いつもの日記

2001年09月30日(日) 5日目

かなりやばいです。
本日は何も進みませんでした。
クランクやS字を何度もやってみたのですがなかなか満足にはいきません。

みんなに励まされつつ頑張っていくだけです。

朝は早起きして、トイレ掃除のバイトをしました。
このMDSでは普通の円は使われず、Mマネーといわれるお金が使用されています。
トイレ掃除は30分で15$(1500円)でした。
とても高いし、すがすがしくて良い気分で朝ご飯が食べれました。
まぁこんなとこ。



2001年09月29日(土) 4日目

今日はクランクとS字入って行ったのですが脱綸してパニクって最低です。
人に怪我をさせてないぶんスマップ稲垣五郎メンバーよりはマシですが。

同じ日に入校したMTの女の子にも先を越されています。
どうなるんでしょうか。ほんとに先行き不安です。

一つ分かった事は、まだまだ半クラとかがマスターしてないようです。
だから、速度が急に出たりして怖がってしまうのです。

まぁ色々本を読んでいますが、結局は実際やってみないと駄目なので。
ってな感じです。なんとかかんとか頑張ります。

時間が空いた時はこんな感じでインターネットしてるか、教本を読んでます。
小説やエッセイなんて読む余裕はあまりないです。
鞄のなかの村上春樹が泣いてます。



2001年09月28日(金) 3日目

今日は場内を2時間ばかり運転しました。

体がかなり固くなってしまって大変です。
ハンドル操作もおぼつかないです。
2速から減速し1速に入れるつもりが、4速に入れたりで大変です。
クラッチの切り方が若干早いようです。
断続クラッチする時に、足を上げすぎっぽいです。
色々言われてかなり凹んでます。
もしかして内定式に行けないのではないかと不安適中です。

部屋のほかの3人はどうでしょうか聞いてみましょう。
山崎さんは無免でバリバリ運転してたヤンキーなのだったので、まじで上手いです。
岡村君は以前に仮免まで自動車学校に行ってたらしく、これまたかなり上手いです。
服部君はバイトでAT車を運転してたらしく、はたまた結構上手いです。

彼らはすでにクランクやS字に入っているらしいです。
僕だけまだ右左折です。
あぁ、かなり憂鬱な3日目。



2001年09月27日(木) 2日目

私の宿泊場所は「あかね」というところだった。そして4人部屋であった。

他の3人を紹介しよう。
まず最年長25歳の山崎。今までかなりの修羅場を潜り抜けてきたらしい。建設現場監督。
次に22歳の岡村。神戸の美容院をブッチぎっての参戦。勝手に辞めたらしい。
最後に21歳の服部。ただ一人地元の島根人。仕事はイベントスタッフ。

こんな9月の時期だから学生なんていない。
みんなだいたい働いている。
それかプータローである。

車のシュミレーションを2時間こなした後、いきなり場内を乗りました。
ローに入れました。
セカンドに入れました。
エンストしました。
でも「けっこう巧いねぇ」と誉められました。
ちょっと嬉しかった。

しかし冷静に後になって考えると誰にでもそう言って自信をつけさせているだけなんだろうな。
って思いました。冷静な自分ってなんだか嫌だな。



2001年09月26日(水) 自動車免許取得合宿 初日

ひかり177号に9時に乗る。
指定席なので切符を見ると「14号車・17番B席」と書かれている。

禁煙車である14号車の後部出入り口から乗り、自分の席を探す。
B席は通路を挟み3シート側の中央であるらしい。
2シート側でない事を悔やむ。

「19、18、17」
と17番を探し当てたところで、B席を見る。
A席とC席にはスーツを着たサラリーマンがすでに座っていた。
Aは日経新聞を読み、上着を窓際のフックにかけている。
Cも産経新聞を読んで、靴を脱ぎ足を鞄の上に置きかなりリラックスしている。

「ちょっとすみません」と一声かけ、B席に座る。
ふぅと一息ついたところで、何かしら妙な圧迫感があることに気付く。

そうなのだ。
AもCも大胆不敵に両方の肘掛を使って本を読んでいたのだ。
そのため僕の肘掛は見るも無残に消滅していた。

じわじわと怒りが込み上げる。
でもこの怒りはぶつけようがなかった。
AとCのどちらの方から片方の肘掛を奪っていいか解らなかったからだ。
また自分が両方から肘掛を奪うという考えはちょっと大胆すぎた。

僕はぴったりと両肘をわき腹につけて肘掛が取れるチャンスをじっと待っていた。。
そうするしかなった。
ひかりはそんな僕の状況とはお構いなしに新神戸駅を過ぎていった。



2001年09月25日(火) そうめん会議の後日 vol.7 エピローグ

それから数日ほどで私の昇進が決まった。
むろん決め手はマチャアキ秘伝のつゆだろう。

その祝いの酒の席で、会長のフクイは両手を前に広げて私に教え諭すように言った。
「あの影は人間1人1人が持っている心の闇の部分だ。どうすることもできない。」
「はぁ、そうかもしれませんね」
と私は小さく頷き普通に答えた。

「私達いち個人が到底適うものではないし、挑んでもイケナイ事柄だ。解るかね。」
「はい、なんとなく。会長のおっしゃる通り、確かにあれはそういうたぐいのものですよね。」
と私は心持ちプラスに自然に同意した。


実のところあの時私は見ていたのだ。

あの影がそうめん1束をさらっていく時に見せたの左肘の傷跡を。
それはたぶん全治3ヶ月ほどであったが、最近ようやく直ったであろう傷跡を。

その傷はもちろんナガサワのものだった。
私はもちろん知っていた。
しかし言わなくていいことは、もちろん言わなくていいのだ。
訓練中だし、もちろん昇進も決まったことだし。

                      ---- そうめん会議の後日 終わり



2001年09月24日(月) そうめん会議の後日 vol.6 フクイ

勢いよく会議室後方の扉が開いた。
誰かが立っていた。

その誰かは眩いほどの光を背にしていて仁王立ちしていた。
影で誰も彼の顔を確認する事はできなかった。

ケビンコスナ-か?
いやそうではない。それよりは背は低い。

トムクルーズか?
いやそうではない。それよりは背は高い。

ニコール・キッドマンか?
いやそうではない。おそらく男だ。キッドマンといえども女である事にかわりは無い。

サモハンキンポーか?
いやそうではない。それほどいかがわしく無さそうだ。

周富照か?
いやそうではない。周富徳の弟といえどもこんなところに来るほどほど暇ではないはずだ。

アムロか?
いやそうではない。ちょっとユータイプを感じれるつもりになってみたかっただけだ。

そんな事を会長のフクイは考えていたらしく、ひとつひとつ私に説明してくれた。
私はユンピョウかもしれないと思ったが言わなかった。
どんなことでも、やたらめったら言いすぎることは良くないことだ。
このことは日頃からちょっと気をつけていて現在訓練中である。

彼の話を背景に私は影の正体を推測するために頭の回転テーブルを高速でまわしていた。

その時だ。
私達に油断があったのだろう。
その影は一瞬にして動き、最後の題目で残してあった1束を津波のごとくさらっていったのだ。

こうして今年のそうめん会議は幕を閉じた。



2001年09月23日(日) そうめん会議の後日 vol.5 ソーセージ

ついにその日はやってきた。
会長のフクイが南の島から戻ってきたのだ。
ソーセージをお土産にして。

会長のフクイは帰るや否やそうめん会議を開いた。
彼の中でもうすでに「昼はそうめん会議」と決めていたのだろう。

彼は見かけによらず1度こうだと決めてしまうと、妥協はほとんどしない頑固なところがあった。
しかし、彼はそれを社員の前では絶対に見せなかった。
偉いものだ。
そうじゃないと社会は渡ってゆけないし、会社は経営できないだろうなと私は思った。

今回のそうめん会議は会長のフクイと私が出席することになった。
ナガサワは欠席だ。
まだ前の会議の事を引きずっていた。
よほど痛んでいるらしい。

会長のフクイの1歩うしろを私はそうめんの箱と秘伝のつゆを抱えて歩いた。
そして、会長のフクイに続いて戦場である会議室に入った。
会議はいよいよ始まろうとしていた。

私は、
そうめんは残り5束でありまして、肌寒い季節がらもう秋は本番です。
ですので、今回が今年最後のそうめん会議になりそうです。
と会長のフクイに耳打ちした。

会長のフクイは周りの状況を鋭い目線でうかがいながら静かにコクリと頷いた。
彼はどんな状況でも気は抜かない。
さすがは会長のフクイである。

会議は我々の思惑通りに進んだ。
問題は何も無かった。

しかし、残り1束というところでそれは起こった。



2001年09月22日(土) そうめん会議の後日 vol.4 スターダム

マチャアキからつゆを買い付けた私は機が熟すまで待つことにした。

次のそうめん会議では必ず我がFTコーポレーションは勝利するはずだ。
このつゆさえあれば。
そして、私は一気にスターダムにのし上がるのだ。

ナガサワが羨望の眼差しで見るようになるのも簡単に想像できた。
しかも今の彼はシャンプー無しだ。
ただリンスよりたちが悪いのだ。
私の相手になるわけがない。

しかし、シャンプー抜きで生気が無い彼を見ると可愛そうになってくる。
だが私には何もできんのだ。
シャンプーの入っていないリンスインシャンプーなんて誰が好んで使うというのだ。

ともあれナガサワより先に私がブロードウェイに立つのだ。
正気を抜かれた今のナガサワに答えるにはそれが一番なのだ。
ぐずぐずして傷をなめあっても意味は無い。

私はそう勝手に解釈し自分を納得させて、マチャアキから奪取したつゆを握り締めた。

自分を納得させる事に関しては私は誰にも負けない。
これは小学校時代から解っていた事であるけれども。



2001年09月21日(金) そうめん会議の後日 vol.3 マチャアキ

マチャアキは甲羅も背負っていたし、彼の目は既に遠くを見ていたんだ。
もうそれは現世じゃなかったさ。
あの眼を今でも思い出すとゾクッてするんだ。
なんだか何もかも見透かされているって気がしてね。

マチャアキは言ってたよ。

「私はチューボーですよやアルアルとかやってるけど実際はやりたい仕事じゃないんだ」
彼は目に涙を浮かべて言ってたさ。
演技かもしれないけど俺は信じたいね。

「私は今まで誰かに与えられて仕事をやってきたに過ぎないんだ。」
そうなんだ。って思った。
かもしれないとも思ったね。

「だからこの半年は何にも捕らわれず、自分の意志で生きたいんだ」
ちょっと感動したよ。
ピリリときたよ。
ワサビや辛子みたいに。

この辺がチュ-ボーですよの料理長なんだなって思ったね。


かなり話はそれてしまったが、そうめんのつゆは手に入れることができた。

実のところそのつゆを持っているのはマチャアキだったからだ。

その事は初めから解っていた。
そうでなければ私が1時間も抗議の電話をする訳はないのだ。



2001年09月20日(木) そうめん会議の後日 vol.2 アルアル

つゆを手に入れるためなら何だってしたさ。
はっきり言って寝なかったね。
自慢じゃないけど。

具体的には1日4時間ぐらいかな。
基本は1:3でね。
1は昼。3は夜。
1度に4時間寝るよりこのほうが効果が高いんだ。
アルアルでマチャアキも言ってたけどね。

それよりマチャアキが今年度の後半戦休業するらしい。
嘘かほんとか知らんけど、ほんとに参ったよ。
俺なんて抗議の電話を1時間にも及んでしたんだけどね。

彼はうんともすんともしなかったよ。
彼の決意は固かったね。
まるで亀仙人の甲羅のようだったよ。
って思っていたら実際背中に背負っていたしね。
小さめの甲羅を。
これか!って思ったけどもう遅かったね。



2001年09月19日(水) そうめん会議の後日 vol.1 プロローグ

前のそうめん会議で自分達の意見を通せなかった私とナガサワはぐったりしていた。
ナガサワはシャンプーが入っていないリンスインシャンプーのように生気を抜かれていた。
私もかなりぐったりして辛かったが、ナガサワほどではなかった。
事の重大さに関わらず私はそんなに事を引きずるタイプではないらしい。
これもやっと最近解ってきたことであるが。

大人になると色んな事が解ってくる。
自分以外における周りのこともそうだが自分自身のことも然りである。

私の会社は次こそは名誉挽回とばかりに会社総出で次のそうめん会議に備えた。
むろん会議には会長であるフクイも出るだろう。
彼はこんな中途半端な時期に南国の島で温泉に入っている場合ではなかったのだ。
今更言っても仕方はないが。

前の会議でつゆは完全に使い切ってしまったので私は密かに1ビンを用意していた。
もちろん私ひとりでの単独行動で用意した。
ナガサワには用意したことを言っていない。

ナガサワと共同で用意したと言ってもいいが、それでは今後の昇進にプラスに働かない。
現時点での昇進に関する私のライバルは誰がなんと言おうとナガサワである。

今回のつゆの用意は昇進への明確なアドバンテージに充分すぎるほど成り得た。
だから私は前の会議の後から一気に気持ちを入れ替え用意周到に行動を始めていた。
つゆを手に入れるためだけに。



2001年09月18日(火) いつものこと

学校から家に帰り扉を開けると、部屋の電気がついていた。
あれ?消したはずなのに。

酷く疲れていたから速攻でシャワーを浴びた。同時に歯も磨いた。
シャワーと同時に歯を磨くと、口を閉める必要が無いからかなり爽快。
体の前面は歯磨き粉と唾液で製造された白い液体で滝を形成する。
すぐに洗うから何も問題はないのだ。
海の中でおしっこをするという感覚と似ている。
まったく問題ないのだ。

浴室を出てトイレの前を通り、扉を2つ開けて寝室に行く。
この1文で広い部屋を想像しないでほしい。
断っておくが私の部屋はダイニング=リビング=寝室であって、当然ユニットバスである。

TVの前で全裸で腕立て伏せをしたあとにニュースを見る。
テロの速報で意味もなく朝のワシントンを呼んでいる筑紫哲也が居る。
「ワシントンの岡田さん」

急に眠気が襲う。そろそろ就寝だな。

私はすくっと立ちあがり布団を敷くため押入れを開けた。
すると押入れに積んである布団の上に男が座っていた。
彼は白いターバンと白いアラブの民族衣装を着て、背中には機関銃を担いで座っていた。
あごひげは伊藤博文もビックリするほど立派なものだった。

彼は左手の親指とひとさし指とで円を作り、OKの手の形を作った。
そして親指とひとさし指の先をはじくと同時に言った。「アッサラーム・アライコム」

私はしばらく困惑していたが、「こんにちわ」と答えた。

「うちに来るなら前もって来るって言ってよね」と私は言おうとしたが少し考えて止めた。
彼にそんなことを言っても無駄である。
彼が事前に連絡をせずに行動を起こすのはいつものことであるからだ。



2001年09月17日(月) 羊を数える 4匹

「羊が1匹。羊が2匹。・・・」
私は羊が柵を越えて入っているのを想像しながら頭の中で呟いた。

「・・・羊が9匹。羊が10匹。」
10匹を数え終わり私はお腹の上の紙に「10」と書いた。

もう電気は完全に消していた。
真っ暗で書いた数字を目で確認はできない。
しかし紙の位置を知っていてペンさえを持っていれば数字くらいは書けるはずである。

「10」と書いて一息つき再開。
「羊が11匹。羊が12匹。・・・羊が19匹。羊が20匹。」
「20」と書く。
さらに続けた。

「羊が21匹。羊が22匹。・・・羊が29匹。羊が30匹。」
30匹まできても眠気は初めとほとんど変わらなかった。
このまま1000匹ぐらい行くのではないかと酷く不安に思った。

でもなるようにしかならない。
もし1000匹なら1000匹でもいいじゃないかと思い直した。
メエメエうるさくて逆効果でもこの状況を楽しんでやろうと思い直した。
私はそう腹をくくって再び数え始めた。


次の瞬間に私は寝ていた。
ぐっすり寝ていた。

朝になって起きた。
起きてみて初めて自分が数えている途中で寝たことに気がついた。
おなかの上から落ちていた紙には歪んだ文字で10と20と30の数字が書かれていた。
手から落ちていた黒のハイブリッドはシーツに小さいホクロを作っていた。

             −−− 羊を数える 終わり



2001年09月16日(日) 羊を数える 3匹

単純に数えて寝てしまってもいいのだが、それでは結果が残らない。
次の日に起きても数えた過程など忘れてしまっているからだ。

柵に入れた数や毛をそった数やジンギスカンで食べた数など到底解らない。
ましてや泣いた回数など解るはずが無い。
もしかするとヤギの鳴き声も入っているかもしれないのだ。

私はその結果を残すためにペンと紙を用意した。
今日は初日であるから、柵に入れた羊だけ数えるとしよう。
ヤギは入れちゃ駄目だ。彼らは眠りの妨げになる。
彼らは眠るために必要な紙を食べるからだ。

人間は眠くなると頭蓋骨と脳の間に、ある程度の面積を持った紙が増殖する。
大きさは大体1cm四方である。
結婚式などお祝いにまく四角の紙を思い浮かべていただければ間違いは無い。

増殖した紙は脳にへばりつき脳の筋肉の動きを止める。
脳は内部でゆっくりと呼吸をしながら、筋肉を使わなくなる。
それから深い眠りが訪れるのだ。

ところがどっこいヤギはその紙を食べてしまう。
ぐっすり眠りたいのならヤギを入れていい訳が無い。
しかしこれは学校では教えてくれない事である。
ほんとうに今の教育はどうかしてる。

私は布団の中に入って仰向けになった。両腕を掛け布団からだした。
右手にペンを握り締める。黒のハイブリッド。

電話料金引き落とし明細の裏面に羊の数を書くことにする。
その紙をおなかの上に置く。天井を見上げる。

準備は整った。
そして僕は数え始めた。



2001年09月15日(土) 羊を数える 2匹

その大会が終わった夜の事だ。
いつものように訓練を兼ねて速く寝ようと私は布団の中に入った。

1・2・3・4・5・・・・
ん?あれ?眠れないぞ。どうしたんだ。いつもは3秒前後のはずだが。
こんな事ではオリンピックどころかスネオにバカにされてしまうぞ。
おもちゃも貸してくれなくなるぞ。うぅどうしよう。

あっそうか本を読もう。
今読みかけ中の村上春樹の「TVピープル」を読もう。

ふむふむ。ふむふむ。ふむふむ。
ねむねむ。ねむねむ。ねむねむ。

なんて、うまくはいかないね。
結局短編を一つを読み終えてしまったではないか。

「さて、どうされますかシバヤマクン?」
腕を組んで見下げているのびたの声が意識の彼方から聞こえる。

「くっ、どうすべきなんだ。」私はこぶしを握りしめた。
こうなれば古典的な作戦でコテンといこうじゃないか。

とうぜん古典的な作戦とは羊を数えるのだ。
こういう時こそ王道である。急がば回れだ。
ヒットラーもこの作戦を用いユダヤ人を寝させて、毒ガスで一気に始末したというではないか。

だがただ数えるだけでは面白くない。
私はそう考えおもむろにペンと紙を用意した。



2001年09月14日(金) 羊を数える 1匹

私はオヤスミ5秒の人間だが、最近は3秒ではないかと思い始めている。
一般の人はこの2秒の差を別に大差は無いって思うだろう。
しかし、世の中そんなに甘くない。

5年前にオリンピック委員会で寝つきの速さを争うグーグーがオリンピック公式競技になった。
この競技にグーグーという名前を初めにつけたのは、日本のあの彼である。
名前は忘れてしまったからここでは省略する。

オリンピックに出場するには3秒というレベルが一応のボーダーとなる。
一般の人からすると、この3秒というラインは神業である。
それはアルマゲドンで隕石の軌道を変えるよりはるかに厳しいものだと容易に想像がつく。
たかがブルースウィルスである。
されどエネオスである。

そういう訳で私は夏季日本グーグー選手権にノミネートされる事になる。
これが事実上のオリンピック選考会であることは他の選手の意気込みからも計らい知れる。
私の隣の隣の席には前回のオリンピックにおいてダントツで優勝した野比のび太が居る。

やはり彼は凄い。
オーラすら感じられる。
手にはもちろん彼のマイ枕がある。

私はちょっとは食い下がったが結局今年もダントツで野比のび太が優勝してしまった。
ちょっとがっかりだが気持ちを切り替えてこれからがスタートと思ってがんばる事にした。

悩んでも仕方ない事をいつまでも引きずっても意味はない。
引きずって意味のあるものなどグラウンド整備のトンボ以外にあるわけないのだ。



2001年09月13日(木) さて、これからどうしましょうか

何故だか何にもあまりやる気が起きない。
対米同時多発テロのせいだろうか。

生きてる意味が解らなくなる。
日記を更新することなんて本当に意味がない。

不幸でもないのに不幸と感じている自分が嫌だな。

ふぅ。さて、これからどうしましょうか。



2001年09月12日(水) 自爆テロ 第2報

自爆テロの事件を思う。
これは中東の問題が原因としてあるようだ。
そこにはパレスチナ人の人権問題がある。
だから「パレスチナ人が悪」という一方的な見方はできない。

経済がああだこうだとか言う前に取り組まねばならない問題が世界にはある。
僕達がこんなに平和でのほほんと暮らしている時にパレスチナ人は自爆テロの計画をする。
自分の命を投げ打ってでもやらねばならぬことが彼らにはあるのだ。
パレスチナ人としてのプライド。
そして、イスラエルに虐げられているパレスチナ人の辛さがそこにはある。
僕達では到底想像もしえないほど重く暗く。

こんな事態が起こっていようと僕達の生活はいつも通りに過ぎていく。

学校は何も変わらず時間割通りに授業を進行していく。
TVはそろそろ大丈夫だろうと頃合いを計りバライティ番組を流す。
コンビニの客は店員の袋づめが遅いと怒って文句を言う。
僕達はAランチより100円高いBランチにするかどうかでかなり頭を悩ませる。

この世界の不平等さを嘆く傍ら、平和である自分達の運の良さに胸を撫で下ろす。



2001年09月11日(火) 自爆テロ

形容しがたい。
どんな言葉でもこの悲劇さ重大さを伝えることはできない。
音のある映像ですらも本当に起こっている真実の1/100も伝えられないだろう。

戦争という文字が突然浮かび上がってくる。
この事件が起きる前と起きた後では戦争という言葉の意味が本当に変わっている。
まさに非現実と現実くらいのひらきがある。

あの場に居合わせた人達やハイジャックされた人達の事を考える。
お悔やみ申し上げますとニュースは伝えるけど全然足りない。
彼らだってそのことは解ってはいるだろうけどそれぐらいしか言う言葉が無い。

ニュースをくいるように見ていたけど知らぬ間に寝てしまった。

朝起きるとテレビがついていた。
蛍光灯もついていた。
ミニモニが凄く笑顔で新曲を歌っていた。



2001年09月10日(月) 久々に麻雀

久々に麻雀をした。
私は最初の半荘を取り、次の半荘も取った。
点数は+76に達していた。
俺以外は当然マイナスである。

何はともあれ第3回戦開始。
しかしながら、開始そうそう3連続で振り込む。
点数は1万を切った。
親満なら当然飛んでしまう。
ここから俺は踏ん張った。
そしてなんとか2万5千まで戻した。

このままもう終了していいやと思っていると。
カモダやヒラヤマがチョイチョイ上がる。
そして際目付けはナガサワのツモり四暗刻でゲームセット。

最後のゲームは順位点の−5も含めて−25。
結局+51という結果になる。
4人の中では当然トップ。
順当です。

充分に満足したが時は午前0:30。
明日はローソン。
起きれるのかな。
チャンチャン。



2001年09月09日(日) ボールボーイ

TVでテニスの試合を見た。
準決勝でヒンギスとセリーナ・ウイリアムズは激突した。

セリーナ・ウイリアムズのパワーの前にヒンギスはたじたじ。
ヒンギスはファーストサーブをネットに引っ掛けて失敗が続く。

ボールボーイはそのたびに縦横無尽にコートを駈けた。
速かった。
速すぎてビックリした。
忍者と思うくらいだった。

私は彼の虜になった。
彼しか見えていなかった。

ヒンギスとセリーナ・ウイリアムズが打ったボールは私の右耳から入り左耳から出ていった。
それとも左耳から入り右耳から出ていった。
そのどちらかだった。
それが繰り返されていった。

ただ1人ボールボーイだけが私の頭の中を駆け巡っていた。

試合はセリーナ・ウイリアムズのワンサイドゲーム色を呈してきた。
それと同時に私が虜になったボールボーイはあろうことか勢いというものが霞んできた。
試合のはじめの頃よりダッシュが幾分鈍いのである。

彼は疲れていたのかもしれない。
しかし、そんなことに関係無く私はがっかりした。

私はそれから暫く試合を眺めたあとTVを消した。
もうボールボーイですらも私の両耳間を出たり入ったりしていることに、私は気づいたからだ。



2001年09月08日(土) 違う扉 

村上春樹にくびったけ。
夢中なのである。
目が無いのである。
とるもの手につかないのである。

それはさて置き、今私は彼が書いた「TVピープル(文集文庫)」という短編を読んでいる。
初版は1993年だが書かれた時は1990年頃。
約11年経っている。
11年前というと私は14歳である。
即ち中学2年である。

あの頃はたぶんだが、私は橋立中学校の2年生だっただろう。
休みの日は私の家から自転車で30分ほどかかるフクの家でよく遊んでいた時だ。
ダイチャンやクロチンやカツヒサンやモリテも居たのだ。
そのフクの部屋の事を思い出すと、なぜかラビットの Thank you my girl を思い出す。
音楽をあまり聴かない私としては情景と歌がいっしょに思い出される事は本当に珍しい。

ところでラビットは今頃何をしているんだろう。

ここで Thank you my girl の歌詞抜粋
    −−−
勝手だね 男は澄ました顔で
違う扉を覗きたがるけど
最後に帰る場所はひとつだけ
安らかな君のぬくもり
    −−−
     
彼らにとってドラマのタイアップやスマッシュヒットは違う扉だったのだろうか。



2001年09月07日(金) 自粛

50%ノンフィクションの自分の小説を今更読み返してみるとかなり恥ずかしかった。
題材となる元ネタも、稚拙な文章も、全然面白くないギャグも、すべて恥ずかしかった。
今日から少し自粛していこうと思う。
調子に乗って書いた文章は後で読み返してみると大抵恥ずかしいくお粗末である。
弱気になっている理由は解らないが、その方が恥ずかしい文章を書かないので良しとしよう。
その分つまらなくなってしまうかもしれないけど仕方ない。
今は自分をまもりたい時期なんだろう。
そう思うようにしている。



2001年09月06日(木) 究極の手打ちうどん「紅葉鍋茶屋」

どういうわけか後輩のじゅんちゃんが究極の手打ちうどん「紅葉鍋茶屋」を知っていた。
だから勢い余って夜にそこのうどんを食べに行く。
この店は知る人ぞ知るというより、ほとんど誰も知らないうどんのお店である。
雑誌に取り上げられたことも無いのではと思う。
だが店に入ると壁には有名人のサインや写真がいっぱいで、本当に隠れた穴場だと解る。

まず、男7人で注目のだし巻きを食べる。
だし巻きはかなり大きいがとても柔らかくて、だしもたっぷりで本当においしかった。
残っただし巻きが取り合いになったのは言うまでもあるまい。

だし巻きを食べ終えるとメインのうどんに突入する。
うどんはとりあえず熱かった。
美味しいよりまず先に熱かった。
次に量が多かった。
確かに歯ごたえはよかったが期待しすぎたせいか「まぁこれくらいだろう」って思ってしまった。
だし巻きが予想以上においしかったせいで、うどんまで過剰な期待が及んだ事も原因だろう。
またも学んでしまった。
予想以上の期待は必要無いっていう事を。

帰りの車の中から外を見ながら梅田の「はがくれ」のうどんを是非とも今食べたいと思った。
お腹がいっぱいなのに、なんですぐに食べたいって思うんだろうって疑問になった。
意外に納得してないからかな。
自分の気持ちなのに理解できないことばかり思ってしまう。
それが人間なのでしょうけど。



2001年09月05日(水) 人生において一番大切な事 vol.3

今1人になって考えるとあの時は言えなかったが、更に付け加えることがある。

今のありのままの自分を最大限に肯定する事が甘えになっては必ずイケナイ。
だから今のありのままの自分を最大限に肯定することとは別に必要な物がある。
それは自分の姿より皮一枚分大きいプライドだと私は思う。


 自分の姿より皮一枚分大きいプライドを絶やさず
    現時点のありのままの自分を最大限に肯定する事


これが人生において一番大切な事だと今は思う。

           −−− 人生において一番大切な事 終わり



2001年09月04日(火) 人生において一番大切な事 vol.2

彼女は自分と他人を比較する事によって、今の自分と別の人生の自分を比較した。
自分と他人を比較することで容易にありもしないもう1人の自分を想像できたからだ。

実験を続けている別の道を進んだ別の人生の自分を。
とても輝いて見える違う道を選んだ自分を。
今の自分と比較していたのだ。

それでは羨ましくなって当然だし、後悔だってする。

私は彼女に、

あなたは自分の事と他人を比較しすぎている。
ありもしないもう一人の圧倒的な自分を比較してネガティブな感情を持ち込み過ぎている。
そんなことを思い続けても何も解決しないし、良くもならない。
ポジティブな考えをしないと、どんなで事も良くならず、解決には至らない。
だからされるべき事は、今のありのままの自分を最大限に肯定する事だ。

と言った。加えて私はリクルートに行く理由を説明した。

私は今の自分を最大限に肯定していてるし後悔は無い。
今の自分で納得もしている。
その今の自分がリクルートに行きたいと思っているからリクルートに行く。
この気持ちを裏切るほうが絶対に後悔する。

彼女は小さく頷いた。
私は家庭教師宅をあとにした。

           −−− 人生において一番大切な事 vol.2



2001年09月03日(月) 人生において一番大切な事 vol.1

私は家庭教師をしている。
そこのお母さんと話した。

今、彼女は40歳近く。
大学で実験中心の研究室を卒業してから、すぐに今の夫と結婚した。
実験して研究することに見切りをつけて結婚したのだ。

彼との間にできた2人の子供も小学校に行くようになれば、自分の時間が余ってくる。
パートとして結婚式の司会などをするようになった。

彼女は言った。

「自分の研究室の同期は仕事として実験などの研究することを続けている人が多いんです。
 サンスターとかでまだ実験しているのよ。で、かたや私はパートの司会でしょ。
 なんかさぁ、やっぱり私も実験する事を見切らないで、
 続けておけば良かったなぁって今になって思うのよ。そんな同期がうらやましいし。
 だからあなたも自分が研究してきた分野を続けたほうがいいと思うのよ。
 今までせっかくやってきた事を捨てるのはもったいないよ。
 リクルートに行くよりそうしたほうがいいんじゃない。」

彼女の理論はとても筋が通っていた。
とても共感できた。

確かにそうかもしれません。と同意した。

しかし、だからといってリクルートに行かないことは無い。
もちろん行く。

彼女の理論は納得できたが、ただ彼女は自分自身のことを他人と比較し過ぎていた。

           −−− 人生において一番大切な事 vol.1



2001年09月02日(日) サカキダ

彼は私の大学からの友人である。
今の彼を形作っているものに、彼の大嘘トークとセンスの良いボキャブラトークがある。
彼は根っからの大嘘つきでこれはだれしも認めるところである。
最近ではその嘘が膨らみすぎて、彼の存在までもが嘘ではなかろうかという説が有力である。
本日はサカキダを構成する2本柱の1つのボキャブラトークに焦点を当ててみよう。

ある日のことだ。
私とフクイとサカキダは車に乗っていた。
行き先ならどこでもいい。青空だったし。
注目のサカキダは後部座席に座っていた。
私は助手席に座り、運転席で運転するフクイと話していた。
せっかく時間を費やして書いたプログラムを私が保存し忘れて困った、という話をしていた。
その話題にうしろから唐突にサカキダが最高のボキャブリで割って入るというシーンである。


私:「それでさ、バックアップを取るのを忘れていたんだよ。ほんとに最悪。」

フクイ:「そりゃ酷いな」

サカキダ:「えっ、ビーバップ?」


こんな彼であるが、世界規模においてトップ企業であるトヨタに内定を頂いている。
バックアップとビーバップハイスクールなんて少しも関係ないが、
こんな彼がトヨタから内定を頂けるとは、まったくもってこの世は解らないものである。



2001年09月01日(土) 学生最後の夏

腰痛が直っていく気配。

接骨院のドクターに感謝。

昨晩の風は少し肌寒くもう秋が迫る予感。

学生最後の夏が今まさに終わろうとしている。

最後だからどうだということは無い。
このまま過ぎていくだけだ。

最後の夏だからこそしっとり終わって社会人の夏を迎えるべきなのだ。
そう納得したいだけだ。


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