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1999年01月31日(日) 友あり(2)

我が家に招待したお客様は6人となり、われわれを含めて総勢8名となった。
お客様の内訳は

日本語勉強中の英国人×2
英語勉強中の日本人×2
日本通の英国人×1
日本食好きの英国人×1
である。

初めはテーブルや椅子を取っ払ってビュッフェ形式にしたらどうか、という案もあったが、できればみんなで同じ話題を囲みたいので、椅子を2つ足してきゅうきゅうと座ることにした。日本人は身体が小さいし、イギリス人はきゅうきゅう座ることに慣れているのでまあ大丈夫だろう。

心配された食器だが、案の上全然足りない。
私たちは日本から食器はほとんど持ってきていないので、すべてここの家に備え付けのものを使っている。お茶もお味噌汁もマグカップで飲んだり、麺類をサラダ皿で食べたりしている。そもそも6人分が一そろいのはずだが、大皿も小皿も最後の一枚が必ず欠けた部分がある。ワイングラスもタンブラーもそう。ティーカップも足りない。てんでバラバラである。
昔読んだ「小公女」で、主人公セーラがお茶会をするために、寄宿舎の屋根裏部屋をごそごそと漁っては「あ、こんなものがあったわ」といいつつセッティングをするシーンがあったが、まさにそんな感じである。戸棚の奥深くまで覗いて大き目のティーポットを引っ張り出してくる。

和食とくればお箸だが、お箸も足りない。和食でおもてなしをする機会があろうとは思っていなかったので、自分たちの分しか持ってきていないのだ。洗ってとっておいた使用済みの割り箸を総動員しても6膳しかない。街で割り箸を売っているところもあるが、今更お箸は買いたくないし、今日来ていただく奥様に電話をしてお箸をお願いする。
紙ナプキンも5枚しかない。仕方がないので一個所だけキッチンペーパーを置く(そこはポーラさんが座ってくれた)。
献立は、ちらしずし、いり鶏(こっちで売ってる里芋をいれて大失敗)。アスパラガスとオイスターマッシュルーム(平茸のようなもの)のバターソテー、仕上げにお醤油を少々。海藻サラダ(トッピングはアボガドとトマトと海老)、中華風ドレッシング。それから持ってきていただいた中華風の揚げものと色とりどりの野菜のマリネである。これを部屋の脇の丸テーブルに並べる。豪華である。

食事のめどがついたので、玄関とトイレの最終確認。
そういえばスリッパが足りない。我が家では来客だろうと工事の人だろうといつもスリッパに履き替えてもらうのだが、それが4足しかない。つくづく「4人様限定」仕様なのである。主に使う部屋はフローリングだし、もうすぐ引っ越すから構わないかな、などと思い、早目に来ていただいた日本人の奥様とも相談して、今日ばかりは「土足解除」にする。 初めは少し飲んでから食事にすることにして、通りに面した客間の暖炉(実はガスストーブ組み込み)に点火しておく。

いよいよ客人到来である。
初めはクリス(♂)さんが赤ワインと私の頼んだアイスクリームを持って登場。パリっとスーツを着ている。ヒュ〜。いきなり靴を脱ぎ始める。「あ、靴は脱がなくても…」というが、「何をいうんだ、ここは日本人の家だろう、靴を脱ぐのが当たり前だ」という。
次はポーラさんたちである。ドアを開けると、二人ともすでに外で靴を脱いでいる。そうだった。ポーラさんは何度もうちに来ていて、いくら中で脱いでも構わないといっても靴を脱いでから入ってくるのだ。ポーラさんの彼も大人しくそれに従っている。
なんとなく人が揃ったところで乾杯をする。初対面のクリス(♂)さんとポーラさんたちもお互い自己紹介し合って談笑している。
それからクリス(♀)さんが白ワインを持って現れた。なんと都合がいいのだ。これで赤白ワインが揃った。ビールもある。家が近い彼女にしては遅れてきたが、二軒長屋の反対側の家に行ってしまったり、うちに辿りついても、暗がりで垣根の枝に引っ掛かったりして時間がかかったそうだ。
遅れてごめんなさいという彼女に早速中に入ってもらうと、彼女も当然のように靴を脱ぎ始める。「やっぱりあなたも靴を脱ぐのね」というと、とんでもないというように「あら、私はイギリスでもうちの中では靴を脱いでるわ。」といった。靴を脱ぐのはイギリスでも「いい方法」として認識されているのかもしれない。
クリス(♀)さんが自己紹介すると、クリス(♂)さんは大いに受けている(ちなみにクリス(♂)はChristopher、クリス(♀)はChristineである)。
それから最後に英語を勉強している日本人の女性が来たところで全員揃って「かんぱーい」と日本語で乾杯。

改めて全員を紹介する。ポーラさんのことを「日本語を勉強している英国女性」と紹介するとポーラさんが慌てて、「勉強していた」にしてちょうだいといった。ポーラさんの彼は横で何か揶揄している。ポーラさんの彼はビール党らしい。夫が最近気に入っているビールを飲んで「これはいいビールだねぇ」と二人でビール談義。
クリス(♂)さんは「目下日本語勉強中の…」というと「ぼくは怠け者だから」とにやにや笑いながら否定する。
クリス(♀)さんは日本に長く住んでいたと紹介すると、日本に行ったことのあるクリス(♂)さんが、どこに行ったとか、どこに住んでいたとか、盛り上がっている。ポーラさんたちも数年のうちに日本を旅行するだろう。地図を引っ張りだしてくると日本人側も自分の出身地を示したりして、食事の前からすっかり打ち解けている。

クリス(♀)さんが、皆はもともと知合いなのか、と他の人に聞いている。ポーラさんが私たちに, クリス(♀)さんとはいつから友達なのか、と聞いてきた。昨日知合ったばかりだというと、それはいい、と誉めてくれた。

やはり人数が多いのはいい。楽しい夜である。(まだ続く)


1999年01月30日(土) 友あり(1)

先日、我が家でお客様をした。
conversation exchangeのパートナーであるポーラさんとその彼を前々から夕食に招待したいと思っていたのが、やっと予定が合って実現したのだ。 あいにく引越しの船便を出す前日になってしまったが、ここでの滞在日数も残り少なくなってきたので、この機を逃したくない。それに元来ずぼらな私はお客様でもしないと部屋が片付かないのだ。ポーラさんの彼は和食が好きだというし、せっかくのチャンスなのでいろいろ食べてもらいたいと思った。献立を作り、買い物をし、セッティングを考える。
献立を考え始めたらもっと人数を増やしたくなった。いろいろ作るなら多いほうが楽しい。

そこでもう一人のconversation exchangeのパートナーであるクリス(♂)さんを呼ぶことにした。彼は大学に勤める化学者で、秋頃から週に一度ランチタイムに大学会館で会って話をしている。この出会いはまた乙である。私はちょっと体感温度が下がるとすぐにくしゃみが出るくせがあるのだが、ある日大学会館のラウンジでくしゃみをした私に、たまたま隣のソファに座っていた男性が「Bless you!」と声をかけてくれた。それがクリス(♂)さんだったのである。
クリス(♂)さんは辞書を片手に新聞を読んでいるこの東洋人が日本から来たと知ると、去年休暇で日本に遊びにいったこと、コミュニティカレッジで日本語を習っていることなどを話した。私はその頃もう一人ぐらいconversation exchangeのパートナーがいてもいいと思っていたので、早速その話を切り出すと、クリス(♂)さんも二つ返事で同意しすぐに話が決まった。
ほとんどナンパである。
実はクリス(♂)さんにはクリスマスの翌日に昼食に招待してもらっていたのだ。いずれ我が家にも、と思っていたのでちょうどいい。

イギリス人が多くなったので、もう一人日本人を増やそう。そう思って一年の予定で語学留学をしている知合いの女性に声をかけた。彼女は私が夏に通っていた語学学校で知合った人で、私たちが秋に10日ほど家を空けた時に留守番をお願いしたこともある。それ以来すっかり御無沙汰しているが、和食も恋しいだろうし、その時のお礼も兼ねて食事に呼ぼう。我が家のダイニングテーブルは6人用なのだ。楽勝である。
英国滞在の日本人と、日本に興味を持っている英国人の集まりである。ちょっとしたAnglo-Japanese Societyではないか、と一人勝手ににんまりした。これでポーラさんやクリス(♂)さんが彼女を介して日本人とのつながりを保ってくれれば嬉しい。

いよいよ明日がお食事会という日は訪問研究員のコーヒーモーニングだった。そこで5年間新潟市で英語を教えていたという女性クリス(♀)さんを紹介された。私が石川からきたというと、金沢にも行ったことがあるという。ケンブリッジでの住所は我が家のすぐ近く、徒歩2〜3分の距離である。話をしているうちにむずむずと我が家に招待したくなった。人数的に苦しい気もするがどうしよう。それにしても明日のお食事会の趣旨にまさにぴったりの人ではないか…。うーむ。
わずかな逡巡の結果、招待することにした。一緒に話をしていた同じく日本人研究員の奥様もお呼びすることにした。最近ずっと遊び仲間にしていただいていて、海外滞在経験もあって何かと頼りにしている方である。いくつかお料理を持って来てくださるという。心強い。
クリス(♀)さんは「明日はちょっとしたお茶を飲むのかしら、それとも…」と聞く。食事を出そうと思っていると答えると、即座に「私は何が持っていけるかしら」という。「では、ワインを少し」といいつつ、こういう時にイギリス人はスマートだなぁと思う。

さて、我が家にしては6人のお客様というのは初めての経験である。お料理は加勢があるので心配はないが、心配なのは食器の類である。グラスが足りないのはわかりきっているのだが、お皿はどうだろう。普段は二人分しか出していないのでいったいどうなることやら、少し心配になってきた。

友あり(2)へ続く


1999年01月17日(日) WIMPYとの再会

もう十年も前、私がロンドンで短期のホームステイをしていた頃、あちこちに「WIMPY(ウィンピー)」という名のファーストフード店があった。wimpyというのはBritish Englishでハンバーガーの愛称なのだが、この店のハンバーガーはまずいことで有名だった。かの「地球の歩き方」にも「想像を絶するまずさ」「話の種に一度挑戦してみよう」と紹介されていたほどである。
その頃の「地球の歩き方」といえば、野宿ありヒッチハイクありの貧乏なバックパッカーの友だった。紙質も悪くやたら分厚く、背負った荷物を減らすために回った土地のページをどんどん破り捨てていくのが通だった。口コミ情報も多かったがその分間違った記述もあって、口の悪い輩は「地球の迷い方」と呼んでいた。
そんな貧乏旅行の人々をして「想像を絶するまずさ」といわしめるWIMPYだったが、本当にまずいのかどうかは私の周りでは誰も食べたことがないのでわからなかった。

ファーストフード店のメニューは同じように見えるが、実はその土地のニーズに合わせて微妙に変えてある。たとえばイギリスのマクドナルドにはその頃からメニューに紅茶があって、コーヒー用クリームではなくミルクのパックをごろごろとつけてくれたし、ドイツで入ったマクドナルドにはビールがメニューにあった覚えがある。国内勢力であるWIMPYはイギリスの名物料理とされるfish'n'chips(フィッシュ・アンド・チップス)がメニューにあった。
これは文字どおり魚のフライ(fish)に大量のポテトフライ(chips)を付け合わせて酢と塩をたっぷりかける単純な食べ物である。多分発音は「ふぃっしんちっぷす」に近いと思う。
本来は町角の屋台で揚げたてのアツアツを新聞紙で直に包んだものを買って、そのまま指でハフハフと食べるものだったらしい。包んだ新聞紙の紙質やインクで味が決まるといわれ、タイムズがおいしいとかデイリーミラーがいいとか言われていたそうだが、新聞紙で包むのは今は禁止されているという。屋台で買ってもプラスティックのトレイとフォークがついてわら半紙で包んであったりする。

なぜWIMPYにフィッシュ・アンド・チップスがあることを知ったのかは覚えていないが、一ヶ月の滞在期間で2〜3回食べた記憶がある。頼むのはいつも「ふぃっしんちっぷす」とコカコーラ。ハンバーガーならともかく、魚をただ揚げたものとじゃがいもをただ揚げたもの、それと世界水準のコカコーラなら外れる可能性は極めて低い。小さな赤い箱に入っていて、味も形態もちょうどケンタッキーフライドチキンのフィッシュフライとポテトフライを合わせたようなものである。実際、日本に帰ってからも懐かしんで何回かケンタッキーフライドチキンで食べたものだ。
屋台のを食べる勇気も、レストランのを食べるお金もなかった私は、「ふぃっしんちっぷす」といえばWIMPYの他にはステイ先のお母さんが作るのしか知らなかった。といってもスーパーで売っているものをただ揚げたものらしく、小さな四角い形をしていた。後年レストランに入って、皿からはみ出さんばかりの魚の大きさに驚いたものである。
その頃の私は極貧生活を送っていて、なおかつステイ先の晩ご飯があまりに口に合わないのでお昼をリンゴ一個で済ませていた。倹約と空腹を保っていたのである。が、ある日どうしても「ふぃっしんちっぷす」を食べたくなって、語学学校の帰りにWIMPYに寄って食べた。そして家に帰り着いた満腹な私を迎えたのは、お母さんの用意した「ふぃっしんちっぷす」だった。世の中の皮肉な巡り合わせをしみじみと感じたものである。

というわけで、WIMPYには私の「青春の思い出」があったのだが、あれだけあったWIMPYを今回さっぱり見かけなくなってしまった。現地の人に聞いてもピンと来ないらしい。バスで通ったロンドンの場末のところで一軒だけ見かけたのだが、あのWIMPYなのだろうか。それともまったく別物だろうか。
確かめるすべもなく月日は過ぎていったが、先日ケンブリッジの北の方にあるピーターバラ(Peterbourogh)に遊びに行ってWIMPYを見つけたのである。ピーターバラは鉄道の要所で、かのトーマスクック(Thomas Cook)の時刻表が最初に作られたところだという。
へぇ、ここでねぇ…などと感慨を覚えつつ街をぶらついていて発見したWIMPYは、なんとファーストフードからファミリーレストランへと華麗なる変貌を遂げていた。といっても見るからに、元はバーガー屋でしたぁ、というたたずまいである。正面にカウンターとキッチンがあり、テーブルと椅子が不自然にぎゅうぎゅうとセットされている。一応ウエィトレスが注文を取りにくる。メニューはハンバーグにジャケットポテト、アイスクリームサンデーの類。そして、あった、ありましたよ、「ふぃっしんちっぷす」。
もちろん「ふぃっしんちっぷす」とコーラを頼む。しばらくして出てきたそれは気取って瀬戸物の食器に盛りつけられてはいるが、まさにあの形、あの味である。安っぽいタルタルソースがついてくるところまでそのままである。コカコーラをぐびぐびと飲み、熱々の「ふぃっしんちっぷす」をほおばった。これなんだよねぇ、私の知ってる「ふぃっしんちっぷす」は、などと浮かれて口をつく。

どうやらWIMPYは拠点を絞って単価をあげるという作戦に出たらしい。魚のフライとポテトフライで3£なにがしかという値段は決して安くない。これから他の場所で見かけても、きっともう行かないだろうな、と思う。私の中では切りがついてしまった。
それにしてもあの頃は一体いくら払っていたのだろうか。お小遣い帳をつけておけばよかった。


1999年01月15日(金) 暇なのをいいことに

久し振りに日中がぽっかり空いたので、荷造り(船便)とページの更新でもするかと思いつつ、 朝一番で街に出て用事を済ませた。
少し買い物をしたりアートショップを冷やかしたりして、 戻って荷物を置いて一息いれる。 紅茶をいれて、そのまま暇なのをいいことにボーッとWebでダウンロードしたものを読んだりしたあと、 思い立ってロンドンにある日系の旅行会社に電話をする。
今度両親が遊びに来るので呼び寄せチケットを先日予約したのだ。 支払方法を尋ねると「請求書をお送りしますので」という話だった。 が、「請求書」が来たものの 書かれているのは便名と金額の明細だけで、支払方法はおろか銀行口座番号も小切手の受取人名も 明記されていなかったのだ。これでは支払いたくても支払えない。

問い合わせの電話を入れたつもりだったのだが、 担当者は会議中で、代わりに出た他の女性の説明がこれまたさっぱり要領を得ない。そのうちだんだん腹立たしくなってきた。支払方法は分かったが暇なのをいいことについついクレームをつけてしまう。
日本語だと饒舌になるものだ。
大体、請求書を送られたらこちらから支払方法を問い合わせないと支払えないなんて、馬鹿げていると思わないかと言うと、電話に出た女性も「はぁ、確かにそうですよねぇ。日本じゃ普通請求書には口座とか書いてありますよねぇ」 などという。
この人達は航空券の購入は社内でするのだろう。こういうことには気づかないものらしい。
そもそもの請求書を送った担当者が代って電話口に出る。開口一番 「ご迷惑をおかけしておりますが、コンピュータのシステムが最近変ったもので…」「なにぶんそういう風にシステムがなってないものですから…」 などと謝ってくるので、それなら手書きのメモ一枚入れればすむ話でしょう、と一蹴する。 第一そんなことの理由にされるコンピュータこそ可哀相である。

電話を切ると、心も身体も寒くなっている。後味が悪いのだ。
暖房を入れて、暇なのをいいことにお風呂に入ると、またしても途中でお湯が出なくなる。そういえば昨夜お風呂でお湯を使ったあと、ずっとセントラルヒーティングを入れてなかったのでお湯がないのだ。 ああ、瞬間湯沸かし器が恋しい。仕方なくぬるいお湯につかってそのままベッドに潜り込む。それからしばらく、暇なのをいいことに惰眠を貪り、お湯が沸いたのを見計らって暇なのをいいことに再度お風呂に入る。

それからまた暇なのをいいことにWebを読みながら、朝買っておいたサンドイッチを冷蔵庫にあった残りのジュースで流し込む。私は一人で暮らしていたら間違いなく身体を壊すタイプだ。
Webに熱中していると、キッチンの窓をノックする音がする。顔を上げると満面の笑顔で手を振っている男性がいる。派手な蛍光黄色のウィンドブレーカーを着ている。警察官だ。
こちらでは、郵便配達人や警察官など外回りの公職の人はみんなこのような派手な色を身につけている。市役所の人も個別訪問の際は蛍光色のウィンドブレーカーを着て現れた。不思議と警戒心がわかないものである。
庭に回ろうとしていたらしい警察官は、玄関を開けてくれと身振りで示し、ドアを開けた私に笑顔で早口で何か言う。無線連絡の声が行き交っている。婦人警官の姿も外に見える。緊迫したムードだ。「泥棒」といった気がするが、もう一度ゆっくり言ってくれと頼むと「ごめん」というように苦笑して、

「ええと、先ほどわれわれが取り逃がした若い泥棒が付近に隠れている可能性があります。それで今庭をチェックしようとしたんですが、あなた、彼を見ませんでしたか?」
「え?あ、いえ、まだ見てません。」
「そうですか。彼はクリーム色のシャツを着てます。すごく寒そうですけど。」
といってお茶目に笑う。笑っている場合ではないのだが、思わずこちらも笑ってしまう。
「というわけで、ちょっと庭を見ていいですか?」

無論異存はない。庭をざっと見て警察官は帰っていった。隣家のドアをドンドンと叩く音が聞こえる。
やれやれまた泥棒騒ぎか。
警察官の笑顔の名残で私の顔にも笑みが残っていたが、それどころではない。さっきまで無防備にいた自分を思い出してぞっとする。もしかしたらあの鍵のかかっていない物置に潜伏しているかもしれない。見に行ってみるか、いやいや恐ろしくて確認に行けるわけもない。せめてもと庭に面したカーテンを閉めた。窓に施錠はしてあるし考えても仕方がない。
気を紛らわすために今の出来事を掲示板に書き込もうとして、エディタを立ち上げたら暇なのをいいことに文章が長くなってしまった。
よって本文としてアップすることにする。

というわけで本来書こうとしていたものはまだ書けてないし、荷造りもできていない。でかけるつもりだったのがその気も失せた。こういう時は家でじっとしているのがいい。

99.01.17一部加筆修正


1999年01月13日(水) Made in UKを求めて

クリスマスが終わるとお待ちかねのセールである。どこのお店もセールは破格の値段だというし、この時期になれば免税も利用できるので、秋口から楽しみに待っていた。
ところがいざセールが始まってみると、驚くほど購買意欲が湧かない。洋服はサイズが合わないので初めから諦めていたのだが、それにしても欲しいものがなさすぎる。

免税というのは、内税として含まれている17.5%の付加価値税(VAT)が、3ヶ月以内に欧州連合(EU)から出る予定があれば店頭で免税申請書類を作ってもらって、出国時の手続後に還付される仕組みである。1年未満の滞在の場合は旅行者免税という区分になって、購入品は手荷物として国外に持って出る必要がある。
以前は現金か小切手のみの返金だったのが、何年か前からクレジットカードの決済口座への振込みも利用できるようになって簡単になった。しかし免税手続きには代行業者が入っていて、店によっては最低購入金額が設定されているし、何%かの手数料がかかるので、相当まとまった額の買い物をしないと手間と書類ばかり増えることになる。
このあたりが矛盾しているのだが、そもそもセールで安いものを買っているので、実は免税のありがたみはあまりなかったりする。かといって免税が効かないものを買う気はしない。

買う気がしないなら買わないに越したことはないのだが、それも寂しいので、自分達の買い物は適当に切り上げて親兄弟・知人へのお土産を調達することにした。
ところが、これまた買うものがないのである。お土産であるからには値が張らず、小ぶりでちょっと粋なものがいい。せっかくイギリスに来たのだからイギリスらしいものを買いたい。
ところが手にとってみるとこれらがほとんどMade in Chinaである。
さらには韓国、タイ、インドネシア、マレーシアあたりだろうか。革製品などはイタリア製も多い。デザインはイギリスなので、イギリスらしいことには変りない。しかも中国製のものはイギリス製より作りがきれいだったりする。
とはいうものの自分達のものならともかく、お土産はやはりイギリス製がいい。しかしMade in UKがとんと見当たらないのである。

これはイギリスの社会問題ともなっていて、多くの企業が経費節減のために工場をどんどん海外に移している。愛するローラアシュレイですらそうである。
日本のローラアシュレイは、従来洋服は日本で縫製していたのだが、ニット類はイギリスからの直輸入で、円高のせいもあって洋服に比べると割安感があった。しかもニットの本場なので仕立てがよく、10年前に買ったスコットランド製のカーディガンは今も健在である。
今回こちらのローラアシュレイでニットを探したのだが、結局Made in ScotlandとMade in UKとなっているものがそれぞれ一枚ずつしか見つからなかった。
これは非常に悲しいことである。いくら安い工賃で質のよいものができたとしても、伝統の力には叶わないのではないか。これではその土地で長い間育まれた技術を彼らから奪ってしまいかねない。
お土産すら、ここで買いたいと思うものは少ないのである。

あとはイギリスらしいお土産といえば、紅茶か。紅茶は消え物だし軽いし好適品である。
こうなったらあまねく紅茶をお土産にするか、と決心してふとわれに帰った。考えてみたら、そもそも紅茶の原産国はインド周辺ではないか。ネパールでも質のよい紅茶を安く大量に買ってきたのだった。イギリスではブレンドとパックだけ、それならパッケージを持って帰ったほうがいいかもしれない。


1999年01月03日(日) お正月

年が明けた。お正月といってもこちらでは、Merry Christmas and a Happy New Year!と挨拶するように、新年もクリスマスもいっしょくたである。クリスマスが済んでも、3人の王がキリストの誕生を祝って貢ぎ物を持ってきたという十二夜(Twelfth−Night)が控えているので、1月6日まではツリーも街の飾り付けも基本的にはそのままなのだという。
同じイギリス国内でもスコットランドはかなり派手に新年を祝うようだが、イングランドでは休日は1月1日(New Year's Day)だけだし、大晦日(New Year's Eve)以外は特に盛り上がる行事はないようだ。(日本でも基本的には祝日は元旦だけでしたね。三が日は慣習的な休みでした。99.01.05追記)

ロンドンのトラファルガー広場などではカウントダウンが行われ、夜通し電車やバスが走り、いろいろな店も開いているらしいが、ケンブリッジはどうなのだろう。訪問研究員のアメリカ人たちに、仲間の家に料理を持ち寄ってパーティーをするので来ないかとも誘われたが、それもおっくうなので家でおとなしくテレビなどを見ていた。イギリス版「ゆく年くる年」のような番組もあり、零時の時報とともにスコットランドのエジンバラ城での花火の様子など映し出されてくる。近くの公園からも花火の音が響いてくるが、やがて静かになった。やはり行事としてはカウントダウンぐらいなのか。Happy New Year!と言い合ったあとは、なんとなく浮かれて飲んだり騒いだりするらしい。元旦は睡眠不足を補う日なのだそうだ。

年が改まったところで日本に電話をする。東京は晴天だそうで初日の出が見事だったとか富士山がきれいだという話を聞く。
一夜明けてこちらも晴天である。存分に朝寝坊したので初日の出は拝んでいない。といっても、東京で初日の出を見たという話を聞いた後だと、なんとなく使いまわしの気がしてありがたみがない。
好天に誘われて外にでる。バーゲンの成果らしい買い物袋を下げた家族連れが歩いている。クリスマス休暇は家族が集まって過ごすので、孫を連れた老夫婦の姿もある。華やいだ雰囲気はないものの、お正月らしい気持ちのよい午後である。

ケム川沿いの古いガスタンクの脇を通りかかると、音楽が聞こえる。音のするほうに行ってみると、レンガ作りの古ぼけた建物があり、Cambridge Technology Museum と書いてある。30年ほど前まで使われていた下水処理場らしい。年に何回か一般公開していて、今日はその日なのだ。入り口上部に1894年と入っている。ヴィクトリア朝時代である。
パンフレットには、ケンブリッジを訪れたヴィクトリア女王に「あの、川にぷかぷか(いくつも)浮いている紙切れはなあに?」と尋ねられたトリニティカレッジの長が「えー、これらは川で水浴びをしちゃいかんという注意でございます」と答えたというエピソードが載っている。というわけで作られた下水処理場である。
中にはガスや水蒸気を動力としたさまざまなポンプがある。屋外にも何種類かの手動ポンプがあって、子供たちが遊んでいる。小学校の理科でチャチな歯車やクランクを教材で使ったが、実際に動いているのをみると、ああ、こういう風に使うのねということがしみじみと分かる。
巨大な歯車が回り、大きなピストンが動く様子は見ているだけでワクワクしてくる。油でテラテラと黒光りする部品、真っ赤に燃えるボイラーの炉、白く噴き上がる水蒸気、大きな音を立てて動く鉄の塊。
ケンブリッジの町外れの下水処理場ですら、これである。明治維新の頃、欧米視察団の一行はさぞ肝を潰したことだろうと思う。

博物館を後にして、さらに川沿いに少し歩いたところにあるパブに入った。街の中心部から離れているので、近所の常連客ばかりのようである。みんな三々五々集まってビールを飲み、楽しげに語らっている。居合わせた知合い同士が新年の挨拶を交わしている。青年と老人がHappy New Year!と握手をしている。黒い大きな犬がテーブルの下でおとなしく寝そべっている。皆に挨拶をしながら一足先に帰る男性がいる。話の輪が大きくなるごとに他のテーブルから椅子を持って行く世話好きの女性がいる。少年が犬とじゃれているのを大人達が笑って眺めている。
のんびりとした元旦である。


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