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1998年06月30日(火) イギリスはおいしいか?

イギリスの食事がまずいということは、世界的に知られていて、われわれが渡英することを知った友人たちも、口々に「イギリスはおいしいものがないらしいですけど、大丈夫ですか?」と心配してくれたものである。
しかし数年前に林望氏が「イギリスはおいしい」というセンセーショナルなタイトルの本を出し、本当はイギリスにはおいしいものがあるのではないか?という疑問も広がりつつある昨今である。イギリスは果たしておいしいのかまずいのか?さて、ここに明快な答えを出そう。

イギリスではおいしいものはおいしい、まずいものはまずい。 おわり。

と、これで終わってしまっては意味がないので、少し解説すると、食事がおいしくなるかまずくなるかの要因は一つではない。一つには食材自体がまずい場合。二つには調理法がまずい場合。
イギリスの場合は間違いなく後者に当てはまる。素材のよさは日本などの比ではない。ミルクは味が濃いし、野菜はちゃんと野菜本来の味がする。ハムやベーコンはじっくりと味わいがあって嬉しくなる。フランス料理は素材の悪さをカバーするために、濃厚なソースなどを使った調理法が発達したといわれているが、イギリス料理の場合は手を加えれば加えるほど、どんどんまずくなっていくのが特徴である。
とにかく肉は焼きすぎ、野菜は茹ですぎ、しかも味付けは単純な塩胡椒である。なぜイギリス人の作る料理がまずいかについては諸説あって、キリスト教徒の一派であるピューリタンの、「食べ物の味わいなどにうつつを抜かしていてはいかん」という禁欲的な発想からともいわれているが、単なる味オンチともいわれている。

10年前、私がホームステイしていた家で出される食事も伝統的な家庭料理だった。受入先のお母さんは、親切にも食事のたびにキッコーマンのお醤油をテーブルの上に出して置いてくれたのだが、どうしても食が進まない。毎回大量のグリンピースと、ジャガイモがある時は茹で、ある時は炒められて添えられているのである。その家の娘はグリンピースが嫌いらしく、いつもまるまる残していたが、お世話になっている身としてはそういうわけにもいかない。
考えた末、所持金も少なくなってきたので倹約のためもあって、昼ご飯をりんご一つ、あるいはコーラ一本という荒療治に出た。するとあら不思議、するすると喉を通るではありませんか。まさに空腹にまずいものなし、を身をもって実感したのである。さらに言うと、行きのアエロフロート機ではとても食べられたものではなかった機内食も、帰りは全部平らげてしまった。ちなみに行きも帰りも全く同じメニューだった。いかにイギリスで鍛えられたか知れるというものである。

渡英する前、ある英国人に「イギリスにはおいしい食べ物がないのではなく、おいしい食事がない」というと、「とんでもない」という答えが返ってきた。イギリスにはおいしい食事があるというのだ。「中華、イタリアン、インディアン、フレンチ、どれもおいしいぞ!」という。確かにおっしゃる通りである。同じくホームステイしていた頃に、フランス料理系の店に入って久しぶりに「味わいのある」ものを食べたという記憶がある。旧植民地の関係で、この国には至るところにインド料理と中華料理の店がある。それから南部イタリア人の移民が多いので、イタリア料理、特にピザの店が多い。
ケンブリッジは街の規模の割にレストランが多いところで、今のところほとんど毎日外食なのだが、やはりこれらの国の料理店が多い。英国式のパブでも食事ができるところがあるが、一度入って懲りてしまった。やはりパブは一杯飲んで帰るところである。大量に皿に残った料理を見て「調理さえしていなければ食べられたのに…」と思うのは心が痛む。

イギリス料理の店を避ければこうした思いをすることはあまりないのだが、一口に中華やインド料理といってもあたりはずれがある。実際に料理をしているのが、移民の二世や三世あるいはそれ以上になると、味付けがだんだんイギリス的になってくるようなのである。いかにも本格的な店構えをしていても、要注意である。その点イタリア料理店はあたりはずれが少ないように思う。イタリアは近いし、移民も比較的新しいので、より本物に近いものが食べられるのではないか、と推察する。
フランス料理はどうだろうか。一度有能な秘書ペニーさんに薦められたフランス料理店に入ったのだが、これなら私が作った方がましだというようなカタカタのオムレツが出てきて、デザートもおいしくなかったので、それ以来他の店も試していない。

今のところ一番のお気に入りは街の中心に程近い中華料理店なのだが、ここもいつも満員である。疲れたな、と感じるとなんとなく足が向く。野菜はしゃきしゃきと、肉は柔らかく煮え、素材の味を生かした調理に感嘆しながらがつがつと食べる。周りの客が不器用にお箸を使ったりフォークを使ったりしているなかで、お箸の国から来たわれわれが唯一優越感をもてるときでもある。
おいしいものを食べながら、イギリスの人たちはいったい自分たちの家庭料理をなんだと思っているのだろうか、などと思う。こんなにおいしい物があることを知ってしまって、よく自分たちの国の料理が食べられるものだ、と感心する。ここが流行るということは必ずしも味オンチばかりではないということだからね。

そこはよくしたものでこの国では「お持ち帰り(take-away)」も盛んである。たいていの店でそのサービスがあって、件の中華料理店でもひっきりなしにお持ち帰りの客が訪れる。街のスーパーにも出来合い(ready made)のパックが多い。これも中華、フレンチ、イタリアン、と多彩である。何度か試してみたのだが、これがおいしい。いずれも中華は中国人、イタリアンはイタリア人、と本物が作っているものらしく、下手にレストランに行くより確かである。外食よりもずっと安く上がるし、味が気に入らなければ再加熱のときに自分で手を加えられるのがいい。

自分では料理をしない。それがイギリス人の生活の知恵といったら言い過ぎか。


1998年06月27日(土) Graduation Day

May Week が終わって一瞬静けさを取り戻した街を歩いていると、「じゃ、今度は卒業式にね!」などと挨拶を交わしている女の子たちがいる。どうやら週末が卒業式らしい。見たいものである。たまたま覗いた画廊に”Graduation Day”と題した絵がかかっていた。キングスカレッジの前をガウンを着た学生たちが晴れやかに行進している姿が描かれている。先頭には教授と思しき裾の長いガウンを纏った初老の紳士、さらに沿道で歓声をあげカメラを構える人々。うーむ。こんなカッコイイことをするのか。ますます見てみたいものである。
街の写真館のショーウィンドウには、黒いガウンを身につけて晴れがましく収まっている姿が、額に入れられて所せましと飾られている。一番多いのは卒業証書や本を手にこちらを向いて微笑んでいるひとりずつのものだが、仲良しのグループで撮ったやんちゃなものや、カップルで肩を寄せ合っているものもある。仲間内でとったものはともかく、カップルで撮ってしまうと、のちのち困ることもあるのでは、などといらぬ心配をする。

ガウンは街の洋品店で売っている。レンタルもあるらしい。よくよく見るとガウンの種類にいくつかあることに気づく。学生が身につけるものは、ガウンといっても羽織りもので、その形は半纏というかちゃんちゃんこに似ている。黒い一重仕立てで肩のあたりにギャザーが寄っている。礼拝に参加するときもそれを羽織るものらしく、チャペルの入り口には無料貸し出し用のガウンがいくつもぶら下がっている。卒業式に着るものはそれより少し上等なのだろうか?写真で見ると黒いガウンに白いボアで縁取りしたフードを付けている。例の写真のカップルは女性は白いボアをつけているが、男性は赤いシルクをつけている。
夫が職場で聞いてきたところによると、白いボアは学部卒業生のものらしい。そして赤いシルクは博士課程の印だという。ところが同じ博士でも赤いシルクを付けられるのは学部もケンブリッジ卒業でなくてはならないらしい。ケンブリッジ以外の学部を卒業した博士たちは学部卒業生と同じ白いボアなのだというが、本当だろうか。ピンクや黄色をつけていた人もいた。

とりあえず日取りがわからなければ始まらない。最近知り合いになったグレンダさんという女性に卒業式について聞いてみることにした。グレンダさんというのは、ケンブリッジ内の医療機関でボランティアアドバイザーをやっている女性で、これがまた有能でカッコイイのである。グレンダさんについてはまたいずれ触れることにするが、とにかく卒業式は今年は6月26日(金)がその日だという。たしかパレードが行われると思うんだけど、と水を向けるといかにもその通りという答えが返ってきた。キングスカレッジの前のキングスパレードという通りだという。そういう意味だったのか?あの通りの名は。
パレードはカレッジごとに行われ、一番始めに行進するのがキングスカレッジ、順にセントジョーンズカレッジ、クィーンズというように、朝から夕方までどこかしらのカレッジが行進をするらしい。聞けば彼女の甥がちょうど今年卒業で、彼は一番始めのキングスカレッジなので、彼女は朝8時半に行かなくてはならないという。ほっほ。聞いてみるものである。

家からキングスパレードまでは徒歩およそ15分。沿道が人で埋まると困るので26日は朝8時に家を出ると宣言してカメラの準備をして寝る。
さて、翌日予定通りにキングスパレードまで行ってみると、なんとなく街は閑散としている。ま、それはそうか。観光客が多いならともかくこの時間である。地元の人々にとっては毎年の恒例であるし、わざわざ集まってくることもないのだろう。ちょっと拍子抜けしながらさらに進んでいくと、いたいた、本当に白いボアで縁取りをしたフード付きのガウンを着ている。丈は長くなくお尻が隠れる程度である。ガウンを着た若者たちが三々五々と集まってきて歓談している。

さて、時間になったがなかなか動きがない。式典が行われるのはどうやらキングスカレッジの隣の建物のようである。前庭にはテントがはられ、周囲を囲むように椅子がならべられている。建物の入り口にはフロックコートにシルクハットを手にした紳士たちが列席者の案内をしている。
タクシーや車が次々と到着し、学生の両親たちだろうか、盛装した紳士淑女が案内状を手に中から降りてくる。イギリスのご婦人は、こういうときにお帽子をお被りになるものらしい。私の幼稚園の頃は卒業式や入学式になるとお母さんたちは着物に羽織り姿が多かったが、こういう感覚なのだな。なるほどねぇ、様になるものである。よく見みると、やはり植民地の関係かアジア系とインド系が多いものである。列席者のアジアの人々の装いは地味なのだが、豪華なサリーを身に纏ったインドのご婦人の姿はさすが、である。列席者がすべてこのように着飾っているかというと、突然ジーンズにTシャツ姿の若者がふらふらと入っていったりしている。

しばらく待っていると通りの向こうからコロンブスのような格好をした数人の集団がやってきた。入り口のシルクハットの男性が帽子を持ち上げて会釈をしてチャペルの中に招き入れた。いよいよ始まるのか。しばらく待っていると、いよいよガウン姿の学生たちが行進してきた。意外と数が少ない。胸を張ってにこにことしながら建物の中へ消えていった。式典が始まってしまうと外からは何もわからない。とそこへ偶然、元英語教師マリオンさんが通りかかった。彼女によると、チャペルに隣接したこの建物がセナトハウス(Senate House)と呼ばれるところで、各カレッジからここまで街中を行進してきて、ここで学位を授与されるのだという。各カレッジ時間にして20分〜30分、そののち前庭で列席者や友人たちと談笑するのだという。心太式である。
ということはここでしばらく待てば、次のカレッジがやってくるはずである。所在なげに通りのベンチに座っていると、ガウン姿の学生がふらふらとしている。自分のカレッジの出番がまだなので手持ちぶさたらしい。前庭を覗き込んだりしていたが、テレビ局の取材スタッフに声をかけられて、チャペルをバックに向こうから歩いてくる姿と向こうへ歩いていく姿を撮影させていた。これは、ヤラセではないのか?

反対側から学生が行進してきた。今度は数が多い。前の式典が終わってないのでチャペルの前に整列して待っている。おかげでじっくり観察できる。一番先頭はフロックコートにシルクハット、手にしゃく杖を持った男性である。立派なひげを蓄え微動だにしない。カレッジのポーターだろうか。その脇に長いガウンを羽織った男性。いかにも学者然としている。その次に赤いシルクのついたガウンを纏った学生。ははぁ、これが生っ粋のケンブリッジ生だな。そしてその後ろに黄土色の布のついたガウンを着ている。これは私たちのカテゴリーにない色である。そしてその他大勢の白いボアのついた学生たち。学部生は心なしか幼さが残る。イギリスでは博士取得が24歳だというので、全体的に若い。
男子学生は黒の上下に白いハイカラーのシャツに白のボウタイというのが伝統的な装いだが、中にはスコットランドの民族衣装にガウン姿という男子学生もいる。女性に関しては伝統がないためバラバラである。一応白いシャツに黒い上着と黒いスカートだが、襟がだらしなくはだけていたり、スカートが長かったり短かったり、足元が例によってサンダルだったりする。やはり男性のためのものなのだ。しかしながらきりりとした女性がガウンを羽織ってさっそうとあるいている姿はそれはそれはカッコイイものである。
彼らがチャペルに消えるととも、前庭には先ほど式典を終えた人々が出てきて談笑している。まるで映画を見ているようである。こういうカッコイイことを日本の某大学院大学もやってもらいたいものである。

今晩は卒業祝賀会らしい。うるさいんだな、これが。


1998年06月17日(水) May Week

前回も触れたが、今週はMay Weekである。なぜか6月にMayなのだが、この期間は期末試験を終えた打ち上げで、どんちゃん騒ぎをするという。卒業式の時期でもある。私たちがケンブリッジについた頃からすでに試験が始まっていたので、相当長い試験期間である。各カレッジはその期間「部外者お断り」にし、学生たちは皆深刻な表情で、原っぱやベンチで本を広げている。週末はさすがに遊ぶらしく、金曜土曜の夜は街に若者があふれるが、それでも朝から図書館にこもって勉強している学生もいる。
それが明けて思い切り羽目を外すのがMay Weekというわけである。学生たちはそれぞれ男性はタキシードに蝶ネクタイ、女性はフォーマルドレスと、思い思いに着飾り、パーティーやコンサート、劇の上映などに明け暮れる。各カレッジには大きな白いテントが張られ、大舞踏会が行われる。外から覗いてみたところ、ドラムセットが運び込まれていたので、ワルツやロンドといった古典的なものではないらしい。
ともかくこの時期、夜遅くまで咆哮するものあり、着飾ったまま朝帰りするものあり、道路は大渋滞となり、いつもの静かな大学の街とはかなり趣が異なる。

ケンブリッジの学生たちは押し並べて地味である。大体がカレッジの中に住んでいるせいか、トレーナーとジーンズに運動靴やサンダルといったいでたちで街中を闊歩している。女子学生はおよそ45%ほどだというが、彼女たちについても同様で、お化粧も濃くなく、ピアスや指輪でアクセントをつけている程度である。
ところがこれがMay Weekに入ったとたんに激変する。背中が大きく開いたドレスや、裾に大胆なスリットの入ったドレスを身に纏い、長い髪は豊かに結い上げ、顔は色もあでやかにメイクアップされている。高価なアクセサリー類は身につけていないが、それを補うあふれる若さで輝かんばかりである。
男子学生についても同様で、ぼさぼさの頭を撫でつけ、タキシードに身を包むとどこから見ても若き英国紳士である。さらに本格的な燕尾服に白蝶タイや、スコットランドの民族衣装のキルト姿の学生もいる。男女比率がおよそ同じなので、歩いているのはカップルが多く、堂々としたエスコートぶりである。ケンブリッジのような大学はもともと良家の子女が多いのだろう。フォーマルウェアを着慣れている様子なのではあるが、着飾ったお互いの姿を写真で撮り合ってはしゃいでいる姿は実に微笑ましい。
昨夜はどこかで仮面舞踏会だったらしく、手に手に仮面を持って集まってくる様子は、やはりおとぎ話の世界である。

ところでこちらの人々は老いも若きもLet it beというか、「そのまんま」というのが多いように思う。電化製品が壊れたらそのまんま、ドアが壊れたらそのまんま。不便だ、などといいながらなんとなくそれで使いつづけてしまう。あの有能な秘書ペニーさんですらそうなのである。電子レンジが壊れたといってはそのまんま、オーブンが壊れたといってはそのまんま、ラジカセはCDプレイヤーが壊れたまんまである。
私が以前ホームステイをしていた家は、冬ドアの隙間から冷たい風が入るからといって、ドアの下の部分や隙間に新聞紙を何重にも細く折ったものを挟んでいた。出入りするたびにそれを外し、いちいちはめ直すのである。それだってもう少しやりようがあるだろうに、と思うのだが、それで済ませられればいいようなのである。なんとなくイギリス的な合理性がそこはかとなく垣間見える。「だってそうなんだもん」というか「構わない」といった感じである。変な見栄がない。
洋服についても同様で細かいことには構わない。たとえば下着の線が見えたり、タンクトップからブラジャーの肩紐が堂々と覗いていたり、もっと暑くなると、遠くからでもすぐそれとわかるノーブラで歩いていたりするのも平気である。考えてみれば下着をつけているのだから、下着の線があって当然だし、タンクトップを着ているからといって、無理に肩紐が見えないような特別な形の下着を着る必要はない。暑くてタンクトップを着るのだから、他に何も着なくてもかまわないわけである。

May Weekのドレスアップではさすがに下着が見えたりすることはないのだが、足元は普通のサンダルだったり、タキシードを着た若者が手に革靴をぶら下げて、運動靴で急ぎ足だったりする。May Week 初日からあいにくの雨降りとなったのだが、フォーマル用のコートの用意がないのか、カーディガンを着ていたり、普段着のコートを無造作に羽織っていたりする。ドレスの裾が雨でぬれても、「だって雨なんだもん」という感じで構わず歩いている。
夜を徹っして遊んでいたのか、朝の比較的早い時間にタキシードの襟元をはだけ、ふらふらとコーラを片手に歩いていたり、ピンクのロングドレスに黒のごつい運動靴をはいて家路を急いでいる姿も見受けられる。

自然に恵まれた環境でおおらかに青春を謳歌している彼らを見るにつけ、ただただ「うらやましい」と思うばかりである。


1998年06月16日(火) フットボールとユニオンジャック

先日ロンドンに住むいとこを訪ねて行ったとき、街のあちこちで白地に赤い十字の入った旗が飾られているのに気づいた。イングランドの旗(St.Geoge's Cross)である。民家の窓から垂れ幕のように吊るしてあったり、黒いオースティンのタクシーも小さな旗をつけて走っていたりする。ワールドカップのイングランド応援のためである。
われわれがイギリスと呼んでいるこの国は、周知の通り正式にはthe United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(UK)という長ったらしい連合王国であり、それぞれの国が独自のデザインの旗を持っている。スコットランドは青地に白いX(St.Andrew's Cross)、アイルランドは白地に赤いX(St.Patrick's Cross*追記 )で、それが組み合わさるとあのなじみのある国旗(Union Jack)になるのである。ほうほう、目から鱗である。ワールドカップにはイングランドとスコットランドが出場しているので、それぞれの旗を掲げての応援ということになる。

この国でもフットボール(サッカー)は大人気である。今の時期はクリケットのシーズンだが、夫が職場の学生たちに聞いてみたところ、「あんな退屈なもの、誰も見ないよ。今はフットボールだね!」という答えが返ってきたそうである。街にはワールドカップグッズがあふれ、近所のケーキやさんのウィンドウにはサッカーボール型のケーキがあった。円ではない。球なのである。味はともかく形には惹かれる。
ロンドンに行ったときはちょうど日本対アルゼンチンの試合もあった。いとこは職場で賭けをしたらしく、引き分けを願っている。それでも何倍かの配当になるという。ちなみにアルゼンチンが勝った場合は1.2倍、日本が勝った場合の配当は20倍だそうである。賭けている人がいるのか。いとこの子どもは、朝からイングランドのユニフォームを着てテレビで日本を応援しているらしい。「ワールドカップピザ」を注文してもらって上機嫌でお留守番だそうである。しかし、なにゆえにイングランドのユニフォームなのか。

イングランド戦がある直前にはテレビもイングランド一色になる。私のお気に入りの朝の番組「Big Breakfast」でもイングランドのユニフォームを着たバンドが応援歌を演奏し、全員で合唱して盛り上がっている。昨日はいよいよイングランドのゲームがあった。昨日は学生たちの期末の打ち上げとでもいうべきMay Weekの初日で、街は華やぎ着飾った男女が闊歩するのでテレビなんか見ていないで街に出るべきだと、例の引退した英語教師マリオンさんに教えられていたのだが、あいにくの雨でそんな気配は見えない。昼食で帰ってきた夫も街は閑散としているという。
雨がひどいので昼食は近くの大学会館ですませることにして、一歩中に入るとすごい熱気である。テレビのある一階のパブと3階のテレビ室では、人々がビールを片手に固唾を飲んでゲームの行方を見守っている。ちょっと中に入れる雰囲気ではない。それにしてもいつもは静かな大学会館にいったいどこからこんなに人が沸いて出たのか。時折地響きのような歓声が聞こえてくる。イングランドは好調らしい。

いったん家に帰って用事を済ませてテレビを見始めたがどうも面白くないので、雨が小ぶりになったのを幸い、再び大学会館にのこのこと出かけていった。と、いきなり大歓声である。ガッツポーズを取っている男女の姿が見える。昼休みの時間はとっくに終わっていると思われるのに、仕事はどうしたのだ。テレビ室に行くと、テレビを向いて椅子が劇場のようにならべられていて、大入り満員である。この部屋にこんなに椅子があったとは知らなんだ。
入り口からカフェの店員も覗きに来ている。間を縫って部屋に滑り込んだ。ゲームは終盤に向かっているようで、みんな余裕綽々の観戦振りである。相手方の失敗に大笑いしたり、ファインプレーに感心したりしている。イングランドの勝利に終わると、勝利を称えあうわけでもなく「ん、勝ったね」というようにクールに部屋を去っていった。あっけないものである。

せっかく外に出てきたので、そのまま街を散策してみることにする。May Weekのほうは相変わらず気配がない。夜は遅くまで明るいのできっと夕方以降に盛り上がるのだろうと理解して、さらに歩いていく。中心街に近づくと、いたいた。ご機嫌さんである。イングランドのポンチョをきた若者たちが「イングランド!イングランド!」と叫びながら歩いている。路地から出てきた若者は、ばったり出会ったらしい友人に「オーレーオレーオレーオレー」と呼びかけている。向こうから歩いてくる少年は額にイングランドの旗を描いている。試合が終わってどっと街に繰り出したらしい。
夜になって再び大学会館に寄ってみると、さらに再放送に食い入るように見ている人々がいる。今度はかなり冷静である。勝利を反芻しているのか、それともプレーの分析をしているのか。

さて、次はスコットランドの試合である。今朝の「Big Breakfast」では、当然スコットランドの応援歌である。バンドは民族衣装を着て歌っていた。

追記
ユニオンジャックを構成するのは以下の3つで
・St. George's Cross (England)
・St. Andrew's Cross (Scotland)
・St. Patrick's Cross
地球の歩き方(26)'98〜'99年版(ISBN4-478-07361-9)によると、St. Patrick's Crossは元々アイルランド全体の旗だということです。北アイルランドとウェールズはまた別の国旗を持っているようです。(98.07.12追記)


1998年06月11日(木) テリー

家が決まってしまえば、他にとりあえずすることはない。
語学学校に通うことを考えたが、落ち着いてからのほうがいいだろう、という有能な秘書ペニーさんと元英語教師マリオンさんの強い勧めもあって、とりあえず暇にしている。
暇で天気が悪いと、いきおいテレビばかり見て過ごすことになる。テレビは正しい英語ばかりでないし、聞き返しても言い直してくれないので半分もわからないが、そのうちわかるようになるかもしれないと淡い期待を持ちながらぼーっと見ている。勉強という名のもとに堂々とテレビ漬けになっていられるのである。

ところでこちらの人はなぜかテレビを「テリー(telly)」と呼ぶ。もちろん「TV」や「television」で通じるのだが、ペニーさんも「テリー」といっている。「テリー」というとなんとなく通っぽい。
私たちのフラットには「テリー」がついていなかったので、街の電気屋さんで、ビデオ一体型の小さいのを借りてきた。賃料は日本円にして週600円くらいである。ちゃちなアンテナがついていて、映りは悪い。番組はケーブルテレビにすればいろいろ楽しめるらしいが、とりあえず映るチャンネルは4つあって、1がBBC1、2がBBC2、3が名前はわからなくて、4がChannel4。シンプルである。

テレビ局が4つしかないぐらいだから、各局視聴率にしのぎを削っているという雰囲気もなく、面白い番組はあまりない。ドラマはやたらと深刻に話し込んでいるか、病院のシーンばかり出てくるし、コメディタッチのドラマはアメリカの番組である。映画は夜10時ぐらいからやっている。そうそう、クリケットの中継もやっている。静かなスポーツである。議会の中継も多い。日本の国会と違ってイギリスの議場はソファーが何列も並んだような作りで狭い。そのなかで白熱して議論を繰り広げるものらしく、時に笑いが起こるなど実に楽し気に論戦を交えている様子である。

一応いつも見ている番組はある。朝はチャンネル4で、朝食を食べながら若者向けの情報番組を見る。番組名は「BIG BREAKFAST」。これがさっぱり聞き取れないのだが、ばかばかしくノリのいい番組である。今はワールドカップにあやかって、フランス特集やモザイクをかけたサッカー選手の写真で名前を当てるクイズ、などをやっていて、いちいちフランス人の話し方や身振りを真似しては盛り上がっている。
それが終わると映画やアメリカのハイスクール物のドラマを放映したりする。最近はこのあたりでBBC2に変える。これはNHK教育に相当するもので、ちゃんとわかれば相当勉強になる。ただし一番のお気に入りは幼児向け番組で、宇宙人の子どもが出てきて楽しい。お昼になると、各局ニュースをやって、その後奥様向けの番組が始まる。イギリスにもみのもんたや山城新伍のような人がいるのがおかしい。
チャンネル4のお昼の番組は「LIGHT LUNCH」。なんとお気楽なネーミングだろうか。これも「BIG BREAKFAST」同様ばかばかしくノリのいい番組である。観客がそれぞれお弁当をもって集まり、中身を説明したりしながら食べる。「え〜、イギリスのお弁当ってこんななの」という感じである。毎日ゲストが登場して簡単な料理を披露するコーナーや、観客や視聴者のゲストへの質問コーナーなどがある。
こちらの番組はこのように視聴者参加の番組が多いように思う。その他にもクイズ番組や参加型の料理番組も多い。

興味深いのは友達や家族糾弾のような番組があることである。公開の場で白黒つけようということなのか、番組内で母親のボーイフレンドを吊るし上げる10代の女の子や、恋愛沙汰でもめている当事者が登場したりする。彼らの主張に対して観客が賛否両論さまざまな意見を展開する。それぞれ真剣である。当事者が出演することも驚きであるし、それに対して他人事にそこまで入れ込む観客がいることも不思議である。つくづく議論好きな人種なのだろうな、と思う。

そういえば、もう一つお気に入りの番組がある。残念ながらイギリスの制作ではない。
ボストン交響楽団の本拠地、タングルウッドで作られた子供向けの音楽番組なのだが、これがすばらしい。タングルウッドのコンサートホールに子供たちを集めて、ボストン交響楽団とジャズのビッグバンドが、あるテーマにそって違うアレンジで交互に演奏していく。
進行役の黒人男性はトランペット奏者でもあり、ビッグバンドの指揮もする。説明は聞き取れないが音楽の楽しさ、面白さが伝わってくる。当然ボストン交響楽団の指揮はマエストロ小沢征爾である。彼もとても楽しんでいる。子供たちの顔も輝いている。それはそうだ。一流のプレイヤー、一流のホール、考えれば贅沢な企画である。こういう時、こういう番組を作り上げてしまうアメリカという国にはかなわないな、と思う。

日本人が登場するアメリカの番組をイギリスで観る。なんとなくいい。

※進行役の「黒人のトランペッター」はウィントン・マルサリスさんだという情報をいただきました。ありがとうございました。


1998年06月10日(水) 家、いえ、イエ(4)

家について書くのもそろそろ飽きてきた。
実際、家を見て歩くわれわれもちょっと疲れていた。いくらみても一番気に入った家よりいい物件は見当たらない。もういいよぉ決めようよぉ、という声と、イギリスの家をあちこち見て回るチャンスはめったにないんだからどんどん見ちゃえぇ、という声が心の中でせめぎあっている。

火曜日から家を見始めて今日は金曜日、一応最終日である。午前中に一軒と、もう一軒夫の同僚にあたる人が最近引っ越してもとの家を貸したいといっているので、それも見せてもらうことになっている。
有能な秘書ペニーさんは午前中は抜けられないというので、われわれが徒歩で見に行くことになった。地図を片手に歩いていると、向こうから車でやって来たカップルが何か言っている。何かと思えば、キングスカレッジの場所を教えてくれ、という。この地について一週間足らずのうちに道を聞かれたのはこれで3回目である。

さて、訪ねていった先はこれまた閑静な住宅街の奥にあるテラスハウスで、つきあたりには公園がある。ここは業者が管理しているようで、スーツ姿のこざっぱりとした男性がよどみなく説明してくれる。その時点でなんとなくいやになってくる。私はどうも業者というのは嫌いらしい。業者のほうが保障などはしっかりしいると思うのだが。
見せてもらった家は、小さいながらも部屋数は多く、ダブルベッドの部屋が2つ。二段ベッドの部屋が1つある。台所用品などもばっちり揃っている。現在の住人はオーストラリアから。通りに面して小さい庭があり、反対側の庭からも私道に出られるようになっている。
まあまあ文句無しの物件である。特に不満もなければ魅力もない。15分で終了した。この家を見たがっている人が他に2組いるから、早く結果を知らせてくれ、という。じゃあ断っちゃおうと思いながら、今晩には電話する、と答える。

一番のお気に入りの家は、そこから程近い。帰る道すがら外から眺めて帰ることにする。うん、やっぱりいい。この前はペニーさんの車だったが、歩いても街の中心部まですぐである。これでこの後見る家がよっぽどいい物件でなければ、これで決まりである。

研究所にいって、買ってきたサンドウィッチを食べていると、ペニーさんがやってきた。
昨日の夜、お気に入りの家の家主さんに電話をして、まだ誰にも貸さないように頼んでおいてくれたという。これで安心である。
夫の同僚がやってきて、出かけることになった。「私も一緒に行く」といってペニーさんも身支度をする。この頃になってわかったのだが、ペニーさんは今の家が少し遠いのと子供たちが独立したのとで、引越して今の家を貸すことを考えているという。なるほどね。

車にのって出かける。自転車だと職場から10分だという。駅の向こうでちょっと遠い。
見せてもらった家はよく手入れが行き届いていて、暮らしを楽しんでいたという雰囲気が伝わってくる。庭にはハーブが生い茂り、小さい畑には育ちすぎた作物が残っている。テラスの上にはぶどう棚があり、夏には格好の日陰になるという。ああ、楽しそう。
ガレージは作業場にもなっていて、さまざまな道具類、板や家具の留め金などがある。ああ、楽しそう。
しかし遠いのである。学齢期の子どもでもいたら最高の住まいである。これだけいろいろ設備もきちんとしていて、10万ちょっとという家賃は破格なのだが、いかんせん遠い。

夫の職場の人なので断るには忍びなかったのだが、やはり一番気に入った家にすることにした。
あとで夫が謝ると、「ちっともかまわないよ。それより引越しで車がいるようならいつでもどうぞ。手伝うよ」といってくれたそうである。彼は私たちが初めて研究所に挨拶にいったとき、正確にわれわれの名前を発音しながら話し掛けてきてくれた人である。しかも自分の名前を紹介しながら「一遍にいろいろ紹介されてるから、すぐ忘れるだろう、そしたらまたぼくの名前を教えるよ」といってくれた。
彼は自分の研究も生活もとても楽しんでいる。人間ができている、というか精神的な余裕が窺がえる。

とにかく、これで家が決まった。
そういえば今まで家主のことを云々していながら、この家の家主とは契約のときに初対面なことに気づいた。研究所に出向いてきてくれた家主さんは、ケンブリッジ内に勤める外科医、きちんとした身なりの正統的インテリ英国婦人という印象を受けた。


1998年06月09日(火) 家、いえ、イエ(3)

翌々日の朝所用で研究所に行くと、有能な秘書ペニーさんがメモを片手にやってきた。「ええと、今日は夕方3軒見に行くことになってます。一軒目は6時、次は6時45分、二軒目は7時半の約束よ。」
これらは少し離れているので、ペニーさんの時間が空いている日のアフターファイブに車で連れて行ってもらうのだ。すでに家探しはわれわれの手を離れた感がある。

今日の一軒目は閑静な住宅街の袋小路の奥にある。駐車場所を探してのろのろと進んで行くうちに、車はどん詰まりに入ってしまった。そこらへんの空き地に止める。ずいぶん郊外の感じである。家主の男性が迎えに来た。なんとなく好きになれないタイプ。
現在の住人は幼児のいるイタリア人だという。所用があってたまたま帰国しているらしい。陽光が射し込む明るい家である。日当たりが良すぎて夏場は暑くなるらしい。ペニーさんは例によって「Lovely」を連発している。夫もわりと気に入っているようだ。台所も新しい設備が整っているが、私は今一つ乗り気にならない。些細な理由だが、ドアが引き戸なのだ。ちょっと日本の団地みたいである。せっかくなら西洋的な家に住みたい。
家主さんは家具は倉庫にいろいろあるので、いくらでも取り替えがきくという。この人はいくつか貸し家を持っているらしい。
この頃になると、一口に貸し家といってもさまざまな形態があることがわかってきた。家が余っているから貸す人と、それを商売としている人がいるのだ。

次に行った家はケンブリッジの中心部を挟んで反対側の、やや町外れである。車を降りると鳥がちゅんちゅんとかしましく鳴いている。
郊外にありがちな比較的新しいテラスハウスである。家主さんとは別に近所の人が管理をしていて、現在の住人は中国系の学者夫婦。小さい子どもあり。家の中はおもちゃがごった返し、台所ではお米を炊くにおいがしている。世話をしているおばちゃんはイギリス人というよりは、アメリカのおばちゃんという感じ。静かで環境はいいが、スーパーマーケットなどは遠い、という。あまり魅力的ではない。

その次にいった家は、フラットだという。今日訪ねている先はいずれもペニーさん時がリストアップした家なので、いわれるがままである。
ちなみにフラットというのは、いわゆるアパートである。それに対して2階建あるいはそれ以上のものをハウスという。必ずしも一戸建てである必要はなく、イギリスに良く見られるのは2軒がくっついているsemi-detached house、街中の通り沿いなどのterrace(d) house である。
約束した時刻の随分前についてしまった。フラットの前の駐車場に車を停めて、ペニーさんが給油(ちなみに英国ではgasolineではなくpetrolという)のときに買ったキットカットやスニッカーズなどを食べる。
この国ではこの手のキャラメルとチョコレートのこってりしたスナックが多く、若いコは食事代わりにしたりする。
時間になるのを待ってドアをノックする。中から出てきた中年女性が私たちの顔を見るやいなや、「ほんとうにごめんなさいねぇ」などと言っている。どうやら借り手が決まってしまったらしい。むー。早く言えよ。ペニーさんは「かまわないわ、どうもありがとう」といいながら、帰る道すがら「ここは、全然よくないわ。通りに面していてうるさいし、あなたはフラットよりハウスがよかったのよね」と顔をしかめてみせる。愛すべきお人柄である。

ペニーさんに送ってもらって、シャワーの不具合などを確認してもらいながらお茶を飲む。どの家が一番いいかしら、という話になる。
私たち二人の中では相変わらず、初日の夕方に見た家が不動の地位を築いている。少し贅沢かとも思うが、「たった数ヶ月のことだし、一生に一度だから(once in a lifetime)」というと、「その通り!」という力強い言葉が返ってきた。今夜にもその家の家主さんに電話して、まだ誰にも貸さないように頼んでくれる、という。ありがたや。

さて、明日も家探しである。


1998年06月08日(月) 家、いえ、イエ(2)

一日置いて次に見に行ったのは、これまたペニーさんが探してきた家である。駅に程近いところに小さくて快適な家があるという。昼休みを利用してペニーさんの車で出かける。今度はペニーさんの女友達の元英語教師、マリオンさんも一緒に見にきた。つまり彼女たちは好奇心旺盛なのである。

今度の家は、通りから私道を入った奥にある3軒くっついた小さなテラスハウスの一番端で、駅や大通りに近い割には静かなところである。家主さんは思慮深げな黒い瞳と髪をもった、非常におだやかな男性である。少し戸惑って見えるのは、私たちが日本人二人と中年の英婦人二人という組み合わせだからか。

現在は男子学生が二人で住んでいるという。若者の住まいらしくそこら中に紙屑がちらかり、ビールの缶が転がり、運動靴やテニスラケットが放り投げてある。まさに微笑ましい惨状である。
はじめ私たちが訪ねて行ったとき、家主さんが戸惑ったような表情でいたのは、この惨状によるものらしい。彼もひさしぶりにこの家に入ってこの惨状を初めて知ったのだ。

「ええと、この有り様は誠に申し訳ない」いえいえ。
「この壁は塗り替えます」。おお、壁紙がはがれている。
「こちらのソファなどは全部取り替えます」おお、しみだらけだ。
「ええと、この部屋は、あの、たしかシングルベッドのはずなのですが…」おお、床にダブルのマットレスがおいてある。しかも枕が二つ仲良く並んでいる。
「こちらの地下室は、ええと前女性が二人住んでいたときは、勉強部屋として使っていて…」おお、スキー板や自転車まで置いてあるぞ、ほとんど倉庫だ。

居間は小さくてかわいらしい、庭に面していて明るい。内装はモダンでシンプルである。家主さんの言う通り、手入れをしたらかなりいい住まいになりそうである。テラスハウスの他の住人もいいご近所さんであるというし、かなりいい感触をもちながら帰路につく。
車中ペニーさんが「それにしても、可哀相なのはあの家主さんだわ。あんなにいい家なのに、さぞ悲しい思いをしているでしょうね」と笑う。

研究所に戻ったあと少し時間があるのでお茶を飲みに行く。
今まで三軒見たうち、どの家が一番気に入ったかと聞かれて、一番気に入ったのは初日の二軒目で、今日のは二番目だと答える。ペニーさんは、やはり一番最初に見た小さくて古い家が気に入っているらしい。
今日の家は庭が小さいけどいいのか、とマリオンさんが言うので、手入れが楽だからそれでもかまわない、と答えると「でもあれじゃバーベキューができないわ」と真顔でいう。
確かに。おっしゃる通りである。


1998年06月07日(日) 家、いえ、イエ(1)

翌日正午に有能な秘書ペニーさんを訪ねると、約束がとれたから早速出かけようという。
研究所から程近いところにいろいろ設備の整った家があって、ペニーさんはそこが気に入ったので連絡をとってくれていたのだ。家主さんも非常に感じのいい親日家だという。
実はわれわが一番気に入っていた家があるのだが、そことの約束も夜に取り付けてあるという。すぱやい。

訪ねて行った先は、大きなショッピングセンターのすぐわきにある。働く主婦ペニーさんは「ここはいいわ。大きなデパートも入ってるし、映画館も4つもあるのよ。」といいながらちょっと興奮気味。そこはすでに空きになっていて、家主さんが待っていた。
ショッピングセンターのすぐ脇にありながら、そこは閑静な住宅街である。イギリスによく見られる古くて小さいテラスハウスで、本に出てくるような内装である。庭も付いている。草は伸び放題だがそこはすぐに手をいれてくれるというし、外からまったく見えないので水着になってもいいぐらいだ、といって笑う。キッチンにはありとあらゆる食器、調理道具、などがそろっている。

部屋はどれも小さ目。通りに面したベッドルームは書斎として使うようになっていて、棚にはあふれんばかりの本が並んでいる。下の部屋は台所と居間。居間には本物の暖炉があり、そこも本がたくさん並んでいる。飾っておくばかりでなくどんどん読んでくれ、という。日本語の本もある。
家主さんは研究者で日本にもいったことがあるし、日本人の研究者も2年間住んでいたので、大歓迎らしい。この家は小さいけれども日本人には馴染むだろういっては笑う。玄関のドアは二重になっていて寒さがしのげるから、日本より暖かいだろうなどと言うので、日本のどこにいたのか聞くと、つくばにいた、という。そりゃ寒かろう。

そのうち日本に関する思い出話をとうとうと始める。この家主さん、しゃべり始めると止まらない。ペニーさんは時間までに戻らなければならないので気が気でない。適当に切り上げて帰る道すがら、ペニーさんが「あれは典型的なケンブリッジのアカデミックよ。」という。「大学人」とでもいうことか。いたくお気に入りである。夫は少し戸惑っている。床がぎしぎし言うのが悲しいらしい。

夕方訪ねていった先はリストの中で一番気に入っていた家で、街の中心地から程近いわりに閑静で近くには公園があり環境も住居も申し分ない。応対してくれたのは現在の住人であるイスラエルからの研究者である。彼らも気に入っているようだ。「この家はすべてオープンだから好きに見てくれ」という。夫の顔が輝いている。昼間とは大違いだ。
ペニーさんも夢心地である。がんがん戸棚や引き出しを開けては「ふぅん。これは便利だわ」などといっている。「あなたたちには少し大きすぎるわねぇ」という、夫人はあまりイスラエル人らしくなく、気のいい日本のおばちゃん、といった感じである。質問があったらいつでも電話してくれ、という夫妻に見送られて家を辞す。

さて、有能な秘書であるペニーさんは、このままリストに載っていた近所の他の家を見る、という。なんというか、実に時間を有効に使う人である。公衆電話を探してこのままアポイントメントを取ろうか、と言い出し、少し探してみるが見当たらないのであきらめる。
結局歩いて一件と、車でもう一件外から見てこの日は終わった。


1998年06月03日(水) 家を探そう

われわれが落ち着いた先は、短期滞在用のフラットで、一応一ヶ月を上限に3週間の約束で借りてある。その後はちゃんと住む家を探すために、まず家探しが始まった。
家探しの方法は二通りあって、一つは当たり前に地域の不動産屋をあたること、もう一つは大学の訪問研究員会(Visiting Scholar Society)に登録してあるリストから選ぶことである。われわれが到着したのは年度末で、ちょうど訪問研究員たちが帰国する時期にあたるため、比較的楽に見つかるだろうという見込みである。

有能な秘書ペニーさんがいうには、不動産屋と大学と両方からあたったほうがいい物件がある可能性が高いわ、ということなので、まず街の不動産屋からあたることにした。ペニーさんが一緒に来てくれる。まったく彼女がいなければわれわれは何もできないのであった。
何軒かの不動産屋をあたったが、歩いて探すには苦労が多い。ここは賃貸はしていないといわれたり、賃貸していても6月に入らないと物件は出ないとか、あまり芳しくない。不動産屋巡りは適当に切り上げて、今度は大学のほうに行ってみる。ここは確か林望氏がかつて冷たくあしらわれたところではなかったか。
びくびくしながらペニーさんの後をついて行く。事務所に行くとちょっと年配の女性が机のところにいる。この人は林望氏が行ったときもここにいたのだろうか。ペニーさんが自信たっぷりにわれわれを紹介すると、「ようこそ、ケンブリッジへ」と、手を差しのべられた。ほっ。
さっそく登録用紙に記入して、2、3われわれの希望を伝えると、それをそのまま目の前のコンピュータに入力していく。ほほぉ。コンピュータである。みるみる十数件出力されてきた。ついでに訪問研究員用の無料英語講座などのチラシをもらって事務所を後にした。なんだ、意外と簡単である。
林望氏が行ったのは夕方で、終業近くだったというし、ま、いろいろ事情が違ったのだろう。

研究所に戻って、地図を片手にリストをみる。家賃は月額500£〜1000£で出してもらったが、平均すると700£といったところである。日本円にして15万円ぐらいか。いずれもケンブリッジの中心街から近い。大学でもらってきたほうが商売でないだけ割安感がある。道楽で貸しているオーナーも多いらしく、所有者の欄が業者のものと個人名のものとがある。
ペニーさんはリストを見ている私の横に座り、一緒にリストをチェックしてくれた。「うーん、これは高いわ」「これは遠い」「ああ、ここはいいわねぇ」などと盛り上がっている。彼女も働く婦人だけあって、キッチンの設備には興味があるらしい。「あらぁ、ここは皿洗い機も付いてるのね」「あら、こっちは乾燥機もついてるわ」「んまぁ、これは全部そろってるわ」などといいながら一通り見たあと、家族が来た時のために4人まで泊まれる家がよかろう、ということになった。せっかくなら庭付きがいい。

有能かつ心暖かい秘書ペニーさんは2〜3の物件にあたりをつけると、目の前の電話を取り上げ早速電話をしてくれた。ところどころ聞き取れないのだが用件の伝え方が見事である。われわれの家にはまだ電話が入っていないので、連絡先は研究所になる。彼女は相手に自分のオフィスへの直通電話だけでなく、夜の連絡先として自宅の電話番号を教えている。なんという人柄だろうか。すばらしい。

さて、あとは先方からの連絡を待つだけである。夜のうちに連絡がくるかもしれないので、明日のお昼にまた研究所にくることにして家に帰ることにした。
家に帰るとなんとも殺風景である。もともと住むように作られたわけではないところを無理矢理フラットとして使っているのだ。洗面台と便器がある四畳ほどの部屋にカプセルシャワーが置いてある。バスタブはない。そういえばシャワーのお湯が異常にぬるいのだった。
西洋人は低温に強いらしく、海外に行くと朝っぱらから屋外のプールで泳いでいたりするが、それと同じ理由でシャワーの温度はこんなものらしい。たのむよ、もう。
というわけで、今度借りる家はバスタブがあることが絶対条件である。


1998年06月02日(火) 緑と申しましても

−この色の名前が言えるかね。

はあ、「緑」ですね。

−じゃあ、こっちの色は。

あ、こっちも「緑」です。

−同じ色かね。

いや、ちょっと違うな。あ、わかった。こっちは「黄緑」です。

−この色はどうかね。

えっと、「深緑」です。

−これは。

「モスグリーン」かな。

−これは。

「エメラルドグリーン」、ですね。

−これは。

「黄緑」。

−じゃ、さっきの色と一緒かね。

いや…。そういや、さっきより薄いから、「白黄緑」。

−そんな名前があるかね。

ええと、じゃ、「ペパーミントグリーン」。

−こっちの色はどうだ。

ええっと、それは「萌黄色」です。

−こっちの色は。

ええと、ええと、ええと、「濃い深緑」です。

−じゃ、これは。

それは…(灰色がかってるよな、でもモスグリーンより白いし…。)「白モスグリーン」

−だから、そんな名前があるのかね。

はあ、でも説明できないっすよぉ。「シルバーグリーン」なんてありましたっけ?

−ふむ。どうだったかな。知らんな。

あ、実は言えないんじゃないんですか?

−ばっかもん。人のことはどうでもよいのじゃ。
これで一口に木々の緑といってもいろいろあることがわかったじゃろう。
どうだ、恐れ入ったか。

参りました。


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というように、カレッジの庭の木や草の緑は実にさまざまで、とても識別しきれるものではないのでした。


1998年06月01日(月) 英国のバラ

最近は日本でもガーデニング(Gardening)という名の庭仕事が流行っていて、英国式の庭(English Garden)もずいぶんポピュラー(popular)である。こちらでは庭は一つの財産であり、有料で見学させたり、日時を決めて一般公開することも多い。

英国式の庭は、あまりかっちりと整形しないように思う。テレビや写真で見るベルサイユ宮殿の庭のように、噴水があってその周りに刈り込んだ植え込みが幾何学的に配置されている、といったようなものではない。秩序よりもむしろ野趣を尊ぶようである。ハンギングバスケット(hanging basket)に代表されるように、いわばごた混ぜに植わっていることが多い。
これは昔イギリスが植民地から多くの植物を持ち帰ったことに由来するという。とりあえず植えてみた中から風土に合ったものが残ったということになる。

このため、庭には実に多くの種類の花が咲くのだが、この時期もっとも見事なのはバラである。日本ではあまりバラを普通の家で見かけたことはない。虫がつきやすいとか、育てるのが難しいとか聞いたことがあるが。バラはよほど英国の風土に合うらしく、さして手入れをしているとも思われないのに美しい花を次々と咲かせている。
ダイアナ元妃がなくなったとき、エルトン・ジョンが「さよなら、英国のバラ」と歌ったが、さもありなんと思わせる。

庭に植えてあるバラは、花屋で売っているような真っ直ぐな茎をもったものではなく蔓性で、それが古い石壁をつたって戸口を飾っていたり、低い植え込みになっていたりするさまは、夢のように美しい光景で、幼い頃に読んだ「不思議の国のアリス」を彷彿とさせる。今にもトランプの女王がでてきそうである。
花の形もなじみのある幾重にもなったものから、一重のものまで、色も大きさもさまざまである。大輪で一重のものは、椿がバラ科だったことをなるほどと納得させるし、幾種類もが植え込みになったバラは、少し離れて見るとそれ自体が大きなバラの花束のようである。

前にも述べたように、私は英国の企業であるローラアシュレイが好きで、洋服を始めいろいろなものをもっている。ここの製品の特徴は、さまざまな花をモチーフにしたロマンティックな柄なのだが、この土地でさまざまな植物をみていると、ローラアシュレイが生み出されたのがよくわかる。庭に植わったバラから、野に咲く小さな草花まで、モチーフになっている花は本当に実在するのである。

余談だが、今住んでいるところから歩いて十分のところにローラアシュレイの店舗がある。店の奥のほうには季節外れや半端ものになったものを安く売っているコーナーがあって、大体定価の20%OFFである。さぞ毎日楽しいことだろうと思われるが、実はそうでもない。合うサイズがないのである。日本で売っているものはほとんど日本人向けに作り直したものなのだ。ここでは大きいサイズは果てしなくあるのだが、小さいサイズは一番小さいサイズが日本でいう9号である。しかも9号といっても丈が長めな気がする。イギリス人でも背の低い人はたくさんいるのに、そこらへんはかたくならしい。
しかし背の高いイギリス人がローラアシュレイを纏った姿はさすがで、つくづくアングロサクソンのために作られた服なのだな、と感心する。
ローラアシュレイにかぎらず思うのは、「日本人は洋服を着ちゃいかん」ということである。「洋服」とあるからにはやはり西洋人のためのものなのだ。

庭も同じである。日本でいくらイングリッシュガーデンをとりいれたとしても、この空気、この気候、この風土があってこそ成り立った庭であって、形だけもってきても、魂が入っていないというか、どこかちぐはぐで借り物のようである。
やはり英国にはEnglish garden、日本には日本庭園である。


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