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1997年08月26日(火) 良薬口に…

このところ更新が滞っております。
かといって、その分研究の方が捗っているのかといわれてもですね、なんか、こう、夏枯れというか、塞がってるわけです。体調も悪いしな〜。これはバーベキュー2連チャン(この件に関しては待て次号)が響いているのかもしれませんが。お腹の調子が悪くて、食欲も今ひとつ湧きません。
こういう時は地元に古くから伝わる秘薬を飲むといいらしい。この辺の薬局じゃどこでも売ってるというので、早速買い求めて参りました。
(合)中屋商店の『混元丹』。なんとも渋いパッケージであります。「生薬配合製剤」、効能「滋養強壮」でございます。
その名の通り、いろいろな薬の元が混ざっております。成分表を見るとですね、

ビャクジツ、ガジュツ、ニンジン、ゴオウ、シュクシャ、コウブシ、ブクリョウ、コウボク、キキョウ、オンジ、カンゾウ、アンナカ、モッコウ、グシュユ、オウギ、タルク、サンヤク、梅花、天竺黄

どうです、混ざってるでしょう。いかにも効きそう。私なんてニンジン位しかわかりません。あ、キキョウも知ってる。でも、桔梗のどの部分なのか?そもそも花の桔梗のことなのか?じゃあ、オウギは扇子のことなのか?タルクって?…う〜む。

…で、これらの生薬を合わせて水飴で練ってあります。ぱっと見た感じでは、練り梅ですね。色も。匂いはお線香みたいです。味はというとですね、線香味です。お線香を食べたことは無いですが、きっとこんな味に違いないだろうって感じ。線香味の水飴ですね。
でもそんな枯れた味じゃなくてもうちょっと『味』を感じるんですが、いかんせん漢方には疎いので舌の方も分析できないようです。

これを食間、日に3回服用する。
添付の小さなプラスティックのスプーンですりきり一杯。食間といっても、食事の間じゃなくて食事と食事の間ですよ。念のため。食事中に飲めったって飲めませんよ。いやな味じゃないんですけどね。なんせ線香味ですからね、勇気が要ります。
今のところ、日に2回が限度です。舌の先にちょっと乗せて、できるだけ味わわないようにして、ゴックン!と飲み下す。

いや〜。良薬口に苦しといいますが、甘くてもねぇ。でもこの試練を乗り越えただけでも効いてくる気がするじゃありませんか。


1997年08月17日(日) 走れ弁慶号

交差点で信号待ちをしていたら、弁慶号がサイレンを鳴らして颯爽と目の前を走り抜けていった。
弁慶号といってもSLではない。白いボディーに赤いライン。脇腹に『小松市中消防署』の文字。上部には勘亭流、つまり歌舞伎文字に似せた丸みを帯びた筆太の書体で『弁慶号』とある。ぴ〜ぽ〜。
やはり「弁慶号、出動せよ!」とか言われて小松中消防署を出て来たのだろうか。
市民からも「弁慶号でお願いします」とかご指名があるのかもしれない。今ごろ「しっかり! 今すぐ弁慶号が来ますからね!」と弁慶号の到着を待ちわびているのだろうか。
…つい不謹慎なことを考えてしまった。ぴ〜ぽ〜。

なぜ小松に弁慶が、というと実は空港近くに『安宅の関』という関所跡がある。歌舞伎「勘進帳」での舞台となったところである。
はは〜ん、あれか。と思わない諸氏の為にさくっと説明を致しますとですね、頼朝に追われた義経に従った弁慶らが、奥州へ落ちる途中にこの『安宅の関』を通ったわけです。なんといっても全国指名手配犯なので、関所も厳戒体制で待ち構えています。しかも関所の責任者である富樫はかなりのキレ者。そこへ山伏姿の弁慶一行が現れます。ぴ〜んち。
ところが弁慶は、寺の建立資金を集めに行脚しているといい張って、白紙の『勘進帳』を読み上げるわ、ふるまわれた酒を桶で飲み干すわ、荷物運びに変装した義経が疑われると、持っていた錫杖で義経をドカバキ殴るわで、さすがの富樫も義経主従と知りつつ、弁慶の剛胆さと機転に免じて見逃します。男だねぇ。

というわけで、小松の人達は弁慶が大好きとみえて、関所跡の弁慶、義経、富樫、の像は勿論、そこら中に
弁慶が座った石とか、
弁慶の読んだ『勘進帳の原文』(笑)とか、
弁慶が義経へ非礼を詫びた『弁慶謝罪の地』とか、
弁慶が乗った救急車とか、あるわけです。
そうそう、空港に向かう橋の上には弁慶とそれを見送る富樫の像があって、この二人は4月になると交通安全のタスキをかけてますな。
う〜ん。おちゃめさんっ!


1997年08月15日(金) 教会のおじさん

小さい頃、近所に「教会のおじさん」が住んでいた。といっても、ただ私の幼稚園の教会に通っているので、両親が勝手にそう呼んでいただけである。
本当の名前は「ナカダコウジ」といった。
ナカダさんは脳性麻痺だったらしい。体をくねらせながら松葉杖をついて、よく近所を散歩していた。父は庭に出ていてナカダさんの姿を認めると、家の中の私に向かって「玲子、教会のおじさんが来たよ」と呼びかけるのが常だった。私は靴を履いて出ると、ナカダさんと話をしながら一緒に家の周囲をぶらぶらと歩いた。子供の足はナカダさんの松葉杖の速さとよく釣あっていた。
ナカダさんは重い吃音だったので、話をするのも時間がかかった。好きな食べもの、兄弟、テレビ番組といった他愛もない話を、時間をかけてしながら、ゆっくりゆっくり歩いた。

やがて私が自転車に乗るようになると、ナカダさんよりずっと速く進んでしまうようになった。私はぐるぐると蛇行したり、自転車を押して歩いてナカダさんのペースに合わせた。今みたいに車の量もスピードも激しくなかった。のどかな時代だった。
一緒に歩いていると、たまによその子が「なんで杖ついてるの?」尋ねてきたりした。ナカダさんは「病気なんだよ」と吃りながら答えていた。それだけだった。誰もナカダさんをからかったりせず、かといって哀れんだりもしなかった。ナカダさんはその風景の中にいた。

一度家までついていって上がりこんだことがある。ナカダさんの年取ったお母さんは、お琴の先生をして生計を立てていた。家の中には押入を改造した専用の通路があって、お弟子さんがいるときには、ナカダさんはつい立ての後ろを這って移動する。ナカダさんは、外出する他は聖書の勉強をしたり、内職をしたりして過ごしていた。きれいな幅広のテープを使って聖書に挟むしおりを作るのが仕事だった。小一時間ほど内職を手伝って家に帰った。冬の寒い夕方だった。


いつの間にか、ナカダさんの姿を見なくなり、家は改築された。「お琴教室」の看板はなくなっていた。
あの頃、どんな気持ちで両親がナカダさんと交流させていたのか、聞かされたことも尋ねたこともない。特別何も考えていなかったのではないか。つまりそれほど、それは彼らにとって当り前のことだったのだ、と思っている。


1997年08月11日(月) メモする内回り線

《文体実験…休日のサラリーマン心の声》

あー疲れた。
今から家に帰ると大体8時か。とりあえず、ビールだな。結局一日つぶれたな。しかし、休みの日の渋谷っていうのはひどいね。 荷物も重いしなぁ。なんだこりゃ。あぁ、テキストか。こんなもんのためにあんな受講料払うのかねぇ、結構な商売だよ。そうそう、本屋でも買ったよな。
「初めてのホームページ」、か。
どら、なんだ字ばっかりじゃないか。何が初心者向けだよ。
ホームページっていうのは、なんかこう、絵とか写真ばっかりってもんでもないのか。ま、あとにしよう。
しかし、世の中の進み方も速いよな。いまやワープロ打てるぐらいじゃなんてことないもんなぁ。いきなりインターネット時代に向けてとか、ブチ上げられてもなー。
それにしても中間管理職はつらいよな。
若い連中は勝手にどんどんやってるし、上は上で「エグゼクティブセミナー」だもんな。何が「インターネットで動向をチェックしろ」だよ。まったく、やりにくいよな。
俺はこうして、女房子供を残して、一人電車で2時間かけて休みの日に講習会にいってさ、インストラクターのおねえちゃんの前で恥かいてさ、あ〜あ。しかし、なんでインストラクターっていうのは、あんなキンキン声で話すのかね。

そういえば、明日は月曜か。そうそう行政書士のところに連絡しなきゃならないな。それから、インターネットするには、なんかいるっていってたよな。ああそうか、ニフティーに入るんだった。メモしとくか。そうそう、クレジットカードも要るって言ってたな。 『行政書士』『クレジットカード』、と。
あとは『ニフティーの入会のしかた』だな。使用料なんかも聞いとかなくちゃ。 『使用料』、と。
それが済んだらいよいよ俺もインターネットができるって訳だ。待てよ、講習会でなんか用語があったよな。ええと、ネットサーフィンだ。よく会社の奴らが「インターネットで夜更しちゃって」とか言ってるけど、あれは違ったんだな。このあたりで差をつけてやるか。
「いやぁ、ネットサーフィンで、つい夜更ししてさぁ」だな。なにしろこっちは、元手がかかってるんだからな。『ネットサーフィン』、と。
それから、他になかったけな。ヤホーだっけか、あれで見たいページ…、ページじゃなくて、ああ、サイトだ。サイトを探すんだよな。 『サイト』『Yahoo!』、と。
それから、なんとか、っていうタレントがテレビでインターネットのなんかやってるんだよな。なんてったかな、ビバリーヒルズみたいな名前だよな、チバ、チバ、あ、そうかちばれーだ。『チバレー』、っと。
なんだ、結構覚えてるじゃないか。

これなら若い連中にも負けないぞ。せっかくだから、秋葉原にも寄って帰るか。


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