楽しい時。
みんなと馬鹿騒ぎしてる時。 自分が成長してる時。
前者は得易い 後者は得難い。
前者は浅い。 後者は深い。
前者ばかりだと生きてる意味が解らなくなる。 後者ばかりだと息がつまる。
だから、後者を求めつつ、前者を時折はさむ。 そんな生き方ができればいい。
こんな事ちっとも書きたくないのに。 色々と巧くいかない事があるものでね。
2001年10月30日(火) |
100%ノンフィクション |
本日も久しぶりにボクシングの昼練習に行きました。
後輩の増井とマスボクシングです。 全然やってないからバテバテです。 2ラウンド目なんて手が上がらないです。
受身的なボクシングになってしまいましたが、まとめるところはきっちりまとめました。 そのお陰で、強引ではあるが、相手の外側をとりつつの右のフックから左のボディを、 ドンドンドンと3連続に決めて、増井君よもやのレフリーストップです。
言っておきますが、この今日の日記は100%ノンフィクションです。 わざわざ見栄を張るために事実を曲げるような事はナンセンスですから。
2001年10月29日(月) |
昔の女友達と電話で話す。 |
彼女とは意外に長い付き合いがある。 僕と彼女との関係は、深くも浅くもなく頃合いである。 彼女は今の彼氏とちょっとばかり問題があるらしくそれを僕に話してくれた。
僕は聞き役は苦手で、どういう対処を取ったらいいのか解らない。 彼氏を批判したほうが良いのか、肯定したほうが良いのか、 彼女がどちらを望んでいるのか、そういうことが全く解らないのだ。
色々考えても解らないから、結局言いたいことを言う。 彼女が凹んでも仕方ない。 僕は正直に言うだけだ。
話が一段落して、僕のHPの話になった。
「けんちゃんの日記、私達の事を書いてくれないから読む気がしない。 だから日記は読んでないよ」
彼女はそういう人間だ。 基本的に自分以外の人間にあまり興味が無いのだ。
「自分が登場するなら読んでもいいんだけどね」 だって。
励ます事も考慮しつつ「君を日記で書こう」と約束し電話を切った。
数日後彼女から以下のようなメールが来た。
-----------------------------------------------------
*途中だけ*
あ、この前は電話つきあってくれてありがとう。 なんかすっごい溜まってた時で、バーンと色々聞いてもらっちゃって。 で、その後ですね、あたしは思いのたけを彼にぶつけました。 あたしはあんたのなんなのさー、みたいなことを延々。 わーわー泣きながら、、、です。
何をそんなにあたしは怒っていたのかは忘れてしまったんやけど。 結局奴もあたしの言うことをわかってくれたようで、一段落しました。 一瞬もう終わりかな、早かったな、とか考えたけど。 まだまだラブラブのようです。
------------------------------------------------------
らしいです。それは良かった。 結局は、面と向かって正直に素直になって話さないと何も始まらないのです。
みなさん、もっともっと素直に正直に生きましょうよ。 それが一番難しい事かもしれませんが。
週末に色んなことがあって整理がつかない。 そういう時はどうしましょう。
たぶん整理がつかないと思い込んでいるだけです。 整理はつきます。気持ちも安定してる。大丈夫。 そういう風に自分に思い込ませて今週も臨みます。
誰しもそういう風に自分を思い込ませる心持ち方法を知っています。 そういう心持ちの元でのちょっとした無理は努力であるし、望まれることなのだ。
なんだか意味の解らない日記になってしまってますが、仕方ありません。 心の奥で響いている車の爆音と、胸の鼓動がやまないからです。
2001年10月27日(土) |
自動車免許取得合宿の友達とドライブ |
4人がそろったのは10時であった。むろんAMではなくPM。
どこに行こうかとぐだぐだ言っているのが、ドライブでいいのだ。
初めにATCに向かう。 夜のATCは、昼のATCとはまったく違った場所になっている。 ストリートライブをしている者達は、あちこちかちこち、わんさかにゃんさかである。 だが、中には保育園児を自転車の籠に詰め込み、ぐるぐる走り廻している兄ちゃんも居る。 他には、夜釣りを楽しむ人が居る。昼には必ず夜釣りは楽しめない。 やはりここは昼とは全く違っているようだ。
次に向かった場所は、みんなが楽しむドリフト場。 その場所はこの時間帯普通の車は進入禁止なのだが、皆さんお構いなし。 100台は絶対に超える車が集まり、「ギャギャギャギャ」といってドリフトしている。 ほとんどの車は改造してあって、音は凄いし、おおかた車体が低い。 こんな低くては猫の死体も全てかっさらってしまって道が綺麗になってしまう。
ドリフトをしばらく眺めようとしてたら「ウゥ〜ン、ウゥ〜ン」とポリの登場である。 皆さんダッシュで逃げます。一気にその場から車が無くなりました。
次に僕達が向かったのは高速の1号環状線。 環状線というからにはグルグル廻ることが可能で、夜はココがサーキットになる訳です。 合流地点で止まって、僕達の前を250km/hで駆け抜ける車に見とれてました。 暫くしてまたまたポリの登場です。事故があったようです。
最後に向かったのは阪和道路の山道コース。 ここは高速の輩より音が凄い。「ババババ、ドドドド、ギャンギャンギャンギャン」 そんな感じだ。 コースの最初のストレートにあるバスの停留所で車を止めてこれまた見物。 時間は3時過ぎ。 僕はかなり眠くなり寝ようとするが、音が酷くて寝れやしない。
夜の集会を片っ端から回ったこの日はこれにて終了。 お腹が減ったから吉野家へ。 現在は狂牛病で大変だが、みんなの意見が一致すれば関係ない。
かなりお腹が減っていたらしく、みんな一言も喋らずに黙々と食べる。 そして、後は帰るだけのウイニングラン。
最後はマイ原茶に乗り換えて、八尾市から自分の部屋まで帰る。 帰宅時刻はAM4:45。
今夜出会った出来事は、僕とは全く別世界で、ひどく刺激的だった。 しかしながら家に帰った僕は10秒もたたないうちに即寝てしまった。 車が爆音で頭の中を駆け抜けていくのだが、僕の眠気はどんな車も追い抜いてしまったのだ。
「ブギって何?」誰かが言ったそんな言葉の赴くまま、僕はインターネットでブギを調べた。
-------------------------------------------------------------- ブギウギ: ブルースから派生したジャズ音楽の一形式。 1920年代後半にシカゴの黒人ピアニストの手により黒人の間に流行した。ブギ。 -------------------------------------------------------------- ブギウギは「リズム浮き浮き心づきづきわくわく」という言葉で表現し得ていると思う。 聴く者がなんとなく「ウキウキ ワクワク」するリズム、それがブギウギだ。 --------------------------------------------------------------
その時代には、ブギはTBSの社内用語になるほど成長していた。 この流れのおおもとは、あるディレクターの気軽な一言から始まった。
「アレコレ言う前にとりあえず、"ブギ"をつければいいんだよ!」
それから、ママハハブギ、予備校ブギ、ADブギ、が誕生した。
ブギがみんなの心を掴む速度は本当に速かった。 ディレクターは自分の双子の子供に「ブギ」と「ウギ」という名前をつけた。 会議などでは他人の意見に賛成する時は「ブギ、ブギ」といいながら頷いた。 仕事の後は、みんながみんな「とりあえず、ブギろうぜ!」と言って、呑みに行った。
それから、ブギは急速にカテゴリーを問わず広がっていった。 社員食堂ではブギ定食が販売されて一番人気になった。 ADブギの加勢大周までが「ブギ、ブギ」言い出して、仕事にならずに事務所が困った。 TBS社内での通貨はブギとなり、コーヒーは一杯200ブギだった。 収録は「3,2,1,ブギ!」で始まり、「おつかれブギ」で終わった。
だが、この流れも長くは続かなかった。 結局は、ブギは単なるブギであって、日本や世界を変える事は出来なかった。 フジTVは、「ブギはフジに対する当てつけだ」と批判した。 美空ひばりフリークはデモを起こし、「東京ブギウギ」を歌って、TBSまで踊って歌った。 ブギを商業道具として気安く使用するTBSに、いてもたってもいられなくなったのだろう。
このような流れに押されるごとく、ブギはいつもの地位へと戻っていった。 僕達は、そんなブギの時代を、バブルの時代と同じようにとらえるようになっていった。
そんなバブルのようなブギ時代が過ぎたあと、ブギをここまでに至らしめたディレクターは、
「アレコレ言う前にとりあえず、名前の後ろに"。"をつければいいんだよ!」
と、つんくに言っていた。
2001年10月25日(木) |
てつマン(推定性別:男) |
僕達はその夜から朝にかけて、てつマン(推定性別:男、推定年齢:39歳)に出会った。 彼は基本的に僕達が4人でジャラジャラやるゲーム時によく現れる。
僕はその時彼に会うことを望んでいたのだが、僕達の中には会うのを望んでいない者も居た。 平山はその一人で、そそくさと自分の家に帰って行った。 有藤は2位を勝ち取ってからは横の部屋のソファーベットで寝てしまった。
残ったプッチとカモダとスギちゃんとナガサワと僕は、更にそのゲームを楽しんだ。 時間は午前2時を過ぎようとしていた。 この時にはてつマンはまだ現れていなかった。
午前2時という時間はかなり微妙な時間帯である。 帰ろうと思えば帰れるが、帰るのでも少し滅入る時間帯である。 この曖昧な時間帯ではまだてつマンは登場しない。 彼は確実な状況ではないと動かない性質であるからだ。
僕の統計から推測すると、彼が現れる時間はだいたい午前3時〜午前4頃である。
本日もそのゲームが長引き、3時半を過ぎようとしていた。 ゲームの合間にふと時計を見ると、そんな時間になっていたのだ。 僕達は時計を見つつ、こんな事を言う。
「もう3時半も過ぎたなぁ。」 「ならそろそろてつマンが来そうだね。」 「うん。そろそろだろう。」 「うん。うん。」
このようにみんなの意見が一致すると、必ずてつマンはその時に部屋に現れる。 僕達の考えをお見通すことが出来きるのだろうか、いつもタイミングは寸分違わない。 ボタンを押せば缶ジュースがでてくるように、僕達の意見が一致すれば彼が現れるのである。
てつマンは僕達にいつも何か変な薬をくれる。 それはハイテンションの薬や、不機嫌の薬である。 どんな薬をくれるのかは解らないが、それぞれみんな貰って飲むことになっている。
僕はその日調子は悪くは無かったが、上がったり下がったりの成績だった。 しかし、彼が現れて薬を貰った後の最終のゲームで、かなり弾けて大きくプラスに転じた。 これもすべて、てつマンがくれた薬のお陰だと、周りのみんなは言った。
確かにそういうこともあろうが僕達が何を言おうと、 「僕はプラス。プッチはマイナス」 という結果しか何も語らないのである。
教訓:てつマンと会うのはせめて月2回くらいにしておきましょう。
2001年10月24日(水) |
阪大ボクシング部の同期と飲む |
とことん久しぶりに同期の奴らと飲む。 大阪以外からは、三重の四日市からボウズヘッド花っち、奈良からプリンス森田が参戦した。 大阪勢はチャーリー石橋、アフロ岡沢、スキンヘッド玉越、ディティール柴山である。 総勢6名の男だけで飲む。
1軒目は東通りの奥のほうにある洒落たお店「Relax」で飲む。 近況報告を兼ねて、あいも変わらない彼らとのトークを楽しむ。 時折僕はいじられる。 意外にみんな2年前ままである。
2軒目は「くいもんや12.6」で再び飲むのだ。 ここからアフロ岡沢が駆けつける。 アフロのモアモア感を出すのに苦労したそうだ。 ここでは主な主題は阪大ボクシング部の行く末のを話す。
やはりみんな阪大のボクサーである。 それぞれの熱い思いをぶつけたりぶつけられたりである。 でも結局は一番盛り上がるネタは下ネタだったけど。
3件目はチャーリー亭でこれまた飲む。 主な主題は日本のお笑い事情。 ダウンタウン松本の凄さ、ロンブーって面白い?漫才ならやはりオール阪神巨人か! なんて事を話す。
僕はそんな雰囲気を楽しみながら、いつも間にか寝てしまっていた。 彼らとまた飲みたいな。 こんないい気分のまま寝れるのなら。
彼女は彼氏の目を気にして服を着る必要はないのだ。 自分に似合う自分が好きな服を着ればいいのだ。 彼女が男の子っぽい格好をしても何も問題はないのだ。
結局服なんて裸までの過程にすぎない。 精神的にも肉体的にも。
2001年10月22日(月) |
ボタン vol.4 〜 がんばってください! 〜 |
スピーカーの中で彼女は叫んだ。
「がんばってください!」
「えっ?」 僕は思わず言ってしまった。言わずには要られなかった。
「がんばってください!」 再び同じ調子で女は言った。ほとんどテンポもリズムも変わらない。
僕は戸惑っていた。何をすべきかも解らないのだ。
「がんばってください!」 再び同じ調子で女は言った。本当にほとんどテンポもリズムも何も変わらなかった。
僕は訳が解らなくなって頭をひどくかいた。
それと同時に、どこからともなくテープが巻き戻されるような「ガー」という音が聞こえた。 その「ガー」は、「ピッ」という音と同時に止んだ。
僕は恐る恐るもう一度横の壁についているボタンを押した。
スピーカーから声が聞こえた。 「大丈夫ですか?」 先ほどと同じように女の声だった。 それはきっちり3度繰り返されて、すぐに「がんばってください」コーナーに突入した。
僕はその「がんばってください」の声を3回聞かぬうちにトイレを出た。 僕の症状などそのシステムのアホサには本当に無力で、既に吹き飛んでいたからだ。
僕の症状は、本当にビックリ仰天するくらい良くなっていた。 なぜなら無意識のうちに「ホリケンサイズ」を小声で歌えるほどになっていたからだ。 しかも「シバケンサイズ」として替え歌しながら。
2001年10月21日(日) |
ボタン vol.3 〜 天然100% 〜 |
「大丈夫ですか?」 ボタンのそばのスピーカーからやさしそうな女の人の声が聞こえた。
「だっ、大丈夫じゃない」 俺は心持ち苦しそうに言った。
「大丈夫ですか?」 また同じ調子で女の人が言った。歳は結構若そうだ。
「胸が心臓が痛い。締め付けられる」 僕は現在の症状を伝えた。
「大丈夫ですか?」 また同じ調子で彼女は言った。 彼女はまるでこの状況が解っていないのだ。
ドアを叩くNHKの受信料取立と電話による英会話教室のセールストーク。 それが同時にやって来ているほど酷いのだ。 別の側面で捕らえるとすると、クリスマスと誕生日を一緒にされる勢いである。
「はっ速く!速く!だっ、誰か来てくれ!」 僕は声を絞り出して言った。 搾り出すという表現がこの時ほど適切な時はなかった。
まさにその声の成分を検査すると天然の100%は必ずくだらなかった。 ましてや濃縮還元の100%など取るに足らなかった。
最近は若い者でも濃縮還元の100%を使いこなす奴が増えてきている傾向は特にある。 だが、そんな社会一般の事を考える暇など少しも無かった。 チューブを切って内部を覗いても、半回分の歯磨き粉しか残って無いほど暇は無かった。
搾り出した天然100%の僕の声が届いたのだろう、しばらくして女が悲痛な叫びで言った。
2001年10月20日(土) |
ボタン vol.2 〜 おばあちゃんの死 〜 |
僕の家系は全て心臓系の症状で亡くなっている。 おばあちゃんもおじいちゃんもそうだ。 心臓系の症状はほとんど前兆が無い。 ある日突然それはやってくるのだ。
おばあちゃんは僕が小学2年の時に心臓麻痺で亡くなった。 おばちゃんが亡くなる日の前日の晩、僕はおばあちゃんと一緒の布団で寝ていた。 その晩も僕のおばあちゃんは、いつものように何も変わらずに僕のおばあちゃんだった。
僕はおばあちゃんの耳を持って寝るのがたいそう好きだった。 兄弟の間でもそれはブームだった。 寝る時はいつもおばあちゃんの耳の取り合いをした。 その争いに負けると、仕方なしにおかあ(母)の耳を持って寝た。
おばあちゃんの耳とおかあの耳とは、どこの馬の骨が見ても解るほど雲泥の差があった。 おかあの耳をつかまされた日には、保育園児といえどもしばしば寝つきが悪くなった。 一方でおばあちゃんの耳だと寝つきは目を見張るほど良く、心身ともに心地良かった。
僕はその日「おばあちゃんの耳争奪杯」に、辛くも勝利して耳を持つ権利を手に入れた。 そして、おばあちゃんの適度に垂れた柔らかい耳を持って大満足にスヤスヤと床に就いた。
朝、目覚めるとおばあちゃんは動かなかった。
トイレの中で胸を抑えてしゃがんでいる僕の頭の中を、そんな走馬灯が駆け巡った。 僕もおばちゃんと同じように昨日まで普通だったのに急に死んでしまうのか。
僕は胸を抑えながら焦った。 僕は助けを求めようと顔を上げて立ち上がろうとした。
すると運良く横の壁に書いてあった文章が目に飛び込んできた。
「気分が悪くなった人はこのボタンを押してください」
迷っている暇はなかった。押した。強く。強く。
2001年10月19日(金) |
ボタン vol.1 〜 コーンフレーク 〜 |
郵便局に行く。整理券を取って順番を待つ。
ふぅと一息ついて、ぼぉーと人の流れに身を任せた。 何気ない風景。そんな時間はたまにはいい。たまにはね。
あまりにぼぉーとし過ぎていたせいか、自分の体の変化に気付かなかった。 そうなのだ。自分の知らないところで、自分の体が吐き気を催していたのだ。
あれ?どうしたんだろう。昨日の晩ご飯のコーンフレークにかけた牛乳がイケナカッタのかな? それとも、昨日の3食ともが全部が全部コーンフレークだったのがイケナカッタのかな?
ともあれ整理券をかなぐり捨てて、トイレに行く。 洋式のトイレは空いてなかったので、体の不自由な人用の洋式のトイレに入る。
入るや否や、吐き気がひどくなる。 これはかなりキツイ。耐えれない。 僕はそう判断し、先ほど家で食べたばかりのコーンフレークを便器に吐き出した。
その後しばらく僕は吐き続けた。 すでに胃の中は空っぽだ。胃液しか出ない。
同時に胸が痛くなった。いや、胸というより心臓だ。 キーンと締め付け突き刺すようなら痛み。 心臓が縮んで耐えているのがよく解る。
この心臓を刺す症状はごくたまに訪れるのだが、吐き気と同時の訪問販売は初めてだ。 まさに盆と正月。まるで入浴中の電話。本当にCtrl+Alt+Delete。 僕をつかさどる身体のアプリケーションを全て強制終了させる勢いだ。
僕の頭の中をある情景が走馬灯のように駆け巡った。 ある情景とは僕のおばあちゃんの死。
2001年10月18日(木) |
赤のマシーンとシャアといつもの会話とニュータイプ |
僕はその日R171を原付で、ちょうど東を向いて箕面のアルペン前を走っていた。 僕の原付は赤のジョルカブ。 フォルムの綺麗な存在感のある赤のジョルカブ。
以前、紺のジャケットを着てクールに赤のジョルカブを乗る僕を見て、友達が言った。 「赤のマシーンに乗っているし、なんだかお前シャアみたいだな」 「おいおいなに言ってるんだよ。そんなかっこ良い者でもないよ」 僕は照れながら答える。
「なにまじで本気にしてるの?冗談に決まってるだろ」 照れてる僕に彼は幾分飽きれ気味。
「赤のジョルカブに乗っているのがシャアなら、町にシャアが溢れかえってしまうよ」 彼の理論は正しい。僕は苦笑いをしながら、軽くうなずき、答える。 「確かに、その通りだね。僕がシャアなわけないよね」 やはり僕はうぬぼれ易いのだ。
僕は彼のシャア理論を発展させる。 理論の応用は、特許を出したいほど得意中の得意だからだ。 「シャアで町が溢れかえったら、シャア渋滞なんかがあってちょっとした社会現象だね。」 僕はかなりイキって言う。 「それは無い」 彼の返事はとても冷たい。 でも表情は少しばかりハニかんでいる。
僕はそれをしっかり目で確認して、僕は勝利を確信し詰め寄る。 「TVのニュースではシャア予報があって"今日はシャア80%"とか言ったりするんだろうね」 「それも無い。でもシャア80%ってどんな事」 彼はここぞとばかりに反撃だ。 でも彼の表情はぞんぶんに崩れていて、全然僕はへこまない。いや、へこめない。
「たぶんだけど80%の確立でシャアになれるって事。 または成ってしまうって事。こちら側の意思が介入する隙間は無い」 「それは手厳しいな」
僕はだいたいこんな会話を日々楽しんでる。これがニュータイプというものだろう。
昨日までの2日間は僕にとっては非現実だった。 あれほどあまりにも密な時間を経験したことは今までに無かったからだ。
行きの新幹線で僕はノブと話しながら、非現実の世界に入り込んでいった。 帰りの新幹線で僕はコータの話を聞きながら、現実の世界に戻ってきた。
僕にとって新幹線は距離を移動するものではなく止まっている長い箱であった。 新幹線は僕の中では意識を変化させる場所でしかなかったのだ。
新幹線[しんかんせん]: 現実と非現実をつなぐ1964年に完成した箱型マシーン。 乗客全員がきっちり意識の変化が出来るように東京-大阪間を約3時間と決めた。
実のところ新幹線は600km/hほど出すことが可能である。 だがMAXで走ると乗車時間が短くなり乗客の完全な意識変化が不能という恐れがある。 そのため1965年に600km/hを出すことを法令で禁止した。 「新幹線の移動における意識変化についての法令」である。
しかしながら、現在営利目的でこの法令を影で破っている団体が今もなお存在する。 これが原因で完全に意識変化できずに現実と非現実とを彷徨う人が現在急速に増えている。 そのような人達は「イカンセン」と呼ばれ、センターで治療されることが決められている。
2001年10月16日(火) |
リクルートな内定式のリクルートな研修 2日目 |
5時まで飲んで騒いだ身だが、今日はプレゼン大会。 8時半に起床でしょう。 リンは寝てるが、ノソノソ起きて朝ご飯を食べる僕と純。
バイキングらしいがそんなにがっつく余裕は無い。 逸話に残る北欧のバイキングに申し訳ないが、僕達の体が食を受け付けないから仕方ない。
純は味噌汁を2杯、オレンジジュースを3杯飲んでいた。 かなりの水分を吸い取られるほど悪い夢でも見たのだろうか。 純の事がちょっと気になるが僕はいつでもマイペース。
クロワッサンを一口サイズに小さくちぎって口に放り込む。 ときどき純が味噌汁の油揚げなどを僕の口に放り込んでくれる。 パンだけ食べて栄養が偏る僕の事を心配してくれているのだろうがいらぬお世話だ。
でも昨日出会ったばかりなので冷たいことは出来ない。 笑顔でその油揚げを食べる。 意外に味は良くて純の油揚げを全部食べてしまう。
彼は続いてワカメを放り込もうとするが「もういいよ」と断る。 その辺はきっちりしておかないとのちのちに響く。 次に会ったときに僕の嫌いなセロリなんて放り込まれることはあまりにも厄介であるからだ。
朝ご飯を食べて昼ご飯までプレゼンの完成に向けて精力を尽くす。 結局、僕たちは劇形式の「リクえもん」をやることにする。
第一幕:リクえもんがリクナビを出してのびたの就職活動のやり方を教える。 第二幕:次はゼクシィを出してのびたとジャイ子の結婚を後押しする。 第三幕:最後に住宅情報を出してのび太とジャイ子と子供ののび男との住居選びを助ける。
というとても解りやすい内容。
そして最後に 「リクルートはこんな風に人々の人生の節目で情報を提供しています。 同時にリクえもんを使って成長してきたのび太のように、 個人がリクルートを利用して、 自分の価値基準で物事が判断できる人間になってくれる事を願っている会社です」 と締めた。
僕はメガネが似合っていることもあり、のび太役に抜擢される。 そして僕達はキャストをきっちり決めて何度もリハーサルを繰り返した。
12:30からは25チームを4つに分けて4会場で予選を行う。 そして各会場上位2チームが決勝に進むわけだ。 僕達「リクえもん」チームはただならぬ熾烈の争いの中予選を勝ち上り決勝進出。
決勝はかなりハイレベルな戦いであったが、僕はかなり優勝するつもりでいた。 予選以上に気持ちを込め、声を出して、体全体で演じた。
全ての発表が終わり結果発表。 僕達「リクえもん」は願いもむなしく敗れさる。 とても悔しかったが、全力を出し切ったから後悔は無い。
全てが終わって、リンと純と僕は3人で同時に握手した。 彼らとほんとにひとつになれた気がして嬉しかった。
2001年10月15日(月) |
リクルートな内定式のリクルートな研修 1日目 |
12:00 途中で一緒になったノブと内定式会場「晴海グランドホテル」に到着。 ちょっと早かったが、人事の人と話をして時間稼ぎ。 しばらくして続々と内定者が集まる。
13:00 プログラム開始。現在リクルートの各部署で働いている社員の人の話を聞く。 内定式というより研修である。ちょっとお遊び気分で来ていた無知な自分にムチを打つ。
夕方からは6人ほどづつのグループに分かれて、明日のプレゼン大会に向けて話し合う。 プレゼント大会ではパソコンは使用しないし、パワーポイントは無い。 だから昨年のプレゼン大会では劇とかをやったチームもあるそうだ。 内定者は150人ほどいるから、25チームが競う。 かなりの熾烈な争いが予想できる。
プレゼンのテーマは「リクルートとはどんな会社か?」ということ。 各グループはこのテーマにそって議論する。
僕のグループは男3人と女3人の6人グループ。 話し合いは夜ご飯を食べてから本格的に始まった。 かなりの時間をかけて話あうが一向にいい案が出ない。 ハッキリ言って駄目なんじゃないかなと僕は思った。
そんな事をぼぉ〜と思っていると、僕のグループの誰かが言った。
「リクルートってドラえもんみたいじゃないかな。 就職や結婚などの人生の分岐点で必要な情報を提供してくれるしね。 就職ならリクナビで、結婚ならゼクシィみたいにね」
その言葉にみんなの目が変わった。 僕は思わず身を乗り出した。 頭の中に「リクナビ〜」と言いながらアイテムを出してるドラえもんがイメージできた。
「それで行こう!」みんなの気持ちが一致した。
それからはトントン拍子に事は進んだ。 大まかな流れは出来た。 僕達は充分な手応えを感じ、24:00話し合いは終了した。
それから朝の5時までシルバーと呼ばれる大きな会場で内定者と話し飲んで騒いだ。 沢山の人と色んな事を話せた。 社員の人事の人も一緒になって馬鹿騒ぎしてくれた。 「いい会社に入ったな」と今日だけで14回も思った。
明日から1泊2日の内定式のため東京に行きます。
12:30「晴海グランドホテル」集合という情報を入手。
けっこう盛大にやるのだろう。 「ならばかなりテンションを上げていかねばならないな」と思う。 だがそう思うとそれがかなりプレッシャーとなり、逆にテンションが下がってしまう。
僕はそういう人間なのだ。
でも、「行ったら行ったで楽しいんだろうな」っても思う。
僕はそういう人間でもある。
なんていうのか、終わった時に 「あーあ、楽しかった。1泊2日なんて短いよ」 って思えたら最高だろうな。
それは会社次第だし、自分次第でもある。 どちら側も「やってよかった」と思える内定式になればと思う。
なんだか幾分緊張しているのかよい締めの言葉が見つからない。 けれどもこれで締めさせて頂きます。 こっちにだって都合というものは有るのですから。
実のところ昨日免許を門真の試験場で取ったのです。 でも昨日は爆笑問題の事でいっぱいでそれどころでは無かったのです。
だから今日免許獲得の事を書こうと思う。 しかしながらたいして書くことも無い。 試験は順調に解けたし絶対受かったって思ったから。
電光掲示板が数字の羅列に変わる瞬間(2:30)に僕は黙々と本を読んでいた。 「やがて哀しき外国語」という村上春樹のエッセイである。 ひとつの話がもう終わりそうなのだ。読ませてくれ。
しばらくして歓声と悲鳴が上がる。 掲示板が数字の羅列に変わったようだ。 ゆっくりと顔を上げ135番を探す。 「131、132、133、134、135と」 ほら、確かにある。 僕は当たり前のように「学科受かりました」と既に作成してたメールを友達に送る。
受かった人は1階で印紙を買う。 落ちた人はぐったり肩を落として第6教室に吸い込まれていく。
落ちた人はなぜ第6教室なのだろうか。 それは第5教室ではなぜイケナカッタのだろうか。 ふとそんなことに思いを巡らすメグライアン。
しかし、そんなことを考えてもまったく意味は無い。 ここで意味があるのははっきりと点灯した数字だけなのだ。
2001年10月12日(金) |
獏笑問題の未来 BBSより |
赤ヘルさんの言っておられることは充分に納得です。 確かに田中が居ないと太田は生きないということはあるでしょう。 しかし、もみじ饅頭の中身がアンコだろうがカスタードだろうが美味いものは美味いのです。 田中はそんなもみじ饅頭の中身のような気がするのです。 中身が田中だろうが、チョコだろうが美味いものは美味いのです。
他に引っかかった点として 「太田のしゃべってるところだけきいてみてください、そんなにおもしろくはないはずです」 とありました。 そうなのです。太田ってそんなに面白くないです。 確かに発想力は豊かで、見方も別角度でシュールでとてもいい感じなのです。 しかしいかんせん彼は基本的に即興型ではなく用意型の芸人なのです。
彼らはたまたまボキャブラ天国という番組の形式に芸がぴたっり合ってしまい成功を収めた。 それが「彼らは何をしても面白い」という変な勘違いを生んでしまった。
ディレクターはなにも解っていない。 司会なんて彼らができるテリトリーではないのだ。 即興のトークなんてもってのほかだ。 彼らが一番生きるのはTVではなく綿密に計画された舞台なのである。
太田は既にこれらに気づいているかもしれない。 でも彼らはワンパターンの芸を長く引っ張り過ぎた。 これから変革することなどTVもファンも許しはしないのだ。
だから太田は、このままではやばいと気づいていながらシュールなボケを言わねばならない。 だから田中は、やばいなどと少しも気づかず、意味無く声を上げて突っ込むのだ。 一日に120回と繰り返すのだ。
そのうち日本の皆々は気づく「こいつらたいして面白くない」と。 それから彼らはマイナーな芸人の道へ進む。
そして3年が過ぎる。
当然太田はお笑い番組のディレクター的な位置を獲得し、テリ−伊藤と対立する。 そのかたわらエッセイなどの本を出版する。結構売れる。
当然田中はMrチンの後釜となりチビッコにTVゲームを紹介する。
たぶんこんな感じが爆笑問題の未来だろう。 おおかれすくなかれ。
最後の朝。 まるで小猫が行き先を迷うように僕の心は困惑していた。
涙の跡。 外は雨。 それは全てを流す時間的存在だった。
お陰で僕は踏ん切りがつき、ようやく靴紐をしっかり結べるようになった。 加えて前にも歩けるようになった。
僕達は家へ帰ってまたそれぞれの道を歩いて行くんだ。 ここは終点でも発着点でもゴールでも無く、ただの交差点だった。
この交差点では巻き込み確認も方向指示器も必要なかった。 ぶつかるならぶつかればいい。 譲りたいなら手を横に流して笑顔をすればよいのだ。
僕は再び1人の道を歩き始めた。 仲良くなった彼等と再び何処かの交差点で会う事を約束して。
僕の背中で新しい出会い達が歓喜と悲観の声をあげていた。
今日は卒検のミキワメです。 でもアフガニスタンの住民は空爆でヒヤヒヤキワキワで大変です。
まずは場内で必死に縦列駐車です。 でも実はヤクルト優勝です。僕の言ったとおりです。
バックしてたら脱輪です。 でもクランクをバックで行くなんて山崎さんには脱帽です。
でもなんとかミキワメは良好で合格です。 だから明日はガムバリマス。 誰が何と言おうとガムバリマス。
もしもラディンが横断歩道を渡ってたら、一旦停止せずに徐行して通り過ぎてやるんです。 彼がビックリする表情が目に浮かびます。 彼が怒っている表情をルームミラーで確認してから、指示器を出して車を元に戻すんです。
「ラディンが横断歩道を通行していた場合一旦停止しなけらばならない」 という問題は絶対にXです。 もしも間違って○としたら仮免取り消しです。
「しかし、ラディンと言えども人間ですので注意して走行することが必要なのです。 でも一旦停止は絶対に必要無いです。 ここは太文字ぷらすアンダーラインです。 ピンクの蛍光ペンならなおさらです。」
と学科の授業では教官の2人が2人とも同じ事を言っていた。
だからわざわざ僕はボンジュールという売店でピンクの蛍光ペンを買いました。 別に必要はなかったのだが、仮免取り消しになんてどうしてもなりたくなかったからだ。
雨が降る。 フェンダーミラーもルームミラーも見えにくい。 ワイパーは正確無比で同じ動作を繰り返す。
歩行者はやはり少ない。 でも時折見かける。 傘をさして買い物へ。 はたまた家路へ急ぐ。
僕は教官の横田を助手席に載せてドライブ。 彼は行き先しか言わない。 次はコスモ石油の前の路肩に止めるという司令だそうだ。
とても静かな車内。 ワイパーはシャコシャコと一定のリズムを刻む。 車が横を過ぎて風がフュンという音を僕の耳に届かせる。 水溜まりにいけばバシャバシャとタイヤと雨水が合唱する。
あまりに静かすぎて横田が寝たのではないかと思って、横田の顔を見る。 でも彼は絶対に寝ていない。 彼は細いつぶらな瞳で前方から目を離さない。 彼は僕が見た事にも気にせず平静を保っている。 いや、ただ僕が見た事に気づいてなかったのかもしれない。
すぐに視線を前方に向け、スピードメーターを気にしながらドライブを続ける。 ワイパーと風とタイヤと雨水も音を出し続ける。 とても静かで楽しいランダムな協奏曲をかなでながら。
だから僕は雨の日のドライブが好きだ。
間違っても「雨の日は歩行者が少ないから」という理由ではない。 ただ彼らの演奏に耳を澄ませたいだけなんだ。
首尾よし。問題なし。以上。
風邪をひきました。 ほんとにほんとに大変です。 鼻がずるずるいってます。 あぁしんどい。 のど飴を食べ過ぎました。 2本を消化しました。
今日は本当に忙しい日でした。9:25〜18:00まで休みなしです。 空いてた時間は昼食と3時の休憩ぐらいでした。
学科は眠くて大変です。 今日は1度ならずも2度までも教官に起こされました。
路上の方は順調に行ってます。 あまりもう問題は無いですね。 縦列駐車も方向変換も幅寄せもばっちりです。 詰めるところはあとは周囲への注意でしょうかね。
まぁ頑張ります。以上。
2段階はほんとに忙しい。
ず〜と車を乗りっぱなし、授業を受けっぱなしです。
あぁでもこの生活とももうすぐでおさらばさ。 良かったのやら悲しいのやら。そんな感じです。でわ。
今日は路上でどんどん左折右折しました。 学科もバリバリ忙しいです。 ほんとにほんとに。 あぁでも夜ははじめての打ちっぱなしに行きました。 最初は横や屋根に当たってたけど、どんどんコツを掴んできて飛ばしまくりました。 たぶん300ヤードはとばしたね。 150ヤードしかない目印を超えて、ネットを超えて場外に行ってたからね。 そんな感じでやりすぎでかなりマメができて痛かったです。 おやすみなさい。でわさらば。
7:00 起床。 即座に顔を洗って、歯を磨き、着替える。 他の3人は寝ているが気にしない。
テキストを開く。 場内のコースを思い浮かべイメージする。
ここで巻き込み確認。 ここは右に寄せる。
などできるだけ具体的に想像する。
8:00 他の3人も起きて朝御飯へ行く。
9:20 修了検定開始。僕は49号車のトップ走者となる。
10:20 検定スタート。
意外にすんなりできる自分に驚く。 しかしながら、確認を結構忘れる。
10:40 なんとか無事。終える。
12:30 修了検定の結果発表。なんと70点で合格。
あとは学科であるが、こんなものお茶の子サイサイ。余裕の満点50点で5$ゲットする。
午後からは、学科と路上。 6時前に帰ってきてよる御飯を食べる。
あぁ疲れた1日でした。
復習:ブレーキ→クラッチを忘れずに!!!
無事ミキワメ通過です。
なんとかミキワメコースを終えて発着場に帰った。 余裕のない僕はぐったり疲れてしまった。 でもするだけの事はしたと思った。
そんな疲れ果てた僕に教官は言った。 「よし、明日はとりあえず修了検定やってみようか」
ミキワメ合格である。 でもまてよ。「とりあえず」ってなんだ? これじゃあ僕はただのチャレンジャーじゃないか。
でも通過は通過であるのです。 不良と診断されるよりよっぽどましなのです。 だからプラスに考えて明日に向けてイメージを膨らますのです。
明日の事は誰にも解らないけど、ポジティブな姿勢で望むことが大切なのです。
1週間目です。 きょうは朝から無線です。 独りで運転するのは少々不安だがいろいろ試し試しできて楽しかったです。 確認するなんて余裕はあまりなかったですが。
その後ATでミキワメコースを走りました。 ATは良いね。全然楽で、これならラクチンだねとばかりに結構余裕持って出来ました。 明日はいよいよミキワメです。どうなることやらね。
もしかするとみなの期待を裏切って最短で通過するかもです。 そんなこんなで1週間目。 でわまたばいばい。
もうここに来て6日目になりました。 本日は無線教習のコースをぐるぐる回って回って回るぅうぅう〜〜 でした。 早い人は無線教習が2回出来るのだけれど、僕はあまり進んでないから1回だけです。 あした走る事になるでしょう。
MTならやはりポイントは半クラですね。 そう思えてきました。半クラの位置をしっかり覚える事はほんとに重要な事ですね。実感。
でもまだ満足に3速に入れてません。結構だから3速に入れるのが怖いですね。 暴走しそうで。 そして、エンストを怖がってクラッチから先に踏んでしまっています。 やはりなんでもブレーキですね。 もうちょっと頑張らねばね。
学科の方は何とか無事にこなしています。 学科試験前にとっておかなくては行けない効果試験も無事に取れました。 まぁ何とか頑張ります。でわまた。
|