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2008年06月29日(日) さよなら僕のワープロ専用機

誕生日の今朝、粗大ゴミ持込所に一つ持ち込んだ。
ブツは20年前のワープロ専用機。手書きがどうも苦手な私が、卒論作成用に大枚をはたいて大学生協で買ったものだ。10万円以上したと思う。当時のワープロ専用機は多機能大型化と小機能小型化が進んでいたのだが、私が買った機種は小型なのに、1画面に40字×10行=400字、つまり原稿用紙1枚分が表示できた。それまでの小型機はせいぜい100〜200字ぐらいしか表示できなかったのに比べると画期的で、まさに「買い!」だった。あと住所録と、表作成と簡単なグラフ描画とソート機能があった。
つるつるのワープロ専用印字紙が必須だったり、夜中にインクリボンがなくなってしまい、使用済みのインクリボンを逆に巻いて再利用したり、今となっては懐かしい思い出ばかりだ。卒論の原稿用紙の幅に合わせて、カーニングせずに印字していたのも懐かしい。
当時はワープロは清書機として機能していて、下書きをしていた友人がほとんどだったし、じっさい手書き原稿をワープロに打ち込むアルバイトなんていうのもあったが、私は画面に短文を打ち込んではそれを自由に入れ替えたり、膨らませていったりできるワープロが本当に好きで、考えをまとめる道具としても使っていた。これがなかったらたぶん文章を書くのはいまだに苦だったと思う。
そうそう、フロッピーディスクも2DDと2HDがあったし、MSXなんていう規格があって、データはカセットテープで記録していた。MSXは高くて手が出ないでいるうちにあっという間に下火になった。あの頃はそのうちOA化が進んで、ペーパーレス社会になるなどといわれていたのだが、結局1字間違えても印刷しなおすような文化になり、紙の消費量は減らなかった。

うちのワープロ専用機は、結局5年ぐらいしか使わなかった。その後はあっという間にWindowsの時代になってしまったから。それでもずっと捨てられずにとってあったのを、ついに保管スペースの狭さに負けて処分したのだ。今までありがとうワープロさん。なんだかいろいろなことがあった20年だったことよ。


2008年06月23日(月) 心をひらく

前期授業もあと数回を残すのみ。
いつの間にかフェードアウトしてしまった学生もいるし、初めはちゃらんぽらんだったのが、やっと本気を出してくるのもいる。最近は、予兆なくふっと出てこなくなる学生が多くなってきた気がするし、周囲と比べて自分がどのくらいできていないのかわからないので、結果的になめたまねをしている学生も多い。

それから1学期の間に伸びる学生と伸びない学生がいる。スタートラインでは若干先んじていても、その後伸びなくなる学生もいれば、その逆もいる。真面目にこつこつやっていれば伸びるかというとそういうわけでもない。先生がいてそこに教えを請いにくるということは、伸びる秘訣は「心をひらく」ということじゃないかと、最近学生を見ながらぼんやり思っている。

ひらく、といっても無理に積極的にひらく必要はなく、心をとじないということが大事なのだと思う。やりなさいといわれたら拒絶せず、とりあえずその通りやってみる。言い訳をせず、自分をあるがまま認めて逃げず、続ける学生は必ず伸びる。

ひらいているときはいろいろなものが入る。そもそもとじている人にはそれ以上何か言う気にはならない。自分が学ぶときも、心をひらいているようにしようと思う。


2008年06月17日(火) 蒼ざめる季節

今年も、地方税、国民健康保険、社会保険などの納入時期がやってきた。加えて土地取得税も。
あー蒼ざめる(汗)トータルすると何十万になるよ。非常勤講師何コマ分か換算すると本当に空しい。

他に学会の年会費も収めなくちゃならないし、まとめて現金払いしようとすると、ATMで一日の引き出し限度額に引っかかっちゃったりして。

扶養家族がいないってコトはその分支出も少ないってコトなんだけど、それにしても、何のために魂削って働いてるのかよくわからなくなるな。働いてこんなに巻き上げられる(←まだ言っている)なら、おとなしくニコニコ扶養家族でいたほうがコストパフォーマンスがよいと思うのが正直なところ。

高いよなー、国保。介護保険もはいってるからなー。今は健康な私、たぶん年間医療費は無保険でかかっても納入金額以内に収まるんじゃないか?

年収の何割がこうやって巻き上げていかれるのだろう。いや、巻き上げられるのではなくて、ちゃんと私達の安心安全な生活のために正しく公平に使い道が考えられた上で還元されているのだと信じているが(棒読み。)。


2008年06月16日(月) 3戦3敗@着物で丸の内

以前人間トルソーをお願いしたときに、ぴよたさんに本をお貸しして、その代わりムックを3冊お借りしていていて、一度返却がてらランチでもということになっていたのだが、お互いの休みが6月なってやっと合い、丸の内周辺でお落ち合うことになった。6月ならば単衣ですね、ということでエアコンをかけながら着付け。先日マダムのお稽古で着た通りのコーディネートで、相変わらず襦袢から下は冬仕様。着付け自体はよいペースでできたのだが、出かける段になって鍵が見当たらなかったり袋物を探したりして、出るのが遅れて結局遅刻。丸の内に着物で出かけるのはこれで3回目だが、3回ともいつも10分ぐらい遅刻。
ぴよたさんは大島紬風の単衣に織りの単衣帯を二重太鼓に締めて、全体的に紫っぽいコーディネート。ビーズのこぶりのバッグが可愛かった。お目当てのお店は、1階がカフェ2階がレストラン。レストランは待ち合わせ時間ではまだ営業しておらず、待ちきれないならカフェ、待てるならレストランという選択があったのだが、お互い決めきれずにぐずぐずしているうちにレストランオープンの時間になり、フレンチレストランへ。
前菜、メイン、デザート、グラスシャンパンなんか飲んじゃったりして、お高いけどせっかく都会まで出てきたんだからという価値のあるゆったりしたランチになった。
まだ話足りなかったので、ひとまずお店を出て銀ブラしてお茶でも、と思ったのだが、お互い本を3冊もったまま炎天下をブラブラするのはちょっと無謀だということに気づき、これ以上歩いているとうっかり呉服屋さんを見つけてしまうかもしれないので、さっさとお茶を飲むことにする。ミキモトの新しいビルにラウンジがあるというので、そこで入ってお茶。ケーキ単品でちょっとしたランチができそうな値段なのにコストパフォーマンスが悪そうなので、アイスティーだけにする。美味。このビルは伊藤豊雄設計。天井まで吹き抜け、変わった形の窓、梁や柱のほとんどない構造体に興奮する。

MIKIMOTO Ginza 2
http://ginza2.mikimoto.com/fg/index.html

ぴよたさんと二人きりで会うのは何年ぶりだろう、もしかして初めて??譲られたもののお手入れ代の嵩みようについて、ネット上の人間関係について、最近のぞいているブログについてなど、着物の話、ネットの話などをして、楽しかった。ありがとうございます。またお着物オフしましょう。
「似合う似合わないは別として本人が着たいものを着るべき。」という説は、あてがい扶持を着ている今の私にはちょっと新鮮だった。好きかどうかで判断するほどまだ目が肥えていないというのもあるのだけど、たとえ同じようなものが手元に集まったとしても、着たいものを着るのが一番いいわよね。身体は一つだし、体力にもいつまでも着られるわけじゃないし、似合うものをしぶしぶ着るヒマはないかもしれない。


2008年06月14日(土) 個人情報とステイプラーの針

ガクセイさんにレポートを提出させるとき、複数枚になる場合は必ず左上をステイプラーでとめるようにうるさく言っている。とめない場合は、ステイプラーの絵を写実的に針穴まで再現して描かせるぐらい徹底している。
なんでそんなばかげたことをするかというと、規則(課題の要件)を守る訓練だからだ。ある規則を守れる人は違う規則を守ることも破ることもできるが、規則を守れない人は破ることしかできない。「だから規則を守るのは大事です。」という論調。
ところで、レポートには保管期間というのがあって、ほとんどの場合、採点後1年は手元に置かなければならない。非常勤講師の場合は研究室がないので家に持って帰って採点したりすることも多く、そうなると狭い家にダンボール数箱分を置いておかなければならない。めでたく保管期間が切れても学籍番号だの名前だのが入っているので、家庭ごみで出すにはこれまた個人情報保護の観点からよろしくない。
1コマあたり受講者2-30名ならばどんどん採点して返却してしまうのだが、それ以上になると返すのも大変なので、うっかり数年分溜め込んでしまったものがある。非常勤先に持込さえすれば、溶解処分とかリサイクルとかまとめて処分してくれるというのを聞きつけて、もうすぐやってくる半期に1度の回収期間を待たずに、何回かに分けて持ち込ませてもらうことにした。
授業外の日に交通費払って通ってでも、採点を家でやるのはよそうと固く心に誓いながら、そうして2回目の持込をした今日、こころよく預かってもらったのはいいのだが、次回からはステイプラーの針は全てはずしてくれと言われた。そうじゃないと回収業者が持っていかないのだと。

数百本の針をはずせというのか。のかー。のかー。かー。

はずせないなら、その部分を裁断機で切り取るのでもいいといわれて、裁断機の場所まで案内してもらった。

裁断すると結局その部分が単なる不燃ごみになってしまうので、それは抵抗がある。しかたない。ちまちま針をはずすことにするあるよ。

後期からは、ステイプラー留め非推奨、両面印刷推奨、総ページ数表記推奨にしよう。各ページに名前が載るようにヘッダーに名前を入れさせよう。いや、名前を載せると個人情報になっちゃうから、学籍番号だけにしようかな。いやいや、やっぱり名前がないとわかりにくいな。

我が家としてもとりあえず針のないステイプラーを買うことにした。複数枚のレポートは自分で留めようか、その場でガクセイに貸し出そうか、悩ましいな。


2008年06月13日(金) 塩すいーつ

非常勤先B。
着実に受講生が減っていっているので、授業がずいぶん進めやすくなった。生き残っている学生は、実力がついているのを実感しているらしくよかったよかった。大学なんだから一定水準以上をキープすべきなのか、授業料払ってるんだからあまねく単位をとらせるべきなのか、迷うところ。でも、レベルを落としてできる子が割を食う(=学ぶ機会が減る)授業は、長い目で見るとやっぱりよくないと思うのだ。あとちょっとのところでめげてフェードアウトしていった学生は、本当に惜しいことだと思う。

久しぶりにケーキ屋さんで食べて帰る。
目新しいものを食べようと陳列棚を覗いたら、「塩ぷりん」なるもの発見。沖縄の塩を使ってあるという。ついにブームがこの郊外まで…。早速頼んでみると、確かに塩の入ったプリンだった。上にのったホイップクリームはふっくら甘さ控えめ、プリンはなめらか、ソースは上等な塩キャラメル。おいしい。おいしいが、やっぱりスイーツは甘くあって欲しい。なんかこれじゃ海に落としちゃったプリンみたいだよと思いながら食べる。すみません、子供舌で。
それからお土産のケーキ。お気に入りのケーキは、スポンジ台と生クリームの間にダックワーズの皮のようなものが入っていて、それがサクサクとおいしく、家でも「あのサク」と呼んで毎回買っていたのだが、この春レシピが変わったらしく、生クリームが減ってその分カスタードクリームが入るようになった。するとなんということか、サクがカスタードクリームの水分を吸ってしまいフニャになり、楽しさ半減どころか六割引ぐらいになってしまったのでがっかりしていたのだった。時間が経つと水分を吸ってしまうのかと思って、お店で食べてみたのだが、やっぱりフニャ。お店の人にその旨伝えてからしばらく寄らないでいた。
今回久しぶりに買って帰ったら、なんとサクが大型化してカスタードクリームが少なめになっていた。これなら多少水分を吸ってしまっても大丈夫だ。なるほど。考えたな、ケーキ屋。


2008年06月09日(月) 着付けマダム14回

ほとんど月イチ着付け日記と化している今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

そんなこんなでいよいよ単衣の季節。マダムに着付けを習い始めたのが、単衣の最後のほうなので、もう足掛け10ヶ月になろうとしているのか。

今日はマダム1時半の予定が1時に登場。
この間銀座でふらふらとセールで買った帯締め2本を見ていただく。正札9800円でセール価格で1000円。色はマダムお勧めの錆朱と抹茶色で、それぞれ錦糸が入っている幅広のもの。マダムがおっしゃるには、わりと改まった席に使えるだろうとのこと。それと正札の値はあながちウソではないらしい。あとお店で見かけたのは片方の色が違っていて、先が二本に分かれていたりするもので、それは「2本ばら」などといって遊び用らしい。
伯母から引き継いだ単衣は紬2枚と一越縮緬(ひとこしちりめん)1枚がある。この一越は昭和30年代のものらしく、「暮らしの手帖」というロゴが目に浮かぶようなレトロな幾何模様が白地に入っている。古い着物の常で身頃も狭く、着物の袖から長襦袢の袖が2センチほど出てしまうし、生地もてろてろしていて着にくそうなので、今回はこれでお稽古。帯は黒い朱子織の開き名古屋に夏用の薄紅色の帯締め。帯を包んであった畳紙には、昭和40年1月の日付印が押してある。帯締めはセロファンで包装されたままの未使用品。見た目は涼しそうだが長襦袢は冬のままなので、着物の下はむんむん。長襦袢の袖は応急処置で安全ピンを使って丈を詰めていただいた。

着付けの流れは大体マスターしたので、あとは細かい点を手直ししていただきながら進めていく。たとえば…
・補正のタオルは、後ろが上がって前が下がるように斜めに巻く。
・胸元の合わせは、上前と下前の衿をそれぞれ両手で持って左右に引いて、あわせすぎるほど深くあわせる。下前は身八つ口から手をいれることになる。上下には引かない。
・下前の衿が崩れるのを直すときは、右手をぐいぐいと上前のおはしょりに入れていって、左手は上前の衿、左手は下前のおはしょりの辺りを持ってピンとはる。
・帯揚げを結んだ端を帯の中に入れ込むときは、端の真ん中あたりをつまみ、結び目の左側から差し込んで右側に、結び目の右側から差し込んで左側にそれぞれ入れる。余りは自然に帯の内側に落とし込まれる。

帯結びを二回やって、裾よけと肌襦袢が5枚ずつあるような下着類を改めてみていただいて今日はおしまい。この後は馬喰町の問屋さんへマダムにつれていっていただくのだ。朝から雨模様だったので洋服で行かなければならないと思っていたのだが、お稽古中にめきめきと晴れてきたので、思い切って着物で出かけることにする。
今日のお目当ては、雨コート、雨にぬれても大丈夫な着物、夏着物(いずれも東レのシルック(R))、夏帯、夏用襦袢、夏着物に合う小物類。お金はどのくらい用意したらよいのかマダムに聞いてみると、マダム@お店やさんモードに伝票が届くのでそれからでいいとのこと。一括で払うのが無理ならマダムが分割にしてあげるとおっしゃるのだが、いったいどの程度になるんだろうか。
都営新宿線に乗って馬喰横山まで。岩本町の繊維問屋街は行ったことがあるけど馬喰町は初めて、などといいながら歩いていたら、突然見覚えのある建物と看板が。そういえば成人式の振袖は、伝手を頼って問屋さんで買ったのだが、実はここだったのか。あの時は車で来たから気づかなかった。
その振袖は今、マダムが預かって袖を切られるのを待つ身。マダムは「あたくしのところにあるアレはここから来たのねぇ。」としみじみ。というわけで、初めてではない馬喰町で、マダムなじみの問屋さんへ。二階にあがるとだだっぴろい部屋に反物が積んである。私の箪笥にはあまりキモノキモノした花柄や伝統柄はないので、お店に行くまではそういうのもいいなと思っていたのだが、いざ反物を前にしてみると、そういうものはいかにもつまらなく思えてしまう。マダムに、よくあるのがいいかあまりないようなものがいいかと聞かれるので、やはりそこは「あまりないようなものを」と即答。というわけで、まずは薄ねず色に飛び柄で古典的な花が入った東レのシルック(R)を1枚。個性的な柄は2枚目以降にとっておきましょう、ということで薄紫の夏用着物。夏帯は黒地に黄土色や茶色で献上柄が入ったもの。洋服でも試着してみないとわからないものだが、反物だとなおさらである。鏡の前に立って、肩から反物をかけてみる。うーん、楽しい。
長襦袢は仕立てあがったものをサイズで選ぶ。身長で決めようとしたら、マダムから待ったがかかり、試着してみると果たして長すぎる。私は首が長くてなで肩なので、身長のわりに身体部分が短いらしい。というわけでプレタ(Prêt-à-Porter) 着物を買う場合は、身長表示より1サイズ小さいものを選んだほうがよいということが判った。
てきぱきとマダムが決めてくださるので。あれよあれよという間に反物2本と帯、長襦袢、雨コートが積まれていく。それから私が欲しいと思って手に取ったゆかた用のワンピース型下着(お風呂上りに涼しそう)、それに仕立て代が2着分足して、しめて社会保険料(あるいは国民健康保険料)1年分ぐらいの金額になった。今あるものを生かそうとすると、更なる出費がかさむのだなぁ。
でも、マダムのお店扱いでの卸し価格で買えたのでデパートで買うより3割ぐらい安い。夏着物で出かけるのは一夏に多くて2〜3回ぐらいで、晴れ女の私が雨降りで出かけるのもそんなにないだろうと考えると、これだけあればたぶんあと30年買い換えなくてもよさそう。70過ぎたら着物を着ることもあまりないだろうし、そうするとこれでもう一生分まかなえちゃった??
といことは一生私はデパートの呉服売り場や呉服屋さんでお誂えなんていうのは縁はないのかもなぁ。お古と問屋の着物生活。

買い物が終わったら雨になってきたので、早速雨コートを着て帰る。家に帰ることはどしゃぶりだったが雨コート最強。


2008年06月06日(金) キョウ・レツ子先生

キョウ・レツ子先生(仮名)と数年ぶりに再会してお茶をした。
彼女は私より少し年下で、非常勤先Tでの新任講師の集まりで偶然隣り合わせに座って言葉を交わすようになった。その年は私にとって大変タフで、非常勤講師の持ちコマが倍増、知識も時間も足りない中でひたすら準備に追われる々だった。彼女は博士課程を修了して論文を書く傍ら非常勤講師の口をいくつか持っていて、その合間を縫って一度お茶でもしましょうと誘ってくれて、一度都心で会ったことがある。
分野は違うが同じ出身大学が同じで、新卒で企業に勤めていたのをやめて、やがて大学院に入り、結婚していて、子供がいなくて…と共通項もあるのだが、なにしろタイプが違う。雰囲気がとても華やかな人で、顔の造作も言葉遣いも美しいのだが、それ以上に身振り手振りが大きく、自分とは違うなーと思いながら、彼女が自在に繰り出してくる世界観(含む妄想)を楽しんだ記憶がある。
彼女が授業や学生に対して持っているスタンスもずいぶん私と違っていて、どちらかというと私が支配型(give型?)であるのに対し、彼女の方は学生にかなり裁量を与える一方でかなり粘り強く学生の発言を引き出したり考えを述べさせたりする(take型)であると思って、そのバイタリティーをうらやましく思った。
それからは年賀状だけのお付き合いが続いて、「お会いしたいですね。」とか「またランチしましょう。」というありきたりの文言をお互い書いていたのだが、最近、学位を取得したので、とまた彼女のほうから誘ってきてくれた。
久しぶりに会った彼女は相変わらず華やかで、門外漢にもわかるように研究の話をしてくれ、お互い配偶者とのかみ合わなさを語る。たぶん性質的に、彼女は私の夫と近く、私は彼女の夫と近い。「彼ら」は自分の好きなことに向かってぐいぐいとわき目も振らず進んでいく、それ以外のものには興味がないので、取りこぼしもいとわない。彼らにとって必要のないことはしない。やれなくても構わない。誰かがやってくれればそれでいい。なんならやってもらわないくてもいい。しかし世間はそういうものではない。常識的には、あまねく取りこぼしのないように着実に進めていかなければいけない。彼女は私の夫の心情を語り、私は彼女の夫に共感する。
家では「強烈子(キョウレツコ)」といわれているという彼女は、他の非常勤先でであった別の「強烈子」さんの様子を生き生きと語り、「アタクシこれからも強烈子として生きてまいります!」と高らかに宣言して都心の町へ消えていった。

話していたのは3時間ぐらい。頭の中がなんだかすっきりした。


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