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2003年02月28日(金) うまい話2

私が注目している言語現象に、百円ショップ課題というのがある(うそ)。百円ショップで買ったと言われると「じゃあ百円?」と聞き返してしまう、これが百円ショップ課題である。この言葉には「とてもそのようには見えない」という含意がある。ここ数年の百円ショップの躍進は目覚しいので、いい意味であることが多い。双方とも「だから百円ショップで買ったって言ってるじゃないか」と思っているだろうが、聞き返された側としても「うん、そう」ぐらいしか返す言葉がない。「ううん、105円(税込み)だよ」というささやかな切り返しぐらいはできるものの、まったく無駄な発話が2つ以上行われるわけである。

ところでこの間、語学学習用にウォ-クマンを買った。教材として買うならCD=ROMなどのさまざまなメディアがあるのだろうが、語学学校のLL教室で使うので、相変わらずカセットテープである。最近の若い人はテープレコーダすら持っていない人がいるらしいが、うちにあるレコーダだって、音楽鑑賞用ではなく必要に迫られて買った最低限スペックの安物である。が、そこが気に入っているので、ウォ−クマンもそのノリでシンプルで安いものがほしいと思った。実は何年か前にICレコーダつきで何度も繰り返して聞ける高級品を買ったのだが、はっきり言って機能を使いこなせないままどこかにまぎれてしまった。冗談で「百円ショップで売ってないかな」といったらイヤホンぐらいは百円ショップで売っているらしい。

以前ヨドバシカ×ラでマッサージチェアを買ったポイントがずいぶんたまっているので、夫がポイントを使ってゲットしてもいいといってくれた。さすがに百円ショップで探すことはやめて、ポイントカードを持ってヨドバシカ×ラにいくと、私たちの世代にとっては、ある意味青春時代の必需品であったウォ−クマンが売り場の片隅に並んでいる。MDプレイヤーの半分にも満たない売り場面積である。一抹の寂しさを感じながら、一番安いタイプのものを選ぶ。オートリバースなし、充電機能なし、筐体はプラスティックで軽い。理想どおりのプロパティで価格は1980円。型落ちで1880円というのもあったが、新しいほうがiMacを連想させる色と形のかわいいデザインだったので、それを買う。操作ボタンも大きくて使いやすそうである。家に帰って説明書をよく見るとS○NY(実はA|WA)@中国製だった。初めて買ったのは大学に受かったころでメタリックな感じのA|WA製で、スペック的にはほとんど変わらないだろうが、この10倍ぐらいの値段だった。
こんなに軽くてかわいくて使いやすそうなプレーヤが1980円だなんて、なんてうまい話があるものなのだろう。中国の皆さんありがとう。
びば、価格破壊。


2003年02月27日(木) うまい話

私はモバイラーではない。
カメラつき携帯を持っているもの、ほとんど撮らないし、とっても使わないし、メールも打たないし、ややもすると電話にも出ない。ほとんど時計代わり、カレンダー代わりである。そもそも手帳も持ち歩く習慣がない。その代わりパソコンのメールは結構まめである。数日返事をしないと、届いていないのかと思われて問い合わせのメールがくるほどである。しかし、最近の私のように、家を含めて仕事場がいくつもあると、行く先々でメールをこまめにチェックするのが難しいことがある。それぞれのマシンにメーラをインストールして、メールの設定をすればいいのだろうが、あちらでダウンロードしたものは、こちらでは読めず、ということでは困るし、かといっていつまでもサーバーにメールをおいておくのも都合が悪い。いつでもどこでも自由に取り出せて一元管理ができるようなうまい話はないものだろうか、と思っていたら、仕事先で使っているメールがIMAP形式になった。Webメールもつかえる。これが思いのほか便利である。使うマシンが決まっていれば、ローカルにメーラをインストールしたほうが操作性はいいのだが、そうもいかないときは、ちょちょっと他人のマシンを借りてWebできる。しかも送信済みメールも、設定フォルダもちゃんと一元管理することができる。これはうまい話である。
それに加えて、最近外付けの記憶媒体を利用するようになった。こちらはUSBで直接挿せて、キーホルダにもつけられる、大きからず小さからず使いやすい単純さである。そのくせ、256MBもある。容量からすればそれほど大きくないが、外付けFDDを使っていたのに比べると隔世の感がある。私が扱うデータ量はたがか知れているので、ここに仕事で使うデータを丸ごと放り込んでおいて持ち歩けば、どこでも仕事ができる。
さらに、このメディアはメディアの中でクローズできるメーラーをインストールできる。インストールといっても付属のCD−ROMの中のプログラムをフォルダごとコピーするだけである。このメーラーはインタフェースはダサいのだが、メールの設定をしてそのメディアにメールをダウンロードできるし、しかもメーラを使った痕跡がパソコンにも残らない。サーバ上のメールをのぞきにいき、必要なメールだけをメディアにダウンロードしたり、不要なメールはそのままサーバ上のメールも一緒に削除もできる。これでWebメールに乗らなかったプライベートアドレス分のメールを、ブラウザやメーラを介さずに読み書きできるのだ。これまたうまい話である。
びば、やどかり生活。


2003年02月26日(水) 整える春

朝、歯医者さんへ行くためにバスをまっていたら「研修中」と札をつけたバスが来た。バスにのると、運転席の脇に「研修中につきご協力お願いします」と張り紙がしてあり、「研修中」のプレートをつけた運転手さんがぎこちなく「はいどうぞ」と言ってくれた。バスの後ろの方に指導員が座っていて、納得する。途中入るアナウンスもぎこちないのだがゆっくりはっきりしゃべるので聞き取りやすい。ブレーキがやや唐突なほかはとても慎重な運転ぶりで、道路混雑のせいもあったが、5分ほど余計にかかって目的地に到着。
バスを降りると、途中駅から出発した同じ路線のバスが追いついてしまっていた。反対方向にもバスが交差点で2台信号待ちをしていて、なぜかバスが目に付くなと思いながら角を曲がるとそこにも別の会社のバスが来ていた。今日はバスが多いのかと思ってよく見ると、このバスの行き先表示等には黄色く「教習中」と書いてある。「研修中」ではなく「教習中」か。そういえばお客さんはいない。その代わりに指導員が4人も後ろに立っていた。
歯医者さんは無事に終わり、地下鉄にのって仕事場へ。乗り換え駅で電車を待っていると、「2番線に参ります電車はシジョウウンテンのためご乗車になれません」とアナウンスがはいった。シジョウウンテン?果たして、やってきた電車には行き先表示のところに「試乗運転」と表示が出ていて、乗客は皆無だった。先頭車両、二両目、三両目…と真っ暗な車両が並び、最後尾に煌々と明かりがともっている。中に座った技師らしき人々が、通路に置いたテーブルの上の計器とにらめっこしてながら目の前を通り過ぎていった。


2003年02月25日(火) サクラサク

勤務先の大学で、入試の合格発表があった。私の出身学部のものだったので、ついつい立ち止まって様子を眺めてしまう。
あの日と同じ場所に掲示板があって、掲示板の前でピースサインで写真をとっている親子連れがいる。十数年経っても覚えている。合格発表を見がてら、その場で自分が通っていた塾のチラシ配りのバイトもしていた。自分の番号があるのが信じられなくて、一緒に見に行った友達の男の子に「この番号があるような気がするんだけど…。」といって受験票を渡して見てもらったこと、友達が「あ、間違いねぇ、受かってる!」と叫んだこと。あの時、ずらりと並んだ公衆電話のひとつで家に電話して、それから高校に電話しようとしたら番号がわからなくて、104で問い合わせたこと…。
と、思い出したところで、公衆電話が並んでいないことに気づいた。何年か前まではこの時期になると緑の電話が特設されていたのが、風物詩のようだったのに、いつのまにか携帯電話に取って代わられたらしい。そういえばさっき掲示板の前での記念写真も、携帯のカメラでとっていたようだった。


2003年02月20日(木) so embarrassing

おそれていたことが起きてしまった。
フランス語教室の休み時間に、ちょっと時間ぎりぎりにトイレに駆け込んだ。たったったったと駆け込んで、いくつかある個室の一つに飛び込もうとしたら、たった今まで使っていた様子。ちょっと逡巡して、隣の個室に入ろうとしてちょっと躓いてしまった。瞬間、洗面台のところに立っていた若い子が、こちらの方を見た。おっと思いながらも、そのまま視線を感じつつも中に入って無心で用事を済ませた。さっぱりしたところで外へ出ると、洗面台のところにいた彼女がまだ立っていて、手を洗う私のところに話しかけてきた。「あの、すみません、なにがし(仮名)先生ですよね。私、後期先生の授業取ってたんです。」ひー。が、がくせいっ。しかも申し訳ないけど、目の前の彼女を顔をとんと思い出せない。思い出せないまま、ハンカチももっていないので、その場のトイレットペーパーで手を拭きながら、まあまあこんなところでお会いするとは、などと一応話をあわせてみる。
この教室はメジャーだし、大学からも便利なので(だから私も通っているのだが)、いつかはこんな日がくると思っていたのだが、実際にその場に遭遇してみるとそうとう動揺するものである。トイレの中で話をするのもなんだからと廊下に出てみるが、さして話が弾むはずもなく、何の授業をとってるのかとか、偶然ですねぇとかそういう話をただするだけである。
授業が終わってもう帰るだけだという彼女は、はあーびっくりした、と連発しながら去っていった。びっくりしたのは、こちらの方である。あんまり実態をさらけ出してがっかりさせるわけにもいかず、これからはおちおちトイレにもいけない。


2003年02月19日(水) びば!ぶろーどばんど

tenkoさんが、最近インターネットラジオがお気に入りという話を日記に書いていらしたので、私も試してみた。メディアプレーヤーを起動してみると、あるわあるわ。大判小判がざくざくである。
最近のマシンはメモリをたくさん積んでいるので、ノートパソコンで作業しながらCDを聞いてもいいのだが、特定のものを聞くのならともかく、BGM的に聞くのならずっと同じのを聞いていると飽きるし、つい入れっぱなしになってしまったり、出先に持っていくのもはかさばるし、とデメリットも多い。ネットラジオならネットにつながる環境があればなんでも聞けちゃうのだ、すごい。家にいるときはスピーカーにつなげばいいのだな。職場で聞くためにイヤホンをもっていってつないでみた。ちょうど飛行機のインフライトミュージックのノリである。これなら適度にリラックスでき、しかも周囲の雑音が聞こえないではないか。うーむ。極楽。しかも今聴いている曲についての情報が表示されるし、気に入ったらオンラインで購入可能なサイトもある。難点は、作業していると消し忘れたビープ音などが前触れなく耳を直撃することぐらいか。びば!ぶろーどばんどってかんじぃ。


2003年02月18日(火) そ知らぬ顔して

エレベータというのは、あんな狭い函に見知らぬ人同士かなりの密度で閉じ込められるのだが、それだけに妙にかたくなによそよそしい空間でもある。
私がすんでいるマンションでは、乗り降りするときにほとんどの人が愛想良く「おはようございます!」とか「こんばんわ」とか挨拶しあうのだが、これだって、別に心を許しているわけではない。アメリカ人が愛想良くしているのは、開拓時代から培われた「私はあなたの敵ではありません。怪しいものではございません」という表明のためなのだ、という話を聞いたことがあるが、それとまったく同じである。同じマンションの一つ屋根の下に暮らしているので一応は愛想良くするのだが、もう二度とエレベータに乗り合わせることはないだろうとも思っている。たとえもう一度会ってもきっと忘れているに違いない。
ところで、今日乗った駅のエレベータである。4人乗ってきてドアが閉まったが、エレベータが動いている気配はない。私は一番奥に乗っていたのだが、階数表示は乗ったフロアの番号を指している。つまり誰も行き先ボタンを押していないのに、誰一人としてボタンを押そうとしないままそ知らぬ顔して乗っているのである。後ろからそっと手を伸ばして脇の車椅子用行き先ボタンを押すと、ピッと音がしてゆっくりエレベータが動き始めた。誰も驚いた様子がない。目的階につくと、三人とも当たり前にそのまま降りていった。幸せな人たち。


2003年02月17日(月) ちりも積もれば

パートタイムも4つも重なると大変なことになる。あるときは先生、あるときは事務員、あるときはアルバイトの雑用係…云々と、同じ場所でいろいろな顔を使い分けている。フルタイムどころか純粋に時間だけを足しこんでいくと、絶対オーバータイム。そういうとちょっとかっこよさげだが、要は貧乏暇なしである。だってどれもこれも薄給なんだもーん。薄給は積もってもやはり薄いのである。
あたしって便利なのよねぇ、なんて話を実家でしていたら、あまり様子をよくわかっていない割りに口だけ出す癖がある母が、便利に使われていてはいけない、この人ならではという存在にならなくては、などといいだした。散々私を便利に使っているこの人にそんなことは言われたくないものである。大体便利に使われるといっても、別に誰かのタバコを買いに行ったり、使い走りをしているわけではない。買い物の代理を頼んだり調べ物をさせたり、私を使い走りに使っているのは世の中で母一人である。
ここでいきり立っては私も大人気ないと思いながら、最近母の使い走りもあって疲れがたまっているのも手伝ってついつい声を荒げてしまった。この人に「便利」という言葉の定義が違う、などと言っても通じないのだが、いろいろ言っているうちに都合が悪くなった母は席を蹴立てて自分の部屋に上がっていってしまった。怪我の具合は相当によさそうである。
残されたのは、腹を立てている私と、晩酌途中の父である。しばらく黙りこんでいたが、父がビデオにとっておいたお笑い番組を再生しはじめた。父の気遣いがうれしかったのでそのまま素直に二人で笑っていた。私が帰るときに、母は上から降りてきてつっけんどんに野菜などを持たせてくれた。この人、プライドが高くて謝れないのである。


2003年02月16日(日) 江戸の敵を長崎で

実は私は母校の非常勤講師をしている。で、ただいま4月からの新しい講義のための準備中である。平たく言うと勉強である。大学の先生というのは自分の研究分野があって、その範囲内で講義をしていると思われがちかもしれないが、人繰りがつかずに自分の守備範囲からやや外れた科目を担当することもある。それをあたかももともとよく知っているかのように、学生の前で話すのだ。関連図書や資料を読み込んで、自分が話している姿を想像しながら授業内容を組み立てていく。私は大学の頃は特に勉強好きでも優秀でもなかったので、なんで私がこんなことをしているかねぇ、という気分になる。学生の時先生がいながらあまり勉強しなかった分を、今せっせと一人で勉強している。資料を読みながら「江戸の敵を長崎で討つ」という言葉が頭に浮かんでくる。もちろん討たれているのは私である。


2003年02月15日(土) タイムトライアル

昨日の初期値敏感性のふるまいにより歯の詰め物がとれてしまったので、昨日のうちに歯医者さんに朝一番の予約をした。相変わらず実家の近くの歯医者さんに通っているので、実家に持っていく食料や、母に頼まれて買っておいた洋服などを持って、バスの時間にあわせて家を出る。実家のほうまでいくバスは本数が少なくて、乗ってしまえば早いのだが逃すと悲しいことになる。
バス停はマンションのすぐ前にある。朝は車の流れがいいので、少し早めに家を出たが、バス停で待っている人はいない。バスの到着予定時間を過ぎ、別方向へ行くバスがきて、寒さに震えながら待っていると、実家より手前の停留所までしかいかないバスがきた。それをやり過ごしたところでハタと気づいた。今日は土曜日なのに平日の時刻表で家を出てしまったのか。バス停に貼ってある時刻表を見るとやはりそうだった。土曜日のバスは、私が乗ろうとした時間より7分前に出ていて、次のバスは30分後である。ということは、さっきのバスに乗って、終点で乗り換えるべきだったのか。はあああ。
家を出てからもう20分以上経過している。寒い、荷物が重い。しかも情けないことにまだ家の前にいるのだ。横方向に10メートルしか離れていない。またもう一本別方向行きのバスを見送り、やっと来た都バスに乗る。ちょうどバスのプリペイドカードがなくなっていたので五千円のバスカードを買おうとすると運転手が「五千円のカード、売り切れなんです」という。じゃあ三千円のを下さいといって五千円札を出すと、「おつり、ないんです」という、思わず「へっ」と冷笑しながら小銭をボックスに投げ入れる。いったいどういう客が何人乗ってくると朝の10時前に五千円のバスカードがすべて売り切れ、つり銭の千円札がなくなってしまうのだろうか。
バスはやがて終点につき、目の前に実家の前まで行く私鉄系のバスが停車しているのを走って乗り込み、五千円のバスカードを頼んだ。運転手は「はい、どうぞ」といって、当然のように札入れ状のケースを開いてずらりと並んだカードの中から目的のカードをさっと取り出して渡してくれた。こういう小さいところで、公営はやはり私営に負けるんだよな。
バスは順調に走り、予約時間の10分前に最寄のバス停についた。しかし、歯医者さんは時間ごとに3ブースにいっぺんに入れるので、できるだけ早くついていたい。荷物を持ったまま歯医者にいくことも考えたが、今日はダスキンのサービスがくるので、11時までに家に帰らないといけないのである。ということで、先に実家に寄って荷物を置き、家の中を歩きまわりながら大声で内容物の説明をし、帰りのバスの時間を確認すると、ひー、30分しかない。その次はさらに43分後、間に合うか。もう戻ってこないと思うからさようなら、と父にいって、歯医者さんに向かう。歯医者さんの入り口についたのが5分前。ちょうど同じ時間に同じ方向に向かってくる人がいる。この人も歯医者さんに行くんだな。ドアのところでかち合う。抜こうかと一瞬考えたが、それだとあまりに意地汚いので我慢我慢。結局彼が先にブースに入り、私はその後。一瞬の逡巡がまた明暗を分けてしまった。
割と早く私の番が来て診ていただくと、やはり経年的なガタが来ているらしく、新しく詰めなおしましょう、ということになる。これは虫歯にならないうちに、早めにとれてよかったということにする。少し削って型をとって薬を詰めて今日は終わり。しかたない。終わって時計を見ると、次のバスまであと7分。にこやかに辞した後、猛ダッシュ。予定時間ぴったりにバス停に着き、1分遅れで到着したバスに無事乗り込んだ。


2003年02月14日(金) 一寸先は闇

初期値の大きな違いがその後の振る舞いに大きな変化を与えることを、初期値敏感性といって、カオスの特徴をしめす説明などでよく使われる。遠く離れた北京で一匹の蝶がはばたいたことがやがてニューヨークの嵐となる、というような話である。
さて、話はさかのぼって数日前である。とある女性が金沢に旅行したと考えていただきたい。彼女は金沢で有名な水飴の店に立ち寄り、キャンディ状になった飴をお土産に買い求めた。帰京した彼女は数日後にそのお土産を友人に渡した。そして今日、お土産をもらった女性は、もらった飴をもって会社に出勤し、お昼は知り合いと外で食べることになっていたので、おすそ分けにと思って飴を2つバッグに入れて職場を出た。
食事を済ませて外に出たとき、彼女は飴を忍ばせていたことを思い出し、「はい、これ金沢の飴だって。れいこなさんあっちに住んでたから懐かしいかと思って。」といって飴を渡した。それを受け取ったわたしは「ありがとう、俵屋の飴ね」といってコートのポケットに入れておしゃべりに興じながら少し町をあるいて職場に戻った。
私はその日、午前中は調べ物に時間を費やしていたのだが、その途中でとあるDBサービスの会員になることを思いたち、オンラインで会員登録をした。本当は昼食の時に郵便局に料金を払い込みにいく予定だったが、うっかり忘れて午後に回すことになっていた。午後は仕事の傍ら、自分のノートパソコンをWin98から2000へアップグレードしていたのだが、インストール中の待ち時間が40分ぐらいあったので、その間に郵便局に行くことにした。
コートを着て外に出ると意外と寒く、思わずポケットの中に手を入れるとそこに飴が入っているのに気づいた。そういえばさっきもらった飴だと思って口の中に放り込む。上品な甘さである。中にゴマが入っているらしいが、なんとなくぼんやりした味なので、もう少し、もう少し、とかんでみた。こんなことをしているとまた詰め物がとれちゃうな、と思った瞬間、歯に激痛がはしった。なんとなく硬いものが舌に触る。飴は歯を上下にしっかり接着していて口も開かないのだが、どうもやっちゃったらしい。そのままうろたえながら郵便局にいき、おろおろと払込票の記入をする。ろくに味わわないままに口中の飴は消滅し、小さな塊が残った。指の上に出してみると、果たせるかな、3ミリほどの、漫画に出てくる骨のような形の金属である。
なくさないように指でしっかり持ったまま払込の手続きを終えると、係りの人が何のサービスなのだかポケットティッシュをひとつくれた。早速一枚取り出して、金属片を大事に包んでもって帰った。はあああ。郵便局にいったことが不運だったのか幸運だったのかよくわからないまま、ただ落ち込む。


2003年02月13日(木) えりすぐり

今月の日経新聞の「私の履歴書」は、ノーベル物理学賞の小柴さんの連載で、毎日楽しみに読んでいる。小柴さんといえば受賞報道の中で東大では成績はびりだったというエピソードが、田中さんが学位を持っていなかったこととともに大きく取り上げられて、世の中の学歴コンプレックスの人々が勝手に大いに勇気付けられたことが記憶にあたらしい。びりといっても東大のびりである。格が違うだろう、と思っていたのだが、連載を読んでいると、月並みな言い方だが、やはり本当に頭のよさが違う。
一億総中流意識の現在と違って大学進学率が低いあの頃の、旧制一高→東大というエリートコースは、まさに選りすぐりなのである。全寮制の旧制高校という環境もすばらしい。小柴さんは「のどかな時代だった」となんのてらいもなく述べているが、全国から集まった秀才たちが、夜を徹して馬鹿騒ぎをしたり、哲学や文学について議論を戦わせたりしながら数年間を過ごす。そこで名前の挙がる人々は、その後東大のそれぞれの専攻に分かれて、やがて各界の第一線にのしていく。綺羅星のごとく、ため息の出るような交友関係なのである。青春時代の濃厚にすごした友情は生涯続き、日本の高度成長を影の結束で支えてきたということがわかる。
今は大学進学率も非常に高く、学問のチャンスが多くの人々に与えられている。全体的な学力は上がり、識字率も世界各国に比べて驚異的な高さである。しかし小柴さんたちの世代は、今の粗製濫造の大卒エリートとはレベルも鍛え方も違う。国を造るのが人材にかかっているとすると、「人間くさい超エリート」がいない日本の国はこの先昔のようには行かないだろうなぁという気がする。


2003年02月12日(水) tabacco

牛乳を切らしていてしかも猛然とココアを飲みたくなったので、コンビニ@世界で一番我が家から近い店に寄った。私はついで買いをするタイプではないので、店に入ってまっすぐ牛乳をとって、まっすぐレジに向かった。が、レジ大混雑。レジの係りの人は二人いて、おばちゃん(オーナーの奥さんと思われる)は、おでんをよそっている(というあたりで、どのコンビニか限定されてくる)。それがまた「あんたおでん屋のおかみさんかい」と突っ込みたくなるような調子なのである。「これ、おいしいのよ、いれときます?はいはい、こっちもね、なかなかなのよ、はい、ひとつね」といった具合で、うしろはレジかごを持ったおばちゃん。こっちは見込みがなさそうなので、隣の若い子の方に並ぶ。と、こっちはなぜか赤い顔をしてあたふたしている。最前列の客が無理難題を言っているのかと思ったが、そうでもないらしい。最前列の客はあるタバコを買いたいのだが、それがレジ前のショーケースにはなく、奥にとりに行ったものの彼女が期待するほどは在庫がなかった、ということらしい。あーだこーだとやりとりがあって最初の客が勘定を済ませ、次の男性客は手にタバコ4箱もっていて、あっという間に勘定は終わり。次の女性は手ぶらだっと思ったらタバコのショーケースから2つ取り出してお買い上げ。コンビニでこんなにタバコの需要があるとは知らなかった私。そういえば、この近所にタバコ屋はなかったしな、と思ったところで一本裏の路地に小さなタバコやがあったのを思い出した。そこには自動販売機もあるのだが、やはりコンビニの便利さには負けてしまうのか。
そういえば、「ちょっとタバコ買ってくる」というのは、よくテレビなんかでわけありの男がその場から逃れるために使う方便だよな、と脈絡もなく思い出してみる。


2003年02月11日(火) 適材適所

祝日で休みだったので、家にいた。
テレビをつけると奥様向け情報番組をやっていて、そういえば最近見る機会がなかったのでそのまま流しておくことにする。番組中に毎回ハイソな「マダム」お一人に密着して、そのため息の出るような「おハイソ振り」を拝見するというコーナーがある。その人選は玉石混交というか、単なる大金持ちの奥様とか女実業家とか旧華族の末裔とかいろいろな人が登場して面白いといえば面白い。

さて今日の「マダム」は開業医の妻である。、年はまだ30前でありながら、全身ブランド尽くしで、なにやらというブランドの店で何百万円分もいっぺんに買ってしまうようなキレイな人である。1歳の娘も当然ブランド尽くし。見ていて決して下品ではないのだが、「マダム」というには違和感がある。気づいたのだが、この人ぜんぜん謙遜をしないのである。かといってすごく自慢するわけでもない。話し方とかしぐさが妙に率直で庶民的なのである。着ているものなどを褒めると、「はいっ(素敵でしょ)」と答えている。横浜の豪邸を案内しながら「お料理はなさるんですか?」という問いに答えて「何でも得意ですよっ(笑)」という。日本的な「いえ、ほんの寝巻きで」とか「まあ、好きなだけで」というようないやらしい謙遜がない。外車好きで4台保有という父親ほど年の違う夫の人がでてきて、彼もまったく謙遜しない。「素敵な奥さんとかわいい子供がいれば、そりゃ幸せですよ。はっはっは」と臆面もない。

馴れ初めは、夫人が医療系短大の学生だったころレストランバーでバイトしていて、そこで見初められたのだとか。要は絵に描いたような玉の輿なのだが、それに関しても「友達からは玉の輿でうらやましい」と言われます。」と率直。玉の輿歴もまだ2〜3年なので、ブランド品を買い漁る時期でもあるのだろうが、外車と若い美人が好きな夫とブランド品を買い漁る妻。なるほどお似合いである。万が一私がその立場にいてもブランド品を買いあさることはないだろうし、それどころか夫が外車を何台も保有することについていさめるかもしれない。世の中うまくしたものである。しかもそのマダムはただブランド品で身を飾っているだけではなく、短大で勉強したことを生かして、家業の病院で検査技師として働くなどちゃんと働いてもいるのである。これが適材適所ということなのだろうか。いや、運命?


2003年02月10日(月) 歯が命

最近妙に歯が黒ずんでいるような気がしていた。
歯を磨いた直後はまだいいのだが、「ステイン」というのだろうか?食事をしたりお茶を飲んだりしているうちに、茶渋のように色がついてくる。私の場合、若いころの不摂生がたたって(笑)、歯の表面のエナメル質が溶けてしまっているようなので、もうこのままだめになってしまうのかとかなり暗澹たる気持ちになっていた。
それにしても、歯ブラシは歯医者さんで取り寄せた歯科用のを使っているし、歯磨きも怠っていないし、そんなに黒ずむことがあるだろうか?となると思い当たる節はひとつしかない。歯磨き剤である。この前、歯磨き剤が切れたので、ずっと前に勤めていたときに会社の健保でもらったまま使っていなかった歯磨き剤を使っているのだが、どうもこれが利かないらしい。歯磨き剤ってそんなに強力なものだったのか?だったらあら塩で磨く人はどうなってしまうんだろうか?
と思いつつ、昔「芸能人はハワイが好き」のCMを流していた、高額な歯磨き剤を薬局で買ってきた。しかもキシリトール入りで、ノーマルタイプよりさらに高い。早速試してみると、おやおや、なんとなく白くなったようではありませんか。とりあえず磨いたあと輝く感じがする。そして今日で二日目。都合3回歯を磨いているが、黒ずみは見られないようである。時間がたっても歯の表面がつるつるしている。すばらしい。
でも、こんなにきれいになるってことは、何かとても強い薬が入っていたりするのだろうか。そんなもの口に入れて、しかもよだれと一緒に一部のみこんじゃったりして、大丈夫なんだろうか。といいつつ今日も磨くのである。


2003年02月09日(日) 日曜日もだめよ。

今日も遅くおきだす。朝は昨日買ってきたパンでトースト。焼きたての山形パンを二種類買ったのだが、後から伝票をたしかめたら、安いほうのパンを二つ買ったことになっていた。ありがとう>聖独逸人。それはいいのだが、焼きたてゆえに湿気がこもらないようにポリ袋ではなく紙袋に入れてもらっていたのを、そのまま一晩放置してあったのでやや乾燥が始まっていて残念。あわてて付属のポリ袋に入れて、ひとつは冷凍庫へ。
朝食後、部屋をざっと片付けて、ごみを出しにいったり掃除機をかけたり。さっぱりしたところで書道。なんかお手本なぞるだけである。母が書いている姿を思い浮かべると、鬼気迫るというか魂を込めて書いているのだが、私が書くとどうもさっぱり。まあないよりましでしょう、と思って書き続ける。仮名を仕上げて、いったん昼食。冷凍庫から焼き鳥を発掘。そして炊き立てのご飯に生卵、のり、野沢菜。うまー。はふはふと食べて終わり。午後は漢字に挑戦だっ。夫がケーブルでアメリカもののけったいなドラマを見続ける脇で、ながら族の本領を発揮してだらだら書き続けて終了。どうもだめだめ感が漂うが、まあないよりましでしょう。すずりに墨が余っていたのでそれからペン字に進むかと思われたが、さすがに精根尽きた感じ。適当に切り上げてスポーツクラブへ行く。このスポーツクラブにまともな接客は期待していないのだが、フロントに愛想のいいおねえちゃんがいて驚く。ただし愛想のよさと手際のよさは必ずしも比例しない。
冷蔵庫の中身と相談して夜もチキン。久々にビールを飲んでしまったので、お風呂はいって後は寝るだけである。
そういえば、サイト名変更お願いのメールもだしてないし、やっぱり私ってだめだめ。


2003年02月08日(土) のんびり。

朝遅めにおきて磯部巻きで簡単に食事を済ませて渋谷へ。メトロポリタン美術館「エコール・ド・パリ」。学生時代一度だけニューヨークに行ったことがあって、そのときにいっているはずなのだが、今回の展示のようなコレクションがあったのかぁ、というのが正直なところ。本家の所蔵枚数は200万点を越えるとか。ピカソの青の時代の作品が何枚もあった記憶がかろうじてあるのだが、ううむ、おそるべしMET。会期も後半に入っているので、土曜日とはいえほどよい込み方だった。 
デパートに隣接しているので、絵を見終わってそのままデパートの最上階で食事をして、同じデパートで最終セールで母の洋服を何点か買う。自分の分はまったく物欲が沸かない。途中で家電量販店をちらりと見て、F○MAの街頭デモを見て、マフィンとパンを買って帰途に着く。バスはいつもの渋滞ゾーンをわりとすんなり抜けたので、早く帰れると思ったら、西へ向かう幹線道路に入ってからが大渋滞。いつの間にか熟睡していたのだが、寝ても寝てもたどり着かない感じ。そういえば月曜を休んで四連休とか、学生さんも試験が終わってやっと休みとか、行楽シーズンなのであった。
家に帰ってまた昼寝。暗くなってからおきだして適当にテレビをザッピングしていたら、9chでキャラ×ルボックスの芝居を放映していた。早稲田の演劇博物館で特集をやったときに流していた製品版のビデオだろうが、そのとき全部見なかったので腰をすえて見ることにする。この学生演劇の臭さが抜けない運びが結構すきなのである。テレビを見ながら、さっき買ってきたマフィンを食べて夕食にする。その後引き続きテレビで映画を見る。のんびり。


2003年02月07日(金) 不思議な光景

朝の地下鉄でちょいと不思議な光景を見た。エスカレータで上がっていくと、若い男が別の若い男の胸倉をつかんで壁に押し付けているように見えた。ぱっとみ10代後半?喧嘩だったら駅員に通報しようと思いながら、そのまま上がっていくと、やっぱりいさかいごとらしく、かべに押し付けられている方は、ひ弱そうな少年ですっかり涙目になっている。と、そこへ別の男が割って入った。こちらは年の頃20代半ば。茶髪でダブルのコートを着て、今流行のあごひげをたくわえている。六本木あたりにいそうな感じ。胸倉をつかんでいる方の肩を抱くようにして、膠着状態におちいっている二人を離して2〜3歩歩く。その間まったくの無言。ひげの男には妙な威圧感があり、引くに引けなくなっていた彼もほっとしたように離れる。3人は等間隔に縦列に歩いて改札へむかっていく。一瞬3人とも知り合いなのかと思うような不思議な連携である。改札を出て、三人三様に動き始めたので、やはりまったくの他人同士であることがわかった。胸倉をつかんでいた方を見ると、こちらも弱そうな少年である。紺のコートを着て、なぜか手にはお母さんから借りてきたようなグッチの手提げかばんを持っている。季節柄気が立っているのだろうか、些細なことでいさかいになるようだが、こんな子が他人の胸倉つかむかねぇ、という驚きもある。最近は、護身用のナイフを持ちあるいていて、ちょっとしたことで振り回したりらしいが、彼も案外その口だったかもしれない。


2003年02月06日(木) なぞである。

日記が一日分きっちりおくれているので、一日分とばし。あっという間に2月の1週目がくれようとしていますよ、奥さん。
ところで、最近使っているXPだが、なぜかスカである。一説によるとホームエディションがスカだという。なんか無線LANもうまくつながらないし、なによりIMEを使っていると、突然カーソルがあらぬ方向に行ってしまうのが困りものである。経験からすると、「i」のキーを入力すると、びよーんと以前書いた文章のある文節の切れ目に戻ってしまうのだ。いってしまうのだ。いったい何なんだー。なぜこんな不便を強いられなくてはならないのだろうか。なぞである。
ところで、フランス語。ニューフェースのムッシューは、2回来ただけでまた来なくなってしまった。今後はもうこないつもりだろうか?それともまたひょっこり顔を出してまたクラスを混乱に陥れるつもりだろうか。これもなぞである。
クラスメートの皆さん、相変わらず和気藹々と熱心なのだが、なぜ授業中にわからないことがあると、先生そっちのけで日本語でお互い確認しあうのだろうか。大体自信のない人ほど後ろの席に座る傾向があるので、いつも後ろの席がざわざわとしている。聞かれた方も迷惑だろうと思う。幸い私は聞きにくい雰囲気があるのか、聞かれる頻度が高いわけではないが、それでも日本語を聞くと一瞬あたまが日本語に戻る、その瞬間が非常にいやである。いったい何のために彼らは高い学費と時間を費やしてフランス語を習いにきているのだろうか。まったくもってなぞである。


2003年02月04日(火) 季節感nothing

最近、季節感がない。というより、季節には敏感なのだが、暦に関する感覚が欠落している。道理で最近高級チョコレートを見かけるようになった…とか、道理で最近コンビニで太巻き寿司の予約を受け付けるようになった…とかその類のことである。なぜ、それらが最近売られているのか、というところまで頭が回らない。そういえば去年は例のメンバーで、恵方に向かって正座してニコニコと目だけで笑いながら太巻き寿司を食べたのだった。あれは結構つらかった。まだあのころは大食い選手権とかはやってたんだよな。プロのフードファイターとか出現したりして。給食のパンで早食い競争をしていたどこかの中学生がのどを詰まらせて死んで以来、下火になってしまったフードファイト、常連のヒーローたち、あの人たちはいまどこで何してんだろう?やっぱ大食い?
そうか、バレンタインデーも近いのか。うちはチョコをあげる代わりにバラの花束とカードを私がもらうのだ。忘れないようにいわなくちゃ。そんなことを考えながら家に帰ったら、夫が満面の笑顔でいた。足元にはヨドバシカ×ラの袋とか、箱が落ちていて、テーブルの上にはケーブルやら説明書やら…。キミの幸せはこれかい。もうじきバレンタインデーだよ、というと「うーん、いつだっけ?そのころって僕最悪に忙しい時期なんだよな…」と顔を曇らせて自分の世界に入っていく夫。もしもーし。


2003年02月03日(月) 冷凍寿司

あなたは冷凍寿司を知っているか。
ぶっちゃけ冷凍された寿司である。しかも握り。新宿のシダ○クス@カラオケで食べられるというので、われわれはその実態を調査しに行ってきた。
ことの発端は、例の元同僚たちとすし屋で、ランチメニューを食べていたときのこと。何せ退職しても依然職場が近いので、相変わらずつるんでいるのだが、フランス人がこの前テレビで冷凍寿司の紹介をやっていた、といいだした。なんですと!冷凍寿司を冷凍するなんて、そんなばかな!といきりたったのは、もうすぐシンガポールへ転職のため渡る予定(渡新というのか?)の、寿司好きが災いしていつも金欠のC君である。私もそれはかなり許せない話だと思った。この手のものは、冷凍するより解凍するほうが難しいのは自明である。液体窒素で凍らせた生きた金魚だって、溶けるときに細胞レベルの溶け方が違うので死んでしまうというではないか。しかもシャリとねたが同時にちょうどよく溶けなくてはいけないのだ。絶対まずいに決まっていると言い張る私たちの強い主張に、フランス人はもっと強く「絶対にある!」と言い張る。私たちはあるかないかを言っているのではない、あってもきっとまずいだろうといっているのだ。
で、午後になってもう一人のフランス人が冷凍寿司のURLをメールしてきた。「びっくりこいた」という特殊な解凍用の小さなトレイに乗せて解凍すると、ネタはひんやりシャリは人肌に仕上がるのだという。これは試してみる価値がありそうだ。というわけで、急遽いつもの面子で新宿のシダッ○スに寿司を食べがてら唄いにいくことになったというわけだ。カラオケルームに入るやいなや、食べ物のメニューを見る。はたして冷凍寿司がある。しかも上にぎり。張り切って注文すると、もうあとひとつしかないのだという。たった一人前の握りを待ちわびる7人。目の前に現れた寿司は、見た目いたって普通である。じゃんけんで争奪戦を繰り広げて、一人ひとつずつ食べてみる。お惣菜売り場の握りよりいけるかも。寿司好きの男も、「案外うまい」という。少なくとも下手な寿司屋よりは美味いだろう。
あっという間にメインイベントは終わり、いつものように果てしないカラオケワールドへと迷い込んでいくのであった。


2003年02月02日(日) 好事魔多し

このIMEはおばかである「こうずまおおし」を変換したら「構図間多し」になる。
(と思っていたら、「好事魔多し」は「こうじまおおし」だと思っていたという控えめなご指摘があった。ほんとだ「こうじまおおし」だと一発で変換される。IMEよりわが身を疑え>れいこな。)
さて、好事魔多しである。この前母が肩を強打したのはやはり骨にひびが入っていた。母は年齢の割りに体が若いので(だから過信してしまうということもあるが)、まあ1ヶ月もあれば直るでしょうという医師の診断で、やや楽観的になってる。私が仕事を始めてから怪我をするのはやめてほしい、と思いつつ、母のお習字教室の夜に様子を見に行って、食料を置いてくるぐらいだった。
この週末は夫も珍しく家にいて、家で仕事をしていたので、ややのんびりと思っていたのだが、2時過ぎに母から電話がかかってきて、今度は父が持病の腰を痛めたのだという。おーまいがっ。

「こなくていいのよ、こなくても大丈夫よ」と繰り返すので、それがそのまま「きてちょうだい、きてくれるとたすかるわ」ときっちり脳内変換されて聞こえてくる。とりあえず食べるものに困るというので、家にある食料を見繕って翌日仕事の前に届けていくことにする。冷凍肉を解凍して煮豚をつくったり。食べ物だけを持っていくのももったいないので、夫が昼寝をしたすきに、夕方から特大サイズの書道(上幅)などをしたり。土曜日からシチューを煮てあったので、なんだか土日はずっと料理をしていたような気がするが、土曜のお昼は蕎麦やだし、夜は出来合いのたらちりだし、昼にシチューで夜はうに丼。一点豪華主義か。


2003年02月01日(土) 今年も残すところあと11ヶ月。

あっというまに一月も末である。新しい職場にも徐々に慣れつつある。降って来る仕事は、今のところどれもタワイも無いことなので、とくに問題はない。おだやか〜に時間は過ぎていく。今のオフィスはビルの8階にあって日がさんさんと照って気持ちがいい。コンピュータの環境も次第に整いつつあり、快適さは増しつつある。となりの席のおにいさんは、windows用のEmacsを使うひとらしく、設定の仕方をしらないか私に聞いてきた。当然答えられず。「エディタは何を使ってるんですか?」と聞かれたので、「まあメモ帳とか、たまに秀丸とか…。」と答えると「あんまりソフトにはこだわらないんですか?」と聞かれた。「弘法筆を選ばずですから」と答えようとしたが、本気でいやみになりそうなので「あまりヘビーに使ってるわけじゃないですから」といっておいた。
バリバリ音を立てそうなぐらい真面目に仕事に取り組んでいたら、あっという間に定時を過ぎてしまった。いかんいかん、癖になるからやめよう。今日はこのぐらいにしといてやらぁ。へっ。


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