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2002年12月31日(火) おせち作ったり。

昨日のお酒抜けず。寝坊した上に二度寝。
目がさめてからはせっせとおせち作り。部屋は片付けるそばからみるみる散らかっていくのであきらめる。生協で少人数向けのおせちセットを頼んであるので、気楽。これは外せないきんぴらごぼう、紅白なます、酢ばす。例年はこんにゃくと鶏肉が入ったお煮しめを作るが、今年は根菜類の含め煮。いちいち、だし、みりん、さとう、薄口醤油で味をつける。それと栗きんとん、今年初めて挑戦した黒豆。栗きんとんは出来合いの裏ごしサツマイモを使うので思ったより簡単。
それにしても、使用する砂糖の量の多さよ。お菓子でも作らない限りこんなに砂糖を使うことはない。味見のし過ぎで下の感覚が変。甘いものを食べ過ぎた感覚に似ている。
おせちを作るのがめんどくさいと泣きが入っていたので、母に電話をかけて夕方両親にカラのお重を持って来てもらう。4時半過ぎに連れ立って蕎麦屋へ。早々に年越しそばを食べ、近所のお祖師さんの様子などを見て戻る。蕎麦屋に行っている間に保温調理鍋で火が通ったさといもの含め煮も加えて、祝い箸を2組そえてもって帰ってもらう。
紅白も始まったので、あとはお風呂に入ってだらだら過ごすだけ。

今年もお世話になりました。来年もわくわくどきどき挑戦の年でありますように。


2002年12月30日(月) 忘年会行ったり

昨日のキムチ鍋のおかげで朝から目がさめる。うー。胃がちりちりするぜ。
普段食べつけていないだけに、たまに食べると違和感ありまくりなのだ。ちなみに昨日のお昼はガーリックトーストだった。
昨日の掃除の続き。もう一度窓ガラスを拭いてみる。ややすっきり。リビングのガラスはブラインドなのでごまかすことにする。ブラインドの桟の掃除もしなくちゃなー。ドラマの意地悪姑に「あら?」と指でツーっとされそうな埃のたまりっぷりである。ちなみにうちの義母はそんな人ではない。でもきれい好きなので多分そんなところを見たら、いやみを言う前にさっさと掃除しちゃうだろう。レースのカーテンを洗濯。ざっとあらったが、まだ黒ずんでいるので漂白剤にも漬ける。洗面所を掃除して、洗濯機をまわしつつ手洗いもして、手がすごく冷たくなったので、なんだかずいぶんはたらいた気がする。昔の人はえらかったねえ。
お昼は性懲りもなくカレー。たまねぎと鶏肉を炒めて中村屋のチキンカレーのレトルトに足す。スパイシーといいつつマイルドだよな。中村屋。あ、そうそう黒豆はいい感じである。古くぎを入れなかったので退色しているが、味と歯ごたえはばっちり。元旦用の御餅を買いにコンビニまで行くが、お飾り用のお持ちしかなく、アイスを2個買ってかえり、食後に食べる。
午後少しPerlをいじってみる。きれいなhtmlファイルを吐き出すべく、インデントを入れたり。
夕方から外出。大学のオケの金管パートの人々が毎年やっている忘年会に、呼んでもらったのである。せっかくなのでほいほい出かけることにする。
ではいってまいります。


2002年12月29日(日) 掃除したり。

朝起きて、マンション地下のゴミ置き場と2往復。かなりすっきりする。
夫はたまの休みなのでたまった雑誌などを読みたい模様。
考えてみたら、家にいる&暇な時間は圧倒的に私の方が多いので、家で暇している間に掃除ぐらいしろよ、奥さん、という感じなのだが、自分ひとり働いて横でごろごろしているのもなんなんなので、半ば脅迫的に掃除の手伝いをさせる。すまないねぇ、夫。ガラスを拭いて、鏡を拭いて、床を拭いて、隅々まで掃除機をかけて、トイレを掃除して、ついでに冷蔵庫の掃除をしてクズ野菜でスープ。
午後は自由時間。夫の分の年賀状の宛名書きを手伝って、早めに夕食。市販のキムチ鍋の素を使って牡蛎鍋。


2002年12月28日(土) 年賀状書いたり

朝起きて、朝食を食べている脇でプリンターからどんどん排出させ、年賀状印刷終了。気が緩んで昼寝。あとはひたすら書くだけである。昼食をはさんで書きつづけ夕方自分の分は終わらせる。殆ど「年賀状だけの付き合い」の人達である。去年のはがきを元にして書いているので、今ごろはがきの中身を丁寧に読んだり。今後この人たちをキープしていくのか、それとも徐々にフェイドアウトしていくのかはわからない。夫は昼間殆ど眠って過ごす。せめてどうしても礼を欠いてはいけない人たちにだけは書くように促して、いっしょに投函。
夕方、生協の宅配で山のようにお正月用品が届く。今年は黒豆を煮てみようと思う。料理の本を見ると、さびた釘を入れるように書いてある。そういえば最近の釘はさびないので、紙やすりでこすって傷をつけ、雨ざらしにしておけばよい、などとどこかで読んだことがあるけれど、さすがに今からじゃムリだな。さびた釘は売ってないものだろうか。


2002年12月27日(金) 年賀状作りなど

わけあってPerlのCGIを勉強している。だいたいPerl自体をいじり始めてもう3年ぐらい経つのに、いまだに初心者の域を出ない。マニュアル本だけは3〜4冊持っているのだが、UNIXベースにかかれていて、WindowsでPerlを使う私にとってはとてもややこしい(っていうのも本当はとても情けない話なのだが)。だったらWindows用のを買えばいいじゃん!と思うのだが、やっぱりそうなるとただ本が増えるだけなので、手持ちのものを手当たり次第ひっくり返してなんとかする。ということはなんとかなるってことさ。そもそも大したことをやりたいわけではないのだ。もうすこし自分の頭で考えるとか、自助努力が必要です、れいこなさん。

越年準備もそっちのけで、格闘して、夕方一段落ついたところでやめる。今日は夜新宿でカラオケなのだ。ちょっと時間があるので、やっと年賀状準備。
結婚したばかりの時は、義父の会社経由で印刷所に一緒に頼んでいたのだが、一昨年あたりからパソコンに目覚めた義父が、自分の分は自家製にするようになり、したがってわれわれも自分達で作らざるを得なくなったのだった。
今年は初めから作るつもりで、プリンターを買い換えよう(うちのプリンターは私達が結婚準備をしているときに買ったインクジェットで、画像を印刷するにはやや粗い。)といっていたのだが、ずるずると先延ばしにしてしまったので、このまま古いプリンターで印刷することにする。当初はうちにあるぬいぐるみのヒツジでも撮って乗せようかと思っていたのだが、それもやめ。ネットで適当にテンプレートを検索して、文章を変えて終わり。なんて簡単なんだ。子供の頃は母が謄写版(いわゆるガリ版ですね)の通信教育をとっていて、毎年その年賀状キットを使って家族総出で印刷していたものだが、それがやがてプリントごっこに移り、さらにプリンターに。原稿作成はものの30分である。しかも年賀状を交わす人は年々少なくなっているので、印刷も大したことはないだろう、とたかをくくる。

いざ印刷を始めてみると、スカ。殆どつかっていないので、インクが固まっているらしい。カートリッジは黒とカラーがあるのだが、買い置きはカラーしかない。カートリッジを交換するが、黒がでない。いっそ、黒の部分も濃紺でごまかすか、と一瞬考えるが、カラー部分は赤がちょっとしかはいっていないので、いかにもコスト高。しかもカラー部分も美しくなく、黒カートリッジがないせいかも、と考えてカラオケに行く前に買う事にする。家電製品量販店にいってインクを探すが、最初に行ったところは家電館で、さらにそこから300mほど離れたパソコン館の地下2階でゲット。長い道のりであった。

カラオケは、今年の唄い納め。今日行ったところは初めてのところで、歌の種類は多いが、料理はたいしたことがない。歌の検索に時間はかかるが、シャンソンもフランス語歌詞のものがいくつか入っていたので立て続けに入れる。フリガナがついているのでそれっぽく歌えるが、完全に自己満足。周りは食傷気味。中島みゆきも濃いのをどろどろと唄う。5人で3時間。不完全燃焼気味なのはなぜ?

家に帰って買ってきたカートリッジに交換。これで黒もばっちり!と思いきや、やはりスカ。何度か試してみるがやはり上手くいかないので、結局黒の部分は濃紺にしてみる。できあがってみると、濃紺の方がよかったかも。思いがけない効果ににんまりしつつ、何のために黒カートリッジを買ったのだか、虚しさも漂う年の瀬である。


2002年12月26日(木) 出し抜きデート

ぱらぐちとランチデート。実に3年ぶりの再会である。
そもそも別コンテキストで数人でご飯を食べることになっていたのだが、主催者の都合が悪くなり、事前キャンセルになったのだ。しかし燃え上がった炎消し去りがたく、抜け駆けで二人だけで何回か芝居がかった熱いメールを取り交わし、表参道で会うことになった。待ち合わせ時間より少し前についたので、あたりを散策。昼間表参道に来るのも何年ぶりかも。洒落た新しいビルがにょきにょき建っていて、レストランとかカフェとか雑貨やとか並ぶさまは外国の街の一角のようである。でもランチの値段はおおむね安い。
待ち合わせ場所に立っていると、向こうからやってきた人がみんなぱらぐちに見える。茶パツのぱらぐちとか、業界風のぱらぐちとか、痩せたぱらぐちとか、毛皮のコートを着たおばさんのぱらぐちとか、いろんなぱらぐちをやり過ごしていると電話が鳴った。突発的事項により待ち合わせ地点よりかなり南西にいる様子。こちらに向かって歩いているというので、私もそっち方面まで歩いていき、途中で感動の再会を果たす。「ううう、会いたかったよ、ぱらぐち」「俺もだよ、れいこな」。とりあえず熱く見詰め合ってみる二人。
さっき散策中に見つけた洋食屋にさっくり入り、食事をする。歯が浮かない程度におだててもらい、気分よくしゃべる。近況報告に始まって、最近考えていることとか、家族や知り合いの話とか、結構青臭いことをフツーに話す。なんか親戚に久しぶりに会うみたいだなー、と事前に言い合ってたのだが、何時間か話してみて、お互いの親戚成分を再確認した感じ。従兄弟とかって、普段つるんだりしないけど、盆暮れ正月や冠婚葬祭にたまに会うと妙に心が通じちゃうって言うか、そんな雰囲気である。
河岸を移して、とりとめもなく話をする。ぱらぐちに話してその反応を聞いて、自分の心の中が再認識される、というのを繰り返す。そういえば最近、家族以外のだれかとリアルでじっくり話し合うってなかったかも。せっかくなのでいろんな話を振ってみる。お互い利害関係もライバル意識も上下関係もないのですごくラクチンなことを再発見する。
渋谷まで歩いて、もう少しまめに会うことにしようと約束して別れる。
道路も人も大混雑。いよいよ年末である。


2002年12月25日(水) あらま。

週に一度の就労日。年末なのね〜。郵便局によって今更インクジェット用年賀状を買う。去年も同じ郵便局で楽勝で買えたのだが、今日行ったら売り切れ。オフィスビルの地階にあるので、たかをくくっていたのに。無地ならありますよ、という親切な申し出を断って、もっと人がこない穴場の郵便局へ行ってげっと。粗品の年賀状フォルダと筆ペンを貰う。こんなの初めて。

仕事は午後の部のみ。普段の通用口から入れず、唯一あいている入口までぐるっと回る。と、遠い…。オフィスのカギを取りにいったらいつもの事務室ではなく、さっきいった入口脇の守衛さんのところまで行くことに。はあぁぁ。

昼ご飯は石焼ユッケピビンバ。石焼ピビンバは混ぜれば混ぜるほどおいしいというので、張り切って混ぜるが、そうするとユッケにみるみる火が通っていってしまうのであった。

のんびりムードで仕事をして7時ぐらいにあがる。例の仕事の話のメールがきていて、ますます悩む。あまりいい話とは思えないのだ、やはり。うーむ。結論は年明けなので、しばらく膝を抱えて丸くなって考えてみることにする。

帰宅して、ポストから郵便物を取り出す。昨日の夕刊も入っていたので、昨日は夕刊取り忘れていたらしい。先日誰にも内緒で受けていたフランス語検定の結果が返ってきていた。4級・5級をまとめて受験したのだが、全然勉強する暇も気力もなかったので、5級はまだしも4級はとてもムリとあきらめていたのが両方とも合格。びっくり。4級はなんとか合格、という感じ。明日受けたら落ちるかも。


2002年12月24日(火) クリスマスイブ

朝食は昨日の残りをもぐもぐと食べる。普段が粗食なので残り物でも結構夫は嬉しそうである。要は素材数がいつも少ないということか。私はクリスチャンではないので、クリスマスを祝うという習慣もなければ、商業的にクリスマスを楽しんだりプレゼントを交換したり、という発想もあまりないのだが、そうはいってもこの時期になるとやっぱりその気にはなってくる。というわけで、朝からE-Mailのクリスマスカードが届いたり、そういえばと泥縄で送ったり。
そんなこんなで昼時になったので、朝食の残りをさらにもぐもぐと食べる。ふむ。結構満足してしまった。午後遅くになってから、懸案だったWebCGI作り。大して難しいことはやっていないハズなのに、エラー頻発。何事も無駄になる経験は無いのだと自分に言い聞かせつつ、無駄に時間が過ぎる。
夕方生協のお正月用品が大量に届く。ということは、この間うんうん考えて申込書を書いてからもう1週間たつのか!早いー。
夜は、ご飯を炊いてネギトロ丼。夫がケーキを買って帰ってきたので、食後に食べることに。はずみで買ってあったシャンメリーでも開けようかというが、そういう気分にはならないらしい。ローマ法王が最近の商業ムードに苦言を呈したというし、祝う気分にはますますならないのだった。


2002年12月23日(月) とりならべ

どんなことでもやりつづけると伝統になるというか、まあそんな感じに「とりならべ」である。ケンタッキーフライドチキンは、9つの部位に分かれて売られていて、それをしかるべき姿に並べると、原型を彷彿とさせる形状になる。それを厳かに執り行うが「とりならべ」の儀式で、年末鳥を食べたくなるこの時期に我が家でそれをやるようになってもう4回目である。なんてことをぐだぐだ書いているより、他の参加者のWeb日記を読んだほうがよっぽど詳しくわかるほど、ネットな方々の集まりでもある。多分このキーワードで検索をすればかならず一つや二つのページはヒットするでありましょう。

集まりは15時からなので、午前中に掃除を済ませて、ざっとセッティング。例によって人がこないと掃除しないところも手をつける。お昼前にスポーツクラブへ。さすが連休ですいている。ほとんど貸切状態で1時間ほど水中ウォーキング。昨日買いそびれたサラダ菜とジュース類を買いに近所のスーパーへ。ぱぴちゃんのリクエストによりペプシコーラのペットボトル2本購入。お茶、ビールも買うことになる。牛乳も買ったので、結構重くなる。2時過ぎに帰宅。グラスを出したり、ディップを作ったりしている間にお客人到来、三々五々始まる。ほぼ去年と同じメンバーなので、人見知りもせず、いっきに飲み食いかつしゃべる。1時間ほどでおなかが落ち着いたらしく、かわるがわるマッサージチェアで魂を抜かれたり、勝手知ったる他人の家で、文字通りat homeに過ごす人々。

本日のゲストとして、保険屋に転職した友人も呼んでいた(というより、彼は近所に住んでいて、カレンダーを届けにくるというので、どうせなら名刺を配るチャンスがある時にきたら?とこの日を指定していたのだ。「保険屋」というのは、別にHNじゃありません。>NEOさん)ので、彼がくるのを待って「とりならべ」の儀式へ。相当まったり度が高まったときにぽっとしらふで入ってきて、いきなり「とりならべ」に遭遇するが、さすが営業職、さりげなくその場に溶け込んでいた。

「ふぅー、おなか一杯」と腹をさすっていた人々は、その後フライドチキンを食べ、ケーキを2ホールたいらげ、かつアイスクリームを食べ、口直しの柿の種もぽりぽりとかじり、8時過ぎに「あら、もうこんな時間!」といって帰り支度。来年「とりならべ」は5周年だ!伝統はやがて伝説に。


2002年12月22日(日) ざくざくと。

朝、メールチェック。前の職場で一緒だった人からショッキングなニュースが飛び込んでくる。社長以外の〇〇長と名のつく人を全部クビにするという。そのなかには部下達から「無能」と陰口を叩かれていた人もいて、いたずらに人件費を食っていたことは認めるのだが、残りは、平社員と経営陣のみ。こんなで会社が動くのなら、もともとその人たちを雇って頭でっかちな組織にする必要も無かったはずである。身軽にしてよそに会社ごと売り払うつもりなのだろうか、自分達だけが助かればよいという魂胆がみえみえである。呆れてモノもいえない。ぺっぺっぺ。

午前中、ちょっと離れた高級スーパーへ歩いていく。一応明日何人か家に招くので、その準備。そのスーパーでは日曜日の早朝セールをやっていて、時間までに一定額以上の買い物をした人は食器がもらえる。別にがんばって早くいってまで食器なんかもらいたくない、と常々思っていで実際一度ももらったことはないのだが、今日はいったらまだ引換券を配っていて、ついふらふらと受け取ってしまう。引換券が有る以上は一定額買わないといけない気がして、近所のスーパーでも買えるものもつい買ってしまう。結果「一定額+1000」円で、小鉢ゲット。まんまとはめられている。パンを買って、重い荷物をぶら下げてふらふらと家に帰る。

家に帰ってメールちぇっくがてらちょっと一服のつもりが、ながながと2ちゃんを徘徊してしまう。自分の出身大学院に関するスレッドを発見して、クラクラしながら読む。なんだかなー。

うっかり午後ネットに費やしてしまい、夕飯のしたくと併行して、明日のための料理を始める。メインとデザートは調達済みなので、こちらはいたって気楽。ディップ用の生野菜を切り、カリフラワーとブロッコリーを茹で、きのこのマリネ、クラブモールド。念のために塩漬けの豚も茹でる。あら熱がとれたところで保存容器に入れて冷蔵庫へ。どれも過去に作ったことがあるものなので、目新しさはない代わりに失敗もなし。これで明日は盛り付けるだけだ。

普段二人分の食事をちまちまと作っているので、このように材料をふんだんに使って一気に料理できるのは楽しい。ブロッコリーとカリフラワーの芯、冷蔵庫に残っていた野菜の切りくずを茹でてスープに豚の茹で汁も足して、調味料は塩だけとは思えないスープが出来あがり。7時に帰るといった夫が8時半過ぎに帰ってきたので、余熱でかなり火が通り、とろとろの野菜スープになる。ベーコンを足して夕飯に。


2002年12月21日(土) ぐだぐだと。

なんだか朝からやる気がでない。洗濯をし、とりあえずクリスマスツリーを飾り付ける。集中力がでず、休み休み。なんでこんなツライ思いをしてまで飾り付けをしているのか疑問に思う。さすがに飾り付けが完了したツリーは立派。それにしても和室にツリーは似合わない、っていうか貧乏くさい。
やる気がでないなら、いっそぐーたらを決め込んでしまえばいいのに、往生際悪くだらだらと片付けものをしたり、書類の整理をしたりで、よけいに疲れる。こういうときはパソコンの電源をいれていてもゲームしたり、2ちゃんを徘徊したり。結局目が疲れるだけだよな〜。ちょっと頭も痛くなってきたので、夕方耐え切れずに昼寝。意外と熟睡してしまう。
ああ〜もう今日はあきらめよう。


2002年12月20日(金) ざわざわと。

昼から外出。ようこさんと待合せてとある研究会へ。
学生時代に講義を受けたことのあるM女史の講演があるというので、誘ってみたのだ。午後半休をとったようこさんとゆっくりランチ。ようこさんが進めている計画などについて話す。研究会はM女史と男性二人がそれぞれ30分ずつ発表。どう考えても、M女史の講演が内容・プレゼンテーションともダントツにいい。やっぱりああじゃないとね。ちょっと心がざわざわする。講演終了後、出身ゼミの先生と立ち話。「君はいまのそんなバタバタした状態でいいわけ?」といわれる。うーむ(-"-)

夕方、メール受信。「ヒマならちょっと手伝わない?」という類の求人案内がくるかもよ〜という案内。条件は悪くないのだが、そんなにすごいメリットがあるとも思えない。受けなかったらどうなるのか?とか今の時間的余裕のある生活は失われるのか?とか、ぐるぐると考えてしまう。これを受けるととりあえず失業保険の対象からは外れるだろう。まあ考えてみると贅沢な話ではある。人生何一つ無駄な経験はないというが、前回の職で無為に時間ばかり取られたのがトラウマになっているのかも。追って詳細がくるというのでペンディング。

結局自分が突かれると弱い部分が露呈しているよな、と思う。


2002年12月19日(木) カウントダウン

朝、職業安定所に失業認定申告書の書き方について問い合わせの電話。なんで私の求職活動はこんなにも申告書のフォームに合わないのか、と思う。メインの欄に書くことは殆どないかと思えば、欄外にはみ出すほど書く量がある。求人と求職のミスマッチが最近問題になっているが、私もそうなのかも。要はお役所が想定している申告書ではあらわしにくい求職活動であるわけだ。

やっとクリスマスツリーを出す。うちのはイギリスにいたときのクリスマスに浮かれて買ったもので、帰国した年に夫の実家で飾ったが、今のマンションに越してきてからは去年も一昨年もおっくうで出さなかった。高さ180cmの組み立て式。ツリー本体を出したところで力尽きる。続きはまた明日だ。寝室にしている和室に置くが、布団はどう敷くんだ?

買い物を済ませてから、夕方近くに実家へ。この前母に頼まれて買っておいた洋服と書道の清書を持っていく。母ご機嫌。私も母について新年会にでることになっているので、何年か前にサイズが合わないのを承知で買ったワンピースをサルベージ。前はどうしても大きすぎたのだが、今はピッタリ♪大きくなったねぇ>自分。

夕方フランス語教室。こちらも今学期の最終回。できないのを年のせいにして、答えてるより、言い訳している時間の方が長い方々ともお別れ。


2002年12月18日(水) ニワトリ人

例によって就労日。
先週説明したのに、そのことをすっかり忘れている目の前の人々に愕然とする。あんたたち、ニワトリ?予定時間内に終わらず、焦る。午後、自分の仕事。先週説明を受けたことをすっかり忘れている自分。私もニワトリ?

元同僚のフランス人たちと昼食。ニワトリのような人々の話をすると、ニワトリみたいってどういうこと?頭がいいってこと?と聞かれる。いや、三歩歩けば忘れる、ということわざのことだというと、「ああ、『僕の上司(仮名)』さんみたいに?と聞かれる。ま、そんなモンかな(汗)。前職の職場はいよいよ空中分解寸前らしい。ていうか、私としては心ある有能な人が離れていくように見える。箍(たが)が緩んで、芯も抜けて、それはそれで正しい姿である。そして正しい姿の末期を是非この目で見てみたいと思う(クヒヒ)。
しかし、みんなそれぞれの道を歩み始めるとなると、こんな風に一緒にご飯を食べたりすることも出来ないわけで、それはさびしいのであった(涙)。

自分の身の振り方もいろいろと考えてしまう。あと5年はこのままいけるとして、この先どうするか?とか。私のように「そこそこポテンシャルがあり野望なし」みたいな生活をしていると、ヒマなら手伝わない?というような手間仕事程度の話は割とくるのだが、それに甘んじていていいのか?とか、やっぱりヒマなのがいいや、とか、それじゃ人間的に成長しないんじゃないの?とか、意外と悩ましいのであった。

夜、発音のクラス最終回。基礎のおさらいをすると意外と出来ていないことが発覚。やはりニワトリか。今のクラスから次課程に進む人は2人。うーむ、クラス存続の危機。


2002年12月17日(火) 引きこもり主婦の実態。

今日も意地で外出しないで済ます。生協の正月用品の申し込みなど。普段買わないものばかりだし、2週間分なので、考えて記入するのに意外と時間がかかった。ほとんど篭城ですな。DVDのアメリ聞き流しながら、お昼過ぎから書道の心だ。理解しようとしないで聞き流すのが上達のカギ!などというキャッチフレーズの語学教材があるけれど、ある意味正解のような、やはり間違っているような。耳が慣れるまでガンガン聞くのは確かに重要だけど、しかし、それを真に受けて聞き流してしまっては、いざと言うとき、相手の行っていることを聞き流してしまうのではないか?やはりある程度キーワードぐらいは理解していないと。(体験談@フランスにいってもフランス語をついつい聞き流してしまった私)
夕方からニュース系の情報番組で「ひきこもり主婦」についての特集をなんとなく見る。うわー。これは大変そうだ。怖くて月に一度しか外出できない人とか、キッチンドランカーとか、家事のプレッシャーで朝から晩御飯を用意せずにはいられない人とか。そこへ行くと、私なんかただの不精だもんな。「結婚→出産→育児→更年期」という流れの中で、それぞれのイベントがきっかけになって症状が出るらしい。真面目できちんとした人ほど自分を追い詰めて、余計に症状が重くなっているようだ。平凡で一見恵まれた人生の人の方が陥りやすいだろうと思う。
夕食は、ありあわせの材料でお好み焼きとごぼうのサラダ。キャベツ、卵、山芋、牛肉、海老、とあったので、楽勝と思ったら、トッピング類が全滅。夫がこの前作った萩焼きでビール飲みたいから買ってくる、というのでついでに鰹節や青海苔を買ってきてくれるように頼む。結局、青海苔は入手できず。まあいいや、ということで乾杯。やっぱりただの不精モノであることを再確認。



2002年12月16日(月) 人並に動いた日

普段は、一度も外出しなかったり他人様と口をきかなかったりすることは稀ではない、ひきこもりぶりであるが、今日は昼前から外出。書道が年末進行であるので、その前に1時間と決めて「漢字」2〜3枚書く。相変わらず始めるまでは腰が重いくせに、1時間15分後に後ろ髪を引かれながら片づけで、出かける支度。
知り合いが会社を興したので、もと同僚と二人で様子を見に行くのだ。ターミナル駅から徒歩10分ぐらいの「ビル」ときいていたが、なんか昔の太陽にほえろ!に出てきそうな、木造モルタルアパートである。その人の奥さんの祖父母の持ち物だそうで、親子3代でそれぞれそこで事業を営んでいるらしい。そこのパソコンを借りてちょっと作業。日当たりがよくてぽかぽかと気持ちがいいのである。自分としてはすごい集中力を発揮して、予定時間内に終了。なんだやればできるじゃん。

4時前に辞して、百円ショップいって余計なモノ買ったり。ロ−ラアシュレイに久しぶりに行く。若い頃は(おお、そう書くことになんのてらいもなくなったぞ)洋服を見るのは大好きだったが、最近はおっくうである。シーズンで1つ2つ買い足すぐらい。そうすると当然手持ちが揃っているここのものになる。
家にいるとどうも、パジャマに毛の生えたぐらいの格好しかせず、ここ何回か宅配の人に無様な姿を見せているので、部屋着用にジャージ素材の被るタイプのワンピースを買う。黒とチャコールグレイがあって、7号サイズを試着。若い頃から(うーん、しっくりくる言葉だ)喪服が似合う女と言われていたが、家の中で着ているとちょっとギョッとするかも。チャコールグレイのほうが違和感がない、がサイズ、特に下腹部は違和感あり。袖丈も身丈もぴったりなのだが、素材が素材だけに体の線が出すぎてしまう。上腕二頭筋もモリモリである。一つ上のサイズになさっては?といわれたのでおとなしく従うことにする。今度は袖丈身丈ともやや長すぎて、ややネズミ男風。でもこちらの方が安心するので、購入。若い頃は7号もゆるゆるだったんだけど…。
ついで母が新年会の集まりに着ていく服がないので、膝上丈のコートと、何かトップに着るものを欲しいといっていたのを思い出したので、母の分もあれこれと見立ててもらって買う。「クリスマスプレゼントですか?」と聞かれるので、「いいえ、母のほうが経済力がありますから」ときっぱり言う。コート買って、カーディガン買って、カットソーのブラウス買って、ワンピース買って、税込みで5万円足らず。なんか、昔はロ−ラアシュレイというと、舶来モノ&高級というイメージがあったのだが、今はぐっと庶民的になった感じ。ま、イオングル−プだしな。

今日は7時から夫の実家で食事をするので、ケーキを買っていくことになっている。その前にまだ時間があるので、同じフロアに入っていたアフタヌ―ンティーでお茶。ケーキが食べたくなってきたが、夫の家に行くと、大量の食事が供されることが分かっていたので、我慢。百円ショップで買った雑貨を洋服の袋に一緒に入れたり、1時間ぐらいボーっと一人でお茶を飲んで、デパ地下へ。コレ!と思うものが無かったので、駅前の別のデパートでお土産用と自宅用のケーキと、朝食用のパンを買う。なんか「買出し?」というぐらいすごい荷物である。よろよろと夫の家へ。荷物の大きさと重さに駅から坂道になっているのをしみじみと実感する。
私の両親が昼間お歳暮を届けに来ていたと言うので、おもたせのクッキーを食べる。実家の近くに新しく出来たところらしい。食事をし、義母が用意しておいた和菓子を食べ、私が買ってきたケーキを食べ、リンゴも剥こうか?といわれたのを押しとどめ、貰って帰ることにする。今年はクリスマスツリーを飾ろうと思って、預けっぱなしにしておいたオーナメント類も持って帰ることにする。夫は本を何冊かもって帰るというので、なんか「夜逃げ?」というぐらいすごい荷物になった。二人でふうふう言いながら持ち帰る。

帰宅後、夫が「ほら」といって持って帰ってきた某学会誌を読む。おお、巻頭特集になんちゃんの名が!押しも押されぬ新進気鋭の研究者である。


2002年12月15日(日) あと2週間で今年も終わり。

朝起きるとすでに日が高くなっている。ほんの朝飯前に12月1日分の日記更新。大掃除などどこ吹く風で最低限の片付け物をしていると、じきに空腹になってきたので、ありあわせの食材で雑炊 a la reikona。デザートにみかんを食べようとしたら、ダンボールに入っているうち一つ真っ青にかびている。ばふ。先週の火曜日に届いたばかりでかびるとは…。残りを救い出し、表面を水洗い。日が落ちる前に書道。今日のところは「仮名(かな)」だけで勘弁してやるぜ、ふっ(涙)。
夕方スポーツクラブ。夜、コンビニに寄ってそれぞれジャンクフード調達。私、コンビニの寄せ鍋セット、夫、カップヌードル大。たまにそういう日もあるさ。


2002年12月14日(土) 討ち入り

うららかな一日である。ぽかぽかぽかぽかのんびり過ごす。討ち入りの日は大雪だったんだ夜なぁ、やはり地球温暖化が…と思いかけるが、あれは旧暦だからそんなものかとも思う。

昨日実家に行ったとき、パンジーを1ケース24株入りを1000円で購入。余った分を持ち帰ったのを、バジルが植わっていたプランターに植える。バジルさん、お疲れさま。最近全然面倒をみていなかったので、ベランダの掃除や、ゼラニウムの選定など。ゼラニウムの樹化した部分にそっくりに擬態している虫(worm)発見。てっきり枝かと思って触ったら、ひんやりとやわらかかったので血の気が引く。夫を呼んで観察。見れば見るほどよく出来ているが、彼の敗因は緑色の茎の部分にへばりついていたことか。努力に免じてとりあえずそのままにしてあるが、一両日中にどこかにいってもらおう。
あっという間に日が翳り急に寒くなってくる。夜某所でコンサート。クリスマスコンサートと銘打っていたが、曲目はあまりクリスマスらしくなく。知名度の高い演奏者だったので、一度は聴いてみるべと思ってなんとなくチケットを買っておいたのだが、多分二度と聴かなくていいな。上手いけど心に響かない、情熱的に弾いているようで本人が一番冷めているような、ちぐはぐな感じだった。加えて隣に座った女性の落ち着かなさに悩まされて、あまり集中できず。彼女にはまったく悪気はないようだが、どうもそうせずにはいられない、というような一種病的な感じ。とてもヤニ臭かったし、コンサートが終わるや否や喫煙コーナーに向かっていったので、ニコチン中毒だろうか?と考えてみるが、そもそもニコチン中毒がどういう症状になるのか知らないので不明。
帰宅途中にとんかつ定食。若い頃(笑)の職場の近所にあったとんかつやの老舗の支店が、近所にあるのを発見。なつかしさに入ってみる。ちょっと本店とは仕上がりが違うか?などと思いつつ、平らげる。お店の人と世間話などをして、また来ます、といって店を出た。
家に帰ってからちょっと夜なべ仕事。


2002年12月13日(金) 師走、車走らず。

13日の金曜日である。2ヶ月ほど前、萩焼きを体験する機会があって、それが出来上がったので、実家にいきがてらとりにいくことにする。実家に行くと連絡すると、母が例の美容院(彼女も私と同じ美容院に行っているのだ)に行くので、車で送ってくれという。それにあわせて朝、バスで家を出る。ここ何回かこの時間帯のバスに乗っていて、早めに停留所を通過することがわかっていたので、急いでバス停に行く。が、意外と来ない。結局バスがきたのは1分遅れだった。いつもより少し時間はかかって実家着。
母を乗せて車で出発。混んでいる。止まってはいないのだが、何しろ車の数が多い。青信号1回では交差点を越えられないこともしばしば。工事による片側通行も多いし、さすが師走である。いつもの道のりを倍近い時間がかかって、母を美容院前で落し、環状線を通って帰る。まっすぐ走る分にはあまり問題ないが、交差点にくると時間がかかる。萩焼きを取りに行き、車をとめる場所を求めうろうろしてしまう。駐車場に入るにも長い列なので、あきらめて路上に停車。ハザードをつけたまま、小走りに作品を受け取りに行く。新聞紙でくるんでいるものを渡され、一応中を見てください、と言われるので焦る気持ちを押さえて、中身を見る。なかなかの出来である。といっても殆ど先生が形成してくださったのだが。ちなみに私が作ったのは片口碗、夫が作ったのはビアマグ。萩焼き独特のいい色が出ている。結局実家にもどるまで1時間が経過していた。都内で2つの区を行き来しただけでこれだけの時間がかかるのか。うんざり。
もどってから、改めて包みを開けてみる。これが自分の手を経たものかと思うと、釉薬のヒビ入りすらじっくりと興味深く眺めてしまう。ぼってりと重い、肉厚な触感を楽しむ。
帰りのバスの時間に合わせてバス停にいくが、時間をずいぶん過ぎてもバスがこない。あまりに来ないのでひょっとしたらもう行ってしまったのだろうか、と思い始めて、ハッともう一つの用事を思い出す。歯医者さんに頼んであった歯ブラシを20本とりにいくことになっていたのだった。すっかり忘れていた。もしかしたらあと2分後にバスがくるかもしれない、と思いつつ徒歩5分の歯医者さんへ行く。歯ブラシを購入し、また5分後にバス停に戻る。時間どおりならばあと10分で次のバスがくるはず。ほどなくしてバスが来た(!)。いくらなんでも、次のバスが早くきたわけはないので、これが私が乗るはずのバスだろう。じつに30分遅れ。途中で歯ブラシを買いにいったので、ちょっとは時間を有効につかったかも。それからものろのろとバスは進み通常の倍の時間がかかった。トータルで3倍の時間がかかってやっと帰宅。

夜、11時からNHK金曜フォーラムを見る。赤+字シンポジウム。緒方貞子さん。


2002年12月12日(木) 筑前煮

先週の私は筑前煮が食べたかったらしい。生協で届いた品物を見ると、野菜セット(キャベツ、にんじん、さといも、きゅうり、ほうれんそう)の他にごぼうとれんこんが買ってあった。こんにゃくを買い足して筑前煮をつくることにする。
夫は今日は食事が入らないと言っていたし、私も夜はフランス語教室なので、今日作る必要はないのだが、別に今日作って明日食べてもいいし♪と夕方出かける前に作り始める。筑前煮は作り立てでも作りおきでも、熱々でも冷めてもおいしい。作るのは難しくないが、揃える材料は比較的多く、野菜の皮をむいたり、水にさらしたり、意外と下準備がかかるので、最近では好きな割にあまり作らない。

ところで、筑前煮は新婚時代を思い出させる一品である。結婚してから半年間は完全に専業主婦で、職住接近で夫も昼食時に帰宅していたので、ほとんど三食作っていた。夫の肥満解消のために、せっせと夜は根菜系を使って和食を作っていたのである。何しろ、好物の上位3種は、カレー、ハンバーグ、スパゲティというお子様舌を持った夫なので、フラストレーションを溜めないために、カロリーを消費しやすい昼食は、夫の好きな洋食、特にホワイトソース系とかハンバーグとかを作っていた。
と書くといかにも夫思いであるが、要は太った夫を見たくない、というエゴである。朝食抜き、昼は学食、夜は寝る前に食べるような生活をしていた夫は、食生活の改善で順調に体重を落とし、最近は自分も人のことを言えない体型になってきた私も、その当時は同じ食生活のあおりをくってずいぶんと痩せて驚いた。結婚退職する前は、昼は社食、殆ど毎日のように飲んで帰っていた。それが一転、飲みに行く場所も相手もなく、その食生活なら痩せて当然である。
その当時は車も運転せず、買い物は週に一度夫と大型スーパーへ出かけるだけだったので、一週間の献立を作ってそれに沿って買い物をしていた。もやしを一袋買ったら、一回目は野菜炒めに、残りはお味噌汁に、というように同じ食材を1回で使い切れないときは、料理本をあれこれ見ながら裏メニューを考えるのが、また面白かった。今はもうやっていない。時間があるのにまかせて、調理実習のように同じ料理を別のレシピで作ったり、いかにも手の込んだものを作ったりしていた。

さて、筑前煮は出かける前に軽く煮て余熱で野菜をやわらかくしておき、夜帰ってきてからまた少し水分を飛ばしながら炒り煮にした。夫も帰っていたので夜9時半過ぎに筑前煮をおかずに軽く食事。明日もまた筑前煮。


2002年12月11日(水) 日本の旅行は日本の料理のようでした。

今日は過去日記の更新はしません。
今日は週に一度の就労日なので、いろいろやったけれど今ひとつ書くことに結びつかず。代わりにこの前、来日英国人夫婦とともに中華街でパーティーをやったときの、夫さんのスピーチをなんとなく思い出したので、備忘録代わりに書いておこう。

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私は日本に来て、実にたくさんの人に会い、たくさんのことを見たり聞いたりしました。私はこの旅行を振り返ると、まるで日本料理のようだと感じます。日本の料理は様々なものが色どりよく美しく盛り付けられていて、そしてそのどれもがおいしい。私達の旅行も、たくさんの思い出でいっぱいで、そしてどれもがすばらしいものです。
そして私は、私の妻をとても誇りに思います。彼女が何年にも渡って、絶えず外国からくる皆さんのような人々を面倒を見るという活動を通して、おかげで皆さんと知り合い、そして日本においてこのようなすばらしい機会に恵まれることができました。
ドウモアリガトウ、ゴチソウサマ。
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加筆。

常々思うのだが、私は普段ものぐさなくせに、いったんその気になると、すべてやらずにはいられないモードに入ってしまって、「これ以上はムリ」という線引きができなくなるときがある。だから出かけるぎりぎりまで何かしていて遅刻するとか、出たついでに全てをこなそうと思って取りこぼしたりするのだな。ふむ。あと、ええかっこしいなのもいけない。「やれます、やります」でこなそうとすると必ず破綻するだろうしな。うむー。

ところで、夜は発音の教室。もともとは最少開講人数に達するかどうか危ぶまれていたのだが、蓋を開けてみれば10人以上の受講者があり、後半に入って淘汰されて結局今の7人が固定メンバーとなりそう。人数が少ないだけあって、みんな真面目に取り組んでいるので楽しい。ここのところ先生もご機嫌である。といってあと1回。先生は〆モードに入ってきて、あまり厳しくないのがさびしいといえばさびしい。


2002年12月10日(火) 晴れの日

昨日と打って変わってよい天気。道路や屋根の雪もぐんぐん解けていく感じである、というのを部屋の中からぬくぬくと眺める。朝、郵便とゴミを出しに行ったほかは、引きこもり。生協の宅配日なので、ほうっておいても買い物は先週の私がやってくれているし。床暖房に張り付いて仕事を進めるのだ。
途中で当然飽きてくるので現実逃避エネルギーを利用して(まるでごみ焼却場の余熱で温泉を沸かすみたいですが)、11月30日分の日記を更新。一日分の行動を一挙に書くとさすがに長い。NEOさんなんて毎日これやってるんだよなぁ。ふむ。
なんとなく夫が早く帰ってくるような気がして、夕方お風呂に入る。服を脱いでしまってから、生協の配達がまだきていないことを思い出すが、いなければいないでいいや、と思いそのままゆったり入浴。お風呂から上がって懸案の英文メール3通を書こうと思ってマシンを起動したところで、夫帰宅。予定時間より50分も早い。そのままお風呂に入って*いただき*上がってマッサージチェアでくつろいで*いただく*。何気なくテレビをつけたら皇后様が蚕の世話をする様子が写っていたので、そのまま愛子様お誕生記念番組なども成り行きで見る。ご成婚当時のはつらつとした映像を見ると、現在の雅子さまの痛々しさぶりが際立つ。プリンス・ヒロはやっと実年齢に立ち居振舞いや背格好が近づいてきた感じでいい。
生協の宅配が来たのは8時頃。先週の私はブリが食べたかったらしい。切り身が3切れ。冷蔵品だったので早速塩焼きにする。他にはごぼう。ささがきにしてお味噌汁に。ほうれん草はおひたしにして、冷蔵庫で眠っていたゆずを絞る。昨日作ったひじきと大豆の含め煮を出して、粗食ながら和定食。素材がいいと調理が簡単でいいですな。


2002年12月09日(月) 雪の日。

降りましたな、雪。夫が朝起きて、ああー雨だー。と言っていたのですが、雨にしては白いと思ったら雪でした。我が家やは高層階ではないものの視界が開けているので、雪が降るとうきうき気分が増しますな。屋根や木の上に積もる雪とか、行き交う車が雪を積んでいたりとか、空から降ってくる雪の片がひらひらと通り過ぎていったりとか。これがもっと高層だとまったく空から降ってくる雪の片に包まれてしまって、案外面白くないのではないかと思う。
外出しようかと思っていたのに、家にいることにして、ぬくぬくしていたら睡魔に負けてしまう。仕事の準備で読みたくない本を読んだり。おなかがすいて集中できないので軽く食事をして、気晴らしのつもりでまたアメリを見始めたら途中で寝てしまう。うーむ。しかもいつの間にかマシンがハングしてるし。セーフモードで起動するのも昨日に続いてもう2回目。先週から3回目。そろそろあぶないのかも。
夫宛に電話がかかってくる。仕事に出ました、というと先ほど職場にかけたらまだいらしてないということだったので、という。何用かと問うと、夫の出身大学の同窓会だと名乗る。怪しい。怪しすぎる。(本当は居留守だろうけど)私には分かりかねますといって電話を切る。こういう場合、本来夫を疑ったり心配したりするものなのだろうか。またしばらくして航空会社から夫宛に電話がかかってくる。仕事にいっているというと、職場にかけると言われた。似たような電話がかかってくる日と言うのはあるものである。
仕事はぐずぐずぐずぐずして一応の形をつけて、多分本気でやれば数十分で済む作業に3倍くらいの時間を費やす。合間にテレビをつけると、雪情報・雅子さまお誕生日、田中さん英語のスピーチのどれかに当たる。雅子さまは母君になられてますます優雅で美しくおなり、とコメンテータが頷き合っていたが、本当だろうか?ますます痛々しくおなりのような気もする。田中さん報道についてはいわずもがな。いいかげんにしてくれよっ!と怒りたくもなるだろうが、そこは人柄+会社の手前そうはならないだろうな。

**過去を振り返る日記**
11月28日分大幅に加筆しました。これから29日分に取り掛かる予定。


2002年12月08日(日) 雨降りのアメリ日和

自力で並みの時間に起きる。昨夜から給水させてあるお米を炊飯器にセットして炊く。晩御飯のつもりで用意したのに、突然気が変わって缶詰のゆであずきでお汁粉にしてしまったのだ。炊ける間に布団に逆戻り。うとうとしていたらご飯が炊ける匂いが漂ってきたので、今度こそ起きる。ぶるぶる。布団が恋しい季節になってきましたな。
せっかく起きて身支度も整えたというのに、電話も宅配便も来ない。雨が降っていてスポーツクラブに出かける気分にもならない。家の中をざっと片付け、洗濯物をたたむ。怠惰な一人暮らしも今日で終わりである。といっても明日からは怠惰な二人暮しに変わるだけなのだが。だらだらと夜の内に届いたメールの返信時間を過ごし、この前買ってきて貰ったDVDのアメリをパソコンでちょっとだけ見ることにする。
ちょっとだけのつもりが止まらなくて結局2/3ぐらい一気に見てしまう。2枚組のDVDだったので、前後編に分かれているのかと思ったら、もう一枚は特典版なのだな。さすがに話題になっただけあって面白い。こういうディテールに凝っていて、(にやり)とする映画って好きだな。でも子供のころのアメリの方が好きだ。あらゆる一人遊びをする表情。大人になっても遊んで見たいような気にさせる。ところどころに仕組まれたファンタジー。ちょっと意地の悪い人は出てくるけど、ちゃんとアメリに仕返しされるし、彼らも含めてみんな愛すべき人たちなのが気に入った。
ところでMP3プレイヤーに、昨日フランス語の練習CDをダビングして、今日はその続きでカセットテープからダビングしようと思ったら、なぜか操作が上手くいかない。同じことをすればいいはずなのに、マニュアルを見ながら何度やってみてもできない。あきらめてアメリの続きを見ようと思ったら、マシンがハング。そっちを再起動している間に、もう一つのノートパソコンで見ようと思ったら、今度は全然デバイスが認識しない。こちらも何度もチャレンジし、やけになって音楽CDを入れたらちゃんと動いた。…こっちのマシンはCDしか使えないのを忘れていた。
夫がそろそろ家に着く時間と思ったら、成田からだという電話が鳴った。風の影響で到着が遅れたとか。お気の毒に。というわけでもう少し時間ができたので2回目を見ることにする。1回目は日本語字幕だったので、今度はフランス語字幕にしてみる。もちろん全部の文字は追えないけれど、ところどころ分かる言葉があってうれしい。香港の実業家と結婚した日本人女性は、言葉と身振りを覚えるため、2週間映画館に通って朝から晩まで同じ映画を見つづけたそうだけれど、さすがにそのぐらいやれば進歩が見られるだろう。


2002年12月07日(土) 時差ぼけ最終日?

朝、電話の音で目がさめる。母から。これで3日連続自力で起きられず寝坊。
あら寝てたのね〜♪といいながらお構いなくしゃべる彼女。夕方いくわ〜♪ということなので、部屋を少し片付けることにする。
新聞を読んで、まずは洗濯機を回しつつ、朝風呂。ほへぇ〜。
生椎茸を刻んでバターで炒め、3日目のキャンベルクリームスープ(実はクリームオブマッシュルーム)の残りと牛乳とを加えてことこと煮る。スープカップに入れてスプーンを使わずに啜っていたら、生椎茸でやけど。
紅茶を飲んで少しすっきりしてくる。ともすれば布団に戻りそうな自分をなだめ透かし、そこらへんに落ちているものを拾い集めたたんでしまう。うーむ。溜まっている広告紙を古紙回収にだすべくまとめる。
母はなかなか来ず、夕方5時を回ってから穴子の蒲焼を1本もって来た。1時間ばかりおやつを食べながらしゃべり、バスの時間が近づいてきたので慌てて出る。外は氷雨模様の強風でバスを待つにはちょっと哀しい気分だったが、幸いバスは時間どおりにやってきて、あっという間に母は帰っていった。洗濯モノをアイロンがけして、2〜3懸案事項を処理。今日こそは早く寝て明日からは通常営業に復活だ!
といってもまた明日になると、時差ぼけ野郎がもう一人増えるんだよな。


2002年12月06日(金) 衝撃のメロリン

電車内の広告を眺めていたら、いきなり白い「メロリン」の文字。何かと思って目を凝らしたら、白字の「メロリン」の影には黒字の「トポタ」が重なっていて、その隣のモディリア二の『横たわる裸婦』が配されていて、美術展のポスターと分かった。今週の土曜日から開催なんですね。しかし『横たわる裸婦』の怠惰な色っぽさと「メロリン」、見れば見るほど淫靡な雰囲気である。

朝寝していたら、宅配が来た。なんかこんなことになると思ってたんだよなーと思いつつ、パジャマの上にエプロンドレスを引っ掛けて出る。でも、行動はトンチンカンだったので、思い切り寝てたことがばれただろう。だいたい朝刊も新聞受けに差したままだったし、いつ何時何が起きてもよいように身支度を整えて寝る武家の妻の心得が分かったような気がした。しばらく洋服を着たまま寝ることにしよう(違)。

起きだしてメールチェック。なぜかメールが次々と来て、調べ物しつつ次々返信をしていたら、おなかがすいてきた。冷蔵庫で解凍3日目(すでに完全解凍)の牡蛎と昨日の残りのキャンベルのクリームスープと冷凍ご飯でドリアもどきにすることにする。そういえば、昨日はオイスターチャウダーもどきにして牛乳を使い切ってしまったので、コンビニに出かけて牛乳を補充。ついでにハーゲンダッツのカップアイスを買って帰る。いつもアイスは固くて食べにくいので、冷凍庫ではなく冷蔵庫に入れておく。
グラタン皿に、温めなおしたご飯とクリームスープと牛乳をいれてよく混ぜて、牡蛎を合えて、チーズを載せて、パン粉を振ってオーブンで焼く。おほっ!うまー。しかしながら食べ終わって、満腹感にボーっとしていたらなんだか寒くなってきて頭が痛くなったので昼寝。目覚ましを掛けて寝たもののやはり起きられず、起きよう起きようと思いつつさらに1時間。起きよう起きよう起きようと、やっと起床。冷蔵庫の中のアイスを見ると、半解け。やっちまっただよ(汗)。ソフトクリーム的ハーゲンダッツアイスを食す。

夜は例によってmonthlyカラオケ。例によってはじけまくり。でもこのメンバーが揃うのもあとわずか。忘年会も新年会もやろうねと約束して解散。


2002年12月05日(木) しいてはそんな日

昨日夜更かしをしていたら、出張中の夫からメールが来て、直ちに返信したら程なく返事がきたので、うれしくなって2往復ぐらいしていたら、「午後はメールチェックをずっとしていたのですが、そろそろ飽きてきたのでもう止めます。後のスケジュールは忙しいのでもう帰国するまでメールを読むことはないと思います。ではおやすみなさい」と宣言するメールが来た。思わず「冷たい(*_*)」と反応したが、あれからほぼ1日たった今、夫からのメールはない。ふんだ。帰国してからせいぜいメールの海(la mer d'e-mail)に溺れたまえ。

夜更かししたツケで、朝寝坊。一旦起きたものの2度寝して、電話の音で目がさめる。きっとセールスに違いない。無愛想に受話器を取ると、電話の向こうから「〇〇さまのお宅でいらっしゃいますか?」と美しい声。ますます怪しいと思ってさらに無愛想に「はいそうです。」と答えると、「『仲人夫妻(仮名)』の家内でございます。」
ひゃーーーーーーーーーーーっ。しっ失礼いたしましたっ。お歳暮を送ったのでそのお礼と、もう今後は一切お気遣いご無用に、という内容。いやいやいやいや。仲人と言えば親も同然、きっと今後もするだろうと思いつつ、「そのように申し伝えておきます」と一応お答えする。久しぶりの奥様稼業である。
さて、今日は実家にお土産を渡しに行くのだったと思いつつボーっとしていると、また電話。今度こそセールスに違いないと思ってまたも無愛想に受話器を取ると、電話の向こうから「〇〇さまのお宅でいらっしゃいますか?」と美しい声。ほーらやっぱりと思ってさらに無愛想に「はいそうです。」と答えると、「『かかりつけの歯科医院(仮名)』でございます。」
ひゃーーーーーーーーーーーっ。しっ失礼いたしましたっ。お願いしておいた歯ブラシについての確認の問い合わせである。石川で使っていた歯ブラシが使いよいとお話したら、取り寄せていただけることになっていたのだ。電話ではラチが開かないので、今日実家に行くので寄るということにする。先生のところの20周年お祝いに免税店でロゼのシャンパンを買ってきたのでちょうどいい。

実家に行ってお土産などを渡してからなぜか習慣で歯を磨き、プレゼンターとして姪を伴って歯医者さんへ。実は彼女が生まれてもう4年になるのに、二人きりで外出したことは一度もない。ほんの5分の距離だが一応預かり物なのでちょっと緊張。歯医者ではすっかり自宅のようにくつろぐ彼女。しかし一時診療の手を休めてわざわざ出ていらした先生の前では、すっかり照れてぐにゃぐにゃしているだけなのであった。人見知りしない仕切り屋にして極度の照れ屋という、複雑な内面を持つ女である。診療もうけてないのに、子供向けに「ごほうび」として用意してあるオモチャをいただくことになる。数々の小さいオモチャが箱に入っていて、その中から選ぶシステムらしい。箱を受け取ると俄然活発になる彼女。しばらく慎重に色々見ていたが、結局「お写真を入れる♪」といってディズニーのシステム手帳のバインダーを選びとる。お礼に先生の所ににっこり手を振りに行き、「もっとゆっくりしていけばいいのに、また来てね」などと甘い言葉をささやかれて帰ってきた。

夕方フランス語教室。こちらは発音のクラスに比べるとややテンションが落ちる。淡々と時間を過ごし、やや時間を過ぎて終わり。いつものバスに乗れず。家に帰って日経の夕刊を読んでいたら、フライパンの上に納豆を敷き、その上に卵を落として目玉焼きにし、パンにはさんで食べるとおいしいと書いてあったので早速試してみる。うーーーーーん、超美味ではないが結構好きな味かも。なぜかそば粉クレープの味に似ているのはなぜだろう。上に乗った卵だけのせいではないような。納豆が焦げた部分とバターがなせる技か。それからフランスで買ってきた白カビチーズをちょっと食べる。んーーーー、こっちは微妙。それから昨夜から冷蔵庫で解凍中の冷凍牡蛎を2つ取り出して、小さいココット皿に入れてバターとゆずの皮の削ぎ切りを載せて、醤油をたらしてオーブンで加熱。ついでに生椎茸にマヨネーズを載せたものも一緒に焼く。ぐがっ!んめぇ〜。本来ならば白ワインが欲しいところ。都合により割愛。


2002年12月04日(水) ボケ物質

昨日夕方帰ってきて、電車の中でうとうとしてしまったので、ここで寝たら時差ぼけすると思って我慢。家について後片付けをしながらメールチェックしてモロモロ目を通して、夕飯を食べて、急ぎのものは返信をして、さあ寝るぞ、と布団に入ったら眠れない。ずっと眠れなくて1時間おきに目を覚まして、結局ぐっすり寝たのは明け方らしい。

目覚ましで起きて週に一度の就労日。身支度がはかどらず、家を出るのが遅れる。マンションのエントランスを出たところで小雨に気付く。あいにく折り畳み傘はまだ旅行かばんの中なのだが、取りに戻る時間がなくそのまま駅へ向かう。何かと失敗多く、やっぱりボケ物質が身体に蔓延していると思う。

夕方、フランス語教室。雨降りなので用心して早めに出たのだが、途中でオフィスの鍵を持って出てしまったことに気づき、守衛さんに預けるために門まで戻る。乗るつもりの電車には乗れず、定刻ぎりぎりの電車になるが、それが車両事故で大幅に遅れ、途中駅でもムリな乗車する大勢の客に阻まれ、さらに到着が遅延する。結局15分の遅刻(泣)

休み時間にクラスメート@女子大生に立替分のDVD代を支払う。大学生協のサービス期間で安いのでフランス語の教材としてアメリのDVDを買っておいて貰ったのだ。
帰り、クラスメートを誘ってお茶。以前割引券を貰った店なのでチケットを探すが出てこず。結局彼女だけが割引を受け、私は正価で飲食することに。レジで支払おうと思ってお財布を空けたらお札がない!さっきDVD代をぎりぎりで払ったことをすっかり忘れていた。さっき彼女に支払ったお札を一枚貸してもらう。ティールームで1時間ほど話しこみ、終バスで帰る。バスにボーっと揺られながら、キーケースに非常用の千円札を一枚忍ばせてあったことに気付く。20分気付くのが遅い。

家に帰って新聞のテレビ欄を見て、「その時歴史は動いた」をみそこねたことに気付く。今日は澁澤栄一の銀行設立の話だった。



2002年12月03日(火) フランス語の学習成果@ニース

結果としては

1.ニースではフランス語が上達しない。
さすが世界的な観光地だけあって、みんな結構英語が話せる。外国人、ましてや日本人がフランス語を話すわけがないと決めてかかっている。彼らを黙らせるぐらいのフランス語を話さないと。いや、実際黙られては会話にならないのだけど。

2.ニースでは英語で通せる。
フランス語で質問することができても、フランス語の返答に対して反応が悪いと、すぐに英語に切り替えられてしまう。向こうの英語の返答に対して、一生懸命ouiとかnonとか言っている間抜けなことになる。

3.虻蜂取らず。
英語で話し掛けられても、できるだけフランス語を話したいと思って英語を控えめにしていると、英語もできない人間という扱いを受ける。

結論:ニースに行くときは、もっとフランス語が上達していからいくか、あるいは初めから全部英語で押し通すか、どちらかが精神衛生上よろしい。


2002年12月02日(月) 最終日

あっという間に最終日である。週一回の就労日の間をとったという隠密行動(どこが?)なので、全行程6日間のうち、時差もあわせて1/3以上は移動に費やすことになる。ニースは国際空港が近いのでそれでもマシなほうか。

朝は早く目がさめてしまったので、薄暗いうちから散策。クリスマスイルミネーションが光る中をうろうろと歩き回る。ちょっと不気味。朝食の時間を待って食堂へ行く。もうフランス語はあきらめたので、さくさく英語で部屋番号を言って席に座り、すっかりおなじみになった品々をブッフェで取る。いままで一番すごかったのはどこの朝食かという話になる。夫は去年行ったカナダのホテルがよかったというが、私は今年の夏にイタリアのバーリ(Bari)というところで泊ったホテルが、サービスという面ではよかったと思う。何しろ色とりどりの食材が整ったブッフェ以外に、飲み物はコーヒー紅茶はもちろんエスプレッソやカプチーノのオーダーも通り、卵料理も個人の好みに合わせて調理して、テーブルまで運んできてくれるのである。いやぁ、あれはよかった。しかし朝食だけでかなりおなかが一杯になってしまい、少ない滞在日数なのに朝食以外は昼か夜一食しか食べられなかったのは残念だった。世の中よいことばかりではないのである。

話をニースに戻して、朝食後は最後の散策に出る。お天気は今ひとつだったが、海の見納め。後ろを時々振り返りながら海沿いの通りを城址公園方面にずっと歩くと、だんだん湾曲が甚だしくなっていくのがわかる。湾曲の端は空港で、飛行機が発着しているのがなんとなく見える。さらに奥にも陸地が見えて、これが多分アンティーブ(Antibes)あたりだろう。公園は城跡だけに崖の上にあるのだが、その崖に張り付くようにしてホテルが建っている。ははーん、これが、例の、あの、ホテルだね。満を持して後ろを振り返ってみると、たしかにこの風景が広がっている。
ぱぴちゃんが計画している墓参りツアー(違)のネタバレになってしまうので、多くは語らないけど、なるほど納得。残念ながら工事中なのであまり景観はよくない。岬をグルっと回って、港の側から城址公園に上ることにする。歩道を歩いていたら、男達が乗った車が一台徐行してきて、車をとめる場所を探している様子。なんとなく異質な感じがしたが、そのままやり過ごして港のそばまで行き、城址公園を見上げると、これまた崖に張り付くように建っているアパルトマンの一室の窓があいていて、下を覗き込んでいる男女がいる。その視線の先を辿ると、さっきの男達が棺おけを車から引き出しているところだった(!)。西洋の棺おけの実物を初めて見てしまった。本当にドラキュラがはいっているような形だった。

城址公園にはいったいどういうからくりになっているのか、なぜか滝が上のほうからざあざあと流れていて、展望台からの眺望だけでなく一見の価値がある不思議ワールドである。展望台から湾を見下ろしてから、階段を下りる。階段は海洋博物館への階段で、途中に海洋博物館の屋上となっている展望台もあるのだが、同時にホテルのすぐ脇でもある。さらに降りると途中ホテルの窓と並んでいるところがあるので、あの絵と同じ目線でも見られるはずである。何枚か写真をとる。うーん、やっぱりちょっと角度がずれているかなぁ。でもあの画家に限って、同じアングルだからといって絵と同じようになるはずはない、と思い直す。

階段を降りきって、旧市街を抜けて、チェックアウトの時間までにホテルに戻る。部屋に戻ると、メイドがテレビをつけて掃除をしていてあっけにとられる。これからチェックアウトする部屋を掃除してどうする!?と問いただしたい気分だったが、語学力が無いのであきらめて、勝手に荷造りをする。メイドはフランス語でなにやら言ってから、さようなら(Au revoir)と手を振って出て行った。ホテルの最上階にある展望レストランで1時間ほど食事をするつもりで、チェックアウトして荷物を預ける。フロントのおねーちゃんは、英語で処理をすべて済ますと、"Au revoir, Madame! Au revoir Monsieur!"といった。やっぱりフランス語は優雅でええのぅ、と思う。にっこり笑って早速最上階に行くと、クローズしていた。シーズンオフってこういう事ね(涙)。そそくさと1階に戻り、外に行くことにするが、行くあてもないくせに雨も降ってくる。とりあえず海沿いのホテルでお茶を飲むことに。
1階にマクドナルドがはいっているそのホテルは、見かけの割に内装が立派である。2階のラウンジにいってお茶を飲みたい、というとそれならエレベータで9階に行ってちょうだい、と半分フランス語の英語で言われる。9階で降りるとそこは客室。さらに階段を上がると絶景が広がっていた。あいにくの雨で眺望は今ひとつだったが、海沿いの9階というと眼下の風景は殆ど海である。相変わらずフランス語で話し掛けているのに英語で案内を受ける。カフェオレを頼んで雨避けの庇のなか1時間ほど粘った。いやー、これで晴れていたらもうサイコ―ですな。シーズンオフに旅行する場合、最上のコンディションの想像力が欠かせない。

ホテルに戻って荷物をとるのにやや手間取り、空港行きのバスに乗るべくバス停まで歩く。あと20メートルというところで、向こうからバスがやってきて我々の脇を走り抜けていった。

教訓:バス停の中間にいる場合、とりあえず進行方向に近い方のバス停を目指せ。

次のバスまで20分。最大待ち時間となる。雨もやんだので道端に腰掛けてボーっと、フランス人の交通マナーの悪さなどを観察して過ごす。夫はバスの運賃を二人分用意している。夫にまかせっきりにしてバスに乗り込むと、一人3.5ユーロで、二人分7ユーロ。夫が用意していた額では全然足りず、運ちゃんがイライラと「Sept(7)!Sept!」いう。夫も「今用意してるのに!」と日本語で切れる。間に立った私はとっさに「Attendez(待って)!」と。こういうときは不思議と適切な言葉が出るものである。料金も払い終えて、無事席につく。なんであの金額だと思い込んだのか夫を問い詰めるが、だってそうだと思ったんだもん、という予想通りの答え。まかせきりにしているくせに文句だけいう妻。最低である。

バスは海沿いの道を走り出す。この頃になるとすっかり晴れて青空が広がっている。海がきらきらと美しい。こんなことならもう少し歩いて海沿いのバス停で待てばよかったと後悔しながら、空港につく。敷地内に入ってからバスはぐるぐると周り、思ったより時間がかかる。我々が乗るべきターミナルについたのでそそくさと降りるが、降りてからここはどうも到着口であることに気付く。運ちゃん、ちょっと言ってくれればいいのに、いけず。出発口まで移動して搭乗手続き。これから仕事である夫とはここでお別れ。なぜかラウンジ利用券をくれたので、入ってお茶など飲んでみる。特に目新しいものなし。エスプレッソマシンの操作がよくわからず、「ここを押してはいけない!」と英語とフランス語で書いてあったボタンをつい押してしまい、蒸気がいきおいよく噴出す。だってそのボタン妙に目立ってたんだもん。売店でチーズを2種類買ってルフトハンザ機上の人へ。機内で飲み物などをサービスされると思わず「Merci!」とか言いかけてしまい、てめえ何かぶれてんだよ、と自分で突っ込んでしまう。かといって「Danke!」というのもますますかぶれているようで、おとなしく英語と日本語で済ます。
フランクフルトで全日空機に乗り換え。4時間待ちなのである。もう一度チェックインしなければいけないと言われていたので、乗り換え手続きのカウンターを探すが見つからず、結局一旦外にでてしまう。搭乗手続きを済ませあと3時間。だりー。とりあえず売店を舐めるように見回す。歯医者さんへのお土産のシャンパン(Taittinger, made in France)と、サンタをかたどったチョコレート2種(Nestle,made in Switzerland)を買う。なんか、EUって感じぃ。
行きと同じくラウンジに入り込み、グミベアをかじりつつじっと出発時間を待つ。


2002年12月01日(日) たびたび奈落の底へ

これを逃したら後は無い、という悲壮な決意で朝一番の中距離バスに乗る。乗客は5人ぐらい。バスは発着所を出て、メインストリートの一本裏道を抜けていく。昨日は、私達がホテルを出て発着場に向かっていた頃、ちょうどホテルの裏手を反対方向に走っていたのだろう。途中から乗ってくる人もいるので途中で降りることも可能のようだ。帰りは少しラクかもしれない。バスは裏通りを抜けて、やがて海岸沿いの道に出る。出たところでちょうど高く上りかけの太陽と出会う。穏やかな海面上を、帯状の光がまっすぐこちらに向かって差している。晴天。バスはやがて空港の脇を抜けて山間部へ。このあたりの沿岸は、海面が上がって島や湾になっているので、あっというまに高地に入る。いくつかの村や町を通って、1時間ほどで終点ヴァンス(Vence)に到着。

一見がらんとした何もないところだが、ここは街の入口なのでとりあえず歩くことにする。まずは昨日マチス美術館で模型等を見た、ロザリオ礼拝堂に向かう。道端の案内にそってテクテクと街外れまで歩く。模型を見た時点で、こんな斬新なデザインが本当にあったら大変なことになる、と思っていたのだが、本当にあった。不思議と違和感がない。屋根の上に立つ大きな針金細工のような十字架も、巨大な海草が張り付いたような屋根も、すっきりと晴れ渡った青空に、神々しく映えている。
早速中に入ろうとすると、門が閉まっている。11月1日〜12月15日とある。工事用のやぐらも組まれており、どうもクリスマス前のこの時期は例年2〜3週間休むらしい。日曜日は礼拝があって中に入れないかもしれない、といっていたのだが「結局昨日来ても見られなかったんだな」と夫が自己弁護的に言う。

坂の下から写真をとったりその辺をうろうろと歩き回り、市街地へ戻ることにする。村はこの地方独特の「鷲の巣村」と呼ばれる形態で、一種の城塞都市になっている。外部からの敵の侵入を防ぐとともに内部でも敵を惑わす迷路になっていて、案の定、袋小路に迷い込む。おとなしくもと来た道を戻り村の中心部に。日曜日なのに商店が開いている。パン屋、シーフードのサンドイッチも売る魚屋、店先で鳥の丸焼きがぐるぐる回っている肉屋。バス停を通り抜けて、青空市場を通り抜け、カテドラルへ向かう。ここにはシャガールのモザイクがあるというが、カテドラルのあまりの小ささに本当にここでいいのか半信半疑。入口のジプシーをやり過ごし、薄暗い中に入ると、洗礼槽の脇の壁にあるのを発見。新しい誕生への喜びが伝わってくるような生き生きとした幸福感にあれた作品である。門前のお土産やさんで絵葉書やお土産をいくつか買う。こみいった買い物をしようとすると、語学力の無さで奈落の底へ落ちる。

ニースへ戻るバスにのって同じく「鷲の巣村」のサンポール(St-Paul)へ。ここは5分ほどでついてしまう。ここでの目当ては村の散策とマーグ財団美術館。バス停の前にのレストランのテラスで軽く昼食。名物のお焼きのようなものを食べる。こちらのフランス語とあちらの英語でなんとか用が足せるが、ときどき奈落の底へ。
昼食後、サンポールの村を散策する。ここも城壁に囲まれた小さい村だが、芸術家が多く住むそうでアトリエなどが多い。何よりも城壁から見る下界の風景がすばらしい。一方には海が見え、反対側からは白い雪をいただいた山々が見える。温暖な南仏という言葉の響きと地中海性気候に惑わされていたが、ここはイタリア国境近く、れっきとしたアルプス山脈の裾野なのである。石ころがたくさん乗った(ユダヤ人の慣習らしい)シャガールの墓を見学し、こんなところに眠れたらいいねぇと話す。

カフェで一服して、マーグ財団美術館へ。箱根彫刻の森美術館はここのパクリだろか?バス停から徒歩十分と書いてあったが、相当歩いて敷地内へ。チケット売り場で中で写真をとるなら追加料金といわれるが、撮らないと答える。中では片っ端から展示物の写真をとっている人がいて、元を取ろうとしているのだろうか?と考える。ここもミロやシャガールの作品、しかも大作が多い。ミロの大胆なタッチを見ていると、これは量産できるのも道理だとも思う。帰りのバスは1時間おきだが、見ているうちに1時間過ぎてしまった。これでは間に合わないのでもう少しのんびりすることにする。日没が迫ってきて、西の方が淡いピンク色に染まっていき、あたりが薄いもやに包まれてくる。バス停付近まで戻ってきてもう少し下って、散策してみると息を呑むような美しい風景が眼下に広がっていた。サンポールの教会のてっぺんに大きな星のイルミネーションが灯る。夕闇が濃くなる頃、ニース行きのバスに乗る。日が落ちるとあたりは見る見る暗くなり、どんどん遠ざかっていくサンポールの灯りだけが浮かび上がっていった。
帰りはニースに入ってからやや渋滞。やはり途中の停留所で降りる人たちがいるのでホテルの近くで降車ブザーを鳴らし、最寄のバス停で降りる。ラクチン。

夜は、赤を基調としたちょっと雰囲気のいいモダンなレストランへ。味はまあまあだが、ついた給仕が最悪。あからさまに人種差別をするのか、私達の後に来た西洋人の二人組には、決して上手いとはいえない英語を駆使して、本日のお勧めの紹介から、自分の名前まで名乗るサービス振り。これは私達がフランス語が下手なせいではないな。彼らと相前後して入ってきた別の西洋人の若いカップルは、なぜか席をけって出て行ってしまった。席についた後、注文もご機嫌伺いもされずに放っておかれたのに業を煮やしたらしい。他の店員にどうしたのか問いただされると、両手を広げて「俺は知らない」というそぶりをしている。テーブルセッティングの時に面白くないいたずらをし、こちらがしらけているとわざわざ「I'm joking」といってきた。No kidding!最後にチェックを頼んでも全然とりにこないので、他の感じのよい店員で済ませる。店を出る私達に向かって「アリト」といってきたが無視。そしらぬ顔をして、『アリガト』より『モウクルナ』の方が洗練されているよ、などと嘘の日本語を教えてやればよかった。

参考サイト:
フランス観光局 http://www.franceinformation.or.jp/france_clip/vence/vence_01.html
コートダジュール http://vacance.jal.co.jp/europe/france/cote_dazur/marc_chagall/


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