WELLA DiaryINDEX|past|will
午前中は非常勤先B。 各回入れ替え制で同じ授業を1コマ×2。2コマ目は人数が少ないので早めに終わって、提出課題の採点して転記して急ぎ足でケーキやへ行き、イートインで昼食代わりのティータイム。さくっと食べて生菓子買って家に帰って掃除開始。今日から着付けの家庭教師のマダム(以後:着付けマダム)が来るのだ。 3限目があると昼休みも拘束時間になるので、家に帰るのは4時近くになるのだが、2限までだと1時過ぎには家に帰れてしまう。ケーキを食べても1時半。こんなにも時間がたっぷり使えるのねぇと感心しながら、大車輪で片づけをして、あと少し、お礼の金子を包まなきゃ!と手を伸ばしたところで、ピンポン。予定より20分も早い(泣) 早くつきすぎちゃってごめんなさいねぇと言う着付けマダムを、いいえぇ〜と引きつった笑顔で迎え、「帰ったばかりでエアコンの効きが悪くてごめんなさいね。」などと、ばたばたしていたことをさりげなくアピール。 それにしても暑い!来週から衣替えができるのか? 冷たい麦茶で一服して、まずはタオル2本を使った(体型)補正のやり方から。タオルをおなか周りとお尻の上に当て、寸胴にするのだ。なんたる贅沢。 初めに帯結び(お太鼓にあらず)をマスターしましょうということで、浴衣を身に着けて、練習。今日習ったのは半幅帯を使った都結びというもので、当然帯枕不要。しかしただのリボン結びに近い文庫よりも動きがあって、少々左右のバランスが悪くてもそれなりに決まるという優れもの。 最初に着付けてもらい、あとは自分でやって見せ、という手順なのだがけっこう時間がかかる。着付けを習ったことはあったし、浴衣ぐらいは着られるつもりでいたが、着られると言うのと着こなすというのはまた別物なのね。要所々々でシワを伸ばしたり中心を合わせたり、ちょっとした裏技を伝授してもらったり、ほほーなるほどということが多くあった。羽織るときの所作なども教えてもらって、ひょーかっこいい!とおかしな声を出してしまう。着物を着たときの立ち方なども、ちょっと時代劇みたいですよ、あなた。 一端お稽古を終わりにして、5時ぐらいまでお茶。「じゃあ次に来るときまでによく復習しておいてね」という彼女を送り出してからしばしボーっとしていまい、あわてて洋服に着替えて夜は同業者ばかりの異業種交流会へ。家を出る時点ですでに遅刻決定。 交流会は、この夏に行われた業界最大のカンファレンスの参加報告3件。国際社会での日本の役割についてもちょっと意見が出る。例年、物見遊山気分で参加している機関があるなどの話も聞く。ほー。ようこさんと久しぶりに顔を合わせたのだが、私が遅刻したせいで席が離れてしまい、あとで話そうと思っているうちに彼女は用事があったらしく定時で帰ってしまった。 交流会のあとの親睦会は、ちょっとおしゃれな創作和食の店。人数のわりにビールが多く出て、ドイツの人もいたので、ちょっと早いけどオクトーバーフェストだー!とかいいつつ楽しく過ごす。 人身事故で山手線がストップしていて、大きく迂回して帰って帰宅深夜。なんで夜の9時半に飛び込むかねぇ。
桐箪笥は、引越し業者を手配して来月初めに家に来ることになった。二人がかりで運ぶので普通の赤帽では無理ということがわかり、急遽話が大掛かりに。一昨日の夜からネットで調べたり電話で問い合わせたりしてわかったのだが、結局トラック1台と配送助手を借りて普通の引越しと同じことになるらしい。 最初に思いついた黒猫(仮称)に問い合わせてみると、桐箪笥は傷がつきやすいので訪問見積もりを取った上で5〜6万かかるといわれる。さすがにそれは厳しいのでいくつかネットで調べて、家鴨(仮称)に電話してみる。わりと気の利いたおねえちゃんが応対してくれて、繁忙日は高くなるが、月初ならば2万5千円ぐらいといわれる。 ここで考えあぐねて、別の従姉に相談。もう少しあたってみろといわれて、もう少し小規模でやっている鳩印(仮称)に問い合わせると、今度はいかにも職人風の男性が応対に出て、その条件なら2万円+消費税とのこと。そこに決めた。 箪笥とあわせて、二扇の細長い屏風と花瓶を置くような木の根っこのスライス(「敷板」というらしい)も、一緒に来ることになった。 これがいい機会だと周囲にたきつけられて、急遽和服を着る人になることになった。実家の箪笥で肥やしになっているものも合わせて、一度どんなものか見て欲しいと、着物のプロである知人女性に相談してみると、先方大いに乗り気で、パタパタと話が進み、何回か家庭教師に来てくれる事になった。 うーむ。飛んで火にいる夏の虫。
着道楽の伯母が残した着物がたくさんあるというので、親戚の女性ばかり5〜6名集まって形見分け大会。かなり大きな箪笥1棹分を4時間近くかかって仕分け。伯母が几帳面に保管してあったおかげで、どれもよい状態なのだが、私以外は皆年長で、すでに充分に持っているか全く洋装オンリーなので、全然手が出ない。結果的に私のところに多く回ってくることになった。入れるところがないといったら、箪笥までついてくることになった。箪笥を置く場所が…。 「桐たんす」を丁寧に運んでくれる業者を探さなくては…(-"-)。
伯母の49日法要と納骨で近県の霊園まで。 ここは代々の墓をついだ長兄を除く母方のきょうだい3人がお墓を持っていて、幼いころから何かと来ていたのだが、大人になってからはすっかり足が遠いている。一番最近が今回亡くなった伯母の連れ合いである伯父の納骨の時なので、もう20年近く前になる。 当初、兄の運転で両親と私の4人が車で行く予定だったのだが、兄が仕事の都合でこられなくなった。年とった父の運転は不安だし、かといって私も最近さっぱり運転していないので運転を変わっていくのも自殺行為。三連休の初日で道路は込むだろうとか、お酒を飲むだろうからと言ってなだめすかして早起きして電車を乗り継いで行く。電車で行くのはみんな初めてのことで、それなりに面白かったらしいが、父は半分ぐらい眠っていた。私は車より電車が気楽なのだが、父は自分が動かしていない乗り物で長時間揺られるのは疲れるらしい。 会食は和やかに進み、久しぶりにいとこたちにも会って楽しかった。母もいとこたちにはもう会えないかと思っていたようで、とても喜んでいた。去年、もう1人の伯母が亡くなり、残された伯父は、めっきりと年をとった。人はこんなにも急に老いるものなのだろうか。年相応にボケながらも脳は衰えていないが、伯父も伯母も両親も、足腰が弱り、耳が遠くなっている。いとこたちもそろそろ定年を迎え、こうやってみんなが年をとっていき、やがて櫛の歯が抜けるように一人、また一人とお別れをしなければならないのだなぁ。自然の摂理とはいえ、切ないものである。
今朝、身支度して長いかさもって、マンションのエントランスまで出たら、風がびょーびょー吹いていた。うわー。こ、これは…、とつぶやいていると、管理人さんが「かなりすごいですよ。」というので、一時退散。 傘を置き、雨合羽(というとダサいけど舶来品、防水、収納に優れる)を着て再度出陣。道のど真ん中に、骨の折れた大きなかさが放置してあったので、道の脇に片付ける。車がきたらあぶないっつーの(-"-)。しかしこのかさつくりはしっかりしてるんだから、修繕すればまだまだ使えるのにな、もったいない。 それにしても、ビニール傘を筆頭に、強風で壊れた傘を放置していく不届きものにはむかつく。傘は使い捨てじゃないんだよ。どんなにもちにくくなっても、邪魔でも持ってかえれっつーの(-"-) こういうのって何なんだろう、モラルの低下?豊かさの弊害?図書館の本を汚すのと同じメンタリティなのだろう。
8月の旅行記順次書き足し中⇒http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/month?id=12479&pg=200708 ----- 時節に少しずつ遅れて暮らしているので、この間はダイアナ元妃のことばかりやたらやっているなぁと思ったら8月31日で、最近NYのテロの特集が多いなぁと思ったら9月11日だった。 あの日私はスペインのマヨルカ島にいて、ニュースを知ったのはちょうどシャワーを浴びた後だった。夫が入れ替わりにシャワーを使って、私は何気なくテレビをつけたらCNNでありえない映像が流れていた。 大変なことが起きた、とにかく日本に帰れるのだろうか?という思いがまず頭によぎった。どうしよう?戦争になるのかな?と夫に言ったのを覚えている。テレビではNYの映像と交互に、テロの成功を手を取り合って喜ぶチャドル姿の女性を含むパレスチナの市民たちが映し出されていた(後にこれはCNNのヤラセあるいはテロとは関係のない過去の映像ではないか?との見方が濃厚になった。) その日は旅行の最終日で、マヨルカから国内線でバルセロナへ飛び、さらにミラノ経由で日本まで帰ることになっていた。ミラノまでは国内線も同様なのでほとんど問題なし。ミラノから国際線エリアに入るセキュリティチェックを受ける。実は行きにミラノのセキュリティチェックは、来るときは甘すぎでほぼスルー。こんなのでいいのかと思っていたら帰りは長蛇の列。テロの翌日なのだからそれでないと困る。こんな事態なのに私とは別の列で夫の前に並んでいた人は、刃渡り20センチほどのナイフを持っていたという。緊張感なさ過ぎ(-"-) 空港の出発案内板を見るとミラノから北米方面への便が全てキャンセルになっていた。無機質に並ぶcancelledの文字に背筋が凍る思いがする。 飛行機に乗ってしまえば平時となんら変わらず、陽気なイタリア人乗務員のサービスで楽しく過ごしたが、成田空港につくとまた異常事態であることを認識させられる。やはり北米方面への便は全てキャンセル。利用客も行き交う人も少なく、普段の混雑がウソのようだった。 きっと知り合いか、知り合いの知り合いかは巻き込まれただろうと考え、そしてそれは現実になった。世界は、ほんの瞬間で変わってしまう、そんなことを実感した出来事だった。
|