WELLA
DiaryINDEXpastwill


2003年08月31日(日) キャッチアップもろもろ

昨夕帰ってきて、早く寝よう寝ようと思いつつあっという間に時計は12時を回り、いったん寝たもののなんとなく寝付かれず。ああそういえばこれって時差ぼけなんだっけ、と思いつつごろごろしていたが、埒が明かないので3時ごろ冷蔵庫に残っていたワインを飲んで自分をだまして寝る。はっと目が覚めたら今朝の10時で、そのままボーっと洗濯機などを回し、お風呂に入り、出かける。今日はいつものメンバーのげりらオフと称して集まれる人だけ集まることになっていて、6人中4人集合。上出来。電車の接続が悪くやや遅刻。私が一番近く、かつ「けつかっちん」な人もいるのに申し訳ない。
普段あまり利用したことがないデパートのレストラン街へ。夏休み最後の日曜日だと言うのに、あまり混んでおらず。ややごたごたしたものの無事ランチにありつき「けつかっちん」なお方を無事見送って残り3人でお茶。日曜日にしてはやや行動が早いのかここでもスムーズに席が取れ、2時間ばかりおしゃべり。はー楽しかった。
その後デパートの催事場で、かねてから念願だったお櫃(ひつ)を購入。木曾方面の業者だそうな。うちはいつも2合ずつ炊いているのだが3合用が使い勝手がよさそうなのでそっちにする。同じ業者がお風呂に入れる檜でできた玉を売っていたので、ようこさんとslashさん用にそれぞれ一つずつ買う。楽しみにしててね。ってここを読む暇あるのか?>ようこさん
なんか急に来期何回か代講をすることになり、日程調整のメールを打ったりせわしない。それと平行して郵便物に目を通す。なんと私が旅行前にくらくらしながら払った国民年金は二重払いしていたらしい。どうも半年前の私は年度始めに太っ腹にも一括納入していたようなのだ。返還手続きをしなければ。ったく、いってくれよ半年前の私。
集中力がいつにもまして低下していて、狭い家なのに行った先行った先で違うことをやりっぱなしになっている。明日こそ元に戻さなくちゃ。


2003年08月30日(土) 帰国

定刻どおり成田着。隣の席の男性は眠っている間に席の私に方や腕が触れるのを恐縮しながら、結局空いている窓際の席も自分の荷物おき用に確保していた。彼の荷物が上の棚に大量にあるのを知っていたので、ベルト着用サインが消えるやいなやさっと席を立って自分の荷物をとり、そのまま前方まで歩いていく。空港でお土産を買う暇も気力もなかったので、圧倒的に身軽である。ドアが開く前にトイレも済ませ、さくさく降りて入国ロビーいきバスに向かう。
入国ロビーがまた大混雑。入り口で「ふぉーりんぱすぽー、ふぉーりんぱすぽー(foreign passport?)」と呼びかける係員のおっちゃんがいる。日本国パスポート保持者ととそれ以外のパスポート保持者を係員が分けているのだが、まるっきり日本人に見える中国・台湾・韓国の人とか、顔が西洋人でも日本国籍の人とか、いくつかとりこぼしがある。さんざ日本人の列に並んだ末に、パスポートチェックで外国人だとわかりもう一度並びなおす人もあり、大変。いったいいつになるのやら、と思いながらおとなしく並ぶ。若者はその間も携帯の電源を入れメールチェックに余念がない。さすが夏休み最後の土曜日である。地上係員に誘導された小学生ぐらいの子供達や家族連れが多い。今日帰国して明日の日曜はお疲れ休みにして、9月1日から学校や会社にいくのだな。空港の外にでるだけで1時間かかる。荷物は比較的早く出てきて、機内に持ち込んでいたサブバッグをしまう。私の横にいた老婦人も同じようにスーツケースを空けて荷物を整理し始めるが、添乗員に「税関を出るまで荷物はあけちゃいけないんですよ」と制止されていた。えっ!そうだったのか…。
税関ではあまりの荷物の少なさに拍子抜けした様子。「えーと、お仕事ですか?」と聞かれたが、きっぱりと「観光です」と答え、「どちらから?」という質問には「ロンドンから」、「どのくらい?」という質問には「1週間です」と答えたが、後から考えてみると全然正しくない答えだった。他のレーンでは荷物をあけさせられている人もいた。いまだかつて私はPCの電源を入れさせられた以外に、荷物をあけて検査されたことはないのだが、どういう基準(というか、怪しさ)で決まるのだろう。
成田エクスプレスの窓口は行列していて、リムジンも都内の渋滞がひどいようなので、のんびり総武線快速で帰ることにする。ちょうど逃した免税分ぐらい倹約かも。東京から地下鉄に乗り換え、20時間ぐらい座りっぱなしでさすがにうんざり。最寄り駅まで戻ってきて、夕食用にカップ麺とサラダを買って帰る。


2003年08月29日(金) 最終日

時間のたつのは早いものである。やや中だるみかと思われた今回の旅行も、もう終わりかと思うと名残惜しい。夜中に目が覚めてしまったので、こそこそと荷造りを終わらせる。これを朝出勤するJ氏の車に託して、その車で後ほど私をピックアップして空港行きのバスが出るところまで送ってもらうことにする。朝ご飯はちょっとしんみりする。J氏と二人で朝食の支度をし、ポリッジを食べ、シリアルを食べ、四方山話をしているとJ夫人がいつものように帰宅し、いつものようにJ氏はJ夫人の朝食の準備をする。
J氏が出勤した後、J夫人にIEの使い方などを説明するが、ネットへのダイヤル接続がうまくいかず、彼女に拒否反応が現れる。IEは止めて、いつものようにメールだけチェックすることにするが、メールの受取に異常に時間がかかるので、ほとんどパニック寸前。私は、多分Cから昨日の散策の写真だろうと思って、そのままにしておくように強く主張する。受信し終わったメールボックスを見ると果たしてその通りである。過去に一度ウィルスに感染したことがあるので、彼女は異常に添付ファイルを恐れるのだが、「私は添付ファイルは絶対に開かないわ」と豪語するわりに、メーラーはOutlook Expressだしプレビューはオンになってるし、心配しているだけであまり効力はないのだった。
お昼ごはんは、前ご近所だった日本人女性と近くのホテルで待ち合わせていて、それに合わせて家を出るといったら、J夫人も散歩がてら近くまで送ってくれるというので、雨が降らないうちに家を出る。裏道を通って街の中心部までぶらぶら歩く。ガイド独り占めの贅沢な散歩である。大学図書館に行くと地図の展示をやっているというので、それも見る。それから世界一美しいといわれるClare collegeの庭を歩く。J夫人の思い出話によると、10年ほど前に今は亡き元庭師にこの庭のコンセプトを聞いたことがあるそうだ。それによるとケム川に近いほうには赤やオレンジの暖色を、川から離れるにしたがって淡い色の花を配したらしい。なるほど今でもそれに則って植えられている。時間が来たのでここでお別れ。再会を誓って彼女は家へ帰っていった。
約束の日本人女性は、時間通りにホテルのロビーで待っていてくださった。今回はなかなか日程が合わず、こんなにぎりぎりになってしまって…といいながらランチ。彼女はだんなさんが英国人なのだが、もう高齢になってしまってすっかり出不精になり、日本はもちろん近場に旅行する気にもならないらしい。彼女はまだまだ元気だが、かといって一人で旅行するわけにも行かずなかなか大変だという話を聞く。普段手紙のやりとりをしているわけでもなく、こうしてたまに会って1〜2時間おしゃべりをするだけなのだが、特に今回は会話が弾んだ気がする。利害関係がない私と日本語で話して少し気が晴れたのならいいなと思う。
J氏がピックアップに来てくれて、彼女とも挨拶を交わし車に乗り込む。街中は一方通行で回り道をしなくてはならない上に、週末で交通量が多く、やっとバス停までたどり着いたのは出発時間5分前だった。バスはもう到着していて、荷物を降ろして別れの抱擁をする。ほっぺたにちゅっちゅとして、唇にも(!)。年配の英国人は、友達や兄妹でも本当に親密な間柄を表現する場合は唇にキスするのは目撃したことがあるのだが、なるほどこれか!と思う。知らないとすごくびっくりすると思う(知っててもびっくりしたし)。バスに荷物を預けて気づいたが、実は出発時間を10分遅く覚えていたので、あやうく乗り遅れるところだったのだ。さっき車で通ってきた道をまた苦労して逆行し、郊外のPark&Rideを通って高速に乗る。去年もそう思ったのだったが、はじめからPark&Rideに送ってもらえばもっとラクだった。バスが順調に走りだしたところで寝入ってしまう。
しばらくして目が覚めると、大渋滞にはまっていた。いったいどこなんだろう?ときょろきょろしているとやがて次の停車ポイントである郊外の空港に向かっていた。何人かが降り、何人か乗ってくる。バスは断続的に走り、徐々にヒースローに近づくが、そこまでもう一度停車ポイントがある。これはケンブリッジの人が「何であんなところに止まるの?ばっかみたい!」と言っているところで、確かになんのためにそのロンドン郊外のその街に止まるのかよくわからない。一ついえるのは停車ポイントが増えるとその分街中を通る時間が長くなり、渋滞に巻き込まれる可能性も高まるということである。そのばっかみたい!な停留所からは老婦人が一人のり、いよいよ一路ヒースローへ向かう。が、なかなか手ごわい渋滞である。ほとんど止まっている時間すら出てきた。大体2時間半の道のりでうまくすれば2時間でつくのだが、渋滞を見越して1本早い便(旅程3時間)を見てこれである。結局ケンブリッジからヒースローまで3時間半かかかり、ついた時には出発時間1時間半前になっていた。まさか乗れないということはないのだが、出発前に免税の手続きもしなくてはならずあまり余裕はない。
チェックインを済ませて免税カウンターにいくと、すごい行列である。並んでいるのは、チャドル姿の女性とか、金ぴかの指輪をしたインド人とか、台湾・韓国あたりの家族づれとか、スーツケースをカートに山積みにしたスーツケースと束になった免税書類を携えてずらーっと並んでいるのである。税関の職員は4人。事前チェックのおにいさんが一人ついていて誘導しているのだが、全然はかどらない。私の免税書類はたった1枚、返還額は数千円である。30分ほど並んでやっと列の半分まで来たが、あと30分で登場開始時刻である。じりじりと待っているとやっと手続きを終えた日本人の若い女性二人組みが「あー、間に合わないかと思った」といいながら笑顔で出て行く。うらやましい。
数千円のために飛行機に乗れなくなってはしゃれにならないので、結局、タイムアウト。搭乗口までは10分〜20分かかるというし、免税店で買い物をする気力もなく、まっすぐに搭乗口まで向かう。当然時間があまりまくりなので、J夫妻に電話してみる。1ポンド硬貨しかなく、通話時間が余ったので、NEXT CALLボタンを押して次々に電話して何人かに別れを告げる。
搭乗したのはほぼ最後。私の席は早めに確保したすっちー待機席の正面通路際。別にすっちーとお友達になりたいわけではなく、ここだと前の座席がなくてラクチンだからだ。席に向かうと3人がけのうち真ん中に足を伸ばして座る、ちょっとあんちゃん風のダブルのスーツにノータイ黒いシャツの若い男性。メガネはやや色つき。窓際の席も空いているのに頑として動かないつもりらしい。上の荷物棚を開けるとすでに荷物がぎっしり。一人分でこんなに埋まるのか、と思う。ずいぶん神経質な人らしくスーツのしわを気にしたりしている。私が無造作に機内用のスリッパを取り出して履くと、彼も思い出したらしく上の棚から真新しいスリッパを出してきた。そして真新しい耳栓をして、出発が近づくと薬用石鹸ミュ○ズのウェットティッシュで念入りに体を拭いている。ひー。食事のサービスが始まると落ちつかなげに立て続けにビールを飲む。隣の空席のテーブルも引き出し、つぎつぎと使い終わったりからになった食器をきちんと並べていく。ひー。食事が終わると歯を磨きに席を立ち、戻ってくると薬を飲んで寝る体制に入った。睡眠薬か?旅慣れてるんだか慣れてないんだかよくわからない人である。隣の人のことは極力考えないことにしよう。
機内アナウンス。私の席からは見えないが、窓から大接近中の金星が見えるらしい。


2003年08月28日(木) あれ〜?今日は誰も遊んでくれないの?だった日。

なぜか今日はみんな忙しいらしい。ロンドンにいってたり、親戚が訪ねてきてたり。お世話になっているJ夫人も今日は午後から仕事だという。一人でぶらぶらするのも悪くないので、ケンブリッジ郊外の小さい街にバスで行って見ようと思っていると、J氏が午後から付き合ってくれるという。その前に彼の勤務先のコレッジのランチに行くプランを提案してくれたので、ありがたくお申し出をうけることにする。ケンブリッジ大学のコレッジでは(もちろんコレッジにもよるのだろうが)食事の時間は構成員が一同に介して、意見交換をしたり消息を聞いたりする大事な交流の場であるようだ。「彼は序くじの時間になればコレッジに戻ってくる」とか「最近食事の時間に見かけないけど…」などという会話が日常的に交わされている。
午前中に中心街をうろついて、約束の時間にJ氏のコレッジを訪ねる。受付の女性に話を通していてくれたので、名前を告げるとすぐに取り次いでくれ、受付で世間話をしながら待っているとJ氏が現れた。食事の前にちょっと敷地内を散策する。ここはいくつかあるコレッジの中でも比較的新しく、他の伝統あるコレッジに比べると圧倒的に保有する土地が少ないので、コレッジ間で土地の売買をしたり、地元住民の土地・建物を寄贈してもらったりして、現在土地取得に動いている最中である。コレッジ間で土地を売買するときは、一つの大学の元にある組織にも関わらず市値なのだという。独立採算制である。
それからいよいよ食事の時間。ここは一度でも構成員になるといつでも戻ってこられるという非常に家庭的なところである。初対面でもお互いに紹介しあって食前酒を楽しんでいる集団がいて、そのうちの一人が私たちの前を通りすぎるとき、話かけてきた。非常に高名な学者らしい。静かな話し振り、浮世離れしている。私にスープをよそってくれたり、いろいろ話しかけてくれるのだが、一言も聞き取れない。それでも顔の表情を見て「ふーん、ふん」とか相手の笑顔に合わせて笑ったりする。ランチに来ている人達もみんな浮世離れしている。これに比べると日本の大学はかなり浮世に近い。
隣の街に行く時間が心配なのと、これ以上聞き取れない会話の中にいるのもなんなので、食後のコーヒーはパスさせてもらう。車で隣街St.Ivesへ。クロムウェルに縁のある川が流れる美しい小さな街である。駐車場が1時間しか止められないので、1時間以内に観光。帰りに英会話の個人レッスンを受けていた先生のところへ寄ってもらう。夫も同じ先生についていたのだが、すっかりあの当時の発音を失ってしまったので敵前逃亡してしまった。ケンブリッジは大学関係者が散らばって住む狭い街で、J夫妻とも古くからの知り合いなので、そのままJ氏ともどもお茶を出してもらっておしゃべり。先生から不慮の事故死の話を立て続けに2つ聞く。さすがに描写がわかりやすく的確なので、くっきりその場の状況が目に浮かんでしまう。
予想外にいろいろと体験できた1日だった。夜、浴衣を着る。今度は帯の裏を使って白。帯の結び方とか、浴衣の特徴とか説明する。とても喜んでもらう。しばらくするとアメリカにいるJ夫妻の息子さんから電話がかかってきた。ロンドンで大規模な停電があったので、誰か動きが取れなくなっているのでは?と安否を気遣ってきたのだ。
J夫人が「なんで私達が知らないのに、アメリカから電話が来るかしらねぇ」といいながらテレビをつけると、地下鉄が全部止まっているらしい。「人々は雨の中なすすべもなく彷徨っています」というコメントとともに、そのままの映像が流れてきた。うわー、大変。


2003年08月27日(水) 遠足

J家で一晩過ごし、午前中はやや低調。血圧ひくーいという感じだが、なんとかごまかして庭を散歩したり。今日はJ家にCとJeがそれぞれ食べ物を持って集まり、ランチ(彼女達はpicnicと呼んでいる。別に外で食べなくても食べ物を持ち込んで食事をするのはpicnicというらしい。公共の場でも「NO PICNIC!」という張り紙を見ることがある。)。その後グランチェスターに歩いていくという「お決まりのコース」の予定である。
ケンブリッジの中心部からケム川沿いに南へ20分ほど歩くと、あっというまに野原が広がり、さらに野原を行くとグランチェスターという小さな村になる。古い教会や農場があるのどかな村だが、偽証罪で収監されたジェフリー・アーチャーの屋敷があったり、その隣にはオーチャードという名前のりんご園に囲まれたティーハウスやその近隣にはパブが何軒かある。ケム川をボートで行くもよし、サイクリングよし、歩いても1時間足らずなので、グランチェスターに行ってお茶や食事をして帰ってくるというのは、ケンブリッジのお手軽な遊びの一つである。
ランチに備えて浴衣に着替える。実は彼らは3人とも日本に行ったことがあり、着物も体験済みなのだが、浴衣というのは案外盲点である。簡単に着られて雰囲気もいいので大変喜ばれる。写真を撮るというので、それらしくポーズをとると、新潟在住経験者のCが「さすが」と笑う。彼女はすごく高い着物を貸してもらって、写真館で撮影したことがあるらしいのだが、ただ仁王立ちに突っ立ってただけで友達に怒られたという。「着物を着てからトイレに行きたくなっちゃったのよ。でも友達にその着物の値段聞いたら恐ろしくてトイレに行けなくなっちゃって、写真撮る間ずっとトイレのことしか頭になかったのわ。」と言った。他の人達も豪華な着物を着付けてもらったらしく、着物=豪華=高いという恐れがあるらしい。
彼らの話は、世間話になってしまうとさっぱりわからない。ただその場にいてニコニコ笑っているだけなのだが、時々私に関連する話題が出ると突然「そうよね!」と話を振られる。私が何かを言おうとすると固唾を呑んで私の言葉に聞き入るのでプレッシャーでもある。ハムとかサラダとかパンとか、Jeの家の庭からもいできたグリーンゲーブル(green gable)の実とか、別に張り切ったご馳走ではないがわいわいと食べる。昨日Cが「うちトマトがすごくたくさんなってるからもってくわ!」と言っていたが、実際笑ってしまうほどたくさんあった。
その後、遠足に出発。午後から雨が降るかも知れないという予報だったが、私が晴れ女なのか、青空が広がってきた。住宅街を抜けて野原へ。その先はほとんど一本道なので、とりとめのないことを話したり、牛を眺めたりする。この時期はブラックベリーがたくさんなっていて、摘みに来ている人もたくさんいる。いいところだよなぁとしみじみ思いながら歩いていると、J夫人が後ろから呼び止めた。Dが現れたと言う。忙しくて今回は会えないと思っていたのだが、たまたま彼女も孫娘とアイスクリームを食べにオーチャードまで行くことにしたという。小さい街ケンブリッジらしい出来事である。孫娘をつれたDに「じゃ、私達は先に行くと思うから」といったん別れの挨拶をして先に進むが、こっちは白鳥の家族連れをじっと見たり、話をするために立ち止まったりするので大幅に遅れ、オーチャードに着いた時には、Dたちはすでにアイスクリームを買って席を探しているところだった。
おなかが一杯なので、全員リプトンの缶入り(といっても紙製)フレーバーティーにする。ジャスミン入りとか緑茶入りとか朝鮮人参入りとかいろいろな種類がある。イギリス人は相変わらずアイスティーを飲まないらしく、冷たいお茶と言うとこのように甘みや香りがついたモノになってしまうがなかなかおいしい。去年あたりまで日本人が目に付いたが、今年は中国人の留学生が圧倒的に多い。一人っ子政策の影響か、みんな贅沢な格好をしている。
しばらくのんびりおしゃべりをして、また帰路につく。敷地の中にグリーンゲーブルの実がたわわになっている木があり、一つもいで食べてみる。甘い!今度はCは植物好きらしく、木の実や種や葉っぱを片っ端から採集しているのでなかなか先へ進まない。JとJeはいちいち立ち止まりながら話をしている。Cが「あたし気づいたのよ。年取った女性ってちょっと大事な話だとすぐ立ち止まっちゃうでしょ」と小声で言って笑う。来年もケンブリッジに来るか?とCに聞かれ、まだわからないと答える。いずれにしても8月のケンブリッジはちょっと飽きてきたので、今度来るとしたら秋から冬にかけた時期に来たいというと、「今度はうちに泊まってね」と言ってくれる。多分再来年だなーと思いながら喜んでおねがいする。
Jの家近くに戻ってきてもまだ採集と立ち(とまり)話は続き、家に帰りつくと6時になっていた。J氏も帰ってきている。今日は来てくれてありがとうまた会いましょうね。とJeとCに挨拶すると、Cが「来年彼女は秋か冬に来るんだって!で、今度は私のとこに泊まるのよ!」と高らかに宣言する。あれぇ、来年来るとは言ってないけど、まだ未定だけど…と思っていると、J夫人が「まるで(チェスの)キングみたいね」といって笑った。確かに来るたびにそのコミュニティの誰かの家に泊まっている。
J夫人は疲れも見せずあっという間に食事の支度にとりかかる。J氏は食前酒のシェリーを勧めてくれるが、それともサケにする?と聞いてきた。お土産の清酒があるので「電子レンジでお燗」というのをやってみたいらしい。小さいグラスに入れて、多分5secぐらいかな?というので、ご冗談を!そんな長いことをやっていたら大変なことになる!せいぜい1か2ぐらい!と主張。日本人がそういうのなら、とスイッチを入れるや否や終了。2にしても終了。ハッと気づく。完璧にsecondsとminuitesをとり違えていた。というわけで「15秒ぐらいです。」と訂正し、上の方だけ温まっているはずなので何かマドラーか何かでかき混ぜて、とアドバイス。J夫人に聞くと「マドラーはなくてこれしか…」といって出してきたのはなぜかアルミ製の7cmほどの釘。いったいコレは??
warmed sakeが出来上がり。安いお酒は熱燗でもいいけど、上等なのはぬる燗で…とか薀蓄を垂れる。J氏は去年日本に行ったとき泊まった家で、燗酒を初体験していたく気に入ったらしい。うちには専用の容器(とっくり)がないのでできないのかと思っていたがこれで自分でもつくれる、と喜んでいる。「グラスに入れて15秒、そしてあとはアルミの釘でかき混ぜるんだね」と再確認していた。


2003年08月14日(木) 誕生会など

事前に特別メニューを予約しておいた、近所のファミレスで兄の家族と両親とで待ち合わせて父の誕生会と言う名のランチ。メニューは2段重ね和弁当。さすがに予約注文だけあって材料も調理もよくおいしい。値段も安いし気楽でいいかも。予約の時ちょっとした行き違いがあったので、店長自ら挨拶に来てくれる。扱いも丁寧。たまたま担当したウエィトレスさんもよく訓練された気の利いたお嬢さんだったので、ますます高感度アップ。
大満腹で家に戻り、お茶を一杯でくつろいでもらい、3時過ぎに流れ解散。階下まで送りがてら私達も駅前まで買い物に出る。いままで行ったことのないところまで足を伸ばして初めてのスーパーに入り、お向かいの喫茶店に入る。マスターが一人いて調度品も渋めで落ち着いた雰囲気なのだが、違和感があるのは店内が妙に広いことだ。これで広さが半分ならさぞいいだろうと思う。カフェオレを飲んだがおいしかった。このあたりははずれで賃料が安いのか、通り沿いに明るい内装の広い美容院を見つける。外から観察するに、スタッフがてきぱきと働いているようなので、今度はここに行ってみようかと思う。
今日の発見:だだっ広い喫茶店は間が抜けている。美容院は広いほうがよく見える。


2003年08月13日(水) 「怠け者の節句働き」

相変わらず「Re:トリヴィア」メール届く。昨日思い出した最後の仕事もなんとか終わらせて添付メールで送信。しかし何時間かかってるんだろう。現実逃避で最近知ったWeb日記の過去ログを読んでいると、「怠け者の節句働き」という言葉を見つけた。今まで知らなかったが、まさに今の私の状態を示している言葉である。昔も今もこういう人は多いということだな。普段からちゃんとやってないからこういうことになるのだ。フランス語の復習も全然やってない。
西○警察のロケ事故の話。プロダクション社長が怪我人の病室をそれぞれ回って土下座して謝ったという。わざわざロケを見てたぐらいだから被害者も西部○察が好きな人たちだろう。いきなり団長に土下座されたら舞い上がっちゃうかもしれない。記者会見にしても前日のプロダクションの番頭(支配人か…)と監督のすれたものに比べると、やはり観られることを意識した振る舞いだったと思う。放映中止はもったいない話だ。どうせ見ないけど。
もうすぐ旅行に出かけるので、新聞や生協の宅配を止めたり、ベランダを掃除したり。冷蔵庫の中身もだんだんさびしくなってきた。朝は昨日のお寿司の残り、昼は一食分だけ残っていた焼きそば(具はキャベツとベーコン)。夜は素麺と冷奴。両方とも薬味は茗荷。残る野菜は大根ときゅうりだけだ。がんばるぞ。おーっ!


2003年08月12日(火) こんなことって…。

今日こそは終わらせるぞ!の最終日。午前中うだうだしていたらあっという間にお昼近くなり、相変わらず「Re:トリヴィア」メールが飛び交う中、なんとか形にして添付ファイルで送る。終了間際にPCのデスクトップを見たら仕掛中のものがもう一件残っていたのを思い出したのだが、それはひとまず夜に回してちょっと開放感を味わってみたくなった。
何を隠そう私は、日々なんとか出かけずに済む方法はないか考えているほどの出不精である。以前からサンダルが相当くたびれて(というよりすでに死に体)いて、近々旅行に行くことだし(旅行は行くのね)買い替えなくてはと思って先延ばしにしているのを、今日こそ解決しようと思い立った。靴のメーカーは気に入っているところがありいくつか独立店舗を構えているのだが、今まで行っていたところは実家からは近いが今の家からは遠い。Webで場所と定休日を調べて、家から比較的近いターミナル駅にある店舗に行くことにする。ここは非常勤先Bに行く途中でもあるのだが、乗り換えに利用することはなく、途中下車するほどの気持ちの余裕がないのでいつも素通りである。今のうちに探検しておくかという気分になり、ついでにMUJIとダイソーがあることを確かめ、身支度をして出かけることにする。ふと思い立って電車やバスに乗るなんて私にしては画期的である。
家の近くからバスに乗り、途中で乗り換えて目的地へ。意外と時間がかかる。駅を降りてちょっと探すとすぐに看板が見つかった。2〜3年前にこの辺をたまにうろついていた頃はなかったのに…と思いながら近づいていくと休み!張り紙を見ると、今日からお盆休みだそうだ。しかもこの春からお盆休み以外年中無休になったのだという。ああああー(泣)、この私がっ!この出不精の私がっ!わざわざ定休日を調べてきたと言うのにっ!うう(涙)、昨日来ればよかったのか!!おととい来れば!?いっそ台風のさきおとといにっ!!!…(-"-)。
一気に脱力。そういえばお昼を食べていなかったことを思い出して、近場のカフェに入ってロールケーキのセットを食べる。それからよろよろと歩き出して、ダイソーとMUJIへ。先週まであんなに私の中でHOTだったのに、どちらも全然ほしい物がない。交通費の元をとるぐらい私の心を打つ商品はないのか!?いくつか手にとって見るが、まったくアンテナが反応しない。ぐずぐずしているうちに暗くなってきたので帰ることにする。せっかく出かけてきたのに一つも買い物しないのも癪なので、デパ地下で夕食用に折り詰め寿司を2ケ調達。閉店間際で各200円引き。気持ち交通費分充当という感じ。
家に帰ったらこの前解約した外貨預金の計算書が届いていた。為替差益分を合わせて年利10%ぐらい。えらいぞ>私。





2003年08月11日(月) いいのかこんなことで。

現実逃避、ここに極まれり。ついにブックマークの整理を始める。今のマシンになってから適当にブックマークした分と、前使っていたPCからインポートした分と、出先で適当にブックマークした分とを統合して、リンクが切れたり、もう見なくなったのを整理したら、すっかり使いやすくなったので、再巡回してしまう(←ばか)。
午前中は、溜め込んだ国民年金と国民健康保険の支払いに郵便局へ。定額貯金を解約した分と、郵貯からおろした分と現金を足して払うと、目の前がくらくらして喉が渇いてきた。私の稼ぎは配偶者扶養控除対象額を毛が生えたぐらい超えているので、すごく損している気分。この間の検診通り満点近い健康体だし、将来自分が年金もらえるかどうかわからないのに。検診は国保で受けさせてもらったくせに。これならそこそこ働いて扶養家族になった方が割がいいという理屈が通るのがよくわかる。まあ、お上に納める稼ぎがあるというのは恵まれているということでもあるのだが(と、すぐにまとめに入るところが我ながらいやらしいと思う)。これに限らず、日本の行政は何か釈然としない。画一的に押し付けられるかと思うと、妙にたくさん例外があったりしてわかりにくい。小泉政権の痛みを伴う改革は痛いだけは弱者に全然優しくないというし、どうなっていくのかねぇ、この国は。
午後は、家具の業者さんが調整に来る。何度となく顔をあわせているので、軽口をたたきながら仕事をして楽しい。2時間ほど作業をして帰っていった。あとは請求書を待つだけである(恐)。
夜は懸案の仕事に。まだ終わらず。よーし明日こそ。


2003年08月10日(日) 塵も積もれば。

文字通り台風一過の晴天。今日こそは仕事@オフィシャルを片付けるぞ!と決意するものの、あら不思議、どんどん部屋が片付いていくではありませんか。ダメだよ現実逃避しちゃ〜と思いながらも、部屋を片付けると言うのも優先度高めなので、乗り移られている間に(何に?)だまって部屋を掃除。この前買った浴衣のために腰紐やら帯板やらを実家から持ち帰ったので、それの収納場所を考えているうちに、はっ!いつの間に浴衣に袖を通して、鏡の前でポーズをとる私。こんなことじゃだめだ〜(涙)
一段落したところで資料を広げるも、週末恒例スポーツクラブに行く時間が迫り、中断。これで運動して帰ってきてご飯食べたら後は気力が続かない。明日こそ仕事するぞ。だらだらしてるからいつまでも終わらないのは百も承知さ。
お盆休みだというのに、合間に仕事場その3のスタッフ用メールアドレスにがんがんメールが届く。といっても件名はすべて「Re:トリヴィア」。トリヴィア投稿用のネタを探すMLと化している。休み明けに初めてメールボックスをあける人は、ぎっしりたまった未読メール「Re:トリヴィア」に仰天することだろう。


2003年08月09日(土) 「八月がくるたびに」

長崎の原爆忌。テレビで記念式典の様子を見た。
聾者の老婦人が手話で原爆体験を発表する。年長の人たちが使う、伝統的手話と言われる演劇性に富んだ表情豊かな手話である。小柄な身体を目いっぱい動かして、全身で核兵器の悲惨さを訴え、これからもなくなった多くの聾の仲間の分まで語り部として後世に体験を伝えていくと誓いを述べた。手話通訳がついていたが、おそらく全ての人の目が彼女に釘付けになっただろう。
続いて城山小学校の児童による合唱、「子らのみ魂よ」。爆心地に近いこの小学校では全校児童のほとんどが犠牲になったのだという。平易なメロディに載せた美しい歌詞が胸に迫る。歌が終わって涙が流れるに任せておくと、内閣総理大臣の挨拶になった。よどみなく読み上げる文章のなんと空々しく響くことか。
小学校2年生の夏休み、長崎の原爆を描いた「八月がくるたびに(おおえひで作・しのはらかつゆき絵)」という本の読書感想文で、賞をもらったのを思い出した。ついでにいうとそれ以降、読書感想文と言うと力んでしまってうまく書けなくなった。多分主人公のお兄さんが通っていた小学校はここがモデルなのだろう。挿絵の作者が、くまさんこと篠原勝之だというのはもちろん後から知った。銅版画の挿絵は子供向けだと言うのにちっとも可愛くなくて、ハッピーエンドでもなくて、それでも何度となく読んだ記憶がある。あの時の感想文には、本を読むたびに涙が出そうになるけれど、涙が一滴も出ない、それは私が本当の戦争を知らないからだと思う、という主旨のことを書いた。父は「なみだがいってきもでない」という表現が面白かったらしくずいぶん私をからかったが、今読んだらきっと滂沱、滂沱で止まらないだろう。今もってなお、戦争の悲惨さを本当に理解しているとは言えないのだが。
「八月がくるたびに」は一度絶版になり、今は復刻版が出ているそうだ。表紙の絵は昔よりきれいになっている。




2003年08月08日(金) 自分のために

今年の甲子園に義足の選手が出ているそうである。日経の夕刊の記事で読んだ。普段の練習も健常の選手と同じようにこなし、実力もトップクラスなのだという。当然反響は大きく、「希望を持てた」という便りなども届くらしい。それに対して彼は、「同じような境遇の人に何かを感じてもらえたらいいけど、そのためにやっているわけじゃない。(野球が)好きなんです。」と話したと言う。野球をやっているのは何かを克服するためでも、人にがんばる姿を見せるためでもなく、ただ自分が好きだからやっているのだ。この当たり前の答えを私はすごく気に入った。「そうでなくちゃ!」と思った。
「障害のある人だってこんなにがんばってるんだから…」とか「勇気をありがとう」とかいう論調が私は好きになれない。好きになれないというよりは大嫌いだ。某局の24時間テレビでタレントが走る。「こんな私が走ることでみんなが勇気をもつことができたら…」なんて言いながら「人のために」走って、なぜか終了時間ぎりぎりに感動のゴールを果たす。この人たちは芸能活動の一環として走るわけだから、これをみて感動する人は大いに感動すればよろしい。
しかし、障害を乗り越え何かに挑戦する人を番組内で取り上げ、障害のある人でもこれだけできるのだから、(健常者である)我々はもっとがんばらないと、とかいって感動の涙を流したりするのはいただけない。勝手な解釈を加えてそれを押し付ける、何様のつもりかと思う。誰かの生き方を見て感動したり発奮したり自らを省みたりするのは勝手だが、障害のある人は他者を感動させるために何かに取り組んでいるわけじゃない。自分のためにやる。自分が楽しいからやる。それでいいじゃないかと思う。


2003年08月07日(木) 「むしゃくしゃ」は理由になるか。

最近「むしゃくしゃしたから」という理由で、通りがかった人を刺したり、器物を損壊したり、という刹那的な犯行が後を絶たない。犯人が捕まると「むしゃくしゃして」と新聞の見出しにも書いてある。そもそも「むしゃくしゃ」とは何ぞ?と思ってgooの国語辞典で調べてみると、以下のようにある。

むしゃくしゃ 1

(副)スル
(1)腹立たしくて心が晴れないさま。「仕事がうまくいかなくて、―(と)する」
(2)髪などがもつれ乱れているさま。もじゃもじゃ。「―した髪」「髯(ひげ)―の口を開いて/社会百面相(魯庵)」

三省堂提供「大辞林 第二版」より

ちなみに[ むしゃくしゃ ]の検索結果 87件 ( 19ホスト ) 2003年08月09日 0時42分現在 である。このままでは「むしゃくしゃ」は今年の流行語大賞にノミネートされてしまうかもしれない。
それはさておき、この手の事件のやりきれないところは、誰も救われないところにある。いわれなき犯行の被害者はもちろん、加害者も「むしゃくしゃ」した気分が晴れるどころかより深い闇へと落ちていくだけである。そして加害者が検挙されたところで、氷山のごくごく一角が取り除かれただけで、何も解決されていない。通り魔的犯行に理路整然とした原因などはないので、とりあえず「むしゃくしゃ」が理由ならば「理由になっていない理由」がついたような形になってなんとなく通ってしまうが、その「むしゃくしゃ」の影にいかに多くの要因が複雑に絡まりあっていることか。彼らは数年後にはむしゃくしゃした気持ちを抱えたまま、何も改善されずに再び社会に舞い戻ってくるだろう。彼らをとりまく社会が悪いのか。そして社会の一構成員である我々には何もすべがないのか。


2003年08月04日(月) ぐ〜。

やらなくてはいけない仕事があと一つ残っているのだが、それから逃避して片付け物へ。それも逃避して昼寝へ。途中で猛烈に頭が痛くなりまた横になる。なにやってんだか。寝過ぎかも。冷蔵庫の奥のほうで干からびている数ヶ月前の納豆とか、とりあえず冷凍して何年もたった糠床などを処分。処分と始末は違うのだ。きちんと始末できるオトナになりたい。
キッチンにキャビネットを新しく入れたのを機に収納も見直す。引き出しの中もひっくり返して整理。どうもこまごました片付け物に走る傾向があるので、見た目はあまり変わらないが、さすがにちまちま片付けが何日も続いたので、今日あたり新たなパラダイムに突入した模様。
テレビをつけると、半年で50kgのダイエットに主婦の挑戦をやっていた。血のにじむような努力を続け、家族や周囲の助けで停滞期を乗り越え、最後1ヶ月で10kg落としてスタジオ中涙に包まれる感動的なラスト。感動的なラストはいいのだが、なんで50kgもの「落としていいもの」がついていたのか不思議。彼女は、だんなさんがスリランカ人で、脂っこいスリランカ料理を食べ続けたおかげで60kg増えたというのだが、だんなさんはやせている。私も15年前に比べると10kg増えているので、10kg,20kgは当たりまえーという気がするのだが、そんな体重になるまで食べ続けられる人は、逆の意味で意志が固いような気がする。


2003年08月02日(土) 夏の日の

アマチュアオーケストラの定期演奏会。アマチュアといっても各大学オケ出身の、卒業後まだ情熱覚めやらぬ人々が集っているので演奏も水準高し。チケットを2枚いただいていたので、夫を誘って出かけることにする。てっきりマチネーだと思っていたら、前夜になって夜7時スタートだと言うことがわかり、調子が狂う。
時間ができたので、午後3時ごろ家を出て近所でラーメンを食べ、新宿へ出る。デパートをはしごして母に頼まれていた買い物や母に頼まれていた買い物(^^;を済ませ、夫をスタバにおいて無印良品に駆け込んで収納用品(またまた)を引っつかんで会計を済ませる。スタバで一服した後徒歩で会場へ向かう。ほぼ満席。聴衆はおそらくほとんどが団員の親とか配偶者とか友人なので、年齢層が三段階ぐらいの独特の雰囲気である。
このオケにはNEOさんも所属していて、開演前に託児受付として働いているNEOさんのところにふらふらと向かう。顔をあわせるのは久しぶりだが、NEOさんの普段の生活はなまじの親兄弟よりも深く知っているので特に言うこともなく、いやいやこりゃどうも的な間の抜けた挨拶を交わす。舞台上には何人か知り合いや知り合いの配偶者の顔も見える。
今日はベートーベンの4番とR.シュトラウスの「ドン・キホーテ」。ドン・キホーテは、ソリストにプロのチェロとヴィオラが入る。休憩時間中にセッティングが変わり、チェリストは指揮者脇に台がしつらえられてその上に、ヴィオラはヴィオラパートの第一奏者席にそれぞれピアノの椅子(背もたれつき)が置かれる。ソリストのステータスがピアノの椅子であるのが面白い。アマチュアオケだと、ヴィオラパートが主旋律を弾くとずいぶん幅広の音程になっているのが常だが(^^;、今回プロが第一奏者になったヴィオラパートは、朗々と歌い上げていて大変結構だった。アンコール曲は用意していなかったらしく、最終章をもう一度演奏した。これが本当のアンコールだよな。帰りにまたNEOさんの顔を見て帰る。耳元と胸元にお手製のビーズアクセサリーが光っていた。
特に空腹だったわけではないのだが、終演後つい途中で食事に入ってしまい終バスを逃す。家まで1時間半ほど歩く羽目に。


れいこな |MAILBBS