらどんな感じだったんだろう、という妄想に浸ってしまった。
中学時代から関われていたら。
この画像の姿が、現在のその子の姿だという設定にして。
後輩は、何となく親とかからも凄く保護されてきたような存在なんだろうな、というイメージがあって、こんな女装みたいにしてて反対されたりしないのだろうか、とか。そういう子が、保護者から反対されるような生き方を選ぶとも思えないところがあって。
保護されてる存在なのに、そういう事に足を突っ込むというのが、保護されてるはずのそういう子が不良化してしまった時に抱く感覚と少し似ている。
自分の意思で保護されてるようなイメージがあるのに、自分の意思でそういう事に足を突っ込んだりするものだろうか、とも。
中学時代の俺が今現在のその子の姿を目にしたら、どういう風に思うのだろう。変わってないな、と感じるのかな。
当時の俺がタイムスリップみたいになって、その子と遭遇していたら、という設定の妄想にも浸ってしまった。
相手の方が年上なのに、自分よりも後の年に生まれた存在だから、相手は自分の年下だという意識があって、さらに相手も敬語で話しかけてきたりするのだろうか。やっぱり、自分の後輩(年下だという意味の)だというイメージで見れそうだ。この子がこんな風に成長するんだ、としみじみ感慨に浸ったり。本当に凄く若い。

いつまでも眺めている訳に行かないし・・
エタカでもするか。
心地良い感じで、心臓の鼓動がバクバクと高鳴っている。
抱きしめたいような欲求にかられる。
それでも、昔と比べりゃだいぶ薄いか。
その子の人生に興味を持ちたい。

エタカにログインし、数時間ぶっ通しで狩りをしていた。
今日は、普段と精神感覚が全然違う。
とても和んだ感じで狩りに集中する事が出来たと思う。
何だか、凄く心が軽い。
こんな感じも、本当に数年ぶりくらいの事に思う。
今日は寝覚めから心がスッキリしたような感じだったし、今日一日なんだかとても楽だった。
後輩似の画像の影響だな。



2005年10月22日(土)

携帯サイトについて教えてくれる知り合いに、どこにファイルをUPすればいいのか聞いてみた。
すると、携帯サイトはFFFTPじゃなくレンタルサイトから直接タグを打って更新するのだ、という事を教えられた。
半分くらい作り直しみたいな状態だ。
そこからまた数時間、作業に没頭し続けた。
しばらくして疲れが出たのでボーっとしていた。
タイプの男の子に好きになってもらえるなんて、本来ありえない事だった。
願っても無い。
でも、俺はそれを拒絶した。
何で?と疑問を感じた。
メッセの子への後ろめたさで、一時的に普段の意識が意識されなくなってるのかもしれない。
何で拒絶なんてしたんだろう、自分は本当に拒絶したかったのだろうか、と。でも、俺はあの子を拒絶した。
本当ならここで終わりだ。
なのに、あの子はそれでも好きでいる、と言ってくれた。
拒絶したのに・・
そんな事を考えていて、凄く寂しいような切ないような気持ちになった。
それでも好きでいてくれる、と言ったあの子の気持ちを、その後の俺はさらに拒絶し嫌がった。あの子の気持ちが無くなる事を望み続けた。
俺は元々、タイプの少年を自分よりもずっと上の存在に見ていた。
普通は俺の方がそういう子に拒絶されるのが自然な形だ。
そういう子の気持ちというのは、本来俺にとってはただただ嬉しいものにしかなり得ないのに。自分の事を一番好きでいてくれるのが、俺がずっと望み続けた存在だなんて、本来これ以上の幸せなんて存在しない。
あの子は「世界で一番応援してます」と言ってくれた。これ以上嬉しい事なんて無いはずなのに。
その下の存在の自分に拒絶され、それでも好きだと言ってくれていたのに、それもまた拒絶され。
本当ならそこで終わりなのに、それでもまだ続く気持ちを、喜びもせずにまた拒絶。諦めないその子が、普通の条件なら喜びだ。
希望の繋ぎ、というか。絶えてない、というか。
というか、普通の条件ならそれ以前に拒絶なんてしないか。
なのに、俺はその子が諦めるよう諦めるよう仕向けて行った。
凄く悲しくなる・・・・
多分、しばらくすればまた普段の意識に戻るんだろうな。
悲しい。

デスノートのレイ・ペンバーと魅上照が同一人物のような設定の夢を見た。
月がノートを託した相手が、実は月を追う立場にある者で、さらに個人感情的には月の賛同者だ、みたいなややこしい感じの内容だった。
今日は午後13時頃に目が覚めた。
夢の中に男の子は出てこなかったけど、夢の余韻の感覚に浸った頭で男の子を浮かべた。
久しぶりに和むような状態になった。
適度な癒し、適度な欲求みたいな感じで。
俺が19歳くらいの頃に、たまに感じていたような感覚か。
本来はこういう感覚が俺にとってのデフォルトだったんだろうな。
最近は全然そうじゃなくなってるけど。
昔からの自分の性癖の一部なのか、普段俺は自分自身が男の子に触れるような妄想は浮かべない。度合いの強弱はあるけど、男の子が誰かにされている場面があって、俺はただの第三者として傍観している。
俺は気持ち的にはタイプの子が何かに触れられる、というのが耐えられないので、こういうのがまたジレンマだったりするのだが。
久しぶりに自分自身が男の子に触れたい、接したい、手をつなぎたい、肌に触れたい、みたいな軽い欲求が沸いてきた。
どちらにしろ不謹慎な事に変わりは無いが。相手が少年である以上、それが適度と言えるのかさえ疑問だが。
好きだった後輩や、以前街で見かけたタイプの少年が混じったような存在を浮かべた。そういう目に合わされた、という少年は和みの対象には出来ないけど、想像上の少年相手でもこうやって和んだ気持ちで妄想できたのは久しぶりに思う。
もしこういう子と関われてたら、過ごせたら、大学生活も本当に夢みたいに嬉しい生活だったんだろうな、と。
「猟奇的な彼女」に出てくる大学生は、何だか凄く幸せそうだ。
その彼女と知り合う以前の場面から、おっとり和んだような過ごし方をしている。それが一般的なのだろうか、とも。大学時代なんて、人生の中で一番のんびり出来る時期だし。
いつまでも浸っている訳にも行かないような気になって、自分が少年に触れるような妄想で欲求処理して切り上げた。

メッセの子から連絡が着た。
今まで連絡出来なかったのは、家族が居る前以外では携帯を使わせてもらえなくなったからだそうだ。
ベッドから全く出れなくてしんどいとか、もうこんな状態が嫌だとか、死ぬほど暴れたいとか、辛いとか苦しいとか、色々とキツイのだという事を伝えてくる。ストレスが半端じゃないらしい。
それを聞いてて、今まで意識の中でないがしろみたいにしていた事が凄く申し訳なくていたたまれなくなった。
同時に、まだこんなに子供なのにずっとベッドに固定されてて、凄く辛くて可哀想な事なんだよな・・、と感じてきた。
相談されるのがダルいとか思わずに、ちゃんと話を聞いてあげる事にする。
申し訳なさと、そう思ってしまう事が多かった事に対する可哀想さでいたたまれない。

ストレスが募ってキツくなる。
軽く息切れがしてきた。
何もかもが嫌なんだ。
認められるもの、希望になるもの、和んでいいものが無いのが辛い。
そういう子が唯一だった。
だからそれ以外に和みたくない。
それ以外で和んでも意味が無い。
今の条件じゃ和めない。キツイ。

この望みが自己中なものだとは感じていない。
汚い汚い腐ったゴミに奪われさえしなければよかっただけの話だからだ。



2005年10月21日(金)

何も感じず考えられず、みたいな状態が続いていた。
「どうせ考えられないなら」と、そのまま3時間ほど黙々とサイト作りに励んでいた。何だか本当に抜けてしまったような感じだ。
昨日一日、メッセの子からの連絡は無かった。

そういえば、あの子と知り合った頃というのは、まだ大学生活は1年半も過ぎていなかった時期なんだよな。
それから、何もかもがどうしようもなく希望の無いもの、希望に思ってもいけないものに変わってからの2年間、本当にあっという間に感じられる。
今じゃ大学生活も3年半が過ぎてしまった。
最初の一年半から比べて、希望が無くなってからの2年間の方が短く感じられてしまうのは何故だろう。
何もかもが淡白に薄れて、1日1日に強く残るものが無くなってしまったからか。

メッセの子が出てきた。
バイトの後輩、という設定らしい。
メールをしている時のような親しい感じで俺に話しかけてくる。
小さくて幼いバイトの後輩、というので俺の中じゃマクドでバイトしていた頃に好きだった後輩と混じったような存在として認識されていた。
夢の中で、俺はこの子と全然親しい感じでもなかったのに何故こんな風になっているのだろう、とか考えていた。
「バイトの先輩、リアルの知人に悪戯される」
と、メッセの子のリアルの事情が夢の中の設定として浮き上がってきた。
俺はマクドの頃の後輩だと思っているので、この子を悪戯する奴というのは俺の知人でもあるのか、と信じられない気持ちになった。
俺が現実に関わってる奴の中にそんな事をする奴が居るのか、と。
そんな感じの夢を見た。
今日は午後14時前に目が覚めた。
そういう子と親しくなれる、というのは以前の俺じゃ考えられない事だったんだな、と意識された。喜ぶ事は出来ないけど。
以前の信じられない喜びの可能性(そういう子と関われる)を、よりによってそういうのをたまらない程求めていたこの俺自身が否定している、という事が意識され、寝起きから息が詰まるような沈んだ気分になってきた。
夢のような喜びを奪われた、というか。
以前求めていたものを手にしても、それを喜ぶ事が出来ないなんて。
この現実を考えたら喜べないのは当然だけど。
陰鬱な気分になる。
胸が締め付けられるような感じで息苦しい・・・・
別に、少年を気遣ってとかじゃ全然無く、個人的不満による欝感覚だろうけど。

今日も7時間ほどぶっ続けでサイト作りに専念していた。
とても疲れた。
今日もメッセの子からの連絡は来なかった。その家族からも。
その子がこの日記を読みに来る、なんて事はないと思うけど。
ダルく感じる、とか凄く酷い事も書いてしまったな・・
申し訳ない気分になる。
今日の夢にも出てきたからか、サイト作りをしている間、ずっとその子の事が意識され続けていた。



2005年10月20日(木)

母方の祖父母が死んで、姿の見えない祖母に体を揺すられたりした。
母親が「御婆ちゃん」と呼んだら収まった。
夢の中で、「祖父母が10年後に生きてる事はあるだろうかと考えたりはしたけど、1年も経たないうちに死ぬなんて」と考えたりしていたのを覚えている。しばらくして、弟と母親が交通事故で同時に死んだ。
それから後になって、父親も死んだ。
俺は夢の中でも父親を嫌い憎んでいた。
俺は母方の祖母の家に居た。
これからどうやって暮らしていこうか、などと考えていると、弟の携帯に友達からメールが来ている事に気づく。
どこかのHPへの案内らしかった。
放置して、以前住んでいたマンションに行ってみる事にする。
小学校時代の同級生と出会ったので、しばらく泊めてもらう事にした。
死んだと思っていたのに、そこに何故か弟も居た。
そんな感じの夢を見た。
午前6時頃に目が覚めた。
昨日の状態が嘘だったかのように頭がスッキリした感じだった。
そこからまた二度寝した。
大阪に住んでいた頃の同級生と、自転車で二人乗りしていた。
俺は後ろに居たのだが、何故か座高がハシゴでも括り付けているのか30メートルほどあって恐ろしかった。
ラーメン屋の形をした変なゲームセンターの中に入っていった。
吉本の板尾や筋肉マンに出てくるロビンマスクを戦わせるようなプロレスゲームをやっていた。
午前11時半頃に目が覚めた。
自分の中で少年の存在自体を否定して、今更何を考えていくのだろう、とモヤモヤする。

自分がどうしたいのか分からない。
どういう風な状況を望んでいるのか、も。

今日の授業は4時限目の精神保健学だけだった。
ジャック・ニコルソンの「カッコーの巣の上で」という映画を一部放映していた。それについての感想文を提出する、というのが授業内容だ。
前回は「エクソシスト」だった。
この授業は毎回精神患者に関する何かしらの映画を見せ、それについての感想を提出させる形を取るのだろうか。
授業が終わり、図書館で「おもひでぽろぽろ」というアニメ映画を観た。
今日は最後まで観る事が出来た。まあまあ面白かったと思う。
何だか、空気が抜けてしまったように何も考える事が出来なくなってる。
昨日爆発するような感じで、酷い事を沢山吐き出す形になったからだろうか。後ろめたいというよりか、これだけ酷い事も考えるのに、今更思いやるなんて、と抜けてしまったような感じになった。
学校に向かう前に少し自作の携帯サイトに着手していたので、どういう風な形にしよう、などと考えていた。
家に到着する寸前、マンションの廊下を歩いている時に、月が低い位置に大きく赤く染まっているのが目に入って、少し不気味に感じられた。

昨日の感情を思い出すと、また少し息の詰まるような気分になった。
一応あれも全部本音だし。



2005年10月19日(水)

毎晩毎晩、一日が過ぎて終わっていく事に抵抗を感じ不安になる。
まだちゃんと考えきれていないのに終わっていくのか、とか。
もっと悩めたはずなのに、何故そうしないのか、とか。

今朝の午前0時頃、眠りにつこうと横になっていると、じわじわと良い感じに苦しみが募っていった。耐えられない、意識がボヤけてきそうな程のストレスを感じていた。
少し実感出来るようになるだろうか、と浸っていたところ、いきなりのドアの開閉音で吹き飛んだ。
また同じように苦しもうとしたところ、今度は同じ風に実感する事は出来なかった。
しばらくしていると知り合いからメッセが入った。
明日エタカで自分のアカウントでログインし、狩りをしてほしいとの事だった。とりあえずOKした。
それからまた別の知り合いからメッセが入った。
携帯サイトについて教えてもらった。
始めはランキングサイトじゃなく、自分の趣味の範囲のサイトを作っていく方が良いと言われた。
オカルト話の転載サイトにする事に決めた。
なので、この前レンタルした着メロ用ランキングサイトは使わない事にする。携帯サイトを作る上で色々便利なサイトも教えてもらった。
途中メッセの子からもメールが入った。
身動きが出来ない入院生活に凄くストレスを溜めているような感じの内容だった。何故だか今朝は深夜にメッセやメールが集中した。
午前4時半過ぎに眠りについた。
可愛い少年が出てくる夢を見た。
男に悪戯されるような感じの内容だった。
不謹慎なのにワクワクするような気分になった。
感情が強かった頃は、こんなに頻繁に夢に少年が出てくる事なんて無かったのにな。半年に1度見たら多いくらいだったのだが。
希望に出来なくなったからこそ出るようになったのだろうか。
夢の余韻に高揚する反面、そこまで強く心に来るような感じではなかった。
多分、普通の男が自分にとってどうでもいいような女を浮かべる、程度の卑俗な感覚でしか無くなってしまったのかな。
自分にとっての少年という存在は。
そうでなかった頃を知っているので、それに対する抵抗はずっと残っているけど。
今日は午前10時前に目が覚めた。
起こされもしなかった。
5時間ほどしか眠れなかった。

俺の薄れた欲望の前に、薄れた価値観もねじ伏せられてしまうんだな。
欲望自体が薄れているのに、それでいて苦しむどころか高揚したり。
そんな事を考えながら学校に向かった。
メッセの子が凄く苦しんでいて、その苦しさを伝えてくるのに、元気付ける言葉を考える事がダルくなったりしてしまう。
昔はあんなに、どんな事でも理解してあげたい気持ちが強かったのに、そういう目に合わされてるというのでここまで感情移入出来なくなるのか。
今日の授業は1から4だったけど、学校に行ったのは午後からだ。
3時限目と4時限目はちゃんとノートを取りながらまともに受けた。
ノートを取りながら色々考えていた。
あまり頭に残ってないけど。
自分の意識の持ち方とか変化などについて考えていて、以前メガビで相談を受けていた子とかが浮かんできた。
自分があれだけ酷い目に合わされて欝にまで追い込まれたのに、未だにショタコン親父たちに媚びて求めて、みたいになっていて、もう考える事自体馬鹿らしくなってくる。
無理やりゲイにされたのに。考えようとすると、痛々しさとかじゃなくて、なんかもうダルさしか感じなくなってきた。
結局自分は何を求めていたんだろうな。
所詮この世に幸せなんて存在しない。
いや、以前のあの状態でなら俺にとっての幸せというのは存在していた。
でも、今の自分の条件じゃ、もうそんなものは存在しない。
以前の自分に戻っても、その不謹慎ささえも戻す事になるのでそうなれない。知った以上は、その不謹慎さをも含めて戻すなんて事に抵抗が出る。
戻せない。じゃあ、もう幸せなんて存在しないな。
とうか、そういう目に合う現実を認めさせられた上でそんなもの糞の欠片も存在しない。
あの子と知り合ったのも結局意味の無い事だったんだ。
そういう目に合わされている、というので自分の中でのその子の価値は無くなった。あれ、俺元々最初欲望優先でそういう少年を求めてて、そっちの方が都合が良いんじゃなかったか。
元々、俺なんて相手がそういう目に合わされて自分と知り合うようになった、でも「都合が良い」と喜ぶような奴だったろうし。
今更欲を求めたところで幸せなんて得られない。今の価値観じゃ、欲を肯定した上での幸せなんて存在しない。
例えば感情を優先してそういう子を慈しむようになったらどうだろ。
価値観の方でそれを許さないようになっているので、結局感情的にも喜びにはならないのだ、という事を知っている。
だから、感情の方でそういう子たちを求めたところで、結局それも幸せにはならない。価値観に反する事で、嫌な気持ちにしかならないからだ。
別に俺が知った少年たちの問題じゃない。
そういう子がそういう目に合うのを恐れていた俺の前に現れたのが、たまたまその子たちだったというだけの話で、結局俺自身の問題か。
と、ノートを書きながらこんな事を考えていたように思う。
何かをしながらの考えなので、あまり強く心には残らなかったが。
ずっと苛まれている感じでストレスだった。
あの子に好きになられるような言われのあるような人間でも全然ない。
何か、相当勘違いされてたみたいだ。
こんな事を書いてると、自分の欲望のために少年を汚す事を「よし」としているゴミ共が、これ幸いと「リュカは少年に対して酷いよな」と批判をくれたりするんだろうな。

そういえば、以前あの子に「そういう子が自分の意思でそうなったとしたらどうなんです」と言われた事があった。
その時は「しょうがない」みたいに答えたような気がするけど、考えてみると全然しょうがない事でもなんでもない。
そんな子が何も知らない状態で、自分からそういう事を望むなんてありえない。例えば感情の方で好きになった奴が居たとして、そいつが求めてくるのを自分が望んだ事でもないのに、それを我慢して受け入れてるみたいな感じじゃないのか。それを、その子自身が「合意」だと勘違いしてしまってるだけで。
結局、自分の意思でそうなったと言ってるような少年も、俺にとってはそういう現実を認めさせようとする最悪の存在にしかならない訳だ。
そういう子がそういう目に合わされる事を知らなくて、その可能性を恐れ続けていた頃の自分には戻れないのか。
何か、考えてるうちに何考えてるか分からなくなってきた。
まあいいや。自分が考えていた内容とまとめた文章に食い違いが出てきてしまったような気がするけど、浮かんだ言葉は多分全部使い切ったからよしとするか。本当はよしじゃないけど。
どんどん神経質になっていく。

自分の中に求めていた言葉と、好きな子の言葉がカッチリとリンクするのが幸せだと感じていたのだろうか。
今は求める言葉も存在しない。

あー、もう訳分からない。
うんざりだ嫌になる。
頭の中グチャグチャだ。
そういう子に対する批判しか浮かばない。
泣き出したい気持ちになる。

あの子が自分の味方だとは思えなかった。
どんな言葉をくれても、むしろその逆というか。
何でこんなにまでもグチャグチャになってるんだろうな。

知り合いの代理で2時間ほどエタカでぶっ通しの狩りをしていた。
昨日殆ど寝ていない事もあって、もう頭がフラフラだ。
少年やショタコン野郎や自分自身の意識についてが意識され、もう何もかもが嫌で投げ出したくなる。厭世観でいっぱいだ。
今日一日、いつも以上に気分が悪くて最悪だ。
何もかもが嫌過ぎる。
この厭さを実感しながら眠りにつこう。
世の中全部が許せない。糞だ!
自分自身の何もかもも、腐った屑共も、少年の事も、何もかもがどうにもならなすぎて泣き出したくなる。
自分自身の意識の持ち方さえもコントロールできない。
状況が状況なのでコントロールのしようが無いだけなのか。一番最悪な状況だし。
頭の中が「ああああああああああああああああああああああああああああ」って感じだ。少年への不満感情も爆発しそう。
結局、何を考えても何をしても、最悪な事に絶対に何もどうにもならないのだ。死にたい。この世がある事自体厭で厭でたまらない。
眠気とストレス、怒りや不満でしんどいのでもう眠る。
今日はもう何も考えたくない。



2005年10月18日(火)

昔はそういう子の無事=まだ希望は死んでない、だったけど。
今はそれももう手遅れみたいな感覚なんだろうな。
あまりに多く知りすぎて、起こり過ぎて、もうそれが直接自分の幸せには結びつかなくなってしまった。どうせ、という気持ちで。
何でもかんでも、信じられないような最低な下衆共によって奪われていく。
ただそいつらが最低なだけなのに、まるで「しょうがない事」とでもいうような捉え方をする社会。その最低な下衆野郎が悪い訳じゃなく、世の中において必然的な事なんだ、という意識を押し付ける。
また、少年に手を下した下衆野郎自身も同じように「世の中において必然的でしょうがない事」という意識を押し広める。
絶句する。
何でそれをお前が言える訳?
俺がどんなにそういった最低さ、理不尽さを説いたところで、それを理解できる奴なんて居ないんだろうな。
今まで色んな場所でそういう事を言ってきたけど、それを理解できるような奴は居なかった。タチの悪いバカばかり。挙句俺をキチガイ扱い。
ショタコン以外の奴らも含めて。
若い奴からジジイにかけて。
世の中には俺の言葉を理解出来ない低能しか存在しないって思っていいか?

たまに俺の日記をチェックして別の場所に貼り付け批判してるバカが現れるけど、そいつの批判を見ていても内容の一割程度も理解出来ていない事が伺える。高尚ぶって意図して分かりにくい難しい単語を多様する痛いショタコン野郎が多いけど、俺は自分の書く文章じゃ割かし誰にでも分かりやすい言葉を選ぶようにしてるんだけどな。
それでも的外れな言葉しか付けられない。
分析者気取りで自分が知ってるもっともポピュラーな一例を無理やり俺に押し付け当てはめたりする痛い奴も多いよな。
お前それしか知らんからって無理やりやな、って感じ。
で、それを否定されるとヒステリー。
「リュカは幻覚を見ていて〜、全て夢の中の出来事を」なんて事を自信満々に言い放たれた事もあったっけ。
「リュカは興味深い研究対象」なんてほざいてる痛いショタコン野郎もいたっけな。下劣なショタコン野郎が何お前研究者気取り?職業でもない癖に。ただ知的ぶって、そんな自分に陶酔したいだけちゃうんかと。
あいたたたたた。
マジ低度低いよな。中身薄々。
本当にバカしか居ないよな、バカしか。
理不尽さについて考えてるうち、何だか話がそれてしまった。
俺の言葉を理解出来てる奴らが一体どれだけ居るんだろう、と疑問に思う。

今までの、そういう奴らとのやり取りが思い出されてイライラする。
俺はショタコン野郎を批判した。これほど汚い奴らは存在しない、と。
すると「戦争や災害を経験した事もなく、お前にこれ以上汚いなんて判断が出来るのか」とショタコン親父は言い返してきた。
「俺は阪神大震災の被災者だが?」と返答すると、「そういった経験を"それほど"してないお前に」との返答。
結局ショタコン野郎の言い分なんてこの低度。
自分の意見を覆されるような返事が来ると、あっさり前言改竄ではぐらかす。そして、何事も無かったかのように別の話題で批判をくれる。
もちろん俺はそれを指摘する。
は〜い、今指摘したショタコン親父の欺瞞を理解出来る人居ますか〜?
はい、誰も居ませんでした〜。
え?何言ってるか分からない?俺がキチガイ?へぇ〜。
いつもいつもこんな感じ。
死ねアホ共。

そもそも、こんな腐った下衆共に「お前」呼ばわりされる事自体反吐が出る。屑ゴミが偉そうに呼んでんじゃねーよ。
薄汚い欲望で少年が搾取される事を自分自身に許してるような腐った糞に人権なんて無くていい。肥溜めの糞が偉そうに権利権利主張してんじゃねえぞカスが。お前らにそんなもんねえんだよ。死んでろボケ。

今日は午前7時半前に目が覚めた。
数秒後にメッセの子からメールが入った。
少しだけ話した。
その後2度寝してしまった。
昔一緒に遊んでた奴の彼女が出てきた。
一つ下のヤンキー女だ。
何故か俺がその女になっていた。でも、親は何故か現実の俺の両親だ。
舞台は地元の町の風景に思えるのだが、雰囲気は似てても全然違う。
子供が誤って浮かべる近所のイメージ、みたいな場所に居た。
元手に数十万の金さえあれば、数百万稼げる方法を知っていた。
確か30万ほど貯金があったはずなんだけど、通帳を見てみると数千円くらいしか無くなっていた。
そのヤンキー女の現実の母親。
そのガラの悪い女が運営している店でバイトする事になった。
途中で場面が変わった。
メッセの子が居た。従兄弟か弟みたいな設定になっていた。
どこかの部屋に球体のものが4つ浮かんでいる。
それぞれブルの星、カイリの星、ヒューマンの星、エイの星、みたいな感じで。エタカの新サーバーらしく、その球体に手を突っ込むだけでそのサーバーに移動できるらしい。
俺とその子はエイディアの星に入ってみる事にした。
ゲームの世界というより、魂が丸ごとその世界に吸い込まれてしまったような感じになった。辺り一面が森のようになっている。
変な老人が現れた。
そこからまた場面が変わった。
母方の祖父の家だ。
その家には何故か貯金通帳を記帳できる機械が置かれていた。
30万ほどあったはずなのに何故数千円しか残っていないのか、の疑問を解消するために記帳する。通帳を見ても、金が減っている事は分かるのだが、どこでそんなに減ってしまったのかを知る事は出来なかった。
そんな感じの夢を見た。
午後13時前に目が覚めた。
今日の授業は2と3だけだ。
でも、3時限目の後半くらいしか出席できそうにないな。
以前までうるさいほどに「学校行け」と怒鳴り散らして俺を起こそうとしていた母親も、大学が後期に入ってからは全くそういう事を言わなくなった。
学校に行けという事も、寝坊した時に起こそうとする事も。
「今年で最後やからな」が決まり文句になっている。
本当なら来年も、という事だったのだが「来年行ったところで、どちらにしろ卒業できるだけの単位は足りない」という事で。それが嫌だ。

そういう子が酷い目に合わされる可能性が見える中、不安で不満でたまらなく、何もかも認めたくなくて否定すべきものに思える世の中で、そういう子の存在だけが唯一俺にとっての認められる存在だった。
そういう子の存在を通してなら、色々な物事を「よし」と認める事が出来るかもしれない、と。
そういう子の存在だけが人間離れというか、浮世離れしたというか、そういう存在に感じられていた。世の中という平地から、浮き出しているようなイメージが浮かぶ。キラキラ光るビックリマンシールのレア物、飛び出す絵みたいな印象があったと思う。でも、今はそういう子も同じように平地の一部になっている。というかそう感じられる。
もう、そういう子の存在自体が否定の対象になってしまって何年も経つ。
悔しい事に、以前のように感じる事がもう出来ない。
そう感じる事が出来るような条件さえも、今の俺の中には存在しない。
汚い親父、汚物によってそういう目に合わされる、というのを聞きすぎて、そういう子の存在を認める事さえ自分に対して許せない。
状況が認める事を許さない。
凄く特別な存在だったのに、その存在を認める事自体、そういう子が酷い目に合わされる事をも含めて認める事に繋がりそうで。
こんな状態で、どうやって以前のように思えるようになるのだろう。
特別なものを感じないよう、空気のような淡白な感覚で接するしかないじゃないか。

学校に到着したのは、3時限目の授業が残り20分になる頃だった。
空き教室で弁当を食べてるうちに、3時限目も終わってしまった。
図書館に行き「トロイ」を最後まで観た。
その後、図書館に置いてある日本美術に関する資料を少し調べた。
「日本美術史」は1年生の頃からの必修科目だ。
俺は単位が取れなくて、4年になってもこの授業を受け続けている。
3年間共通して出題されたテスト問題について調べようと思った。
でも、1時間ほど調べていたのに、何故かそれに関する記事は見当たらなかった。諦めて家に帰ってきた。

メッセの子と少しメールで話したりした。
その後は、何をするでもなくボーっとしていた。
胸の中がムズムズする。高揚なのか痛みなのかは分からないけど。
こういう時、枕を思い切り抱きしめて気分を落ち着けようとする癖が出る。
以前は好きな少年を抱きしめているような感覚で、次第に気分が和んでいって、という感じになれたけど。
今はそうった意識も感覚も一切無い。
ただの癖になってしまった。
もちろん、そんなただの癖になってしまっただけの動作で落ち着けるなんて事は全くなくて。
希望なんて無いのに何で高揚するんだろう。
というか、この状況で希望なんてあって良い訳が無いのに。
それだけ俺が人格破綻した不謹慎な奴だという事か。
不謹慎な事に欲情し、不謹慎な事に高揚する部分が多々あるし。
自分自身が信用できない。



2005年10月17日(月)

自分の無神経さ、不謹慎さ、鈍感さに対して強い恥の感覚が離れない。
冷静で居すぎている。
もしもその子本人の意思があったり、また縁起でもないけどもしもの事があった時、多分俺の方でその子について話す事になるのだと思う。
その時、家族に対し今までにその子の身に降りかかってきたような事を、どういう順を追って話していけば、と組み立てる感じで考えていた。
心底から楽しく話し合う事が出来ていた頃があって、今はそうなれなくなった。楽しく話し合う事が出来ていた時期から、今現在も変わらず関わり続けている。その子の存在は俺の日常から消えてない。
「せっかく」
という気持ちだ。
それなのに、せっかくその子との関わりが続いているのに、俺はもうその子を嬉しく感じる事が出来ないでいる。
関わり続ける、という状況は変わってないのに。
無駄にしてるみたいに感じる・・
楽しくできたのは最初の1年くらいか。
申し訳なくなる。

今日の午後に、メッセの子の2度目の手術がある。
こういう場合、身近な人間は祈ったりする事が多いんだろうな。
俺の場合、相手の無事を願っても、ことごとく相手は酷い目に合っている。
まだ男の子に対する気持ちがとても強くて、メッセの子が酷い目に合う可能性が見える度、肝を冷やして何度も「無事でいてくれ無事でいてくれ無事でいてくれ」と強く心の中で繰り返していた。
心臓がバクバクいって、胃が痛み動悸が治まらなくて、ただひたすらに心の中で念じていた。
結果、いつも想定できる以上の最悪のパターンに陥っている。
そんな事が何度もあった。死ぬほど苦しかったのを覚えている。
自分にとってあって欲しくない事は絶対起きる。
もう、そういうジンクスなんだと感じられるほどに。
確率としては、俺がそういう風に願った場合の3分の2以上はそういう目に合っている。
いつからか、その子が酷い目に合いそうな瀬戸際でも、「無事でいてくれ」と願う事を辞めた。願って良いとも思えなくなった。
現実的に考えたら「アホな事を」「ただの思い込み」となるのだろうけど、実際いつもそうだったのだ。
気持ちが薄れて、願う事を辞めてからは、割かし無事で居てくれる確率は高くなったように感じる。0ではないけど。
手遅れみたいな感覚で、無事で居てくれる事が絶対的な喜びだ、とならなくなってからは。実際心底強く願う事が出来なくなった、とも言えそうだけど。
半々くらいか。
こんな事を書いていると、何だか気持ちが薄れてしまった事に対する正当化にも見えてしまって嫌になるけど。
多分、今日の午後も心の中心からはその子の事を外すと思う。
でも、もう生命の危険は無くなったそうなので、どちらにしろ大丈夫か。
なんて割り切れるようになってしまった事が、またどうしようもなく酷く感じる。
本当に自分は不謹慎人間なんだな、と嫌気がさす。

今日の授業は1から4だけど、目が覚めたのは12時過ぎだった。

午後から学校に行ってきた。
4時限目だけ出席した。
キューブリックの「バリー・リンドン」という映画を途中から放映していた。前回の続きらしいのだが、俺は前回この授業に出ていない。
美術の授業とか言いながら、何故だか英文とかそんな事ばかりやっているので苦手なのだ。授業の名前だけ美術で、たまに映画を放映する以外は殆ど英語の授業と変わりない。
授業が終わり、図書館で「トロイ」の続きを観た。
また、閉館時間で最後まで観る事は出来なかった。
学校に居る間、自分の人生のどうしようもなさなどを嘆いているような感じだった。救いの無さ、救いの無い上で世の中を認め生きていかなければならないのか、色々と薄れてる、以前の自分はそうでなかった事を知った上で薄れていく事に対するこの気持ち。色々な事を浮かべていた。
ずっとそんな事ばかり浮かべていて、頭痛がしてもう考えるのが嫌になった。それもまた薄いんだけど。
何もかもが薄々で嫌々だ。
この何もかも納得できない状況で、それでいてその納得できなささえも薄れてしまって、それも含めて納得できずにその上で生き続ける。
納得できない物事は、かつての自分にとっての最大だ。
その他のどうでもいいような事とは全然違う。
それが納得できずにさらに薄れてって事は、もう自分の人生全てが淡白で嫌々で納得できず、という事だ。
何も認められずに薄れて生きていくのに嫌気がさす。
その上で生きてる自分自身さえ否定の対象になるのだし。

何も認められない人生なんて希望は無い。
あった以上は何を認める事も我慢できない。
それを、よりにもよって被害に合わされた子の口から「まだまだこれから、大丈夫」「認めてもいいんじゃない」なんて言われるともう最悪に近い。
呆然と廃人みたいに、全部が崩れ去っていく様を傍観しているような気持ちになる。どうしろっての?という感じで。
麻痺したままで戻せずに、それに流され生きていけ、と。
死んでも従わない。
でも、どんなにそれに抵抗し、以前のように想えるようになろうとしても、そうなれない事は変わらない。
結局それに流され生きてるような状態だ。
こういう気持ちをどういう言葉で表せるだろう。
屈辱とも悔しさとも少し違うような気がする。
その上全部閉ざされていて。

心が死んでる。
でも、以前の心の在り方に反して不謹慎になりつつある事への抵抗もあるので、死にかけている、といった方が適切なのか。
抵抗はあっても、感じるものは薄いのだけれど。
歯がゆい、という感じなのかな。それも正確じゃない気がするが。
もうずっと2年以上こんな状態が続いている。
一生こんな状態なのかな。
そして、死ぬ間際あたりになって、価値観に反し納得さえも出来てないのに、その場の一時的な感情だけで「よし」と認めてしまったり。
よく映画や漫画などで、人が死ぬ寸前に浮かべる心理描写でよくこういう感じのがあるけど。
本当なら絶対納得できないような事なのに、そんな一時的な気分だけで「ふふ」っと微笑みながら逝くんだろ。
そんな風になるなんて絶対にごめんだ。
何よりあって欲しくなかった事、そんな事がある以上はもう絶望以外に何も無いのだと感じていたほどの事、あった以上は死んでも何も認めない。
無駄に歳だけ取っていく。

メッセの子の代理から連絡が来た。
手術が終わった事と、明日か明後日には自分でメールが打てるようになる事を伝えられた。

しばらくして、家族が病院から帰った後でメッセの子本人からメールが来た。落ちた原因は自分でも分からない、覚えてないと言う。
ショタコン親父に悪戯された事で相当精神を患ってしまったんだと思う。
転落する以前からも、俺とメッセで話している最中にも、幻聴に怯えてパニック状態になる事も多くて。
本当に、全部そういう奴らのせいだ。
もっとも、その子を陵辱したジジイがその子が飛び降りた事を知ったとしても、どう自分が逃れるかに必死になるだけなんだろうけどな。
ショタコンなんてそういう下劣で腐ったゴミばっかだし、実際そいつも含めて俺が関わってきたショタコン共は自分を正当化する事に必死な屑ばかりだ。俺が直接関わらず、見聞きしただけのショタコン共も話を聞いた印象じゃ全部そうだ。
その癖、自分が少年に手を出す事を自分自身に許してるような下衆野郎の癖に偉そうに俺を批判したりするんだろ。それもこれも、自分自身の下劣さを露呈されんとするために。こんな腐った人種他に居ない。
何だか、そういう奴らの最低さに対しても諦め意識が出始めている・・
嫌だな。



2005年10月16日(日)

今更ながらに痛々しい気持ちになったけど、これも一時的なものなのだろうか。自分の中での最大の感覚は、欝に沈んだ絶望だ。
その感覚から外れてしまっているこれは、やっぱりただの情動でしかないのだろうか。
欝とは別の部分で悲しめているのか。
ただ悲しんだ気になってるだけか。
自分は本当に鈍感で不謹慎だ。
何から何まで麻痺してる。
昔から自分を欠陥人間みたいに感じる事は多かったけど。
今感じているものは、その子をいたわる気持ちより、後ろめたさが一番強い。メールへの返信にも軽率さが出ていないかと不安になったり。
何でそんなところから落ちたのか、とずっと考えている。

家族からのメールで事の重大さを伝えられるまで、真剣に受け取れなかったり。やっぱりどこか偽善的だ。
それだけ痛い思いをして、もう今まで通りの生活さえ送れなくなるかもしれなくて、どれだけ痛々しく思っても足りないくらいなのに。
そういう意識を持った家族と接して、
自分が恥ずかしいというか、いたたまれなくなる・・

息苦しいような締め付けられる感じになってきた。

俺は自分が深く沈みそうになったり絶望しそうになると、これ以上沈むと面倒だから、と自然と本能的にセーブをかけるようになってると思う。自分の中でただのパターンとして見ている、というか。
そのまま沈み続けていくとどうなるのか、というのを身を以って嫌というほど知ってきたし。
そして、ただの惰性的な感覚として受け取ろうとする癖が付いてる。
これで良い訳無いんだけどな。
何と言うか、人間性を削りすぎてるというか。不謹慎だし。
色々嫌になってため息が出る。
そんな程度の感覚で済ませられるような事じゃないのに。
息苦しいな・・
ほんと最低人間。

古い旅館のような部屋がある。
部屋の天井裏から上の部屋に行けるようになっている。
上もまた同じような部屋だ。
50階まで続いていて、誰が一番最初にそこへたどり着けるかを競う。
1番と2番で競い合っていた。
今日は午前11時頃に目が覚めた。
何でそんなにとんでもない事になっているんだろう、と思い出されて息苦しくなった。胸の中がモヤモヤする。

心が全然落ち着かない。
高揚とも取れるけど。どうなんだろう。

右上奥にある親知らずが半分くらいまで伸びてきた。
歯茎を突き破ろうとしているのに、触りでもしない限り痛みが無い。
無料携帯サイトをレンタルした。
携帯サイトについて色々教えてくれると言っていた知り合いと連絡が取れなくなり、今のところ何をどう更新していけば良いのか分からない。
俺自身は基本的に携帯でウェブをする事が無いのでさっぱりだ。
着メロの簡単な広告を一つ掲載してみただけで、後はデフォルトのままドン詰まり。
DESTINY
サイト名は、さっきまで「ガンダムSEED DESTINY」を観ていたので、適当にそこから取った。
何だか、また頭がボヤけてきて、何も深く考えられない。

昨日受けた情動も、すっかり薄れてしまっている。
気遣えていない証拠か。

久しぶりに風呂に入った。
3週間振りくらいか。
普段と違う空気を感じられるので、気分治しの意味も込めて。
俺の人生はどうにもならないくらい絶望なんだな、と実感した。
救いが見えない。
虚しくなった。
どう人生に折り合いを付ければ、という条件(基準?)も失った。
自分の知らない希望というものがあるのだろうか。
想定していなかったようなものを受けて、「これが幸福というものか」みたいな。
俺に限って絶対それは無さそうだ。
あの子が現れて幸福を感じそうになった時だって、前々から「自分にとっての幸福とはこういうものを置いて他に無い」と知っていたものを、あの子の存在から受けた訳だし。もう何も無いんだな・・
メッセの子について考えた。
何でこうも最悪な事ばかり起こるのだろう。
以前の俺なら分からないけど、今一番辛いのはその子本人だ。
2.3ヶ月に一度はありえないくらいの災難に合っている。
その内の1つでさえも、何をしてあげても全然足りないくらいの不幸で、
なのに、それを何度も何度も味合わされて。
その子はもう、退院しても普段通りの生活さえ送れなくなるかもしれない。
それだけ酷い怪我なのだ。
自分は何をしてあげられるのだろう。
何をしてあげても全然足りないくらいだから、結局自己満足にもならないけど。
よく映画やアニメ、漫画などを送ってあげたりするけれど、これもたんに自分の趣味を押し付けているだけに過ぎないので、思いやれてるとは全然言えない。気遣うって何なんだろうな、と。
俺の中には、本当の意味での人に対する気遣いなんてものは最初っから無いのかな。所詮何もかも自己満足の押し付けだ。
結果的にその子がそれを楽しんでくれても、自分の趣味を広めたいというオタク的な欲でしかないし。
もしメッセの子が転落した時にそのまま死んだりしていたら、俺は一生その子に何があったか分からずじまいだったんだよな。
急に連絡が取れなくなった、だけで。
あんなにずっと毎日メッセで話してきたのに。

あんなにずっと何年も日常的に関わってきたのに、その子がそういう目に合わされていくうち思い入れを持てなくなった。
ずっとその子の悩みや、たまに俺の方の悩みも共有してきたような感じだったのに。
それが凄く寂しいというか、悲しく感じた。
でも、多分戻れない・・

そういう奴らを恨んだところで、心底その子と楽しく心を開いて、という感覚は取り戻せない。
目の前の絶望に気を取られて、それを惜しむ事さえあまりしなくなった自分自身が最低だ。
取り戻せないほどの事をしたそういう奴らも許せない。
いくら許さなかろうが、絶対二度と取り戻せない。
何これ。どこにやり場を持っていけばいいんだろう。

このまま10年20年その子と関わり続けても、ずっと自分の感覚は淡白だと思う。それももう分かってる。
悔しくて嫌になる。
昔はあんなに楽しく話し合ったりできたのに。

自分の気持ちを矯正せず、楽しもうとしないから、ずっと薄く感じ続けるだけになる。でも、矯正するのは自分の価値観に反するので、そうしない。
この前見たガンダムの最終回で「過去に捉われて未来までも殺すのか」という台詞があったけど、本当にそんな感じだ。
でも、それを自覚した上で、何も変えないし変わらない。

今日はメッセの子からも、その家族からも連絡は無かった。
自分の不謹慎さに嫌になる。
もっと苦しめてもいいはずなのに。

「時が経てば薄れても良い」という概念は俺の中には無いので、時が経つ事で薄れてしまう感覚に流されるようになると、リアルタイムの物事に対しても同じように薄く感じるようになってしまっている、という部分が多々あると思う。



2005年10月15日(土)

今日は10時少し前に目が覚めた。

メッセの子が大変な事になっているのだ、というのはずっと意識されてる。
でも、その子自身が自分にとっての否定の対象だからなのか、なんだかあまり考えられない。その子さえいれば救われる、という事にはならないので想いも強くなれないのか。あんなに懐いてくれているのに。
他人への気遣いとかも全部、主観的な理由からになってしまう事が多い気がする。後ろめたくていたたまれない気持ちになった。
自分を最低に感じる意識が纏わり続けている。
冷淡過ぎて正しくない、という事は分かっている。
無事でさえ居てくれたら自分にとっての幸せだ、なら気持ちも強くなるのだろうか。すでに何もかもが絶望的で、無事で居てくれても自分の人生に希望が無い事には変わりない。だから想いの強さが足りないのだ。
そこまで重く受け取れていない。
無事で居てくれる事に越した事はないのだが。
すでにそういう目に合わされている、となると本気で心配出来なくなるのか・・
俺にとっては少年が健康で居続けてくれるよりも、純潔で居てくれている方が重く感じる。その重い方はすでに奪われてしまっていて。

あの子が盲腸で入院した、と言っていた時もそこまで心配できてなかったと思う。何とか心配する気持ちを奮い立たせようとはしたけれど、やっぱり自然に、とはなれなかった。
そうじゃないのに今更、となってしまう。

マンションの5階から転落したと聞いている。
身投げなのか、落とされたのか事故なのかも分からない。
今も入院しているらしい。警察まで来て大変だった、と。
その子の弟が、代理として俺にメールで知らせてくれた。
一昨日そう連絡が来ただけで、それっきり音沙汰無しだ。
それなのに、こんなに落ち着いてしまっている俺の方が異常なのか。
本当ならもっと取り乱してもいいはずなのにな。

また代理の弟から連絡が来た。
兄の代わりに携帯で伝言を打ってる、という感じだ。
それに対して返事を返した。
罪悪感でいっぱいになる。
返事が来るのが怖くもある。
退院しても、もう前と同じように運動したりはできないかもしれない、と返事が来た・・
数日後に手術がある、とも。

その子の家族からメールが来る。
その子本人は転落の理由を頑として言わないらしく、弟は飛び降り自殺の可能性を疑っている。
俺は本人から直接連絡を取れる立場に無いので、どんな理由からなのかはさっぱりだ。
母親が俺と電話で色々話してみたい、と言っているらしいのだが断った。
メールを打ってくるのは弟だけど。
母親の方が事情等、俺から色々聞きたいらしいけど、その子が絶対リアルで知られたくないと言ってる悩みとかが多すぎて。
その子がショタコン共から受けてきた事とか色々・・
断った理由は、本人の意思なしに話す事に抵抗があるのと、たんに俺がヘタレだからという事の2つだ。文章じゃなく、リアルとして現実のその子の環境をどう受け止めていいのか分からない。
自分の息子がそういう事になった母親の感情、というものが直接的に自分に向く事が恐ろしかった、というのもあると思う。
メールで少しずつ返していく。
かなり言葉を選んでいる。
さすがに、メッセの子がそこまで追い込まれているのに「何も知らない」とするのは抵抗があった。少しは環境が変わるというか、気遣われるよう、その子が欝に苦しんでいる事は伝えた。でも、その原因は言えない。
どこまで話していいのか分からず気が重い・・・

多分、その子が自分でメールを打てるようになる頃には、事の発端というか理由というか、俺にはそういうものを話してくれると思う。
付き合いも長いし、何より俺がその子のリアルに関わらない人間だから、大体の事は相談してくる。
今までもずっとそんな感じの相談相手として関わってきたし。
でも、その子が俺に理由を打ち明けたからと言って、俺がそれをその子の家族や知人に話せるか、または話していいか、といえば話は別だ。
俺はどうすべきなんだろう。

その子が30過ぎのショタコン親父に悪戯された、なんて知ったらその子の母親だって卒倒するだろうな・・
その子が精神を病むきっかけになったのは、紛れもなくそれだけど。
そこから鬱病になったり幻聴を聞き出すようになって。
社会に出てる中年の癖に、そんな最低な下衆野郎が居るなんて、そんな最低な下衆野郎に自分の息子が酷い目に合わされたなんて信じられないと思う。そんな奴が野放しになってるのに、やっぱり俺としてはその子の親にも全部言いたい気持ちにもなる。
それを思うと、また怒りが込み上げてきた。
俺は口に出して心の内を出すのは不得手だけど、メールとかなら抵抗なく言えると思う。でも、本人が凄い拒絶してるからな・・

本人も自分が苦しんでいるのに、周りにそれを気づいてもらえない事が辛いと言っていた。理由は言えなくても。
その子の母親と直接やり取りをした。
理由は話さないまま、出来ればそれだけ察してあげてください、とだけ伝えた。2日間の意識不明で命も危なかった。今はその危険も無くなった、と言われた。数日後の手術は2度目になる、とも。
これからも良き相談相手でいてあげてください、とお願いされた。
本当に自分で良いのだろうか、とも思えてしまう。
結局俺もそいつと同じショタコンだし、不謹慎だし・・
その子がそんな目に合うのを防ぎきれなかった責任というか、そういう面でも後ろめたい。
全部を知ったら、多分俺も恨みの対象だろうな。
それを知らないから、良き相談相手なんて思って任せるだけで。



2005年10月14日(金)

今日は午前9時過ぎに目が覚めた。

何を考えればいいのか分からない。
自分はちゃんと心配できているのだろうか、と。
偽善的に心配した気になっているだけにも感じられる。
こんな意識がある時点で、ちゃんと気遣えていないのかもしれないが。
死んでいてもおかしくないような状態なのに。

このままどんどん不謹慎に薄れていって、そのうち社会のどうでもいいような薄っぺらさに紛れてしまいそうな気がする。
多分そうなっていくんだろうけど。
本当に自分の人生には価値がない。

今日もアニメ動画を観たりしながら過ごした。
メッセの子が大変な時に何やってるんだろうな、と後ろめたくなってきた。
自分を恥じる気持ちも沸いてきた。
でも、やっぱり気遣う気持ちは足りない気がする。
自分はつくづく人を想いやれない人間なんだと感じる。

今日はあまり考える事をせず、ただ色々感じているだけだった。



2005年10月13日(木)

冷たい海の中に入り、突っ込んでくるサメを殺す。
そして、水中に散乱する肉片を食べた。
赤い肉が冷凍されている感じで、シャリシャリとあまり美味しくはなかった。そんな感じの夢を見た。
今日は午前10時過ぎに目が覚めた。
あの子にあの話を聞く少し前「こんな幸せな事があって良いのだろうか」と、夢を見ているような非現実的な感覚で、
「俺に限ってあって良い訳がない」という意識を感じていた事を思い出した。でも、もしこれが希望を奪われるための伏線でなく本当にそうなら嬉しいな、と。殆ど棚から牡丹餅的でもあったし。
やっぱり運命みたいなものが俺に対してそういうものを許すはずもなく、「あって良い訳がなかった」のだろう。
あの子はそういう目に合わされていた。
そんな目に合わされる、なんてそれ以上にあって良い訳がないと思うが。
運命的には俺の都合が良くなる事の方が「あって良い訳がない」事なのだろう。
今までの人生、昔からいつも自分一人が損をさせられるようになっていた。
俺にとって嬉しくなるような事ならなんでも、否定されたり邪魔されたり非難されたり奪われたり。
子供の頃を振り返ってみても、他人に買ってもらったものは没収されて、楽しそうなイベントが催されている事を知っても、それを見に行く事が、特に理由もないけど怒られる事につながりそうな気がして、自分で行くのを断念したり。
不道徳なものを交えるなら、盗んできたものなんて1割だって手元には残っていない。盗んでくるたび、親に部屋を漁られて見つかって捨てられて。
無くなる度に盗んできたバイクだって、何台も修理費や持ち主の希望で新品を買い換えるための弁償代を全額払わされるだけ払わされて、知り合いが盗んできたものさえも俺の貯金から負担させられ、弁償したのに鍵穴を壊した現品さえも自分の手元には残らなかった。(こうして、幼児期から使うことなく貯金してきたお年玉も全額消えた)
15.6の頃のバイト代とか、たとえそれが努力の結果によるものだとしても、それさえ変なヤンキー集団共にことごとく奪われて。なんだか、ずっと意識の中に、自分にとって都合の良いような事は後ろめたい事なんだ、という感覚が根付いていたように思う。
そういえば、高校生になったばかりの一番最初の初めての短期バイトで2.3万くらい稼いだけど、学校で寝ている間に、それも財布の中から誰かに抜き取られてしまっていた。
自分が一年以上働いて稼いだものも、他人が得して自分が損する、というのが当たり前の事のように感じられたり。当時の俺の年齢にしては大きすぎる額ではあったが、やはり大きなものは得られなくなっているのだ、と。
18.9歳の頃にもアホみたいに働いて80万以上稼いだが、パケ代とかでそれも殆ど消えてしまった。
その中でも、あの子の事は最大だった。
得られるはずがないような幸福を感じさせられ、その後に来る絶望感も。
結局、幸せどころかマイナスにしかならなくなっているんだな。
自分の人生の流れの中じゃ、それも当然の事なのか。
それでも、初めて希望に思えたのにそんな目に合わされてるなんて酷すぎる・・・

昨日あたりから、度々満たされる妄想に浸ってしまう。
相手を苦しめる類じゃないけど。
こんなので良い訳がないのに、後ろめたさも麻痺してしまってそれが容易になったのか。
以前なら禁じていなかったけど、あの話を聞いて以来不謹慎だと禁じていたような妄想だ。
と、今ここにまとめようとしていた途端、今まで静かだったのが、またまたタイミングバッチリで邪魔が入った。
アホみたいに大きなバターン!と閉まるドアの音で、思考が吹っ飛ばされてしまった。何かを感じる感覚も。
頭の中を整理しようとするたび邪魔されるな。
俺に対して考える事を許すはずが無いんだろうな、と思えてならない。
何考えてたっけ・・

思い出せない。クソ。
いっそ殺せよ。

こんな子とこうなれたらな、というような妄想に浸ってしまう。
ほ〜ら、まただ。思い出そうとしている時はシーンと静まり返っているのに、バタンガチャ!バタンガチャ!ってうるせーよ。
続ける。
妄想に出てくる少年は、もちろんあの子じゃないけど。
あああああああああああああって感じだ。
思い出そうとしたけど、最初考えていた事なんてもう思い出せない。
頭の中ムズムズして気持ち悪い・・
いつもいつもこうやって、思考も気持ちも薄れさせられていってしまう。

昨日あたりから、度々満たされる妄想に浸ってしまう。
相手を苦しめる類じゃないけど。
こんなので良い訳がないのに、後ろめたさも麻痺してしまってそれが容易になったのか。
以前なら禁じていなかったけど、あの話を聞いて以来不謹慎だと禁じていたような妄想だ。
こんな子とこうなれたらな、というような妄想に浸ってしまう。
妄想に出てくる少年は、もちろんあの子じゃないけど。
元々自分に対して禁じ得る類の事じゃなかったのに、そういうのを浮かべてしまって、こんなのに浸って良い訳がないのだ、と不安になる。
そうやって和んで気持ちが軽くなってしまう事を、この現状で自分に許していないのだ。許したくないけど、その反面そうやって和む事を望んでいたり。でも、それを許す状況ではない事を知っている。
納得が行かなかったり、不満だったり、自分の状態に対して何もかも認められなくなって嫌になる。
もう生き方が無いな。

考えていた事を突き詰めて、何を感じていたのかをさっきまとめた文章に補足するとこんな感じか。あーはいはい、って感じで頭の中じゃ棒読みだ。
いっつもこんな状態だけど。
因みに、3度目にまとめようとした時も意識をかき乱されるような邪魔が入ったけど、そのまま押し切った感じでまとめてみた。
3度目が着ても「ほらな」って感じで、最初っから分かっていたような状態だ。そんなにタイミングよく毎度毎度俺に合わせられるなんてしゅごいでしゅねー。
色々満たされるような妄想や感覚が浮かんでしまって、それを肯定する訳にも行かずで今の状態にもとてつもない不満があったし、さらにそれをまとめようとしていて邪魔されるはがゆさとかにもキレそうになって、今日はまとめるまでの経緯もそのまま全部残しておく。
さすが、何事も淡白にしか受け取らせてもらえない男。
あの子の存在も、本来なら信じられないような幸福なのに、運命が希望とする事を許さずに、大きな喜びに出来ないまま色々奪った上で俺に受け取らせようとしたのだろうか。そんなので受け取れ、なんてされるくらいなら拒絶するけど。
どこまでも屈して従ってやるつもりなんて更々ねーし。
憎い憎い。
ありふれた言葉を使って表すなら「運命に嫌われてる、見放されてる」
相当俺の邪魔をしようと躍起なようだ。糞が。

以前オカルト板で霊能者に「自嘲して楽しもうとするのは辞めた方が良い。傷が深くなる」みたいな事を言われたけど、確かにそういうところは多々あると思う。
嫌な事があっても、「ほらな、ひゃははははは!」みたいな感じで、心の中でヒステリー気味に笑おうとする。
ただ、別に楽しい訳じゃなく、その態度の根底にあるのは強い怒りと絶望なんだけど。ありえないくらい何もかもを阻まれて。
うんざりしてる。

今日の授業は4時限目だけだった。
4時限目の半分くらいが終わった時間になって学校に到着した。
教室に行って見ると無人だった。
掲示板を見に行くと、今日は推薦入試とかで休校だそうだ。
喫煙所でタバコを吸っていると、同じ学科で顔見知りの生徒がやって来て、俺に話しかけてきた。その生徒も、休校と知らずに学校に来てしまったようだ。「自分俺より学校着てへんやん。単位とか大丈夫?」とか言ってくるので、しばらくそのまま話していた。
それから図書館で映画を観る事にした。
ブラッドピットの「トロイ」という映画を観た。
物語の前半に可愛い従者のような少年が出てきて、複雑な気分だ。
その子は可愛いのだが、召抱えられている事を考えると、そんな現実を否定しなくてはならないからな。もっと出てこないかなと思う反面、それは不謹慎になってしまう。
途中で「今日は5時で閉館なんで」と係りの生徒に言われて学校を出された。
まだ外は暗くなってはいなかったけど、一点を見つめていると目の前が真っ暗に見えてしまうような明るさだ。
空が紫やオレンジに染まっていて、こういう風景を見ているとノストラジックになりやすい。
帰り道、あの子がそういう目に合わされてなかったら、色々遊びに行ったりしてたんだろうな、と浮かべたりした。
同じ学校に入りたい、とまで言ってくれてたし。
何気ない事で凄く満たされた気持ちになりそうだ。
少し穏やかな感じの妄想だった。
それからしばらく、歩いているうちに昔の嫌な事が色々思い出されてイライラした。学校に行く前に色々振り返ったりしたせいか。
俺から金を取った奴らに復讐できればいいんだけどな、と憎々しい気持ちになった。

というか、今週は火・水と2日しか学校が無かったんだな。

メッセの子の携帯から、その子の代理人によってかなり血の気の引くような報告が来た・・
迷惑になるみたいなので、ここには具体的な事は書けないが。
大丈夫だろうか。



2005年10月12日(水)

今日は午前8時頃に目が覚めた。
何か色々薄れている。
妄想を浮かべて欲求を処理しても、「現実にタイプの少年が〜」というのが、ありえない事じゃなく普通の当たり前の事のような感覚になっていた。
軽いモヤモヤだけが残っても、人生を生きていく上で受けるその他に対するモヤモヤと大差ない、みたいな。
これだけは、他の何とも違う群を抜いた絶望だったのに。
何だか、その他たくさんのモヤモヤのうちの一つ、程度の感覚に感じられて。認めたくない。
自分の中で、これだけは他の何より大きい事だったのに、本当に不謹慎だ。
そんな事が絶対にあって欲しくないと願い続け、あった以上は欝死するくらい悩まないといけないほどの事に感じていたのに。
それがこんなに薄い感覚で。苦しみも麻痺し。
気持ち悪い・・

今日の授業は1から4だった。
2時限目から学校に行った。
2時限目はまともに授業も受け、ちゃんとノートも取っていた。
3時限目は完全に眠っていた。
4時限目もちゃんと受けた。
ノートを取りながら色々考えていた気がするけど、何かをしながら考えた事というのは、時間が経つとあまり頭に残らない。
少なくともあの子の意思は、俺を癒してくれようとしていたんだ、とそれをとても惜しく感じた。
あの子自身はそういう意思を持っていてくれていたのに、俺にとっては真逆の存在にしかなり得なくて。そんな事を考えていたように思う。
あの子は俺を絶望させる意思なんて微塵もなくて、むしろ癒してくれようとしていたのに。
何でこんなにも、何もかも破綻するような状況になるのか。
そういう目に合う、というのはそれだけ全部がグチャグチャに、嬉しい状況もマイナスにしかならなくなるような事なのだ。
あの子が持ってくれていたのは、喜ばせてくれようという意思なのに・・

PCに向かってボーっとしていて、突然訳も無く高揚した感覚に襲われた。
横になった。
沸いてきた感覚に便乗する感じで、好きな二次キャラを浮かべて「こういう子と過ごせたら」といった妄想に浸った。
高揚感覚の理由付けがしたかったのかもしれない。
何も無いのにこんな感覚が沸いてくる事が不謹慎に感じるからだ。
何かあっても、だが。
そこまで不謹慎にならないとか、罪悪感逃れみたいな感じで、現実の少年じゃなく二次キャラを浮かべる事は多い。
そのまましばらく、布団を抱きしめ満たされるような感覚に浸っていた。
そのうち、「現実に中学生か高校生くらいになって、可愛い後輩に恵まれた生活を送れたらな」なんて不謹慎な妄想に移っていった。

高揚だと思っていたのが、また沈んだ感覚に移っていって、少し心が重いというか胸が痛むような感じだ。
精神的に不安定なのかもしれないな。
嬉しいと思える事がそのまま絶望に繋がっているので、それが原因なのだろうか。
高揚に合わせて何かを思い浮かべてみる、という事自体普段はしない事なので、軽い躁鬱だとしても躁が「楽」にはならないのだけれど。
不謹慎なものなのだ、と忌んでいる。
さっきからずっと、落ち着かなくて息苦しい。
苦しむべきだし、それでいいけど。

中途半端な欝モドキで苦しんだ気になるくらいなら、もっとちゃんと苦しめとあの子にも言われた事があった。
断片的にしか覚えていないし、あまりそういう事を言うような子じゃないので真意は分からないのだが、強いショックを受けたのは覚えている。
でも、中途半端になってはいけないといという意識は俺自身も常に持っていたものなので、それを咎めるのも「反省したふりして、他者に自分の行いを否定されると手のひら返して自己肯定」のショタコンと同じく、自分の意識そのものを否定する事になるので、返す言葉も無いのだが。
後ろめたさとばつの悪さだけが残っていた。
あまりにも軽はずみになりすぎて、不謹慎に感じられていたのかもしれない。ちゃんと相応に苦しめていないと申し訳が立たない、みたいな意識もあるかもしれない。
もっとも、今現在の状態での一番強い苦しみなんて、当時のモドキレベルまで落ちているけど。
薄れて薄れて、とっくに呆れられている。
まあ、呆れられようが呆れられまいがどうにもならないのは変わらないのだが。中途半端に薄れる事を自分自身に許せるかどうかの問題か。
許していないし納得もしないので突き詰め続けている訳だが。
あの子の意思は関係ない。
あの子について、何だかさっきと言ってる事が違ってるな。
しばらく考え込んでいて、不意に以前そんな事を言われた事があったのを思い出し、それについてまた考えていた。
というか、ショタコン野郎の分際で、被害に合わされた子に何批判がましい事考えてんだろうな。
何か色々複雑だ。
憎まれるべきなのに。



2005年10月11日(火)

中学の付属大学に入学した、という感じの夢を見た。
場所も殆ど同じなので、通学路も中学の頃と変わらない。
早朝5時くらいに一度学校に行って見る事にした。
辺りはまだ真っ暗だ。
俺は熱を出していたので、授業が始まるまでに一度医者に行かなければならなかった。でも、ブラブラしているうちに授業時間になってしまって、結局医者には行けなかった。
帰り道だけ、何故か海沿いの伊勢神社付近みたいなゴツゴツとした岩肌になっていた。そこには沢山の亀が居た。
小亀を拾って帰ろうとしたけど、どれも素早くて捕まえられない。
今日は午前6時過ぎに目が覚めた。
俺の中では中学時代だけが「学生時代」という印象があったのだが、大学も「学生時代」という風に思わないと勿体無い気がしてきた。
ドロップアウトして一度失った学生時代というものを、取り戻した訳でもあるのだし。

学校へ行ってきた。
今日の授業は2時限目と3時限目だけだった。
2時限目を受けて、昼休みに図書館に行き「猟奇的な彼女」の続きを観た。
良い話だったと思う。
死んだ彼氏に申し訳を立てるため、良い関係になっていた主人公を拒絶するヒロイン。気持ちに整理がつき相手(主人公)の存在を望んだ時に、都合の良い奇跡的な偶然が起こり主人公と再会し幸せになる、という感じだ。
俺だと、たとえ一時的な気の迷いで相手を望み、それでその相手に再会する事があったとしても、結局受け入れる事は出来なさそうだけど。
たとえその奇跡を受けたところで、俺の状況じゃどうにもならない。
奇跡一つで幸せになれるこの主人公たちが羨ましいな。
3時限目は美術の授業だ。
トリッキーな写真を色々と見せられ、結構興味深く感じた。
授業が終わり、もう一度図書館に行った。
今度は「素晴らしき哉、人生」という古い名作映画を観た。
古い映画だし、手放して面白いってほどでもなかったけど。
それから家に帰ってきた。
帰りの電車の中で、隣に大学生の集団が座っていた。
ちょうど俺の隣に居る学生が、声が高くて何だか可愛らしい印象を受けた。
手もスベスベという感じだったし。
2.3年前に地元の駅で見かけた18歳くらいの大学生が連想された。
大学の下校時間だったので、せいぜい18歳くらいの学生だろうなと思いながらも、見た目は15歳くらいの少年で。
顔は見ていないけど、隣の席に座っている学生もそんな感じの子なんだろうなと思っていたけど、こういう場合俺は相手を必要以上に見ないようにしてしまう。もっとも、そうでなければその子は俺みたいな変態野郎にジロジロ見られ事になってしまう訳だからそれでいいのだけれど。
今日一日学校で過ごし、あまり何も考える事はなかったけど、薄ら薄ら感じるものはあったと思う。人生がどういうものなのか、とか色々。
俺は現実逃避が好きだった。
苦しい事が多すぎて、いつでも別の事を考えて現実逃避しようとする事が多かった。
でも、今現在の俺が抱える問題は、現実逃避する事が不謹慎になってしまうような状況だ。悩む内容が自分自身より上に見ていた存在について、だし。
でも、現実逃避する癖がついてしまっているのが現状だ。
すぐにアニメなどを見て気分を反らそうとしてしまうのだ。
そして、現実を実感し苦しみ続けなくては、とあがいている。
以前と逆だ。
いくら考えたところで解決なんてありえないのに。
何か、俺が抱えるものって出口の無いものばかりだな。

家に帰ってからは、ずっとウェブドラマで遊んでいた。
何だか、書いてるうちにどんどん話が浮かんできて。
ニコルがミネルバの艦長になる、という感じの話だ。



2005年10月10日(月)

夢の中にガンダムSEEDのニコルが出てきた。
目の前にそのキャラクターが居て、本当に夢みたいな事に感じられた。
誰かが、硫酸の池の中に落ちてしまう。
大人だったか子供だったか知らないけど。
池の中には、硫酸だけではなく気持ちの悪い蟲が隙間が無いくらいにウヨウヨと蠢いている。
ニコルが、それを助けるためにズボンを脱いで短パン姿になり、素足でその池の中に入ろうとする。それを見ていて、止めたい衝動にかられる。
俺自身は視点だけの存在なので、ただ見ている事しか出来ないのだが。
そのままニコルがその汚い池の中にズブズブと入っていって、綺麗な子なのに汚れるんだとか、それが凄く嫌で悲しいようなやりきれないような気持ちになった。コーディネイターなので、皮膚が軽くただれるだけで済んだようだけど。蟲にも触れて。
何だかとても嫌だった。
今日は午前7時頃に目が覚めた。

俺もガンダムに結構ハマってるみたいで、一度見た話をもう一度落として何度も観返したりしていた。今日はそんなにのめり込めない。
なんだか、息が詰まってきた。

何もせず、何も浮かべていないのに、絶望感が薄れて妙な高揚感が沸いてくる。嫌な事を浮かべても何だか軽い感じで、不謹慎に感じられる。
こういうのは望んでいない。
平安を自分自身で拒絶しているといっても、平安を望んで良い納得の行く理由などどこにも無いのだ。

最初高揚かと思っていたけど、今この感覚に意識を集中してみると、痛みを感じる苦しみかもしれない、と気づく。
じわじわと着て嫌な感覚だ。
何で俺はこんなに真逆のものを識別できないのだろう。
それとも、途中で摩り替わっていったのか。
今実感しているものは苦しみなんだと認識できる。

本当なら苦しい立場にあれば「これが高揚であるはずがないんだ」と出来るんだろうけど、俺の場合不謹慎なものに欲情するような性癖なので、そこら辺が曖昧になってしまう事が多いのだ。
今現在の俺は、喜びを受け入れる事を納得しないので、苦しみだろうが喜びだろうが、どちらにしろ自分の中で「不快」と片付けてしまう事が殆どだけど。でも、昔から嬉しいような喜びのような感覚がストレスだったところもあったと思う。「これはいつまでも続くものじゃだろう」「嬉しい事は怒られる」みたいな感じだろうか。
心にクルような中毒性のある感覚が嫌なのか。
ずっと浸っている訳には行かないのに、そのまま一生浸りたくなってしまったりで、プレッシャーを感じたり。
そういう子が酷い目に合うのだという事を知る前も、少年に対して沸いてくるような感情が、消化出来るようなものではなかったので不快に感じている部分もあったと思う。
本当は凄く苦しいのに、それを「気持ち良い」と捉えて性癖が固まってしまったようなところもあるのだろうか。
容姿が好きな人間やキャラクターが陵辱されたり傷つけられたり殺されたりするような陰鬱なものを、最初っから性癖にしていたし。
元々生まれつき、嬉しい高揚と苦しいストレスを識別する認知力みたいなものが足りなかったのかもしれない。
と、少し自己分析してみた。
他人と比較した事が無いので、それが一般的なのかどうかは知らないけど。
どちらにしろ、自分は嫌悪されるべき不謹慎な人間だ。

少しまとめて考えた。
俺がよく使う言葉で「そういう子」というのは、俺が好きになる類の少年。
「そういう目に合わされた子」というのは、好きになる類の少年でありながらも、汚い奴らに陵辱されたりしてしまった子。
俺の知る限り、最悪な事にそういう子でそういう目に合わされていない子は一人も居ないので、この2つの言葉は自分の意識の中でも混同されがちになるのだが。
とりあえず、「そういう子」というのを、「そういう目に合わされた」というのを除外して考えてみた。
他人に献身的で純粋で心優しい、というのはそういう子が共通して持つ人格なのか。それだけ素晴らしい存在なのに、自分を殺してしまっている様が痛く感じる。でも、俺がそういう子に惹かれるようになったのは、そういう部分も強いと思う。
そういう目に合わされていない上で、そういう優しさを向けてくれるなら、それはそういう子が共通して持って生まれた普通の事なので、別に可哀想な事でもないのかな。なんてのは都合の良い考え方か。
自分なんかよりもずっと素晴らしい存在に、自分を殺させて良い訳が無いのだ。自分はそこまで偉い人間ではないのだから。(もちろん、身分とかじゃなく)
でも、そうやって少年が献身的に関わってくれる事は凄く居心地の良いものに感じてしまう。でも、それは酷い事なのだ、と。
自分を殺させてしまっている事にしかならない。
でも、自分を偉いと思い込み、ふんぞりかえってそれを「良し」とし、当然の事のごとく受け取ろうとする自己中で腐った奴らはごまんと居る。
というか、殆どそうか。
だから、俺は逆にそういう子に自分を殺させないように関われたらどれだけ良い事なんだろう、と感じていた。
でも、それは自分の求めていた居心地の良さを受けない事になるので、思い描いていた程の嬉しい関わりでもなくなるんだよな、と。
そういう子自身がそういう子の献身的な感情を受ける場合はどうだろう。
受けるその子自身が最初っから持ってる人格なので、その子自身が自分を気遣ってくれる少年を見ても「可哀想」という事にはならないのだろう。
そして、その子自身がそれを幸せな事だと喜んだとしても、それは自己中な事にも酷い事にも腐った事にも最低な事にもならなくて。
何だか、それが凄く羨ましく思えてしまう。
と、また自己中な事を考えてしまった。
これだけまとめるのにも何度も何度も邪魔されて、1時間半くらいかかってしまった。本当なら10数分で終わるのに。

息苦しい・・
何も求める訳にはいかないし、自己中な居心地の良さを望んでしまう自分自身にも嫌気がさすし、何もかもどうにもならない絶望的な状況なんだという事も常に意識されてるし、色々薄れて不謹慎になりつつあるのも我慢できないし、何から何まで嫌な事づくしだ。
もっとも、不謹慎になり過ぎて、嫌だと感じる事さえ無くなってのほほんと過ごしていくようになってしまったら、人間として終わってるけど。
何だか、俺はこうやって沈んだり考えたりを繰り返しながら、どこか無意識的に時間が過ぎ去っていく事を待っているようにも感じてしまう。
いくら時間が過ぎようが、何も解決なんてしないのに。



2005年10月09日(日)

今日は午前9時頃に目が覚めた。
色々と面白い夢を見たような気がする。
目が覚めてみると、またいつものごとく気分が悪い。
落ち着かない。

深く深く苦しんでいて、そういう存在を通してでしか自分はもう人生に喜びなんて見い出せないのだと思っていた。そんな最低な出来事が起こりうる世の中で、何もかもを認めたくなかったのだ。
信じられない絶望感で、苦しみはどんどん強くなっていく。
あの子が現れた。
そういう子を通してでしか得られないだろうと思っていた、人生の喜び。
この子こそがそれを与えてくれる存在なんだ、と思った。
胸が躍った。
でも、その子も同じ目に合わされていたのだという事を知る。
そういう存在には出来なくなった。
自分に対して、「人生を喜んでもいいのだ」と思える条件は得られないままの今現在、
そんな状態で、俺は何かに喜びを見い出したり胸を躍らせたりして善い訳が無いのだ、と思う。
というか、その喜んでも良い条件を一度は得られそうになったのに、結局それは得られないまま、条件通りでもないのに人生に喜びを見い出すなんて、自分自身が嫌なのだ。絶対に。
「そうじゃなければ全部嫌だ」と、その子に関係ない事においても人生に喜びを見い出す事を拒絶している。意地みたいなものもあるのだろうか。
少年への想いが薄れていって、そんな形で何かに喜びを見い出す事になるなんて絶対に納得しない。嫌だ。
でも、いつかはそうなっていくんだろうな。
自分がそうなっていく事は、容易に想像がついてしまう。
何せ俺の運命は、淡白にしか何ものをも得られなくなっているのだから。
嫌だ嫌だ嫌だ・・・・

明日から学校なので風呂に入ろうとしていたら、母親に「明日学校無いで」と言われた。体育の日らしい。
「あんたは明日も学校行くつもりやったんやろな思って」と言われた。
母親が俺に対して「学校に行くつもりだろう」と思うなんて珍しい。
この前ちゃんと行ったからか。
まぁ、いいか。



2005年10月08日(土)

昨日はずっとウェブドラマで遊んでいたり、メッセの子の相談を受けたりであまり考える事をしなかった。
午後17時過ぎあたりから眠りについた。
この時見た夢に、うちの親父が出てきた。
この前送った批判文章が、ローマ字になってしまうというバグがありながらもちゃんと親父のところに届いていて、親父はそれを読んでいたという内容だった。逆上した親父が、ジャニの少年を利用してどうとか、何か最低な事を言ってきたのを覚えている。「そこまで腐ってんのかボケ!」とか叫びながら目が覚めた。午後20時過ぎくらいだったと思う。
それからすぐ2度寝してしまった。
沼からナマズのようなドジョウのような生き物をすくってきたような夢を見た。
今日は午前3時半頃に目が覚めた。
落ち着いてるのか不安なのか、もう判断できない感覚だ。
精神的に落ち着けるような状況にないから、いつもそれを不安という風に捉えているのか。絶望だし。

いくら考えたところで、俺の中に「受け入れる」という選択肢は最初から入ってないし。そういう子なのに酷い目に合わされるという現実ばかり意識され。
救いが無さ過ぎて、もう沈み続けているしか無いように思う。
あったとしても、俺はそれを「救い」という風には捉えないし。
そうやって不謹慎に生きていく事にも抵抗があって。

昔はそういう子とこうなれたら嬉しい、こういう状況でこう言われたら救われる、みたいなものがいつも心の奥底にあったけど、今じゃそれさえ自分で否定しなくてはならなくなった。全部が全部どうしようもなくなってしまった・・
どうすればいい?といつも思う。
自分自身の否定に反して生きてくのは絶対に嫌だし。

そうなった以上はどうにもならない、というのは自分で望んだものだろうか。タイプの少年がそんな目に合わされる事は絶対に嫌だったけど、そうなった以上はどうにもならないべきなんだ、と。それだけ重い、ありえない事な訳だし。そういう子は、誰にとっても「どうにもならない」存在である事を望んでいたけど、自分に対してだけは甘く見て「誰にとっても」に自分は含めていなかったように思う。そうなる以前の話だが。

以前から知り合いに「携帯用の着メロサイトを作ってみませんか?」と勧められている。何でも携帯サイトだとアクセス数がハンパじゃないらしく、広告会社との契約で1アクセスにつき0.2円入ってくるとの事だった。
「リュカさんくらいのスキルで十分やっていけますから」と。
更新も週1くらいで良いらしく、俺みたいに「初めて作った」でも、一月に軽く3〜5万は稼げるそうだ。その知り合いも毎月20万ほど稼いでいるとか。
今までは気分が沈む事が多くて乗り気じゃなかったから申し出も断っていたのだが、この前気分が晴れていた時に「今度良ければ教えてください」と頼んでみると「おkです^^」と言ってもらえた。
どんなサイトを作ろうか、とか少し妄想に浸ってしまった。
でも、そんな感じで別の方向への意識が日常化してしまうと、欲求も欲求だけに俺の内面もどんどん少年に対して気持ちが冷酷になってしまうように感じる。

今日は学校が休みで、一日中ゴロゴロしていた。
現在午後15時50分。
このままで良いのだろうか・・と不安になる。
苦しみが無くてもあっても、それぞれ別の理由で不安が離れなくなるのでどうしようもなくなる。無ければ無いで、それが後ろめたさになるからだ。
陰鬱な気分にはならないのに、胸が少し苦しい感じだ。

自分の人生は、何をしても邪魔される。
大きな事から細かいものまで。
もう、それは偶然ではなく必然的なものなんだと信じている。
さっき、自分の人生やその中での少年の存在について、色々振り返りながら深く深く考え事に没頭していて、一段落付きそうになった瞬間神業的なタイミングで邪魔された。
また考え直さなくてはならない。最初から考えないと、さっきと同じものを感じる事は出来ないからな。
不機嫌になりながらも、また考え事をし始めた。
さっき浮かべた絶望やストレスをもう一度思い浮かべてみる事にした。
そこから深く深く入っていって、また一段落しそうになったその瞬間に邪魔が入った。
2度ある事は3度あるし、俺の場合だと絶対次も来るだろうなと思いながらも、しぶしぶまた考えに没頭していく事にした。
予想通りというか、またまた神がかり的タイミングで邪魔が入る。
「ほらな!」って感じだ。
で、4度目にまた最初から考え出したけど、今度は気が気じゃない感じで深く感じる事が出来なかった。
そしたら邪魔は入らなかった。でも、4度目は形式的に一通り頭に浮かべただけで中身なんてまるで無かった。邪魔される事にばかり気を取られるようになってたからだ。
邪魔されるんだという事を忘れて没頭できた時は邪魔されるけど、邪魔を恐れて意識を集中できなくなって、初めて邪魔が入らなくなる。
無意味なものとして、ただの形式として終わらせる以外に、俺の中で終わらせてもらう事は出来ないのだと悟る。
価値あるものとして完了させる事は、俺に対して許されていない。
まさに俺の人生の縮図と言える。
ふざけるな!
少年に関していえば、俺の中で完全に少年に対する価値が薄れて0になってしまうまで、きっと救いは無いのだろう。
もっとも、その頃には、これまで「救い」だと思っていたような物事が、俺の中で「救い」では無くなっているに決まってるけど。
結局淡白なものしか、何も得られないようになっているのだ。
そうでないものは、自分の中で淡白になっていくまで濁されて。
糞が。
というか、日記に自分の考えを吐き出そうとする時だって、毎度毎度邪魔が入って、感情的に実感できた言葉が浮かんでも、邪魔が入って実感できなくなってから、それをまた文章に直して投稿してるような状態だ。いつも。
もっとも、実感できてる瞬間に浮かんだ言葉だから、そうでなくなってしまった後で同じ言葉を使ったところで、読んでる方には変わりなんて無いんだろうけど。
もう、そうやって邪魔されて薄れて形式的に終わらせる、というのが何に対しても日常化してしまっているような感じだ。
あまりに日常化しすぎているので、俺にとっては完全に「必然的」な事なのだが、こういう事は科学的に証明できるものではないので(俺の脳内と外部からのタイミングがリンクするなんて)、いくらパターン化されていようが、それを「必然」と捉える俺は社会的に「キチガイ」という事にされるんだろうけどな。必ずそうなる風(阻まれる)になっているというのに。
よく、漫画とかドラマとかでキャラクターがボーっと考え事に没頭していて、何か重要な確信に迫りそうになったまさにその瞬間、第三者に邪魔されてハッと我に返ってしまうシーンって多いよな。
あれ、俺の日常。毎日あんなだ。
俺は神経質なので、そこで辞めずに何度も何度も考え直す。
同じ感覚で浸れそうになると、また同じタイミングで邪魔されて。
その繰り返し。
で、結局中身のない形式的なものとして完了させる。完了させないと気が済まなくて。すでにその時点で無意味なものに変わっていながら。
ほんと最悪。



2005年10月07日(金)

午前4時少し前に目が覚めた。
少し、胸が苦しい気がする。
そういう子の存在と、そういう子であるにも関わらずショタ野郎に狙われるのだという現実が実感されてたまらなく嫌になる。
軽い動悸がする。

以前は、そういう子の言う事ならば、どんな言葉でも絶対視する事が出来たと思う。そういう子の言う事だから、と。
あの子の言葉とか、メッセの子の言葉とか、そういう目に合わされて「その言葉が絶対的に思えない場合もある」という事を知ってしまって以来、薄れて薄れてそういう子の言葉も自分にとっての絶対には出来なくなった。
それが、たとえ被害に合った事がまるで無い少年の言葉だとしても。
それが凄く虚しいというか寂しいというか嫌になる。
妄信できる対象が存在しくなってしまった事に不安を覚える。



2005年10月06日(木)

午前0時過ぎに目が覚めた。
寝起きから不安感のようなものがくる。
普段あまり考える事が無かったけど、寝る前に色々学校の事で振り返ったりしていた。
性癖の事で悩んでいた頃は、まだ頑張って単位も取ったりしてたよな、とか。もしあの子が現れなかったらどうなっていたんだろう、とか。
何もかもやる気を失くして。
でも、俺個人の社会に対して当てつけたいという意識もあったと思う。
どれだけ絶望して当てつけても、その代償を払う事になるのは俺自身なのだという事も分かってたけど。
本当はもっと色々考えてたけど、自分が嫌になってくるからこの辺にしとくか。
これからは学生生活にも慈しみを持てるようになるといいな。
後悔するのもかなり嫌だし。
そう思いながらも、次の日にはまたやる気を失くし・・となりそうだけど。

後期になってから、学校をサボったりしてもあまり母親に愚痴を言われなくなったのは、こういう意味を持っていたんだな、とか思った。
成績表で、来年行っても完全に単位が足りない事がハッキリしていて。

憂鬱だ・・

何だろうな、学生生活に対して後悔するかもしれない、とか考えてると嫌になる。後悔するという感覚が凄く嫌いだ・・
惜しむ気持ちが強いのだろうか。

自分にとっては手に入らないものだからこそ、俺は幸せがどういうものかを人よりよく知っているような気がする。自分がそうやって惜しむものを一つも手放す事なく、穏やかに過ごしていけたら、と。
そして、誰もそういう目に合わされていなくて。
というか、惜しむものというのは後になってから気づくものか。
学生生活というものについて、後になる前に少し実感できたので、それは幸運というべきか。
俺は大学に入るまではヒキコモリ後殆どフリーターみたいな感じだったので、社会人とあまり変わらない生活を送っていた。
大学に入る事になり、卒業した先にそれまでと同じ生活が待っている事を知っていた。そうなるまでの休憩というか、腰掛けみたいな感じで、それから浮かべる4年間に居心地の良さを感じていた事を覚えている。社会人として過ごした後で、改めて学生生活という期間を与えられたのだから。
高校が楽だったせいか、序盤は「また引きこもりたい」という願望も強かったけど、それは何だかんだと自分はズルズル4年間辞める事なく通い続けるだろうなという確信があったからだと思っている。
そうやって不満を持ち続けていながらも、やっぱり3年4年と通っているとそれを惜しむ気持ちも強くなる。手放したくない、と。
もしも穏やかな気持ちで学生生活を送っていく事が出来たなら、別に友達なんて作らなくても「楽しんでない」なんて風に悔いたりする事はないと思う。
それが自分にとっての普通の過ごし方である訳だから。
時間が過ぎ去っていくのが嫌だ。ずっとしがみついていたい気持ちになる。

何だか穏やかさと高揚が混じったような気分になってきた。
自分にとっての幸せを思い浮かべ、リアルに実感できたからかな。

昨日から学校生活というものについて、かなり考え続けていた。
今年で終わりかもしれないんだと思うと、学校生活というものに対して凄く寂しいような申し訳ないような気持ちでいっぱいになった・・

久しぶりに、以前のメガビの知り合いとメッセで話した。
ガンダムの話題で話しかけたのだが、その後色々相談を聞いてもらえた。
少年に関する今までの事とか色々。
「受け入れないと悲しすぎる」という感じの事を色々言われたけど、やっぱり俺の意識はNOだった。自分の中で答えが決まっているというか。
受け入れたいけど受け入れたくないのだ。
話の流れでメッセ相手が、そのサイトの管理人が男の子固定に目をつけているという話をしてきた。
俺もそいつはメッセ登録していたのだが、ショタコン野郎なので今ではもう拒否にしている奴だ。目をつけられている子というのもそういうタイプの男の子なので、心が竦むような嫌な気持ちになった。
目をつけられてるという事しか分からないので、そいつの欲の思い通りになってなければいいのだが・・
心配だったので、メッセ相手にその子に注意を促しておくように頼んでおいた。その後学校へ行ってきた。
今日の授業は4時限目の「精神保健学」だけだ。
遅刻したけど、今日はノートも取ったし、まともに授業を受けたと思う。
4時限目だけだったから、というのもあるけど。
授業の後半になると、映画「エクソシスト」を一部放映していた。
学校に行く前に聞いた話がずっと心に引っかかってる感じでモヤモヤした。
そういう子がショタコンに目をつけられている、という事実を信じたくないのだ。途中から、その男の子自身に対して欲求が沸いてくるような感じにもなってしまった。
授業が終わり、図書館に行った。
「猟奇的な彼女」のDVDを借りて観た。
楽しい映画だったと思う。
主人公の年齢も俺に近かったし。
というか、その主人公は24歳で大学生をしている、という事になるが韓国は少し制度が違うのだろうか。それとも、24歳の大学生なんて日本でもそんなに珍しいものでもないのか。俺は学校にも親しい知り合いが居ないので、そこのところは分からない。
観ている間に、モヤモヤ感も欲求も共に薄れて頭がボーっとなってきた。
昨日の午前0時過ぎから眠っていない。
クライマックスあたりになって、後ろから肩を叩かれ「もう終わりだから」と打ち切られてしまった。
学校を出る頃にはすでに辺りは真っ暗だった。
大体午後18時半くらいか。
それから家に帰ってきた。
今日は、心が苦しい事もあったけど、ちゃんと大学を堪能する事が出来たと思う。現在午後19時41分。少ししたら今日は寝よう。



2005年10月05日(水)

今日は午前5時過ぎに目が覚めた。
5時間も眠れていない。
寝起きからモヤモヤして少し嫌になったけど、ガンダムSEEDのドラマCDが落ちていたので、それを聞きながら紛らわせた感じになった。
その後、とりあえず昨日設置したばかりのウェブドラマで遊んでいたら、あまり考えずに済んでいた。

今日の授業は1から4までだった。
1時限目の途中から出席した。
2時限目は教室で待っていても、何故か授業が始まらなかった。
3時限目を受けた。
3時限目の授業を受けている間、「このままいくと、今日は1から4まで全ての授業に参加した事になるな」と考えていて、「そういえば、2時限目はなかったから全てにはならない」と、そんなどうでもいい理由で、4時限目を受けずにそのまま帰ってきてしまった。
帰る前に図書館に行き、「獅子座」を探した。
この前の授業では一部しか放映していなくて、何となく全部見たくなったからだ。でも、「獅子座」のビデオは置いてなかった。
ビデオを探している間、そういえば俺はこの学校に入学した時はまだ自分の性癖の事を一番の悩みにしてたんだな、とか考えていた。
意識の持ち方が変わった現在と、自分の性癖で悩んでいた過去が、同じ「大学生活」という一つの区切りの中の出来事なのだという事を不思議に感じた。今の悩みを持ち得て居なかった頃が、凄く昔に感じられるからだ。
今現在も続いている大学生活の中で、その悩みを持っていなかった頃があったなんて信じられない。実際、この悩みも2年3年と続いている。
社会に出るまでの最後の4年間だという意識を持って入学してきたのに、何だか無駄に潰してしまったような気持ちになった。
穏やかな気持ちで楽しむ事なんて全くなくて・・
考えてもどうしようもない事なのに、と。
だからといって考えないで居られるほど割り切る事は出来ないけど。
それで少年を恨むのもお門違いだし。
それなら、俺を悩ませる原因を作ったショタコン野郎共に憎しみを向けるのが筋だろう。
でも、ショタコン野郎に対し、少年を酷い目に合わせた事への怒りを差し置いて、俺個人の私生活を無駄なものにされたのだという怒りを向けてしまうのも、そういう子に対して不謹慎にも感じられる。

どちらにしろ卒業制作には単位が足りていないので、1年留年する事になるのだという事は3年の頃に決まっていた。
だから、あと1年半あるはずだ。
さっき母親に「大学も今年限りやから味わっときや。来年まで行かしてやるつもりあらへん」とか言われた。



2005年10月04日(火)

午前2時過ぎに目が覚めた。

タイプの子に対して、「この子は何が好きなんだろう」とか「大事に育てられてきたんだろうな」「どんな人生を歩んでいくのだろう」とか思い浮かべるのが好きだった。
でも、今はもう思い浮かべる事は無くなった。
そういう目に合わされてるなら、というのでどれもこれも苦痛でしかなくなってしまった。そして、以前浮かべて喜んでいたような色んな事も、良いものとして思い浮かべる事を一度全て拒絶したからな。
一度全てを拒絶して以来、そういうのを浮かべてみようという気にさえならない。心的に労を惜しむ、という感じなのかもしれない。
考える事がしんどいのだ。
嬉しく浮かべる事を辞めて以来、何かそういう風になっていった。
そういう少年に対しても、心を開けなくなってきたように思う。
以前は、何でもかんでも"心底"という感じで気遣えたのに。
もう全部が駄目だな。堕落した駄目人間にしかなれそうにない・・

普段何も気にせず余裕持ってる奴らが羨ましい。
だからといって、自分が余裕持つのは自分自身で多分許せないんだろうけど。

そういう子が社会で集団に逆らえず、そういう目に合わされて。
そこまでされて関わっていくほどの価値なんて、社会には無いはずなのにと感じられる。そうなる事が無いように、ずっと引きこもってた方が良いんじゃないか、とも。
そういう子は普通の同学年よりずっと子供で、何より大事にされるべきなのに、何で酷い目に合わされたりするのだろうと、たまらなくなる・・
誰も酷い目に合わされず、大事に大事に大事にできたらどうれだけ良い事だろう・・

今日の授業は2時限目と3時限目だけだった。
昨日気づいたのだが、地元の駅の構内が改装されていた。
授業は3時限目だけ出席した。
最近他サイトでハマっていたウェブドラマのCGIを今日自分のサイトに設置して、授業中はずっとそれについて考えていたので、今日は珍しく学校に居る間、あまり悩んだり辛くなったりする事が無かったと思う。
1時限だけだったし。
設置したウェブドラマ。
SEED

相手が傷つくと分かっていながら男の子を悪戯し、強行した後「慰めるためにやった」と言い訳する。
こういうの、慰みものって言うんだよな。てめえの欲のための慰め。
本当は相手が嫌がってるのも最初から知っていながら、「傷つくとは思わなかった」的態度を取れば少しは自分を繕えると思っているのか。
男の子を悪戯し、無理やり服を脱がせて「男?」と驚いて見せる。
そして、そのまま変わらず悪戯を続ける。
あたかも「女だと思って襲ったんだ」とでも言い訳するかのような態度。
本当は最初から少年だと分かってた癖に。変わらず悪戯を続けた癖に。
こうやって、子供を傷つけながらも少しでも自分の体面を繕おうとするこういう奴らの、その最低さ・・
言葉にならない。

「世にも奇妙な物語」を観た。
そろそろ眠ろう。午前2時過ぎから眠っていない。



2005年10月03日(月)

気軽に思い浮かべて、いつでも満たされるようになりたかった。
俺は思い込む力が強いから、そういう目にさえ合われてなかったら、自分の中で言葉や存在を反芻するだけで一生分くらいの喜びに出来る。
でも、この状況でそれさえ自分に許せない。
そういう事になってなくて、気軽に嬉しく思い浮かべたり出来たなら、どんなに良い事だっただろう。

チョコボールがあったので食べようとして、「そういえば、これって金とか銀とかって当たりがあったな」と思った。
何となく当たりが出そうな気がして開封すると、金のエンゼルだった。
中学の時に2度ほど銀を出したけど、金を出したのは初めてだ。
おもちゃのカンヅメは2種類で、昔は「小学生用」と「中学生用」に分かれていた。今は「ピーナッツ」と「いちご」があるらしいのだが、どっちにしようかな。

徹夜明けでそのまま学校に行ってきた。
1時限目から4時限目まである日だったけど、2時限目と3時限目しか受けなかった。学校に居る間中ずっとモヤモヤした感じだった。
どんなに考えたところで、どんなに悔しがったところで、結局自分には拠るものなんて一つも無いんだ・・とか。
自分は何をしてるんだろう、何をしてるんだろう、何をしてるんだろ・・、とか。逃げ場が無い。解決なんてありえない。
人生全部終わってる、救いは無いのだ。
何だか色々プレッシャーがかかって嫌になった。
デスノートで新キャラが出てきた。
27歳という事だけど、生まれが俺と同じ昭和57年だった。
本当なら面白い展開だろうに、そのキャラの名前の読みが俺の知ってる下衆野郎と同じだったので忌々しかった。
3時限目の授業では、教室で映画を一部分放映していた。
「獅子座」というタイトルの古い映画だ。
主人公の中年男の容貌や雰囲気がうちの親父に似ていて嫌悪感を持った。別に顔が似ている、という訳ではないのだが、体質なりその他諸々が。
また、自分が持ってる特長もあり、将来の自分自身を連想させる。
まぁ、その人物が何か悪い事をしでかした訳でなくても、俺にとっての嫌悪の対象だ。
物語の内容は、金持ちの親戚が亡くなり、その遺産が自分に入ってくる事になり、凄く盛り上がるのだが突然遺産が手に入らない事になる。遺産が手に入る事を見越し、友人を集めて盛大なパーティーを開いたのだが、そのために全ての財産を失ってしまう。そして、その主人公の中年男は家も失くしてホームレスとしてパリの街をさまよい続ける。
こんな話だ。
腹を空かせて、道行く人々が食べているお菓子やらご飯やらを物欲しそうに横目で眺める。
その様子を見ていて、「食べたいんかい」「気色悪いな死ねよ」とか、そんな事が頭に浮かぶ。昼間に街中を汗をダラダラ流しながら辛そうにさまよっている様子を見ながら、「うちの親父が人生の絶望の淵に立たされてるんだな」「苦しいのか?」「いいザマだ」とか、そんな言葉が自然に浮かぶ。
夜中の場面でその主人公がさまよいながら、「この街は汚い」「なんて汚いんだ」と呟いていて、「汚ねぇてめえがよく言えるよな」とか。(もっとも、俺自身そういう都会とか夜の街とか憎んでるけど)
別に浮かべようとして浮かべている訳じゃなく、何故だか子供の頃から映画等を観ていると、そういう事は多かった。特に意味はない。
最近はあまりこういうの無かったような気がするけど。
子供の頃から人間、特に中年とか大人がこれといった理由もなく嫌いだったから自然に、みたいな感じだろうか。
というか、人間全般をどこか気色悪いものに感じる意識が強かったのか。
昔は、悪い事もしていない人に対し、こうやってあまりにけなし文句が浮かんでくると「可哀想だな」「何で、俺こんな事思ってるんだろう」「申し訳ないな」みたいな気持ちになる事もあったと思う。
というか、自分で過剰にけなしておいて、その後申し訳なくなる感覚が好きだったのかな。好きというより、心に来る感覚なので中毒性があったのか。
今日そんな風な言葉が浮かんできたのも、その延長みたいな感じだろうか。でも、今は少し条件が違う。
ただ嫌いというだけじゃなく、俺はショタコンを絡め漠然と人間全般を憎んでいる。
昔はそうやって心の中で酷い言葉を浴びせてしまって、その浴びせた相手に同情してしまう事もあったのだが、今はもう「同情した自分が馬鹿だった」だ。そういう大人や中年が、俺にとって大事に思える対象に何をした。
罵声を浴びせられたら普通に同情されるべきような人間に見えて、そいつらはその子たちに何をした。そう見える(罵声を浴びせられたら同情されても良いような人間に見える)奴らに少しでも情を感じてしまっていた昔の気持ちも全部裏切られたように思う。裏切られたって言っても、俺が勝手にそいつら見下して後から同情したり申し訳なくなったりしてただけだけど。
対象にされるような少年以外の人間で、
どんなにけなされる人間を目にしようが、酷い扱いを受ける人間を目にしようが、俺はもう絶対同情なんてしてやらない。
もう俺は、先入観無しに人間に対し、良いものとして見たり、慈しんだり、同情したり、情け深くなったりとかは出来ないだろうな。
というか、そういう気持ちを持って人を見る事を、自分自身に許していないような状態だ。人間なんて情をかけるに値しない、いくらでも死ねと。
たとえ、何か悪い事をしてない人間(少なくとも俺は、相手が悪事を働く事を知らないとして)に対して罵倒しても、後ろめたくなるどころかむしろ憎み続けてやるのだという意地のようなものもあると思う。
凄く悲しそうな人が居たとする。
それを同情するべきか?
心の優しい少年だったら、安易に同情してしまうのだろう。
でも、その人間の悲しむ理由が凄く自己中心的なものだったらどうだろう。
例えば、「少年を自分の欲の犠牲に出来ない事が悲しい」とか。
どんな理由で苦しんでるかなんて、傍目からは分からない。
ただ、辛そうだから助けてあげたい、になるのだろうか。
腐った理由で苦しんだり悲しんだりしてる奴なんて腐るほど居るだろうに。
そういう少年がそういう奴をいたわって、腐った奴が調子に乗って付け込んで来ない訳が無いじゃないか、と。
そういう子の純粋な心を逆手に取って。
苦しんでる人間に対し、その状況に無い自分自身が後ろめたくなるのは心優しい少年にとっては共通の心理なのか。アメリカじゃ、辛い目に合った人間に対し「お気の毒」という意味で「アイムソーリー」という言葉を使うくらいだし。
俺は、苦しんでる人間、悲しんでる人間=いたわるべきとは思わない。
徹夜明けで寝てないせいか、文章かなり汚いかもしれない。



2005年10月02日(日)

横になってボーっとしているうち、いつの間にか10数分ほど眠ってしまった。ハッと意識が戻ってからは、また何も考えられなくなってた。
ただ、自分が何もかもを納得できていないのだ、という事だけがハッキリしている。今日で休みも終わりなのに、何か考えないと勿体無いなと思いながらも。いつも学校に行く前になると、「もっと落ち着いて考えたい」となるから、今のうちにまとめられるものがあるならまとめておきたい。
俺は仕事なり目的なり、人生全部捧げてもいいと思えるような形ある物事が何も無いので、精神的なものに拠るしかないのだと思う。現実的なものに目が向かない。
だからといって一般的な恋愛を思い浮かべてみても、結局本当の意味で一生大事に思えるような自信も沸かない。
想い入れが強くなれば強くなったで、何もかもをグチャグチャに壊されて、結局何も大事に出来ない。性に合わないのかもしれない。
ただ無駄に時間だけが過ぎていく。
運命とかそういったものが、ことごとく阻むよう仕向けているようにしか思えない。これは、殆ど自分の中で確定した考えになっている。
現実的な意見なら「思い込み」となるのだろうが、事実そうなっているものはそうなっているのだ。幸福感なんて与えられないようになっている。
絶対に幸せになれないような条件を持ち、欝で何年間も苦しみ続けた挙句、その中で隙間を縫うように納得できる幸福が訪れてくれそうになった瞬間、それもグッチャグチャに壊されて。自分も同じショタコンだからとか、求める事喜ぶ事を自分自身で許せないとか、精神的にも同じ幸福を望めないような意識に変化するような状況で。
絶望のための伏線みたいだ。
何のために生かされてるんだろうな、と。
全部が糞。
もう先なんて無いから、今までの事を振り返って繰り返し繰り返し考え続けていくしか出来ない。何にも縛られずに気楽に物事を考える事も、もう出来ない。何か、しんどい。
無責任な奴らは「希望なんて自分の手で」とか言うのだろうけど、何も善しとしちゃいけない、そいつらと少しでも共通する事を自分自身に許せない、で一体どうやって希望を見出せと。
自分にとって都合が良くなる事自体、都合が良くなる自分自身に虫唾が走るような状況で、全部否定して生きていくしかないじゃないか、と。
何かを得ようと自己中になってみる事が、やたらそいつらにかぶって見える。色んな意味で喪失感が漂っている。
以前あの子に言われた「まだまだこれから」という言葉も、本来なら凄く励みになったんだろうな。この状況は本来"外"だからそうなれない。

なんかもうため息しか出ない・・
「求める事がより良い事」とされる腐った奴らに都合の良い甘えた風潮に拠って、そういう子を酷い目に合わせた奴らと同じになるくらいなら、自分はずっとこのまま一般的に言うところの"痛い奴"で居続ける方ずっとがいい。

自分は結局、本当の意味じゃ誰も大事に出来ない。出来てない。
うわべだけだ・・

午後20時半過ぎに目が覚めた。
布団の中でしばらく、夢の余韻に浸っているというか、本当ならどんなに嬉しかったんだろうと、夢を感じようとしている感じになった。
あの子はオッサンに悪戯された。思い浮かべてみて、どれだけ酷い事なのかの実感が沸かず、どうでもよく感じられてしまった。
俺ってそんなに少年好きだったっけ。
まだ意識が半覚醒みたいな感じで、以前言われた嬉しかった事とかを思い出していた。遊びに行きたいとか、お菓子たくさん買いましょうとか。
そういう子が酷い目に合わされてあれだけ苦しんでいた時期で、それだけ好きな対象にあんな風に言われて、それが実現できたら凄く嬉しくて救われたんだろうな・・と。本当に夢みたいな事なんだな、とか。
言われた時に、自分にとっても夢みたいでよく癒しの感じで思い浮かべていたような事を、相手の口から言ってもらえて、感動していた。
でも、その子もそういう目に合っているからそれを実現する事はできない。
そんな目に合わされてるのにと、反面悔しい気持ちでいっぱいだった。
少なくとも、あの頃の俺にとっては、本来大きすぎるほど幸せな言葉だったんだ、と思い出していた。あの頃も今も、喜びには出来ないけど。

凄く虚しい・・
本来なら得られてたのにというので、喪失感も離れない。



2005年10月01日(土)

どうすべきかはハッキリしてるのに、不謹慎に萌えを求めてしまったり。
最近特に酷い気がする。
そういう子が苦しんでいるのを知ってる俺は、そういうのに萌えたり求めたりして良い訳が無いのに。

どれだけ想い入れ深くて悔しいのかという事と、何で何も受け入れられないのかという事の、両方同時に伝えられれば良かったのか。
全く正反対のもの二つを同時に表す言葉なんてあるのだろうか。
どちらかを示せば、どちらかが矛盾になってしまうもどかしさがある。

普通に暇な時間を過ごしてて。
気分が和めば後ろめたさや抵抗感で落ち着かない。
絶望感が意識されれば、それはそれで不快。
また、それに対する中途半端さがストレスになる。
なんか、どうあっても落ち着けない。
常に何かに苛まれているのが自分にとっての標準なんだ、と割り切るべきか。むしろそうあるべき、と。
平安になれない。
文章打って少しは薄れさせてる感じか。

受け入れる受け入れないに関わらず、目の当たりにした現実は変わらない。最悪だ。受け入れる覚悟が無くても、目の当たりにする事に変わりは無い。結局、覚悟どうこうなんて関係なしにそういう事実は存在してる。
なんか、キレて叫びだしそうになる。

午後17時過ぎに目が覚めた。
あまり眠れなかった。
「ガンダムSEED DESTINY」を観た。
今日が最終回だけあって、戦闘シーンも多くていつもより面白かったと思う。その後、夕飯を食べた。
内面的にずっとモヤモヤしてて気持ち悪い・・
ただじっとしているだけでも後ろめたくなってくる。
落ち着けない・・
欲をかきたてるような現実が実際に存在してて、その上で自分が生きてるのが嫌なのかもしれない。

最初から、性欲なんて俺にとっては凄くネガティブなものだったし。
また、その対象となる物事も、目を逸らしたくなるような絶望的なものなんだ、と。存在が耐えられないのだろうか。
また刺激になってる部分もあって、折り合いをつける事が出来ない・・
せめて誰もそういう目に合わなければ。
そうじゃないのを知りながら、日々を生きていく事が嫌なのだ。
現実が耐えられないものでしかないのに、その現実に自分が存在し続けているしかないから、やり場がなくなる。
でも、どうしようもない・・
現実だろうが二次元だろうが、恋愛対象になるような人間の存在を感じる事に、苦痛を覚えてしまう事が多いように思う。
でも、それは昔からずっと同じか。
横になろう・・・


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リュカ

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