WELLA DiaryINDEX|past|will
ここ数日、お仲間の日記のキャッチアップが遅れている。 みんみんさんの日記を昨日読んだら、ジャン・ヌーベルの展覧会に行ったという記述が出ていた。ここ最近夫は彼の作品に興味があって、著書や写真集を買ったりしているので、慌ててWebで調べてみるともう会期は過ぎていた。なんで富山在住の人が行って、ほんの30分でいける私達が行きそびれるかねぇ、などと嘆くが、それはアンテナの感度の差に他ならない。 で、江戸の敵を長崎で討つようなものだが、代わりに渋谷の棟方志功展へ。代々木公園から青テントの数に圧倒されながらNHKを抜けて渋谷方面へ歩く。途中のうどん屋さんでお昼を食べる。ここは収録スタジオが近くにあるせいか芸能人の出入りが多いらしく、歌手のポスターや、番組のポスターが局を問わずべたべたと貼ってあった。その後Bunkamuraへ。道路も込んでいたが、会場も込んでいる。会場に入るなり黒山の人だかりと人いきれに圧倒される。版画は油絵や彫刻などと違って効率よく展示できるので、展示物が多く人がなかなか流れない。途中のソファではぐったりしている人や深く眠り込んでいる人もいる。展示は、前期(21〜41才)、中期(41才〜)、後期(晩年)に分かれている。中期の力みなぎる迫力のある作品もいいが、私は晩年近くの穏やかな作風や、墨だけで仕上げられたモノクロの作品の方が好みのような気がする。 見終わってからお茶を飲んで、途中でケーキを買って帰宅。家に帰ってテレビをつけると、見覚えのあるうどん屋とおばちゃんの顔が…。やっぱり芸能人がたくさんくる店らしい。おばちゃんが得意げに「タクヤくんも良く来るわよ〜」とか言っていた。
昨秋の披露宴で一緒になって以来、久しぶりに旧友ぱらぐちに会う。 ことの起こりは、3週間ほど前である。フランス語教室の帰りの電車内で携帯をチェックすると、ぱらぐちから1時間おきに不在着信があり、「困ったことがあるので電話してくれ」というメッセージが残っていた。「相談したいことがある」とか「話がある」といういい方ならまだしも「困ったこと」というダイレクトな表現に不穏な空気を感じ、電車を降りるのもそこそこに駅のホームから折り返し電話をかけた。「どうした?」と聞くと、電波状況の悪い中、途切れ途切れに「…いや…実は…困ったことというのはさ…」と、例の英文和訳口調で説明しているのが聞こえる。「ちょっと…ひとを…さ…して…て…」。なにー?人を刺しちゃったのか?そりゃ困ったことだよ。「人を刺したのか?」と聞き返すと、「いや、そうではなく人を探しているのだ」という答え。つまりバイトの人探しをしているのだが、誰か知り合いはいないか?という相談だった。で、けっこう困っているらしい。求人条件を聞いてみると、微妙に難しい条件の組み合わせになっていた。私の細い人脈網を頼って、延べ人数にしてかなりあたったのだが、どれもスカ。幸いにしてぱらぐちが自力で探し当てたというので、お礼の電話が来て久しぶりにお茶をすることになった。以上前置き。 で、久しぶりに会ったぱらぐちは専門学校の講師のバイトをやっていて、似合わないスーツ姿だった。ランチタイムが過ぎた甘味処にしけこんで、相変わらずぱらぐちはほめ上手で、従兄と話するみたいに気を抜いて2時間半ほどだらだらとディープな話をする。人生いろいろあるもんだな。店を出て駅までの商店街を、時々肩がぶつかるほど並んで歩きながら、馬鹿話に花を咲かせる。「こんなときに向こうから夫@れいこなさんがきたら、びっくりするかな、気を利かせて俺たちのこと見ないふりするかな」などとちょっとわくわくするぱらぐち。 ていうか、自宅の壁掛けカレンダーには「ぱらぐちとお茶(はぁと)」ってでかでかと書いてあるんですけど…。
評価票を提出する。 共同担当者と採点のすりあわせをして、評価をつけてコピーをとって提出して、これがすめばとりあえず今期は放免…と思っていたら、後からポカ発見。慌てて共同担当者の姿を探すが構内には見当たらず。とりあえず電話してくれるようにメールしておく。夜別件で打ち合わせ。またサービス残業的に仕事が増えた。夜帰宅して、昼間のポカの件を電話で相談して、訂正の手続きをすることに。話の終わりに「じゃあ、また詳しいことはメール流しときます」といわれて、むむむ?と思いながら電話を切る。 「メールを流す」か。ガラス瓶に入った手紙が波間を漂っている情景が浮かんできた。ボトルメール(http://www.bottlemail.jp/)か?「メールを送信します」と言って欲しいとまではさすがに要求しないが、なんで「メール送ります」とか「メールします」じゃいけないんだろう。MLに投稿することを「メールを流す」という人はいそうなので、そっちの影響だろうか。なんとなく宛先にきちんと届かないような印象を持ってしまう。この人は他にも私が使わない言い回しを使うことがあり、そのたびに違和感の海に放り出された気分になる。この間は「Webを突っつけばすぐわかるし」と言っていた。多分「情報を得る」とか「調べる」という意味で使っていると思われる。クリックする=つっつくということなんだろうか。何のためにわざわざ別の言い回しを使うのか、それともその人の属するコミュニティではそれが公式用語なのか、不思議なことである。 私自身は、あまりその手の言葉を使う趣味はない。特にコンピュータ用語に関しては、元の意味がわからなくなるような略語は使わないように気をつけている。それらの言葉を省略したりすることによって、どれだけ時間の倹約になるかは疑問だし、略語を使うことによって仲間意識を持つというならそんな仲間は欲しくない(強気)。ところで、googleで検索することを「ぐぐる」という動詞で使う人が増えてきた。そのうち語源の意味が薄れ、googleに限らずネットのサーチエンジンで検索することを、押しなべて「ぐぐる」と言うようになるのでは…と思っている。しかしそれはおかしなことではなくなるのかも知れない。早晩Yahoo以外にも、自社のサーチエンジンにgoogleを組み込むケースが増えていくだろうから、サーチエンジン=googleとなる日も遠くない気がする。
一晩寝ても風邪はよくならなかった。その代わり悪くもなっていないので持ち物としてティッシュとハンカチを確認して、フランス語教室へ。 私の他にも風邪気味の人が多い。授業中もあちこちで鼻をすする音がする。みんなインフルエンザを恐れていて「風邪引いちゃって…」というと、「インフルエンザじゃないでしょうね」という。あのー、インフルエンザだったらとても教室に来る元気などないと思うんですが…。 授業は基礎コースの第四コーナーを回ったところに入っていて、ラストスパートよろしく新たに文法の説明ががんがん入ってくる。このクラスのマジョリティである既習者の人々は、「ついに条件法だわ〜」とか「前回もここで挫折したのよね〜」とか言っているが、それがトラウマになって授業が頭に入ってこないこともあるみたいだ。それに比べると、こちらはいつも新しいことを習っているので、いつも難しい代わりにそういうデメリットはない。「勉強しなおし」という言葉には、どこか謙虚で甘美な響きがあるが、現実はそれほど甘くない。 お昼をみんなで食べて直帰。夕方までぼんやり過ごす。
風邪気味なので一日休養することにする。 思い返せば一昨日の土曜日、仕事が一段落して開放感にあふれて夜の神楽坂で楽しく飲んで、昨日朝起きたら喉が痛かったのである。これは身体を動かせば直るかと思って午前中スポーツクラブへ行ったのだが、もちろんそんなことですっきり直るわけもない。夕方身内の人々を接客していたときも、なんとなく喉が痛くてしゃべりにくかった。 で、朝起きたらハナが出るし喉はいがらっぽいし、ここで無理してこじらせては大変である。ワイドショーの注目は「暴れん坊将軍」から「学歴詐称代議士」へ。しかし卒業したかどうかを、このご時世なんでわざわざアメリカに行かないと確かめられないのか。来られるほうも迷惑だろうに、と思う。それにしても「弁護士に任せた」ってなに?アメリカの弁護士って留学コーディネータもやるのか。
某オイスター県より、牡蠣を送っていただく。ありがとうございます>該当の方。 年末年始の旅行のあおりで中止になった私の実家の新年会をやるので、そのときの目玉にする。該当の方の事前情報では「足りるかなー(どきどき)」ということなので、他にもいろいろと腹ふくるる物を用意し、5時過ぎぐらいに身内の方々集合。義姉は義姉でいろいろ作ってきてくれたらしいので、それを一通り出したり、それを盛り付ける食器を用意したり、姪と甥のやんちゃの総和が過去最大になっているのに加え、いきなりテレビをつけて大相撲千秋楽を見始める父や、普段一緒に住んでるくせに子守と称して子供たちを際限なくはしゃがせる母とか、始めるまで結構大変。実家の人々自由すぎである。 牡蠣のおいしさには一同びっくり。が、子供達に巻き込まれて落ち着いて味わうこともできないような気も。これからは4才の姪はともかく、男の子にしては驚異的におとなしい2才の甥も、さすがに男の子らしさが出ていたし、どんどん大きくなって騒ぐようになるだろう。今後このペースで家に集まるのは大変そうである。善後策を考えなくては。 彼らがまだ家にいるときに大河ドラマをつけるが、彼らが帰るというので、それを見送ったりしている間に半分見損ねてしまう。まあ雰囲気だけわかればいいという感じもするな。日野あたりの風景はどこでロケしているんだろう。日野なんて今は住宅密集地で当時の面影なんかどこにも残っていないが、相当な田舎だったようだ。
採点表を昨日一つ仕上げて、今日は別件を採点。フランス語の宿題もなぜか大きなものが二つ出ていて、それもやる。教員になったり学生になったり忙しい。ヘルハウス化した家の中を少し片付けたり、途中でメールをやりとりしたり、先週見損ねた大河ドラマの再放送を見たりしながらだらだらと作業を進めて、なんとか今日のノルマは終わらせる。 夜は神楽坂のダンススタジオへ。親戚の娘がコンテンポラリーダンスの公演に出るので、案内をもらっていたのだ。コンテンポラリーダンスを「現代舞踊」と漢字で書くと、どうも全身白づくめの人々がくねくね踊っているイメージが涌いてくるが、さて、どんなものか、と思いながら路地裏にある会場に着いた。 受付でチケットを買おうとすると、係りの女性が怪訝そうに「おきけんじゃないですか?」という。「おきけん」?「お危険」?「お棄権」?皆目見当がつかないが、そんなにチケットを買うのは難しいことなのか?秘密結社? 仕方がないので「オキケンとはどういう意味ですか?」と聞くと、「当日預かりではなく?」といわれた。ははー「置き券」ですか。わからねーよ(-"-) ダンスは、いくつかのアマチュア(セミプロ?)グループ(あるいはソロ)が順番に出てきて持ち時間内で、自由な振り付けと音楽と衣装とで踊る。それぞれに創意工夫がされていてなかなか面白かった。しかし現代舞踊というと、とかく内面ドロドロを表現するものが多く、やたらと床に崩れおちたり頭をかきむしったりするのだな。日本人のトップダンサーならいざ知らず、体型が今ひとつ西洋舞踊に合っていないせいもあり、見ていてただ美しいというものはなかった。ひいき目ではなく親戚の娘が一番良かった。 終わってから、彼女の家族と近くの今風の和風ダイニングへ。期待していたよりずっと質のいい食事とお酒で満足。久しぶりに会ってもやはり身内なので、気楽に話をして楽しかった。会計を済ませて領収書を頼むと「お名前様は?」と聞かれ、本当に「お名前様」って言うんだよな…としばし愕然とする身内の人々。日本語って難しい。
もとい、冬の採点である。 もう授業は終わったので出講する必要はないが、自宅で朝から晩まで採点三昧。私の担当は演習科目ばかりなので、課題が多くなり、結局つけは自分に回ってくる。こんなに課題出さなきゃ良かったなぁ、と思う。世の中に出回っている、授業の進め方のハウツー本には、出題した課題を毎回全て採点する必要はない、と書いてある。確かにきちんとやる学生はいつも一定水準以上のものを出してくるし、いい加減な学生は何回出しても低水準なものしか出てこない。一つ二つ採点をスキップしてしまっても、全体的な評価はあまり変わらないかも知れない。が、それはそうかもしれないが、やはりそうする勇気がない。曲がりなりにも学生さんたちが時間をかけてこなしてきたものを、提出の有無だけのチェックで済ますことができない。 で、ふらふらになりながら全てを採点しようとする、で、見落としが出る(ため息)。
いや、絶対そうだと思ったのよぉ、やっぱりねぇ、あたしピーンと来たんだから。 「抱いちまお」と「暴れん坊将軍」の離婚のニュースを見た。この間テレビをふとつけたら、はな○マーケットのトークコーナーのゲストに彼女が出演していて、なんとも不自然な様子に結局最後まで見てしまった。 だって、いくら舞台が多くてすれ違いの生活だといっても、全然夫の話が盛り上がらないのである。司会の薬○くんが、しきりに「暴れん坊将軍」の家庭での様子に話を振るのだが、その度に当惑したように「…えっと、あんまりしないみたい、です」とか「さぁ、そうでもないんじゃないかしら…」と言う。夫の日常や嗜好を全然知らないというか、一切関知しておりませんという感じがアリアリなのである。飼っている猫たちや、今度主演する舞台に話が及ぶと瞳を輝かせて生き生きと語りだすのに対し、夫について語る様子は、見ているこちらがアイタタタだった。その時すでに離婚していたとは、こりゃお釈迦様でも気がつくめぇ…っていうか、ばればれだって。 しかし、離婚したのが先月末だというし、まだマスコミにも公表していないこんな微妙な時期になんで、あんな私生活を紹介する番組に出演してしまったのだろう。仮面生活露呈の危機よりも次回公演の宣伝の方が大事だったんだろうか。
今日で授業が全部終わり、あとは採点にいそしむ日々である(予定)。 打ち合わせを兼ねて、ゼミの同級生とお昼ご飯を食べる。彼女は別の大学の専任をしながら、今年度は恩師の代打で同じ曜日に出講してきている。普段から親しくしているので、顔をあわせればたわいのない話に花を咲かせたいところだが、なかなかそうもいかない。まあ、これが大人になったということだろうか。現在彼女が持っている問題について、愚痴とも善後策と夢の入り混じった話をする。話を切り上げてキャンパス内を二人並んで歩いていたら、今期私の授業でティーチングアシスタント(TA)をしてくれた男子学生が、私達に向かって深々と頭を下げていった。あたし達ほんとは遊び友達なのよ、と言いたい気持ちを抑えて鷹揚に会釈を返した。くすぐったい。
非情金もとい非常勤先Bへ採点表の提出に行く(郵送不可なのだ)。 事務が閉まる時間までにたどり着けばいいので、通ったことのない回り道をしたりして、すごく時間がかかった。もう2度とやらない。事務で採点表を提出し、控え室でこちらの授業評価の結果をもらう。授業評価はマークシートで各項目5段階評価になっているのだが、アンケートを実施したときは気分が滅入っていて、自分で中身を見ずに提出してしまった。こういう評価というのは、結局のところ学生に対するこちらの片思いが露呈するので、どんな評価をされても必ず少し傷つく。せっかく集計結果をもらったので覗いてみると、平均すると4.5で非常に高い評価だった。「熱心に取り組んでいる」という項目が意外と高くないのは、私の淡々とした話し方のせいだろうか。教員に対する評価や自らの学習態度の評価に比べて、総合的な満足度が非常に高いのも不思議である。 ところでこういう授業評価はできない人に限って満足度は低い。ちなみに2コマあるうち1コマ目は男子学生が8割で、2コマ目は別専攻で男子が1人だけ、しかも女子のうち3人が留学生というかなり特殊な環境だったのだが、留学生からの評価がかなり低い。かなり手をかけたつもりなのだが、彼女達にしてみれば、もっと手取り足取り教えてもらいたかったようなのだ。とはいうもののはっきり言って、日本語入力もおぼつかない留学生に進度をあわせていては授業計画通りすすまないし、日本語に不自由しない学生達の学ぶチャンスを奪うことになる。しかし、講義期間中に言ってくれれば改善できるところもあったのに、終わってから「ゆっくり話して欲しかった」などと書かれてもいかんともしがたい。 もちろん日本語のハンデもあるので、かなり甘い評価にしたのだが、まさに双方の思いがすれ違っている。成績を出す前にこの授業評価の結果を見ていたらあんなに甘くしなかったかもしれない、という気にもなる。本来、評価というものはそのように主観的であってはいけないはずだが、課題の数が多く、かつ人数が少ないとどうしても情が入り込んでしまって客観的になりきれない。 で、少し心がちくちくする。
気の乗らない作業をする。 作業といっても手だけを動かして済むものではなく、一応頭で理解して自分なりにまとめることが必要なので、一日PCの前に座りつつもあっちふらふらこっちふらふらと徘徊してちっともはかどらない。こんなことならすっぱり中断して別の懸案事項を片付ければいいのに、それもしないで往生際悪くだらだらとPCの前にいると、やることはネットの徘徊かゲームになっていく。そして目と腰は一人前に疲れてしまう罠。 というわけで、普段あまり見ないページまで見に行ってしまう。なんだかアクセス解析の結果に怒っている人がいた。自分のページのアクセスログを見たら、一日に何回もアクセスしている人や、自分のページをそのまま保存している人がいた、というもの。アクセス解析って保存されるっていうのもわかるんだぁーとここで一人違うことに感心するおばか一人。で、その人は著作権はすべて本人にあるので勝手に使うなという主張。それはそれで至極まっとうなのだが、意外だったのはその言葉遣い。端正な文章を書く人だと思っていたのだが、怒ると言葉遣いが変わるらしい。 もちろん、文章や画像が勝手に使われたことがわかったら気分が悪いだろう。特に自分が苦労して調べあげた結果とか、時間をかけて作ったものだったらなおさら嫌だろうな、とは思う。とはいうもの、著作権、著作権と声高に言いつのるものなぁなどと思ってしまう。いや、著作権を主張することを否定しているのではなく、声高に主張する人が苦手ということだけど。
夫の大学時代の同期M氏の家に数人でおよばれ。 待ち合わせは鶴岡八幡宮の大鳥居のふもとで、これが初詣となる。よばれたのは他に彼ら二人の後輩に当たる男性が二人で、一人は私と同じ年でもう一人が一つ下。M氏の夫人も私より一つ下なので、五年のレンジに全員が納まったことになる。たぶん、掘れば共通の知り合いがざくざく出てくるだろうという近さで、ほとんど初対面ながら同世代の気楽さで楽しくすごす。お宅は鎌倉の閑静な住宅街の一角にある、豪邸といっても差し支えない広くて天井も高いアメリカンスタイルの戸建。外資系の駐在員や日本企業の役員などが2〜3年の周期で代々住んでいたらしい。それでいて離れのように中庭と廊下を挟んだ向こうにある和室など、古都っぽいところも心憎い。M氏はSOHOなので、この際環境の良いところに腰を落ち着けることにしたのだという。 確かにいいところである。M氏の書斎からも山々が見える。徒歩圏内にいくつも名所・旧跡がある。起伏にとんだ地形で山も海も近く、小川がさらさらと流れ、空気も澄んでいる。鎌倉と言うと、八幡宮参道の混雑振りやはとサブレぐらいしか思いつかないが、古くから文人などが移りすんだ理由がわかる。界隈を歩くと、風情のある、しかしあっと驚くような豪邸が立ち並んでいる。都心部まで1時間ぐらいというのも魅力的である。 M氏が結婚したのは私達が結婚した翌年で、ハネムーンベビーだった上のお嬢ちゃんが今年小学校入学で、下に3つ違いの坊やがいる。二人とものびのびと広いリビングを駆け巡っていた。これぐらい広ければ家で仕事をするにも邪魔にならない。私達のように大人二人のペースで過ごす生活とは、また違う生活がここにあるなぁ、と思う。自然が豊かなところで、ゆったりと家族4人仲良く暮らしている雰囲気が伝わってきて、居心地よく時間が過ぎて行った。 おいしい手料理に舌鼓を打ち、夜8時半ごろ揃ってお暇をする。というわけで、大河ドラマ見忘れる。
朝、横断歩道で信号待ちしていたら、傍らのくたびれたステンカラーコートを着込んだ男性が、派手な音を立てて缶コーヒーを取り落とした。ほとんど中身は入っていなかったらしく、男性はそれを拾い上げ、信号が青に変わると、躊躇なくそれを傍らの植え込みに投げ入れてすたすたと横断歩道を渡り始めた。びっくりした。私は高木美保ではないので(女優:高木美保がポイ捨てする通りすがりの人々を容赦なく注意しまくっているのは有名な話ですよね?)びっくりしつつその人の背中を見ながら横断歩道を渡る。私は近くのコンビニエンスストアに向かっていたのだが、男性もそっち方面に歩いていく。そっちに行くならコンビニのゴミ箱に捨てればいいのにと思っていると、あれよあれよという間にそいつもコンビニに入っていった。なんだそりゃ。 日中、植え込みの清掃を見かけるが、それはこういう輩がいるせいなのだな。こいつらににとっては植え込みに投げ入れるというのはゴミ箱に捨てるのと同じ行為なのだろう。そういえば昔実家の前に車が止まっていて、中で男女が語らっていたのだが、やおら男性が二人分の缶飲料をの空き缶を持って運転席から降りてきたと思うと、きちんと道路の脇に缶を「置いて」から車を発進させていった。家の前に空き缶を置き去りにされる身としては、ポイ捨てとなんら変わるところがないのだが、彼らにしても排水溝にタバコの吸殻を捨てる人にしても、本人達は公道を汚さないというモラルのつもりなんだろう。案外、こういう人たちに限ってポイ捨てを憎悪してたりしてな。
非常勤職のいいところは束縛が少ないところである。長期休暇は丸々取れるし、毎週の定例会議に出る必要もない。決められた回数の講義をこなし評価をつければ後は無罪放免である。ヘルハウス化した我が家を、休みの間になんとかしようとか、たっぷり充電して新学期に備えようとか、年度末はいつも夢は膨らむ青い空だ。 もちろんいいことばかりでもない。私が出入りしている大学図書館では、教員用の貸出は一人50冊まで3ヶ月までとなっている。50冊、それは無限大に思える。3ヵ月後、それは永遠に先のように思える。しかし年が改まって図書館に行くと、否応なく返却期限が年度末の日付になる。非常勤の契約は4/1〜翌年3/31までなので、それより先は資格がないのだ。たとえ来年度の契約が内定して担当コマが決まっていても関係ない。なるほど、これが「非常勤」(=臨時雇い)ということなのね、と妙に納得する。 それはそれとして、このところせっせと履歴書を書いていた。年末年始にかけて臨時雇いの口がいくつかかかり、正式人事にアプライしてくれ、というのである。潜在的にいつでも職探しのアンテナは立てているので、口が増えるのはやぶさかではないが、いかにも厳しい審査基準の専任登用用につくられたような用紙に、ちまちまとつじつまを合わせながら書き込んでいると、不安定な身分ゆえに、いつまでも私はアプライし続けなければならないのね…などとおかしな風に感情のスイッチがはいり、だんだん気が滅入ってくる。
今年えべっさんの一番福を勝ち取った人が、実は職場の仲間と結託して他の走者の妨害をしていたという疑惑が浮上し、一番福を返上したそうだ。この人は去年の一番福争いの時、文字通り独走首位だったのがゴール直前すっころんで三番福になってしまった映像も、記憶にある。 で、今年一番福をとったシーンというのも私もテレビで見ていたのだが、確かに彼のすぐ後方でスクラムを組むような体制になっていた人々をちらりと見て、なんで隣同士の腕組んでるんだろう?とふと思った。一瞬だったのでそれきり忘れていたのだが、そういうことだったのですね。話によると男性の同僚たちは、彼が福男目指して日夜努力をする姿を見て、なんとしてでも一番福を取らせてやりたいと思ったらしい。ゴールした彼は感極まって泣いていて「そこまで福男に入れ込むか」と思ってみていたのだが、みんなで何日も前から門の前で開門を待って不正を働いてまで欲しい福男っていったいなんじゃろな。 全然関係ないけど、芸能人節約バトル番組で渡辺絵美出演回があり、以前予告編を見た。激安スーパーに行ってタイムサービスの目玉商品争奪戦をつぎつぎにクリアしてしまい、さすが元オリンピックメダリスト、とかいうコメントがつくのだが、私は見た。渡辺絵美の背後にそのスーパーの制服を着た屈強な男が渡辺絵美をガードするように立っているのを。いや、ガードするようにではない。はっきりいって、他の買い物客の殺到を防ぎ、彼女が無事商品を手に入れられるようにガードしていた。これも一種の不正でしょう。なんだ、関係ある話じゃん。
先日めでたく100000hitを達成したNEOさんの日記を読むと、たまに「夫に叱られた」という表現が出てきて、お!と思うことがある。余の辞書に「夫に叱られる」という言葉はないからである。妙に新鮮に響く。 NEOさんのところは高校時代の先輩後輩カップルで、二人の年齢はせいぜい一つか二つ違い(旦那様が年上)。対して私の夫は私より4つ上である。しかし、私は夫を叱り飛ばすことはあっても夫に叱られることはない。もちろん、それは私が叱られるようなことをしない、ということを意味するものではない。NEOさんの旦那様とは直接の面識はないのだが、日記から拝察するに、家族のために軽々と料理をし、バイクに乗って一人の時間を確保し、フットワーク軽くご実家の面倒を見、ご近所づきあいも人並み以上にこなす、配偶者の鑑のようなお人だと常々思っている。その「夫」に叱られるのなら、まあありえる話ではあるのだが、「叱られる」という表現が出てくるのは、そこに年長者・年少者という意識が強くあるからだろうという気がする。お二人が出会ったハイティーンの時代の上下関係というのは、30前後にして出会った4歳差など比べ物にならないぐらい強いインパクトがあるものなのだろう。かくいう私も早生まれのNEOさんとは誕生日が3ヶ月も違わないのだが、やはり大学の1学年先輩であるNEOさんに対しては今も変わらず敬語を使って話している。たとえ60歳を過ぎてもきっとNEOさんに対しては変わらず先輩だと思って接するだろう。 などということを思いながら夜は外出。日本に一時帰国中のslashさんと夫と3人ですき焼き。ンマー。ようこさんに頼まれていた本を託す。
結局昨朝から今朝にかけて、24時間ぐらい寝てしまったような…(-"-)。 スポーツクラブに行くつもりが、夫が挫折したので家でぐずぐず過ごした。夜になって、NHK大河ドラマの初回を見る。あの脚本とキャストなら普通見るだろう、と思いながら見ると案の定面白かった。大河ドラマだととかく主人公の幼少時代から始まるので途中で飽きてしまったり、やたらと気合の入った前ふりにげんなりして見るのをやめてしまうのだが、初回からテンポよく楽しめた。毎週見ることになりそう。 小学生の頃「新撰組始末記」をテレビでやったのをかなりのめりこんで見た。沖田総司は草刈正雄で、苦しげに血を吐いて仲間の隊士に介抱されるシーンなど、そりゃぁもう壮絶なほど美しかったのだった。大河ドラマの方は新撰組青春グラフィティという感じなので、沖田総司はまだ子供だし、近藤勇ですら二十歳そこそこの若造である。このむずむずするような青っぽさがいい。ところどころ三谷らしい配役ににやにやしつつ、今回予想以上に良かったのは土方歳三役の山本耕史か。実際の写真とも面差しが良く似ている気がする。この人、子役からずっと出てるけどいい面構えになったなぁ、と思う。
朝起きたら9時。 ようやく時差ぼけも収まったか?と思いつつ、簡単に朝食を済ませる。今日もお茶漬け。以前別のところにも書いたが、一人で暮らしていたら絶対に自炊で栄養失調か外食で栄養過多になると思う。相変わらず気分が晴れないので、ぐずぐずしているうちにまた朝寝。夫はアメリカから午後の飛行機で帰ってくるというので、すっかり「私の部屋」状態になっていたリビングをざっと整理整頓。 たまった洗濯物を片付けていたら猛烈に頭が痛くなってきた。多分寝すぎで頭が痛いと思ったのだが、それにしても痛いので適当なところで切り上げて布団に戻る。布団に丸くなっていると夫帰宅。ともかくおきだしてきて二人でおやつにして、晩御飯は何を食べるか聞いたりしているうちに、夫はそのまま寝入ってしまった。一人空腹に耐えかね、お茶漬けを食べる。 夕方、ごろごろしながらテレビを見ていた。狂言師・野村万作・野村萬斎親子の芸への取り組みと、萬斎長男の初舞台にかける様子を放映していた。再放送だろう。萬斎氏本人も語っているように、親が子に教える時は「できるか、できねぇのか」という一つしかないと、非常にぴりぴりしているのが伝わってくる。忙しい合間を縫って、暇さえあれば稽古をつけているという感じである。それに対して祖父である万作氏が教えるときは、距離がある分余裕があり、むしろ甘く思えるほどゆったりと構えている。それが一転、万作氏が萬斎氏に対してつける稽古は自分の後継者に型を伝え切れていないことにもどかしさを感じるのか、性急に言葉をぶつけていた。親と子というのは因果なものである。
非常勤先Bは今日が新年初出講にして今学期最終出講(早く始まったので、早く終わる)。今年もよろしくお願いしますと挨拶して、帰りは来年度もよろしくお願いします、と挨拶する。 なんだか気持ちがちくちくして心が晴れない。公私共に、いろいろ環境が代わったり、考えなくちゃいけないことが増えているのが影響しているのか、ここ二日ほどずいぶん気持ち的にヘタレ。部屋の片隅で膝を抱えて丸くなっていたい感じである。というわけで、仕事が終わったらとっとと帰ることにする。実家にまだ新年の挨拶をしていないので、途中でケーキを買い、電車を4つ乗り継いで。途中駅で2回ほど乗り換えがよくわからず迷子になる。食事は済ませてから行ったので、両親が食事を済ませる脇でまったり。お風呂上りの姪と甥がやってきてひとしきり遊ぶ。 姪はこのお正月で自分の父親と私が兄妹であることを認識した様子。でも義姉の方のきょうだい関係は把握していないようで、仲良しの従妹の父親が自分の母親のおにいさんだと聞かされて驚いていた。甥はおしゃまな姉の影ですっかりおとなしいだけかと思っていたら、いつの間にか意地悪な口を利くようになっていた。が、「だめだよ〜ぉ(^o^)♪」「かして上げないよ〜ぉ(^o^)♪」と語尾が楽しげに上がるので、あまり意地悪そうに聞こえないのであった。なんでもおねえちゃんの真似をするお年頃の甥は、クリスマスにサンタさんが姪にもってきたというおもちゃのドレッサーの前で、おもちゃのドライヤーとブラシでせっせとブローの真似事をしていた。
フランス語教室も進級して新しいクラスが始まった。 またクラスの半分ぐらいが入れ替わった。途中から入ってくる人はやっぱりできる。在仏経験がある人が2〜3人もいて驚く。一人よどみなく話す人がいて、感心していたら途中からもう一つ上のクラスに移っていった。そりゃーそうだ。 来年度は忙しくなる予定なので、このクラスに出るのも今期が最後になりそう。ちょっとセンチメンタルになったりして(気が早い)。今回のフランス旅行で上達した実感はつかめたので、モチベーションを新たにきちんとやろうと思う。 お昼は友人と待ち合わせてお蕎麦を食べる。うまし。そのあと中国茶専門店でデザートと中国茶。これもうまし。修理に出していた靴を受け取って代わりにもう一足修理に出す。ヒールにずいぶん傷がついたので取り替えることにして、中敷もみすぼらしく汚れてきたのでついでに取り替えてもらうことにする。ちょうどバーゲンをやっていたので色気も素っ気もない黒のフラットシューズを購入。皮革もきれいに修繕された靴と新しい靴とを玄関にならべて見る。気分よし。履き潰したりしないようにきちんと履こうと思う。
帰国して半病人のようにふらふらしている間に、どんどん日にちは経っていき、仕事もいつの間にやら始まり、ふらふらと出講する。 学生さんからは「新年張り切ってマース!」というようなリアクションがあり、なんでこの人達はこうも元気なのかと思っていたら、年明け一番最初の授業だったようだ。しかし、パートタイムれくちゃらーにとっては、始まったとたんに終わってしまうのも大学という不思議な空間であるのだ。年末年始で2回ぐらい間が空いて、そのあと1〜2回の講義っていうのも、なんとも効率が悪いよな、と思う。 時差ぼけ。睡眠時間は足りているのに昼間眠い。夜煌煌と眠れない。考えてみれば1日やそこら寝貯めしたからといって簡単に生活リズムが直るわけじゃないのも当たり前である。
12/23-1/2まで南仏へ夫の両親と旅行。 去年南仏に二人で行ったときに、あまりの風景の美しさに夫が「親にも見せてあげたい!」と思い立って実現したのだが、現実は結構厳しかった。義両親はハワイなどにゴルフ旅行に行く事が多いので、お互い旅行慣れしていると思っていたのだが、日本語も通じる英語環境に1箇所滞在するのと、ヨーロッパ方面で周遊旅行をするのではずいぶん勝手が違ったらしい。姑はともかく、普段いろいろ仕切ることが好きな舅は、相手の言葉がさっぱりわからないことにかなり滅入った様子。パック旅行に比べるとずいぶんゆったりとした日程で回ったので、体力的には問題がないはずなのだが、気力が充実している日は1日おきぐらい。終盤は雰囲気に慣れてきたのか、「あっという間だった」「あと1週間ぐらいゆっくりしてもいいぐらい♪」などと上機嫌な台詞も出る。さすがにそれはコチラが持たないのであとは無事飛行機に乗るだけだと自らを励ます。 ところが、最後の最後でパリまでの国内便が雪で飛ばず、さんざ待たされた挙句に日本への帰国便を逃してしまった。やむなく空港内のホテルに予定外の延泊をすることに。実は帰国翌日には、私の方の親族と我が家で新年会をする予定だったのがやむなくドタキャンすることに。その旨実家に電話すると、「まーパリにいるの?パリは素敵ですかぁ?」と能天気な母の発言。パリといってもここは郊外の空港。窓からは滑走路しか見えないのであった。 日本の始業時間を待って、航空会社の日本オフィスと連絡を取ったりいろいろと手を尽くして翌日の便を確保したのだが、そうこうしているうちに舅が体調を崩してしまった。私自身も体調不良。が、こういうときに不思議と無駄にアドレナリンが涌いてくるタイプなので、空港でも機内でもめらめらと使命感に燃えて乗り切り、やっと帰国。 成田はまだ帰国ラッシュ前ですいていて、荷物もあっという間に出てきた。成田エクスプレスに乗り、駅から両親を見送ってこちらもタクシーで帰ってくる。道路がすいている割にタクシーが走りにくそうなのは正月ドライバーがいるせいか。やっと帰り着くと年賀状を回収し、荷物もそのままに早々に布団を出して寝る。これが日本のお正月の始まりである。
|