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2007年08月09日(木) ケンブリッジ再会(3)

ホテルで一休みして、今度はバスでペニーさんのお宅へ。
本日バス使用4回目。充分元は取った。見覚えのある町並みを抜けて、記憶を頼りにバスを降りて、歩きだすと、あった。

お庭で冷たい飲み物を頂く。私の庭がかわいそうなことになっちゃってて、ごめんなさいね、何しろ忙しくって…って前回もその前もそう言ってたペニーさん。相変わらず愛らしい。くるくるよく動く目で唄うように話す。
しばらくして、須田矢野(仮名)夫妻が自転車で到着。ケンブリッジは平たいので、相当長い道のりでも自転車でOK。須田矢野(仮名)氏とは日本で何回か会っているが、奥さんに会うのは4年ぶり。前回会ったときはまだ結婚していなかったので、「僕たち夫婦として会うのは初めてだね。」と須田矢野(仮名)氏が胸を張る。

成田で買ってきた「子連れ狼」ムックを手渡すと、これが喜ぶまいことか。欣喜雀躍、飛び上がらんばかりに喜ぶ須田矢野(仮名)氏。やっぱり買ってきてよかったよ。"It's MY choice!"というと、とても褒めてくれた。

ペニーさんがもてなしてくれたのは、前菜にサーモンとメロン、チキンのクリーム煮、付け合せのジャガイモ、豆、グリーンサラダ、チーズ。ペニーさんはイタリア留学経験もあるので、須田矢野(仮名)氏とはもともと仲がよいのだが、彼らがお互いに会うのは7年ぶりぐらい。同じ町に住んでいるのに、私たちのほうがよほど双方と会っている。7年ぶりに再会した二人はとても楽しそうに話が弾んでいる。そんなに楽しいなら普段からもっとこまめに会えばいいのに…と思う。

食事の最中に蚊が飛んできた。大騒ぎする須田矢野(仮名)氏。彼の冷静な妻は、「蚊なんて大したことない。さされたからって痛いわけでもないし。こんなことで騒ぐなんて、若い女の子みたいね。」と言う。いや、彼女自身若い女の子なんですが。すると須田矢野(仮名)氏反論して「だって、君はイタリアの蚊をみたことがないからそんなことがいえるんだ。」という。そんなにイタリアの蚊ってこわいのか。ペニーさんが蚊取り線香ならぬ蚊取りキャンドルを灯してくれた。イタリア製らしい。火をつけながら「まさかイギリスで蚊取りキャンドルを使う日が来るとは思わなかったわ。」という。昔は蚊が出るほどあたたかくなかったのが、近年出てくるようになったという。地球温暖化の影響か。


食後のお茶の時間になって、やっとペニーさんにも渡しそびれたお土産を渡す。こちらは団扇。さかんに扇いで喜ぶペニーさんの脇で、「ぼくはNo2のプロセスが難しいと思う。」などといいながら、例の説明書を食い入るように読み込む須田矢野(仮名)氏。ちなみにNo2のプロセスというのは、竹を細かく均等に割いていき、団扇の骨組みを作るところ。
まだまだ時差ぼけが取れていないので、話している最中に二人とも舟を漕ぎ出してしまい、記念写真を撮ってお開きにする。

夜になるとぐっと冷え込んでくる。バスはもう終わってしまったろうからと、ホテルまで車で送ってもらった。

はー長い一日だった。


2007年08月08日(水) ケンブリッジ再会(2)

彼女たちと別れて、ケンブリッジに来たらローラアシュレイに行かないとね、と思ってお店へ。もう秋物が並んでいるが、原色ばかりで全然らしくない。時々思い切った値下げをしているので、奥の値下げ品コーナに行くと、もう数年前に廃止されたシリーズなどまでつるしてあって、叩き売りという雰囲気だが、なんというか舞台衣装のようなものばかり、あるいはダサダサ。値札に印のついているものは2着目無料とか、かなり心動かされたが1£250円換算なのだから、もともとそんなに安くはない。無理に買う必要はないわねと思ってやめる。残念。

絵葉書を買ったり他のお店を見たりしながら、夫との足早に待ち合わせ場所の教会に向かう。待ち合わせ時間の前に着いたのに、時間を過ぎても現れない。待ち合わせ場所を間違えたのか?こういうときは動かないほうがいいと思ってじっと待っていると、果たして向こうから夫がやってきた。実は待ち合わせ場所を決めるときに、最初は橋の上にしたのだが、あとからルートを考えて教会の前にしたのだった。それを忘れて私が別れ際に「じゃあ橋の上でね。」と言ったのだという。えーそんなぁ、私の言うことなんて信じちゃダメだよ、などと無茶を言う。

公園を抜けて英会話の先生のお宅へ向かう。このあたり全然変化がない。家の近くで先生の旦那さんが郵便を出しにいくところに偶然出会った。旦那さんと会うのは数年ぶりなのに、夫の名前と私の名前を正確に発音して挨拶してくれる。ドアを開けてくれた先生も、大げさにキスをしたり抱擁したりするわけでなく、日本式のお辞儀をして「今日はお庭でお茶にしましょう。」と奥に通してくれた。
先生はご高齢でかつ超が3つぐらいつくほど忙しいのに、家事は完璧。ちょっとの間にアイロンがけをしたり、お料理をしたり、お庭も美しい。この日もスコーンを小さく切ってにバターやジャムをカナッペ風に乗せたものをお茶請けに出してくださった。

この時間、日はまだ高く、日本だと蒸し暑いのに涼しくて気持ちがいい(ちなみに半そでにカーディガン。)この気候を享受できるだけ、この国の人は恵まれていると思う。冬は死にたくなるほど暗いけど。どこかの家の庭で時間を知らない鶏がコケコッコーと盛んに鳴いている。

聞くところによるとつい一昨日までは天気が悪く、昨日あたりから急に気候がよくなったのだという。私たち晴れ女と晴れ男なんですといおうしたが話がややこしくなるのでやめた。
先生夫妻は日本通で私たちが行ったことがない日本のローカルな土地にも旅行しているし、ひらがなも読める。今でも日本のニュースはフォローするようにしている、といって朝青龍、年金問題、首相の不人気の原因などについて質問される。が、上手く答えられない。安倍はどうして不人気なのかと聞かれても、生理的にイヤというのでは理由にならないよな。夫はたどたどしいがそれなりに説明していて、ちょっと見直す。

お土産はあられと団扇。団扇は数年前四国の丸亀に行ったときに、外国人向けに何本か買ってきたものの一つで、日英二語のパンフレット付き。あられは小袋に入った、いわゆる吹き寄せ。あられやパンフレットの日本語の説明を先生はひらがなの部分を読み上げる。あられの袋にかかれていた「高温多湿は、お避けください。」の部分を、「は、お ください。」と読み、「おさけください。」だというと、「おさけください。」は「お酒下さい。」ではないか?と言い出す。ほー。発音が同じだとは気づかなかった。お食事券と汚職事件のようなものか。
団扇も気に入ったようで、団扇と扇子の違いとか質問される。団扇のパンフレットには団扇の作り方も写真つきで載っていたので「後で試してみるわ」とご機嫌。

これからの予定を聞かれて、この後は夕食にお呼ばれで明日はご近所だった日本人の人に会う、というとそれはMではないか?と言う。直接知り合いではなく、とっても小さい街なのでコンサートや買い物の際に見かけたりするらしい。先生はすごく丸くなっていて、以前は私のちょっとしたいい間違いなどを厳しく直してくれたのに、今はニコニコ聞いている。これが生徒じゃなくなったということなのかなと少しさびしい。

1時間ほど話をして、その後記念写真をとってお暇する。バスを乗り継いでホテルまで。これで元はとった。


2007年08月07日(火) ケンブリッジ再会(1)

朝はイングリッシュブレックファストとなっていたが、それらを各自盛り付けるビュッフェスタイル。ソーセージとマッシュルームがないのが不満。ベイクドビーンズはとても美味。昨日聞いたところによると、オーナーはアメリカの人らしい。

朝食を済ませて部屋に戻ると、コンコンとドアをノックする音。郵便が来ましたよ、と葉書を届けてくれた。昔ケンブリッジに住んでいた時に、訪問研究員のご近所お世話係だったDから。せっかくきてくれたのにロンドンに行ってて会えないわと書いてある。さすがD、気配り上手。その後、ペニーさんと英会話の先生とご近所だった日本人女性Mさんと電話をする。今日は再会の日。
ペニーさんは夕食に招いてくれているので、ペニーさんにはバスの路線を尋ね、マリオンに会った旨話をする。他の2軒もするするとアポイントメントが取れて、英語の先生は今日の夕方、Mさんは明日のお昼前にそれぞれお茶をいただきに、お宅に伺うことになった。

バス乗り放題の一日券を買って一路街の中心部へ。勝手知ったるペンブロークコレッジの庭を抜けて、私は大学会館の上のカフェへ。夫はぶらぶらと美術館や本屋など街中を散策するという。毎週火曜日に大学会館で訪問研究員の妻たちのコーヒーモーニングがあるのだが、夏休み中はカフェで個人的に集まっておしゃべりをする。これに参加すれば昔懐かしい場所にもこられ、みんなにも会えて一石二鳥なので、火曜日にここで会いましょうと世話役のJと約束していたのだ。彼女が一足先にきていた。お土産のあられを渡す。これは日本的なかなりきれいなもので、われながらいいチョイスだと思っている。包み紙だけで彼女は興奮していた。中をあけたらもっと感激するだろう。うひひ。三々五々、夏もケンブリッジにいる奥さんたちが集まってとりとめもなくおしゃべりをする。年齢は大体中年以上老年まで。半分以上会話はわからないが、この到達点の見えない会話が心地よい。

時間が過ぎて、残った4人でお昼にしましょうということになり、カウンターでスコーンとお茶を買う。サンドイッチにしようとした1人が「あら、サンドイッチがないわ!」とあわてると、客の若い人が「こちらの冷蔵庫にありますよ。」と教えてくれた。特にケンブリッジで強く感じることだが、お年寄りと若者の距離があまりない。言い換えればお年寄りがみじめではない。考えてみたら大学会館に老人がうろうろしていたらおかしいのだが、ここでは全然不思議ではない。世代が違ってもお互い付き合い方を心得ている。

サンドイッチを首尾よくゲットした彼女は、サンドイッチを更に横たえて、フォークとナイフで上のパンをはずしてナイフとフォークで食べている。なるほど。そういう食べ方もあるわねぇ。でも、残ったパンは捨てちゃう。

食後もだらだらと話し続け、スーパーで晩のおかずを買うという彼女たちと一緒に、途中で記念写真を撮ったりしながら街の中心部まで。街中に中国系の若者、むしろ少年少女という年少者が溢れているのに驚く。そろいのウィンドブレーカーやTシャツを着て、列になって歩いている。中国人の露天商まで現れた。中国本土から来たのか、あるいは台湾人なのか。円安の影響か、日本人はあまり見かけない。

(この後は日付を無視してきりのいいところで区切って書き続けます)


2007年08月06日(月) ケンブリッジ再び

朝早く起きて、ベランダの鉢たちに簡易給水器(ペットボトルのふた部分に先に小さな穴のついた円錐のカートリッジをつけて逆まに土にさすだけ)セットし、足りない分は「ごめん」と言ってできるだけ雨に当たる位置に置く。あとは盛大に水やりする上のお宅のおこぼれに預かるべく、排水溝付近に大物を。
新宿からNEXに乗り早めに空港到着。なぜか京たこでたこ焼きを食べ、本屋で新しく出た子連れ狼特集のマンガ雑誌を買う。これは子連れ狼マニアの須田矢野(仮名)さん用。私は願ってもないお土産ができたと喜ぶが、夫はあまりぴんとこないらしい。

何事もなく飛行機は出発し、ちょっと遅れて英ヒースロー空港着。
入国審査はEU,NonEU、ちょっと出かけてた英国人用と3つのレーンに分かれているのだがどこも長蛇の列。結局1時間以上並んだ。入国審査で聴かれたことといえば、「どこに行く?」「ケンブリッジへ。」「ケンブリッジで何する?」「何するって…観光したり大学見たり…。」「で、何日間?」「11日間。」「ふーん、…じゃ行っていいよ。」こんな質問でテロが防げると本気で思っている人は、係官を含め誰も居ないと思う。

空港からは15分でロンドン・パディントン駅に着くヒースローエクスプレスよりちょっと安くて時間がかかるのに乗る。パディントンから地下鉄に乗換え、さらにもう一度地下鉄を乗換えてキングスクロス駅まで。いつの間にかICカード導入になっているので、従来の紙のチケットの上、荷物を持っているのでずいぶん動きが制限される。キングスクロス駅から発車間際のケンブリッジ行きの電車に乗る。私は何とかすわり、夫は背中のリュックが邪魔になるというので1時間立ち通し。
ケンブリッジに着いたのは8時過ぎ。さすがに薄暗くなっていた。今回泊まるのは駅の裏手にある小さなB&Bで、なんとなく場所は覚えているので歩き始める。と、近づくにつれ景色がまったく見慣れないものに。数年前は何もなかったところに、複合商業施設ができていて、ホテル、映画館、スーパー、ビデオレンタル、レストランチェーン、ボーリング場までできている。ホテルはこの先だと思ったのだが不安。夫が斥候をして道を確かめ、やっとホテルにたどり着く。

おなかはすいていないがパブでも行こうと駅に向かって歩き出すが、これといって心引かれる店構えがない。ずるずる街の中心まで歩く始めると、パブが激減していることに気づく。大きなガラス窓がはいったモダンなレストランは目に付くのだが、パブがない。やたら工事中の塀が目立つ。いったいどうなっちゃったの??と思いながら、街の中心についてしまった。「そういえばここに元英語教師のマリオンさんが住んでたよね」「どうしたかな」などと昔を懐かしみながら、やっと老舗のパブEagleにたどり着く。
ラストオーダーぎりぎりで頼んだフライドポテトとビールで、とりあえず人心地ついて、帰る客たちが目の前を通りすぎるのを眺めていると、あごが外れそうになった。マリオンだ。

うはー。


「マリオン!」

思わず席を立って駆け寄ると、「Oh,oh,oh…」といつもの調子で抱きしめてくれた。こちらが驚いているほどには向こうは驚いていない。実は、私たちが来ることは元・有能な秘書ペニーさんから聞いていて、都合が合わないのを残念に思っていたのだという。物価の高さとか街の変化の様子とか、15分ぐらい話してマリオンさんは「じゃ、これから友達と夕食だから」と去っていった。夕食だからってもう10時半なんですけど。

ホテル方面に行くバスが来たら乗ろう、といいつつ30分以上歩いてまたホテルに戻った。バス代もずいぶん値上がりしているらしい


2007年08月05日(日) 黒服

今日の午後は、いつも行っているアマオケの定期演奏会があり、伯母のお通夜が行われるお寺と最寄り駅ということで、演奏会とお通夜のダブルヘッダーとなる。
お通夜なので喪服ではなく、黒カットソーに黒スーツ、黒ストッキングに黒靴といういでたちで駅まで行くとばてばて。あまりの暑さで思わずエレベータを利用してしまう。乗り合わせたご婦人が「今日はまた一段と暑いですね」と話しかけてくるのに「ええ、そんな日によりによってお通夜なんです…。」と答える。「あら」と言って私の服装をまじまじと見るご婦人。
演奏会場は近年階層したばかりのホール。こどもの頃一度行ったことがあるが、面影はもちろん残ってない。上着を手に持って黒カットソーで歩く。会場に入るとチケットもぎりで同期の男がプログラムを配っていて、私を見るなり「おお、なんだ出演者みたいな格好だな。」という。「うん、いろいろあって」と答えながらプログラムを受け取ると、ガーゼに覆われた私の親指を見てすかさず「なんだ、どうしたんだ」と聞く。「うん、いろいろあるのよ」と答える。それしか答えようがない。通路を進んでいくと案内係としてNEOさんが立っていた。横に立っている小学生の女の子はお嬢さん?でも1人しか居ないから違うか(NEO家は双子女児)などと若干混乱したまま席に着く。

プログラムは、ニールセン/交響曲第5番、バルトーク/「中国の不思議な役人」、ラヴェル/「ラ・ヴァルス」。ニールセンは聴いたことがなかったのだが、CD収集癖のある夫がたまたま一枚もっていて予習してから行った。ライブで聴くと全然迫力が違う。打楽器全般にかっこいいのだが、歩き回る小太鼓のソロが圧倒的。しばし恍惚。
他のアマオケをやりながら、毎回助っ人としてオケでステージマネージャをやっている同期の男が、曲の合間の配置換えの時になぜかタキシード姿でいると思ったら、次の曲で演奏していた(笑)便利なひと。
それにしてもこんな難しいプログラムをよくやるな、と毎回驚く。

明日からの旅行でもって行くお土産におせんべいを買い込み、母に渡すものを持ち、かなりの大荷物で駅近くのファミレスへ。ここで母、夫、義姉とそのこどもたちで待ち合わせ。義姉は一時帰国中なのでなんとなく黒いワンピース、こどもたちも一応黒い格好で参上。こどもたちにお土産の本をわたし、一同揃ったところでお通夜会場であるお寺に出かけるが、妙にハイテンションな母に振り回される。ファミレスでだらだらしていたせいもあり、途中で道に迷ったりして、開始時間ぎりぎりになってしまった。
記帳する間もなく、汗だくでお通夜開始。

伯母の夫である伯父が亡くなったときは、会社の経営をしていたこともあり、都心の有名葬祭場でやったのだが、今回は50人も入れば一杯になるこじんまりとした会場で、お焼香をあげに来た人も全て着席し、列はすぐに途絶える。逆に義理で参列している人はおらず、皆ありがたいのだが、縁もゆかりもないお寺の貸し会場で、葬儀社が雇ったその場限りのお坊さんにお経をあげもらい、通り一遍のお説教を神妙な顔をして拝聴するのは、本当にそれでいいのか?と思わせる。
喪主である従兄が立派だったので、きっとそれを目を細めて眺め、一番自慢に思っていたのは他でもない伯母自身だったろうと思う。私たちは子供がいないので、先に逝ったほうは送り出してやれるが、残ったほうはどう処分してもらうか、やはり今から考えておかないといけない。自分たちのお葬式の形を考えさせられる結果となった。

精進落としは、こじんまりと親族集まって和やかに時間が過ぎる。こういうときに話の中心になっていた伯母が居ないのは不思議だと言い合って笑う。伯母の孫やひ孫にあたる若い世代が、華やいだ気分にしてくれる。


2007年08月04日(土) 再び流血の朝

朝、かぼちゃをきっていて流血。
週明けから旅行なので食料品を買い控えていて、ずっと半年以上もキッチンにおいてあったかぼちゃを食べてしまおう、と昨日から食べ始めていた。昨日は半分煮物にしたのだが、皮が固いというので、皮の部分だけ取り除こうとしていた。初めは包丁だったのだが、危ないと思ってピーラーに持ち替えたら手が滑ってざっくり。「え?」と思ったときは親指から血が噴出していた。
数年前キッチンで深く手を切ってしまったときも、キッチンで夫が隣にいて、あわただしい朝で、夏の旅行を控えているときだった。前回は傷の加減がわからずに消防署に直接尋ねに行ったのだが、今回は、尋ねるまでもなく重症。爪も深く切れていてあとちょっとで肉厚に指先チョンパ(ぶるぶる)。血が噴出してきたので輪ゴムでぐるぐる巻きに根元を縛ってみる。今日は年下の同業者♀と丸の内でランチの予定だったのだが、これじゃフォークも持てないよと思ってとりあえず電話。「もしもし?私今指をざっくり切っちゃったので、これから病院に行きます。なので、ランチはキャンセルしてください」と告げると、先方は「わかりました。でも、だいじょうぶですか?傷は?深さは?」などと気遣ってくれるがこちらは血まみれなので、適当に切り上げて、夫を伴って歩いて病院へ。

ちょうど午前診療の受付が始まったぐらいで、診察時間はまだだったが、受付の人が気を利かせてすぐに看護師さんに連絡をとってくれ、ほどなくして処置室に通され、とりあえず応急処置。輪ゴムでごりごりと止血したのは、毛細血管を壊してしまう可能性があるらしく、若い看護師さんが「あーこんなにしちゃだめですよねー?」と年長の看護師さんに言いつけるように言う。「縫ったほうがいいですか」と聞くと、まだわからないけど今日は土曜日なので外科の先生が居ないとのこと。重ねて「別の病院に行ったほうがいいですか?」と聞くと、「○○先生を呼んでに診ていただきますから」と岡本麗似の年長の看護師さんが私の目を見て力強く宣言する。○○先生って誰??
若い方の看護師は「縫うって言っても、爪に穴あけなきゃいけないから大変そう〜」と言う。自分に正直に患者を不安にさせるようなことを言ってどうする??ここの病院は大概親切でいいのだが、たまにこういう若いのがいて鼻白む。もう一度待合室で待っているように言われて部屋を出る私に「輪ゴムできつく縛ると、血管が壊れちゃうので絶対にしないでくださいねー」と声をかける。もうわかったっつーの(-"-)

待合室で手を上にあげて座っているうちに血は止まり、付き添いの夫はここで仕事に行ってもらう。医師の担当表を見ると○○先生ってよくわからないけど整形外科の先生らしい。処置室に再び呼ばれると、○○先生は私の応急処置を見て「これは誰がやったの?」と聞く。岡本麗似の看護師が「先ほど、いらしたときに。止血をずいぶん厳しくやっていらしたので。」と私のほうを見て微笑む。なんだかなぁ、やっぱり経験のある人って上手いよな。さっきの若い看護師さんだったらまた言いつけられるところだった(-"-)。
先生は傷を一瞥して「あ、これでもういいよ。」と言う。つまり先ほどの看護師さんの応急処置で充分ということで、確かに鋭利な刃物なので傷口もきれいなのだが縫う必要がないというのでほっとする。消毒薬をつけてもう新しいガーゼでもう一度包んでもらって終わり。何で切ったんですがと聞かれてピーラーです、というが先方全然理解せず。まあ、気をつけてくださいね。といわれる。はい気をつけます。
「先生、私あさってからヨーロッパに10日間行くんですが、どうしましょう??」という。「えーどうするんですか??」といわれるが、どうしようもない。化膿止めを3日分処方してもらってあとは自分で消毒薬と大きな絆創膏で処置するように、傷口をつねに清潔に保つように言われる。ほー、化膿止めという手があったか。早速薬局に行って買って帰る。500円ほど。なんか意外と安いわ。

午前中に母からお通夜の連絡があるだろうと思っていたが、全然連絡がないので従姉に電話すると、お通夜は明日だということ。そのまま義姉に連絡すると、もう母に聞いたとのこと。なんで私に連絡しないかなぁ。すぐ電話すると私はもう旅行中で居ないと思ったから連絡しなかったとうそぶく。旅行の予定は先日冷蔵庫に貼ってきたので、それを言うと冷蔵庫に貼紙なんてないと言い張る。いらいらしたが母は混乱してるので、はいはい、と聞きながし、明日の待ち合わせなどを決める。

ちょっと電話するだけのつもりだったのだが、母の話が意外と長引き、出かける時間を過ぎていた。夕方の会合に出る予定だったのだ。停留所でしばらく待ってバスで最寄のJR駅に向かうが、途中でお祭りがあるので迂回するとのこと。突然年配の女性がいらいらと「迂回するんだったら、別の路線に乗り換えますから、トランスファーのチケットいただけます??」と運転手に言ってきた。トランスファーの意味がわからない運転手に、もう一度いらいらと彼女が説明すると、運転手は少々お待ちくださいといって営業所に連絡をとり、事情を話すとそれほど込んでいないといわれたらしく、その旨女性に伝える。
いったん女性は納得して席に座ったものの、次の停留所につくとまた「やっぱり降ろしてくださいよ。この辺の人間は道をよく知ってるんだから、別のバスに乗り換えて歩いていきます!」とごねだす。またも運転手は少々お待ちくださいといって営業所に連絡を取る。見かねて「200円払ってそのおばあさんを降ろして上げてください。彼女1人のために皆が遅くなります。」と言う。後ろのほうからも「おばあさんがどんどん遅くしてるよ。」と声が飛ぶ。ちょうど営業所の脇に止まっていたので、運転手は彼女を別のバスのところまで連れて行って乗せ、戻ってきて無事出発。迂回するといってもほんの300メートルほど距離が伸びただけで、お祭りゆえに交通量も少なく、結局、いつもと同じかそれより早いぐらいで駅に着いた。それでも既に遅刻確実。おばあさんのせいだけではないが、激しく落ち込む。

会合には30分ほど遅く到着し、昨日の訃報を受けて会合あとの食事会はキャンセルしたので、主催者には不義理をしてしまった。会合自体は大変有意義で勉強になった。



2007年08月03日(金) 訃報

伯母が亡くなった。
母の姉に当たる人で、私にとっては第二の母のような存在。ここ数年入退院を繰り返していたのだが、こんなに早くとは思わなかったので、連絡を受けて動揺する。とりあえず30分ほど号泣して、落ち着いたところで一時帰国中の義姉に電話連絡。
何十年も姉妹だった母の気持ちは計り知れない。電話がかかってきて少し話をする。取り乱した様子はないが、とっちらかっている様子は伝わってくる。「もう長生きしたくない」などと言っていて、思わず「(何人もの弔辞を読んでいる)森繁さんを思えばまだまだ」などとなぐさめにも励ましにもならないことを言う。
私のことを無条件で愛してくれた人が居なくなるのは寂しい。


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