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2008年04月15日(火) 着付けマダム12回

「アタクシも忙しいから月一回にしましょう。」といわれてから4回目の着付けマダムお稽古。早いなー。
前回は訪問着デビューの前の「とっくん」で、無我夢中で重い袋帯の二重太鼓と格闘していたのだが、はて、今日は何を教えていただくのだろう。このひと月の間、着物でお出かけしたのは、結婚式、お友達とのランチ、展覧会に伯母の形見で全身を固めて出たのとで、都合3回。それに付随して準備というか練習があるので、袖を通した回数としてはなかなかのものではないか。考えようによっては訪問着に二重太鼓を締められればもうそれでいいのではないか、とも思うがいやいやこれから単衣の季節がやってくるし、まだまだわからないことばかりなので、やはり1年は通して習わないと…。などと思いつつ準備をしていると、いつも早いマダムが時間ちょうどに登場。次回の約束をして以来音信普通だったので、もしかして忘れちゃったかしらと心配していたのだが、マダムも「あなたが忘れちゃってたらどうしようかと思ってたわ」とすまし顔。
早速、結婚式の時の写真を見ていただく。実は襟元はぐずぐずだし顔は変だし、あまりお見せしたくなかったのだが、マダムはプロなので隠し立てしても仕方がないので思い切って。すると「あらー上手!」「素敵!」「どちらの奥方様かと思うわ!」と大絶賛。あちこち不本意なところがあるというと、「いいのよ、これで!」と母よりずっとおおらかな反応。それでも次につなげるために不本意なところを自覚しているのはよいことだと、写真のうつりかたのコツも教えていただく。立ち姿の時はカメラに近い側の足をちょっと引く。笑うときは思い切り笑い、おすましするときは思い切りおすましするのがコツらしい。中途半端が一番よくないのだとか。二重太鼓は苦労して練習しただけあって太鼓判(笑)。実は美容師さんにも二重太鼓の結び方がきれいだと褒められていたのだった。というわけで、マダム「さて、今日は何をやろうかしら。アタクシ来る道すがらあの方は二重太鼓ができるんだから教えることがないんじゃないかしらと思って来たのよ」。いやいやいや。
譲られたものの悲しさで手持ちの着物に比べて帯揚げと帯締めが極端に少ないので、今日はマダムが適当に見繕ってきてくださることになっていたのだった。というわけで今回は小物つかいのお稽古に。お店をやっていらした頃のオリジナル商品の無地の帯揚げ2枚(牡丹色と青碧色)と、手持ちの着物が(結果的に)紬が多いからということで帯締めもちょっとレトロな大正風の丸ぐけをお持ちいただいた。お店での正札八掛けでいいといわれて即決でげっと。こういうときに自分の収入があってよかったと思う。マダムに言われるとどんな価格でも言い値で買っちゃうけど、自分一人でどこかのお店に出向いたら二の足を踏んでしまうだろうなぁ。とりあえずこの価格がよそで買うときの目安になる。箪笥の中をごそごそして、祖母の形見だという紫の木目の名古屋帯を発掘。私は喪服用の帯だと思っていたが、マダム大絶賛。これは使える!ということで、以前人間トルソーの巻でぴよたさんがお召しになった水色の紬にあわせることに。帯揚げはお持ちいただいた青碧色のほうにして、帯締めはピンクの細紐に象牙彫のすずらんの帯留め。まあつまり、新品(代金未済)@帯揚げ、伯母@着物、母@帯締め、祖母@帯、となっているわけですな。
ちなみに左下がぴよたさんが前回お召しになった組み合わせ、右下が今回のもの。全然イメージが違う。





へーほーふーん。

それで、帯揚げを牡丹色にするとこんな感じ。

この場合は同系色なので、少し帯揚げをふっくらと膨らませるのがいいのだとか。逆に、青碧色の帯揚げの場合は、差し色として使うのでアクセントとして面積は少なめがいい。
なるほどねぇ。そのほかにも手持ちの他の着物といろいろあわせてみて、遊ぶ。しかしなぁ、こんな色の組み合わせ、思ってもみないなぁ。マダムの手にかかると、なんでもありに思えて来てしまう。

こういうコーディネートを自分でやる自信は、ない(きっぱり)


2008年04月13日(日) 親孝行デー。

母は生まれつき運動神経がよく、年の割りに若くて、身体も私よりもずっと柔らかい。そのせいか自分の体力を過信しているところがあって、急いで物を取りに行こうとして躓いて転んだり、急いでいて階段から降りようとして滑り落ちたり、うかつな怪我をときどきする。
一週間ほど前に、書道の展覧会を控えた母が出品料を払い込もうと急いで郵便局へ向かっていて、自宅の階段から落ちたという。足をくじいて背中をしたたかに打って、骨の損傷はないものの母としては近来まれに見る重傷。すぐにかかりつけの整骨院に行って手当てしてもらったのだが、あとはベッドの上でうんうん唸っている。展覧会に出す作品はとっくにできあがっているのだが、受付分担のある展覧会や、最終日に行われるレセプションには出られそうにない。
その展覧会というのは、書道の大先生の七回忌を記念して開かれるもので、私も母に「親孝行だと思って出しなさい!」といわれて作品を書き、「親孝行だと思ってレセプションに出なさい!」といわれて出席する予定になっていた。去年亡くなった伯母もその書道会に属していたのでレセプションに出るなら形見の着物で出るとはいっていたのだが、母が出ないならば行ってもつまらない。それでなくても母の看病で予定外の実家詣が増えて、時間がとられているのだ。
ところが母は整骨院の先生も驚く回復ぶりで、こっそり痛み止めなどを飲んでよろよろと動き回り、ゆっくりながら歩けるようになった。母ぐらいの年齢だと筋肉の衰えもこわいし、まったく動かないのもよくない。じっとしているようにうるさく言っていた私だが、お相撲さんも稽古しながら直すというし、少しは動いたほうがいいのかもしれない、と考えを改めた。
さて、展覧会最終日。たまたま一時帰国中の兄が車で母を展覧会に連れて行ってくれるという。母大喜び。当日は雨もよいだったが、私の家にも寄ってくれるというので、コーディネートには若干目をつぶって伯母の形見で全身固めて車に乗って会場へ。
母自身は着物を着られないのだが、祖母が着物で暮らしていた人で、母は着姿のチェック係だったらしく、胸元がどうだの、背中心がずれてるだの、なかなか着付けに口うるさい。着ていれば自然と緩んでくるだろうに、お構いなしに口だけ出してくるのでむっとする。

さて肝心の展覧会。母は入口でさっそくいろいろな人に会い、口々にお怪我はいかかだの心配しただの囲まれていてなかなか前に進めない。母の作品は古いものも含めていくつか出品してあったが、最新のものも(家族を犠牲にして書いただけのことはあって)、この年齢とは思えない力強い立派なものだった。私は和歌をかな文字で扇面に書いたのだが、思いがけずモダンな表装がしてあって驚く。額装だとかさばって収納場所に苦労するので、掛け軸にして欲しいとだけ伝えて、デザインはすっかりお任せだったのだが渋いピンク系の濃淡二色でタペストリー風にしてあって洋間にもあいそうな雰囲気。
小さい会場に200を超える作品が並んでいたのだが、兄と私はすっかり先に見終わってしまい、あとは母を待つばかり。会場にいた人が気を利かせて「お母様がいらっしゃいましたよ。」などと知らせに来てくれるが、ええ、一緒に来たんです。
展覧会は最終日は早めに終わり、通常なら後片付けを手伝うのだがこの姿だし、母は動けないしでレセプションが始まるまで2時間ほど所在なげに過ごし、やっとレセプション。立食かと思いきや、足腰の悪い方々ばかりの集いなので着席してフランス料理風フルコース。母は重鎮の集まる席に座ることになり、結局別々に座り、よくわからない方々に囲まれて時間を過ごす。
兄にまた迎えに来てもらい、拘束6時間プラス準備時間の親孝行は一段落。

ぐったりと疲れた。


2008年04月05日(土) だってだって…。

授業の準備はほぼ片付いたのだが、授業の準備にかまけて懸案事項が全く進んでいない。今考えるともっと前から手をつけられたと思うのだが、ずっとそれを避けていて、その割りに毎日そのことを考えて気が重くなるし、先延ばしにしていても何もいいことはない。その上、細々と聞き続けているラジオ英会話で「毎日少しずつでもやりましょう」とか「後回しにしているといつまでたってもやれません」とかメッセージが流れて、ダメだしもされる。ああもう!
というわけで、やっと手をつけることにするのだが、手をつけたらつけたでさすがに今まで放置していただけのことはあって、難所なのである。しかし黙々とやってしまわないことにはどうにもならないのだ。ファイトだ、れいこな!

というわけで、午前中から一応仕事っぽいことをやっていたのだが、お腹が空いてきたので、近所のラーメン屋さんに行くことにする。北陸にいた頃は今ほどネットも盛りだくさんじゃなかったし、2時間ぐらい離れたところにドライブするのが気晴らしといえば気晴らしだったのだが、車に乗らなくなった最近ではぐっと行動半径が狭まって、2キロ離れたラーメン屋さんに歩いていくのが精一杯なのだ(←ほんとか)。というわけで、ゴミをマンションのゴミ捨て場経由で気晴らしの食事に。本棚が溢れていたので、古いテキストは捨てちゃうかーと言って持っていく。WindowsMEのテキストとかあるんですよ、奥さん。その気になればかなり処分できるはずだと思いつつゴミ捨て場に向かうと、雑誌類の集積所に、美し○キモノと家庭○報がおいてあった。晴れ着特集を目当てに買ったのか、今年のお正月ごろのもので、まだ全然きれい。ええー!欲しい!
夫が呆れ顔で見ている。だってだって買うと高いのに。美容院で見るぐらいしかしたことないのに。

で、…ひろった!

出かける前にこそこそと部屋まで持ち帰りましたよ。

母が見たら「どこの誰が読んだか判らないのに!」って怒るだろうなぁ。

でもどこの誰が読んだか判らないのは図書館の本も一緒だ。電車のつり革も一緒だ。このマンションの人がこの日記を読んでいませんように。


ラーメン食べて家に帰って早速読む。

あー美しい。あー高い。手が届かないけど、はー楽しい。


2008年04月03日(木) お着物ランチ

フランス語教室で仲良くなったマダム達とランチ。
丸ビル最上階のレストランで一日限定のお得なプランがあるのだという。うち一人が「私このためにお洋服買ったのよ♪」と言っていたので、じゃあ私もちょっと張り切って、お天気だったらお着物で行く、と前日に彼女にメールしておいた。
前日までに着物はこれにして、帯はこれをあわせて…と心積もりしていたのだが、いざ箪笥を開けてみると気が変わって、全然別のコーディネートになった。なんだか贅沢な話だ。義母から譲られた青地にいろいろな色が散っている絞りに、昼間から金きらの帯もどうかと普段練習で使っている小豆色の名古屋帯を合わせる。少々コーディネートが変でも上にコートを着るし、お食事中は上半身しか見えないので、胸元だけ気をつけて気をつけて着付け、帯揚げ帯締めも無難に練習に使っている無難な色合いのものにする。
髪は適当にあげていくつもりだったのだが、この間美容院で盗み見たテクを試してみたくて、カーラーで巻いてトップの高くなったなんちゃって夜会巻きにする。それでお化粧して、それから着付けて、なんてやってると時間は刻々と過ぎ、現地到着時刻の見積もり時間が甘かったので、あああああぁ〜遅刻。大体平日のお昼なんだから電車のダイヤも間遠になっているのをなぜいつまでも学習しないのか。
それにしても、最近ずっと二重太鼓の練習をしていたので、名古屋帯の軽く感じられること。いつぞやマダムからはそう言われていたのだが、まさかそれを実感できるときがくるだなんて…。半幅帯で四苦八苦していたのがウソのようだ。
レストランにやっと到着。さすがにいいレストランだけあってちゃんとウェイティングバーがあって、みなさん優雅にお水をお飲みだった。遅れた非礼をわびつつ、お友達の大絶賛を浴びる。あーよかった。
とりとめもなくおしゃべりしながら、食事を楽しむ。あー、いろいろ出てきて楽しい。しばらくすると向かいの席に入学式の帰りらしい母娘三代の姿が…。祖母らしき人は、黒っぽい訪問着に錦糸の入った帯。髪はきれいにセットし、ぐっと衣紋を抜いて緩やかな胸元あわせ。年代にあった着こなしをしていた。母・娘はスーツ姿。なんかお金持ちそうだなぁ。
食事はきっちり平らげて、カクテルを1杯飲んで、家を出てから帰るまでおよそ5時間だったが、全然苦しくならなかったのでよかった。気候がよくなってきたので、補正のタオルだの帯だの巻きついているお腹周りはさすがに蒸れた感じ。暖かくなってきたのでコートや羽織でごまかすこともできないぞ。


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