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2008年08月31日(日) 私変わりましたわ。

毎年やっている一般向けの集中講義が無事終わり。
演習の上に、やること満載、時間足りない、実力差ありまくりで、いつもきりきり、必死。受講生も勉学意欲ばりばりコスト意識ばりばり、一歩間違えばクレーム問題なので、かなり神経を使う。例年は腹立たしいことも幾度かあって感情的になってしまうこともあったが、今年は全然そういうことがなく、感情の起伏がないまま、(表面上)機嫌よく数日間を乗り切った。
基本的に何年も同じことをやっているので、受講生がどうつまづくか、どう対応したらいいのかを体得したということなのだろうか。慣れたのか狎れたのか。
授業スキルがアップした自分が誇らしいような、シャカリキになっていた頃が懐かしいような、さびしいような。


2008年08月26日(火) パスポート申請

両親のパスポートを代理申請した。
10年前に取ったパスポートが今年の3月で切れていたのである。今回パスポートが必要なのは母だけなのだが、父の分もまとめて取ってしまったほうが1.5人分の手間で済む。

パスポートは申請するたびにやり方がちょっとずつ違う。

今回新たに知ったことは、戸籍謄本と戸籍抄本の呼び方が変わっていたこと。
戸籍事項のすべてを証明する戸籍の「謄本」は「全部事項証明書」戸籍事項の各個人を証明する戸籍の「抄本」は「個人事項証明書」になっていた。それから地元の役所で申請書類がもらえること。今まで律儀に都庁まで取りに行っていたよ。

それにしても時代は変わったね、と思う。

初めてパスポートを取ったの80年代半ば、当時の都庁があった有楽町の交通会館に行った。当時のパスポートは1回旅券と数次旅券があって、数次が5年だったかな?10年のはなかった。赤くて今より大きくて長く、日本人のパスポートが盗難被害にあいやすい一因とも言われていた。「日本国民である本旅券の云々」と書いてある外務大臣の要請文には、渡航先として北朝鮮が除外されていた。申請書には旅行先や日数を具体的に書く欄があったし、印鑑が必要だったし、充分な残高がある預金通帳も見せる必要があった。写真はモノクロだったな。

次に申請した時は、池袋のサンシャイン60の隣のビルの中の窓口でとった。このときは同じビルの別フロアに勤めていたのでとても便利だった。このときも5年間有効パスポートを取って、その次に取った時は結婚して石川に住み始めた頃で、夫と二人で申請しに行った。そういえば写真館に証明写真取りにいったなぁ。
その前に結婚とパスポート切替のタイミングはどうするんだろうと思って、何かのついでに都庁前の窓口に寄って、警備に人にちょっと聞こうとしたら、けんもほろろにまったくバカのように扱われて憤慨していたのだったが、石川県庁では、窓口カウンターの前の椅子にゆっくり腰掛けて、二人一度に手続きしてもらった。戸籍謄本・住民票、印鑑を二人で共有しているのが不思議だったし、丁寧で親切な応対にも驚いた。
で、今持っている2005年発給のパスポートは今の都庁で取ったもの。2005年だからICパスポートではない。この頃はもう印鑑は要らなくなっていた。一部の自治体を除いて住民票もいらない。有効期間内の切替だったので、いきなり都庁の旅券課に出向いて書類を書いた覚えがある。写真も、行く途中でインスタント写真の4枚綴りのまま持っていったのを、係の人が適正サイズに切ってくれたりして、あの時も以前に比べてずいぶん親切だなと思ったが、今回は窓口の人がますます親切で驚く。説明はわかりやすいし、夜間延長してるし、整理券くれて座って待っていればいいし、処理もスピーディ。
今回、一番時間がかかったのは、デジカメで自前で撮った写真を適正なサイズに収めてプリントすることだった。びっくりするほど時間がかかりましたよ。餅は餅屋、証明写真は専門業者に限る。


2008年08月22日(金) 成田山詣り

成田空港に行くことはあっても、成田駅で降りたことはなかった(…と、書いていて降りたことがあったのを思い出した。1987年に初めて成田空港に行ったときは、京成の成田駅で降りて、そこからバスに乗った記憶がある。バス降りて露天のテントでパスポートチェックを受けたんだった。)

ひょんなことから成田空港周辺に一泊することになり、チェックアウト後に少し時間があるので、成田山詣でをすることにした。
昨夜は、ホテルの部屋で作ったカップ麺をすすっていたら窓から花火大会の大きな花火がよく見えて、とても得した気分だった。
朝お茶とバナナだけで朝食を済ませて、8時半ごろ成田駅到着。そこから成田山への参道を下る。思ったよりも風情のある町並みでびっくり。古い漢方薬屋さんとか、竹細工屋さんとか古い商店が軒を並べていて、気分は旅人。とりあえずソフトクリームを食べる。それから名物のにんにくみそを買う。そういえば、やたらと蒲焼の看板が目立つ。印旛沼の鰻だとか。お昼は蒲焼にしよう。






境内に上っていくと、団十郎のなにやらなどがある。そういえば、団十郎がここで豆まきをしているのをテレビで見たことがある。団十郎は成田屋だしね。
境内はすごく広い。山門も立派だし、五重塔もある。私達のほかにも観光している人がいる。本堂に入ると、ちょうどお勤めの時間で護摩をたいていたので、おとなしく座らせてもらった。お勤めが終わって、もっと奥のほうに行くと、奥の院というこれまた霊験あらたかそうな建物がある。さっきホテルで見かけた外国人夫婦も観光している。
もっと奥に行くと、平和大塔という新しい建物があった。昭和59年竣工だという。電車からみえるのはたぶんこれだ。成田空港のオープンを機に建てたのだろうか、いい看板として機能していると思う。
成田空港を使う人は一回ぐらい成田山を観光したほうがいいと思う。これだけのものを見ないでおくのはもったいない気がする。






その後、時代劇のロケに使えそうな竹やぶの脇の細い道を抜けて、住宅街を抜けると、ジャスコが見えてきた。ジャスコで少し買い物。ジャスコも外国人が多い。

ジャスコから駅まで路線バスで戻って、再び門前へ。店先でにょろにょろと鰻をさばいているお店でうな重を食す。靴を持って大きな座敷に上がって、開け放した窓からひんやりした風が入ってくるなかで、熱々のうな重をほおばる。うーむ。幸せ。肝吸いもうまし。






竹細工さんに寄って、へちまを買う。へちまはあかすりをしてももちろんいいが、夏の帯枕にすると涼しくていいらしい。帯枕にちょうどよさそうなのを1本、480円なり。

ジャスコ、成田山、国際空港。外国に行くのも便利で、日本情緒豊かで、何でも買えて、成田はお得でっせ。

参考サイト:
大本山 成田山 http://www.naritasan.or.jp/index2.html


2008年08月14日(木) 寄席見て講談

#一応、このタイトル、ヨセミテ公園とかけてるわけですが…。

つねづね、寄席というのに一度行って見たいものだと思っていたが、どうやって足を踏み入ればいいのかなんとなくきっかけがつかめないでいた。先日の着付けのお稽古のとき、マダムが寄席の番組表を置いていってくださった。懇意にしている女流講談師のしるしを書き込んであって、これを見せると木戸銭が2500円のところ500円割引になるのだという。他にも着物でいくと割引とか、いろいろ割引制度はあるらしい。2枚頂いたので夫と行くことにした。
寄席というのは、夜の部、昼の部とそれぞれ4-5時間やっていて、夜の部は4時過ぎから始まる。最初から最後まで聞くもよし、お目当ての出番を狙ってふらりといくもよし、らしい。番組表には漫才あり、マジックあり、落語あり、都都逸ありなのだが、いろいろ用事を済ませていくので、結局6時ぐらいに入ることになった。マダムもいらしていた。
席はほぼ満席で、着物や浴衣姿の人がけっこういる。入ったときは落語をやっていた。枕がちょうど終わったぐらい。その道では有名な落語家かもしれないが、テレビに出るような人でもないらしい。客席の様子をみながら、適当にまぜっかえしてたりしつつ進んでいく。客席も名人芸を固唾を呑んで見守るというのではなく、肩の力を抜いてリラックスして聞いている。ホールには補助席もでていたが、定員は200名ぐらいだろうか。ふーん、こういう時間の過ごし方もあるのかと新鮮な思いだった。
いつもよりずっと込んでいたらしい。場内整理や女性のトイレ待ちの解消を待って開演が遅れて、自分の持ち時間が減ったとぼやいていた。マダムの集客力はたいしたものらしく、中入りという休憩時間に入ってみたら、着物姿の人たちはほとんどマダムの息のかかったひとだった。終演後に打ち上げに誘っていただいてのこのことついていった。それぞれ板についた着物の着こなしをした麗人ぞろいで楽しかった。
ふーん、新しい世界だ。


2008年08月11日(月) 健康診断

夫は大の病院ギライ。
病院に足を踏み入れたらそれだけで病気になると信じている。
当然、健康診断にも行かない。
イマドキ健康診断しないと雇用主が怒られるので、厳しく言われてもあーだこーだと理由にならない理由をつけて、行かない。最後に受けたのは2005年。身近に受診が遅れたために自覚症状のないままに病気が重くなった人が何人のいるので、私一人やきもきしている。

かたや、職場の検診がない私。高い国民健康保険をせっせと払って、年一回の誕生日検診にせっせと通う。世知辛い世の中で、どんどん検診の内容がシンプルになっていく。以前はあった胸部レントゲンも、便検査も、いつの間にか有料オプションざます。夫の扶養家族だったときは、夫の健康保険の枠内で至れり尽くせりいろいろ検査を受けたこともあったのに…。

夫が健康診断を受けないことを、いろいろな人に言うと、そのたびに驚かれる。夫の弟は医者なので、弟にも言いつけてしまった。実の弟に「兄貴そりゃまずいよ(笑)。」といわれても行かない。病気になったら弟の病院にかかるかななどとのんきなことを言っている。病気になってからかかるんじゃなくて病気になる前にかからないとコストがかかるっつーの!…がるがるがるがる。
といい続けて数ヶ月。

あるとき夫が出張中に夫のモノが散乱している部屋にいたら、急に夫のことで振り回されるのが馬鹿らしくなった。私は自分が受診するのは家族や周りの人への義務だと思っている。自分ひとりが病気になって死ぬのは勝手だが、そうなると年老いた両親が悲しむし、周りの人に迷惑をかけることになる。社会的責任からまだこの年齢では死ねないし、病気になれないと思う。それは夫のためでもある。ところがどうだこの男は…と思っていたら猛烈に腹立たしくなった。
腹を立てたからと言ってすぐに受診するようなタマではないし、このままもし病気が見つかっても私は看病しないと宣言して、病気になっても私のせいじゃないと一筆書かせようかなどといいつつも、相変わらずのらりくらりと過ごしていたある日、突然一泊旅行をしようと夫が言い出した。言い出すやいなや日程を決めてチケットを取り始める夫。ホテルも交通機関もあっという間に予約が済んで後は行くだけになった。

ちょっと待て。


なぜ一泊旅行にいけて、検診にいけないのだ。


冗談も大概にしろ。


夫の職場では、以前は職場内で日時を決めて検診を実施していたのだが、最近はいくつかの候補から受診箇所を選んでいつでも好きなときに受診できる制度に変わったらしい。案内の書類は職場の席に来ているらしいが、催促のメールを最近見たという。じゃあ、その案内のメールを見せろと言うと、「最終案内」と書いてあった。

職場健保のHPを見てみると、私が自治体の検診を受けている検診センターでも、受けられることがわかった。見よ、必要なことは全てページに書いてある。私も誕生日検診の受診票がきていたので、付き添って同じ日に受診することにして、決心が変わらないうちに有無を言わさず私が二人分の予約を取った。

で、今日。
二人で行って来た。夫のほうが診療項目が手厚いので、前夜〜当日朝までの食事制限や便検査もあったりして、それだけで青息吐息の夫。できるだけ同じ時間に終わるように気を使ってもらうので、私の待ち時間が長いこと長いこと。夫のほうは、聴力、視力、内診、胃レントゲン、胸部レントゲン、体脂肪などが検査項目に入っているが、国保の私は無し。追加料金で受けられるオプションもあるが、いらない。実は今年度は非常勤先Bで集団検診済みなのに、夫に付き合って検診を受けているので、項目は少ないほうがいい。

とはいうものの、きちんとした職場でフルタイムで働いている人は、ちゃんと検診が受けられて、国保加入者は検査項目が少ないということは、雇用形態の差がそのまま病気発見の機会の差になって現れているのだな。
すったもんだのうえ、やっと受診してほっとした。やれやれ。

…受診させて安心してたが、安心するのは結果がでてからだ。忘れてた。
何もありませんように。


2008年08月09日(土) えどはく

母のお供で北京故宮書の名宝展@江戸東京博物館。
両国は私も詳しくないし母にとって未知の世界。待ち合わせ場所の説明が面倒なので、実家に迎えにいって一緒に出かける。
今回の母とのデートは、本当はのびのびになって私の誕生祝。どうしても私の誕生日祝いに何かくれるというのだが、モノはいらない、じゃあご馳走する、というのででかけることにしていたのだが、年中「あたし忙しいの」が口癖の母がなかなか予定が立たず、気まぐれに言うことはころころ変わるし、いったんは日時や待ち合わせ場所まで決めたのに具合が悪くなってドタキャンされたりで、やっとこの日を迎えた。結局誕生日から1ヶ月以上経過している。
母としては、介護保険の認定手続きやら何かと私に世話になっているので、そのお礼の意味もあるのだろうが、元気でいさえすれば何もしなくていいんだけどな。これは美談ではなく、母が病気や怪我をするとこちらにコストがかかるからだ(ひどす。)
チケットは65歳以上と高校生が半額、中学生以下が無料。若い人から年配の人までけっこう入っている。門前の小僧で名前だけは知っている中国の書家がずらりとならんでいる。ぐるぐると天衣無縫な書や、ありの行列のように文字が細かく整然と並んでいる書などを遠目に見る。こういうとき、漢文をもっと真面目に勉強しておけばよかったなぁと思う。
展示の目玉は王羲之「蘭亭序」(八柱第三本)で、王羲之が書いたオリジナルは太宗皇帝がお墓に持っていってしまったので、いくつかある写しの中で一番オリジナルに似ているという評判のもの。比較的空いている会場内でここだけ黒山の人だかりだった。展示を2/3ほどすぎたここまで見終わると、母の集中力が途切れたのか、「もう外にでてお茶を飲みたい。」という。あと少しで全部終わるからと気を取り直して見はじめたが、エアコンが効きすぎていて、最後は駆け足で見る。
あまりに冷えたのでとりあえず館内の喫茶室でホットコーヒーを飲んで、両国と錦糸町との中間にあるらしいネットで見つけた甘味処を目指す。両国から隅田川を挟んで馬喰横山あたりは古くから繊維問屋が多いせいなのか、その手の看板が多く目に付いたり、Tシャツなどを格安で売っている店などが何軒かある。Tシャツは7Lまであったりして、力士が買いにきたりするのかと想像するのも楽しい。母も興味深げにきょろきょろと見回して、その手の店を冷やかしたりする。途中でおせんべいを買ったりしながら目当ての甘味処へ。
甘味処は期待はずれ。甘味処というよりは和カフェと言ったほうが落ち着く。店内の調度などは雰囲気があってすばらしいが、中身は海の家かスキー場の食堂かと言う感じ。これはプロデューサが他にいるのだろう。店のコンセプトに実態がついていっていない。ランチプレートと、食後にあんみつとコーヒーのセットを頼んだが、家でも出来そうな簡単な和風ランチと、割高なファミレスの和スイーツとぬるいコーヒーだった。壁に「ゆっくりおくつろぎください。」と貼ってある。たしかに仕事が遅いので結果的にのんびりととりとめもなくおしゃべりを楽しんだが、わざわざこのためだけに行ったり並んで待ったりするところではない。
母もフラストレーションが残ったらしく、「こんな食事でゴメンなさいね。」と言う。
あのーお母さん、この店を探したのは私なんです。

店を出てから、母がパジャマを買いたいというのでユニクロで見立て、途中のムーミングッズ屋さんで、母が「今日の記念に買いたい。」というニョロニョロのハンドタオルをレジに並んで買い、家で待つ父の晩のおかずの調達に付き合い、母を家まで送りとどけて帰ってきた。

はー。疲れた。たしか今日は私の誕生日祝いだったはず…。

いやいや、しない善よりする偽善。しなかったことを後で後悔したくない。相手のために何かするなんていうのは、結局、自己満足なんじゃないか。

特別展「北京故宮 書の名宝展」
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2008/0715/200807.html


2008年08月08日(金) 付け帯と雨草履

最近この日記の検索ワードに「半幅帯」「都結び」などが増えてきた。浴衣を着るお嬢さんたちが結びかたを探してらっしゃるんでしょうなぁ。「きれいな帯結び」というのもある。残念ながらご期待に添えそうにない。先に謝っておきます。ごめんなさい。
×××
マダム経由で帯屋さんに作りかえをお願いしてた付け帯が、マダム経由で宅配便で届く。送料は千円ちょっと(マダムにお払いしている1回のお足代より安い…。)
付け帯とか作り帯というのは、お太鼓の部分と胴の部分が分かれているもの。お太鼓がかっちりと型崩れしないのが不自然だからと嫌う人もいるが、マダム上等な帯ほどしまいこまないで付け帯に仕立てて、じゃんじゃん締めたほうがいいというのが持論で、「着物を着慣れている人ほど付け帯にする。下手な人ほど自分で結びたがる。」とおっしゃる。
母から受け継いだような帯は昔の人用(といっても昭和20年代ぐらい?)なので、丈が短く、芯が分厚くはいっているので硬く重い。こういうものこそ付け帯の効果絶大というので、きんきらきんの帯3本と、しつけがかかったままだった絽の帯の計4本をを付け帯にしていただいたのだった。夏帯は一足先にマダムが先月のお稽古のときに担いできてくださったので、すでに大活躍。
大活躍していたものの、後ろに載せたお太鼓が滑ってうまく形にならないと悩んでいたのだが、先日のお稽古で、帯の中に枕代わりにタオルを入れればいいと習ったので解決。あまりに鮮やかに解決したものの、初回に教えて頂かなかったので(このあたり、非常勤先の学生さんだと「初めに教えて欲しかった。」と必ず言うだろうな)、これは最近が編み出された技ですか?と伺うと、話には聞いていたのだが実際試したことがなかったのだという。「なにしろ私、付け帯は何しろ2本しか持ってないのよ。だから判らなくて。ほほほ。」
あらびっくり。
付け帯推進派でてっきりご本人も付け帯ご愛用だと思っていたわ。

付け帯と同梱されていたのが、雨草履。こちらはつま先にフードがかかっている。メタルっぽい青地の浪紋様に小豆色の鼻緒。ちょっとオトナっぽい。マダム曰く、先日買った雨コートがベージュなので、全体が地味になり過ぎないように選んだとのこと。なるほど。こちらは4500円(普通の草履は3800円。)
付け帯の仕立て料は各6000円。付け帯には帯を結ぶ紐がつくのだが、この帯やさんは、必ず帯の色に似せた紐をつけてくれる。自分のところで染めているのだろうか。万一白い紐が見えてしまうと興ざめなので、こういう小さな心配りがありがたいと思う。


2008年08月05日(火) 着付けマダム16回(長文)

夕立かと思うほどの豪雨の中マダム登場。
今日は夏着物の2回目。夜出かける用があるというと、マダムがきれいに手直ししてくださった。というわけで今回は、帯周りだけでなく肩から膝までの姿。やっぱりマダムの手直しが入ると、襟元もお太鼓の形もぐっときれい。




夜のお出かけ用と言うことで、こっくりとした赤に錦糸がはいった帯締めに帯揚げは補色の緑。ふーん、こういうのもありなのね。
夏なので実用的に扇子を差す。

1人で着られるといってもやはり足りないところが多く、マダムにこまめに直していただいた、チェックポイントをいくつか思いつくままに備忘録的に。

■下着〜長襦袢
以前マダムに問屋さんに連れて行っていただいた時に買った浴衣用の下着を肌襦袢代わりに。ワンピース型でとても涼しい。その上に夏用の長襦袢。
夏襦袢には背中に衣紋抜きがついていて、さらに胸紐が縫い付けられているので、紐を衣紋抜きに通して前で結ぶ。衣紋抜きを下に引いて衣紋を抜くが、同時に下前の衿先を下に引く。衣紋抜きから手を離さず、続いて上前の衿先も下に引く。前紐をぐっと下に下げると前姿がすっきりする。
下げた前紐に伊達締めをかぶせ、紐は衣紋抜きを通してから前で結ぶ。衣紋は着付けているうちに前にかぶさってくるので、初めは抜き気味にする。

■着物〜伊達締め
裾は床ぎりぎりで合わせる(帯や紐などを結ぶとその分長さがとられるので。)背骨と縫い目をなぞりながら背中心を合わせる。背中心は右に寄りがちなので、左右の衿元をそれぞれ手で掴んで、衿をゆったりまわすようにしてやさしく直す。衿を合わせたら、右手を中に入れて下前の衿先を引く。同様に上前の衿先をひく。
衿は下の半襟部分がより覗いているほうが改まっている。衿あわせが詰まり過ぎると浴衣のようになってしまうので気をつける。

胸紐はアンダーバストあたり。衿の折り返しが胸紐あたりで2センチぐらいになるように。下前のおはしょりを三角に折りあげて、整えた衿あわせを崩さないように胸紐をあてて結ぶ。背中に寄ったシワを上下、左右と両手で延ばしながらくりかえし念入りにとる。
忘れがちな一連の動作は以下の順で3つ。
1.背中心を直す
2.ダーツをとる
(ダーツは脇のアンダーバストあたり⇒ふくらみを助ける)
3.下前の脇のおはしょりのしまつ。縫い目の下にもたつきを押し込んで上から上前の衿先をかぶせる。後ろのおはしょりと前のおはしょりが(何事もなかったかのように)一直線になるように。

伊達締めは、脇のおはしょりがきれいなうちにおはしょりの下側からシワをとるようにあてて締める。胸紐まで上げるのではなく、伊達締めに上から胸紐を入れ込むように。

■帯
◇付け帯の場合
通常は帯の結びを台にお太鼓を載せるが付け帯は結び目がないので、帯の結び目の代わりに、帯の内側に背中に厚手のハンドタオルをたたんだものを差し入れて台にする。お太鼓がふっくら安定する。

◇夏帯の場合
この帯は長いので、二重太鼓にする。(帯自体が軽くて)二重にして織り上げる部分がきれいに重なりにくいので、両端をそろえたら両側クリップでとめるとよい。たれはやや長めに。
帯枕はあまり上に載せなくもいい。通常は、お太鼓を折りあげてから手先を差し入れるが、手先をお太鼓で包むようにしてから腰に当ててもよい。
帯締めを通したら、両手で帯締めと帯全体を掴むようにして、ウエストに下から押し上げるようにお太鼓を身体に密着させる。帯締めを結んだら、クリップを外す。帯のバランスを見る。

■仕上げ
歩きやすくするために、又割りをする。片足を交互に前に出して屈伸の要領で。
自分の着姿に自信を持って歩く(^^*


2008年08月04日(月) 金沢といえば

加賀友禅と加賀料理。
目に美しいといわれている加賀料理も、あでやかな花文様の加賀友禅も、なんというか、隅々まで隙間なく色とりどりを散らかしたようなこの感じが、苦手。なんで普通に食用金箔を売ってるかな。金箔を口に入れるありがたみが全くわからん…。
自分が加賀友禅好きでなくてよかったなぁと思いながら、金沢の町を歩く。もし友禅好きだったら目の毒だろうなぁ。


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