於徒楽的日記(OFF生活編)
DiaryINDEXpastwill


2005年11月26日(土) 金婚式の昼食会へ

 この日、於徒楽の姉妹とその家族が集い、両親の金婚式を一緒に祝った。本当は5人姉弟なのだが、弟は意思固く欠席。於徒楽には5人の姪・甥が居るのだが、これも2人所用で欠席。鈍臭くて、携帯を取りに戻ったロスが響いて遅刻! 特に小学生の姪・甥たちを待たせてしまった。すまんのう。
 50年前の挙式記念集合写真を見せて貰って、若々しい風貌の両親と祖母たちに見入ってしまった。食事を囲んで、各々の近況を語り、また思い出話に花が咲いた。後々聞くと、姉妹のダンナ方にとってはかしましさにやや辟易(?)だったらしいが・・・。
 記念写真はデジカメで。おっと、うちは忘れてきたばい。CD-Rに焼いて残そうか、という話が出ている。そのうち届くか。記念品は当人達がこれといって望まなかったので、子供たち一同からのアレンジメントを。
 その後は、またそれぞれの家族で行動することに。両親も健在で、自由に外出しているようだし、来年の春には6人目の孫を迎えてもらわねば。


2005年11月22日(火) 戌の日に安産の腹帯

 昔からの習わしで、妊娠5ヶ月の戌の日に腹帯用のサラシを安産祈願に巻く、というのがある。京都・関西ではわら天神や中山寺が有名。京都在住の於徒楽は、臥龍氏の両親とわら天神へお参りに行ってきた。
 一応、そこでサラシと産着と藁を授かり、儀式としては帰宅してからサラシをお腹に巻いて、お守りを腹帯に挿んでおくというものらしいが、うーむ、ぐるぐるやるのは大変じゃなぁ・・・。藁には節の有無で男女を占う意味があり、端の方に節らしきものを発見す。当事者はどちらでもよい、と大らかに構えているが、男兄弟だったために女の赤ちゃんを抱いていない臥龍氏の両親は「女の子がええなぁ」と。ま、もう一人位頑張ってみてもいいかな、なんちって。
 そんでもって、臨月の前にもう一度お参りしてください、とな。予定日の前後に安産の祈祷をしてくださるとのこと。縁起物やけど、ちゃんと仕掛けてあるのう。


2005年11月13日(日) 金婚式と1周忌

 この日は於徒楽にとって重大な日である。ひとつは実の両親の結婚記念日、今年は50周年即ち金婚式。もうひとつは養母の祥月命日、しかも1周忌となる。於徒楽には母と呼ぶべき人が3人居て、その2人にとって大切な日が重なっているわけで。この日、普通に仕事をこなして、とりあえず実家に電話を入れ、両親へおめでとうメッセージ。自宅に戻ってから夜遅くなってしまったが臥龍氏と共に般若心経を詠んで養母の冥福を祈った。
 金婚式については後日子供たちが集合するのでその時に詳しく触れたい。
 さて、ちょうど1年になるわけで。連絡を受けたとき仕事中でなくて本当に良かった。だが夜勤前ということで職場には迷惑をかけてしまったけれど。当時の様子はこのサイトの1年前の記事に記したとおりである。あれから喪主の妻という役割を担うこととなり、初盆には二人で迎え火を点した。来月が1周忌の法要なので、その準備も整えている。


於徒楽 |HomePage

My追加