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肌寒い朝。 秋物を引っ張り出して着る。道端に、金木犀が咲き始めている。つい十日前には「浴衣で披露宴に行きたいぐらい」などと軽口を叩いていたのが嘘のようである。 前の会社(と、その前の会社)で一緒だった女性の先輩とランチ。私はフランス語教室の帰り、あちらはお茶のお稽古の帰りで着物姿。と、これだけ書くとマダムの「おランチ」のようである。実際はドリンクつき税込1200円ちょっとのパスタセットと、場所を移してアイスクリームスタンドでカップ入りバナナサンデー380円なり。強風で洗濯物の行方を気にする彼女と4時前に別れて帰宅。 帰路バスに乗っていると、車椅子の老人がバス停で待っていた。こういうのはバス会社に事前に連絡をするのだろうか、運転手さんが「車椅子のお客様がお乗りになりますのでしばらくお待ちください」といって降りていった。実は、 バス停手前のゼブラゾーンにワンボックスカーが停車していたせいで、バスはずいぶん歩道から離れた位置に斜めに止まっていた。バスから鉄板折りたたみ式のスロープを出しても、歩道に届かない。一度運転席に戻って切り返しをするが、あまり功は奏さなかった模様。歩道の段差を避けるために運転手さんが車椅子を押してぐるっと回ってきた。バスの乗客が見守る中、スロープに乗せるがうまく方向転換ができない。小柄で軽そうな老人なので、抱き上げたほうがはやそうだと思って見ていたら、そこへ「手伝いましょう」と中年の男性が進行方向後ろから近づいてきた。運転手さんは初めのうちは大丈夫ですといっていたが、結局男性の力を借り、二人で車椅子を持ち上げてあっという間にバスの床に乗せた。ついで運転手さんは、車椅子用のスペースにある座席を折りたたんで、老人用の場所を確保する。その中年男性は、その作業が終了するのをバスの外から見届けると軽く挨拶して去っていった。 男性の姿を目で見送ると、バス停手前に停車中のワンボックスカーへと戻っていく。ありゃ。そもそもあの車がいなければあんなに作業は難航しなかったのでは?罪滅ぼしか?それともまったくのイノセンスか? そんなこんなで家につくまで意外と時間がかかった。マンションのエントランス周辺には金木犀がむっちり香っていた。
朝一番に、いとこいさんのいとしさん死去のニュースが入る。あいたたた…。 晩年の枯れたしみじみとした面白さがよくて、いつまでも長生きしていただきたいと思っていたのだが、こればかりはいたしかたない。今日は一日家にいたので、午後から放送されたこいしさんの会見も見る。いとしさんの死去が明らかになった昨日は、なじみの宿屋で一人静かに過ごしていたという。密葬には舞台があって出席できなかったそうだ。ときおり「ごめんなさい」と言いながら涙で声を詰まらせる。辛いだろうなぁ。 ところでここや、ここ などの複数のソースによると、今北米ピッツバーグの日本人コミュニティでは日本食からジャ○ニカ学習帳まで扱っていた「東京商店」の突然の閉店の話題でもちきりだそうである。初めからないと思えば乗り切れたであろうことも、今まで当然あると思っていたものが突然なくなる不便。地元の人達にとっては切実な問題だろう。この日記を読んでいるどなたか、ピッツバーグに行って「横浜商店」でも開店しませんか。今なら驚異的な売り上げ間違いないでしょう。
小百合さん出演の液晶テレビのCMを見る。http://www.sharp.co.jp/products/cm/tv/tv64.html 「もういちど、テレビに集まる、家にしよう。」というキャッチコピーが流れる。やっぱりこの人きれいだなー。と思いつつ、そりゃ無理だろう、と思う。昔は日曜日は家族みんなでサザエさん見てNHKにして、ご飯食べて連想ゲーム見て、8時にはそろって大河ドラマ、なんて生活もあったけど、今はありえない。家族に個室があってテレビがそれぞれにあるから、とか個々の好みが多様化してテレビ以外の楽しみが増えたから、とか諸説あるが、それは偏に圧倒的に面白い番組がなくなってきたからではないか。そしたらいくら小百合さんががんばってかっこいいテレビを売っても、肝心の中身が面白くなかったら誰もテレビには寄ってこないと思うのだ。ソフトを補って余りあるハードというものも存在するかもしれないが、居間に家族がそろって、番組抜きですばらしいテレビの映像と音だけをニコニコ楽しんでいたら、それはそれでトワイライトゾーンみたいで怖いと思う。
あっというまに9月も終わりである。 暑さ寒さも彼岸までというが、残暑も暦どおりぱったりとやみすっかり秋空が広がっている。特に予定もないのでのんびり起き、午前中夫をそそのかして掃除機をかけてもらったり、ごみを出しにいってもらったり。私の方も平行して隅々までダスキンをかけたり拭き掃除をしたり。最近髪の長さがセミロングなので、床に落ちている髪の毛が気になる気になる。抜け毛の季節か。超簡単なめ茸スパゲティー(ゆであがったパスタに軽くバターを絡め、瓶詰めのなめ茸と刻みノリを山ほど乗せるだけ。これが膝を打つおいしさなんですわ)で早めにお昼を済ませて、新宿に程近い初台へ。 目当てはICCでやっている音響空間の展示(http://www.ntticc.or.jp/Calendar/2003/Sounding_Spaces/index_j.html)。行きたがったのは夫で、誘われた私は「きっと、ぼよんぼよん…とか、ずごごごごご…とか、かかかかかか…とか、いう音が変な形のスピーカーから流れてるんだろう」と言ったが、まあ、ほぼその通り。試みとしては面白いけれど、仕掛けが面白くなかったり、試みも仕掛けも面白いのに肝心の音がつまらないとか、それ以前に会場の制約のせいか音自体が貧弱だとか、展示してあるからには見かけも深く関わってくるわけで、「音」の現代アートはなかなか難しいものだなぁと思う。 適当なお店でケーキセットを食べて、隣の新国立劇場でチケットを買って帰る。ここでは当日券はZ券と呼ばれ、たった1500円になるらしい。へぇ。へぇ。へぇ。新国立劇場、この間行った国立国会図書館関西館と似た雰囲気がある。 帰ってからスポーツクラブ。夫は明日からまた海外出張だとさ(-"-)。
後期始まる。 新しい科目なのだが、自分の得意分野なので緊張感まるで無し。しかも来年度には廃止が決まっているというなんだかな感が自分の中に漂っている。教材を準備して部屋へ。ガラガラ。初回なのでのんびりやってさくさく終了。 ダブルヘッダーでふたコマ目。学生5人である。これは楽だと思っていたら留学生が3人もいて別の苦労が発覚。 いやー勉強になるね。
フランス語の授業再開。クラスの半分ぐらいは入れ替わっている。初めに自己紹介をして、というので新旧半々の4人グループで組む。私が一番に話し始めるが、はれ?出てこない。まだ過去形も習っていないので、この夏ー私はー、とはじめたところで早くも詰まる。この2ヶ月ご無沙汰している間に、第2外国語の領域が英語に置き換わっていたらしく、つい英語が出てきてしまう…というと聞こえがいいのだが、要はフランス語のストックが圧倒的に足りないのだ。しどろもどろになりつつ、自分の番を終え、他の人達の話を聞く。新メンバーの二人は夏期講習を受けていたらしく、さすがにスムーズである。知っているはずの単語も聞き取れず。3歩歩いて2歩下がる。 冷や汗モノながら授業は楽しく、帰りにデパートに寄る。最寄のターミナル駅の上にあるデパート、今までほとんど利用したことがないのだが、この間いつもの面子で食堂街で食事をして以来、お気に入りである。乗り換えの途中に寄るのに便利で、今までもちょくちょく生鮮食料品は買っていたのだが、そのたびにメンバーカード所有の有無を尋ねられていたので、これを機会にお得意様になる決心をする。カードカウンタでポイントカード(無料)を発行してもらい、ついでに積み立ての友の会のパンフレットももらう。12ヶ月積み立てて1か月分余計に商品券が帰ってくると言うアレである。年利8%、悪くない。早速この間「よくできましたハンコ」を買った文房具店へ向かう。なかったら注文しようと思っていたら、全種類2個ずつそろっていた。他の誘惑と戦いながら懸案だった「OK!」を入手。これで新学期の準備は万端である(本当か)。 早速ポイントカードを使う。専門店での買い物はポイントとしては加算されないが、買い物実績として記録に残るらしい。その後地下の食料品店に寄って朝食のパンを買い、バスに乗って帰ってきた。バスの中では睡魔に襲われぐらぐらと舟をこいでしまう。雨が降り始めたので低気圧のせいか。最近つくづく天気によって体調が左右されるようになったと思う。
円高が進んでいる。 私はこれと言って「これが趣味です!」と胸を張っていえるものも傾倒しているものもなく、つくづく自分は無趣味な人間だと思っていたのだが、よくよく考えてみると、こうやってWebページに駄文を載せるのは趣味と言えるのかも知れない。そう考えると、同じようになんとなく興味を持って継続してやっていることは、趣味といえるのか。ちょっと怪しいかもしれないが、その論理で行くと、私は外貨預金が趣味である。もとよりそれほど資金がないし、外為の短いレンジでの切った張ったは苦手なので、なんとかの一つ覚えで定期一本槍である。初回キャンペーンで高めの利率で出している通貨を選んで、それぞれ円が高めの時期に最低額を買い、すでに数種類の通貨で持っている。積極的に運用するというよりは、都銀の普通預金においとくよりマシ、というスタンスなのだが、却ってそういう欲をかかない姿勢がいいのか、一応今のところ全部勝っている。ただ一つを除いては。 ただ一つの例外とは、魔が差したとしかいえないのだが、2年前の春、超円安の時に買ってしまった都銀の米ドル定期である。当時、軒並み130円以上が続いていたのだが、都銀の組み合わせ型の新商品のパンフレットを見ていてその気になり、顧客売りレートが1ドル129円になった時、「チャンス!下がった!」とか思ってついふらふらと買ってしまったのだ。もうバカとしかいいようがない。その後ドルはあれよあれよという間に下がり続け、かといって大きく円高になると日銀介入が入ってまた上がり、を繰り返して、このままずっと元本割れのままいくのかなぁと忌まわしく思っていた。 ところが、敬老の日がすぎたあたりからめきめきと円高傾向になってきた。日銀介入が入るかと思っていたらそのままあっさり115円の壁を越え、今週は111円台となった。これはチャンス!買いコストを下げるために今日のレートで半額分買った。多分明日以降もレートが悪くなければもう半額分買う予定。これで1ドル129円の買いコストが、120円近くまで下がることになる。一種のナンピン買いである。表計算ソフトで、いつのレートが損益分岐点かとか満期時の円貨とかちまちま計算してみる。た、楽しい。
濃ゆい3日間を過ごしてしまったので、余韻を楽しみつつ抜けがらのように1日過ごす。引き出物を開けたり、デジカメの画像をオンラインアルバムにアップしてURLを関係者に送ったり。 楽しいことおわっちゃったなぁ(-"-)
朝シャワー浴びてホテル備え付けのお茶を飲んでJR岡山駅へ。これから京都経由で京阪奈方面へ。 「けいはんな」というのは、つくばの研究学園都市の何番煎じかの、国の肝いりで大開発した地区なのだが、計画が軌道に乗る前にバブルがはじけてしまったので、今のところぴかぴかの箱モノが点在する荒涼とした土地である。しかしそこにはホテルがあり、ネットで知り合った関西マダムたちとホテルバイキングを楽しむのだ。自販機でひかりのチケット買って時刻表を見ると、ちょうどいいのがなく、泣く泣くのぞみに乗る。せっかくネットで安いホテルを探したのに、ここでのぞみ差額1000円も払っていたら、バカじゃん(泣)。目が覚めてベッドの中でテレビなどだらだら見ていたおのれの愚かさを呪う。 京都駅からは近鉄に乗り換え、新祝園(しん・ほうその)駅へ。このあたりまったく土地勘がないので「シンホウソノ駅はどれにのればいいんですか?」と駅員さんに聞く。いやぁ、聞いてよかった。急行で30分弱。バスでもいけるのだがそれを待っていると待ち合わせに遅れそうなのでタクシーに乗る。ここでもまた1000円弱、吹っ飛ぶ(大泣)。 ホテル、といってもロビーは新しい公民館のような雰囲気だが、に入ると上からマルコさんが呼ぶ。私は2番目らしい。ついでダイヤさん、ベビーカートを押したさるとるさん、と続く。あともう一人はあらかじめ遅れて到着がわかっていたので、さるとるさんは初対面だが、自己紹介もそこそこにまずはバイキングレストランへ。11時半には満席というので11時過ぎに来たのだが、どこから来るのか確かにすごい人である。主婦や若い女性のグループや子連れや老夫婦ばかりで、近隣のオフィスからの人は皆無。90分一本勝負だというので、早速交代でお皿を手に料理へ。オードブルからデザートまで和洋中かなりの品数がそろっている。一通り取ったところで、食べ始める。おいしい。ほどなくこれまた初対面のぎんちゃんも登場し、同月齢ぐらいの赤ちゃんが2人になる。かわいい。昨日のウェディングパーティーの画像なども見せつつ、周囲の騒音にまぎれてかなりわいわいがやがやと過ごす。これだけ食べて平日料金一人1000円ちょっと。こりゃ、人が集まるわけだ。 この後近くにある研究所に友人のたづさんがいるので、見学させてもらうことになっていたのだが、私の不手際で連絡がとれず。ぎんちゃんは先にお帰りなので、ロビーにおいてあるベンチにみんなで座ってだらだらとおしゃべり。こういうのも気楽でいいものだ。やっとたづさんと連絡がとれて研究所に向かう。彼の研究の一片など見せてもらう。普段の生活ではあまり触れることのない分野で面白い。それとともに箱モノの外からはうかがい知れない世界が内側にはあるということも新鮮だったのか、同行のお三方には喜んでいただけたようでほっとする。 お三方とは研究所を出たところで再会を約してお別れ。私は国立国会図書館関西館の見学に。1本道をひたすら歩く。見えてきた箱モノ。入り口で当日限りの利用者カードを作り、広大なロビーを抜け、中へ。書架も利用者もすかすか。永田町の本館からこちらにかなりの数を移管したというが、さすがにまだ余裕がある。それにしてもいかにも今風のたいそうな建物である。わくわくするよりも、なんだかなぁという気がするのはなぜだろう。国会図書館の場合納本制度があるので、将来を見越して広大な書庫が必要であるのは認識しているのだが、利用者サービスとしてはその環境を生かしきれていないと思う。私が建物に入ろうとしたとき、家族連れがいたのだが、18歳未満入館不可の案内を見てすごすごと帰っていった。子供が入れないということは、子連れの人々も入れないのだ。あれだけ場所と人が余っているのだから、託児所は無理としても、せめて子供が入れる一画とか、複写サービスを頼む間の一時預かりとか、なんらかの手は打てそうである。もっとも打つ気があればの話だが。 図書館を出てまた先ほどの研究所前まで戻り、たづさんとお茶。共通の知り合いの消息とか、近況とか、1時間ほどおしゃべりしてお別れ。今度はバスで駅まで戻る。途中でうわさの「わたしのしごと館」を見てたまげる。聞きしに勝る箱である。近鉄との接続もよく、京都駅で八つ橋を買ってひかりで帰る。余裕でその日中に帰宅。 あー楽しかった。みなさまお世話になりました。ぺこぺこ。
一夜明けて気持ちのいい朝。 新郎は雨男を通り越して最近では雷男らしいが、昨日の披露宴に出席したもう一組のご夫妻の娘さん(私と同じ年)が、「私のパワーで晴れにしたるー!」と、大阪から送迎がてら広島に来ていたと、私の晴れ女1人分とで、さすがに晴れわたったらしい。 のんびり朝ごはんを食べ、宅配便の手配をして実も心も軽くホテルを出る。これから平和記念公園に行くという友人ぱらぐちと3人でぶらぶら歩いて広島城址へ。天守閣の前まで行って「これ本物かなぁ」などと言い合っているうちに、ふと原爆があったのだから残っているはずはないことに気づく。日差しが強く汗が出てくるものの明らかに秋空で、こんな長閑な街にどうしてあんな恐ろしいものが落とされたのかと、今更のように思う。敷地内には被爆した木も残っていた。南面が焼け焦げたとあるが、新芽が芽吹き、立派に枝を張って生きていた。「今後70年、草木も生えない」と言われた話を読んだのは教科書だったか、当時の人々にとって大きな希望だったろうと思う。 広島城址を抜けて、ひろしま美術館へ。すっきりとしたデザインの気持ちのいい美術館である。ぱらぐちとは途中まで一緒に見てお別れ。残りを夫と二人で見て、お好み焼き屋へ。台風が関東に近づいていると言うので夫は予定より早く新幹線に乗ることにする。私は県立美術館でやっている上村松園展へ。さすがに大人気である。中高年の女性が圧倒的に多い。完成作品のほかにも、下絵、習作なども多く、充実した展示を堪能する。美人画に対する信念とか、母への想いとか、時折まじる松園の言葉の記録なども興味深い。 美術館を出てから駅の方角へあてもなくふらふらと歩き、新幹線切符売り場で、東京までの乗車券と岡山までの特急券を買う。今日は単身岡山泊である。敬愛するネットのお友達のサンキチさんと、そのお友達で最近ネットを通じて知り合ったharurumiさんと夕飯をご一緒するのだ。1時間足らずで岡山駅へ。ネットで予約したホテルにチェックインすると、部屋の空がなかったということで、ツインルームに通される。ラッキー。部屋で一休みしてロビーでサンキチさん、harurumiさんと落ち合う。サンキチさんとお会いするのは4度目だが、相変わらずおしゃれでお若い。harurumiさんとは初対面である。かっこいい女性で驚く。harurumiさんはお菓子作りやテーブルセッティングの名手でお教室も開いているのだと言う。サンキチさんが見つけておいて下さったおしゃれな和食のお店に行き、いろいろとおしゃべりに花を咲かせる。人生の先輩たるお二人ともそれぞれの道のプロフェッショナルなのに、何てことないのよーと謙遜なさる。すっかり甘えさせていただくれいこな。 あっという間に時計は10時半を回り、箱入り奥様のharurumiさんがお帰りで、サンキチさんと二人で深夜までお茶を飲んで、ホテルまで送っていただいた。明日もお仕事なのに申し訳ない、ぺこぺこ。
朝6時起きで夫とともに飛行機に乗って広島へ。愛する弟、妹のような存在である二人の結婚披露宴に出席。羽田までの道のりはスムーズで、飛び石連休の初日なので混雑を予想して少し早めにゲートを抜ける。私は前夜までに作った「発表資料」に目を通す。夫は乾杯の発声をどうするか決めているのか、なにやら考えているようないないような…。 予定通りに会場近くのホテルに着く。二人の門出を祝って気張ってレンタルした着物を持って、着付け支度部屋に。新婦お支度中である。前夜は準備に追われて貫徹だったそうで、なれないドレスアップにダウン寸前である。「れいこなさん、白い着物だから私の代わりに新婦の席に座ってー」などと泣き言を言うので、「気合だ気合!」と喝を入れる。着付けさんメイクさん各一人なので、新婦が完了するのを待って私も着付けてもらう。ドレスを身にまとう花嫁、うーむ。感無量である。ベールも着けてどこから見ても立派な初々しい花嫁のできあがり。私の方もちゃちゃちゃっと仕上げてもらう。 会場は美術館の中にあるレストランで、緑が映えて美しい。親族写真にも混ぜていただく。会場には懐かしい面々が。式が始まるまで、歓談したり写真を撮りあったりして過ごす。今日のパーティーの様子はネットで中継するということで、私の席は放送席の隣。ネームプレートがメッセージカードの封筒になっていて、さっそくそれぞれニコニコしながら読む。緊張の面持ちの新郎新婦が入場して着席。幸せそうである。主賓の挨拶に続いて夫が乾杯の音頭を取る。聞いているほうがハラハラする。続いてケーキカット。ふと隣の放送席を見ると無人。てんやわんやしていてカメラがお留守になっているようなので、とりあえずカメラをケーキの方に向ける。なかなか按配がわからなかったが、ないよりはまし、ということでれいこなカメラマンの画像がネット配信された模様。 パワーポイントを使って新郎新婦が自分のプロフィールをそれぞれ紹介したあと、しばらくして私のスピーチの番になる。過去何回かスピーチしたときは、いつも頭のなかでざっと考えて興が乗るまましゃべっていたのだが、今回は二人のなれ初めから間違いなく話したかったので、パワーポイントも使ってきちんと原稿を用意したのだ。却って緊張するものである。色物として一応笑いもとり、なんどか滞りなく役目を終える。その後新郎新婦の友人の正しい暖かいスピーチがあり、新郎新婦の研究発表があり、両親へのお礼の言葉と花束贈呈と続く。緊張もほぐれたのか、新郎新婦それぞれのかわいらしい誠実な人柄がにじみ出ている。時々涙ぐむ花嫁。 あっという間に3時間が経ち、お開きとなった。立ち去りがたくロビーをたむろし、また写真を撮ったり、談笑したり。ホテルに戻ってから一休みして、新郎新婦を交えて夜の街に繰り出す。式の間何も食べられなかったという二人はすばらしい食欲を発揮。こちらはしっかりご馳走をいただいたので苦しくなる。新居に帰る二人を見送り、幸せな気持ちでベッドにもぐりこんだ。
自治体がやっている子宮がんと乳がんの検診で産婦人科へ。受診票とともに送られてきたリストから自由に選べる。その中に、私が入っているスポーツクラブで、マタニティスイミングに看護師を派遣している病院があったので、そこに行ってみることにする。ここは産み分けや不妊なども手がけている大手で、2chの既婚女性板などで情報が流れているので、後学のために覗いてみるかと思い、バスに乗って出かけた。 行ってみるとかなり大きい。いざ入ろうとしたら建物の外の駐車場に車を止めて人待ち顔の30代前後の男性が2〜3人いる。なんと場違いな、と思いながら入り口のドアを開けると、玄関ホールにおびただしい靴が脱がれている。しかもなんかみんな高そうな靴ばかりである。足の踏み場を探しながら奥へはいり、靴を脱いで備え付けのピンクのスリッパに履き替える。ロビーにあふれんばかりの赤ちゃん連れの親子。うわ。場違いは私でしたー。受付に行くと「今日はこどもの検診日でこんなですけど、検診は大丈夫ですから」と言われる。手続きを済ませて空いている席に座る。前後左右親子連れである。しかも男性の姿が目に付く。見るからに「うっとりと赤ちゃんを覗き込む幸せな新米パパと新米ママ」というセットが十組以上いるのである。あるいは新米おばあちゃんを従えた新米ママと赤ちゃん、とか。(しかしほかに赤ちゃんのお兄ちゃんやお姉ちゃんらしき年長の子供が見当たらないというのはどういうことだろう。今日は第1子の日なのか?どこかに預けてきたのか?保育園か?)聞こえてくる会話もいかにも「未知との遭遇(わくわくはらはら)」と言う感じで、お互いの子供の様子とか生後何日かとか尋ねあっては驚いたり同意したりしている。男性も慣れたもので、妻と子が検査を受けている間、新米パパ同士談笑したりしている。乳児検診で父親が会社休んで付き添いにくるとは…とも思うが、この病院で出産したということは、不妊治療を乗り越えてやっと妊娠したとか、妊娠・出産に関して非常に熱心に取り組んだとか、人一倍思い入れがあるのだろう。この人達がこのノリでお受験へ突入していくのだろうか、と思わせる雰囲気も醸し出されている。 それにしても今まで足を踏み入れたことのない空気に圧倒される。以前行っていたところは婦人科だけで産科はなく、患者も何らかのトラブルを抱えているか、子供ができないように心がけている人が多かったのだが、さすがに産婦人科は違う。ここはしばらく前に、本院と離れた場所に完全予約制の不妊センターをオープンさせたのだが、その配慮は至って正しいと思う。 「○○様」と名前を呼ばれ、「お待たせいたしました。こちらへどうぞ」と下へも置かぬ案内をうける。検診が終わると「お大事になさいませ」と深々と頭を下げられる。出産は病気ではないとよく言われるが、客商売という意識が浸透している病院だった。外に出ると病院の敷地だけでなく、道路を挟んだ向かいにも駐車場があることに気づいた。ワンボックスカーや外車が多い。高そう。うむー。
敬老の日も近いので旅行のお土産を渡しがてら実家へ。同居している兄の家族は義姉の実家詣でに行くところで、お向かいの家も三男の家族が遊びに来ている模様。巡回する子世代である。 姪に頼まれていた絵本は、希望通りのソフトビニル製の物が見つからず(ケンブリッジの本屋を片っ端からあたったにも関わらず)厚紙製になってしまったので、そう告げると一言「あら。」と言った。タイミングもばっちりで義姉そっくりの口調なので大いに受ける。彼女の両親があわてて「その前に言うことがあるでしょう」と促すと、あ、そうかという顔をしてから「どうもありがとうございました。」と深々と頭を下げた。この子が生まれた時兄夫婦はアメリカにいたので一応二重国籍で、その後もアメリカ人のおばちゃんと懇意にしているので簡単な受け答えは英語でできる。発音もそれらしい。だがすでに日本語習得量が圧倒しているので、家庭内学習ではこの辺までだろうかと思う。 車でちょっと行ったころにおいしいロールケーキの店があって、兄達は義姉の実家にお土産に持っていくつもりらしかった。行く前に寄っていくところを、私たちにもお土産として買ってきていったん届けに戻ってきてくれた。ありがとう、お兄ちゃん。 お昼は母がそうめんをゆで、庭でつんだ紫蘇の実をてんぷらに。食後に件のロールケーキを食べる。キャラメルクリームが入ったふわふわのロールケーキである。帰りに母がおいなりさんを持たせてくれたので、夕食はおいなりさんとロールケーキ。
旅行かばんが出しっぱなしになっていたので、やっと片付ける。今日も暑い。相変わらずテレビも見る。キッチンの上部棚の整理も始める。結局ほとんど空になってしまった。これだけスペースが空くと懸案だった塗りのお重を買ってもいいかも。 しまいこんだまま使っていないものがたくさん出てくる。ということはしまいこんであるものは要らないということだな。本当は使いたくて手に入れたのにもったいないことである。旅行の時は軽装なので、帰ってくるとものの多さにうんざりする。実はJ夫妻は、先年洪水に見舞われて家具や本を失ったのだが、いい面としてはダウンサイジングできたことだと言っていた。40年引っ越していないので、相当数があったらしい。滞在中に家事を手伝ってキッチンの棚をあけると、食器などがどっさりあって驚いた。キッチンとは別に居間にも大きなカップボードがあってそこにもどっさり食器が重なっていた。水にぬれても食器はまた使えるから減らなかったらしい。阪神大震災の時にコレクションしていた高級食器を全部失って、却ってすっきりしましたと言っていた人がいたが、確かにダウンサイジングのきっかけにはなるな。 もちろん天災などないのが一番だけど。
夫は再び出張。 なんだか朝からやる気がおこらず、だらだらテレビ見たりちょっと横になるつもりが熟睡してしまったり。結局深夜までほとんどなにもやらずソファにはりついてテレビを見続ける1日になってしまった。まーたまにはこんな日があってもいいかな、なんて思ってみるが、「たまには1日外で遊ぶ日」、「たまにはテレビを見続ける日」、「たまにはテレビもみずにごろごろする日」、と続けざまに違う方向の「たまの日」があっても困るのである。ええ、本当に困ってるんです、私。 普段あまり長い時間は見ないが、久しぶりに見るテレビは面白い。世間のことをキャッチアップしたり、知らなかったことを知ったり、見ているだけで勝手に情報が頭に入ってくると言うのは考えてみるとずいぶん楽チンなことである。 朝ドラの再放送も見る。ヒロインこころさん若女将として奮闘中である。どうでもいいけど前職の国際線客室乗務員というキャリアが全然生かされていないようである。 何代も続く老舗の家に生まれた門前の小僧なのに、いくら見習いとはいってもあれではズブの素人である。「おしん」ほどどろどろしたリアリティを求めているわけではないが、やっぱり視聴者は離れるだろうなぁ。 ワイドショーで吉永小百合のDVDが発売されたという話を見る。街頭インタビューで壮年男性に「吉永小百合さんが…」と一言触れるだけで、ほとんどの人が顔がほころぶそうなのである。確かにそうだと思う。年齢を重ねるごとに本当にきれいだと思う。しかし、コメンテーターのや○みつるが「あれじゃ、映像の中に閉じ込められてしまったような気がしますね」といった。そういえば、なんか芸能界の美智子様のような扱いである。 やくみ○るが言うには、「吉永小百合の、おきゃんでかわいい女子高生といった面が全然生かされていない」という。おきゃんでかわいいといえば、彼女が新米客室乗務員の青春を演じる映画を飛行機の中で見た。時代の最先端をいく超花形職業を、十朱幸代、和泉雅子らが演じているのだが、これがまたいけてる。吉永小百合の輝くような美しさもさることながら、まさに「おきゃんでかわいい」という表現がぴったりなのである。今でもコメディタッチの演技が見てみたいものである。
というわけで、丸の内カウパレード。http://cowmarunouchi.jp/index.html 丑年・牡牛座生まれの牛好きの夫が午後から都心部でミーティングだというので、その前に1時間ほど見て回ることにする。地下鉄を降りてまず丸ビル。いきなり何頭か目撃してうれしい。それにしても暑い。青空にむくむくと入道雲がわきあがる。かっと照りつける太陽の下、パンフ片手に丸ビルから有楽町方面へ歩く。海外のカウパレードには遭遇したことがないのだが、写真や絵葉書などで見るに、遊び心はあちらの方が上手かもしれない。今回の牛は、助六の扮装や唐草模様の風呂敷柄などのジャパネスクなものあり、「モー」という鳴き声にひっかけたネーミングありの予定調和的なものが目に付く。凝ってるんだけどオリジナリティがないというか、どうも全体的にすごく真面目なのである。東京フォーラム経由で東京駅方面へまた戻ってくる。 ドラマのロケをしていて、牛の一つに近づけない。どうしてもそれを見たいわけではないのだが、見られないとなると意地でも見たくなるのでぎりぎりまで近づいて牛を見る。人払いのボーヤが、すみません下がってください、としきりにいうので仕方なくぎりぎりまで下がる。「見られますか?」というので、「見たいのはこれなんです!」と牛を指差すと恐縮していた。ごめんよ、いけずで。 11時を回ったので、早めのランチで丸ビルのレストラン街へ。ベトナム風フランス料理の店に入る。目の前が赤レンガの東京駅。アムステルダムの中央駅をまねたものだというが、本物を見た後ではなんかしょぼい。よく見ると駅前のロータリーの植栽も美しく手入れされているし、なかなかいいところなのに不思議である。 コースなのに料理の出が悪かったので、あとの予定がある夫があせり始める。ウェイターに申し訳ないがこの後デザートまで一気に出してもらえないかと聞くと、あっさり「かしこまりました」という。ええー?あんなにあっさり言って本当に大丈夫か?と思っていると、食べ終わるや否や次々と皿が出てきて、なんとか間に合う。夫と別れた後、しばらく丸ビル内をうろつくが、かっこいいところである。ここだけ見ていると日本の景気が悪いとはとても思えない。 その後、丸ビル内に勤める友人を訪ねてオフィスフロアへ。オフィスフロアに入るには、入り口で守衛さんに「どこどこへ行きます」と告げなくてはならないのだが、告げたところで安全対策になっているとは思えない。去年のクリスマスにオフィスが移って以来、一度遊びに来てねといわれていたのだがやっと今日たずねることができた。本当の牛に引かれて善光寺参りである。友人とはいっても私は彼女の顧客にもなっているので、世間話を織り込みながら商品の説明などしてもらう。1時間弱いてお暇。エレベータに乗っていると、いかにもバリバリのビジネスマンやキャリアウーマンといったいでたちの人々が乗り降りしていて、かっこいい。 銀座まで出て、この前買いそびれたスヌーピーの「OK!」スタンプを探すが空振り。おとなしく帰ってきた。炎天下よく歩いた日だった。
お恥ずかしい話だが、電車の中で席を譲られることがある。妊婦と間違えられるのである。私は中肉中背で決して肥満体ではないのだが、経年的な体型の崩れで腰周りが太くなっているのに加え、胃下垂気味なのか全体のバランスから考えてもおなかが出ている。特に重い荷物などを持っていたり疲れていたりすると、おなかを突き出した体勢で立っているらしく、目の前の人がさっとたって「どうぞ」とにこやかに勧められたりする。一応断るのだがせっかくの好意を無にして相手に恥をかかせても悪いので、「ありがとうございます」といって座り辛そうに目を閉じる。席を譲られるのは、実際体調が悪いときが多いので本当にありがたくもある。が、情けない。 今日もお昼にそんな話をした矢先だったのだが、仕事帰りの地下鉄でまた席を譲られてしまった。おなかを突き出していると実は背中は反っているのだが、今日のようにゆったりとしたジャージ地のワンピースを着ていると、おなかの線が丸くせり出していて、多分6ヶ月ぐらいの妊婦に見えるのだと思う。 大体おなかを突き出して立つ、ということが筋力のなさを物語っている。がんばって腹筋背筋を鍛えなくては、と新たに誓う。
夕方のニュースで赤富士の映像を見た。赤富士といえば縁起物として知られているが、実現象とはついぞ知らなかった。朝焼けの光が雲に反射してそれが富士山を赤く染めるらしい。視聴者から寄せられたというビデオ画像は、雪をかぶった富士山の頂上をほんのり赤く、徐々に富士山全体を染めていった。赤というよりは、ばら色に近いかもしれない。美しいものである。 日が沈んで涼しくなってから買い物に行く。同じ時間のニュースで火星月接近を伝えていたので、空を見上げると果たして煌煌と光る満月のすぐ下に赤く光るひときわ明るい星が見える。満月の明るさにも負けていない。8時過ぎに夫が帰宅したのでベランダに出てみると、さっきよりももっと近づいて見える。火星が満月のところに遊びに行ったような、ほのぼのとした光景である。
新しい1週間が始まって、そろそろ休みボケも解消したいところである。 が、夫が職場に出かけるのを見届けてから布団へUターン。電話で起きるまで2時間ほど熟睡してしまう。 電話で起きて、書類の整理など。今回の集中講義の講師陣はみんな非常にまじめなので、来年のやる気満々で9月中に反省会をしようと約束してあるので資料の見直しなど。多分今講義やったらずいぶんましだと思う。誰か私を今使ってくれませんか。講義時間に対して内容が盛りだくさんなので、もう少しポイントを絞らないと受講者が大変かも知れないなぁ、と思いつつ課題問題なども見直す。 だらだらテレビ見たり、ソファに寝転んだりしながら見直しを進めて、苦手部門を通りこしたところで急に気分が萎える。後回しにしてダスキンの対応などをしていると、夫帰宅。実はお米がほとんどなく、料理するにもまだ買い物にでていないので、食事の支度はしていない。夫にそういうと目を輝かせて「ラーメン食べに行きたい」というので、ほいほい食べに行く。汗だくになってラーメンをすすり、大満足。帰りにコンビニによってアイスも購入。これを我が家では「堕落の道まっしぐら」という。アイスを食べ終わってぼんやりしていたら、夫はあっという間に寝支度をしたらしく、別室にはいり電気を消してしまっていた。最後の言葉は「一緒にいる時間少ないよ」だった。確かに、帰宅してからたった2時間後(うち1時間半はラーメンとアイス)のことである。
緊張感なくたっぷり寝る。夫は相変わらず時差ぼけなので日が高くなってもまだ寝ている。昨夜、丸の内のカウパレードに行きたいなー、などと言っていたのだが、二人ともほとんど抜け殻なのでまた後日にすることにする。メールをチェックすると、他のクラスの講師がすでに採点を終えて評価を提出したというのであわてて私も採点を始める。さすがに試験範囲を詳しく教えただけあって、よくできている。が、かと思うとちょっと思いつかないような回答をひねくりだしてあるのもあって、うーむ奥が深いと感心する。情にほだされて部分点をつけていたら他のクラスより1〜2点平均点を上回ってしまったが、全体的な評価配分は他と同じ水準に落ち着く。ついでに授業の感想も読み返し、再度落ち込む(笑)。 夕方からスポーツクラブ。久しぶり。夜は頂き物の赤ワインと、向こうで買ってきた魚の缶詰、チーズなどでコールドディナー。何もしないうちに1日が終わった感じ。
朝起きると、11時。ひー。 夫は昨夜いつまでもごそごそしていたので別室で寝てもらったのだが、明け方近くにやっと寝たらしい。声をかけると熟睡している。軽くおなかにものをいれて出かけるしたくをしていると、夫も起き出して来る。ごそごそしているうちに出遅れてしまったが、昼すぎに家を出る。 tenkoさんが参加している合唱団の演奏会が都心である。なんとなく頭が開放されないまま(つまりぼーっとしたまま)、改札を抜けると違う駅で降りていたことがわかり、再入場の手続きをしてもらったりして大幅に遅刻。1曲めは聴けず。2曲目は男性合唱なので、tenkoさんは出ず。緊張感なく半分意識なく聴いてしまった。「眠っている」という表現は適当ではないな。聴いているのだが、聴き入っているというのでもなく、ハーモニーに埋没してしまう感じ。休憩時間に会場内をうろつくとちょうどいい具合に中央やや後方の席が空いたので、そこに移動する。3曲目にtenkoさん登場。事前にいろいろと苦労話を聞いていたが、苦心の甲斐あって細部にまで神経を配った、透明感のある美しいハーモニーに仕上がっていた。 会場近くの有名洋菓子店でモンブランとロールケーキを買い、電車に乗る。ここからはほぼ1本で帰れるので、後は降りるばかりと思っていると、電車が反対方向に走っていることに気づく。乗るときに確認したはずなのにと思いつつ、次の駅で降りて反対側にきた電車にすぐ乗り換える。やれやれと思っていると途中駅どまりなことがわかったので、悔しいので途中駅で降りてデパートによって帰ることにする。 実は課題の採点に「よくできました」ハンコを使っている人がいて、話だけは聞いていたのだが、実際に目のあたりにするとどうしてもそれが欲しくなって近々買いに行こうかと思っていたのだ。大手文房具店へ。「よくできました」ハンコは私が子供の頃のような、賞状をイメージしたふち飾りのものではなく、さまざまなキャラクターものもある。自分の気持ちに近いものは昔のデザインなのだが、それだと廉価なセットではあるが、スタンプ台が必要でかさばるので、最近流行のキャラクターものにする。コメントはやはり「大変よくできました」〜「がんばりましょう」まで5種類そろっていてほしいのだが、サンリオ系は今ひとつ心惹かれない上に、コメントがぬるい。「ふつうです」のランクに「やったね!」のコメントなど欲しくないのだ。スヌーピーのシリーズもあるがコメントが「やったね!」系なので迷う。血眼になって探すと、うさこちゃんシリーズだと「たいへんよくできました」からオーソドックスにそろうことがわかったので一時はそれにしようかと手元にそろえてみる。が、しかしうさこちゃんは私のキャラではないのだなぁ。迷っているうちにスヌーピーシリーズだと「GREAT!」とか「GOOD!」とか英語コメントもあることを発見。うーむ。うさこちゃんに比べて感情表現も的確だしなぁ。うさこちゃんなんて、「たいへんよくできました」も「がんばりましょう」も表情は変わらないのだった。ここでコメントに負けてうさこちゃんをそろえるのはなぜか魂を売り渡すような気がして、うさこちゃんを全部棚に戻してスヌーピーの英語コメントをそろえ始める。途中で店員さんを呼んで在庫を確認させたりしながらなんとか5段階中3つをそろえる。本当は「ふつうです」を示す「OK!」が欲しいのだがこれは在庫切れ。「がんばりましょう」に相当するコメントはないらしいのだが、「もうすこしがんばりましょう」とあわせて「TRY AGAIN!」で済ませればいいか。それからせっかくなので「PERFECT!」と日本語ながら「見ました」を買う。大体私はクレームを恐れて(?)採点が甘めなのでこれでまあよし。 後はデパ地下でお惣菜を買い、結局コンサートが終わってから2時間後にやっと帰路に着くことになった。思わぬ長旅になったが、ケーキは無事。はあぁ。ハンコも手に入れたことだし、「がんばりましょう」
集中講義最終日。夫も出張から帰国する。 今日は午前中講義で午後はテストで終わりなので、かなり気が楽である。泥縄予習と、時間中に提出してもらった課題を期間中に返却するための採点とで睡眠不足。旅行前に一通り頭にいれていったはずがすっかり抜け落ちていて、泥縄予習しているところが情けない。午前中は自分でも好きな部分なので、私も受講者もリラックスして講義を進める。昼食はいままで緊張してざるそばしか頼んでいなかったのを、一気に握り寿司。思ったより量があったので、間合いをおかず、ぱくぱくぱくと平らげる。 試験といってもごくごく基本的事項だし、出題範囲は全て教えてあるのである程度時間が過ぎたら、できた人から退出してもらう。最後まで粘っていたのは、いつも質問に来る人たちだった。残念ながら彼らのできはいまいち。むー。試験とは別に無記名で授業の感想を書いてもらう。「よい点・悪い点、改善点、その他気づいたこと」を書いてください、といったらよい点ばかりを上げた人ももちろんいたが、よい点以外を書いてきた人も何人かいて、あたっているだけにへこむ。一部ネガティブな意見は大部分のポジティブな意見を補って余りあるのだ。来年もやるならもう少し顧客満足度をあげたいものである。 お昼あれだけ食べたのに、夕方すでにおなかがすいていた。プレッシャーで空腹を感じなかったのがいきなり開放されたらしい。別件打ち合わせで都内へ。耐え切れず、駅を降りてすぐカフェに入ってケーキを食べる。しばし抜け殻にチャージして、打ち合わせへ。また1件オシゴトをいただく。またちょっと忙しくなってしまうが、私のような怠け者には自分の幅を広げるありがたい機会である。 帰宅すると夫はもう帰っていて、マッサージチェアにへばりついていた。意外と元気そうだが、夜いつまでも起きていて困る。
集中講義3日目。 私の時間配分が悪く(一昨日の分が昨日にずれ込んだため)、昨日は超ハードスケジュールになってしまったが、山は越えたということでやや気分は楽。午前中は自分もよく知っていて、アトラクティブな部分だったので楽勝。 昨日泣いた受講生は、午前中が終わった段階で「昨日はすみません」と挨拶に来た。「元気になりましたか?」とわざと明るく聞くと「少しは…」と弱弱しい笑顔。 午後一番は油断したのか、ぼろぼろ。そもそもあまり自分が興味がもてない分野でもある。苦し紛れに「みなさんおなじみの」とか言ったものの、テキスト通りのことを通りいっぺんに言うし、しゃべりも精彩を欠くので、聞くほうにもばればれだろうなぁ。演習の時間を多めにとってもらう。 夕方復習と称して、明日の試験対策の時間を入れる。ほとんど内容を教えているようなものである。印刷済みの試験問題を見ながら答えているのでうっかり具体的なことを話さないように気をつける。なんとか時間通りに終わったものの、終了後に質問が来て引き上げはやや伸びる。 現役学生はほとんど質問に来ない。それでいて飲み込みも早い。よく質問に来るのはほとんど固定メンバーになってきたが、とんちんかんなものやどうでもいいような細部にこだわった質問も少なくない。 帰りに雷と豪雨による交通マヒに巻き込まれる。タクシーで別の私鉄駅に出て別ルートで帰る。いつもより30分ほど多くかかったが、雨にはぬれず。家の近所まで戻ってきたら、入り口あたりまで浸水しているところもあった。
集中講義2日目。 受講生は現役大学生・社会人・主婦など多様な年代、立場の人々。演習となるとやはり現役学生の方が要領も飲み込みも早い。年齢が上の人はちょっとした用語の意味に躓きうーむとうなってしまう。 授業後クラスに残って質問してきた、年は私よりちょっと上ぐらいの絵に描いたような「やさしくてがんばり屋のお母さん」という雰囲気の女性。新しい概念をつかみかねている。一生懸命理解しようとするのだが、すでに頭の中がパニックになっていて受け付けない状態である。年齢を重ねると、特に論理的な記号とか用語とか入っていきにくいのには、私も実感としてある。30を超えて理系の院に進んだとき、新しく習うことでも年下の同級生達がするすると理解していくのについていけず、悲しい思いをした。10代から20代前半ぐらいまでに数学的訓練をつんでいないので、一生懸命やってもやはり理解が遅いのである。件の彼女は他の人はどんどん理解してるんでしょうね?と聞いてくる。確かに簡単な事なのである。ただ彼女には消化するまで時間がかかるだけなのだ。人によります、と答え、さらにこういうときはいったん帰ってご飯でも食べて血糖値をあげて、そのあとお茶碗を洗ったり、ひょっとトイレから出てきたときにわかったりするものです。と言った。 そうこうしているうちに、現役学生らしき女の子が部屋に入ってきた。彼女の通学仲間らしい。概念をつかみかねているという彼女に、「こんなの簡単ですよ、こうこうこういうふうに考えればいいんですよ」とどんどん新しいバリエーションを繰り広げてくる。今まで受けていたのとまったく違う説明を受けて、ますます混乱する彼女。おぉ、おぉ、若さゆえの残酷だよなぁ、と思う。若い女の子が言っていることは確かに間違ってはおらず、自分が直感的にそのように理解したままを「簡単だから」とよかれと思って説明しているのだろうが、今パニックに陥っている彼女にとっては「これはそんな簡単なことなの?そんな簡単なこともわからない私って…」とますます追い討ちをかけるだけだろうにと思う。 いったん私が先に教室から出て忘れ物に気づいて戻ったら、彼女が涙ぐんでいた。「大丈夫ですよ」と根拠なく声をかける私。やっぱり私の説明が悪いんだろうなぁ。
今日から4日間集中講義。 4人で同内容を分担するのだが、他の3人は私より年齢も若く仕事もバリバリなので、どうみても私のクラスに入った人はハズレくじを引いたなと思う。いや多分実際そんなことはないのだろうが、自分がそう思い込むとますますそうなっていくようで、一人勝手に落ち込む。もっとちゃんと準備しないとダメだ。 電車の接続がよく、早く帰ってきたのでクリステルの鍋を使ってガスで3合ご飯を炊き、この前買ったおひつに入れてみる。いつもクリステルの鍋でガスレンジの炊飯機能を使って炊くと、鍋の保温力がいいせいか、ちょっと乾燥した感じになってしまう。今回は炊き上がったらすぐおひつに移したのだが、やっぱり乾燥した感じ。もっとちゃんと鍋にあった炊き方にしないとダメだ。おかずは納豆。美味し。
二日続けてオフ会。昨日の「いつものメンバー」との会合も一応はネットつながりなのでオフ会なのだった。今回はマルコさんの帰省にあわせて、現居住地系・前居住地系・マルコ親族系、そしてれいこな系が合体したもので総勢8人。いやいやなかなかそりゃもー楽しかったのだった。マルコさんと私は高校が同窓だったりするのだが、知り合ったきっかけは3年ぐらい前にあったようこさん主催のオフだった。もうすっかりそういうことも意識しなくなっていたのだが、昨日参加した人に「れいこなさんはようこさんのお友達なんですよね」と言われてそういえばそうだった、と思い出した。もとは「ようこさんつながり」なのである。 で、当のようこさんといえば今頃地球の裏側に住み、見知らぬ土地で私の年若い友人であるslashさんと親しくさせていただいているのである。slashさんはもとはといえば夫の仕事の関係で知り合った人だが、ようこさんにとっては「れいこなつながり」である。地球の反対側でそういう逆転現象がおきているというのはすごーく不思議な感じ。 で、そんなことを考えながらオフ会から帰宅したら、ようこさんが向こうでslashさんでつながり会った人がいて、実は夫@れいこなと、夫@ゆみさんとも薄い縁があるらしいという報告をしてきた。うわー、夫とslashさんはともかく、夫@ゆみさんもかー。なんてちょっとびっくりしたのだが、そもそも夫@れいこなと夫@ゆみさんは、他にも何人かともう20年来の親しい仕事仲間で、結婚を機にゆみさんと私はともに夫の勤務地に引っ越して仲良しになったのだった。 忘れてたよ(笑)
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