いつもの日記

2002年05月28日(火) 携帯壊れた

携帯壊れた。

完全にデータが飛んだ。

電源は全くつかない。

携帯を持つことに疑問をもっていたから、せっかくだしこの機会にもう携帯は止めた。

と言う訳で、僕の携帯に電話をかけても、もう通じません。

今でも不通ですが、明日正式に解約するつもりです。

でも、友達の携帯電話の番号データが無くなったのは、不便です。

だから、これを見られた方は、是非あなたの携帯番号を記してメールをください。

お願いします。そんな報告でした。



2002年05月23日(木) 僕は最近こんな事を思った。

ある事柄に対して世論やメディアの意見がどうであれ、
自分が感じたことが、この世界の事実である。

他人が感じていることがどうであれ、昔から伝わった歴史の本がどうであれ、
自分の感じていることが、この世界では事実なのである。

「事実」とは「自覚」である。

最近僕はとてもそう感じる。

これは教えられたり、学んだ訳でもなく、そう感じるようになった。

もしも、前から信じていたある自覚が、ある刺激によって改まったなら、
事実も改まったということである。

最初から事実があったのではない。

僕は最近こんな事を思った。

ここで断っておきたいのは、事実は真実では無いということ。
この世の様々な事柄に対し真実を突き止める事は、極めて難しいということ。
しかしながら、真実を求めることはとても大切だということ。

こんなことも付け加えてみた。



2002年05月20日(月) 主張

「あなたの考えは行き過ぎている。もっと色んな可能性を考えたほうがいい。
 その事に関する事は、君の言う事だけじゃないから決め付けないほうがいい」


「でも僕は、他の可能性を考えていない訳でも、別に1つに決め付けている訳でも無いです。
他の可能性もある程度考えているし、他のこともあると思っていますが、総合的に判断して、
『これだ』と思った事を言っているだけです。

 第一、色んな可能性ばかりを求めていたのでは、主張は出来ないし、
 自分の意見を持つ事も出来ない。

 そして少し見方を変えると、それは自分の考えを決め付けない事で、
 『ただ逃げているだけ』とも思えるんです。僕からすればですが。

 問題やテーマには様々な考えがあって当然です。そして、色んな主張があって当然です。
 僕の友人が『答えが無いから問題があるんだ』というような事を言っていました。
 まったくその通りだと思います。
 答えが無いから、皆が考え、色んな主張があるのです。

 あなたの言う、
 『その事柄には色んな可能性があるよ。それだけじゃない』
 なんて、そんな当たり前のことを大人面、先輩面で言わないで欲しいのです。

 批判したいのなら、『俺はこれについては、こう思う』と言って欲しいのです。

 僕の言っている事が解りますか」



2002年05月18日(土) 無駄なものなんて何も無い

桜井はニューアルバムの中のある歌の中で、
「この世に無駄なものなんて何も無い」
って歌っていたけど、本当にそう思う今日この頃。

みんなは何をして週末を過ごしているのかなぁ。



2002年05月15日(水) 昨晩の思考 23:30

弱い人間ほど他人を認められない。



2002年05月14日(火) 憎しみからは何も産まれない

とっても単純なことだが憎しみからは何も産まれない。

過去にあった事をわざわざ持ち出して、現在に産まれて育つ何も感じていない子供達に、
憎しみを呼び起こすようにされる行為(ある特定のものを憎むようにされる教育)は、
本当に意味がない。

ただそこにあるのは未来にもたらされる災いだけだ。

その歴史が善であろうが悪であろうが、現在生きている僕らはどの歴史も否定できない。
歴史を否定する事は、自分の存在を否定する事。

歴史はただそこにあり僕達とこの世界をつないでいる証のようなものだ。



2002年05月08日(水) ラッシュ

山の手線の朝のラッシュは大変だね。
ほんとに身動き取れない。

こんなに身動きが取れないのは、
ピッコロに右手一本以外を致命傷を受けたゴクウのようだった。

おっさんの汗っぽい頭が目の前にあって大変だね。
ゴクウのように、
「右手一本残っているぞー」
って叫びながら、カメハメ派が撃ちたくなった8時半。



2002年05月07日(火) これみよがし

京都府北部にある実家から大阪までバスで戻ってきて、
それから新幹線で東京に戻る前に、小学校からの友人である幹人君と会って話をした。
そこは朝の8時の新大阪のロッテリアだった。

彼はこのGWには実家には帰らなかったので、僕が実家の話を彼に聞かせた。
また高校の同じクラスメートの現状などを話し合った。

僕が居た高校でのクラスは進学クラスで、いちおう学力の高い人達が集まっていた。
しかし、その進学クラスにいた多くの人は、高校卒業以降の活躍はあまり聞かず、
まっとうに社会に順応している人が少なかった。

僕はその原因を幹人君と話し合っていた。
また彼らの多くはその社会に順応できない反面、
趣味など勉強以外の処において自分を見出そうとするものが多かった。

そういう現状に幹人君は、
「誰もかれも、これみよがしに趣味に走っているな」
と言った。
 
「これみよがし」
こんな言葉をさらりと使った彼に、僕は「やはり」と思えた。

***
これみよがし:(形動)〔「がし」は接尾語〕これを見よといわんばかりに、
得意そうに見せつけるさま。「―に飾り立てる」「―の態度」


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