風太郎ワールド


2003年05月29日(木) オフィスのお茶係

オフィスのお茶係といえば、一昔前は女性社員の仕事だった。今でも、古い体質の企業に行くと、若い女性社員がお茶やコーヒーを出してくれるから、完全に昔の話でもないのかも知れない。

最近は日本でも男性に負けず劣らずキャリアを歩む女性が増え、簡単にお茶など頼める雰囲気ではないようだ。それどころか、お茶汲みという仕事にムキになって反発する女性も多いらしい。

たかがお茶くらいで、と古い男性陣は訝るかも知れない。ところが、インドに行って考えさせられた。

数年前、インドのシリコンバレーと呼ばれるバンガロールに日本人グループの通訳として随行し、インド人IT技術者達と一週間ほど技術的な会議を重ねた。何人かのインド人は度々日本に来ていたので、既に顔見知りで仲も良い。

会議は毎日朝から夕方まで休みなく続いた。技術的な議論とインド・アクセントに悩まされてしばしば頭が破裂しそうになったが、そんな時ホッと息を継げたのが、チャイ・ブレイク。

朝の会議が始まって1時間もすると、飲み物の希望を聞きに来る。チャイが良いかコーヒーが良いか、砂糖入りかなしか。そうして、10時頃飲み物が運ばれてくる。実は、この注文取りをしていたのも給仕をしていたのも、10代の少年達だった。日本では女性に押しつけられる仕事を、インドでは少年達が担っていた。

いっしょに仕事をしているインド人エンジニアのリーダーは、非常に優秀で高潔な人物だった。IT技術はもちろんのことビジネスのトレンドにも詳しく、ヨーロッパやアメリカにも出張し、世界を飛び回っている。まだ30代の若さだが、日本でも忍耐強く日本人の文句を聞き、礼儀正しく対応していた。

そんな彼が、バンガロールで会うと少し雰囲気が違う。給仕の少年達に対してだ。

"Bring tea at ten."
"Stay."
"Now, go."

ちょっときつすぎないかと思うほど、命令調。まるで主人が召使いあるいは奴隷に指示を出しているような雰囲気なのだ。

少年達もペコペコしながら、言われるがままに傅いている。そして、我々と目が合うと媚びるような笑みを浮かべる。

彼らを見ていて突然、お茶汲みの持つ社会的意味を悟ったような気がした。お茶汲みという仕事は、主人のために尽くす立場にある人たちの仕事なのだ。

それを敏感に感じ取っているからこそ、日本の女性達はお茶汲みを嫌がるのだろう。いくらおじさん達が、むさ苦しい男より細やかな女性にお茶を汲んでもらう方が職場の雰囲気がよくなると言い訳しても、その裏には、お茶汲みのような単純で重要でない仕事は男がするものではない、雑用は女にさせておけばよいという偏見が見え隠れする。

お茶を汲むという行為そのものは大した仕事でもない。それが証拠に、バリバリのキャリアウーマンでも、好きな男には嬉々としてお茶を入れてあげるではないか。自分の男なら、「ご主人様」と言って尽くす役割も楽しめるのだろう。

そもそも他人に雑用を頼むのが苦手で、お茶汲みでもコピー取りでも自分でやってしまう私にとっては関係ないことで、オレが煎れるコーヒーが一番おいしいなんて単純に考えてしまうのだが、会社の中だけではなく人間が複数集まればどこでも、上下関係・主従関係というものが生じてしまうのだろうか。

ただ、



    ↑クリックするとメッセージが変わります(ランキング投票ボタン)というから、少し複雑な心境である。


2003年05月27日(火) 体育で1をもらった

小学校4年生の時に、体育で「1」をもらったことがある。1番ではない。5段階評価の1。最低点だ。

確かに、私は運動万能のスーパースターというわけではない。しかし、1をもらうほどの運動音痴でもない。実は、腕の骨を折ったのだ。

体育の授業で、その日は鉄棒だった。先生の前で順番に逆上がりをやらされていた。私は蹴りが弱いのかまだ回りきらない時がある。順番を待つ列の中で、ひとり足を振り上げてイメージトレーニングをしていた。すると、足を滑らせてひっくり返ってしまい、ふと見ると左肘近くで骨が折れ皮膚を突き破りそうになっている。結局、その学期は体育の授業を全休。ずっと見学していた。

小さいころの私は骨が弱くて、小学校2年生の時にも左足脛の骨を折った。昼休みにひとり校庭の一角で、50センチほどの高さの岩から飛び降りて遊んでいたところ、何度目かで立ち上がれなくなった。脛の周りが青く腫れている。始業の鐘が鳴って焦るが、動けない。近くを通った上級生のお兄さん達が保健室まで運んでくれた。

それにしても、鉄棒をする前に地面でひっくり返って腕の骨を折るなんて、滑稽なくらいに軟弱だが、それは私の体育技能とは別問題だろう。体育の授業中に負傷した生徒に1を与えるとは、先生も少し非情ではないか。大相撲でも公傷制度がある。今の時代なら「訴えてやる!」ということになるかも知れない。

体育で1をもらった私はかなり落ち込んだが、それ以上にショックだったのはオヤジだったはずだ。

今は亡きオヤジは、若い頃運動万能で暴れん坊だったらしい。チンピラに喧嘩を売られて、7人川に投げ込んだという武勇伝の持ち主だ。場末の酒場で人違いから日本刀で斬りつけられ、



    ↑クリックするとメッセージが変わります(ランキング投票ボタン)という伝説も残っている。

口では何も言わないが、自分の息子が体育で1をとってくるなんて、心配を通り越して屈辱であったに違いない。私の骨折が直ってからは、毎週末のように小学校の校庭へ連れて行き、逆上がりから、ウンテイ、自転車の練習まで、あらゆる運動を教えてくれた。

今思い返せば、覚えが遅くてなかなか上達しない私を、一度も叱ったり怒ったりしたことがない。自分で模範を見せると、私が出来るようになるまでいつまでも見守っていた。

私が中学に入ると、ブルワーカーという筋肉トレーニング機器を通販で買ってくれた。級友の間で卓球が流行ると、私を卓球場へ連れて行き、見事なラケット捌きで私の下手なボールを繰り返し打ち返してくれた。

骨を折ったおかげで、オヤジと過ごす時間がたくさん出来た。多くのことを習うことが出来た。

最近散歩中に鉄棒を見かけ、懐かしくなって久しぶりに逆上がりを試みた。懸垂逆上がりも3連続前回りも難なくできた。

体育でもらった1は不名誉な記録には違いないが、その後の私の人生にかけがえのない大切なものを残していってくれたようだ。


2003年05月25日(日) 男の自慢

ある同級生に、数年前20年ぶりに会った。ちょっと自意識の強い、クセのある男だったが、サラリーマン社会で揉まれて20年もたてばさぞ大人の魅力を身につけたことだろうと期待して、もうひとりの友人と繁華街のホテルのロビーで待ち合わせた。

1時間以上も遅れてやってきた彼は悪びれもせず、「忙しくてなぁ。ゴルフの帰りで車が混どったんや」と言ってどかっと目の前に座った。

いつもは饒舌な私だが、その日は「成長」して大人になっただろう彼の話を聞きたくて、めずらしく口数が少なかった。

さて、久しぶりの再会を祝して乾杯した後、待ちきれなかったように彼が切り出した。

「オレ自慢じゃないけど、物心ついてから今日まで一日も欠かしたことないのよ、アレ」
「アレ?」

「ほら、分かってるやろ。ま、ひとりでやる時も含めてやけど」
といって、彼はいたずらっぽく、しかし自慢げに大きな口をさらに大きく開いて笑った。

いきなり話がそっちに行ってしまい、いつもはどんな話題でも縦横無尽につきあう私も、さすがに面食らってしまった。

おい、20年ぶりの話がそれかよ?

それからは、彼のひとり舞台だった。もう中年の域に達しているにもかかわらずまだ独身の彼。世界中を股にかけた仕事をしているのだが、あちこちに「彼女」がいるらしい。金髪もいれば黒人もいる。まるで世界中の女を征服したような勢いだ。

学生時代は表面的なひょうきんさとは裏腹の小心で、いつも女の子に振られてはみんなに慰められていたものだが、社会人になってから女性に関しては自信を深めたようだ。

しかし、それにしても、「オレには好きな女性がいる」という話ではなく、「毎日アレをしている」「世界中にオンナがいる」という自慢話が出てくるとは。

自慢。そうなのだ。その晩ひとりでしゃべりまくった彼の話は、煎じ詰めれば、年はとってもいかにオレは「アレが強いか」、いかに世界中に外人の彼女がいるかという点につきたのだ。

彼から大人の風格を期待した私が、少なからず失望したのは言うまでもない。

しかし、周りを見渡せば、世の男達の多くは、口に出すか出さないかにかかわらず、そういう自慢をしてみたいと思っているのかも知れない。

高校時代から愛し合っている彼女とか、一生待ち続けた運命の女性とか、妻しか知らない純情な男とか、そういうのは男の自慢にならないらしい。

結婚してようが独身だろうが、恋愛もどきで情事を楽しもうが、不倫で修羅場を迎えようが、オレは何人知っているとか、オレは何回やったとか、そういう「魅力」「強さ」が男の勲章になるようだ。

馬鹿らしいとか、くだらないとか、男って単純ねとか、批判するのは簡単だが、「俺は違う」と人格者を気取っている男達でも、心の奥底に潜む願望を暴いてみれば、単純にそういうナマの男の部分に対する憧れを持っていることが多い。

だからといって、すぐさま良い悪いという判断をするつもりはない。真実を否定する必要はまったくないし、実際そういう動物的な要素も人間の活力には必要不可欠だろう。

しかし、しかしだ。それを、ストレートに出してしまうと元も子もないというか、風情がないというか、面白みがないというか、それを言っちゃおしまいよ、ということってあるだろう。

そんなに自慢したけりゃ、その辺の野良犬とか、競馬の種馬とでも競争したらどうなんだとなってしまう。

人間の魅力って、欲望のままに行動すればいいってもんでもないだろう。荒々しさや力強さを望むなら、人間のオスなんかより野生のゴリラかライオンでも見ているよ。

昔と違って、いとも簡単に「出会い」や「Hフレ」や「不倫」が手に入り、ひとつ一つの契りの重さが紙切れほどに軽くなってきた昨今、「恋愛」も欲しけりゃ手に入れ、気に入らなければポイと捨てる。そういう風潮が強くなってきたようだ。そもそも「恋愛」と呼べるのか疑問なほどお手軽な結びつきが至る所に満ちあふれ、気づかないうちに誰も彼もが流されている。

そういう現象を



    ↑クリックするとメッセージが変わります(ランキング投票ボタン)と呼ぶのだが、その中に男の夢を掻き立てたり、一生を賭けても惜しくないと思わせるだけの宝石は混じっているのだろうか?

もし、命を張っても良いと思えるだけの恋愛をしたいと思えば、



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を探すだろう。

さて、20年ぶりに会った同級生と別れる時、「お前のH生活はよく分かったが、お前が昔から求めていた、命を賭けて愛する女性は見つかったのか?」と聞きそうになって、おもわず言葉を飲み込んだ。


2003年05月23日(金) ショウイチ君のファーストキス

ショウイチ君は、高校時代の親友のひとりだ。最近はお互い忙しくて会う機会が減ったが、現在は心臓専門の外科医をしている。

高校時代、陸上部のエースとして短距離が得意だった。少したれた眉に哀愁漂う瞳。端正な甘いマスク。誰からも好かれるさっぱりした性格。判断力があって頼れる男。まじめな学習態度。唯一の欠点は、走りすぎてあまり成長しなかった足の長さか。

私が関わっていたクラス新聞で、「一番センスの良い男」や「一番成功しそうな男」などのジャンルを設けて人気投票をしたことがあったが、ショウイチ君は「女の子に最もお薦め」の男に選ばれた。

彼は陸上部に加えて地学部にも属していた。年に何回か化石探しに行くのを主な活動とするクラブだが、担当教師が面白い人物で、彼以外にも親友の多くが入っていた。私も彼らとの友情のために入部した。

地学部員は昼休み地学教室に集まる。北側の窓一面に六甲の山が望める木造の教室。だるまストーブで弁当を暖めながら、みんなでおしゃべりをするのが楽しかった。

ある日、昼休み終了5分前のベルが鳴るとともに、みんながノロノロと教室に戻っていこうとしている時だった。

「風太郎。ちょっと来てくれ」

他の連中がほとんどいなくなったのを見計らったかのように、ショウイチが私を呼び止めた。

何事かと訝りながら、窓際に立って六甲の山を眺めているショウイチのところへ行くと、学生服の内側から手紙をとり出した。

「これは、俺の真剣な気持ちだ。親友のお前に読んで欲しい」

そういうと、私の横をすり抜けて部屋を出て行った。

急に頭に血が上って、心臓がドキドキする。5時間目の授業が始まったが、上の空。手紙を開けると、書き出し部分が見えてきた。

「僕達は、昨日はじめて、長くて熱いキスを交わした‥‥」

キス?

ショウイチ、お前‥‥。

「僕達の愛は幼いけれど、二人とも真剣なんだ」

ショウイチは、数ヶ月前からある女子高生と付き合っていた。

阪神電車で通学していたショウイチに、毎朝同じ電車に乗るある女子高の生徒が惚れたらしい。こっそり彼の後をつけて行って家を調べ、ポストに手紙を入れた。ショウイチは彼女と一度会い、二度会い、いっしょに通学するようになり、いつしかいつもいっしょにいるようになった。

「昨日彼女を泣かせてしまった」

彼女は高校の一年生。ショウイチは三年生。もうすぐ受験勉強が始まる。するとあまり会えなくなる。それどころか、その日、ショウイチは、受験が終わるまで3ヶ月か4ヶ月会うのはやめようと言ったらしい。それを聞いて、悲しくて彼女が泣いたのだ。

「入試が終われば必ず会えるから、少しの辛抱だよ」
「3ヶ月も会えないなんて耐えられない。いやだ」

泣き出した彼女がいじらしく、ショウイチは思わず抱きしめた。きっと彼女を幸せにしてやろうと心に決めた。

抱き合った二人は見つめあい、自然に顔を近づけ、そっと目を閉じて、そしてキスをしたという。いつまでも何時間も唇を重ねていたと言う。

「ディープでロングなキスだった」
私がもらった手紙の中で告白している。

それを読みながら、私の心臓はいつまでも高鳴っていた。もう授業どころではない。すごいな、ショウイチは。キスしたのか。真剣なんだ。もうアイツは、俺とは違う世界に行ってしまったのだ。

少し取り残されてしまった寂しさを感じた。

その後、私は地元の大学に通い始め、ショウイチは船で2〜3時間ほど離れた大学の医学部に一浪して入学した。

彼女とはどうなったかって?

ショウイチが医学部に入ってからも彼女はしばしば船に乗ってショウイチに会いに来たらしい。しかし、やはり遠距離恋愛。いつしか心も離れ、ショウイチには大学街のコーヒーショップで働いていた新しい彼女ができた。

あ、そうそう、その後何年もたってから、ショウイチに聞いたことがある。
「あの時の彼女とはどうだったんだ?お前にもらった手紙を読んだ時、あまりに美しい純愛に感動して、涙が出そうになったんだぞ」

するとショウイチは、ああっ、あの手紙か、と素っ気なく言う。実は初めてキスをしたとき、



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らしい。



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だったんだ。

純愛を信じて感動した俺はどうなるのだ!


2003年05月20日(火) やればできるもんだ、ダイエット

1キロ5分を切ったぞ!先週天気の良い日に、4キロを19分で走った。よしよし。次の目標は18分だ。順調に体力は回復している。

以前ライバルは10代だと書いた。もっと正確に言えば、16才の時の自分だ。知識や経験では圧勝だが体力でも負けたくない。ほんとに負けず嫌いだね ^^;

数年前長いブランクを経て日本に戻ってみると、仕事と家庭で忙しい同年代の友人・知人たちは、一部の例外を除いて、大学時代と比べると見る影もなく変形・変貌してしまっていた。

そんな友人の一人がK君。身長1メートル62センチで体重は80キロ近く。ウエストは85センチを超え、太っているというより膨らんでいるという表現が正しいような状態。

一方、学生時代スポーツではアベレージに過ぎなかった私は、アメリカで10数年間鍛えぬいて見事なアスリートに変貌していた。

帰国したばかりの頃K君を誘ってジムに行ったが、まったくこちらのペースについて来られない。泳いでも25メートルでへばっている。こちらの半分もベンチプレスを上げられない。見るも悲しい中年体型だった。

ところが、このK君。最近大変身を遂げた。ほんの数ヶ月で20キロも痩せたのだ。ウエストも15センチ以上細くなり、所有するズボンはすべてぶかぶかで穿けなくなったという。以前は、太すぎて穿けるズボンが少なかったのに‥‥。

ダイエットを敢行したらしい。話を聞くと、グレープフルーツジュースで痩せたという。黒酢もカロリーが低く繊維分が多くて効果的だというので、薦められたタマノイの「はちみつ黒酢」を飲んでみると、これがおいしくて私もファンになってしまった。

食生活の改善だけではなく、ウォーキングも始めたという。それも半端じゃない。毎日3キロのウエイトを左右の足首に巻いて会社に行く。ちなみに3キロより重いアンクル・ウエイトは売っていないらしい。通勤電車は一つ遠い駅まで歩く。休日は2〜3時間、手首にも2キロずつのウエイトを巻いて歩く。ウォーキングというより鍛錬だ。

器具を使って体を鍛えると聞いて、



    ↑クリックするとメッセージが変わります(ランキング投票ボタン)を思い出した。

我々の世代は、ちゃぶ台をひっくり返す親父に感動し、漫画で死亡したボクサーのお葬式を上げ、奇声を上げてヌンチャクを振り回した。自分を鍛えぬく男に対する憧れは非常に強い。高校時代友人の一人は一日中鉄のゲタを履き、通販で取り寄せたエキスパンダーのような器具を服の下に装着していたものだ。

さて、最近肉体改造を始めたK君。体脂肪率も瞬く間に15%近くまで落ちた。完璧な体だ。これで、少しやせ気味の胸に筋肉を乗せれば文句のつけようがない。

実は、K君の驚異的なダイエット結果を聞いた時、それほど驚かなかった。彼ならやりかねない。何かに熱中すると過激に突き進む男だ。学生時代、丸一ヶ月間タダでもらってくるパンの耳だけをかじってお金を貯め、念願のステレオを買った。

それに、もともと高校時代は水泳部でならしたスポーツマン。クロールが苦手な私に大学時代水泳指導してくれたのが彼だった。必死で泳ぐ私の横をバタ足で追い抜きながら「犬かき?」と憎たらしいことを言う。

そう言えば、私にジャズの聴き方を教えてくれたのも彼だった。タバコの煙がたちこめる暗いジャズ喫茶に何時間も籠もり、ふたりで一心にジャズを聴いた。ジャズとはこういうものだと言って最初にくれたテープがケニー・バレル。最高の選択だった。

さらに思い起こせば、いっしょにダンパ巡りをしている頃、いつもミラーボール真下の目立つところで、得意げに見事なステップを披露していたのも彼だった。私は、動きが堅いとかいって指導された。

そんなシャープなかつての青年が、20数年間の会社勤めと3人の子供を持つ父親としての責任で忙殺されているうちに、いつしかぼてぼての中年男に変貌する。ところが、ある日突然、奇跡の復活。

最近ラブハンドルが気になり始めた私は、体脂肪率では既に追い抜かれてしまった。腹回りも、今や70センチを切った彼に軍配が上がる。やばい。

し、しかし、最近走っていないK君。どうだ。4キロ19分では走れないだろう。はっはっは。これだけは俺の勝ちだな。今のところは‥‥。


2003年05月18日(日) 修学旅行チン事件

寝たきりの叔母に会うために母が故郷の鹿児島に帰ることになった。せっかくだから帰りに指宿の温泉でゆっくりしておいでという話をしながら、突然遠い昔の思い出が蘇ってきた。

高校の修学旅行。九州周遊だった。

神戸三宮駅から夜行列車に乗り、一晩のんびりと揺られて行く。実は、私には出発直前にショッキングな出来事が発生し、一晩中列車の窓から夜の闇を眺め茫然自失状態だったのだが、この件についてはまた別の機会に書こう。

さてこの九州修学旅行。お決まりのように阿蘇山麓を何キロも歩き、別府温泉で温泉卵を食べ、宮崎の美しい海岸線をドライブして、桜島の雄姿を拝んだ後は、指宿温泉で一泊という旅程だった。

その指宿宿泊の日。一日の観光を終え夕方バスで向かった先は、まるで「お釜」をひっくり返したような半円形をしたモダンな造りのホテルだった。

ここで、事件はいきなり起きた。

旅装を解いて、ガラス張りの大浴場を堪能し、卓球とピンボールマシンに興じた後の夕食時。

なにやら、騒々しい。あちこちでみんなが興奮している。

「団体で来てるぞ」
「お、俺もウィンクされた」
「ニヤッと笑いよるねん。恐かったぁ」

どうやら他の宿泊客のことらしい。引率の教師がマイクで注意を促しながら苦笑する。「え〜、いろんなお客さんが泊まっとるようやから。あんまり、かかわらんように」

他の連中に何事かと尋ねると、オカマが泊まっているという。それも団体で。

親睦旅行なのか集会なのか。何の集まりなのか分からない。とにかくたくさん泊まっている。それどころか、その日の宿泊客はわが高校の一団とオカマの一団だけだった。

たちまち、あちこちで遭遇事件が起きた。

夕食後、「ウォー」と声を上げてラウンジに飛び込んできたのは、柔道部の黒帯、男の臭いムンムンのマツバラ君であった。「や、やられたぁ」と股間を押さえている。一体何事だ?

「エレベーターの中で、いきなり握られた」
マツバラ君、丸刈りの頭から汗を噴いている。

「すっごく大きいわねぇってさ」
ゆでダコのように顔が紅潮している。

「部屋に来ない?だって。何で俺なんだよぉ」
いかにも情けない顔をしている。

今や日本の知性を代表する一人となった武闘派の彼も、さすがオカマにはたじたじだったようだ。

さて夜も更け、まだゲームをするという友達を置いて、私は一人部屋に向かった。エレベーターに乗ってドアを閉めようとしたその瞬間。一人の「男」が滑り込んできた。

確かに男だと思ったが、華奢で小柄で、体にぴったりフィットしたズボンをはいている。その彼が、いきなりくねっと体をひねってこちらを向いた。私の頭の先から足の先までゆっくりと舐めるようにチェックする。そして、またゆっくりと舐めるように視線を戻すと、まるでしゃぶるように私の目を見つめ、ねっとりとほほ笑みかけた。一瞬背中にゾクッと寒気が走る。

「あ〜ら、ぼうや〜。かわいい〜じゃな〜い」
まずい。部屋は12階だ。ここで、何かあったら、死んでも死にきれない。思わず後ずさりする。エレベーターの動きが遅い。「男」と二人だけの時間が長い。

「良かったら、あとで‥‥。来ないぃ?705よ。ナナ・マル・ゴォ。いい?じゃ、あ・と・で。ね?」

そう言うと、「男」は7階で降りて行った。彼が降りるやいなや、どっと力が抜け心臓が高鳴る。とにもかくにも、恐怖は去った。

しかし、なまめかしい空気がまだ辺りを覆っている。

705、かぁ‥‥。いったい部屋に行って男同士で何をするんだろう?



    ↑クリックするとメッセージが変わります(ランキング投票ボタン)には具体的なイメージが浮かばなかった。

お釜をひっくり返したようなホテルで出会ったオカマの一群。「俺も触られた」「僕も声をかけられた」という他愛もない被害報告は相次いだが、幸い「実害」を受けた者は一人もなく、その後伝説の修学旅行エピソードとして語り継がれることになる。

ただ、私の人生において、オカマとの危機一髪の遭遇はこれで終わらなかった。指宿は始まりにすぎなかった。


2003年05月08日(木) アマゾンの失態

先日面白いペーパーバックを見つけた。シャーロック・ホームズの全作品がオリジナル体裁のまま収録されている。新聞発表時の挿絵も入っている。

驚いたのは、1000ページを越すこの分厚い洋書がたった840円で手に入ること。中学時代に夢中で読んだ謎解きを英語で読みたくなった。早速ウェブで注文した。いくつかある洋書販売サイトの中で今回はアマゾンを利用。

さて、一週間ほどして届いたペーパーバック。喜んで手にとってみると、何と背表紙にナイフで引っかいたような傷が縦に一本走っているではないか。上部2cmほどは、ほとんど表紙が裂けそうだ。

アメリカだと、これくらいの傷は珍しくない。書籍の外観に対する思い入れが日本人ほど強くないようだ。大学のブックストアに並ぶ本も角がへこんだり、ページが折れていたり。製本が悪くて今にもバラバラになりそうなのもある。あれこれ見比べてから買わないととんでもない商品をつかんでしまう。

それに比べて、日本では本を愛する人が多く、書店に並ぶ本はみんなきれいだ。製本も完璧。パラフィン紙を被せたり箱に入れたり、過剰かと思えるほど保護されている本もある。だから、棚からすっと抜いても問題のない本がほとんどだ。

アマゾンでは何十回も書籍やソフトを購入してきたが、いつもきれいな商品が届き満足していた。信頼して利用してきた。

なのに今回は、裏表紙に裂け目ができるほどの傷がついたペーパーバックが届いた。

多少の傷は仕方がないが、これは見逃せなかった。

さて、どうしたものか。返品すべきか。しかし、今すぐ読みたい。

とりあえず、カスタマーサポートにメールを送って事情を説明する。丁寧な返事がきて、交換商品を先に送るというのでホッとしていたら、すぐ次のメールで「この商品の発送には3〜5週間かかります‥‥」

3〜5週間?!おいおいそんなに待てるわけないだろう。注文してから1週間以上待ったんだぞ。海外から取り寄せなくてはならないのは分かるが、そう簡単に顧客に5週間待ってくださいで済ませていいのだろうか?

結局商品の交換を断った。自分でテープでも貼って修繕するよ。そんなに待てない。すぐ読む必要があるから買ったのに。

今まで、アマゾンは100%信頼してきたが、傷がついた商品を送るという初歩的な商品管理ミス、また、顧客を5週間も待たせてもあたり前というサポート体制。少なからず失望した。

今後は、書店で買える書籍はできるだけ手にとって確認してから買おう。

*    *    *


FreeMLという老舗の無料メーリングサービスがある。2週間ほど前からあるグループの連絡用に利用し始めた。

ところが、ゴールデンウィーク真っ盛りの5月4日、何故かメール配信が遅れ始めた。数時間も。

サポートにメールを出したが返事がない。遅延はその後もひどくなる。仕方なしに手動でメールを同報配信した。

ちょうどグループの集会を開いたばかりなので、メールでのやり取りがたくさんあるはずなのだが、一向にメーリングリストから配信がない。他のメンバーも何人か手動でメールを送り始めた。

翌日になると遅延はさらにひどくなり、24時間前の投稿メールが配信されない。こうなるともうメーリングリストの役割を果たしていない。それも、一番必要な時に利用できない。再度問い合わせメールをサポートに送ったが返事が来ない。

連休が明けた日の昼過ぎ、ようやくFreeMLのホームページに障害のお知らせが掲載された。ちょうど5月3日から5日まで配信遅延が生じていたと言う。午後になってサポートからホームページと同じ内容の形式的な返事メールが届いた。

どうやら、連休中は誰も障害対応にあたっていなくて、連休明けに職場に来てから障害に気がついたようだ。のん気なものだ。

所詮無料のメーリングリスト。この程度のサービスでも文句は言えないのかもしれない。しかし、一番必要な時に利用できず、手動でメールを送らなければならないようでは、利用価値は低い。のんびりとおしゃべりする趣味のMLならいいが、とても仕事や重要な連絡には使えない。

さて、どうしたものか。InfoseekやYahoo!のe-Groupsにでも移行するか。他も同じような程度なのか。

かつては日本社会の



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が、今は到る所で失われていると実感するこの頃だ。


2003年05月02日(金) スカラー波

最近、白装束が世間を騒がしている。

白装束なんて聞くと、



    ↑クリックするとメッセージが変わります(ランキング投票ボタン)を思い浮かべると言えば、ある年代の方々には大きく頷いていただけるかもしれない。

しかし、いまニュースやワイドショーがこぞって取り上げている白装束は、正義の味方とは似て非なる一団だ。

何でも、代表(教祖?)である女性をスカラー波攻撃から守るため、転々と移動しながら調査をしているという。

*    *    *

この「パナウェーブ研究所」と称する団体。ウェブサイトなどを覗いてみると、宗教団体でもなければ真っ当な科学団体でもない。まるでSFかマンガのようなことを言っているのだが、本人達はいたって真剣。ちょっと理解に苦しむトンデモ団体だ。

そういや、似たような団体が過去にもあった。彼らの特徴として、一見高級そうな科学知識を振り回す。

たとえば、スカラー波。

物理の定義では、スカラーとは温度のように大きさだけあって方向を持たない量を指す。それに対してベクトルは速度のように大きさも方向も持つ。

スカラー波といえばスカラー量の波動なら何でもいいはずだが、「パナ研」のいうスカラー波は特別だ。位相が反対のふたつの電磁波が完全に打ち消しあう時に、そこに「スカラー波」が生じていると主張する。そしてそれは重力波だと言う。頭の中に疑問符が飛び回るが、これ以上科学的に厳密な論述は彼らのウェブサイトには見当たらない。

このスカラー波という概念。元々はThomas Beardenという人物が言い出したようだ。彼のウェブサイトなどを覗くと、さまざまな物理の概念を駆使して独自の理論を展開している。ところが、あちこち論理に飛躍があり、ずれている。

たとえば、Beardenはスカラーとベクトルについて語るとき、ベクトルの総和がゼロになるとゼロベクトルになり、それはすなわちスカラーだと言う。ゼロベクトルはスカラー?

また、スカラーには必ず内部構造があり、その中ではたくさんのベクトルが打ち消しあっているので、スカラーはすなわちベクトルなのだと言う。どこかに飛躍がないか?彼の使っている「スカラー」という単語の定義、どうも一般的に数学者や物理学者が使う意味とは違う。勝手な解釈をしている。

また、スカラーは"motionless"(静止している)、ベクトルは"in motion"(動いている)という説明をしている。ベクトルの持つ「方向」を「運動」と混同しているようだ。もちろん、運動にも方向はあるんだけど。

さらに、スカラーは時間ベクトルだと言う。ますます訳がわからない。

Beardenは曲りなりにも大学院まで教育を受けた人物で、彼の「理論」には難しい物理の概念や用語が散りばめられている。

科学に縁がない人の多くは、なじみのない科学的議論で畳み掛けられると、圧倒されて思考停止に陥り、論理の飛躍や欠陥に気付かないことがあるかもしれない。

しかし、そう簡単に諦める必要はない。怪しい理論は、たいてい非常に基本的な概念を誤解したり、用語の定義を曖昧にするところから始まる。そういう曖昧さを追求していくと、論理が破綻し始める。

「パナウェーブ研究所」のウェブサイトでは、スカラー波だけではなく、重力子や重力生物学という表現も踊っている。もちろん、彼らの「説明」は何も証明しない。ただ、そういう難しい用語とか概念を借りてきて、自分達に都合よく解釈しているだけだ。

*    *    *

近年、科学知識で武装した宗教まがいの団体が増えてきたように感じる。オウム真理教でも、医学部や理学部で高い教育を受けた幹部が何人もいた。

世間の人は、合理的な思考を身につけているはずの科学者が何故宗教に走るのかと訝るかもしれない。ところが、本来科学と宗教は対立するものではない。排他的なものではない。

近代物理学の祖ともいうべきニュートンは、物理よりもずっと多くの時間を、聖書と錬金術の研究に費やした。物理を研究したのも、神が支配するこの世界の原理を理解するためだったと言われている。

恐いのは、科学を中途半端にしか理解していない連中が唱える似非宗教であり、トンデモ団体なのだ。

*    *    *

スカラー波もSFとして楽しめば夢もあるが、どこで何を間違ったか本気にしてしまう連中が出てくるから始末が悪い。

しかし、人のことは言えない。私も中学生の一時期、清家新一の本を愛読し「反重力」なんてのに夢中になっていた。無知とは恐ろしいものだ。

科学も宗教も、そしてトンデモ話も、よーく気をつけないと、ホント紙一重なのだ。


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