右となりの席では、カップルが神妙な顔で長い話をしている。別れ話かもしれない。 左となりの席では20代前半のOL2人が、上司の悪口と彼氏の話で盛り上がっている。
中山は大学卒業を控えた暇な頃、他の人が何でそんなにも色々と話すことがあるのかと猛烈に知りたくなり、それを確かめたいと思ったことがあった。そこで、中山は1人でカフェに入り、隣席のサラリーマンの会話を始めから終りまで盗み聞きしたことがあった。 でも、そこには新しいものは何もなかった。上司が自分の子供ことを話し、部下が自分の家庭の事を話し、もうひとりの部下が新入りで可愛い宮前さんを狙っているというどこにでもある話があっただけだった。結局みんなどこにでもあることについて何時間も話しているだけで、本当にためになることを誰も話してないのだと、中山は気づいた。 中山は心底肩の荷が下りた気がした。なぜなら、自分が知らないところでためになる話が繰り広げられていたら、自分は置いてかれるんじゃないかという焦燥感を常にくすぶらせていたからだ。中山は特に目指しているものなどなかったが、漠然とだが生き急いでいる感を常に感じさせる人間だった。
「では、話を戻そう。『メディア批判』の小説ってどんな感じになりそうかな?」 と、念のため聞いてみようという感じで、石井が尋ねた。
「でさ、でもやっぱり小説が良いかなって思ってるんだよね。やっぱり多くの人に読んで貰いたいというのが条件にはしたいと思ってるんだ。いや、儲けたいから多くの人っていう訳じゃなくて、多くの人から総合されたレスというのは何らかの意味があると思っていて、それが正しいという訳じゃないんだけど、それによって得られるものは数が多いと少ないで違っていると思うんだ。統計学的にも、20人のレスより1000人のレスとなったら、その信憑性は全然違うからね」
「うん。なるほど。で、それで何を書くんだ?」
「うんそうだな。やはり、マスメディア批判かなと・・・」
「え、マスメディア批判の小説?それって理論書をかいた方が普通じゃないの?」 理解できないという顔で石井は言う。
「うーん。確かにそうかもしれないけど、やっぱり多くの人に読んで貰うというのは前提条件にしたいから小説かなと。ただし、小説を書いても芽がでないなら、エッセイや理論書に切り替えるのは最悪あるかなとは思うけどね」
「あれれ?中山先生は全然煮え切りませんね?」 と石井は茶化す。
「だって、やっぱ今の生活があるじゃん!別のところに飛び込むってことは、今の生活に影響がでちゃうからコンティンジェンシープランも考えてやりたいんだよー。でも、やっぱり、リスクヘッジで考えすぎかなぁ?」
「そりゃそうだろ!だって、もう姿勢が飛び込んでないもん」
「だよなぁ。。ハハハハ」 店内のぼんやりとした空間を見上げながら、中山は言った。
「リリックかぁ・・・」 少しニヤリとしながら石井は言った。
「ラップが全盛ってこともあって、リリックって最近流行ってるじゃん。でさ、『リリック2.0』っていう本がバカ売れらしいよ。確か朝のニュースでもやってたけど、あれどう思うよ?」 といきなり神妙な顔で石井はレスを要求する。
「リリック2.0がバカ売れですかぁ。。。うん。確かにね。俺もあれはあれで来るとは思ってたからね。想定内だけどね。俺はどっちかというと、昨日の新聞でどこかの大学の教授が言ってたけど、実はリリック2.0ってそんなに長くなくて、3.0の時代になるっていうのに注目してるかなぁ」 明らかなキラーパスに一瞬戸惑いを感じながらも、とっさの判断でうまく受けとってセンタリングを上げたぜと思いながら、中山は悦に浸る。日本代表でもここまでできる奴はそういない。
「おぉ3.0ね。そうそう。それもあるっちゃあるね。で、教授の名前って何だっけ?」
「あーたしか、タムタム・マンゴー」 自信満々で答える中山。
「え、え、タ、タムタム・マンゴー?」 「うん。タムタム・マンゴー」 「タムタム・マンゴーか。。。そうか。。。で、ギニア人だっけ?」 トラップミスをして完全に半笑い状態のなか、苦し紛れになんとかリターンする石井。それを見てそろそろ終盤だと中山は判断する。
「ギニア人?なに言ってんの?あれ犬じゃん。犬で大学教授やってるタムタム・マンゴーじゃん。今更どうしたよ?」 「おぉ、そうそうそやったな。忘れてた。ど忘れしてたよ。ハハハハハ」
ひと時の静寂のあと、対戦を振り帰りながら石井は本音を洩らす。 「しかしさずがですな中山先生。そこで、犬がきますか。やっぱ、すごいわ」
「まーでもソフトバンクのパクリだけどね。ハハハ」 自分でも会心作だと思いながらも中山は答える。
しばらく考えて、しかし17時35分になる前に、中山は言った。 「最終的に到達したいサイズは解ってる。ただ今の段階でそのサイズを着ようとするのは早いのかもしれない。着てみるとだぼついて今よりさらに動きづらくなる可能性は十分にある。ま、それが二の足を踏ませているのだと思うんだけどね」
「だったら目指しているサイズに行くためにいったん中間地点のサイズを選んだほうが良いのかもしれないね。その中間位のサイズは解ったりする?」 と石井が言った。17時35分になっていた。
中山は首をひねって少し考えてから言った。 「解らないね。そしてたぶん僕だけじゃなくそれは誰にも解らないと思う。どんなものでもある地点から誰に聞いても解らない領域があるんだと思うだ。そのタイミングや運が大きく関係してくる領域になると誰も確かなことは言えない。なので、結局は着てみるしかないと思うんだ。着てみて判断するしかないと思ってるんだ。最初はだぼついてても、少しづつなじんだり成長したりで結局はぴったりになっていくんじゃないかな。うまくいけばね。でも、それでも何年もだぼついてるなら、それはやはり合ってないってことを納得するしかないんだと思う」
「確かにね。そうかもしれない。解らないことかもしれないけど、何事も仮説がないとはじまらないよな。じゃあ、デザインはどういう具合になってる?」
「そうだね。それが文字を使ったことであることまでは決まっているんだけど、小説を書きたいのか、エッセイを書きたいのか、論評をかきたいのか、それが全く絞り込めそうもないんだ。歌詞でもリリックでも良いとさえ思ってるくらいなんだ」
「しかしさ、現実はローンを抱えてせっせと家族の為に働いて、ちゃんとイベント時にはプレゼントして、だから家族円満で、で、たまには自分の為の娯楽がちょこっとできれば御の字なんじゃないの?俺は子供が2人もいるし、この状況じゃ俺は勝手なこともできないと思ってるけどね。たまのゴルフ位が生きる意味だと思ってるよ」 眉間にしわを寄せて石井は言った。石井の事は好きなんだけど、この顔だけはあまり好きになれないなといつもと同じように中山は思った。 「うん解るよ。で、でもさ、それで終わったんじゃつまらくない?そこに『危機感』を感じているんだな。僕は」と、真剣な表情で中山は言った。
ただ、言ったそばからその危機感がとても薄っぺらなものになって、消えてしまっていた。本当に危機感を感じている奴は、自分のようにうねうねうじうじ言ってないし、結局言い訳だけして色んなモノを先延ばしにしないし、他にも云々、、、と、思ったからだ。お菓子を食べながら「ダイエットしたいのよね」という太った女子高生と全く同じだなと、中山は心の中で一人で失笑した。
ただ、中山の眼は真剣で、それを受け止めたのだろう石井は、こう言った。 「OK。わかった。じゃあ今の服が小さいとしてみよう。そうすると、今の自分のサイズにあう服をみつけなきゃならない。なら、次に着る服のサイズやデザインは決まっている?」
「サイズとデザインか。。」 中山は腕を組んで考えてみる。いや考えるふりをしただけかもしれない。「サイズとデザイン」と心の中で反復しても何もイメージは浮かんで来ない。そして、ふと5年前の自分が新人の頃を思い出す。何も出てこないという状況なのに上司に「本当に他にないか?本当にそれでいいの?」と詰められた時のことだ。どれだけ自分を詰めても、何にも出てこないのだ。逆に、詰められることで集中力を失い、更に解らなくなるのだ。一般論として、見えてる人は見えてない人のことが解らないから、これは仕方ないことだろう。だが、だとしても、こういう時、上司はどうすべきなのか?正解を伝えてしまえば、良いのだろうか? 中山はその時の状況も反芻しながら、サイズとデザインについて考えていた。時間は17時34分を指していた。
「でもそもそも、お前の考えって聞いてくれる人がいるの?ニーズがなきゃ続かないぜ。自分が言いたいことがある。それを聞きたい人がいる。需要と供給。それがバランスしているからビジネスになるんだ。」 両手の掌を天井に向け、それを揺らしながら石井は説明する。右手が需要で左手が供給。それがバランスしているらしい。両手の掌を使って説明をする石井のいつもの癖だなと中山は思った。
「供給しかないなら自分のブログで垂れ流すしかないよな。でも何でそんなに伝えたいんだろうね?有名になりたいからか?」
「違う」
「儲けたいからか?」
「違う。たぶんなんだけど、体系化する自分の考えを広く世に出すことで次の段階に入りたいからなんだと思う。なんだか、もうここは窮屈なんだよ。高校卒業と共に田舎を飛び出し大阪に出た。就職と共に関西を抜け出し東京に出てきた。東京に来て丸6年。なんだかここも見慣れたんだ。直観的に言えば・・・」
「直観的にいえば?」
「直観的に言えば、服がもう小さい気がするんだ。だから窮屈なんだ」
「へぇー。なんか気取ってんじゃん。ていうかお前相変わらずイタイな。ハハハ」
「イタイでしょ?」
「でも、ヒーローとイタイことって同義だから気にするなよ。ハハハ」
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