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2002年11月30日(土) えらいぞ醤油

基本的に二人で旅行に出ると、どこに行くかと言うのは人任せなので夫の好みを優先するので、今回も事前にガイドブックも殆ど読まず。ものぐさと言ってしまえばそれまでだが、先入観なしに現物を見聞きしたい、という願望もある。
2日目は、夫の計画によるとバスで1時間ほど離れたヴァンス(Vence)という街に行き、戻りがてらサンポール(St-Paul)という街に寄り、さらになにやらという街に行く予定だという。
前日にそう聞いたので、一日に3箇所も行くのは無理ではないか?結局、いけるのは2つがせいぜい、場合によっては一つになるかもしれない、と言うが、夫は3つの街はバスの同じ路線だし、とても近いから大丈夫だという。そしてバスで行くならバスの時間を調べないと、という私の言葉を受け流し、たまに街を走っているヴァンス行きのバスを見かけては、うん、30分おきぐらいに出ているな、なら大丈夫だ、と根拠のないことを言っている。
ならばバス停はどこにあるのだというと、そのちょっと先に中長距離バスターミナルがあるからそこから乗るという。といっても週末はダイヤも違うだろうから、バスターミナルに言って確認したらどうか、せめてホテルのフロントで聞くように、と折に触れ言ったのだが、結局なしくずしにその日は寝てしまったのである。
夫は人に物を尋ねるのがとても苦手であるのを私は勿論知っている。そうして、夫任せにしておくと、私一人では考えられないような事態が起きることも知っている。私は偶発的な出来事を喜ぶ傾向にあるが、一方、段取りが狂うのを異常に嫌うという面もある。

さて、当日の朝。根拠のないまま早めに支度をしてホテルを出る。バス停は思っていたよりずっと近く、これなら昨日ちょっと寄れたのに、と思いつつ発着場まで行って時刻表を見ると、果たしてバスは5分前に出たばかりだった。そして次のバスまで1時間。ほら言わんこっちゃない。3箇所どころか1つもいけないではないか!まさに怒り心頭に発す。「まあ、仕方ない」という夫の言葉が余計に火に油を注ぐ。結果としてはどうにもしようがないが、過程をしてはどうにでも出来たはず。しゃーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせかける。別に私はサンポールというトイレの洗剤のような名前の街に行きたいわけではない、あらかじめ回避できた状況に巻き添えを喰って陥るのが許しがたいのだ。もしその様子を私が他人として見ていたら「だったら奥さん、自分で調べておけば」といって仲裁にはいるだろうが、そういう問題ではないのだった。

じゃあ、今日はマチス美術館に行こう、ということになるが、まだ9時前。開館まで1時間以上ある。時間があるから歩いていくという。私はバスに乗りたい、というがバス停を探すのが面倒な夫は、坂道を登ると景色がいいから歩こう、とこれまた根拠のないことを言う。ふてくされて後をついていく。家々に囲まれて別に景色がいいわけではない坂道を果てしなく歩いて登る。途中で飴を舐めさせて貰ったり、なんとか気分を変えようとするが、疲れとともにふつふつと怒りがぶり返してくる。やっとのことで美術館まで来た頃にはさすがに機嫌も直っていた。歩き始めて1時間10分の時が経過。
美術館はローマ時代の街の丘の上にあり、遺跡の脇にある赤壁とだまし絵に装飾された美しいイタリア風の建物である。マチスの個人コレクション、愛用の調度品などとともにマチスの創作活動を年代順に見ることができる。特に後半、彼を復活させた切り抜き絵の作品群は感動的ですらある。ヴァンスの街にあるロザリオ教会の設計図や模型、ステンドグラスの下絵などを興味深く見学し、明日のヴァンス行きへの期待を膨らませる。例によってミュージアムショップで絵葉書を買い、最後にもう一度「花と果実」の大作をしばらく眺めてから美術館を後にした。

帰りはさすがにバスに乗ることを主張し、バス停へ。近・現代美術館を通るバスがあるので、それを待つことにする。路線図を見てまあなんとかなるだろうと思っていると、夫が「どこで降りるか僕は全然分かっていない」と不安がる。そういえば夫はバス停の名前が明示されない外国のバスも苦手なのだ。行き先の近・現代美術館は来るときに目の前を歩いてきたので、別に適当なところで降りればいいと思うのだが、乗り過ごすとどこかとんでもないところに連れて行かれると思っているらしい。昔何か嫌な思い出でもあったのか、あつものに懲りて膾を吹く男である。
ここは私の出番かと思い、傍らの老婦人に「まだ〜む、しるぶぷれ〜?」と話し掛けてみる。「近・現代美術館に行きたい」というと路線図を詳細に見始め、よそのご婦人も色々とアドバイスをしてくれる(フランス語なので意味わからず)。彼女が場所を把握できたところで「英語話せる?」と英語で私に聞いてきた。反射的に「はい」と答えると、「えーと、2つ。2つね。ダウン、ダウン、ダウン…で、2つ。美術館。OK?」と、手振りを交えて説明してくれた。…つまり(バスは)坂をずっと下って、下りきったら二つ目の停留所で降りると美術館ということらしい。フランス語でお礼を言ってバスに乗る。「Madame」とさっきのおばちゃんがバッグに気をつけろ、と目で教えてくれる。Oui。
バスはさっき1時間10分かけて登ってきた道を5分で下り、あっという間に美術館前に出てきた。すぐにも降りたがる夫をいなして近・現代美術館前の停留所まで行き、無事に降りる。まだバスに乗っていたおばちゃんに手を振る。

美術館に入る前に食事。昨日見た活気ある店がおいしそうだったので、そこに入って、生牡蠣とか、貝とか海老とか海の幸の盛り合わせ。レモンほぼ一個分とマヨネーズが添えられている。こんなに天気がいいのに、街中のこんな四角い空をみていてもなぁ、という気もするがこれも旅のオプションである。道端の大きな犬を眺めたり。フランス人の喫煙率の高さにあらためて驚いたり。ルフトハンザの日本発着便に乗ると、毎食和洋問わず魚の形の醤油がついてくるのだが、これが外国人には大受けするので、いつも使わないのを取っておく。昨日魚介類に醤油かけたらおいしいかもね、と話していたので夫は今日ポケットに忍ばせてきたらしく、醤油使う?取り出してきた。えらいぞ、アンタ。さっそく貝にちょちょっとかけてみる。うまーーー。牡蛎のカラの殻を小皿代わりにして醤油を入れて使う。魚介類の旨味を引き出すというか、味にぐぐっと奥行きを与えるというか、なんでこんなにすばらしい調味料なのだ。
…醤油マジックも量の多さには負けて文字通り雑魚は残す。

近・現代美術館に行く前に、裏通りの商店街をぶらぶら歩いて、南仏らしいお土産を2〜3つと、さらに普通のスーパーに入ってクリスマス用の袋菓子を配布用として買う。さて、近・現代美術館。入る前からコンテンポラリーでアートな美術館である。やっぱりフランス人センスいいね。中に入るとニキ・ド・サンファル(Niki De Saint Phalle)の展示が多く目に付く。彼女が大量に作品を寄付したらしい。作者が写っている写真もいくつか出ているが、すごい美人である。他の展示物も数は相当でそれなりに見るが、どうも悪趣味で露悪的な感じがするものもあり、あまり心がうれしがっていないような気がする。屋上で360度の展望を眺めて、美術館のカフェでお茶を飲んで、一旦ホテルに帰る。途中でギャラリーラファイエット百貨店があったので、中に入る。子供服、かわいいー。でも高ーい。心の鏡がにっこりポーズをとる姪を映し出すのを振り切り、あきらめてクリスマスの装飾品の値段も嵩も張らないものを購入。

夜はホテルの裏通りの商店街あたりに行くことにする。ざっと見回してとても混込んでいるピザ屋に入る。熱気むんむん。幸いすぐ席につくことができて、マルセイユ風ピザというのとモッツァレラチーズとトマトのサラダを*フランス語で*頼む。しかしこっちの人はよく食べることである。テーブル一つおいた隣の熟年夫妻は、一人一枚ずつピザをフォークとナイフで食べている。こちらもフォークとナイフを使って、1枚のピザを半分ずつ食べる。サラダのモッツァレラチーズは、いかにも水牛、という感じ。一ひねりしたまま大皿の中央にどんと置いてあるが、これがまた、おいしいこと。やわらかくもちもちっと歯ごたえがあってジューシーで香りがよい、あんなにおいしいモッツァレラチーズを食べたのは初めてでびっくり。食後にデザートはどうか?と聞かれて、カプチーノを2つ、と頼むと、向こうは私のフランス語を理解しなかったらしく、デザート用のメニューが出てきた。一応儀式的にメニューを開いて閉じ、オーダーを取りに来た時に"Non"という。代わりにコーヒーはどうか?と聞かれ、待ってましたとばかりにカプチーノを2つ頼む。一つおいて隣の熟年夫妻は、食後酒、さらにクレーム・ブリュレ風のデザートを前に舌なめずりをしている。

はー満足満足。部屋に帰り、今夜も満腹のまま酔いも手伝ってすぐ寝る。牛への道まっしぐら。


2002年11月29日(金) NICEなNICE

昨日宿について入った部屋は、スィートルームだった!スィートといっても文字通り続き部屋なだけで特に内装や家具が豪華なわけではないが、トイレが玄関脇と寝室奥のバスルームの2つあるのはポイント高い。各戸のバルコニーには電飾のついた小さなフェイクのモミの木が一つずつくくりつけられている。昨夜は外に出る気力もなく眠ってしまったので、夜明け前に目がさめる。空を仰ぐと明けの明星だろうか、ひときわ輝く星が一つ。白々と夜が明けてくると、目の前に海が見えてきた。海岸沿いに椰子の木が並ぶ。目の前には遊園地のフライングパイレーツのような白い鉄組みの巨大な物体が。クリスマスを当てこんだ移動遊園地だろうか。向こうの方に空港の滑走路が見える。こんな朝早くからすでに飛行機の離着陸は始まっている。といってももう7時を過ぎている。
朝食は7時半からなので、時間になるのを待ってロビー階へ降りていく。レストランの場所がわからないので、聞こうということになり、いよいよ私のフランス語の出番か(どきどき)と思っていると、向こうから来た従業員に夫が「いつもの」英語で「えーすみません、どこで我々は朝食を食べることができるでしょうか?」なんてまどろっこしいことを聞いている。あっさり「downstairs!」と答えられて終わり。ああ、君は私からフランス語を話すチャンスを奪うつもりか。へそを曲げながらレストランの入口へBonjour!。部屋番号をフランス語で聞かれた夫、とっさに英語で答えて後は英語の世界へ突入。こういうとき男女ペアなら普通男に聞くんだよな。だから二人旅はいやだ。
朝食を終えて、外へ。まだ街は始動前。海岸を掃除する人、海岸沿いの道路をジョギングする人、犬を連れて散歩する人、椅子に座ってぼーっと海を見つめる人。とりあえずまずはニース美術館に行くことにする。時間がたっぷりあるのでだらだらと歩いていると、向こうから何か叫びながら自転車を飛ばしてくる女性がいる。女性が追いかけているのは白いポメラニアン。あっという間もなく我々の横を駆け抜けていった。散歩の途中でリードが外れたらしい。おそらく一目散に自宅めがけて走っているのだろう。横断歩道まできて車道に飛び出す犬。信号は赤。「ぎゅぅぃい〜〜〜〜〜!!」っと女性の悲鳴が響く。まさにscream、金切り声。思わず「フランス映画みたい」と感心する。犬は2台急停車させ、巧みに車をすり抜けて坂道を駆け上がって行った。飼い主の女性は律儀に信号待ちをしていた。
海岸に下りて歩く。足元の石をみるとどの石もどの石も波に洗われてすべすべと丸い。細長いのあり、ひらべったいのあり、色のきれいなのや形の面白いものを拾う。たちまちポケットが重くなる。美術館へ行く角を曲がって坂を登っていく。まだ開館前なのでわき道に逸れて坂を登っていくと、学校があって行き止まり。学校の前で車を必死で切り返しながら「美術館はあっちよー!あっちあっちー。」とあごで方向を指しながら叫んでくれたマダム、ありがとう。
庭から美術館に入る。本体はまだ開館前なので、目の前のベンチに座って待つ。昔ウクライナのお金持ちの夫人の館だったというその建物は美術館としてはこじんまりしている。開館と同時に中に入り、1階から順にゆっくりと見ていく。床から天井まで届くような大きな両開きの窓をフレンチ窓といって、私がイギリスで住んでいた家も庭に面した窓はドア兼用のフレンチ窓になっていたが、現地ではよろい戸もついてますます本領発揮といったところ。窓から見えるよその家の庭にも椰子の木が植わっていて「なんかデュフィの絵みたい」と夫にささやく。夫は「デュフィ」と聞くと、なぜか反射的に「でへぇ」と言ってしまう変なクセがいつのまにかついていた。
2階の階段を上がりきったところにデュフィばかりを展示した部屋がある。わざと後回しにして、最後に足を踏み入れる。わぉ。門前の小僧習わぬデュフィを見る。他に誰もいないところでゆったりと椅子に座って絵を見回す。時々定期的に係員が回ってくるほかはまったくの静寂。少し開けた窓(当然フレンチ窓)、そこから見える外の景色、なるほどこういうところか、と思う。下へ降りてちょっとしたミュージアムショップで絵葉書を買う。
美術館を出て坂を降りる。太陽はすっかり上っていて、かなり暑くなってきた。坂を降りきって海岸に出てところで「あっ!」と思う。デュフィがよく波を△の連続で描いていて、それを私は常々奇異に思っていたのだが、今目の前にある波頭は、南中した日光を浴びて、一瞬の△の連続のようにぎらぎらと反射している。ああ、これか、この△か。ちょっとした発見に胸が躍る。そのまま気分よく海岸に降りて、海の家のようなテラスで食事をすることにする。ニース風サラダと、魚のグリル盛り合わせと、白ワイン。一応フランス語で通してみる。店員はどうもイタリア人みたいな感じだけど、通じたのでまあよし。日差しが強く、着ていたセーターを脱ぐ。12月というのにこのうららかさはどうだ。実に気持ちがいい。「いやぁ、ナイスなニースだね」などというオヤジなセリフが口をつく。
午後はシャガール美術館へ。こちらも徒歩で。係員の態度が悪くて気分を害す。前半は機嫌が悪かったが、シャガールの大作がずらりと並ぶ展示に心奪われる。屋外のモザイクやタペストリーなども見る。また徒歩で戻り、城址兼展望台へ。上り坂が激しくどっと疲れが出てくる。夕日を見るつもりが雲に隠れていて拝めず。代わりに夕焼けと旧市街に灯りがともっていくのを上から眺めた。旧市街を通って一旦ホテルに戻る。朝、フライングパイレーツだと思ったものは、実は観覧車の骨組みだった模様。1日でかなり作業が進んだようで、パイレーツ時代が120度とすると、すでに340度ぐらい出来上がっている。まだ作業中なので今夜中に出来上がるだろう。
夜は旧市街のシーフードレストランへ。ここでも英語で話し掛けられ、あっさり英語の世界へ。メニューまで英語版を手渡され、私は生牡蠣と貝のパスタ、夫は魚のスープと、漁師の一品、というようなものを頼む。夫おお外れ。前菜の魚のスープは3人前もあろうかという量でしかも大味。主菜は前菜に白身魚の切り身がいくつか入ったようなトホホな一品。オーダーしたときに助言してくれよ、と思う。これ以上食べられない、というぐらいに食べてデザートはアイスクリーム。満腹。疲労困憊。







2002年11月28日(木) 留守にします。-出発の朝-

来週の火曜日の夜まで留守にするざんす。
行き先はおフランスざんす。
学習の成果を試すにはチョト早いけど、
でもがんばるざんす。

それでは皆様ごきげんよう。さようならバイバイよ。
**********************************************
という日記を書いてから、朝6時に家を出て、新宿からウィング成田というのに乗る。初めての経験。ウィングと言う軽やかな名前とは裏腹に「在来線でごんす」という、ちょいと匂いのきつい車両。これでNEXと同じ料金だったら詐欺だけど(よくわかってない)、でもガラ空きなので対人関係の余計なストレスはないかも。
時間どおりに空港につく。基本的に我が家はANAユーザなのだが、今年は夫が無謀な国外出張を繰り返したおかげでマイレージが溜まり、ラウンジがつかえる身分になった。早速チェックインしてラウンジに直行し、朝食を貪り食う。ここらあたりが貧乏性。フランスに行くと言うのに、スターアライアンス仲間のルフトハンザでフランクフルト乗り換え。マイレージ亡者としてはここで新たなマイレージを溜めるべく、長旅に耐える所存である。
が、実際長い。フランクフルトで乗り換えのために2時間待ち。ここでもラウンジがつかえるが、別に楽しいアトラクションがあるわけでもなく、"Das ist frei?"などと忘れはてたドイツ語も駆使して、混み込みのラウンジで席とり合戦に参加。スナックカウンターに熊の形をしたグミが(いわゆるグミベアですな)山ほど有り、ドイツを感じさせてうれしかった。しかしなぜドイツ人はこんな身体に悪そうなお菓子がすきなのだろうか。
ニースについたのは夕方6時半頃。さすがにあたりも暗いので端から公共交通機関などは使わず、タクシーに乗る。夫は一応フランス語で行き先を告げる。お、やるじゃん。タクシーは海岸沿いの道を快調に飛ばす。海岸沿いはホテルや高級アパルトマンが立ち並んでいる。夜なのでニースなんだか熱海なんだかよくわからない。クリスマスのイルミネーションが瞬いて、割と俗っぽい印象。マクドナルドの角を曲がったところでホテルにつく。タクシーの運ちゃんは、Au revoir!と手を振る私達にThank you!Good-bye!といって去っていた。ホテルのチェックインカウンターに近づいて、いよいよフランス語を試すチャンスだ(どきどき)と思う私を追い越して、あっ!と思う間もなく「いつもの英語」を話し出す夫。ああ、私の頭の中の旅行会話が無駄になっていく。受付のお姉ちゃんは、部屋をチェックしながら「You are lucky!」と何度も言う。何がラッキーかよくわからないまま、部屋の鍵を受け取る。「お部屋は*4階*です。朝食は込みで朝7時半から10時半まで。では(にっこり)。」エレベーターを4階で降りて、部屋に向かう。なかなか立派なホテルである。ドアをあけてお姉ちゃんがいった意味がわかった。
スィートルームだった。


2002年11月27日(水) 昨日の続き

昨日、日本ユ二セフ協会の「子供を救いましょう」という寄付について、恵まれない子供の命を救うのも大切だが、それ以前に恵まれない子供を増やさないという努力をしなければ、根本的な解決にはなりえないのでは?という話を書いたら、その分野を専門とするみねははさんが掲示板に書き込んでくださったので、転載。

-----ここから-------------
れいこな殿の本日の日記に反応して

アフリカで家族計画普及をやっておりました。
ある社会で家族計画を受け入れる前段階として
乳幼児死亡率の低下って必要なんです。

「子どもががんがん死ぬ」という状況では
どうしても後継ぎ(もしくは必要な労働力としての子ども)が死んだ場合に備え、
スペアの子どもを産んでしまい、多産になっちゃうわけです。
子どもは死なないという安心感が社会にあって初めて
家族計画は普及するのですわ。

国連のユニセフ(れいこなさんのところにきたのは日本ユニセフ協会で
国連のユニセフを支援する日本の民間団体でしょう。)
は国連人口基金なんかと連携して
乳幼児死亡率低下に勤めているのでしょう。

私見ですが国連機関に民間から寄付って不思議。
フォスタープランは民間のNGOなんざんすが。

寄付を求めている民間国際協力団体は星の数ほどありますので
自分の哲学にあった団体を探して御寄付なさるといいですわ。
「NGOアリーナ」とか検索するといろいろ紹介してますわ。
-----ここまで-------------

私はフォスターペアレントプログラムに参加しているので、これを基本路線としていくことにしようと、改めて思う。

さらにそれに対する私の書き込み。

-----ここから-------------
そういうことならば、納得しますわ。
確かに日本は生めよ育てよお国のため、という時代ではないし、
少子化も「最近は子供死なない」という安心感の上に成り立ってますわね。

でも、そういう前提があるということもどこかに書いておいて貰わないと、
かわいい子供達の命を救いましょう、というような論旨だと
感傷的かつ論旨としては弱いような気がするのですが。

仰るとおり、日本ユニセフ協会からのDMで、電話帳を元に作成している
と書いてありました。

-----ここまで-------------

そして同じく掲示板への他の方からの「日本では感傷的なほうが金が集まるというマーケティングの結果だったりして・・・」という書き込みに対してのみねははさんの回答。

-----ここから-------------
実はその通りなんです。

フォスタープランと双璧の国際NGOのワールドビジョンに勤めている
友人に聞いたら笑顔爆発の途上国の子どもの写真より
悲しい顔の子どもの写真で新聞広告したほうが
寄付が集まるらしいんです。

でもそれって途上国のひとびとは「かわいそうな」
人って固定観念を植え付けるようで
私はすごくまずいと思います。

あとなんか感傷的なコピーって
上から施ししてやってる感じがして私は不愉快。
途上国が経済的に貧しいのは必ず理由があることで
その理由に先進国はかなーり深く関係しているのにね。

でもそういう理論的な話って
キャッチーじゃないんだよね。
NGO内部でもけっこう議論の分かれるところですわ。
-----ここまで-------------


2002年11月26日(火) ゆとりの日

なんか久々の予定が入っていない日である。夫を送り出した後、郵便を出しに行き、体が冷えたので朝寝までしてしまう。ちょっと時間をもてあまし気味でおろおろしてしまう。普段できなかった机の整理など。
それにしても晴天である。訪日英国人夫妻は昨日成田泊で今日帰国の途につくのだが、徹底した晴男・晴女振りである。中華街のランチパーティーの時に雨模様だったのはちょっと残念だったが、それ以外は雨知らず。昨日はホステスの涙雨だったのか、それでもホステス宅から成田への電車移動なので殆ど影響なし。す・ば・ら・すぃ。私も木曜日から隠密で旅行に出かけるのだが、お天気に恵まれますように。むにゃむにゃ。

ところで、昨日ユ二セフからの寄付のお願いが来た。たった3000円で409人の子供の命が救える、と書いてある。かつて戦後日本もユニセフの援助を受け、それによって何万という子供達が救われたという過去があり、実際苦しんでいる罪のない子供達は可哀想だと思うのだが、うーむ。考えてしまう。それよりも、これ以上HIVの母子感染を増やさない、みすみす育たないと分かっている環境で子供を増やさない、という例えばコンドームを普及させるとか、そういう努力が必要なのではないか?ユ二セフの寄付金で子供達が救えたとして、その子供達が大きくなってまた多くの恵まれない子供達を増やしていく、また先進国から募金を募り…というのでは根本的な解決にはなりえない。
私達はフォスタ―ペアレントに参加しているのだが、こちらの方はフォスタ―チルドレンと呼ばれる子供達に対して寄付を行い、実際にはその子供が住んでいる居住地域全体に対して、授産事業や家族計画(birth control)、衛生管理等の指導をしている。このように募金で集めたお金で不幸な子供を救うだけでなく、不幸な子供をこれ以上増やさない努力をする、というのなら大いに賛同するのだが、ユ二セフにとって避妊というのはタブーなんだろうか。


2002年11月25日(月) 連休明けの月曜日のごとお日の雨

朝、美容院に。歯医者さんと同じく、高校生の時から同じ店に通いつづけているので、実家経由(しかも実家からも歩いていける距離ではないのだった)。住民票をとるように父に言われていたので、9時前に家を出て区の出張所に寄る。受付で名前を書いて提出し、待合室に座る間もなく出来上がり。昔に比べると本当に楽。時間がたっぷりあるので、バス停一つ分余計に歩いて銀杏の街路樹を眺めながらバスを待つ。道路がすいているのでバスはスイスイと走り、自宅の最寄のバス停を定刻3分前に通過。この前バスをタッチの差で逃したのだが、3分も早いとは。
途中で時間調整をして実家着。お茶を飲ませてもらい、住民票と、例の「初老祝い」のお餅と、リンゴ1ケを渡す。昼過ぎにまた戻ってくればお昼ご飯を食べさせてくれるというので、あらかじめチェックしておいたバスの時間に合わせて実家を出る。こう書いていると、たかだか美容院に行くためにどうも大ごとである。
バス停につくと、近所のおばさんがバスを待っていた。そこの娘さんが私と同じとして、幼稚園の時に一家が越してきて以来家族ぐるみでお付き合いしていたのだが、年明けに家の事情でまた引っ越していくことが決まっている。さびしいなぁと思いつつ、そのことには触れず。バスを待つ間四方山話をするが、それにしてもバスはこない。朝が順調だっただけにたかをくくっていたが、さすがに連休明けの月曜日のごとお日の雨である。おばさんが乗る予定だったバスは私の1本前にあたる20分前ので、ちょうど行ってしまったところだったというのだが、結局バスが来たのは私が乗るはずの20分過ぎ。運転手さんにおばさんが「遅かったわねぇ」といったら「40分遅れです」との答え。ひゃーーー。始発からここまで乗っても40分で来るはずなので、2倍の時間?しかも40分遅れということは、これがまさにおばさんが乗るはずのバスかー。当然美容院の予約時間にきっちり30分遅れる。事前に20分〜30分遅れると携帯で連絡を入れておいたのでこちらは問題なし。うーん。やっぱり携帯って便利。
カットとカラーリングをしてもらい2時間コース。帰り道に「S角」というすし屋がある。なんか紐育の人気店が1〜2年前に日本に逆出店したようで、かつて紐育在住のとあるお方のページで(うーん、とげのある言い方だな)、べた褒めしているのを何度も読んでいたので、どうなるものか時折チェックしていたのだが、どうも全然流行っている様子がない。
隣がクリーニング屋でお向かいが豆腐屋という立地がいけないのか、その隠れ家然とした様子がかなり浮いている。金曜日の夜ですらがらーんとしていて、ありゃりゃりゃりゃと思っていたのだが、今日見てみたら、金色のモールだとか、小さなツリーだとか、ヒイラギだとか、いわゆる日本風のちょっと俗っぽいクリスマスの飾り付けがなされていて、かなりあぶない状況になっていた。こりゃー相当窮してますな。
立地が悪いといっても、ここにあった美容院は激戦区にしては繁盛していたし、もう少し先に行くと、移転前の栗原は〇みの店が大ブレークしていたし、場所のせいとは言い切れないのだが。結局、味が大したことはないってことか??すると絶賛していた彼女って一体???なんてことにまで思いが及んでしまうのであった。
帰りのバスは少し10分ほどの待ち時間で到着。あっという間に実家に帰り着き、マツタケご飯を食べさせてもらう。うまうま。1時間ほどで辞し、再度バスに乗って家に帰る。帰りもほぼ順調。その後無駄に時間を過ごした。


2002年11月24日(日) 駒場

いつものメンバーで駒場周辺を散策。駒場東大前で落ち合って、まず駅前でもろもろの物々交換が行われる。私は先日北陸のT口家の長男さんの「初老祝い」を人数分おすそ分けで持っていく。厄は大勢で担げば担ぐほどよいというからね。かわりに池澤夏樹の本を何冊かもちかえることに。
実家からそれほど遠くなく、東大構内には何回かいったことがあるが、公園を散策するのは初めて。駒場には駒場公園と駒場野公園があることも今回知った。駒場公園には旧前田侯爵邸(洋館)と、外国人接待用の前田家の和風の迎賓館(和館)があり、いずれも無料で開放されている。渋谷から井の頭線で2駅、歩いたって十数分のところに、欝蒼と繁った木立がまさに武蔵野。もう一方は駒場野公園。井の頭線に乗ってると、田んぼが見える、あそこですね。ケーキ屋さんでお茶を飲んでおしゃべり。美味。なんかすごく楽しいところだった。お天気がいいときにまた来て見よう。夜、よき事聞く(^^)


2002年11月23日(土) 中華街

例によって時刻表を調べて石川町へ。今日は中華街で訪日英国人のお別れ会兼「ケンブリッジ・ベテラン」の同窓会。はー満腹。
思うこといろいろあれど、具体的に書くのは差し障りあり。うーん。匿名で裏日記でも書くかなぁ(笑)

一つだけ。「できない」ということは免罪符にはならないよな。「できない」ことは恥ずかしいことで、「できない」ことを克服すべくいろいろと失敗するのは、かっこ悪いことじゃない。


2002年11月22日(金) いざ鎌倉

訪日英国人夫妻のアクティビティが、今日明日と神奈川方面で行われるので連らチャンでお出かけ予定。藤沢から江ノ電にのると楽しいというので、Webの乗り換え案内で時刻表を調べてそれにあわせて待ち合わせ時間を決める。別に用意周到というわけではないが、時間のロスをすると世界が終わったような気分になるので、希望を出したもの勝ちな気がするので、結局せっせと情報提供することになる。まあそれで自分も満足だしついでに感謝されちゃったりするので、いいか。
新宿から小田急線にのって藤沢まで約1時間。幸い坐れたのできっちり寝倒すぞ、と思って実際口を半開きにして寝ていたら、携帯に着信。八王子方面から来る彼らはJapan Rail Passが使えるので本当はJRだけで来たかったのだが、それだと3回も乗換えがあるから止めた、といって町田で合流するから号車を教えてくれという電話だった。すっかり寝ぼけていたので、違う号車番号を知らせてしまう。慌ててコールバックしているうちに電車は町田につき、ドアが開くと彼らが目の前に立っていた。なんという偶然。彼らは初めから同じ車両に乗るつもりではなかったらしい。運良く坐れて、順調に藤沢から予定通りの時間の江ノ電に全行程のり、鎌倉でさらに他の日本人達と合流する。すべて時間どおり。英国人夫妻は、日本の電車がいつも分単位まで時間どおりなのに相当驚いたらしい。「11時19分に来る」なんていうのは今までなかった発想なのだそうだ。イタリアあたりに比べるとまだマシと思うのだが。
本日は大仏と散策および葉山へドライブの予定が、曇天および寒さのため大幅縮小。鎌倉駅から車で長谷寺へ行き、2時半過ぎに鎌倉を離れる。鎌倉の大仏を見るのは中学の遠足以来か?あの頃よりずいぶん知識がついているし、地元でガイドをしている人がいたので、説明してもらい面白く見る。そのまま金沢文庫まで行き、鎌倉大仏に関する展示を見る。金沢文庫は学生時代に一度行ったことがあったが、今日行ってみたら、私の知っている金沢文庫ではなかった。10年ほど前に新しく建てたそうだ。国宝級の曼荼羅やさまざまな阿弥陀仏を見学した。
すっかり日が暮れるが早くなったし、日が落ちるとぐっと冷え込んでくる。師走がすぐそこ。


2002年11月21日(木) 昼下がりの密会

午前中、クリスマスカードを5通書く。ゴミを出す。コンビニに切手とのりを買いに行く。メールの返信をいくつかする。うち一つは新しい船出を考えている人からのもので、その計画にわくわく興奮する。急いで家を出て、NEOさんとむっしゅんぬさんのランチデートに刺激を受けて、私も大学時代のオケの同期K村氏と昼下がりのデート(笑)。今、週1で関わっているプロジェクトのからみでとある展示会へ。もともとそのプロジェクトにK村氏が働いていて、そこに同じくオケ同好の士であるむっしゅんぬさんがいて、むっしゅんぬさんが出る演奏会に私とNEOさんが行って、NEOさんとむっしゅんぬさんが知り合いになって、いろいろと職場つながりがあって、なんだか妙に予定調和的に親しくなって…というつながりなのだ。ふぅ、面白い。しかし、むっしゅんぬさんとも久しく言葉を交わしていないものだよ。読んでいたらたまには書き込んでください(業務連絡)。
展示会はまあまあ。予想していたより面白いところもあり、予想通りで面白くないところもあり。2人ほど知り合いに会う。一人は大学を出て以来あっていなかった人で、お互いに認識できず。街路樹を眺めながらお茶を飲んで、夜フランス語。あたたかい夜。


2002年11月20日(水) 内職

いつもの仕事は休み。代わりにせっせと内職を進める。もとの同僚に頼まれてWebページを作成しているのだが、こちらも一応ベータ版が上がったことにして、添付ファイルで送った。これも一応職安に申告しなくちゃ。
一段落したのでお昼を食べたが、あまりに寒いのでついついしきっぱなしの布団へ。かなり本格的に眠ったらしい。目がさめてもなかなか起きられない。引き剥がすように起きだしてしばらうボーっとして、フランス語の宿題などをざっとやる。
夕方フランス語へ。どうも家から出るとぐずぐずして遅れがち。始まる直前にクラスに滑り込む。成果は一進一退。もちろん2ヶ月間前は殆どゼロだったので、それに比べれば私自身は進歩しているのだが、先生のおめがねにかなうかどうかは別問題である。終わってから道端で新しく改装オープンしたカフェの無料ドリンク券をもらったので、同じクラスの女の子(21歳)と軽く食事をして帰ってきた。ちょっと遅めの電車とバスはどちらもとても空いていて快適。


2002年11月19日(火) モロモロ

歯医者さん最終日。「20周年おめでとうございます」と、お祝いの花かごなどが並んでいるので、「先生、20周年なんですね」と水を向けると、「そういうれいこなさん(仮名)も19年ですね」といわれる。そうそう、開業早々の患者の一人なのである。こうやって昔から安心してかかれる歯医者さんがいるというのは、幸せなことである。先生、将来私の入れ歯も作ってください、ぺこぺこ。姪のためにと、黄色と赤の風船をいただく。実家によって姪に風船を渡すが、膨らんでいない風船は今ひとつ彼女の心を打たない模様。とりあえず近いうちに「おめでとう隊」として私の代わりに祝辞を述べてきてくれたまへ。
実家で昼食にラーメンを食べさせてもらい、なんだかんだと3時間ほど姪と遊ぶことに。姪はこの間兄の会社の運動会に行ってきて、いろいろと袋菓子を貰ったそうで、自分で管理していいのがよほど嬉しいらしい。夫と私にといって、一つずつちいさなチョコとアメをおすそ分けして貰った。先日初めての七五三を済ませて、ぐっと大人びてきた感じ。発話もはっきりしてきているし、ますます仕切り屋の本領を発揮している。「なんで会社を辞めちゃったの?」と突然真顔で訊かれたのには少々たじろいだ。まさか「嫌気が差したから辞めた」とも「リストラされた」ともいえないしなー。結局、忙しくて大変だから辞めたということにした。
家に帰ってきたら、クリスマス模様の書籍小包が。開けてみるとケンブリッジのカレンダーと、「ケンブリッジを忘れないように」というメッセージのついた郵便ポストの形のクリスマスカードが入っていた。ありがたい。…うるうるうる。
が、しかし先日逗留したイギリス人が他の友達から言づかってきて、実は同じモノがすでに家にあるのだった。クリスマスカードもつい先日届いたのが郵便ポスト型。
不思議なめぐり合わせ。


2002年11月18日(月) 観光案内の難しさ

普段生活している場所を観光客の目で見るというのは、なかなか興味深いものである。
ケンブリッジなどに行くと、観光客である自分の方が地元の人たちよりよっぽどよく交通機関やことのいわれなどを知っていたりするが、まさにその逆パターンで、東京をよく知っているにも関わらず、観光案内所とか、国外からの観光客向けであるJapan Rail Passなど、概念的には知っていても実際どうすればいいのかわからないものも多い。
もう一つ考慮しなければならないことは、案内する相手の身体的条件である。できるだけたくさんの物を見聞きしてもらいたいとは思いつつ、疲労困憊してしまっては元も子もない。例えば高齢で階段が苦手だとかいうと、できるだけエスカレーターやエレベーターが使えるようにその場所を知っていなければならないし、身体的にラクだからといって同じ場所ばかり通ったり、歩かないで車を使ってしまうのも味気ない。日本語がわからないからといって、四六時中ベッタリと付き添っていては旅の楽しさも半減であるし、相手も心苦しかろう。だからといって短い滞在中にもし何かあったらと思うと野放しにするわけにもいかない。
「おもてなし」というのは経験をつむと少しずつ馴れていくのだろうか。まだまだ悔いが残るばかりだが、自分一人で動いているのとはまた別の面から、日常生活を見直すヒントがそこにある。


2002年11月17日(日) キリ番ゲッター

本日、日記のカウンター15000達成。キリ番ゲッターはれいこなさんでしたー(笑)。
客人が去ったので、気の抜けた朝。
NEOさん流にいうと「ネジをまかない日」か。起きてそのまま替えないでボーっとしていたら、玄関のチャイムが鳴った。日曜の朝9時半。宅配便だ、やられた。我が家の構成員全員がパジャマのままだったので、しかたなくのろのろとドアを開け、できるだけ姿が出ないようにハンコを渡して、品物を受け取る。っていうか、玄関の中までいれてもらったんだけど。北陸でお世話になっているお宅からである。ずっしりと重い大きな箱なのだが、そのお宅は宅配便の取次ぎもしている商店なので、出す分には全然問題なし。
野菜にしては平べったいなぁ、と思いつつ朝食が終わって中を空けてみると、柿がびっしり、その横にゆずがズラリ。で、その下にさらに紅白の水引がかかった箱。「初老祝い」と書いてある。そこのお宅の長男さんが不惑の年を迎えたお祝いに、厄落としを兼ねて配るお餅だ。前回遊びに行ったときに、その話が出て、口約束で貰うことになっていたのだが、本当に送ってもらえるとは(感激)。豆餅、昆布餅、蓬餅、それに直径15センチほどの丸餅が紅白一対。その上に稲穂が載っていいて美しい。客人がいたときに届けば、さぞ客人も喜んだであろう。
日曜日だというのに夫は出勤し、その後引き続きネジは巻かれず。過去3日間、我れながらとても効率的に立ち回ったので、すっかりバッテリーが上がってしまったらしい。午後を回ってからスポーツクラブ。気分よく何往復かゆったり泳いでジャグジーに入り、すっかり塩素臭くなって帰る。全然効率が上がらないので、あきらめて夕寝を決め込んでいると夫帰宅。お土産のケーキを食べて夕食。


2002年11月16日(土) 逗留二日目

土曜日なので、客人はゆっくりスタート。10時にブランチとして和定食。CNNなどみて、近所のちょっと格式の高い神社へ七五三ハンティング。母親の装いが割と地味。ていうか、親にまで手が回らなかった感じ。一昨年いった明治神宮は、ご両親、祖父母とも、そりゃあ気合がはいっていたもんでしたわ。写真をとらせてくださいというと、どなたさまも快く応じてくださいました。やっぱ嬉しいんでしょうね。鼻高々な親子連れを飽くことなく眺めて、おみこしの陳列などを見物して帰途へ。冷えたので家に帰ってお茶を飲んで、一服してから客人は次の宿泊地へと去っていった。バス停でhugなどをして別れを惜しむ3人。イギリスに来るときは必ず連絡してね!なんて言われたけど、でもまた来週末鎌倉・横浜方面で会う予定なのだった。ちょっと一休み。


2002年11月15日(金) 英語12時間マラソン。

昨夜はイギリス人二人がマンションのゲストルームに泊って、朝は遅めスタート。9時に我が家にきてもらって、軽く朝食を済ませてから出かける。某大学の某プロジェクト見学。日本人は西洋人に弱いのか、好きなのか、どこにいっても歓待ムードなのである。日本人がイギリスに行くと、「ここは英語圏だから」といって一生懸命つたない英語を話すのに、イギリス人が日本に来ると「日本語がわからないから」といってまたもや一生懸命つたない英語を話すのだ。なーんか変。
夜は歌舞伎。三階席の最前列。チケットは友達に頼んで発売初日にゲットしてあったので、ばっちり。西洋人たちはイヤホンガイドを使っているので、特に説明も必要ないので、ゆっくり観劇。演目は雀右衛門の八重垣姫サイコー!仁左衛門は二役ともきれいでかっこいいけど、ニンではないような。愉快でお茶目なお殿様をやっていて、勘三郎の面影がちらつくあたり、惜しいと思う。菊之助と染五郎の踊りはきれいになぞっている感じ。西洋人たちはダンスが一番気に入った様子。確かに踊り国境はないな。
歌舞伎が終わって直帰。英語漬けの一日がやっと終わり。ふう。


2002年11月14日(木) 東京見物

イギリスからお客さんが来たので、日本人3人がついて東京見物。まずは新宿に集合し、軽く食事をして大江戸線でオープンしたばかりの汐留駅で降り、浜離宮から隅田川ラインで浅草へ行くコース。
観光を始める前に彼らのキャリーバッグをコインロッカーに預けるので大騒動。行ったことのないエリアに足を踏みいれてなんとか大型ロッカーを見つけ出す。そして、新宿でJRのJAPAN RAIL PASSを使って新幹線の予約をしようと思ったら、これがまた大変。初め「みどりの窓口」へ行こうとしたら工事中で仮店舗で営業しており、長蛇の列をクリアして順番がきたら、彼らが持っているのはバウチャーなので、これをPassに変えるには東口にある「びゅうプラザ」にいかなければいけないのだといわれる。西口で茫然とする私達。それから地下道を通って東口に行き、「びゅうプラザ」で手続きをしようとしたら、バウチャーをもっているにも関わらず必要事項を所定の用紙に書くように言われる。おとなしく指示に従って待つことかなり。やっとPassを手に入れて今度は新幹線の指定席を取ったらまたこれが時間がかかることかかること。なぜ普段「みどりの窓口」で職員のおじさんたちがぺっぺっぺとできることを、「びゅうプラザ」の言葉遣いの丁寧なお嬢さんたちはできないのだろうか。みていると受付たものを準じ、流れ作業にしているようなのだが、どうもこれが余計に混乱を招いているようである。チケットを無事受け取った時にはもう既に疲労困憊。それから軽く食事をして、地下深くの大江戸線に乗り、なんども階段を上ったり降りたりして、やっと目的地へ。さすがにお客さんたちもうとうとしている。
汐留駅はまったく別世界である。にょきにょきと超近代的なビルが立ち並び、その下に浜離宮のジャパニーズな世界が繰り広げられる。このコントラストだけでも一見の価値がある。庭をぶらぶらと散歩して3時半過ぎに水上バスに乗る。最終便だけあって、もう日が翳りつつある。日が落ちると急に寒いのである。橋を13くぐって、浅草寺へ。仲見世を冷やかしているうちに17時になり、本堂に着く前に扉が閉まってしまい、ご本尊は拝めず。
お客さんを後の二人に任せて私はフランス語のクラスへ。地下鉄の車内でとてもディープな同性愛の男の人たちを見てびっくりした。


2002年11月13日(水) 弱り目にたたるな。

朝、ボーっとしながら出かける準備。忘れ物がないか確認して、忘れたら仕事にならない仕事道具と、忘れたら勉強にならない勉強道具と、忘れたら家に帰れない鍵を確認して、家を出る。時間に余裕はあるので気分よくあるいて、駅についたらお財布を忘れていた。お財布の中には、お金はもちろんモロモロのプリペイドカードも入っているので、どこにもいけない。最近紛失&盗難をおそれてキャッシュカードは家においてあるので、愉快なサザエさんどころではない。昔ガス欠の私を救ってくれたキーケースの中の千円札も不在なのだった。
窓口に行って、お金を貸してくれるように頼むと、事務所に行ってくれといわれる。駅の事務所では面倒ことこの上なしという表情の駅員さんが、のろのろと目的駅までの運賃を調べ、のろのろとその辺の裏紙を引っ張り出して、住所氏名電話番号を書くように指示する。書き終わった頃ようやく小銭が揃った様子だった。私の姿をみれば、急いで出かける途中で途方にくれていると分かりそうなものなのに、わざとしているとしか思えないのろさである。そのくせ小銭を渡しながら、すかさず「いつ返しに来ます?今日ですか、明日ですか?」。
いつまでも返しにこないのが前提のような話し振りに、少なからずカチンと来る。そういう風に人をうたがってかかるのなら、本当かどうか確かめようのない住所氏名なんて書かせるんじゃない、と思ってしまう。この人は、目の前で困り果てている人間を助ける術を持っているということで、こんなにも優位にたってしまうのだなぁ。それに比べるとおまわりさんとか、消防署の人とか、本当にやさしい(体験談)。数少ない特権をふりかざしているその人の心の余裕のなさが、弱っている私の怒りを超えて哀しく思えてくる。
失敗して弱っている人間を、なおさら追い詰めるようなマネをしてはいけないと、肝に銘じた朝であった。


2002年11月12日(火) 餃子二日目

餃子にはやっぱり韮が入っていないと。
韮を買おうと思って小さなマーケットにいったら、またもなかった。もともとこの店は、旬の野菜が並んでいるのが魅力だが、それだけに品揃えにムラがある。餃子の皮を買って帰ろうと思ったら、餃子の皮もなかったので、いったん籠に入れたミニトマトとリンゴを棚に戻して別の店に向かう。途中で八百屋に毛の生えたようなスーパーがあり、店頭に紅玉が並んでいたので、買おうかなぁ、どうせなら餃子の皮も一緒に買いたいしなぁ、と思っているとお店のおばちゃんが出てきた。「いらっしゃいませ」というおばちゃんに対し、私の口から出た言葉は「餃子の皮ありますかねぇ」。おばちゃんは「餃子の皮は肉屋さんに行かないと。肉屋さんに行けば餃子の買えますよ」と噛んで含めるように教えてくれた。ああ〜きっとこの人、今(最近の若い主婦って餃子の皮どこで売ってるか知らないのねぇ、まったく)と思っているだろうなーと、おばちゃんの気持ちになって考えながら「そうですか、どうも」と言ってその場を離れた。
結局大手のスーパーに行って韮と餃子の皮などを買ってきた。二日目の種に韮を新たに追加。やっぱり色がきれい。焼き方はいままでで一番の出来。


2002年11月11日(月) うへ〜

なんだか一進一退な一日。
懸案の事項はちょっと積み残していいことになった。そちらは建設的。
もう一つは非建設的。4月からもしかしたらやることになるかもしれない仕事(ああ、まどろっこしい言い方だ!)、半分OKがでて、あとは形式だけの審議が必要ということなのだが、形式的に私のスペックでは足りないらしい。形式的にだけ埋まってればいいようなので、過去の遺物をあっちこっちからかき集めて対応してみたのだが、そんなんでいいのか?経歴の空白だけ埋まってればゴミ同然の内容でもいいのか!!??がおがおがお。
てなことをやっているうちにとても時間が…(泣)。
昨日は夫が帰ってきてからスポーツクラブにいこうかといっていたのだが、そんなこんなで作るはずの餃子もはかどらず。大体家で仕事しながら料理するものとしては最低なチョイス。しかも昨日は日曜日のあるある大事典のおかげで近所の八百屋は韮完売。いいのかそんなことで日本人!?
結局スポーツクラブには行かず。イライラ夫に当り散らしながら世は更ける。


2002年11月10日(日) 行楽の秋

総武線に乗って、学生時代のサークルの先輩Sさんのご主人の遊び仲間の家までおでかけ。Sさんの赤ちゃんと初対面。もう半分赤ちゃんを脱しているのがちょっと残念。Sさん夫妻およびその遊び仲間の皆さんとは、もう10年近く知り合いなのだが、夫を紹介するのは初めて。仲良くしてやってください、とお願いして輪に入る。イベントのメインはなんとお庭でバーベキュー三昧。当然家も広い。うちの1世代前のマッサージチェアが置いてあるのだが、ちょこーんとした印象。うーむ。お昼過ぎからさんざ遊んで夕方暗くなってから失礼して帰路に。
せっかく夫と出かけたので、帰りに新宿に寄って、クりステルの鍋3点セットを買う。今までいいかげんに溜め込んでいた商品券をかき集めたのとお買い物カードを使って懐は痛まず。地下で食パンを買って、重い鍋セットをぶら下げて吐息をつく夫を気の毒に思って早々に引き上げることにする。
が、新宿西口に向かうと途中でヨドバシカメラに寄りたいという。えええ??疲れてるんじゃないの?といいつつ、店に向かうと俄然元気になる夫。総重量5キロ近くある紙袋をぶら下げて精力的に歩き回る。なぜ、君はデパートではよろよろしているのに、本屋とか電気屋に来るとそんなに活発になるのだ。
夫は前々から欲しかったMP3プレイヤーを買い、そのポイントで、私もオモチャのようなMP3プレイヤーを買う(貰う)。他にコードレスヘッドフォンなどを買い、今度こそ帰路へ。両手にかさ張る荷物をたくさん持って、とても買い物した気分。
今日気付いたのだが、西口のヨドバシカメラは車椅子のお客さんをよく見かける。売り場面積が広いこともあるが、屋台のようなブースで店頭販売していることも買い物がしやすい要因なのだろう。


2002年11月09日(土) 科学の光

朝、宅急便とどく。このあいだカタ口グハウスで注文した旅行用パンプスと電球。旅行用パンプスは色違いを試着済みなのであまり感慨無し。電球はLEDをつかったもので、30万時間持つらしい。つけてみるとやや暗い。スタンドにつけてみたが、読書灯には向かないので、廊下の電球と取り替えてみる。実はこの間2つあるうち1つが切れていたのだった。二つともLED電球に替えて点灯してみる。つめたい真っ白な光である。LEDは以前から赤と緑だけが開発済みだったのだが、例の青色ダイオ―ドの発明・実用化により赤・緑・青の光の三原色が揃った。そのため、このような商品が開発可能になったのだ。電灯のスイッチを入れていなくてもほの明るい。電球ってつないでいるだけで微量に通電しているのだな。てことは本気で倹約するならテレビ・ビデオ等の待機電源はもちろん、電球もいちいち緩めなくてはいかないということだろうか。それはともかく新しい発明による光にちょっとわくわくする。


2002年11月08日(金) ちょっとひき気味

夜、元同僚と待合せて寿司
会社の厚生年金基金が経営している保養施設の寿司やなのだが、これがまた本格的。他に中華とイタリアンがあって、中華もおいしかった。会社行ってるときは行くひまがなくて、会社辞めると使う権利がなくなる悩ましさではある。彼女がまだ働いているうちに精精使わせてもらうかね。
それ以外に何をしたかというと、ずっと前にとある人と「Webページ作ってあげるねー」という約束をしたので、やっとそれに取り掛かる。一応11月末が期限なのだが、なんの催促もされていないだけに焦る。11月の末からまた旅行だし、その前の週はイギリスから遊びに来る人たちがいるし、結構なんだかんだといそがしいのであった。
そういえばフランス語のクラスも今期折り返し点を迎える。来期のスケジュール表を貰って、悶々とする。なかなか上手い具合にはいかないもんだなぁ。私の性格からしてじっと座学&予習・復習というパターンはモチベーションが下がる一方なので、視聴覚を重視するクラスにしようと思う。来期も、4月からの新規事業への準備でまた忙しくなりそうなんだけど、あまり深く考えるのはよそう。後は野となれ山となれさ〜へらへら。


2002年11月07日(木) 一丁前

バスに乗っていたら、三角巾で腕をつった人を二人も見かけて、最近の流行はこうなのか、と思う(嘘)。
そういえば、私も腕を骨折してあんなふうにしてたよなぁ、あれはいつだっけ、げ、幼稚園じゃん、とはるかかなたの出来事だったことにちょっと驚く。
あの当時、というのは幼稚園の年長さんの時だが、その1年間をとあるカテイノジジョーで母が私を幼稚園に送り迎えできないことになってしまった。それまで一緒に通っていた近所のサチコちゃんは引っ越しちゃったし、こーちゃんは卒園しちゃったし、で援軍を頼むわけにも行かず、送迎バスなどもない時代で、結局その1年間を私一人でon my own歩いて通っていた。今に比べるとまだ長閑な時代だったので、他のお母さんたちも「あら、えらいわねぇ」ぐらいにしか思わず、保護者が送り迎えしないということが特に問題にもならなかったのだが、とはいえ幼稚園のくせに小学校の学区からは2人しか通っていないような遠くにあって、途中で環状七号線を渡ったり、なかなかheavyな道のりではあった。そんなさなかに鉄棒から落ちて腕まで折ってしまったので、幼稚園の帰りに一人で接骨院に行って、待ち時間に他の患者さんと世間話をして診療を受けて帰ってくるというtaskまで背負うことになった。私は淡々を日課をこなしていたのだが、今になってみると、生まれてから5〜6年しかたってないのに、教えられたとおりに決められた時間に決められた場所に行って、よその人と意思の疎通をして用事をすませていたんだから、(今思い出したが、診察券の受付箱に背が届かないのでいつも誰か来るのを見計らっていれてもらってたんだった)一丁前のことをしてたもんだ、と思う。
それ引き換え今の私の5〜6年の成果ってば…(以下自粛)


2002年11月06日(水) 之にて失礼

こんなときムリしてまで日記を書く必要はないということで。
ぱぴちゃんから、キャラクタものを貰う。●●-()


2002年11月05日(火) 手短に

朝、昨日ダメだしされた短冊を書きに実家へ。些細なことで母と口論。ちょっとイライラしているらし。書き上げて歯医者さんへ。この前いただいた歯科医師専用歯ブラシを買うにはどうすればいいのか伺うと、じゃ、これも、といってもう一本くださった。先生、これじゃいつまで経っても買えません(訴)。
急いで帰って荷物を持って出る。夫と友人のイタリア人須田さん(仮名)と新宿ランチの予定。須田さんの後の予定が詰まっていて、終わり次第連絡するようにいわれていたので、夫の携帯に電話すると、でないでやんの(怒)。JR乗り換え駅に出た頃夫から連絡が入る。まだ二人で職場にいるのだという。なんですと(怒・怒)!やっぱりイライラしているらし。新宿の成城〇井で時間を潰して彼らと落ち合い、南新宿の豆腐料理屋へ。満腹。須田さん(仮名)を代々木駅まで送り、帰りにカタ口グハウスの店へ。おほーあるある。欲しかった旅行用パジャマと折りたためるパンプス、電球などを買う。夫は職場に戻り、私は職安へ。昼ご飯が効いていてかなり苦しい中いってみると、今日も熱気むんむん。パソコンで検索しようかと思っていたがあまりの混雑振りに恐れをなし、ちょっと気になっていたことを窓口で質問だけして、退散。夕方家に帰って生協の申込書を記入。が、いつのまにか生協が訪ねてきていなくなったらしく、出来上がった申込書を玄関にぶら下げようとしてドアを開けたら、来週分の申込書がもうきていた(謎)。気力がうせて夫が帰るまで寝ることにする。早速買ってきたパジャマを着てみる。快適(驚)。
夫帰宅。昨日漬けておいた筋子と冷奴。満腹といってたわりに二人ともお代わりをする。なんだかんだで12時。もう寝る。


2002年11月04日(月) 続き

午前中、作業。
13時ごろから夫を伴って駅前探検に出かける。この前探検したのと別のお店に行きたかったが、夫のチョイスでまたも同じ中華料理店へ。昼時のセットメニューが12種類ぐらいある。私は固焼きそばと餃子セット(800円)、夫は坦坦麺セット(700円)にする。やや遅めの時間に行ったので、私達が最後の客。それにしても、時間がかかる。どうやら厨房の様子から一品一品順番に作っているらしい。それにしてもセットメニューの種類が多すぎる。セットメニューの種類をもう少し減らすか、日替わりにすればもう少し効率がよさそうなのに、と思う。かなり待って運ばれてきた料理は、いちいち作っているだけあって、熱々しゃきしゃきでおいしい。が、ボリュームたっぷり。固焼きそばと餃子セットなんて、メインが2つ並ぶようなものである。最後に出てきた餃子に手をつけるころはかなり満腹感。夫に半分以上食べて貰う。
お腹一杯になって、先日行ったコーヒー店に入る。テーブル席がそれぞれ占領されていたので、カウンターにすわり、コーヒーを淹れる手元を見ている。とりあえず私が作っていたコーヒーがいつもおいしくない理由がわかった。淹れ方が全然違う。充分蒸らして湯を注いでいくと、面白いようにフィルターの中のコーヒー粉がぷくぷくと盛り上がってくる。湯が落ちきる前にフィルターをカップから外す。
コーヒー店を出て、初めていくスーパーに足を踏み入れる。雑然とした中途半端な広さの店構えであるが、中に入って品揃えをみていると、意外とツボを押さえた商品がならんでいて驚く。いつも取り寄せで買っていた地方特産の醤油や名店のドレッシングなどもある。輸入食品も豊富で、シリアル類あり、エスニック食材あり、家庭用雑貨あり、広く浅くいろいろなものがあって面白い。元は魚屋なのだろうか、鮮魚類も豊富である。生筋子が出ていたので買う。店内には酒屋コーナーも充実している。いつもはちょっと特殊な食材はもう一駅離れた百貨店系の高級スーパーにいっていたが、こっちの方がやや近い。しばらく探索してみよう。
家に帰って筋子をほぐして醤油を酒で割った出汁に漬ける。満腹なので夕食はパス。明日からは筋子三昧の日々。おほっほ。
夜、母から電話。昨日仕上げた短冊は裏表逆に書いていたことが発覚。(短冊といっても、短冊サイズの和紙だから気がつかなかったらしい。どうりでうまい具合にかすれたと思ったよ)。明日書き直しに行くことに(泣)


2002年11月03日(日) 缶詰

朝、連休の真っ只中に仕事に出かける夫を10時頃見送り、さて、私も出かけるかと支度をしていたら、ドアホンが鳴った。「宅〇便でーす♪」という明るい声に「はーい♪」と答えて荷物を受け取る。明るい調子の掛け声は明るい調子の返事を誘発するのだな、と思いながら差出人を見ると、おほっ。みんみんさんである。先日のちょいとしたものをお送りしたご褒美に長崎からカステラを送ってくださったのだ。うひょー。いそいそと包みを開いて、同封されていた一筆箋にさささっと目を走らす。カステラ屋さんの店先でさらさらとお書きになったのでしょうな。縦書きに慣れた雰囲気がなんともうらやましい。
早速これから実家に持っていく荷物に半分追加することにする。例の展覧会に出品する短冊を、夫の留守中に仕上げるべく、缶詰になりに行くのだ。お昼は食べさせてください、と昨日電話で言ったので、一宿一飯の恩義で(日帰りだけど)、お豆腐、大根の葉先の炒め物を袋に詰めていた脇に、到来モノをいれた。

10時前に到着。なんだかんだと前振りがあり、10時半頃から書き始める。
母@お師匠さんモードが、自分が反故にした和紙から使える部分を選って、短冊サイズ(6*36cm)分を果てしなく切り分けてくれるのを、片っ端から使う。墨も筆も紙も母@お師匠さんモードの宛がい扶持なので、すっかりスポイルされている気分。と、同時にプレッシャーも。必死に書く。ひとしきり書いて時計を見ると11時半。「あら〜ちょうど1時間書いてたのね」という私と、「アタシったら1時間も紙切ってたのね」という母@お師匠さんモード。お稽古にきてひたすらお師匠さんに紙を切らせている弟子もどうかと思うが、出来よりも素材が作品の良し悪しに響くのだと言い張る。
しばらくだらだら書きつづけ、ギブアップ。自分の持ってきた食料でお昼、にするつもりが「お持たせ」に恐縮する母@母モードが次々と追加の食料を投入するので、かーなーりー満腹。ごちそうさまを言ったとたんにカステラに目を走らせる母@母モード。おかーさん、満腹です(涙)。
午後からまた母@お師匠さんモードが黙々と紙を切り始める。って、ことはまだまだですか、おかーさん。紙が切れるまであっちに行っておいでと言われるので、ネットのカラオケで一人ぶつぶつ唄ったり。

午後の部再開。何枚か書いたところで、突然OKが出る。ひゃぁ〜。助かった。これだけ頑張れば勘弁してもらえるだろうか。母@お師匠さんモードは機嫌よく「こんなに書けるんだものねぇ〜。もっとやらなきゃもったいないわ♪」おかーさん、勘弁してください(涙)
片付けをしてお茶。もちろんお茶請けはカステラである。カステラなんて久しぶり♪と、両親ともおいしくいただく。が、ここでも千葉のピーナツとか、柿とか、長州のういろうとか、追加のお茶請けが続々と投入され、親心は容赦ないのであった。


2002年11月02日(土) 路上禁煙逆切れ女

11月からの千代田区における路上喫煙に関して、2千円の過料に対し、3万円を叩きつけたという若い女性について、新聞記事では読んでいたのだが、テレビでも放映されていたのだな。夜になってネットでmpegデータが出回っていたのを見てその切れ方にびっくり。「会社に遅れたら責任とれんのかよ」とか「しつけーな、てめぇは」とか「金かよ、金が欲しいのかよ」とか、金切り声でわめいている。
一応、目隠のあたりを隠してあるのだが、声はそのまま、服装もばっちり映ってるし、本人を知ってる人ならすぐわかっちゃうだろうな。これはかなりばつが悪いだろう、と思うのだが、本人はきっとまじむかついてるであろう。
もし彼女が後悔することがあるとすれば、路上で喫煙していたこと、会社に遅れそうな時間にタバコに火をつけちゃったこと、3万円叩きつけちゃって引っ込みがつかなくなっちゃったこと…etc。どれだろう。


2002年11月01日(金) 新宿歌声クラブ

月に一度のカラオケの日。
結婚する前に勤めていた職場の仲間で、定期的に「新宿歌声クラブ」として駅に程近いパブ(といってもカラオケ付きパーティ用個室あり)に行っていた。現在の月一カラオケは夏まで勤めていた職場の近くでやっていたのだが、今回新宿がいいというリクエストがあったので、そこを思い出して予約を入れた。
久しぶりに行ったのに全然内装も変わってない。赤絨毯に赤い起毛張りのソファ。上はシティホテルになっていて、建物の外装もWebページによる案内もすっきり今風なのに、雰囲気はとても一昔前。途中で証明を落としてミラーボールをくるくる回したり、何を唄ったか覚えちゃいないほど盛り上がる。7人で3時間超ガンガン唄う。はー、すっきりした。


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