於徒楽的日記(OFF生活編)
DiaryINDEX|past|will
初盆の行事としてのメインである寺参、「施食会」行事を前に、故人に因む親戚を招いて昼食を共にし、想い出を語り合うのが習わしとのことで今回5組の血筋をお招きしていた。都合悪く欠席されたところもあるが、仕出し弁当を手配してお酒もふるまう。 お寺には初盆の家が優先されて配席。いきなり前で読経その他一部始終を見ることができたことになる。また、喪服も着物(留袖やね)で参列するのが初盆の特徴らしい。あれまござんせんことよ・・・洋式の喪服を着用しとりやした。 その後墓参するのだが、残念ながら雨。あと30分は待って欲しかった。なんとか線香を参列者に手向けていただいて、送り火らしいことはせずに帰途へ。 雷雨に煽られながら帰りは鯖街道を走る。京都に戻ってから、臥龍氏(ダンナ)の実家にて御詠歌・送り火という予定であったが、ここに来て疲れが出てしまい於徒楽はリタイア。翌日の仕事を考えての休養ながら、顔色もやや不良だったらしい。 この初盆を迎える前に「家」の跡継ぎとなる存在を宿していることが判明。そんな早い気づきも、帰りの雷雨も、何かの導きがあるのだろう、と思わずにはいられない。自分自身はクリスチャンだが、子供には実家の家督を伝えていかなければならない。まだまだ教わるべきことがたくさんあったのに、養母はすでに御霊となってしまった。こんな宿命を耐えることができる、と信じてくれているのだろう・・・。
朝早く起きて墓参、仏壇への配膳を済ませて、お坊さんの読経を待つが結局待ちぼうけ。昼近い訪問じゃった。そんで一気に廻るため手短に清まされた。まるで嵐じゃった。その後は夕方までゆっくりして、再度墓参してから夜を迎える。 近隣は親戚達が集まっているのかいつもより賑やかで、カラオケの歌声も聞こえてきた。我々はささやかに花火で楽しんだものの、煙の激しいことといったら。流石に近所の人が出てきて「ああ花火かいな」と言われてしもうた。ま、お互いさんかいな。
初盆を迎えて、前夜の豪雨に行く道を心配しながら、またこの時期の渋滞を考えながら、無料となって始めての湖西道路経由で走ってみる。途中トンネルを抜けて、順調やなぁと思いきや、志賀の出口手前でノロノロ。国道との合流後もノロノロ。でもいくつかのコンビニを過ぎてからギューンと空いてくる。そしてビックリしたのは通り道の通行止め表示。げげっさらに遠回りかい? でも運良く我々が通る前には解除されており逆にスイスイ。でも沿道の水溜りとか、車窓から見える川の色は豪雨の爪跡を見る思いじゃった。 実家では仏具の用意や配膳、檀家関係の寺参、養母も含む先祖の墓参を済ませ、ロウソクに火を点して迎え火とする。もう身近に地域の風習を教えてくれる存在がないので、周りをキョロキョロしながらかなりテケトーな方法じゃった。もーしゃあないやん。
|