風太郎ワールド
昼間家で仕事をしていると、勧誘やセールスの連中が次々とベルを鳴らす。新聞販売店から牛乳配達、生命保険、換気扇フィルター、不動産、‥‥。ドアに「一切の勧誘・セールスお断り」と赤で大書しているにもかかわらず。 大学生の頃、バイブルクラスに通っていた。 あるアメリカ人宣教師が、自分の経営する英語学校で毎日のように開いていたのだが、無料で誰でも参加できた。教えているのは、無報酬でアメリカからやってきた信者達だ。 私は最初英語の勉強のつもりで参加した。しかし、回を重ねるにつれ、聖書を学ぶことで西欧文化がより深く理解できるということが分かってきた。また宣教師の人たちと仲良くなった。クラスの後はいつもラウンジで煎れたてのコーヒーを飲みながら、みんなで雑談に興じる。さらに、食事会に呼ばれたり夏の花火を見に行ったり。楽しかった。数年このバイブルクラスに通い、1年間はほとんど毎日足を運んだ。 このバイブルクラスでは、一度もキリスト教に勧誘されたことはない。押しつけがましいことを言われた記憶がない。 ある時、一人の若い宣教師にこんなことを聞いてみた。世界には多くの宗教がある。人は生まれたばかりの時にはまだ信仰心などない。言ってみれば、さまざまな宗教という山々に囲まれている中で、さてどの山に登るか、ひとつ選んで登り始める訳だが、何故あなたはキリスト教という山を選んだのか? ちょっと意地悪な質問だったかもしれない。しかし、彼女は嫌がる顔も見せずに、しばらく考えてからこう答えた。「私はキリスト教徒の家に生まれた。だから自然とキリスト教徒になった。その意味では、多くの山からキリスト教という山を選んだということではなく、その山しか知らなかった。他の山のことはあまり知らない。これから機会があれば、そういう山のことも少しずつ勉強していきたい」 私は、彼女の誠実な返答に痛く感激した。そして、彼女が信仰している宗教に対して大いなる信頼を感じた。 別の宣教師にC夫妻がいた。新婚ホヤホヤの20代で、いつも二人で見つめ合ってはそっと手を握って顔を赤くしている姿が微笑ましかった。ご夫人はとても可愛くてやさしくて、私には理想の女性に見えた。 その二人に、一年半前の年末二十三年ぶりで会った。当時の仲間数人といっしょに。 二人とも全然変わっていなかった。四半世紀のブランクも感じさせないほど話が弾んだ。威厳が出てきた旦那は、今だにベビーフェース。子供が大人の格好をしているようでおかしかった。ご夫人は昔と変わらずチャーミング。ティーンエージャーの娘と息子におばさん扱いされていると嘆いていたが、信じられない。理想の女性像そのままなのに。 当時そのバイブルクラスに通っていた多くの人達が、後に洗礼を受けた。私自身は結局キリスト教徒にならなかったが、今でもキリスト教に非常に親しみを感じる。それは、 な人たちに出会ったからだろう。
久しぶりに河原を走った。この日は、5キロ。
以前このコラムで、スターバックスのことを書いた。 さて、3軒のカフェに出会って息を吹き返した私だが、一番よく通ったのがS/Bという店。コーヒーだけでなく、雰囲気が肌に合った。少し雑然として、学生街によく似合う。ヒッピー風の客も多かった。毎日のように入りびたり、何時間も本を読んだり、物を書いたり、音楽を聴いたり、通りを行く人を眺めていた。たいていは一人で。 この店のメニューには、カフェ・ラテ(caffe latte)の他にカフェ・コン・レチェ(cafe con leche)というのがあった。 実は、コン・レチェもラテも同じ意味だ。スペイン語とイタリア語の違いだけ。ついでに、フランス語のカフェ・オ・レ(cafe au lait)も同じ意味。ようするに、coffee with milk。ミルク入りのコーヒー。何のことはない、ミルクコーヒーのことではないか。 言葉の上では同じだが、中身は少しずつ違う。カフェ・オ・レは、コーヒーと温めたミルクを等量ずつ別の容器に入れてサーブし、お客が自分でカップに注いで混ぜる。ラテは、スチームで温めたミルクをエスプレッソに加えて混ぜる。ミルクだけでなく泡をたっぷりと乗せるとカプチーノになる。 コン・レチェは基本的にラテと同じような飲み物だが、一般的なカフェではメニューにない。S/Bでは、ラテ、コン・レチェ、カプチーノを区別していた。エスプレッソと泡入りミルクを1対1で混ぜるのがカプチーノ、1対2で混ぜるのがコン・レチェ。 私は、よりマイルドでミルクの多いコン・レチェが一番好きだった。 ところで、以前このコラムでスターバックスには2つの弱点があると書いた。その後、いろんな方々がスターバックスに足を運んであれこれ観察し、推理の結果を送ってくださった。 いつも混んでいて待たされるという指摘があった。これは日本のスターバックスの問題で、アメリカではそれほど混んでいない。逆にいえば、現在の日本のスターバックス人気はブームの面も強く、いずれ客足は落ちるだろう。 ドリンクに比べ、食べ物が充実していないという不満もあった。これはもっともな指摘。ただ、アメリカのカフェならこれはましなほうで、味も決して悪くない。私は、けっこう評価している。 実は、スタバの弱点については、ところどころでヒントをばら撒いてきている。 そもそも、カフェに行くのは何のためだろうか? 誰かと待ち合わせることもあるだろうし、たまたま外出時にひと休みすることもあるだろう。でも、それならドトールでもその他の喫茶店でもいいはずだ。 私がカフェに行くのは、おいしいカプチーノやラテに渇望した時、そして、ゆっくりと一人で本を読んだり、物思いにふけったりしたい時。 が目的なのだ。 ところが、多くの人は驚くかもしれないが、このふたつがスターバックスの弱点なのである。 スターバックスのドリンクもそこそこおいしいが、最高級ではない。レギュラーコーヒーならもっとおいしい喫茶店は他にもある。ラテ、カプチーノにしても、他のカフェチェーンと大して変わりはない。やはり300円なりの味だ。実際さまざまなカフェを比較した調査などでも、味では、シアトル系ではなく本場イタリア系に軍配が上がるらしい。 そして、私が一番不満なのが、雰囲気。なんで、どのスターバックスもこんなにインテリアのデザインやレイアウトが野暮いのだろう。アメリカでもそうだった。高級でも、庶民的でも、カジュアルでもない。中途半端。何となく落ち着かない。だから、ゆっくりしたい時は、別のカフェを選ぶ。 今はもてはやされているスターバックスだが、新鮮味が薄れた時には、何がお客を惹きつけるのだろう? 私はいろんなカフェを巡る。雰囲気では、阪急岡本駅前のシアトルズ・ベスト・コーヒーが一番好きだ。渋谷ではSegafredo Zanetti、スターバックス渋谷文化村通り店が一番落ち着く。たいてい座れて、パソコンを使いやすいから。Tully'sは、黒で統一したインテリアが高級感を与えてくれる。仕事で走り回っているときは、ドトールで20分の休憩が一番便利。 カフェを巡るバトルはまだ決着がついたわけではない。私が100%満足できるカフェはまだ見つかっていない。ああ、S/Bが日本にあったらなあ‥‥
中学入学以来英語に夢中になった私だが、学校の英語はあまり楽しめなかった。授業には身が入らなかった.期末試験でとんでもない点数を取ったこともある。 さて、高校時代の同級生に、スガワラ君という男がいた。ぬいぐるみのようにぷくぷくした憎めない男で、柔道部所属の黒帯保持者。 学校をサボったり抜け出したり。隠れてタバコを吸ったり、パチンコしたり。不良のようなことをするのだが、別に暴力を振るうわけでもカツあげするわけでもない。普通に学校生活に溶け込んでいた。 しかし、宿題は手を抜く。授業中に前や後ろの連中とコソコソ話をする。落ち着きがない。 ある日の英語の授業中。後ろの生徒にちょっかいを出しているスガワラ君を、Hビンが逃さなかった。 「スガワラ!次。はい、訳して」 すばやくスガワラ君を仕留めると、Hビンはフフッと不気味な笑みを浮かべた。 さて、スガワラ君。立ったはいいが、当てられた場所がわからない。うろうろ周りを見渡したり、照れて苦笑いしたり、横の男に小声で尋ねたり。 Hビンにとっては、小言の絶好のチャンスだ。 「スガワラ、何しとんねや?ちゃんと聞いとったんか?」 スガワラ君、平身低頭、ペコペコ頭を下げている。 「いつもいい加減なことばっかりやっとるから、お前はダメやねん。情けないヤッちゃのう」 スガワラ君、しきりに頭を掻く。 「ほら見てみぃ。そんな調子やから、社会の窓も開いとるやないか。だらしがない。しっかりせんかい」 スガワラ君、恐縮して股間のファスナーを引っ張りあげる。 そして、次の瞬間。顔を上げたスガワラ君が、ニヤッと笑った。 一瞬凍りついたように静まり返る教室。立ち尽くしたまま、言葉も出ないHビン。 しばらくして、下を向いた生徒達の間から押し殺した声が少しずつ漏れてきた。その中で、勝ち誇ったように満面の笑みを浮かべるスガワラ君。まるでスポットライトを浴びるスターのように、光り輝いていた。
幸か不幸か、私は貴重な思春期を中学・高校一貫の男子校で過ごした。 現代国語の教師Oは、生徒に人気があった。 ある日の授業中、悪ガキの一人がこっそり教室を抜け出して、パチンコに行こうとした。 そっとドアを開こうとしたその瞬間、O先生、朗読していた教科書から目も離さず、 「スガワラ!負けて帰って来るなよ。それから〜、タバコは校門の外で始末しとけ」 スガワラ君、恐縮して出て行ったが、5時間目には、景品を抱えて授業に復帰した。 さて、このO先生。ある時、授業中にこんなことを宣うた。 「君らな。学校に女の子がおらんで、残念や、物足らんと思うとるやろ」 みんな神妙に聞いている。 「ところがだ。これは文学にとっては、最高の環境なのだ」 はて? 「女の子がいない。女の子が欲しい。想像が湧き上がる。憧憬を抱く。妄想が生まれる」 そのとおり。だから不自然なんじゃないか。 「そういう心の葛藤こそ、素晴らしい文学を生む土壌なのだ」 こじつけじゃないの? 「君らも大人になったら、よ〜く分かる。現実の女は、そんなに憬れるものでも、特別なものでもない。実態を知れば、夢もヘッタクレもあったもんじゃない」 そんなもんかいな。まだよく分からんな。 「わしらくらいの年になるとね、君たちのように、何も知らなかった時代が、それはもう懐かしくて。うらやましいねえ、君たちが。夢があって。そこから文学が生まれる」 はあ〜? 「いいか、諸君。今この時期に、妄想をたぎらせよ。のたうちまわれ。肉体の苦しみに耐えよ。心の叫びをよく聞け。そして、素晴らしい文学を書いてくれ。君たちこそ、次の時代の文学を担っていくのだ!」 先生は?
以前このコラムで、カフェが大好きだと書いた。ところが、実はコーヒーはあまりたくさん飲めない。よく食う割には、胃がデリケートらしく、朝起きてすぐコーヒーを飲もうものなら、キリキリと痛んで、七転八倒する。
そんなひとつが、「ユウトウセイビョウ」。 必ずしも遺伝病ではないが、しばしば母子感染する。 知らず知らず感染している。いつから感染したのか分からないことが多いが、注意深く調べてみると、非常に幼い頃から始まっている。 大人のいうことをよく聞く、ませた子供は要注意。母親の喜ぶ顔、悲しむ顔に一喜一憂するようになると、相当進行している。 慢性状態では、先生の褒め言葉がないと禁断症状があらわれ、極度の不安に襲われる。 周りから という薬が大量投与され、最初は快感を与えるものの、段々、重荷という副作用が強くなり、最悪の場合、精神を病むこともある。 先生はじめ周りの人、特に母親を失望させることが一番痛みを伴う。 先生に当てられて答えられないと、胸に激痛が生じる。テストで零点でも取ろうものなら、屈辱のあまり死に到ることもある。 大人になると、病原が深く潜伏して症状が複雑になり、表面的には病気の存在が分からない。 本人は病気だと気付かないことが多く、原因不明の苦痛に苛まれる。治療が手遅れになるケースもある。 成人してからの感染はほとんどない。男女ともに感染する可能性があるが、患者は比較的女性に多い。 男性の場合、症例が比較的少ないのは、クラブやサークル、会社などの集団生活を通じて、抗体が形成されることが多いからかもしれない。 しかし、不幸にも免疫が出来ないまま成長して、社会不適応を起こしてしまい、幼少年期の思い出だけに生きている男もいる。 東アジアの儒教国家によく見かける病気。日本には特に多い。 最近は、環境の悪化とともに、ユウトウセイビョウの発生も減少しているという報告もあるようだが。
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映画「戦場のピアニスト」を観た。 アメリカの大学院で研究している頃、まったく同じような顔をした友人がいた。世界を吸い込んでしまうほどの、大きな輝く目。異様に高い、鷲の嘴のような鼻。憎めない人柄を表す、極端に垂れ下がった眉。 背格好も、声の質も、話し方までそっくりだった。 「ド」がつくほど、まじめで真剣に生きている男だったが、冗談も理解し、まわりの人間への気配りも忘れない。 私と同じような領域の研究をしていた。我々のグループが気に入っていたのか、しょっちゅう顔を出しては議論をし、いっしょに食事や遊びに出かけたりもした。 ちょうど中東が騒がしい頃で、彼は民族の悲しい歴史を嘆いた。自分達がいかに不当に扱われ、侵略者から攻撃・弾圧されてきたか、熱をこめて訴えた。 留学生だった。 彼が、侵略・迫害者と呼ぶのは、 同じ大学で物理を教えた教え子のひとりにも、レバノン人の学生がいた。名前は忘れたが、彼もまじめで優秀だった。 レバノンは、かつて中東のスイスと呼ばれ、繁栄を極めた。しかし、当時はイスラエルによる侵攻から数年、南部はまだ占領下にあり、長い戦火で国は荒廃・疲弊していた。彼の家族はまだレバノンに残っていた。 普段はおとなしい彼だが、こと話が中東問題になると毅然と決意を述べた。家族を守るためなら、すぐにでも帰国して戦いに参加すると。 しばらく前に一緒に仕事をした男に、レバノン系のアメリカ人ジャーナリストがいる。生まれ育ったのは、アラブ系が多いデトロイト周辺。 通訳として働く私より一回り若い「ボス」だったが、非常に気さくで、誰とでも同じ目線で話ができる男。仕事をしていて楽しかった。ふたりはまるで友達同士のように、一日中冗談ともつかぬ話を延々と続けた。 湾岸戦争のときは、中東からCNNのためにリポートしたこともあったらしいが、現在は、モータージャーナリストを経て、自動車会社の広報部門で働く。 彼からは非常に多くのことを習った。ジャーナリストとしての書き方や取材の仕方、仕事の進め方だけでなく、イベントに参加しているジャーナリストの裏話まで。また、女性陣にも男性同僚にも人気があった彼からは、人との付き合い方、愛嬌も学ばせてもらった。 知的で頭脳明晰、人にやさしい彼であったが、話が中東問題に及ぶと、他の中東系の知人達と同じく、パレスチナ人の悲劇、イスラエルの暴挙を熱をこめて語った。 ユダヤ人は、ホロコーストをはじめ、長い歴史の中でずっと迫害を受けてきた。悲劇の民だ。それは、間違いない。 しかし、ユダヤ人だけが常に犠牲者であったわけではない。昨日の犠牲者が明日の侵略者にならないという保証もない。 絶対的「悪」や絶対的「被害者」という構図で物事を理解しようとすると、しばしば判断を誤る。 中東では、複雑な歴史の中で悲劇が繰り返され、今も戦争が続く。 「戦場のピアニスト」を観ながら、60年前の悲劇に涙するとともに、現代の悲劇が、まったく逆転して投影されていると感じたのは、私ひとりだけだろうか。
先日、第3回世界水フォーラムが、京都、大阪、滋賀で開催された。それに合わせて京都のNGOが、水の大切さを訴える目的で「蛇口をひねらない日」を設ける計画をしていると、新聞が報道していた。
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