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英国ではケンブリッジのような大学町の市民たちと大学側の関係を称して「Town & Gown(タウン・アンド・ガウン)」という。 「Town & Gown」という名前のパブもある。タウンはもちろん街および市民である。ガウンというのは大学教授・大学卒業生・裁判官などが着る黒い長い上っ張りで、つまり大学関係者を指す。オックスフォードが大学の中に街がある、といわれるのに対し、ケンブリッジは街の中に大学があるといわれる。ケンブリッジはなるほど歴史があり、かつ美しい街だが、そこから各カレッジの建物を除き、チャペルを除き、庭を除いていったら、残った街自体は大して魅力的ではないともいわれている。 もともといくつかの有力カレッジは、何百年も前から街の中心のかなりの部分の不動産を有していて、商業地域での大家さんと店子という関係も成り立っている。ところがこれだけ大学と街が入り組んで立地しているにも関わらず、タウン(市民)とガウン(大学)との関係は案外希薄である。 一部ではタウンとガウンの間に根強い確執があるというが、というよりもむしろ市民の無関心さが目立つ気がする。私はタウンにもガウンにも知合いがいるが、タウンの人々が大学についてあまり知らないことに驚かされることがある。 たとえばクリスマス・イヴに朝からキングスカレッジに長時間並んで午後からの礼拝に出た。これは毎年BBCで全世界に生中継されるほど有名なものである。私たちがそれに出たというと、皆口々に「よく切符が手に入ったわね」「高かったでしょう」などという。高いもなにもこれは礼拝なのだから切符など必要ない、必要なのはただ列に並ぶことだけなのだというと、「へえ」という顔をする。ずっとケンブリッジに住んでいて一度も行ったことがない人など珍しくない。 学問の場であると同時に観光の穴場であるカレッジは、入場料をとったり関係者以外立ち入り禁止にしているところが多い。しかし街の中心部を占めるいくつかのカレッジは一般市民の通り抜けを認めている。街の喧騒を避けて一時散策を楽しみながら近道ができるのである。もちろん犬を連れたり、自転車で入ってはいけない。節度を守ってのことである。入場料を科しているカレッジも、ご近所さん(大学のチャペルから半径12マイル以内)に限っては申請すれば入構証を発行してくれる。 その他にも大学ではさまざまな催しを一般に公開しているのだが、意外と利用している人は少ないようなのである。 ところで私は市民の大学ともいうべきコミュニティカレッジの講座の一つで、ケンブリッジを探索するコースをとっている。これは10人程度のグループで週一回あちこちのカレッジや教会を訪れて、その歴史や建物について学ぶものである。ここの参加者は、ケンブリッジおよび大学に興味を持っているタウンの人たちといえる。 とあるカレッジでのこと。ポーターと呼ばれるカレッジの番人の態度がなんとなく尊大なのである。直接交渉にあたる講師はあまりの対応に憮然としている。このカレッジには貴重な古書(print)や写本(manuscript)のある図書室があるのだが、入る前に大きめの手荷物はすべて置いていくように指示される。陳列してある図書に鞄をぶつけていためる恐れがあるというのだ。しかし入ってみると陳列物はガラスのケースに収まったままでぶつける余地もない。しかもカレッジ見学に付き物のチャペルは内扉が閉まったままで、外から内部を覗き見て終わりである。 他のカレッジを訪れた時も、入り口で許可を得ているにも関わらず、連絡が不行き届きで途中で尋問されたりしたことがある。予定していたところに直前になって入れなかったりする。どうも非協力的なのである。「見せてやってる」という態度が見え隠れする。 一方、訪問研究員協会の主催でもいくつかのカレッジの見学ツアーが企画される。当然行き先が重複する時があり、先日は件のポーターのいるカレッジを訪れた。ところがその見学者の扱いにあきらかに違いがある。講座で訪れた時より人数が多いにも関わらず、荷物を置いていけ、などと一言もいわれない。遠目に前回入れなかったチャペルのドアを開けているのが見える。 私の属したグループは真っ直ぐ図書室に向かう。中に入って、係の男性の長い挨拶に迎えられる。自分の経歴までも話した後、曰く「ようこそいらっしゃいました。今回は訪問研究員の皆さんには特別に、普段は公開してないところまで入っていただけます。ただし絶対手で触らないでください。さあ、ずずずいっと奥まで進みになってたっぷりとご覧ください。」 驚きである。前回はガラスケースに陳列されたごく一部しか見られなかったのだ。奥の方に写本の現物が何冊も広げられている。思いがけない僥倖に興奮気味に見て回る。ため息が出るほど美しい装飾を目の当たりにする。何百年も前のものとは信じられない色の鮮やかさ、細工の緻密さである。司書達も次々と浴びせられる質問ににこやかに答え、時には要望に応えてページをぱらぱらとめくってみせたりしている。それぞれの本の脇にはそのページを写した全紙版のデジタル写真も添えられている。ちょうど近々行われる展示会のための準備中とのことである。 その後チャペルに向かう。当然のように中まで見学し、美しいチャペルを堪能した。 それにしても、一体この待遇の差はなんなのか。 コミュニティカレッジは子どもの集まりではない。振る舞いをわきまえている大人である。使用中ならともかく内扉一つ開けるだけのチャペルに、なぜほんの10分程度立ち入るための便宜を図ろうとしなかったのか。訪問研究員という、いわばガウンのお客さんに対して手厚いもてなしをするというのは分かる。しかし、タウンの人々に荷物を置いていけなどというのなら、ガウンの人々にも荷物を置いていくよう要請してしかるべきである。学術関係者といえどもその専門はさまざまであり、ある分野以外には門外漢である。その点においてはタウンの人々と変りはない。 たまたまそういう催し物があるから参加するいわば「ぽっと出」の訪問研究員と、地域のことについて継続的に学んでいる地元民と、どこをどう押せばそのような差がつけられるのだろうか。タウンとガウンの乖離はこのあたりのガウンの態度にも原因の一端があるような気がする。もちろんカレッジによって独自の方針を持っていて、その対応がさまざまであることはわかる。しかしカレッジが修道院だった時代ならいざ知らず、ガウンあってのタウン、タウンあってのガウンではないか。よそ者ながらこのような状況は惜しいと思う。
朝一番ではがきが届いた。街の大手書店から、ご注文の本が届いたのでこのはがきを持って二週間以内にとりに来てね♪とのことである。ケンブリッジは特に大学の書籍部はないので、街の書店が充実している。入荷まで3週間かかるといわれていたのが、10日足らずで届いたらしい。しかもファーストクラス(1st class:速達)である。なんという首尾の良さ、流石、と上機嫌になる。 ちょうど訪問研究員のコーヒーモーニングの日なので、途中で受取りに寄っていくことにした。 レジではがきを示して「お取り寄せ」の棚を探してもらう。なんとはなしに私も一緒に目で探すが、私の名字が見当たらない気がする。プロが探すと見つかるものなのだろうか、と黙っていたが、本当にないようだ。レジのお兄ちゃんは、もう一度はがきの文面をしげしげと確かめて探し直した後、「本店にあるかもしれない」とつぶやいて電話を取り上げた。電話の向こうでは「ここにはないから他を当たってみたら」との返事だったようだ。また別のところに電話を架けたが出ないらしい。 レジのお兄ちゃんはこちらに向き直って、はがきの消印を指差しながらいう。 「これ、昨日の日付でしょ、昨日出したんですよねぇ。だから昨日入荷したばかりということで、ということはつまりここにはまだ来てないんじゃないかと思うんです。ええ、私が推察するに。」 なんだそりゃ。 つまりここはいくつか支店があるので書籍注文は本部で取りまとめて扱っていて、本部に入荷したら、現物を各支店に分配すると同時に通知はがきも一括処理するらしい。入荷を心待ちにしている顧客のために速達扱いで出しているのだろう。ところが、この国の郵便制度(ロイヤルメール:Royal Mail)は女王陛下をマークにしているだけあって、非常に品質がよい。口の悪い人は「郵便だけは信じられる」というぐらいである。ファーストクラスにするとほとんど翌日に着く。しかも私の住んでいる区域は配達時間が早いので、結果として配架より郵便が先になってしまったということらしい。 しかしそれならファーストクラスで出すことはないのでは…。ロイヤルメールを舐めるなよ、という感じである。唖然としたが、そこにないものは仕方がない。 「じゃ、私どうすればいいんでしょう。午後にでもまた来ましょうか。」というと、「ええ、私もそれが一番いい方法だと思います。それか、電話して入っているか聞いていただいても。」 「一番いい方法」ねぇ…。また後で出直すといって店を出る。これが東京に住んでいた頃だったら目くじらを立てていたところだが、思わず笑ってしまう。ま、いっか。レジのおにいちゃんも一生懸命やってくれたから。 少し遅れてコーヒーモーニングに行くと、相変わらずのかしましさである。 仲良しの日本人女性が疲れた様子なので、どうしたのかと聞くと、こちらの大手銀行である○○Bankの支店との間で揉め事があって朝一番で行ってきたところなのだという。揉め事はいくつかあって、その一つ一つは小さいのだが、あまりに続出するし、その都度銀行側の応対がひどいのだという。 彼女が「それより許せないのは彼らの態度。こっちも興奮すると英語が出てこなくなるし…」というのを引き取って、歩く元気印のようなアメリカ人女性が「あら、うちもそう。彼女もそうよ、そこの彼女も…」といって、他のアメリカ人たちを指差していく。みんな銀行と揉めた経験があるらしい。 そのまま彼女が堰を切ったように話し始める。 「言葉の問題じゃないわ、みんなそうなのよ。ほんと、揉め事ばっかり。しかも態度が悪いのよ。アメリカの自分の口座からこっちの機械でお金を下ろすなんて簡単だわ。ほんの数秒じゃない。それがなんで窓口に行ったらあんなに時間がかかって大変になるの。絶対終わらないわ。しかもアメリカからの送金がいつまでたってもこっちの口座に入金されないのよ。彼らに聞くとどこか(somewhere)あるっていうだけで、さっぱりわからないの。何十年も前ならいざ知らず、このコンピュータネットワークの発達した時代に、なんで送金に一ヶ月もかかるっていうのよ。船便じゃあるまいし。ただ数字のデータを送ればいいだけじゃない。私たちだって、銀行のコンピュータが完璧じゃないことを知ってるわ。だけど計算書だって間違いが多いし、うちの夫は統計学者なのよ。数字を扱いなれているその夫が、申し訳ないがもう一度確かめてくれないだろうかって丁寧に頼んでいるのに、調べようともしないのよ、彼らはっ。侃侃諤諤、ケンケンガクガク…。」 確かに訪問研究員ならば、統計学者、経済学者、法律学者、計算機科学者、なんでもござれである。その人達は普段丁寧な扱いに慣れているだろうから怒りも倍増なのだろう。 そして銀行側もすごいことを言うらしい。 「あなたがたが訪問研究員だと思えばこそ、大切な顧客として特別な待遇をしている。」というのだそうだ。このあたりに英国の階級社会の名残を感じないでもない。彼女が続けていう。 「私たちは知識もあって、確かな物言いも振る舞いもできるけど、これが特別な待遇というなら普通の人は一体どんなひどい扱いを受けているのかしらと思うわ。アメリカは歴史が浅いし、礼儀や伝統を重んじるイギリスに対する憧れもあるから、イギリス人がアメリカに来たら、まるで母親が遠くから訪ねてきたかのようにもてなすけど、だけど今回の件に限っては私は断言するわ。ずぇっっったい私たちの方が礼儀正しく振る舞ってるって。侃侃諤諤、ケンケンガクガク…。」 喧々囂々とする中で一際姦しい私たちの元へ、もう一人オーストラリア人が何事かと顔を覗かせた。 ○○Bankと揉めたというと、普段物静かな振る舞いの彼女が、「あーら、ダメダメダメ、○○Bankなんて。△△Bankに変えなくっちゃ。」と血相を変えて歩み寄る。自分がいかに○○Bankでひどい目にあったかを件の日本人女性にとうとうとまくしたてるのを、横から元気印のアメリカ人が「ね、ほら、行った通りでしょ。」と言って、我が意を得たりというようにニヤニヤ笑って見ている。 それにしても大変な頻度である。私たちは○○Bankでトラブルらしいトラブルはなかったのだが、次は私たちの番なのだろうか、それとも単に気づいていないだけなのだろうか。ふーむ。ま、いっか。別に今問題ないんだから。 さて、夕方近く再度書店に向かう。レジの担当者は朝と違っていたので、素知らぬ顔ではがきを差し出す。今度はちゃんとあった…が、名字のスペルが違っている。そんな珍妙な名字だった覚えはない、と思わず片眉があがる。ま、いっか。何はともあれちゃんと手に入ったんだから。
帰国まであと一ヶ月をきったが、相変わらずバタバタと動き回っている。毎日午前中に家を出て夕方帰宅するような生活である。 語学や手話のクラス、訪問研究員用の催し物、ボランティア、Conversation Exchange、植物園散策などの他に、たまに演奏会やお呼ばれなどが入るので、平日はだいたい一日あたり3つ以上の予定が入っている。一つ一つの用事は、週一回長くて2時間程度なのでどれも小さい。ただ移動時間や頭の切り替えを含めると結構な仕事量である。その日あったことの復習もしたい。周囲の人達も私が忙しいのを知っていてなにかと時間を融通してくれるので、結果すべてをこなすことになる。まるで15パズル(4×4のマスのうち一つだけ空きになっている並べ替えパズル)のようにスケジュール調整している。 先日、夫に一週間の予定を得意げに話したら「うーん、それって幸せなのかな」といわれた。ふむ。確かに。 実際少しは制限した方がいいと思って、年明けからはかなり絞り込んだのだが、その分密度が濃くなったのか、あまり楽になった気がしない。友人たちは「もっとくつろがなくちゃ」「余暇の時間をとっとかなくちゃ」という。「あんなに大きな家を借りてて、ほとんど家にいないんじゃもったいない」ともいう。 しかし私の場合、人に会ったり催し物に参加したりするのはその主たる目的はともかく、すべてにおいて「祈 英語上達」という邪な野望が隠されているので、生の英語に触れる機会をそうそう削るわけにはいかない。どれも手放せないのだ。 とはいうものの自分の中では優先順位もある。サボってしまうものもある。 ところで最近メキメキと優先度が高くなってきたものがボランティアの「病院のピアノ弾き」である。これを始めたのはここに来て一ヶ月ぐらいの時だったので、今やっているものの中では一番長く続けているのだが、楽しんで弾けるようになったのは比較的最近のことである。 もちろん義務感でやっているわけではなかったが、初めの数ヶ月はただピアノの前に座り、一時間黙々とピアノを弾いてくるだけだった。 お年寄りの反応は乏しいし、職員の人達も忙しく立ち回っていてあまり構ってもらえない。初めの頃こそボランティアコーディネータのグレンダさんが来てくれて、皆に声をかけて寝台椅子をピアノの近くに移動させたり、一緒に歌ったりして雰囲気を盛り上げてくれていた。そのうちグレンダさんも様子を見にこなくなると誰とも口をきかないで帰る時もあり、こんなのでいいのだろうか、と帰りのバスでため息をついたりもした。もちろんさび付いた指で弾くお粗末なピアノに申し訳なさも感じていたこともある。 「そこに生身の人間が行ってピアノを弾く」ということが大切なんだと割り切って通い、どの曲が喜ばれるのかと、ピアノに向かいつつ背中で精一杯情報収集をしていた。 ある日、毎日奥さんに昼食を食べさせに通ってくる老紳士が「シュトラウスのワルツを何か弾いてくれないか」という。うろ覚えで弾いたところとても喜んでくれた。ああ、やはり漫然とピアノを弾いているだけでは何も伝わらない。喜ばれるものを弾こう。難しくなくてもいい、わかりやすいなじみのある曲を弾こう。その足で町の図書館にいき、民謡や映画音楽の楽譜を借りてきた。翌週その老紳士が現れるのを待って、いくつかのワルツを見繕って弾いた。お年寄りに分かってもらえなくても介護する職員や家族の人達が上機嫌になれば、それは願ってもないことである。 病院にはロクな楽譜がないのだが、ギルバート&サリバンのミュージカルの抜粋集という薄っぺらな楽譜があった。実はここへ来て初めて知ったのだが、ギルバート&サリバン(William S.Gillbert, Arthur Sullivan)は1920年代頃のヒットメーカーで、日本を舞台にしたMIKADO(こちらでは「マイカ〜ド」と発音する人もいる)というけったいなミュージカルもある。映画「炎のランナー(Chariot of Runner)」で主人公ハロルドの恋人となる歌姫が、出会いのシーンで舞台で歌っていた曲である。未だ人気がある。彼らの作品は他にもハロルド自らピアノを弾くシーンで流れていた(The Pirates Of Penzance)。ここにいるお年寄りのまさに青春時代の曲である。 そういう背景が分かってくると思い入れが違ってくる。自分が楽しんで弾くようになるとその気持ちが伝わるらしい。ギルバート&サリバンを楽しんで弾く若い日本人を面白がってか、話し掛けてくる人が増える。悲壮な顔をしてピアノを弾いている東洋人に、誰がすすんで声をかけようと思うだろうか。 肝心の聴衆は相当年季の入ったお年寄りなので、その週上機嫌でピアノを楽しんでくれたとしても、翌週になると全然反応が違ったりする。どうかすると「耳障りよ」などといわれて「あらら」ということもある。 一人とても誉めてくれるかわいいおばあさんがいて(93歳)、一曲弾き終わる度に過分なお褒めの言葉を頂戴しているのだが、初めのうちはピアノを弾かないと私を認識しなかった。何度も通っているうちに、顔を見ると「あなたはピアノを弾きにくる日本人ね」といってくれるようになった。 最近では職員の人も「さあ、ピアノよ」といいながら寝台椅子を動かしてくれて、手の空いた人は座って一緒に聴いてくれていたりする。背中で感じる反応が以前とあきらかに違う。この間は居合わせた人全員に拍手までもらってしまった。もうじきここを去る身としては複雑な心境である。 バカヤロー、立ち去りがたくなるじゃねぇか。思わず心でそうつぶやく。 「それじゃ、また来週。」 そういって皆に手を振って帰る時に、この人達は私が突然来なくなったらどう思うのだろうという気持ちがよぎる。いっそすっぱり忘れてしまって欲しい、とも思う。
2月14日は聖バレンタインデー。英国では男性から女性にカードと花束やプレゼントを贈る日である。 贈るときは、聖バレンタインが殉職する前に「あなたのバレンタインより」とカードを送ったことに因んで、 匿名とされている。送り主が分からないので、受け取った女性は「あの人かしら、この人かしら」とワクワクしたり困惑したりするのだろう。 一説によると、ある年のバレンタインデーには1千万枚のカードが配達されたという。店頭売り上げはその倍だそうである。 それからその日の新聞はどの新聞も(たとえTimesなどの高級紙であっても)バレンタインのメッセージがびっしりと紙面を埋める。お金を出してスペースを買って女性にメッセージを送るのである。 もちろんそれも匿名が原則だから、誰から誰へのメッセージがわかるように「モウモウちゃんからヌウヌウちゃんへ」など二人だけに通じる名前やメッセージを使うのだ。 1月の中旬頃から店頭ではクリスマスに代って、バレンタインデーのディスプレイになる。クリスマスほど大掛かりではないにしろ、バレンタインデーが近づくにつれ、明らかにバレンタインを意識したディスプレイが多くなる。 バレンタインの色は基本的に赤、しかもハート型である。 赤いハート、赤いハートを持ったテディベア、赤いデヴィル(小悪魔)のぬいぐるみ、赤いハートが描かれたクッキー、 キャンディ、赤いハートの包み紙。ハート型のPost It!まである(思わず買ってしまった。5色225枚で£2.99、高い)。 conversation exchangeの相手ポーラさんがいう。「バレンタインデーの前の週になったら、赤いものを買っちゃいけないわ。」すべての赤いものがことごとく高くなるらしい。確かに赤いものが目立つ。ランジェリーショップの店頭まで赤い。 もちろんもっとも気合が入っているのは花屋さんである。店内所狭しと並べられた花、花、花…。赤いバラ、赤いカーネーション、赤いチューリップ、赤いガーベラ。花束、アレンジメント、むせ返るような芳香である。園芸農家から直接お届けします、というのもあるらしい。 ポーラさんはさらに「青空マーケットの花屋さんも見逃せないわ。もう、本当に豪華なんだから。」という。 ケンブリッジには中心部に青空マーケットがあって、そこに花屋さんが3軒店を出している。一軒は鉢物と切り花が半々、もう一軒は切り花専門、さらにその隣は鉢物が充実している花屋さんなのだが、それは業績不振なのか暮れごろから半分八百屋さんになってしまった。 バレンタインデーは日曜日だから青空マーケットは休みじゃない?というと、だったら土曜日に見物に行きなさい、花束を持った男の人達がたくさん歩いていて面白いから、という。 それなら、というわけで前日の土曜日に見に行くことにした。晴天なのですごい人出である。 おお、早速花束を持って歩いている紳士発見。ところが女性も結構花束を持って歩いているものである。もらったばかりなのか? さらにずんずん歩く。マーケットは大賑わいである。心なしか男性の姿が多いようである。さて花屋さんの前に行く。すごい。人だかりである。しかも男性の。老いも若きも列をなして花を買っている。花束と無縁そうなむさ苦しいおじさん達もいる。 半分八百屋さんになった花屋さんも元のサイズに戻っている。きゅうりやかぼちゃの代わりに赤いバラが林立している。お手頃なのは一本ずつ包まれたタイプだろうか、お店の奥にずらりと並んでいる。 普段はおば様方が「ええ、そのパンジーの苗を、そうねぇ、半ダースほど頂戴」とか「そうそう、その白いカサブランカを包んで頂戴」「あら、あなたのそれステキ」などとのんびりと買い物をしているのだが、男性は選ぶのが早い。値段をちらちらっと確かめてはさっさと列に並び、足早に去っていく。妙に真面目な顔をしているのがおかしい。 花を買ったら次はカードを買わなくてはならない。偶然会った知人の情報によるとカード売り場も男性の姿でいっぱいであるという。ご苦労様である。 ちなみに夫が買ってきてくれたのは、赤いバラ6本とあしらいの黄色い花がついて£12だったとか。結構なお値段である。あまり包装に凝ってない分、まだ割安というべきか。 いずれにしてもバレンタインデーは商魂たくましく利用されるものなのだ。何も日本に限ったことではない。
賑やかに食事が始まった。特に席の指定はしなかったが、それなりに収まっている。この家はオープンキッチンなので、私がサービスのために席を外しても会話に参加できるのがうれしい。 お皿をもって順番にお料理をとりにいってもらう。男性陣は「一応lady firstだ」といっている。「いかにも英国的だな」とクリス(♂)さんが軽口を叩く。 お料理は助太刀があったのでかなり見栄えがする。お約束のちらし寿司のほかもおおむね好評。唯一悔やまれるのはいり鶏。味はともかく、里芋が煮崩れしてまるで里芋のマッシュポテト和えのようになってしまった。日本の里芋とはやはり種類が違うようだ。粘性が弱く全体的にぱさぱさしている。しかも、もも肉が品切れで代わりに胸肉を使ったのでお肉はぱさぱさである。 似て非なる食材を使うと往々にしてこのような椿事が起きる。それでも英語勉強中の日本女性は「こんな食べ物ありましたよねぇ、ひさしぶりですぅ〜」と感激してくれる。 数年前のNHKの朝の連続ドラマ小説「あぐり」のサントラ盤のCDをかける。日本から持ってきたプレイヤーの中にたまたま入れっぱなしになっていたのだが、好きなのだ。作曲家岩代太郎氏の作品の中でも白眉だと思う。ヴァイオリン独奏の矢部達哉氏とともに若い世代のエネルギーを感じる。余談だがドラマでは「置き去りにしてきた夢を」という回があって、いつもその言葉が心に響いている。 簡単にドラマの説明をして「"あぐり"って主人公の名前だけど"ugly(醜い)"みたいでおかしいでしょ。」などと冗談を言ってみる。通じたようだ。 みんな器用にお箸で食べている。心配されたポーラさんの彼も真剣な顔をしてお箸を使っている。「Yummy!Yummy!(おいしい)」と声がする。こういう口語を知る機会も語学学校ではあまりない。 話題はさまざまな方向に飛び火する。基本的に議論好きな人種なので話題に事欠かない。かなり熱弁を振るう場面も見られる。ダブリンに遊びに行ってきた話から北アイルランド問題の話を口にするや、一挙に政治の話に雪崩れ込んでいく。当然日本人勢についていける話題ではないが、自由に話してもらって構わない。はっと気づいて「話題を変えよう」と言い出してみんな大笑いする。 それからクリスマスのパントマイムの話(この話はまたいずれ書きたい)から、日英のお伽話の比較、お伽話における典型的な性役割について。第三者をhe or she といったり、chairmanをchairpersonと呼んだりする現代の過剰な反応をクリス(♂)さんが茶化す。 「そのうちに童話でもstep-mother(継母)なんて言い方は禁止だ。じゃ、なんて言うんだ、step-personか?」 あまりに唐突なナンセンスさに一同吹き出す。 「その通り、ナンセンスなんだ、こんなのは。」クリス(♂)さん真剣である。 英国人たちはこちらのレベルに話をあわせてたまにペースダウンしてくれているのがわかる。ポーラさんが話題をうまく振り当ててくれる。皆がちゃんとそれぞれ話に参加している。 クリス(♀)さんはホームステイの学生を受け入れたいと思っているらしく、現に学生を預かっているポーラさんたちや実際にステイしている日本女性の話を聞いたりしているようだ。それからクリス(♂)さんの宿題の日本語クロスワードの回答をみんなで考えたりする。ポーラさんの彼も楽しんでくれているようだ。時に英国人同士で勝手に盛り上がっている様子を見ているのも楽しい。 談笑する彼らを見ながら不思議な感覚にとらわれる。 私たちがここに来た時は、頼れる人はペニーさんの他にいなかった。 ペニーさんが公私ともに何くれと世話を焼いてくれたおかげで、ここでの生活の基盤ができた。この家に越してきたおかげでポーラさんに出会った。 彼らに励まされ教えられながら少しずつ交友関係を広げてきた。もちろん同胞のよしみで日本人にもお世話になった。 今では街でばったりと知合いに出くわすことも少なくない。それはイギリス人だけでなく、日本人だったり同じように祖国を離れて滞在している外国人だったりする。ほんの数ヶ月前は孤独感にさいなまれ、催しに参加してほとんど口もきけずに帰ってきていたことを考えると夢のようである。 よい友人知人に恵まれたものだ。 夜も更けて会合はようやくお開きになった。口々に楽しかったとお礼をいいながら帰っていく彼らを送り出したあと、急にガランとした部屋で「ああ、しあわせだな」としみじみ思った。
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