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1998年07月30日(木) Sweet Home(2)

水漏れを直すために水道屋がやってきた。
念のため夫も昼休みを利用して家に戻っている。水道屋は親方と若い衆の二人組。玄関のところで靴を脱いでもらうと、二人とも靴下に穴が空いている。自宅以外で靴を脱ぐ習慣のないこちらの人々は靴下の色が違っていたり、穴が空いていたりすることが多い。
結局洗濯機に水を送る元のパッキンが古くなったのでこれを取り替えるだけだ、という。それでこんなに深刻な水漏れが起こるものだろうか?ずいぶん食い下がってみたが「そういうわけだ、OK?」といわれるので了承することにする。これで水が漏れたらまたすぐ来てあげるから、と言われて送り出す。ま、いいか。

金曜日にカーペットのクリーニングが来ると大家さんから連絡があったというので、また夫と共に待っていると大家さん本人が現れた。この手の食い違いは多い。今日はカーテンをクリーニングに出すので外しにきたのだという。カーテンを外しがてらかびた天井を見てもらう。大家さんはとても天井を直視できないわ、といった。そりゃぁそうだ、こんなに色とりどりなんだもの。
結局カーペットのクリーンニングは、さ来週の月曜日に来ることになった。ちょうど両親が遊びに来るときである。その日は都合が悪いと伝えると、短時間で終わるし、もっと早い時間にもできるという。もっと早くして欲しい、というと「聞いてみるわ」との答え。あれ?できるんじゃなかったのか。
数日後大家さんから電話がかかってきた。カーテンをクリーニングしたら、いたんでいるところがあったので、それを修繕するかどうかチェックするのだという。またも大家さんのお出ましである。
大家さんは今度はカーテンと共に現れた。しばらく世間話をしながらカーテン屋を待つ。カーテン屋が来たらしい。玄関を開けると、絵に描いたような営業スマイルの男性が直立不動の姿勢をとり、「こんにちわ!カーテンの○○サービスです!」とさわやかに挨拶した。珍しいものを見た思いで中に招じ入れる。
大家さんとカーテン屋は早口で話をしているので、なんとなく横でボーッとしていると、ふと私に気づいたように「すみません」と謝る。こっちばかり話をして申し訳ないなどと言っているらしい。カーテン屋はざっと見積もりを出して帰っていった。大家さんは「家に帰って夫と相談してみる」というので、こちらは別にカーテンの傷は気にならないと伝える。もう誰かがくるのは面倒くさい。

7月に入って語学学校に通うことにした。教育実習生の練習台として無料レッスンがあるのだ。毎日1時間半。これはお得である。が、意外とこれが忙しい。授業が始まるのが夕方の4時近くなので、中途半端に時間がつぶれる。
語学学校が始まって二日目、朝電話がかかってきた。大家さんが呼んだ天井の修繕の人らしい。今日の夕方様子を見に行くよ、ということなのだ。夕方6時以降に来てくれるよう頼む。
その日は午前中が「病院のピアノ弾き」の日で、朝慌ただしく家を出ようとしたとき、何気なく内側のドアの鍵穴に鍵を挿し込んでしまった。そのまま抜き取ろうとしたが、鍵が抜けない。何度もためしたが結局埒があかないのでそのまま鍵を内側に挿したまま、出かけることにした。弱り目にたたり目である。ドアの鍵は2つついているので、もう一つの鍵をかけて出かければまあ問題はないのだろうが、気が気でない。ここは閑静な住宅街なのだがコソ泥が多いのだ。
はぁ〜。「病院のピアノ弾き」を終えてボランティアコーディネータのグレンダさんの車で帰る途中、ことの顛末を話して大いに同情してもらう。彼女は「一番恐いのは錠を壊してしまうことね」という。彼女は車のエンジンを切ってキーを抜こうとして抜けず、結局錠を壊してしまってキーを取り替える羽目になったという。車のキーの取り替えは、ドアから給油口からトランクから総てになってしまうので高くつく。彼女はそれを嫌って、エンジンをかけるためのキーと、ドアを開け閉めするためのキーの二つを持つことになったそうである。この人も大物だ。泣き言を聞いてもらってなんとなくすっきりする。が、事態は少しも改善していない。
語学学校のほうは、夕方5時15分に授業が終わるはずが、大幅に延びてしまった。学校から飛出すようにしてバス停に向かい、来たバスに急いで乗る。たいていバスは町の中心で時間調整をするので、その時間を惜しんで中心街でバスを降りる。と、この便は時間調整が必要なかったらしく、すぐ出発した。あーーー。雨まで降ってきた。くやしさを早足で紛らわす。
あと少し、というところで道を聞かれる。スペインなまりの強い少年である。自転車に乗って街の中心地にある映画館へ行きたい、という。肌身放さず持っている地図「Cambridge A to Z」を見せて、方向が全然逆なことを教える。

家に帰りついたのは、6時を少し回っていた。天井屋はすでに来たのだろうか?
もう一度挿しっぱなしの鍵に挑戦する。何度かガチャガチャやっていたら、何事もなかったかのようにスルリと抜けた。しかし喜んだのもつかの間、よく見てみると、鍵が抜けるのは鍵がかかった状態のときだけであることがわかった。このドアは一応オートロックの体裁になっているのだが、厳密に言うと施錠するわけではない。外側にはドアノブがついておらず、鍵穴に鍵を挿し込んで回すとそれがドアノブの機能を果たすようになっている。だから内側から鍵をかけてしまうと外からは開けられなくなってしまうのだ。 事態は一向に改善されていない。

ドアのところで鍵をいじっていると天井屋がやってきた。彼は30分ほど遅れてやってきたことになる。天井屋は私がいじっている鍵を見て、「貸してご覧」というように鍵を取り、鍵穴に挿し込んだ。
…と、今度こそ鍵が抜けなくなった。鍵をかけた状態にしても抜けない。どうやっても抜けない。
天井をチェックすると、これは大したことなく終わるらしい。おそらく午前中いっぱいでできるだろう、という。金曜日に来るという。確かその日は大家さんが来る予定である。今度はガス屋が暖房器具の修理にくるのでそれに立ち会いに来るのだ。それはちょうどいいと答える。
天井屋は再度鍵に挑戦したがやっぱり抜けない。鍵はもう一つあるからいい、というと結局あきらめて帰っていった。

天井屋が帰った後、再度鍵をいじる。空しく鍵を回したり引っ張ったりしていると、鍵が抜けた。ほっとする間もなく、錠の部分がぞろぞろと一緒に抜け落ちた。あたりに部品が散らばる。
どうやら完全に壊してしまったようだ。


1998年07月23日(木) Sweet Home(1)

新居に引っ越して早、一ヶ月が過ぎた。
今度の家は一階が道路に面した居間と庭に面したダイニングキッチン、二階がベッドルームが3つとバスルームである。メインベッドルームにはシャワーと小さな洗面台があって洗濯機もその横にある。以前は大家さんが住んでいたようで、子育てをしながら働く主婦の知恵が随所に感じられる。
一目惚れして借りた家だが、実際住み始めると意外と不具合があるものである。

まず、引っ越したら電話番号が変ってしまった。引っ越すといっても仮住まいから徒歩20分の距離なのに変るというのだ。しかも引越し日時を知らせておいたのに、新しい電話番号と配線工事のお知らせが事前に届かない。怪しみつつ引っ越すと、ずいぶん前に新居に配達されていた。大学からのお茶会のお誘いも一週間以上前に配達されている。それじゃ意味がないだろう。
水道、ガス、電気を通すのも一苦労である。夫が職場から電話している。青息吐息だ。電話は本当に難しい。専門用語というか、水道なら水道、ガスならガスの独特な言葉や言い回しがあって、そんなのは学校では習ってないのでお手上げである。対面なら身振りも交えて何とかなるのかも知れないが。

(夫の)努力の甲斐あって、水道、ガス、電気は引越し当日から使えた。週末に小旅行を控えていたので、荷物もあまり解かずに小さく暮らす。旅行から帰ってきて、メインベッドルームの洗面台のあたりが妙に湿っているのに気づいた。水周り以外はカーペットが敷いてあるのだが、そこに足を踏み入れると、足の裏がじんわりする。「?」と思ったがそのままにしておいた。
それから一階の居間の天井にしみができているのに気づいた。バスルームから水が漏れているのだろうか?バスルームをみたがそれらしい形跡はない。「?」と思ったがこれもそのままにしておいた。
荷物も少し片付いてきたので、洗濯をした。仮住まいの家では手洗いしていたのである。加えて着替えも少ししか出していなかったので、なんとなくシャツなどは垢じみている気がする。
盛大に洗濯機を回した。ベッドルームには乾燥機もある。排気管がないので部屋の中に熱気がこもるが、気候はまだ寒いのでちょうどいい。ぐるぐる回る洗濯物をそれぞれ洗濯機と乾燥機の小窓から覗いて、夫はご機嫌である。
夫は洗濯機につきっきりなので、階下の居間で本を読んでいた。突然、絵の額が壁から落ちてきた。フックが外れたらしい。戻そうとしても壁にうまくかからない。「?」と思ったがそのままにしておいた。しばらくすると夫が居間に入ってきた。と、ドアが開かない。「あれ?急にドアが重くなったぞ?」立て付けが悪いのだろうか?わけのわからないことが多い。怪奇現象だろうか?

さて、いよいよ念願の電話の設置工事である。れわれは廉価なケーブル電話を使っていて、その工事が必要なのである。引っ越して実に10日が過ぎて電話が使えることになった。電話が使えないのは別に困らないのだが、ネットに繋げないのはネット依存症の私としては致命的である。前の家なら夫の職場まで徒歩5分の道のりなので、いざとなれば通えばいいのだが、今度の家は徒歩30分である。ネットに繋ぐためだけに通うのもなんである。
実は引っ越した翌々日に一度工事の人がきたのだが、配線のために壁にびょうを打ち込むというので、いったん出直してもらった。大家さんの許可が必要だと思ったからなのだが、有能な秘書ペニーさんにきくと、その程度の工事なら特に許可を得なくても構わないという。そんな程度、って壁に線を這わせるのだからかなり大胆な工事である。
ともかく工事の人(ちなみに彼は、私たちが日本人で靴を脱いで生活しているのを見て、玄関を入るなり靴を脱いで部屋にあがってくれた気の利くいい奴である)がいる間、夫は所在なげに工事に立ち会っていたのだが、その間ぼーっと居間の天井を見ていたらしい。
工事の人が帰って「この家、よく見ると黴が生えたりして、結構ぼろいね。」という。そういえば黴が生えているのは私もなんとなく気づいていたような気がする。「?」と思ったがそのままにしておいたのだった。天井のしみが大きくなって、その部分がなんともいろとりどりの黴になっている。主にサーモンピンクである。壁にもしみができて、一部黴ている。うーーーーむ。困った。困ったが、家主さんはパリでバカンス中である。2週間も帰ってこないのだ。へたにこすってさらに汚れても困るのでこれもそのままにしておく。

週末、有能な秘書のペニーさんからお誘いがあった。ケンブリッジ郊外で行われるフラワーフェスティバルに行かない?というのである。ペニーさんの車で元英語教師マリオンさんと4人で出かけて、それぞれ山ほど花苗や園芸用品を買い込み、帰りにうちに寄ってもらった。すべて順調かどうか、ペニーさんが確かめてくれるというので、天井の黴の話をする。
ペニーさんは天井と壁の黴を見るや、「ここが湿ってるわ」と壁を触る。「そうよ、2階から水が漏れているんだわ」。なるほど!だから壁の絵が落ちたんだ!どうやらかなり広い範囲に染み込んでいるようである。「この上は洗濯機だったわね。」という。あ、そうか。この真上はバスルームではなく、メインベッドルームの水周りである。ペニーさん、どうして一度しか見てない家の間取りを覚えているのだ。
早速2階にあがって確かめる。「間違いないわ、ここよ。カーペットも湿ってるし、この洗濯機から水が漏れているんだわ。」もともと水漏れしていたところに、洗濯をしたので一遍に水が染み出したらしい。

マリオンさんは、ペニーさんの背後から覗き込みながら、「それにしても、なぜこの部屋の壁はピンクなのかしら」などといっている。相変わらずいい味を出している女性である。
ペニーさんは「さぁ、なぜピンクなのか私も分からないわねぇ」などと適当にあしらいながらテキパキと現状をチェックすると、私たちに向い、一刻も早く家主さんか大学の訪問研究員協会(Visiting Scholar Society)に連絡を取って水道屋を頼むように言い置いて、夕食をおよばれしている友人の家に向かっていった。相変わらず時間をフルに使う女性である。マリオンさんによると、このままでは事態はどんどん悪くなってやがて天井が落ちてくるという。思わず「Oh, my gosh!」とつぶやいてしまう。かぶれている。

とりあえず現状は把握したが、はぁ〜。気が重い。水道屋さんが来るのはいいが、彼らの話す言葉は、全然理解できないのだ。「べらんめい口調」なのだ。たぶん「てやんでぃ」とか「べらぼうめ」とか英語で言っているに違いない。


1998年07月16日(木) Meet People(4)

いよいよ「病院のピアノ弾き」初日が来た。幸い好天である。
バスに乗る。運転手のおねえちゃんに降りるバス停を教えてくれるように頼む。地図とにらめっこしながら乗ることしばし。バスは郊外を走っている。多分この辺だ。降りる準備をする、と運転手のおねえちゃんが「次だ」と教えてくれる。まずは上出来。
目指す建物を探す。案内板を頼りに進む。見覚えのあるドアの前に立つ。暗証番号を押してドアを開ける、開け…、開かない。何度かやってみるが開かないのでベルを押して中の人を呼ぶ。暗証番号を一つ見落としていたことが発覚。もう一度やらせてみて、といって開ける、開け…、開かない。今度はダイアルを逆に回していたことが発覚。彼女はこうやって開けるのよ、ともう一度示してさっさと引っ込んでしまった。忙しいのに申し訳ない。

中に入って、教えられた通りにナースステーションに行く。ピアノを弾きに来た、というと「まあ素敵。私、音楽が大好きよ。」とにっこりされる。それだけでうれしい。ピアノのところにいると、この病棟のマネージャだというリズさんが挨拶にやってきた。前回は研修で不在だったのだ。リズさんはこれまたすばらしく美しい、意志を感じさせる女性である。
職員の他にも何人か配膳を手伝ったり話し相手になっている人がいる。年配者だがボランティアらしい。引退して時間と体力に余裕がある人がボランティアとして参加しているようだ。
そのうちの一人に話し掛けられた。小柄なアジア女性で、犬を連れてきている。中国人かと聞かれたので、日本人だと答えるとちょっと意外そうに「Oh!こんにちは」ときれいな発音で言うと、にやりとしてあとは英語だけを話して向こうに行ってしまった。

ピアノはちゃんと調律してあった。ここの患者さんのだんなさんが調律したのだという。バスに乗りながら思い出した曲をいくつか弾いてみる。ここのピアノは優しい音がする。「エーデルワイス」「星に願いを」「きらきら星」「虹の彼方に」…思いつくままに弾いてみる。楽譜がないこともあってすべてハ長調で簡単に弾く。難しいところはパスである。ネタが尽きたので「お馬の親子」などの童謡を弾いていると、職員の女性が一緒に歌い出す。あれ?
「蛍の光」をはじめとする昔の文部省唱歌が、スコットランドやアイルランドの民謡から多く採られたことは知っていたが、「お馬の親子」もそうなのか。それなら、と「蛍の光」も弾いて「これは卒業式に歌う曲で、窓の下で勉強するという意味だ」などと説明するが、ぴんとこないらしい。後で聞いたところによると、これは年越しのときに歌う曲だという。そういえば紅白歌合戦で歌っていた気もする…。

途中でお茶をもらって一服。職員の女性に「とても素敵だわ」と声をかけてもらう。老婦人の一人が「私の夫が調律したピアノはどう?」と話し掛けてきた。「とてもいい」と答えると、満足そうに微笑んだ。なお何か話し掛けてくれたが、聞き取れないのが悲しい。私が再度弾き始めた背後で、彼女が「私の夫があのピアノを調律したのよ」といっているのが聞こえる。
拍手こそないが背後で聴いている気配はする。ゆったりとした気分で丁寧に弾く。途中で楽譜を見つけていろいろ遊んでみる。やはり映画音楽などは反応があるようだ。「お馬の親子」の女性(たぶん歌好き)が口ずさんでいるのが聞こえる。

気をよくしていて弾いていると、外でざわざわと人の声がして、ミニバスの一行が帰ってきた。グレンダさんもいる。迷子を迎えに来てもらったような気分である。グレンダさんは相変わらず忙しそうにしている。少し事務処理をした後、送ってくれるという。グレンダさんは「もうやめてもいいし、もう少し弾きたかったら弾いていてもいいし、あなたが心地よい(comfortable)と感じるほうにしてちょうだい。」という。ここまでで私が弾いていた時間は45分。もうちょっと弾いていてもいかな、という気分である。グレンダさんがあと10分ぐらい雑務にかかるというので、その間弾いておしまいにする。

帰り支度をしていると、「お馬の親子」の女性(間違いなく歌好き)が他にも楽譜がある、と示してくれた。初めての私に気をつかってか、他の職員の人も通りかかる都度話し掛けてくれる。「あなたのピアノはやさしくてとてもいいわ。よく情熱たっぷりに弾く人がいるけどね。」といって笑った。そう、熱演は必要ないのだ。ただ生身の人間がそこに行って心地よい音を出せばいい。そう思えば気が楽である。すっかりさび付いてしまったけれど、ピアノを身につけさせてくれた両親に感謝である。

グレンダさんは今日も患者さん一人一人に話しかけている。
「今日は、犬も来たし、ピアノもあるし、たくさんね!」といっている声がする。なるほど、犬も大事なボランティア要員なのだ。人々の間を歩きまわり、頭をなぜてもらい、クッキーをおねだりする役目がある。グレンダさんがこの前犬を連れて来ていたのもそういうわけである。この国ではどの犬もきちんと躾られていておりこうさんなのだ。
グレンダさんの車で帰る。来週はグレンダさんは休暇なので、代わりに同じボランティアの日本人女性が私を送ってくれるという。今日彼女に会ったか、というので「知らない」と答えると、犬を連れてきていたはずだという。それなら先ほどのアジア人女性がそうなのか。驚いた。彼女の立ち居振舞いはもはや、日本人のものではない。英国人の男性と結婚してもう長いことこちらに住んでいるそうである。

面白いことになってきた。とりあえず「病院のピアノ弾き」の滑り出しは上々である。


1998年07月12日(日) Meet People(3)

車はその中の一つ、小さな平屋建ての前で止まった。
私たちはダイアル式のロックを開けて犬を連れて中に入っていく。廊下の突き当たりに大きな部屋があり、15人ほどのお年寄りがいる。どうやらここは老人病院らしい。それぞれ車椅子やクルマのついた安楽椅子に座っている。食事は終わったらしく、配膳係の女性が飲み物を配っている。この部屋は昼間の時間を起きて過ごすところらしい。テレビや新聞を見たりする人からほとんど眠ったような人まで集まっている。壁には絵や写真が飾られ、窓の外にはハンギングバスケットやコンテナに寄せ植えになった花がやさしく咲いている。グレンダさんの犬はさっそくみんなの間をくんくんと歩きまわっては、お茶請けのビスケットをおねだりしている。

ピアノは入り口のすぐ脇にあった。背の低い縦形ピアノである。
「音をチェックしてみてちょうだい。狂っているようだったらすぐ調律してもらうわ」とグレンダさんにいわれて、軽く一曲弾いてみる。ピアノに触るのは何ケ月か振りである。ピアノは期待していたよりちゃんとした音が出た。強いて言えば低音部が少し狂っているようなので、できれば調律して欲しい、と伝える。
グレンダさんは、職員や一人一人のお年寄りに声をかけながら、私を紹介していく。年齢を聞いて驚く。90才以上がざらなのである。女性が圧倒的に多い。にっこり笑って挨拶してくれる人もいれば、ただうなずくだけの人もいるし、まったく反応のない人もいる。
「彼女は、日本からきたリエコよ。(あとからわかったのだが、どうやらREIKOではなくRIEKOだと思っていたらしい)。それで彼女はここにピアノを弾きにきてくれるかもしれないの。」
「こちらはリエコ。日本人よ。彼女はここでピアノを弾くことを希望して…、いいえ私たちが彼女にピアノを弾いてもらうことを希望しているのよ。」
この時点で彼女は私がここでピアノを弾くとは決めてかかっていない。あくまで施設とピアノの様子、雰囲気などを、実際に私が確かめた上で判断すると理解しているようだ。この時点で私はまだ「病院のピアノ弾き」候補なのである。

それから彼女は建物の内部を説明してくれた。さきほどの大きな部屋を抜けるとナースステーションがあり、そこを中心としていくつかの病室が並んでいる。個室も相部屋もある。寝たきりのお年寄りもいる。カーテンやクッションが花柄だったり、花や絵が飾ってあったり、あたたかい雰囲気である。
「私たちは、患者さんたちが自宅と同じように暮らすことを目指しているの。この建物は天井も高いし、普通の家とは作りが違うけど、できるだけ普通の家のようにしているわ」とグレンダさんがいう。
一渡り内部を見たあと、グレンダさんのオフィスに戻ることにした。行きに乗りあわせた紳士が再び現れた。彼は配膳のボランティアらしい。エプロンに蝶ネクタイがお似合いである。グレンダさんが帰ると伝えると、まだ僕はピアノを聴いてないよ、と残念そうだ。
帰る私たちを追って、職員の一人がダイアルキーの番号を書いた紙片を渡してくれた。前は同じ敷地に精神科の病院もあって、たまにそこの患者さんが突然入ってきたりしたので鍵をつけたのだという。「でも今は移転したからそういうことはないわ」とグレンダさんがつけくわえる。だったら鍵を外してもいいのでは…。
道すがらここまで来る方法、身の上、グレンダさんの日本人の友達などについて話しながら、はじめに訪ねた病院まで戻った。今度は犬は車の中でお留守番である。

「さて!どうかしら?あそこでピアノを弾いてくれることについては?」
オフィスに入って椅子に座るとグレンダさんが確認する。もちろん是非やりたい、と答えて成立である。
同意書に必要事項を書き込み署名をする。私がボランティアをするにあたっての同意者名、活動中の事故時の連絡先なども書く。わからない単語や言い回しがたくさん出てくるので、その都度意味を尋ねながら書き込んでいく。自分でもしつこいと思うけれど仕方がない。グレンダさんは超多忙で部屋を出たり入ったり、電話を受けたりしながらも親切に教えてくれる。
活動中の私は保険で保障されているので、たとえば転んで怪我をしたり所持品がこわれたりしたときは、直ちに職員に申告するようにいわれる。ああ私は組織の一員として数えられているんだな、と思ってちょっとうれしい。それから火災の際の注意事項を書いた冊子を読んで、次回までに署名欄にちゃんと理解した旨を署名してくるように、ボランティア活動中に知り得た患者さんの個人情報や状態について他言しないことを誓約して署名するようにいわれる。
グレンダさんはバス会社に電話してバスの路線、発着時間を調べてくれた。さっきの病院までは町の中心部から一本で行けることがわかって一安心である。それから私が何曜日に行くか、ということである。火曜日なら午前中にミニバスで外出するプログラムがあるので、病院まで来てくれれば帰りはグレンダさんの車で町の中心部まで送ってあげるといわれて、そうすることにする。

行き帰りの方法、手続きについては済んだが、私の心に重くのしかかっているのは、実際どう振る舞えばいいのか、ということである。行ってどうすればいいのか?どんな曲が喜ばれるか?私の弾くピアノはクラシックなので楽譜は読めるのだが、パブやバーで流れているような洒落た甘いものは弾けない。日本の曲はまだしも、どうにも形にならないのである。
グレンダさんに聞くと、他のボランティアの紳士は、子守り歌を好んで弾く、という。たまには軽快な曲も混ぜる方がいいらしい。私の行くのはちょうどみんなが起きて食事をはじめる時間なので、要はBGMである。いずれにしても静かでやさしい曲が適しているだろう。
私の活動時間はとりあえず1時間。行ったらまずナースステーションにいって「ピアノを弾きに来た」といって弾き始めればいい、とグレンダさんが言う。すべての時間ピアノを弾きつづける必要はない。職員があなたにもお茶を出してくれるので、時に休んでお茶を飲んだり、患者さんと話したりすればいい。無理にみんなと話そうとせずに、話し掛けやすい人から順に今日は一人、来週は二人、というようにだんだん増やしていけばいい。患者さんの中には音楽が単なる騒音としか聞こえない人もいて、文句をいうかもしれないけど気にしないように。まったく眠ったたままのような人もいて、聞いてないように思えるけど、よく見ると音楽に合わせて足がタップしてたりしているのよ。だからあなたの好きなように弾いてちょうだい、とのことである。ふーむ。

とりあえず早速翌週の火曜日から通うことになった。不安はいっぱいだが、ま、なんとかなるだろう。


1998年07月04日(土) Meet People(2)

病院のボランティアコーディネーター、グレンダさんから送られてきた地図には住所と、「この地図は詳細ではないけれど、主なポイントは記してあります。」との手書きの文字があった。ケンブリッジの目抜き通りに面してあるらしいのだが、土地勘のない人間には主なポイントといってもピンとこない。大通りのどのあたりなのだろうか、肌身はなさず持ち歩いている「Cambridge A to Z」を見てもよくわからない。
「A to Z」というのは、住所が通りの名前と番地で特定されるこの国ならではの地図で、通りの名前で索引がつき、どんな小径も載っているので便利である。しかし逆に言えばこのような大通り、あるいは長い通りになるほど場所を特定しにくいということになる。

とりあえず、日時を決めるためにグレンダさんに電話する。「明日か明後日が暇なんですが」というと、即答で「じゃあ、明日の11時半にしましょう。かくかくしかじかだからちょうどいいわ」という。かくかくしかじかの部分はさっぱり聞き取れないのだが、その時間に行くと答える。ついでにバスで行くにはどうしたらいいかと聞いたのだが、バス停の名前を聞いてもバス停に名前はない、という。せめて何番のバスが通っているかと聞いても知らない、といわれる。挙げ句、「バスステーションに電話をかけて聞くのがいいと思うわ」といわれてしまった。それができれば苦労しないって。

ぐずぐずしているうちに、約束の日になってしまった。どのバスに乗るかは大体目星をつけておいたのだが、バスの運転手に聞くのはなんとなく気後れしてしまう。結局時間もよくわからないので、タクシーで行くことにした。ケンブリッジのタクシーはロンドンでよくあるようなオースティンはあまり走っていなく、普通のセダンにTAXIと表示してある。乗り方はロンドンのタクシーと同じで、まず助手席の窓から運転手に行き先を告げ、運転手が「あいよ」とうなずくと車に乗れる。
昔初めてイギリスに来た時、このタクシーの乗り方がわからず、「London A to Z」を頼りに延々1時間近く歩いたことを思い出す。やっとの思いでホームステイ先にたどり着いて、どうやって来たのか聞いたホストファミリーに大層驚かれた。しかし乗客が運転手と交渉しているのを見て、そんな恐いことをするなら歩いた方がましだと思ったのである。私は変なところが引込み思案なのだ。

タクシーの運転手は若い男である。グレンダさんから送られてきた地図を示す。この病院に行きたいのか、と確認されるので強くうなずくと、運転手は助手席のドアを開け、ここに乗ってくれという。そう言えば後部座席は自動ドアじゃない。助手席のほうが運転手にとっても楽なのだろうが、しかしいきなり助手席に乗るのは初めてである。見知らぬ男の車に乗っているような錯覚に陥り、極度に緊張する。
タクシーは何事もなく道を走り、やがて病院の敷地内に入っていった。運転手はある建物の前で車を停め、ここに受付があると指差して教えてくれた。緊張のあまりチップを渡すのを忘れてしまったのだが、にっこり笑って快く送り出してくれた。以前タクシーに乗ったときは女性の運転手で、チップを渡したらちょっと意外そうに「It's welcome!!」といっていたし、チップは必ずしも必要ないのだろうか?
ところで来る道すがら、目星をつけておいたバスとすれ違った。ということは家のすぐ近くのバス停から直接こられるということで、それがわかって少し気が楽になる。

受付で名前を告げると、係りの女性は何度いっても私の名前を覚えられなかったが、会う約束をしているというとすぐにグレンダさんを呼びに行ってくれた。彼女はすぐ来るという。待っている間、受付の周りに貼ってあるお知らせやボランティア募集のポスターなどを見る。ケンブリッジにはとても大きな中央病院があって、病人や怪我人は大体そこに運ばれるようなのだが、ポスターの説明によると、ここはその中央病院で治療を受けた後、リハビリをしたりのんびり療養したりするところらしい。
しばらくして向こうから犬をつれた中年の女性と杖をついたおじいさんがやってくる。なんだろうと思いながらやり過ごそうとすると、「Hello Reiko!」と手を差し伸べられた。グレンダさんだった。一緒にいるおじいさんは私と同じくボランティアの人だという。
「ええっと、実はピアノがある場所はここではなくて、車で少し走ったところにあります。そこで皆が待ってるの。今いくとちょうど昼ごはんの頃だけど、今日はピアノを見てもらうわけだから構わないわ。じゃ、行きましょう。」というわけで、車にグレンダさんとおじいさんと犬とで乗り込んだ。それにしても職場に犬である。彼女は毎日犬を連れて通勤しているのだろうか。

車はあっという間に町を抜け、かなり郊外を走っている。せっかくバスで来られると思ったのだが、場所が違う上にこんな遠くでは無理である。グレンダさんは運転しながらさっきの病院まで来てくれれば、その後は私がつれていってあげるわ、と言う。
車はやがて牧草地帯の中にある広い敷地の中に入っていった。ところどころに花が植えられ、低い建物がぽつぽつと点在している。


1998年07月01日(水) Meet People(1)

見知らぬ土地に移り住んだ当初は、物珍しさと戸惑いとで無我夢中のうちに日々が過ぎていくものだが、生活それ自体が落ち着いてくると、新鮮な驚きばかりではなくなってくる。夫は確固たる組織の一員として迎えられていて、いやでも日々新しい出来事に直面していくわけだが、私のように子どもも職も持たず、社会的束縛もない気楽な立場の人間にとって、特に昼間一人で家にいるときに襲ってくるのが孤独感である。
好きなテレビを見、好きな本を読み、好きなときに昼寝をし散歩をし、ネットに繋いでは友人たちとやりとりしていても、やはり生身の人間との交流がなければ空虚である。自分から求めて外へ出て行かなければ、誰も私がここにいることを知らないし、私のもとへやってくることはない。
焦燥感と孤独感の数日を過ごした後、社会に接点を求めるべく動くことにした。手っ取り早いのは語学学校に入ることであるが、これでは周りは英語を学びにきた外国人ばかりになってしまう。私はお客さんとしてではなく、ここで暮らし、現地の人々と交わりたいのである。
とはいうものの、就労ビザではないのでアルバイトするわけにはいかないし、なによりこの貧弱な語学力ではいかんともし難い。それにできるだけ出費はおさえたい。訪問研究員用の催し物に参加しようと思ったが、ちょうど夏休みに入るところなので、ほとんど終わりである。
一人悶々としていても仕方がないので、情報を求めて地元の中央図書館に行く。大体、催し物などのお知らせは図書館や大学会館のような人の集まる場所に掲示されているものである。

中央図書館は町の中心のショッピングセンターの一角にある。規模としてはあまり大きくないが、「図書」館というよりは「情報提供」館としての性格が強いように思う。ネットサーフィンとCD−ROMの利用に限った端末があちらこちらに配置され、新聞のコーナーも充実している。レファレンスコーナーの脇にはかなりのスペースが掲示板のために割かれ、各催し物や求人広告のポスター(いずれもA4サイズ)がびっしりと貼られている。
いくつか目を通した後、市のボランティアセンターのチラシをもらって帰った。私の時間は余っているし、ボランティアなら語学力が足りなくても何かできそうである。それからこの機会にイギリスの手話(British Sign Language)を学びたいと思っていたので、その情報ももらえるかもしれない。
日本で少しボランティアをやった経験上、私はボランティアとしてそこに集まるのは面倒見がよく、またボランティア以外にも何か積極的に興味深い活動をしている人が多いのを知っている。だから、英語力およびこの国での生活に対してハンディキャップをもっている私にも親切にしてくれるに違いない、という甘い目論見もある。

チラシには「Meet people,New Experiences,Learn New Skills, Gain Confidence,Have fun!(人々と出会おう、新しい経験、新しい技術を習得しよう、自信を得よう、楽しみを得よう)」という見出し。なんだか心惹かれる文言である。楽しそうである。なによりボランティアとは自分のためにするものだという明確な姿勢が伝わってくるではないか。中身を読むと、特に技術を持ってなくても構わないと書いてある。たとえば病院で患者が外に行くときの付き添いでは、車椅子の押し方も教えてくれるらしい。要は体と時間があればいいのだ。市のサービスで外出が困難な人を図書館に送迎したり、代理で図書館に行って本を借りたり選んだりするというものもある。これも面白そうである。もう少し生活に慣れてきたらやってみたい。

翌日ボランティアセンターを訪ねると、がらんとしている。不安な気持ちを押さえて「あのぉ〜」と聞いてみると、満面の笑顔で対応してくれホッとする。なんでこの国の人たちはこんなに笑顔を作るのが上手なんだろう、などと思いながら手話を勉強したいと思っていること、それからボランティアで何かやりたいと思っていること、などをぽつぽつと話をする。手話の講座はあいにく9月以降になるという。が、ちょうど今ボランティアのキャンペーン期間なので、図書館の一角でいろいろアドバイスをしているという。教えてもらった時間に再び図書館を訪ねると、先ほどボランティアセンターの同じ部屋にいた係の人が私を見覚えていて、これまた満面の笑顔で話しかけてきてくれる。

ここで再び、ボランティアをやりたいと思っていること、英語力が足りないので複雑なことはできないこと、でも、車椅子を押したりすることはできると思っていること、それから活動を通して私の英語力があがることを期待していることなどを話す。
彼女は私の話を辛抱強く聞いてくれたあと、「それならこれはどう?」といくつかパンフレットを示してくれた。視覚障害者の話相手ならあなたの勉強になるからいいと思う、これはここにある。それから病院では常にボランティアを必要としている、これはあなたの家から遠くない、などと言ってくれる。

とりあえず登録票に記入することにする。住所や名前の他に、興味を持っていること、提供できる技術、それからボランティアを通して自分が何を得たいかということを具体的に書き込む欄がある。日本だと自分の享受するものについての期待を聞かれることはあまりない。聞かれたとしてもせいぜい動機で、「困っている人を助けたい」とか「私のようなものでお役に立てればと思って」などと控えめに曖昧なことを答えるものである。やっぱり合理的である。迷わず「ボランティアを通してたくさんの人々と会い、英国の生活を深く知る。ついでに英語もうまくなりたい」と書くが、困ったのは提供できる技術である。
今のところ車を持っていないので肢体不自由者やお年寄りの送迎はできないし、貧弱な英語力では視覚障害の人のための代読や代書は無理だし、唯一それらしい技術である私の手話は日本語なので、ここでは猫の手ほどの効力も持たないのである。しかしやる気だけではあまりに寂しい。
こんなことならもう少し習い事をちゃんとやっておけばよかった。これといって取り柄がない。

さて、考える、考える、考える…。

仕方がないので、苦し紛れに「ピアノが弾ける」と書く。すっかり指がさび付いてしまっているが、簡単な伴奏ぐらいなら弾けるだろう。少なくとも猫の手よりはましである。
と、係の人が「確か病院でピアノを弾く人を探していたわ」と目を輝かした。異常に盛り上がっている。早速明日にでもいくつか連絡をとって、その結果をあなたに連絡するようにするわ。今日は来てくれてどうもありがとう。それじゃ気を付けて帰ってね。
…なんとなく話がまとまってしまった。

数日後、グレンダさんと名乗る人から電話がかかってきた。ケンブリッジの町外れにある病院のボランティアコーディネーターだという。テキパキとしながらも親しみのこもった話し方で、私たちはよく調律された古いピアノを持っている。ついては患者のレクリエーションのために週一回ぐらい弾きにきてはくれないだろうか、という。嫌だったら来なくても一向に構わないけれど、私たちはあなたが来てくれるのを期待しているわ。とりあえず地図を送るので一度相談がてら見に来てちょうだい、そこでいろいろ決めましょう。じゃあね。

というわけで私は病院のピアノ弾きとして、グレンダさんと会って話をすることになったのである。


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