9/27からの連載になっています。まずは27日の「いってきます。」からご覧ください。
旅に出て5ヶ月と8日目。 ついでにいうと、ワルツを踊る猫と旅を始めて5日が経った。 彼女について、分かってきたことは ワルツを踊るときと外見はお上品だが、他はまったくもってお下品だということ。 (特に怒ったときの言葉の荒さは天下一品だ。) すぐどこかへいなくなり、ふらりと帰ってくること。 ちょっと素敵な雄猫を見つけると、すぐついていってしまうこと。 (そして文句たらたら言いつつ帰ってくる。きっと振られたのだ。)
「これだから猫は。」 と 「困った。」 が最近の口癖になるくらいわたしは彼女に振り回されていた。 さすが猫である。
「ねぇ、ちょっと。」
と彼女が呼ぶ。わたしは少し面倒くさそうに振り向いた。
「何?」 「疲れたわ。」 「わたしも。(あんたに疲れた。)」 「気が合うわね。じゃなくて、どこかで一泊しましょ。」 「だめよ。まだ今日はちっとも幸せを見つけてないわ。」 「焦っても見つかるわけないわ、そんなの。」 「もーあなたって文句ばっかり。」 「この野郎、言ったわね。」 「なにさ。」 「なによ。」
一日中この調子である。 これではいけない。あまりにも、よくない。 わたしは小さく決心して、結局泊まった宿のベランダに彼女を呼んだ。
「なにー?わたし今から顔洗うんだけど。」 「いいから。おいで。お月様がきれいよ。」
わたしがそう言うと、彼女はしぶしぶベランダへと出てきた。 ひゅうと吹いた風が、彼女の柔らかな毛をさらう。 紺色の闇の間に、まんまると太った月の光と、部屋からもれた灯りが夜を照らしている。心地いい夜の中。
「いい夜ね。」
彼女が口を開く。 珍しく、愚痴や文句じゃない言葉にわたしは微笑む。 どうやらこの夜の小さな空間を気に入ってもらえたらしい。
「ちょっと、会議をしよう。」
唐突に言ったわたしの言葉に、彼女は透明な目をぴくりと吊り上げる。
「なに?」 「このまま旅を続けるのは、きっとよくない。 成り行きで一緒に旅をすることになったわけだけど、一緒に旅をするからには仲良くしたいと思うわけ。」 「へぇ。」 「そりゃわたしたちは旅の目的も、姿かたちも、きっと過ごしてきた生き方だって違うけど、きっと上手くやっていけるわ。って、わたしくっせーな。」 「良いこと言ってるけど、一言多いわよ。」 「とりあえず、上手くやっていくために、ルールを決めましょう。」
今度はあからさまに、彼女はいやそうな顔になった。 けれどわたしは気にしない。
「親しき仲にも礼儀あり。知ってる?たいして親しくもないわたしたちこそルールが必要なのよ。」 「…ふうん。いいわよ。言ってみて。」
猫は納得したかのように、ため息をついてそういった。 わたしは気合を入れて、鼻息を荒くした。
「1、黙ってすぐいなくならない。2、異性の後をついていかない。3、わがままを言うな。この3つ。簡単でしょう?」 「…ふん、いいわよ。わかったわ。」 「守らなかったらあんたを枕にして眠るわよ。」
猫は心底いやそうにわたしを見上げた。 鬼のような気持ちになって、わたしは眉毛を吊り上げる。 そのうち猫ははーとため息をつくと、再びわたしを睨み付けた。
「いいわよ、その条件のむわ。けど、わたしからも言わせて貰うわよ。」 「げ。なにさ?」 「1、一日に一回は毛玉を吐きに行くわ。2、同じく爪をとぎに行く。習性だもの、仕方ないでしょ。 そして3、わたしたちはペットと飼い主みたいな服従関係じゃないわ。二、度、と!命令するな!」 「…わ、分かったわ。」 「守らなかったらあんたのふくらはぎにわたしの爪の痕が残ることになるわよ。」 「げー。」
うなだれたわたしと、威嚇するように爪を出した猫。 わたしたちはしばらく恨めしそうに見詰め合って、そして肩の力が抜けたように笑った。
「まぁ、そんなわけで。よろしくしたくないけど、よろしく。」 「だから一言多いわよ。ばかなニンゲン。」 「何だと、猫のくせに。少し可愛いからって。」 「ははん、ひがんでるのね。」 「べ、別に。そんな柔らかそうな尻尾が欲しいなんて、ちっとも思っちゃいないわよ。」 「…あげないわよ。」
紺色に包まれた夜空と、いつかの少年が飾っただろう一番星。 それから、真ん丸いお月様の下。 ベランダの手すりにひじをおいて、体重を預けるわたしと 手すりの上に器用に座る猫の影が、部屋から漏れ地面に落ちた光に影を落としている。
わたしたちは、またも低レベルないい争いをして、 それから少しだけ笑いあって、嫌そうな顔で握手をした。
ひとりと一匹旅、けっこう、捨てたもんじゃない。 きっとこれからよくなる。
「じゃあわたしこっちのベッドで寝るから。あんた床で寝て。」 「なんだと、猫のくせに。」 「なによ。」 「なにさ。」
…たぶん。
---- ひゆさんからのお題「ベランダ会議」より。
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