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「アエ口ラッテ」という商品をご存知だろうか?ミルクフォーマーともいうらしい。要は牛乳の泡だて器である。容器に牛乳を入れて本体を差し入れ、スイッチオンで面白いように泡が立つ。 去年、インスブルックに行ったときたまたま街角のキッチン用品店で見かけて、半信半疑で買ったのが、日本の百貨店などでも当然売っている。英国製と書いてあって、オプションでスタンドも売っている。さすがにスタンドは買わなかったが、なるほどこのごつい感じは西洋人の発想だと思いつつ、使ってみると非常に具合がいい。生クリームもパックのまま泡立てられるし、全身金属製で熱さに強い。鍋底でぐつぐつと煮立たせながらホワイトソースもあっという間である。私はバ−ミックスも愛用しているのだが、それに比べると大げささが百分の一ぐらいなので、ちょっとしたかき混ぜ&泡立てなら、断然こちらに軍配があがる。 両親たちが遊びに来たときにこれでカフェラテを作って出したら、案の定「アエ口ラッテ」をほしがったので、百貨店で買ってきてあげると約束した。かつて「アエ口ラッテ」を見かけたのとは別の店で探したら、某国産耐熱ガラスメーカー製の類似品があった。このメーカーの製品は私も好きなので、手にとって見ると、さすが耐熱ガラスメーカーだけあって、ミルクを入れる耐熱グラスがついていて、これを電子レンジに入れて温めればいい。本体はプラスティックになっていてとても軽いし、泡立てている最中にミルクが飛び散らないようにふたもついている。しまうときはガラス容器に立てておけばいい。しかも本家より安い。これは買いでしょうと思って、早速実家に届けて帰った。 次に実家に行くとそのままほったらかしになっていたので、聞いてみると実家の電子レンジは背が低いので、容器が入らないのだという。しかも力が弱いし、一度にできる泡立てミルクの量は少ないし、とても使い物にならないというので、とりあえず家に持って帰って検証してみることにした。電池を入れ替えて使ってみると、確かに弱い。吹きこぼれることを恐れてか、容器の背が高いくせに入れるミルクを入れる上限は低いし、設定温度も40〜50℃とある。泡立て器の先端部の直径が小さいので、確かに泡も立ちにくい。指示通りにやってみた結論。 「だめじゃん(-"-)」 事故がおきないように設計して、事故がおきないような使用方法を設定すると、かくも心をうたない製品が出来上がるのだな。きわめて日本的である。
行って来ましたとも、銀行。 お天気もよかったのでテクテクテクテクひたすら歩いていい運動でした。書類を出して、担当者に書類を提出する。金額記入の欄に「¥」が抜けていたので、「¥だけ書き足させていただきますね」といって、担当者がペンを取った。おいおいうちのご主人様がせっかく書いた書類に気安く書き込むんじゃねぇよっっ!!と内心思う。その後彼女はさらに日付けもさらさらと記入するのであった。なんとなく無言の圧力を与えてみたりする。ま、書類に不備はないので、用はものの5分で終わり、晴れやかにフランス語教室へ行く。電車で隣に立っていた若い女の子は単語帳をせっせとめくっている。何気なく見るとフランス語!しばらく観察していると、すべて料理の素材や調理法について。レストラン関係者なのだろうか。 フランス語教室は、始まってほぼ1ヶ月が過ぎた。なぜか前回から加わった人がいて驚く。大体1ヶ月も遅れたらその期はあきらめたほうがいいと思うのだが。何が気に入ったのか、前回に続いて私の隣に座る。授業中「わかんねぇ、わかんねぇ」を連発する彼の出現によりあきらかに教室のペースが乱れている。今まで通信教育で中級まで終わっているのだと言う。学ぶのに遅すぎることはないとよく言われるが、「それぞれの年代にあったペースで」という但し書きが必要である。 午後は仕事。ぼちぼちと仕事が降って来る。きたらすぐ片付けて、身軽でいたいものである。私の同僚にあたる人があと二人いて、彼らとの「分担を決めるためのミーティング」と称してカップを持って会議室へ。なぜか一人が愚痴をこぼし始め、これからは愚痴をこぼしあう会にするか、と冗談で言ってみる。ちっちゃいものクラブ。 帰りの電車で乗り込んできた外国人男性と日本人女性のカップル、フランス語で話をしている。女性はかなりの美人でかなりフランス語がきれい。あやかりたい。
小金が貯まったので住宅ローンの繰上げ返済の手続きをすべく、朝一番で銀行の支店へ電話。すると、電話振り分けの応答メッセージが流れてくる。説明通りにプッシュフォンでぴっぴっぴとボタンを押して、やっと担当者(かどうかわからないが)に取り次いでいただく。用件はすぐに通じたのだが、なんとローン名義人自らが支店に行かないと手続きができないのだと。去年あたり制度が変わったらしい。 そもそもこの銀行・支店は、別に好き好んで取引をしているわけではない。マンションの管理会社の都合で指定されているだけなのだが、元々マンション建設中はここから徒歩3分ぐらいの距離にあった店が予定されていたのが、落成する前にその店はJR駅前の縁もゆかりもない土地の支店に統合されてしまったのである。そこに行くためには徒歩30分、直通の公共交通機関はない。借金をするならともかく、入金しようとしている顧客に対して、顧客の不便も省みずに「出頭せよ」とは一体どういう扱いのだろうか。 そんな遠いところに、毎日仕事で青色吐息であるローン名義人@夫を行かせるわけにはいかない。え〜っ!?それじゃ行けない場合は返済できないんですか?と聞くと、ちょっとお待ちください、といってしばらく上と相談した後、それなら奥様にきていただくのでもいいです。といった。そしてうるさく「必ずご主人様に書類を自筆で書いていただいて、ご主人様に署名をいただいて、奥様がお持ち下さい」というようなことを言った。けっ。 シミュレーションをして、返済額が決まったら電話をするというので、私の携帯の番号を教えて出勤。職場につくとしばらくして電話がかかってきた。返済額が決まって、手続きを今月中にしないと間に合わないという。「今日速達でお送りしますから、明日つくと思います。そしたら夜ご主人様に書いていただいて、翌日支店にお持ちください」という。はいはい。夜書け、とまで言わなくていいのだが、かなりの仕切りやさんである。 その日帰宅すると、ポストに速達が入っていた。はやっ!さすが同区内。えらいじゃん、郵便局。で、言われたとおりに夜ご主人様に書いてもらう。ご主人様は字を書くのが苦手な上に持ち帰り仕事があったので、「えーなんでぼくがかかなきゃいけないのぉー」としぶしぶ記入を済ませた。ハンコは私がついた。まったく自分達の管理の手間ばかり優先して顧客を置き去りにするとは、ぷんぷん。 あんな銀行、退職して正解である。
今日は、なんだかなぁ〜と思うような人を間近で見聞きしてしまったので、あまり今日という日を振り返りたくありません。よって日記も書きたくありません(ぐずぐず)。 あ、ひとつ気づいたこと。外食のランチは私には多すぎる。
新しい職場は今日の午後からインターネットが通じるはずが、センターの手違いで延期。あてが外れて長々とオフライン軟禁状態だったので、気分転換にトップページのデザイン変更に着手。イメージはずばり付箋である。 ついでにサイトの名前もいまさらreikona's homepageじゃあるまいし、と変更することに。ちなみにこの言葉は、フランス語のようでフランス語でなく、英語のように見えて英語でもない。ついでに言うと何ほどの意味もない。nokierで検索をかけてみると、某北欧の携帯電話メーカーのスペルと間違えてませんか?といわんばかりにその名前が出るはず。 というわけで、私のサイトをリンクしてくださっているかた、サイト名の変更をお願いいたします。いや、もちろんわかる範囲でこちらから近日中にご案内申し上げますが。遅れた場合はなにとぞご容赦。ちなみにÀは、Agraveの前に&、後に;をつけると出ます。
トップページを改訂しようと思いたち、いろいろ過去のページを見てみたり。大家さんであるジオのファイルマネージャで不要になったサブディレクトリを削除していて、あやまって「つらつら草」をディレクトリごと削除してしまった。幸か不幸か(本当はありがたくないのだが)昔ファイルを置いておいたところが、手が届かないまままだあるので、そこからリンクが切れているのをチェックしながらとりあえずエンピツの日記にコピー&ペーストしていく。ほかにも更新途中でとぎれているのものをエンピツに移動。あとは新しいデザインを考えてサイト名も変えて…と考えているがいいアイディアが浮かばないまま目がしょぼしょぼしてきたので今日はこれで終わり。
元同僚との集まり。 一度高尾山のふもとにある某所にて。なんでこんなに張り込んだかというと、新年会であり多分フルメンバーがそろうのは多分最後だからである。いつもの月例カラオケ会のメンバーである彼らは、例の会社に希望を託して参加し、会社に裏切られて早晩つぎつぎと会社を去るのである。向上心と好奇心にあふれた人々。かの会社にいた数少ないメリットで、かつ最大のメリットは彼らと出会ったことかもしれない。そのうちの一人がシンガポールの会社に勤めることになり、今日はその送別会(本人に内緒で)も兼ねていたのである。メンバーにはフランス人もいるので、まあ話の種に一度いってみようということなった。 京王線が高尾山に近づくといきなり雪景色になっていた。高尾山口についたらもう、「思えば遠くへきたもんだ」という感慨がある。リュックに登山靴といういでたちの人もいれば、われわれのように昼ごはん食べにきました〜という軽装の人もいる。送迎バスに乗って山深く入っていくと、ますます東京とは思えない景色になり、目的地についた。ここは民芸&和食をメインにした一種のテーマパークである。みやげ物やを見ると北陸・飛騨の名産品が多く並んでいる。庭内には五箇山のお地蔵さんや加賀前田家の茶室もあるし、社長さんはあっちのほうのご出身か? 案内されたのは、水がせせらぎのすぐ脇の離れ。掘りごたつ式になっているので、外人さんの接待によく使われるというのもうなづける。お料理は若干雰囲気料が含まれていそうだが、シンプルでどれもおいしい。今日は一人風邪でこられなかったが、彼女を除いて、全員が例の会社を自ら去ることになっている。ひとりは契約社員の期間が昨年末で切れ、今は自分の会社を興している。フランス人のひとりはこのたび入籍した身重の妻をともなってフランスへ帰る。もう一人のフランス人も直に会社を去る決心をし、そして今朝になって奥さんが二人目を妊娠していることがわかった。そして私。全員があの会社を通過点として、新しい世界が始まっていくのだなぁ、と感慨にふける。会社に残る彼女にしても、会社自体がダメになるのがそう遠くない話だとすると、彼らに比べると私が一番ゆるやかな変化なのかもしれない。 散歩もふくめてたっぷり4時間過ごして、満足して帰る。帰りは電車のなかでいつの間にかぐっすり寝てしまった。ややねぼけ気味に帰宅。
新しい職場はオフィスの場所も業務もすべて新しいので、インフラがまだ整っていない。使用するマシンは最新、その他の什器もどんどん新しいものを購入していて、それはそれで楽しい部分もあるのだが、やっぱり不便。 一番不便なのはなんといってもインターネットがまだきていないことである。オフィスにずっと座っていて、まとまった時間ネットから離れているのは、近来めったにない体験である。むー。何か物足りない、というか禁断症状。ぜいぜい。しかも今日は携帯の充電を忘れてしまっていたので、残りバッテリーも心細く、完全に隔離された感じがする。途中で耐えかねて脱出、ネット環境のあるところに都合1時間半ほど退避したが、おかげでオフラインでじっくり懸案の作業に取り組むことができて、収穫も大きかった。 夜は元同僚たちとカラオケ。昨日の時点で詳細が決まっていなかったので、いらいらする。思い立ってそのうちの一人とお昼を食べようと思って、脱出した際にメールしたのだが、ぜんぜん連絡がとれない。一方的に待ち合わせ場所と時間を通告したが、やはり現れず。公衆電話を探すもみつからず。結局貴重なバッテリーを使って携帯からかけると、風邪で欠勤していたそう。 うーむ。カラオケは夕方になってやっと連絡がとれ、めでたく合流、歌いまくり。元同僚たちは2月末までに一人を除いて全員会社を離れることになるらしい。 夜帰宅すると人材派遣会社から早速「例の」書類が届いていた。これで手続きできる。ありがたや。
母がこけた。転んだとも言う。 朝、8時前に電話がきたので何事かと思ったら、そういう報告だった。あわてて動いて足をひっかけて転倒して肩を強打したのだという。転んだのはおとといで、その場に居合わせた近所の方にお世話になったし、父もいるので心配してきてくれなくてもいい、という母の言葉の裏に「来てよ〜手伝ってよ〜ご飯作ってよ〜お見舞い持ってきてよ〜」という秘めた野望のにおいを嗅ぎ取ったので、結局夜様子をみに行くことにした。今日はフランス語教室のあと、新しい仕事の初日でやや緊張した時間を過ごし、移動が多かったので疲れていたのだが、途中でデパートによって食材を見繕い、ついでに今日でなければあと買うときがない餞別品を買う。 今日は書道教室をやっているので、夜8時ごろ顔を出すと案の定手伝うことがたくさんある。言われるがままにモノを動かしたり、ハンコを押したり、合間に明日の朝食の準備をしたり。孝行娘といわれながら最終バスで帰宅。買っていったシュークリーム、食べ損ねた。
朝、人材派遣会社に電話。昨日の話は再度雇用保険に入ることになるらしい。一応1年程度以上勤務するという前提でないと…という話だったが、その可能性もあるので、なんとかしてもらえそう。ありがたや。なんかバタバタするばかりで、骨折り損のくたびれもうけのような気がしてならないのだが、経験値を高めるのだ、経験値を高めるのだ、経験値を高めるのだ…と自分に言い聞かせる日々。 ところで、最近では電車のなかでパンやおにぎりを食べる人を見かけるのは珍しいことではないが、たまにはかなり本格的に「食事」をしている人がいてさすがに驚くことがある。この間は女子高生が3〜4人輪になって、車内でカップ麺を立ち食いしていたのを目撃した。いつだったかの夏には、カップルが座席に座ってコンビニの冷やし中華を「調理」しようとしていて、隣の席の人が思いっきり嫌そうな表情で足早に立ち去ったのが印象的である。結局その二人は揺れる車内で「調理」する案は失敗に終わり、あきらめてコンビニ袋をごそごそして「デザート」のアイスキャンディを取り出し、到着駅でかじりながら降車していった。時間配分を間違えていますぞ。 そもそもなんでこんな話を始めたかと言うと、今日も結構びっくりな人を見てしまったからである。それも二人。まずは帰りの地下鉄の中で、やや中年太りがはじまった男性。一番端の席にちんまりと座って晩酌中である。膝に載せた鞄を落とさないように押さえつつ、片手には金色の缶(ゑびす?)、そしてもう片方にはおつまみの小さな袋。缶を口に運んでは、小さな袋から丸っこい指でつまみだす。なんというか、「つましい」のである。視界にいれたくなくて、そっと彼のそばを離れたれいこなであった。 そして、乗り換えた電車の中で隣に座った人品卑しからぬ老婦人。紙にくるんだラッパ水仙を一輪携えて私のそばに来たときは、別にどうとも思わなかったのだが、電車が走り出してしばらくしてから強烈なにおいがしてきた。もしかして老婦人の向こう側にあとから座った若い女性の香水だろうか?私がいつもキンチョールと間違えてしまうディオ〇ルのアレか?と思いつつそちらに視線を走らせると、食べている。隣の老婦人が調理パンを食べているようなのである。なんとなく黄色っぽい食べ物でたまねぎが覗いているので、たまねぎの匂いだったのだと気付く。きれいにマニキュアをしたその指を油まみれにしながら、紙に包んだその「パン」を食べているのだが、それにしても強烈に匂う。 やっと一つ食べ終わってやれやれと思ったら、老婦人はまたも手にもった袋からもう一つ取り出すようなのである。見るともなしに袋の中のパックを見ると「てんぷら」とかいてある。お惣菜売り場にあるようなてんぷらを、何も通勤客で込み合う車内で、てんぷら油で指をてからせながら食べなくても…と思うのだが、よほどおなかがすいているのだろうか、結局彼女はてんぷら1パックを車内で完食してしまったのであった。 そして、今度はやおらラッパ水仙の包装を解くと、鼻に近づけて香りを楽しんでいた。てんぷらで胸焼けしたのだろうか?隣でてんぷらの匂いを吸い込んでしまった私は、彼女が花を楽しんでいるのを心底うらやましいと思った。
職安出頭日。実は浮世の義理からとりあえず3月末までの契約で働くことになったので、今日で求職活動は終わり。明日からは人材派遣会社の派遣社員さんである。私は自己都合退職なので、申請してから3ヶ月間は待機期間としてまったく支給されず(自己都合退職の転職組などは大抵この間に決まってしまうので、そうしてあるのだと思う)、しかも退職してすぐ旅行で不在だったり、夏の暑さに負けて手続きに行くのを先延ばしにしていたりしたので、やっと支給されたばかりなのに泣く泣くその権利を手放すことになったのだ。なぜ泣く泣くなのかというと、実をいうと、私の場合、支給期間内は働かないほうが高収入だったりする。支給額の日給にあたる基本手当というのは、退職直前の何ヶ月かの月給をベースに算出するので、同じ年収でも「月給+ボーナス支給」より年俸制の方が1ヶ月あたりの支給額は多くなる。私もその恩恵をこうむって左団扇の3ヶ月を過ごすつもりが…!!しかも週一日働いているので、その分は支給期間の最後に後回しになるので結局受け取れないし、なんだかいいことないなぁとブルーになっていたのだった。 今日、最後の申告用紙を手に職安へ。相変わらず熱気むんむんで居たたまれない気分。やっぱりここにいるより、働く口があるんだから文句いわずいわずに働こう、と思って手続きを待っていると、窓口に呼ばれた。支給期間内に就職が決まった場合、再就職手続きというのを踏まないと、最後の分の支給も受けられないのだそう。ひ〜。じゃあ私のすずめの涙のような最後の分もあわや…とますますブルーになってしまった。しかしおとなしく説明を聞いていると、所定の用紙に再就職先の証明をもらって出すと、私の場合支給日数が2/3残っているので、再就職手当てというのが残りの支給日数の1/3もらえるのだそうだ。これがいわゆる「就職お祝い金」といわれていたものだな。なんだ悪いことばかりじゃないな、とちょっと気分が晴れる。しかし再就職証明書などと聞くとちょっとものものしくて不安。果たして人材派遣会社に登録だけでも、証明してもらえるのだろうか。ちょっと心に暗雲が広がってきた。もしもらえなかったら、座り込みでもする所存である。続報を待て。
夫が出張から帰国。こんどはメキシコにいってきたらしい。大体どこのホテルに泊まるかも、いつ帰ってくるのかもよくわからない。明日は朝一番でしごとがあることはわかっていたので、今日中には帰ってくるとは思っていたが。 夕方成田から電話がかかってきて、帰国したことがわかる。ほどなくして帰宅。なぜか私は今日は暇なわりにぼけていて、実家にファックスを裏向きに送ってしまったりしていたのだが、夫が帰ってきたらお風呂に入れるように沸かしておいたつもりが、お風呂は水だった。悲しい。お互いに不在の間の報告をしあうのでまったく会話かみ合わず。 ラーメンと餃子でご飯。夫は眠くないなー、といいつつ、食事がおわったら睡魔におそわれたらしく、9時には寝てしまった。むー。
今日は例のメンバーで、最近ホットな汐留カレッタと浜離宮あわせ技で異空間の旅。狭いんだか広いんだかよくわからないビル内をうろうろして、とりあえず最上階のレストランへ。46階と47階の間は天井が高くなっている上に一部吹き抜けで、高いところが大好きな私にも微妙に怖い空間である。怖いーこわいーといいながら下を覗き込む。眼下に浜離宮と築地市場。へえぇ、市場の中ってこうなっているのかー。 和食のレストランは、値段とものものしい構えのわりにサービス・味とも今ひとつ。景観料が含まれているのでこんなものか。前々から欲しいと思っていたビレロイ&ボッシュ(名前を思い出しましたぞ!みなさん)の白い角皿がでてきたので喜ぶ。以前海外に行ったときに欲しいと思って買いそびれていたのだが、実際に使ってみるとあまり勝手がよくなさそうなので、買わなくて正解(ということにする)。ぱぴちゃんから重大発表。いや、ほんとは心から祝福してるんですってば。 食後、浜離宮へ。水路に面したこの大名庭園は、ふと上方に目をやると、ガラス面を強調した曲線を帯びたビルが何本も立ちはだかっていて、古いものと新しいものの対比がかなりシュールな異空間である。入場時間が遅かったので1時間ほどしか散策時間がない。足早に見て回るが、途中でネコがわらわらと出てきて、気を取られる人々数名。「ネコは一日1ネコにしなさい」と諭してさらに奥へ進むと、なぜか一匹のネコが、構ってオーラを発しながら無言(笑)であとを付いてくる。からすが頭上で呼び合っていて、不気味。 汐入の池を渡り、海沿いの道を歩き、鴨場で鴨猟のやり方を学び、再度汐留へ。 有名な抹茶ソフト。ウマー。この前尾道で食べたほうじ茶ソフトはそこはかとなくほうじ茶の味わいがあっておいしかったが、この抹茶ソフトは抹茶の存在が前面に押し出されている感じ。口の周りを緑に染めながら堪能。その後フロアを歩きまわり、某インスタントコーヒーメーカー直営のセルフサービスコーヒーでとどめの一服。外に出ると雨。うわー氷雨だぁ、といいつつ横をみるとロケをしている。阿部ちゃんである。さすがにカッコイイ。この雨の中薄着でロケとは大変なことである。誘導の係りの人に立ち止まらないように丁寧に頼まれたので、その場を離れる。駅方面への歩道橋を「飲ませて、ください、もう少し〜」と唄いながら歩いていると、照明係さんがカッパをきてライトを阿部ちゃんに当てている。これまた大変なお仕事である。 途中で食べ物を買って実家へ行き、3時間程してバスで帰る。途中で急にのろのろ運転になったので、事故かと思ったら前方で玉突き事故らしい。雨でスリップしたのだろうか、中央分離帯に乗り上げた車あり、完全に横を向いた車あり、結構何台も巻き込まれたようだ。怖いことである。氷雨そぼ降る中、交通整理をするおまわりさん達。公僕とはいえ、こういうときはつくづく大変なお仕事である。
実家で迎える朝。尾道のかまぼこと炊き立てのご飯で朝食。うまうま。 私の顔を見るなり姪が、「夫@れいこな(仮名)さん、早く帰ってくるといいねぇ」という。夫がいないと実家にいりびたる私の行動パターンを読みきっているらしい。調べものとか、母のパソコンの設定などをして、姪と少し遊んで昼ごはんをたべさせてもらって、帰途につく。途中ですごく眠くなるが、がまんがまん。 夜は元の同僚と元の会社の健康保険の厚生施設の日本料理やで食事。ビジター料金になるが、それでも一般のお店にいくよりずっと格安でおいしいものが食べられる。ほとんど会社の話が出ることもなく、料理に舌鼓。本当は6人で予約したのが、一人減り、二人減り、結局4人でテーブルを囲むことになったが。満足。満腹。一人は途中で帰って残りの三人でカラオケに行く。ほとんど練習スタジオと化していて、3人で(正確には2.5人ぐらいの割合で)2時間たっぷり歌う。 なんだかぎゅうぎゅうづめの電車にのって帰る。家に帰ってからネットにつないでいるのだが、なんだかだましだまし。というのも、新しいマシンを入手して、XPにアップグレードしたのだが、ネットのつながりが悪いのである。無線LANのカードをさしていて、はじめのうちはつながっているのだが、しばらくすると接続が切れる。無線の設定をちょっといじるとまたしばらくつながってまた切れる。いったいなんなんでしょう?どなたか心当たりありませんか?こんな現象。 なんだかんだいじっていたら、ぴくりとも無線のデバイスを感知しないようになってしまいました。てなわけで今は有線でつないでますわ。
午前中フランス語で都心部。うーん。和気藹々と熱心だし、なかなかいいクラスである。クラスの雰囲気というのはどうやって決まるのだろうか。前回は少人数のクラスと30人クラスで、先生との距離は圧倒的に少人数クラスの方が近かったが、クラスメートと仲良くなったかというとそれほどでもない。30人クラスはいうに及ばず。今回は座席が対面式だから、お互い話がしやすいのだろうか。みんな口々に今度のクラスは楽しいという。 午後から4月からのパートタイム先候補の下見で都下部へ。父の実家がある駅の2つ手前の駅だし、高校も路線こそ違えこっち方面だったので、行くのは初めてながら懐かしい感じ。時間があったので駅前の喫茶店で、パスタセットなどを食べる。高校の時によく買っていたパン屋と同じ系列らしい。パスタにサラダとカップスープと食後のお茶がポットサービスでついて、700えん(税抜き)。ひさびさの「茶店飯(さてんめし)」を堪能する。レジで会計の時に道を聞いて、目的地へ。最寄駅からちょっと距離があるのが難点だが、自腹をきれば目の前までバス利用可能。途中で道がわからず道端の人にもう一度聞くと、親切に指を差して教えてくれた。教えてもらってからの道が長かったが、意外と通いやすいことがわかって安心した。途中でおいしそうなケーキ屋さんを発見したので、手土産にケーキを買う。担当の人と落ち合って、案内してもらう。事務の人に挨拶をしたり、設備をみせてもらったり。用件が済んでから、持参したケーキでお茶。きれいでおいしい。最近出来たばかりだがおいしくて有名らしい。◎。 終わってから都内の実家へ行く。先日のお土産をぱぴちゃんの職場宛に送ってもらっていて、今日お習字をならいにぱぴちゃんが母のところにくるので、ついでに持ってきてもらうのだ。食事の支度はないというので、自分の食べる分だけ買っていって、両親と食卓を囲み、自分はメロンパンなどを食す。食後、お習字の教室でぱぴちゃんを待つ。ついでなので、私も行きがかり上何枚か書く。 夫は出張なので、そのまま泊ることにする。お風呂に入り、一戸建ての寒さに震えながら眠る。
せっかく会社を辞めたのに、暇だと不安になるらしく(貧乏性)、頼まれると断れない性格も災いして、結局あれやこれやと用事を入れてしまう。3ヶ月の失業保険給付期間を一ヶ月分返上して、来週からとある非常勤職につくことになった。一応期間限定で3ヶ月弱。回転寿司的人生もいいけれど、これで名目上非常勤3つかけもちである。とりすぎ?しかも勤務先は、名目上ちょっとずつ違いはあるがほぼ同じなので、期末まで毎日通うことになる。仕事が重なっている割には給料ははっきりいってどれも安い。経験は何事も無駄にならないとはいえ、さて、これは凶とでるのか。
今期のフランス語教室は午前中のクラスをとっていて、今日はその初回なのだが失業認定日なので職安へ。新聞によると職安の御用始となる昨日は、どこかの職安で大行列ができていたそうだが、私が行っているところもすごい混雑ぶりである。私のように認定日が年末年始にかかって変更になっている人と、本来の認定日の人が入り乱れているので、係員総出で対応している。いついっても丁寧に対応してくれるし、本当にご苦労様なことである。 とはいうものの、予測時間を大幅にオーバーして、当然フランス語クラスは遅刻。クラスの途中から入って、なんとが過ごす。クラスの雰囲気はとてもいいと思うが、内容がちょっと初歩過ぎるかも…なんてちょっと天狗な印象をもつ。一回受講してみて、やはりそう思ったら次段階へのレベルテストを受けてみよう。 クラスが終わってから、横浜へ。この前初出品した書道展があるのだ。出品したときは、ぴらぴらの半紙のまま出したので、どんなになっているか楽しみに見る。額に表装された自作品と再会。馬子にも衣装である。 母の書道仲間やお世話になっている方々に初対面の挨拶をしたり、おなじく書道をしている伯母と話したり。臆面もない親馬鹿&伯母馬鹿ぶり炸裂。穴があったら入りたい。展覧会は今日が最終日なので時間がきたところで、みなで手分けして撤収後、中華街へ移動。懇親会。なぜか書道会の懇親会なのにカラオケのマイクが回ってきて、記憶にあたらしい「地上の星」を唄う。入れ替わり立ち代りビールビンを両手に持った人が各テーブルをお酌に回っていたり、おじさま方がセクハラまがいの発言をしたり、久々の異文化に酔う。
朝、ウィルスメールが来る。念のためウィルスチェッカーを最新版にアップデートして、チェックをかける。予想外に時間がかかったため、放置して外出。 先日流れた昼食会を都心部にて開催。メンバーはぱらぐち、なんちゃん、そして週末にデュフィを追って広島のなんちゃん宅に私とともにお世話になるぱぴちゃんの4人。ぱぴちゃんとぱらぐちは初対面。普段それぞれ個別にコンタクトを取っているのでうっかりしていたが、ぱらぐち、なんちゃん、私の3人が揃うのは殆ど5年ぶりのことである。 ネット予約の特典として各自招興酒一杯サービスという話だったが、あけたばかりの甕から四合ビンぐらいの酒器でどんと出される。いかんせん下戸と午後仕事がある人ばかりなので、殆ど私一人勝手に飲む。コース料理の途中でぱぴちゃんが会社に戻り、残る3人でさらに続く料理を食べながら与太話に興じる。食後、まだ時間がある3人はそのままス〇ーバックスへ移動して、さらに与太話。「自称:いじられキャラ」のなんちゃんを二人で存分にいじり倒したり、暴走したり。 解散後、とあるアーカイブスの研究会へ。土方巽の舞踏の振り付けの各部分を絵や言葉で紙に記録したもの(舞踏譜)をアーカイブとして残す、という試みに関する発表およびワークショップ。ワークショップで踊ったお嬢さんは、もともとモダンダンスをやっていた人で、舞踏譜の言葉を伝えられた彼女が、その少ない(しかも初めて聞く)情報をたよりに、いきなりその場で踊るという試み。全ての動きを振り付けられて踊るわけではないので、想像力と創造力、さらにその下地となる実体験や知識が必要になる。年若い彼女には「竿をさす」という動きがわからない。今までの西洋的なダンスの経験から背中をぐっと張り、無意識のうちに指の先まで美しい動きをしてしまう。がに股すり足のどろどろした土着の世界からは遠い。 ワークショップが大幅に時間オーバーしたので、最後のセッションはパス。 待ち合わせのため地下鉄で新宿へ向かう。中吊り広告を眺めていたら「いと、うまい子」という文字が目に飛び込んできた。なにかと思ってよくみたら元アイドル伊藤麻衣子の顔が…。改名してたんだ。どうにもひねりのない芸名である。 tenkoさんにおかりしている本(by 池澤夏樹)を車内で読んでいたら、白頭鳥の話がでてきた。もともとは中国・台湾に住む頭の白い鳥で本国ではペタコという、というところまで読んでハタと記憶がよみがえってきた。小さい頃、戦前生まれの母に教えてもらった童謡に「ペタコ」という言葉が出てきたのを思い出したのである。「ペタコ、白い帽子お母さんにもろた、ぺたこ、白い帽子被ってる、あ、リャンリャカリャンのリャンリャンリャンリャン、リャンリャカリャンのリャン」というような歌詞であったと思いながら、読み進むと、歌詞は少し違うようだが果たして童謡に関する記述も載っていた。てっきり「ペタ子」という変わった名前の女の子の話だと思っていたのだが、白い帽子を被った鳥のことだったのか。それにしても今思い出すに、この歌はなんとも中国的な節回しだったのである。
なんだかんだでお正月休みもおわりである。休みに入る前はあれもしようこれもしようとおもっていたのに、例によってなにもしないまま終わってしまった。こんなことならラジオ体操とか計算ドリルでもやればよかった。 今回の年末年始の思い出は、ひたすら根菜を刻んだことと、2ちゃんの30代以上板の友達がいないスレを熱心に読んだことぐらいか。真面目ことを言えば、双方の両親のせまりくる老いの問題とか、自分自身の今後の身の振りかたとか、わりとマジに考えたぜ、ベイベーということもある。 いいかげん通常モードに入らなければならないので、12夜まるまる飾るつもりのクリスマスツリーも片付ける。朝天気がよかったので、マンションの屋上に上り、くっきりとした西の方の山肌などをながめる。富士山はあいにく見えなかったが、かなり空気が澄んでいる。部屋に戻ってきて、普段あまり使っていない部屋(別名:ダンボールの間)に日が差して気持ちよさそうなので、夫に今日はここで過ごそうと提案する。その前にメールを一通だけ打ちたい、とマシンを持ち込もうとするので、非日常を味わいたいのだからマシン持込禁止!と言い渡す。あとちょっとでいくね、というあてにならない約束を待ちつつ本を読み始めるが、待てど暮らせどこないのである。なんのことはない。奴はいつものようにダイニングテーブルでマシンをひろげ、あとちょっと、といいながら何通もメールを打ちつづけ、日差しはかげり、私の機嫌は悪くなり、うそつき呼ばわりをされることになる。いつものことである。けっ。 すっかり日常に戻ったダンボールの間に入ってきた夫は、マシンの代わりにマクラを持参し、そのまま昼寝突入。普段の生活で、私は牛年生まれの夫を放牧しているような錯覚にとらわれることがあるのだが、こうなってくると自宅で放し飼いしているようなものである。寝ている夫をよそにすっかり日常生活に覚醒し、お正月用食材のあまりで筑前煮を作ることにする。親の敵のように片っ端から根菜を乱切りにする。鶏肉とこんにゃくは切らしていたが、一昨日鶏肉の八幡巻きを作ったときの煮汁をなんとなく冷蔵庫に取っておいたので、そのままそれで煮ることにする。鶏肉が入っていないのにちゃんと鶏の味はする不思議な筑前煮のできあがり。あとでちゃんと買ってこよう。 メールチェックしていると遠方より「折り入ってお話があります」と携帯に電話。とんとん拍子とはいうが、あまりの展開の早さに言葉を失う。 夕方スポーツクラブへ。ボイラーが故障していてプールはつかえないんだと。私はプールの用意しかしてこなかったので、無駄足になる。昨日電話したはずですが、と窓口のオネーチャン。謝るそぶりも見せないので夫憤慨。私は怒る気力にもならず。もともとここのクラブは従業員の態度がなっとらんのだ。期待するほうが間違い。1000円とカギを夫から預かって、スーパーで買い物をしてから帰ることにする。必要なものは鶏肉、こんにゃく、たらこ、トイレットペーパー。買い物を始めてから1000円じゃ足りなかったような気がしてきたが、低価格のものを選んで、4品で消費税込み987円で上がり。なんか倹約が得意な主婦のようである。 夜、武蔵。初回はたるい展開。新之助は異相だと思う。
年末年始唯一の遠出。栃木に行くのだ。浅草まで出て、東武線に乗る。 うちから浅草までいくには何通りかあるのだが、どれも決定打というのがない。乗り換え案内で検索してみると、乗り換え数も値段も安くて遠回りとか、直線距離に近いけどやたらと乗換えが繁雑で値段も高いとか、しかも10分程度の差しかないのである。いっそターミナル駅までバスで出ようかと思ったが、家を出てバス停に近づいたとたんに可能性の有る2台ともバス停を通り過ぎていってしまった。結局一番乗り換えが少ないルートでいくことにする。 普段はあまり読み物の本を持ち歩かないのだが、今回はお出かけなので借り物の文庫本を鞄の中に入れてある。読み終わらない(&乗り物酔いしない)程度にぼちぼち読む。面白い。浅草でお弁当とお年賀を買い、駅前のスターバックスで時間を潰す。航空会社のタグをつけた大荷物持った外国人の姿がちらほら。成田への玄関口でもあるのだな。 快速なのでがらがら。本を読んだり、車内に持ち込んだコーヒーを飲んだり、お向かいに座っている若い女性3人組(一泊で日光にいくらしい)の恋愛話を聞くともなく聞いたり。この沿線は充分首都圏への通勤圏内で、駅前から新興住宅街が望めたり、駅名が妙に不自然に長い「〇〇××台」なんて名前になっている。やがて家々の間が疎になってきて、だんだん風景がさびしくなってくると目的地である。駅に降り立つと寒い。 車で迎えにきてもらって家へ。おこたにあたりながら持参のお弁当を一緒に食べたり、お茶を飲んだり、犬に構ったり吠えられたり。夜食事に出る。キーンと冷え込んで見上げると星空が。カシオペア座が見える、ということは北はあっちか、などと小学校の理科の知識を脳みその奥からひっぱりだしてくる。食事を終えて戻ってくるとカシオペア座の代わり北斗七星が山の陰から端をのぞかせている。反対側にはオリオン座。腰につけた剣までくっきりと見える。それにしてもまたしてもおなかが一杯。はちきれんばかりである。 栃木を9時前に出て、浅草へは10時。そこから家まで1時間。休日ダイヤの夜更けなので接続が悪くてよけいに時間がかかる。耐え切れずに最寄のターミナル駅からはタクシーを使う。まともに電車をつかったら30分以上かかるところを、所要時間10分。使う価値はある。家についてからなぜか昨日のおもたせのキャラメルがけポップコーンを貪り食う。やけの大食い?
水は方円に従い、鞄が大きくなれば荷物は増える。 私の実家は決して狭くないのだが、それが災いしていつも散らかっている。散らかっていることを恥じない母ならそのままお構いなしでよいのだが、あいにく人一倍の見栄っ張りなので、というわけで(というわけで?)、お正月は私の実家へは行かず、彼らが来る。ついでに同居している兄の家族も一緒に新年会である。このマンションに越してきて丸二年が過ぎ、今年が三回目のお正月である。身内の集まりとはいえ、お正月なので少しは改まりたい。初めの頃は見栄を張っていろいろ準備していたのだが、最近になってようやく力を抜くところと手をかけるべきところがわかってきたような気がする。両親からは、数の子と父が作った田作りを持ってきてもらい、兄の家族は義姉おすすめの店のパンとケーキ。それとチーズを持ってきてもらうことになっている。 準備が大体整ったところで、雪が降り始めたと母から電話があった。驚いて窓の外を見ると見る見る街が白くなっていく。これは大変。実家からうちまではバスで一本とはいえ、幼児と大荷物では大変なので、兄達は車で来ることに。路上駐車はいた仕方ない。時間がぽっかり空いたので私達だけで先にビール缶をあけてしまう。案外早く兄達が着き、軽く飲んでいると両親も到着。どっかり腰を据えて、飲み食いを始める。子供達も食べる食べる。気持ちよいぐらいにお皿の底が見えてくる。一段落して今度はおもたせのパンとチーズ。おいしい。前回「とりならべ」の時半分冷凍しておいたクラブモールドも日の目を見る。クリスマス限定(笑)のシャンパンを開ける。 そろそろデザートと言うときに、両親は近所で一軒寄るところがあるからといって、先に出る。ケーキを食べて、紅茶を飲んでまったり。普段デパ地下や街のケーキや探索などをしないので、外界の人が持ってきてくれるケーキは楽しみである。兄達が着いた時から、兄の車の前に四駆が一台あやしく停車していて、JAFの車両なども来ていたのだが、ついにJAFのレッカーで運ばれていった。それを見ていたこちらはすわ駐車禁止のレッカー移動かとパニックに。JAFとわかり一安心したところで、なんとなくお開きに。雪は氷雨に変わるなか兄達家族は帰ってきった。 結局JAFを呼んだ車は、私達がぬくぬくと飲み食いしている間にもずっとあの場にいたのだなぁ。レッカー車を含めて3台もJAFが来ていたが、ずいぶんお金がかかるだろうと同情する。
お正月用に買っていたお餅があまりにおいしくなくて哀しくなったので、ほんの朝飯前に近所のスーパーへもう少しまともなお餅を買いに行く。ついでに近所のお寺でお参り。ここはお祖師さんで、民衆信仰のメッカみたいなところなので、縁日のようににぎやかである。鐘撞き堂で鐘を撞かせてもらい、本堂でお屠蘇をいただく。いちいちお布施というかお賽銭というか、幾ばくかを三宝の上に置くのだが、なかなか面白い経験である。 買い物とお参りに1時間ばかり費やしてようやく戻り、買ったばかりのお餅でお雑煮にする。お雑煮というのは、誰に聞いても「うちのは普通だよ」と答えるらしいが、我が家のは関東のおすまし風。全然「雑」煮ではない。鶏肉と三つ葉。あとは小松菜や練り物が入ったり入らなかったり。夫の実家は鳴門が入る。 食事を済ませてしまうと朝刊も年賀状の配達もなく、コレといってやることがない。ネットにはつないで見るが、メールの返事も掲示板への書き込みもなんとなくする気がしない。ごろごろと過ごし、このままごろごろしていても仕方が無いので マンションの屋上に上がって景色を見てみる。うー寒い。すっきり晴れ上がっているわけではないが、遠く筑波山まで見通せる。今度は2kmほど離れた神社に行くことにする。歩いていくと到着前に日が暮れそうなので、行きはバス。神社も大賑わいである。普段は静かで趣のあるお社なのだが、正月気分を盛り上げようというのか、安っぽい屋外スピーカーから「春の海」などが流れてくる。 腰の曲がったおばあさんがお賽銭箱の手前まですたすたすたと石段を上がっていく。昔の人は鍛え方が違う、と感心。 参道の屋台でわた飴を一本買って、食べながら歩く。四半世紀ぶりである。日が暮れるとぐっと冷え込んできて、割り箸を持つ手が冷たくなってくる。強風にあおられて巻いてある綿の部分がめくれてくるのを慌てて口にほおばる。二人で一本食べ、満足を通り越してやや食傷気味。今度食べるのは還暦すぎだろうか。
昨夜の中島みゆきはさすがになにか尋常じゃないオーラを放っていて、そんじょそこらの「アーティスト」とは違うことを認識する。紅白は中島みゆきを狙いつつザッピングしながらなんとなく見ていたので、他の歌手なども見るが、ベテランはさすがに聞かせると思う。裏番組で夏メロ特集をやっていたが、聞くも痛々しい往年のベテラン歌手がちらほら出ていて、経験が長けりゃいいわけでもない残酷な現実を目の当たりにする。紅白のフィナーレは見ずにお風呂に入り、何事もなく年が明ける。我が家の窓は二重窓および内廊下なので、除夜の鐘は聞けず。わざわざ除夜の鐘を聞きに支度をして出かけるほど律儀でもないので、そのまま寝た。 翌日遅めに起きて、昨日までに作って保存容器に入れておいたものを一つ一つ角皿に並べる。やや虚しさが漂う。本当はいいお重が欲しいのだが、買うなら輪島塗が欲しいし、輪島塗は高いし手入れも大変かと思って今まで買わずにいる。軽くおとそを祝い、お雑煮を食べ、お年賀に「ひよこ」を持って夫の実家へ。夫の実家でもお重はなく、そこでもお雑煮を祝い、簡単なおせちを食べる。too much. 雪が降るという予報だったが、晴れ間が覗いてきた。義母が初詣に行きたそうにしていたので、出かけることにする。寒いのでちょっと遠くて歩いていけるところよりは、いっそ電車で行くようなところがいい、という話になる。義母は思うところあるらしく「水天宮」がいいというので、おとなしく従うことにする。地下鉄の水天宮駅を降りると、長蛇の列である。おなかの大きい人が目立つ。妊婦元気である。列の最後尾について、ぞろぞろと歩く。タレントのだれそれは四十何歳で出産したんだから大丈夫よなどと、義母に無邪気に励まされ、曖昧に笑って応える。お参りをして、とりあえず気も済んだようでよかった。 近くのホテルのラウンジでお茶をすることにする。お正月気分にあふれている。義母は機嫌がよく、ムリしてケーキセットを食べましょう。というのでムリしてスペシャルデザートを食べる。far too much.暗くならないうちに解散、帰宅。
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