2001年12月31日(月) |
おおみそか(大晦日) |
餅ついてペッタンコ。
餅ついてペッタンコ。
餅ついてペッタンコ。
餅ついてペッタンコ。
餅ついてペッタンコ。
という具合に、5回も一気に餅つきしました。 かなり大変でした。 筋トレでした。
久しぶりに車を運転しましたが、なかなか巧いですね。 やはり伊達に免許はもっていません。 自分で自分を褒めてみた大晦日でした。
今日から実家に帰る。 僕の実家は、京都府の北の果ての天橋立である。
バスで帰るのだ。 2時間半の道中なのだ。
出発は13時新大阪のバス。 年末年始のこの時期はバスはバリ込み。
僕の実家行きのバスは通常の朝夕の2便に加えて、昼の便も増える。 そして、その日の昼の便はなんと2号車も出動という破格の扱い。
そういう経緯から僕は2号車の7番の座席で乗りこんだ。
僕は助手席も満タンになるほど、乗っているものだと思っていたが、 以外に通常の席すらもポツポツ5,6席ほど空いていた。
バスのテロを警戒してのキャンセルだな。 と僕は推測し、注意を怠らないように神経を張り詰めた。
しかし、横の席のおじさんは、既によだれを垂らして寝ていたから、 もういいやと諦めた。 正月だしなんでもいいや、めでたいんじゃあ〜。
2001年12月29日(土) |
年末最後のベストセラー |
「信号が待てる人 と 待てない人 」
−−− 書評 −−− 泣けます。震えます。やばいです。はにかみます。したり顔です。 信号を巡る男と女の大ロマンス・スペクタクル・スパルタンXの超大作。
何故だか解らないが、スマップ稲垣五郎メンバーも生出演。 またTVでおなじみの「ウサマさんの居所に密着救急24時」も掲載。
巻末には「笑う犬の発見」で大人気の「信号ゲーム」もついてます。 今すぐ近くの書店・コンビニ・キヨスク・ドラッグストア・自転車屋に急げ! IN STORE NOW!
2001年12月28日(金) |
擦り切れないように、たるまないように |
♪ たまには君と 出かけたいけど 色々とあるから そんな悲しい顔しないで
♪ 嘘でごまかして 過ごしてしまえば 頼みのしないのに 同じような朝がくる
斎藤和義の「走っていこう」と「歩いて帰ろう」から一部抜粋です。 いい詩です。
ONとOFFを使い分けて、擦り切れないように、たるまないように、 ある程度の緊張感をもって生きていきたいものです。
そのためには、その日その日をがんばって、自分のベストを尽くしましょう。 自分のベストの日を続ければ、必ず理想の自分に近づけるでしょう。
マイナスだって経験。最終決定は自分自身。
最後は自分を信じ、プラスに考えて前に進むしかないでしょう。 考えても解決しない事をいくら考えても仕方ないのです。
自分を悲劇のヒーローにして舞台にあげたってナンセンス。
そういう時は、音楽を聞きながらちょっと歩いてみましょう。 じっとしてないで、体を動かしてみましょう。 やる気はしないかもしれないけど、歩き出してみましょう。 そうすれば、新しい風とともに新しい発見が見つかるでしょう。
自分が一歩進めば、悩んでた自分は一歩うしろの自分です。 客観的に見れば下らないものです。 そんな事に悩んでないで、僕達にはやるべき事が沢山あるはずです。 やる気はしないかもしれないけど、腰を上げてみましょう。
逆境の無い人生は無いし、逆境に我慢できずに、わがままばかりじゃ成長できない。
筋細胞を一旦ちぎってやらないと筋力がアップしないように、 マイナスを乗り越えてプラスがやってきて、僕達は成長するのです。
擦り切れないように、たるまないように、緊張感をもって生きましょう。そうしましょう。
2001年12月27日(木) |
友達関係とは如何なるものか!? |
この先もずっと友達で居たい人に、 「いつまでも友達でいようね」 と何も考えずに言ったり、強制するかのように言ったり、 「友達関係は永続するもの」ということに少しも疑いもしないのは、 僕は間違っていると思う。
友達という関係は、強制されるようなものでもないし、永遠でもない。 ある人と友達になりたければ、その人に自分から近づいていき、関係を深める。 また、一旦友達になったからといって、友達をやめるというのも自由である。
そういう自由な関係が友達関係であって、強制力などは一切持たない。
世間一般において、確固たるものとして捕らえられている友達という関係は、 実のところ、なんでも言い合えるというフランクな関係でもありながら、 いつでも切れるし、いつでも切られるという緊張した関係であるともいえる。
僕は、友達関係というのはこういうものだと思っている。
こういった考えは、ただの僕一個人の意見かもしれないが、 僕は、この自分の考えが、正しいと思っているし、 その考えのもとで友達関係を形成している。
だから、僕は友達といえでも常に、 「こいつと友達でいたいな」 と思われるように、努力しているつもりだ。
ここで、「それは具体的にどんな努力ですか?」 と訪ねられても、万人に共通するような努力はないし、 巧く表現するのも難しいので答えないが、
自分にとってプラスになるように努力するだけではなく、 「ずっと友達で居たい」と思える相手にもプラスの力を与えたい と思って、頑張っているのだと思う。
適度に相互に刺激しあえるのが、なによりベストな関係であると思うが、 適度な緊張感を意識しつつ、お互いにとってプラスの力になるように努力することは、 良い友人関係を形成する上で、絶対に無くてはならないものだと思う。
こう書き出だしてくると、適度な緊張感とはどんな関係にも必要なんだなぁ。 と改めて感じますが、成長することが、第一の喜びという観点で進めていますので、 そうではないと思っている人には、あまり共感できないと思います。
2001年12月26日(水) |
研究室の忘年会(学生最後の忘年会) |
学生最後となる研究室の忘年会。
ちょっと感慨深かったです。 そのせいでいつもよりテンションが高めで、四六時中もアレコレ言ってました。 みんなを夢の中へ連れていこうともしましたが、誰もついて来てくれませんでした。
忘年会の鍋はまぁまぁそこそこでした。
その後はカラオケです。 やばいほど盛り上がりました。
長澤なんて汗で目がくらむほど動いていました。 僕もあれほど動いた時はなかったですね。
声なんてもう出ません。 枯れるという表現がピッタリなくらいすっかり枯れてます。
だからもしコレを見られた方で、近々会う方は、 「さっきから全然喋ってないようだけど、どうかしたの?」 と僕に質問しても、僕は答えることすら出来ないほど声が出ないので注意してください。
僕と会話をするなら、しばらくの間は筆談となるでしょう。 しかし、筆談というものは意外にいいものです。
先程、研究室の友達と筆談を行いましたが、かなり時間を要してしまい、 暇を持て余すことなどもう有り得ないと感じた次第です。
でも一番の問題はローソンバイトでしょう。 お客さんにこの事情をどう説明したらいいのか解りません。 何かいい案があれば教えてください。お願いします。
2001年12月25日(火) |
やぎさんゆうびんの意味 |
人の気持ちって本当にわからないですね。
自分がどう思っているのか他人にはわからないだろうし、 他人に自分がどう思われてるのかも絶対にわからないのですね。
でも個人は色々で、わかり易い人も居るし、わかり難い人も居る。 そして、他人の気持ちをとても解ってしまう人もいるし、全然鈍感な人も居る。
どれが良いのかと悪いのかとかそんな簡単なもので片付けられないから、 結局はなるようにしかならない。そういうことなのでしょうか。
子供の頃は、非常識や節度をかえり見ずになんでも出来たのに、 人は大人になればなるほど気持ちを隠したり、偽ったりすることにたけてきます。
自分自身に自信が無いから、自分の気持ちを全て出すのが怖いんです。 嫌われるとか、つまらない奴だと思われるのに恐れているんです。
だから、今現在の自分ではなく、自分のやってきた経験や実績や所属などを盾にして、 ありったけ見栄を張って、自分を表現するんです。
経験や実績や所属なんて言わなくても、それらは現在のその人を表しているはずなのに。 わざわざ言うんです。俺はこんなとこにいて、あんなことをしてきた。とね。
僕ももちろん言いますよ。人に良く見られたいですから。 ただね。心の中ではそういう風に「それは違うな」と思っているんです。 だから、あまり経験や実績や所属は言いたくありません。最近そう思うんです。
ここまで長々書きましたが、この文章に意味を見い出すことは難しいでしょうね。 書いてる本人の僕ですら、なにがなんだか訳がわかりませんもの。 はっきり言ってやぎさんゆうびんで作詞者が何を伝えたいのかわからないくらい、わかりません。
自分が食べたくせに「しかたがない」って、性格悪いね(友達談)
イブの夜8時くらいに吉野家の前を通ったのですが、若い女の子が4人で食べてました。
けっこう可愛らしい女子達だったのですが、どうしたのでしょう。
こんなことまで不況のせいにはしたくありませんが、イブの日に女4人でよしぎゅう。 なんてことは、意外にありえる事なのかなと、とても驚いた次第です。
でもよくよく考えてみると、そんな悲しい夜を彼女達が過ごすはずはありません。 私の推測するところ、彼が吉牛で働いているから、それを待っているのでしょう。
だから、実のところ彼女達は4人が個人で別々で来て、自分の彼を待つ間に意気投合して、 それで明日のクリスマスパーティーの事でも計画しているのでしょう。
たぶんそうだと思います。いや、そう信じたいです。 この日本のためにも。そして、彼女達のためにも。
本日はイブイブです。 だから特別にこんな歌はいかがでしょうか。 歌いながら読みましょう。
♪ 真っ赤なお鼻のトカナイさんは いつもみんなの笑いもの でもその年のクリスマスの日 サンタのおじさんは 言いました
「 暗い夜道はピカチュウが お前の鼻より役に立つのさ 」
いつもナイター見てたトナカイさんは 「今宵もかよ!」と三村調でした。
これではイマイチかな。それならこんな歌はいかがでしょうか。
初めのセリフ「めっちゃ醤油しみるわ。やはりビタミン不足がイケナカッタのかな」
♪ きっと君は口内炎 グロテスクな口内炎 あぁ B2無い B6無い
東京3日目は江ノ島へ行きました。 湘南海岸は、まるでハワイでした。 ちょっぴりサーフィンがしたくなりました。
富士山はとても綺麗でした。 垂れている雪が多かったので美味しそうなプリンのようでした。
3時からは長澤のいとこのカズ君の車で、三浦半島までドライブしました。 立岩のある海岸におり立ち、夕日を浴びました。
海水を手に感じようとして、岸で海から顔を出してる小さな石の上に乗ろうとしたら、 こけてしまって、左膝と右足とが海に浸かってしまいました。
ズボンと靴がびしょびしょです。 カズ君と平山と長澤に馬鹿笑いされました。 僕は「無し。これは無し」といいましたが、無しにはならないようです。
石の上にへばりついてた岩海苔が滑った原因のようでした。 こんなことにならないように皆さん気をつけましょう。
そのあと三浦半島の先にある風力発電の風車を眺めました。 真っ赤な夕日がシチュエイションを盛り上げました。 心なしか風車も頑張ってるようでした。
帰りの車の中では、「人間関係論」が白熱して疲れました。 平山は僕の話を全て拾おうとするので、大変厄介な子です。 僕の話は、基本的には流してくれないと終りません。注意してください。
晩御飯も再び長村亭で頂きました。 ほんとうに色々隅々までありがとうございました。
2001年12月21日(金) |
ルミネtheよしもと |
しんかい+みらいシンポジウムは2日間あって、本日金曜日もございましたのです。 が、昼ほどで切り上げてスターバックスで680円のランチセットをたしなみ、東京観光へ。
私の独断と偏見で、新宿にあるルミネtheよしもとのお笑いライブを見ることにする。 ルミネtheよしもとは、5じ6じ(\1000)と7じ9じ(\4000)の2回のライブがあるのだが、 ちょっと高いですが、7じ9じを見ることにしました。男4人で。
というのは「ネタまつり」と題した本日の7じ9じは、 なかなかお目にかかれない出演者ばかりだったからです。 ココリコ ハローバイバイ 2丁拳銃 山崎邦正 ぜんじろう 130R 水玉れっぷう隊 ランディーズ ニブンノゴ! ルート33 アップダウン というそうそうたるメンツ。
これを見ずして何を見ると言えようか。 そんなことを叫びつつ、体の津々浦々まで震えるほど笑ってしまった。
山崎邦正のネタなんて面白すぎて、笑い声を無理にでもこらえないと、 聞こえなくなってしまう。というぐらい面白かった。
という訳で、僕の視点で見た「勝手に面白かった順にランキング!」
1 山崎邦正:山崎シネマ「相撲映画としてのタイタニック」 *企画が最高。面白すぎ。 2 アップダウン:学校で小学生が演じる太陽にほえろのダイモン *ベタなんだけど巧い。 3 ルート33:普通の漫才 *ネタは忘れたけど。コンビとしてのバランスがいい。
4 130R:反対と書かれた立て札を持って板尾がずっと反対と言う。 *一番シュール 5 ランディーズ:普通の漫才 *コンビとしてのバランスがいい。テンポがいい。 6 ぜんじろう:「録画した自分のボケに突っ込む」 *意外に期待以上でした。
7 2丁拳銃:いつも通りの彼らの漫才。 *小堀(ボケ)が川谷(ツッコミ)に演じさせる。 8 ココリコ:漫才ぽいネタ *テンポが悪い。ココリコじゃないと笑えなかった。 9 ハローバイバイ:「故郷のお母さんが息子に当てた手紙」 *ネタとしてありがち
10 ニブンノゴ!:「ボディビル科というクラスに入って」 *メガネ部と同類 11 水玉れっぷう隊:「女子高生の政党が出来る」というネタ。 *最初から好きじゃ無い。
とまぁ、こんな具合です何かの参考にしてください。 でも、やはり生は良いね。良いよ。ほんとに。
しんかいシンポジウムと、合同で開催された第5回みらいシンポジウムで発表する。 場所は経団連会館で、会場はけっこう広く六百人は入れるようなところだった。
このシンポジウムは、しんかいやみらいを所有する海洋科学技術センターの主催だが、 公的な機関を法人化する傾向にある現在の時代の流れの中で、 海洋科学技術庁→文部省→独立行政法人 と位置が移り変わっている海洋科学技術センターにとっては、 大変重要なシンポジウムとなっているようであった。
僕は、「昨年みらいに乗ったから発表でもしておくか」 という軽い気持ちであったが、少し考えを改めさせられた。
この大変有意義のあるみらい観測を存続させるためには、研究成果の報告は無くてはならない。 研究の報告は観測のかなり重要な評価基準になるからである。 そんな事を考えさせられ、米山さんや勝俣さんに、ご指摘やアドバイスを頂いて、 更に研究を詰めていこうと思ったのでした。
夜は長澤の親戚宅である長村家にお邪魔した。 おっちゃんもおばちゃんもとても良い人で、 夜ご飯も寝床も色々と世話をしてくださって非常に感謝感激でした。 終わり。
2001年12月19日(水) |
2002年において僕達がすべき事 vol.4 |
そういう訳で僕は今リサイクルに凝っていて、着なくなった服を再利用している。 でも、間違えないでほしいのだが、着なくなった服を誰かに上げたり、 フリマで売ったりしてる訳じゃない。
ただ、着なくなった服を再び着ているのだ。 押入れの中で、冬眠している服達をわざわざ引っ張り出して、着るのだ。
昨日は、赤い綿のブーツカットパンツに、 腕の青ライン3本が目印の白ジャージで合わせてみました。
研究室のみんなが「おっ!?」という顔をするので、とてもいい気分です。 ちょっとウキウキします。ウキウキしすぎて猿になりそうです。 もちろんなりませんが。
それらの服は時代にあってないかもしれないけど、 その事を承知で着るのは全く問題ないようです。
しかし、本日はかなり引かれました。 というのは、ケミカルウォッシュのスリムジーンズ(短め)を掃いていったからです。 やはりこれは狙いすぎてて、誰も何も言いませんでした。突っ込みゼロです。
まさに兵糧攻めです。絶えられません。
まぁでも、気を取り直して明日もいこうと思ってます。 明日は当然、ユーイングのバッシュです。 頑張ってきます。でわ。 終わり
2001年12月18日(火) |
2002年において僕達がすべき事 vol.3 |
なんでか解りませんが、3回目になってしまいました。 ♪なんでなんでナンデ?(鈴木蘭々)←視聴できます。 耳を澄ましてください。蘭々の心の叫びが聞こえます。ほらね。いかがですか。
vol.1、2とも全然面白くも無い内容で、見返しても嫌なんですが、 質が悪くても見て見ぬフリをしてやらないと、毎日なんて書けないんです。
だから、今日の日記がたまたま面白くなかったからといって、見るのを止めたり、 お気に入りから削除したり、デスクトップにある僕のHPへのショートカットを消したり、 定期購読販売してるバックナンバーを買うのをやめたり、しないでください。
vol.1、2で大まかに現在の環境問題について言及してきたつもりだが、 各国がアレコレ言う前に、自分達一人一人が環境問題にとりくまねばならないと思う。 僕達はマジでビックリするぐらい躍起になって取り組まねばならないと思う。 ほんとにやばく真剣に。とりあえずここらで真剣に。無理から無理かも真剣に。ね。
こういう各個人の認識・行動が大切であるという考えは、結構根付いてきていて、 今の小学校教育では環境問題について教えているところがほとんどである。
環境問題に熱心な小学校では、使い捨ててしまう割り箸を再利用して、 割り箸鉄砲や、本立てや、鉄棒や、黄な粉餅を作ったりして食べている。
黄な粉餅はデザートとして取り扱ってますので、食事の後のお楽しみです。
そこでだ。最近僕も個人で環境問題に取り組んでいる。 個人ができる事は少ないが、一番とっつき易いところではリサイクルだろう。 ところが、しかしだ。ジャイアンが開くのはリサイタルだろう。 **************** あき缶 と ペットボトル リサイクル と リサイタル オーストラリア と オーストリア 間違わずに分別しましょう **************** という標語をどっかで見かけたかもしれませんが、 たぶんそれは「かも」ですので、Maybeですので気にせず行こう。
2001年12月17日(月) |
2002年において僕達がすべき事 vol.2 |
前回の話のつづきになるが、世界中が協力して、 環境問題に取り組んでいくのと歩調を合わせるように、 国単位でも環境問題に取り組む動きが目立ち始めた。
太陽電池や風力発電が注目を浴び、火力発電はのけ者にされた。
「すごいぞ。火力発電。すごいなぁ。火力発電」
と言っていた人達も、手の平を返すように太陽と風力に肩入れし、火力をけなして、 どんどんと火力発電は収縮していった。
そのような状況の元で、 遠いところからわざわざ僕の処までやって来てくれた火力発電1号機は、
「教えてください。僕達はこれからどうしたらいいですか?どうなるんでしょうか?」
と、息も絶え絶え叫んでいたが、僕は、
「時代の流れです。致し方ありますまい。」
と言って、天狗で一緒にジントニックを17杯飲まなくてはいけなかった。
僕はとても火力は好きなのだが、このご時世で、この時代の流れからいって、 火力を肯定してしまうのはあまりにもバツが悪すぎた。 僕にできることなど、火力が好きなジントニックに付き合うくらいなのだ。
それから1週間後、僕は朝刊で 「火力発電1号機閉鎖」 を知った。
僕は、かじっていた食パンをテーブルに落として、突っ伏して泣いてしまった。 子供の頃泣いたように「えんえん」と。
「お父さん。どうしたの?何か悲しいことでもあったの?ねえ、どうしたの?」
4歳になったばかりの娘の声が耳元で聞こえた。
「大丈夫だよ。ただね、お父さんの大切なお友達の火が消えたんだ。でも、消えただけだよ」
右に座っていた妻も涙を浮かべていた。
2001年12月16日(日) |
2002年において僕達がすべき事 vol.1 |
2002年 人類は山田かつて無いほど科学技術を発展させ、如何なる事でも可能にした。 しかしここへきて人類は、環境問題という非常に重大な事柄に直面することになった。
「このままただ自分達の好き勝手に発展ばかりを続けていっては、地球がもちはしない」 と、専門家達は口々に叫ぶようになり、ある専門家はサジさえ投げていた。 また、ある専門家がフォークを投げて、そのフォークが、 ゴルバチョフの頭に刺さってしまったという話は有名である。
そのような専門家の勢いに押されるごとく、人類は、環境問題を考える第一歩として、 地域を代表する国々がまとまって会議を行うようになっていった。
日本で行われたCO2の排出削減を考えた京都会議は有名である。 会議では主題がかなり2転3転し、最後に往年のジャニーズグループ「忍者」が登場して、 バク転 をした時には、各国の皆さん何がなんだか解らなくなっていたが、 結局は、CO2において CO2→C+O2 を確立することで決着は着いた。
別のところで、 「その化学反応で出て来た炭素Cはどうするのか?」 という議論が白熱していたが、炭素獲得アミダクジ において、 炭火焼肉で有名な「牛角」が、まんまと当りを引き当てていた。
「炭火焼肉でん」の社長はかなり悔しがっていたが、 焼畑に使用したがっていたニジェール共和国の人たちも、唇を噛み締めていた。 焼畑が砂漠化をかなり促進している事に、彼らはまだ解っていないようだ。 僕は、彼らがこの会議にくる資格があったのだろうかと、ただ疑問系であった。
リクルートの忘年会が済むやいなや、ボクシング部の忘年会です。
かなりハードですが、これくらいしないと年は忘れられそうもないので、仕方ありません。
例年どおり、練習してから、忘年会です。しゃぶしゃぶです。 狂牛病と世間は騒いでいようとも、美味しいものが安くで食べられるなら、 皆様あまり気にはしないようです。
僕達が食べていた店では、この寒い夜にも関わらず、 並んで待っている客がわんさか居るほどでした。
食べ放題、飲み放題でしたが、僕はほとんど飲まずに食べてました。 もともと多くはお酒が飲めないたちなので、致し方ありません。
先輩の近藤さんが、僕と同期のマネージャーの仲川さんと結婚することになったそうで、 忘年会に二人で現れて、みんなにやんややんやと言われてました。
僕にとってこれは、ボクシング部での最後の忘年会で、少し感慨深い気もしました。 来年には違う仲間達と年を忘れるのでしょう。同じように楽しめたらよいものです。 明日のことすら判らないけど、そう願っていたのでした。12月もこれで半分終わりです。
週末は色々とありましたので、今更ですが3日分をUPします。
書きたいことは山ほどあるのですが、時間が丘ほどもなく、 まさに海岸の砂浜で子供達が作った砂山ぐらいしか余裕は無いので、 砂山ぐらいしか書くことは出来ません。
僕達はいつも等速で移動しつづけるベルトコンベア-の上にいて、 アレコレもがいてるだけなんです。
14日の金曜日はリクルートの忘年会でした。 参加者は20人ほどで、4つの鍋を用意して、 水炊き、ちゃんこ、キムチ、トムヤンクン、の4種類の鍋をしました。 全ての鍋がそれなりに、かなり美味しかったです。
それに加えて、各自で購入した千円ほどの物を持ち寄って、プレゼント交換をしました。 これは本当に素晴らしい企画で、最高に楽しかったです。
「猪木カレンダー」や、「雅子さま赤ちゃんおめでとう写真集(CD付き)」や 「道路用白線引きラッカー」をプレゼントにするなんてなんて、とてもセコイです。
そんな事で忘年会はかなり盛り上がりました。砂山以上は盛り上がりました。
この会を準備してくれた皆様への感謝の言葉で、今日の日記を終らせて頂きます。
「ありがとう。そして、これからも宜しく」
大学の友達とカニを食べに行った。総勢9名。 僕は少し頭が痛かったのだが、もう予約してあるので、バファリンを飲んで出かけた。
カニはとりあえず美味しかった。 頭痛を忘れてしまうほど美味しかった。 逆に直ったんではないかと勘違いするほどであった。 カニの刺身を食べて、カニ鍋を食べて、カニ味噌を食べて、 さらに、ぷるんぷるんのカニの身をしゃぶしゃぶして食べた。 締めくくりのカニぞうすいも文句無し。良い。ただ良い。
そしてそのまま温泉へ。カニ→温泉 とは最高の組み合わせ。まさに極楽浄土。
露天風呂に浸かりながら、最高の気分を味わう。 う〜んいい。いい。いいね。最高。 そんな単純な語句しか浮かばないくらい、この上なく上々であった。
みんなも同じ気分だったらしく、タカイシは 「 Fuckin! A lot! 」を連発していた。
僕もそれに触発されて、 「 Much Fuckin! Very Fuckin! 熱いぜ Fuckin! のぼせるぜ Fuckin!」 と言っていたが、それ以上は誰も続かなかった。何故だろう?
そんなこんなでカニツアーは終了。チャンチャン。
と何事も波乱が無いまま終わる予定であったが、車に乗ってしばらくすると頭痛再発。 それから見る見るうちに様態が悪くなり、 「 帰るぜ Fukin!」と叫んでいた過去の栄光はどこへやら、 途中で車を止めてもらい、胃の中を泳いでいたカニカニカニを全てぶちまけたのでした。
慣れないものは食べ過ぎないようにしましょう。身分相応。
マシュマロ と聞いてその触感をイメージできる人は、日本に何人居るであろうか。
昨日、そのマシュマロを久しぶりに食べたのだが、 食べてみるとその触感はすごく不確かであって、 食べる前にその触感を少しもイメージ出来ていなかったことを改めて気付かされた。
ナタデココと聞くと、僕達はあのコリコリとした触感をイメージできて、言葉にできるのだが、 マシュマロは ふわっ というかなんというか、はっきり言って言葉で形容し難い。
マシュマロを ふわっ という言葉だけでは絶対表現できないし、 もしそれだけで片付けてしまっては、マシュマロは怒ってビルに攻め込んだりするだろう。
実際そのようなことは過去に何度もあって、 そのマシュマロの反乱を映画化したのが、かの ゴーストバスタ-ズ である。 この映画は、本当に駄作であるが、マシュマロの恐怖は充分に伝えることが出来ている。 と私は自負している。
僕達は、このような過ちを二度と繰り返さないように、 マシュマロを言葉で完全に表現できるようにならねばならない。
だが、科学技術が進歩し、ありとあらゆる有益な情報が交錯し、 私の父も家の畑で耕作している現代においても、 マシュマロを完全に描写する表現はいまだ発見されていない。
あの奥田民生でさえ「マシュマロ」を表現しようとしたが、結局は挫折した。 その経緯を歌った「マシュマロ」という曲の最後には、
♪ マシュマロは関係ない〜 本文と関係ない〜
とフレーズがあるが、民生の溢れんばかりの歯がゆさが伝わってくる。 民生の苦悩を描いたお勧めナンバーです。
そんなことで、一度みなさま久しぶりにマシュマロを食べてみて、 それを表現してみて、私宛まで贈ってください。よろしくです。
注意:マシュマロとマショマロはまったく別物です。間違えないように!
ローソンなどの小売店内には従業員専用口がある。 これはお客さんは出入りしないが、従業員が出入りし業務を行うための勝手口である。
その専用口には、たいていミラーがついている。 そして、どの店でもほぼそれはマジックミラーである。
お客さんは、それがマジックミラーだと解ってはいるのだろうけど、 (解っていないのかもしれないが) それで頭のセットを整えたり、ポーズをキメたりする。
僕はマジックミラーの中でたまたまそういう場合に遭遇するのだが、 そういうふうにセットしているのは、たいてい男である。
僕は、彼らが扉の前に居るから扉を開けることは出来ず、 彼らが満足してそこを立ち去るまでは、セットする彼らに付き合わねばならない。
それが嫌だからといって、レジ裏の方から店内に行くのは、負けてるようで気に食わない。 だから僕は、どこの馬の骨かも解らない男のセットに付き合わなければならないのである。
こんな風にして、とても大好きな朝の時間を、 無差別に侵害されている僕の気持ちを解っていただけたでしょうか。
可愛らしい女子高生ならまだしも、川村隆一と同点決勝でプレーオフになるぐらいの、 ナルシストで気色の悪い男なんて、心底かんべんなのである。
ということなので、お店のマジックミラーではセットを整えないで下さい。 日本全国のコンビニバイトを代表して、僕からのお願いでした。
2001年12月10日(月) |
ナイアガラの滝がライバル視するぐらいの汗 |
最近かなりの運動不足である。
だから最近僕は、研究室から大学の生協へ何かを買いに行く時は、走るようにしている。
この一文でチンタラのジョギングを想像している人は、そんなものふっしょくして欲しい。 僕の走りはそんな生半可なものじゃない。
走り屋のボスが、大きな手で僕の頭を撫でて、 「ボウズいい走りしてるじゃねぇか。おい!てめえらっ!少しはコイツを見習えよ!」
って言われるくらいマジである。相当マジである。 研究室から生協、生協から研究室、と走った後には、 ナイアガラの滝がライバル視するぐらいの汗が出てる。
研究室の友達はそんなナイアガラをみて、お茶をコーヒーを紅茶を、すするのである。
もし君が、大学で激走している人を見かけた場合、それは僕だと思ってくれて間違いない。
この近代化の波が押し寄せる現代の大学で、 普段着でスリッパで、バカみたいに走っている奴なんて何処に居るというのだ。 それは僕以外にありえない。
だから君がそのような人を見かけた場合、
「とりあえず頑張れよ!」 とか 「日記つまんねーぞ!」 とか 「4人兄弟の3番目!」 とか 「今日って何曜日?」 とか
なんでもいいから声はかけれるはずだから、声をかけるようにしましょう。
でも、断っておきますが、僕はその呼びかけにはたぶん答えないでしょう。
もし答えてしまって、ペースが落ちて、タイムが落ちて、走り屋のボスに呼び出される。 って事になっても、貴方は責任とれないでしょうしね。
2001年12月09日(日) |
マルチャン昔ながらの塩ラーメン 1食343kcal |
今日も朝は ローソン。昼から 学校 といういつものコース。
いつもと違うのは、奨学金の返還の手続きと授業料を銀行に納めるくらいです。 研究室に行く途中で、大学の生協に寄ると、在庫一掃セールと題して、 在庫で残ってるCDが半額。マルチャン昔ながらの塩ラーメンのカップラーメンが50円。 で売っていましたので、とりあえずそのカップラーメンを買いましてそれを昼食としました。
そこで意外に驚いたのが、このカップラーメンのカロリーの低さです。 それは油で揚げていないノンフライ麺であるので、1食当り343kcalとなっているのです。 甘い菓子パンがたった1つでも400cal前後しますから、それと比較しても充分に低いです。
この豊食の時代でありながら、ダイエットブームが根底で沸沸と脈を打ってる現在において、 食品メーカーも色々と考えてるんですね。感心。
という訳で、目下ダイエット中です。いつも腕立てしてます。 腕立て中におなかを見ながらすると腹筋も鍛えられます。 腕立てしかしてませんが、本日は 30回×5セット=150回 しました。
こんな普通の日記でも良いかなって思って書いてきましたが、読者は許してくれるかな。
フクイが、「最近、日記手抜いてない?」 と釘をさしてきますが、
「絶対に手は抜いてない。でも、すこし自分を抑えようとしている」 と答えています。
僕は日記を書く事は、とても意味のあることだと信じて疑いませんでしたが、 24歳の誕生日くらいから、この日記の意味の有る無しを考えるようになってきています。 やはり人は変化する生き物なんだなって実感してます。
「明日は巧く書けるかな。明日は巧く話せるかな。明日はいい日になるかな。」 その日が良い日であればあるほど、そのように思って心配になりますが、 どれだけ心配になっても、 その日の太陽は沈み、眠気は襲ってきて、新しい太陽が首をもたげて、 誰も知らない明日が始まっていくのです。
2001年12月08日(土) |
案内板すら見えてないオッサン達 |
この寒い時期になると、朝のローソンでは温かいコーヒーなどがとても良く売れる。
飲み物を買う客の7割が、温かいコーヒーやお茶を買っていく。 だから、こちらはこまめに補充しないとやっていけないから大変である。
まぁそれはよしとして、僕のローソンでは、温かい飲み物が欲しいお客さんのために、 「↓温かいコーヒーなどはコチラ!↓」 と、ホットドリンクヒーターの上にデカデカと書かれた案内板を置いている。
しかし、多くのオッサン達はそれすらも見つけれずに、 「兄ちゃん。この店にはあったかいコーヒーは無いんかい?」 とか言ってくる。
なんで、オッサン達はこんなに周りが見えてないんだろう。 そして、最近この傾向が特にひどいような気がする。 気がするだけかもしれませんが。
僕は24歳だ。
ローソンで同じバイトのウエタニさんは25歳だ。
ウエタニさんは、ちょっと聞いてよと感じで僕に、言う
「私なんてもう25歳よ。四捨五入したら30歳よ」
「へぇそうですかぁ。でも、ただ四捨五入しなかったらいいんですよ。 四捨五入しなかったら25歳のままですよ。」
こんな面白くない返事をされて、ウエタニさんは朝からストレスがたまっていることだろう。 と思うのだが、僕の口は何故かこう言ってしまうのだ。
2001年12月06日(木) |
30歳までにやらねばならない事 |
「べつにまだ学生だし、全然大した事無いよ」
「ううん。そんなことないよ。大学院なんてなかなか簡単に行けないでしょ。 そして、ほとんど両親の協力無しで、独力で生活してるんでしょ。凄いよ。 それに、こんなホームページだって作っちゃうんだから、やっぱり凄いよ。 ちょっと見直しちゃったわ」
「そうかなぁ。やってる奴はもっとしっかりやってるよ。俺なんて全然駄目だよ。 大学院の研究にしろ、自分の生活にしろ、ホームページにしろね。上には上がいるよ」
「何言ってるのよ。私にしたらシバヤマ君のやってる事ってとってもとっても凄いのよ。 私なんてパソコンも触らないから、ホームページの事なんて全然わからないし、 研究って言われても全く想像もできないし、 だから、シバヤマ君はもっととっても誇ってもいいと思うよ」
「ふーん。そんなもんかなぁ。 まぁでも、自分ではまだまだの俺だけど、30歳までにやらねばならない事があるんだ。」
「えっ、それはなに?なになに?」
「29歳の誕生日」
2001年12月05日(水) |
Kind of Sunday という名前の由来 〜後編〜 |
さて昨日の続きであるが、
「of の O に意味はあるのでしょうか?」
というもっともな質問を受けて僕はどう返答するかを説明しよう。 まずこれらを説明する前に、名前というものを根本から考えねばならない。
名前とは、 「性」 と 「名」 からなっている。
「性」 とは、家族全員が持っているもので、基本的には自分自身に全く関係は無い。 一方で 「名」 は、自分に与えられた名そのものであって、自分自身だということができる。
故に 「性」 = 「家族」 「名」 = 「自分」 という事ができる。
その 「性」 と 「名」 がくっついて、僕達の 「名前」 は出来ているのであるが、 その 「性」 と 「名」 をつなげているものは何であろうか。
それは 「血」である。それは「家族」 と 「自分」 をつなげている。
即ち、「血」は、「性」 と 「名」 をつなげている。
僕の O型の血 は K と S をつなげているのだ。
2001年12月04日(火) |
Kind of Sunday という名前の由来 〜前編〜 |
読者から 「 Kind of Sunday の由来は何ですか? 」というメールを頂く。 というような事は一度も無い。そんなメールは一度も無い。ありゃあせん。 でもこの質問に答えよう。それが今回の日記の主題。
僕はどんな事にでも理屈をつけたいタチだから、 単純に響きの良さや、安直なパクリとかは避けて名前をつけたつもりだ。 一番根本にあるのは、自分のイニシャルの K.S. で、それにちなんだというのが本音である。
名前をつけるにあたり K.S. で色々と考えた。
King Space や Kotti Sotti や Kyoto Shiga や Kinki Smap などなど そうそうたる候補が上がったが、ミスチルのアルバム「 Kind of Love 」 から少し拝借し「 Kind of Sunday 」と決まった。
僕のHPを見てくれている人は大体それは解っているらしく、 「どうせ桜井さんの Kind of Love のから取ったんでしょ。返しなさいよ。返してよ」 なんてメールを送ってくるが、そういうメールは開かない事にしているから問題は無い。
うっかり開いてしまって、今流行りのウィルスに感染してしまっては、 ニッチもサッチーも逮捕させられてしまう。
メールを開かない場合は問題は無いが、もっと理論的に詰めてくる奴はこんな質問をしてくる。
「Kind の K と、Sunday の S は解ったんですが、of の O に意味はあるのですか?」
この質問は本当にもっともである。慌てふためかねばならないくらいもっともである。
しかしながら、僕は、こんな質問にも答えられるほど充分な理屈を持っている。
少しあせっているように見せかけましたが、実は全て演技なんです。 だって冷静に対応するより少し焦ったほうが、ウケがいいからね。 〜前編〜 終わり
2001年12月03日(月) |
44歳になってローソンでローキック |
「日記がよく続いているね」
と色んな人から言われる。 大体は、自分の研究室関係者や、僕の昔の友達関係者や、僕の家族関係者や、 私のバイト関係者や、阪大ボクシング関係者から言われるのがほとんどであるが、
ゴクたまに、「いつも日記見てますよ。」 とローソンの客からも言われたりする。
そして、ゴクゴクと一気飲みできるくらいゴクたまに、 「応援してます。これからも続けてください。」 っていう女子高生も現れる。
「女子高生に声をかけられるなんて、いい世の中になったものだ」 と、ニヤピン賞をとれるくらいニヤニヤしながらレジを打ってると、
「レジを打ちながらニヤニヤするなんて不謹慎だぞ!」といきなり説教するオッサンもいる。
そんなオッサンには、「お釣りの代わりにおでんの大根を額につけるぞ。このやろう」 と思うのだが、やはりお客はお客です、あと一歩のところで踏みとどまるのです。
それから、僕はあの女子高生の笑顔を思い出して、 「しょせんオッサンのタワゴトだ。最後に愛は勝つ」 と自分を納得させて、また新たなオッサンに立ち向かうのです。
しかしながら、このオッサン達は何人倒しても何人倒しても、店に入ってきます。 ほんとにキリがありません。 だから最近では、彼らが店に入る直後にローキックで倒すようにしています。
ほとんどのオッサンは、なにも警戒せずにスタスタ歩いてやってくるので一撃です。 ごくたまに、飛び跳ねてやって来るオッサンに気をつけるくらいです。
いつまでコレを続けるのかは不明ですが、とりあえず命が20キたまるまでやるつもりです。
下馬評によると、20キは多い過ぎるかも知れませんが、 このサキユキ不透明なこの世の中においては、20キも少ないくらいではないでしょうか。 命は多いに超したことは無いですし、今後の激動の時代を過ごすには絶対必要だと思います。
20年後の44歳になってから命が足りなくなって、またこのローソンまで戻ってきて、 店の扉の前でローキックして命をためるなんてことは、絶対避けたいですからね。
2001年12月02日(日) |
リズム と 言葉の響き |
僕の日記には、文法上間違った使い方の慣用句や、故事成語や、諺などが数多く登場する。 それに負けじ劣らじ誤字脱字もかなりの数登場する。
この点に関し、読者に断っておきたい事がある。
それは、誤字脱字は意識せずになってしまう僕の性質であるが、 慣用句などは「文法上間違っている」と、充分わかっていて使っているということである。 間違ってることは百も承知です。わかっててわざとやってるんです。
なぜなら僕は日記の内容と同じくらい
リズム と 言葉の響き
というものに重きを置いてるからなんです。
それらが充分な働きができるなら、文法なんて見て見ぬ振りです。 文法なんて僕にとってはうざったい校則みたいなものなのですから。
2001年12月01日(土) |
コーヒーでも飲みながら・・・ |
土日とボクシングの試合を見に行ってきました。
やはり熱い。だからやはりイイ。イイね。 研究室の生活に比べると、とてもじゃないけど温度差がありすぎる。 後輩達も見違えるほど強くなってたし。
こんな事を書いていると、自分の意味をほとんど見出せない生活に嫌気が差してくる。
ふぅ。コーヒーでも飲みながら、音楽でも聞こうかな。
♪ ちょっとだけ増えすぎた 重い荷物なんて置いて行こう 大丈夫 なるようになるのさ いつでもそうやって笑ってたじゃない 大丈夫 なるようになるのさ 構わず行こう 思いのまま 「大丈夫」:斎藤和義
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