日々の戯れ言

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(えもしちより) 

2005年02月21日(月)  「アレキサンダー」を見てみた。

何故だか頭痛がひどく吐き気まで伴ってきてしまったので、今日はお休みにしてしまいました。というか、昨日が休日出勤だったので、今朝になって急遽、代休を今日に指定致しました(笑) というわけで、自宅からこんにちは。体調不良の方がこの日記を書けるというのもなんだかなあという気もしますが。
薬を飲んで少し昼寝をしたら、夕方には一応復活しました。これを書き終わったら、晩ご飯の買い出しに行ってきます。

そんな北条、実は先日、「アレキサンダー」を見に行ったですよ。突然思い立って、夜の部に駆け込みました。
事前情報も何もなく、ただ歴史物だ!というだけで見に行ったのですが、これって、長い映画だったのね。もっとコンパクトになったのではという気もしました。戦闘シーンはなかなかの迫力でしたが、主人公のトラウマ(苦悩ではなく)とか世界への衝動(野望ではなく)を描くのなら、戦闘シーンももっと別の描き方や使いようがあったのではという気が。冗長って言うんでしょうかね……。何故プトレマイオスに語らせるのかもよくわかりませんでした。アーサー・ホプキンズは名優だと思いますが。
なんだか後味すっきりとは言えない映画だったなあ。いえ、面白かったですけどね。これもひとつのアレキサンダーの描き方だろうとは思いますが。結局、主人公が何かを乗り越えて何かを得た、というカタルシスがなかった(あったのかもしれないけど、私にはわからなかった)ということなのかしらん。

というわけで、予告通り、これから晩ご飯の買い出しに行ってきます(笑)


2005年02月15日(火)  裁判員についてなど

やはり痛いです膝。薬もなくなってきたし、やっぱりもう一度病院に行かなくちゃダメかなあ。でも仕事も忙しいしなあ(言い訳)。
とか何とか言って、このまま治らなければそれはそれで困るので、今週中にはもう一度行ってきます。

週末に、NHKで裁判員制度についての番組を二夜連続でやっていたのですが(でもって、すぐに夜中に再放送をしているようなのですが)。でもって、見てしまったのですが。
一夜目のドラマは、まあまあ面白かったです。制度を説明するためのドラマとしては、まあこんなものかな、と。呼び出しを受ける確率は13人に一人だそうです。結構多いですね。まあ、呼び出しだけなので、そこから裁判員になる確率は、もっと小さいことになりますけれども。

裁判員に関しては、やりたくないという人の方が多いようですが、やるかやらないかはともかくとして、これが裁判について真剣に考えるきっかけになるのなら、それはそれだけでも意味があることなんじゃないかなと思います。裁判所や検察も、一般の人にわかるように裁判をしなくちゃならなくなる。大事な変化だと思います。

それにしても、さっきのNHKの番組、一夜目のドラマはともかく、二夜目のスタジオ討論では、NHKのアナウンサーたちは被告人のことをずっと被告と言っていて、激しく違和感。被告っていったら民事でしょう。ドラマや模擬裁判のビデオやスタジオの討論者は、ちゃんと被告人って言ってたのに。用語は正しく使わなくちゃでしょ。番組のチェックって、こういうところでするもんじゃないのNHK?


2005年02月10日(木)  膝・その後

…と言うほど大げさなもんでもないですが、飲み薬を飲み、湿布とサポーターをする毎日を数日間続けてみたら、何やら少し痛みが小さくなってきたような気がしますです。何が効いているのかよくわかりません。気のせい? 病は気から? このまま沈静化してくれるといいなあと、淡い期待を寄せてみたりして。

今日は絵に描いたような失態を犯してしまいました。その名もガラス張りのドアに勢いよくぶつかる。しかも顔面から。そして何事もなかったかのように、開放されていた隣のドアから出たりして。振り向いたりしなかったので、誰かに見られたかどうかわかりません。

へとへとになって帰宅して、夕食の後に久々に冷凍庫を開けたら、酒粕発見。急に思い立って、甘酒なんぞを作ってみました。我ながら美味いです。はあ幸せ。私にとって甘酒って何故か年末年始の味なんだよなあ。ここ数年は、北海道神宮の初詣の帰りに露店で買うのが定番だったんだけど、そういえば今年は初詣は近所ですませてあっさり帰ってきたからなあ。
酒粕はまだあるので、またそのうち。


2005年02月07日(月)  病院へ行くの巻

実は一ヶ月ほど前から、右の膝が痛くてしゃがめないほどでして。というか、曲げ伸ばしに激しい痛みが伴うのです。尾籠な話で恐縮ですが、和式トイレの使用に激しく障りが出ております。原因不明。もし敢えて心当たりを上げるとすれば、正月の実家での連日の雪かきくらいですが、それだって別にひねるとかぶつけるとかしたわけでもなく、実際そのせいなのかは非常に怪しいもんです。
しばらく様子を見てもよくなる気配がないので、やっと少し時間に余裕ができた今日、中抜けして職場近くの整形外科に行ってきました。
レントゲン取ったり足をぐるぐる回されたり膝をぐりぐり押されたりして、その結果はやっぱり原因不明。どうやら半月板あたりが炎症を起こしているか、関節が狭くなっているかということのようですが、結局、しっぷと消炎剤をもらって、一週間ほど様子を見ることになりました。改善しなければ、膝に穴を開けてスコープを入れて検査するとか何とか……ってなんですと!?
「ちょっと切って、こういうのを通して、この辺をこう見てみるわけだね。まあこれよりは細いけどね」
あのう、それボールペンなんですけど。ボールペンより細いって、それはあなた、細さ加減にかなりの幅があるのでは……ボールペンと比べてどのくらい細いんでしょうか〜(汗)
というわけで、執行猶予中の気分です。自慢じゃないが生まれてこの方、体に刃物入れるなんて、血液検査と足の深爪が化膿した時と親知らずの抜歯くらいしかしたことがないですよ? っていうか、胃カメラじゃあるまいし、肉がつまっているはずの膝に、そんなの入れて大丈夫なのか? それとも実は膝には肉がびっしりつまっているわけではないのか? 嗚呼医学の神秘。
来週の今日辺り、ドキュメンタリーをお届けできるか、あるいは逃亡しているか、どっちでしょう。こわいよう。


2005年02月06日(日)  理の意義

机上の空論、と言われた。

言葉を失った。なぜなら私はそこで、現実ではなく理想を語っていたからだ。そして、それに対する胃の腑が焼けるほどのもどかしさに気付いていなかったからだ。
しかし、たった一人のために話しかけることが認められない場で、無垢なままこれから航海に出ようとするその他の多くの者を前にして、限られた時間で私にできるのは、今ある姿よりも本来あるべき姿を語ること、そしてそのように振る舞うよう期待すること、それが精一杯だった。それは今でもそう思う。
それでも、そのたった一人の現実への怒りと虚無感に気づけなかったことが、悔やまれてならない。自分の鈍さと無力さに、むなしくさえなる。

諏訪緑の漫画『玄奘西域記』に、こんな言葉がある。戦争難民の生活を懸命に助ける女性に対して、宗教の存在意義に迷う玄奘が心情を吐露する言葉だ。

「ぬくぬくと大学で仏教を学問することよりも、あなたのように市井で人びとに尽くすことのほうが、実はもっと大変で立派で尊いことのように思えてなりません」

今、同じことを思う。




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