空虚 - 2003年12月24日(水) 久々の発作は血圧の乱高下が激しく、少しの間だけ入院することになった。動悸を自然に抑える事ができなくて、薬の力を借りてどうにか横たわっていた。 情けない。本当に自分が情けなかった。なんてくだらないんだろう。直前に受けた衝撃と今回の発作は関係ないと信じたかった。無理にでも自分に信じ込ませたかった。 どんなに悔しくても這い上がってきた自分は何処へ行ってしまったのだろう。これくらいのことでこの10年の精一杯を無駄にしたくはなかった。 だが、発作の苦しさは危険な思想を生む。これまで様々な同病者が荒んでいく様を見てきて、自傷願望に比べて他者への悪意は、極めて衝動的で瞬間的なものだと思っていた。ところが初めて私の心の奥に宿ったそれは、驚くほどに冷静で沈着な青い炎だった。 既に恨みはない。復讐心もない。意識レベルでは欠片も存在しない。健在意識下の自分は努めて穏やかな感情を保っていた。しかし無意識の世界はコントロール出来ない。夢の中の私は冷ややかな悪意そのものだった。 その子供は丁度2歳になったばかり。一番可愛い盛りだ。私は母親の目を盗み、こっそりと子供を奪い去る。指紋も足跡も髪の毛一本残さないように細心の注意を払う。もちろん何度も着替えながら、公共の交通機関で痕跡を残さずして遥か山奥へと移動する。そして施設の前に子供を置いて、すぐに公衆電話から「自分の子供をしばらく預かって欲しい」と電話するのだ。 県を跨げば警察の連携も薄い。自分の不在証明はきっちり作るだけの脳味噌はある。決して子供を傷つけるつもりなどないのだ。ただ、自分と同じ辛さを味わって欲しいという歪な欲望のみの行動。 心臓がゴトリと動いて目が覚める。冷や汗でびっしょり。なんて嫌な気分。そして自己嫌悪の嵐が襲う。こんな夢を見せるのは私自身の醜い心なのだ。 なんと浅ましいのだろう。今の私は満ち足りた幸せに包まれている訳ではないけれど、とりあえずは平穏無事な生活を送っている。有難いことではないか。有難いはずだ。勿体無い程だ。それなのに私の魂を地獄へ突き落とすこの衝動は、一体どこから生まれてくるのだろう。 退院後は勿論、表面上の穏やかさを保ち日常生活を過ごした。会社でもこの話題が出るたびに他の皆と同様に微笑んだ。からかったりもした。それはきっと無意識の自分が何をするのかが怖くて、その不安を必死で打ち消そうとしていたからだったろう。 実際に悪夢からも開放され本当の意味での平静を保てるようになるまでには、しばらく時間がかかった。そしてまだこの頃には気付いていなかった、この悪意の根源に思いを馳せていた。 -
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